カ リキュラム開発論の問題 と課題
Pr o b l e msa n dS u b j e c t so fThe o r yo fCu r r iC u lu m De v e l o p me n t
大 谷 良 光 *
YoshimituOTANI*
論文要 旨
本小論は,教育学研究 にお けるカ リキ ュラム開発論 の問題 と課題を,代表的著書 にみ られ るカ リキ ュラム 開発概念の整理 を通 して検討 した。その結果,現在のカ リキュラム論 に大 きな影響 を与 えている佐藤学等の 論が,カ リキ ュラムの本来備 えている 「 教育計画 」 の側面を後方に追いや っていることに問題 の所在が集約 できた。 したが って,学習の転換論か らの求めを 「 教育計画」 を視座 に克服す るカ リキ ュラム開発論の解 明 が課題 となった。
また,カ リキュラム開発の過程がカ リキ ュラム構成 ( 狭義)‑授業‑カ リキュラム評価 と理解 され,カ リ キュラム構成の各構成要素 一教育 目的,教育内容,教材,教育方法,教育評価 ‑が 「 段階 」 「 手順」 とい う静 的に把握 されている点に問題があ り,動的に把握す ることが課題 として明 らかになった。
キー ワー ド :カ リキュラム概念,カ リキュラム開発,カ リキ ュラム構成,佐藤学,
1.
は じめに
本小論は, 中学校技術科のカ リキュラム開発論 の基礎的研究の一つであ り,その研究の立場は, 授業研究 を基礎 にカ リキ ュラム開発
(cu汀iculum development )を推進す るものである。 よってその 開発は,子 どもたちに とって学ぶ意味 と喜びを獲 得する授業 ( この定義 は後述) となる と考え られ る。 したが って,そのよ うな授業 を創出できるカ リキュラム開発が可能な開発の原則 を探求す る。
ここでい うカ リキュラム開発の原則 とは,個々の カ リキュラム開発に先立ち,その根本にある共通 的な もの,言い換 えれば,学ぶ意味 と喜びが獲得 できる授業 となるカ リキュラム開発 として成 り立 つためには,必ず関与 している と考え られ る原則 である。
ところで,カ リキュラム開発論は,現在生起 し ている教育学上の現代的教育課題 を視野に入れた ものでない とその意義は薄れ る。
近年,学校それ も中学校 をめ ぐる教育諸問題は 深刻である。非行 ・問題行動,い じめ,不登校, 学級崩壊,落 ちこぼ し,学びか らの逃避,授業拒 香,学力格差 , 「 学力」の現実か らの乗離,ダブル スクールによる問題等々数えきれない。 これ らの
現象は深部で連動 してお り,その震源は学校社会 における競争の激化 と競争秩序の世界にある と思 われ,久富善之の指摘す る認識 1 ) に学ぶ ところが 多い。つ ま り,その震源の骨格 をなす ものに能力 主教育政策に基づ く受験教育体制が位置する と考 え られ る。
そ してこの深刻な状況に対 し, 国民の関心は高 く政治の大きな争点 となっていることは周知の と お りである。大局的に教育をめ ぐる政策動向をみ るな らば,政策 当局側は,教育基本法を見なおす とい う方向での 「 教育改革」 と,新たな産業構造 の変化に対応できる労働力政策 としての教育施策 を求め, またそれ ら‑の批判的側は諸問題の震源 の解決‑ 向けての施策を求めている。
そ こで,これ ら深刻な状況 と 「 教育改革 」 「 教育 施策」 ,国民の切実な改善‑の要望の世論 を背景に 生 じている現代的教育課題を,我々の研究課題, つま りカ リキュラム開発論 に関わ り整理す る と次 のよ うになる と思われ る
2)。
第 1に,学校教育 としてのカ リキュラムが成 り 立つ前提,つま り学校 とい う公共教育の制度的, 内容的枠組み の再考 の動 向である。 「 学校 ス リム 化」の提言等々による 「 教育改革」の動 向 と同時
*弘前大学教育学部技術科教室
DepartmentofTechnologyEducation,FacultyofEducation,HirosakiUniverslty
に,塾や不登校児のための 「 居場所」の教育機関 な ど,現実問題 に対応 した改善 としての 「 複線 化」
が進 め られ てお り, これ ら学校再構成‑の動 向の 課題がある。
第 2 に, 「 総合的学習の時間 」 「 総合学習」な ど 新たな領域 ・分野の必要性が指摘 され, また, ク ロスカ リキ ュラム等教科の再編成 の動 向が ある。
一方,既存諸教科 について も,改 めてその存在根 拠が問われ ている課題がある。
第
3に, 「 学びか らの逃避」 「 学力 と現実 との乗 離」等の現実を直視 した授業 にお ける学習観 の転 換, 「 教 え」か ら 「 学び」‑,言い換 えれば, 「 教 育のカ リキ ュラム」と 「 学習のカ リキ ュラム」( 松 下佳代)
3)とをいか に統合 してい くか, また,カ リキ ュラム研究にお けるカ リキ ュラム概念 の再定 義 の課題がある。
第 4に,子 ども権利条約 にみ られ る新 しい子 ど も観 に基づ く,子 どもの諸権利において,カ リキ ュラム開発 に子 どもがいか に関わ るか,つ ま りカ リキ ュラム開発‑ の子 どもの参加 の課題 である。
第 1,第 2,第 4の課題 は,カ リキ ュラムに と って基本的で根源的な課題である と思われ るが, ここでは,問題意識 に関わ り第
3の学習観 の転換 の課題 に焦点を絞 ることとす る。
学習観 の転換論 は,学校教育にいかなる背景 よ りアプ ローチ しているか,研究の視角を明確 にす る意味で,整理 してみ る こととす る。
まず第 1 に,学校教育 をめ ぐる深刻な状況 を反 映 し , 「 学びか らの逃避」す る子 どもたちにいかな る学校教育 を提供す るか,つ ま り子 どもたち とい かなる学習 をつ くるか とす る教師の良心 の 自由か
ら発 しられ ている と考 え られ る。
これ に対 して第 2に,政策 当局側 よ り産業構造 の変 化に対応 した労働 力政策 の側面の強 い と思わ れ る教育施策 としての , 「 新学力観」とそのイデオ ロギー としてのいわゆ る 「 新 自由主義教育観」に よる指示がある といえる。
そ して第 3 に,第 1 の背景 を支える もの として, 子 ども権利条約 に よる子 ども観 の変 化が考 え られ る。
さらに第 4に,教育内容 とされていた子 どもに 分か ち伝 えるべ き文化遺産が,社会 の進歩 と変化 の中で腐朽 し, またその 「 学校知」のイデオ ロギ ー性が暴露 され,制度化 され た知が権威化の抑圧 性 を もつ よ うになるメカニズムが明 らか に され た ことに よって,教育内容 自体‑ の懐疑やその存在
を否定す る潮流が生 じてきた ことにある と思われ る
4)0
したが って学習観 の転換論 には,様 々な見解か らのアプ ローチがある と考 え られ,我 々は,第 1 と第
3の見解 を尊重 し,その視点で学習転換論 を 把握す る ものである。そ して第 4の背景 について, 営々 と積み上げ られ てきた人間の文化遺産 の上に 立つ ことを拒否す る 「 学習」は,その意味や意義 を子 ども自身が汲み取 る ことができない とい う一 点において 自己破産す る ことになる考 え られ る
4)0
そ こで我 々は,学習観 の転換,つ ま り 「 教 え」
か ら転換 され た 「 学び」 の授業 を,子 ども権利条 約 の子 ども観で捉 えるな らば , 「 子 どもたちが学ぶ 意味 と喜び を獲得す る授業」 と理解す る ことが適 切である と考 え られ る。そ して 「 学びの授業」概 念 の内包 は , 「 子 どもたちが,授業 の中で主体的な 学び の空間を拡大 し,学ぶ意味 と喜び を取 り戻 し, 学びのイ メー ジを 自分の ものに してい く授業
」 5)といえる。
さて , 「 カ リキ ュラム開発」の類語 として , 「 カ リ キ ュラム ( 教育課程)構成
(curriculum constnlCtion)」 ,
「 カ リ キ ュ ラ ム ( 教 育 課 程)編 成
(cu汀iculum making)」, 「 教育課程 の 自主編成」の用語があ り, その使かわれ方,つ ま り語義 ( 定義)の解釈 も研 究者 に よって異な っている と思われ る。 また , 「 カ リキュラム」の語義 ( 定義) について も諸説があ る といわれ,それ らは,論者の教育観やカ リキ ュ ラム研究に対す る立場 の相違か ら生 じている とい える
6)0よって本小論 は,以上の学習観 の転換論 を問題 意識 とし,教育学研究でのカ リキュラム開発論 に お ける問題 の所在 と課題 を明 らかにす る ことを 目 的 としている。
そ して,その方法 は,教育学研究者が用 いてい るカ リキ ュラム開発概念 の整理 を通 し,特 に現在 学校教育学 に大 きな影響 力を与 えている と思われ る佐藤学のカ リキ ュラム論の批判的考察 によ り推 考 を行な うものである。
2.
カ リキ ュラム開発論の問題の所在
カ リキ ュラムに関す る各概念 の検討 の対象であ
る先行研究は,教育課程論,カ リキ ュラム研究等
の著作,論文にあ り,その研究は多数 ある。 しか
し,全てを検討の対象 にす ることは,筆者の手に
余 る問題であるため,研究が集約 されている と思
われ る,各種教育学事典 とそれ を執筆 され ている,
今野 喜 清 『 教 育課程 論』 ( 第 一 法規) ,柴 田義 松
『 教育課程 ‑カ リキュラム入門』( 夕斐閣)他,稲 葉宏雄 『 現代教育課程論』 ( あゆみ出版) ,安彦忠 彦 『カ リキュラム研究入門』( 勃草書房)他,佐藤 学 『カ リキュラムの批評』( 世織書房)他,浅沼茂
『ポス トモダン とカ リキュラム』 ( み くに出版) , 等の代表的な研究者の著作 に着 目し検討を行な う
ことにす る。
ところで,本論はカ リキ ュラム開発論の一研究 に位置す るため,それ にあたる用語 を 「 教育課程」
でな く 「 カ リキュラム」を使用す ることとし , 「 教 育課程」を使用す る場合は , 「 公的な枠組み」とし ての教育計画の場合に用いることにす る。
さて,カ リキュラム とは 「 教育 目標 に即 して児 童生徒の学習を指導す るために,学校が文化遺産 の中か ら選択 して課す る教育内容の全体計画 を意 味す る。
」7 ) ( 今野喜清,新教育学大事典),つま り
「 教育計画」の側面 をもつ もの と理解 され, この 理解は管見の限 り各研究者共通 と思われ る。 これ は,戦後の 日本 においてカ リキュラム用語の導入 が,米国の 「 進歩主義教育」の系譜である 「 社会 適応主義」 と 「 社会効率主義」のカ リキュラム観 に影響 され,それ らのカ リキュラム開発 を模倣 し て実践が普及 したため,カ リキュラムを 「 プラン ( 計画)
」や 「プ ログラム」 との理解が定着 した, とい う佐藤学の指摘
8)に も裏打 ちされ る。
しか し, 日本において もカ リキュラム概念の拡 大化が行なわれ,1
974年のOECD教育研究革新 センター
(CERT)と文部省共催の 「 カ リキュ ラム開発 に関す る国際セ ミナー」での議論の総意 がパラダイムの転換期 とな り,その概念は 「 教育 計画」のみでな く,子 どもが教師や仲間 との接触 の中で 自ら学んでい くよ うな ものを含めて,学習 活動の枠組すべてにかかわ る極 めて広範な ものを 指示す る見解 を取 るよ うになった
9)。
今野喜清は これを 「 広義のカ リキュラム観」 と 定め
10),佐藤学は 「 教師が組織 し子 どもたちが体 験 している学びの経験 ( 履歴)
」l l ) と定義 してお り, カ リキュラム概念の拡大化 も研究者の共通な見方
と思われ る。
一方 「 カ リキュラム開発」 の概念は,1
930年代 の米国のカ リキュラム改訂運動に歴史を もち , 「 学 校や教育機関において,教師,教育研究者,ある いは,教育行政関係者が,教科の内容 ・方法 と子 どもの学習経験 を組織す る活動 を示 している。」1 2 ) といわれている。
さらに 「この概念は,1
960年代のカ リキュラム 改革 ( 米国一筆者) において各国に普及 し,カ リ キュラムを組織 し作成す る活動一般 を示す共通用 語
」 12)とな った。
このことは,前述 した
CER Iの国際セ ミナー の報告で 「 学校現場 におけるさまざまな状況や学 習者の条件に応 じて計画 ・実施 ・評価のサイ クル が絶 えず検討 され修正 されてい く,学校 に根 ざ し たカ リキュラム開発が強調
」 13)されていることか
らもいえる。
この 「 学 校 に根 ざ した カ リキ ュ ラ ム 開 発」
(SBCD)の思想は, 中央集権 的な教育制度 の伝
統 を背景 とす る 日本 において,カ リキュラム開発 を進 める主体の課題,つま り開発者 と実践者の分 離,研究者 と実践者の分離,言い換 えればカ リキ ュラム と授業の分離 とい う二元性の克服 として重 要である. 日本においては戦後の一時期 を除き、
今 日まで学校 レベルにお ける実践者である教師の カ リキュラム開発‑の 自由 ・自律性が限定 され, その創造性 ・意欲は阻害 されてきた。
したが って この克服 は,教師の主体的な参加 に 基づ くカ リキュラム開発 にあ り, 日本においては 学校 レベルや学年教師集団,教師 と研究者が共同 で進めてきた 「 教育課程の 自主編成 」 「 教科の 自主 編成」,それ らの結果 としての多数の 「自主教材プ ログラムの開発」その ものが, この克服過程であ った と思われ る。 この事実は,カ リキュラム開発 論の検討において 「 教育課程の 自主編成」におけ る理論的実践的成果 を視野に入れ る必要性 を示 し ている。
さて,佐藤学はカ リキュラム と授業の二元性 に 着 目し, 日本におけるカ リキュラム開発の実際は,
「 研究 ・開発 ・普及モデル」にあ り,教師を主体 とした教室での実践 に根 ざ した開発 を推進す る と すれば, このモデルの抱える諸問題の解決にむか い, このモデルを補完 しうる新たな開発様式の構 想が求め られ る とし, 「 実践 ・批評 ・開発モデル」
を提示 した
14)15)。氏の分析 と氏の論は,現在のカ リキュラム開発論の中心的問題点 と思われ,以下 氏の論 を中心に検討す ることにす る。
氏は,カ リキュラム開発の次元 を,開発 され る
プ ログラム とその主体に注 目し,( 彰中央あるいは
地方の教育行政機関が,学校カ リキュラムの公共
性の基準を示す次元,②民間の教材開発機関が教
科書やプ ログラムを開発す る次元,③学校や教師
を基礎 として,教師たちが具体的な単元や教材 を
構成 し,授業 と子 どもの学習を組織す る次元に分 けている
16)0
そ して,① と②の次元の場合には,学問や研究 の成果 を社会的要求に即 して選別 し,それ を教育 目標の形で具体化 し,それ を教材に割 り当てプ ロ グラム開発 し,そのプ ログラムを学校 と教室に普 及す る様式が採 られている
16)。それ に対 して,③ の次元の場合には,草の根運動 として, まず,実 践 の創造 と批評により,学習の文化的価値を吟味 し,単元や教材の開発 と開発主体である教師の専 門的力量の形成が追求 され る
16), と述べている。
さらに氏は, ① と② の次元の場合の「 研究 ・ 開発 ・ 普及モデル」の問題点を次のよ うに整理 している。
(1)開発 システム と授業 システムが分離 されて いるため,開発過程‑の教室か らのフィー ドバ ッ クが希薄であ り,一方的にカ リキュラムを教室に 押 しつける結果 となっている。(2)達成 日槙の明 確化 と教育内容の確定によ り,学習経験 をせばめ 画一化する傾 向がある。(
3)どの よ うな教師に も 有効 とされ る耐教師性のある ( ティーチヤー ・プ ルーフ)教材パ ッケージの開発は,その有効性 に 疑問があるだ けでな く,教師の創意や専門性 を限 定 し実践 を画一化する傾 向を もつ
。(4)結果の測 定 としての評価は,授業 と学習の過程を暗箱 ( ブ ラックボ ックス) とみな し,学習過程 における経 験 の価値を軽視 している。(
5)カ リキュラムの副 次的な効果や潜在的カ リキュラムの機能について 無 自覚である問題な どである
14)0
他方,③の次元の場合における 「 実践 ・批評 ・ 開発モデル」は,子 どもに即 して学習を援助す る 教師の実践過程 を基礎 とす る開発様式であ り, こ の様式では,カ リキュラムに即 して子 どもの学習 活動が決定 され るのでな く,子 どもの学習の事実
とその可能性 に即 してカ リキュラムが決定 され る。
その意味で, この様式は,新教育の子 ども中心の 実験学校でのカ リキュラム開発以来の歴史的伝統 を持 ち,今 日の改造的な実践 に基礎 をお く開発様 式である, と述べている。
さらに, このカ リキュラム開発は,特定の教材, 特定の教師,特定の子 どもを対象 とした事例研究 であ り,カ リキュラムの部分的な構成単位の改造 と開発 を追求す る様式であ り,前者のモデルのよ うに,「 全体的な指導計画や どの教師に も対応でき る教材パ ッケージの開発を直接的な課題,主要な 関心事 としていない 。
」14)( 傍点一筆者)と述べてい る。
以上のよ うな,氏の実際におけるカ リキュラム 開発の整理 と,氏のカ リキュラム開発の提言には 示唆を得なが らも,問題意識に関わ り
3点指摘す ることがあるよ うに思われ る。
第 1に,① と②の次元は, 日本の実際のカ リキ ュラム開発におけるいかなる事例 をイ メージ して 述べているかである。「 教育行政機関が,学校カ リ キュラムの公共性の基準」 としている次元 とい う ことは,カ リキュラムの中央統制下にあ り, しか も教育内容のみでな く,教育方法 まで も拘束 して いる学習指導要領に見 られ る 「 開発」 を指 してい ることは, 当然 と思われ,② の次元における 「 ●● 民 間の教材開発機関」( 傍点 一筆者)は,学習指導要 領に従 って作成 されている教科書 と教材パ ッケー
ジを指 している といえる。
ここで問題 と思われ ることは,氏の整理におけ る事例のイ メージに 日本の政治 ・文化状況のなか ●●
で生まれた 「 民間教育研究団体」( 傍点 一筆者)の カ リキュラム開発の実際が,整理 における開発の 形態か らのみ推測す る と,「 教科内容の現代化運動 の時期,多 くの民間教育研究団体が各教科の 自主 編成運動を進め,多数の教材プ ログラムを開発 し た
」 15)( 傍点 一筆者)との指摘か ら② の次元に位置 する と思われ る。 しか し,教育課程の国家統制に 抗 し,教科の 自主編成を進めてきた,教師,研究 者の集団である民間教育研究団体は,そ もそ も授 業をベースに した 「 教師を主体 とす る開発様式」
に組す る もの と思われ,③の次元 とも考 え られ, この開発の実体が どの次元 どのモデルに映 し出 さ れているかが不明である。カ リキ ュラム開発の実 際の整理 において, 日本における実践的に も理論 的に も固有の役割を果た してきた民間教育研究団 体の位置 と役割が明確にな らな らなげは,理論的 な矛盾を来す と思われ る。 もし,氏が 「 開発」の 形態のみ に着 目し,学習指導要領のよ うな中央機 関での 「 開発」 と,民間教育研究団体の開発を同 分類 と整理 しているな らば,整理の視点の再検討 が必要になる といえる。
第
2に氏は, 「 研究 ・開発 ・普及モデル」の補完
として 「 実践 ・批評 ・開発モデル」 を提示 した と
い うが,補完な らば,検討の結果 として両モデル
の発展的形態が示 されてよい と思われ るが, しか
し氏は,各モデルにおける開発の対象の違いを指
摘 したに とどまっている。そ して,氏の提唱す る
カ リキュラム開発は,後者のモデルにある と思わ
れ,結果 として,「 全体 としての教育計画は,主要
な関心事 とはな らない」の ご とく,教育計画は後 方 に押 しや られたカ リキュラム開発理論 にな って いる と思われ る。
第
3に,第
2に関わ り, 「 実践 ・批評 ・開発モデ ル」のカ リキ ュラム開発論 は,教育計画で もっ と も大切な,何 を学ぶかの教育内容 となぜそれ を学 ぶかの教育 目的の検討 を,その開発対象か ら除外 し,氏 のカ リキ ュラム開発構想か らも,それ は遠 い存在の もの とな りつつある と思われ る。それは, 学校 レベル での実践 の著 『 授業 を変 える学校が変 わ る』( 小学館)にお ける実践 とカ リキ ュラム開発 を見る と,学習指導要領の検討 を含 めた,教育 内 容の考察が見 られない こ とか らもいえる。そ して, 教科学習の改革は,従来の 「 効率性」の原理 に よ る 「目標 ・達成 ・ 評価」型 カ リキュラムを 「 主題 ・ 経験 ・ 表現」のカ リキ ュラムに変 えるこ とにある
14),
とその基軸 を移動 させている。
以上の考察か ら,カ リキュラム開発理論にお け る問題 の所在 は, カ リキ ュラム概念の拡大化 ・富 裕化に伴 う 「 教育計画」の在 り方にあ り,現在 の カ リキ ュラム開発論 に大 きな影響 を与 えている と 思われ る佐藤等の論が, カ リキ ュラムの本来備 え ている 「 教育計画」 を後方 に押 しや った点にある
と考え られ る。
3.
カ リキ ュラム構成に関す る問題点 と課題 教育学事典 に基づ きこの語義 を検討 してみ る と,
「 カ リキ ュラム構成 とい うのは,主 として学校教 育 において教授 ・学習の対象 となる教育 内容 ・活 動の編成 と改善 にかかわ る方法や技術 を意味す る。
これ を広義 に とらえる場合,‑ ( 中略)‑ その過 程か らは新 カ リキュラムの構成のみでな く,その 実験 ・実施やその過程 ・成果の評価お よび改善の 範 国に及ぶ。 」 ( 大嶋三男,教育学大事典)1 7 ) , ま た, 「‑ ( 前略)‑ こ うした意味でのカ リキ ュラ ム構成は, カ リキ ュラムの計画 ・実施 ・評価そ し て再編成 とい う連続的 ・発展的な作業 を指示す る ため,最近 ではカ リキ ュラム開発 と同義 である と とらえ られ るよ うにな っている。 」 ( 今野毒酒,現 代学校教育学大事典)
18), といわれ ている。
そ して 安 彦 忠 彦 は, 日本 にお い て
1970以 前,
cu汀iculum developemetの訳語 に 「 カ リキ ュ ラム構 成」 を 当 て て お り
,cu汀iculum makig,curriculum building等の訳語に もあま り区別な く,用い られて いたので,広義 には これ らの英語の意味す る とこ ろすべ て を含 む総称 と解 して よい と述 べ て い る
( 新教育学大辞典)
19)。つ ま り,広義 で使用 され ている 「 カ リキュラム構成」は, カ リキ ュラム開 発 と同義 との理解が一般的 と思われ る。
また , 「 カ リキ ュラム編成」も前述か らして,広 義 の場合それ らと同義 として理解 できるが,今野 は 「 教育課程 に結びついた慣用語 として用い られ てる
」 20),安彦 は 「 訳語 ではな く, もっぱ ら 、 、 行 政的用語′ ′である。
」 21 ) とその用い方 を指摘 してい る。
したが って,カ リキ ュラムの教育計画の側面 を 軽ん じない立場 を踏 まえる とす る と, カ リキ ュラ ム開発 とカ リキ ュラム構成 を区別す る必要上, カ リキ ュラム構成 を狭義 の意味,つ ま り,大嶋 のい う 「 主 として学校教育 において教授 ・学習の対象 となる教育 内容 ・活動の編成 と改善 にかかわ る方 法や技術 を意味す る」1 7 ) と,とらえることが適切で ある と考 え られ る。ゆ えに以後 , 「 カ リキ ュラム構 成」 とは,狭義の用い方 として使用す ることにす る。
次に,カ リキ ュラム構成の論理的枠組み につい て検討 を進 めることとす る。 カ リキ ュラム構成 と は,カ リキュラムのma
ikig( 編成,作成),つ ま り
「 過程」の概念であ り,過程 には 「 過程 の局面」, 言い換 えれば機能的領域が存在す る。すなわ ち, カ リキ ュラムを構成す る構成要素 と言 い換 えて も よい と思われ る。 しか し, この構成要素は,静的 に並列 した要素ではな く,タイ ラー (
R.Tyler)等の 行動主義的 カ リキ ュラム構成においては, 「 段階」
とな っている といわれている。
稲葉宏雄は , 「 カ リキ ュラム構成 の道筋
」 22)につ いての概念的枠組は, タイ ラーの原理 にある とし, カ リキ ュラム構成 の
4段階を,①教育 目標 の設定,
②学習経験 の選択,③学習経験 の組織,④教育評 価 の提案,として整理 している。 さらに , 「 タイ ラ ーの原理」 を基礎 として 自らのカ リキ ュラム構成 の論 理 過 程 を 図 式 化 した イ ギ リス の ウイ ラー
(D.K.Weeler)は,構 成 の局 面 を,① 目的(
aim),学 年 ・教 科 目標(
goal),授 業 目標(
objective)の選択,
② これ らの 目的 と目標 の達成 を助 力す るよ うに計 画 された学習経験 の選択,③それ を通 じてある類 型 の内容 ( 教材)の選択,④学校 と教室内での教 揺 ‑学習過程 に関 しての学習経験 の組織化 と統合,
⑤段階的に示 され ている 目的 ・目標 の達成 に際 し ての,段階②③④ の全局面の効果 についての評価,
と指 している と述べている。 これ らの考察 を通 し
て氏 は, 「 教育課程編成 に際 しては,① 目標設定,
②教育内容 ( 教材)の選択 ・組織,③授業,④教 育評価, とい う四つの問題が編成の論理過程 を構 成す る要因 として考察の対象になる。 しか し, 『 教 育内容の組織体 としての教育課程編成』 とい う当 面の問題 に とっては ,(1) 教育 目標の設定 と (2) 教育内容 ( 教材)の選択 をいかに して行な うか と い うことが検討の対象になる 。
」23)と結論 している。
他方,今野喜清は 「 学校教育の内容は, 目標 ・ 内容 ・方法の一環に位置 し,一定の教育 目標 に即 して文化財の中か ら選択 され,整理 された内容は
『 教科』を構成 し, さらに児童 ・生徒の発達段階 に即 して 『 教育内容』が構成 され,教育実践 ( 揺 莱)にお ける主体 と客体 とを現実的に媒介す る『 教 材』 として具体化 され る。 このよ うな教育の内容 を,今 日の学校教育において 『 教育課程
curiculum』
とよぶ
」 24)。 さ らに, 「 教育課程 の語義的解 は,
『カ リキュラム』の訳語であ り,教育 目的に即 し て,児童 ・生徒の学習活動を指導す るために,学 校が計画的 ・組織的に編成 して課す教育内容を指 示す る用語 として使用 され る
」24)と述べている。そ こで,今野のカ リキュラム構成における機能的領 域 を整理 してみ る と,( 彰教育 目的,②教育 目標,
③教育内容,④教材,⑤教育方法をあげることが できるが,氏 においてカ リキュラムの機能的領域 の中心は,教育内容にある と思われ る。
また安彦忠彦は,
「『カ リキ ュラムの構成
』とは,
『カ リキ ュラムの構成要素の性格 と組織の決定の みにかかわ る意思決定の過程』 とされ る。つま り, 具体的な構成手続 きの中で取 り上げ られ る問題, 例 えば, よい社会の性質の決定,人間の本性 の と らえ方,知識の本質の とらえ方,教育の 目的の決 定, どんなデザイ ンのカ リキ ュラムにするかの決 定, どんな学習活動が望 ま しいかの決定, どのよ うに評価すべ きかの決定,な どの問題 にかかわる 意思決定をす ること,である 。
」25)と述べている。ま た,別の箇所で 「 構成原理上の問題 として,教育 内容 と教材 との区別」を指摘 していることを含め, 氏のカ リキュラム構成における過程の局面を整理
してみ る と,①教育 目的,②教育内容,③教材,
④教育方法,⑤評価, をあげることができる。
そ して,柴田義松は教育課程の編成原理の第 1 に
,「 教育内容の選択の基準」をあげてお り,今野 と同様にカ リキュラムの構成要素の中心は,教育 内容にある と思われ る
26)0
以上のよ うに,教育課程研究者か ら多 くの示唆 を得なが らも,研究課題 に関わ り,カ リキュラム
構成にお ける問題 を
3点指摘す る必要があるよ う に思われ る。
第 1は, タイ ラーや稲葉のよ うに, カ リキュラ ムの過程 における局面,つま り構成要素を
,「 段階
」または,手順 として把握す ることが,現在の教育 課題 との関わ りにおいて適切であるか とい う点で ある。前述の佐藤学等の 「 伝統的」な 「 研究 ・開 発 ・ 普及モデル」‑の 「(2 )達成 目標の明確化 と 教育内容の確定によ り,学習経験 をせばめ画一化 す る傾 向がある。」 との批判が有効であるな らば, カ リキュラム構成 を 「 段階」 として とらえること は,カ リキュラム構成の動的働きを抑制す るもの と思われ,カ リキュラム構成過程‑の教室か らの フィー ドバ ックが希薄 にな り,一方的にカ リキュ ラムを教室に押 しつ ける結果 ととらえ られ る可能 性 もあ り,問題 をもつ といえる。 したが って,カ リキュラムの構成要素の動的な把握,すなわち構 成要素を関係づ け結合 させている原則を明 らかに す ることが必要 と思われ る。
第
2は,第
1と関わ り,過程の局面,つま り構 成要素のその ものの把握が,研究者によって差異 がある と思われ るため, これ らを整理す る必要が ある と思われ る点である。
第
3は,今野や柴田に見 られ るカ リキュラム構 成要素の中心は,教育内容にある と見 られ る把握 が,第 1に指摘 した佐藤学等の批判に応 え られ る か とい う問題である。第 2の構成要素の把握 とと もに,学習観の転換 に整合す るカ リキュラムの構 成の原則が必要 と思われ る点にある。
4.
結 論
以上 の考察か ら推論すれば, 「 カ リキ ュラム開 発」 とは,授業研究をベースに した教育過程にお いて,カ リキュラム構成 ( 狭義)⇒授業 ⇒カ リキ ュラム評価,のフィー ドバ ックによ り,カ リキュ ラムの機能 を改善す る活動の総称, と理解 され る。
そ して,カ リキュラム開発論にお ける問題の所在 は,現在のカ リキュラム開発論 に大きな影響 を与 えている と思われ る佐藤学等の論が, カ リキュラ ムの本来備えている 「 教育計画」を後方に押 しや ったことに集約できる といえる。
したが って,問題の所在か ら求め られ る課題は, 佐藤等が批判す る 「 研究 ・開発 ・普及モデル」 ,つ ま り中央統制型教育課程か ら生 じている問題点を,
「 教育計画 」 を視座 に克服する方途 となるカ リキ
ュラム開発論を明 らかにす ることにある。
そ こで我 々のカ リキ ュラム概念 を
,「 カ リキ ュラ ムは,主側面 をカ リキ ュラムにお ける教育計画 と その コンテ ンツ,つ ま り教科 においては授業 にお ける指導計画 とそ の コンテ ンツ」 と定義す る こ と が問題 の所在 と克服 の課題 との関わ りにおいて適 切 と思われ る。
したが って, カ リキ ュラムの主側面 を教育計画 とその コンテ ンツ と位置づ けた場合, カ リキ ュラ ム概念 の富裕 化 に よる 「 学習 のカ リキ ュラム」 を 我 々のカ リキ ュラム概念 では, いか に位置づ ける
こ とが適切かが検討課題 とな る
27)。
次 にカ リキ ュラム開発 の過程 に位置す るカ リキ ュラム構成 ( 狭義) とは, カ リキ ュラムの分析 と 編成 の活動 を意味 し, その構成 の結 果が指 導計画
と考 え られ る。
そ こで, カ リキ ュラム構成 にお ける問題 の所在 は, タイ ラーや稲葉 の よ うに, カ リキ ュラム構成 の過程 にお ける局面,つ ま り教育 目的,教育 内容, 教材,教育方法,教 育評価 の構成要素 を, 「 段 階」
または,手順 として把握す る こ とが, カ リキ ュラ ム構成 の動的働 きを抑制す る もの と思われ る点に ある。そ して この こ とは, カ リキ ュラム構成過程
‑ の教室か らの フィー ドバ ックを希薄 に し,一方 的 にカ リキ ュラムを教室 に押 しつ ける結果 とな る 可能性が ある と思 われ る。
また,今野喜活や柴 田義松 に見 られ るカ リキ ュ ラム構成 の中心 は,教育 内容にある と見 られ る把 握が,佐藤 学等 の 「 伝統的な研 究 ・開発 ・普及モ デル」‑ の 「 達成 目標 の明確 化 と教育 内容 の確定 に よ り,学 習 経 験 をせ ば め画 一 化す る傾 向が あ る。」との批判 に応 え られ るか とい う問題が指摘 で きる。
したが って,今後 の研 究課題 は, カ リキ ュラム の構成要素 の動的な把握,す なわ ち構成要素 を関 係づ け結合 させ ている原則 と,学習観 の転換 に整 合す るカ リキ ュラム構成 の原則 を明 らか にす る こ とにある思 われ る。 これ らの課題 の検討 は,
別稿
28)
で行な うこ ととす る。
註
1) 久富善之 : 『 競争の教育』労働旬報社,1
993年。
2) 山崎雄 介 :
「 戦後 日本のカ リキュラムの探求の 履歴」グループ ・デイダクテ イカ編 『学びのた めのカ リキュラム論』勤葦書房,2
000年,を参照。
3)松下佳代 :「
『学習のカ リキュラム』 と 『 教育の カ リキュラム』 」
,2)と同掲書,PP.
43‑62。
4)
森脇健夫 :「 教育内容論の再構築」
,2)と同掲 書,pp.
25‑26。5)
雑誌 『 教育』No
587,国土社,の特集 「 子どもの 学びを転換する」の主張を踏まえて定義 した。
6)今野喜清 :『教育課程論』第1
法規,p
p.45‑50,
1981年。他の用語は,本文で論述するため 「 教育 課程の自主編成」についてのみ述べれば,それは, カ リキュラム開発 と同じ機能を有すると思われる が, 日本の中央集権的な教育制度に抗 して培われ てきた教育運動的概念 も含む特別の意義をもつ用 語 と理解 され,カ リキュラム開発概念 とは区別 し て使用することが適切 といえる0
7)今野喜清 :細谷俊夫他編 『 新教育学大事典第 2 巻』第一法規,p.
40,1990年。
8)
佐藤学 :奥田真丈他編 『 現代学校教育大事典第
2巻』ぎょうせい,p.
30,1993年。
9)今野喜清 :6)
と同掲書,p
p.45‑460 10)今野喜清 :6)と同掲書,p.
45。ll)
佐藤学 :
8)と同掲書,p.
310 12)佐藤学 :8)と同掲書,p.
30013)文部省 :「
カ リキュラム開発の課題‑カ リキュラ ム開発に関する国際セ ミナー報告書」
,1975年。
14)佐藤学:『カ リキュラムの批評』世織社,pp.32‑
41,1996
年。
15)佐藤学 :8)
と同掲書,p.
300 16)佐藤学 :8)と同掲書,p.
31017)大嶋三男:
細谷俊夫他編 『 教育学大事典第
1巻』
第一法規,p.
488,1978年。
18)今野喜清 :8)
と同掲書,p.
320
19)安彦忠彦 :7)と同掲書,p
p.50‑510 20)今野喜清 :8)と同掲書,p.
340 21)安彦忠彦 :
7)と同掲書,p.
50022)稲葉宏雄 :
『 現代教育課程論』あゆみ出版,
pp.141‑149,1984年。
23)稲葉宏雄 :22)
と同掲書,p.
1430 24)今野喜清 :6)と同掲書,p.
46。25)安彦忠彦 :7)
と同掲書,pp.
50‑510
26)柴田義松 :『
教育課程‑カ リキュラム入門』有斐 閣,p
p.120‑122,2000年。
27)
「 教育のカ リキュラム」 「 学習のカ リキュラム」
の概念を用いたのは,松下佳代であ り‑註
3)参 照‑,この用語は 「 顕在的カ リキュラム」 「 潜在 的カ リキュラム」を読み代えたものでな く,学習 観の転換論における発展的概念 といえる。
28)大谷良光:「
カリキュラム開発論の課題について の検討の視角〜技術科教育を対象に して〜
」『弘前 大学教育学部紀要第8
7号』pp.
131‑138,2002年。
(2002.1.15