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(1)

旧制静岡高等学校関係資料の整理および公開に向け た基礎的作業(2014年度)

著者 戸部 健, 岩井 淳

雑誌名 地域研究

巻 6

ページ 15‑21

発行年 2015‑03‑15

出版者 静岡大学人文社会科学部

URL http://doi.org/10.14945/00008141

(2)

旧制静岡高等学校 関係資料 の整理お よび公開に向けた基礎 的作業 (2014年 度

)

戸部   健・ 岩 井   淳

は じめに

静岡大学人文社会科学部大学アーカイ ヴズプロジェク トでは、静岡大学人文社会科学部所蔵の旧制静 岡高等学校および静岡大学文理学部・人文学部関係資料の整理・公開に向けた作業に 2009年 度 より取

り組んでいる

1。

今年度のプロジェク トにおける主な活動内容は、 (1)旧 制静岡高等学校関係 のガラス乾板の現像、 (2) 現像 した写真の整理、 (3)資 料の展示、 (4)県 外のアーカイ ヴズヘの訪間、などであった。その具体 的な動きについて以下で紹介す る。

1.2014年 度の活動

(1)旧 制静岡高等学校関係のガラス乾板の現像

一昨年度以来、人文社会科学部資料室に保管 されている

1日

制静高関係のガラス乾板の現像を、静岡市 内の写真業者に委託 して実施 している。ガラス乾板はそれぞれ数十枚ずつに分けられて箱に入れ られて お り、そ うした箱は現在確認 されているだけで 95箱 ある

2。

昨年度までに約 60箱 分のガラス乾板を現

像 したが、今年度の作業で残ったほぼすべての乾板 を現像す ることができた。現在ガラス乾板 を現像で きる写真店は限 られてお り、そ うした店舗でも現像に係 る費用はい ささか高額になっている。それゆえ、

この 3年 ほどの間、本プロジェク トでは予算の大半を現像代に割かなければならなかった。ただ、苦労 してそれを行つたことで、写真の整理、保存、公開が しやす くなつたことも確かである。従つて、次年 度以降は公開に向けた整理作業に全力を傾 けていきたい。

(2)現 像 した写真の整理

(1)で 現像 した写真の整理に今年度か ら取 り組み始めた。具体的な作業は以下の とお りである。

①現像 した写真をスキャニング (600dpi)し て画像データを作成す る。ガラス乾板が入つていた箱 ご とにフォルダを作 り、それ らに画像データを個別に保存す る。

②ガラス乾板の入つていた箱上の記載や、現像 した写真などか ら、写真が撮影 された 日時、場所、イ

1こ れまでの活動内容については、下記を参照いただきたい。戸部健 「旧制静岡高等学校関係資料の整 理作業に関する経過報告」 『 地域研究』創刊号、 2010年 。戸部健 「旧制静岡高等学校関係資料の整理作 業に関す る経過報告 (2010年 度

)」

『 地域研究』第 2号 、 2011年 。戸部健・小二田誠二・岩井淳 「旧制 静岡高等学校関係資料の整理作業に関す る経過報告 (2011年 度

)」

『 地域研究』第 3号 、 2012年 。戸部 健・橋本誠―・岩井淳 「旧制静岡高等学校関係資料の整理作業に関す る経過報告 (2012年 度

)」

『 地域 研究』第 4号 、 2013年 。戸部健・岩井淳・今村直樹 「旧制静岡高等学校関係資料の整理作業に関す る 経過報告 (2013年 度

)」

『 地域研究』第 5号 、 2014年

2詳 細は前掲 「旧制静岡高等学校関係資料の整理作業に関する経過報告 (2013年 度

)」

の附録 1を 参照 のこと。

‑15‑

(3)

ベ ン ト名な どを読取 り、写真台帳

(ワ

ー ドで作成 )に 入力する。さらに、スキャニングした画像デー タを写真台帳にサムネイル として添付する

(モ

デルは附録 1を 参照のこと

)。

③写真台帳のデータを利用 してキャプシ ョンを作成 し、それを現像 した写真 とともにクリアファイル に入れる。

以上の作業を通 して、現像写真が収納 された永久保存用の写真帳 と、検索に便利な写真台帳を作成 し た。学生アルバイ トに手伝 つてもらいながら、今年度に全体の約半数の写真 を整理 した。次年度には完 成できるよ う努力 していきたい。今後は、大学広報などで役立ててもらうため、手始めに写真台帳を学 内で公開す るなど、資料を多 くの人に利用 してもらうような方途を模索 していく予定である。

(3)資 料の展示

昨年度に引き続 き、今年度 も人文社会科学部 A棟 玄関において資料の展示を行つた。各展示のテーマ と内容は以下のとお りである。

① 「戦争 と旧制静岡高等学校

(2)」

展示期間 :2014年 2月 〜 2014年 7月

展示内容 :昭 和天皇行幸お よび当時の学生生活に関す る文書資料

(「

教育勅語」、「紀元二千六百年ニ 際シ賜ハ リタル詔書」、「昭和三年 。一九年行幸台臨一件」、「行幸記念写真帖」、「仰秀寮落 書き集」

)

② 「旧制静岡高校のスポーツ活動」

展示期間 :2014年 7月 〜 2015年 3月

(予

)

展示内容 :運 動部の活動に関す る資料

(「

優勝杯近県中等学校競技大会」、「優勝杯春秋杯」、「第二回 全国高校野球大会寄せ書き」、「柔道部道場 日誌」

)

今後展示するテーマ としては、「旧制静岡高校の文芸活動」、「仰秀寮の歩み

(2)」

、「旧制静岡高等学 校の廃校 と人文学部への移行」などを予定 している。

(4)県 外のアーカイヴズヘの訪問

昨年度は、地方の国立大学での事例を学ぶために金沢大学資料館、広島大学文書館な どを訪問 した。

今年度 もさらに多 くの事例を見るため、篠原和大 と戸部健が愛媛大学 ミュージアムを、岩井淳が茨城大 学五浦美術文化研究所 を訪問 した。各施設での調査の詳細については、巻末の附録 2を 参照いただきた い。

2.今 後の課題

今年度の成果を踏まえて、来年度取 り組むべきは以下の 3点 である。

(1)1日 制静岡高等学校関係の文書資料の整理

1日

制静岡高等学校関係の文書資料の整理については、近年作業の力点がガラス乾板の現像・整理に集

‑16‑

(4)

中していたため、実際あま り進展 していない。写真の整理作業の進捗状況 を見なが ら早い時期に作業を 再開できるようにしたい。

(2)ガ ラス乾板の整理

今年度でガラス乾板の大半を現像す ることができた。次年度以降それ らを早急に整理 した上で、公開 に向けた取 り組みをしていきたい。学内での公開については比較的容易だが、学外に公開するにはその ための具体的な方法や規則などについて考えていかなければな らない。肖像権や著作権な どクリアすべ き問題について、今後法学の専門家 も交えて議論 していきたい。

(3)展 示の入れ替え

スケジュールに基づいて、次年度以降も展示を続けてい く。また、昨年度か ら始まっているキャンパ ス ミュージアムでの大学史展示 ともうまく連携 しなが ら作業を進 めていきたい。

(戸

部   健

)

(附

録 1)旧 制静岡高等学校関係ガラス乾板資料写真台帳

(モ

デル

)

整理 番号

枝番

1 (箱

番 号

)

枝番

2 (写

真 番号

)

所蔵

場所 資料名

年 代

備考

(サ

ムネイル

)

和 暦 西 暦

49

8 1

旗 な ど

写真

(寮

祭・

町 ス トー ム

)

昭和 10年

10月 27日

1935を

「 10 月

27日

49

8 2

旗 な ど

写真

(寮

祭 ・ 町 ス トー ム

)

昭和 10年

10り

127日

1935左 F10

27日

49

8 3

旗 な ど

写真

(寮

祭 ・ 町 ス トー ム

)

昭和 10年

10月 27日

1935を F10

27日

49

8

4 旗 な ど

写真

(寮

祭・

町 ス トー ム

)

昭和 10年 10月 27日

19354F10

27日

17‐

(5)

鮒摘 t2)各 大学アーカイ ヴズ調査報告資料

愛媛大学 ミュージアム

住    所 :愛媛県松山市文京町 3  愛媛大学城北キャンパス 開館時間 :10:00〜 16:30

休 館 日 :火 曜 日 。その他 〈 年末年始・センターおよび入学試験 日・ メンテナンス休館・臨時休館

)

入 場 料 :無 料

ウェブサイ ト

:httpγ

/ww‐ IYluseum.ehnle‐ u.ac ip/index php

大学博物館等協議会 2014年 度大会お よび第 9回 博物科 学会 が 2014年 6月 19日 か ら 20日 まで愛媛大学にて開 催 され 、静 岡大学 キ ャンパ ス ミュー ジアムの代表 として 篠原和大 と戸部健 が参加 した。愛媛大学 には、「愛媛大学 ミュー ジアム」 とい う、地方 国立大学が運営す るもの と しては最大規模 の大学 ミュー ジアムが あ り、大学博物館 等協議会お よび博物科 学会 の大会 において も、そ こでの 試 み について 当館 教員 か らい くつ かの報告 がな され た。

また、6月 20日 のお昼休 み に、当館教員 と学生スタッフ に よる ミュー ジアムの案 内 もな され た

(時

間が短 かった ので、翌 日篠原 と戸部 とで独 自に再度 じつ くり見学 した

)。

今 回の愛媛 出張の用務 は主 に本学 キャンパ ス ミュー ジア ムに関す るもので あったが、そ こで得た知見は人文社会 科 学部大学 アー カイ ヴズプ ロジェク トとも関係 が深 い事 柄 であるた め、以下で簡単 に紹介 したい。

愛媛大学 ミュー ジアムは、 2009年 11月 に開館 した。

開館 に際 して は、前任 お よび現任 の学長

(そ

れ ぞれ岩石 学 と生態学 を専攻 )の 後押 しが強かった と言 われてい る。

建物 は 旧共通教育棟本館 の 1階 部分 の一部 を使 用 してお り、エ ン トランスホール・ 常設展示室・ 企 画展示 室

(多

目的ホール

)・

昆 虫標本収蔵展示室・水生生物展示

(附

属 高校理科部 との合 同企画

)・

ミュー ジアムカ フェ・ 中庭 な

どで構成 されてい る。

エ ン トランスホール には、愛媛大学 と前身校 との関係 を示す系図パネルや各種模型 な どが展示 されてい る。「卒 業 アルバ ム検 索 システ ム」 'の よ うな ものが入 つた端末 も 設置 され ていたが、詳細 は不明で ある。

常設展示室 は、「進化 す る宇宙 と地球」

(岩

石・鉱物・

古生物・ 地球深部・字宙進化

)。

「愛媛 の歴史 と文化」

(書

聖三輸 田米 山の書や 日記 な ど

)。

「生命 の多様性」

(環

境科

愛媛大学 ミュージアム入 目

常設展示室の様子

(古

生物

)

学・昆虫・生命科学工学

)・

「人間の営み」

(文

京遺跡・古代鉄文化

)

三輪 日米山の 日記

の 4つ のテーマに分かれている。

18‑

(6)

資料実物 の展示 がメイ ンだが、 ところ どころにパネルや映像デ ィスプ レイが配 され、 よ り具体的 に学ベ るよ うになっていた。ただ、当館 の展示 をマネー ジメ ン トされてい る徳 田明仁 氏 による と、情報 の詰 め込み す ぎによる弊害 を意識 して、パネル に盛 り込む文字数 は極 限まで抑 えてい る とい う

(大

会講演 「愛媛 大学 ミ ュー ジアムの みせ方・考 え方

"」

よ り

)。

他方 、教員 を紹介 した顔写真入 りのパネル のなかには「岡

J腕

の勝 負 師   田辺信介 」や 「永遠 の 自由人   遠 藤弥重太 」、

「鉄研究の伝道師   村上恭通」の よ うに、キャ ッチ フ レー ズが付 け られてい るものが あ り、興味 を引いた。

特別展示 のテーマ は、「中生代 の生物世界展 Jで あ つた。パネル として も使用 され てい る垂れ幕で企画展 示室 を区切 るこ とで、スペース を有効 に利用 していた。

また、自分 で色 を塗 つた恐竜 の絵 をカメラにか ざす と その恐竜 がテ レビ画面の中で動 き出す 、とい うよ うな 子 どもが喜びそ うな コーナー もあつた。

以 上 に加 えて圧巻 だ ったのが昆 虫標 本展示 室 で あ る。普段 は関係者以外入室禁止 とい うことだが、大会 参加者 とい うことで入室す るこ とができた。室 内には 世界 各地 で採集 され て きた昆 虫の標本 が入 つた ドイ ツ箱 が整 然 と収蔵 され ていた。標本 点数 は実 に 120 万点 を超 え、日本 トップ クラスの規模 を誇 る。これ ら の標 本 の一部 は毎年 夏 に開催 され る昆 虫展 で も展示 され 、人気 を博 してい る とい う。

当館 の運営体制 について も触れたい。大会 において 柳 澤康信 愛媛 大 学学長 よ りな され た特別 講演 に よれ ば、当館 は館長

(中

国文学専攻 )以 下、 4名 の常勤教 員

(昆

虫学・考古学・展示学 )と 2名 の事務職員 、お よび 15名 の学生ス タ ッフで運営 され てい るとい う。

学生 スタ ッフについては、大会 にお ける吉 田広氏 によ る報告

(「

愛媛大学 ミュー ジアム業務 を通 じた学生ス タ ッフヘの教育効果 」 )で 詳 しく論 じられ ていた。 そ れ に よる と、学生 スタ ッフはすべて有期契約職員 であ り、各人週に 1日 程度出勤 し、受付 。案内・ 展示解説・清掃・展示空間のメンテナンス・開館閉館 など の業務 を行な うとい う。今回、我々が ミュージアムを参観 した際、案内および展示解説全般 をして くれ たのもやは り学生スタンフだつた。こうした運営形態は、ミュージアムの安定的な運営に対 してだけで なく、学生教育にとつても有益であると考えられ る。

以上、愛媛大学 ミュージアムについて簡単に紹介 した。旧帝大系の大学博物館の規模がますます大き くなるなか、愛媛大学 ミュージアムの奮闘は、地方国立大学で資料保存・展示に関わる人たちに希望を 与えるものである。予算が限 られたなかで、興味深い展示 をいかに長期間に亘つて、かつ観客を飽 きさ

昆 虫標本展示室

文京遺跡 についての展示

ミュージアムカフェ

‑19‑

(7)

せず続けてい くか、そのための工夫が ミュージアム内の随所に見 られた。大学史関係の資料保存・展示 についての動 きがあま り活発でないのは残念だったが、資料の展示方法や学生 との協力体制のあ り方な ど学ぶべき点が多かった。今後 も同館の動きに注 目していきたい。

(2014年 6月 20〜 22日 調査、 2014年 6月 24日 記、戸部   健

)

茨城大学五浦美術文化研究所 住所 :北 茨城市大津町五浦 727‑2

ウェブサイ ト :http://rokkakudO.izura lbarakl.acjp 開館時間 :4月 か ら9月 まで  8:30〜 17:30

10月 、2月 、3月   8:30〜 17:00

11月 か ら 1月 まで  8:30〜 16:30 休館 日

:月

曜 日   年末年始

入場料 :300円

茨城大学五浦美術文化研究所を紹介す る時、明 治期 の美術指導者 でアジア主義者 として知 られ る岡倉天心

(1862‐

1913年

)の

名 を忘れることはで きない。天心は、 1903年 、北茨城・五浦

(い

ず ら

)

の地に居 を構 え、 05年 に自らの設計によって、現 在、五浦美術文化研究所がある場所に邸宅 と六角 堂を建設 した。この経緯か ら五浦美術文化研究所 は 「天心遺跡」 とも呼ばれている。

天心はこの地を拠点 としたが、彼の死後、1942 年 に天心偉績顕彰会が遺族 か らこの地の管理 を 引き継いだ。その後、 1955年 に至 り、天心遺跡 は茨城大学に寄贈 され、同年、五浦美術研究所

(後

に五浦美術文化研究所 と改称

)が

設立 されて、今に 至っている。現在は、受付 と管理を担当する二人 の茨城大学職員が常駐 している。

天心遺跡は、海 に向かってそびえる崖の上にあ る。海か ら離れた ところに①長屋門があ り、その 近 くに②天心記念館がある。やや下つた平地に③ 天心邸があ り、崖 を下 りて海に面 したところに④ 六角堂が立っている。順番 に紹介す ると、①の長 屋門は、百年あま り前の建物で、現在は五浦美術 文化研究所の受付・管理室 として使用 されている

(写

真参照

)。

茨城大学五浦美術文化研究所の入 日となる長屋門

②の天心記念館は、やや老朽化 しているが、釣 り姿の天心像などが展示 されてお り、シアターホール の役割も果たしている

(写

真参照

)。

③の天心邸は、当初、料亭の古材を用いて建築 されたと伝えられ、

現在は和風の母屋が残 されている。その脇には、 1942年 に天心偉績顕彰会のメンバーによって建立さ 天心記念館の様子

‑20‑

(8)

れ た 「亜細亜ハー な り」の石碑 が ある

(写

真参照

)。

天心邸のある平地か ら海に向かつて降 りてい くと、やがて

④六角堂が現れ る。この六角堂は、創建当初のものではなく、

近年再建 されたものである。なぜなら、 2011年 3月 11日 の 東 日本大震災による大津波によつて、元の六角堂が流失 した か らである。五浦美術文化研究所は、地元では通称「六角堂」

と呼ばれてお り、六角堂あっての研究所である。これを考え ると、喪失のシ ョックは計 り知れなかっただろ う。受付の方 のお話 しを伺 つた ところ、震災当 日、何人かの見学者がいた ものの、ほとん どは天心記念館にいて無事だったこと、見学 者が避難 した後で海の方に近づ くと、すでに六角堂は 7メ ー トルを越 えると言われ る大津波に飲み込まれた後で、跡形 も なかったことをお聞きできた。津波は六角堂を襲っただけで なく、天心邸のある平地まで押 し寄せ、建物の床下まで到達

した とのことであった。

五浦美術文化研究所は、天心遺跡のシンボル とも言 える六

角堂を失つて しまつたが、 2011年 5月 には茨城大学を中心に、茨城県や北茨城市、 日本ナシ ョナル ト ラス ト、五浦 日本美術院岡倉天心偉績顕彰会が協力 して、復興プロジェク トが動き出 した

(こ

の経緯につ いては、茨城大学学術企画部が出 している小冊子『 天心・六角堂復興プロジェク ト』が参考になる

)。

地 域 との連携が実を結び、流失か ら約一年 をへて六角堂は再建 され、 2012年 4月 17日 に竣正式が執 り行 われた。その方針は、晴」 建時の建築を復元す る」 とい うものであつた。

私 が訪 問 した 2014年 12月 5日 は、時折雨雲 の かか る寒 い 日で あつたが、雲 が去 ってか ら陽光 を受 けて屹立す る新生 の六角 堂 は見事 で あつた

(写

真参 照

)。

ガ ラス窓か らは六角堂 の内部 を見 るこ とがで き、茶室 の向 うには太平洋 を望む こ とができた。こ の大 平洋 か ら 7メ ー トル を越 え る大津波 が襲 つて きた とは想像 もつかないが、それが現実で ある。再 建 叶 った六角堂 を眺 めてい る と、関わ つた多 くの 方 々の想 いが伝 わってきた。六角堂は、天心遺跡 の シンボル とい うだ けでな く、大震災か らの復興のシ ンボル となったので ある。その意味で、天心遺跡 は 歴 史遺産 とい うだ けでな く、震 災の乗 り越 え方 を伝

える貴重な現代の文化遺産でもある。もちろん、茨城県や東北地方の震災被害は甚大であり、決 して克 服 された とは言 えないが、それでも六角堂の再建は重要な意味をもつだろ う。

五浦美術文化研究所を擁する茨城大学は、地域 と提携 しなが ら、六角堂再建 とい う困難な事業に取 り 組み、これを見事に成 し遂げた。同じく、震災による被害が予想 され る静岡地域においても、静岡大学

の果たすべき役割は小 さくない と考えた次第である。

(2014年 12月 5日 調査、 2015年 1月 5日 記、岩井   淳

)

「亜細亜ハーな り Jの 石碑

再建 された六角堂

‐21‐

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