天 台 宗 三 門 跡 の 成 立 ( 尾 上)
天
台
宗
三
門
跡
の
成
立
尾
上
寛
仲
牲 古 は 山 門 の 門 跡 と は 梶 井、 青 蓮 院、 妙 法 院 の 三 門 跡 で あ り、 他 は 脇 門 跡 で あ つ た。 此 の 中 で 梶 井 門 跡 は 梨 下 門 跡 と も 云 つ て 門 跡 の 名 称 が 二 様 に 用 い ら れ て い る。 こ ﹄ に 最 初 か ら 梶 井、 梨 下 の 両 名 称 が 存 在 し た の か と い う 疑 問 が 生 ず る。 又 同 時 に 三 門 跡 が 成 立 す る 訳 も な い か ら、 如 何 な る 順 に 成 立 し た か と い う 問 題 も 生 ず る。 更 に 各 門 跡 の 初 祖 に 就 い て 諸 書 は 必 ず し も 一 致 し な い の で、 三 門 跡 成 立 の 課 題 が 生 ず る。 (1) ﹁ 天 台 座 主 記 ﹂ ( 旧 本) は 梶 井 門 跡 の 初 祖 は 仁 覚 ( 一 〇 四 五 -一一〇三) と し、 ﹁ 梶 井 根 本 ﹂ と 注 し て 居 り、 梨 下 門 跡 に は 明 快 ( 九 八 五-一 〇 七 〇) を 其 の 初 祖 と し、 明 雲 ( 一一一 五-一 一 八 三) を 以 て ﹁ 梨 下 正 統 ﹂ と し て 居 る。 こ れ は 梨 下 門 跡 が 梶 井 門 跡 よ り 早 く 成 立 し た 意 味 に な る。 青 蓮 院 門 跡 は 行 玄 ( 一 〇 九 七-一 一 五 五) を ﹁ 青 蓮 院 根 本 ﹂ と し、 妙 法 院 門 跡 は 快 修 ( 一 一 〇 〇-一一 七 二) を そ の 初 祖 と し ﹁ 西 妙 法 院 綾 小 路 祖﹂ と 注 し て 居 る。 (2) ﹁ 天 台 座 主 記 ﹂ ( 旧 本) に 対 し て ﹁ 諸 門 跡 譜 ﹂ で は、 梶 井 と 梨 下 を 同 一 と し て 明 快 を 以 て ﹁ 梶 井 殿 元 祖 ﹂ と し、 行 玄 を 以 て ﹁ 青 蓮 院 初 祖 ﹂ と し、 妙 法 院 門 跡 は 行 真 法 皇 ( 後 白 河 法 皇) を 初 祖 と し、 昌 雲 が 寺 院 管 領 の 始 と し て い る。 更 に ﹁ 天 台 門 (3) 流 図 ﹂ は 梶 井 は 明 快、 青 蓮 院 は 勝 豪 ( 一 〇 六 〇-一一 五 〇) 妙 法 院 は 昌 雲 と し、 加 う る に 浄 土 寺 門 跡 を 掲 げ、 之 を 三 門 跡 と 対 等 に 置 き、 覚 尋 ( 一 〇 一 二-一 〇 八 一) を 其 の 初 祖 と す る の で あ る。 現 行 の ﹁ 天 台 座 主 記 ﹂ (新 撰 座 主 伝) で は 最 雲 を 梨 下 正 統 の 祖 と し、 大 原、 梶 井、 円 融 房 を 統 轄 し、 行 玄 の 時 に 青 蓮 院 門 跡 が 成 立 し、 無 動 寺 と 横 川 三 昧 院 を 治 め、 快 修 を 以 て 本 覚 院、 妙 法 院、 綾 小 路 の 祖 と し、 覚 尋 が 浄 土 寺 と 金 剛 寿 院 を 兼 ね る 制 度 が 確 立 し た と い う 説 を と つ て い る。 1 続 群 書 類 従 所 収、 こ れ は 弘 安 十 年 ( 一 二 八 七) の 記 事 で 終 り、 成 立 の 早 い 天 台 座 主 記 で あ る。 2 群 書 類 従 第 四 輯 一 四 三 頁。-288-3 無 動 寺 蔵 甲 廿 八 ﹁ 諸 門 跡 相 承 ﹂ 所 収。 二 ﹁ 天 台 門 流 図 ﹂ に 従 え ば 梶 井 門 流 ( 即 ち 梨 下 門 流) は 慈 覚 大 師 の 直 系 と し、 青 蓮 院 流 と 妙 法 院 流 は 梶 井 門 流 よ り 別 れ、 浄 土 寺 流 は 別 系 統 と 見 て い て、 こ の 解 釈 は 同 時 に 梶 井 門 跡、 青 蓮 院 門 跡、 妙 法 院 門 跡、 浄 土 寺 門 跡 の 成 立 に つ な が る も の と し て 居 る。 而 し て 慈 覚 大 師 の 弟 子 の 安 恵、 恵 亮、 承 雲 の 三 人 が 三 門 跡 の 系 統 の 発 端 を な す と し、 此 の 説 は 実 厳 の ﹁ 山 密 往 来 ﹂ に も 取 り 入 れ ら れ て い る。 即 ち 安 恵 の 系 統 は 相 応 和 尚 を 経 て 青 蓮 院 に、 恵 亮 ( 西 塔) の 系 統 は 妙 法 院 に、 承 雲 ( 南 谷) の 系 統 は 梨 下 に つ な が る の で あ る。 梨 下 門 跡 は 後 世 梨 本 門 跡 と も 書 い て い る が、 其 の 起 り は 慈 覚 大 師 が 承 雲 に 附 興 し た 南 谷 の 坊 舎 の 傍 に 梨 の 大 木 が あ つ た こ と に 起 因 し、 尊 意 僧 正 ( 八 六 〇-九 四 〇) の 法 性 房 も 梨 下 と 称 し、 従 つ て 尊 意 僧 正 は 時 に 梨 下 祖 師 と 崇 め ら れ る。 明 快 の 住 し た 浄 善 房 も 南 谷 に あ り、 此 の 時 代 に は 梨 下 は 南 谷 の 一 区 域 を 指 す 状 態 で あ つ た。 ﹁ 梶 井 門 跡 略 系 譜 ﹂ に は 明 快 の 条 に (1) ﹁ 号 二 梨 本 軸 諸 門 跡 為 レ 祖 ﹂ と し、 天 台 座 主 記 も 略 ぐ 同 文 で あ る。 ﹁ 梶 井 門 跡 略 系 譜 ﹂ は 明 快 を 以 て 梶 井 元 祖 と す る が、 明 快 は 梨 下 に 住 し て い た の で あ つ て、 梶 井 と は ま だ 直 接 関 係 は な い。 然 し 明 快 は 皇 慶 の 灌 頂 の 弟 子 で あ る か ら、 梶 井 と 縁 は あ る。 梶 井 は 元 来 ﹁ 加 持 井 ﹂ で あ つ て、 梨 下 と 梶 井 を 合 併 す る の は 最 雲 (一一 〇 四-一一 六 二) の 時 で あ る。 こ 奥 に 注 意 す べ き は 明 快 の 師 の 明 豪 ( 九 五 四-一 〇 〇 二) で あ る。 明 豪 は 長 保 四 年 ( 一 〇 〇 二) 大 僧 正 に 任 ぜ ら れ 同 年 八 月 廿 三 月 四 十 九 歳 で 入 滅 し た が、 彼 は 慈 恵 大 師 入 室 の 弟 子 で、 ( 2) ﹁ 慈 慧 大 僧 正 御 遺 告 ﹂ の 中 に ﹁ 明 豪 頗 有 二 修 学 之 志 一﹂ と 記 さ れ た 人 で あ る。 明 快 が 明 豪 の 弟 子 で あ る こ と は、 慈 恵 大 師 の 孫 弟 子 に 当 り、 覚 運 ( 九 四 三-一 〇 〇 七) に も 学 び 得 た の で あ る。 明 快 の 弟 子 に 良 真 が 居 り、 其 の 弟 子 に 林 豪 が 居 り、 林 豪 は 青 蓮 房 に 住 し、 其 の 弟 子 勝 豪 は 青 蓮 房 を 継 承 し、 此 の 青 蓮 房 に 行 玄 が 学 ん だ の で あ る。 良 真 ( 一 〇 二 二-一 〇 九 六) は 南 谷 の 円 融 房 に 住 し、 以 後 円 融 房 は 梨 下 門 跡 の 山 の 本 坊 と し て 元 亀 二 年 ( 一 五 七 一) ま で 存 続 し た。 明 快 の 住 房 の 浄 善 房 は 康 平 五 年 ( 一 〇 六 二) 後 冷 泉 院 ( 一 〇 二 五-一 〇 六 八) の 御 願 寺 た る 実 相 院 に 改 め ら れ 阿 闇 梨 五 口 を 置 く こ と に な り、 梨 下 の 本 坊 の 性 格 を 失 い、 代 つ て 円 融 房 が 本 坊 と な つ た も の と 解 さ れ る。 良 真 の 後 に 梨 下 を 継 承 し た の は 仁 覚、 仁 豪、 仁 実、 最 雲 で あ る が、 此 の 中 で 円 融 房 に 住 し た の は 最 雲 の み で、 他 の 人 は 必 ず し も 円 融 房 を 領 し た 訳 で は な い。 ﹁ 梨 本 管 領 記 ﹂ ハ が、 ﹁ 梨 本 門 跡 御 本 坊 東 塔 南 谷 円 融 坊 付 山 林 伝 教 大 師 根 本 中 堂 造 営 之 小 屋 の 地 也。 行 幸 連 綿 之 旧 室 也。 ﹂ と 云 う の は 最 雲 以 降 の こ と で あ る。 最 雲 は 堀 川 天 皇 の 皇 子、 山 門 と し て は 法 親 天 台 宗 三 門 跡 の 成 立 ( 尾 上)
ー289-天 台 宗 三 門 跡 の 成 立 ( 尾 上) 王 の 初 例 で あ る。 久 寿 三 年 (一一 五 五) 権 僧 正 に 任 ぜ ら れ、 同 時 に 天 台 座 主 に 補 さ れ、 梶 井 と 円 融 房 と 大 原 を 加 え 預 ら し め ら れ た。 こ れ 最 雲 を 以 て 梨 下 正 統 と な す 所 以 で あ る。 1 続 群 書 類 従 第 四 輯 四 八 一 頁 上。 2 群 書 類 従 第 十 五 輯。 六 六 四 頁 上。 三 青 蓮 院 門 跡 は 行 玄 を 以 て 初 祖 と す る の は 通 説 で あ る が、 ﹁ 天 台 門 流 図 ﹂ は 勝 豪 を 初 代 に 置 き 而 も ﹁ 当 代 梨 本 門 流 別 立 ﹂ と し て い る し、 明 快 伝 に は 梨 下 を 以 て 諸 門 跡 の 祖 と す る 旨 を 掲 げ て 居 る の は 如 何 な る 理 由 に 依 る の で あ る か。 行 玄 は 関 白 師 実 の 子、 其 の 師 主 は 寛 慶 ( 一 〇 四 四 一-一 二 三)、 又 忠 尋 ( 一 〇 六 五-一三 八) の 弟 子 で も あ り、 勝 豪 に 受 法 し、 良 祐 の 灌 頂 の 弟 子 で あ る。 こゝで 行 玄 が 青 蓮 院 と の つ な が り を 得 る の は 勝 豪 で あ る が、 勝 豪 は 林 豪 の 弟 子 で あ り、 林 豪、 勝 豪 共 に 青 蓮 房 に 住 し て い た。 勝 豪 は 保 延 五 年 ( 一一三 九) 法 眼 に 叙 せ ら る が、 こ れ は 座 主 行 玄 の 賞 を 譲 ら れ た も の で、 行 玄 は 勝 豪 と 共 に 青 蓮 房 に 住 し、 所 謂 同 宿 の 法 兄 弟 で あ つ た が た (1) め で あ る。 ﹁ 三 国 明 匠 略 記 ﹂ に は 行 玄 に 就 き、 師 主 寛 慶 座 主、 弟 子 也。 勝 豪 法 印 同 宿。 良 祐 弟 子 也。 ( 2) と あ る。 又 ﹁ 熾 盛 光 法 日 記 集 ﹂ に、 長 承 元 ( 一 一 三 二)-九 月。 青 蓮 房 法 橋 勝 豪 被 レ 示 云、 熾 盛 光 者、 至 二干 円 融 房 御 時、 近 代 之 礼 不 レ 作、 助 修 之 数 少。 不 レ奉 二 蝋 燭 供。 無 二 礼 拝。 自 二 一 乗 房 御 時 一如 レ 此 成 也。 と あ る。 長 承 元 年 は 勝 豪 が 法 橋 に 叙 せ ら れ た 年 で、 此 の 時 彼 は 青 蓮 房 に い た 事 が 明 白 に な る。 此 の 文 に あ る 円 融 房 は 良 真、 一 乗 房 は 仁 覚 で あ り、 何 れ も 勝 豪 以 前 の 人 で あ る。 勝 豪 ( 3) の 師 主 林 豪 に 就 い て ﹁ 本 朝 世 紀 ﹂ に、 同 日 (康 和 元 年-一 〇 九 九-七 月 一 日) 権 少 僧 都 林 豪 入 滅。 林 豪 者、 薩 摩 守 従 五 位 下 平 朝 臣 生 成 子 也。 大 学 頭 大 江 挙 周 朝 臣 養 為 レ 子。 幼 登 二叡 山。 従 二 座 主 明 快 一受 レ 業。 為 二 良 円 井 良 真 弟 子。 学 二真 言 教。 承 暦 四 年 ( 一 〇 八〇) 十 月 十 五 日 任 二権 律 師。 時 年 四 十 八。 法 印 良 真 以 二持 明 院 供 養 師 之 賞 一譲 レ之。 寛 治 三 年 ( 一 〇 八 九) 十 二 月 任 二 権 少 僧 都。 卒 時 春 秋 六 十 七。 号 二 青 蓮 房。 と あ る。 即 ち 林 豪 は 自 坊 を 青 蓮 房 と 号 し て い て、 明 快、 良 真 に 学 ん だ こ と は 梨 下 の 学 統 を 承 け て い る こ と を 示 す も の で あ る。 勝 豪 が 青 蓮 房 を 受 け 継 ぐ の は 康 和 元 年 以 降 と 思 わ れ る が、 行 玄 は 元 永 元 年 (一一 一 八) 同 二 年 の 二 年 間、 彼 の 二 十 二、 三 歳 の 頃 青 蓮 房 に 勝 豪 と 同 宿 し、 其 の 時 勝 豪 は 五 十 九 歳 乃 至 六 十 歳 で あ る か ら、 当 然 勝 豪 は 行 玄 を 指 導 し た 筈 で あ る。 行 玄 の 最 初 の 名 は 良 実 で あ り、 青 蓮 房 止 住 当 時 は 良 実 の 名 で あ つ た。 元 永 元 年 及 び 二 年 良 実 は 青 蓮 房 に 於 い て 三 昧 阿 闇 梨 ( 井 房 良 祐) の 書 を 書 写 し て 居 り、 其 の 数 は 十 二 種 を 数 え る。 後 に 行 玄 は 理 智 房 に 住 し、 其 の 間 青 蓮 房 を 以 て 美 福 門
-290-院 ( 一一一 七-一一 六 〇) の 御 願 に 依 り 青 蓮 院 と 改 め、 阿 闇 梨 五 口 が 置 か れ る こ と に な る。 こ れ は 勝 豪 の 入 滅 し た と 推 定 さ れ る 久 安 三 年 (一一 四 七) よ り 三 年 後 の こ と で あ る。 青 蓮 院 が 門 跡 と し て の 型 態 を 整 え る の は 覚 快 親 王 の 時 代 で あ る が、 其 の 基 礎 は 行 玄 の 時 代 に 固 つ て い た と 見 る べ き で あ る。 1 阿 娑 縛 抄。 2 同。 3 旧 国 史 大 系 第 八 巻 三 四 六 頁。 四 ﹁ 西 塔 院 堂 舎 僧 坊 記 ﹂ の 本 覚 院 の 条 に、 ﹁ 上 古 別 号 二 妙 法 院、 蓋 妙 法 院 門 室 者、 嘗 移 二 当 室 一 称 二 其 別 号 一者 也 ﹂ と し る し て い る が、 其 の 前 身 た た る 本 覚 房、 妙 法 房 は 別 個 に 存 在 し て い た の で あ る。 ﹁ 本 覚 房 ﹂ の 名 称 は ﹁ 慈 恵 大 僧 正 御 遣 告 ﹂ の 中 に あ り、 逞 賀 が こ れ に 住 し、 妙 法 院 門 跡 を 興 し た 快 修 ( 一 〇 〇 -一 一 六 七) は 妙 法 房 に 居 た こ と が ﹁ 宝 憧 院 捻 狡 次 第 ﹂ に 依 り 判 明 す る。 快 修 は 保 元 二 年 ( 一 一 五 七) 宝 橦 院 捻 狡 に 補 さ れ る が、 彼 は 印 鑑 を 本 覚 院 に 於 い て 受 け て い る の で、 此 の 頃 は 本 覚 房 は 既 に 本 覚 院 に 改 め ら れ て い た と 見 て よ い。 本 覚 院 と 妙 法 院 が 元 来 別 で あ る こ と は、 快 修 の 弟 子 で 本 覚 院 に 住 し た 実 修 が 妙 法 院 の 世 代 か ら 外 れ て い る こ と か ら も 判 明 す る。 ﹁妙 法 院 門 跡 相 承 次 第 ﹂ に、 昌 雲 大 僧 正、 新 日 吉 検 校、 此 時 永 被 レ 付 二 門 跡、 円 勝 寺 別 当、 大 勝 ( 1) 寺 別 当、 少 納 言 藤 原 忠 成 息、 院 主、 法 務、 護 持 僧。 と あ つ て、 昌 雲 が 新 日 吉 捻 按 に な つ た 際 に 妙 法 院 が 門 跡 に な つ た こ と を ほ の め か し て い る。 ﹁ 葛 川 明 王 院 文 書 ﹂ の ﹁ 葛 川 ( 2) 常 住 僧 等 解 ﹂ に は ﹁ 阿 闇 梨 大 法 師 昌 雲 ﹂ の 名 が あ り、 又 別 文 ( 3) 書 に ﹁ ア ヤ ノ ロ ウ チ ノ せ ん し ふ 阿 闇 梨 大 法 師 昌 雲 ﹂ と も あ る。 仮 名 の 部 分 は ﹁ 綾 小 路 の 先 住 ﹂ で あ ろ う。 此 の 文 書 の 年 代 は 仁 平 二 年 (一一 五 二) 正 月 廿 二 日 で、 同 文 書 に は 快 修 ( 綾 小 路) の 名 も 見 え て い る。 昌 雲 は 明 雲 に つ い で 天 台 座 主 に 進 む べ き 序 列 に あ り 乍 ら ( 寿 永 三 年 ま で 延 暦 寺 別 当) 恐 ら く 寿 永 三 年 頃 に 入 滅 し た よ う で あ る。 法 住 寺 御 所 を 東 山 に 建 て ら れ た 後 白 河 法 皇 は 日 吉 へ の 御 信 仰 厚 く、 法 住 寺 殿 の 東 の 山 に ﹁ 新 日 吉 社 ﹂ を 勧 請 さ れ 永 暦 元 年 (一一 六 〇) に 其 の 御 遷 宮 は 終 り、 蓮 華 王 院 と 既 に 寺 に 改 め ら れ た 法 住 寺 御 所 が 昌 雲 に 委 ね ら れ た の で あ る。 昌 雲 は ﹁ 験 者 ﹂ と し て 知 ら れ 元 暦 元 年 (一一 八 四) 牛 車 を 許 さ れ て い る。 蓋 し 快 修 が 綾 小 路 に 居 り 基 礎 を 固 め 俗 甥 の 昌 雲 が 完 成 し た の が 妙 法 院 門 跡 で あ る。 1 続 群 書 類 従 第 四 輯、 五 〇 九 頁 上。 2 葛 川 明 王 院 史 料、 一 一 二 頁。 3 同。 一一三 頁。 天 台 宗 三 門 跡 の 成 立 ( 尾 上)