「身代わり」の文学 : オスカー・ワイルドから漱 石の『心』へ
著者 宮崎 かすみ
雑誌名 表現学部紀要
巻 15
ページ 130‑113
発行年 2015‑03‑20
URL http://id.nii.ac.jp/1073/00004084/
はじ めに ── 漱石 とワ イル ドの 邂逅 イギ リス にお いて 男色
(ソ ドミ ー) は、 あま りに も強 いタ ブー 感ゆ えに その 名で もっ て言 及さ れる こと すら 憚ら れ、 文字 通り
「言 葉に でき ない もの
」(
theunspeakable
と) か、
「名 前の ない 罪」(
nameless of-fences
)な どと 呼ば れて いた
。法 律上 も、 男色 は「 自然 に背 く罪
」
(theunnaturalcrime
と) いう のが 正式 な名 称で あっ た。 口に する こと さえ 憚ら れる この
「罪
」を 犯し た廉 で捕 えら れ、 裁判 に負 けて イギ リス 社会 から 追わ れた オス カー
・ワ イル ドは
、一 九〇
〇年 十一 月三
〇日 にパ リで 客死 した
。翌 日の
『タ イム ズ』 は、 その 死を こう 報じ た。
かつ てあ れほ ど輝 かし い成 功を 約束 され てい た生 涯の
、そ の
─要 本 旨 稿は
、ワ イル ドと 漱石 の接 点を たど ると ころ から 始ま り、 ワイ ルド の文 学が 漱石 に及 ぼし てい る影 響を 考察 する もの であ る。 二人 の邂 逅の 起点 を、 漱石 がロ ンド ンで 最後 に下 宿し た家 から ほど 近い とこ ろに あっ たク ラパ ム・ ジャ ンク ショ ン駅 に設 定し た。 数年 のず れ があ るも のの
、こ の駅 でワ イル ドは 監獄 への 移送 中に 群衆 の嘲 笑を 浴び ると いう 屈辱 の体 験を し、
『獄 中記
』を 通し てそ れを 知っ た漱 石 は『 永日 小品
』の 一篇 でこ の駅 に触 れて いる
。漱 石は ワイ ルド の同 性愛 やそ れに 起因 した 悲劇 につ いて 言及 して いな いも のの
、『 心』 の 根幹 をな す思 考に おい て、 ワイ ルド の影 響を 受け てい ると 認め られ る。 本稿 では
「W
・H 氏の 肖像
」、
『ド リア ン・ グレ イの 画像
』と の構 造お よび 表現 にお ける 類似 性を 指摘 し考 察し たの ちに
、ワ イル ドの
「個 人の 経験 の代 わり とし ての 芸術 作品
」と いう 表現 を、
『心
』の 本質 的な メッ セー ジと して 引き 継い でい ると いう 結論 に至 った
。
「
身 代 わ り
」の 文 学
─ オ スカ ー・ ワイ ルド から 漱石 の『 心』 へ 宮崎
かす み
哀れ な末 期は ラテ ン地 区の 名も 知れ ぬホ テル で閉 じら れた とい う。 一度 は天 才の 名を ほし いま まに した 文士 が、 故国 から も社 会か らも 追放 され てこ の安 宿で 流謫 の身 を託 って いた のだ
。一 八九 五年 五月
、オ ール ドベ イリ ーで 下さ れた 評決 によ って その 名は 永久 に地 に堕 ち、 終生 人目 を忍 ばね ばな らな い屈 辱の 人生 を送 るこ とを 余儀 なく され たの であ る���
。 この
日、 ロン ドン でこ の記 事を 読ん だで あろ う日 本人 のな かに 夏 目金 之助 がい た。 この 年の 九月 八日
、プ ロイ セン 号で 横浜 港を 出発 した 夏目 は、 十月 十九 日に ジェ ノバ に着 き、 そこ から 陸路 でパ リに 来た のは
、十 月二 十一 日。 そこ で約 一週 間を 過ご した のち
、十 月二 十八 日に よう やく 最終 目的 地で ある ロン ドン に到 着し た。 ロン ドン 大学 の近 くの 下宿 に移 った のは 十一 月十 二日 のこ とで あり
、ロ ンド ン大 学の シェ イク スピ ア学 者、 クレ イグ 教授 の個 人教 授を 一時 間五 シリ ング にて 受け るこ とに 決め たの は二 十二 日で ある
。つ まり この 記事 が掲 載さ れた 十二 月一 日、 金之 助は ロン ドン の下 宿に 落ち 着き
、 留学 生活 が緒 につ いた ばか りだ った
。 これ を読 んだ 金之 助は
、果 たし てワ イル ドの 罪状 を理 解し てい た のだ ろう か。 一八 九五 年の ワイ ルド 裁判 当時
、金 之助 は松 山に 赴任 中だ った から
、裁 判の 様子 を盛 んに 報道 して いた 新聞 や雑 誌を 入手 しや すい 状況 にあ った とは いえ ない
。漱 石の 蔵書 にワ イル ドの 著作 が加 わる のは
、作 家と して 活躍 し始 め、
『三 四郎
』を 執筆 する 前の 時 期の こと であ る。 漱石 は、 蔵書 の『 ドリ アン
・グ レイ の画 像』 に詳 細な 書き 込み をし てい るが
、ワ イル ドの 同性 愛に つい ては いか なる
言葉 も残 して いな い。 だか らと 言っ て、 その 沈黙 を根 拠に
、知 らな かっ たと 想定 する のは 早計 だろ う。 イギ リス の下 宿に 滞在 して いれ ば、 新聞 の報 道に は記 され てい ない こと まで も周 囲の 人々 から 聞き 知る こと はで きる
。世 間を あれ だけ 騒が せた ワイ ルド の訃 報が 届け ば、 人々 の話 題に 上っ たこ とは 容易 に想 像で きる
。 本稿 は、 漱石 はワ イル ドの 性癖 と、 それ によ って もた らさ れた 落 魄を 知っ てい たこ とを 前提 に論 を進 める
。根 拠と する のは
、前 述の 状況 証拠 のほ かに
、漱 石が 入手 した 短縮 版の
『獄 中記
』に ある 書き 込み であ る。 獄中 にあ った ワイ ルド が、 イエ スの 象徴 性に 思い を致 し、 自ら の悲 惨な 生に 象徴 とい う観 念を 取り 込む こと によ って 救わ れる 思索 の過 程を 綴っ た珠 玉の イエ ス論 を読 んだ 漱石 は、 言葉 を排 して ただ 傍線 を引 き、 痕跡 を記 した
。イ ギリ スの 流儀 に則 った かの よう に、 その 罪に 関し ては 一切 口を 噤ん でい る。 しか しこ の沈 黙の 背後 には
、ワ イル ドを 奈落 の底 に突 き落 とす 原因 とな った 事情 につ いて の、 ひそ やか では あれ
、確 たる 知識 の気 配が ある
。 とこ ろで
、金 之助 が同 性愛 につ いて 非常 に早 い時 期に 書い た論 考 が一 つだ けあ る。 東京 帝国 大学 英文 科三 年、 二十 五歳
(一 八九 二年
) のと きに
、ア メリ カの 詩人
、ウ ォル ト・ ホイ ット マン の『 草の 葉』
(LeavesofGrass
を) 論評 した もの であ る。 その 中で
、ホ イッ トマ ン が謳 う「 男性 的同 胞愛
」
(manlyloveofcomrades
)に 触れ
、男 性同 士の 友愛 にこ うし た表 現を 与え た詩 人は かつ てい なか った と讃 えて いる
。 金之 助が 注目 する のは
、男 女の 間の 愛で はな く、 朋友 同士 の友 愛を 高ら かに 謳い あげ てい る点 であ る。
「此 原作 は敢 て女 性に 関し て咏 出 せる 者に あら ず女 を恋 ふて 男を 愛せ ず抔 と云 ふる は「 ホイ ット マ