• 検索結果がありません。

生徒指導にとっての

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "生徒指導にとっての"

Copied!
31
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

生徒指導にとっての

「今日性」の意味に関する一考察

──

35

年前(

3

年間:

1978.4

1981.3

)に行った   ある生徒への生徒指導の省察を通して──

中 元 順 一

 はじめに ── 問題意識の所在  1 生徒指導と「今日性」の意味

 小・中学校,高校においては,日々,いじめを始めとする様々な生徒指 導にかかわる事件・事故が発生し,

「淡々とした日常性」を超える「特別

な日常性」が新たに生起し,生徒指導に「新たな意味」が付加されている。

 通常,それぞれの事件・事故は,共通する一般性とともに異なった固有 性をもつ。これから本稿で述べる

「今日性」

とは,それまでに観られなかっ た新たな固有の意味や教訓のことを指し,次に発生する同様のケースにお いて「意味の了解」や「適切な対処・対応策」等が通用するものを指す。

それを前例から的確に抽出できれば次の機会に有効なはずである。

 しかし,

「今日性」を一般に「現代に通用するような性質」

(『三省堂 辞林 第二版』)と捉えると,度々繰り返して起こるいじめ自殺事件には,

個々の事件の教訓が次に通用する「今日性」が存在しないことになる。

 そこで,筆者が問題にしたいことは,先発の事件・事故の中に新たな意 味や教訓があっても,当時の関係者に読み解かれないまま放置され,次に 継承され活かされていない点である。それが活かされていれば,同様の事

(2)

件・事故をみすみす発生させることはなかった。それゆえ,もっと前例の もつ「今日性」を的確に引き出し,次に継承することを重視したい。

 2 嘗ての自らの生徒指導の記録を読み解く

 これまでに起きた幾多の生徒指導上の事件・事故には固有の意味が生じ ているにもかかわらず,多くの場合見過ごされて活かされず,過去の事実 が学ばれない結果に終わっている。懲りずに再発する生徒指導上の事件・

事故を知ると,

「又か」と思い,常に地団駄を踏む思いにさせられる。

 そこでこの度,光を当てるのは,筆者の若き教員時代に,中学校におい て深刻な問題傾向があった,ある生徒と格闘した渾身の生徒指導の記録で ある。それは「いつの日にか本格的に検討したい」と長年温めていたもの である。

35

年前から

3

年間(

1978.4

1981.3

),最初に赴任した中学校で最 初に学級担任を受け持った最大級の問題傾向のあるH男に対する生徒指導 の記録である。関係資料も何とか保存できていた。

 以下,その記録を入念に復元・検討し,先に述べた「今日性」の問題に ついてエビデンスを基に考察する。

 Ⅰ H男の中学校行動記録とその指導についての考察

〔記録時期〕 1978(

53). 4. 6 ― 1981(

56). 3.19

〔概  要〕 筆者が中学校教員

2

年目から

4

年目の

3

年間指導した問題傾向の あるH男との格闘の記録である。日々の生徒の行動とそれに対する教師の指導 に関連する事実,その考察結果を時系列で克明に記録したものである。なお,

この度,さらに中学校各学年の指導状況を

35・34・33

年後の現在から観た考察 結果を右端に書き加えた(当時の第一人称を「私」,現在の第一人称を「筆者」

とした)。

(3)

 1 H男の

1

年生時

1

年間の行動・指導・考察 月日 H男の行動及び

それに対する指導

関連事項及び考察結果

1978

1979

年当時)

35

34

年後の考察結果

2013

・現在)

1978 4/ 6

○入学式(H男は筆者 のクラス

1

7

組)。最 初の作文に「生徒にや さしい先生でいてくだ さいね」とある。(図

1)

●作文にはまた「クラ スの半分は友だち」と 書き,小学校ではクラ スで人気者であったこ とや勝手な性格ではな かったことが窺える。

◎友人関係を気に掛け,

教師にも優しさを求め ている。学級担任は学 級集団内の居場所づく りに常に配慮する必要 がある。

4/22

○班ノートには「中元

先生の小さいころの体 つき」とアニメ風の似 顔 絵 が 描 か れ て い た。

(図

2

●担任がボクシングを し て い た 話 を す ると,

興味をもち,歓心を買 おうとし,いろいろと関 わろうとしてきた。

◎最初の出会いは良好。

筆者はアニメ描きが得 意だったので,それを 活かしてもっと接近す べきだった。

4/30

○クラス・レクリエー

ションのソフトボール を日曜日に強行したが,

クラス

42

名中H男のみ ボーイスカウトの例会 で不参加であった。

●前日まで不参加を申 し出なかったので,全員 参加と踏んでいた私は 大いに落胆し,翌日H男 に詰問した。彼の立場よ り私個人の立場を優先 していた。

◎筆者は当時,初の学 級担任で功名心に逸っ ていた。朝礼で全校中 最も早く整列すること を始め,担任の統率力 を見せたかったのであ る。

6/ 1

○班ノートに「衣替え

で夏服が決められてい るのはなぜか

」に,き

まりの意味をある程度 丁寧に回答しておいた。

●時々,中学校は決ま りがたくさんあるのが 気に掛かると言うこと があった。厳しい校則 に対して神経質なとこ ろを見せ始めていた。

◎ちょっとした言動に,

すでに規範意識に関し て,大人の作った制度 に対する反抗意識が芽 生えていたと思われる。

9/13

○H男は,A男と二人

で,S男を殴って泣か せたので,放課後強く 説諭した。

●S男は生真面目で静 かな生徒。H男の命令 をすぐ実行しなかった ので殴られたらしい。

◎H男とS男は同小出 身で上下関係が形成さ れていたが,それに気 付かなかった。

(4)

    図

1

H男の入学時の作文

    

2

H男の班ノート

10/2

○H男がC男をいじめ ていると聞き,駆け付 けて事情を聞くと,C 男に悪い点はなかった ので,H男を叱責した。

●C男は内向的で無口。

放課後学活前,廊下で,

理由もなくH男に殴ら れいじめられたらしい。

H男は注意しても効果 が薄い感じだった。

◎H男とC男は,中学 校で同じクラスになっ て か ら の 関 係 で あ る。

一度,H男とゆっくり 話す時間を作る必要が あった。

10/3

○ 美 術 の 授 業 中, H 男が映画のチラシを見 ていたとの連絡ですぐ 駆け付け,チラシを取 り上げて叱責し,頭に ゲンコツの体罰指導を 行った。

●美術の女性教師は生 徒から信頼されていな かった。H男を最初か ら無視し,これ以降も 両者間でトラブルが頻 発した。体罰指導は以 後行うようになった。

◎H男の問題行動―無 視,私語,立ち歩き等

―が力の弱い女性教師 の授業で出始めた。筆 者は大人の教師の方に 責任があると考えてい た。

10/17

○H男は,遠足で,B

男とともに多く違反し,

帰校後体罰(平手打ち)

指導した。

7

組 では,B男(H 男は子分,徐々に立場 が逆転)に問題行動が 多く,頭を痛めていた。

◎ B 男 は 初 め 問 題 が あったが,後半は収ま る。二人には強烈な体 罰指導を行った。

12/13

○H男は帰りの学活(前

半は生徒主体の活動)

2

日間廊下で遊んで いたと聞き,頬に平手 打ちの体罰指導を行っ た。

● 注 意 や 叱 責 を し な がらもH男とのコミュ ニケーションは円滑で あ っ た と 信 じ て い た。

しかし,厳しさに媚び を売っていたのであろ う。

◎筆者が思う程にはH 男との関係は良好では なかっただろう。H男 は徐々に筆者の利己的 な指導に反感を抱いて いたらしい。

(5)

1979 3/19

○H男は作文『 今 年

1

年を振り返って』で各 教師への不満を縷々述 べていた。

「こんな汚い

学 校 は 嫌 い

」「

ひ いき する先生が多くて嫌だ」

「授業はほぼ退屈」等。

●この時点では,

「2

になったら○○先生の クラスは 絶 対に嫌 だ

の「○○

」に,私は絶

対該当しないと信じて いた。しかし,どこか でそうではないのかも,

と不安は消えなかった。

◎ 正 直 に 告 白 す れ ば,

この中学

1

年の

1

年間 は,H男には力で威圧 する体罰教師であった。

時々,理不尽な指導を 行い,全体として感情 的な指導が多かった。

 以上は

1

年生時の記録である。次は

2

年後の卒業時のコメントである。

 H男は,(

1

年生の)

3

学期になってからは,目立った問題行動を起こすこと もなく,平穏な毎日をおくることができた。この

1

年間のH男とのコミュニケー ションは上手く行えていたと信じたい。しかしながら,

2

年生・

3

年生で問題行 動を多発させる禍根を,この

1

年生の生活が残したと考えざるを得ない。それ は体罰指導によって生じた禍根であったのかもしれない。 (

1981. 4

 2 H男の

2

年生時

1

年間の行動・指導・考察 月日 H男の行動及びそれに

対する指導

関連事項及び考察

(1979・1980年当時)

34

33

年後の考察

(2013・現在)

1979 4/ 5

○H男はI教諭(女性)

2

5

組に所属が決 まった。

●私は

2

7

組担任で H男とともに忘れられ ないT男を受け持った。

◎当時はH男より暴力 的なT男の方が厄介な 存在であった。

5/11

○ H 男 は,

5

月 に な る と授業エスケープを繰 り返し,中抜けして帰 宅し,音楽(矢沢永吉)

を聴いて過ごすことを 覚えた。学年会でその 対策について協議した。

●教科(先生)を選ん でエスケープするのであ る。私は驚いたが,まだ H男の変貌を一大事だと は見ていなかった。確実 にH男はルール無視をし 始め,

「成長」していた。

◎筆者は,やはりH男 の担任を外れたことで 楽になったという気持 ちがあった。一方,T 男が新たに台頭し,何 かと私に挑戦的で新た な格闘が始まった。

9/26

○同クラスのD男とこ

の日から

3

日間家出を した。I教諭から知ら され,方々を当たった が,行き先が分からな かった。

●同学年の,アパート で親とは隣の部屋で暮 らす生徒の家に泊まっ ていた。地域柄こうい うたまり場になり易い 部屋が多かった。

◎ H 男 の 問 題 行 動 は,

重度化していた。指導 の不十分さによるもの と,環境条件や悪い人 間関係が原因であった。

(6)

10/18

○H男が上級生男子に 暴力を振るった事件の 処理を巡って,学年会 が開かれた。H男には,

近所に住んで可愛がっ てくれる

3

年生番長M 男がバックにいた。

●H男の暴力が表面化 した初めての大事件で ある。私は,まだこの とき,H男が暴力を振 るったのは「弾み」と しか思っていなかった。

前年から番長M男と私 は険悪な関係であった。

◎筆者は,H男に限ら ず,生徒の問題行動に は理由があると同情す る面があった。日常的 に生徒を軽視した指導 や指導体制の確立して いない点などに不満が あった。

11/9

○H男は,A男・E男 と共に,I教諭から授 業中私語を注意された ことに腹を立て,指導 を受けた際,足を蹴る 対 教 師 暴 力を 行 った。

放課後,学年全教師で

3

人を指導した。①謝罪,

②父母への指導,③自 宅謹慎,④反省文提出,

が決まった。

●H男が教師に手を上 げたと聞き,我が耳を 疑った。夕方 からの

3

人への指導の直前,H 男が屈託なく明るい表 情をしていたので,思 わ ず 手 を 上 げ そ う に なったが,H男と同じだ と気付いて思い止まっ た。やはりもっと教育 相談的な指導が必要で あることを痛感した。

◎この頃は,自分のク ラスのT男への対応に 苦慮していて,他クラ スのH男の問題行動は 守備範囲外のことだと 思うところがあった。他 方で,学年の生活指導 方針に不満があっても,

未だ経験不足で,心情 的な理解中心の発言に 終始していた。

11/10

○生活指導主任がH男

の親に警察・少年セン ターへ相談に行くこと を勧め,H男も渋々了 解した。

●生活指導主任は早く から他機関への協力依 頼 を 提 案 し て い た が,

ここに至って私を含む 学年教師は賛成した。

◎全国的に校内暴力が 吹き荒れ,警察との連 携が叫ばれていた。生 活指導主任は無闇に賛 同していた。

11/21

○学年主任のG教諭が

授業中,H男の態度が 悪いという理由で,体 罰(平手打ち)を加え,

正 座 さ せ て 指 導 し た。

H男は泣きながら帰宅 したという。私はすぐ にその後を追った。

●H男の家族は留守で あった。

「G先生がひど

い」と泣いて訴えてき た。H男はまだまだ弱 い面があった。暫く矢 沢永吉を一緒に聴いて 過ごした。そして,来 年はH男の担任になる ことを決意した。

◎ G 教 諭 は い い 教 員 だ っ た が 興 奮 し や す かった。筆者は心情的 にH男の側に立ち,熱 血教師然とした気分で いた。もちろん,H男

1

年後の変貌する姿 など予想だにしなかっ た。

11/29

○H男は家庭で友人に

シンナー吸引を勧めた らしい。母親に来校し てもらい,生活指導主 任と担任のI教諭が家 庭での監督を強く要請 した。

●H男は到頭シンナー に手を出してしまった。

卒業生や上級生の影響 らしい。シンナー吸引 は様々な指導をしたが,

卒業時まで止めさせる ことができなかった。

◎現在のネットやSN Sの問題と同様,学校 での時間が面白くない 時は,放課後,何か危 ういことに手を出す可 能性が高い。根本的な 問題である。

(7)

1980 2/12

○私と,私が担任する T男が授業中取っ組み 合いの喧嘩をした。グ ラウンドの体育教師が 気 付 い て, 止 め に 来 てくれた。この時,T 男は吐き捨てるように

「おめえはオレもH男も

殴って悪くした」と言っ た。T男にも数回体罰 を行っていた。

●当時の私はT男と危 険な状態を続けていた。

彼らの「対マン」次元 に降りた行為はやむを 得 な か っ た。 し か し,

T男の言葉は衝撃的で あった。H男の教師へ の暴力やシンナーを吸 うようになったのも,1 年生時の私の体罰指導 が原因だという。ショッ キングであった。

◎筆者は,H男に

1

の時に体罰を振るった ことがあるが,平手打 ちは最小限にし,主と してゲンコツであった。

平手打ちの方が心理的 な ダ メー ジ は 大 き い。

T男の言葉を聞き,こ れ以降,体罰指導につ いては慎重になったこ とは確かである。

 以上は

2

年生時の記録である。次は卒業時のコメントである。

 この年度も,H男は,

3

学期を平穏に過ごした。しかし,

3

月に入って次年度 の担任が誰になるかという話題がよく取り上げられる頃,私が廊下ですれ違っ たH男に,

「来年は私のクラスだな」とある期待を込めて言った時,暗い表情で,

「先生のクラスにだけはなりたくないよ」と答えてきたことは,小さな不安を生

じさせるものであった。H男は,もはや私と気持ちが通じ合った「簡単にいく」

生徒ではなくなっていたのである。 (

1981. 4

 3 H男の

3

年生時

1

年間の行動・指導・考察 月日 H男の行動及び

それに対する指導

関連事項及び考察

1980

1981

年当時)

33

32

年後の考察

2013

・現在)

1980 4/ 5

○私は常に

1

年生時か ら学年

7

クラスのしん がり役の

7

組の担任で あった。H男の卒業の 年は,

3

7

組というク ラスで私が担任となっ た。

●前年度

11

月に決意し たことを実行した。誰 もが敬遠する生徒を積 極的に選んだのである。

学年教師たちも,私が H男の担任になること を当然と考えていた。

◎この頃の筆者は,こ の大規模校の生活指導 を 一 番 背 負 っ て い た。

先輩教員たちも,生徒 の激しい反抗に初めて 遭い,現実に苦悩して いた。

(8)

4/ 7

○H男は,

3年7

組になっ た こ と を 知 っ て 怒 り,

壁を蹴っていた。夕方,

春休みに赤く染めてい た髪をパーマ屋さんに 同行して問答無用で黒 く染め直させた。とこ ろがその後に大変な事 態になった。

●H男の怒る姿を職員 室 の 窓 か ら 見 て い て,

この

1

年間は大変な年 になると緊張した。H 男は春休み中は自堕落 な 生 活 を 送 っ て い た。

無理矢理髪を染め直さ せ,まずは上手くいっ たとH男と分かれて学 校へ帰った直後,H男

◎生まれて初めて,強 烈な脅しによって恐怖 感を覚えた。全く怯ま なかったと言えば嘘に なる。H男の指導は卒 業生たちへの対応でも あったが,筆者も学校 も体制的な取り組みの 発想は微塵もなかった。

がニヤニヤしながら

「先生,S君(前年度M男に続くNO . 2

副番長,無職者)が外で呼んでるよ」と職員室へ私を呼び に来た。不吉な予感が走ったが,何食わぬ顔をして外へ出 てみると,Sと,見知らぬ人相の悪い男が立っていた。そ して,脅す言い方で「H男を可愛がってくれるじゃないか」

とすごんできた。H男が髪を染め直した後,泣きついたの だ。彼らは私の胸倉をつかみ,汚い罵声を浴びせかけてき た。臆する気持ちはあったが,

「悪いことをしなければ叱

ることはしない」と精一杯伝えた。しかし,この現実に大 きなショックを受けた。H男が信頼しているのは,久しぶ りに担任になった私ではなく彼らなのだ。H男は,これま で把握していた情報よりもさらに悪い先輩に大きく影響さ れていた。これからの

1

年間はそれらも含めて孤独の闘い の日々になるだろうと身震いがした。

4/10

○遅刻して来たH男を

単に逃げさせないよう にするため,他クラス の私の授業に同行・出 席させた。

●所属の

7

組生徒と切 り離し,担任

1

人の力 によってのみ指導して いこうとするムリ,過ち の始まりであった。

◎意味のない指導であ る。近くに置いて逃が さないという筆者の独 善的,場当たり的な発 想であった。

4/22

2

度目の 無 断 欠 席・

外泊。この朝,シンナー の 臭 い をさ せ て 帰 宅。

母親の電話で駆け付け 指導した。シンナー酩 酊状態は初めて見た。

●卒業生

N

男の所で過 ごしたらしい。H男は ぐでんぐでんであった。

夕方

N

男の住まいを聞 き,注意しに行ったが 留守であった。シンナー には悩まされ続けた。

◎地域には若年無職者 が溢れ,中卒後,何も しないでブラブラして いる者(プー太郎)が 多かった。そういう地 域が存在するのである。

(9)

4/23

○この日の朝から,私 は学校の自転車に乗り,

学校から

15

分のH男宅 へ,毎朝H男を起こし て学校へ来させようと 通った。夏休みや特別 な日を除いて

10/9

まで 続けた。誰の了解も得 てはいなかった。

●H男の夜遊び,外泊,

遅刻を止めさせるには朝 駆けしかないと思い,職 員朝打ち合わせが始まる 前に行った。H男は

1

期中は不承不承起きて登 校し,母親も喜んでくれ た。しかし,徐々にH男 は反抗的になってきた。

◎とにかく思い立った ら動いた。周りのこと を考えず,効果のみを 考えて行動した。校内 の誰にも趣旨を話さず,

毎 朝 自 転 車 に 乗 っ て 通ったが,H男本人の 気持ちは全く考慮して いなかった。

5/16

○私は前年担任したT

男(この年は他クラス 所 属,

2

年 生 時 に 私 と 教室で取っ組み合いを した生徒)と屋上で決 闘。2人とも眼帯をする 怪我をした。確執がずっ と続いていて「因縁の 対決」であった。校長,

PT A 会 長 が 奔 走 し,

収拾してくれた。

●教師としてあるまじき 行為である。生徒を呼び 出して対マン。ここまで に指導の不手際はあるが,

この場に至っての自らの 行動は止めようがなかっ た。H男はこのことをど う見ていたか。眼帯姿の 私に,

「その怪我が可哀想

だから,暫く真面目にし てやるよ」と言った。

◎ 筆 者 は, 大 学 時 代,

体育会ボクシング部の キャプテンで,腕には 覚えがあった。人に手 を上げることには人一 倍慎重でなければなら ないのに,全くその自 覚がなかった。十分配 慮したといっても,相 手には後に多くの蟠り が残ったに違いない。

5/21

○学年会で,翌週の修

学旅行にH男だけ不参 加にすれば,他の追随 する違反者は出ないと の結論に至った。放課 後,校長・教頭が同席し,

H男の母親に,修学旅 行に参加させられない 旨を伝えると,申し出 るつもりであったと言 われた。

●H男の存在はそれほど 大きなものになっていた。

修学旅行をぶち壊す恐れ がある男と見られたH男 は,私にはそう見えない にしても,多くの人に迷 惑を掛けそうな不安は拭 えなかった。H男のこと は私に任せて欲しいと自 信をもって言えなかった 自分が情けなかった。

◎後年,校長の時,学 年主任から「○○君は 修学旅行に参加させら れません」と言われた 時,

「担任や学年が最大

限の努力を払い,前日 に私から本人に直接釘 を刺し,その後は信じ て連れて行こう」と伝 え,無事修学旅行を終 えたことがある。

5/24

○修学旅行出発日,東

京駅の集合場所で,仲 間のF男が「H男は二 度と先生とは口をきか ないと言ってたよ」「な ぜH男を連れて行かな かったのか,先生がしっ かり言 ってくれ れ ば

と不満を述べた。

●これらの言葉は正にそ の通りだ。私はH男の担 任たり得ていない。H男と 距離を置いている他の教 師と同じことをしてしまっ た。修学旅行に行けない H男を哀れに思い,また 同時に,旅行後の硬化す るH男の姿を想像した。

◎H男の仲間は,H男 が可哀想だと言い,担 任の不甲斐なさを追及 する言葉や視線を送っ てきた。H男の心は冷 え,担任不信に陥るこ と は 目 に 見 え て い た。

旅行中も何の指示もせ ず放任のままであった。

(10)

5/30

○生活指導主任と

2

で,P警察少年センター を訪問し,H男の担当 者の人に,現状報告と 今後の指導を打ち合わ せた。

●H男は週

1

回その少 年センターに通ってい たが,今は休みがちで 母親も最初の期待が薄 れ,あまりH男に積極 的に勧めていなかった。

◎当時の外部機関は全 く頼りにならなかった。

その理由は,中学生レ ベルの問題行動を軽視 していたからである。

以下は,生活指導主任が担当者に提出したメモの概要である。

<H男の現状について>

1

 遅刻常習……学校に顔を

1

1

度出せば卒業できると 先輩の入れ知恵を信じ込んでいる

2

 無断外出・早退……どの時間にも仲間を誘って傍若無 人に行動している

3 在校中の様子

(1)服装 ・ 髪型が悪い……赤染,パーマ,暴走族の腕章 等で目立っている

(2)落書き行為……到る所に黒スプレー缶で暴走族関係 のものを書く,消す作業には一切耳を貸さない

(3)授業中と休み時間の区別なし……エスケープ平然,

一部教師を威嚇,罵声や卑猥な言葉で叫ぶ

(4)一般生徒へのいじめ・威嚇を平気で行う

(5)教師の注意を一切無視……担任の言うことは大体聞 くが 他の教師には耳を貸さない

4 暴走族や右翼に染まっている……卒業生の多くが加入 5 教育相談よりも力の指導が必要である

6/15

○H男は,使い走りの

子分にしていた

2

人の 生徒にリンチを加えた。

それが放課後になって 大分時間が経ってから 判明した。その日も夜 遅くまで探したが,行 方が知れず,翌日の指 導になった。

●H男は日増しに凶暴 になっていった。この頃 の私は体罰を振るうこ とはしていなかった。そ の理由は,

5/16

のT男 との対マン事件の反省,

そして,H男への

1

生時の体罰指導が現在 の状態にしたと自己批 判していたからである。

◎体罰指導を行った当 事者として,体罰事件 に関して言えることは,

体罰は自らが力関係で 優位に立っている時に は居丈高に行使するが,

一旦臆したときには急 に行使しなくなるとい うものである。

(11)

6/21

○H男によれば,数日 前,P警察署に来るよ うに 家 に 連 絡 が あ り,

この日放課後,警察署 へ行ってきた後,生活 指導主任のところへ訴 えてきた。暴走族に関 係しているということ で詰問され,何回かひ どい体罰を受けたとい うことであった。

●Q刑事に①親の言う ことを聞く,②先生の言 うことを聞く,③パーマ を取る,④暴走族の集 会に行かない,の

4

の約束をさせられ,厳 しい体罰指導を受けた ようである。学校は一 切知らないと告げたが,

不信感は残った。他の 教師はクスリになるだ ろうと話していた。

◎繰り返すが,当時は,

現在のように子どもの 人権は全くと言ってい いほど保障されていな かった。警察署の生活 安全課少年係が少年の 犯罪や虞犯行為を取り 締まっていたが,力で 抑える方針で,社会も 学校も了解していると ころがあった。

7/ 1

○H男は,

6/28-7/2

5

日間家出をした。行き 先は分からず,連日探 し回ったが,見つけら れなかった(区外の先 輩の家にいたという)。

母親が警察署に捜索願 いを出しに行くと取り 合ってくれなかったら しい。未だ帰らないH 男宅を訪問し,深夜ま で両親と腹を割って話 し合った。

7/1

の 夕 方,H 男 宅 を訪ねると父親がいた。

仕事を早めに切り上げ てきたらしい。間もな く母親も帰宅し,進め られるままに夕食とそ の後のお酒もご馳走に なった。両親は,H男 が小さい頃は優しかっ たことや今の苦しい気 持ちなどを語った。深 深と頭を下げ,

「あの子

を見捨てないでくださ い」と頼んできた。

◎生徒の問題行動は背 景が複雑である。しか し,H男の場合は,父 親が少し高圧的な人で はあったが決して体罰 を振るうことなく,愛情 深い家庭であった。や はり地域的環境による 悪影響が大きな原因で あったと考えられるが,

H男の寂しさは一体ど こから来ていたのだろ うか。

7/10

○連日H男を中心とす

るグループの器物損壊,

授業エスケープ,警報 器悪戯などへの指導に 明け暮れた。生徒間暴 力(リンチ)も多かった。

(図 3 )

●H男は校則に公然と 違反した。彼への有効 策は何もなかった。朝 も迎えに行くと,もぬ けの殻だった。しかし,

10/22

までは私との対立

を避け,面と向かって の反抗はなかった。

◎H男は学校全体と筆 者への不信感を募らせ,

話しかけても無視して 逃げていた。筆者には 反抗して来ないといい ながら,筆者の方が徐々 に腰が引け始めていた。

(12)

3

 

3

年・

1

学期末の校内の様子(同学年の生徒作文)

9/ 1

○夏休み明け,朝H男を

迎えに行くと,布団の中 から体調が悪いので休む とだるそうに言った。髪 型や表情は益々暴走族風 になり,より近寄り難く なっていた。

●母親によると,H男は 夏休み中に目立った悪 い行動をしなかったとい う。父親の現場へ手伝い に行ったが,

3

日坊主だっ た。親 への反 抗も徐々 に強くなっている様子で あった。

◎長期休業中の問題生徒 の生活に目立った問題行 動は少なかった。弱いと いっても家庭の教育力の お蔭である。家庭との連 携を普段からもっと図る 必要があった。

9/16

○シンナーで酔っている

状態で登校。強引に小さ な一室へ連れて行って指 導したが,久しぶりの強 い指導であった。なお,

夏休み前から家庭裁判所 の調査官が

1

名付けられ ていて,H男に自制が見 られはしたが,シンナー 吸引はこの頃ひどい状態 であった。

●他の教師に殴りかかる 真似をしたり,足を蹴る などをしていた。私は久 しぶりの剣幕で,

「対マ

ン張りたきゃ張ろう」と 言うと,臆したように

「ボ

クサーと素手でやったら 負けるから殴り合うこと なんかしねえ。シンナー はもう吸わない」と言っ た。この私の迫力が卒業 期は萎えていた。

◎H男はシンナーでろれ つが回らない状態であっ た。筆者以外の先生には 威嚇行為を平然と行って いた。筆者が少しはH男 を抑制できた理由は,信 頼感よりも,1年生時の 体罰による恐怖心だった のだろう。案の定,卒業 期まで威圧感は持続させ られなかった。

(13)

9/27

○Y教諭提案で,H男ら の要望を取り入れ,H男 中心の

5

名に特別教室で 別カリキュラムの授業を 行うことになった。

●これも長続きしなかっ た。教師たちを手玉に取 ろうとする魂胆から出さ れた要望であった。教師 たちはぶつかることを避 けていた。

◎酷く荒れた学校の典型 例である。生徒への懐柔 策だが,この状況下では 肌触りの良いカウンセリ ング的手法は失敗する。

10/3

○前日,H男のシンナー 吸引がまたも発覚したの で,朝迎えに行ったとき,

母親とH男に対して,家 裁調査官に連絡し,指導 をお願いすることを宣告 した。数日後,H男は家 裁の指導を受け,もう

1

回やると鑑別所送致する と脅された。

●私は生活指導主任と 違って,警察力に頼らず,

学校で何とかギリギリま で指導すべきと考えてき た。しかし,ことシンナー に関しては専門機関に依 頼すべきであると判断し た。家裁の脅しを受けて H男の心は益々冷え,私 はチクり屋(密告者)に なった。

◎筆者とH男の関係は 益々悪い方向に進んだ。

H男の問題行動と筆者の 対応・指導の悪循環が 関係悪化を増幅した。初 期の頃は,問題が起きれ ば,その解決過程を通し てコミュニケーションが 深まったが,この時期は 反比例の関係であった。

10/9

○家裁で指導を受けた後 のH男は,遅刻もせず授 業にも出るようになった ので,半年間続けた自転 車による朝の迎えをこの 日で最後にした。

●H男から母親が「迎え は近所に恥ずかしい」と 言っていたと聞き,止め ることにした。半年間意 地で通い,5/16のT男と の喧嘩の後の眼帯の片目 でも通った。

◎ねらいは「逃げない」

姿勢を示すこと,

「おま

えを第一に考えている」

「何か起こすならオレを

気にしろ」「おまえには 音を上げない」だった。

10/17

3

7

4

校時,私の 社会科の授業を学級指 導に振り替えて「現在の 学校生活」をテーマに

1

時間話した。H男は始め は冷やかし気味であった が,やがて静かに聴いて いた。

●「このクラスにもいる が,校則違反をする生徒 がいたら,一般の生徒は それを見て見ぬ振りをし ないこと。先生たちと一 緒にこの学校を善くして いこう。先生たちも頑張 るから,君たちも……」

(趣旨)

◎この言い方では,明ら かに教師の弱い指導体制 をカバーする生徒へのヘ ルプ要請という構図にな る。荒れの原因は学校・

教師不信である。学校率 先の姿勢をより強く示す べきである。

(14)

10/22

○この日は特記すべき日 である。H男が 私に初 めて牙を剝いて向かって きた。昼前に遅刻してき たH男を厳しく叱責する と,いつになく反抗的で あった。私がH男の胸倉 をつかむとH男は身をか わそうとして,その弾み で長らん(学生服)のボ タンがちぎれて飛んだ。

少し揉み合い,H男は

「殴

りたいなら殴れよ」と言 い,暫くすると悔しそう に教室へ入って行った。

私も遅れた授業へと急 ぎ,暫く授業をしている と,廊下からエスケープ 常習のE男が「先生,H 男が金工室裏で呼んでる よ」と言って来た。異常 な空気を感じたが,平然 と金工室裏へ向かった。

そこには,H男が逆上し て涙をボロボロ流しなが ら,角材と先割れのコー ラ瓶を片方ずつの手に 持って待っていた。

●私は,もう逃げられな い,お互いに大怪我をす ることは避けられないと 観念した。立場や他への 影響の考慮など一切しな かった。すべての思考や 感覚などが狂った状態で あった。

 もしE男の連絡でA教 諭が駆け付けてくれな か ったら,あ の

5/16

T男との喧嘩以上に今度 こそ大事に至っていたで あろう。E男とA教諭に 助けられた。

 暫くすると,H男も私 も落ち着いて話ができ た。しかし,忌むべきは 次の私の説諭であった。

「おまえは今一番危ない

立場にいるんだぞ。もし 鑑別所に送られたらどう するんだ」。今,思い返 すと教師失格である。こ の頃,学年会ではH男を 庇うのは私だけであった が,もはや建前的になっ て本心からではないこ とを後ろめたく感じてい た。この事件で,私の指 導の不手際で,又もH男 の悪さを目立たせる結果 になった。

◎正に教師失格である。

よくもその後教師を続 け,教育委 員会や学校 における指導的立場に 立ち,さらに現在の大学 における仕事をのうのう と引き受けられたもので ある。三十数年前を振り 返って,自らを改めて深 く恥じ入っている。これ では裏社会の世界の行動 と同じである。ただある のは,

「男の意地」なる

思いだけで,教師の自覚 などまるでない。敢えて 粉飾して言えば,必死に なって自分の生き方をと ことん追求してきたとい うところか。しかし,そ れは相手が判断力の付く 大人ならいざ知らず,年 端も行かない中学生に対 しては笑止千万である。

しかも,警察力や施設送 りの他力を頼みの綱にし た卑怯なやり方を伴い,

生徒指導上の困難な状況 を自らが招いていたとし か思えない。

11/6

○文化祭の前日,私はH 男のグループに,約束事 も決めてプラモデル展示 を許可した。彼らは喜び,

7

組の出品作づくりも手 伝ったりした。

●暴走族のスポーツカー プラモデル

20

台。過度 に逸脱した装飾もなく,

彼らに場を与えるべきだ とつくづく感じた。後始 末では又も騒動を起こし たが……。

◎この対応は葛藤が伴 う。問題グループへの迎 合か,又は彼らにも愛情 をかけた扱いが必要か。

常に前者をしないように 気にすることで,後者が 弱かった。

(15)

11/14

7

組の社 会 科 授 業の 後,そのまま給食準備の ため教室にいると,他ク ラスの

3

組でH男が給食 を食べていると聞き,急 いで駆け付けて叱責する と,給食の皿を床にぶち まけて出て行った。その 後片付けを終えて

7

組の 教室へ戻って教卓の上を 見て驚いたことに,H男 が 先に

7

組の 教 室に戻 り,教卓の上にあった私 の大切な社会科教材研究 の大学ノートを真っ二つ に引き裂いて出て行った という。

●これには私は激怒し た。しばらく経ってH男 の家に電話をするといた ので,

「謝罪しに来い!」

と言うと,

「知らねえよ。

誰が見たか名前を言え よ。そ い つはただじゃ 置かねえよ」とうそぶい た。H男の取り巻き連中 は,

7

組の教室へ来て「大 変だあ」と茶化しに来た ので,

「うるせえ!H男

に謝りに来いと必ず言え よ!」と激しく言うと,

みんな恐れをなして逃げ た。H男以外は,まだま だその程度だった。これ が数か月間で一気に急成 長するのである。

◎この事件は衝撃的で あった。社会科の授業指 導を第一に考えて努力し てきた新卒以来

4

年目の この時,生徒の意識・心 理や生徒指導の在り方等 の勉強に開眼させられた 出来事といっていい。学 習指導重視の教職生活 が,生徒指導重視にシフ トし,暫くして,学習指 導と生徒指導の相即不離 の関係を可能にする問題 解決学習の存在に気付 き,長くその実践研究を 続けた。H男がそれに気 付かせてくれた。

11/18

○校舎の

2

階から道路へ

とコーラ瓶が投げつけら れた。翌日全校集会が開 かれ,生活指導主任から 全校生徒に連絡され,注 意がなされた。

●グループ内の誰かの仕 業だが全校生徒に伝えら れた。この頃,壁紙を燃 やす,リンチ,教室やト イレの扉破壊,2階のひ さしを歩く等,手が付け られなかった。

3

年だけの問題とする のではなく,もっと学校 全体にオープンにする必 要があった。筆者の独断 的な自力解決主義も大き な間違いであった。

11/19

○午後体育館で学年集

会が開かれる前,彼らは 運動場で野球をし,到頭

1

時間なかへ入らなかっ た。学年教師は誰も私を ヘルプせず,体育館へと 急ぐだけだった。孤独感 を覚えた。

10

人いた学年教師の 誰もが「先 生にお任せ します」と先を急いでそ の場を後にした。私はヒ ロイズムに酔い,意地に なって彼らと

1

時間以上 対峙した。見逃がせば次 はしなかったかもしれな いが。

◎自転車で毎朝起こしに 通った行為も教師たちに

「先生にしかできない」

と呆れられ ていた。筆 者は何でも自力で済ませ た。やはりもっとチーム ワークを大切にすべきで あった。

(16)

11/20

3

3

組の私の社会科 の授業に対して,H男を 中心とする数人から最大 の授業妨害を受けた。私 が本気で叱りつけると逃 げて行った。

●授業妨害の彼らを怒鳴 るとまだ言うことを聞く ギリギリの頃であった。

悔しがっていると,H男 と仲のいいT子 が「 生頑張って」と同情して 言って来た。

◎一般生徒には,教師の 逃げの姿勢が歯がゆかっ ただろう。進路決定期の 大切な学校生活を翻弄さ れるのは真っ平御免だっ たはずだ。

11/28

○他学年のB教諭から,

グループ内のJ男と揉み 合いになった,と暫くし て学年主任ではなく私に 指導を要請してきた。か つてグループのメンバー からB教諭の何でも決 め付ける姿勢のことを聞 いていたので,B教諭と 少々口論となった。翌日 の朝の打ち合わせで,校 長から生徒指導のことで 教員同士が感情的になら ないようにとやんわりと 注意を受けた。

●この頃の校内体制は

「今の問題グループを育

ててきた第

3

学年教師だ けで解決すべきだ」の考 えに満ちていた。これが

3

学期になると何とか全 校体制で取り組むように なるが,もはや遅かった。

この日,私がB教諭(先 輩教員)に直言したこと は「よく知らない子ども を平気でバカ呼ばわりす るのは止めてください」

であった。しかし結局は,

助力を断り,自分だけで 解決しようとする偏狭さ があった。

◎B教諭は堅物で厳しさ を前面に出す教師。本校 に転勤してきたばかり。

何 かと

3

年 教 師に 批 判 的であった。問題グルー プの生徒に対しても冷や やかで歩み寄ろうとしな かった。筆者は,先輩を 先輩とも思わない不遜な 態度であったが,その不 満は何も有効なアドバイ スをくれない先輩教員へ の不満でもあった。その 結果,独善的な考え方を 押し通そうとした。

12/1

3

7

6

校時社会科 を説教に振り替えた。H 男は又も最後まで静かに 聴いていた。この後の学 年会では,

「彼らを無視

しないでしつこくやりま しょう」と改めて強く提 案した。

●H男はどのような気持 ちで聴いていたのか。同 じクラスの女子が「H男 君は先生のお説教を聴き たいのではないかしら」

と言ったとき,そうかも しれないと思った。学年 会では粘り強さが必要と 考えた。

◎この時期でも未だH男 への説教は有効であっ た。もはや学校内でH男 に話ができるのは自分し かいないと考えていた。

これもあと

3

か月でこと ごとく打ち砕かれるので ある。

12/11

○H男首謀の恐喝事件が

発覚し,学年会で警察に 被害者から被害届を出さ せることを決定した。こ の恐喝事件は,以前から 校内で花札遊びを黙認し ていたことが発端であっ た。

●警察の力を借りるのは 釈然としなかったが,あ まりに悪質で生活指導主 任の提案を飲むしかな かった。校内で花札を認 めてきたことは教師の迎 合でしかない。被害生徒 の安全を守ることに腐心 した。

◎弁護のしようのない失 態である。

「教師は自信

をなくしたとき,やがて その他の指導すべき問題 も見て見ぬ振りをしてし まう」これは大津いじめ 自殺事件でも見られたこ とである。

(17)

12/17

○H男の母親との面談 で,全くわだかまりのな い話し合いができた。心 から信頼してくれてい る。

●母親は口達者な人で あったが,投げ 出さず にずーっと協力してくれ た。しかし,この関係も

2

月には決裂する。

◎母親には感謝に堪えな い。常に筆者に有り難い と言ってくれた。もっと 適切にリードすべきだっ た。

1981 1/12

○H男は登校しなかった が,グループの他の生徒 たちが,廊下の消火 栓 の水を放出させ,廊下が プールのように水浸しに なった。

3

年教師はちり 取りとほうきで流しに掻 い出すのに大わらわ。数 日間廊下の水浸しが続い た。

●教師だけが作業をして いる。生徒は言われるま で誰も手伝おうとしない。

手伝えばやられるかもし れない。教師より彼らの 方が恐い。ズボンの裾を びしょびしょに濡らした 教師の姿は不様であった。

怒りを忘れたかのように 黙々と後片付けをした。

◎教師は実に情けない姿 であった。交代で廊下を 徹底的に見張れば済むこ とだが,その結果,怒号 が飛び交ったり揉み合っ たりして彼らと対立する 事態を恐れた。学校が荒 れると,

「掃除人」に変

身する教師が多くなるの である。

1/16

○いよいよ他学年の教員

も援助してくれることに なった。各学年から空き 時間の教員

1

名ずつ

3

の階をパトロールするこ とに決まった。もはや手 遅れだが,今よりは酷く ならないようにと,校内 パトロールについて決定 した。(図

4

●私は,個々人の助力を 求める気持ちにはなれな かったが,全校体制とし ての取り組みは必要だと 主張していた。初めは他 学年の教師は不承不承 だったが,やがて今の

3

年の状態は全校で取り組 むことだと認識し始めた。

学校の荒れはいろいろな 理由があるはずである。

◎この学校は,町工場の 多い雑然とした地域環境 に囲まれ,親の学校への 関心は低い。学校は,大 規模校ゆえに学年セクト 発想が強く,協働姿勢が 弱く,研修意欲が低く,

私も含めて体罰指導が横 行し,適切な生徒指導が 行われていなかった。

1/17

○H男が私の目の前で

煙草を吸って挑発して きた。 私はそれをひっ たくって止めさせたが,

「殴ってみろよ」と言わ

れても殴れなかった。

● 悔しかった。あの時 殴っておけば良かったと 後悔している。しかし,

その勇気がなかった。そ の時,H男は確実に私を 軽蔑する表情を見せた。

◎教師の面前で喫煙す る挑発行為は最高位の問 題行動だ。H男に肉迫す るには,誤った論理でも 体罰を振るうことが必要 だったのではないか。

図 3   3 年・ 1 学期末の校内の様子(同学年の生徒作文)  9/ 1 ○夏休み明け,朝H男を 迎えに行くと,布団の中 から体調が悪いので休む とだるそうに言った。髪 型や表情は益々暴走族風 になり,より近寄り難く なっていた。 ●母親によると,H男は夏休み中に目立った悪い行動をしなかったという。父親の現場へ手伝いに行ったが,3日坊主だった。親 への反 抗も徐々に強くなっている様子で あった。 ◎長期休業中の問題生徒の生活に目立った問題行動は少なかった。弱いといっても家庭の教育力のお蔭である。家庭との
図 4   3 年・ 3 学期の筆者の授業記録簿(週案)の写し 注)……[ 右上の合計欄]当時は通常 45 分授業で, 1981 年 1 月 12 日~ 17 日の週 6 日 4 クラ ス全体の授業時間計 720 分のうち,エスケープ生徒を追い回して約 3 割の 200 分し か実質的な授業ができなかったことを表す。各授業の自身による評価結果は,○( 1 時限),△( 4 時限)×( 11 時限)という惨憺たるものであった。合戦マークは「対 立があった」ことを示す。

参照

関連したドキュメント

適応指導教室を併設し、様々な要因で学校に登校でき

一貫教育ならではの ビッグブラ ザーシステム 。大学生が学生 コーチとして高等部や中学部の

小学校学習指導要領総則第1の3において、「学校における体育・健康に関する指導は、児

 学部生の頃、教育実習で当時東京で唯一手話を幼児期から用いていたろう学校に配

  支払の完了していない株式についての配当はその買手にとって非課税とされるべ きである。

 学部生の頃、教育実習で当時東京で唯一手話を幼児期から用いていたろう学校に配

を育成することを使命としており、その実現に向けて、すべての学生が卒業時に学部の区別なく共通に

を育成することを使命としており、その実現に向けて、すべての学生が卒業時に学部の区別なく共通に