教授原理としての「視点」について(?) −W.ケ ーンラインの「機能目標」としての多視点性−
著者 小野 擴男
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 51
号 1
ページ 159‑170
発行年 2002‑10
その他のタイトル A Study on "Perspective" as an Instructional Principle (III) −"Multiple‑Perspective" as a Functional Objective by W. Kohnlein−
URL http://hdl.handle.net/10105/382
教授原理としての「視点」について(Ⅲ)
−W.ケーンラインの「機能目標」としての多視点性−
小 野 擴 男
奈良教育大学 学校教育講座(教育方法学)
(平成14年4月30日受理)
A Study on "Perspective" as an Instructional Principle (III)
−"Multiple-Perspective" as a Functional Objective by W. K
Ohnlein−
ONO Hiroo
(Department of School Education, Nara University of Education, Nara 630-8528, Japan ) (Received April 30, 2002)
Abstract
In this paper, as a further exploration of "Perspective" as an instructional principle, the author critically analyzed KOhnlein's discussion of multiple-perspective as a functional objective.
KOhnlein argues, with a focus on Fachdidaktik, that "multiple perspective" should be a fundamental principle of instruction in basic education. When multiple perspective as an instructional principle is studied, he stresses the need to differentiate the various proposals about today's schooling in four categories. They include the following:
1.Fulfillment of learning conditions of the day
2.Educational Challenges in the contemporary society 3.Leaning function in instructional process
4.Learning Subject as a whole
KOhnlein explores multiple perspective at the level of learning function in instructional process and points out the importance of genetic principle in lessons. It implies that when some concepts/principles are to be taught, children should experience for themselves the historical process of how those concepts/principles were discovered. Leaning from Wagenschein's study, KOhnlein names the lessons as genetic lessons based on episodes. He specifies the following three constituting principles of those lessons.
1.Leaning episodes as exemplary element
2.Constructive planning and genetic structuring of lessons 3.Open discussion and reflective thinking
Multiple perspective in instructional process has the advantage of developing open and flexible attitude among the learners toward learning objects and may integrate conflicting ways of thinking.
Bull. Nara Univ. Educ., Vol. 51, No.1(Cult. & Soc.),2002
Key Words: learning episodes, genetic structuring, open discussion
キーワード: 学習エピソード、発生的構造化、開 かれた論議
1.はじめに
本稿(1)では,「教授原理としての視点」について,
ケーンライン(W.KOhnlein)の「多視点性と自然科 学 的 思 考 の 萌 芽 」(2) と い う 論 文 を 中 心 に , 彼 の 言 う
「機 能 目 標(Funktionsziel)と し て の 多 視 点 性
(VielperspektivitAt)」とは何かを考察する.
ケーンラインは,主として事物科教授,特にその自然 科学分野を検討の対象としつつ,多視点性を基礎教育に おける基本的な教授原理として位置づける.そして多視 点性を考察する際,今日の学校教育に対してなされてい る諸提案をまず4つの次元に相対的に区別し,そのそれ ぞれの次元で多視点性という問題を考察することが重要 であるとし,(3) ケーンライン自身は,上記の論文でとり わけ「機能目標」における多視点性についての論議を深 めている.以下その所論を明らかにしておきたい.
2.教授学的なカテゴリーとしての多視点性
ケーンラインは,多視点性(VielperspektivitAt)とい うのは,事物科にとって必要不可欠の教授原理であると する.勿論その場合,教授原理というのは,個別に取り 出されて絶対化されるべきものではなく,多くの要素に よって規定された教授の枠組みの中で,またそれらの相 互作用において機能するものではあるが.例えば,子ど もや事物に即すという原理,範例原理や発生的原理といっ た他の教授原理と関連づけられながら,多視点性の原理 は,現実に対する多様な捉え方と事物科で必要とされる 内容的・方法的多様性を強調することになる.
また,多視点的思考は,教授学的に重要な多様な認識 方法や世界の見方の多元性を取り入れる.哲学的な思考 の諸契機,例えば,構造主義や構成主義あるいは現象学 といったものからの刺激を受けて現実の捉え方を深める.
また,発生的な認識論者は,世界像の構築を相互に相対 化されるとともに補完される視点の選択の中での現実の 再構成として捉えるが,そうした思考とも結びつく.
ケーンラインは,このようにそれが影響を受けた認識
(学問)論のいくつかを上げ,多視点性を基底的な教授 原理として位置づけるとともに,これまでの教授学,と りわけ事物科教授において,この多視点的原理の思考特 質とその原点を次の2点において特色づける.(4)
2.1.「開かれている」ということ
多視点性は,「開かれている(Offenheit)」という思考 と結びついてきた.つまり,大人たちを少なからず驚か せる子どもの思考や見方・考え方,問いや提案といった ことに対して開かれているということである.多視点性 は授業内容に対する取り組みにおいて,児童と教師に自 由を開くものであるといってよい.
対話の中で子どもの思考を取り上げるということは,
きわめて具体的な問題と関連づけられた「野生の思考」
を除外することなく,専門的なものを新たに共同で獲得 していこうとするものである.専門的なものは日常にとっ ては周辺的で再び剥落することになる.本源的思考は,
多数の「試行錯誤」を重ねて行為や活動との関連づけを 探りつつ,その考え方を作り出していく.理性的な観念 というのは,ピアジェやその学派が言うように,内化さ れた行為であって,それは社会的な環境に対して調節さ れ,さまざまな経験によって豊かに彩られたものである.
従って多視点的授業というのは,好奇心や自発的な理 解の仕方を常識的な学校の公準や確立した諸教科に制限 するのではなく,絶えず毒気のある観念や概念と関わり をもたせながら,問題としている事物や事象を解明しよ うとするのである.子どもを強くするということは,既 有の観念を批判的に捉え,新たな経験によってそれを修 正しつつ更に展開するという意図のもとに,子どもとと もに事物に取り組むことを意味している.子どもの好奇 心が満足させられると同時に刺激されるとき,論議や意 味についての新しい見方や可能性が開かれるとき,新し くてより好ましい能力が生み出されるとき,こうした活 動は単に未来のための準備というだけではなく,現在に おいて承認されるところの意味を獲得することになる.
このように考えると多視点的思考は,とくに対話にお いて発揮されると,ケーンラインはいう.対話は社会性 を構成するだけではなく,共通の思考(gemeinsames Denken)や認識を導く.共通の思考というのは統一的な 思考(einheitliches Denken)ではなく,提案や根拠づけ や判断の交換(Austausch)ということである.対話は まずクラスの中にある多様な文化的背景,慣れ親しんだ 生活世界の多元性,社会的及び物理的な環境の中で身に つけた経験の差異といったものを,自分自身及び他者に 対して意識化させることになる.
ク ラ ス に お け る 対 話 は,ヴ ァ ー ゲ ン シ ャ イ ン
(M.Wagenschein)やティール(S.Thiel)における発生 的 − 対 話 的 − 範 例 的 授 業(genetisch-sokratisch- exemplarischer Unterricht)(5) において明確に示された ものであるが,子どもの知力を覚醒する.それはただ表 現力を高めるということではなく,世界への接近方法 を発見させ批判的な思考の可能性を意識化させること に 役 立 つ.ヴ ァ ー ゲ ン シ ャ イ ン は こ の 過 程 を 結 晶 化
(Kristallbildung) モデルによって明示した.ソクラテ ス的な対話は新たな視野を開くのに役立つとともに,な お定義的に解かれていない問題において,子どもの能力 にかなった方法で,問いを開かれたままにしておくもの でもある.
現実の多面性を積極的に受け入れることにおいて,授 業は,一方では様々な理念や作業方法を取り込み,また
それらを束ね構造化し,文化的に形成され承認されたや り方やその前形式へと導き,現実をある定義された視点 と関連づけて学ぶ力を育てるものであるが,同時に,そ れは現実に対して開かれたものなのである.
2.2.原点としての多視点的授業
基礎学校において様々な視点から日常の解明を企てた 最初の理論的にも枠づけられた試みは,ギール等によっ て 展 開 さ れ た 多 視 点 的 授 業(Mehrperspektivischer Unterricht=MPU)(6) のカリキュラムであった.そこで の目標は,有用な社会的諸領域における行為能力を青少 年に育てることであり,多視点的授業は,そうした社会 的な活動領域に対して子どもが将来的に対処できること を目指し,そのモデル的再構成をおこなった.
ギールは教授学的な課題を次のように考える.(a)
日常現実が分節化される様々なコミュニケーションの水 準(意味のまとまり)の区分.(b)それとともに子ど もたちの経験が整理される「操作的な統合」の諸形式の 発見と体系化.その両者の解決策として授業をいわば「舞 台」とみなし,そこにおいて活動領域における日常現実 を,科学・技術的,政治・公共的,場面表現的,体験・経験 的といった4つの把握方法で再構成する.従って事象は,
通常なされるように,教科的な秩序の中に表されるので はなく,事象についての了解を生み出すことを可能とす る,参与者の分節化によって表わされる.
こうしたコンセプトに従うと,そうした分節化の水準 は以下のようなものとされる.
−再生(事物関連の強調された叙述)
−再提示(直観化,事例分析,叙述,応用)
−定式化(理由付けと実験的検証)
−統合(検証可能な一般化)
ギールの提示したMPUの人為的でラディカルな構想は,
構造主義とともにP.ローレンツェン(7)の構成主義の考 え方からヒント得ている.授業で問題としたのは,学校 的な基準に還元されるところの世界を写し取ることでは なく,それを特定の視点から今一度描き出すことによっ て,それを捉え直してみるということであった.こうし た構想がラディカルであったのは,諸教科の視点に替え て,教師の新たな学習も必要とされる思考方法が提示さ れたことである.
MPUは素朴に体験された即物的世界に対して,概念に 条件づけられた批判的距離を学校にもたせた.それが取 り組んだことは,新たなるものは,日常の繰り返しや日 常的な像に対するある種の抵抗的な活動の中で獲得され なくてはならないということであり,環境によって制約 されメディアに媒介された現実へのまなざしに対して選 択的に迫ることで,新たなる見通しを開こうとしたので ある.
MPUのコンセプトは事物そのものを取り上げるのでは
なく,注意深い計画の下に再構成されて,写真や挿話や モデルにおいて「興味深い叙述」を行うことであった.
事物はその本源的文脈から引き離され,好みの理解方法 や分節化水準に従って分解され,授業という舞台での叙 述のために新たに結びつけられた.日常への埋没からの 解放に役立つ授業の教材群をモデル的な複製(Simulacre)
と名づけた.ただ,問題としてつきまとっていたことは,
モデル的な教材群の作成に,それ故また視点の選択に,
舞台の登場人物,つまり教師と児童は関与することがで きず,実際のところも,表現者としての役割が指示され た.さらに,自己自身の感覚に従った事物との一次的で 直接的な議論から歩を進めて,自らで事象を捉えなおす
(例えば異化する)という子ども自身の意義深い活動が 奪われるという弱点をもっていたと,ケーンラインは指 摘する.
3.多視点的思考とは
MPUをいま考察することで得られるのは,事物科の概 念的な問題の解決ではなく,事物科を展開していくため の優れた手がかりであると,MPUを構想・提示したヒラー 等自身もいう.(8) 多視点的思考に対するMPUという手が かりは,今日の事物科教授に基本的に引き受けられ,そ の現実的な論議の中に位置づけられる.その際多視点性 というのは手の込んだ教授学的な概念としてではなく,
基底的な原理,つまり基礎教育に必須なものとしての事 物科を位置づけるところの原理となる,というのがケー ンラインの主張である.
基底的な原理としての多視点性についての論議を深め るためには,近年多くの論者によってなされた学校教育 への重要な提案を,事物科教授の理論構築のための諸要 素として多視点的に位置づけることが必要である,とケー ンラインはいう.その際,そうした諸提案を以下の4つ の次元において,まず相対的に区別して考察することが 重要であるとする.(9)
3.1.子どもを励まし事物を解明する学習条件
ヘンティッヒは次のことを問題とする.(1 0)子どもは最 終的にはたくましくて真に思いやりのある人間になると いうこと,事物のかしこい取り扱い方を学び,ほとんど 希望のない非合理な状況に直面しても共同への意思をも てるということ.「事物や関係を手中にするためには,
それらを理解しなくてはならない」のであり,そのため の学習条件として13の項目をあげる.
①確信をつくりだすこと.意味ある成功体験において 確信を育てる.
②時間のゆとり.時間は人間性の源泉である.
③感覚をともなう作業.子どもにとって重要な問題を 取り上げることで,教師は子どもの感覚を育てる.
④適切な学級規模.クラスの規模は教育的な基準に よって見いだされなくてはならない.学校が困難を 感じているほぼ3/4の問題は20人以下の学級規模にお いて解決できる.
⑤成長の場.学校というのは一つの経験空間である.
学校において「感覚をともなった作業」と「生活と 関連づけられる経験」が生み出されるように,学校 が漸進的に改造されなくてはならない.
⑥行動の共通の規則へと導くこと.行為の共同の規則 は何でありどんな意味があるのかが,活動によって 理解されなくてはならない.
⑦認識の共通の形式へと導くこと.学校の果たす生活 に対する準備性の最重要課題は,知識や思考がかな り の 程 度 そ こ に 含 み こ ま れ て い る「理 解 す る
(Verstehen)」ということを教えることである.「理 解」ということは,認識の特別な仕方であり,認識 されたものの基礎を知るというソクラテス的なやり 方であるといってよい.こうした認識の由来につい ての共同理解的で追体験的で検証的な報告を捨象す るとき,それはいわゆる科学となる.
⑧不平等性(Ungleichheit)とともに生きる.すべて の者にとって同一であることが問題ではなく,子ど もの可能性から推し量って,平等な機会が問題なの である.
⑨身体とともに生きる.学校は活動空間でなくてはな らない.
⑩適切なメディアの活用.手段は自己目的化されては ならない.つまり,その固有の機能を超えて排他的 強制力を発揮し,最後にわれわれの生活様式を支配 するものとなってはならない.その定義づけられた 目的によって機器を利用することで,一次的な現実 の消滅を阻止することができる.しかし,問題解決 のためにそれが利用される場合は,まずその問題自 体が理解されなくてはならないのである.
⑪子どものために大人であること.子どもたちが大人 であることの困難性を感じているのは,大人がしば しば大人の役割を引き受けていないからである.
⑫「治療主義」への抵抗.健康な子どもを強くするの であって,治療するのではない.子どもに,その欠 点がこれこれの体験に由来すると告げるとき,事実 問題から関係性の問題がみえてくる.
⑬子どもを静かにしておくこと−むしろ少な目の活動 を.必ずしも学校的ではないという代償を払っても,
子どもたちが何がしかを自分でやり得る環境を整え るということは,優れた忠告であるといってよい.
子どものそうした経験,楽しみ,「実験」を拒むと きには,反抗的で隠された不道徳な行為といった,
難しい代償が引き出される.
こうした学習条件を満たす前提としてヘンティッヒは,
学校や教師を今日のシステム化された強制から解放する ことを要求する.「かなりの程度の自己責任を教師や学校 に認めないならば,彼らが生み出そうとしている逆のも のを生み出してしまう.そしてまた人間が必要としてい るものとは逆の人間を.つまり,理性的な訓練と情動的 な抵抗,集団的な機能と個人的な政治的無関心,科学信 仰と反科学といったものの間をただ交互に行き交う適応 的な『同時代人』を.あるいは家庭菜園内での世界市民,
操作されやすい過激派,思考停止の不満分子を.」 3.2.現代社会にとって典型的な鍵的問題
クラフキーは事物科教授の構想において,現代社 会を読み解く以下の6つの鍵的問題(epochaltypishe SchlUsselprobleme)を提起した.(1 1)鍵的問題は,政治的,
道徳的に定義された現代社会の課題と関連付けられる.
それは時代と合致した陶冶概念として考察されるべきも のであり,事物科の授業において範例的・事物関連的仕 方で,つまり適切な例を手がかりとして,現代的課題へ の接近や最初の解明がなされなくてはならないとする.
①戦争と平和の問題.
②環境問題と生態系意識.
③世界の急激な人口の増加.
④社会的に作り出された不平等.
⑤新しい操作,情報,コミュニケーションメディアの 危険性と可能性.
⑥主体性,共同関係,愛と共感といったことの経験.
3.3.授業過程で生起する学習機能(機能目標)
日常的なルーティーンは,授業内容を平準化して子ど もの思考の水路をつくろうとする.ケーンラインは,授 業において教材と取り組むことで生起する子どもの基礎 的経験を機能目標(Funktionsziel)と呼ぶ.授業におけ る具体的な活動を通して子どもたちに,事物関連は利害 に導かれつつ,様々な視点から叙述可能であることを理 解させなくてはならない.ケーンライン自身,多視点性 の問題をとりわけこの授業過程のレベルで問題としてお り,次節において,この点について更に詳しく考察する.
3.4.事物科の内容的次元
子どもたちが生活している世界を知的にわがものとし,
子どもたちが体験している世界を事物に即して捉えるこ との手助けをするという事物科の基本的課題は,事物科 をその後の学校階梯での学習及び科学・哲学といった学問 と結びつける.というのも事物科はそこで分化して推し 進められる何かを始めるからである.現実を様々な仕方 で開示する諸教科の内容や視点は,我々の文化における その意味のゆえに中等教育カリキュラムにおいては決定 的な意味をもつ.
事物科というのは子どもの学習史における教科の流れ が始まる「源泉」である.複雑なテーマや問題は多視点
的な把握方法を誘発する.授業において一つの視点を開 くということは,子どもがある特定の考察方法を学ぶと いうことである.多視点性というのは,学問性の反対概 念ではなく,思考の狭窄に対してのそれである.
事物科においても,対象の選択や叙述のし方を決定す ることにおいて,また具体的な学習状況において,専門 化された次元が出現する.しかしそうした「専門化」は,
一つの全体に対する,互いに関係し合っているものに対 するただ違った見方であり,一つの全体と切り離すこと はできない.
事物科の諸次元は内容分析にとって焦点的な機能をも つ.それは思考の方向性を特色づけ,観念や概念の構築 にとって基本的なものであるからである.しかし常に一 方での子どもの側の前提や関心及びその可能性と他方で の教育学的な意図とが,どの次元においても共通に出会 う基準点となる.こうした関係を示す二重の示し方が次 のように表わされる.
子どもと郷土:生活世界の次元 子どもと歴史:歴史的な次元 子どもと風土:地理学的な次元 子どもと経済:経済学的次元 子どもと社会環境:社会的次元
子どもと物理的世界:物理学及び化学的次元 子どもと建設された世界:技術的な次元 子どもと生き物の世界:生物学的な次元 子どもと環境:生態学的な次元
様々な次元は密接に関連し合っている.事物科の学習 領域やテーマは,そうした諸次元を様々に融合して一つ の統一を作り出している.事物科は関係の多様性の中で,
全体性の知覚(Wahrnehmung des Ganzen)が目指され ている.そのことは,区別することと関係性を認識する ことの同時性を意味しているのである.
4.授業過程における多視点性
授業における子どもの学習過程の評価基準は子どもと 関連づけられ,子どもの知的及び社会的な可能性と必要 性において設定されなくてはならない.そのためには,
次のことを検討する必要があるとケーンラインはいう.(1 2)
①今日の子どもが育っている社会・文化の変化を考慮 し つつ,子どもの知的発達とその人間学に関する研 究から学ぶこと(=学習能力と学習援助). ②また,どんな条件が理解の要求と結びついていて,
どんな仮説に従おうとしているのかの分析(=理解 のための条件).
③そして最終的に授業を構造化するためにどんな点に 特に注意を向けているのか(=開かれていることと 構造化).
それぞれについてケーンラインは以下のように論述す る.(13)
4.1.学習能力と学習援助
学習過程の主たる動因は,標準的な年齢段階における 子どもの知的構造,生活環境と関連づけられて思考に反 映する経験領域,感情や価値づけと深く結びついている 学習動機である.自然科学的思考にとって決定的なのは,
子どもの論理特性である.とりわけ,事物や他者との接 触において共同的に論理的な思考を展開し,応用可能な 観念を獲得するという,子どものもつ可能性である.そ の際,特に二つのことに注目する必要があるとケーンラ インはいう.
ひとつは,早くから子どもに出現し多面的な注意を呼 び起こす,ものそれ自体に対する好奇心である.探察,
試行,問いかけ,思考の成長によって,子どもは「世界 の中に入り込む」可能性を発見する.社会の中に自らの 空間を作り出す.家族や学校や仲間集団における議論の 中に入り込んでいく.子どもの情動的な性向や欲求にか なった授業は,こうした前進的な関心を最初から取り上 げ,子どもたちの探察を支え彼等に新しい刺激を与える.
もう一つは,クラスの仲間や教師との論争的な対話
(授業対話)を通して生み出される共同性である.そう した授業対話は十分開かれたものであって,様々な認知 水準や異なる経験をもった子どもたちが参加できるもの でなくてはならない.そこでは,私が見出したものが他 者とのコミュニケーションや事物そのものを見直すこと において,確かめられたり修正されたりする.社会的な 交換と活動を通しての検証,継続的な矛盾の克服および 経験の構造化において,観念や論理的思考が発達する.
学校というのは,学習能力が継続的な要求によって促 進され学習援助によって強化・拡大される場である.そう した学習援助というのは,次のようなものである.
−承認されることから生まれる動機づけの援助.内的な 動機がつくり出されるのは,達成感を持たせ,学校の作 業に際し,グループや家庭で承認されるということであ る.学習の動機づけは社会的な基礎づけを必要とする.
−自分で経験することの可能性.それは一方では,対話 的なコミュニケーションにおいて生ずる。そこでは,子ど もが自分の思いや問いをことばで表現し解説する.他方 それは,より直接的な活動において生ずる.学校は,自 分の思考を展開しそれを検証しつつ,個性的で共同的な 認識獲得の可能性を体験できる活動空間とならなくては ならない.
−新しい視界を開く.学校においては,教科という視点 に従って固有の能力が発達させられるが,青少年にとっ て問題であることは,自然科学や技術的な思考の多くの 領域について,事物科が対応する契機をつくり出してい ないために,子どもの自然な関心を強化せず,もっと悪
い場合にはそれを閉ざしたままであるということ.最近 の研究の示すところによれば,基礎学校の初期的な授業 は,対応する概念的な能力形成に対して非常に大きな意 味をもっているということである.
4.2.理解のための条件
事物科における理解というのは,学問的な教科の意味 での理解ではない.後者は,当該科学の原理や視点に 従って,事物を思考的・理論的に再構成するものであり,
学問に方向づけられた授業における学習においてはじめ て認識されるものである.
事物科における理解というのは,類似するものの発見 や検出,観念やコンセプトに現れる知的な構想の産出と いった心理的な行為である.それは次のような過程であ るといってよい。調和的な関係の構築,新しいものと既に 知っているものとの結合,自己の認知的な構造への組み 込み.その際,「認識」「秩序」「知」「意味付与」といっ た注釈がなされる.
こうした理解は,事象を調べたり問題を解いたりする ことで生まれてくる.そうした事象や問題というのは,
子どもたちに時間的にも空間的にも既に開かれた活動で あり,彼らの生活世界の経験と直接結びついたものであ る.授業で選ばれた例に対して,日常的な経験や生活世 界の十分な予備知識を欠いていては,探求的な学習は始 まらない.理解の過程は,状況として与えられているも のや先立つ経験や観念と関連づけられ,場合によっては 強く情動を突き動かす事物に対しての知覚や実感を求め る.範例的授業においては,それは「乗り込み(Einstieg)」 の局面において生起する.事物の提示と問題の把握は,
既有知識との相互作用において子どもにある見方を呼び 起こす.
子どもがいつももっている前概念というのは,現実に 関してそこから期待が導き出される一群の(正しいある いは正しくない)観念や説明モデルである.そこに我々 は概念形成のための契機や資源を見て取らなければなら ない.そうした前概念は人間の場合おそらく自分で改良 することが目指される.それらは成長やネットワーク化 を通じて,また学習過程を経て変化していく.それゆえ 事物科における理解というのは,事物,科学,言語とい う3つの契機の相互関連のなかで豊かにされる.科学を 理解するという契機は,そこから課題が生まれてくる意 味ある具体的活動の設定,及びそこにおいて仮説に導か れ事実に即した問題解決過程を必要とする.
教授によって励まされ支えられながら,具体的な問題 解決を超えて子どもたちは,一連の新たなる認識や解釈 によって,より広範な関係を打ち立てより幅のある概念 を構築し始める.現実において十分確かめられ分化して いる概念ないし知的モデルは,次にはそれを手がかりに 新たな事態を思考上で検討する.こうした思考における
構成が理解という概念で捉えられるのである.
4.3.開かれていることと構造化
自然科学的な思考の契機がスムーズに展開していくた めには,社会的雰囲気や支配的規範と結びついた授業の 指導法に注意を向けなくてはならない.学習の喜びや自 己学習能力の発展は,学級によって違いがみられるので ある.つまり,「理解を促すことを目指し,効果的な授 業指導と教科ごとの個々の生徒への援助がある,明確に 構造化された内容豊かな授業によって」,より長期的な 動機づけと肯定的な達成への道が開かれるということで ある.そうした研究の一致した見解は,生じうる目標の 葛藤(例えば,子どもへの方向付けか科学へのそれかと いった)は,適切な授業指導によって克服し得るという ことである.シュラーダー等は,「認知と情動の目標基 準の間に広く見て統一不可能という見方は当たらない」
という.目標基準はむしろ直接教授の意味での教師によ る統制された授業において達成される.そうした授業は,
学習への情動や動機づけを否定してしまうものではない という.(14)
以上のような見解と共に,以下の点を授業の構造化の 更なる指標として位置づけておかなくてはならない.
−専門科学を背景として問題となる事象の例示的な一貫 性ある選択(事物の分析),及び適切な科学的叙述を偽 造しない仕方での単純化(教授学的還元).子どもの学 習能力や思考や理解の発達のために教授者として貢献し ようとするのなら,一方で問題とした内容を授業の適切 な関連において概観するとともに,他方において学習者 の想定し得る困難性を予測・考察できなくてはならない.
−開かれたものとしての授業単元計画とその実施.準備 においては,何を子どもたちに学び取らせるかという最 も重要な事柄は,その可能な構造的な関連,教授的な処 理の可能性,媒体の用い方といったことにおいて構想さ れなくてはならない.同時に計画には,いくつかのバリ エーションや選択があり,状況に応じた子どもの側から の自発的な働きかけによって,生きた活動が展開される こと.
−活動と活動形式の構築.活動というのは思考と行為の 結合と関わっている.探索的な活動において子どもは固 有の思考を追跡し検証する.活動形式として重要なのは,
(実験的な)問題解決方法である.それは創造的な思い つきと批判的な検証,探究とコミュニケーションとが組 み合わさったものであり,事象構造の中で探索や理解を 促すという目的のもと,一つの「操作的解釈」を行うこ とである.
−直観による援助,思考モデル,図式.これらはその秩 序づけ機能によって観念や概念の構築に役立つ.エブ リ(15)は意味関連図や図による提示が概念の構築及び関係 理解のための構造的な援助として機能することを明らか
にした.
−言語理解と事物に即した思考との相互作用.ヴァーゲ ンシャインは自然科学そのものと関連した内容の言語的 な加工のレベルを区別した.それによれば,最初は,解 を考える際の自由なお喋り.次いで認識されたことの定 式化.最後に書き言葉による定式化ということである.
5.子どもと共に思考し活動すること−授業例の分析−
豊かな学習を成立させる条件が上述のものであるとし て,多視点性という思考が実際の授業展開においてどの ように捉えられ,どのような意味をもつことになるので あろうか.ケーンラインは,そのことを次のように述べ る.(16)
多視点性が授業で生ずるのは,対象のさまざまな捉え 方や強調が,教師のゆさぶりとして意味をもち,また子 どもの活動として容認され支持される時である.多視点 性と理解とは相互促進的に結びつく.その際,授業テー マとして示される対象に向けての学習には,意図的に社 会的学習が結びつけられる.社会的学習は事象に共同で 関わることにおいて,行動規範の教育とも深く結びつく.
事物・事象の理解と社会的で倫理的な見識が教育上必 要な契機として多面的に導き入れられ支持される,そう した授業の条件や可能性を教師は問題としなくてはなら ない.そのためには,子どもが彼らの資質の拡大を体験 する教師と子どもの交わりがつくりだされなくてはなら ない.教師と子どもが探求やものづくりや人間関係の解 明に対して共に関心を寄せることで,両者の活動上の結 びつきが成立する.授業における多視点性への注目は,
事象の理解という問題だけではなく,社会的学習を積極 的に促すものともなるというのである.
ケーンラインは多視点性を促す授業として,次のよう な事例を取り上げ分析する.(17)
5.1.煉瓦にはどの程度空気が含まれているか 四年生の教師が個体の体積を比較して測定させようと した.(18) まず,煉瓦を大きさに従って並べさせた.いく つかの煉瓦はそのままでは大きさを区別できなかった.グ ループでの話し合いの後,多くの子どもは石の重さを量 ることを提案した.他の者は石の周りを測ろうと主張し た.最後に水を張ったビーカーに石を入れるという提案 が行われた.
重要なことはまず,問題に対するさまざまな捉え方を 子どもが行ったということである.対話とちょっとした 試みによって,こうした方法の適切さが明らかにされた.
同じ大きさでも軽い石と重い石があり得る.煉瓦の体積 をどう量るか.三番目の方法の前提となっている体積の 不変性と加法性が何人かの子どもには難しかった.しか し,この測定方法を理解させることは重要である.
測定をしていて突然二人の子どもが気づいたことは,
天候の影響で,煉瓦から気泡が出てきたことである.「信 じられない.石の中に空気があるなんて.」
こうした「発見」はその他の子どもの関心もひいて,
授業に全く新しい視点を与えることになった.「煉瓦には どの程度の空気が含まれているのか」「どうやってそれ を測定できるのだろう.」子どもたちの高度な動機づけ によってやり遂げられる,測定方法の確立と有効性を苦 労して考察することになった.今や測定の練習でも測定 方法の活用のための測定でもなく,子どもたちが直面し た問題が測定それ自体を必要としたのである.
そうした成果が生み出されたのは,授業の実際的な展 開過程においてテーマに関しての視点の転換に対して,
教師が開かれていたからである.それはまた子どもたち 一人ひとりに対する教師の視点の転換であり,そこでは,
学習対象としての事物・事象の問題とともに,子どもか ら出発して教えることが問題となっている.こうした原 理に従うことで,子ども自身が新たな問題を提示し,そ の解決方法を見出したのである.子どもたちが問題を発 見し解くことになったのである.
「子どもたちがここで示した熱心な学習への参加と忍耐 強さは,こうした原理の確かさを実践的に示している.」
「物理学をわれわれのテーマによってのみ学習させ得る という誤りに陥ってはならない.」多視点性というのは,
子どもにとって最も興味があり有益であるものを可能な 視点において見出すということを意味している.
5.2.船はなぜ浮くのか
真実とされ新しいケースに対する予想を可能とする一 つの因果的解釈は,教師の視点からすると,自然の法則
(科学の法則や理論)の日常的具体ケースへの適用とな る.このことはまた,物理的現象のアニミスティックで 随意的な捉え方から因果的なそれへと転換した四年生へ の暗黙の期待と対応している.こうした視点の転換はま ず子どもたちの好奇心の新たな形式を可能にする.ある 事柄が何故そうであり,どのようにそうであり,何故い つもそうなのかを知ろうとする背後には,「探求的」努 力への一般的な動因が存在している.
ティール先生は,発生的−対話的−範例的な授業方法 に従った.(19) 彼は子どもの前概念を鉄の船の例に向けさ せて,既有の観念を基とした説明を発表させ,それら一 つひとつが概念の要素であることを,子ども自身によっ て検証させるようにした.こうした検証は,リラックス した雰囲気の中で,開かれた,全員参加の,詳細にまで 入り込んだ,時間を気にしない対話の中で生ずる.教師 が意識していることは,不適切な観念の改造と新しい観 念の構築は,慎重に検証された個々の認識によって一歩 一歩形成することができるということである.
最初優勢な意見は,空気が決定的意味をもつというも
のである.空気は,ものを軽くしたり支えることを可能 にするものとして捉えられる.空気は水の上にあり,そ れが取り巻いているものを決して下に押しやらないとい うのである.
シュテファン:お風呂で小舟を浮かせたことがありま す.その小舟に水を入れたら沈みました.だから空 気が船を浮かせています.その船が100トンであった としても,空気がそれよりもずーっと強いから浮か せることができるのです.
マティアス:船には空気があって,空気は下には行か ないのです.
ベルンハルト:木もおそらく浮きます.・・・空気が その中に入っているからです.空気はどこにも行け なくて,木の中の空気と木を取り巻いている空気が 取り囲んで浮かせるのです.
ベルンハルト:空気は船の上にあります.船はくぼみ を押しつけ,水はいつも平らです.何かのはずみで 船に穴があいたら,水が中に入って,空気が外に出 ていきます.平らな水が中に入り込んできて,船は 沈みます.重くなって浮いていられないのです.
3時間目に船が耐えなくてはならない水の圧力が問題 となった.穴があくと水が入り込み,船を支えていた空 気を押し出す.それで明らかになることは,水の圧力は 上向きに働くということ.
ロビー:船の中は木の壁,鉄は外側をくるんでいるだ け.とても強くて,水の圧力に耐えて浮かんでいる のです.
長い対話,さまざまな思考と試みの後,授業の終了間 際に,「入れ替え」という考え方から解放される思考の 余地を子どもたちは得た.しかし,新しい思考方法は子 どもたちにとって全く疎遠なものではなく,古い理論の 中にそれと並立する形で存在している.それは既に1時 間目の授業にも表れている.
トマス:船は水を押しのける.例えば大海では船は水 を押しのけている.水が船を下から押し上げている.
ウーベ:船は,大量の水をどこかにやってはしまわな いが,水を傍らに押しやる.空気のように押され放 しになるのではなく,船を再び押し上げるので,船 は沈まない.
ベルナー:小石を水に投げ込むと,ほんの僅かな水し か押しのけないので,それは浮かない.余り小さく て重いものは,浮かない.
ロビー:船が浮くのは,おそらく,それが水を押しの けて軽くなって浮き始める.船が水を押しのければ 押しのけるほど,それだけ良く浮く.船の重さに比 例して,押しのける水の量は増えると思います.
船が水を押しやるという示唆とともに,現象に対する 新しい見方が開かれる.空気が支えるのではなく,水が
船に対して圧力,つまり力を行使する.この力は重力と 逆向きである.事象がいわば水の視点から捉えられ,「浮 力」という概念に対する思考の契機が形成される.
4時間目には子どもたちは次のような思考を追究する.
船を水から取り出し水が再びその空間を占めたとき,何 が生じているのだろう.
教師:再び船がなくなったと考えてみよう.
ベルンハルト:水は船が入り込んでいた分だけ高くな る,船がつくっていた窪みに水が入り込む.器に入っ ているヨーグルトに穴をあけた時のように.下から 突き上げられているから船は,穴があいていないな ら,下へは行かない.穴があいている場合は,水が 船に大量に流れ込んで,船は沈む.船は水でいっぱ いになり,水よりも重くなって沈んでしまう.
ロビー:水を押さえつけなければ,水は水の上に浮か ぶ.水と水は同じ重さです.ペニー硬貨は水より重 いから沈むし,木は水より軽いから浮かぶ.軽けれ ば軽いほど,水から高く浮く.
ベルンハルト:船が浮かんでいるときは,それは水と 同じぐらいの重さ.水より重いと沈む.
ニコライ:そこに海底があり,海面があって船が浮か んでいるとき,その深さは問題ではないが,船の重 さが10トンの時には,少なくともそれは10トンの水 を押しのけて,船は浮かぶ.
マティアス:ここが海底で,ここが海面でこれが船と して,船はその重さと同じだけの水を押しのけなく てはならない.船が軽いほど良く浮く.より重い場 合は沈まないように注意する必要がある.船の空気 はそこに多くの空間を作り,多くの水を押しのける ことができる.
水と船が互いに押し合っているということと,水の中 で水は浮いているという,二つの思考によって子どもた ちは確固たる説明を可能にする思考モデルをつくりだす.
空気は今や活躍せず,場の保持者,体積の大きさである.
ただ,新しい視点はまだもろいものである.模索として 新しい事態への適応に成功する.
マティアス:しかし,船が全く海底に近いとき,例え ば,2センチの時でも浮いているといえるのか.
マルティン:それは浮いていると思うよ.それはある 水の量を少しでも動かさなくてはならない.船があ ることによって,動かされた水の量が問題なんだ.
ニコライ:動かされた水は下に行くのではなく,船と 同じ重さであり,おそらくはもう少し軽い.
ベルンハルト:この水の量が船にあって,船は水と同 じ値.
5時間目に教師はなお揺れる見解を確かなものとしよ うとして,二つの難しい問題とともに子どもと対決した.
(1)紐でつるして水につけた石の見かけの重さは,何
によるものか.たとえば石を浸けた深さ.
(2)容器にぴったりとくっついている表面が平らで磨 かれた木片は,そこに水を注いでも直ちには浮かんでこ ない.
ベルンハルト:下まで多くの水があって,より押され ている.上にも水はあるが少し少ない.
ゲオルク:もっと厚い木版で考えてみればよく分かる.
木版の真上にある水,それは木版を容器の底まで押 しつけている.更に多くの水があり,上にも押しつ けている.それでしばらくして浮き上がる.
みんな:わかったぞ!
ロビー:違いがあるんだ,それが石を軽くしている.
上からも押さえつけている.下の方に押さえつけて いて,上にやる力よりも強い.
水に浸かっている物体には,上からの力と下からの力 の差が問題となることが認識されたのである.
5.3.影絵のプロジェクト授業
小さな穴を通して暗い部屋の中に入ってくる光束やプ ロジェクターからの光を見たりすると空気中で光はまっ すぐ進むと考える.「光束」という概念と直線という概 念とを結びつけることにおいて影と半影の成立が理解さ れる.
光と影の関係を検討するとともに影絵遊びを行おうと したプロジェクト授業において,必然的に多視点的な捉 え方が設定された.自然現象に対する物理学(光学)的 な視点と表現のための舞台構成や上演の準備とが並立す る.(20) 後者においては,光や色彩の美的な感覚と舞台と 光の効果に関する技術的な問題把握とがある.物理学的 な視点とそうした意図とを共に認識するために,芸術的 に構成された「影絵の劇場」プロジェクトが考案される.
劇場というのは多視点的な把握を可能とする古典的な場 である.
女子学生が4年生の子どもたちと「影絵のプロジェク ト」を展開した.最初は感覚的な印象づけとパントマイ ムによるなぞなぞ遊び.体の諸部分を影として映し出し 像を創り出すことが行われた.試行錯誤を通して子ども たちは投影の幾何学的条件(影の鮮明度や大きさ)を経 験する.
計画した授業の成否は,それがうまく批判的・検証的 思考をもたらしているかによって判断される.授業とい うのは今日,そうしたことが学習され訓練される唯一の 場となっているといってよい.
検証的な対話例は,影とはいったい何であるかの問い から生じている.
ビュエールン:光があるところでは,影は自動的に生 じます.太陽の場合がそうです.それは一方の側か ら照りつけ,他方の側に影が生じます.
フェンヤ:クリスティーン,この上にも影があるよ
(手をかざして机の端にできた影を指さして). 教師:なるほど.
マティアス:こういうことだと思います.ここに手が あると,光がきてそれを照らすのですが,突き抜け ることはできないのです.それでその部分が暗くな るのです.
教師:なるほど.みなさん,マティアスの言ったこと を聞きましたか?光,どうしたって,もう一度くわ しく言ってみて
マティアス:その上を照らした光は,この下には来な いのです.
マティアス:手の下.そこには手の輪郭があります.
そこは黒くなっています.
アレックス:それはちょうどダムの壁みたいです.水 がそこで止まって,突き抜けられないのです.光は ちょうど水の壁に対するようにその上を照らします.
そこを通過することはできないのです.
ホルガー:でも,影が突き抜けている.
アレックス:それは光なんかじゃない.影は光ではな い.それは穴みたいなものです.
教師:みんなは賛成しますか?
アレックス:光の穴.
教師:他の人も影は光の穴と考えますか.
ホルガー:そうとも言える.
教師:その間,指と指の間は?(手の影を指しながら)
アレックス:光は指の間を通っています.ダムの場合,
左右が開けられたら,そこから水が流れ出します.
現象を説明するために,子どもたちは非常にすばやく 比較することを取り入れる.ダムであるとか光の穴とか.
全ての子どもはこうした論述についてくることができた,
といえる.
観念の形成に役立つ更なる可能性は,図,つまり図像 を用いて作業することである.
「図を用いての解説に関して,女子が困難を感じている.
彼女らは影に色を付けたがる.それに対して男の子たち には,物理的な視点をよく表している.特にアレックス は極めて印象的な鳥瞰図を描いた.影の映る壁の近くに 立っている人の影は小さく,光源の近くの人影は大きく 描いた.その場合絵は本質的なことに集中していて,な おかつ事象の関連を明確に表している.アレックスは図 によって二つの文章を描いたのである.こうした絵を描 くという包括的な行為は特に重要な意味をもっている.
というのも,アレックスが動機づけや集中力を欠く子ど もであったからである.彼の絵が芸術的な観点からでは なく,技術的・物理学的叙述から評価されるということ は彼にとって全く新たな経験であった.」(授業者のコメ ント)芸術的な視点とともに技術的・物理学的な視点が 入り込んだのである.学問領域を越えた結びつきと把握