長野工業高等専門学校紀要 ・第2
0号
(1989) 181南 北 問 題 の 帰 趨
宮 嵜 晃 臣
On the Topology of the North‑South Problem
Teruomi MIYAZAXI
According topreliminary estimates,totalexternaldebtoftheunderdeveloped countriesincreasedfrom $1,051billionin1985to $1,320billionin1988.Toaddto this,inlow・incomecountries,especialysub‑SaharaAfri
c
a,their"absolutepoverty"is gettingserious.Thisarticleisintendedtomakecleartheaccumulateddebtproblem andmakesurewhatisthecauseof"absolutepoverty",towhichourconsiderations glVea.toppriority.Astotheformer,from theBakerInitiativein 1985tothe Blaidy Initiativein 1989,variousdebtstrategiesofdevelopedcountrieshavemadeacontributiononlyto privatebankstoreducetheirexposuretotheunderdevelopedcountries.Turningto thelatter,the rapidestpenetration ofmarketeconomy into the underdeveloped countrieshasbroughtabout the 'Labsolute poverty",destloying their''subsistance economy"andasthiscausesweshallpointout丘rstly developmentpoliciesofthe underdevelopedcountries,secondlywhatyoucall"greenrevolution",lastlyassistance from developedcountries,particulalyU.S..
Ⅰ
問 題 の 所 在
「 先進工業諸国 と低開発地域 との関係は,南北問題 として,東西対立 とともに現代の世界 が直面する二大問題の一つである」 とpイ ド銀行のオ 1 )バ ー ・フランクスが発言 した1
959年 末段階か ら今 日まで,世界情勢ご とりわけ低開発諸国( 1 )を とりまく環静 ま大 きく変化 し,そ れに規定されて南北問題の合意す る内容,焦点 も移 り変 ってきている.南北問題は もとよ り 低開発国の開発問題 として独立化 されて意識 されていたわけではない. フランクスが述べて いるように,資本主義国 と低開発国 との関係の問題 として捉 えられていたのであ り, さらに 資本主義国が低開発国 との関係を意識 しなければな らなかった理由は社会主義 の勢力拡張に あった.40 年代後半の東欧での 「 人民民主主義革命」の進展, さらに5 0 年の中華人民共和国 の成立によって,資本主義世界は対社会主義援衝地帯を喪失 し, 自らの安全保障を確保す る ためには住関発諸国を 自らの陣営につなぎとめておかなければならな くなったのである.か かる方向性は既に4 9 年初頭 の トルーマンの 「ポイン ト・フォア」,その具体的立案を は か っ た各大統領諮問委員会報告,な らびに
NSCの文章に散見す ることができる. また実際に も 資本主義世界は盟主アメリカが中心 となって,低開発国援助の実施,軍事同盟 の締結か ら,
* 一般科 講師
原稿受付 平成元年
9月3
0日
182
宮 等 晃 臣
果ては直接軍事介入 まで低開発諸国のつなぎとめ政策を様 々に実現 してきたのである.戦後 独立を実現 した低開発諸国は,東西対立を刺 して,体制選択問題を投げかけることによって, 資本主義諸国か ら一定の譲歩を引き出 しうる情況にあった.ただ しそれには社会主義国が輩 国で,低開発諸国に とって社会主義建設が魅力あるもの,少 くとも資本主義諸国に低開発諸 国がそのよ うに映 っていると思われることを条件 としている.いわば南北問題は東西問題 と い うフィルターを通 して成立 していたわけである. ところが5
6年以降 「スター リン体制」の 巨弊が次第に明 らかにな り,中 ソ対立, カンボジアの大虐数,同国‑のベ トナム侵攻,中越 戦争, ソ連 のアフガニスタン侵攻, さらには最近の天安門事件に象徴 され る社会主義国の自 壊作用によ り,社会主義国の低開発諸国へのインパ ク トは低下 し,資本主義諸国は現在,東 西問題 とい うフィルターの網の 目を相当拡大 して低開発諸国を扱 うことができるのである.
また
60年代
,70年代に低開発諸国が一定の発言力,実行力を有 していた根拠には低開発諸 国の団結力ならびに
OPECの指導性があった.ところが今 日,低開発諸国は三極に分解 し,
OPECも自らのカルテルを維持するのに窮 してお り,以前の指導性を発揮 しえず,低開発諸 国は 「第三世界
(Tiers‑Mtonde)」を構成す る力を欠 いているのである.
か くて低開発諸国に繰 る世界情勢は悪化の一途をた どり,南北問題は巨額に達っ' Lた累積 債務問題 と極限に達 っしそいるといって も過言ではない絶対的な貧困問題を帰結 させたので ある.
本稿では累積債務問題 の深刻 さは絶対的な貧困問題に帰着すべ き問題であるとの判断に立 ち,南弗問題 の帰趨を絶対的な貧困問題に求め,何故に絶対的な貧困が構造的に生 じたのか, かか る原因を確定することを 目的 としている.なお,その際,低開発諸国は
60年代に
UNC TADの開催を勝 ち取 り
;70年代には
NIEOを宣揚 したよ うに一定の成果をあげなが ら
,80年代に叡上の深刻 な問題を残 したことに留意 しなければな らない.低開発諸国の開発戦略, 運動 の限界が低開発諸国の絶対的な貧困問題を生みだ した一つの原因であると考えざるをえ ないのである.そこで本稿では絶対的な貧困の構造的な発生原因を南北問題の進展過程を跡 づけることを通 して明 らかにすることに したい.
Ⅱ
南 北 問 題 の 進 展
i
)「第三世界
(TiersIMonde)」の形成
‑ AA会議か ら
UNCTADまで‑
低開発諸国がひ とつの勢力 として世界史の森台K. は じめて登場 したのは,1
955年
4月にバ
ン ドンで開催 されたアジア ・アフリカ会議であった. ・アジアか
ら23カ国, アフ リカか ら6 カ
国が参加 し,
AA諸国の経済協力,文化協力の必要性を強調 し,周 ・ネルーの平和
5原則を
敷街 し世界平和のための1
0原則を採択 し,後の低開発諸国の運動に少なか らず影響を与えた
が
,AA会議は糾合の基準をアジア ・アフ リカといった地域に求めたため,後に国家 レベル
で低開発諸国を糾合できなか った.結集軸を非同盟に特化す ることに よって,低開発諸国は
さらなる結集をみた
・61年
9̲ 月i 与ベオグラー ドで開催 された非同盟諸国首脳会議である・同
会議には米 ソ二大国 と同盟関係を結んでいる国な らびに中立国であって も工業先進国は招請
されず,非同盟に徹 したのである・ー 非同盟運動は 「 冷戦」構造の下で,低開発国の独立を維
持す るための政治運動 として出発 したが,‑ 独立は経済的独立なしには実現 しえない.そこで,
同会議では 「新興諸国が経済的独立,経済開発,相互協力のための国際会議を開催すべき」
南 北 問 題 の 帰 趨
183旨を宣言 し, これに応 じて
●,62年7月 カイロで 「開発途上国経済開発会議」が開催 され,6
9項 目か らなる 「開発途上国カイロ宣言」が発表 され,そのなかで 「国連の枠内で
」「国際貿
易, 1 次産品貿易,開発途上国 と先進国間の経済関係に関するすべての重要問題」を議題 と す る 「国際経済会議が開かれる
」(2)よう決議 されたのである. こ うして6 4 年 3月2 3日か ら6 月1
6日にわたって国連貿易開発会議
(UNCTAD)の第
1回総会が開催 され る運び となった.
住関発諸国が討議の場を国連に選んだのは,国数で資本主義国に勝 っている低開発国の利点 を生かせるのは
, 1国
1票,多数決原理の国連をおいてほかになかったか らであ り,低開発 東国は国連決議を通 して,経済的要求を実現 し, もって自らの経済的 自立をはかろ うとした のである. こうして低開発諸国は7
7カ国が参加 し,その要求は討議用資料 として, 2 月1
2日 に試長 プレピッシュに よって投出された報告 「開発のための新 しい貿易政策を もとめて」( 8 ) に現状分析 とともにみ ることができる.
図
1一次産品の対製造工業品交易条件指数推移
(1950‑1970,ただし
1953‑100)120 110 100 90 80
19505152535455565758596061626364656667686970
・遜 鮭 完晶交易鮒 ( J B r 敢)‑表慧 豊慧諾諾 F ( 芸) A
)×.oo・点線の部分は発展途上地域の交易条件指数の推移を1
958年
‑100にして措 いたもの,同指数は下式より求められる.
突富鉱 誰 の‑芸霊霊認 諾認 諾 芝
諾 ×100・一次産品には石油を始めとする燃料類が含まれ,発展途上地域には産油国 が入っている.
・国連指数は ドル建である.
出典 :深海博明編著 『セ ミナー資源問題の常識』 (日本評論社
1979)126頁
プレピッシュはここで
GATTが理念 とす る自由貿易は 「 工業中心国 と周辺諸国 ( 開発途 上国) との構造的相違を無祝 した経済的に同質の諸国で通用す る原理」であ り,低開発諸国 に 「国際収支の慢性的不均衡」を必然的に帰結せ しめ るのだ と,低開発諸国の立場か ら自由 貿易諭 の陥穿をは じめて指摘 したのである( 4 ) . 彼は 「開発途上国の対外不均 衡 の 主 因」を
「一次産品の交易条件の不利化」に求めた.一次産品輸出は, 「 先進国の技術進歩に よる合
成品の供給,完成品製造に占める原料消費割合の低下,一次産品の消費の低い所得弾力性,
184
宮 等 晃 臣
先進国の農業技術進歩 と保護政策による国内生産増大」等の構造要因によって,その成長率 は低下せざるをえず,他方で中心国か らの製造工業晶の輸入は増大す るので
,「 一次産品の
交易条件」は必然的に悪化 し,それに規定 されて, 「開発途上国の先進国に対す る 交 易 条 件」 も悪化 し,南北格差を拡大再生産す るのだ と考えているのである・事実,図
1にみ られ るように
, 1次産品の交易指数は
54年の
106か ら
62年には
83と悪化の一途をたどり
,54年か ら
62年にかけて,同一畳の一次産品輸出で輸入できる製造工業晶は
21.6%も目減 りした こと になる.一次産品輸出に依存 していた多 くの低開発諸国に とって,一次産品の交易条件の悪 化は 「 途上国の交易条件の悪化」に繋が り, 「 報告」では
1950‑61年の間にその悪化は
17%, それに基づ く輸出購買力の減少は
131億 ドル と見積 られている.低開発諸国が
1次産品輸出 に依存するか ぎ り,低開発諸国の交易条件 の悪化は構造化 され る. プレピッシュはそこか ら 脱 出す るためには低開発国は工業化の道を選択 しなければならない と考えている.ただ し, 注
(4
)で示 しておいた
49年の論稿 とは異な り,工業中心国‑の依存を強めることになる輸入代 替工業化政策は採用で きない としている.
さて, プレピッシュは低開発国の自立 の鍵を振 る工業化は工業中心国 との国際協力なしに は実現 しえない と捉えていた.つ ま り工業化のためには一定の外貨を獲得 しておかなければ な らないが,そのためには
1次産品の価格,販路を包括的な国際 「商品協定」によ り安定さ せ, さらに 「先進国が開発途上国に輸入アクセスを保障 し」 , 「開発途上国の対外ボル トネ ッ クの緩和を保証す る必要があ り」,さらに工業化に よって達成 され うる工業製品輸出に対 し て も,工業中心国が
10年以上の一般的かつ無差別な特恵を一方的に供与 しなければならない と主張 しているのであ る. また工業化のための資金援助が 「 交易条件悪化への補依融資」を 含め要請されている.
か くて, 1次産品の価格安定 ・輸出拡大,低開発国の工業製品 ・半製品への特恵供与,低 開発国への援助が
UNCTADの
3大要求 として打ち出され,第
2回総会以降 も主な係争点
となっていったのである.
さて, プレピッシュ理論 の功貴は,すべての社会は 「 農業支配的な基礎か ら工業支配的な 基礎に移行す る」 とい うpス トウの 「 離陸」論に代表 され る単糸的な近代化論 に 対 し て,
「中心一周辺」 とい う独創的な視角を提示 し,低開発国の低開発性が中心国 と周辺国を固定 化 し,その格差を拡大する自由貿易構造に刻印されていることを別快 した点にある 。 「中心
(center,centralcountries,industrialcenters)
‑ 周辺
(periphery,peripheral countries)」ンェ‑マは後にフランクによって 「中枢
(metropolis)‑衛星
(satelite)」に 焼 き直 され,従属理論に批判的に継承 されていった. しか しプレピッシュ理論の限界は,局 辺国の交易条件の悪化 の原因を無媒介に一次産品の交易条件の悪化I と求め, したがって一次 産品の交易条件を工業先進国 との協力によって改善 しうると主張 した点にある.かかる理論 的枠組 のなかでボーダレスな多国籍企業の存在が全 き看過 されて しまったのである.
1次産 品の交易条件 の悪化に も,低開発諸国の交易条件の悪化に も,低開発諸国の低質銀を利用 し, 資源を買いたたき, もって得 られた巨額な利潤を本国に送金す る多国籍企業が深 くかかわっ ていたのであ り, これへの対処を欠いて交易条件を改善す ることは不可能なのである.
また
UNCTAD 欝 1回総会での要求事項 も実現されたわけではなかった.図
1で確認で
きるように
, 1次産品の交易条件が
64年以降かえって低下 したのはその現れである. まず国
南 北 問 題 の 帰 趨
表
1 DAC加盟国か ら低開発国への賢金の流れ
( 単位 :
100万 ドル)
1960 1965 1970 1973 1.政 府 開 発 援 助
( 対
GNP比%) ( 総額に対する%)
二 国 間 贈 与 ( 総額に対する%) 二 国 間 借 款
( 総額に対する%) 多 国 間 援 助
4.665 5,895 (0.54) (0.44) (57.5) (57.1) 3,692 3,714 (45.5) (36.0) 432 1,833 (5.3) (17.8)
534 348
6,791 9,351 (0.34) (0.30) (43.3) (38.0) 3,309 4,462 (21.1) (18.1) 2,357 2,621 (15.0) (10.6) 1,124 2,268 2.
そ の 他 政 府 資 金
( 総額に対する%)
二 国 間 援 助
多 国 間 援 助
9)8133671.8217日HqLr
EiiZ149950■9322ィ■u
)3707360●233qtHU 2,463 (10.0) 2,073
390
3.
民 間 姿 金
( 総額に対する%)
直 接 投 資
( 総額に対する%) 二 国 間 証 券 投 資
( 総額に対する%) 多 国 間 証 券 投 資
輸 出 信 用
( 総額に対する%)
3,150 4,121 (38.8) (39.9) 1,767 2,468 (21.8) (23.9) 633 655 (7.8) (6.3) 204 247 546 751 (6.7) (7.3)
6,875
1
1,456 (43.9) (46.5) 3,543 6,711 (22.6) (27.2)716 3,286 (4.6) (13.3)
474 258 2,142 1,196 (13.7) (10.1) 4.
民間非営利団体による贈与
( 総額に対する%)
( 対
GNP比%)
858 1,365
‑(5.5) (5.5) 8,115 10,320 15,662 24
,
628 (0.89) (0.77) (0.78) (0.79)185
出典
:DAC,ただし引用は大島清網 『 現代世界経済論』 ( 東京大学出版会1
987年)74 貢から
際商品協定 につ いて いえば, 1
966年 に第
3次国際錫協定 が調和 され たに とどま り
,68年
2月か ら
3月にか けて ニ ューデ リーで開かれ た第
2回
UNCTAD総会 に もち こされ, 低 開発 国 に とって重要 な1
9品 目 (ココア,砂糖, 油料種子お よび油脂, ゴム,硬質頼経, ジ ュー トお よび ケナ フ,バ ナナ,柑橘 炉,綿花, タ ングステ ン,紅茶,葡萄 酒,鉄鉱石, タバ コ, マ ン ガ ン鉱石,雲母,胡 板, シェラ ック,燐 鉱石) の商 品協定 を締結す るため の政府 間 作業部会 が設置 され た. それ で も作業 は遅 々 として進 まず, 痔を切 らした途上 国は1
975年
2月 の第8回
1次産 品委員会で
「1次産 品総合計画」 を発表せ ざるを えなか った よ うに,資 本主 義諸 国 の協 力が得 られず, 締結 が順延 を繰 り返 したのであ る. また価格 イ ソデ クゼ ‑ シ ョソ,市場 ア クセスにつ いて も同 じ理 由か ら合意に達 っす るにはほ ど遠 か った のであ る.
さ らに援助 について も後退 を示 した. カイ ロ宣言 で国民所 得 の
1%として要 求 され た援 助
は第
2回
UNCTAD総会 で
GNPの
1%と改 め られ,1
970年 までに実現す る よ う要 求 され
186
官 等 晃 臣
たが,表
1に示 されているように,DAC加盟諸国か らの資金合計の対
GNP比は60年の0
.8 9%か ら70年には
0.78%に低下 した. さらに公的援助 の中核を担 うODAが同比で
60年か ら
5
年毎に0.
1%ずつ低下 し,絶対折で も60年代か ら
70年にかけての伸び率が1
.48倍にす ぎず, 合計の伸び率
1.93倍を大 きく下回っているように,内容的にも後退を印象づけている.民間 資金がこの1
0年間で2.
18倍の伸びを示 してお り, この1
0年間の資本主義諸国か らの低開発諸 国への資金の流れが 「 民間優位化
(privatization)」にあったことを示 している.また
ODAの内訳をみても,贈与
(grant)が この1 0 年間絶対折で1
0%も低下 し,逆に借款が5
.45倍増 大 し
,3.92倍に も及ぶ輸出信用の拡大 と相侠って,低開発諸国の公的な らびに私的債務を累 積 させてい くことになったのである.
UNCTAD
は低開発諸国が自らの経済的独立の実現を 目的に団結 し,資本主義諸国に要求 をつ きつけてい くことのでき うる国際場複を勝 ち取 った点に画期的成果をお さめたが,要求 は叙上のように実現 されたわけではなかった.資本主義諸国に協力を求めるといったプレピ
ッシュ路線 の限界 とともに資本主義諸国に対する低開発諸国の実質的な交渉力の欠如がここ に明 らか となったのである.
ii)
資源ナシ ョナ リズムの高揚
低開発国に とって6
0年代は 「開発 の1
0年」ではな く 「 挫折の1
0年」に終 り
,70年代に入 る と,資本主義諸国に対 して積極的姿勢に転 じていった.7
2年春の第
3回
UNCTAD総会に 備えて
,71年秋に採択 されたG7
7閣僚会議の 「リマ宜言」 ( 5 )では 「 途上国の自主性を増大 し,
もって真 の経済的独立を確保す る」 ことが宣揚 され,第
3回
UNCTAD総会 もジ ュネーブ 開催に固執するアメ リカを押 し切ってアジェソデ政権下のサ ンチアゴで開催 されたのであっ た.チ リでは7
0年1
0月にアジェソデ人民連合政権が誕生 し
,71 年
7月にケネ コット, アナ コ ソダといった米系多国籍企業の銅山会社の無位での国有化が発表 されていた.第3 回
UNC TAD総会はまずアジェソデ政権支持の声明に よって開幕 し, アジェソデ大統領自身 も開催 挨拶 のなかで,低開発国の開発はただ北側に要求するだけでな く, 自らの社会 ・経済組織 の 改善な くしては不可能であることを述べるとともに,チ リが 自立更生をめざして米系銅山会 社を国有化 し,新 しく社会主義 の道を歩 まざるをえなかった事情を説明 し,総会全体の雰囲 気を告知 したのであった
(6)。 またメキシコの‑チ ェべ リア大統領によって,天魚資源に関す る恒久主権を核心 とす る 『 経済権利義務憲章』 も提案 され,か くして低開発国はまず天然資 源の恒久主権を確保 し,次いでその資源を自国の自立にのみ役立てさせ る新たな国際経済秩 序を樹立 し, もって自国の経済的独立を実現せん とす るビジ ョンを切 り開いたのである.
天然資源の恒久主権がこの時期に主張 されねはならなかったのは,低開発諸国における天
然資源の多 くが依然 として多国籍企業に よって支配 されていたか らであ り,資源主権の確保
は多国籍企業の資産の,低開発国政府に よる凍結,接収,国有化を欠いては実現で きなか っ
た.国有化はすでに
62年の第1
7回国連総会で採択 された 「 天然資源にたいす る恒久主権」で
認め られていたが,同決議では国有化の補償の準拠法 として国内法 と国際法が併記 されてお
り,国際法に基づけば,国有化は国際司法裁判所 の合意が必要であ り,そのためには国際標
準主義に基づいて,市場価格で資産を評価 した うえで買い上げねはな らなか った.そのよう
な資金的余裕など低開発国にはない.60 年代のセブン ・シスターズのように原油価格の8 分
の 1にす ぎない利権料
(royalty)を支払 うのみで,巨利を食 っていたのであるか ら,かか る
何 北 問 題 の 帰 趨
187る多国籍企業の資源,労働力の収奪に よって生 じた資源の 「 枯渇お よび択傷に対 して,返還 および完全補倍を得る開発途上国の権利」は当然認め られ るところであ り, したがって低開 発国に とっては国内法で多国籍企業の資産を無償で接収する権利を原則的に有 していた とい えま う. しか しなが ら,実際には低開発国の断固たる実行力な くしては多国籍企業の資産 の 国有化は実現できなかったのであ る.
70年代 の
OPEC諸国の一連 の実力行使が資源ナショ ナ リズムを一挙に高揚 させ るもの となった.
OPEC
諸国が徐々に価格決定や, 権益に参加できるようになった背景には,アメ リカが石油 輸入割当制度を廃止せ ざるをえなかったことに示 され るように,資本主義諸国の石油多消費 型の高著杭が進展 し,他方でベ トナム戦争での石油の大量消費に よって原油の需給が逼迫 し 徐々に売手市場化す るといった情況が続いたか らである.かか る情況のなかで
,71 年
2月に ペルシャ湾岸
6ヶ国 とメジャーズ との問でテヘラン協定が成立 し,公示価格の引き上げお よ びその後の値上げスケジュールが決定 され, さらに72 年末には同 じく湾岸諸国 とメジャーズ との問で リヤ ド協定が調印され
,73年
1月までに
25%,82年 までに
51%の湾岸諸国の権益参 加
(part i
cipation)が取 り決め られた. しか し
73年
9月に リビアが国内の全外国企業 の
51%の株 の国有化を発表 したのを手は じめに
,10月にはイラクが米系石油企業
2社 の株 の国有化 杏
,1 1 月になるとサ ウジアラビアが
Aramco(ArabianAmericanOilCompany,スタン ダー ドオイル ・ニュージャージー,テキサ コ,スタンダー ドオイル ・カル フォル ニア,モー ビルか ら構成)の
51%の株 の国有化を発表 したのである.翌7
4年に も国有化は
6件を数え,
82年をまたず して産油国は生産権を徐々に手中におさめ,資源主権を確立することができた のである. これ ら一連の湾岸諸国の動向は
,73年
10月に勃発 した第
4次中東戦争を機に発動 された
OPEC戦略に連動 してお り, アメ リカを中心 とす る対 アラブ非友好国への石油禁輸 措置は,資本主義国に対する低開発国の実効ある交渉力の鍵が資源主権にあることを示 した のである.低開発国は
70年代にしてようや く
OPECを中心に,資本主義諸国のエネルギー 源を押えることに よって, 自らの 「 完全な経済的独立を確保す る」ための世界経済秩序 の樹 立を資本主義国側に迫 り, この要求を国連決議 とい うかたちで追記 させ, ・秩序遵守を義務づ けることができたのである.7
4年春の第
6回国連特別総会で採択 された 「 新国際経済秩序樹 立に関す る宣言」お よび同 「 行動計画」 , さらに同年末の第
29回国連総会において採択 さ れ た 「 諸国家の経済的権利義務憲章」がその成果である叩.
これ らは
NewlnternationalEconomicOrderと総称 されているが
,NIEOの特徴は資 本主義国本位の
「IMF・GATT体制」への強い批判な らびに資源ナショナ リズムである.
即ちまず,現存する南北間格差は植民地時代に確立 された もので, この格差は
IMF・GAで Tに体現 され る 「 不平等を固定化 している現代の制度においては,拡大 しつづけ」 るとの認 識が示 され, 「 現在 の国際経済秩序」 の改変要求が表明され,低開発国が 「 完全に平等に参 加」できる 「 新国際経済秩序」の樹立が提唱さj tたのである. さらにこの新秩序樹立 のため の不可欠な条件 として, 「国家の主権平等」 , 「 天然資源の恒久主権」の確立, 「 生 産 国 機 構」 の承認な らびに 「 価格イソデ クゼ〜ショソ」 の実施を挙げている.
「国家の主権平等」は人民 自決か ら体制選択の自由までを含み
(「 宜言」 4 ( a) 〜( b) ) , 「 天
然資源の恒久主権」については多国籍企業の規制,監督,国有化が細 目だ って記 され また
収奪 された資源の遡及補供の権利にもふれ られている (同 4
(e)〜(i)ならびに( I) ).国有 化 に
188
官 寄 晃 臣
ついては 「 宣言」では資源を保護す るための 「国家の完全な恒久的主権 の表現 として」捉え てお り, さらに 「 意章」では 「 外国人資産を国有化 し,収用 し, またその所有権 を 移 転 す る」際に 「 補依問題で紛争が生 じた場合はいつでも,その紛争は,国有化を行 った国の国内 法に基づき,かつその法廷において解決 されなければならない」 ( 第
2粂( o ) ) 旨が記 され, ここにいたって ようや く国有化の準拠法が国内由 こ収赦 されたのである.
次に 「 生産国機構」については国連総会 とい う場で 「 すべての国家は
‑‑一次産品生産国 機構に参加す る権利を有す る. これに対応 してすべての国家は,かかる権利を制限する経済 的,政治的措置を とることを慎むことに よりこの権利を尊重す る義務を有す る 」( 「 憲章」第
5粂) と生産国カルテルのガー ドを固め, 「 価格イソデクゼ‑ショソ」についても 「 すべて の国家は‑‑・ 開発途上国の輸入品価格 との関連においてその輸出品価格の調整を達成す るた めに協力する義務を有する」 (同第
28粂) ことを明記 し,資本主義諸国に 「 正当かつ衡平な 交易条件」の確立を約束 させたのである.
ところで,資本主義諸国に とって, これ ら諸要求は本来容認できるものではなかった. と い うのも戦後資本主義世界は ドル撒布に よる内外市場の人為的拡大 とともに安価な資源の安 定 した大量供給を前提に高著街を実現 しえたか らであ り, これ ら諸要求を容認すれば当盆資 本蓄積には重大な支障をきたす ことになるか らである.事実第
1次オイル ・ショックはその ことを雄弁に示 したのである. しか し資本主義諸国が これ ら諸要求に対 して無視 し続ける, さらには古典的に力で対決 しうる状況には もはやなか った.かかる対応は原油の一層の供給 制限 と価格騰貴を招 き, またアメリカがベ トナムか ら敗退 し,サイゴン, プノンペ ン陥落が 秒読みの段階でさらに南北対立を激化 させるわけにはいかなかったのである.
i i i )
NIE0 の頓座と低開発諸国の三極分解
さて
,NIEOを現実化 させるためには,低開発国側はさらに交渉力を強化する必要があっ た. とい うのも
,NIEOが承認 されたのも,資本主義国側が
OPEC戦略に譲歩せざるをえ なかったか らであ り,資本主義国側に
NIEOを遵守 させるためには,さらなる譲歩を引 き出 さねはならなかったか らである.そのためには
OPECのような強力な交渉力をもつ生産国 カルテルを他の一次産品分野に拡大 してい く必要があった.
1975年
2月の非同盟諸国会議に おいて採択 された「ダカール宣言」はかか る戦略に基づいて, 「 愈 々の生産国同盟間の協議お よび協力」を訴え
,OPECの強力な‑ゲモニーの下で,国際経済協力会議
(Conference onlnternationalEconomicCooperation‑ CIEC)が
76年に開催 され る運びとなった
(8).CIEC
は もともとフランスの呼びかけで, 資本主義諸国が
OPECに対処すべ く
,OPECとの協 議 の場 として位置づけ られていた産油国 ・消費国合同会議を,議題を石油問題に限定づける ことな く, 一次産品問題を含めた広汎 な南北間交渉の場に拡大せん とした
OPECに押 し切 ら れて開催 された ものである.
OPECを中核に,低開発諸国は
CIECを種々の生産国カルテ ルの連繋の場 とす ることに よって, 資本主義諸国に譲歩を迫 り
,60年代以来懸案 となっていた
1次産品問題をこの場で一挙に解決するとともに
,UNCTADとな らんで
NIEOの推進機 関た らしめ ようと位匿づけたのである.
CIECのなかに,‑ネ/ t ・ ギー,一次産品,開発,金 融 の
4委員会が設け られ, 討議が 1年半にわたって続け られたが, 低開発国側か ら参加 した
19ヶ国は 「 国際経済協力会議の結論は新国際経済秩序 の樹立を 目ざす総合的かつ衡平な行動計
画 のために想定 され る目標に及ばなかった との感 じを有 している
」(9)と報告 しているよ うに,
南 北 問 題 の 帰 趨
189結局みるべ き成果 もな く閉幕 した. 1次産品問題について も, 「 一次産品総合計画」に 「 原 則的に合意」を示 したに とどまった.
その「 一次産品総合計画」では低開発国側は従来の商品別の個別アブ p‑チではな く
, 18品 目 (コー ヒー, ココア,天然 ゴム,硬質秩経,ジュー ト,錫,茶,砂糖,銅の最重要品 目に, ボーキサイ ト,鉄鉱石,バナナ,マンガソ,食肉, リン鉱石,木材,植物性油)一括 アプロ ーチによって国際商品協定を締結 し,次いで当該商品に上限 ・下限価格を設定 し,かか る価 格帯に価格が安定す るよう緩衝在庫操作を施 し,その財源 として共通基金の設置を要求 した.
しか し交渉経過 のなかで,一括 アプローチな らびに共通基金による価格の中央集中管理 (ソ ース型)は資本主義諸国に よって排除 され,個別商品協定の締結な らびに共通基金には各協 定の一部資金を預託融通す るプー リング方式が採用 された. しか も,その成果は 「ココア と ゴムの協定は締結 されたが,それがすべてであった 」的 と世銀 も認めているよ うに,一次産 品問題の解決にはほ ど遠 く,む しろ低開発国側の後退を示す結果 となったのである.
CIEC
の閉幕
,「 一次産品総合計画」の後退は低開発国側 の意図 とは逆に
NIEO運動の鎮 静化を告げるものとなった.
NIEO運動の鎮静化は実体的には
1次産品生産国 カルテル結成, 維持 の困難に起因している. まず一次産品は価格弾力性に乏 しく, また販路 もアグ リビジネ
ス,穀物商社等の多国籍企業に把捉されていることでカルテル機能は十分に先棒 しえない し,
また締結単位が吸収 も合併 も可能な企業 と異な り,主権国である点でカルテル遵守を強制 し
えないのである.
OPECといえ■ ども,かかる一次産品国カルテルの脆弱性を免れているわけ
ではない.
NIEOは現実的にはその推進母胎であった
OPECの息切れに よって鎮静化 r ・衰
退 していったのである.
OPEC凋落の要因は
3点ある.第
1の要因は国家対立である.同 じ
アラブ民族国家のなかで も,サ ウジアラビアのよ うな親米的で保守的な王国もあれは,反米
的な社会主義国 リビア, アルジェリアも加盟 しているのである. また同じイスラム国家で も,
スソニ沢 とシーア派の対立は戦争にまで発展 したのであ り, さらにアラブとペル シャの民族
対立 も内包 してお り,歩調を合わせるのが もともと難 しいのである.第
2の要因は石油埋蔵
量の差か ら生 じる石油戦略の相違である.確認埋蔵量
1,666倍バ レル,可採年数
96.7年のサ
ウジアラビアに とっては,原油を最後の一滴 まで,長期にわたって利用 していかなければな
らず,そのためには原油価格を資本主義諸国にとって リーズナブルな水準に維持 させて,質
本主義諸国の代替エネルギー開発にブレーキをかけなければならない.逆に埋蔵量が少い と
推定 されているアルジェリアや リビア,確認埋蔵量
7億バ レルのガボンなどは,可能なか ぎ
り原油価格を吊 り上げ,高値のついた時に一気に増産す ることが最適戦略 となる. この点七
もカルテルを維持す るのは至難の業 といえよう.第
3の要田は
OPECの価格支配力の低下
である
・OPECが価格支配力を担 った といっても,上流部門だけであって,革終需要の情報
収集の手だては最初か ら持ち合わせてお らず,その点で当初か らカルテル機能 として脆弱性
を腫胎 していた. また資本主義諸国の省二束ルギー投資,代替エネルギー投資が急速に進展
し,表
2に示 されているように石油消費量,輸入量は ともに大幅に低下 し,原油価格を押 し
下げ る結果 となった・加えて北海油田, アラスカ, メキ ㌢コの非
OPEC油田の生産 も
80年
代に入ると本格化 し,原油輸入に占める
OPECへの依存度は表
2にあるように, 日本を除
きのきなみ大 きく低下 し,非東側世界の
1次エネルギー供給に占める
OPECの シェアは
85年には1
7%にまで半減す ることになった叫・78年暮か らのイラン革命を機に, メジャーか ら
190
官 寄 晃 臣
表
2主要国の石油輸入量 ( 1 )と
OPEC依存度 ( 単位 :
100万 ドル,( )内は%) )
1973年
l1979年 1 9 8
1年
11982 年
ア メ リ カ
OPEC依存度
日 本
OPEC
依存度
言
孟謂偶
ヲ… 葺 字
…i?2
)51宇
…左チ書 写 西 ド イ ツ
OPEC
依存度 フ ラ ン′ ス
OPEC
依存度 芋
孟謂協
?芸 ヲ
イ ギ リ ス
OPEC
依存度
(芋もヲ6,冒
l(7,7683 OECD総輸入量
(2)総消費量
(100万 トソ/日) ( 1 ) 液化天然ガスを含む
(2)アイスランドを含む
▲ほ輸出超過
出典 : 輸入量については
,OECD,EconomicOutlook,No.42.Dec.1987 0PEC依存度については,日本銀行 『 国際比較統計
』1987年版
,1989年版
OECD
総消費量については
'IEA,OilMarketReport,Dec.1984,OECD op.°it.供給削減を余儀な くされた独立系精製企業が先を競 ってスポ ッ ト市場に参入 し,買い漁 った 結果暴騰 した原油価格的 も
81年以降には叔上 の要因が重 って漸次低落 し,価格低落を喰い止 め るため自らス ウィング ・プロデ ューサ ーの役割を果 し, 日産
200万バ レル とい う
20年前の 生産水準に甘ん じていたサ ウジアラビアも
85年にネ ッ ト バ ック方式的 による販売 に踏み切 った ことか ら,原油価格は堰を切 った よ うに暴落 し, オイル ・グラッ トに突入 し
,86年
7月 には ロッテル ーダム市場でネ ッ ト バ ック価格は
9.82ドル と
10ドルを割 り込 んだのであ る.
80
年には
OPEC全体で
1710億 ドルを計上 した貿易収支 も
86年には
140億 ドルにまで減少 し,
‑ イ ・アブソーバ ーズにいたっては
10億 ドルに まで減少 したのであ る.
OPECの経常収支は
80年の
1060億 ドルの黒字か ら
,86年には
280億 ドルの赤字に転 じ的
,OPECの凋落は誰 の 日
に も明 らかになった.
こうして
80年代に入 ると
,NIEO運動を推進 してい く力量 を
OPECは喪失 し
,OPECの
凋落 と歩調を合わせて,低開発国の団結力は低下 し,利害対立を窄みなが ら,三極に分解す
る.即 ち
,OPEC,NIES,最貧国的に分解 し,歩調を一つにす るこr tができないでいるので
あ る.例えは多国籍企業への対応を考えてみて も, これを積極的に排除す ることに よって石
油資源の恒久主権を獲得 した
OPECと, フ リー ・トレー ド・ゾーン, タックス ・シェルタ
ー等を設け,多国籍企業 の積極的な誘致をはか っている
,NIESとでは利害 の一致は難 しく,
また二度にわた るオイル ・ショックは産油国には
3500億 ドル弱のオイル ・マネーを もた らし
資本主義諸国に もスタグフレーションを深化 ・増 幅 させたが
,LLDCが 「 最 も深刻 な影響を
受けた国々
(MostSeriouslyAffectedCountries)」となった.これ ら国々では石油価格高
騰 に伴 って輸入物価が騰貴 し,他方資本主義諸国が徹底 した省資源投資,合成代替化をはか
南 北 問 題 の 帰 趨
191ったため,一次産品輸出は不振を極や,貿易収支, さらに咋 経常収支を悪化 させ,・経常赤字 をファイナンスするはずの援助 もスタグフレーション下 の資本主義諸国の財政難か ら伸び悩 み的, こうして生 じた外貨不足は食糧難を中心に深刻 な社会問題に直結 していったのである.
80
年代に入ると,か くして低開発諸国間の不均衡が顕著にな り
,83年には
LLDC‑ の
1人当 り国民所得は,産油国の
1871ドルの
9分 の
1強
,NIESの
1987ドルの
10分の
1弱の
201ドル と,格差が歴然 と示 され 南々問題が広 く意識され るようになったのである.
70
年代の
NIEO運動の高揚 とは打って変 って
,80年代に入 ると内部にも格差,不均衡を抱 え,団結力を失い,三極に分解 した低開発諸国には, 普. た資本主義諸国にとって も,ひいて は 「 宇宙船地球号」に とって も深刻 な問題が生 じたのである.低開発諸国の累群債務問題 と 絶対的な貧困問題である.
見積債務問題か らみておこ う.表
3にある. ように
,85年か ら
1兆 ドルを超 した低開発国の 債務残高は
,86年には一兆
1520億 ドル
,87年には
1兆
281 0億 ドルに達 し
,88年の残高は
1兆
3200億 ドル と推定されている・世銀に債務報告を行っていろ国
(DRS報告国
)一111ヶ国の
87年債務総額
1兆
1695億 ドルや地域別内訳は, 中南米が
4,425鑑 ドル
・(38%), 一束 アジア,大洋 州が
2,063億 ドル
(18%),欧州 ・地中海が
2,021億 ドル
(17%),サ‑ラ以南アフ リカが
1,288億 ドル
(11%), 北 アフ リカ ・中東が
1,075億 ドル
(9%), 南アジアが
825億 ドル
(7%) と なっている. また,中長期の公的債務の資金源に関 しては中南米では民間融資が
72%を占吟,
サ‑ラ以南アフ リカでは公的融資が
29%と,債務の性格 も地域的特色を示 している的.
表
3L 低開発国の対外債務残高
1982‑1988 (1
0億 ドル)
1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 DRS
報告国
長期債務
公的資金源から 私的資金源から 短期債務
IMFからの信用供与
その他の途上国 対 外債 務 合計
′0000000002574422204511311
06793011793534181945112
344090925963149508351
24591891690833005973410
27892313Ln83433CO3862419
6569016414214389862418
2239916156056283752318
1988