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研究動向

エヴリヤ・チェレビをめぐる近年の研究動向 2011年 「エヴリヤ・チェレビ年」 および

旅行記 の情報源研究を中心に

森 天 眞 は じ め に

エヴリヤ・チェレビ (16111685?) は17世紀初頭, オスマン朝の首都イ スタンブルに生まれ, 高官に仕える側近として活動する中で当時のオスマ ン朝の支配領域および周辺の多くの地域を旅した人物である。 晩年, 彼は 70年にわたる生涯を通じた旅の記録を集成し, オスマン・トルコ語の散文 による大著 旅行記 を著した(1)

オスマン朝においては一般に旅行記文学があまり発達せず, 特に散文の ものは19世紀に至るまで限られた数しか生み出されなかった(2)。 そうした 中で全10巻, 後述するヤプ・クレディ出版の校訂本で約3600ページにおよ ぶ膨大な分量を誇る 旅行記 は異彩を放つ存在である。 同書は地理, 歴 史, 言語, 文化, 芸術, フォークロア, 建築など広範な領域にまたがる情 報を収め, 17世紀のオスマン社会を知る上で不可欠の史料として名高い。

エヴリヤ・チェレビの死後, 旅行記 は長年無名の存在であったが, 1814年, 東洋学者フォン・ハンマー=プルクシュタールによる紹介を経て 広く知られるようになる。 しかし 旅行記 は当初, 同書の含む無数の誇 張や虚偽, 史実との齟齬, アジャーイブと呼ばれる超自然的な怪異 譚ばかりに注目が集まり, その史料価値は過少に評価される結果となっ (3)。 1896年にアフメト・ジェヴデトの手で 旅行記 の最初の6巻がア ラビア文字による校訂本として出版されたことを機に(4), 限定的ながら歴 史史料としての再評価が進み始めたものの, 近年に至るまでその評価は決 して高いものではなかった(5)

しかし21世紀のいま, エヴリヤ・チェレビと 旅行記 には新たな再評

(2)

価の波が訪れている。 契機となったのは第一に, 1996年から2007年にかけ てヤプ・クレディ出版からラテン文字転写による校訂本(6)が出版されたこ とで, 誤りの多いジェヴデト版の代わりを求める積年の要望がようやく応 えられたことにあろう。 第二には2001年以降, たびたび学術シンポジウム が開催されたことにより, 多様な分野の研究者に議論に参加する機会が開 かれたことが挙げられる。 特にエヴリヤ・チェレビの生誕400周年にあたり, ユネスコにより 「エヴリヤ・チェレビ年」 と宣言された2011年にはトルコ 国内で数多くの関連イベントが開催され, 学術研究上の活況がさらに後押 しされた。

近年のエヴリヤ・チェレビ研究がもたらした成果は, 第一に作品構造の 解明が進むにつれて 旅行記 の歴史史料としての価値が再確認されたこ とである。 第二には, 旅行記 の史料価値のみを問題としてきた従来の研 究では見落とされてきた, 同書の優れた文芸作品としての側面に注目が当 たり始めたことが挙げられる。 エヴリヤ・チェレビはネディーム, あるいはムサーヒブと呼ばれる, 高官に話し相手として仕える側 近として活躍した人物であり, 旅行記 の虚構的記述に関してもその職務 により磨かれた優れた創造性の産物として肯定的に評価する見方が現れ始 めている。

本稿の主目的は, エヴリヤ・チェレビに関する近年の研究動向を紹介し つつ, 2011年を画期とした 旅行記 の学問的な評価の変動を捉えること にある。 第1章ではまず, 2011年に主にトルコ国内で行われた諸活動およ び, 近年の主な関連出版物を概観する。 続く第2章および第3章では, エ ヴリヤ・チェレビが 旅行記 の執筆にあたり参照した情報源に関する, 共に2012年に出版された2冊の論集を取り上げる。 旅行記 の情報源につ いての研究は近年のエヴリヤ・チェレビ研究全体における方向性がよく現 れている分野である。 これらの3章を通じて, 近年の研究の活況と, その 結果としてエヴリヤ・チェレビへの理解がどのように変容したかを検討し ていく。

第1章 エヴリヤ・チェレビ生誕400周年をめぐる動向 1. 近年開催された主な関連イベント

(3)

2011年のエヴリヤ・チェレビ年には, トルコではブームといってもよい ほど, エヴリヤ・チェレビに関する催し物が行われた。 まず本節では前後 の年も含めつつ, その様子を紹介しよう。 多くの催し物は報告書の刊行に つながっており, 学術的な意味でもエヴリヤ研究の興隆に結び付いた。

特に多数のイベントを行ったのはユヌス・エムレ財団所属の研究機関で あるユヌス・エムレ・インスティテュート, 文化観光省, バフチェシェヒ ル大学文明研究センター () である。 ユヌス・エムレ・インスティ テュートはトルコ言語協会などと協力しつつ展示会やトルコ古典音楽コン サートなどを開催し(7), 文化観光省は 「エヴリヤ・チェレビの世界」 と題 した地図を製作し, これをトルコ全81県で巡回展示する企画を行った(8)

の活動は学術研究上, 特に重要といえる。 は2011年に 合わせ, 文化観光省やトルコ広報ファンド総事務局などの組織と協力しつ つ, 「文明の放浪者エヴリヤ・チェレビ」 と名づけられたプロジェクトのも と様々な企画を主催した。 「エヴリヤ・チェレビのイスタンブル」 (イスタ ンブル会場), 「エヴリヤ・チェレビのアナトリア」 (アンカラ会場) などの イベントが行われた他, トルコ国外でもパリ, ボスニア・ヘルツェゴヴィ ナ, マケドニアで会議等が開催された(9)。 2012年末にはこうした活動の総 決算として, エヴリヤ・チェレビの伝記および多数の論文を収録した大型 エヴリヤ・チェレビ・アトラス (10)により出版された。 同 書は翌2013年, エヴリヤ・チェレビの世界 (11), エヴリヤ・チェレビの 諸都市 (12), エヴリヤ・チェレビの足跡を追って (13)の3分冊としても刊 行されている。

この他, 近年開催された重要な学術的会議, シンポジウムには, 以下の ものがある。

・2001年11月89日 「国際エヴリヤ・チェレビ・シンポジウム」 北キプロ ス, ガーズィーマウサ, ドウ・アクデニズ大学。 報告書: エヴリヤ・チェ レビと旅行記 (14)

・2008年4月35日 「国際エヴリヤ・チェレビと 旅行記 世紀の非 凡なる著者と著作のシンポジウム」 アンカラ, ビルケント大学。 論集:

世紀の非凡なる著者エヴリヤ・チェレビ(15)

・2010年6月1718日 「エヴリヤ・チェレビ 旅行記 の文字情報源」 ユル

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ドゥズ工科大学。 論集: エヴリヤ・チェレビ 旅行記 の文字情報源(16)

・2011年3月2326日 「生誕400周年国際エヴリヤ・チェレビ・シンポジウ ム」 キュタヒヤ。 報告書: 生誕400周年国際エヴリヤ・チェレビ・シン ポジウム報告 (17)

・2011年4月2526日 「エヴリヤ・チェレビの口承情報源国際シンポジウム」

アンカラ, ガーズィー大学。 論集: エヴリヤ・チェレビの口承情報 (18)

・2011年9月2630日 「エヴリヤ・チェレビの足跡を追って」 イスタンブル, ブルサ, キュタヒヤ (第79回言語祭 の一環)。

この他, ユニークな企画の一例として触れておきたいのが 「エヴリヤ・

チェレビの道」 という徒歩・乗馬旅行者向け観光ルートである。 これはエ ヴリヤ・チェレビが1671年にメッカ巡礼に旅立った際のルートのうち, イ スタンブルからアナトリア西部スィマヴまでの道であり, 2011年に文化観 光省により公式に 「文化の道」 として指定された(19)

2. 2011年以降に刊行された主な関連書籍

上述した論集や翻訳の他にも2011年以降は関連書籍の出版が相次いでい る。

まず重要なものとして, ヤプ・クレディ出版が2005年以降刊行を続けて きた 旅行記 の現代トルコ語訳シリーズが完結したことが挙げられる(20) また論集としては上述したシンポジウム報告書等の他, 以下の2冊が刊 行されている。

・ヌラン・テズジャン, セミフ・テズジャン (編) エヴリヤ・チェレビ 2011(21)。 2012年には英訳も出版された(22)

・サブリ・コズ (編) エヴリヤ・チェレビ談話集/論集 2011(23) 特定のテーマを扱った研究書および英訳としては以下のものがある。

・ファフリ・マデン 旅人とスーフィー:エヴリヤ・チェレビ 旅行記 におけるベクタシー教団員たち 2011(24)

・マリアンナ・イェラスィモス エヴリヤ・チェレビ 旅行記 における 食文化:考察および系統的索引 2011(25)

・ロバート・ダンコフ, ヌラン・テズジャン エヴリヤ・チェレビのナイ

(5)

ル地図:ナイルに関する比類なき真珠 2011(26)。 これは, バチカン図書 館に所蔵されているエヴリヤ・チェレビの監修のもとに製作されたもの とみられるナイル川地図に関する著作である。

・ヌーレッティン・ゲミジ, ロバート・ダンコフ エヴリヤ・チェレビ・

メディナ記 2012(27) 旅行記 のうちメディナに関する記述の新規校 訂テキストおよび英訳を含む。

・ハカン・カラテケ (編) ブルサからダーダネルス, エディルネに至るエ ヴリヤ・チェレビの旅: 旅行記 第5巻より 2013(28) 旅行記 第5 巻の一部の英訳。

概説書としては以下のものが挙げられる。

・シュクリュ・アカルン 世界の旅人エヴリヤ・チェレビ 2011(29)

・ユスフ・チェティンダー エヴリヤ・チェレビ 2011(30)

その他, より一般向けのものとして, 数多くの 旅行記 の抄訳の他, 児童向けのリライトや漫画なども出版されており, トルコの一般市民にとっ てエヴリヤ・チェレビが急速に身近な存在となりつつあることが伺える。

第2章 旅行記 の再評価 文字情報源の視点から 1. 旅行記 の情報源研究の意義

以上に見てきたように, 今世紀に入ってからエヴリヤ・チェレビ関連の シンポジウムや関連出版物は急増しており, 研究は大きく進展している。

21世紀における 旅行記 研究の方向性を決定づけた重要な研究として 挙げられるのが2004年のロバート・ダンコフによる研究書 オスマン的心 エヴリヤ・チェレビの世界 (31)である。 ダンコフはここで, 旅行記 を単に情報ソースとして個々の記述にのみ注目するのではなく, 著作それ 自体を一個のテキストとして扱うアプローチの重要性を訴え, これは近年 のエヴリヤ・チェレビ研究において広く共有される問題意識となっている。

一方で, 近年の研究におけるもう一つの重要な特徴は学際化である。 多数 のシンポジウムの開催や論集が刊行されることで, 幅広い分野の専門家た ちがエヴリヤに関し議論する機会を得た。 こうした機運を捉え, エヴリヤ・

チェレビに関する研究全体を 「エヴリヤオロジー」 という独自の学問領域 として捉える見方も現れている(32)

(6)

2012年にはエヴリヤが用いた情報源に関し, 2点の論集が対となる形で 刊行された。 一つは エヴリヤ・チェレビ 旅行記 の文字情報源 (以下, 文字情報源 と略記), もう一つは エヴリヤ・チェレビの口承情報源 (以下, 口承情報源 と略記) である。 上述の通り, これらはそれぞれ2010 年, 2011年に開催されたシンポジウムでの発表を基とした論集である。

このテーマに関する研究の嚆矢となったのは, 1960年にメシュクーレ・

エレンが発表した研究書 エヴリヤ・チェレビ 旅行記 第1巻の情報源 である。 エレンは 旅行記 の第1巻に対象を絞り, 当時の主要な図書館 で入手しえた多数の文献との比較対象を行い, エヴリヤの利用した情報源 の特定を試みた。

この研究の成果としてエレンが突き止めたのは, エヴリヤ・チェレビ自 身が情報源にしたと記している史料と, 実際に利用したとみられる史料が 必ずしも一致しないという事実であった。 その上でエレンは, エヴリヤ・

チェレビが利用した情報源を (1) 著者自身が参照したと記し, 実際にも 参照している史料, (2) 著者自身が言及していないにも関わらず参照して いる史料, (3) 著者自身が利用したと述べているにも関わらず実際には参 照していない史料, の三種類に分類して論じた(33)

エレン以後, 旅行記 の情報源に関する研究は長らくまとまった形では 行われておらず, 個別の研究の中でいくつかの発見が報告されるのみに留 まってきた(34)。 しかしここに来て先述した2冊の論集によって, このテー マの研究は大きな進展を見せた。

情報源に関する近年の研究が示していることは, それが単に 旅行記 の史料価値を評価する上だけでなく, 作品の構造や文化的背景を解明する 上でも重要なテーマであるということである。 本章ではまず 文字情報源 を取り上げ, その内容を見ていくことにしよう。

2. 論集 エヴリヤ・チェレビ 旅行記 の文字情報源

本論集は再録論文2本および, フランス語で発表された論文のトルコ語 訳1本を含む計16本の論文を収録している。

本論集全体の緒言として位置づけられているヌラン・テズジャンの論文 においては 旅行記 の情報源研究の意義が論じられている。 テズジャン

(7)

旅行記 に関する従来の研究では情報の信憑性が主たる問題とされて おり, 作品の構造解明に向けたアプローチが不十分であったことを批判す る。 そして作品の構造解析のためには情報源を確定し記述の真偽を問う作 業が不可欠のものであると述べる。 テズジャンは従来の研究ではエヴリヤ・

チェレビによる 「創作」 が単に 旅行記 を史料として用いる上での障害 とみなされてきたのに対し, 今後はこれを 旅行記 の叙述にダイナミズ ムを与えるものとして積極的に評価する必要性を説く。

テズジャンは先述のエレンの研究が 旅行記 の構造理解という観点か ら画期となる研究であったと評価しつつ, 旅行記 の信憑性に対する否定 的な空気に支配されていた時期に発表された同研究がエヴリヤの創造力を 適切に評価できていないことも指摘し, 「創作」 が 旅行記 の叙述におい て果たしている機能の分析を試みている(35)。 このように, 単にエヴリヤ・

チェレビが利用した情報源を確定するだけでなく, それを通じて 旅行記 の構造分析を行うことこそが, 本論集を貫く主題となっているといえよう。

3. 情報源との比較を通じた構造分析

テズジャンの述べたような構造分析を行うために有効なアプローチの一 つが, エヴリヤ・チェレビが情報源として用いた史料と 旅行記 の記述 の比較を行うことである。 本論集においては1623年の 「ファーティフ・ジャー ミィ事件」 についての記述を分析したフィクレト・サルジャオール(36)や, 1566年のスィゲトヴァール遠征の記述を扱ったニコラ・ヴァタン(37), そし てピエール・マッケイなどがこのアプローチを取っている。

マッケイは近年, エヴリヤ・チェレビが1668年に行った現ギリシャ地域 の旅行の記述に焦点を絞り, 事実とフィクションを分離し, エヴリヤ・チェ レビの実際上の旅行ルートを確定しようとする仕事に取り組んでおり, 本 論集に収められた論考もその試みの一産物である。 同論考においてマッケ イは特に二つの町についての記述を取り上げ, エヴリヤ・チェレビが実際 には訪問していない地域についての情報をメフメト・アーシュク (155657?

1613?) の地理書 諸世界の姿 からの引用によって埋 めていること, さらにそれらの引用を自らの見聞に見せかけるため数多く の創作を加えていることを示す。 一方でマッケイは, エヴリヤ・チェレビ

(8)

が自身の見聞や公的な行政文書からの引用に基づき, アーシュクの誤りを 正している例や, 新たな情報を付け加えている例も示している。 このよう に本論考は個別的事例の検討を通じて, 一次情報, 引用, 創作の混ざり合っ 旅行記 の叙述の複雑な成り立ちを明らかにしている(38)

4. 旅行記 の情報源表示の虚構性

エレンらの研究により既に古くから知られていたように, エヴリヤ・チェ レビ自身が 旅行記 の中で示す典拠はしばしば偽りのものであり, 単に 叙述に信憑性を付与する目的での偽装でしかない場合が多い。 著者自身の 見聞として記された情報が実際には何らかの文献から引用したものである 例や, 何らかの文献や口承インフォーマントを典拠とした情報が別の情報 源に基づくものである例が 旅行記 には頻繁にみられるのである。

本論集所収のジャン=ルイ・バッケ=グラモンによる論文の主題である, ギリシャ人の歴史家 「ヤンヴァン」 はその一例である。 エヴリヤ・チェレ ビは古代ギリシャ・ローマ時代の空想的で伝説的な歴史的事件を記す際, しばしばこの人物が著した歴史書を典拠として示している。 しかしエヴリ ヤ・チェレビが同書を典拠として記す内容の大部分は, 実際にはオスマン 語文献に記載されている伝説的歴史叙述に基づくものである(39)

エレンの研究を補完する新たな成果として, 本論集所収の論考の中でも 特に重要なのは, エヴリヤ・チェレビによるアラビア語文献の利用という 問題に関わる高松洋一とヌーレッティン・ゲミジによる二つの研究であろ う。 高松の論文は 旅行記 第10巻に記載されたアラビア語文献の書名か らなる典拠リストを検討し, それが実際にはスユーティー (14451505) の 歴史書の典拠リストを引き写したものに過ぎないことを示している(40)。 一 方, ゲミジはエヴリヤ・チェレビのアラビア語能力について検討し, 彼が 専門的なアラビア語文献を直接精読しうるほどのアラビア語能力を備えて いたとは考えづらいと結論付けている(41)。 これら二つの研究により, エヴ リヤ・チェレビがアラビア語文献の原典を翻訳に拠らずに参照した可能性 はほぼ排除され, アラビア語文献からの引用はクルアーンや短い韻文の書 物などに限定されていたとみなすことが可能になったといえる。

(9)

5. 旅行記 成立の文化的背景

以上に見てきたような 旅行記 における創作や典拠の偽装を, 従来の 研究の多くは同書の史料価値を損なう欠点として扱ってきた。 しかし近年, 現代的な価値観を遡及的に過去の作品にあてはめる態度を批判し, 作品が 書かれた当時の文化的文脈に即して 旅行記 の虚構的記述を評価しよう とする試みが現れている。

その際にしばしば強調されるのが, 活版印刷が普及する以前の社会にお ける口頭コミュニケーションの比重の大きさである。 イスラーム圏では伝 統的に文字情報以上に口承が重んじられており, おそらくそれも一因となっ て, オスマン朝においては活版印刷の普及が遅れた。 オスマン・トルコ語 文献の活版印刷は1729年まで行われず, 定着したのはさらに下って19世紀 以降のことであったとみられる。

一般に活版印刷の普及以前の社会においては, 書物の希少性の高さから, 書物を声に出して読むこと, および内容を暗記することが重視される傾向 がある。 これを踏まえ, 旅行記 の情報源に関する近年の研究では1960年 に発表されたエレンの研究に比べ, 口承や暗記の重要性がより強く意識さ れるようになっている。 文字情報源 においても先述のゲミジの論考では, エヴリヤ・チェレビの情報源として知識人のサロン, マドラサやテッケで の講義などの口承環境の重要性が強調されている(42)。 またエヴリヤ・チェ レビによる言語学関連文献の利用をテーマとしたヘルガ・アーネッツホー ファーは, イブン・アル=ジャザリー (1429年没) が著した韻文によるタ ジュウィード (クルアーン読誦法) の書物から9編の対句が 旅行記 引用されていることを確認しているが, 彼女はエヴリヤ・チェレビによる こうした韻文の語学書からの引用は直接の参照によるものではなく暗記に よるものであるとみなしている(43)

ハカン・カラテケの論考は, 活版印刷が普及する以前のオスマン社会に おける今日と異なる書物の機能について論じたものである。 カラテケはエ ヴリヤ・チェレビの時代のオスマン社会において一定のポピュラリティ (大衆性) を獲得していたいくつかの宗教的著作を取り上げ, これらの書物 が当時の民衆の間で単なる情報源という以上の社会的機能を有していたこ とを示す。 例えばヤズジュザーデ・メフメト (1451年没) が著した ムハ

(10)

ンマディーエ は, 当時様々な儀式の場で声に出して読み上 げられていたことや, 同書を暗記することが人々にとってステータスとなっ ていたこと, 同書にまつわる伝説や秘教的信仰の存在によってある種の聖 性を獲得していたことが知られている。 そしてカラテケは前近代のオスマ ン社会における書物の機能を研究する上では, 遺産目録や図書館カタログ から数量的データとして得られる 「乾いた情報」 を, 旅行記 などの叙述 史料により補完するアプローチが重要であると訴える(44)

以上のように, 文字情報源 に収められた論考は, 旅行記 の情報源 の研究が作品の構造解明のために重要であるばかりでなく, 作品を成立当 時の文化的文脈に位置づけて理解する上でも重要であることを示している。

次章で取り上げる 口承情報源 では, この問題についてさらに踏み込ん だ議論が展開されている。 一例として, そこでは 旅行記 の虚構的記述 についても, 口承芸術のパフォーマンスにおける技法を取り入れたものと して必ずしも否定的に評価すべきものではないと主張されているのである。

第3章 旅行記 の再評価 口承情報源の視点から 1. 論集 エヴリヤ・チェレビの口承情報源

本論集は18本の論考を収めており, 多くは10ページ程度の小論である。

内容的には 文字情報源 に比べ, 個別的な事例を詳細に検討するよりも 総論的な内容の論考が目立ち, また扱われているテーマも論者ごとにかな りの幅がある。 寄稿者の顔ぶれも多彩であり, 特に民俗学やその隣接分野 からは, 編者のオジャル・オウズをはじめ, メティン・エキジ, ネビ・オ ズデミルら多数の専門家が参加している。

2. 「口承情報源」 の多様な捉え方

本論集の題名を見て直ちに期待されるのは 「エヴリヤ・チェレビはどの ような口頭伝承を引用しているか」 を解明する研究であろう。 しかしここ で注意しなくてはならないのは, 文字情報と異なり口承情報は発話された その瞬間に消えてしまうものである以上, エレンが行ったような研究を口 承情報源について同様に行うことはできないということである。 一定の広 がりをもっていた口頭伝承についても文字媒体に記録されない限り後世に

(11)

残ることが少ない以上, 文献史料の場合のように著者による口頭伝承の引 用の真偽を問うことは難しい。

そうした中でセミフ・テズジャンの論考は興味深い試みである。 テズジャ ンはエヴリヤ・チェレビがボスフォラス海峡の岸辺にあるクレ・バフチェ スィ (「塔の庭園」) という場所について記した逸話を取り上げ, モチーフ・

インデックス (物語のモチーフを分類・整理した一覧表) の情報を手がか りにその基となった伝承の推定を試みている(45)

しかし, 他の多くの論者はむしろ 「エヴリヤ・チェレビの口承情報源」

という主題を多義的に捉え, 様々な角度からこの課題に取り組んでいる。

例えばルキエ・アスルハン・アクソイ・シェリダンはエヴリヤ・チェレビ が利用した口承情報源ではなく, 口承情報源が利用されていること自体を 問題としており, 旅行記 において口承・文字情報源のそれぞれに由来す る情報が区別されずに用いられていることを, 著者が口承文化と文字文化 の間での越境的な人物であった証左の一つとして重視している(46)。 またア スル・ニヤズィオールは 旅行記 においてしばしば口承インフォーマン トとして登場するエヴリヤ・チェレビの父メフメト・ズッリーを取り上げ, エヴリヤ・チェレビの父子関係および, 父を始めとしたインフォーマント 旅行記 の構想に果たしている役割を論じている(47)

一方でバシャク・オズテュルク・ビティキの論考は, 旅行記 第1巻に おけるメフメト2世の王子ジェム・スルタン (14591495) に関する伝説的 記述を分析対象として取り上げ, 情報源とみられる文献などとの比較を通 じてその記述の成り立ちを解明しようとするもので, 文字情報源 におけ るマッケイらと同様のアプローチをとった研究といえる(48)

3. 旅行記 の口承芸術的性格

文字情報源 と異なる本論集の特色として挙げられるのが, 口承文化研 究の視点から 旅行記 を分析しようとする試み, つまり今日より口承情 報が大きな比重をもっていた社会の中で生み出された著作として 旅行記 を捉えようとする論考が多数収録されていることである。 そこに共通した 見解としてみられるのが, タンズィマート改革の開始 (1839年) を画期と して西洋文化の影響が浸透し始める以前のオスマン社会の文化が現代社会

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に比べて 「文字」 より 「声」 の比重が大きい文化であったこと, そしてエ ヴリヤ・チェレビ自身がある種の職業的語り部であり, 旅行記 は口頭伝 承のパフォーマンスにおける手法が大いに取り入れられて書かれた著作で あるということである。 こうした見解を典型的に示しているのがメフメト・

カラパクルの論考である。 オスマン文化は口承コミュニケーションの果た す役割が大きい 「言葉の」 文化であったと述べるカラパクルは, エ ヴリヤの叙述スタイルをその 「ムサーヒブ 」 としての性格に結び つける。 ムサーヒブとは貴人に側近として仕えたある種の職業的語り部で あり, カラパクルは 旅行記 の口承叙述に近い語り口をその職能に根ざ したものとみなしている(49)

旅行記 の叙述スタイルが口承文化的な特徴を持つことに関しては他の 多くの論者も一致して指摘する。 メティン・エキジはエヴリヤ・チェレビ が口承情報源を典拠とすることで物語の信憑性を高めていること, いわば 伝説の信憑性付与の機能を巧みに利用していることを指摘する(50)。 オジャ ル・オウズはエヴリヤ・チェレビがしばしば本題から逸れた 「余談 」 を物語ることを叙述テクニックの一つであるとみなし, これを 口承叙述の技法を文字表現として取り入れたものとして論じる(51)。 イェリ ズ・オザイはエヴリヤ・チェレビが伝説に独自のアレンジを加えて再構成 して語っている点において, 口頭伝承と同様の構造をもっていると述べ (52)

4. 「声の文化」 と 「文字の文化」 の狭間で

旅行記 が情報源や叙述スタイルにおいて声の文化と文字の文化という 二つの文化における越境性を備えていたことは本論集の多くの論者に一致 する見解であるが, 一方, この著作全体を支えるバックボーンが 「声」 と

「文字」 のどちらの文化に根ざすものであるかについては論者の間に意見の 対立がみられる。 ラファエル・ヒュセイノフは 旅行記 を後景で支えて いるのは叙事詩的な語りのスタイルであるとみなす(53)。 これに対し, メティ ン・エキジは 旅行記 の都市叙述においては一定の 「鋳型」 に情報を埋 めるような形でシステマティックな記述がなされていることに触れ, これ は著者が文字文化で育った人間であったからこそ可能な手法であったと述

(13)

べる(54)

一方, 先述のアクソイ・シェリダンやネビ・オズデミルは 旅行記 その根本からして二つの文化の越境的作品であったことを強調する。 特に オズデミルの論考は注目に値する。 オズデミルはムサーヒブであったエヴ リヤ・チェレビの語り部としての性格, 情報源, 叙述スタイルのそれぞれ の次元における両文化の越境性を網羅的に分析し, エヴリヤ・チェレビが 両文化のそれぞれに属する要素をいかに統合して自己の世界を表現したか を論じる。 オズデミルは特に声の文化に根ざした創作の力こそが 旅行記 の魅力的な都市イメージを生んだと評価し, 虚構的次元にこそこの作品の 独創性, 魅力, 永続性を生んだ力があると述べる。 オズデミルは 旅行記 の虚構的次元に対する従来の否定的評価は, 声の文化に根ざす要素が文字 の文化の手法により評価されていたことによるものであることを強調し, 今後, 口承文化研究の視点からの 旅行記 研究がなされる必要性を訴え ている(55)

オズデミルの見解は 旅行記 を歴史史料とみなす立場からは欠点でし なかったその虚構的次元が, 口承文化研究の視点からは著者の, ひいては 著者が生きていた当時のオスマン朝社会の文化的創造性を示すものとして 積極的に評価しうることを示している。 これは21世紀におけるエヴリヤ・

チェレビ研究の学際化がもたらした再評価の一環であり, それはまた, 行記 の文芸作品としての再発見であるということもできるだろう。

お わ り に

近年におけるエヴリヤ・チェレビ研究全体の方向性を一言でいえば, エ ヴリヤ・チェレビと 旅行記 を文化史的な文脈に正しく位置づけること が目指されているといえよう。

タンズィマート期以前のオスマン・トルコ語文学においては韻文が優勢 であり, 散文はあまり発達しなかった。 そうした中, 散文で書かれた長大 な旅行記であると同時に自伝でもある 旅行記 は際立って特異な存在で あり, 同時代の文化の主流からは外れた作品であった。 それゆえ, 旅行記 は同時代人にとっても, 現代人にとっても把握しづらい存在であり, 適切 な評価がなされてこなかったといえる。

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本稿で取り上げた 旅行記 の情報源に関する研究, すなわちエヴリヤ・

チェレビがどのような文献を読み, どのような環境のもと口承情報を収集 していたかについての研究は, この著作の文化的文脈における位置を探る 作業でもある。 結果として 旅行記 は 「文字の文化」 だけでなく, 「声の 文化」 という今となっては未知の部分の大きい領域に深く根差した著作と して把握されるようになったといえる。

エヴリヤ・チェレビ自身の記述を信じれば, 彼はその巧みな話芸の才に よって同時代のオスマン人エリートの間で名を知られた存在であったとい う。 後の時代であれば, あるいはその才能は小説という形で発揮されてい たかもしれない。 しかし散文で書かれる文学作品のジャンルが限られてい た当時のオスマン朝において, 学者や詩人として決して一流といえなかっ た彼が著述家として評価されることはなかった。 エヴリヤ・チェレビはお そらく, 自らの声を文字として書き残す選択肢をもたなかったため歴史に 埋もれていった数多くの同類者の存在を示す氷山の一角である。

近年のオスマン史研究において, 詩を始めとした文芸作品を社会史研究 に応用しようとする試みが活発になっていることを考慮すれば, 旅行記 をこのように文芸作品としての性質をもつ著作であると認めることは, む しろこの著作の歴史史料としての新たな可能性を拓くものであるといえよ う。 旅行記 は物質世界の観察の記録だけでなく, 当時のオスマン人エリー トの心象世界を構成していた概念や観念, イメージの記録の宝庫でもある。

そしてエヴリヤ・チェレビはその越境者としての立場ゆえに, 彼が視界に 収めていた世界は同時代における他の観察者たちの手が届かない範囲にま で広がっている。

しかし 旅行記 の位置はいまだ十分に明確化されたとはいえない。 行記 の長大な記述のうちマッケイの研究のような精密な構造分析が行な われた部分はまだわずかな量に過ぎず, カラパクルやオズデミルが総論的 に論じたような口承芸術の手法の取り入れ方についても十分に例証されて いるとはいえない。 今後, 旅行記 の情報源となった文献との比較検討や, 口承文化研究からのアプローチをより進めていき, また同時代の他の著作 との幅広い比較を通じてこの著作の座標を定め, その上でエヴリヤ・チェ レビの生きた世界の実像の解明に努めていくことが, エヴリヤ・チェレビ

(15)

研究に求められる課題となるだろう。

(1) エヴリヤ・チェレビの生涯の簡潔なまとめとしては,

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'/0'&"! # 2011112036(以下, 同論集を()*+, -*-.+0'#と略記。) また邦語として最新の研究である, 藤木健二 「近 世オスマン帝国の旅と旅人 エヴリヤ・チェレビーを中心に」 長谷部 史彦編著 地中海世界の旅人 移動と記述の中近世史 慶應義塾大学 言語文化研究所, 2014年, 137156頁でもエヴリヤ・チェレビの経歴と旅 程を概観できる。

(2) /& !(')$ ' 234*5674+8*9:-;+4+/372013111316

(3) こうした虚構的記述や超自然的な伝承の記載は, 旅行記 に限らず 前近代のイスラーム圏の旅行記や歴史書などに広くみられる特徴である。

ベッキンガムによる以下の論考は, 前近代のイスラーム圏の旅行記にみ られる虚構的記述についてイブン・バットゥータとエヴリヤ・チェレビ を例に挙げて検討している。/<# =!'>+*?<< @$ A% B9*;-7C9?;4DE+F>?G+97HI+*F>+5?F-?7;J>?)-*+7E-;+-)?*

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(5) エヴリヤ・チェレビの研究史に関しては以下を参照した。 %&

'" !'$()*+,-*-.+0'#1178115 また文献目録としては, 33!'"

#=1[3 1!2012]$1NN &N 13がある。 (ビルケント大学トルコ文学科のOサイト1NN

&N !に掲載。)

(6) 33()*+,-*-.+L-,?P?G75-4+ &Q1 0Q10119962007また縮刷版として,

(16)

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(16) >'%'< >.9&!(: C?EF=9'"0'0%!! !2012((以下,C?EF= と略記)

(17) #!!G9'&(;HIII400JC@KI==

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(18) .N!/(O?EF=9'"PA8Q6N 0'&%* &*!2012((以下, ?EF=と略記)

(19) $")).!!*!!'&(.* ).)&-.-2&(またこのルートの 提唱者であるキャロライン・フィンケルが以下のガイドブックを刊行し ている。 6*R'<%6*2STUVSI=FOW= XHYZ@[UFY@\@Y\HID !"2011(

(20) #.< Q&9% (]?S=F !"#$%#&10%$2005-20115

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(34) エレン以後の 旅行記 の情報源研究に関しては, P+ VXI *[252W#$"!"& /0--595Y 603

(35) 1+/2V+M,\+]W E%"C%!%"%--12Y25

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(東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程)

参照

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