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横光利一 旅愁・読後感

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Academic year: 2021

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

横光利一 旅愁・読後感

著者 田中 従子

雑誌名 文学研究

巻 2

ページ 22‑25

発行年 1955‑12‑01

URL http://hdl.handle.net/10105/8912

(2)

小人物から思考を圃奪してしまう完へミソグウェイの

作品の特徴であると同時に拝畢その人の特散である︒

結論すれば︑へ︑︑∴ングウェイの文学の方法は︑冠等掩用

の停止︑説明と解釈の省略︑観念の排徐であり︑従って

法に歴然としている︒限られた紙数と︑二不勉強と苧やっ てして︑フォークナ王と苧りんで現代アメリカ文壇C二 大双璧と称・苧机る㌻︑ソグウェイ真鍋じることは決して

Ⅲ来るも云で璧uく︑気になる個所が一つ誓わずも∵わが この辺でお許しいただきたい︒

旗  恋  ぐ  読後 感

この作品は︑泊由士一年四月から︑年目新規の連載小 説としてむき始められたが︑途中日華察賓の勃発︑太平 洋戦争等により∵ニ準も中断され︑最後に蛇︑作者の死

によって未完に終っている︒物語の背景に蛇︑昭和十一 年以来の国際情勢︑自警事変︑太平洋戦争に至る破局の 時代︑バグと東京望一っの都等があり︑その中で︑若い 日本の知識人の姿をとらえようとしている︒物語の前半 は︑主としてパリを中心に︑後半捜︑日永の東京を舞台 として︑主人公矢代群一郎を中心に︑彼がバクへ行く時

間離した人ふ︑久琴.千鶴子︑真紀子︑或はパ︒/で逢っ

た人々二見野︑塩野等︑によって繰り広げられている︒

聖者自身も︑喝畢十二竺一月から八月にかけて︑ほとん ど作品に現れて来るのと同じコ⁝スで渡欧しているので 由を捉へていたかということが︑物語竺利幸に見られる 美しい抽写によって知ることが出来る︒一カサカサに乾き 切ったパリのオ一印象︑マロニエの花Gポタポタ落ちて 来るプロニューの森の夜︑白鳥の浮ぶ湖︑そこへ迷い込 んだみずみずしい抽写︑ルクサンプール公粥︑千鶴子と 矢代が︑チロルの山車で氷河を渡り︑芋の群を見ながら︑

乾草の上で一夜を現す部分︑ここは︑全く庄巻とも云う べき準暦さ︑素晴らしさである︒或はノートルダム寺院

︒バリ祭の当日のジャンゼジゼでの乱1楯︑数えあげれば卓

(3)

.ハ=∴誓はい.聖流れる如く︑実に生々と生彩に恵んだ美し

い筆致車︑作者早︑パ=二霊甲象を︑﹁火にこかけたやかん

n尖﹁に所だ年光っている︒そういうきれいさだ︑そう

いう所だt﹁こ言っているが︑全くそれがピッタリする線

㌫こ白いパリC描写が泣所に重用きれる︒

物語堕︑大きく分けてこっの両を持っているリ一つは

こ巾の作品の主題である所の︑明治以来日太の知識人が対

決してきた東洋と西洋の問題である︒ペルーによって鎖 由の太平の夢草野ら孔て以来︑常に盛欧に圧迫され︑引 きづら孔︑匿倒されてきた日本︑それに対してり茶佃有 の伝統︑東洋的な精神は全く無価値なものであろうかと

いう懐疑︑つまり︑西欧派・と︑R∵茶主義的思想と誓聖止

である︒もう一っ空知は︑異国爪∵寵を背景とした悪党小

説であるという点でである︒千鶴子と云う女性を甘心に︑

矢代義兵埠丁をめぐる︑久軍︑東野︑串でも顆轟と聖母 の苧勿論︑千鶴子と︑矢鱈の恋愛である︒子亀子年カを リツタ空軍省︑矢代は︑白太の古風な道徳︑倫警小寺る 人海︑いわば︑古神道の信者である︒こ聖一人誓箕.い れ空′笠旅︑特に竺国の旅にあり唐ちな∵肉欲的な︑蕪 兢遺な︑露骨な恋愛で蛇なく︑どこまでも貞節な︑清潔

な︑精神的なへ プラLrエッグな恋愛として描かれている

のである︒この恋愛には︑思想︑宗教の問題が非常に大 きな妥素を占めている︒変と琴教の問題︑袖反する宗教 を持つ若い二人の恋愛である︒こ慧愚昧でも︑新しいも のを持つ恋愛小説なのでは従いだろうか︒旅愁が︑広く 読まれる原関の一つの要素は︑この美しい清潔な恋愛の 呼びおこす感動によるCであると思う︒

耕一の蝕について︒亀井勝一郎氏か︑これは︑論争的 作品だと云れれる如く︑作者自身誓心中で露わせた論争 が︑いたる所に見られ︑それが︑作品のLで捜︑白水主 義的な︑矢代と︑彼と対癖的な︑西欧派で︑まさに全身 ヨーロッパへ入り込もうとする久慈との問慧冊争をして 表現されている︒二人は︑お互いに穀も牽引されながら 間組に殿も激しい論争の敵ででもあるのである︒久慈と

いう青年蛇︑﹁あー.あ︑どうして僕捜パリに生れてこ亮

かったのだろう﹂︑と云う︒それを聞いて矢代蛇︑﹁胞 の底.から揺れ動いて来る窓を感じて肯くなる﹂︒のであ る二Lの短い文中に二人の対立の様が︑よく表現されて いると思う矢代餅一郎を通じて作品隻苧誓される冒太的 思想は︑恐らく当時︑作者白身の抱いていた思撫であろ

(4)

うUそして又︑久慈の持つ西欧心酔的な思慮も又︑横光 軸二打内部に存していたものであろう︒この二者の︑

化三笠元も聖が︑旅愁であツ篭近代西欧壇だものと︑東 洋的︑日本的亨ものの混乱︑分裂︑名状し計い浮動派態 にある日太の智証人の堅︑そう云うものの︑一つの典型

化で.あり︑象独化で至心了等井氏捜︑導代ヨーーロツ六の

洗礼を受けた日太人の知的運命に関する物語であり︑臼

太の智私人ほ︑・西洋に対しては︑むしろ宗主フソゼであ

る︒が︑卓越に封しても即にエTエフソゼではないか︑云

わは︑知的窃復のもたらした悲哀が︑旅愁と名附けられ

る聖で‰∵空 と轟いている︒全く﹁落ち着く土もない︑

漂ふ人誓淡の悪の増すばかり︑降りるべき土も互い︑旅 の慾を深めるはかり﹂と云テ旅をす五人の嘆き︑詠嘆に

異型を放した人の姿に︑その寅ま日太人の知的彷復.聖

足増を失って浮き上った知識人の姿が︑象徴されている︒

ヨ太主義者である矢代の云う日太的なもCは︑西洋の科

学に対する遺徳︑倫理であり︑論理に畢する義理人情︑

1

いったものに現われる︒そして︑共等の上に何か 言葉

に表現する輩の串来ない或る思想︑惑浩の加ったもの︑

曖味な︑釈放とした観念である︒この日義主義は︑今ま

で純理詰として︑酉欧主義に隣を占めたこと蛇なかったハ.−

これからも黒そらくそうだろう︒けれど︑作品に描れて いる︑古神道︑祖先崇拝︑義理人情とか︑脱幣とか俳句

など︑即に形式化さ.机︑躍動する生爺の失われてしまり

たものに注︑ラなづきかねるものがあるが︑何か∵議理 的に︑痩拓整然と膏薬に表現の出来ない日永的な︑東洋 的な︑或る感清︑思患︑そ至芸ったものを感じ取れない 人があるだろうか︑我々の身体の奥深く流れるそう云っ た感情は︑同じ苧太人聖霊拍誰しも感じ樽るのではない

だろうか︒失われ蘭∵くこうした巨太的なものを変惜し︑

いとおしむ︑その買付の非常に撃︑激しい者が失代の様 な人物なのである︒先代の議論の中には︑解し紺いこと や︑独断や︑晴に注滑稽な感じすら抱かされる様なこと も出て来る︒亀井氏は︑こうしたものを漂う人の当然の 輝藩でありしかもこの論理や感じ方の不分明さその群自 体か︑日本の知詩人的現象ではなかるぅか︒と獣いてい

る.か︑その通りだと思う︒先代の執拗な程のd太主義︑

当太粘神への固執︑或は︑千範子のカナリ﹃ズムに対す

(5)

石皆の望誓罵元や㌢芸料塵二崇這先がこされたn

汁︑屯鳥兵封÷梓㍗て曇んへ入って・きた票数の為で挙ろ

うと云うこと二千完子と∵箪ひ幣に心翁タブーと震

って兢く︒そんどことL嘉して︑こ礼はど持ち識ちと︑

筆警告李冬なけ㍑ば誉巧誓いnかそ鶏はど神窪写黒岩

患婆がき芸∴︳ハごつl聖1−.∴ト∵わだたー完差もどかしさと

;机翠穂隻恕じすら受けたが︑これは作者巨芽の︑内恕

プ∵ある︑放し空軍濠︑矛盾︑苫品料よ云云で・警?う︒そ

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何故︑久慈慧票‡去︑も﹁£富子げ亮か三上のだろ

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につながる母なる恩義である︒大空かだ︑熱々たした譜

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