北陸における労働市場の
展開と農業構造
中
藤 康
俊
は じ め に
農村の低賃金労働力が日本資本主義の発達に重要な役割を果してきたこと は戦前,戦後を通じて変りはないが,とくに昭和30年代のわが国経済の「高 度成長」=資本の高蓄積に果した役割は大きかった。経済の高度成長の過程 で日本資本主義が再生産構造の…環に農業,農村を把握するに及んで,農村 労働力が農外に吸収され,これを契機として農業構造が変貌する側面が強く なった。つまり,日本農業が労働市場を通じてよりいっそう再編成されるに 至ったのである。労働市場といえばじゅうらい「都市労働市場」が一一般的で あったが,工業の地方分散や地方自治体の地域開発政策によって「地域労働 市場」が形成され,農村の労働力はますます流出することになったが,完全 に離農するのではなく,通勤兼業という形態でしか労働市場に吸収されず,
いわゆる「土地持ち労働者」(1)が出現するところに現代的特徴があるといえよ う。今日,労働市場を重視するのはこのたあであり(2},兼業問題を農業問題の 枠内でとらえきることはできず,地域労働市場との関連でとらえねばならな いであろう。本稿は北陸における労働市場の形成を契機として農業構造がい かに変貌し,現在に至っているかを明らかにするものである。
1.工業立地と就業構造の変化
高度成長期における工業化は重化学工業を基軸として資本の集中,集積の 著しかった太平洋ベルト地帯を中心としたものであり,日本海沿岸地域は工 業化の波からとり残されたかのようである。だが,同じ日本海沿岸地域でも 東北や山陰地方とは異なり,北陸はもともと繊維,機械,化学,その他の地 場産業が発達しており,高度成長期にこうした部門の工業化が一段と進んだ ばかりでなく,新潟,富山・高岡などの新産業都市建設によって新たに工業 立地がみられ,日本海沿岸地域ではとくに工業化が著しかった。
表1は昭和43年から48年に至る都道府県別鉱工:業生産指数の伸び率と鉱 工業比率(鉱工業純生産/純生産トータル)との関連をみたもので,つぎの6
表1 鉱工業比率と伸び率の比較(昭和43〜48年)
伸び率
鉱工業比 く 8.8%未満 8.8%以上
青 森 高 知 鹿児島 宮 城 熊 本
10〜20%未満 宮 崎 山 形 鳥 取 島 根 佐 賀
長 崎 秋 田 大 分 岩 手 山 梨
北海道 徳 島 福 島
新 潟 福 岡 香 川 奈 良 富 山
20〜30%未満 福 井 長 野 石 川
愛 媛
兵 庫 大 阪 神奈川 埼 玉 愛 知
広 島 和歌山 三 重 滋 賀 岡 山
30% 以 上 京 都 東 京 山 口 静 岡 群 馬
茨 城 栃 木 岐阜
千 葉
(資料)通産省『我が国鉱工業生産の地域構造』(昭和50年)より引用
グループ(A〜F)に分けられる。全国の鉱工業生産の伸び率が8.8%を下 回った15県のうち,鉱工業比率が大きいAグループ(兵庫,大阪,広島和 歌山,京都,東京の6都府県)と鉱工業比率の小さいBグループ(青森,高 知,宮崎,山形,長崎,秋田,北海道の7道県)に分けられる。Bグループ は工業発展のみられない地域で概して東京,大阪などの2大経済圏から遠隔 に位置している。これら2つのグループの中間にCグループ(新潟,福岡両 県)がある。鉱工業生産の伸び率が8.8%を上回った31県についてみると,
鉱工業比率が大で伸び率も大きいのはDグループ(神奈川,埼玉,愛知,三 重,滋賀,岡山,山口,静岡,群馬,茨城,栃木,岐阜,千葉の13県)で,
これらはもともと工業化の進んでいた地域であるが,40年代には一段と工業 化の進んだところで,主として東京,大阪,名古屋などの大都市かその周辺 に位置する。一方,鉱工業比率は小さいが,伸び率が8.8%以上であったのは Eグループ(鹿児島,宮城,島根,熊本,鳥取,佐賀,大分,岩手,山梨,
徳島,福島の11県)である。これらは京浜,中京,阪神などの大工業地帯か らは遠隔に位置するが,日本経済の高度成長期に工業開発の波が浸透して工 業化のすすんでいるところである。これら2つのグループの中間にFグルー プ(香川,奈良,富山,福井,長野,愛媛の7県)があり,これらは「工鉱 業生産が着実な上昇をたどっている」(3)グループである。北陸4県はC又はF
グループに属し,比較的工業化の進んだ地域である。
全国的には1960年代に入ると工業化が進むのであるが,北陸ではややおく れて60年代の後半からとみてよい。昭和37〜49年の間の特定工場の立地件 数をみると表2のように43年ごろから急激に増加している。特定工場の業種 をみると,もっとも多いのは繊維,衣服の79工場で,次いで一般機械の51工 場,鉄鋼の46工場が多い。昭和40年以降の工業化を事業所数,従業者数,
出荷額についてみたのが表3である。石川の従業者数,出荷額,福井の事業 所数,従業者数の伸び率は全国平均を下回るものの,新潟,富山の著しい工
業化によって北陸全体としては事業所数,従業者数,出荷額のいずれにおい てもその伸び率は全国のそれを上回っている。
表2 特定工場の年次別設置届出件数
昭和 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 計
新 潟 6 3 2 4 8 8 9 16 16 10 6 15 19 122 富 山 4 8 6 4 7 5 14 10 16 16 11 18 14 133 石 川 4 5 4 10 5 8 15 11 9 7 9 15 6 108 福 井 4 4 3 2 2 6 2 3 15 11 7 14 3 76 計 18 20 15 20 22 27 40 40 56 44 33 62 42 439 全 国 483 559 576 331 411 687 712 932 812 614 585 ,090 712 8,504
囲 1.資料は経済企画庁『地域経済要覧』1976年版
2.特定工場とは敷地面積9,000㎡以上、建築面積3,000㎡以上のもの
だが,昭和30年代以降の重化学工業部門の立地をみると,鉄鋼は自動車,
造船,機械といった工業の集中している工業地帯に,石油化学も瀬戸内海沿 岸と千葉(東京湾岸)であり,機械もまた下請部品工場の立場している大都 市かその周辺であり,たとえ工業化が太平洋ベルト地帯以外で進んだとして も,既存の4大工業地帯の外延的拡大にしかすぎなかった。また,たとえ地方に 重化学工業部門が立地したとしても一般に小規模で雇用力が小さいだけでな
く,賃金その他の労働条件では大都市の工業との間に格差がある。北陸のば あい製造業の規模別事業所数は表4のとおりであり,たしかに100〜299人の 階層が伸び率が高いのであるが,48年において9人以下という零細企業が全 事業所の実に78.4%もしめ,100〜299人の事業所はわずかに1.8%しか占め ない。なお,賃金格差をみると,東京の賃金を100とすれば北陸の中卒者=
89,高校卒者=88,大学卒者=93である(4}。
表3 工業の推移
40年(A) 45 年 49年(B) B/A
全 事業所数(100) 5,581 6,529 6,971 124.9
従業者数(1000人) 9,921 11,680 11,502 115.9
国
出荷額(億円) 294,971 690,347 1,275,742 432.5
北 事業所数(100) 401 492 518 129.1
従業者数(1000人) 561 668 667 118.9
陸
出荷額(億円) ll,309 2τ049 51,523 455.6
新 事業所数(100) 165 198 219 132.7
従業者数(1000人) 210 254 276 131.4
潟 出荷額(億円) 4,457 10,393 20,278 454.9
富 事業所数(100) 46 56 60 130.4
従業者数(1000人) 123 151 147 119.5
山
出荷額(億円) 3,124 7511 15,098 483.2
石 事業所数(100) 107 142 144 134.5
従業者数(1000人) 127 145 135 106.2
川
出荷額(億円) 2,169 5,273 9,083 418.8
福 事業所数(100) 83 96 95 114.4
従業者数(1000人) 101 118 109 107.9
井 出荷額(億円) 1,559 3,872 7,064 453.1
(通産省『工業統計表』により作成)
表4 製造業規模別の事業所数(北陸)
9人以下 10〜19人 20〜29人 30〜99人 100〜 299人
3°°七上 計
昭和41年ω 33,488 5,054 1,638 2,375 549 208 43,312
44年 37,569 5,560 1,652 2,550 620 224 48,175
48年(B) 41,984 5,903 1,843 2,855 741 234 53,560
B/A(%) 125.3 ll6.7 112.5 120.2 134.9 ll2.5 123.6
(通産省『工業統計表』により作成)
北陸の工業立地は国道8号線沿いの立地条件にめぐまれた新潟,長岡,富 山,高岡,金沢,福井などの都市とその周辺に多くみられ,能登半島や山間 部でも事業所は増加したものの雇用の増大には大きな効果をあげるほどでは なかった。したがって,表5のように国道8号線沿いの都市では人口増加が みられたが,幹線からはずれた小千谷,砺波,輪島,大野などでは人口減少
となった。もちろん,人口減少地域はかなり広範囲に及ぶのである。北陸では,
農川漁村,離島の多くが過疎地帯(5)なのであるが,都市内部の過密もみられ,
過疎と過密が同居しているといってもよい。「過疎」と「過密」は我が国経済 の高度成長政策の地域的投影にほかならない。
政府は頂化学 E業を基軸とした「高度成長」を達成するためには,低賃金 労働力が供給されねばならないと考え,労働力の流動化政策をすすめた。池 川内閣の『国民所得倍増計画』第3部第4節には「将来における産業構造の 高度化,工業生産の規模の拡大に応じて,労働力の産業間移動を計画期間中 に大幅に行なう必要がある。……将来労働力の流動性を高めるためには各種 の政策を強力に推進しなけれはならない」と述べていることからも政府が積 極的に労働力の流動化をはかろうとしていることがわかる。政府は新産業都 市の建設など工業開発をすすめるとともに,一方では農業や中小企業の近代 化をはかって既存の労働力の重化学工業部門への流出をねらうのである。昭 和36年に制定された農業基本法は自立経営農家の育成を目ざして,野菜,畜 産,果樹などの選択的
第5 都市の人口増減率
顕 ひρ0 9・ 9・ 7・口99a
9・ hd 5 4α770△△△△Q︼ 只U Oδn&60 055△△9● 0 9● 9●砥且a鋤4 1L7△△4 5 百62.4a9一 ーエ0 85皿△△
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22 60 21
4312 1 4 7民V OO ワ︵b 8 Qりぴq吻428163
ρ0 000 EO9白 OV49﹃00 6
86 49 37 1063
(U
4 ρ0文V Oσ5 Q∨2L4 0
ω年401 9● 1 60り 6 0V ピ03コ03q8q2﹁5 4 4 9臼 1
幟
ぴ0◎ ρ0
OE
1 000 60 企U5⑤4 ⊇U
潟岡条崎新長三柏
町 谷 川
千魚十小糸上 山岡部富高黒波見砺氷
沢松賀任金小加松
尾島七輪
井賀江福敦鯖
野山大勝
増 加
減 少増 加減少増 加
減少増 加減少
新 潟
富 山石 川
福 井
(総理府『国勢調査報告』により作成)
拡大をはかったのであ るが,構造改善事業を 実施することによって 生産性を高めるだけで なく,零細農家の離農 を促進して農村から余 剰労働力を流出させよ
うとした。中小企業基 本法(1963年)ととも に労働力の流動化を政 策的に意図したもので あり,その後に出され る職業安定法,緊急失 業対策法,失業保険法 の改正などと密接な関 連をもつといえよう。
さらに昭和43年から はじまった「総合農政」
は米の生産過剰を背景 として登場したもので
あるが,45年の「新経済社会発展計画」,46年の「農村地域工業導人促進法」,
47年の「工業再配置促進法」などとも密接な関連をもっている。すなわち,
「新経済社会発展計画」は「労働力供給の量的,質的変化にともない,産業 構造や就業構造が変化する過程で,労働力の産業間,地域間移動を円滑に行 なうことが従来にもまして重要になってきている。……農業部門からはひき っづき労働力の流出が期待されるが,その大部分が職業転換能力や地域的移 動性に乏しい中高年令層であるので,この層の実態に即した職業の紹介,訓 練の実施や在宅通勤による雇用機会を拡げるなどの政策を機動的に行なう」
(6)こととし,その一環として高生産性農業の展開を目ざして「離農の援助,
促進」mをはかるの述べている。「農村地域工業導入促進法」の第1条にはこ の法律の目的として「農村地域への工業の導入を積極的かつ計画的に促進す るとともに農業従事者がその希望及び能力に従ってその導入される工業に就 業することを促進するための措置を講じ……」とのべており,「工業再配置促 進法」とともに,これまで流出し得なかった労働力さえも工業に吸収するこ
とをねらいとした「積極的労働力政策」(8}といわねばならない。
こうした太平洋ベルト地帯中心の工業開発によって北陸では労働力不足が 当面する課題の一つとして重要視せざるを得なかった(9)。そこで各県とも労 働力確保をつぎのように強調するのである。まず,新潟県は昭和38年に策定 した「県総合開発計画」につづいて,45年には「県勢発展のための長期構想」
を策定し,そのなかで「農業の労働時間の短縮による余剰労働力の活用を図 り,農村に新たな雇用機会を開拓するため,生活圏中心都市整備と関連させ て,都市型工業を中心とする労働集約型工業の立地を考え,農工一体の産業 開発をすすめる」(1°)とのべている。富山県は富山・高岡地区新産業都市の建 設をはじめとする工業開発のために徹底した労働力政策,つまり労働力の流 動化だけでなく人間教育まで行ない工業労働力の確保につとめた。昭和41年 の「第3次富山県勢総合計画」(総合計画編)には「一部労働力の不足を生ず ることが予想されるので農業労働者の転業の適正化,中高年令層および女子 労働力の有効活用化,県外労働力の確保など適正な労働需給の関係の調整に あわせて労働力の質的向上をはかるため,職業訓練の充実を推進し,労働人 口の確保に努力する」(11)とのべ,さらに45年の「第4次富山県勢総合計画」
も「離農転職援護措置の充実,機動的職業訓練の実施等による農業従事者の 他産業への就業の円滑化」(12)を,48年の「住みよい富山県をつくる総合計画」
では積極的な労働力政策はみられないが,「他産業への就職を希望する農家人 口や高能率高生産農業によって農業への就労を必要としなくなった農家人口
など,兼業を希望する農家には十分の就労機会を造出」(13)とのべている。石 川県は昭和43年に「石川県総合開発計画」を策定し,その中で「労働力不足 の本格化に対応し,新規労働力の確保定着と既婚婦人を含めて中高年令層の 雇用を強力に進めるとともに,職業訓練制度の強化拡充により時代の要請に 適応する労働力を育成供給する」(14)とのべ,さらに47年の『県勢発展計画』
では「深刻化する労働力不足に対処するため,快適で働きがいのある労働環 境の整備を通じて,企業の労働力の吸収能力を強化するとともに,新規労働 力はかりでなく既婚婦人を含めて中高年令層の雇用をすすめる」(15)とのべて いる。さいごに福井県は昭和43年の「新総合開発計画」のなかで雇用対策と して「若年労働力の確保,中高年令者などの雇用の促進,季節的労働を含む 不安定雇用の改善」(16)をあげている。
だが,こうした各県の労働力確保策にもかかわらず,つぎのように依然と して労働力不足はつづくのである。すなわち,表6のように北陸では39年に 石川をのぞく他の3県は求人倍率は1.0以下であるが,その後1.0を越える
ものの充足率は10%前後にとどまる。たぶ,秋田・山形の求人倍率が0.2〜0.
5であるのに対し,北陸の求人倍率は1.0を越えるのは工業化の進展をあら わすといえよう。工業化の進展にともない労働力の需要は高まったにもかか わらず,労働力は大都市へ流出したのである。
表6 北陸の労働力需給状況
求 人 倍 率 充 足 率(%)
昭和 全国 新潟 富山 石川 福井 秋田 山形 全国 新潟 富山 石川 福井 39年
46年 47年 48年
0.8 1.1 1.3 1.7
0.5 0.9 1.l l.5
0.5 1.2 1.5 2.4
1.0 1.1 1.5 2.1
0.5 0.8 1.1 1.4
0.2 0.2 0.2 0.4
0.5 0.3 0.3 0.5
15.7 12.l lO.0
78
35.l
l74
15.1 11.8
14.8
71
8.4 6.8
16.5 16.7 9.4
75
22.0 12.5 10.6 8.8
囲 1.資料:労働省『労働市場年報』
2.求人倍率=月間有効求人数/同求職者数 充足率=充足数/有効求人数
北陸の労働力は東京,大阪などの大都市へ流出する一方,他方では北陸地 域内の都市にも流出したのであるが,総人口は40年の524万人から50年に
は530万人とわずか1.1%の増加にしかすぎない。富山,石川,福井3県は増 加しているが,新潟ではむしろ3.2%の減少である。人口減少がみられるのは その背景に農林漁業といった第一次産業の哀退があることはいうまでもな
い。北陸の産業別就業人口比率をみると,昭和35年には第1次産業が43.0%
をしめもっとも大きかったが,40年には34.6%となり,45年には27.7%,
49年には18.1%と激減した。第1次産業就業人口の減少とは反対に第2次,
3次産業の就業人口が増加した。
年令別就業人口の構成比率をみると,昭和40年に北陸は!全国平均とくらべ て若年令層の比率が小さく,中高年令層の比率が大きかったが,40年以降の 工業化を反映して20〜24才の就業人口の増加率は全国の15.4%より大きく 18.3%であった。その結果,20〜24才の年令が就業人口全体にしめる比率は 40年の8.7%から45年には13.5%に増加したわけである。このように工業 化による労働市場の拡大が若年労働力の就業の場の拡大につながっているこ とはいうまでもないが,若年労働力のなかには北陸以外から流入した者もあ る。たぶ,問題は労働市場の拡大にもかかわらず,新規学卒者の県外流出率 が高いことである(表7)。中学校,高校卒業生とも新潟は他の3県よりとく に高い。新潟の流出率は40%前後であるが,他の3県は20%前後である。そ のうえ,新潟をのぞく他の3県が40年以降わずかながらも流出率を低下させ ているにもかかわらず,新潟は依然として流出率が高まっているのである。
もちろん,この中には北陸4県のなかで移動する労働力もあるので,県外流 出者が全て北陸以外の地域であるとはいえない。昭和50年3月に北陸以外の 地域に就職した者は中学校卒業者1,029人,高校卒業者8,579人であり(17),
これらは東京,大阪,名古屋などの大都市に流出したものである。学卒者の 北陸地域内就職率は中学校卒業者=19.7%,高校卒業者=33.4%にしかすぎ ない(18)。若年労働力に対する地元労働市場があるにもかかわらず,大都市へ 流出するのは前述したように賃金格差が依然として解消されていないからで ある(19)。もちろん,賃金以外の労働条件,教育・文化的側面も無視できない。
表7 新規学卒者の県外流出率 (単位:%)
中 学 卒 業 生 高 校 卒 業 生 40 年 45 年 48 年 40 年 45 年 48 年 新 潟
富 山 石 川
福 井
40.4 21.3 24.8 25.2
37.9 15.8 22.3 23.4
45.O l3.7 17.5 22.1
39.1 22.9 21.2 31.6
36.9 21.2 25.6 | 33.7
41.1 18.8 21.1
292
囲1.原資料は『学校基本調査報告書』
2.『立地公害ハンドブック』1976年度版による。
3.県外流出率一県外就職者数/学卒就職者総数
2.農家労働力の就業形態の変化
北陸の農家人口は昭和50年に182万人で,総人口に対する比率は34.4%
であるが,10年前とくらべ農家人口は21.1%減少し,総人口にしめる比率も 低ドしている。40年以降50年までの10年間の農家人口の減少率は新潟が
もっとも大きく23.2%で,他の3県はいずれも全国平均をド回る(表8)。
農業就業人口は表9のように北陸4県を合せると昭和50年には54万人で あるが,40年の86万人とくらべ38%も減少したことがわかる。農業就業人 口の減少率はいずれの県も全国平均の32%を上回っている。とくに,富山の 減少率は大きく43%にも達する。農業就業人口のうち基幹的農業従事者(16 オ以トの世帯員でふだん仕事が主でしかも主として農業に従事したもの)が 農家人口にしめる比率も昭和50年には16.9%で,全国の21.1%よりやや小
さい。北陸の基幹的農業従事者は40年には76万人であったが,50年には31 万人に減少した。10年間の減少率は60%にも達し,全国の51%とくらべ高 い。減少率は北陸4県のなかでは富山がとくに高く70%に達する(表10)。
一般的には農業就業人口の減少は同時に農業労働力の農外への流出をもた らすのであるが,これには就職離農,通勤兼業および出稼ぎの3形態がみられ
表8 農家人口の推移 (単位:1000人)
北 陸
全 国 新 潟 富 山 石 川 福 井 計 昭和40年ω
45年
50年(B)
B/A(%)
30,083 26,281 23,195 77.1
1,153 1,014 880 76.3
423 386 360
85.1
403 355 313
776
330 294 269 81.5
2,311 2,050 1,824 78.9
(農林省『農業センサス』により作成)
表9 農業就業人口 (単位:1000人)
北 陸
全 国 新 潟 富 山 石 川 福 井 計
昭和40年ω 45年
50年(B)
B/五(%)
11,513 10,251
7907
68.6
464 412 299 64.4
155 133 89
57.4
132 112 81 61.3
112 95 68
60.7
863 752 537
62.2
(農林省『農業センサス』により作成)
表10 基幹的農業従事者 (単位:1000人)
北 陸
全 国 新 潟 富 山 石 川 福 井 計
昭和40年(A)
45年
50年(B)
Bパ(%)
10,011
7048
4,888 48.8
407 286 197 48.4
142 86 42 29.5
111 71 37
33.3
104 66 33
31.7
764 509 309 40.4
(農林省『農業センサス』により作成)
る。労働市場の拡大は通勤圏内に居住する人びとには影響があり,農家の経 営規模の大小にはあまり関係なく若年層のみならず中高年令層まで流出する が,その圏外では離濃して域外へ流出するかあるいは出稼ぎする以外にない。
北陸では離農,出稼ぎもみられるが,とくに通勤兼業に従事する者が多く,兼 業農家の比率が高いことが特徴である。
北陸における兼業従事者は表11のように昭和40年の73万人から50年に は83万人に増加したが,兼業の内容としては出稼ぎ,人夫・日雇といった不 安定なものから恒常的勤務に従事する者が増加して50年には54%をしめ た。自営業に従事する者はほとんど変化がみられない。これは全国の動向と ほゴ同じである。北陸4県のなかでは新潟は出稼ぎ,人夫・日雇の比率が高く 37.8%をしめ,恒常的勤務の割合は48.9%と半数を割るが,他の富山,石川,
福井は相対的に恒常的勤務が多く60%前後をしめる。だが,北陸の労働市場 の拡大が出稼ぎ,人夫・日雇といった不安定就業者を減少させたが,完全にな
くなるまでには至っていない。北陸で出稼ぎの多いのは石川県の奥能登地方 と新潟県の上越地方である。近年,奥能登では繊維,電子部品工場の立地が みられるが,雇用力が小さく,女子が主体なので出稼ぎは相変らずつづいてい る(2°)。また,上越地方の柏崎市でも機械をはじめとする男子雇用型の企業が 立地したものの,依然として出稼ぎはみられる(21)。出稼ぎには種々の要因が
表11 兼業種類別従事者数(北陸) 単位 実数:1000人・割合:%
恒常的勤務 出 稼 ぎ 人夫・日雇 自 営 業 計 実数 割合 実数 割合 実数 割合 実数 割合 実数 割合 昭和40年
45年 50年
301 372 447
41.2 45.4 53.7
67 45 28
9.2 5.5 3.4
236 275 233
32.4 33.6 28.0
125 127 125
17.1 15.5 15.0
729 819 833
100.0 100.0 100.0
(農林省『農業センサス』により作成)
あろうが,賃金格差は大きな要因となっている。
さて,農家労働力が大量に流出することによって経済の高度成長を労働力 の面が支えてきたのであるが,全国的にみると昭和36年までは新規学卒者以 外の者が学卒者を上回っていたが,36年以降は学卒者が多く,47年になると 再び学卒者以外の者の流出が増加する。北陸では表12によれぽ,農家世帯員 の他産業への流出者のうち新規学卒者のしめる比率は39年の58.9%から43 年には75.0%となり,49年には減少して61.3%となるが,依然として新規学 卒者が主流であることがわかる。また流出者の年令は男女とも19才以下の若 年層が主体をなしていることはいうまでもないが,表12にみられるように微 妙な変化をしていることがわかる。すなわち,39年とくらべ43年には男女と も19才以下の若年層が80%近くをしめたが,49年にはこの年令層が男子は 60.9%,女子は56.1%に減少し,しだいに中高年令層が増加した。新規学卒 者の若年労働力が大部分をしめていたが,しだいに若年労働力の供給源が枯 渇するようになり,農業就業者の農業外への流出にまで及んだからである。農 業既就業者のなかでは当初基幹的農業従事者でない次,3男から流出したが,
最近では基幹的従事者にまで及び,都市の第2次,3次産業の労働者として 流出することとなった。労働市場の拡大にもかかわらず,農家労働力の流出 が世帯上の地位によって異るのは「家族というものは資本にとって労働力の 質という点からみればきわめて多様」(22)だからである。表12によれば流出し た労働力の職種としては製造業が過去10年間40%以上をしめていることに は変りないが,次第にその他の職種にも拡大していることがわかる。それら は農家から通勤する在宅通勤型,季節的に帰農する出稼ぎ型,大都市に就職す る離村型などさまざまな形態となってあらわれた。さらに,農家労働力の流 出が若年令層による単身転出型から中高年令層を中心とした通勤,出稼ぎ型 へと次第に変化していることに注目したい。また,男女の比率をみると,39 年には男子が52.9%をしめ女子より多かったが,次第に女子が増加して49 年には女子が53.4%をしめるに至った。このことは流出形態とも関連するの であり,39年以降通勤形態をとる者がふえ,49年には全体の67.7%をしめ た。また,他産業への就業者の前職をみると,家事・育事・その他の者が70
〜80%をしめているが,近年主として農業に従事していた者の流出が増加し ていることがわかる。そのうえ,男子のばあい,世帯上の地位をみると次第 に「その他」が減少して「世帯主」や「あとつぎ」が増加していることであ る。このように労働市場の拡大は農村の過剰人口を顕在化させ,かつて並木 正吉氏が「地すべり的現象」㈹といったほどの労働力流出をもたらしたので
表12 農家世帯員の他産業への就業状態 (単位:100人)
昭和39年 昭和43年 昭和49年 実 数 割 合 実 数 割 合 実 数 割 合 就
職者
総 数
新 卒 { 新卒以外
739 436 303
100.0%
58.9 41.1
598 449 149
100.0%
75.0 25.0
440 270 170
100.0%
61.3 38.7
流形 出態
転 出 通 勤
308 432
41.7 48.9
260 338
43.4 56.6
141 298
32.3
男子 20〜34才19才以下 677 35〜59才 60才以上 計
245 73 694391
62.5 18.6
176
1.0 100.0
229 41 274301
76.0 13.6 8.9 1.5 100.0
125 42 344205
60.9 20.4 16.5 2.2 100.0
性別・年令別 女子 19才以下20〜34才
35〜59才 60才以上 計
236 85 261348
68.0 24.5
75
0.2 100.0
233 43 201297
78.7 14.4 6.7 0.2 100.0
132 56 462235
56.1 23.8 19.5 0.6 100.0 世の
帯地 上位
世 帯 主(男)
あとつぎ (男)
そ の 他(男)
72 154 165
18.3 39.1 41.9
29 118 154
9.7 39.2 51.1
35 95 75
170
46.3
前職86 36.7
主として農業従事 主として自営業従事 家事・育事・その他
214 14
5U
28.9 1.9 69.1
95 11 491
15.8 1.8 82.4
104 15 320
23.6 3.4 73.0
就業産業別 建 設 業 製 造 業 卸 小 売
サ ー ビ ス 業 そ の 他
96 350 102 104 87
12.9 47.4 13.8 14.1 11.8
46 260 120 117 55
76
43.4 20.O l9.5 9.5
46 180 65 71 78
10.4 40.9 14.7 16.1
179
(農林省『農家就業動向調査報告書』により作成)
ある。じゆうらい農業労働力の主体をなしていた者までが農業外へ流出する に至ったことが,後述するように農業構造を変えたのである。農家の労働力 は農業生産力を構成する一要素であるが,これが労働市場に吸収されること により,従来の農業生力の構成,質に変化が生じ,農業構造が変貌すると考
えられる(24)。
だが,こうした農家労働力の流出もその反面にはかなりの離職還流者一 勤務をやめて家で農業,自営業を営むか無業の状態一のあることを考える と,たんなる一方的な農外流出ではなく,農業と他産業の間の労働力流動化 として把握すべきであろう。農林省『農家就業動向調査報告書』によれは,還 流者は昭和43年に13,000人,49年に14,300人あったが,それぞれ流出者の21.
7%,32.5%をしめかなり高率である。還流者のほとんどが学卒者以外の者で,
「世帯主」,「あとつぎ」が多く,約40%は離職後農業に従事している。
3.農業生産の構造と市場
昭和49年における北陸4県(新潟,富山,石川,福井)の耕地面積は419,
600haであり,農家戸数は387,320戸であるから1農家当りの耕地面積は1.
08haとなり全国平均の1.12haよりわずかに小さい。農家経済の農業依存度 は全国の31.3%にくらべて新潟の35.1%をのぞく他の3県はいずれも小さ く,富山=24、7%,石川二21、9%,福井二24.1%である。そのため,農業所 得のみでは農家経済を維持できず,専業農家率は全国平均の12.4%にくらべ て小さくわずかに4.2%をしめるにすぎない(表13)。
表13 専兼別農家数(北陸) 単位:1000戸
兼 業 総 数 専 業
1 種 2 種 昭和40年
45
50
%428(100,0)
407(100.0)
377(100.0)
%43(10.0)
25(6.1)
16(4.2)
%200(46.7)
162(39.8)
92(24.4)
185(43♂220(54.1)269(71.3)
(農林省『農業センサス』により作成)
耕地面積にしめる水田の比率は全国平均の57.9%とくらべ87.5%と大き く,水稲単作経営が支配的である。1970年の農業センサスによれば米を農産 物販売額第1位とする農家は全販売農家の93.1%をしめる。昭和47年にお ける農業粗生産額の構成をみると,米のしめる割合が66.7%と高い。全国平 均は34.5%である。北陸では米の作付面積は昭和40年に366,100haあった が45年以降の米の生産調整により50年には323,000haに減少した(25)。しか し,単位面積当り収量の向上によって,生産量は40年の1,605,000tから50 年には1,658,000tに増加した。
農家労働力は前述したように40年以降流出が著しく表13のように,専業 農家は昭和40年の10.0%から50年にはわずか4.2%となり全国でもっとも 専業農家の少ない地域となった。一一方,兼業農家は40年以降次第に増加して,
第1種兼業農家より第2種兼業農家が増加して50年には71.3%に達した。
こうした兼業化の進展を兼業種類別にみると第1種兼業農家と第2種兼業農 家では明らかにちがいがみられる。すなわち自営兼業の割合が減少して,や
とわれ兼業の割合が増加しているのは両者に共通した傾向であるが,第1種 兼業農家では恒常的勤務よりも人夫・日雇がわずかに多く,これに出かせぎ を加えると不安定就業者が50%をこえるのに対して,第2種兼業農家では恒
常的勤務が着実に増加して昭和50年には64.1%をしめた。このように農家 労働力の流出が恒常的勤務を主体とした「安定兼業」が増加しているにもか かわらず,若年労働力の流出や,出稼ぎは依然としてっついていることが北 陸の農業構造を特異なものとしているのである。
農家労働力の流出によって農業就業人口および基幹的農業従事者の減少し たことは前に述べたが,全国的にみると基幹的従事者の老令化,女性化がす すんだことはいうまでもない。だが,北陸では老令人口(60才以上)の占め る比率は40年の15.9%が23.7%へと増加したが,女性のしめる比率は60.
1%から55.5%に減少している。このことは,女性さえも農外に流出し,農業 の主たる担い手が老令者で,しかも男子に移っていることを示すものである。
そのうえ,最近では新規学卒者で農業に就業するものはわずか2%余しかい
ない。
農業専従者(年間150日以上農業に従事した者)のいない農家を増加させ,
その割合は45年の45.6%から50年には65.9%へと高まっている。これを経 営規模別にみると,表14のように経営規模の小さい農家においてその割合が 高いことはいうまでもないが,経営規模の大きい2.0〜3.Ohaの農家でも16.
2%,30ha以上の農家で5.7%あり,しかもその割合が45年以降高まってい る。さらに,男子農業専従者のいる農家は45年には36.0%であったが,49年 には25.3%と減少している。だが,昭和50年に男子専従者が1人いる農家は 20.0%,2人いる農家は2.3%とわずかであるがみられ,とくに3.Oha以上と
いう大規模農家では男子専従者のいる農家は90.6%に達する。
表14 農業専従者のいない農家と男子農業専従者のいる
農家割合(北陸) 単位:%
農業専従者のいない農家 男子農業専従者のいる農家
45年 49年 45年 49年
総 数 45.6 60.5 36.0 25.3
0.5ha未満 82.0 91.8 5.6 3.3
0.5 〜 1.0 48.0 6τ6 25.4 14.2
1.0 〜 1.5 23.7 45.5 53.6 34.3
1.5 〜 2.0 11.9 28.2 74.6 51.8
2.0 〜 3.0 5.0 16.2 89.0 70.7
3.Oha以上 2.2 5.7 974 90.6
囲 原資料は農林省『農業センサス』『農業調査』
北陸農政局『北陸農業情勢報告』(昭和49年度)による。
一一般に農家労働力の流出を契機として労働過程が他の高度な生産手段に変 ることによって,生産力の発展がみられるとともに農民層の分解が進行する はずである。北陸では,農家労働力の流出とともに昭和30年代後半から農業 生産の機械化が進行した。農機具の普及は当初動力耕転機から始まり,49年 には67.3%の農家に導入されている。経営規模の大きい農家では動力耕転機
も能率のよい高馬力のものとかトラクターの導入も進行している。
農林省の『農家経済調査報告』によれば,10a当り農業労働時間は40年の 251時間から49年には158時間に減少している。表15は水稲の作付規模別 に農機具の普及と労働時間をみたものであるが,これによると作付規模の大 きい農家ほど農機具装備も充実し,労働時間もかなり少ない。特に田植作業 では田植機をもたない30a未満の農家では22.7時間を要しているが,300
a以上の農家では10戸のうち6.3戸に導入されていて,労働時間も11.5時 間と50%ほどである。また,稲刈・稲こぎ作業はバインダー,コンバインを
もたない30a未満の農家が44.6時間の労働時間を要しているのに対して,
300a以上の農家では11.2時間とかなり少ない。
稲作の作業体系は昭和30年代には動力耕転機,動力防除機,動力脱穀機,
乾燥機などの小型機械のほかは,田植,刈取作業は手作業であったが,その 後,耕転機は高馬力のものへ動力脱穀機は自動脱穀機へと移行し,40年代前 半にはトラクター,田植機,バインダー,自脱型コンバイン等が経営規模の 大きい農家を中心として導入されていわゆる「中型機械化一貫作業体系」が 確立しつつある。中型機械一貫作業体系の省力効果について,新潟県蒲原平 野の調査結果によれぽ「10アール当り稲作労働時間では普通農家は115.4時 間を要しているのに対して,機械化一貫農家では著しく省力化されており,
表15 水稲作付規模別の作業別労働時間と農機具台数(昭和48年,北陸平均)
本田耕起・整地 田
植 防
除 稲刈り・稲こき もみ乾燥・もみすり
水稲作付 労働動力耕 トラク 労働 動力 労働 動力 労働 動力バイン コンパ労働 動力動力も
規 模 別 うん機 タ ー 田植機 防除機 脱穀機ダ ー イ ン 乾燥機 みすり
時間 台数 台数時間 台数 時間 台数 時間 台数 台数 台数 時間 台数機台数 平 均 11.芦 9『ム 詰 16、蒙 ム1.
時2.1
諾 2ぱ ム8.♂
台8.8
ム2『 ぱ ム7{P 6.『ム
80a未満 14.0 8.6 0.0 22.7 0.0 2.2 1.9 44.6 74 0.0 0.0 4.1 1.2 1.9
80〜 50 14.1 6.8 0.0 21.2 0.2 2.6 4.7 41.6 9.7 1.4 0.2 5.2 4.0 8.6 50〜100 18.7 8.8 0.0 20.1 0.8 2.2 5.9 88.7 9.0 8.8 0.4 5.7 70 5.8 100〜150 18.7 10.7 0.4 16.5 1.6 2.1 71 29.3 8.5 5.0 2.2 6.8 8.9 8.0 150〜200 10.7 12.7 0.9 15.8 2.8 1.6 78 24.9 9.1 5.8 4.8 6.8 10.1 8.5 200〜800 8.8 9.8 8.5 14.2 8.8 1.9 10.6 18.6 6.6 2.8 79 5.6 1L8 9.8 800a以上 8.6 9.3 8.0 11.5 6.8 8.8 16.0 11.2 5.0 2.0 9.0 5.1 1輻0 10.0
饅 1.北陸農政局「北陸農業の生産力構造」による。
2.原資料は米生産費調査販売農家
8.労働時間は10a当り、農機具台数は10戸当り。
2ha未満でも72.8時間と42.6時間も少く,3ha以}」曽の農家になると〜¢
通農家の半分以下に過ぎない54.1時間ですまされている」(26)という。
新潟県では越路早生,富山,石川,福井の各県ではホウネンワセを中心と した早生品種の作付率が高いが(27),これは保護苗代の普及とあいまって作期 を総体的に早めており,田植期は昭和48年には35年ごろとくらべて10日前 後早まっている。さらに最近の田植機の普及は田植期をいっそう早めている。
機械の導入は栽培技術の変化とあいまって,稲作の生産力を高めている。稲 作の生産力を米の10a当り収量でみると昭和40年の439kgから50年には 514kgに達した。このように生産力は上昇してはいるものの,それは極めて 歪曲したものである。この高い生産力段階をもたらした技術内容をみると,
化学肥料,農薬,除草剤などの化学的生産手段であったといえよう。だが,
「地力維持向上に重要な有機物施用を堆きゅう肥施用量でみると……各地域 とも減少の一一途を辿り,富山,石川,福井では48年の施用は皆無に近くなっ ている。……この傾向は地力の維持向上は勿論,間接的には土地生産性の向 上にはマイナス要因となっており,今後に問題を残している」(28)という。
米の10a当り収量は表16のように全国の510kgにくらべて富ll」は20kg も少なくて490kg,新潟,石川,福井の3県はわずかに多くてそれぞれ545kg,
536kg,539kgであるが,表17によれば第1次生産費に資本利子,地代を加え た第2次生産費は60kg当り全国平均7,917円に対して,新潟=8,187円,富 山=8,807円,石川=8,235円,福井=8,6661円と高く,北陸陸農業の競争力 が弱いことがわかる。費目別にみると,土地改良及び水利費は4県とも全国 平均にくらべて高いが,これは土地改良事業の進展による負担金の増加を反
表16 米生産費の概況 (昭和48年)
新 潟 富 山 石 川 福 井 全 国
調査農家1戸当 (a) 120.3り作付面積
98.7 83.6 95.0 88.9
10 a 当り
収 量 (励 545 粗 収 益 (円) 91,782 主産物価額 (円)
所 得(円)
家族労働報酬 (円)
労働時間(時間)
90,060 59,647 38,667 94.4
490
85,219 83,889 50,448 35,125 84.2
536
92,567 91,323 59,334 43,185 97.6
539
94,821 93,719 66,238 51,703 108.3
510
89,252 86,846 57,611 43,313 92.5 1日当り労働報酬(円) 3,484 3,517 3,780 4,000 4,053
(北陸農政局『石川県農林水産統計年報』により作成)