業態開発におけるイノベーションと競争
‑ ビブレのケース‑ ※
近 藤 公 彦
( 小樽商科大学)
要約 ( アブス トラク ト)
この論文の目的は、ニチイ ( 現マイカル)によるビブレの業態開発プロセスをケース ・スタディの対象 とし ながら、イノベーションと競争の視点から業態開発における研究モデルを探ることにある。このケース ・スタ ディを通 じて発見された事実は、次の 2 点である。第 1 に、新業態の開発は既存業態との異業態性を克服する なかで行われるものであり、そのプロセスにおいて商品調達、商品政策、および販売方法の 3 つの側面でイノ ベーションが引き起こされたこと、第 2 に、開発された新業態の競争優位は地域的可変性 と時間的可変性から 構成される業態可変性を基礎 としていること、である。
キーワー ド
業態開発、イノベーション、競争、業態可変性、地域的可変性、時間的可変性
Ⅰ はじめに
バ ブル経済の崩壊 には じまる近年の長期的 な景気低迷 は、 消費市場 を急速 に冷 え込 ませ、
日本の大規模小売企業の多 くが依 って立 って きた 「 総合スーパー」 とい う業態の競争優位 を揺 るがす までになっている。 こうした状況 にあって、総合スーパー を中心 とす る大規模 小売企業が積極 的に取 り組 んでいるのが業態 開発である。大規模小売企業 による業態開発 は、不 断に変化す る市場環境 によ り適合的な 新業態 を創造す ることによって、新 たな成長 機会 を兄 いだそ うとす る行動 と捉 えることが で きるだろう ( 近藤 ,1 995) 。
しか し、新業態が どの ようなプロセスで開 発 されるのか とい う問題 は、 これ までほ とん ど理論的な焦点が当て られることはなかった。
マ クロの視点か ら業態変動のメカニズムを明 らか に しようとして きた小売商業形態論 は、
業態のイノベー シ ョンと競争 を抽象度の高い 枠組みで理解 しようとす るあ ま り、業態創造 の主体 である小売企業 の ミクロ行動 を捨象 し て きた し ( 近藤 ,1 998)
1、一万で、小売競争 論 は店舗 レベルの価格 ・サー ビス競争 に注 目 す るが、業態の変容 とい うよ りドラステ ィッ
クな問題 については考慮 して こなかった。
この論文の 目的は、特定企業の業態 開発 プ
ロセス を跡づ けることによって、業態 開発 に
かかわるイノベー シ ョンと競争の問題 に接近
し、業態開発 プロセスの研 究 を進めてい く上
で手がか りとなる 「ひな型」 を探 ることであ
る
2。ここでケース ・ス タデ ィの対象 とす るの
は、ニチイ ( 現マ イカル) によるビブ レの業
態 開発である
3。ビブ レの業態 開発 をケース ・
ス タディの対象 として取 り上げるのは、ビブ レの開発 に着手 されてか ら 20 年近 くが経過 し、マイカルにおいて業態 として 1 つの完成 型 をなしていること、比較的多 くの資料が存 在 し、その業態開発プロセスに接近 しやすい
こと、の 2 つの理由である。
本稿では、 ビブレの業態開発が着手 され、
それが一応の完成 をみた 1 9 82 年か ら 1 9 84 年 にわ た る期 間 を分析 対 象 と し、総合 ス ー パ一 ・ニチイが専門百貨店 ビブレをどのよう なプロセスで開発 していったのかを検討する ことを通 じて、業態 開発 におけるイノベー ションと競争にかかわる研究モデルを探 る。
Ⅱ 分析視角と問題の整理
ビブレの業態開発プロセスを跡づける前に、
本稿 における分析視角 とそれにかかわる問題 を整理 しておこう
。まず、ここで議論 しようとする業態概念に 関する問題である。一般に業態 という用語で もって理解 されるのは、百貨店、スーパー、専 門店、コンビニエ ンス ・ス トア、あるいはディ スカウン ト・ス トアといった業態であろう。
こうした業態が比較的容易に識別できるのは、
それ ら業態間でかな りの程度の差異が見 られ るか らである。すなわち、業態 を識別する基 準は業態間にどの程度の差異があるか という 点にある。この業態間差異は業態 フォーマ ッ トの違いか ら生 じる。 業態 フォーマ ッ トとは、
小売 ミックス次元 と小売技術 ・管理次元の 2 つの次元か らなる業態の様式である ( 近藤 , 1 9 9 8)4 。小売 ミックス次元は、店舗の立地、規 模、品揃え、価格、サービスなどか ら構成 さ れ、 また小売技術 ・管理次元は小売活動にか かわる技術や管理の要素 を指 し、百貨店の部 門別管理、総合スーパーの仕入れ局面の本部 集中管理 と販売局面の分権管理、多店舗展開
と店舗運営の標準化などがその例である。新 業態の創出あるいは業態開発 とは、これ らの 次元における新たな業態フォーマ ッ トの構築 にはかならない。
これに関 して指摘 しておかなければならな いのは、新業態 とイノベーションとの関連で ある
5。小売商業形態論が業態変動のメカニズ ムを説明する際にカギ概念 としてきた 1 つは、
イノベーションであった ( 近藤 ,1 9 9 8) 。すな わち、新業態は環境変化 に適合 した革新的な 経営手法を採用する革新的小売企業によって 創造 されると理解 されて きた。そこで想定 さ れるイノベーションは、既存の小売商業には 存在 しないまった く新 しい小売技術である。
しか し、本稿で議論するイノベーションは当 該企業にとって新規であるものを指 し ( 01 s o n e ta 1 . ,1 9 9 5) 、小売商業形態論が上記のように 理解 してきた社会的新規性 という意味では用 いない。それゆえ、小売企業による新たな業 態 フォーマ ッ ト創造 を分析する際の視点は、
当該企業にとってそれが新規であるか どうか であ り、 またどのようなイノベーション ・プ ロセスでそれが生み出されるかであって、そ の結果 として創造 された新業態が社会的に新 規であるか どうかはここでは問わない。この ような捉 え方をするのは、個別小売企業を業 態創造の行為主体 として位置づけ、その行為 主体が生み出すイノベーションに焦点を当て るためである
。業態開発はまず もってその行為主体である
個別小売企業 レベルの問題であ り、この間題
に取 り組むことな くマクロ ・レベルの業態変
動 メ カニ ズ ム を説 明す る こ とはで きない
( Sa vi t t ,1 9 8 4; Ho l l a nde r ,1 9 8 6 ;近藤 ,1 9 9 8) 。
もちろん、このことはマクロ ・レベルの業態
変動メカニズムの解明が不必要であることを
意味するものではない。 ここでの視角は、そ
うしたマクロ ・レベルの業態変動メカニズム
の説明が ミクロ ・レベルの小売企業による業 態創造プロセスの説明により基礎づけ られな ければならないという点にある。
以上の若干の整理を踏まえて、次にニチイ によるビブレ業態の開発 を対象に、そのプロ セスを跡づけてい くことにしよう。
Ⅲ ビブレの業態開発プロセス
流 行 に敏 感 なヤ ング とヤ ング ミセ ス の
「ちょっとリッチな暮 らし 」 「自分 らしいこだ わ り」を大切 にする 『 専門百貨店』、それがサ ティとともにマイカルの小売事業の中核 をな す ビブレである。 ビブレはフランス語で 「 生 きる 」 「暮 らす 」 「生活 す る」 を意 味す る
「 ⅤⅠ VRE 」にちなんで命名 され、その店舗であ るビブレ 21 の 「 21 」は 21 世紀を目指す ととも に、全国で 21 店舗は展開 したいという願いが 込め られている
6。ここでは 、1 9 8 2 年か ら 1 9 8 4 年 までの 3 年間 における天神 ビブレ 21 、河原町ビブレ 21 、原 宿 ビブレ 21 の 3 店舗 を取 り上げ、業態開発 プ
ロセスの詳細 を見てい くことにしよう。
1.天神 ビブレ 21
ビブレの歴史は 、1 9 8 2 年 3 月、福 岡市のニ チイ天神店を業態転換 し、天神 ビブレ 21 とし て再出発 させたことにはじまる
。天神 ビブレ 21 の前身となるニチイ天神店は 76 年 1 1月、福岡最大の繁華街天神の中心部に 位置する典型的な都心型店舗 として出店され た。売場面積は 9 , 51 0 m
2で、ニューファミリー 層 とよばれる 3 0‑ 40 代 をターゲ ッ トとして いたが、同店は出店以来、単年度黒字を一度 も計上することがで きず、赤字を出しつづけ ていた。数回にわたって店舗政策の見直 しが はか られたが、業績の向上 には結びつかず、
81 年度の売上高は 4 3 億 5 , 7 0 0 万円と初年度 目 標の 5 0 億円す ら達成で きない状況であった。
業績不振の最大の理由は、同地区が岩田屋、
博多大丸、ダイエー福岡ショッパーズプラザ の各店が激 しい競争を繰 り広げる全国で も有 数の商業激戦地であったことによる。大型店 同士の店舗間競争に埋没 し、有効 な店舗政策 を打ち出せなかったのである
。当時、同店 とともに岡山、河原町、三宮、横 浜の 5 店舗 を統括 していたのは第五事業部で あった。第五事業部は後のビブレ事業部の前 身となる組織であったが、地域的にまった く 異 なる店舗 を 1 つの事業部が管轄 したのは、
これ らの店舗がいずれ も赤字かまたはそれに 近い不振店であることによる。つ まり、第五 事業部はそ うした不振店を各地域事業本部か ら分離 し、都心型店舗の新 しい方向を探 るこ とを目的に設け られたものであった。第五事 業部の発案者であ り、みずか らその事業部長 を担当することになった小林義昌氏は、「 少々 のテコ入れ程度では どうに もな りそ うにな かった。まさに生 きるか死ぬか。いっそやめ て しまうか。つづけるにはどうすればいいの か7 」と苦 しんだという。この第五事業部が最 初に取 り組んだ店舗が 5 店舗のなかで最 も業 績の悪いニチイ天神店であった。
恒常的な同店の販売不振 を解消 し、業績 を 上向かせるにはどのような対策を採ればよい のか。明 らかなのは 「 少々のテコ入れ程度で はどうにもな りそうにない」 ということだけ である。店舗運営部に籍 をおいていた西棟 昭氏が都心店舗活性化 プロジェク トの リー ダーとな り、店舗政策の抜本的な見直 しがは じまった。
天神地区の客層は 7 割がヤ ングで占め られ る。これに対 してニチイ天神店のターゲ ット である 3 0‑4 0 代は 3 割にす ぎない。「この 2 0
‑3 0% のお客をターゲ ッ トにいままで と同 じ
商売 をしていた ら、売上げ も利益 も上がるは ずがない。お客 に合わせ満足 して もらえる店 に変 えねばならない 8 」と小林敏峯副社長はこ の ように述べ、それに向けて 1 年あま りにわ たる模索がつづけ られた。その結果導 き出さ れた結論 は、 これ までの総合 スーパ ー とは まった くコンセプ トの異 なる新業態店 として 天神店 を生 まれ変わ らせ るとい う方向であっ た。ノ J 、 林義昌氏 は次のように懐述する
9。それまでは肌着や日用品をセルフでできるだ け省力化 して売るという考え方だった。それ を全面的に否定して、専門知識をもった販売 員がよりグレー ドの高い、流行の先端をいく 商品を扱う店に変えたわけです。ターゲット もマーケットにあわせてヤングに絞 り込ん だ。とはいってもニチイの看板のままでは、
スーパーのイメージが強すぎる。そこで名前 をビブレに変えて、ゼロからスター トするこ とにしたわけです。
ターゲ ッ トをこの 7 割 を占めるヤ ングに転 換 し、専 門知識 をもった販売員がグレー ドの 高い トレン ド商品を対面で販売するとい う政 策が採 られることになった。品揃 えは衣料品、
服飾、住 関連 の一部 とし、百貨店 の扱 うナ ショナル ・ブラン ドの うちヤ ング向けのブラ ン ドを中心 に 1 5 7 のインイ ンシ ョップが導入 された。 またアパ レル ・メーカーを回 り、商 品を仕入れ、編集 して売場 をつ くった。
各階の構成は次のようなものであった 。 2 階が レデ ィス ・ファッシ ョンのフロア 、 3 階 が ジーニ ング、 シューズ とメ ンズ ・フ ァッ ションのフロア 、 4 ・5 階が本格派のアウ ト スポーツと トップスポーツ、都会派のニュー スポーツとチ ャンピオ ンスポーツか らなるス ポーツ ・プロショップのフロア 、 6 階が音 と 映像 のプロシ ョップの フロア 、 7 階が家電、
照明、イ ンテ リアなどクリエイティブライフ のフロア、そ して 8 階が レス トラン街 と催事 のフロアである。
この商品構成は次の 2 点で特徴的であった。
第 1 に、衣料品が中心であった旧天神店 とは 大 きく異 な り、衣料品部門を 3 分の 1に縮小 したことである。 これは衣料品スーパー とし て創業 し、 またそれを強み として きたニチイ にとって‑大転換であった。衣料品部門を抑 えたのは、各階のフロアで隣接す る専 門店 ビ ルのコアと差別化 をはかると同時に、コアと の相乗効果 をね らうためであった。 コアはヤ ング向けのメンズ、 レデ ィス衣料が 8 割 を占 める専 門店であ り、それに対 して ビブ レはヤ ング向けの住生活部門を中心 とした品揃 えを 行ったのである。第 2 に、その際の売場 区分 としてインショップが重要な役割 を果た した ことである。天神 ビブ レ 21 では 1 57 のイ ン シ ョップが一気 に導入 されたが、 これは 「イ ンシ ョップ 1 000 日作戦」の名の もとで 1 980 年 よ り継続 されて きたインシ ョップへの取 り組 みがあっては じめて実現す ることがで きた も のである。
ニチイが 恒常的不振店 を活性化するための 起死回生策 として打 ち出 した新業態店、天神 ビブ レ 21 はこうして新 しいス ター トを切 っ た。初年度売上げ 目標 は旧ニチイ天神店の前 年度売上高 を大幅に上回る48億 円 とされた。
しか し、 この業態転換 は大 きく期待 を裏切 る 結果 となる。ターゲ ッ トと目論んでいた 2 0‑
2 3 歳のヤ ング、大学生、OL 層の支持が まった く得 られず、購買力のないジュニアが来店客 の中心 を占めたか らである。プロジェク ト ・
リーダーか らその まま同店店長に着任 した西
棟 昭氏 は、「 開 店 1 週間 くらいで失敗 に気づ
いた。来る客 はジュニアばか り。それ とい う
の も店内の壁の色 をピンクにした りして、わ
れわれの感覚が間違 っていた 1 0 」 と述べてい
る。新百合 ケ丘 ビブ レ店長神沢昭彦氏 は、次 の ように懐述す る
11。1 年 日をオープンして、これが非常に厳 し かったんですね。やっぱり、核になるものが ない。要は、個々の売場ではやってるんです が、その部分はこれまでのニチイの商品のな かから、ただ商品が若 くなっただけで、やっ ぱり、商品としてお客さんに打ち出せるもの がなかった。
ターゲ ッ トであるヤ ング層の支持 を集める ことがで きなかったのは、福 岡を地盤 とし、
伝統 と規模 を誇る百貨店岩田屋の存在 にあっ た。岩田屋 はその暖簾性 ゆえに取引先‑の発 言力が強 く、売れ筋ブラン ドを取 り揃 えてい た。これに対 して天神 ビブ レ 21 は業態転換 に あたって百貨店、専門店の取 り扱 うブラン ド を収集 したはずであったが、同 じブラン ドで も売れ筋 の商品はなかなか回 して もらえず、
実際に店頭 に並んだ商品は売れ筋 とはほど遠 い死 に筋商 品であ った。 また顧客 の店舗 イ メージが切 り替わるのに も時間がかかった。
「た しかにスーパ一 ・ニチイは消 え、ビブ レと して再 出発 したのですが、お客 さまの方で、
この店で買い物 していいか どうか といった心 配があったようです
12」 と小林義昌氏 は述べ てい る。 さ らに ビブ レへ の リニ ュー アル ・ オープ ンに引 きつづ き、岩田屋、博多大丸、紳 士服専 門店のフタタが相次いで店舗改装 に着 手 し、また同年 1 1月にはダイエー福 岡シ ョッ パーズプラザの改装が予定 されるなど、集客 力の向上 を目指 した店舗間競争が激 しさを増
して きた。
こうしたターゲ ッ トの読み誤 り、競合店に 対す る暖簾性 と品揃 え面での競争劣位 によ り 天神 ビブレ 21 は出鼻 を くじかれ、現状の まま では当初の売上げ 目標48億 円を達成すること
は困難であることが確実祝 されるようになっ た。再ス ター トを切 った天神 ビブ レ 21 ははや くも店舗 ・商品政策の見直 しを余儀 な くされ る
。西棟店長 をは じめ とす る同店幹部 らは百貨 店、専門店 を再度研究 しなお し、競合店 との 差別化 をはか り、集客力 を高めるためにはど の ような施策が必要であるかを改めて探 って いった。綿密 な調査 と議論の末に新 しく浮か び上がって きた方向は、 ターゲ ッ トを感度の 高いファッション ・ヤ ングに絞 り込み、当時 彼 らの間で注 目されつつあった DCブラン ド
( デザイナーズ&キャラクター ・ブラン ド)を 大量 に導入することであった。DC ブラン ド・
メーカーは独 自の感性 ・感覚の商品群 を売 り 出 していたが、 まだヤ ングの トレン ド ・リー ダーが着 目す る段 階で は百貨店 は本格 的 に 扱 ってお らず、 またブラン ド・シ ョップも九 州ではあま りなかった。天神 ビブレ 21 はその DCブラン ドを集積 した大型専 門店 ビル とし て リニューアルすることに活路 を兄いだそ う
としたのである
。小林義昌第五事業部長 と西催 昭店長の 2
人は、さっそ く DC ブラン ド・メーカー との交
渉に乗 り出す。しか し当時、 DC ブラン ド・メー
カーがニチイのような総合スーパーに商品を
供給す ることはほとん どなかった。「 安売 りの
スーパ ー」 に商品 を供給す るこ とで ブ ラ ン
ド・イメージが崩れることを極端 に恐れたか
らである
13。小林事業部長 と西棟店長 も DC ブ
ラン ド・メーカー とこれ まで接触 したことも
な く、 また彼 ら自身 もDCブラン ドに関す る
知識は きわめて乏 しかった。ニチイの肩書 き
で取引契約 を申 し込んで も、DCブラン ド ・
メーカーの対応 は冷たかった。ここにおいて
ニチイは、DC ブラン ド・メーカー との取引関
係の構築 という大 きな困難に直面す るのであ
る。専門事業本部の浅井貞雄氏 は、次の よう
に述べ てい る
14。ある DC ブランドのメーカーさんに取引をお 願い Lに行ったところ、社長さんがいうわけ です。ニチイさんが扱ってお られるような商 品は石 ころだ。私 どものブランドは磨いた玉 だ。そういうものを一緒に店内において販売 するような店は、私は玉石混交型のマーチャ
ンダイジングと呼びますわ、と。まあ、そう いってプレッシャーをかけて くるわけです な。私 どもとしてはとても呑めないような条 件つ きで、取引を願った記憶があ ります。
先述 の神 沢店長 もまた、 同様 の こ とを指摘 してい る
15。ニチイという看板では、デザイナーズ ・ブラ ン ド、キャラクターズ ・ブラン ドは入 らな かったわけです。それが一番大 きな部分で す。そこか ら新 しい業態を作ってい くという のなかで、今 までは鳩のマークでお客 さんか ら信頼 を得てましたけれ ども、今度はメー カーさんの方か らは、鳩のマークでは入 らな かった。そういうなかで、ビブレという名前 で業態変更するということで、今 までのスー パーのや り方 とは全 く違います、ということ を外に出しなが ら、そういうブランドとの交 渉に入っていった。
取 りつ く島 もない状 況 の なかで交 渉の糸 口 が 開 け た の は、小 林 氏 が 著 名 な フ ァ ッシ ョ
ン ・デザ イナー 山本耀 司氏 と話 し合 ってい る ときに、 アス クプ ラ ンニ ング とい う名が 出た こ とであ った。 アス クプ ラ ンニ ングは フ ァッ シ ョン ・ビル な どを企 画す る会社 で、その こ とか ら DC ブ ラ ン ド ・メー カー に も強 い影響 力 を もって い た。 アス クの仲 介 が あ るな ら、
その DC ブ ラ ン ド ・メー カー もビブ レへ の 出
店 を考 えて もよい とい うこ とであ った。 とこ ろが まった くの偶然 に も、小林義 昌氏 とアス クの唐崎利 洋社 長 は知 己の 間柄 であ った。 そ れだ けで な く、 アス クプ ラ ンニ ングの贋崎利 洋社 長 はニチ イの贋 崎 尚孝専務 の子息 であ っ た。 この ような思 い もか けない結 びつ きが 明 らか になる と、 アス クを仲介 に して次 々 と有 名 DC ブ ラ ン ドとの導 入 契 約 が ま と ま って い った
16。こ う して業態転換 か らわずか 8 ケ月後 の 8 2
年 1 1月、さ らに業態 を見直 した天神 ビブ レ21 が リニ ュー アル ・オー プ ンした。 この ときに 集 め られ た DC ブ ラ ン ドは、 イ ッセ イ ・ミヤ ケ、 ケ ンゾー、 コムサ ・デ ・モー ド、 ス クー プ、 フラ ン ドル、 フロムニル、 ム ッシュ ・ニ コル、 ピ ンクハ ウス、 ヤマモ トカ ンサ イ、 ワ イズ、 マ ドモアゼ ル ・ノ ンノ、 ス タジオ Ⅴな ど29 ブ ラ ン ドで、20 の イ ンシ ョップが導入 さ れた。 この DC ブ ラ ン ドの大量 集積 に よ り天 神 ビブ レ21 の情 報発信 力 は飛躍 的 に高 ま り、
ターゲ ッ トで あ る フ ァッシ ョン ・ヤ ングを引 きつ ける こ とに成功 した。
表 1 天神 ビブレ 21 の業績推移
売上高 ( 百万円) 対前年伸び率 ( %) 82 年度 3, 630 83. 3 83 年度 5, 841 1 60. 9 84 年度 7, 552 1 29. 3 85 年度 8, 784 11 6. 3 86 年度 9, 780 111. 3
出所 :伊藤