• 検索結果がありません。

6 - 性起 としての世界 と人間 - 村 上 直 樹

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "6 - 性起 としての世界 と人間 - 村 上 直 樹"

Copied!
26
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

 

 

 

   

 

 

人文論叢 (三重大学)第27 2010

( 私) の 消 去 の 後 に 6

‑ 性起 としての世界 と人間 ‑

村 上 直 樹

要 旨 :本稿 の 目的 は、 (私) を立てず に人間の経験 を体系的 に説 明す る理論 を構築す ることで ある その理論 は、性起 に関す る理論 という形で構築 され ることになる。 そ して、我 々の性起 に 関す る理論 は、生 一物 とい う物質概念 に依拠す ることにな る (その理 由は、前号 において呈示 した。)生 一物 とは、次 の

6つの性質 を持つ物 の ことである

i)

それが 「ある」 という事態が、

極微 の次元 における生成論的な生成 と消滅 によって もた らされている、

i i)新 たに生成 した り消

滅 した りす る、 in)能動性 を持つ、

i v)

それ 自体で知覚的に現前す る、 Ⅴ)有意 ・有色 ・有情で ある、

v i )

その総体が不可分の単一体をなす。 こうした生 一物 とい う物質概念 は、量子論、 自己 組織化論、 内部観測論、大森荘蔵の知覚的立 ち現 われ論 な どが、近代 自然科学の物質概念 ‑死 一 物概念 に対置 してそれぞれ呈示 してきた物質像 をまとめ上 げた ものである 本号 では、 この生 一 物概念 を措定す る作業 の一環 と して、生 一物概念 の源泉 とな った諸理論 の中で もとりわけ物質の 能動性 に着 目 した理論 を取 り上 げ、それ らが呈示 している物質像が どのような ものであるのかを 明 らかに していきたい。実質的 には、それ らが注 目す る物質 の能動性 とは どのよ うな ものか、 ま た、 その能動性 はどのように して発現 しているのかを明 らかに していきたい。

5 .

死一物から生 一物へ

5)

能動性への着 目‑ 自己組織化論、内部観測論、 シモ ン ・マ リン

近代 自然科学 において、物質 は もっぱ ら観測 され操作 され る対象である 近代 自然科学が考 える物質 は、能動性を持 っていない。それは、常 に受 け身 の存在であるとみなされてきた。そ して、近代 自然科学の形成過程 において、能動性を持 たない物質 とい う物質概念をはっき りと 呈示 したのは、 デカル トである デカル トによると、物質 とは、「延長者、即 ち長 さと幅 と探 さとを有す るもの

( De s c ar t e s1 644‑1 96 4:96)

であ り、物質 の本性 は、「ただ延長の うちに成 り立つ

」 ( De s c ar t e s1 644‑1 96 4:97)

。 デカル トは、物質を延長 の一語 の もとに拘束 した。 そ し て、その ことによって、能動性 を物質か ら追放 した。 いわゆる 「死せ る自然」のイメージは、

この物質か らの能動性 の排除に由来す る (雨宮

1 996:11 3)

また、デカル トは、物質 ‑延長的実体 を精神 ‑思惟的実体 と対比 させた

( De s c ar t e s1 644‑1 9 6 4:67 )

。物質 を、思惟 ‑ 認識即 ち知性の作用」並 びに 「意欲即 ち意志の働 き

( De s c ar t e s 1 644‑1 964:57)

の主体 たる精神 と対比 させ、両者 を峻別 した (カルテ ジア ンカ ッ ト)。 そ して、 この対比 と峻別 によって、物質概念か らの能動性の排除は、 よ り強固な ものにな ってい デカル トは、「世界 の能動的 ・認識的な部分 (人間の 「精神」)と世界の 「死んだ」部分、

機械的 ・物理的 とされ る部分

(

物質」 ない し 「他者」)とを、互 いに共役不可能な ものとして 分離」 したのである

( Swe ns on1 998:2 44)

。 ちなみに、 デカル トによる物質 と精神 の対比 と 峻別をめ ぐって、松野孝一郎 は、次のように述べている

‑ 1 45‑

(2)

物質 とい った言葉 が我 々にとって重 い痛 いであるのは私 も同感 です。 それは良 くも悪 くも デカル トか ら出て きた問題 です。 デカル トはまず、 自分、物 を喋 る者、つ ま り我 々人間を保 証 して、 その次 に対象 があるとします。 それは結局 デカル トにおいてはモノで しかない 。 してその時 に、 ものを喋 りたい我 々を保証 しようと非常 に無理 を したがために、 モ ノが木偶 の坊 と してまわ りに置かれて しま った。 ところが これを物理 の問題 と して考 え ると、 ひ ょっ とす ると物理 的 にはそのモノに過 ぎない ものか ら我 々が出来上 が ったのか もしれない。 その 時 には、最初 に木偶 の坊 と しておいておいた ものが結果的 には全 くの木偶 の坊 でな くな って くる この問題 をデカル トはあま り追求 しなか った。 デカル トは我 々の方 を温存 したが為 に、

結局 モ ノ とい った ものに必要 な肩入れを して来 なか った。我 々はその後遺症 を被 っています (松野 ・郡 司 ・中島 ・荒川

1 996:3 96‑ 397 )

デ カル トは、機械論 的 自然観 に依拠 した 自然学 を最 初 に体系化 した (村上

1 980:21 3 )

。能 動性 を持 たない物質 という物質概念 は、 この機械論 的 自然観 に依拠 した 自然学 の前提で もある。

機械論 的 自然観 は、 物質 の総体 た る自然 を機械 のよ うな もの と して捉 え る「物理 的世界 での 出来事 を生命 のない機械 の予 め決 まった運動 と して

( Mal i n2001 ‑2006:225)捉 え る

機械 論 的 自然観 においては、 自然 は、 あるいは物理 的世界 は、 「決定論 的で機械 の歯車 のようにお 互 いに押 した りいた りしている惰性で動 く粒子 の集合体 で しかない

( Da vi e s &Gr i bbi n1 992‑

1 993:25 4)

。 そ して、 こうした機械論 的 自然観 は、 自然 を構成す る物質 は能動性 を持 たない木 偶 であるとい う前提か ら生 まれた ものである

デカル ト以 降、 自然科学 は、能動性 を持 たない物質 を対象 と して、 め ざま しい発展 を遂 げて い く 科学 の 中の科学 の座 に久 しく君 臨 して きた物理学 に着 目す る と、 この学 問 は もっぱ ら

命 を持 たない もの」 を対象 とし、 それを扱 うのに最 もふ さわ しい強力 な方法 を開発 していった (蔵本

2007:5 )

。例 えば、後 に も論及す るが、古典力学 は、保存則 を満足す る運動 を、物質 に よる内部観測 (‑質料 因) とい った ものはない もの として、基本 的 に形相 因‑運動法則で表 わ す方法 を確立 した。 しか し、

1 960

年代末以降、 自然科学 の内部 において、物質 は能動性を持 た ない とい うそれまでの前提 を覆す ような議論 が展開 され るようにな った。 そ うした議論 として、

自己組織化論 と内部観測論、 そ して、 ホワイ トヘ ッ ドや プロテ ィノスの理論 を受容 した量子論 の研究者 シモ ン ・マ リンによる (ニ ュー トン的パ ラダイムに代 わ る)新 たな 自然認識 のための パ ラダイム構築 の試 みが挙 げ られ る これ らは、 いずれ も物質 が能動性 を持 っていることを指 摘 している 例 えば、 自己組織化論 を主導 したプ リゴジンは、次 のように明言 している

人工 的な」 ものは、決定論 的かつ可逆 的な もの と言 って よいで しょう「自然 の」 もの は本質 的 に、偶然性 および不可逆性 とい う要素 を含 みます。 こう考 え ると、新 しい物質観 が 得 られ ます。す なわ ち物質 は もはや、機械論 的世界観 でみた ときの ような受動 的な [‑能動 性 を もたぬ] もので はあ りません。 ほん らい 自発的な活動性 を もつ ものなのです。 この考 え かたの変化 は根本的な ものです

( Pr i gogi ne1 985‑1 986:1 48)

以下、 これ らの議論 が注 目す る物質 の能動性 とは どのよ うな ものか、 また、 その能動性 は ど のよ うに して発現 しているのかを見 ていきたい。最初 に自己組織化論 が注 目している物質 の能 動性 につ いて見 てみよ う

‑ 1 46‑

(3)

村上直 樹 (私)の消去の後に6‑性起 としての世界 と人間‑

自己組織化論

自己組織化論 が注 目す る物質 の能動性 としてまず挙 げ られ るのは、物質が 自ら構造 を形成す ることがあるとい うことである 日常世界 には、人間によって構造 を与 え られた物があふれて いる しか し、 自己組織化論 によると、場合 によっては、物質 は 「人手 によ らず 自らパ ター ン を作 り出す能力 を秘 めている(蔵本

2007:92)

のである そのよ うな意味で、物質 は能動性 を持つ では、物質 は 自らどのような構造 を形成す るのだろうか。

物質が 自ら形成す る構造 は、平衡構造 と散逸構造 に区分 され る

( Pr i gogi ne &Gl ans dor f f1 971 ‑ 1 977

:述i)。平衡構造 とは、熱平衡状態 において現 われ維持 されてい く秩序構造 である 結晶 構造 ‑ 「固体結 晶における分子の整列 に見 られ るような秩序(蔵本

2003:80)

が平衡 構造 の代表であろう ところで、熱平衡状態 とは、物質 の系 において、 自由エネルギーが最小 とな りエ ン トロピーが最大 とな って、 マクロに見 る限 りは もはや変化が起 こらないとい う状態 の ことである よって、一見 した ところでは、物質 の系が熱平衡状態 に近づ けば近づ くほど、

構造 が壊 されてい くよ うに思 われ る エ ン トロピーが増大 して く過程 は、「動か ら静へ、構 造か ら無構造へ、生 か ら死へ向か う

(蔵本

2007:32)

過程 である しか し、 これが絶対 とい うわけではない。低温で、 しか も分子間結合力が働 くな らば、熱平衡状態 に近づ くことで逆 に 構造 が形成 され る場合 もあるのである

Oant s c h1 980‑1 986:7 2)

。結 晶の他 に、雪片、生物膜 な ど もそ の例 で、 これ らは元 の液相 状 態 よ りも高 いエ ン トロ ピー を持 つ平 衡構 造 で あ る

Oant s c h1 980‑1 986:72) 。

もう

1

つの散逸構造 は、平衡構造 とは対照的な秩序構造 である 散逸構造 とは、非平衡開放 系 において発生す る構造、「非平衡条件 の もとで、エネルギー と物質 とを外界 と交換 しなが ら、

形成 され維持 され る

」 ( Pr i gogi ne &Gl ans dor f f1 971 ‑1 977

:xh)構造 である 散逸構造 を形成す る系 ‑非平衡開放系 は、熱平衡状態 には行 き着かない。平衡か ら遠 く離れた状態を保 ち続 ける それ は、「エ ン トロピーをエネルギー とともに外部世界 に排 出 し続 けている(蔵本

2007:47 )

か らである 非平衡状態を保 ち続 けるためには、常 にエネルギーの流れ にさらされていなけれ ばな らない (河本

1 995:88)

。非平衡系 は、必然的 に開放系 であ る 非平衡 開放系 は、 「外部 か らもらった分 だけのエネルギーを放 出 し、発生 したエ ン トロピー分 と等量のエ ン トロピーを 排 出

(蔵本

2007:48)

している 非平衡開放系 は、動 的な系 である そ して、散逸構造 は、

この 「流れや変化が生 じつづ ける系内に生 じる構造

(安孫子

1 986:46)

、系の動的過程 によっ て生成 され再生産 されてい く動的な構造である 散逸構造 は、 もはや変化が起 こらない状態で 現 われ維持 されて く平衡構造 とは、 ま った く対照的な秩序構造である

もともと物理学 で は、「非平衡状態 には何 ら興味を引 ぐ情報 は含 まれていない」、「熱力学的 非 平 衡 は、 何 か新 しい もの の源泉 で はな く、 平 衡 へ の旅 を はばむ一 時 的 な妨害 で あ る」

Ua nt s c h 1 980‑1 986:75)

と考 え られていた。 しか し、 プ リゴジンは、 「平衡 か ら遠 く離 れた 状態では、新 しいタイプの構造 が 自発的に生 じうること」、「平衡か ら遠 く離れた条件下 で、無 秩序 あるいは熱的混沌か ら秩序への転移が起 こること」 を見 出 し、 その秩序構造 を 「散逸構造」

と名づ けた

( Pr i gogi ne &St e nge r s1 984‑1 987:48)

。 エネルギーの絶 え間ない散逸 の中か ら現 わ れ る構造 を意 味す る 「散逸構造」 は、「散逸」 と 「構造」 とい う一見相反す る概念の結 びつ き

とい う逆説性 もあ って、鮮烈 な印象を研究者 たちに与 えてきた (蔵本

2007:26)

代表的な散逸構造 の具体例 は、以下の通 りである 液体系 のベナ‑ル不安定性 によって生 じ

‑ 1 47‑

(4)

る対流 の細胞状 のパ ター ン‑巨視的な数の分子が巨視的な大 きさの時間にわた って行 う秩序 あ る運動

( pr i gogi ne &Gl a ns dor f f1 971 ‑1 977・ 'Ⅹ)

、 「化学反応 とい うものは無秩序 に運動 し、 偶 然 的 に衝 突 す る分子 によ って生 じる」 とい う 「われわれ の直観 を根底 か ら覆す

( pr i gogi ne 1 985‑1 986:1 50)

ペルー ソフ‑ジャボチ ンスキー反応系 における振動性化学反応 あるいは周期 的化学反応、生物細胞 のエネルギー変換 をつか さどる解糖 サイ クル等。

自己組織化論が注 目す る物質 の能動性 とは、 まず、物質 の系が以上 に述べたような平衡構造 と散逸構造 を 自ら形成す ることがあるとい うことである 物質 は、 自ら秩序構造 を形成す るこ とがあ る、すなわち自己組織化(1)を行 うことがあ るとい う意味で能動性 を持つ。 こうした能動 性をクローズア ップす ることで、 自己組織化論 は近代 自然科学の形成 とともにもた らされた死 一 物概念 に異議 を唱えた と言 え る

さ らに言 えば、 自己組織化論 は、 自己組織化 の過程の中に も物質 の能動性 を見 出 している

問題 にな るのは、散逸構造の形成過程である 先 に挙 げた対流 のパ ター ンの例で説明 しよう

流体 の系、例 えば水 の系が、上方の低温熱源 (空気) と下方 の高温熱源 (火) の

2

つの環境 に同時 に開かれているとす る この場合、高温熱源か らのエネルギーの流入が特定 の範囲内に ある時 には、熱源 に近 い分子 の運動が活発 にな り、 その運動エネルギーが近 くの分子 を活発 に し、 さ らに、、、、、、 とい う形で、流入 したエネルギーは、下 か ら上へ と伝 え られてい く この 現象 は、熱伝導 と呼ばれているが、熱伝導 によって水 の系 にマ クロなパ ター ンは生 じない (

1 989:207)

。下方 で暖め られた水 はわずか に軽 くな っている (密度が薄 くな っている)。軽 い ものが下 にあ り、重 い ものが上 にあるとい う配置 は安定的ではない。 ただ、水 には粘性抵抗 があるので、 わずかに軽 くな った水が抵抗 に逆 らって上昇運動 を始 めることはない。上下 の温 度差が小 さいうちは、水 は静止 したままである 温度差 に比例 した強度で熱が上 向きに流れ続 けるだけである (蔵本

2003:82)

。 しか し、下方 の高温熱源か ら流入す るエネルギーが一定 の 閥値 を超 え、上下 の温度差が限界値 を超え ると、水 は もはや静止状態を保つ ことができな くな さ らに暖め られた水 は抵抗 にうちか って上昇運動 を始 める それに伴 って、上方 の冷 たい 水 は下降運動 を開始す る。 そ して、下降 した水 は、下方 の高温熱源 で暖め られ、次 に上昇運動 を始 める このように して、上昇 と下降は1回で終わることはな く、引き続 き循環が生起す る。

対流が生 じ、渦 あるいは対流模様 その他 とい ったマ クロ ・パ ター ンが出現す る 典型的な散逸 構造が形成 され ることになるわけである (蔵本

2003:83

;大庭

1 989:207 )

自己組織化論 で は、 こうした散逸構造の形成過程 を、 「ゆ らぎが ポジテ ィブ ・フィー ドバ ッ クを介 して秩序 を形成

(鷹野

1 993:2 06)

して く過程 であ るとみなす。「ゆ らぎ」 とは、系 に内在 的 に含 まれ る 「平均的状態か らのずれ

(大庭

1 989:22 8)

、 あるいは 「マクロな規則性 か らの逸脱(河本

1 995:88)

である。 ここで問題 に している水 の系 の場合、平均的状態、 あ るいはマクロな規則性 とは、膨大な数の分子が ラ ンダムに運動 し、無秩序 に衝突 し合 っている 状態であ り、 ゆ らぎとは、 それか らのずれ、すなわち膨大 な数 の分子の運動 の仕方がそろって くること、秩序 だ って くること、分子間で一定 の協 同が始 まることである そ して、「対流 と い う現象 は多 くの分子 が一斉 に一定 の方 向に動 くことによ って生 じる

(丹羽

1 986:73)

。 す なわち、水 の系 におけるゆ らぎが、対流の細胞状 のパ ター ンとい う散逸構造 を形成す るのであ なお、系 にゆ らぎが生 じると 「系を もとの乱 れのない状態 に戻 そ うとす る動 きが続 いて起

」 ( Pr i gogi ne &Gl a ns dor f f1 971 ‑1 977

:

x d )

。平衡付近 で は、 ゆ らぎの大多数 は、 やがてか き 消 されて しまう (河本

1 995:88)

。平衡付近では、ゆ らぎは無害である

( Pr i gogi ne1 997‑1 997:

‑ 1 48‑

(5)

村上直樹 (私)の消去の後に 6‑性起 としての世界 と人間‑

57 )

。 ゆ らぎが散逸構造 の形成‑ と向か うには、平衡 か ら十分へ だた った非平衡状態が必要 で ある (河本

1 995:88)

。平衡 か ら遠 く離れた ところにおいて、 ゆ らぎは中心的な役割を果 たす よ うにな る

( Pr i gogi ne1 997‑1 997:57 ‑ 58)

。 ここで例 と して挙 げてい る水 の系 は、

2

つの環境 に同時 に開かれてお り、非平衡状態 にある そ して、下方 の高温熱源か ら流入す るエネルギー によって上下 の温度差が大 き くな り、系の不安定度が増 して くると、 ゆ らぎの頻度が無視 しえ ないオーダーにな ってい く さ らに、 この状況では、様 々なタイプのゆ らぎが生 じるわけであ るが、 それ らは、互 いに相殺 し合 った り、強め合 った りし、 あるところで、ついに特定 のタイ プのゆ らぎが加速度的に殖えて 自己増殖す るようになる そ して、 この 自己増殖 したゆ らぎが、

特定 のマ クロ ・パ ター ンを形成す るよ うにな るので ある (大庭

1 989:229)

。 また、 自己増殖 したゆ らぎ、すなわ ち分子間での一定 の協 同が特定 のマ クロ ・パ ター ンを もた らす と、そのマ クロ ・パ ター ンを担 うよ うな分子間の ミクロな協 同が よ り強化 され、 それが強 まるとマ クロ ・ パ ター ンが よ りい っそ う明確 にな り、す るとさらに分子間の ミクロな協 同が、、、、、 とい う過程 (大庭

1 989:237 )

ポジテ ィブ ・フィー ドバ ックの過程 ‑ も生起す るようにな る

さて、以上 のよ うに、2つの環境 に同時 に開かれている水 の系 とい う非平衡開放系 において は、 ゆ らぎが ポジテ ィブ ・フィー ドバ ックを介 して、対流 の細胞状 のパ ター ンとい う散逸構造 を形成す る そ して、 自己組織化論では、 この過程 はあたか も系が環境状態を感知 し、 よ り機 能 的なマ クロ状態 を選択す る過程 とみな されている (大庭

1 989:23 4)

。上述 のよ うに、系 の 不安定度が増 して くると、様 々なタイプのゆ らぎが生 じる ゆ らぎがマクロ ・バ ク‑ ンを形成 す ることを考 えれば、その時点で出現 しうる新 たなマ クロ ・パ ター ンは複数存在す る 系 の不 安定性 が顕在化 して きた時 に、移行 しうる新 たなマ クロ状態 は、複数通 り存在す るのであ る (大庭

1 989:226‑ 227 )

。 そ して、 その時の環境状態か らす ると、 その複数のマ クロ ・パ ター ン の中のある特定 のパ ター ンが他 のパ ター ンよ りも機能的に優れてお り、結果的に、 この特定 の バ ク‑ ンの出現 を もた らす ようなタイプのゆ らぎが、他 のタイプのゆ らぎの相互減殺 の中で、

増幅 してい くのである (大庭

1 989:229‑ 230)

。 自己組織化論 は、 こう した過程 を、系が、 「 衡 か ら遠 く離 れた ところで可能 となるい くつかの分枝 の内か ら一つを 「選択す る

」 」 ( Pr i gogi ne

1 997‑1 997:58)

過程 とみな している プ リゴジンによれば、「 くぶん擬人化 した表現 を用 い るな ら、平衡状態で は物質 は盲 目であるが、平衡か ら遠 く離 れた条件下では、物質 は、外界 の 違 いを感知 し、 それを考慮 に入 れて機能 し始 め る

( Pr i gogi ne &St e nge r s1 984‑1 987:5 0)

。物 質 の系 は、「非平衡状態で視力 を回復 し始 める

( Pr i gogi ne1 983‑1 986:1 08)

。視力 を回復 した 水 の系 は、環境状態 を感知 し、不安定性の結果 として もた らされた 「い くつかある選択肢 の中 か ら状態 を 自発的 に選択 してい くことにな る(清水 ・餌取

1 986:22)

のである

自己組織化論 は、2つの環境 に同時 に開かれている水 の系 のよ うな非平衡開放系が散逸構造 を形成 してい く過程 において、 い くつかある選択肢 の中か ら

1

つを選択す るとい うことを見 出 した。選択 をなす とい う能動性を持つ ことを見 出 したのである 物質 は、 自ら秩序構造 を形成 す ることがある また、秩序構造 を形成す る過程 において、選択 をなす ことがある 自己組織 化論 が注 目す る物質 の能動性 は、 このような ものである なお、 自己組織化論 は、物質 の系が 自ら秩序構造 を形成す ることがあること、並 びに、 その過程 において選択をなす ことがあるこ とを クローズア ップ したが、物質 の系が 自らに関す るプラ ンを内在的 に抱 いているとか、個 々 の分子 に創造的な意志が備わ っているといった主張 は していない (大庭

1 989:236

;河本

1 995:

86) 。

‑ 1 49‑

(6)

内部観測論

では、次 に、 内部観測諭が考える物質の能動性 について見てみよう 内部観測論 に対 しては、

20

世紀末 に現 れた科学史 における最 もラデ ィカルな考 え方 の一つであ るとい う評価 も出 され ている ここでは、 その内部観測論 を主導 してきた生物物理学者松野孝一郎の理論 を取 り上 げ ることに したい。松野の内部観測論 (以下では、単 に内部観測論 と記す) は、物理科学 の前提 を根本 的に転換す るものである 従来 の物理科学 で言 う物 の運動 には行為者が顔 を出す ことは な く、「動 く物 は全 て受 け身 の形で動 いている」 とされている (松野 ・三嶋

1 999:1 97 )

。物理 科学 において再現性が保証 されているとす ると、 ある種 の決定性がそ こにあるとい うことにな るが、 その決定 を支配す る能動選択 は一方的に実験家 に委 ね られてお り、実験家が対象 とす る 物質 の世界 には、決定 に携 わ る能動選択 が一切認 め られていない (松野 ・港

2007:1 22)

。 内 部観測論 は、 こうした前提 を覆す ものである 以下では、 内部観測論 の主要な論点を要約 し、

その ことを通 して、 内部観測論 が考え る物質 の能動性 とは どのよ うな ものか、 また、 その能動 性 は どのよ うに発現 しているのかを示 してい くことに したい。

内部観測論 は、多様な論点を内包 しているが、 それはまず機械論的因果律 に依拠 した運動論 に取 って代 わ る運動諭の試 み とみなす ことができる そ して、松野が、 その運動論 の出発点 と したのが保存則である 保存則 は理論上の構想物 ではな く、無謬 な経験的事実である 例えば、

エネルギーの保存 は過去 に行 ったエネルギーの測定 においていつ もその保存が確認 された とい う経験 的事実 に立脚 している (松野

1 986b:53)

。松野 は、 この無謬な経験則 としての保存則 を出発点 として運動論 を展開 している

さて、 「いかな る運動が進行 しようとも、 それ は結果 において保存則を満足す る」、 「運動 は 保存則 を満足す る様 に進行 す る」 のであ るが (松野

1 986a:40)

、松野 は、 「保存則 を成 り立 たせ る運動 その もの」、「物質 に備 わ っている内生過程、保存則 を内か ら実現 させ ようとす る内 生過程

(松野

1 991: i x)

、 あるいは 「保存性実現過程 と しての内部観測

(松野

1 991:52)

着 目す る では、保存則 を成 り立 たせ る運動 とは何 だろ うか。 ここでは、力の零保存 の例で説 明 しよ う

ニ ュー トンは、力学第一、第二法則 において力 を定義 し、第三法則 (作用 ・反作用 の法則) において力が及ぶ全ての対象の間での整合、調和条件が何であるのかを明示 した (松野

1 996:

426)

。ニ ュー トンは、第三法則を 「作用 に対 し反作用 は常 に逆 向きで相等 しいこと。 あるいは、

二物体 の相互 の作用 は常 に相等 しく逆向きであること」 と表現 している 作用体か らの作用力 はそれを受 けた反作用体 か らの反作用力 と大 きさは等 しく、 その向きは正反対である、 とい う のが この第三法則の意味す る所 である よって、 この第三法則 に従えば、作用体か らの力 と反 作用体 か らの力 の総和 は零 となる 力学第三法則 は、作用体 か らの力 と反作用体か らの力 の総 和 が零 とな ることを明示す る法則である (松野

1 991:31 )

。 そ して、 この零総和、 あるいは力 の零保存性の実現 には二通 りの仕方が考え られる。一つは、無限大の速度で進行す る過程 によっ て力 の零保存性 を成 り立たせ る仕方、すなわち力 の零保存性 を運動媒質 の変位 と共 に瞬時かつ 同時 に成就 させ る仕方である もう一つ は、有限速度 で進行す る過程 によって力 の零保存性 を 成 り立 たせ る仕方 である (松野

1 991:31

,

1 09)

これ までは、力 の零保存性 は、前者 の仕方 で実現 されていると考 え られてきた。「第三法則 は これ まで ほとん どの場合、媒質 中の至 ると ころで力 の零保存 と しての力均衡 が瞬時かつ同時 に成立す る もの として理解 されて きた(

1 991:31 )

のであ る しか し、 いかな る物理過程 といえ ども、光速 を超 えて伝わ ることは

‑ 1 50‑

(7)

村上直樹 (私)の消去の後に

6

‑性起 としての世界 と人間‑

ない (松野

1 991:1 09)

。 瞬時瞬時 に成立す る力均衡 によ って、力 の零保存性が実現 され るこ とはない。力 の零保存性 は、有限速度で進行す る (力均衡 を結果 として もた らす)力均衡化の 過程 によ って、実現 されているのである そ して、松野が着 目す る保存則 を成 り立 たせ る運動 とは、例 えば、 こうした有限速度 で進行す る力均衡化 の過程 とい った ものである なお、松野 は、 この力均衡化 の過程 に関 して、次のような説 明 も行 っている力学第三法則 とい う一見、

無味乾燥 に見 え る法則 を原子、分子系 に適用 し、 それに原子、分子間の相互作用変化 は光速 を 越え る速度 では伝播 し得 ない とい う経験事実か らの制約 を付 け加 えた時、 そこか ら一つの独得 な運動 が導 かれ る 原子、分子間の相互作用の力学第三法則 を 目指す間断のない変化運動がそ れである。」(松野

1 988:1 43 )

保存則 を成 り立 たせ る運動 とは、有限速度 で進行す る均衡化 の過程、「保存則を満たす状態、

すなわ ち保存状態 とい う一つの均衡状態 を 目指す均衡化 の運動(松野

1 991:422)

である この均衡化 の結果 が 「事後での無謬 の保存則 の実現」 であ る (松野

1 991:1 08)

。 ただ、均衡 化 は、均衡状態 を 目指す運動 であ りなが ら、新 たな不均衡 を もた らす。 「均衡化 は不均衡化 と 同義」 なのであ る (平野 ・黒揮

2002:57 )

。以前 の不均衡 を除去す るとい う運動が絶えず、除 去 され るべ き以後 の不均衡 を発生 し続 ける (松野

1 991:7 8)

。不均衡 を除去す る均衡化 とそれ によって発生 した不均衡 を再 び除去す る均衡化の際限のない くり返 しを通 して、事後 に保存則 を満足 させ るための変異 が内生 的に生成 され続 けるのである (松野

1 991:93)

では、不均衡化 と同義で もある均衡化の過程 とは、 どのよ うな過程 なのだろうか。均衡化 の 過程 とは、 内部観測 の過程のことである均衡化過程 は進行 しつつある内部観測 に対応す る。」

(松野

1 991:1 08)

保存則 を成 り立 たせ る均衡化 の過程 とは、 内部観測 の過程である よ って、

事後 の保存則 は内部観測の成 し遂 げた結果(松野

1 991:1 08)

とい うことになる 保存性実 現過程 の根底 には内部観測があるのである (松野

1 991:77)

。 そ して、結局、問題 となるのは、

この内部観測 とは何か とい うことである

内部観測 を行 うものは、経験世界の中に現 われて きた質料、 あるいは物質 をおいて他 にはな い (松野

1 999b:2 45 )

。 内部観測 の主体 は、物質 である実際、物質集積体が与え られた と き、 それが分子 であれ、 あるいは分子集積体であれ、物質相互作用 を介 してその外界を検知す 。」(松野

1 991:7 3)

物質 には外界 と相互作用す る物質能 が備 わ ってお り、 その相互作用 を 通 して外界 を検知す るのである 物質 には もともと感受す る能力が備 わ ってお り、他 の物質 を 感受す るのであ る (松野 ・三嶋

1 999:206)

。 内部観測 とは、 まず、 この物質 による外界 の感 受、検知、被験 の ことである ただ、松野の言 う内部観測 は、外界 の感受、検知、被験 にとど まるものではない。経験世界の中で一番基本 とな るのは、働 きかけることと他か ら働 きか け ら れ ることが混在 しているとい うことである どち らか一方 しかない とい うことはない (松野1

998:29)

。物質 は、他 を検知す るだけではない。相互作用す る物質集積体 は、 そのいずれ もが 他 を検知 しなが ら、 それ に基づ いて他 に作用 を及 ぼす (松野

1 991:7 5)

。松野の言 う内部観測

とは、 この他 に作用 を及 ぼす過程 も含 めた過程 である

それでは、物質が他 に作用を及 ぼす過程 とはどのような ものだろうか。それを説明す るには、

あ らためて、物質が他 の物質 を感受す るとい うことは、 どの ような ことなのかを明 らか に して おかな ければな らない。松野 は言 う質料 が何かを感受す ると した とき、一体何 を感受す る のか。 これ はやは り強度 で しかないのではないか。」(松野 ・河本

1 999:65)

質料 は、物質 は、

「外界 か らの刺激 を強度 と して感受す る(松野

1 999 a: 99)

、 「他 の運動体 によ って提示 され

‑ 1 51‑

(8)

た表現 に由来す る強度 を被験す る(松野

2000 a: 1 77)

。物質 は、他 の 「物質 に由来す る強度」

(松野

2000 a : 11 7 )

を感受す るのであ る そ して、 内部観測論 で問題 にな る強度 は、保存則 の破 れで あ る 物質 は、他 の物質 に由来す る保存則 の破 れを強度 と して感受す る (松野

2000 a: 87)

。松野 の言 う内部観測 とは、 まず何 よ りも、保存則 の破れの感受、被験である

そ して、物質 は、 この保存則の破れを、なか った もの としてや りす ごす といった ことは しな い。 もし、保存則 の破れが放置 され るのであれば、保存則 を満 たす状態 を 目指す均衡化 の運動 は起 こらない。 しか し、実際には、物質 は、保存則 の破れを放置す ることはな く、 それを補償 しようとす る 保存則の破れを強度 として感受 した物質 は、 自らを変換 し、その変化運動 によっ て保存則 の被 れを補償す るのである (松野

2000 a: 87)

。 また、物質が 自らを変換す ることは、

他 によって感受 され るべ き新 たな強度 を発生 させ るとい うことである (松野

2000 a: 87)

。物 質 とい う 「内部観測体 は周 りか ら強度 を被験す ることによって 自分 を変換 し、 その結果 を周 り

に提示す ることによって再 び他 に強度 を及 ぼす(松野

2000

a :

11 8)

のである(2)。 ただ し、新 たに発生す る強度 は、絶えず以前の保存則の破 れを補償す る、 とす る制約下で発生す る 強度 の発生 は、以前 の保存則 の破れを補償す る仕方 でのみ進行す る、 とす る内生選択 を伴 う 保存 則 の破れを補償 しない強度 の発生 は、 自律的に排除 され ることになる 発生す る強度 その もの が選択 されて くるとい うことが、 ここでの特徴である (松野

2000 a: 87 )

松野 の言 う内部観測 とは、他 に作用 を及 ぼす過程 も含めた過程であるが、他 に作用 を及 ぼす 過程 とは、上記 のような過程、すなわち、保存則 の破 れを強度 として被験 した物質が、 自らを 変換 し、保存則 の破れを補償 してい く過程、及 び 自らを変換 し、その結果を周 りに提示す るこ とによって他 によって感受 され るべ き新 たな強度 を発生 させてい く過程である 内部観測 は、

被験、変換、提示 か らなる過程である(3)。被験、変換、提示 の

3

つを

1

つの言葉で言 お うと し たのが内部観測 である (松野 ・三 嶋

1 999:1 96)

。 内部観測体 としての物質 は、 その運動 にお いて強度 の被験、変換、提示を際限な くくり返 してい く (松野

2000 a: 1 09)

また、以上 の説 明か ら明 らかなように、 内部観測 は、均衡化 の過程である 内部観測 におい て、他 の物質 に由来す る保存則の破れを強度 と して被験 した物質 は、 自らを変換 し、 その変化 運動 によ って保存則 の破れを補償す る その過程 は、保存則 を満たす状態、すなわち保存状態 とい う一 つの均衡状態を 目指す均衡化 の過程である そ して、 さらに言 えば、 内部観測 は不均 衡化 の過程 で もある 物質 は自らを変換す ることによって、他 によって被験 され るべ き新 たな 強度 を発生 させ るが、 この新 たな強度 も保存則 の破れである 保存則の破れを補償す る変化運 動 は新 たな保存則の破れを生成 し、 この新 たな破れが他 の物質 によって強度 として被験 され る のである (松野

2000 a: 87 )

。保存則の破れを生成す る内部観測 は、不均衡化の過程で もある

先 に均衡化 は不均衡化 と同義であると指摘 したが、 内部観測 とい う均衡化の過程 は、不均衡化 の過程で もあるのである 以前 の不均衡 を除去 してい く内部観測の過程 は、 同時に除去 され る べ き以後 の不均衡 を生成 してい くのである

なお、伊東敬柘 も言 うように、 内部観測 とい う均衡化 の過程 は、つ じつ ま合わせの過程 であ る (伊東

1 995:21 3)

。他 の物質集積体 に由来す る保存則 の破 れを強度 と して被験 した物質集 積体 は、 自らを変換 し、 その変化運動 によって保存則 の破れを補償 しようとす る 保存則 の破 れ とい う不都合 を とりつ くろうのである「この不都合 が同一 の物質 に長 く留 ま り続 けれ ば、

その物 質 は、 物質 と して存在 し続 ける ことがで きな い。」(松野 ・郡 司 ・池 田 ・茂木 ・養老

2000:227 ‑ 228)

ただ し、保存則 の破れ とい う不都合 を と りつ くろう物質集積体 の振 る舞 いは、

‑ 1 52‑

(9)

村上直樹 (私)の消去の後 に

6

‑性起 としての世界 と人間‑

一時的なっ じつ ま合 わせである 保存則 の破れを補償す る変化運動 は新 たな保存則 の破れを生 成 し、 この新 たな破れが他 の物質集積体 によって強度 と して被験 され ることになる 保存則 の 破れ とい う不都合 は、決 して消え ることがない。不都合 は、別 の ところに転嫁 されてい くので あ る (松野 ・郡 司 ・池 田 ・茂木 ・養老

2000:228)

。不都合 を別 の ところに転嫁 してい く内部 観測 は、 つ じつ ま合 わせである そ して、 こう した内部観測 は、 「どのような物質系 にで も認 め る こ とがで き る

(松野

1 991:72)。

物質系 は、 「つ じつ ま合 わせ をす るシステム

(伊東

1 995:21 3)

である

つ じつ ま合 わせをす る物質系 において、保存則 の破れ とい う不都合 は次 々と別の ところに転 嫁 されて 他 の物質集積体 に由来す る保存則 の破れを強度 と して被験 した物質集積体 は、

自らを変換 し、 その変化運動 によって保存則 の破 れを補償 しよ うとす る ただ し、保存則 の破 れを補償す る変化運動 は新 たな保存則の破れを生成 し、 この新たな破れが他の物質集積体 によっ て強度 と して被験 され ることになる ついで、 その物質集積体 が この新 たな破れを補償 しよ う とす る この連鎖 に際限はない。 このように して、保存則 の破 れ とい う不都合 はさす らってい くことにな る 松野 によれば、 こうした 「さす らう不都合」 を扱 って こなか った ことに、 これ までの物質科学 の問題がある (松野

2000b:21 9‑ 220)

ちなみに、松野 は、平野耕一 とともに、 内部観測論 に依拠 した通貨経済系 に関す る内部発展 モデルを展開 しているが、 この内部発展モデルにおいて も上記のつ じつま合わせ (‑内部観測) さす らう不都合 が主要な機制 とな っている そ して、通貨経済系 におけるつ じつ ま合 わせ、 さ す らう不都合 のあ り様 をおさえてお くことが、 内部観測論 の論理 の明示化 につなが ると思 われ るので、以下、 この内部発展 モデルが描 くところの通貨経済系 におけるつ じつ ま合わせ、 さす らう不都合 のあ り様 を簡単 に見てお くことに したい。

内部発展 モデルが考 え る通貨経済系 は、企業、家計、金融機 関、政府、 中央銀行 とい う経済 主体 か らな る (松野

2 000a:44‑ 45)

。政府、 中央銀行 を除 けば、 これ らの経済主体の数 は膨大 であ り、 また、 それぞれが独 自の思惑で動 いている ただ、 それで も通貨経済系 は、 いつ もあ る程度 の秩序 を伴 いつつある (松野

2000 a: 43)

。通貨経済系 は、元来脆弱性、不安定性 を抱 えているに もかかわ らず、それな りに安定 しつつ存続 してい く (平野 ・黒津

2 002:55 )

。 さて、

こうした通貨経済系 において、例 えば、 ある企業 に流入す る通貨流がそ こか ら流 出す る通貨流 を大 き く下回 り、通貨流の流入 と流 出の均衡が破れ、通貨流不均衡が発生 した とす る。企業 は、

当然、 この通貨流不均衡 とい う不都合をそのまま放置す ることはできない。では、 どうす るの か。通貨経済系 における各経済主体 は、 中央銀行 を除 き通貨 を発行 ・破棄す ることは許 されて いない。企業 は通貨 を偽造す ることによって、通貨流不均衡 を解消す ることはできない。企業 が実際 にできるのは、 その影響が他 の経済主体 に及ぶ ような仕方 での通貨流不均衡 の解消であ 例 えば、企業 は、家計‑の支払 い賃金の削減 によって、通貨流不均衡 を解消 しようとす る。

そ して、 その結果、家計 に新 たな通貨流不均衡が もた らされ ることにな る もう少 し広 く言 え ば、次 の ようにな る 通貨流不均衡が発生 した とす ると、企業 はあ らゆる手段 を使 って、 その 不均衡 を解消 しようとす る その影響 は、他 の経済主体 に及 び、 そ こで新 たな通貨流不均衡 を 生 み出 してい く 企業 が通貨流不均衡 を解消 しようと した結果、家計への支払 い賃金 の増減、

金融機 関か らの借 り入れの増減、家計及 び政府が購入す る製 品の価格 の増減 を通 して、家計、

金融機 関、政府 に新 たな通貨流不均衡が もた らされてい くのである (松野

2000 a: 46‑ 47)

通貨経済系 を構成す る経済主体 は、内部観測 の主体 である。各経済主体 は、通貨流不均衡 を

‑ 1 53‑

(10)

被験す る (‑見定 め る)。 そ して、通貨流不均衡 の被験 とその通貨流不均衡 を解消す る行為 は 不可分 で ある 通貨経済系 を構成す る各経済主体 が通貨流不均衡 を見定 める時、 この見定 め ら れた不均衡 を解消す るとい う運動が必ず それ に伴 って現 われ る (松野

2 000 a: 55)

。働 きか け ることと見 ることは切 り離す ことができない。各経済主体 が行 う内部観測 とは、通貨流不均衡 を被験す る過程だけではな く、その不均衡 を解消す る過程 も含 めた過程である 各経済主体 は、

内部観測 を通 して、通貨流不均衡 を解消 してい く 各経済主体 による内部観測 は、通貨流均衡 化 の過程 である 企業、家計、金融機関、政府 とい った経済主体 は、絶えず この内部観測 とい

う通貨流均衡化 を行 っている

しか し、「通貨流均衡が持続的 に実現 され ることは決 してない(松野

2 000 a: 46)

。例 えば、

上記 のよ うに、企業が、家計への支払 い賃金 の削減 によって、通貨流不均衡 を解消 して も、 そ の結果、家計 に新 たな通貨流不均衡が もた らされ ることになる また、企業 による 「通貨流均 衡化 の影響 がそ こだけに独立 し尽 くして しま うことは決 してない(松野

2 0 00 a: 44)

。通貨 流不均衡 を被験 した家計 は、例えば、消費支 出を切 りつめ ることによって、 その不均衡 を解消 しよ うとす る その結果、他 の経済主体 に新 たな通貨流不均衡が もた らされ ることにな る の よ うな連鎖 に際限はない (松野

2 000 a: 44)

。通貨経済系 には、 「系全域か ら不均衡流 を除 くための調整者 は存在 しない

(平野 ・黒揮

2 002:6 4)

。通貨流不均衡 は、通貨経済系 内部 を さす らってい く そ して、家計への支払 い賃金 の削減 によ って通貨流不均衡 を解消 した企業 も 再 び、通貨経済系 の中で際限な く進行 している通貨流均衡化 の連鎖 によって通貨流不均衡 を被 験 し、「また気 を とりなお して新 たな帳尻合わせ に向けて再 出発 しなければな らな くなる

(

2000 a: 1 6)

。 このよ うに、通貨流均衡 が持続 的 に実現 され ることは決 してない。各経済主 体が行 っている内部観測 という通貨流均衡化 は、一時的なっ じつま合わせ、帳尻合わせである

また、各経済主体 が、次 々とつ じつ ま合 わせを行 ってい くことによって、通貨流不均衡 とい う 不都合、 あ るいは しわよせが、通貨経済系 内部 をさす らって く、 あるいは ぐる ぐる廻 ってい

くことにな る 通貨経済系 は、 しわよせの ぐる ぐる廻 し系 である (平野 ・黒揮

2 002:58)

しわよせの ぐる ぐる廻 し系 としての通貨経済系 は、元来不安定である これは、系 を構成す る各経済主体 が、通貨流不均衡への対処 にあた って意思決定能 を持 ってお り、破産 しないため には通貨偽造以外 に何 をす るかわか らない し、 また、各経済主体が通貨流 のネ ッ トワー クで結 ばれていることによ り、通貨流不均衡の際限のない転嫁 とい う形で、常 に内部か ら擾乱 が発生 す る可能性 があるか らである 通貨経済系 は、連鎖 的な経済主体 の破産 とそれに起 因す る系 そ の ものの破綻 とい う危険 にさらされ続 けているはずである (平野 ・黒揮

2002:5 8)

。 しか し、

実際 には、通貨経済系 は、 それな りに安定 しつつ存続 してい く それは、通貨経済系 における しわよせの ぐる ぐる廻 しの軌道が安定的な ものであるか らである しわよせの ぐる ぐる廻 しの 軌道 には無数 の可能性があるが、実現 され るのは、安定的な軌道である 通貨経済系 は、安定 的な軌道 を実現す るとい う自律能を持 っている その ことによって、元来不安定な通貨経済系 は、 それな りに安定 しつつ存続 してい くのである (平野 ・黒揮

2 002:5 9)

さて、通貨経済系 を構成す る経済主体 は、絶えず内部観測 とい う通貨流均衡化 を行 っている が、 このつ じつ ま合わせの行動 は通貨経済系 の記録 には残 らない。例 えば、経営者 の通貨流不 均衡 を解消 しようとす る行動、 あたか もバ ラ ンスを絶えず とりなが ら幅の狭 い塀 の上 を歩 いて い くよ うな運動 は、貸借対照表の上 には記載 されない (松野

2 000 a: 1 6)

。経営者 の よ うな経 済主体 が 「刻 々に生 きている世界 は、外部観察が与 え る完了 して しまったデータの記録 とは も

‑ 1 5 4‑

(11)

村上直樹 (私)の消去の後に6‑性起 としての世界 と人間‑

ともと異 な った もの(前 田

2 0 01:2 8 4)である

他 の経済主体か らもた らされた通貨流不均 衡 に驚 いた り、時 にはすでにつ じつま合わせを行 ったに もかかわ らずそれが不調 に終わ り、失 望 とともに新 たなっ じつま合わせに向か ってい った りす る経済主体の通貨流均衡化の運動 は、

「驚 き、期待 はずれ とは無縁 な整合の とれた完 了形 の記録(松野 ・郡 司 ・池 田 ・茂木 ・養老

2 0 0 0:2 2 6 )には残 らない。 しか し、記録 には残 らな くて も、不都合 を後 には残 さない とい う

つ じつ ま合 わせの運動、 また、後 には残 さない とい う意味においては目的論的な運動 (松野 ・

Sha w2 0 0 0:2 9 4)が生起 しているのは、間違 いない。通貨経済系 において、「

今、現在 はまさ につ じつ ま合 わせの最 中(松野 ・佐 々木 ・三嶋

1 9 97:1 5 0 )である

この現在進行形 の とこ ろで起 きているつ じつま合わせを視野 に入れな ければ、通貨経済系のダイナ ミクスを理解す る ことはできない。

物質系 について も事情 は同 じである 物質集積体 は、絶えず保存則の破れ という不都合を と りつ くろ っているが、 このつ じつま合わせの振 る舞 い も記録 には残 らない。「運動 の現場 とい うのは進行形 であるのに物理学では進行形 を直接扱 っていない(松野 ・郡 司 ・池 田 ・茂木 ・ 養老

2 0 0 0:2 2 8 )か らだ。例えば、ニ ュー トンの運動方程式 による過去 の現象 につ いての記述

があるが、 その過去 の記録 には、現在進行形 のまさに動 いているというような 「動的な もの」

は書 き込 まれていない 。 物理学 は普通、そ うした現在進行形の 「動的な もの」 は無視す る (

1 9 9 9:2 6 0 )

「驚 き、期待 はずれが連続す る進行形 の運動(松野 ・郡司 ・池 田 ・茂木 ・養

2 0 0 0:2 2 6 )

は、記録 されない 。 あるのは、 「驚 き、期待 はずれ とは無縁 な整合 の とれた完 了形 の記録(松野 ・郡 司 ・池 田 ・茂木 ・養老

2 0 0 0:2 2 6 )だけである

しか し、物質系 にお ける運動 は、本 当に整合をいつ も伴 っているだろうか。すんで しまったことにおいては、確か に整合 が とれている (松野 ・佐 々木 ・三 嶋

1 9 97:1 5 0 )

。複数 の物質集積体 が相互作用 してい た 「その現場が ひとたび、完了形で記述 された記録 に移行 されたとす るな らば、そ こでは一人 の著者 あ るいはサイエ ンテ ィス トが全体 の状況 を完全 に掌握、支配 出来 る(松野 ・佐 々木

1 9 9 8:1 2 5 )

。運動 は、整合的に記述 され ることになる しか し、今、現在 は、現在進行形 の と ころは、 まさにつ じつま合わせの最 中である 現在進行形 の場面 には、「全てを支配す る唯一 の絶対支配者 な ど有 り得 ない(松野 ・佐 々木

1 9 9 8:1 2 5 )

。 その場面では、決 して全体 を見通 す ことのできない複数の物質集積体が 「しどろもどろ(松野 ・郡司 ・池田 ・茂木 ・養老

2 0 0 0:

2 2 6)のつ じつ ま合わせを くり返 している

そ して、「そ ういうことを言語で表現す るとい うこ とは、今 までは禁句 だ った(松野 ・佐 々木 ・三嶋

1 9 97:1 5 0 )

。物理学 は、現在進行形 を直接 対象 に して こなか った。 これに対 して、松野の内部観測論 は、現在進行形のところで何が起 こっ ているのか、 を中心課題 として問 う (松野

1 9 9 8:3 0 )

。 内部観測者が、 いかに してその 日その 日の出来事 を処 しているのか、毎度予期 し得 ない驚 きを経験 しなが ら、 いかに してエネルギー 収支 の帳尻 を合 わせているのか、 を問 うので ある (松野

・Sc hne i de r

Co o k

1 9 9 4:2 2 6 )

松野 は、「進行す る現在 の問題」 に注意 を喚起 している (郡司

1 9 9 8:2 2 4)

。角田秀一郎 も指摘 しているように、松野の内部観測論 は、現在進行形 の物理学である (角田

1 9 9 9:2 6 0 )

以上 のように、 内部観測論 は、現在進行形 の物理学 とみなす ことができる 現在進行形 の と ころに着 目す るという ことは、物質 によるつ じつ ま合 わせ、物質 による内部観測 に着 目す ると い うことである そ して、 ここまでのところでは言及 しなか ったが、 この内部観測 は、一対多 型写像 の運動法則 とセ ッ トにな っている 内部観測論 は、一対一型写像の運動法則 に取 って代 わ る一対多型写像 の運動法則の提唱で もある そ して、松野が 「一対一ではな く一対多の運動

1 55‑

参照

関連したドキュメント

 基本的人権ないし人権とは、それなくしては 人間らしさ (人間の尊厳) が保てないような人間 の基本的ニーズ

ると︑上手から士人の娘︽腕に圧縮した小さい人間の首を下げて ペ贋︲ロ

当社は「世界を変える、新しい流れを。」というミッションの下、インターネットを通じて、法人・個人の垣根 を 壊 し 、 誰 もが 多様 な 専門性 を 生 かすことで 今 まで

[r]

人間は科学技術を発達させ、より大きな力を獲得してきました。しかし、現代の科学技術によっても、自然の世界は人間にとって未知なことが

 松原圭佑 フランク・ナイト:『経済学の巨人 危機と  藤原拓也 闘う』 アダム・スミス: 『経済学の巨人 危機と闘う』.  旭 直樹

⇒規制の必要性と方向性について激しい議論 を引き起こすことによって壁を崩壊した ( 関心

 かつての広葉樹は薪炭林としての活用が主で、20〜40年の周期