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中央学術研究所紀要 第21号 022ドゥ・ヨング、山崎守一「ドゥ・ヨング「仏教研究 1984ー1990」」

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vt ウ ヨ ング

仏教研究

一九八四

|

一九

O 目 次 て序論 二 、 著 作 集 と記念論集 三 、初期仏教 四、無我説 五、影印 六、律 ・阿 含 ・阿毘 達磨テキス ト 七、仏教文学 八、阿毘達磨倶舎論 九、般若経文献 己 、大乗経典 山 1I時 .-L,・ τ丁 訳

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二 、中観派 三 、稔伽行派と如来蔵 三 、認識論 一回、タントラ 一五、辞典 ・カタログ ・ 文献目録 プて、 パ l リ研究 •= 、 (特定分野の問題に関する)学術論文 一 八、追記 一 、序論 一九八四年に私は『ヨ ー ロ ッパ とアメリカにおける近年の仏教研究(一九七三 l 一九八 三)』 と題する論文を公 表 した 。 その後、 過去七年間における仏教研究の概説を 書くことを提案さ れ、 それを受け入れる 山崎守 一 氏より、 1984-1990 のに不安がないではなかった 。 多くの言語で、 また多くの国々で出版されているすべてに博識でいることは、更に 」の概 更に困難なことであった 。 同業の仲間たちが彼らの出版物を気持ちよく、親切に送 ってく れなか ったなら 、 説は、も っ と不完全なものになったであろう 。 オ ー ストラリア国立大学図書館は良い情報源であったが、しかし財 仏教研究 私が見たいと望んだ出版物のすべてを獲得することはできなかった 。 政的な制限があり、 とりわけ遺憾なことはい くつかの学術誌の注文の取り消しである 。 それは 重要な 出版物に私が気づかないという可能性もあることを意味し 23

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ている 。 しかしながら、 たとえ、ある人が過去七年間に出版された書物と定期刊行誌のすべてを利用できたとして も この期間に出版された書物をすべて列挙したり 、内 容に言及することは不可能であろう。 さらに、以前の論文 インド仏教に関する言語学的なものに選択の幅が限られているとしても、ただ一人の 個人がかくも多くの出版物を調べたり、読んだりすることは不可能である 。 恐らく、将来、出版する時点において 私は、言及されねばならなかった重要な出版物を、読者が私に指摘する におけるように、主として、 不備を補うことは可能であろう 。 それ故、 という労をとってくださるなら 」の上なく有り難い 。 仏教研究は、 一九八四年一月九日のジョン ・ ブラフ ( 』oy 出回吋 ocmy-Hhv 一 戸 、吋 山由 ∞ AF) サンスクリ ッ ト 語、 の早すぎる死によって、大きな 損失を被 っ た 。 ジョン ・ ブラフは批評精神に富み、 パ ーリ 語、プラ | クリット語 チベ ッ ト語、 中国語に大きな知識を有していた 。 『ガ | ン、ダ |リ l ・ ダルマパダ』 (の削 ロ島品円山口 ymqHHgu 白色 myFo ロ己 opES ) 関 する彼の研究は、第二次世界大戦以降、出版された仏教研究の分野における最も重要な作品の一つである 。 ブラフ H ∞由品・]{但∞ AH) は一巻の著作集として出版するに値する多くの論文を書いた 。 周年にジュゼツペ・卜ゥッチ (258 ヨ が死亡した 。 インド仏教とチベッ ト仏 教に関するおびただしい彼の出版物はすべての仏教学者によく 同, cnn 日 知られている 。 一九八五年にエルンスト ・ ヴアルトシュミット(何百件垣内 乙骨 nE ロ FH ∞巧 ・5 ∞印) は亡くなった 。 ゎ れわれは彼に中央アジアから出土した仏教党語写本の断簡の非常に多くの版本と、中央アジア出土のサンスクリツ 卜写本のカタロ グ の数巻を依存している 。 二人の著名な日本人学者が他界した 。 羽田野伯猷 ( 一九一一|一九八 である 。 羽田野伯猷はインド仏教とチベット仏教に関して幅広く論文を発 五)と酒井 真 典 ( 一九 O 八|一九八八) 表 し、 酒井 真 典はインドのタ ン トラテキ ス トのチベット語訳の専門家であ っ た 。 亡くな っ たこの 他 の学者に、 ア ヴィッド ・ フリードマン (ロ ω 〈{ 己司江ぬ仏口戸山口口 "]50ω'Hmv ∞品 ) ユジェ 1 ヌ・ドゥ ( 何 cm 包括口。ロ Z ・ HU N] 戸山由∞∞ ) J ¥ j レ

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マ ン ・コ ップ がいる。 ( 出。円 HHg 口問。℃℃ wHCCN 山富叶 ) (印岳町山 Hdm 注目 ) の『マドゥヤ| フリードマンはスティラマティ ンタヴィパ | ガ・ティーヵ l 』( 宮山門出 MMA ロ ziσ} 品 m川町民宗削 ) に関する二巻本 ( UFO}SEmEE2]BEmag 印目。 -o 住吉 g の第一章を翻訳 した ( 巴可 RZuHS 叶 )。ドゥ ニは 『 ロ! カバン ニ ヤツテイ』 ( FowmEmEE 世間施 設論) コ ップ はいくつかのパ l リ註釈を編纂した人である 。 門吉 σozEY 訪日ぬきの -opHMRFE ゴ )を著 わした人であり、 一 九 八六年に A ・ L-パシャム( 回 gEBL 出品 aE ∞∞ )は 亡 くなった。 仏 教に関する彼の出版物のほ とんどは一般 読 者を対象と している 。彼の完全な著 作目録は今のところ出版されていない 。 一九八二年に S ・ N ・ムケルジ| ( 冨 zwZ 号。 ) は 一つの著作目録を 出版したが (富山巳与) 一 九七 六年 以降はない 。 一九八八年に S-K ・マイティ lま いくらかの補足はしたものの、誤植をそのまま校正せずに同一の著作目録を再版した 。 ラッセル・ウェブ は仏教に関するパ シャ ムの出版物に有用な概説を著わした 。 しかし ながら 、それは 完全で はない し、例 えば、「菩薩の概念の展開」( 吋 E ぬ〈 ozto ロ o ご Zg ロ BZo ご FZUO 門医師巳守 ω) に関する論文を記 述してい ( 河口白白色巧与σ ) 了、。 六 d し 二、著作集と記念論集 1984-1990 著作集の数巻 は近年に出版 さ れた 。グス タフ・ロ l ト(の gg 〈 月 04E ) の七十歳の誕生日に『インド学研究 」 ( 円ロ門出 ω ロ ωE 門出 2 ・ロ巴 E ・ 5 ∞⑦ ) の一巻が出版きれた 。 フ リードリヒ・ヴエ | ラ l 司吋目。仏門 -nyd 〈 σ ロ 21) の小著作集 は二巻で出版された 一 九八九 年 に エル ンス ト・ヴ ア ルト シュミッ ト ( ]ozo ωny 吋山内伴内ロ ) (∞一三円円 mm 凶吋一 一-Hhv ∞斗 )。 仏教研究 ( 52 巧包含各自一円 ) の精選 小 論文集(〉 5mm 者以 EZE25mnyH52 ) は出版 された 一の 英語 とドイ ツ語の論文は京都大学退官と時を 同じ くして出版された。それは ω E 佳 作的 古∞ロ門出伊豆沼丘 cmouy 可 ( ωER 官ユ LSC )。梶 山雄 25

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(京都、 一九八九) である 。 K -R ・ ノ | マン ( Z 2 5 2 ) の著作集の第 一巻が一九九 O 年に出版きれた (OM 内向。吋門戸 58 ) 。 それは 一九五六年から 一 九七七年までに初めて公表された 三 十の論文から成る 。 羽田野伯猷と酒井 真 典 の二人の著作は四巻で出版された 。 すなわち、 『 酒井 真 典著作集 」( 京都、 『 羽田野伯猷チベット・インド学集成 』( 京都、 一 九八六| 一 九八八 ) ・ 一九八 三 | 一 九八八 ) である 。 トゥッチの遺稿は G ・ニヨ | リ ( のロ 05 と L ・ランチオッティ (円、 ω ロ江 O 洋一 ) によ っ て編集された 三 巻の論文集の 出版で敬意を評された 。 すなわち、Oユ gg]SFg 匂庄司ロ 2-冨 85 ユ忠巴 SZ (閉山 O 呂田 wHU ∞ PE ∞戸そして巴∞∞ ) の記念号を出版した 。三 人 である o E 己 O ] 。肉片山叶 ω 己ユコ巾ロ印広 ( }口 JN LU ∞叶 B∞∞ ) はコレット・カヤ の日本人学者は記念論集の出版で敬意を評された 。 すなわち、高崎直道 『 高崎直道博士還暦記念論集|インド学仏 ( のo-mロゅの ω 口 一 白同 ) 教学論集』(京都、服部正明 『 インド思想史研究六 l 服部正明博士退官記念論集 』( 京都、 『 藤田宏達博士還暦記念論集|インド哲学と仏教 』 (京都、 一九八七)、 一九八九)、 一九八九) でみめる 。 一九九 O 年にタデウス・スコルプス キ l (叶凶(ぽ 5Nω} 内 OBUmf-) は 『 インド ・ チベ ッ ト研究 』 の一巻を出版した 。 すなわち、 『 インド・チベット研究に 対するデ | ヴィッド・ L ・スネルグロ l ヴ教授の 貢 献に対する栄 誉 と評価の論 集』( 句者 OBEFogR 自己白石円 25 巴 O ロ O 向日)円 O 町内部 O 吋口同〈広「 ω ロ巾]]関門 02. 凹 no ロ EσE-o ロ門 OHEo ' 50E ロ -mg 任。印 ( 吋江口 mW58 ) である 。 この巻は スネルグロ l ヴの著作の目録は含んでいないが、最も重要なことはスコルプスキ!の論文に述べられている 。 すな わち 『 デ l ビッド・ ス ネルグロ | ヴの生涯と 冒 険 」( 之、 H , yo --同何回口仏〉仏〈 gE50 片口白〈一色印ロ巴釘吋 O〈ぺ七円) ・「 NH ) て" ある 。 仏教に関する多くの論文が次の 三 つの記念論集にあらわれている 。 すなわち、 一 つはアイヴインド・カ ー ル ス (回三昆阿山 町 円印)編集の 『カルヤ l ナミトラ l ガナム 』 (同色可同 BEE-倒的 ωEB 敬 重善 知識、何回印者印宮目。ロ O Z 吋 。同 Z -r 山田 H HH 。 ロ 印印 opOZO 噌 HC ∞。 ) である 。 他の一つは、 ハリ・フアルク(出向弓司回 -w ) 編集の 『 ヒンドゥ教と仏

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教』(出 宮門日 Z2555 弘 一∞ zE v F555 ・ F 協 同印各三洋苫門口一ユ与 ωnyE 広 q w pa 巾 ER mwE ∞寸) である 。 さらに一つはギ /レ ノ、 ト ポ レ (の 52 門句 O]] ぬ門 )編集の『 インドと古代世界|紀元六五 O 年以前の歴史と通商と文化 』 ( 円 EE 自己 〉ロの{ゆえ当 25 ・ E20 吋FH , E 己 OBan 三 EZZ 向。日〉ロ・白印 0 ・ po 問。印印 O 吋吋戸「何 mmqBOE 』cE2 〈 O]CH5 HJagg 己 ODFmonngm-o ロ O 同 FBR 話己 5FE ユ E ミ -FOC 〈 g 岨巴∞吋 ) でふめる 。 三、初期仏教 近年、仏陀の独自の教説を復元する可能性について学者間ですばらしい議論があった 。 一九八七年八月ライデン (戸包仏巾ロ ) での第七回世界サンスクリッ ト 学会の期間中に開催された「最初期の仏教」に関する研究会はこのこと について相容れない意見があることを示した。この学会で発表された四つの論文のうち三つが、 L ・ シュミッ ト ハ ウセン によって出版された 。 彼の序文において、彼は一二つめ異なった視座からそれぞれの要点 (印の FBXYω5 ω ロ) を述べている 。 すなわち、 次のようになる 。 ①ある学者たち(主としてイキリス人であるが) はニカ l ヤ (Z 一 wm 同一可回目 ) のより多くの部分を信頼できるものとして受け入れ、聖典のテキス ト が仏陀の教義を 真 に具現したもので 1984-1990 あると信じている 。 ②別の学者たちは最初期の仏教の教義を回復することは不可能であり、仏陀自身の教義を語つ てはいないと信じている 。 なぜなら、仏教徒のテキストは書き写きれるまでに、何世紀も経て伝言され、変形され、 そしてその後においてさえ、変容されることを免れていないから。③また 別 の学者たちは 、 仏教聖典テキス トによ り高度の原典 批判 の方法を適用することは可能であり、 テキスト層の相対的前後関係や教義の発展の前後関係を確 仏教研究 立することは可能であると信じている 。 によって強く支持された 。 ゴンブ リ ッチは口調 リチャ l ド・ゴンプリ ッ チ (百岳山丘の OB 寄付町 ) 27 第一の立場は、

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伝承の重要性を指摘し、「 -記述された哲学的伝承を解剖することのできる分析の手法は、 口論された素材に対して 適切でない」ことを述べる 。 他の紙面で、彼はランス・カズンズ ( 戸 ω ロのゅの ocm 一口印 ) による論文 『 l リ口調 文学 』 ( 司同ロ O 門町凶]戸門店叶 ω-EH10 ) に言及する 。 カズ ン ズはその論文の中で次のように述べている 。 「これは、疑いようのな いことではあるが、信恐性は歴史的事実の中にではなく、 むしろ何かが全体としての法 (agB 目白 ) の本質的な構 造と一致しうるか否かにかか っ ている 。 もし一致しないなら、 それは排除されるべきである 。 もし一致するなら、 その時それは仏陀の言葉として受け入れられるべきである」と 。 口諦伝承の重要性が過去において学者たちによ っ て十分に理解されていなかったことに疑いはない 。 例えば、初期仏教について広範囲にわたって著述した中村元と アンドレ ・ パロ | (〉 ロ己芯∞ ω 吋mmc) は、ふたりともパ |リ 聖典テキストと漢訳阿含テキストを比較したが、 これら のテキストの伝達において口調伝承が果たした役割を考慮に入れていない 。 今後はどの程度まで、 口論伝承が仏教 聖典テキストの語法と内容を形成するうえで有効であ っ たかの決定が研究課題となろう 。 ゴンブリッチによって提示されたもう一つの重要な点は、仏陀とその弟子たちのバラモンの伝統と教義について の知識である 。 ゴンブ リ ッチによれば、仏陀はバラモンの教義に対する、真向からのアンチテーゼとして彼の教説 の中心部分を表わしたことになる 。 一九八一年に、シュミ ッ トハウゼンは「初期仏教における解放に向かう洞察と啓発」に関する長い論文を公表し た 。 その論文の中で彼は、経蔵(印口門店。庁長山)における種々の、そして矛盾する論理を検討し 、 また、歴史的発 展の概略を描こうとした 。 彼は彼の論文が刺激となって、何らかの効果をもたらすことを予想したが、 この予想は 当た っ ていた 。 類似した研究方法は、テイルマン ・ フエツタ | (叶 ロヨ ω ロ〈ぬけ百叶 )、荒牧典俊、 ヨハン・ブロンクホ ルス卜 Co gsgF8522 ) コンラッド・マイスイッヒ (問。ロ吋印 仏宮内 -m-m ) による出版物の中に見出される 。

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テイルマン・フエツタ!とヨハネス・ブロンクホルストの二人は、初期仏教における禅定の理論を検討した。 フ コニ ツタ l は仏教徒の禅定に全力を傾注し、ブロンクホル ス トは初期 ジャイナとヒンドゥ聖典に見られる禅定の本流と 、 初期仏教テキストに述べられた禅定の実践とを比較対照している。 一九八 O 年にすでに荒牧は、彼が五つの層を区 分した論文を発表した 。 すなわち、①初期ウパニシャツドに始まる比較的古い詩備の伝統、②原型の『ダンマパ の「八つの詩偽の章」(〉口町田一 }S 〈釦 mm 釦)と「彼岸に 到る道の章」(可也削 EE 〈 ω 昭 一 ω) のような仏教聖典の最も古い層、③ 『 サ ンユッタニカ i ヤ 』( 印 ω ヨ百円 EEWM 山吉 相応部)の第一群「詩偽を伴った群」の中のり 2 え削・印山富山、三 F 富山叶何回 目 gB 可 CHgw 切 EWWEC 巳 'g ヨヨ ロ門戸④『ス ツ タニパ l タ』の固め 52 巳 gEE のような詩偽経典の最も遅い層、⑤多量の散文経典である。コンラッド・マイスイ テキストの成層を確立するために『沙門果経』(山門削 BB 苫-℃『色白 ・包可印 )と「起世因本経」( 〉 mmmSE i のもう一つの研究においてグレ | ム・マックイーン ダ』( 口町 ω 目白山 UmH 一応凶 ) や『スツタニパ l タ』(印三百三匂削片山) ッヒは、 印EE) の異なる伝承本を詳細に比較した。「沙門果経』 53050 富山 258) はテキストの比較分析をし、主要テーマの研究を行なった。 第七回国際サンスク リ ッ ト 学会で K-R ・ ノ l マ ン

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l ま 一本の論文を発表した。シュミットハウゼン はそれを次のように評価した 。 ちょうど大多数の原典によって記述されているように、 それは (解釈の)多様なあ ハ H ハ吋 Jd w ハ叫 d

トの主な擁護者の一人であるシュミッ

トハウゼンが、異な った研究方法はほとんど両立 しないという結論に到達した n M U ハ対 d l ことは驚くほどのことではない。異なった研究方法を並行して試みること、またそれぞれ他の研究法の実践的価値 り方を、仏陀の真正の教義についておおよそ首尾一貫した全体像にまで復元するための試みであると。第三の立場 仏教研究 を検討することが理を得ているように思わ れることを、彼は 賢明にも示唆した。 論議の多面性を考慮することは多分有益である。数人の学者たちが、最も古いテキストの一つとして、 また、少 29

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なくとも部分部分で仏陀のオリジナルな教説を反映しているものとして、 『 スツタ ニ パ l タ』を非常に重要視して いるのを知ることは興味深いことである 。 数名の学者たち、特に中村元は、 『 ス ッ タニパ l タ 』 と聖典の他の部分 完が発表し、 に見出されるような古い詩偽が仏教徒の教えの最も古い形態を含んでいるという意見をもっ。反対の意見を村上真 次のように述べた 。 「仏教徒の聖典が 『 マハ l パ |ラ タ 』 (富 島忠 EEE ) とジャイナ教聖典と共通 であるいくつかの詩偽をもつことをわれわれは指摘した 。 また、大抵の場合、詩偽が正確な方法で一つの教えを伝 えているとは考えられず、 また詩偽の部分が初期仏教の教えの全体を含んでいるとはい、えないということを考慮し て、詩偽のみから仏陀のオリジナルな教えを取り出そうと試みることは疑わしい」と 。 中村が聖典の最古の詩偽を 基盤として初期仏教を描いている概念は 、例えば K-R ・ ノ l マ ンによって上述された論文において発表された概 念とは異なっている 。 教義の最古の形態が、聖典の他の部分より文学形態においてより古く、より古風である詩偽 まちがった見解である。これら多くの詩偽は仏教以外のテキスト の中に見出されるべきであると仮定することは、 において並行詩偽をもち、また、遊行する苦行者のグル ー プ聞で流行した詩偽の蒐集に属する。これらの詩偽はか なり遅れて上座部の経蔵 ( EEu-zwω ) の第五と最後の蒐集である 『 クツダカ ・ニカ | ヤ 』 ( 同町旦 -骨片 ωEWM 山苫 ) の中に組み込まれた 。 これらの詩偽の中に見出される教義は、このようにして仏教徒の教えの一部となったが、し カミ し これはこれらの詩偽が仏陀の教説の最古の形態を反映していることを意味しない。 しばしば見出されたもう一つの誤解とは、ある教義の発展についての短い解釈が、より詳述された解釈より必然 的によりオリジナルに近いということである 。 また、少数の項目の列挙が、記述されたより多くの項目の列挙より も同様に、原初的であるということである 。 b コノ 分 シュミットハウゼンによって概略されたような第二の立場に賛成して多くのことが語られる。仏陀が多く

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の年月をかけて説法し、彼の発言の多くが聖典テキストに見出されるであろうことを疑う理由はない。 しかし なが ら 、仏陀自身の教えは後の世で説かれた教えからどのようにして区別することができるのであろうか 。 仏陀の 最 初 の説教についての伝統的な説明が、信活性のある歴史的源泉であるということを、 どうすれば証明することが可能 であるか 。 仏陀が浬般市 ( Z 可〈削 E) した後、 それ程時間を経ないうちに、僧伽の指導者たちはテキストの権威を評 定するための基準を見出そうとした 。 われわれは彼らの方法と彼らの精密さを称賛しなければならないが、しかし ということを否定することは不可能であ 彼らが (聖典の)権威の絶対確実な原 則を規定することができなか った 、 る 。 二千年以上も後の現代の学者たちが この点に関して更なる成果を期待することは困難である 。 四、無我論 聖典テキストを解釈するにあたって困難なことは、初期仏教におけるア ー トマン 目白自我) に関する永年に わたる議論からはっきりと察することができる。 一九七三年にカマレ l スワル ・ バッタ ーチ ャルヤ (同 ω ヨ印 ]gdg 円 ∞}凶同門門町凶の}戸川凶吋日 刊何 回) は一冊の本を出版し、 その中で彼は仏教がウパニシャツドのア ート マンを認識していたことを論 証しようとした 。 バッタ ー チャルヤは数篇の論文を公表し、彼は後続の議論と証拠資料を提示し 一 九七 三 年以来、 1984-1990 た 。 彼はつい最近の論文で、 次のように締め括 っ ている。「仏陀の本質はウパニシャツドの本質と同一であるよう に思われる」と 。類 似した見解は J ・ ペレス ・ レモン (司 20N a mgo ロ ) によって支持されたが、しか し彼 の見解 は、テルマン ・ フエ ツ タ | (吋ニヨ ω ロコ〈 2Z 叶) とスティヴン・コリンズ (ωZ 〈ぬロ(リ C]] 吉印 )によって論駁された 。 仏教研究 コリンズは無我(自削吉区ロ)論の詳細な研究をし、全く反対の結論に達した 。 アートマンの問題を最も洞察した研究の一つは、 (n -山口印。 2km w) の本に見出されよう。 そ 31 クラウス ・エ l ト ケ

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の本で彼はパ | リ聖典、すなわち 『 ミリングパンハ 』( 富山口邑告白日出ミリンダ王の聞い ) の第 二 口問 ( 〈・叶日ロ }S2 と、 『 アビダルマコ | シャパ ! シュヤ 』( 〉 σ E 門医 RB 山} gmωσ げ倒的苫 ) の第九口聞において無我論を 一九ペ ー ジから 三二 ペ ー ジで彼は有名な「アラガ ッ ドウ | パ マ・ス ツ タ」 の版本 3 ・N ∞ ) 注意深く分析する 。 ( 〉 Emω 註 口 勺何回目白 -mEE 蛇喰経 冨 ω U EBω 巳}内山富"印 EENN) を論じる 。 この経は仏教徒がア l トマンの存在を否 定していないと信じる 学 者たちによってしばしば引用される 。 エ ー トケはラ・ヴァレ・プ l サン (円、 ω 〈包 ] mmw HVO 戸印凹-ロ ) バッタ ー チャルヤ ( 回げ間口問。 }53S ) 、 ペレス ・ レモン (司 m 山円。 N EHNmEO ロ ) によるこの経の論議にも言及す る 。 彼らの所見と、 K-R ・ ノ | マンと リ チャ l ド・ゴンブ リ ッチ ( 目。 FR 巳の OBσ ユ与) による同一経の 最 近の研 究とを比較することは有益である 。 奇妙なことに、 アートマンの問題は仏教徒の学問に全く精通していない学者たちの関心を呼び起こしているよう 一九八七年にフ リ ツツ・スタ ー ル(匂江尻 ωE 色)は、ラモット ( FmH5030) がこの点に関して明確な だ 。 例えば、 立場を採ることを控えていることを示そうとした 。 スタ ー ルは根拠が薄い彼の意見に同調しない人たちについてみ くぴ っ た批評をした 。 ラモットの 『 インド仏教史 』( 国 Ug-zEσo E a550E 全 g ) の英訳の 最 近の出版が、彼 の考えのそのような奇抜な解釈を取り払うことができるであろうことが期待される 。 エ ー トケの説得力のある議論は、初期仏教にア l トマンが説かれていると信じることに 賛 同した議論の大部分が (前掲 書 、日乙 g' H S ) 。 ラ ・ ヴァレ ・ プ | サンが指摘したように、少数の孤立したテキス 無効であることを示した トから引き出される結論がどんなものであれ、全体性としての聖典は、 たとえそれがどんなものであれ、 一 時的な集合体 ( 印wg 岳 山印謹 ) を別とす れば、 現実などというものの存在を、 一 切認めないという事実を考慮しなければ ならない 。 ア ー トマンに関して後世において仏教徒が、最古のテキストに見出されるア l トマンに完全に反対する

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一つの立場を採用 した、 と想定することは確実に 誤った見方である 。 五、影

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サンスクリット写本の影印の出版は、テキストの研究に大きな利益をもたらす 。 以前の論文で私は立正大学の法 華経文化研究所による三十以上の写本の影印の出版を記述した 。 十二巻が出版され、 三 巻の出版が残されている 。 同研究所は今や、 法華経写本の ローマ 字本と索引を 出版するとい う巨大な 仕 事にとりかか っ ている 。 二巻がすでに 出版されている 。 一九八四年 に 一 O 八二年の年号が付された法華経のネパ l ル写本の影印が北京で出版され、二五 00 ドルとい う途方もない 値段で 売られた 。 私はこの版を参考にすることができなかったし、 一九八八年に出版されたロ ーマ 字 版も参考にすることができなかった 。 戸田宏文は 、 その影 印 に関する報告をした最初の人である 。 戸田 自 身は法華 経の サ ンスク リ ッ ト 写本の版本 と研究を出版し続けた 。法華経の写本の ローマ字版を 準備する ことに従 事 して いる 学者の一人である塚本啓祥は、 『 法華経賛頒 』 ( 印包昏 RB 告 EE ユ }S ・2 雪印 ) に関す右註記と法華経のサンスクリ ット写本の研究を公表した 1984-1990 ヴォ ロブヨ| ヴァ ・ デスヤ ト フスカヤ (〈。吋 Oσ 可 O 〈 m守口 om 回 町民 O 〈印片山日占) による 『 法華経 』 (ω 包 岳山門 HHgugE 一円円・ G ・ M-ボンガ | 片山印口円円 ω ) の七つの写本の八 十五 フォ リオの版 本は、影 印が添えられている 。 同 一の巻にはまた、 ド ・ レヴィン(∞ O ロ mω丘 'Foi ロ) による 『 大般浬繋経 』( 富島田 URE 片品口白色門店 ) の六つの断簡の版本と 『 ダルマ のほとんど完全な版本 とが 含まれている 。『 大般浬般市経 』 の断簡は東 仏教研究 シャ リ|ラ ス ー トラ 』 ( EREaR 門店印口門店 ) 京において英語版でも出版された 。 同 一 テキストの新しい断簡はイ ン ド省図 書館( 日 E50 百日ピ σE 弓 ) にふめる 33

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スタイ ン/ へ ル ンレ ・コ レクショ ン (ωZZ \ 出 O 巾 EZh ♀ぽ丘一 o ロ) の 中 から松 田 和信によ っ て発見された 。 ボ ン ガ ー ド・ レヴィンとボ ロ ブヨ | ヴ ァ ・ デスヤ ト フスカヤもまた、 レ ニ ングラ ー ド・ コレクションの中央アジア 出 土の サンスク リ ッ ト テキス ト の概説 書 を 出 版 し た 。 中央アジア 出 土の サ ンスク リ ッ ト 写本のカタ ロ グの第五巻( 『 ト ゥ ル ファン 出 土サンスク リ ッ ト 写本 目 録』第五 巻 、 ω g m w ユ岳山 E R Y 円一片 gmc m 号ロ叶口氏山口問己ロ己 o p 吋色〈 u 印 E3 m m p E ∞ ω ) は、 の影印を含んでいる 。 しか し ながら、第六巻 3 22 m 百 円 YE ∞ 匂 ) は影 印 を 何 も含んでいない 。 第五巻はまた 、 語葉 索 引 を含む 。 第五、六巻にお い て テ キス ト の大多数は、 ほと ん ど の帰属が 確 認きれた律蔵と経 典 の断簡からなる 。 この巻において -記述さ れ た断簡 第一巻から第五巻に対する追 加と 訂正は、第六巻の 重 要な 付 録 ( 3 ・M OUe MM m ) に見 出 されるはずである 。 榎本文雄 は 「 サ ン ユ クタア | ガマ 』 (印山口出 可 c w s m mEg ) に属 し て い る よ うな多くの 断 簡の帰属を確認することができた 。 ( ∞自ば苫ロ )や東 ト ルキスタン で 発見さ れ た数篇の 『 サ ン ユ クタア | ガマ 」 の 断 簡を編 纂 し た 。 最近の論文の 中 で彼は 、 漢訳の雑 阿 含経が根本説一 切 有部 ( 昌己 BR 品位芝 山岳印 nyoo] ) に帰属する こ と 彼はまた最近 パミヤン を示した 。 N wt FR GNP 町 内 b h oh 同 NSR 芯 kts H N . 8 還さと名 付け られた新 しい シ リー ズの 出版 もまた、歓 迎 される 。 その第一巻は世 親 ( 〈自 己一 um 凶ロ aE ) の三部 作 の サ ンスク リ ッ ト 写本の影 印 を含んでいる 。 すなわち、 『 ト ゥ リ スヴァパ l ヴア ルデ | シ ヤ 』 ( 叶立 印 g σ 冨 〈 吉町仏 o m m 一 一一 自 性 説示 ) 、 ヴ リ ッ テ ィ ( 3t 自註 ) の註釈の 付 いた の添、えら れ た 『ヴィ ン シャティカ ( 〈 -B E E-内 削 唯識 二 十論 ) 、 ( 斗ユヨ段片山 し 唯識 三 十 頒) である 。 残念な こ とに非常に 判 読 し づ らいの で あるが、 北 京の民族文 化 富所蔵の 『 唯識 三 十頒 』 のサ ス ティ一フマ-アィ ( ωFFEBmt ) 『 ゥ リ ン シカ | 』 ンスク リ ッ ト写本の写 真 複写を包含 し ていることは注 目に値す る 。

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六、律・阿含・阿毘達磨テキスト 多くのテキストの版本が近年出版された。 一九八六年にゲオルグ・フォン・シムソン (のゆ O 吋閃〈。 ロ印日目的。ロ ) は 説 一切有部の 『プラ l ティモ| クシャ・ス l ト ラ 』 (司 E E5052 日日 解脱戒経)の版本を出版 し た 。 同一の『プラ の最後の部分はクラウス・ T ・シュミット (Egm Hω ♀ gS 円)によって編纂され ー ティモ l クシャ・ス ート ラ 』 た 。 彼はサンスク リ ットとトカラ語で 書 かれた A 伝承本と並行版とを比較した 。 クラウス ・ T ・ ヴィレ ( 目白山口印叶 メ日]]巾 ) 「ヴィナヤヴアストゥ 』 (〈 Ega 〈 EE ) のギルキッ ト 写本について、非常に有益な概説を は説一切有部の 提供した 。『 ヴィナヤヴァストゥ 』 の全体で五 二三 業あるうちの四 O 五葉が保存された 。 彼の本は数多くの断簡の 版本や新しい版本を含んでいる 。 一つの後記においてハインツ・ベ ッ へル ト ( 白色ロ N ∞ 25 ユ) は松村恒による 『 ヴィナヤヴァストゥ 』 のギルギッ ト 写本の一九九二 O 一 葉の、妥当性を欠く版本に注目し、数多くの誤読を列 挙した 。 とクラウス・ヴィレは 『 プラヴラジュヤ l ヴアス ト ゥ 』 (司 E4 白・ クラウス・フォ l ゲル ( (U] 何回口印 〈 om 巴) 可雪印凹吉出家 事) のギルギット写本の断簡を出版した 。 説 一 切有部の 『 ディ 1 ル ガ l ガマ 』( ロ目指 YMMmω ヨ ω) ( 』 σ ロ印巴 4 2 出向 昨日山口口 ) の断簡はヤンス ・ ウェ・ハル ト マン 1984-1990 によ っ て出版された 。 同 一 の巻は、榎本文雄による聖典の詩用問、すなわち 『 ヨ l ガ l チヤ|ラブ|ミ 」 (4cm mw 母国' にみられる「シャ リ l ラガ ー タ ー 」 (ω 向 可ω 問問 岳山間 ) 5 口口比 離把 比 丘所 ) の版本と、松村恒による 『 ア l ユフパル ヤンタス ート ラ 』 (同 ヨ比石川肖〕忌ロ E 包可山 ) 阿毘達磨文献の分野において、シグリンデ・デイ|ツ の必ずしも満足できない版本から構成される 。 仏教研究 ω 前川口口己。 ロ円内定) と松田和信による 『ダルマスカンダ 」 の断簡の版本について述べなければならない 。『 ロ l カブラジュニャプティ』(円。 W33 ・ BYREEKg 岳山法誼) 35

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38 巴世間施 設) の断簡は松田によってその帰属が 確認 された 。 ティ ー ツはギルギッ ト 写本とトルファン ・ コレク ションにおける同てアキス 卜 の 他の断簡 の帰属を明らかに した 。彼女に よれば、 チベッ ト 語訳の二二二ペ ー ジのう ち四八ペ ー ジはサンスクリッ ト断簡に保存されている 。 七、仏教文学 ウェ ・ ハルト マ ン マ ー トリチエ| タ( 昌巳 REm ) 作 『 ヴアルナ l ルハヴアルナス 卜 l ト ラ 」 (〈印 吋ロ削吾印〈山門 E 印門 O 可凶 ) ( 』 g 印'cdZ 国同 三日山口口 )の版本 は、 一 九五 O 年に D-R ・ シヤクルトン ・ ベイリ l のヤンス ・ ( 印町白の}内 一 円 OD 回白一]ぬ可 ) によって出版された以前の版本にとって代わる。シヤクルトン・ベイリ ー は原テキストの約五八パ l セ ン トが自由になったのに対して ハル ト マンは彼の版本に原テキス ト の約八二パ ーセ ントを包含する断簡を基盤とす ることができた。 ハルトマンはまた、 仏 音( 〉雪印肉宮古 ) の『ブッダチャ リ タ』(切 口門広 }gnR 昨 ω ) と 『 サウ ンダラ ー ナンダ』(印白 5E 品ロ白ロ含 )ならびにマ l トリ チェ l タの『ア ナ パラ l ッダス ト l ト ラ」(告白 匂 同吋包 色町 gg 可釦 ) と『プラサ | ダプラティボ | ダヴア」 ( pg 包印。 EE)yoag 〈守山 mE 匂向山内い削皆停釦 )の断簡も 出版した 。カ ロル・メ の 『 パ l ラミタ l サ マ ー サ』(司副 E B 宮 山 gB 倒的知) ( RO] 一宮 g 己 O 当日 ) はア l ルヤ ・ シュ l

ラ(同弓田山

口日 ) ス の新しい版本のためにネパ l ルの国立公文書館からの写本を使用することができたが、しかし、 それから有設な成 果を 引き出してはいない 。 ラ ト ナ ・ パス ( HN 印門ロ白切俗的ロ ) は、『ジャ l タカマ ー ラ ー 』( 』削 E}SB 包似 ) に関する世に知られていない註釈のサ ンスク リ ッ 卜 テキストと ヴィ 1 ルヤシンハ (〈 門叶苫 mFBV 白 F) グコ 『ジャ l タカマ ー ラ ー パンジカ l 』 ( 』削 E-] 内 ωB 削 宙開 福 田宮 内削) のチベッ ト語訳の版本を出版した 。 ペ ー タ l ・クロ ッシェ ( HU20 円同町 O 円onyo ) は 『ジャ ー タカマ

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ーラ l 』 の新しい翻訳をした 。 このテキ ス トはまた、干潟竜祥と高原信一によ って和訳された 一九九 O) 。 (東京、 『ジャ ー タカマ ー ラ ー 』 は最初、 J-S ・スバイエル によって英訳された ( 印℃ OM 吊円 ) (一八 九五 )。 その後、 s ・チ ャウダ リ l ( 円山口 ag ユ ) によってヒンデイ | 語に(一 九五 一と一 九七 ご、 と A ・ p-パラニコフ ( ω 門知ロロ -w 。〈 ) 0 ・ F ・ヴォルコ l ワ によ っ てロシア語に (一 九六二)、 そしてラニエロ・ニョ l リ ( ω ロ円巾円・ 0 のロ。 -c ( o 一 WO 〈釦 ) によってイタ リ ア語に (一 九六四 )翻 訳された 。ラ トナ・ ハンドゥルカンデ | ( 月三ロ ω 回目白色己 EKm ロ己巾 ) はサンス ク リ ッ ト 語で 『ジャ l タカマーラー 』 に関する論文を発表した 。 、ヒャエル・ハ l ン は仏教徒の説話文学の研究にたくさんの仕事をしたのであるが 、彼は 長 ( WF 白色国ωY ロ ) い序論が添えられた、膨大な 「 マハ ツジ ャ ー タカマ ー ラ ー 」( 宮 ω 冨』〕削 gwmB 包削) の完全な版本を出版 した 。 その 序論において彼は、依然として殆ど 研究されていない仏教徒の中世の説話文 学についての 、 たいへん有益な書誌学 の情報を与えている。すなわち『アショ l カアヴアダ | ナマ ー ラ ー 』( 〉官庁間〈釦 SSB 包削阿育王 醤 喰髭論)、 『 パ ドラカルパアヴァダ | ナマーラ ー 」( 切 E 侍包内包匂削〈包凶 -EB 削店賢劫 嘗 燃費)、 『 ドゥヴァ l ヴィンシャティアヴア ダ ーナカ タ | 』( 匂〈削三日山白守何回〈凶仏削ロ印}内山岳同 二十二掌醤喰)、 仏 EB 凶〈包凶 EBME 如 意樹 『 カルパドゥルマアヴァダ | ナマ ー ラ ー 」( 同 ω-BV 鳴霊論)、 『 ラ ト ナアヴアダ | ナマーラ ー 』( 問 主ロ似〈包同 55 削 ] 削宝石 醤 鳴髭論)、 ヴ 1984-1990 ィチ ト ラカ ルニカアヴ ァダ l ナマーラー 』( 〈 EHEWR 口実削〈包似 EE 川口問諸種耳飾 嘗 喰愛) 、 『ヴラタアヴァダ | ナ そして 『 サ ンパドラアヴアダ | ナマ ー ラ ー 』( 印 ω ヨ σE 舟削〈包 P は 『 アヴァダ l ナサ l ラサムッチャヤ』 マーラ ー 』( 〈 E 日〈印門跡 EB 包削祝 祭響鳴霊)、 ロ即日包削 ) である 。 ラトナ・ ハン ドゥルカンデ | (河内四宮山田 ω ロ己ロ門口片山口己巾 ) 仏教研究 からの mBE 体 (韻文 と散文の混合よりなる文学作品) における五つの仏教聖徒物語 ( 〉〈釦門凶削ロ山由似円 ωg-HH E Rm 凶可同 ) のテキス トと翻訳を出版した 。 テイラク・ラジュ・チョ l プラ (dzw 月との吉宮山) は 『パドラカルパアヴアダ | 37

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ナ」の第十四章であり 、 『サンパドラアヴァダ l ナマ ー ラ ー 』 の第九章である「サビカ品」(印与 E 片 山古 RZ 肉片山) を編纂した。 そしてハ l ンは 『 アショ ー カアヴァダ l ナマ ー ラ ー 」 の第十三章である「プンヤラ | シアヴァダ l ナ」を編纂した。彼によれば、 それはゴ | パダッタ(の O匂何回(宮門片山 ) によって著述された 。 ミヒャエル・ハ | ンと彼 の弟子による出版に関する書誌学的情報は、 ボン大学のインド学研究所においてインドとネパ 1 ル写本に関する論 文において ハ l ンによって発表された。われわれはまた、シヴアスヴァ l ミン (ω 守忠〈凶 g-ロ )作の『カツピナ ー ビゥダヤ』(同 PBESF 百円目白百円山七日)町一口凶王の賛美)のガウリ・シャンカル 版をハ l ンに負っている。この再版において第一八篇と第十九篇のロ ー マ字改訂版が彼によってなされている 。 ハ l ンは、彼によって使用きれた新しい写本の素材を詳細に述べている(付録の匂 円乙 luC 内一円三 )。 一九三 O 年に N ・ p-チ ャクラヴアルティ (h gwE 〈 2FES 山田 α ) は、『ウダ | ナヴアルガ』(巴仏山 口 雪印荷山) の第一 | 三章と五 | 一一一章の版本を出版 した 。 この版本はクチャ近くのスパシの寺院において、ポ ー ル・ペ リ オ (の ω ロユ ω 宮山 口 }内山吋)による版本の再 (司山 口]旬。 EO 門)によって発見された木の板に書かれた写本を基擦としている。最近、中谷英明は並行詩偽を伴った そのテキス トの 完全な版本を 出版した 。 別冊は 影 印を 含んでいる。今、 出版 されようと している巻は序論と 註釈か ら構成されるであろう 。『 ウダ | ナヴァルガ 』 に関するプラジュニヤ | ヴアルマン (司 E 〕印刷〈山門 BmE ) の膨大な註 釈はチベッ ト 語訳のみが保存されている。それはミヒャエル・バルク た、 『ウダ l ナヴアルガ』に関する学位論文を書いており、その中で彼は、根本説一切有部に属する『ウダ | ナヴ (冨 円。}足。 -E 口内 ) によって編纂され、彼はま アルガ』の第二伝承本の 研究にと って、 その註釈の重要性を示した。『ウダ ! ナヴァルガ』 のチベット語テキスト の新しい版本は、シグリンデ・デイ | ツ(虫色 -E O 巴 2N) とともにチャンパ・チュプテン・ツオンツェ (n y 白 B53 斗宮匂 Z ロ N 。ロ mgo) によ って出版された。この版本はラ サ・カ ンジュ ー ルのテキストに基づいており、他の版本の

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読みを註記に列挙している 。『 ウダ l ナヴアルガ 』 と 『ダ ルマ パダ』( ロFR58 包同 法句経) の異なった伝承本の 研究にと っ て の 『 パトナ ・ ダルマパダ 』 の新しい版本は重要である 。 マーガレ ッ ト・コー ン ( 富山門町四白叶ぬ門のOロ巾 ) テ ンジュ ール は十三の書簡のチベット語テキストを含む 。三 つの書簡は数回編纂された り 翻訳された りし た 。 す なわち、ナ l ガ ー ルジュナ(Z 削肉削 ユ cE 竜樹)の『スフ リルレ|カ 』( 印吾ユZEg友への手紙 )、チ ャン ドラゴ l の『シシュヤレ | カ 』 (ω 抗日員一命}岳山弟子への手紙 )、マ |トリ チェ l タ(冨目 RmE)の「マ である 。残 り十 のうち 九つが シ ミン( (い白ロ仏EmogE ) ハ l ラ ー ジャカ ニ シュカレ 1 カ 』( 宮白FM円山首片山口広片山}OWYωカニシカ大 王の手紙) グリンデ ・ デイ|ツによ っ て編 纂 され、翻訳された 。 八、阿毘達磨倶舎論 一九八三年スパドラ ・ ジャ ー ( 印己σ宮山仏門何回]『白 ) は、 『アビダルマコ|シ ャパ | シュヤ 』( 〉σ}MEY山『ヨωWOE-zrE 阿毘 達磨倶舎論釈)とラ ・ ヴァレ ・プ l サ ン っ と 多くの 巻が出版されるかどうか私は知らないが、この第 一巻 についていえることは全くよ くな いということで ( 円、ω〈包広め句ocgZ ) の註釈の英訳の第一巻を 出版した 。 も レオ ・ M ・ プ ル|デ ン 1984-1990 ある 。最 近、 出版した 。 ジエ | ムズ ・ ドゥ l リ ンガ | ( ]ωggu 戸 mEEmぬ門 ) は 『 アビダルマコ|シャパ | シュ ヤ 』 の第九章を翻 ( 円 gz ・ 同)円 Eg ) はラ・ヴ アレ ・ プ | サ ンの記念 作の完 全な英訳を 四巻本で 訳した 。 プラフラド ・ プラダン ( HU 円山町-ω己目)吋山己}戸山口 ) によるサンス ク リ ッ トテキ ス トの 最 初 の 版本百三EH 申告 ) と A ・ ハルダ l (出向凶 Emq ) はどちらも遺憾なとこ ろが多 い 。 による改訂版 ( 司巳ロω 邑寸切 ) 一 九八七年に江島 恵教 は 仏教研究 第九章のテキス ト についての批判的註記を発表した 。 また 一 九八九年に彼は 第一章の 新しい版 本を 出版した 。江 島はまた 、彼自 身による第九章の新しい版本と佐古年穂による第四章の版本の出版を予告した 。 他の 章 もまた同様 39

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に編纂されることが待たれる。 版された 。 一 九八四年に、 『 アビダルマコ l シャパ l シュヤ 』 における阿含経典の引用表が藤田宏達と本庄良文によって出 は、聖典の引用ばかりでなく、阿毘達磨テキストから ピック・パ ー サ ー ディカ ( 切}比片付甘口 HM 似印削《出片山 ) の引用と単一著者によって書かれたテキストからの引用をも研究した 。 一 九八七年に ジョセ・ペレ イラ ( 』omop v 円 mw-円 mH ) とフ一フンシス・-アィソ ( 匂門町田口巳 ω 叶 20 ) は、 『ア ビダルマコ l シャ 』( 片町 一 付削本領のテキスト ) の第一章の 翻訳を、 『 A-R ・ I ・ ( σEag ロロ白河 22 円。}ニロ丘一円 Em) 紀要 』に発表 したが、 これは、第一章の内容の概略的 発表と林凡 ・ 英語葉が添えられている 。 同一の学術誌は大いに興味のある阿毘達磨の資料を発表している 。 田端哲哉 と 星子によるヤショ | ミトラ ( ペ ω 山OBXE 称友) の『アビダルマコ | シャヴャ l クヤ l 』(〉 σE 色町山門 Bmwom 釦〈 ωb ・ 一岳山、削阿毘達磨倶舎論疏 』 の索引は大きな重要性をもっ 。 その五分冊がこれまでに出版されている。 若いロシア入学者 V ・ I-ルドイ(河口仏♀)は 「 アビ、タルマコ | シャパ l シュヤ』の全訳に着手し、その第一巻が が一九一七年に大要を述べた『アビダルマ 最近 出版された 。 その序論で彼はシチェルパツキ | ( RFRσ 白 ZK 可 ) コーシヤ 」 の研究に対する計画を記述する。 Y-V ・ヴァシ | リコフ (〈自 己 wWO 〈 ) による最近の論文において、彼 の計画がスタ ーリ ン主義者の陰謀によってどのように挫折させられたかを読むことは教訓に富んでいる。彼のすべ ての弟子たちは B ・ V-セ ミコ l ワ ω05-mO 〈 500 山 由自 の唯一の例外を除いて 収容所で死刑となった 。 九 八 O 年にセミ コ 1 ワと M ・ G ・ブリヤンスキ ー ( ∞♂ぶロ印]内回、 ) はチベット語からの 『ア ビダルマコ!シャパ | シュヤ』 の第一章から第三章までのロシア語訳を出版 し、 これら二巻はまた、 デルゲ・テンジュ ー ルからのチベ ッ ト語テキ ストの版本から構成される 。 不思議なことに、 ルドイはこの翻訳の記述さえしていない 。 彼自身の仕事は大きな規 模で計画されている 。 第一巻は阿毘達磨哲学に関する長い序論、第一章の翻訳、詳細な註釈、体系の再構築、本頒

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(}内川町 ・ -w 削印) のサンスクリットテキスト、チベット語テキスト、漢訳テキスト、 そして党・蔵 ・ 漢索引から構成され る 九、般若経 文 献 一九三 四年にナリナクシャ ・ダット (Z 丘一口同 wmg ロロ口) は 『パンチャヴィンシャティサ l ハス リ カ l ・プラジユ ニャ l パ l ラミタ l 』( 司包 255pt 印刷冨問符削叩丘町回目)似 ggE 凶 二万五 千頒般若)の改作版の第一章の版本を出 版した 。 最近、木村高尉は他の章を編纂するという骨の折れる仕事にとりかかった。第二章と第三章のテキストは 一九八六年に彼によって出版され、 ケンプ リ 一九九 O 年には第四章が出版きれた。木村の版本は東京から二本と、 ツジから二本の 四本の写本に基づいている 。 彼によれば最も正しい写本は東京大学所蔵のナンバ ー 二三 四 の写本で ある 。 木村がまた、残りの章を出版することができることを期待している。 一九八二年十 二 月、 七つの金の板がアヌラ | ダプラ(〉ロロ品 ag 匂己日) で発見された。板に彫られたテキス ト は 『 二万五千煩般若 』 の第一章の断片を含んでいる。 オスカール・フォン ・ ヒニュ|パ l (O}S 円〈 O ロ 出 EC Z 円) iま 九八三年にそのテキス ト の版本を出版し、 それが改作版に属するものであることを確認した 。 しかし、 山 口努はそ 1984-1990 の改作に先立つ原テキストの一部分であることを証明した。 M-H -F ・ ジャヤス l リ ヤ ( 』 ミ g ロュ ヨ)もまた 翻訳を添、えて同一テキストを編纂した 。 彼の作品は一九八八年に世に出たが、しかし、 ヒニュ l パ l の版本に言及 していない 。 すぐにでもあ っ て欲しいものは、 『二 万五千頒般若 」の ギルギッド写本の版本である 。 また 、 『シャタ サ | ハリス リ カ l ・プラジュニャ l パ!ラミタ l 』 (ω 白 E 印刷 げ 自 立} 内同七円丘町百円)削 E B Xω 十万頒般若 』 の完全な版本は 仏教研究 が最初の十二章を編纂しただけである( の ω WE E-大いに歓迎されるであろう 。 p ・ゴ l シャ (の げ O 印 白)

4

1

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HCONH ∞ ]{ω ) 。 『ヴアジュ ラッチェ l ディカ l 』 (〈 ど ERZ 金百能断金剛 ) のギルギット写本は二度編纂された 。 それらは、 一九五六年に N ・ p-チ ャクラヴアルティ ( 口 町 内凶 } 内円山〈凶ユ一一 によって (ジュゼッペ ・トゥ ッチ 、冨一口 O 吋 切己門凶色町{印品い 同, o × FHUm 凶スケ HU 印m ・ 2) ・ ω 山由 N ) と一 九五九年にナリナクシャ・ダッ卜によ って( 白百円円富山口 ERGF 〈 O ] ・弓 u HU 包己 UE 。コ O ) である。グ レゴリ l ・ショ l ペン(の 5mo ミ ω 与 O 宮口)は最近、ギルギット写本の転写と翻訳を 出版した 。 註記において、チャクラヴアルティとダットの版本に現われる誤りと、言及されなかった変更を表示し ている 。 天野宏英にマイ トレ l ヤ ( 昌巳門 Ha 凶弥勤 )著作『ア ビサマヤ l ランカ | ラ』(〉 σE 印釦ヨミ山 EBW 削日現観荘厳 の研究をすでにわれわれは負うているが、彼 の 『 小註釈 』( 己円巳・♀邑 ) 論)に関するハリパドラ(出向一ぴ冨母印) は最近、二つのネパ ー ル写本を基擦にしてサンスクリットテキストを編纂した 。 一つの論文において彼は、 』 11 0 、、 1 1 -ノ ノ ー ミラ|(Oσ ぬ円 BEO 吋) によって示唆されたように、 ハリパドラの 『 小註釈 』が『大註釈』 (6 5] 'nFgLCow 削 ) の要約したものではないことを示 した 。 一口 、大乗経典 最古の大乗経典の一つは、『プラティウ ト パンナ・ブッダ ・サ ンムカ | ヴアスティタ・サマ l ディ・ス l 卜ラ 』 ( 司 zqEEE 印 ・ ca 岳山 'ωωBECWE 〈凶印門 EE ・ω 自戸山岳ナ印口門店現在仏前住 三 昧王経)である 。 ポ ー ル・ハリソン ( 2 -出向江印 O ロ )は彼が一 九七八年に編 纂 したチベ ッ ト 語訳を翻訳 した 。 彼の本は長い序論、中国における経典 のテキス ト史に関する付録 それにへルンレ ( 国 oq 己巾 )蒐集における サン スク リ ッ ト断簡の新しい版本から構成

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される 。 数人の学者たちは、 『サマ|ディラージャ・スートラ 』 (印何回目削 島町忠自己 E 三 昧王経)を研究した 。 そのギルギ ッ ト写本はナリナクシャ・ダ ッ トによって出版きれた ( hmHrEZLEH ・HUE -最初の四章は、ミシガン大学の学者 グ ル ー プによ っ て 一九八二年から一九八 三 年に翻訳された 。 翻訳は長い序論と大変有用な文献目録がついている 。 は第九章の研究を出版したが、それは十三の写本に基づいた版 そしてマンジュシュリ l キ l ルティ ク リ ストア ・キ ユ ツ パ l ス(わ }三位 OUY のロ匂℃句印 ) 本、ネ パ ール の伝統によ っ て記述された改版の翻訳 、 (富山 ga ュ EE ) σ〉 註 釈である 『 キ ー ルティマ ーラー 』 ( 同昨吾ロ包凶 ) のチベッ ト 語訳の翻訳から構成される 。「 サマ l ディラ ー ジャ ・ ス ートラ 』 の全章が同一の例証的な方法で研究されるであろうことが希望されよう 。 最後に、出版の準備がなされて のギルギットテキストの いる放ジャ | ン・フィ リオザ ( 』 g ロヨ]ロ O N巳) による 『 サマ l ディラ l ジャ・ス l トラ 』 翻訳について述べなければならない 。 高崎直道は 一九二三年に南像文雄によって編 纂 された 『 ランカアヴァタ l ラ ・ ス ートラ 」 ( 戸 ω-JK 削〈回目 E 印日 E の「クシャニカ」(同 ω 吉 宗 ω ) 章の新しい版本を出すにあた っ て十七写本を参照した 。 全テキストの新 しい版本はすぐにでも欲しいものである 。 最近の出版において F ・ G ・スットン 入拐 伽 経 ) (印 C20 ロ ) は誤訳を避けるため 1984-1990 の、彼に役立つはずのチベ ッ ト語訳を参照することさえしないで多くの文節を翻訳した 。 ピ ッ ク・パ ーサー ディカ (∞ ゲ {WWYCHum 印似門出}内山 ) はナ l ガ l ルジュナ (ZR 仰と 5ω 竜樹 ) の 『 ス ートラサ ムッチ ャヤ 』 (印 日 gggzngE 経集論) のチベ ッ ト版 を出版 し たが、彼はすでにその全体を定期刊行物 h3P1ES( 第 仏教研究 二二 O 号、 一九七八|一九八二) において翻訳していた。彼はテキストの研究、 翻訳の改訂、 そしてチベット語 訳と、 それに相当するサンスクリット文節の比較研究を通して得られた、新しいインド ・ チベット語辞典編集上の 43

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資料の 出版 を計画 し ている 。 z ro 門 EB 山 田口門店 金光明経 』 の翻訳を 出 版 し た 。 その翻訳の改訂版は一九九 O 年に世に 出 た。 は 『 スヴァル ナ パ | ソッタマ ・ ス l ト ラ 』( 印ロ 〈釦 吋口 出' は し がきにおいて 一九七 O 年に 、 R ・ E-エンメ リ ツク( 開 55 均 一 nw) エ ンメ リ ッ クは、 P ・ O-スケルヴォ によると、新版に対してノ ー ベル ( Zo σ 巳 ) 3522a) によるサンスクリッ ト テキス ト の新版を報告しているが、それ の 利 用できなか っ たネパ ー ル写本をスケルヴォが使用することができ た、と報告した 。 藤田宏達は 、 彼の 以前 の版本 ( 札幌、 一 九 八 O) にとって代わる 『 大スカ | ヴアティ ー ヴユ | ハ』( 戸 ωG q (fJ C K E S 2 44 口 E 大経 H 無量寿経 ) における請願の章の新版のために三十 四 本もの写本を参照した 。 は し がきにおい て藤田は、後に 批判 的校訂本を編纂するために、完全なテキス ト の写本の ロー マ字版を 出版 することを予告する 。 シヤ | ンテイデ ー ヴア (ω 削 E E O〈釦寂天)の 『シクシ ヤ | サム ッ チャヤ 』 (ω 持 品目白 552 苫大乗集菩薩学論) の数章は、ジュルグ・へデンガ | ( 】腎 m E O 佳 口問。 円) によ っ てやや不満足な方法で翻訳された 。 玉、「影 印 」において、『サッダルマプンダ リ l カ ・ ス l ト ラ 』( 印 包島出 円 g m wU ロロ含ユ E 包可 ω 法華経 ) と 『 マハ l のサンスクリ ッ トテキス ト に関係する 出 版は パ リ ニルヴァ 1 ナ ・ ス ー トラ 』( 富山 F S m ユ E2 官 自 口門 店大般浬般市経 ) すでに 言 及された 。 二、中観派 中観派は広く 研 究され続けている 。三 枝充蕗は、 日 本語訳と共に 『 ム | ラマ ド ゥヤマカ ・ カ l リ カ l 』 ( 冨 巴 ωヨ包喜 ω 日山町長 倒立} 内叫 し 印根本 中 領) の サ ンスク リ ッ ト 、 チベ ッ ト 語訳、漢訳のテキストを 出 版 し た 。斉 藤明

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は本領のサンスクリ ッ トテキ ス トと チベッ ト 語訳を検討 した 。 デ ー ヴィッド ・ J ・ カ ル パハナ ( ロ ω 〈 E 』同色ロ U 同 宮山口同 ) によ る本領の新 しい 英訳は 批 評家に 好意的に 受 け入れられなか っ た 。 クラウス ・ エ l ト ケ ( 口 一 ω 己凹 00 門付。 ) は本領の哲学的概念を研究した 。 フェ ルナ ン ド・ト | ラ q qg ロ号、『 O] 釦 ) と カ | メン ・ド ゥラゴネッティ (の凶円 HH 】ぬロロ Emo ロぬ丹江 ) は 『チャトゥ スタヴア』( の巳 5ES 四 讃歌) のテキス トと翻訳を 発表 した 。 そして彼らは、 ト ゥッチの「ニラウパムヤ ・ スタヴ ア」 ( Z 町 ω ロ匂 ωgv 忌印冨〈釦 ) と 「パラマ l ルタ ・ スタヴア」 弔問 mB 削丘 町 民 E 〈釦 ) グ〉 の版本と リ ン トナ | ( ピ EEO 叶) 「 ロ l カ|ティ l タ ・ スタヴア」( 円。}内山口 E2ω 〈凶 ) と「アチン ト ヤ ・ スタヴア」( 〉巳ロ片山面白 E 〈釦 ) の版本を再生 して いヲ匂 。 その二人の学者たちは 『シュ l ンヤタ l サフ タティ」(

山口口苫一日目白匂

gt 空七十論 ) のチベッ ト 語テキス トを 編纂し、翻訳した 。『プ ラティ ー トヤサム ッ ト パ | ダ ・ カ l リ カ l 』 ( 司 EPE 凹 ω 自己否包同 一 内町 長倒的 縁 起頒 )は、竜 (ω ロ己 aymB 丘一 ) 樹に帰せられる 。 の権威を受 け入れるが このことはシユツダマティ リ ン トナ l は彼 ら(二人) にこの作品を帰属させるカ | メン ・ド ゥラゴネッティに よ って反論される。 リ ン ト ナ ー の 『 ナー ガ ー ルジュニアナ 』

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レ m~I ン さ ロ フ E J〆 釦 グ ロ O ~宮

3E

コ6q (!> コ トー にO C回 N ( 巧百一 ω ヨ印 ) によって詳細に論評された 。 は、 p ・ウィリアムス ( 〉弓包 2ω 提 婆) は、ア ー ルヤデ | ヴア 戸 ω ロ m ) の『チャトゥフシャタカ』( の ωEF' 1984-1990 EEK 同四百論 ) の サ ンスク リ ッ ト とチベッ ト 語のテキス トを出版し、 これには注釈つきの翻訳が 付い ている。サ ンスク リ ッ ト断簡は四 OO 詩偽の三分の一弱を含んで いる 。 チャンドラキ l ルテイ ( の自己 EEE 月称 ) の註釈の 全訳が 出ること が 相 変わらず待たれる。 仏教研究 『 ム | ラマドゥヤマカ ・ カ l リカ l 』 に対するプッダパ | リタ (回己仏門口 g 匂削]芹 ω 仏 説) の註釈はウィ リア ム ・ L ・ エ 4入 ズ ( 巧一一 ] 55F ・〉ヨ 2 ) によって分析された 。 彼の学位(司 }ザロ・ )論文である『 切 zaa - EE--z-冨包 γ5 占自白 } 内白 ・ 45

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2E の研究 』( オ ー ストラリア国立大学、 一九八四) において斉藤明は、 その全註釈を翻訳し、チベット語テキス 卜を編 纂 した 。 その英訳は間もなくデリーで出版されるであろう。 M ・ D -エ ッケル (何の } 内ゆ ] ) はパ l ヴアヴィヴェ カ (∞ Egi 〈 OE 清弁) の 『プラジュニヤ | プラデイ | パ』( 甲山吉凶 UE 門町宮般若灯論 ) の第十八、二四、二五 章を、 w ・エ l ムズは第三|五、二三、 二六章を翻訳したが、 どちらも学位論文であり、未だ出版されていない 。 完全な版本と英訳はエッケルとエ | ムズによ っ て準備されている 。 最近、ラグナタ・パンデ | ヤ ( 河川凶 myc 口町三社印市町凶口。 2 お ) は、 『 アクト | パヤ | 』( 〉 }ggσF 印可制無畏註)、 ブッダパ ー リタ の「マドゥヤマカ ・ブリ ッティ』( 冨 ω 島弓白包 ω} 内印〈え丘中論疏 )、パ | ヴアヴィヴェ l カの『プラジュ ニヤ | プラデイ | パ ・ヴリ ッ ティ 』 百円丘町出向 )E 門出向 )ω2E 般若灯論疏)をサンスクリット文に再構築し、ラ・ヴァレ・プ | サンの版本を完全に基盤にしている『プラサンナパダ l 』 百円回目自ロ釦匂包削清浄語句)の版本と一緒に出版した 。 パ l-K ・セ|レ ンセン (HMO H・同・印私見出回印何 一口 ) は、チャンドラキ ー ルティの 『トゥリシ ャラナサプタティ』 ( 叶ユ肌町四円 ω ロ ω 印山円 )E 巳 ) のチベ ッ ト語テキストを編纂し、翻訳した 。 「中道」の存在論に関するピ | タ l ・フェナ | (HU2 河川円明。ロロ 2 ・ ) の作品は、 『 マドゥヤマカ l ヴァタ | ラ 』( 富山己 jgs 一日山}内仙〈 ωgs 入中論 ) の詩備の翻訳から構成 される。報告によると、彼の本は二つの疑 問を述 べている。すなわち、①理性と洞察力との関連性は何か。②広大 な慈悲と治療技量に関する大乗の宗教的教義は中観派の空の概念とどのように関連するか 。『 プラサンナパダ l 」 の難しい第一章のすぐれた翻訳は丹治照義によって出版され、彼はまた、 『 カ l リカ l 』( 中論頒)の第十六 章 に関 する註釈を研究した 。 一 九八八年に本 多恵と奥住毅は、 『 プラサンナパダ l 』 の完全な翻訳を出版したが、私(骨 ]O ロ閃 ) はそれを参照することができないでいる 。 一 九八五年に、 v ・ v-ゴ | カレ l ( O K E 色。 ) と S ・ S ・パフルカル (切山町ロロ内向円 ) は、 『 マドゥヤマカ・フリダ

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ヤ ・ カ | リ カ | 』 (富山色町 苫 ヨ mw 白 YEωv s 'W 削ユ} 内 中観 心 論頒) の サ ンスク リ ッ ト テキス ト ならび に 『タ ル カジュヴ ァ ー ラ | 』 (H , R 片ど 〈 川口削 思択炎) のチベッ ト 語訳の第一章の英訳を発表 し た 。『 本頒」と「タル カ ジュヴァ l ラ』 の両方ともパヴヤ (切宮 山〈苫)あるいはパ l ヴァヴィヴエ | カに帰 せ られるが 、 これは一般には受 け 入 れ られない 。 パヴヤ/ヴァ l ヴァヴィヴェ l カに帰せられる 同 一の二つの 作 品の著者に関するセイフォ i ト・ ル エ ッグ( 印宅問。ュ H N c o m m ) の論文によれば 、

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さらに研究を積み上げることが 必 要である 。最 近オレ ・ ケパルンシュ トレ ム C 4 R ロロ印可 α ヨ ) は、第八章の本領の新版を 出 版 し た。すなわち、「ヴェ ー ダ | ンタタッ ト ヴァヴィ ニ シュチャヤ」 (〈 ゆ色刷ロ門印門何回口 〈 釦 〈 -口一仰の同一 可釦) である 。 一 九 三六年にラ l フラ ・サ l ンク リ ト ヤ | ヤナ( 問中 ケパ ル ンシュ ト レムは、 EE 印刷 D W 円号制一苫 E ) によって複写された写本の写真を使 用 することができた 。 今 日 まで本領の各章の 版 本は、 例 えば、「ミ l マ l ン サ l 」( 富 山 ヨ 削 g m 削 )と「 サ ルヴジュ ニ ヤ」 (ωω ミ丘町山 )の章(第 九 章 と 第 十四 章) の 川 崎信定 この手書きの複写に基づいている。本領の全 テ キス ト の 批 判 的 校訂本が『タ ルカ ジ ュ ヴア | ラ の版本のよう に 、 ー 」の英訳と共に準 備 されるであろうこ と が希望さ れよ う。クパルンシュ ト レムの本は、第八章 の 英訳 と パ l ・ K ・ セ | レンセンに よ る同一章のチベット語訳の 版 本とから構成される 。 マ ルコ ム ・ デ l ヴィッ ド ・ エッケル ( 富山町 o 一 ヨロ ω 三乱開。 W O ] ) は 、稔 伽 行中観派 ( 4cm 削 SE ・冨削昏ヨ B-wm 凶) の 1984-1990 開拓者の一人であり、恐らく八世紀に生存していたジュニヤ | ナガルパ ( 』白 川 町門戸 mm ω叶ぴげ釦 )による『 サ ト ヤドゥヴア ヤヴィパンガ ・ ヴ リ ッティ 』 (ω 巳 苫雪印 可 告 --σEp m ω 〈え丘 二諦分 別 論註)のチベッ ト 語訳を編纂 し、 翻訳 し た 。『 マ ド ゥヤマカ | ランカ | ラ 』( 冨 ωaqω ヨ釦} 内 削 EBW 帥 日中 観荘厳論)に関する一郷正道の本は、シャ l ンタラクシタ (ω 削ロ片山 35HE ) とカマラシ l ラ( 同 ω ヨ色白色白 )の 研 究 にと っ て 、基本 的 な重要 性 をもっ 。 第一巻 は稔 伽 行 中観派 に関する長 い 序文と『マドゥヤマカ l ランカ l ラ」の本領のテ キ ス トと 翻訳、ならび に シヤ | ンタ ラ クシタの 自 註 47 仏教研究

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とカマラ シ l ラの 『 パンジカ l 」( 句 ω2-w 仙註釈 ) のチベット語テキストの版本から構成される 。 第二巻は日本語 であり、シ ャ l ン タラクシタとカマラ シ l ラに関する六つの論文と 『 マドゥヤマカ l ランカ l ラ 』 とその 2E ( 自註 ) の翻訳を 含 んでいる 。 本 領 の序論と翻訳の改訂本は最近発表された 。 三 、総伽行 派と知来蔵 一 九八七年にラ ン ベルト・シュミ ッ トハウゼ ン ( 戸内凶日 σ ゆえ ω 与 556cmg ) は、テキ ス トの 量 と註記の両方にお いて 豊 富な資料を含む阿頼耶識についての偉大な作品を出版した 。『 ヨ|ガ l チャ l ラブ l ミ 』( ペ om 骨骨釦 σ 宮口 BH 稔伽師地論 ) の研究にもう 一 つ の重要 な 貢 献をするのは、佐久間 秀 範の本であり、 そ の 本の中で彼は 『 ヨ l ガ 1 チ ャーラブ | ミ 』 における転依富山 EEE ユ〈江巳 ) の理論の発展を追跡する 。 ーディサ ッ トヴ ァ ブ l ミ 』( 切 oa 岳山口〈 ωσ 甘口日一 菩 薩地 ) における戒 ( mE 百円色白 ) ( 吋印 OHJ'wg -宮 ) の註釈の翻訳を 含 んでいる 。 マ ー ク・タ ッ ツ ( RW 叶何回門 N) は 『 ボ に関する 章 を翻訳した 。 彼の作 日間はツオ ン ・カ・ パ 『 マハ | ヤ l ナサ ン グラハ 」( 富島倒可削 SEEm 町 EE 摂大 乗 論 ) を研究している 。 一 九八七年に彼は彼の翻訳の第 二 巻を出版した 。 彼の作品はチ ベッ ト 語 テキ ス トの版 本 と荒牧典俊による第一 章 と 長 尾雅人は四十年以上もの問、 第 二章 の 還 元党文を含む 。 ポ ー ル・ J ・ グ リフィス (の立 RXF ) の本 『 無心であることについて 』 において彼は、彼 の見解では稔伽行派の古典段階を 表 わしている 『 マ ハ l ヤ l ナサ ン グラハ 』 と 『 アビダルマサム ッ チ ャ ヤ 』( 〉 σE' 門医 RBωS552 苫大乗阿毘達磨集論 ) を大いに利用している 。 最近、彼は 『 マハ | ヤ l ナス l トラ l ラ ンカ | ラ 』( 富山島司 ES 日品EBW 似 E 大 乗 荘厳経論 ) とその註釈における全知に関する論文を発 表 した 。 ヴァ ス パン ドゥ ( 〈自 己 σ 何回口 ag 世親 ) の 多 くの作品は、近年、翻訳された 。 ト l マス -A ・コ l チュム l トム

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論釈) は『マドゥヤ l ンタヴィパ l ガ・パ l シュヤ』(冨 ωaq 削ロ ziσ 『削 mm 岳町削印百一中辺分別 の第一章、 『 トゥリスヴァパ | ヴァニルデ l シャ 』 ( 叶ユ雪山 σ 冨〈自町骨密 三自性説示)、 『 ト ゥ リ ンシカ | -(叶}回。ョ g 〉・同 onvBEgB ) カ ーリ カ l 』( 斗ユ白色付削}内山江片山町 唯識三十頒) 、 『ヴィンシャティカ l ・ カ l リ カ | 』( 〈 -BEZR 削}内副ユ}内山印 )を自註と ともに翻訳した。フェルナンド ・ト| ラ(問。門口山口己 OH , O]ω) とカ | メン ・ド ゥラ ゴ ネッ ティ rコ 司且3 ノ〈、 炉~ テヨ フ ロ ア 早 ン お ァ S ン , CEF司令 ナ己 はヴァスパン ド ゥの 「トゥ リ スヴアパ l ヴァ ・ カ l リ カ l 』 ( 斗ユ印 〈 ω σy 同〈印 W 似ユ}内削印 )を翻訳 し、 ツカ l a zE ロ はヴァスパンドゥの七つの作品の翻訳を出版した 。 すなわち、 『ヴア | ダヴィディ 』 〉ロ mnwOH) (〈 包 ω4EE 論軌 )、 『パンチャスカンダ・プラカラナ 」 (司山田 gmkm ロ B83 片山 EDω 五 組論) 、 『カルマシッ ディ・プラ カラナ 」(同 R ESH 己岳山 UEW 白日ロ凶 成業論)、 『ヴィンシャティカ | カ l リ カ|-ヴリッティ』 (55EZW 包内印円ナ } 内 2E ) 、 『トゥリ ン シカ 1 ・ カ l リ カ | 』 、 『 マドゥヤ | ンタヴィパ | ガ ・ パ | シュヤ 』 それに 『 トゥリスヴァパ | ヴアニルデ l シャ 』 である 。 アンナ ッ カ l は 先人の翻訳 と批 評をさほど気に 止 めていない 。 例えば彼の言に よれば (戸田ヨ♀ Z ) 『カルマシッディプラカラナ 』 によって出版されたものより、 の彼の翻訳の方 ラ モ ッ ト カず はるか に 正確だと安心して主張できるという 。 じかしながら 『 マドゥヤ | ンタヴィパ l ガ・パ | シュヤ』 の彼自身の翻訳は信じがたいほど悪い 。 ( 』包口一 ) はヴイニ|タデ | ヴア 一九八五年に P ・ S-ジャイ 1984-1990 (〈 宮山包 2 邸調伏 天 『 ト ゥ リ ンシカ l ・ ティ ー ヵ l 』 (叶ユ目白}内山口}内山 一二十頒 副 註) のサンスク リ ッ ト断簡 σ〉 を発表した。 如来蔵思想研究の分野でも最も重要な出版は この分野で日本の指導 的 専門家である高崎直道に負っている 。 彼 仏教研究 は、以前に英訳している(河 OSPES ) 『 ラトナゴ l トラヴィパ l ガ 」 青山 gmmo 可 ω 三 σ 百官宝性論)の和訳をし た。如来蔵に関する彼の収集された論文は二巻本で出版された 。 モ l ティラル・ パナルシダスは 如来蔵と阿頼耶 識 49

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に関するブライアン ・ E ・ブラウン (∞ ユ ω 口問∞門 od 司ロ) による一冊の本を出版することを予告した。 =一、認識論 認識論学派は、 日本と西洋において多くの学者たちによって、近年徹底的に研究された。この分野の専門家が、 論理学者に関する一章を設けて、中村元が『印度仏教』(一九八 O 年、二 九四 1 コ二二ペ ー ジ)を著わして 以 後、 世に出た多くの出版物の批判的概説をするであろうことが期待されよう。 ディグナ l ガ( 虫 関 口 削 mm 陳那)に関する最も重要な出版物の一つは 、リ チャ !ド・ へ | ズ 『ディグ ナ l ガの論証因 (zb m 凶)解釈』であり、この本は『プラマ l ナサムッチャヤ」(句 E 52 2m 自 己 の g 苫集量 論)の第二章と第五章の最も重要な部分の翻訳を含んでいる。桂紹隆は遍充 (485 の概念の発展を研究したが、 ( 同 WY 同吋仏国印 可命的) グ〉 遍充は論理必然関係の形式的で構造的な基盤と し て、 ディグナ l ガによって確立された 。彼の長大な日本語論文の 要約は一 九八六年に発 表さ れた 。書誌学に富む情報は 、桂がインド仏教に関する共同執 筆集に寄稿 した二つの論文 に見出されるであろう 。すなわち 一つは論理学 派に関するものであり 一つはアポ l ハ論(印匂 o ym ) に関するも のである。 一九八 九年 六月 、 ダルマキ l ルティ ( ロ FRB 岳山門巴 法称) に関する第二回学会がウィ ー ンで開催された。第 一 回は一九八二年七月京都であった。長崎法潤はウィ ー ンでの学会についての報告を発表した。彼は風聞を述べた。 それによれば、 クリスチャン・ リ ン トナ| ( ( U F 巳 印江山口 FF ロ門同門口 2 ・ ) とフ ・ ハイヤン (出 口出 回 一 百円ロ) は 『プラ マ l ナ ヴィニシュチャヤ』(可 5 5 凶 giE mg 可 ω 量決択) 二人とも 北 京にある写本を見ていないように思われる。 のサンスク リ ット写本の批 判的版 本を準備していたが、 し かし

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