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 ︽本論二︾﹃弁名﹄の概念構成

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古文辞学と祖棟学ー荻生祖棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成ー︵四︶

相 原 耕 作

目次

 ︽序︾  ︽本論一︾﹃弁道﹄の概念構成

 ︽本論二︾﹃弁名﹄の概念構成

 ︵1︶道︵2︶徳︵3︶仁﹇以上第四十八巻第二号﹈

 ︵4︶智 ︵5︶聖 ︵6︶礼 ︵7︶義 ︵8︶孝悌 ︵9︶忠信 ︵10︶恕 ︵11︶誠 ︵12︶恭敬荘慎独

 ︵13︶謙譲遜不伐 ︵14︶勇武剛強毅 ︵15︶清廉不欲 ︵16︶節倹 ︵17︶公正直 ︵18︶中庸和衷

 ︵19︶善良 ﹇以上第四十九巻第一号﹈

 ︵20︶元亨利貞 ︵21︶天命帝鬼神 ﹇以上第四十九巻第二号﹈

 ︵22︶性情才 ︵23︶心志意 ︵24︶思謀慮 ︵25︶理気人欲 ︵26︶陰陽五行 ︵27︶五常 ﹇以上本号﹈

 ︵28︶極 ︵29︶学 ︵30︶文質体用本末 ︵31︶経権 ︵32︶物 ︵33︶君子小人 ︵34︶王覇

︽結び︾

古文辞学と祖裸学−荻生但棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵四︶      ︵都法五十−二︶ 三六七

(2)

三六八

︽本論二︾﹃弁名﹄の概念構成︵承前︶

︵22︶性情才

 性情才以下︑心志意︑思謀慮と︑広い意味で心に関わる項目が続く︒﹃北渓字義﹄は性︑心︑情︑才︑志︑意︑﹃語

孟字義﹄は心︑性︑四端之心︑情︑才︑志︑意︑良知良能と︑類似した儒学的名辞を扱う︒このうち︑性と情はセッ       ︵田︶ トで登場することが多い概念であり︑﹃孟子﹄告子上6・8には性情才が揃って出る︒しかし︑性情才を一括して論

じるのはやはり﹃弁名﹄の特徴であって︑性情の多様性に着目し︑性の多様性を才の多様性に連動させ︑これを政治

的資源とする議論は︑他の二者には見られない︒また︑﹁楽﹂論が展開される点でも他の二者と異なって興味深い︒

 ﹃弁名﹄は︑まず﹁性なる者は︑生の質なり﹂︵﹃弁名﹄性情才−︑一三六頁・二四〇頁︶とする︒これは﹁宋儒のいは        ︵田︶ ゆる気質なる者﹂であって︑﹁本然の説﹂は﹁妄説﹂として退けられ︵同上︶︑宋儒の﹁気質変化﹂説に対し﹁気質不

変化﹂説が打ち出される︒これは︑﹁本然の性﹂が否定されて﹁気質の性﹂のみに単純化されるうえ︑気質が変化し

ないとするために︑﹁性﹂概念の含蓄が損なわれるように見えるかもしれないが︑そうではない︒﹃弁名﹄は万人共通

の﹁本然の性﹂を否定することで﹁気質の性﹂の多様性に焦点を当て︑さらに︑﹁性﹂の可変性ならぬ可﹁移﹂性を       ︵田︶ 強調する︒﹁変﹂と﹁移﹂とを区別し︑﹁性﹂は﹁変﹂わらないが﹁移﹂るとするのである︒

  人の性は万品にして︑剛柔・軽重・遅疾・動静は︑得て変ずべからず︒然れどもみな善く移るを以てその性とな

  す︒善に習へばすなはち善︑悪に習へばすなはち悪なり︒故に聖人は人の性に率ひて以て教へを建て︑学んで以

  てこれに習はしむ︒その徳を成すに及んでや︑剛柔・軽重・遅疾・動静も︑またおのおのその性に随ひて殊なり︒

(3)

  ︵同︑二二七頁・二四〇頁︶

学んで聖人に至ることはできないし︑﹁下愚﹂たる﹁民﹂も﹁移﹂ることはない︒しかし︑それ以外の場合︑それぞ

れの﹁性﹂の中での改善・改悪はありえて︑聖人の教えを﹁学﹂﹁習﹂すれば︑﹁性﹂を﹁善く移﹂して﹁成徳﹂に至

るのである︒そして︑多様な﹁性﹂がそれぞれの﹁徳﹂を完成させることによって多彩な人材が確保されることは政

治的に有効で︑﹁人の先王の教へを得て︑以てその材を成し︑以て六官・九官の用に供する﹂︵同上︶︒このように︑

﹁気質変化﹂説の否定は︑むしろ﹁性﹂の多様性︑それに対応した﹁成材﹂の多様性を確保することにつながり︑政

治の﹁含蓄﹂を豊かにするのである︒

 もちろん朱子学の場合も﹁気質の性﹂は多様である︒しかし︑議論の中心は万人共通の﹁本然の性﹂を回復するこ

とにある︒他方︑﹁本然の性﹂を認めない伊藤仁斎は︑﹁性﹂の多様性を強調しつつも︑人の﹁性﹂には共通して

﹁善﹂に向かう傾向性があると主張して︑﹁本然の性﹂に基づく朱子学とは異なる形で性善説を維持する︒祖裸によれ

ば︑

  仁斎先生︑孟子の性善を釈して曰く︑﹁人の生質は︑万不同ありといへども︑然れどもその善を善とし悪を悪と

  するの心は︑古今となく聖愚となく一なり﹂と︒善く孟子を説くと謂ふべきのみ︒︵﹃弁名﹄性情才2︑一三九頁・

  二四一頁︒﹃語孟字義﹄性1参照︶       ︵m︶ 仁斎は﹁性﹂の多様性の意義を論じる訳ではない︒力点はやはり共通性にあるのだ︒        ︵囎︶  スタイルこそ違え︑両者は性善説に立ち︑﹁気質の性﹂の多様性を認めつつ︑人類共通の﹁善﹂を目指す︒しかし︑

多様な人材の確保を目指す祖棟の政治構想にとって︑性善説はむしろ邪魔である︒もとより︑祖裸も性悪説に立つ訳

ではない︒しかし︑孟子の﹁性善﹂も筍子の﹁性悪﹂も﹁一端を言ひて一端を遺るる者﹂である︵同︑一三九頁・二四

   古文辞学と但練学ー荻生祖棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵四︶      ︵都法五十−二︶ 三六九

(4)

三七〇

一頁︶︒

  いやしくも能く先王の道を信ぜば︑すなはち性善を聞きてはますます勧め︑性悪を聞きてはますます勉めん︒い

  やしくも先王の道を信ぜずんば︑すなはち性善を聞きてはみつから用ひ︑性悪を聞きては自棄せん︒故に萄・孟

  はみな無用の弁なり︒故に聖人の言はざる所なり︒︵同上︶

いずれも聖人の命名とは無縁であり︑﹁性﹂の含蓄を損なう﹁議論﹂に過ぎない︒そして︑根本は﹁先王の道﹂を

﹁信﹂じるか否かだとすれば︑﹁性﹂が本来如何なるものであるかは重要ではなくなり︑人性論は﹁学﹂﹁習﹂論とし

て捉え直されることになる︒﹁性相近きなり︒習ひ相遠きなり﹂︵﹃論語﹄陽貨2参照︶を︑﹃北渓字義﹄性5・﹃語孟字

義﹄性2は人性論と捉え︑本然・気質をめぐって争うが︑﹃弁名﹄はこれを﹁もと学を勧むるの言にして︑性を論ず

る者に非ず﹂︵﹃弁名﹄性情才2︑一三八頁・二四〇頁︶とするのである︒

 さらに︑﹃弁名﹄は︑﹁性と習とは区別できない﹂という不可知論を使って﹃礼記﹄楽記の﹁人生れて静かなるは︑

天の性なり﹂を再解釈する︒この言葉は︑﹁宋儒の本然・復性の説﹂の根拠となる一方︑老子に淵源するとして仁斎

は退けるが︵﹃語孟字義﹄性5︶︑彼らはいずれも古文辞を読めていない︒﹁人生而静﹂は︑朱子学的な意味であれ老荘

的な意味であれ︑人間の目指すべき状態を示したものではない︒

  性なる者は人の天より受くる所にして︑いはゆる中これなり︒故にその嬰該の初︑喜怒哀楽のいまだ事を用ひざ

  るの時を以てこれを言ふ︒いはゆる﹁人生れて静か﹂といふ者これなり︒これ必ず嬰該の初に復らんことを求む

  と謂ふには非ざるなり︒また静虚を以て至れりとなすと謂ふにも非ざるなり︒楽は能くその躁動を制し︑その過

  甚を防ぐがために︑故にそのいまだ甚だしからざる時を以てこれを言ふのみ︒︵﹃弁名﹄性情才3︑一四〇頁・二四

  一頁︶

(5)

人の﹁性﹂について︑﹁喜怒哀楽﹂の﹁情﹂が発動していない状態を表現するために採用されたレトリックに過ぎな

いのである︒そして︑﹁大氏︑性と習ひとは得て別つべからざる者なり﹂︒現実の人間を観察しても︑どこまでが生ま

れつきの﹁性﹂でどこからが﹁習﹂によって習得したものなのか︑区別することは出来ない︒だから︑﹁習﹂の存在        ︵911︶ しない﹁嬰該の初﹂を借りて﹁性﹂を表現したのだ︵同上︶︒このように︑不可知の領域を巧妙に設定し︑利用しつ       ︵021︶ つ︑祖練は新たな概念構成を行うのである︒

 また︑上引のように︑﹃弁名﹄はここで﹁先王の教へ﹂である﹁楽﹂に言及している︒

  けだし楽なる者は︑性情を理むるの道なり︒先王の教へ︑能く人の性を養ひて以てその徳を成す者は︑これに尚

  ふるなし︒かつその教へたる︑義理の言ふべきなく︑思慮の用ふべきなく︑識らず知らず︑帝の則に順ふ︒故に

  性情の説は︑古はただ詩と楽とにのみこれあり︒︵同上︶        ︵121︶ ﹁礼﹂と異なる﹁楽﹂固有の意義が示され︑﹁先王の教へ﹂の含蓄が拡張されている︒また︑﹁楽﹂が﹁性﹂のみなら

ず﹁情﹂にも有効とされていることにも注意が必要である︒

 そこで次に﹁情﹂について検討しよう︒﹃弁名﹄によると︑﹁宋儒﹂が﹁性﹂を﹁理﹂としてから不明になった

﹁性・情の相属する所以の者﹂を明らかにしたのは﹁仁斎先生﹂である︵﹃弁名﹄性情才5︑一四二ー一四三頁・二四二

頁︶︒朱子学では︑﹁情者性之動也﹂︵情は性の動なり︶とし︑﹁性﹂が﹁事物﹂に﹁触﹂れて﹁発動﹂したのが︑﹁情﹂で︑

﹁性﹂﹁情﹂を﹁心﹂が﹁統﹂べると考える︵﹃北渓字義﹄情−︶︒こうした性・情・心の関係を仁斎は批判して︑﹁情と

は︑性の欲なり︒動く所有るを以て言ふ﹂︵﹃語孟字義﹄情−︶︑﹁心は是れ心︑性は是れ性︑各工夫を用ふる処有り︒

情は只是れ性の動いて︑欲に属する者︒纏に思慮に渉るときは︑則ち之を心と謂ふ﹂︑﹁凡そ思慮する所無くして動く

之を情と謂ふ︒纏に思慮に渉るときは︑則ち之を心と謂ふ﹂︵﹃語孟字義﹄情2︶とする︒これを﹃弁名﹄は踏襲して

古文辞学と祖棟学−荻生但棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵四︶      ︵都法五十−二︶ 三七一

(6)

三七二

おり︑﹁情なる者は︑喜.怒.哀・楽の心︑思慮を待たずして発する者にして︑おのおの性を以て殊なるなり﹂︵﹃弁

名﹄性情才5︑一四一ー一四二頁.二四二頁︶と定義したうえで︑﹃語孟字義﹄類似の説明をしている︒しかし︑﹃弁名﹄

には﹃語孟字義﹄と大きく異なる点が二つある︒﹁情﹂の多様性を強調する点と︑先王の﹁楽﹂と関連づける点であ

る︒

 前者から見ると︑上引のように︑﹃弁名﹄は﹁情﹂が﹁おのおの性を以て殊なる﹂とする︒﹁性﹂が多様である以上︑

﹁性の欲する所﹂も多様だからである︒こうした﹁情﹂の多様性の強調は﹁転用﹂の場合にも及ぶ︒即ち︑﹁訟情﹂

﹁軍情﹂﹁その情を用ふ﹂は﹁内実を匿さざる﹂︑﹁実﹂という意味で︑﹁情は矯飾する所あることなきを以ての故に転

用﹂されたものであるが︑﹁訟情・軍情も︑またおのおの一種の態度あり︒しかうしてこれを得ればすなはち瞭然た

る者も︑また情の性を以て殊なるがごとし﹂と︑多様なのだ︵同︑一四二頁・二四二頁︶︒こうして﹃弁名﹄は﹁情﹂        ︵望 の含蓄を確保するのである︒

 後者の﹁楽﹂については︑﹃弁名﹄は﹁それ情なる者は思慮に渉らざる者なり︒楽の教へたる︑義理の言ふべきな

く︑思慮の用ふべきなし︒故に性・情を理むるに楽を以てす︒これ先王の教への術なり﹂とする︵﹃弁名﹄性情才6︑

一四三頁・二四二頁︶︒仁斎が︑﹁性を養ふときは則ち情自から正し﹂くなるので﹁情﹂に関する﹁工夫﹂は必要ない

(『

齧ミ字義﹄情3.心2︶とするのとは対照的である︒仁斎は︑﹁情﹂は﹁性の欲﹂で﹁思慮する所無くして動く﹂の

だから︑﹁性﹂を﹁養﹂えばよいと考えるのだろう︒しかし︑思慮に渉らないものは思慮なしに機能する﹁楽﹂で        ︵望 ﹁理﹂めるのが﹁先王の教への術﹂なのである︒

 以上︑﹁性﹂と﹁情﹂について検討した︒﹃弁名﹄は︑多様で含蓄ある﹁性﹂﹁情﹂に︑﹁先王の礼楽の教へ﹂︵﹃弁

名﹄性情才6︑一四三頁・二四二頁︶の刻印を押すのである︒

(7)

 最後に﹁才﹂について︒﹃北渓字義﹄﹃語孟字義﹄﹃弁名﹄いずれも﹁才﹂の項の記述量は少ない︒前二者が﹁才﹂

の項を立てるのは︑この項の最初に触れた﹃孟子﹄告子上の﹁才﹂が性善説との関係で問題となるからであろう︒

﹁才﹂それ自体が重要概念とされているようには見えない︒これに対し︑﹃弁名﹄の﹁才﹂は︑﹁性情才﹂と一組にさ

れることによって︑政治的に重要な位置づけを獲得している︒﹁才・材は同じ︒人の︑材あるは︑これを木の材に警

ふ﹂︑﹁人はその性の殊なる所に随ひて︑おのおの能くする所あり︒これ材なり﹂︵﹃弁名﹄性情才7︑一四三頁・二四二        ︵盟︶ 頁︶という﹁才﹂の定義は︑﹁性﹂の多様性に応じて多様な人材を得るという政治構想と連動しており︑だからこそ︑

﹃北渓字義﹄﹃語孟字義﹄では問題とならない﹁才﹂の多様性が重要な意味を持つことになるのである︒

︵23︶心志意

 ﹃北渓字義﹄によれば︑﹁心者一身之主宰﹂︵心なる者は一身の主宰︶︵心−︶であり︑﹁心統性情﹂︵心は性情を統ぶ︶︵心

10︶︒しかし︑﹁心﹂はそれ自体として素晴らしい訳ではない︒﹁心﹂は︑﹁理﹂に由来する﹁道心﹂として現れる場

合と﹁気﹂に由来する﹁人心﹂として現れる場合とがあり︑後者は﹁易与理相違﹂︵理と相違し易︶く︵心1・2︶︑

﹁心﹂をコントロールする工夫︑﹁操存酒養之功﹂が必要なのである︵心4︶︒このような朱子学の体系的な理論を︑

﹃語孟字義﹄は解体しようとする︒即ち︑﹁心とは︑人の思慮運用する所︑本と貴無く亦た賎無し︒凡そ情有るの類皆

な之有り﹂というもので︑﹁聖人は徳を貴んで︑心を貴ばず﹂︒孟子は﹁多く心を説く﹂が︑これは﹁仁義の良心﹂を        ︵田︶ 指し︑﹁心﹂それ自体を説いたわけではない︵心−︶︒﹁仁義の良心﹂とは﹁四端の心﹂であるから︑﹁心を論ずる者は︑

当に側隠.差悪.辞譲・是非の心を以て本と為べし﹂︵心3︶︒また︑﹁心は性情を統ぶ﹂は﹁非﹂であり︑﹁心は自つ

から是れ心︑性は自つから是れ性︑指す所各々殊なり﹂︵心2︶︒従って﹁性﹂と﹁心﹂には別種の﹁工夫﹂が必要で

古文辞学と但棟学−荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵四︶      ︵都法五十−二︶ 三七三

(8)

      三七四

   ︵621︶ ある︵情2︶︒

 以上に対し︑﹃弁名﹄は︑﹁心なる者は︑人身の主宰なり﹂︵﹃弁名﹄心志意−︑一四四頁・二四二頁︶とする点で﹃北

渓字義﹄を踏襲するように見える︒続く議論も﹃北渓字義﹄と矛盾しない︒﹁善をなすは心に在り︑悪をなすもまた

心に在り﹂︑したがって︑﹁主宰﹂たる﹁心﹂が﹁存すといへども正しからずんば︑あに貴ぶに足らんや﹂︒かつ﹁心

なる者は動く物なり︒故に孔子曰く︑﹁操ればすなはち存し︑舎つればすなはち亡はる︒出入時なく︑その郷を知る

なしとは︑ただ心の謂ひか﹂と﹂︵同上︶︒この孔子の言葉は﹃孟子﹄告子上8にあり︑﹃北渓字義﹄心4もこれを引       ︵m︶ 用して動く心をコントロールするための﹁操存酒養之功﹂について論じている︒しかし︑ここで﹃北渓字義﹄と﹃弁

名﹄は大きく分岐する︒﹃弁名﹄によれば︑孔子の言葉は︑動く心を﹁操存せよ﹂と命じたものではない︒それどこ

ろか︑そのような工夫は無益だと述べたものである︒

  何となればすなはち心なる者は二つにすべからざる者なり︒それその心を操らんと欲するに方りてや︑そのこれ

  を操らんと欲する者もまた心なり︒心みつから心を操る︑その勢ひあに能く久しからんや︒故に六経・論語は︑       ︵㎜︶   みな﹁心を操る﹂﹁心を存す﹂の言なし︒︵同上︶

ではどうすればよいのか︒﹁礼を以て心を制す﹂のである︒そうすれば﹁心は操ることを待たずしておのつから存し︑

心は治むることを待たずしておのつから正し﹂い︒そして︑﹃弁名﹄は︑﹁後世の儒者﹂が﹁先王の道に遵ふことを知

らず︑妄りに種種の工夫をなして︑以てその心を存せんことを求﹂めるのは︵同︑一四四−一四五頁・二四二ー二四三

頁︶︑﹃孟子﹄の誤読に基づくと考えるのであろう︒﹁存心﹂﹁放心︵を求む︶﹂﹁四端の心﹂﹁本心﹂﹁尽心﹂といった孟

子の言葉が重点的に吟味されてゆくことになる︒

 その際の議論の特徴は︑孟子の言葉を誤りとしないことである︒﹃弁名﹄によれば︑たしかに孟子の言葉は宋儒や

(9)

仁斎の誤った議論を導き出したかもしれないが︑これは後儒の誤読であって﹁孟子の本意﹂とは異なる︒﹁先王の教

法を識らず︒故に論語・孟子の字面に就きて︑以て学問の方を求め﹂︵﹃弁名﹄心志意7︑一四七−一四八頁・二四三頁︶

るのでは︑﹁論説の辞﹂︵﹃弁名﹄心志意3︑一四六頁・二四三頁︶・﹁論説の言﹂︵﹃弁名﹄心志意5︑一四六頁・二四三頁︶で

ある孟子の言葉を︑論争的文脈に即して理解することは出来ないのである︒

 このように︑﹃弁名﹄は︑適宜に文脈設定しながら含蓄ある古文辞を解釈する古文辞学の方法を駆使して﹃孟子﹄

を読み替える︒孟子の言葉を文脈依存的なものと捉えて無害化し︑﹁礼を以て心を制す﹂という﹁先王の妙術﹂︵﹃弁       ︵塑 名﹄心志意−︑一四四頁・二四二頁︶に沿うように再解釈することによって︑先行する議論を解体すると同時に︑﹁先王

の道﹂﹁先王の教法﹂に相応しい﹁心﹂の議論を再構成するのである︒

 次に﹁志﹂について︑﹃弁名﹄は︑﹃北渓字義﹄志1の﹁志者心之所之﹂︵志なる者は心の之く所︶︵﹃論語集注﹄為政

4・里仁4・述而6・﹃孟子集注﹄公孫丑上2・尽心上33参照︶を﹁字の偏傍を以て説をなす﹂﹁字学家の言﹂として退       ︵031︶ け︑﹃語孟字義﹄志1の﹁心の存主する所なり﹂を採用する︵﹃弁名﹄心志意8︑一四八頁・二四三頁︶︒﹁心の之く所﹂

も﹁心の存主する所﹂も﹁簡短﹂な定義であるが︑﹃語孟字義﹄は前者を﹁意明螢を欠く﹂︵志−︶とするから︑後者

はより明瞭で︑その分︑含蓄に欠けるかもしれない︒さらに︑﹃語孟字義﹄は︑﹁志﹂という場合は﹁皆な善に志すを

以て言ふ﹂として︑﹁不善﹂についても﹁志﹂を使う﹃北渓字義﹄を批判しており︵志2︶︑﹃語孟字義﹄の定義はよ

り限定的と言えるかもしれない︒但し︑︐﹃北渓字義﹄も﹁志﹂に関する規範的な議論を詳細に展開するから︑朱子学

の理論体系の中で概念は限定されてゆく︒これに対して︑﹃弁名﹄は︑儒学的概念とは関係のない﹁医書﹂の語句を

引用する一方︑規範的な議論は展開しない︒﹃北渓字義﹄を批判する際も︑﹁意明螢を欠く﹂は踏襲せず︑﹁字学家の          ︵聖 言﹂としてのみ退ける︒こうして概念の含蓄を確保すると同時に︑先行儒学の体系を解体するのである︒

古文辞学と但練学−荻生祖練﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵四︶      ︵都法五十−二︶ 三七五

(10)

三七六

 最後に﹁意﹂について︑﹃北渓字義﹄は︑﹁心之所発﹂︵心の発する所︶という簡短な定義を示し︵意−︑﹃大学章句﹄

経4.伝6参照︶︑心・性・情・意といった︑広い意味で心に関わる言葉を体系的に整理する︒これに対して﹃語孟

字義﹄は︑﹃北渓字義﹄意3の﹁私意﹂と﹁好底意﹂︵好い意︶に焦点を絞る︒﹁私意﹂は﹃論語﹄子牢4の﹁母意﹂

︵意なし︶︑﹁好底意﹂は﹃大学﹄の﹁誠意﹂に関わる︒﹃語孟字義﹄は︑﹁意とは︑心の往来・計較する者を指して言

ふ﹂という限定的な定義を示したうえで︑﹁母意﹂とは﹁聖人盛徳の至り︑理明らかに心定まり︑自つから往来・計

較の心無き﹂ことであって︑﹁私意母し﹂とすれば﹁一の私の字﹂が多く︑﹁聖人を論ずる所以に非ず﹂とする︒また︑

﹁誠意﹂について︑﹁意﹂は﹁功夫﹂を用いない﹁字﹂で︑﹃論語﹄﹃孟子﹄に﹁誠意﹂はなく︑﹃中庸﹄の﹁誠身﹂と        ︵皿︶ は似て非なる説であるとして退ける︒このように仁斎は朱子学を批判するが︑経典解釈を見ると両者には類似性が

ある︒﹃論語﹄子竿4について︑仁斎の﹃論語古義﹄は︑﹁無意者︑事皆自道出︑而無計較之私也﹂︵意無きは︑事皆な       ︵田︶ 道自り出でて︑計較の私無きなり︶︵大註︶と︑﹃語孟字義﹄と矛盾しかねないことを述べている︒また︑仁斎は﹃孟子古

義﹄尽心上17大註で﹁計較利害﹂︵利害を計較す︶を批判するが︑これは﹃孟子集注﹄の﹁私意﹂の言い換えに見える︒

さらに︑﹃語孟字義﹄の﹁聖人盛徳の至り﹂の典拠と思われる﹁動容周旋中礼者︑盛徳之至也﹂を含む﹃孟子﹄尽心

下33について︑﹃孟子集注﹄が﹁自然而然︑非有意而為之也﹂︵自然にして然り︑意有りて之を為すに非ざるなり︶︑﹁吉凶

禍福有所不計﹂︵吉凶禍福計らざる所有り︶といった注釈をつけるのに対し︑﹃孟子古義﹄は︑﹁聖人之徳︑自然而然︑

本非有所為也﹂︵聖人の徳は︑自然にして然り︑本と為にする所有るに非ざるなり︶︵小註︶︑﹁不可計吉凶禍福︒若有計之之   −

念︑則非自然之道也﹂︵吉凶禍福を計るべからず︒若し之を計るの念有れば︑則ち自然の道に非ざるなり︶︵小註︶などとして

いる︵林本では︑前者は無く︑後者は同様の書き入れがあるように見える︶︒﹃語孟字義﹄の﹁意﹂の定義は朱子学の﹁意﹂        ︵431︶       ︑ の議論に由来するのではないか︒﹁利害﹂や﹁吉凶禍福﹂という﹁私﹂から離れた﹁無意﹂の状態こそ﹁有意﹂より

(11)

優れているとする点で仁斎と朱子学に違いはなく︑儒学的に重要な場面では︑いずれの場合も﹁意﹂は極めて限定的

な意味になり︑﹁無意﹂が称賛されることになるのである︒

 これに対し︑﹃弁名﹄は︑簡短な定義から出発し︑古文辞学の方法を駆使して﹁無意﹂や﹁誠意﹂を解釈して︑

﹁意﹂の含蓄を確保しつつ朱子学者と仁斎の議論を解体する︒即ち︑﹃弁名﹄は︑﹁意なる者は念を起すを謂ふなり﹂

  ︵531︶

とする︒﹃北渓字義﹄の﹁発起一念﹂︵一念を発起す︶︵意−︶︑﹁起一念﹂︵一念を起こす︶︵意−︶︑﹁発起一念慮﹂︵一念慮

を発起す︶︵意2︶と類似する表現だが︑﹃弁名﹄は体系的な議論は展開せず︑儒学的に重要な場面に焦点を当てて

﹁意﹂の概念を限定することもない︒そもそも﹁無意﹂は理想ではない︒﹁意﹂は﹁人のなかるべからざる者なり︒聖       ︵瑚︶ 人といへどもまたしかり﹂︒﹃論語﹄子牢4の﹁意なし﹂については︑﹁孔子礼を行ふを以てこれを言ふ﹂という文脈

を設定する︒孔子の言動として一般化せず︑﹁礼﹂に関わる場面に文脈を限定して︑孔子は常に﹁意なし﹂だったの        ︵暫 ではなく︑﹁礼を行ふ﹂場合には﹁全く意を経ざるがごとく然り﹂だったのだとするのである︒﹃大学﹄の﹁誠意﹂

についても︑﹁好悪を以てこれを言ふ﹂と文脈を限定し︑かつ︑﹁意の誠なるは︑格物の功効なり﹂として︑学問の工

夫としての﹁誠意﹂も否定してしま︵知︶︵﹃弁名﹄心志意9・西八頁三四四頁︶・このように二弁名﹄は︑古文辞の

﹁含蓄﹂を文脈に即して理解する古文辞学の方法に則って︑﹁無意﹂﹁誠意﹂を特定の文脈に押し込める︒経典の言葉

の一般化によって導かれた概念の意昧を﹁含蓄﹂の一端に止めることで︑先行儒学の体系を解体すると同時に︑概念

の含蓄を確保するのである︒

︵24︶思謀慮

 ﹃北渓字義﹄﹃語孟字義﹄は項目を立てない︒﹃北渓字義﹄は﹁意﹂の説明の中で﹁思量運用﹂という言葉を使い

古文辞学と但練学−荻生祖棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成ー︵四︶      ︵都法五十−二︶ 三七七

(12)

       三七八

︵意−︶︑﹁思慮︑念慮之類︑皆意之属﹂︵意4︶とする︒﹃語孟字義﹄は﹁心﹂を﹁人の思慮運用する所﹂とする︵心−.

情2も参照︶.﹁思﹂は︑儒学的名辞というよりは︑意味の自明な顧的な言葉と見なされているのかもしれな︵㎞︶・

 これに対して︑﹃弁名﹄は﹁思なる者は思惟なり﹂と定義する︒古文辞の用例を引いて﹁思﹂の重要性を繰り返し

強調し︑﹁後儒の︑深遠の思ひなき﹂ことを痛烈に批判する︵﹃弁名﹄思謀慮−︑一四九頁・二四四頁︶︒そして︑﹁慮も

また思の精しきなり.委曲詳悉の意あり﹂と︑﹁思﹂鴎関連で﹁慮三挙げ︑﹃礼記﹄内則の﹁謀を出し慮を発す﹂

を引いて﹁謀﹂に説き及び︑﹁謀﹂﹁慮﹂の区別を説く︒﹁謀﹂は﹁方略﹂について言い⁚﹁営為する所﹂があって

﹁処置する所以の方法を論定する﹂もので﹁術﹂と関わり︑聖人は﹁術を貴﹂んだが︑﹁後世に詐謀・詐術の説興りて

よりして︑儒者は術の字を言ふことを諦﹂むようになったとする︵﹃弁名﹄思謀慮2︑一四九頁・二四四頁︶︒﹁思﹂から

﹁謀﹂まで︑儒学的名辞とは言えないようなものまで取り込んで︑儒学の含蓄を見事に広げてゆくのが分かる︒

︵52︶理気人欲

 ﹃北渓字義﹄﹃語孟字義﹄に気.人欲の項はないが︑朱子学で密接に関連するこれらの重要概念を一括して扱うこと

自体は﹃弁名﹄の特徴とは言えないだろう︒しかし︑聖人の命名に基づくとは言い難いこれらの概念の扱い方には︑

﹃弁名﹄の特徴がよく現れている︒

 まず﹁理﹂から見よう︒﹁理なる者は定準なき者なり﹂︵﹃弁名﹄理気人欲−︑一五〇頁・二四四頁︶とは︑あまりにも

よく知られた祖裸の﹁理﹂に関する標語であり︑﹁理﹂の主観性・相対性に対して﹁先王の道﹂を基準とすべきこと︑

﹁窮理﹂は学者のなすべきことではなく聖人の専権事項であることなどについても︑しばしば言及される︒しかし︑

﹁理﹂には︑﹁窮理﹂は﹁凡人の能くせざる所なり﹂︵同上︶という困難さと︑﹁理は学ばずといへども知るべし﹂︵﹃弁

(13)

      ︵皿︶ 名﹄義−︑七七頁.一ゴニ頁︶という容易さとがある︒この一見矛盾する要素を両立可能とする﹁理﹂の概念構成はど

のようなものなのだろうか︒

 この項の冒頭で﹃弁名﹄が掲げる﹁理﹂の定義は次の通りである︒

  理なる者は︑事物にみな自然にこれあり︒我が心を以てこれを推度して︑その必ずまさにかくのごとくなるべき

  と︑必ずかくのごとくなるべからざるとを見ることあり︑これこれを理と謂ふ︒︵﹃弁名﹄理気人欲−︑一五〇頁・

  二四四頁︶

自分の心で推し量るだけだから誰でも﹁理﹂を見ることができ︑﹁理﹂は各事物にあるので総体的な﹁理﹂を推し量

らなくとも個別の判断はできる︒﹁善をなさんと欲するときも﹂︑﹁悪をなさんと欲するときも﹂︑﹁またその理のなす

べきことを見てこれをなす︒みな我が心そのなすべきを見てこれをなす﹂︵同上︶のである︒﹁我が心﹂を判断基準と

して個別的な理・非理を判断するのであるから﹁理﹂は容易であって︑﹁学ばざるの人といへども︑いやしくも能く

思はば︑すなはち非理の事をなさず﹂︵同︑一五一頁・二四五頁︶︒

 このように︑主観性と個別性が﹁理﹂の容易さを産み出す︒しかし︑主観性と個別性は︑同時に﹁理﹂の多様性を

ももたらし︑困難さが生じることになる︒

  理なる者は適くとして在らざることなき者なり︒しかうして人の見る所は︑おのおのその性を以て殊なり︒⁝人

  おのおのその見る所を見て︑その見ざる所を見ず︑故に殊なるなり︒︵同︑一五〇頁・二四四頁︶

﹁理﹂はあらゆるところにあり︑しかも︑人の主観によって異なり︑かつ︑善悪の価値判断とも関係がない︒道に倒

れている人を見て︑自ら介抱するか︑救急車を呼ぶか︑面倒に巻き込まれないよう無視するか︑はたまた懐から財布

を抜き取るかは︑人それぞれであろう︒主観面からも客観面からも﹁理﹂は千差万別であり︑まさに﹁定準なき者﹂

   古文辞学と祖棟学−荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成ー︵四︶      ︵都法五十−二︶ 三七九

(14)

三八〇

である︒﹁故に理はいやしくもこれを窮めずんば︑すなはち能く得て一にすることなし︒然れども天下の理は︑あに

窮め尽くすべけんや﹂︵同上︶︒総体としての﹁理﹂は常人には不可知なのだ︒しかし︑﹁ただ聖人のみ︑能く理を窮

めてこれが極を立つることあり﹂︒それが﹁礼﹂と﹁義﹂であり︑常人はそれに従いさえすれば︑﹁定準﹂ある﹁理﹂

は自ずと見える︒

  故に先王・孔子の道は︑義を言ひて理を言はず︒これあに理を廃するならんや︒いやしくも能く先王の義を執り

  て以てその理を推さば︑すなはち見る所に定準ありて理得らるるが故なり︒理なる者は人のみな見る所︑故にこ

  れを言ふを待たざるなり︒︵同上︶       ︵瑚︶ ここに︑聖人の命名とは思われない﹁理﹂に聖人の命名が刻みつけられるのである︒

 こうした﹁理﹂の概念構成は︑朱子学の﹁窮理﹂を解体するものでもある︒﹁理﹂を一つ一つ窮め︑﹁その細を合せ

ば以てその大を成すべし﹂と考える﹁宋儒﹂の﹁窮理﹂は︑分析的アプローチの典型である︒しかし︑分析的アプロ

ーチには限界がある︒

  鉄鉄にしてこれを求むれば︑鈎に至りて差ひ︑寸寸にしてこれを求むれば︑丈に至りて差ふ︒何となれば︑凡人

  の見る所の者は小にして︑聖人の見る所の者は大なればなり︒見る所の者大なれば︑すなはち小なる者遺さず︒       ︵④   聖人の及ぶべからざる所以なり︒︵同︑一五一頁・二四四頁︶

有効なのは︑聖人の立てた教えに従うことなのである︒

 聖人の立てた礼・義は︑学ばずとも分かる﹁理﹂と違って︑学ばなければ﹁非礼の礼︑非義の義﹂と区別でき

 ︵幽︶

ない︵同︑一五一頁・二四五頁︶︒但し︑その方法は﹁詩書礼楽﹂に﹁習ひてこれに熟し︑黙してこれを識﹂ることであ

る︒﹁窮理﹂によって﹁聖人の礼義を立てし所以の理﹂を知るべきだ︑﹁まつその理を知りてしかるのちこれを行はし

(15)

めん﹂などと言うのは﹁聖人を廃する﹂ものであって︑詩書礼楽に習熟し黙識すれば﹁聖人の礼義を立てし所以の

理﹂も分かるし︑﹁知の至らざる者﹂は知る必要もない︵同︑一五二頁・二四五頁︶︒﹁ただ道はこれを行ふを主とし︑

理はこれを見るを主とす﹂︵同︑一五三頁・二四五頁︶︒﹁見る﹂ことは﹁行ふ﹂ことの不可欠の前提ではないのであっ

て︑むしろ十全な認識主体となることを断念し︑聖人の判断基準に身を委ねてこそ︑操作主体として実践性を獲得で

きるのである︒

 次に︑﹁気﹂について︑﹃弁名﹄は﹁古これを言はず﹂とする︵﹃弁名﹄理気人欲2︑一五三頁・二四五頁︶︒しかし︑

﹁気﹂を抹消することはない︒﹁論説の言﹂では﹁或いはこれを言ふ﹂からである︵同上︶︒﹃弁名﹄は︑古文辞に登場

する﹁気﹂を﹁論説の言﹂の文脈に押し込めることで︑朱子学の理気二元論や仁斎の=兀気論のような宇宙論・存在

論を解体する︒こうした議論は﹁あに以て天道の全を尽くすに足らんや﹂︵同上︶︑この世界の含蓄から見れば意味が

ない︒しかも︑﹁聖人天を敬するの意に非ず﹂︵同︑一五四頁・二四五頁︶︒世界の成り立ちを説明しようとすること自       ︵珊︶ 体︑不可知の﹁天﹂を侵す所業なのである︒

 さらに︑﹁宋儒の理気の説﹂が依拠する﹃易経﹄繋辞上伝12の﹁形而上者謂之道︑形而下者謂之器﹂について︑宋        ︵641︶      ︵皿︶ 儒の誤読を指摘し︑﹁易﹂の読み方に注意を促す︒        まじ   それ易を学ぶには︑もとよりまさに広く一切を推すべし︒然れどもその文はおのおの指す所あり︒あに清ふべ

  けんや︒故に易道と天道・先王の道とは︑指す所おのつから別なり︒後世は古言を知らず︑理を主とし辞を主と

  せず︒失する所以なり︒︵﹃弁名﹄理気人欲3︑一五六頁・二四六頁︶

まず言葉の意味を文脈に即して理解したうえで︑文脈から切り離して自在に利用するのが︑古文辞学の方法である︒

それに適った﹁易﹂の運用を提唱することで︑同時に朱子学の理気二元論を解体するのである︒

   古文辞学と祖棟学−荻生但練﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成ー︵四︶      ︵都法五十−二︶ 三八一

(16)

三八二

 ﹃弁名﹄は孟子の﹁浩然の気﹂についても古文辞学の方法を駆使する︒即ち︑﹁大人に説くを主としてこれを言ふ﹂

という場面設定をし︑﹁その時︑礼楽すでに壊れたれば﹂という歴史的文脈を設定して再解釈を行うことで︑﹁浩然の

気﹂を﹁理気の気﹂と捉える朱子学の議論を解体し︑﹁勇気の気﹂として﹁気﹂の含蓄に取り込んでいる︵﹃弁名﹄理

気人欲4︑一五六頁・二四六頁︒﹃孟子集注﹄公孫丑上2参照︶︒

 さらに︑﹁天理﹂﹁人欲﹂の語が出る﹃礼記﹄楽記の再解釈を行う︒﹃語孟字義﹄理1のように老子由来のものとし

て天理・人欲を抹消するのではなく︑﹁先王の礼楽を制して以て民を治むるの意を論﹂じた﹁論説の言﹂の文脈に押

し込め︑天理・人欲は﹁工夫の条目﹂ではないとする︒こうして天理・人欲概念は無害化され︑朱子学の理論は解体

される︵﹃弁名﹄理気人欲5︑一五七頁・二四六頁︶︒また︑﹃弁名﹄によれば︑天理・人欲論の誤りは程子に始まる︒﹁程

子の学は知を貴び︑これを見るを主とす︒しかうしてかの聖人の道の渾渾爾たるに苦しむ﹂︵同︑一五八頁・二四七頁︶︒

そこで郡雍の﹁数﹂学︵﹁易﹂の数理的解釈︶を借用し︑楽記の文章で修飾して︑天理・人欲論を作り上げたという

のである︒﹃弁名﹄は︑﹁知を貴び︑これを見るを主とし︑専ら是非の心を以てこれを見る﹂﹁宋儒の学﹂︵同上︶が︑

聖人の道の﹁渾渾爾たる﹂含蓄を知的に分析し認識しようとして失敗するさまを描き出す︒認識偏重の二分法的単純

化は︑﹁養ひて以てその徳を成すときは︑すなはち悪はみな化して善となる﹂﹁先王・孔子の教へに戻る﹂のである

︵同上︶︒

  ︵26︶陰陽五行

ノ  この前後の理気人欲・陰陽五行・五常の三項目は︑朱子学では密接に関連する︒﹃中庸章句﹄1の﹁天以陰陽五行

  化生万物︑気以成形︑而理亦賦焉︑猶命令也︒於是人物之生︑因各得其所賦之理︑以為健順五常之徳︑所謂性也﹂

(17)

    ︵天は陰陽五行を以て万物を化生し︑気は以て形を成し︑而して理も亦た焉に賦す︑猶ほ命令のごとし︒是に於いて人・物の生ず

    る︑各々其の賦する所の理を得るに因つて︑以て健順五常の徳を為す︑所謂性なり︶は︑理︑陰陽五行の気︑五常の連関を端

   的に表現している︒これに対し︑﹃弁名﹄は︑﹁気﹂と﹁陰陽五行﹂を切断し︑﹁陰陽﹂と﹁五行﹂を切断し︑﹁天の

   道﹂と﹁人の道﹂を切断して︑朱子学の体系を解体する︒

    まず︑﹁気﹂と異なり︑﹁陰陽﹂は聖人の命名・制作による概念である︒﹁聖人︑易を作るに︑立てて以て天の道と       ︵841︶    なせし所の者﹂で︑﹁いはゆる極﹂であり︑﹁学者﹂はこれを﹁準﹂として﹁天道の流行︑万物の自然を観れば︑すな

   はち或いは以てこれを窺ふに足るに庶きなり﹂︒しかし﹁人事﹂は別で︑聖人が﹁人の道﹂としなかった﹁陰陽﹂を       ︵941︶     ﹁人oの道に被らしむる﹂のは誤りである︒さらに︑﹁易﹂のために立てられた﹁陰陽﹂は︑単なる﹁自然認識の引照           基準﹂ではない︒﹁易﹂は﹁占笠を主とし﹂︑﹁聖人の道はこれを行ふを主とす﹂︒﹁陰陽﹂は﹁判ちて以て二となす﹂

   二者択一によって︑﹁一を貴﹂び行動に専念することを促すのである︵﹃弁名﹄陰陽五行−︑一五八−一五九頁゜二四七

   頁︶︒

     一方︑﹁五行﹂は﹁易﹂と無関係なので︑﹁陰陽﹂とも関係がない︒﹁五行﹂は︑﹁天地の間︑物は算なし﹂という人

   知を超えた﹁得て端侃すべからざる﹂世界に対処できるよう聖人が立てたもので︑そのお陰で︑﹁人始めて以て別つ

   ことを得﹂るのである︒

︐    五行なる者は聖人の立てて以て万物の紀となす所の者なり︒これを富商の記号を以てその貨を別つに辟ふ︒あに

     必ずしもその理あらんや︒また繁を御するの術のみ︒︵﹃弁名﹄陰陽五行2︑一六〇頁・二四七頁︶

   従って︑便宜的に物事を五つに分けることは不可測の領域を操作する﹁術﹂として有効であるが︑五つに分けた物事

   を相互に対応させて体系化し﹁五行の説﹂を構築することは無意味であって︑﹁医の︑五行に拘る者は︑病を療すご

古文辞学と祖挾学−荻生徊練﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成ー︵四︶      ︵都法五十−二︶ 三八三

(18)

三八四

と能はず﹂︵同上︶ということにもなる︒但し︑﹁聖人﹂の命名行為は﹁富商﹂とはやはり違って︑﹁天地に法象して︑

以てその徳を神明にする所あり﹂︒これがかえって﹁五行の説興る所以﹂となる︵同上︶︒﹁漢儒﹂は﹁易﹂に﹁五行

を以て傅会﹂し︑﹁陰陽・五行は︑つひに儒者の常言とな﹂ったが︑これは﹁牽強にして通ずべからざるに殆し﹂︵同︑

一六一頁・二四七ー二四八頁︶︒こうして︑﹃弁名﹄は先行儒学の体系をバラバラにする︒五行によって体系的な認識を

得ることに意味はなく︑不必要な体系化は便宜的な利用の妨げとなる︒有限の認識能力しか持たない常人は︑聖人の

立てた五分類を適宜に利用して﹁繁を御する術﹂とすればよいのである︒

︵27︶五常        ︵皿︶  ﹃北渓字義﹄は︑仁義礼智信の﹁五常﹂﹁五性﹂を木金火水土の﹁五行之徳﹂に対応させる︵仁義礼智信−︶︒これに        ︵251︶ 対し︑﹃弁名﹄は﹁五常﹂に関連する用例・用法を検討し︑﹁みな一時論説の言に出でて︑古の伝へざる所﹂とする︒

こうして︑陰陽五行説とともに︑﹁宋儒﹂の﹁元亨利貞︑仁義礼智信の︑四徳・五常を︑儒者の第一義とな﹂す議論

は解体されるのである︵﹃弁名﹄五常︑一六一頁・二四八頁︶︒

︿注﹀

*注記方法については第四十八巻第二号五二一−五二二頁︑第四十九巻第一号三五四頁参照︒

︽本論二︾﹃弁名﹄の概念構成︵承前︶

︵411︶伊藤仁斎﹃孟子古義﹄告子上6は︑﹁情者︑性之所欲︑才者︑性之所能﹂︵情は︑性の欲する所︑才は︑性の能くする所︶

 ︵小註︶︑﹁性者生之本︑以所存而言︒情者生之欲︑以好悪而言︒而才者所以行之者也﹂︵性は生の本︑存する所を以て言ふ︒

(19)

 情は生の欲︑好悪を以て言ふ︒而して才は之を行ふ所以の者なり︶︵章註︒林本は︑﹁情﹂について﹁情者生之成︑以有所好

 而言﹂︵情は生の成︑好む所有るを以て言ふ︶とする以外は︑ほぼ同じ︶と︑性情才の関係を説明する︒

︵511︶例によって﹁孟子を誤読﹂したとされる︒﹃弁名﹄性情才1︑=二六頁・二四〇頁︒

︵611︶但し︑﹃論語﹄陽貨2︵子日︑性相近也︑習相遠也︶・陽貨3︵子日︑唯上知与下愚不移︶の﹃論語徴﹄は︑﹁変﹂と

 ﹁移﹂をこのように使い分けない︒また︑﹁善に習へばすなはち善︑悪に習へばすなはち悪なり﹂の扱いも異なる︒まず︑﹃論

 語徴﹄は︑﹁蓋し﹁移る﹂と云ふ者は︑性を移すの謂ひに非ざるなり︒移るも亦た性なり︑移らざるも亦た性なり︒故に﹁上

 知と下愚とは移らず﹂と日ふは︑其の性の殊なるを言ふなり︒中人は上すべく下すべし︒亦た其の性の殊なるを言ふなり︒

 知らざる者は則ち性は得て移すべしと謂ふ︒夫れ性は山豆に移すべけんや︒学んで以て之れを養ひ︑養ひて而る後其の材成る︒

 成るときは則ち前に殊なること有り︒是れ之を﹁移る﹂と謂ふ︒又た之を﹁変ず﹂と謂ふ︒其の材の成るなり︒性の成るな

 り︒故に﹃書﹄に曰く︑﹁習ひ性と成る﹂と︒性の移るに非ざるなり︒学者諸を察せよ﹂としている︒陽貨2︑全集四ー二

 七九・六三一︒﹁上知﹂と﹁下愚﹂は﹁移らない﹂という性質を︑﹁中人﹂は﹁移る﹂﹁変ず﹂という性質をもち︑また︑﹁中

 人﹂は﹁上知﹂に﹁移り﹂﹁変ず﹂るのではなく︑それぞれの﹁性﹂を完成させるという意味で﹁移り﹂﹁変ずる﹂のだとす

 るのである︒これに対し︑﹃弁名﹄性情才1は︑﹁中人﹂がそれぞれにもつ﹁性﹂︵﹁剛柔・軽重・遅疾・動静﹂︶が変化する

 ことを﹁変﹂と表現し︑各人の﹁性﹂にしたがって﹁徳﹂を完成させることを﹁移﹂と表現する︒両者に矛盾はないが︑﹃弁

 名﹄が﹁変﹂と表現する局面は﹃論語徴﹄では問題となっておらず︑﹁性﹂の意味にもズレがある︒﹃論語徴﹄が﹁上知﹂﹁下

 愚﹂と﹁中人﹂の﹁性﹂の違いに焦点を当てるのに対して︑﹃弁名﹄は主に﹁中人﹂に焦点を当てるために︑このようなズレ

 が生じるのであろう︒そして︑このズレが﹁善に習へば⁝悪に習へば⁝﹂のズレに連動する︒﹃弁名﹄は﹁中人﹂に関してこ

 の表現を使う︒ところが︑﹃論語集注﹄陽貨2もこの表現を使っており︑人の気質の性は様々とは言え︑初めは甚だしくは

 異ならないが︵n性相近︶︑﹁善に習へば則ち善︑悪に習へば則ち悪﹂となるために大きく異なってくる︵11習相遠︶︑とする︒

 ﹃論語徴﹄は﹃論語集注﹄のこの表現を否定しながら﹁下愚﹂について論じるのである︒即ち︑朱子学では︑たとえ﹁昏愚の

 至り﹂であっても﹁本然の性﹂を有し︑﹁善に習へば﹂改善可能なため︑﹁下愚﹂が﹁移らない﹂のは問題であり︑これを

 ﹁自暴自棄﹂の概念を使って説明する︒この論理を﹃論語徴﹄は否定する︒﹁習ひには誠に善悪あり︒而れども孔子の意は︑

 専ら学んで君子と為るに及んで︑而る後その賢知才能︑郷人と相ひ遠きことを謂ふのみ︒未だ嘗て善悪を以て之を言はざる

 なり﹂︒陽貨2︑全集四1二七五・六二八ー六二九︒祖裸にとって﹁下愚﹂とは﹁自暴自棄﹂ではなく学習能力のない

 ﹁民﹂であり︑﹁初めより其の愚を悪むに非ず︒又た唯だ其の愚の学ぶべからざるを言ふのみ︒未だ嘗て善悪を以て之を言は

古文辞学と祖裸学−荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成ー︵四︶      ︵都法五十−二︶ 三八五

(20)

三八六

 ず﹂︒ところが︑﹁孟子の性善の説有りし自りして︑学者善悪を以て之を見︑遂に習ひに善悪有りと日ひて︑下愚を以て桀紺

 の徒と為すに至﹂ったのである︒同︑全集四ー二七八・六三〇︒以上のように︑﹃弁名﹄と﹃論語徴﹄の表現にはかなり大

 きなズレがあることに注意すべきである︒

︵711︶﹃孟子古義﹄告子上6章註には︑﹁人但知性之各殊︑而不知亦有所同然﹂︵人但だ性の各々殊なるを知りて︑亦た同じく然

 りとする所有ることを知らず︶とある︵林本もほぼ同じ︶︒仁斎によれば︑﹁側隠・差悪・辞譲・是非之心﹂︵﹁四端之心﹂︶は

 ﹁生来具足﹂︵元禄七年校本では﹁猶四体之有於其身﹂︶で﹁天之所賦予於我﹂︵天の我に賦与する所︶であり︵﹃中庸発揮﹄

  1小註︶︑︵ほぼ︶万人共通なのであって︑これを﹁拡充﹂して﹁仁義礼智の徳を成す﹂べきなのである︵﹃語孟字義﹄四端

 之心1︶︒

︵811︶祖裸によれば︑両者の誤りの根元は孟子にあるが︑朱子学者も仁斎も孟子の置かれた論争的文脈を無視している︒﹁孟子

 もまた︑先王︑人の性に率ひて以て道・徳を立つることを謂ふのみ﹂なのである︒﹃弁名﹄性情才4︑一四一頁・二四二頁︒

︵911︶﹃中庸解﹄2も参照︒

︵021︶﹁性と習は区別できない﹂という不可知論は︑注︵品︶に引いた﹃論語徴﹄陽貨2に見られるように︑﹁習与性成﹂︵習ひ

 性と成る︶として︑祖裸の﹁学﹂﹁習﹂論において到達すべき状態を示す表現に転じ︑さらに︑﹃中庸解﹄では︑﹁習以成性﹂

 が﹁誠﹂の説明として頻用されている︒﹁学﹂﹁習﹂と﹁誠﹂の関係については︑本稿︵二︶三四三頁参照︒﹁習与成性﹂は

 ﹃書経﹄太甲上にあり︑伊弄が太甲を桐に放つ際に﹁不義﹂が﹁習与性成﹂と戒めた言葉を︑断章取義的に利用したものであ

 る︒なお︑﹃論語集注﹄顔淵1・﹃孟子古義﹄公孫丑上7小註にも﹁習与性成﹂の用例がある︵林本には公孫丑がない︒以

 下同じ︶︒

︵121︶﹃弁道﹄22は﹁礼﹂と﹁楽﹂の役割分担を示すが︑﹁楽﹂は﹁礼﹂に対して補助的な位置に止まるように見える︒﹃弁名﹄

 礼1の﹁礼﹂﹁楽﹂の区分はさらに曖昧である︒

︵221︶﹃北渓字義﹄﹃語孟字義﹄は﹁情﹂の多様性に注目しているように見えない︒朱子学では︑あるべき﹁情﹂を想定し︑

 ﹁発﹂する﹁情﹂が﹁当然之則﹂に合致し﹁中節﹂︵節に中る︶ことを求める︵﹃北渓字義﹄情2︒﹃中庸章句﹄1参照︶︒

 ﹃四書集注﹄では﹁情之正﹂﹁情性之正﹂﹁性情之正﹂という表現がしばしば使われている︵﹃中庸章句﹄1︑﹃論語集注﹄為

 政2・八槍20・述而9・先進9︑﹃孟子集注﹄梁恵王下3︶︒あるべき﹁正﹂しい﹁情﹂を想定するなら多様性に焦点は当

 たらない︒一方︑仁斎は︑朱子学の論理は否定するが︵﹃中庸発揮﹄綱領・2参照︶︑﹁性情之正﹂︵﹃論語古義﹄八槍20小

 註・大註︶︑﹁其の性を養ふときは則ち情自つから正しく﹂︵﹃語孟字義﹄情3︶という表現は使っている︒朱子学ほど﹁正﹂

(21)

 に重みはないのかもしれないが︑仁斎は﹁情﹂の共通性に重点を置くように思われ︑例えば︑﹁性者︑人生所稟之質︑錐各有

 殊︑而其情無不好善悪悪﹂︵性は︑人生まれて稟くる所の質︑各々殊なること有りと錐も︑而ども其の情は善を好み悪を悪ま

 ざること無し︶と述べている︵﹃孟子古義﹄膝文公上1小註︒林本もほぼ同じ︒﹃孟子古義﹄告子上6も参照︶︒これに対し

 て︑祖練は︑﹁性情之正﹂といった表現は避け︑﹁情﹂の多様性を強調するのである︒なお︑﹁訟情﹂﹁軍情﹂﹁その情を用ふ﹂

 は︑訴訟.軍事・民情という政治に関わるもので︑不可測性が問題になる点で興味深い︒﹃大学解﹄ 4によれば︑裁判では

 ﹁両造の辞﹂︵原告と被告の言葉︶によって﹁訴ふる者の情﹂を尽くすことは出来ず︑﹁才智﹂を用いて真実を確定することに

 は限界があるから︑﹁孝弟化行し︑民礼譲を興す﹂ことで﹁訟無からしむる﹂ことが﹁聖人の長とする所﹂である︒河出版

 ﹃荻生祖挾全集 第二巻﹄三八七⊥二八八頁・六三二頁︒﹃論語徴﹄顔淵12・13も参照︒また︑﹃論語徴﹄子路4によれば︑

 ﹁情を用ふ﹂とは﹁其の情を匿さざるを謂﹂い︑民が治め難いのは民の﹁情﹂を識ることができないからで︑上が﹁信﹂を好

 めば︑﹁民敢へて情を用ひざること莫し﹂︑民が﹁情﹂を隠さなくなる︒全集四ー一六三・五一二︒

︵321︶﹁楽﹂は︑﹁識らず知らず﹂機能する点で﹁礼﹂と同様であるが︑﹁礼﹂と異なって﹁義理の言ふべきなく︑思慮の用ふべ

 きなし﹂︵﹃弁名﹄性情才3・6︶という指摘は重要である︒﹃論語徴﹄には﹁礼﹂と﹁楽﹂が⁝機能するメカニズムの違いを

 さらに詳しく論じた箇所があって︑﹁楽も亦た徳の則なり︒礼以て之を制し︑楽以て之を養ふ︒礼は其の敬を以てし︑楽は其

 の和を以てす︒故に楽なる者は罐欣悦豫の心自り之を導く者なり︒礼は尚ほ操る所有り︑必ず知る所有り︒楽の鼓動して以

 て之を養ふに至つては︑則ち其の然るを知らざる者有り︒之を養へば則ち楽しむ︑楽しめば則ち油然として以て生ず︒之を

 其の不知不覚の間に養ふこと︑焉より周なるは莫し﹂としている︒泰伯9︑全集三⊥二三九⊥二四〇・六六一︒このように

 ﹁楽﹂が固有のメカニズムを持つのであれば︑﹁楽﹂は手段としての代替不可能性を有することになり︑その重要性は一層高

 まると考えられる︒

  これに対し︑﹁楽﹂固有のメカニズムよりも﹁楽﹂のもたらす効果に力点を置く議論は︑﹁楽﹂は手段に過ぎず本質的なも

 のではない︑という議論に転ずる可能性がある︒例えば朱子学者や仁斎は︑﹁性情之正﹂に関わる﹁楽﹂の有効性について論

 じるものの︑﹁性情之正﹂という表現に現れているように︑﹁楽﹂は︑﹁養人之性情︑而蕩瀞其邪臓︑消融其査倖﹂︵人の性情

 を養ひて︑其の邪微を蕩糠し︑其の査津を消融し︶︵﹃論語集注﹄泰伯8︶︑﹁自得性情之正﹂︵自つから性情の正を得る︶

 ︵﹃論語古義﹄八倫20小註・大註︶ための手段である︒目的があるべき﹁正﹂しいものとして強調されればされるほど︑手段

 は後景に退くことになるのであって︑例えば仁斎は︑﹁礼楽之本﹂は﹁仁義﹂から出るのだから︑﹁信能居仁由義︑和順積而

 英華発焉︑則詩礼楽之教︑自在其中 ﹂︵信に能く仁に居り義に由り︑和順積みて英華発するときは︑則ち詩礼楽の教へ︑自

古文辞学と祖裸学−荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵四︶      ︵都法五十−二︶ 三八七

(22)

三八八

 つから其の中に在り︶とする︵﹃論語古義﹄泰伯9論註︒林本もほぼ同じ︶︒手段としての﹁楽﹂は目的である﹁仁義﹂に回

 収されてしまう︒

  この論証の中で仁斎は﹃孟子﹄離婁上27を利用している︒﹃孟子﹄本文は︑﹁孟子日︑仁之実︑事親是也︒義之実︑従兄是

 也︒智之実︑知斯二者弗去是也︒礼之実︑節文斯二者是也︒楽之実︑楽斯二者︒楽則生 ︒生則悪可已也︒悪可己︑則不知

 足之踏之︑手之舞之﹂︵孟子曰く︑仁の実は︑親に事ふる是れなり︒義の実は︑兄に従ふ是れなり︒智の実は︑斯の二者を知

 りて去らざる是れなり︒礼の実は︑斯の二者を節文する是れなり︒楽の実は︑斯の二者を楽しむ︒楽しめば則ち生ず︒生ず

 れば則ち悪んぞ己むべけんや︒悪んぞ己むべけんとならば︑則ち足の之を踏み︑手の之を舞ふを知らず︶である︒仁義礼智

 とセットで﹁楽﹂に言及し︑その知らず知らずの機能に着目するように見える興昧深い議論であり︑祖練もこれに依拠して

 いると思われる︒ところが︑朱烹の﹃孟子集注﹄では論理が反転して︑﹁楽﹂は手段として機能するというより︑むしろ結果

 として﹁楽しみ﹂が深まるという位置づけになる︒仁斎の﹃孟子古義﹄では論理の反転がさらに進み︑手段としての﹁楽﹂

 の固有の機能は殆ど否定されかかっている︵﹁玉吊﹂﹁鐘鼓﹂をめぐる﹃論語古義﹄陽貨10と﹃論語徴﹄陽貨10の対照的な

 解釈も参照︶︒﹃論語古義﹄八槍20では﹁楽﹂と﹁性情之正﹂を関連づける仁斎が︑﹃語孟字義﹄では﹁情﹂に﹁工夫﹂は不

 要とするのは︑このような﹁楽﹂の扱い方と関係しているのかもしれない︒

︵421︶朱烹や仁斎の経典解釈は﹁才﹂﹁材﹂の政治的意義について論じている︒例えば︑政治には﹁才﹂﹁材﹂が必要で︑人を知

 って適切に用いることが重要だとされる︵﹃論語集注﹄雍也6・雍也12・憲問12︑﹃論語古義﹄子路25大註・憲問12大註な

 ど︶︒﹁夫以無人材為憂者︑庸主之通患也︒天下之広︑不患無人材︒不在於上︑必在於下︒不在於朝︑必在於野︒⁝山豆有無人

 材之患乎﹂︵夫れ人材無きを以て憂ひと為すは︑庸主の通患なり︒天下の広き︑人材無きを患へず︒上に在らざれば︑必ず下

 に在り︒朝に在らざれば︑必ず野に在り︒⁝山豆に人材無きの患ひ有らんや︶︵﹃論語古義﹄子路2論註︒林本もほぼ同じ︶と

 いう仁斎の言葉は︑祖練﹃政談﹄の人材論を思わせる︒﹃論語集注﹄憲問20﹄論語古義﹄憲問20大註は︑﹁無道﹂の君が

 ﹁賢﹂﹁有徳﹂とは言えない臣を用いる場合でも︑﹁才﹂﹁材﹂を適材適所に用いれば国家を維持出来るとしており︑﹁才﹂

 ﹁材﹂の政治的重要性が分かる︒

  これを﹃北渓字義﹄﹃語孟字義﹄が儒学の概念として取り込まないのは︑﹁徳﹂と﹁才﹂がしばしば対比されることと関係

 するのかもしれない︒﹃弁名﹄の場合︑﹁性﹂に相応しい﹁徳﹂を身につけた人﹁材﹂が﹁官﹂に就く︵﹁おのおのその性の近

 ︑き所に随ひ︑養ひて以てその徳を成す︒徳立ちて材成り︑然るのちこれを官にす﹂︒﹃弁名﹄徳1︑四九頁・二一二頁︒﹃論

 語徴﹄先進3も参照︶︒﹁性﹂﹁徳﹂﹁才︵材︶﹂﹁官﹂は有機的に結びついている︒これに対して︑朱烹や仁斎の場合︑﹁賢︑

(23)

 有徳者︒才︑有能者﹂︵賢は︑徳有る者︒才は能有る者︶︵﹃論語集注﹄子路2︶︑﹁賢︑有徳者﹂︵賢は︑徳有る者︶﹁能︑有

 才者﹂︵能は︑才有る者︶︵﹃孟子集注﹄公孫丑上4︑﹃孟子古義﹄公孫丑上4︶と︑^﹁徳﹂﹁才﹂を対比し︑﹁人有才而無徳︑

 則亦案足尚哉﹂︵人才有りて徳無ければ︑則ち亦た蘂ぞ尚ぶに足らんや︶︵﹃論語集注﹄憲問35︶︑﹁君子非無才︒而不以才称︒

 然則有才而無徳︑其為小人也必 ﹂︵君子は才無きに非ず︒而れども才を以て称せず︒然らば則ち才有りて徳無ければ︑其の

 小人為るや必せり︶︵﹃論語古義﹄憲問35大註︶など︑﹁徳﹂こそ本質的で﹁才﹂は補助的なものに過ぎないという発想があ

 る︵﹁才者︑徳之用也﹂という表現もある︒﹃論語集注﹄泰伯20︶︒﹁才﹂﹁材﹂の政治的意義を儒学の概念として取り込む意

 味は乏しいのだろう︒﹁後世︑気質を変化するの説興り︑而して聖人の人を官にするに各々其の材をするの義混ぶ﹂︵﹃論語

 徴﹄公冶長5︑全集三ー一九六・五二八︶ことで︑﹁性﹂﹁徳﹂﹁才︵材︶﹂﹁官﹂の連関が見失われた︑ということになろう

 か︒﹃論語徴﹄泰伯9・憲問12も参照︒

︵521︶﹃孟子﹄告子上15の﹁心の官は則ち思ふ﹂は︑孟子が﹁心﹂それ自体の重要性を論ずるものに見えるが︑仁斎の解釈は異

 なる︒注︵931︶参照︒

︵621︶仁斎の場合︑﹁性善説﹂が﹁四端の心﹂に基づいているため︑区別すべき﹁心﹂と﹁性﹂の関係は曖昧である︒﹁工夫﹂に

 ついても︑﹃語孟字義﹄情3は︑﹁心﹂は﹁存﹂﹁尽﹂︑﹁性﹂は﹁養﹂﹁忍﹂と区別するが︑﹁尽心﹂﹁存心﹂は﹁四端の心﹂に

 関する工夫︑﹁養性﹂は﹁性の善﹂に関する工夫なので︵﹃孟子古義﹄尽心上1小註︶︑区別は曖昧である︒﹁忍性﹂は﹃孟

 子﹄告子下15の﹁動心忍性﹂によるが︑これは天が人に試練を与えて﹁心を動かし性を忍ばせ﹂能力を向上させるという議

 論で︑人が行う﹁工夫﹂ではない︒困難な状況におかれた人が﹁徳慧術知﹂を持つとする﹃孟子﹄尽心上18についても︑

 ﹃孟子古義﹄小註は﹁動心忍性﹂が能力を発達させるとするが︵﹃孟子集注﹄を踏襲︶︑やはり﹁工夫﹂ではない︒

︵721︶﹃孟子集注﹄告子上8は﹁操之之道︑敬以直内而已﹂︵之を操るの道は︑敬以て内を直にするのみ︶︵程子語︶とする︒﹃北

 渓字義﹄敬3も︑孔子の言葉を利用しながら︑﹁敬﹂によって﹁人心﹂を﹁主宰統摂﹂するとしている︒﹃大学章句﹄伝7

 も参照︒

︵821︶孔子の言葉を利用しつつ︑心によって心を治めることを批判するのは︑祖棟独自の議論ではない︒伊藤仁斎は︑﹃孟子古

 義﹄告子上8で︑孔子の言葉を﹁蓋人心之不可侍︑而不可不操存也如此﹂︵蓋し人心の侍むべからずして︑操存せざるべか

 らざるや此のごとし︶︵小註︶︑﹁操存﹂の﹁要﹂は﹁養之一字﹂にある︵章註︶と解釈し︵林本はかなり異なる︶︑﹃論語古

 義﹄為政4論注は︑孔子の言葉を引用したうえで﹁心之不可侍︑而不可不道以存之如此﹂︵心の侍むべからずして︑道以て

 之を存せざるべからざること此のごとし︶と述べ︵林本にはない︶︑﹃孟子﹄離婁下28の﹁君子以仁存心︑以礼存心﹂につい

古文辞学と祖棟学−荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵四︶      ︵都法五十−二︶ 三八九

(24)

三九〇

 て︑宋儒のように仁義礼智を性とすると︑﹁仁を以て心を存す﹂﹁礼を以て心を存す﹂は﹁以心存心﹂︵心を以て心を存す︶と

 いうことになり︑﹁以目観目﹂︵目を以て目を観る︶というのと同じだ︑などと批判し︵﹃孟子古義﹄離婁下28章註︒﹁以目観

 目﹂は林本にはない︶︑﹁四端の心﹂の﹁拡充﹂について︑朱子学の方法を﹁以一心而又察一心也﹂︵一心を以て而して又た一

 心を察するなり︶などと批判する︵﹃孟子古義﹄公孫丑上6大註︶︒祖棟の﹃大学解﹄3には﹁心を以て心を治むること︑

 猶ほ目を以て目を視るがごとし﹂という表現もあり︵前掲書三八二頁・六二九頁︶︑祖裸は仁斎の表現を踏襲している可能性

 もある︒なお︑﹃荘子﹄徐無鬼に﹁以目視目︑以耳聴耳︑以心復心﹂とある︒但し︑﹁真人﹂の肯定すべきやり方で︑遠藤哲

 夫氏は︑﹁目にうつるままに物を見︑耳に聞こえるままに声を聞き︑心の働くままにして本心に立ちもどり︑他のものに移ら

 ない﹂と訳す︒﹃新釈漢文大系8 荘子︵下︶﹄︵明治書院︑一九六七︶六五四頁︒

︵921︶﹃論語徴﹄では︑﹃孟子﹄の﹁仁﹂に関わる言葉を﹁聖門﹂の﹁仁﹂の﹁心法﹂に適ったものとして引用し︵雍也6︑全集

 三ー二四三・五七〇︶︑﹁古の学問は︑先王の法言を守る︒孟子に至つて発する所多しと錐も︑尚ほ孔門の遺ある者是のごと

 し﹂としている︵里仁1︑全集三−一六〇・四九五︶︒

︵031︶﹁存主﹂の意味は判然としない︒﹃語孟字義﹄志1は﹃孟子﹄公孫丑上2の﹁夫れ志は気の帥なり﹂﹁志壱なるときは則ち

 気を動かす﹂を引用し︑﹃孟子古義﹄公孫丑上2小註も﹁志者心之所存主︑而為気之将帥﹂︵志は心の存主する所にして︑気

 の将帥為り︶とするから︑﹁存主﹂の﹁主﹂を﹁主体﹂の﹁主﹂と解することは可能だろうが︑これは﹃孟子﹄の一節の過剰

 な一般化で︑﹁語孟﹂の﹁字義﹂という方法をとる当の仁斎すら︑﹃論語古義﹄では﹁存主﹂を使わない︒﹃論語古義﹄では︑

 ﹁荷志於仁﹂を﹁心之所向︑纏在於仁﹂︵心の向かふ所︑纏に仁に在れば︶と解釈し︵里仁4小註︶︑﹁士而志干道︑其心既知

 所響 ﹂︵士にして道に志し︑其の心既に響かふ所を知る︶︵里仁9大註︒林本は異なる︶︑﹁志者︑心有所響望之謂︒志於道︑

 則心知所向 ﹂︵志は︑心の卿望する所有るの謂ひなり︒道に志せぱ︑則ち心向かふ所を知る︶︵述而6小註︒林本はやや異

 なる︶などとしており︑﹁之﹂を﹁猶向也﹂︵猶ほ向のごとし︶とする﹃北渓字義﹄志1と大差ない︒あるいは︑﹁存主﹂は

 ﹁之く﹂﹁向かふ﹂をよりはっきりと強い言葉で述べて﹁意明螢﹂にしたということなのだろうか︒一方︑﹃論語徴﹄は︑﹁志

 とは其の心の専ら注ぐ所なり﹂︵為政4︑全集三ー六一・四一四︶︑﹁志は心の存主する所を謂ふなり︒否らざれば則ち﹁匹

 夫も志を奪ふべからず﹂﹁物を玩ぶときは志を喪ふ﹂皆な通ずべからず︒心の存主する所︑日夜に縛注す︑是に於いて廼ち之

 が意有るのみ﹂︵述而6︑全集三ー二八五・六〇八︶とするから︑﹁存主﹂は﹁専心する﹂﹁専念する﹂﹁集中する﹂﹁重視す

 る﹂といった意味だろう︒また︑﹃論語集注﹄為政4は﹁志干学﹂について﹁志乎此︑則念念在此而為之不厭 ﹂︵此に志せ

 ば︑則ち念念此に在りて之を為して厭はず︶とし︑﹃論語集注﹄里仁4は﹁荷志於仁﹂について﹁其心誠在於仁﹂︵其の心誠

参照

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