日本経済の二重構造と企業規模間賃金格差
その他のタイトル Wage Differentials between Large and Small Scales Enterprises in Relation to the Dual Structure of the Japanese Economy
著者 上田 達三
雑誌名 関西大学社会学部紀要
巻 24
号 2
ページ 1‑46
発行年 1993‑03‑05
URL http://hdl.handle.net/10112/00022565
関西大学「社会学部紀要』第
2 4
巻第2
号,1 9 9 3 , p p . 1 ‑ 4 6 ISSN 0 2 8 7 ‑ 6 8 1 7
日本経済の二重構造と企業規模間賃金格差
上 田
達
Wage D i f f e r e n t i a l s between Large and Small Scale Enterprises i n Relation t o the Dual Structure of the Japanese Economy
Tatsuzo UEDA A bs tr ac t
The Japanese economy passed a t u r n i n g p o i n t i n 1960 when i t entered a h i g h ‑ p i t c h e d growth pr oc es s, s h o w i n g a change from a state i n w h i c h t h e r e was a L a b o u r force s u r p l u s t o o n e i n w h i c h there w a s a shortage. W i t h t h e spread o f t h i s L a b o u r f o r c e s h o r t a g e , s m a l l a n d m e d i u m s c a l e enterprises faced demands f o r wage i n c r e a s e s , w h i c h h a d been very L o w i n c o m p a r i s o n w i t h those i n L a r g e e n t e r p r i s e s . Wage d i f f e r e n t i a l s between s m a l l and l a r g e s c a l e enterprises b e g a n t o s h o w a r a p i d r e d u c t i o n and the Japanese economy, w h i c h h a d a growth pattern w h i c h t o o k advantage o f these wage d i f f e r e n t i a l s d u r i n g t h e pre‑war p e r i o d , entered a p e r i o d i n w h i c h
m o d e r n i z a t i o n o f s m a l l and m e d i u m s c a l e e n t e r p r i s e s became a n i n d i s p e n s a b l e c o n d i t i o n f o r the furter growth o f t h e n a t i o n a l e c o n o m y .
However, w i t h t h e o i l c r i s i s , t h e J ap an es e economy entered a state o f decelerated e c o n o m i c growth w h i c h r e v e r s e d t h e trend toward a r e d u c t i o n o f wage d i f f e r e n t i a l b a c k t o t h e p r i o r s t a t e o f e n l a r g e m e n t . T h i s study e x a m i n e s the wage d i f f e r e n t i a l s o f J a p a n e s e i n d u s t r i e s i n r e l a t i o n t o t h e d u a l structure o f t h e J a p a n e s e e c o n o m y .
Key words : s m a l l b u s i n e s s ; s m a l l and medium s c a l e e n t e r p r i s e s , d u a l s t r u c t u r e , i n d u s t r i a l s t r u c t u r e , wage d i f f e r e n t i a l , p r o d u c t i v i t y , t e c h n o l o g y , e n t e r p r i s e s c a l e , s e n i o r i t y ‑ o r d e r wage s y s t e m , l a b o u r f o r c e s h o r t a g e , l a b o u r market
抄 録
日本経済は
1 9 6 0
年を転機に高度経済成長過程に入り,労働力過剰から不足の状態に転換した。労働 力不足が波及するにつれて賃金の上昇が進展したが, とくに大企業に比べて低くかった中小企業は著 しい賃金の上昇に迫られ,大企業・中小企業間に存在していた賃金格差が急速に縮小した。第二次世 界大戦前において,規摸間格差を利用しながら成長する方式をとってきた日本経済は,国民経済のよ り一層の成長を促すために格差の解消に迫られ,中小企業の近代化が不可欠の要件となったのである。ところが石油危機を契機に, 日本経済は低成長経済過程に入り,大企業・ 中小企業間の賃金格差は,
縮小から再び拡大の方向に転じた。本稿は,企業規模間賃金格差が変化してきた内容を, 日本経済の 二重構造との関わりにおいて考察したものである。
キーワード:中小企業,二重構造,産業構造,賃金格差.生産性,技術,企業規模,年功賃金制,労 働力不足,労働市場
関西大学『社会学部紀要』第
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号1 2 3 4 5 6 7
目 日本経済の「二重構造」論的認識
二重構造の格差利用による国民経済成長方式の転換 第二次世界大戦前における企業規模間賃金格差の形成
戦後復興過程における労働市場の階層的構成と企業規模間賃金格差の形成 高度経済成長過程における労働力不足の進展と企業規模間賃金格差の縮小 低成長経済過程における「新たな二重構造」問題と企業規模間賃金格差 二重構造の産業構造論的認識
次
ー
日本経済の「二重構造」論的認識第二次世界大戦後,復興過程
1 0
年を経て戦前水準に復帰した日本経済1 )
は,1956 57 (昭和3 1 32)
年の「神武景気」,1957 58
年の「なべ底不況」を経て,1959 61
年の「岩戸景気」以降,本格的な高度経済成長の過程に入った。高度成長の原動力となったのは技術革新とそれにともな う民間設備投資の盛行であった。重化学・機械工業2)を中心にした民間大企業は,戦時,戦後を 通じて拡大した技術水準の国際的格差を埋めるため,先を争って先進国からの技術導入を梃とす る技術革新投資を進めた。技術革新の進展と波及過程においては,投資財産業自体の設備投資を 増大させただけではなく,乗数効果により消費需要を喚起し,
わゆる「投資が投資を呼ぶ」設備投資プームがもたらされた。
それがまた投資を必要とする,ぃ
1960 (昭和3 5 )
年に池田内閣が採った「所得倍増計画」は,高度経済成長を政策的に支える役 割を果たすことになった。計画期間1961 70(昭和36 45)
年の国民総生産の実質成長率(年率)は,「計画」の
7.8
彩を大きく上回わる1 1 .6
彩の実績を達成した3 )
。 日本経済は世界に類例をみな い高度経済成長を成し遂げたのである。1) 1 9 5 6 (昭和3 1 )
年度『経済白書』は「いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽くされた。もはや 戦後 ではない。われわれはいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終 わった。今後の成長は近代化によって支えられる。そして近代化の進歩も速やかにしてかつ安定的な経 済の成長によって初めて可能になる。」「世界技術革命の波に乗って新しい国造りに出発することが必 要」と総括した。経済企画庁〔1 9 5 6
〕位ページ,参照。以下,本稿に引用あるいは参考にした文献の,著者名〔発行年〕についての詳細は,巻末の「引用・
参照文献」に一括して掲載した。なお,著者名〔発行年〕に続いて,
0
ページ。とあるのは,原著の記 述をそのまま引用したものであり,0
ページ,参照。とあるのは,原著を参照し,それを参考にしながら筆者の意見を交えて記述したものである。
2)
通常,第二次産業部門を2
つに大別して重工業と軽工業.あるいは重化学工業と軽工業と呼ばれるが,本稿においては,前者を「重化学・機械工業」と記述し, 「重化学工業化」という場合は機械工業を含 めた意味を持つものとしている。
3)
「所得倍増計画」の1 9 6 1
年から1 9 7 0
年にいたる計画期間に,鉱工業生産は1 3 . 9 . %
(実質・年率.「計画」では
1 1 .9
彩),輸出1 6 . 8 . %
(同1 0 . : o
彩),個人消費1 0 . 3
彩(同7 .6 . % )
と,いづれの指標も計画を上回わる 実績を達成した。主要先進国の名目国民総生産を比較をすると,米•西独•英•仏・伊の名目国民総生 産成長率は,同じ1 9 6 11 9 7 0
年において年率6 10.%
であるのに対し, 日本は1 5 . %
と群を抜いた高成長 を示した。また,実質成長率においても, 日本は年率1 0 . %
を1 5
年間続けた結果,1 9 7
吟三の実質国民総生 産は1 9 6 0
年の4 . 4
倍に増大した。したがって,1 9 6
吟三に資本主義圏の第5
位であった日本のGNP
の規 模は,1 9 6 5
年から急上昇し,1 9 6 7
年にフランスを,1 9 6
碑こには西ドイツを追い抜き,アメリカに次いで自由世界の第 2位の規模を誇る経済大国に急成長した。福原雅之〔
1 9
糾〕3
ページ,参照。日本経済の二重構造と企業規模間賃金格差(上田)
民間大企業の主導による技術革新と設備投資が進展し,産業構造が高度化に向かうにつれて,
大企業自身がより一層の発展を期するためには,中小企業との間に存在していた技術格差を是正 し,大企業・中小企業間の有機的連関を強化する必要に迫られるようになった。もともと,基幹 産業部門を担う大企業製品の第一次市場は,それを原材料として購入する中小企業であり,また 大企業が組立生産を行う機械産業部門でも,多くの場合,生産過程の前工程において部品の生産
•加工を担当するのは中小企業である。技術革新が新たな発展段階に入ると,これら両者の歯車 の有機的な噛み合わせを強める必要性が高まり,大企業が担当する重化学・機械工業,基幹産業 部門の強化だけでは,産業構造の高度化を促進することが期待できなくなったからである%
中小企業の側においても,後述するように,労働力不足や賃金上昇,あるいは国際環境,海外 市場の条件変化などの諸問題に当面し,低賃金に依存する労働集約的製品は,輸出はもとより,
内需向け生産も不可能な事態に追い込まれつつあった。輸出向け・内需向けを問わす,中小企業 は,技衛のレベルアップと高付加価値化を通じて,大企業との有機的な連関を強める必要に迫ら れたのである。
政策側においても,従来,不況期の善後策,あるいは社会政策の一環として考えられ勝ちであ った中小企業問題は,経済成長を促進するための産業構造上の重要な政策課題として意識される ようになり,企業規模間格差の縮小を図る方策が前面に登場してきた。
事実,
1960
(昭和35 )
年11
月発表の「国民所得倍増計画」は,企業規模間格差の是正を重要課 題に取り上げた。さらに産業構造調査会の. . . . 1 9 6 3
(昭和38 )年答申「開放経済下の産業政策のあり
方』5 )
においては,「二重構造の存在は社会政策的視点からであるとともに,いまやコスト面,技 術面ともにわが国経済の競争力にとって問題になりつつある」(傍点ー上田)として,「中小企業 の構造高度化」を重視する方向が明確に示された6)。同年施行の「中小企業基本法」7)は,中小企 業の構造高度化,規模間格差是正の政策を総括的に方向づけるものであった。このように日本経済を二重構造論的に促える認識は,実は有沢広巳〔1956〕に始まったもので あり,以後,二重構造という言葉は広く定着するようになった。有沢氏は, 日本の経済構造は欧 米先進国のように単ーな同質の構造を持たず,二重経済構造から成り立っている,と問題提起 し,続いて経済企画庁〔1957〕『経済白薔一昭和32年度版』が, 工業生産と産業基盤間の不均衡
4)竹内正巳編〔1 9 6 4
〕認ベージ,参照。5)産業構造調査会編〔1 9 6 4
〕泣ページ,参照。6)三宅順一郎〔 1 9 8
幻1 5 2
ページ,参照。7)
「中小企業基本法」は,第1
条において政策の目標を次のように掲げ,企業規模間格差の是正を通じて,中小企業の成長発展と経済的社会的地位の向上を強調している。「国の中小企業に関する政策の目標は,
中小企業が国民経済において果たすべき重要な使命にかんがみて,国民経済の成長発展に即応し,中小 企業の経済的社会的制約による不利を是正するとともに,中小企業者の自主的な努力を助長し,企彙向
. . . . . . . . . . . .
.. . . . . . . .
における生産性等の諸格差が是正されるように中小企業の生産性及び取引条件が向上することを目途と して,中小企業の成長発展を図り,あわせて中小企業の従事者の経済的社会的地位の向上に資すること にあるものとする。」(傍点ー上田)〔昭和
3 8( 1 9 6 3 )年 7
月20
日法律1 5 4 ,
改正昭和4 8( 1 9 7 3 )年法律
1 1 5
。〕関西大学「社会学部紀要』第
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巻第2
号問題とともに,二重構造問題を重視した分析を行ったことが契機となって,日本経済の二重構造 問題をめぐる論争が活発に展開されるに至ったのである 8)
0有沢広巳 ( 1 9 5 6 ) によれば, 日本の経済構造は,近代化した分野と未だ近代化しない分野,と から成り立っている。両分野の間には大きな断層がある。二重経済構造は労働市場の二重性にも あらわれており,大企業と中小企業の労働市場は違った市場となっている。しかも,大企業の労 働市場から中小企業の労働市場に移動することは可能であるが,後者から前者へ常用雇用として 移動することはほとんどみられない。以上を問題提起した上で,二重構造形成の主要因を,不完 全雇用,労働市場の二重性にある,と指摘した。
こうした問題意識の延長上で, 経済企画庁 ( 1 9 5 7 )『経済白書』は, 当時の日本経済の後進性 を,近代的な労使関係に基づく雇用者比率が低く,家族労働者の比重が高いことに関連して,企 業規模間の賃金格差が極めて大きい,と捉えた。規模別従業員数構成の国際比較を通じて,日本 は,一方に近代的大企業,他方に前近代的な労使関係に立つ小企業,家族経営による零細企業と 農業が両極に対立し,中間層の比重が著しく少ない。必要労働が資本と技術によって決定される 近代部門と異なり,資本の乏しい部門では所得の低下を通じて,資本と労働の組合せが変化す る。所得が労働力再生産費に満たなくとも就業するため,失業の顕在化が少なくなり,低い賃金 においてのみ雇用されうる労働力が,低い生産力を持つ用途に吸収される。いわば「一国のうち に先進国と後進国の二重構造が存在するに等しい」。労働市場もまた二重構造的封鎖性を持って おり,大企業から中小企業への労働力移動はあるものの,その逆は臨時エの形態をとることが多 ぃ,と指摘した。
三宅順一郎 ( 1 9 8 8 )は,有沢広巳 ( 1 9 5 6 )の基本的特徴を,次のように要約批判する。有沢氏 は「中小企業の存在を国民経済のなかでの量的な座標のみでなく,格差構造という質的なそれの 上で理解しようとしてはいる。しかし一方で中小企業内部の多様性,重層性を軽視し,総体とし ての中小企業を特殊日本的な後進的部分と規定してしまい,この部分と先進的な大企業部分との 関係を,後進工業国における近代的分野と在来分野との関係と同じく 断絶 ととらえ,それが 日本経済全体の後進性を規定するとしている。つまりそれはすでに成熟しつつあった大企業と中 小企業およびその内部階層間の多面的かつ縦深的な関連と,そこでの力関係にもとづく様々な形 での矛盾・対立の諸関係を上記の格差構造と有機的に結びつけることなく,中小企業の後進性を 日本経済に与えられた宿命として現象的かつ静態的にとらえ,大企業部分あるいは国民経済の成 長・近代化にとっての足カセと認識しただけなのである。」 9 )
川口弘 ( 1 9 6 2 )は「マルクス学派(講座派)によって,戦前から強く指摘されてきたこのよう な現象が,戦後に,とくに保守的政府と近代経済学者との側から,改めて論議の的としてとりあ
8)以下の有沢広巳 ( 1 9 5 6 , 経済企画庁〔1 〕 9 5 7 〕の議論は, 高田亮爾〔1 9 8 9 )による要約を援用再編した ものである。高田亮爾〔1 9 8
釘6061 ページ,参照。
9)三宅順一郎〔1 9 8 8 〕1 4 5 ページ。
日本経済の二重構造と企業規模間賃金格差(上田)
げられるに至ったのには,それなりの理由がある」と, 次のように論評した。「一方では, 非近 代的領域のなかでも基底的な部分としての農村が,農地改革を出発点としてかなりの変容を遂げ たことも無視しできないが,こうした底辺部分の幾分の近代化も問題にならないほどに,頂点部 分の大企業の発展が進行し,二つの領城の対照が戦前以上に鮮明に立ち現れたということもあろ う。しかしそれだけではなく,近代的領域が非近代的領域の収奪のうえに存立し発展するという 基本的な関係を保持しながらも,一面では後者の非近代性ないし発展の遅滞が,部分的に近代的 領域自体のこれ以上の発展に対する制約となるという矛盾が生じてきたためでもある。その矛盾 とは,一方では所得格差の拡大に基づく社会的緊張の激化の可能性であり,他方では,大企業に おける技術革新の進行に対する中小企業業種の適応の遅れである。このような銀点から,二つの 領域の異質性に着目して二重構造論が展開されていると考えられる。」 1 0 )
戦後の国際環境の変化と技術革新の新たな時代に入った高度経済成長期以降,大企業と中小企 業との有機的関連の強化,規模間格差の是正などの問題をめぐって多くの議論が展開されたが,
このことは,戦前から長らく続いた「経済の二重構造の存在を前提とし,その規模格差を利用し ながら経済成長するという成長方式」
11)が , 国民経済の発展にとって阻害条件に転じたことを広
く認知させる結果をもたらした,といえるのである。
2
二重構造の格差利用による国民経済成長方式の転換一般的に,後れた中小零細企業部門の広汎な存在は,近代化された大企業部門の発展の足を引 っ張り,国民経済発展の阻害条件となるはずである。ところが日本の場合は,反対に大きい規模 格差,麗用の二極集中型 1 2 ) の産業構造を持っていたにもかかわらず,明治維新以降,世界の驚異
となるような高い経済成長を遂げ得た。その秘密はどこにあったのか。
資本主義のスクートが著しく後れた日本経済は,資本と労働の内部的胚胎を待たずに,外部か ら特定の基幹産業部門に近代産業を移植導入し,それを軸とする急速な発展を図らねばならなか った。政府主導のもと,先進国からの技術,資本の移植導入を通じて近代化された部門は,後れ た部門の近代化,編成替えを促すのではなく,むしろそれを踏み台として,自らの発展を図ると いう方法が採られた 1 3 ) 。
1 0 )川口弘〔1 9 6 幻 7 ページ。
清成忠男〔1 9 9 0 〕は,その他の論者を含めた二重構造に関する諸議論の類型化と検討批判を行った上 で,事実認識にもとづいた二重構造の特徴を整理しつつ,その解消過程を実証的に吟味している。詳し
くは,清成忠男〔 1 9 9 〕 ゜ 6895 ページ,参照。
1 1 )竹内正巳編〔1 9 6 4 ) 1 0 ページ,参照。
1 2 ) 雇用の二極集中型とは,一方に近代的大企業,他方に前近代的な労資関係に立つ小企業および家族企 業と農業が両極に対立し,この両者に雇用が集中し,中間の比重が少ないこと,をいう。竹内正巳編
〔 1 9 6 4 )10‑11 ページ,参照。
1 3 )竹内正巳編〔1 9 6 4 )1 1 ページ。
森嶋通夫〔1 9 8 4 〕は,戦前日本の成長方式を, 次のような興味深い表現で説明している。「明治維新以
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巻第2 号
農村では,少数の大地主の支配のもとに,前近代的な零細小作民が多数残存して,過剰労働力 の給源になるとともに,都市では,政府の保護を受けながら,早期に近代的資本を確立し得た大 企業の直接・間接的な支配のもとで,自生的展開をとげた多数の小零細企業群が形成され,その 間の断層が絶えず再生産されてきたのである
1 4 )
0これら大企業・中小零細企業間の関係を,労働問題の視角からチャート化を試みると(図表一
〔図表ー
1
〕経 営 家 族 主 義 封 鎖 的 労 働 市 場
`
︑
め 力
り場
締 働 ら 労
. . . . . . . .
. . . .
'か たま
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.,
...••••••
9
溜
業 れ 企 さ 大 出 の ,
.
釦
格
•••••••••••••••••••••••••••••••••••••••
9
金相対的過剰人口
第二次世界大戦前における中小企業労働問題
>
〔貨
(出所)上田達三〔
1 9 9 幻 4 2
ページ, より引用補完作成。来の代々の政府の一貫した目的は,欧米の先進国に負かされないように一流の軍備と一流の産業をもっ 強国を建設することであった。そのためには二つの方式があった。第一は日本全国を分けへだてなく一 律に近代化していく方式であり,第二は日本の産業界に代表チームをつくり,彼らを特別訓練して一流 に仕上げ,そののちにチームのスケールを拡大していく方式である。第一の方式によれば,世界に出し て恥ずかしくないような一流企業が日本に出現するまでに非常に長年月かかるが,第二の方式によれ ば,かなり短期間に日本国内に世界水準に達した「近代部門」の小さい核をつくることができる。そし てその後.この核を拡大することによって近代化を国全体に押し進めればよいのである。日本の政府 は, 日本のすべての部門がそのときの日英間の距離を幾分(たとえば十分の一だけ)縮めえたという状 態よりも, 日本のある部門はイギリスと同水準にあり,ほかの部門ははるかに遅れたままであるという 状態の方が好ましいという価値判断して,第二の方式を成長政策として採用した。その結果,政府は企 業を不公平に取り扱うようになったのであるが,優遇された企業だけでなく,冷遇された企業もまた,
この不公平な政策を支持した。〔中略〕このような国民的合意を確立することは, 儒教倫理が支配す る社会ではそれほど難しいことではなかった。選にもれた者は 分に甘んじた のである。」森嶋通夫
〔
1 9 8 4
〕認0 131ページ。また,中国の「文化大革命がたどった道は,明治維新以後に日本政府がとっ た政策のまった<逆であった。〔中略〕日本では 三差(都市と農村, 工業と農業, 精神労働と肉体労 働の差) を拡大するような方向で, 近代化を押し進めてきた結果, 少くともこれまでは日本は,技術 発展の最前線に迅速に到達することができ,このような学習効果を利用して他の部門での近代化をも推 進することができた。しかしこのような不均衡発展は日本に二重構造を定着させ,少数の国民一資本家 と労働貴族ーによって搾取される巨大な労働者階級を出現させた。中国共産党は一とくにその毛主義者 の派は一このような搾取を排除し,もろもろの 万差 を解消すべきだとした。そのことは,技術の最 先端に到達するのがどの部分でも非常に遅くなるということを意味する。〔中略〕しかし彼らはそうい う政策を選択することによって,中国の肉体労働者や農民を, 日本の下層部がとくに19155
吟三の期間 において味わわされた辛苦からまぬがれさすことを最優先事項に選んだのである。日本が近代化の強行 軍を行ったのに反し,中国は農民や労働者とともに歩んでいく息の長い 長征 の途を選んだ,といっ てよいであろう。」森嶋通夫〔19 8 4 )237238
ページ。1 4 )竹内正巳編〔1 9
糾〕1 1
ページ,参照。日本経済の二重構造と企業規模間賃金格差(上田)
1)
の通りとなろう。「 上 か ら 」 育 成 さ れ た 近 代 化 部 門 ・ 大 企 業 は , 第 一 次 大 戦 後 の 不 況 の 過 程 を 通 じ て 資 本 の 集 積 集 中 を 進 め つ つ , 「 終 身 雇 用 」 「 年 功 序 列 賃 金 」 「 経 営 家 族 主 義 」 の 日 本 型 労 使 関 係 を 形 成 す る に 至 っ た の に 対 し , 在 来 固 有 産 業 , 外 来 移 殖 産 業
1 5 ) ,
下 請 産 業1 6 )
と し て 「 下 か ら 」 自 生 的 に 発 展 し てきた中小零細企業群においては, 「相対的過剰人口」のもとで, 「低賃金」「長時間労働」が常 態化しつつ,「徒弟制・前近代的労使関係」が形成されていった。〔図表ー
2)
第二次世界大戦前における二重構造の利用による日本経済発展と中小企業 日本経済の二重構造近 代 化 部 門
大企業(資本集約的)
重 化 学 ・ 機 械 工 業 鉱山,鉄非鉄 金属, 造船 機械など
近 代 的 輸 出 向 け 中 小 企 業 軽 工 業
綿・絹織物,メリヤス,毛布,
綿紡績,製糸 クオル,レンズ,プラシ,マッ など大規模 チ,洋傘,自転車,石鹸,魔法 機械制工業 瓶人造奥珠,貝ボクンなど
低貨金, 外 貨 獲 得 技術導入,原材料・資 本財輸入のための資金
(出所)上田達三〔
1 9 8
釘5
ページ,より引用補完作成。非 近 代 化 部 門
巾小企業(労働集約的)
下 請 中 小 企 業 鉄・非鉄鋳物,鍍金 熱処理,金属機械の 祁品・
} J U
工,繊維関 迪の加工など低貨金・低コスト 景気変動のハッファー
.
内需向け中小企業*
寒天,酒など食料品,き もの.線香,靴峠袋物 家具紙製品刃物.金 物,釘,針金,鉄線など
主として日常生活 用消費財 •JIJ 役の 国内市場向け供給
(備考)*内需向中小企業には,消費財だけでなく,生産財もふくまれる。たとえば釘・針金・鉄線は,
第二次世界大戦後,下請系列化されている中小企業が多いが,この時期には,内需向中小企業に 分類するのが適切とみられる。
1 5 )
明治期以前に源を持つH
本固有の在来産業を筆者は「在来固有産業」と呼ぶ。これに対し,幕末,明治 維新以降に先進国から移植された諸産業のうち,鉄鋼,機械,綿糸紡績などのように,明治政府主導の もとに移植導入され,近代的大企業として発達したもののほかに,民間の先覚者たちの苦労の末に移植 され, 小零細企業として定着した業種が数多くあった。筆者は前者を「移植近代産業」, 後者を「外来 移植産業」と呼ぶ。菊浦重雄〔1 9
竹〕1 0 5
ページ,および揖西光速ほか編〔1 9 6
〕゜4
ページ, 参照。詳しくは,上田達三〔
1 9 9 2 a
〕第1
章,参照。1 6 )
第一次世界大戦前後, あるいはそれ以降, 近代産業に雇用されていた従業員が独立開業し, 親企業の 製品, 半製品, 部品, 加工工程などの外注下請を行う企業群を下請産業と呼ぶ。詳しくは, 上田達三〔
1 9 9 2 a )
第2
章,参照。関西大学『社会学部紀要」第
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巻第2
号中小零細企業は, 大企業の「終身雇用, 年功序列賃金」体系によって生じた「封鎖的労働市 場」から閉め出され,膨大な「労働力の溜まり場」となる。滞留した労働力の一部は分解しつつ ある農業その他零細自営業と結びつき, あるいはここから絶えざる補給を受けつつ, 「低所得・
多就業世帯の再生産」がみられる"入という実態にあったといえよう。
低賃金は,技術進歩を遅らせ,生産性,利潤率を低位に押しとどめ,資本蓄積を困難にするは ずであり,事実,中小零細企業ではそれが進行した。大企業と中小企業の両部門間には,賃金の みならず技術,生産性,利潤率の何れにも大きな格差が存在しながら,近代化部門・大企業が非 近代化部門・中小企業を駆逐することなく,両者共存のもとに,日本経済は発展過程を辿り得た のである。
このことを可能にしたメカニズムは,〔図表ー 2)のようにチャート化できよう。
中小企業は,対外的には,大企業が必要とする「技術導入,原材料・資本財輸入のための外貨 獲得」を担う「輸出向け中小企業」の役割,対内的には,「低賃金・低コスト,景気変動のバッ ファー」としての「下請中小企業」の役割,をそれぞれ担いながら,近代化部門・大企業の資本 蓄積を助け,その成長発展に寄与した。いわば,中小企業は間接的な寄与の仕方によって,日本 の産業構造高度化を裾野から支えてきたといえるが,そのために国民経済の著しい発展がもたら されたにもかかわらず,中小企業自身は低賃金,長時間労働の条件のもとで資本蓄積の条件に恵 まれず,技術,経営の近代化に相対的な後れをとらざるを得なかったのである。
こうした後れた部門の存在や国内市場の狭溢性が,日本経済成長の矛盾,阻害条件として表面 化しなかった理由としては, 「技術進歩の速度が急速でなく, 中小企業と大企業との直接的な結 びつきがそれほど要求されなかった」,「植民地ならびに中国大陸市場を求めることによって,絶 えず有利な海外市場を拡大することができた」 1 8 ) , などがあげられよう。
一国経済の健全な発展のためには,少数の企業グループが経済力を集中し,経済のあらゆる分 野を支配することは,決して好ましいことではない。規模経済の視点から中小企業を問題とする ならば,中小企業に適する多くの産業分野において,大企業と中小企業は.生産や取引の段階に 応じて公正な社会的分業関係に立つべきであり,中小企業の健全な発展は,国民経済の発展,民 生の向上にとって,不可欠の要件となるはずである。
敗戦後の経済民主化政策のもとで,経済力の集中排除,私的独占の禁止が図られてはきたが,
民間大企業の技術革新投資主導のもとに高度経済成長過程に入り,大企業の経済支配力が強まる 一方,発展途上国の追い上げ,労働力不足など,国際環境や国内労働力基盤にも大きな変化が生
じてくると,従来の二重構造のままでは大企業自身の発展を阻害するという認識が一般化し,中 小企業は産業構造上の問題として取り上げられることとなった 1 9 ) 。国民経済の一層の成長を促進
1 7 ) 三宅順一郎〔 1 9 6 4
〕17 4 ページ,参照。
1 8 )竹内正巳編〔 1 9 6 4 ) 1113 ページ,参照。
1 9 ) 竹内正巳編〔 1 9 6 4 )2 4 ページ,参照。
‑ 8 ‑
日本経済の二重構造と企業規模間賃金格差(上田)
するためには,大企業・中小企業の規模間格差を解消する必要に迫られ,中小企業の近代化が不 可欠の条件となったのである 2 0 ) 。
(図表ー 3) は,日本経済が高度経済成長過程で当面した新たな条件—,
①
世界的な規模での「技術革新」の進展
R 発展途上国の工業化進展にともなう「発展途上国との競争」の激化
⑧
「労働力不足」の進展ー一の 3 条件が相互に関連しあいながら,中小企業はさまざまな対 応に迫られたが,「中小企業政策」
Zl)のバックアップのもとに,「中小企業の合理化・近代化」,「ニ 重構造・規模格差の解消」が進展したことを示したものである。
図中の「中小企業へのインパクト・中小企業に迫られた対応の方向」を辿りつつ,近代化を促 進し得た中小企業の背後には,それに適応できずに停滞,退化する企業,業種,階層を生み,中 小企業構造の変化をもたらしたのである。
ここで見逃しえないのは,「大企業による中小企業系列化」の本格的な展開が,中小企業の近代 化を促進し,大企業・中小企業間の格差を解消する重要な要因になった,ということである 2 2 )
0〔図表ー 3
〕日本経済が高度成長過程において当面した諸条件と中小企業の対応
① 技 術 革 新
I ②発展途上国との競'!•I I ③ 労 働 力 不 足 I
( 中 小 企 業 へ の イ ン パ ク ト , r t 1 小 企 業 に 迫 ら れ た 対 応 の 方 向 )
技 術 水 準 引 上 げ : 大 企業との技術格差縮小
高 付 加 価 値 化
労働集約型から資本 集約型窟業への転換
輸出から内需へ転換
中 小 企 業 の 合 理 化 , 近 代 化 二 重 構 迫 ・ 規 模 格 差 の 解 柑 i
中 小 企 業 政 策
(出所)上田達三〔 1 9 8 釘 7 ページ,より引用補完作成。
2 0 ) 上 田 達 三 〔 1 9 8
釘7 ページ,参照。
2 1 ) 前節,および前掲注) 7 , 参照。
貨 金 の 引 上 げ 労 使 関 係 の 近 代 化
労 働 生 窟 性 向 上
2 2 ) 以 下 詳 し く は , 上 田 達 三 〔 1 9 9 2 a
〕第4 章 , お よ び 同 〔 1 9 9 2 b
〕第2 章,参照。
‑ 9'‑
関西大学「社会学部紀要」第
2 4
巻第2
号大企業相互間の競争は,高度経済成長過程に入ってますます激化したが,それは大企業を頂点 とし,傘下に下請企業を従えての競争であった。個々の大企業は競って下請関連企業群を拡充し たが,その際,中小企業の技術,経営水準の引き上げ,生産性の向上を強く要請し,それに必要 な資金的,技術的な援助も与えながら,中小企業系列化を積極的に進めた。
ここにいう「大企業による中小企業系列化」は,企業間関係を個々に捉えてみれば,戦前から 存在した下請制と本質的に変わりはない。しかし,中小企業系列化の形態,方法についてみる と,個別企業間の下請取引関係よりも一層深化した一連の体系的・縦断的な組織や,技術体系に おけるラインが意識的に形成され,系列中小企業群が頂点に立つ親企業・大企業の生産流通の不 可分の部分過程に組み入れられるという,体系的な下請分業システムの確立に向けられたところ に特徴点を見出すことができる。この時期,その成否が大企業自身の生産販売体制の拡張と競争 態勢の強化を左右するほどの重要性を持っていた,とさえいえるのである。
系列化された中小企業は,大企業との繋がりによって,国の財政や金融制度上の仕組みを有利 に利用できるようになるし,銀行の融資も得やすく,取引関係も安定して,資本蓄積の条件が生 まれる。したがって,同じ成長産業部門の内部においても,系列と非系列の中小企業の間には優 劣格差が生ずることになった。全体として,系列企業と非系列企業の格差が拡大したにもかかわ ず,系列企業集団の内部では格差を縮小させながら,これら部門を中心として高度経済成長,産 業構造高度化が実現し得たのである。
3 第 二 次 世 界 大 戦 前 に お け る 企 業 規 模 間 賃 金 格 差 の 形 成
日本経済の発展過程を振り返って,二重構造の形成と深い関わりを持つ企業規模間賃金格差 は,いつ頃発生したものであろうか。前節においては,第一次世界大戦後の不況の過程を通じ て,中小零細企業の低賃金,長時間労働,徒弟制・前近代的労使関係が形成されたとみたが,こ こで,二重構造と企業規模間賃金格差の形成をめぐる.主な論著を整理しておこう。
中村隆英 ( 1 9 8 0 ) によると,二重構造論に関する「議論」は, 1 9 5 0 年代以降,活発に行われた が,その淵源を 1 9 3 0 年代の「日本資本主義論争」に求めることができる,とし,日本農業の他産 業との相対生産性が急激に低下した 1 9 2 0 年代から 1 9 3 0 年代にかけて「二重構造」が形成された,
とみる。その論拠を要約すると,農村から流出した都市における労働力の供給超過は, 1 9 2 0 年代 の雇用が伸びなやむ不況のもとで,重化学工業(=大企業一上田)において年功賃金制,終身雇 用制,経営家族主義の「日本型」労使関係が形成される基盤となるとともに,低賃金に甘んじて 就業を求める労働力のゆくえは中小商工業,労働集約的産業となり,大企業がこれらを利用する 下請形態が生まれたのはむしろ当然であった 2 3 ) , と企業規模間賃金格差と二重構造形成のメカニ ズムを説明している。
2 3 ) 詳しくは,中村隆英〔 1 9 8
〕゜1 1 71 2 1 ページ,参照。
日本経済の二重構造と企業規模間貨金格差(上田)
森 島 通 夫 〔1984〕も,私企業部門において,企業規模間に賃金格差が進んだのは
1920
年代であ る,とみる。それ以前には,政府部門と私企業部門の間に,かなり大きい賃金格差が存在してい た2 4 )
が,私企業部門内では,極めて日本的な親方が労働供給を牛耳っていたから,皮肉にも非日 本的な規模間格差のない賃金が支配していた25)
とし,このような動きを跡づける数量的な証拠として,〔図表ー
4
〕,〔図表ー5
〕を提示している2 6 )
。まず〔図表ー
4
〕が示すように,従業員1,000
人以上の大企業の賃金=100
とした,各中小規模 企業における賃金の男女別指数からみて,大企業と小企業の間の賃金格差は,1909 (明治 4 2 )
年 よりも1914(大正 3)年 の 方 が 大 き く な っ て い る も の の , ま だ 格 差 は 非 常 に 大 き い と は い え な
い。1909 14
年頃の日本の賃金格差は,1949
年のイギリスと比べて,それほど異なっていないからである。
〔図表ー
4
〕 第二次世界大戦前における男女別,企業規模間賃金格差 ー1 9 0 9
(明治4 2 )年と 1 9 1 4(大正 3)年
〔従業員1
, 0 0 0
人以上工場の1
人あたり賃金=100とした各規模の男女別指数〕1 1 0
(指数)
1 0 0 1···•···
□一 土 男 子
1 9 0 9
(明治4 2 ) 年
70
◇ ‑‑一・◇ イギリス 1 9 1 9 (昭和 2 1 ) 年 6 0 , . . . . . . . . .
5 0
. ̲o . .
, •. c . : て
,,c,........... . .‑ ‑ ‑ ‑ , , ,
,
‑ ‑ , , , , , ,
0 ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ 0
女子1 9 0 9
(明治‑ 1 2 ) i f ‑ 0‑‑0
女子1 9 1 ‑ 1 ( 大 i E 3) 年
工場規模
5 9
人1029
人30 49
人50 99
人1 0 0' 1 9 9 ) 500999
人(出所)後掲〔付表ー
1
〕より計算作成。2 4 )森嶋通夫〔1 9 8 4
〕は,この点に関して,次のように分析解説している。「19 0 9
年には,従業員1 , 0 0 0
人以 上の私企業の男子労働者の賃金は,私企業全体の男子平均賃金の単に1 . 1 3
倍であったが,政府所有の企 業の男子労働者の賃金は,同じ平均賃金の l.4 3
倍に達していた。女子については,対応する数字はそれ ぞれ1 . 1 0
とl.2 2
であったから,女子の官営企業と私企業の賃金格差は男子のそれほど大きくないことが わかる。しかしこの種の賃金格差は当時急激に減りつつあり,1 9 1 4
年までには,男女ともに官営企業の エ員の賃金は,従業員1 , 0 0 0
人以上の私企業の賃金よりも低くなった。日本では官営企業はもともと高 賃金で出発し,利潤をあげることに失敗した結果,政府はそれらを売り払った。生きのびた官営企業の 賃金は依然として非常に高水準を保っていたが,この種の高賃金は労働者の生産性を反映しておらず,多くのエ員が武士階級の出身であるという事実や,政府の威信をしめすための試みというような経済以 外の要素により,このような結果が生じたのである。この種の賃金格差が消滅したのちしばらくして,
私企業部門内の大企業と中小企業のあいだに賃金格差が現れはじめたのである。企業への忠誠を労働者 に要求し,その代償に高賃金を支払ったのが,まず官営企業で,次に私企業であったのはきわめて自然 なことであった。」森嶋通夫〔
1 9
糾〕141143
ページ。2 5 )森嶋通夫〔1 9
糾〕1 5 6
ベージ,参照。.2 6 )
〔図表ー4
〕および〔図表ー5
〕は,森嶋通夫〔19
糾〕1 4 2
ページ第2A
表, 第2B
表の数値を筆者が グラフ化したもので,これら数値については,後掲〔付表ー1
〕,〔付表ー2
〕を参照されたい。関西大学『社会学部紀要』第
2 4
巻第2 号
しかし〔図表ー 5) によると, 1 9 3 2 (昭和 7) 年には非常に大きい賃金格差の存在が確認され る。〔図表ー 4)が従業員数による規模分類に対し,〔図表ー 5)は資本金別による規模分類であ るため,二表を比較する場合には注意が必要であるが,すでに 1932 年には,最小規模企業の賃金 は最大規模企業の賃金の 2 6 彩にしか過ぎなくなっている。このような典型的な「日本型」の賃金 格差は 1920 年頃に発生し,その後格差はますます拡大し,そのまま戦争に突入した 2 7 ) , とみてい
る 。
大企業では終身雁用制と年功序列制が採用され,社内教育が行われていたが,中小企業では労 働者を終身雇用する力がなく,企業内訓練をする余力もなかったから,企業規模間に労働生産性 の格差が発生し,それがまた賃金格差を生んだ 2 8 )
1と解している。
1929 (昭和 4) 1942 (昭和 1 7 ) 年の生産性格差の変化を従業者規模別にみた〔図表ー 6 〕の 数値に拠って,「 1930 年代はじめの不況は最初,小規模企業を襲い ( 1 9 3 0 ) , 次に大企業が被害を 受けて ( 1 9 3 1 ) , 大企業が先に立ち直った ( 1 9 3 2 ) ために, 1929 32 年の生産性格差は多少ゆれ 動いているが, 33 年には格差は大幅に拡大し, 40 年以後の準戦時体制時代になってはじめて,こ の大格差が縮小した。 1940 年代以後は企業整備の効果が表れて,生産性格差の顕著な縮小がみら れるが,当時は物価統制下にあったから,公定価格で測られた各労働者の生産性水準が,はたし て労働生産性の実水準を示していたかどうかは疑わしい。」 2 9 ) とみている。
1 0 0
(指数)
(図表ー 5 〕 第二次世界大戦前における資本金別,企業規模間賃金格差
― ・ 1 9 3 2 (昭和
7)年〔資本金 5 0 0 万円以上の工場の 1 人あたり賃金 =100 とした各規模の指数〕
8 0 I···•••···•·•·•
2 0
沢本金
O l 1 5 5 10 1020 2050 50100 100 500 1000 規模(単位:千円) 5 0 0 1 0 0 0 5 0 0 0
(出所)後掲〔付表ー
2〕より計算作成。
2 7 ) 森嶋通夫〔 1 9 8 4 )1 4 1 ページ,参照。
2 8 ) 森嶋通夫〔 1 9 8 4 )1 4 1 ぺ_ジ,参照。 。
2 9 ) 森嶋通夫〔 1 9 糾 〕 144145 ベージ。(図表ー
6〕 は ,
同書1 4 4 ページ第 3 表の数値をグラフ化したもの
で,この数値については,後掲〔付表ー
3〕を参照されたい。
日本経済の二頂構造と企業規模間賃金格差(上田)
〔図表ー
6
〕 第二次世界大戦前における企業規模間,生産性格差の推移‑1929
(昭和4)年 1942(昭和1 7 )年
〔従業員1
, 0 0 0
人以上の工場の1
人あたり粗生産高=100
とした各規模の格差指数〕. . . . . . . . . . … ・ 0 ‑ ・ ‑ ・ ‑ 0 500 999
人i p 0‑‑‑‑0 1 0 0' 1 9 9人
人 人
4 0
2 0
1 9 2 9 3 0 3 1 32 3 3 3 4 3 5 3 6 3 7 3 8 3 9 40 4 1 4 2 B f i l n 4 5 6 7 8 9 1 0 1 1 1 2 1 3 1 4 1 5 1 6 1 7
(出所)後掲〔付表ー 3〕より計算作成。
「大小企業間の賃金格差は日本経済の宿絢になってしまった。能力ある青年たちは大企業を志 望し,中小企業はおこぽれを頂戴しなければならなかった。したがって大企業は,入社時にすで に優秀な労働者を集めることができた。このことは,すでに存在した生産性格差をさらに拡大す るのに貢献した。その結果,賃金率格差が一層拡大するとともに利潤格差も拡大し,大企業は中 小企業よりも急速に資本蓄積をすることができた。大企業は最良の技術を採用するのに十分な資 本をもち,その結果生じた技術格差はさらに生産性,したがって賃金の格差の拡大をもたらし た。こうして中小企業と大企業間の賃金格差がますます大きくなるという悪循環が生じた。」
3 0 )
いずれにしても, 日本の経済学者の間では,企業規模間賃金格差が本格的に生じ,二重構造の 形成をみるに至ったのは,以上のように
1920(大正 9)
年頃以降,と考えられているのである。4 戦後復興過程における労働市場の階層的構造と企業規模間賃金格差の形成
終戦直後のインフレ昂進過程における労働力過剰
3 1 )
のもとでは,企業の賃金に比較して農業や3 0 )森嶋通夫〔1 9 8
⑭143144
ページ。このほか,尾高煽之助〔19 8 9
〕も工業全般における規模間賃金格差 は,1 9 2 0
年代の初めから1 9 3 0
年代の初頭にかけて発生した, としている。尾高煽之助〔1 9 8 9
〕認3 143 ページ,参照。3 1 )敗戦直後,軍隊が解体され復員する軍人7 6 1
万人,軍需生産の停止にともなう離職者40 0
万人(うち女子7 5
万人),海外引揚者15 0
万人,合計1 , 3 1 0
万人の屈用をつくり出す手段がないとすれば,失業者の激増 は避けられない, というのが当時の一般の予想であった。しかし現実には人々は失業するゆとりさえな かったといえる状態であり,露店商人やヤミ・ブローカーになったり,農業部門も1 9 4 7(昭和2 2 )年に
は戦前より4 0 0
万人近く多い1, 8 0 0
万人の労働力を吸収した結果,大量の人口が失業者として顕在化する関西大学「社会学部紀要」第2
4
巻第2
号商業などの自営所得が相対的に良かったために,労働力は生活面でも利点の多い農業,商業の零 細自営業へ,また工業部門でも小零細規模層へ流れる傾向をもたらし
3 2 ) ,
過剰労働力の多くはこ れら部門に吸収される結果となった。企業からの求人が石炭,繊維,駐留軍関係など一部に強かったものの,労働需要は全産業的に大きく高まらなかったからである
33¥
経済の回復につれて,求人数は次第に増大していったが,この時期の雇用は主として商業,サ ービス業などの三次産業中心であったし,製造業部門では主として中小企業分野において増加し た。国の資金供給が重点産業や大企業中心に運用された
1 9 4 7
年以降,大企業分野における生産の 回復は急速に進展した34)
が,しかし大企業は,臨時工や社外工の増加や労働時間の延長によって 生産拡大に対応し,常用雇用を増やそうとはしない傾向にあった3 5 )
。さらに,経済安定政策の実施にともなう企業の合理化推進過程,それに続く朝鮮動乱プームの 反動不況のもとでは,大企業が行った雇用調整,中小企業間に発生した倒産によって,失業者が 増大し,労働力の供給過剰が表面化した。こうした労働情勢のもとでは,中小企業の開放的な労 働市場には,新規学卒労働力,農村からの流出労働力,都市中間層からの雇用希望者などが,戦 争の結果生み出された失業者に加わって,就職の機会を求めて殺到することとなる。最も供給圧 カの強かった未熟練労働力市場では,労働者間の競争激化を招き,とくに中小企業のなかでも労 働生産性の低い企業においては,賃金水準を切下げるケースが多くみられた
3 6 )
。したがって,中学・高校卒業の新たに労働市場に参入する若年労働者は,低賃金労働者として 中小零細企業に吸収される結果となり,中小零細企業は,労働力構成において若年層の割合を高 めながら,大企業よりも平均賃金を低水準に維持できたのである
3 7 )0
1 9 5 0
年代の労働市場は,労働力過剰を背景に,需要側の要求が一方的に受け入れられる買手市 場であった。企業側は労働力を意図通り選択,使用することが可能であり,そこに二重構造の特という事態は起こらなかった。このことは, その後において, 低所得の「不完全就業者」の問題.「ニ 重構造」の問題として長く残された。中村隆英〔1
9 8
釘1 4 8
ページ,参照。3 2 )高原宜昭〔1 9
町〕1 5 7
ページ,参照。3 3 )高原宜昭〔1 9
切〕1 5 1
ページ,参照。3 4 )政府は1 9 4 7
年から「傾斜生産方式」を打ち出し,生産増大の基礎物資であり経済復興の陰路となってい た石炭・鉄鋼産業に対して,企業の設備能力に応じて資金,資材を超重点的に分配し投入した。基礎物 資の生産は国家資本の支援を支えとして1 9 4 7
年の後半から上昇に転じ,基幹産業部門を掌握する大企業 は,資金や資材の優先的配分によって,その立ち直りの基礎を固めた。そして,賠償および集中排除の 緩和,戦時補償問題の解決などを契機として,大企業,大銀行は急速にその地位を高めていった。生産 資材と資金が重要産業部門に配分され,しかも指定生産資本の割当において大企業が優位におかれたこ とは,中小企業に原料資材の入手難と資金調達難をもたらし,その立場を著しく不利なものにした。詳 しくは,上田達三〔19 9
蕊〕130131
ページ,参照。3 5 ) 1 9 5 2 (昭和2 7 )年の『労働力需給調査』では,従業員規模3 0
人未満の企業からの求人が全求人数の60
彩 強を占め,5 0 0
人以上の大企業からの求人は全体の796
に過ぎなかった。「事業所統計・1 9 5 4
年』により 全従業者に占める中小•零細規模企業の従業者の割合をみると,1 4人=28.6
彩,5 29
人=32.6 彩,この両者を合わせた29
人未満規模企業だけで60
彩を超えており,これに30 300
人未満の中規模企 業を含めると,全従業者の87 , 9 6
にも達していた。高原宜昭〔19
町〕1 5 7
ページ,参照。3 6 )中村秀一郎〔1 9 8 1 )7 5
ページ,参照。3 7 )高原宜昭〔1 9 8 7 )1 5 8
ページ,参照。日本経済の二重構造と企業規模間賃金格差(上田)
色を形成する階層的な労働市場が発生した
3 8 )
。中村隆英
(1980)
は,1950
年代における階層的な労働市場の構造を,以下のように要約してい る。「第一に大企業における,終身雇用,年功序列賃金制度のもとにある常用労働力がある。この グループは,戦後にできあがった企業別労働組合員であり, 賃金をはじめ, 賞与, 退職金, 住 宅,その他を現物給与,福利厚生施設までを含めて,相対的に高い給与をうけている。彼らは原 則として学校卒業とともに採用され,年功賃金制のもとで停年までそこに働くことを原則とし,
能力の差はあっても比較的平等な昇進を約束される。とくに50年代にあっては,初任給が低かっ たこともあって,賃金構造についての(図表ー
7( 1 ) )
に示すように,年功賃金の昇進カープは一 般に急であった。とくに54
年と58
年の比較からも知られるように,1,000
人以上の大企業では50
〔図表ー
1
〕 日本の賃金水準と構造の指標‑1950
(昭和25 )年 1975(昭和5 0 )年
(1)個人ベース初 任 給
.
男 子 (単位・1 , 0 0 0
円)中 学 卒 高 校 卒
計
I s o o
人以上30 99
人 計I s o o
人以上130 99
人1 9 5 0 (昭和2 5 )年 4 . 0 . . .
... ... ... ...1 9 5 5
(昭和30 )年 4 . 1 5 . 1 3 . 8 6 . 6 7 . 4 6 . 1 1 9 6 0
(昭和35 )年 5 . 9 6 . 4 5 . 8 8 . 2 9 . 1 8 . 0 1 9 6 5 (昭和4 0 )年 1 3 . 2 1 3 . 0 1 3 . 3 1 6 . 4 1 6 . 7 1 6 . 4 1 9 7 0 (昭和4 5 )年 2 3 . 8 2 3 . 8 2 3 . 9 2 8 . 4 2 8 . 9 2 7 . 9 1 9 7 5 (昭和5 0 )年 5 8 . 0 5 8 . 7 5 7 . 7 7 0 . 4 7 2 . 1 6 8 . 4
企業内賃金格差(製造業,男子生産労働者,
20 24
歳平均=100)1 , 0 0 0人 以 上 企 業 10 99人 の 企 業 18 120
1 9
歳2 4
歳30 140
3 4
歳5 0
歳1a I 20 I so I 40 1 9
歳2 4
歳3 4
歳5 0
歳1 9 5 4 (昭和2 9 )年* I 7 2 1 0 0 1 6 5 2 0 4 7 4 1 0 0 1 4 7 1 5 6 1 9 5 8 (昭和3 3 )年* 2 7 9 1 0 0 1 8 6 2 3 8 7 4 1 0 0 1 4 3 1 5 5 1 9 6 1
(昭和36 )年 7 8 1 0 0 1 8 2 2 3 7 7 7 1 0 0 1 3 7 1 4 7 1 9 6 4 (昭和3 9 )年 8 1 1 0 0 1 6 2 2 1 4 7 8 1 0 0 1 3 2 1 3 8 1 9 6 7 (昭和4 2 )年 8 2 1 0 0 1 5 0 2 0 6 7 6 1 0 0 1 3 4 1 3 5 1 9 7 0 (昭和4 5 )年 8 5 1 0 0 1 4 4 1 7 9 8 0 1 0 0 1 3 7 1 3 4 1 9 7 5 (昭和5 0 )
年8 6 1 0 0 1 4 2 1 5 9 8 1 1 0 0 1 3 9 1 3 2
(出所)中村隆英〔1
9 8
叩298299
ページ,より引用再編作成。原資料:労働省『戦後労働経済史」資料編および日本生産性本部『活用労働統計』。
(備考)