日本生態学会 編
鎌田磨人・白川勝信・中越信和 責任編集
日本生態学会
編
鎌田磨人・白川勝信・中越信和
責任編集
エコロジー講座 7
里山のこれまでとこれから 所収
エ コ ロ ジ ー 講座 7里山
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里山の今と
これから
鎌田 磨人
暮らしの総体としての里山
里 山 と い う 言 葉 を 聞 い て 思 い 描 くのは、水田をはじめとする耕作地 と、その背後に広がる山林からなる 景 観 で は な い で し ょ う か。 場 所 は 違っても、似た趣を持つ景観は、日 本のどこに行っても見つけることが できます。このような、里と山が結 びついて構成される景観は、農耕が 始まった頃から人の手によって形成 され始めたと思われ、そしてつい最 近まで、人手を加え続けることで維 持 さ れ て き ま し た。 そ れ は、 「 里 山 景観をつくること」を意図して行わ れてきたのではなく、自らの生活を 支えるための日常的な営みとして行 われてきたものです。 家づくりの材料 そ れ ぞ れ の 地 域 で、 人 々 は 周 辺 の森林から樹木を伐り出し、家を建 てました。古民家の建築材に使われ ていた樹木の種類を調べた研究によ ると、ほぼすべての地域でアカマツ やスギが使われていたこと、 そして、 長 野 県 の 栄 さかえ 村 や 飯 いい 山 やま 市 で は そ れ ら に加えブナが、岩手県 紫 し 波 わ 町、福井 県 敦 つる 賀 が 市、大阪府 能 の 勢 せ 町ではクリが 多く使われていたことがわかりまし た。これらの地域では、ミズナラや コナラ等のナラ類、トチノキ、カツ ラ、ハリギリ、ホオノキ、シナノキ といった落葉広葉樹も使われていま した。一方、宮崎県 椎 しい 葉 ば 村や奈良県 十 と 津 つ 川 かわ 町ではカシ類が利用されてい里山の今とこれから
鎌田 磨人
石 川 県 輪 島 市 の 古 民 家。 建 築 材 に は 周 辺 の 森 林 に 育 つ 樹 木 が、 茅 葺 き 屋 根 の 素 材 も草地に生えるススキなどが使われる 京都市内「宝ヶ池公園」の里山から市街地を見るることが特徴です。ブナやクリを始 めとする落葉広葉樹は冷涼な気候帯 の森林を構成する樹木、カシ類は温 暖な気候帯の森林を構成する常緑広 葉樹です。このように、それぞれの 地 域 で 建 築 材 に 利 用 さ れ た 樹 木 は、 それぞれの気候帯の森林で生育する 樹種とよく対応していまし た。 家 屋 の 屋 根 は、 茅 かや 葺 ぶ き でした。茅は、屋根を葺く た め に 使 わ れ る 高 茎 草 本 ( 茎 が 長 く ま っ す ぐ に 伸 び る 草 本 植 物 ) の 総 称 で す。 多くの地域ではススキが使 われてきましたが、例えば 合掌造りで有名な 五 ご 箇 か 山 やま で はカリヤス、丹後地域では サ サ( チ マ キ ザ サ )、 琵 び 琶 わ 湖 こ 畔ではヨシといったよう に、それぞれの地域の人々は、その 地域の気候や土地条件の中で集落周 辺に生育する植物を利用してきまし た。 生活の糧のみなもと 耕 作 地 に 投 入 す る 肥 料 も、 農 耕 地の周辺にしたてられた草地や畦で 刈り取った草や、家畜として飼育さ れていた牛馬の糞を草に敷きこんで 作 っ た 厩 きゅうひ 肥 が 利 用 さ れ て き ま し た。 牛馬の餌もまた、草地から得ていま した。米をはじめとする作物を栽培 するために、 溜 ため 池 いけ が作られ、水路が 張り巡らされました。収穫のために 刈り取られた稲は、周辺に仕立てた 竹林から取ってきた 竹 たけ 竿 ざお にかけて乾 燥 さ せ ま し た。 炊 事 を し た り 暖 を とったりするための燃料もまた、周 辺 の 森 林 か ら 採 取 さ れ た 柴 木 や 薪 まき 、 あるいは薪から作った炭でした。 こ の よ う に、 そ れ ぞ れ の 地 域 に 住 ま う 人 々 は 周 辺 の 自 然 に 働 き か け、 生 物 資 源 を 利 用 し て き ま し た。 その結果として、水田をはじめとす る農耕地、 溜 ため 池 いけ や水路、山林、草地 等のモザイクで構成される里山景観 がつくり出され、維持されてきまし た。里山は、暮らしの総体をあらわ している空間だと言えます。 国 くに 木 き 田 だ 独 どっ 歩 ぽ は そ の 作 品「 武 蔵 野 」 の中で、 1 8 9 0 年頃の東京西郊に 広 が っ て い た 里 山 景 観 を、 「 こ の 谷 の 底 は た い が い 水 田である。畑はおもに高台 にある、高台は林と畑とで さまざまの 区 く 劃 かく をなしてい る。 畑 は す な わ ち 野 で あ る。されば林とても数里に わたるものなく 否 いな 、おそら く一里にわたるものもある まい、畑とても 一 いち 眸 ぼう 数里に 続くものはなく一座の林の 周囲は畑、 一 いっ 傾 けい の畑の三方 は林、 というような具合で、 農家がその間に散在してさらにこれ を分割している。すなわち野やら林 やら、ただ乱雑に入組んでいて、た ちまち林に入るかと思えば、たちま ち 野 に 出 る と い う よ う な 風 で あ る。 それがまたじつに武蔵野に一種の特 色 を 与 え て い て、 こ こ に 自 然 あ り、 ここに生活あり、北海道のような自 然 そ の ま ま の 大 原 野 大 森 林 と は 異 里山の風景(千葉県印西市) 燃料も周辺の森林から得られる
里山には水を有効に持続的に利用で きるようにしたり、 自然災害を防御 ・ 低減したり、実りをもたらしたりす る機能が内在しています。これは 調 整サービス と呼ばれています。 さ ら に 里 山 は、 人 々 に 楽 し み や 憩 いこ い、 癒 いや しももたらします。いまで も、昆虫採集やきのこ狩りは、楽し みの一つでしょう。集落をあげて行 う草地での火入れや茅採取のための 共同作業は、人々の結びつきを強め ました。草原はピクニックやデート の場ともなります。里山を題材にし た 絵 画 や 文 学 も 生 み 出 さ れ て い ま す。国木田独歩の「武蔵野」は、雑 木林、畑、水田、草地等からなる里 山 の 風 景 が 醸 し 出 す 趣 と、 そ れ に よって湧き上がる感情が著されたも のです。 宮 みやざきはやお 﨑駿 氏が「となりのトト ロ」で描き出したのも、里山の風景 で す。 「 ポ ケ ッ ト モ ン ス タ ー」 は、 昆虫少年だった作者が里山の木々や 葉 陰 に 隠 れ て い る 昆 虫 を 探 し て 歩 き、また、昆虫が変態する様子を観 察した経験、その時のワクワク感が もとになって創り出されたといいま す。これらが、里山の 文化的サービ ス です。 上 記 3つ の サ ー ビ ス は、 里 山 を な っ て い て、 そ の 趣 も 特 異 で あ る 」 と描写しています。
里山の恵み
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生態系サービス
人 々 が 生 態 系 か ら 得 て い る 恵 み は「 生態系サービス 」と呼ばれ、大 きくは供給サービス、 調整サービス、 文化的サービス、基盤サービスの 4 つに区分されます。建築材、茅、肥 料や飼料としての草、燃料としての 柴 木 や 薪 を 得 る こ と、 筍 たけのこ や 竹 材 を 得ること、農地の作物を育てるため に溜池・用水から水を得ること、そ して農地からの作物の収穫は、里山 からの 供給サービス の利用と言い換 えることができます。今は高価なも のとなって、なかなか口にすること ができなくなったマツタケも、里山 のアカマツ林からの供給サービスで す。 ソ バ の 実 や、 イ チ ゴ、 リ ン ゴ、 ナシなどの果実等の実りは、花粉を 媒介するハナバチによってもたらさ れ ま す。 里 山 の 森 林、 ま た 溜 池 や 棚 たな 田 だ は雨水をたくわえ、水が一気に 流れ出るのを防いでいます。森林の 木々の根は土壌を抱え込み、土砂の 流 亡 を 防 い で い ま す。 こ の よ う に、 構成する多様な生物の営みによって も た ら さ れ ま す。 そ れ だ け で な く、 光 合 成 に よ る 有 機 物 や 酸 素 の 生 産、 栄養塩の循環といった生態的プロセ スは、人も含めた生物の生存を支え ます。これを 基盤サービス といいま す。 こ れ ら 生 態 系 サ ー ビ ス が ど れ く らい、どのようにもたらされるのか は、里山を構成する森林や農地の種 類と質、面積、配置によって決定づ けられます。そのため、里山景観の 変化はそれぞれの生態系サービスの 質や量に影響を与えることになりま す。供給サービスや文化的サービス は、人がそれらを必要とし、里山に 働きかけることによって産み出され るサービスです。人が里山と向かい 合うことがなくなれば、それらサー ビスが生み出されることもなくなり ます。里山はどのように
維持されてきたか
里 山 景 観 が ど の よ う に 維 持 さ れ てきたのか、その主な構成要素であ るアカマツ林、シイ・カシ林、ナラ 林、 草地について見ておきましょう。 里山の風景(徳島県徳島市)アカマツ林の場合 瀬 戸 内、 近 畿 地 方 西 部、 徳 島 県 吉野川沿い等の、降水量が少なく花 崗岩が卓越する地域の里山では、ア カマツ林が主要な森林です。アカマ ツ は、 土 壌 が 薄 く て 養 分 に 乏 し く、 また乾燥しやすい土地でも生育可能 なのです。 ア カ マ ツ は、 羽 根 を 持 つ 種 子 を 遠くまで風で飛ばし、伐採や山火事 でできた新しい裸地にいち早く進入 し、陽光を一身に受けながら成長し ます。 成長過程のアカマツ林内では、 ナラ類やカシ類が徐々に成長してい きます。そのまま自然のプロセスに まかせておくと、やがてアカマツは 衰退してナラ林やカシ林へと変化し ていきます。こうした森林の時間的 な変化を、 遷 せん 移 い といいます。アカマ ツ林が里山の主要な構成要素の一つ であったのは、人が伐採を繰り返し ながら植物体を利用し続けてきたか らです。 広 島 県 の 山 間 部 の 里 山 の ア カ マ ツ林では、林内で成長しているナラ 類 や カ シ 類 等 の 広 葉 樹 を 刈 り 取 り、 薪として使っていました。また、林 床の落葉・落枝も集められ、 焚 た き付 けに用いられました。そうした利用 が続けられるアカマツ林内は明るい 状態に保たれ、林床にはススキが繁 茂するようになります。そのススキ もまた刈り取られ、肥料や牛馬の餌 として利用されました。そして、成 長したアカマツは、建築材( 梁 はり )や アカマツ林の推移と植物の利用(Kamada et al., 1991 に基づく) 人手が加わらない場合、アカマツ林はAaC,カシ・ナラ林はDaFのよ うに変化する。里山では、人による利用の頻度や強度に応じて、B1、 C1、C2のような多様な森林からなる景観がつくられる A: B1、C1、C2のようなアカマツ林を伐採してできた裸地で、アカマツ や広葉樹の幼木が育ち始める B: 成長途中のアカマツ林 薪にするために広葉樹の幼木を伐採aB1 自然の遷移に任せるaC B 1: アカマツ林内の広葉樹を継続的に利用すると、林内に広葉樹が少な くなり、ススキ等が繁茂する 林床のススキ等を継続的に刈り取って肥料・飼料に利用aB1aC2 薪にするために広葉樹の幼木を伐採aC2 自然の遷移に任せるaC1aC C : アカマツの下で多くの広葉樹が育ち、一部は林冠に達する。林床には 落ち葉などがたまり、土壌が肥えていく すべて伐採するとアカマツは定着できず、カシ・ナラ林へと移行するaD アカマツ林内で育っている広葉樹を薪や炭にするために伐採aC1 自然の遷移に任せるとアカマツは広葉樹に負けて衰退し、広葉樹林 に置き換わるaF C1: アカマツ林の下で広葉樹が再生・成長する 薪として利用するために広葉樹の若木を継続的に伐採aC2`aC1 薪にするために広葉樹の若木を伐採aC2 自然の遷移に任せるaCaF C2: 広葉樹が少なくなった林床にススキ等が繁茂する 林床のススキ等を継続的に刈り取って肥料・飼料に利用aC2 自然の遷移に任せるaC1aCaF 里山の風景(石川県羽咋市)
下駄の材料として切りだされ、枝や 落葉とともに持ちだされました。ア カマツが切りだされた後にできた裸 地には、再びアカマツが侵入してア カマツ林を形成していきました。 林 内 の ナ ラ・ カ シ 類 や 林 床 の 落 葉を利用しないままのアカマツ林で は、それらが林内に蓄積されていま す。 そ の よ う な 林 分 を 伐 採 す る と、 地面を覆う落葉がアカマツの種子の 定着を阻みます。そして、ナラ類や カシ類の切り株から出る 萌 ぼう 芽 が が成長 し、 ナラ林やカシ林へと移行します。 シイ・カシ、ナラ林の場合 シ イ・ カ シ 林 や ナ ラ 林 も 里 山 を 構成する主要な森林です。シイ・カ シ林は、九州や四国の沿岸地域、紀 伊半島南部、房総半島、島根県沿岸 部 な ど の 里 山 で の 主 要 な 森 林 で す。 コナラ林は東北地方太平洋側、関東 地方北部 ・ 西部、 房総半島、 伊豆半島、 岐阜県美濃地方、石川県、中国地方 日本海側等の里山で見られます。ミ ズナラ林は、東北地方日本海側の里 山に広く分布しています。カシ類や シ イ、 ナ ラ 類 は、 萌 芽 能 力 が 高 く、 ま た、 薪 炭 材 と し て 優 れ て い ま す。 薪や炭を生産するために、 15〜 25年 の 周 期 で 定 期 的 に 伐 採 し、 そ の 後、 切り株から出る萌芽によって森林を 再生させることが、各地で行われて きました。 優 良 な 炭 と し て 知 ら れ る 備 長 炭 はウバメガシを原木として作られま す。和歌山、高知、宮崎等が主産地 で、それらの海岸部にはウバメガシ の萌芽林が分布しています。 能 の 勢 せ 地 域(大阪府と兵庫県の境付近を流れ る 猪 い 名 な 川 がわ 北部)では、クヌギを原木 とした「 菊 きく 炭 ずみ 」が生産されてきまし た。菊炭は、その断面が菊の花のよ うな美しい模様となるので、茶の湯 炭として流通しています。大阪府池 田 市 が そ の 集 積 地 と な っ て い た の で、 「 池 田 炭 」 と し て も 知 ら れ て い ま す。 能 勢 地 域 の 里 山 に は、 「 台 場 クヌギ」と呼ばれる独特の姿を持つ クヌギがあります。 1〜 2メートル 程度の高さで幹を伐採して、そこか ら出る細い萌芽を炭の材料として採 取してきたのです。 草地の場合 茅 かや 場 ば と し て 維 持 さ れ て き た 草 地 も、里山景観を形作る主要な要素の 一つでした。 屋根を葺くための茅や、 牛馬の餌を得るために、広い面積の 草地が必要だったのです。草原は何 もしないでおいておくと低木が繁茂 し、やがて森林へと変化します。毎 年 の よ う に 茅 を 刈 り 取 り 続 け る こ と、 牛や馬に草を与え続けることが、 草地を維持することにつながってい ました。火入れによって燃やすこと で草地を維持することも、各地で行 われてきました。 徳 島 県 祖 い 谷 や 地 方 で は、 肥 料 や 飼 料として使用する草は個々の世帯が 所 有 す る 土 地 に あ り、 そ れ ぞ れ が 刈 り 取 っ て 利 用 し て い ま し た。 一 方、屋根材料としての茅は高所の寒 冷な場にあるススキが優れていると シイ・カシ類、ナラ類の 萌芽能力を活かした森林 の利用 萌芽については、本書32 ページ「林の再生能力を 活かす」も参照してくだ さい 菊 炭 ク ヌ ギ の 萌 芽 を 材 料 に つ く ら れ る。 写 真 は石井実氏提供
され、標高 1000 メートル付近の 尾根の、集落で共有するススキ草原 から採っていました。そして、その 草原を維持するために、毎年、火入 れが行われてきました。私が調査を 行った集落は 30世帯ほどで構成され ていて、毎年、集落の人々が互いに 手 伝 い 合 い な が ら ス ス キ を 刈 り 取 り、 1軒ずつ屋根を葺き替えてきて いました。このような社会システム によって、それぞれの家屋の屋根は 30年に 1回程度の頻度で葺き替える ことができました。 広 島 県 の 深 しんにゅうさん 入 山 や 雲 うん 月 げつ 山 さん 、 岡 山 県の 蒜 ひる 山 ぜん 高原、山口県の秋吉台、長 野県の霧ヶ峰高原等で見ることがで きるように、草地を維持するための 火入れは日本各地で行われていまし た。 阿 あ 蘇 そ ・ 久 くじゅう 住 や島根県 三 さん 瓶 べ 山 さん のよ うに、毎年の火入れによって広大な 草原を維持しながら牛を放牧してき た地域もあります。 植生のモザイク 里 山 に は、 様 々 な 遷 移 段 階 の 植 生がモザイク状に分布していたと言 えます。水田や畑は一年草や越年草 が生育する場として見ることができ ます。草地 (茅場) は多年生草本が、 そ し て、 ア カ マ ツ 林、 ナ ラ 林、 シ イ・カシ林はいろいろな成長段階に ある木本が生育する場です。どこを どのように使うかは、水はけや土壌 の良し悪しといった土地の状態、ま た、居住地からの距離や傾斜といっ た土地の利用しやすさ等によって決 められてきました。そして、個々の 植生資源をうまく使っていくための 方法や、助け合って使っていくため の約束事、資源を枯渇させないよう 持続的に利用していくための規制と いった社会システムが、それぞれの 地域で築かれてきました。そのよう な個々の地域が持つ自然と人との関 わりの歴史を背景として、利用目的 に応じた頻度・タイミングで刈り取 りや伐採を行い、また、再生させる ことで、植生モザイクとしての里山 景観がダイナミックに維持されてき たのです。
里山の危機
1 9 4 5 年 に 太 平 洋 戦 争 の 終 戦 を迎えた後、日本は荒廃した国土を め ざ ま し い 勢 い で 復 興 し、 そ し て 1 9 5 5 年から高度経済成長期に突 入 し ま し た。 鉄 鋼・ 造 船・ 自 動 車・ 電気機械・化学・石油化学・合成繊 維 な ど の 産 業 部 門 が 急 速 に 発 展 し、 1 9 7 5 年までの間、年平均経済成 長率は 10%を超えていました。その ような産業の発展を支えたのは、農 村から都市圏へと移り住んだ人々で し た。 1 9 6 0 〜 1 9 7 5 年 の 15 年間に、東京・大阪・名古屋の三大 都市圏に 1533 万人が流入しまし た。そして、都市圏に移り住む人た ちのために、都市周辺の里山が造成 されて団地(ニュータウン)が造ら れました。 こ う し た 復 興・ 経 済 発 展 に よ っ て増加する木材需要に応えていくた め、 拡大造林も推し進められました。 広葉樹の森林は、スギやヒノキの人 工林へと転換されていきました。そ の一方で、中山間地域の農村では人 口 が 激 減 し、 過 疎 化 が 進 行 し ま し た。 1 9 5 0 年に 300 万戸あった 専業農家は 1 9 7 0 年には 85万戸に 激減しました。減少した労働力を補 い、また、農作業の重労働から解放 したのはトラクターやコンバインで あり、化学肥料でした。また、日本 中のほとんどの家庭の燃料は、ガス や石油、あるいは電気にとってかわ りました。この間、貿易の自由化に よって、木材も海外から日本に流れ 火入れによって草原を維持する(広島県深入山)こむようになりました。経済発展に 伴う人件費の高騰、人口流出による 中山間地域での働き手が少なくなっ たこともあいまって、安価な外材の 輸入量が飛躍的に増加したのです。 高 度 経 済 成 長 期 に 産 み 出 さ れ た グローバル化、少子高齢化、都市域 の拡大と農村の過疎化といった社会 の変化、その傾向は今でも続いてい ます。そして、里山景観を大きく変 貌させています。 里山の消失 都 市 域 周 辺 で の 開 発 は、 里 山 そ のものを消失させてきています。ま た、 里山から得てきた木材、 茅、 薪 ・ 炭等は利用されなくなりました。建 築材には輸入材が使われるようにな り、 1 9 5 5 年には 95%であった木 材の自給率は、 2000 年には 18% まで落ち込みました。その後、自給 率が上昇してきていますが、それで も 2013 年の自給率は 28%にとど まっています。このように、今、ほ と ん ど の 里 山 が 放 置 さ れ た ま ま に なっています。多くの草地は遷移に よって 藪 やぶ や森林になってしまいまし た。今、日本にはごくわずかの草地 しか残っていません。アカマツ林や カシ・ナラ林も林内に樹木が繁茂す るようになり、暗い森林へと変化し ています。 マツ枯れ・ナラ枯れ 1 9 7 0 年 代 か ら 日 本 各 地 で ま ん延したマツ材線虫病はマツを枯ら し、マツ林をナラ林に変化させまし た。マツ枯れは、マツノマダラカミ キリによって運ばれるマツノザイセ 竹林が広がる可能性の高い地域 (染谷ら,2010 に基づく) 竹の生育可能地域の予測。赤い部分ほど、竹林が拡 大する危険性が高い。かつて、筍を採るだけでなく、 竹竿にしたりかごなどをつくったりなどと有用に活 用されていた竹だが、最近は生活形態の変化や安価 な輸入筍の増加に押され、竹林は管理されなくなっ ている。そうなると繁殖力の強い竹は地下茎で広が り、森林をおおいつくしてしまう。写真は枚方市穂 谷の竹林の様子 里 山 を 開 発 し て 拡 大 す る 都 市( 枚 方 市 穂 谷周辺) (環境省;http://www.biodic.go.jp/biodiversity/activity/policy/map/map13/index.html)
ンチュウが仮導管の中で繁殖し、水 が通らなくなることで生じるもので す。これに加えて、 1 9 8 0 年代末 からはナラ枯れがまん延し、多くの 地域でコナラやミズナラをはじめと するナラ類が枯れてきています。ナ ラ枯れは、ナラ類の材内に穴を掘っ て繁殖するカシノナガキクイムシが 糸状菌(かび)を運び、その糸状菌 が材内で増殖することでひきおこさ れます。マツ枯れもナラ枯れも、利 用されなくなって放置された里山の 森林で発生しています。 竹のまん延、シカの食害 竹 竿 は ス テ ン レ ス や グ ラ ス フ ァ イバーの竿に代わり、筍は中国から 輸入されています。そのため、竹林 も ま た 利 用 さ れ な く な っ て い ま す。 管理が放棄された竹林は、地下茎に よる旺盛な繁殖力で拡大して周辺の 森林をのみこみ、里山景観を変容さ せています。 近 年、 個 体 数 が 急 激 に 増 し て き たシカもまた、里山にとって脅威と なっています。人が利用しなくなっ た里山の森林にはシカが侵入し、林 床の草本やササ、また低木が食べら れています。そのため、林床が裸地 状態になってしまっている森林も少 なくありません。 開 発 に よ る 里 山 そ の も の の 消 失、 利用されなくなることによる遷移進 行、また、マツ枯れ、ナラ枯れ、シ カ食害等の生物の爆発的増加によっ て引き起こされている劣化等、里山 は様々な危機に直面しています。
里山再生に向けた取り組み
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これからの里山
高 度 経 済 成 長 期 を 境 に、 大 き く 変 貌 し て き た 里 山 の 景 観。 そ れ は、 人の暮らしが里山から離れてしまっ た 結 果 の 現 れ で す。 そ の よ う な 中、 里山とのかかわりの中で得てきた恵 み(生態系サービス)の大切さに気 づ い た 人 た ち に よ っ て、 失 い つ つ あった人と里山の関係をとりもどそ うとする活動が各地で始められてい ます。いくつかの例を、紹介してお きましょう。 都市の中の里山 ─ ─ 京都市松ケ崎(宝ヶ池) 京 都 市 の 市 街 地 北 部 に 位 置 す る 松 ヶ 崎 地 区 は、 か つ て は 田 畑 や 草 地、 湿 地 が 広 が る 里 山 地 域 で し た。 1 9 3 1 年 に 京 都 市 に 編 入 さ れ て 以 来 徐 々 に 住 宅 地 が 拡 が り 人 口 が ニホンジカの分布と拡大予測 さまざまな要因により、全国でニホンジ カの個体数が爆発的に増加している。繁 殖力が高いシカは、森林そのものの脅威 にもなっている。写真は京都市松ヶ崎の 里山のようす。2009年(上)には林床に ササが一面に茂っていたが,わずか3年 で食い尽くされ、同じ場所とは思えない 状態(下)。写真は野田奏栄氏提供 (環境省;http://www.biodic.go.jp/biodiversity/activity/policy/map/map14/index.html)増 え 続 け、 1 9 9 0 年 に は 1平 方 キ ロ メ ー ト ル 当 た り 2 9 2 9 人 で あった人口密度が、 2010 年には 3404 人に達しています。この地 域の中で里山として利用されてきた 森林の大部分は、 今、 都市公園(宝ヶ 池公園)に指定され、近くに住まう 人々が散歩・散策をする場としての 日 常 的 な 利 用 空 間 と な っ て い ま す。 また、森林を活かした体験活動等も 行われています。 宝 ヶ 池 公 園 内 の「 こ ど も の 楽 園 」 には「宝ヶ池プレイパーク」があり ま す。 「 自 由 な 発 想 で 自 由 な 遊 び を つくる、自分で創造・工夫し、自主 性、責任感、行動力、やり遂げる力 を身につけていく」ことを基本方針 として運営されているプレイパーク は、様々な規制・制約がある都市公 園の中に自分たちの責任で自由に遊 ぶことができる空間をとの市民の要 望に京都市が応え、 2008 年に設 置されました。私が訪れた日には多 くの親子が訪れ、プレイパークに接 する森林の倒木やフジのつるを使っ て思い思いに遊んでいました。行政 支援による、里山の 文化的サービス の活用 例です。 こ の よ う な 場 の 運 営 体 制、 マ ネ ジ メ ン ト の 仕 組 み は と て も 重 要 で す。プレイパークは様々な自然学習 プログラム(自然あそび教室)を提 供していますが、そのマネジメント は、プレイパーク・スタッフの 2人 が核となって構築してきた、大学や 研究機関の研究者、大学生、中学校 や高校の生徒、市民団体メンバー等 からなる運営ボランティアグループ によって担われています。授業の一 環としてプレイパークでボランティ ア体験をした大学生の中から、その 後も運営ボランティアとしてかかわ り続ける者が生まれています。小学 生の時に利用者だった子どもが、中 学生になって運営ボランティアとし て 参 加 し た り し て も い ま す。 ま た、 この森林で研究を行っている大学研 究 者 ら の 研 究 成 果 を プ レ イ パ ー ク・ スタッフや公園利用者と共有する機 会をつくっています。こうした様々 な仕組みを用いて、協働による運営 体制が作られてきたのです。 都 市 の 中 に 残 る こ の 森 林 は、 も とはアカマツ林でしたが、今はコナ ラ林を主体とする森林となっていま す。近年、この森林にもシカが入り 込み、林内の草本、ササ、低木が食 べつくされつつあります。ところに 宝ヶ池公園 園内の「宝ヶ池プレイパーク」に隣接する里山は、自然観察会なども開催される市民の憩いの場。林内の倒木やつるを使っ て遊びを作り出す子どもの姿も見られる。しかし近年は、遷移の進行やシカ食害,ナラ枯れの広がりなどで森林は劣化し つつある。その対策のため,地域の人々の協働が始まっている
よっては裸地化した林床の土壌侵食 が進み、谷ができていたり、大きな 木の根が浮き上がって倒れたりして いるところもあります。さらに、ナ ラ枯れも進み、コナラ等の枯死が進 んでいます。現在は、枯死した樹木 が倒れたり枝が落ちてきたりするの で、子どもたちの立ち入りを制限せ ざるを得なくなっています。こうし た課題に対応し、健全な里山の森林 を取り戻していくためにどのような 協 働 が で き る の か、 プ レ イ パ ー ク・ スタッフ、大学の研究者や学生、市 民団体メンバー、地域の人たちが話 し合いを始めています。 都市近郊の里山 ─ ─ 大阪府枚方市穂谷 枚 ひら 方 かた 市 は、 高 度 経 済 成 長 期 か ら 都 市 化 が 進 ん だ 地 域 で、 里 山 が 開 発 さ れ 団 地 が 造 ら れ て き ま し た。 1 9 5 5 年 に は 1万 3 9 3 1 世 帯 で あ っ た の が、 2012 年 に は 17万 3344 世帯にまで増加してい ます。そうした開発から免れ、拡大 する都市の狭間に残ったのが 穂 ほ 谷 たに 地 区の里山です。 穂 谷 は、 「 モ ニ タ リ ン グ サ イ ト 1000 ( 以 下、 モ ニ 1000 )」 の中で、里地里山のコアサイトの 1 つとなっています。 モニ 1000 は、 生態系の状態を 100 年にわたって 調べ続ける場所を全国に 1000 か 所程度設置し、日本の自然環境の変 化をとらえようという環境省のプロ ジ ェ ク ト で、 里 地 里 山 に つ い て は 200 か所程度が選定されています (そのうちコアサイトは 18か所) 。里 山らしさが残る代表的な場所として 「 に ほ ん の 里 100 選 」 の 一 つ に も 選ばれていて、その里山景観を楽し むために、多くの人たちが訪れてい ます。 け れ ど も 一 方 で、 1 9 7 0 年 に は 79戸だった農家数は 2005 年に は 37戸と半減していて、水田や畑を 維 持 し て い く こ と が 困 難 な 状 況 に なってきています。谷奥の農地は放 棄され、やぶとなっているところも あります。利用されなくなって久し い森林では竹林が拡大していて、荒 廃が懸念されています。このように 劣化してきた里山の状態を良くしよ うと活動を始めたのが、穂谷周辺の 枚方市内に住む人たちです。 枚 方 に 造 ら れ た 団 地 に 住 み、 大 都 市 で 働 い て き た 人 た ち の 中 に は、 育 っ た 地 域 の 里 山 に 思 い 出 を 持 つ 人、また、里山への興味を持つ人が 枚方市穂谷の保全活動 竹やぶの刈り払いや耕作地放棄地の整備などを,近郊都市部の人が協働するボランティアグループが担う
たくさんいます。そのような人たち が定年で仕事を辞めた後、都市の狭 間に残った里山の価値に気づき、そ れを保全・再生していくための活動 に取り組んでいます。穂谷で活動す る 3つ の ボ ラ ン テ ィ ア グ ル ー プ は、 それぞれに少しずつ目的は違います が、拡がった竹やぶの伐採、竹材の 活用、放棄された耕作地のビオトー プへの改修などを行っています。里 山に入って活動し、汗を流すことか ら 喜 び を 得 る ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 は、 里山の 基盤サービスを整え つつ、 文 化的サービスや供給サービスを得よ うとする活動 だと言えます。 散 策 を 楽 し む 人 た ち、 モ ニ 1000 の調査員、ボランティアグ ループ等、多くが訪れるようになっ た穂谷ですが、そこには新たな課題 も発生しました。穂谷に住む人たち にとってみれば、生活空間に見知ら ぬ 人 た ち が 入 っ て 来 く る わ け で す し、時には断りなく田畑や 畦 あぜ などに 入り込んで荒らされてしまうことも あったようですから、 迷惑な話です。 また、モニ 1000 の調査員やボラ ンティアグループの人たちが何を目 的に、どのような活動を行っている のかを穂谷の人たちが知る機会も少 なかったために、不審に思う人もい たようです。このような「溝」を埋 め、協力しあいながら穂谷の里山を 保全・再生し、活用していけるよう にするために、穂谷のモニ 1 0 0 0 調査を統括する N A C S ‐ J (日本 自然保護協会)と大阪自然環境保全 協会、 3つのボランティアグループ、 そして地域内の 3つの自治会からな る「穂谷森づくり委員会」 が、 行政 (大 阪府、大阪市)を事務局として立ち あ げ ら れ ま し た。 そ の 委 員 会 で は、 互いに情報を共有したり、外部者が 地域に入って活動する上でのルール づくりを行ったりしています。 中山間地域の里山 ─ ─ 広島県北広島町芸北 広 島 県 北 広 島 町 芸 北 地 域 で は、 最奥の雲月山の山頂周辺に草原、な だらかな斜面上に森林、そして平坦 地 に 水 田 が 広 が っ て い ま す。 の ど か な 景 観 が 広 が っ て い ま す が、 過 疎 が 進 行 し て い る 典 型 的 な 中 山 間 地 域 で、 1 9 5 5 年 に は 7 6 0 2 人 で あ っ た 人 口 は 2013 年 に は 2 4 9 0 人にまで減少しました。 雲 月 山 の 草 原 は、 昭 和 の 中 頃 ま で、牛馬の餌や茅を得るために山焼 き を し な が ら 維 持 さ れ て き ま し た。 「 山 焼 き は 正 月 の よ う な も の 」 と 地 域の人が語るように、それは地域に と っ て と て も 大 事 な 年 中 行 事 で し た。しかしその後、高度経済成長期 に草原は利用されなくなり、山焼き も途絶え、森林へと遷移しつつあり ました。 そ の よ う な 場 所 で 再 び 火 入 れ が 行 わ れ、 草 原 が 再 生 さ れ て い ま す。 火入れの再開を支えたのは、草原景 観 や 山 焼 き と い う 地 域 の ア イ デ ン ティティを守りたいという地域住民 の思いでした。山焼きは、地域住民 がつくる実行委員会によって行われ ています。そして、 地元の消防団や、 N P O 「 西 中 国 山 地 自 然 史 研 究 会 」 の 呼 び か け に よ っ て 集 ま る 1 5 0 〜 200 名 の ボ ラ ン テ ィ ア が 支 援 しています。ここで目指されている のは、 文化的サービスを享受し続け るためのしくみづくり です。 家 や 水 田 と 接 す る 斜 面 の 裾 野 か らは、肥料としての草や薪が採取さ れていました。また、水田が陰にな らないようにと、刈り払われてもい ました。そのため、そこには草地や コナラの疎林が分布し、ササユリが 花を咲かせていたと言います。その ような、いわゆる裏山は、芸北では 再 開 し た 火 入 れ に よ っ て 維 持 さ れ て い る 雲月山山頂付近の草原
や、商品との引き換えに商店に集め られる「せどやま券」と交換するた めに用いられます。 この取り組みは、 供給サービスを活用 しつつ、里山の 基盤サービスを回復 しようとする試 みと見ることができます。 新しい形の利用を目指す 以 上 の 例 で 見 ら れ る よ う に、 都 市内では都市公園が核となって、大 学、 N P O 、地域の人たちを結びつ け、里山の保全・再生活動へと発展 させようとしています。拡大する都 市の狭間に残る里山では、開発され た 土 地 に 移 り 住 ん で き た 人 た ち が、 里山の守り人として活動を始めてい ます。新しくできた団地に住む人と 以前から里山に住んできた人たちと が交流・情報交換を行いながら、都 市のパワーを活かした取り組みが進 められているのです。中山間地域で は、地域の人たち自身が里山の 文化 的サービス や 供給サービスを活用 し ようとしています。それは、地域の アイデンティティを維持しようとす る取り組みと言い換えることができ る で し ょ う。 そ う し た 取 り 組 み を N P O が支援し、地域の人とボラン ティアや消費者とを結びつけること 「 せ ど や ま 」 と 呼 ば れ る そ う で す。 肥料や燃料の変化や人手不足によっ て、 「せどやま」 も利用されなくなり、 遷移が進みコナラ等が大きく育った 暗い森林となっています。ササユリ も消えてしまいました。 今、 主 に コ ナ ラ な ど の 落 葉 樹 の 利用を促進することで、使われなく なった「せどやま」の管理を促進し て地域の景観保全や生物多様性の保 全を実現すること、同時に芸北の経 済 の 活 性 化 を 図 る こ と を 目 的 と す る、 「 せ ど や ま 再 生 事 業 」 が 始 ま っ ています。この事業を推進している のは、 N P O 、林家、森林組合、商 店等からなる「芸北せどやま再生会 議」です。それぞれの林家は、自ら で切り出した2メートル足らずの短 材を N P O が管理する「せどやま市 場」に持ち込み、その対価を「せど やま券」と呼ばれる芸北内だけで通 用する地域通貨で受け取ります。そ して、この活動に賛同して協力する 商店で買い物ができます。せどやま 市場では、 N P O の人たちが薪を生 産します。生産された薪は、消費者 が 日 本 円 で N P O か ら 買 い 取 り ま す。 N P O が得た日本円は、薪生産 を行った N P O メンバーへの支払い 「 せ ど や ま 再 生 事 業 」 に よ っ て 切 り 出 さ れ 集 積 さ れ る 木 材。 中 央 上 段 の 写 真 は 白 川 勝信氏提供 で、活動を持続的なものにしていこ うとしています。 日 本 の 里 山 を 変 容 さ せ て い る 最 も大きな要因は、それが利用されな くなっているということです。その 再生のためには、私たちが里山との 関わりを取り戻し、生態系サービス を積極的に利用していくことが必要 です。けれども、文化的サービスを 得ることを主目的としたボランティ ア活動だけでは、保全・再生される 里山は点的なものにしかならないで しょう。より広い範囲の里山を再生 していくためには、芸北で挑戦が始 まっているように、 里山に蓄積され ている資源を取り出し、市場経済の 仕組みの中に取り込んでいく ことが 必要だと思われます。また、そうし た活動によってどのような里山を再 生させようとしているのか、あるい はどのような里山を再生することが 可能なのか、 明確な再生目標を持っ ておく ことも大事です。そのために は、里山を構成する植物や昆虫の生 態学的な特性を知り、それらを指標 として使っていけるようにしておく ことも必要です。
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里山を守る活動に参加したい・サポートしたい方へ
【総合的な情報を得たい】 ■ 環境省自然環境局自然環境計画課 <生物多様性国家戦略> http://www.biodic.go.jp/biodiversity/about/initiatives/ <里地里山の保全・活用、里山イニシアティブ> http://www.env.go.jp/nature/satoyama/top.html <生物多様性センター> http://www.biodic.go.jp/ <生物多様性とは> http://www.biodic.go.jp/biodiversity/ <生物多様性評価地図> http://www.biodic.go.jp/biodiversity/activity/policy/ map/list.html <RDB図鑑> http://www.sizenken.biodic.go.jp/rdb/index.html <モニタリングサイト1000> http://www.biodic.go.jp/moni1000.html ■ 文化庁 <文化的景観> http://www.bunka.go.jp/bunkazai/shoukai/keikan.html ■ にほんの里100選 http://www.sato100.com/ ■ モニタリングサイト1000里地調査 http://www.nacsj.or.jp/project/moni1000/ ■ 日本全国野焼きマップ(岐阜大学流域圏科学研究セン ター・津田研究室) http://www.green.gifu-u.ac.jp/~tsuda/hiiremap.html ■ 全国草原再生ネットワーク http://sogen-net.jp/ https://www.facebook.com/sogen.net ■ 景観生態学会 http://jale-japan.org/wp/ 【『エコロジー講座7 里山のこれまでとこれから』 で紹介した地域の活動について知りたい】 ■宝ヶ池プレイパーク(京都府) http://www.kyoto-ga.jp/kodomonorakuen/playpark/ index.html ■里山ネットワーク世屋(京都府) http://www.satoyama-net-seya.org ■ プロジェクト保津川(京都府) http://hozugawa.org/program/ikada.html ■比良の里人(滋賀県) http://www9.plala.or.jp/satobito/ ■財団法人大阪みどりのトラスト協会 ゼフィルスの森ト ラスト基金(大阪府) http://www.ogtrust.jp/donate/zephyrus.html ■雲月山の草原の火入れ(広島県) http://jale.sblo.jp/article/55536700.html http://jale.sblo.jp/article/55738589.html ■芸北せどやま再生プロジェクト(広島県) http://npo.shizenkan.info/?page_id=16 https://www.facebook.com/geihoku.sedoyama ■ひろしま緑づくりインフォメーションセンター(広島県) http://www.h-gic.jp/ ■阿蘇草原再生協議会(熊本県) http://www.aso-sougen.com/kyougikai/ ■公益財団法人阿蘇グリーンストック(熊本県) http://www.asogreenstock.com/ 里山の環境を守る活動を行う団体や,関連の情報を発信しているウェブサイトを紹介します。活動拠 点や内容,一般の方が参加できるイベントなどが紹介されています。直接活動に参加できなくても,商 品を購入したり,寄付を行ったりすることで,活動をサポートすることができます。サイトで知ったこ とを他の人に伝えたりすることも,里山の保全に貢献することになります。■
引用・参考文献
井田 秀行, 庄司 貴弘, 後藤 彩, 池田 千加, 土本 俊和 (2010) 豪雪地 帯における伝統的民家と里山林にみられる対応関係. 日林 誌, 92:139-144. 鎌田 磨人, 中越 信和 (1990) 農村周辺の1960年代以降における二 次植生の分布構造とその変遷.日本生態学会誌,40:137-150.Kamada M, Nakagoshi N, Nehira K (1991) Pine forest ecology and landscape management: a comparative study in Japan and Korea. In: Nakagoshi N, Golley FB (ed), Coniferous Forest Ecology from an International Perspective, 43-62. SPB Academic Publishing, The Hague.
鎌田 磨人 (1999) カヤ場の利用と景観生態. 遺伝, 53 (10):37-42. 藻谷 浩介, NHK広島取材班 (2013) 里山資本主義―日本経済は「安 心の原理」で動く. 角川書店. 野田 奏栄 (2013) 雑木林型公園での利用と管理運営のあり方―プ レイパーク運営から森林管理への展開を目指す「京都・ 宝ヶ池公園」の事例から. ネイチャーおおさか・スタディ ファイル, no.5. 布谷 知夫, 中尾 七重 (1986) 民家の構造材の樹種. 大阪市立自然史 博物館研究報告, 40:21-35. 白川 勝信 (2009) 多様な主体による草地管理協働体の構築―芸北 を例に. 景観生態学, 14:15:22. 染矢 貴, 鎌田 磨人, 中越 信和, 根平 邦人 (1989) 山間農村における 植生景観の構造とその変遷-広島県比和町を事例として. 地理科学, 44:53-69. 染矢 貴, 竹村 紫苑, 宮本 駿, 鎌田 磨人 (2010) 自然環境情報GISと国 土数値情報を用いた日本全域の竹林分布と環境要因の推 定. 景観生態学, 15:41-54.
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執筆者紹介
鎌 かま 田だ 磨ま人ひと 徳島大学徳島大学大学院 ソシオテクノサイエンス研究部教授エコロジー講
こう座
ざ7
里
さと山
やまのこれまでとこれから 分
ぶん冊
さつ版
ばん1
里
さと山
やまの今
いまとこれから
日に本ほん生せい態たい学がっ会かい 編 鎌 かま 田だ磨ま人ひと・白しら川かわかつ勝信のぶ・中なか越ごし信のぶ和かず 責任編集 鎌 かま 田だ磨ま人ひと 著 2014 年 3 月 16 日 発行 発行 日本生態学会 製作 株式会社文一総合出版2014 ⓒThe Ecological Society of Japan Printed in Japan