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こぺる No.027(1995)

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b日(毎月1図25日発行)ISSN凹19-4剖3

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NO. 27

部落のいまを考える⑩ 部落問題の現実についての点描

晃介

新しい差別論のための読書案内⑤ 『ある紅衛兵の告白』 (上 ・下) 灘本昌久 第22回 『こぺる』合評会から こべる刊行会

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部落のいまを考え る ⑬

部落問題の現実についての点描

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名状しがたい幻滅感 最近の私は、啓発の講師などを依頼されると、グ人間 は差別する存在であるということを認める μ ところから 議論を組み立て直そうではないかと提案して、会場に 少々波風をたてるところから話をはじめることが多い。 そして、その提案については何も訂正の要を感じないの だが、しかし、それにしても人びとの差別意識は、いつ、 どのような表出過程をたどるか、まったく知れたもので はない。差別しないではいられない人間の都合、そうし た都合のありようというものについて私の想像力はどん どん拡がっていくのだが、その思いの視線がいつも単純 な一方向性を保つとは限らない。 色川大吉さんといえば、民衆史家として誰もが知って いる存在で、その知り方も親身に敬愛の念を懐きつつ知 るという、そんな研究者であると、少なくとも私はこれ まで理解してきた。実際、色川さんの本を私もかなり沢 山読んで、氏の民衆︵とりわけ底辺民衆とよばれる存 在︶へのまなざしの温かさと深さにつよい感銘と同意を 感じることの方が多かった。自ら共同研究﹁不知火海総 合調査﹂を主宰して、その成果を﹃水俣の啓示﹄上下 ︵筑摩書房、一九八三︶として上梓した時など、新聞記 者をしていた当時の私は取材に氏のもとにとんで行った こベる 1

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も の だ っ た 。 たとえば、氏は﹃水俣の啓示﹄上巻の総論の中に、次 のような文言を書き記していた。﹁不知火海の人々は多 く律儀で礼節厚く、魂の魅力にあふれでいた。その感動 が調査団員の心を年ごとに深くひたして、それぞれの学 問の根底を洗い直してくれた。それが私たちにとっても っとも大きな収穫であったように思う﹂||。神仏に願 かけて招きょせた使者たち︵調査団員︶への被調査者 ︵水俣病の患者さん︶たちの大変な決意︵そのような使 者たちが来てくれるのなら死をも覚倍して悔いることな し、というような決意︶を、色川さんら研究者はひしひ しと肌身に感じ、そのような感覚によって自分たちの学 者としての生命を洗いなおす幸運を得ていた事実を、こ の色川さんの叙述の中によく見てとることができるので あった。そのような中で、色川さんも水俣における﹁差 別の無限の連鎖﹂を見届けていたように私などは受けと め て い た 。 ﹃水俣の啓示﹂が出版されて十二年が経過した今年、 色川さんが部落問題にかかわる差別助長的な発言をした という話を知った。時と場所はこの一月二十七日、長崎 で聞かれた日教組教研の、その記念講演において。私の 手元に、日教組人権教育推進委員会の委員長と副委員長 との連名になる﹁日教組第四四次教育研究全国集会記念 講演に関する見解﹂と題する資料がある。そこに紹介さ れている色川さんの講演内容をそのまま次に引用する。 つまり日本社会が戦後五十年、何を築き上げてき たかという時に①この部落解放同盟の広島研究集会 は、形で今申し上げたような姿を見せている。決し てマイカーを持つことが悪いとか賛沢だとか言うの ではありません。かつて戦前の日本社会が最底辺に していたような人々が、今ではその下に二重底にな っていて、その上げ底の上に被差別民として存在し ているというその事実認識なくして、日本における 差別の問題の解消とか、今後への課題というのはな いのではないかということを申し上げたいのであり ま す 。 まあ、今日は、学校の先生方でありますから、ラ フな恰好をしている人もおられれば、キチンとした 恰好をしておられる人々もおられる、観光客みたい

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い ろ い ろ で あ り ま す が 、 一 そ し て そ ういう緊張感はありませんが、②解放同盟の集会で すと、まかり間違えば躍りかかってきて刺されると な 人 も お ら れ る 、 いうような、あそこは山口組とかさなっております ので、そういう迫力がございました。今日は迫力が ないというのではありません︵傍線 H 日 教 組 ︶ 。 日教組の資料は、上記講演部分をカコミ記事として掲 げ、続けて﹁と言う部分は、事実誤認と差別を拡大する 恐れがありますので、ここで文書でもって、参加者全員 にその問題点を提起し、講師の誤りをとりあえず修正し ようとするものです﹂と記し、①の集会は広島県部落解 放県政樹立研究集会であって部落解放同盟の集会ではな いことを明らかにし、②についてはこの種の集会や部落 解放同盟の集会で﹁躍りかかってきで刺される﹂という ような出来事は過去にもなく、また広島県の部落解放同 盟が﹁山口組と重なっている﹂という事実もないと記し、 講師も誤りと説明の不十分さを認めているので日教組も 修正することにした、と記述していた。 資料を提供してくれたジャーナリストによると、この 問題は当面日教組があずかる形をとったそうだが、教研 参加者に配付されたこの資料に肝心の色川さんのコメン トがまったく含まれていないのは解せないことである。 発言者が色川さんであることははっきりしており、まし て色川さんは日教組に対して﹁誤りと説明不十分﹂を認 めているのだから、日教組ではなく色川さん自身が見解 を直ちに表明すべきであったはずであり、色川さんの発 言を日教組があずかり、ましてや﹁修正﹂するのは筋違 い だ と 言 わ ざ る を え な い 。 色川さんの記念講演は、いわば日本社会の戦後五十年 を総括するものであったようであり、資料に引用された 発言部分だけでは色川さんの真意を明確に把握すること はできないのだが、ただし、この部分だけに限定して色 川さんの発想を酪酌すれば、その論理それ自体は私の理 解の範囲内に収まる。つまり、おそらくは高度経済成長 期を経過しての日本社会のありょう、さらには東西冷戦 構造の変容や社会主義世界の敗退といった国内的、国際 的な状況変動のなかでの反体制運動や民衆運動の微温的 でヌエ的な退行をどう一えるべきか、そのあたりに色川 さんの講演の趣旨があったのではないか、と想像できる。 こぺる 3

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ただし、これは講演を聞いてもいない私の純然たる想像 でしかないのだが、たぶん、それほど的外れでもないよ うな気がする。そのような文脈の中で、おそらく色川さ んは日教組の教育労働運動の変質、あるいは組織成員の 思想的類廃を指摘

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たかったのだろうと推察される。 そして、色川さんは同じコンテクストにおいて、部落 解放運動に対してもなにか割り切れない思いをもち、し かし、その割り切れない思いの吐露の過程において、い わば﹁部落︵民︶はこわい﹂的なありきたりで通俗的な 差別意識によりかかってしまったのではあるまいか。い うなれば、日本の民衆運動の変質に対する悲憤懐慨・叱 陀激励が裏返しの表現形式として表出されたように思わ れ る 。 部落解放運動に対する割り切れない思い、という色川 さんの問題感覚には私も共鳴するところがある。かつて の部落解放運動はまことに緊張感にみちあふれでいたの に、現在のそれは戦後同和行政の一定の進捗などによっ て緊張感を喪失し、しかも場合によっては、かつての最 底辺が二重底形態になって、その上げ底部分にかつての 最底辺︵被差別部落民衆︶が存在していることに運動の 主体さえもが無自覚になっているのではないか||、色 川さんはおそらくそう言いたかったのではないかと思わ れるのであって、その限りにおいて、この発言は、運動 体にとっては面白くなくとも、それなりの説得性をもっ ていたということができるだろう。 しかし、それにしても、部落解放運動がかつてはもち、 今は喪失している緊張感を指摘するに際して、なぜ﹁ま かり間違えば躍りかかってきて刺される﹂とか﹁あそこ ︵解放同盟︶は山口組と重なっている﹂という発言にな るのか、そこが問題なのだ。﹁そこが問題なのだ﹂と言 われでも、色川さん自身は目をシロクロさせるだけだろ う。なぜなら、色川さんの想念からすれば、この発言は 会場から笑いをとるためのジョークでしかなく、部落 ︵民︶を差別する意図も侮蔑の意思もなかったはずだか ら。しかし、それがまさに差別意識の差別意識たる所以 なのだとは言いうる。そうした差別意識を保有すること は、実のところ、誰にでもあることであり、民衆史の権 威であるとかないとかとは無関係である。ただし論理の 説得性を社会的な差別意識への安易な先れ掛かりによっ て担保させるやり方は実に安直であって独創性もない。

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日教組ではこの色川発言を﹁修正﹂し、色川さんも ﹁修正﹂に応じるということだが、一体、何をどのよう にして﹁修正﹂するのだろうか。単純な事実誤認はいく らでも修正できるだろうが、人間意識を、あたかもゲラ 直しするように、修正することができるのかどうか、は なはだ疑問である。発言の問題部分︵日教組によって傍 線強調された部分︶のうち①は単純な事実誤認であるが、 だからといって、日教組見解にあるように、それは部落 解放同盟の集会ではなく、解放同盟は主催者の一員でし かないという﹁修正﹂が修正なのなら、あまり意味がな い。つまり色川さんが言いたかったことまでが修正の影 響を受けてしまうからである。その集会が部落解放同盟 の集会であろうが、部落解放同盟を含む広範な人々の集 会であろうが、そのことと色川さんが指摘したかったこ ととは無関係である。②については、単なる事実誤認の 枠内におさまるものではなく、やはり色川さんの対部落 ︵ 民 ︶ 観 が 偏 向 的 に 露 呈 し て い る と と ら え ざ る を え な い 。 しかし、すでに述べたように、この場合の色川さんに明 確な差別の意図、侮辱の意思があったとは到底思えない。 今回の色川発言問題は、これから日教組の取り組みが はじまり、また部落解放同盟も一定の方針を出すであろ うから、どのように展開していくかは予断を許さない。 だが、傍線部分の﹁修正﹂が色川発言の全体を﹁修正﹂ するものになってしまっては、結局、最悪の事態を招く ことになるだろう。すでに述べたように、私の想像では、 色川さんの発言には戦後民衆運動に対する重要で総括的 な提起が含まれていたはずであり、そのことまでもが ﹁修正﹂されたのでは、まったくもってミもフタもない こ と に な る だ ろ う か ら で あ る 。 今のところ、部落解放運動主流は、戦後五十年におけ る部落問題の状況的変化を積極的に認めない立場に立っ ている。色川さんは、おそらく部落解放運動に対しても 日教組運動に対しても、深い幻滅感をもっているに違い ない。もっといえば、この国の戦後五十年への、どうし ょうもなく取り返しもつかない歴史への悲哀感である。 それがこのような表現を伴ったところに、もう一つの悲 哀と幻滅を私は感じるが、それはともかく、色川さんは 今大いに話題になっている﹃黒い憂欝﹄︵シェルピ l ・ スティ l ル︶の論点を、ただし被差別の側にないものと して提出しているようにもみえる。やや深読みにすぎそ こぺる 5

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うだが、そこはやはり重要なところであり、当然のこと に﹁修正﹂にはなじまない思想なのだと私は受けとめて い る 。

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﹃ 黒 い 憂 穆 ﹄ からの連想 一つの見解がある時代の状況にとって決定的に重要な 意味を発揮することがある。一昔まえの﹃同和はこわい 考﹄︵阿昨社︶の、当時の部落解放運動に対する一定の インパクトもそうだつたと思う。私自身は当時﹃毎日新 開﹄の書評で、可もなく不可もない、 いわば中立的な批 評をおこない、続いて﹃こぺる﹄に求められて記した短 文においても、おそらく多くの人々に煮え切らない第三 者的な見解として受けとめられ、または受けとめられな かったような記述をしたことを思い出す。当時の私の心 算をいえば、﹃こわい考﹄の主張点に多くの同意を覚え ながらも、その点には直接関与することなく、むしろ論 争の前提部分を明らかにしたかったのだと思う。だが、 それはそれとして、同書の意味を客観的に振り返ってみ れば、部落問題に関する多くの専門的な論者が、部落解 放運動のいわゆる正統的な理論をある程度相対化したり、 場合によってはその呪縛から免れて自由になる、そのよ うな契機を提供した重要な見解の提起であったことは疑 ミ 為 、 ミ O U φ h v u 現在、差別論にかかわる見解のうち、 目を浴びているものに、九

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年代アメリカの新しい人種 関係のありょうを展望したシェルビ l ・ ス テ ィ l ル の 労 作 ﹃ 黒 い 憂 欝 ﹄ ︵ ﹃ 守 口

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が あ る 。 ここでの問題意識は、公民権運動以後のアファ 1 マ テ イ ヴ・アクション・プログラムがどのようにして問題の主 一 部 か ら 熱 い 注 体である黒人を堕落させたかという点の解明である。こ うした黒人優遇政策は、スティ l ルによれば、単なる肌 の色によるパスポートでしかなく、黒人を政策に依存さ せ、その自助努力を含む自立への意識化を阻害し、却っ て無力感を促進させ、自尊心を喪失せしめたのではない か、というのである。もちろん、他方においては、それ が白人の聞につのる罪責感を刺激していることもありう る こうした主張点だけをとりあげてみると、あたかもス

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テ ィ l ルが﹁裏切り者の黒人﹂であり、この国でいうと ころの﹁融和主義﹂の旗手であるように見えるし、白人 差別主義者に同調したり、その差別的罪責感を免責した りする論者であるようにも見えるが、そのような読み方 をしてしまえば、全くもって元も子もない。また、この 本の翻訳者︵李隆氏︶のように、この本のテ l マ を ア メ リカ社会においてのみ完結した問題として限定し、﹁ア メリカの物語を日本の少数者にそのまま適用すれば大き な過ちを侵すことになる﹂と言い切ってしまっても、主 張のリアリティを壊すことになるだろう。この国の差別 撤廃政策が完壁なものではありえないように、アメリカ の黒人優遇政策も完壁なものでないことは周知の事実で ある。だがしかし、完壁ではないからといって被差別者 存在にとってまったく無意味であったかといえば、諸々 の意味をこめて否といわねばならない。私はすでにいく つかの媒体を?っじて、高度経済成長時代にかさなる同 和対策事業特別措置法の法環境の中で、被差別部落の 人々のアイデンティティがどのように浮遊化し、混沌た るクライシスをどのように経験しているかの実証研究を 公表してきたが、そうした問題点は幾分かスティ l ル が 指摘するところと重なるものであった。 差別撤廃政策が悪いというわけではない。そうではな く、問題は、その差別撤廃政策のなかで被差別者当人が 問題解決の主体としてどのようにして立ち現れ、どの程 度の力量を発揮するのかという点にある。運動が政策を 生み出し、それを制度化することは十分にありうるし、 またそれはそれで注目すべきことでもあるのだが、やは り一度成立した制度や政策は、成立したまさにその時点 においてまったき﹁所与﹂と化し、本質的には﹁過程﹂ としての運動からよそよそしいものにならざるをえない。 ゆえに、運動はたえずエスタブリッシユメントにたいし ては異議を提出しつづけ、獲得物の所与化を防がないで はその生命力を維持することができない。 私が危慎するのもおかしなことだが、この国において 部落解放運動の主流がこの十年来要求し続けてきた部落 解放基本法が成立したとして、そのあとの運動は何をす るのだろうか。あるいは、部落解放基本法が成立せず、 しかも現行の地対財特法が期限切れになったとして︵運 動体は現行法の延長を要求しないという︶、部落解放運 動はどの程度まで現在の態勢を維持できるであろうか。 こベる 7

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その点についてはすでに多くの運動指導者が心配してい るような、ある有力な運動指導者の言を借りれば﹁金の 切れ目が縁の切れ目﹂というような、そんな状況になら ないとは誰にもいえまい。ここには運動がシステムを求 めるということの根源的な矛盾が予定調和的に具現され ているといえるのではあるまいか。 ところで、最近、被差別部落出身の学生に一つの傾向 があるように思われる︵とはいえ私が日頃直接的に接触 する範囲でだが︶。それは、自らが﹁部落民﹂であるこ とを自覚し、私に対してもそのことを明らかにし、そし て差別に対して大いなる怒りを覚えているのだが、にも かかわらず現在部落差別と公然と闘っている︵ことにな っている︶人々のようなスタンスをとることができない、 という感覚である。昨年︵九三年︶度卒業した男子学生 は私への最終的なレポートの中で、部落問題に真撃に向 かい合いたいと決意表明した上で、﹁はっきり言って、 私自身、被差別部落に対して嫌悪感を抱いています。全 国には本当に解放を目指し頑張っている人たちもいるで しょう。しかし、私のまわりには物取り主義としか思え ないような人しかいない。そして、その子どもたちはと いえば、どうしょうもなく、まったく問題意識がない。 他人の迷惑になることはよくしてくれる。あれでイメー ジが悪くならない方が不思議です﹂と記していた。 また、今年の受講生で三回生の男性は、自分自身が被 差別部落出身であるという属性からしか物事をみないク セにようやく問題性を見いだしたのだといい、﹁差別さ れる位置というものをタテにして人を傷つけるような発 言をしてきたように思います。︵略︶これまでの同和教 育は、立場を絶対化して、自分しかみない部落民 H 私 を 作ってきたのではないか﹂と記していた。実際、一方で は、運動の中でそのようなパーソナリティが育成されて いる事実もある。たとえば、昨年の受講生で被差別部落 出身のある女子学生は、あたかも﹁この紋所が目に入ら ぬか﹂という調子で昂然と突然部落民宣言し、彼女の予 想どおり仲間の受講生を恐れ入らせ、結果的には集団を みごとに破壊してくれたものであった。あくまでも被害 者の位置にある自己の同定、それが彼女の存在証明にな るという知恵を、おそらくは高校生活までに彼女が経験 してきた﹁同和﹂教育が授けてきたにちがいない。被差 別者に寄り添い、被差別者を中心に据える﹁同和﹂教育

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が、被差別者のある意味での倣慢を生み出した経緯は彼 女の例において鮮明であったと思う。 前に例示した私の学生たちは、従来の常識に照らせば、 おそらくは﹁融和主義﹂者ないし﹁寝た子を起こすな﹂ 論者としてタイピングされてしまう可能性が濃厚だが、 そして、私自身、つい最近までそのように類型化してあ まり反省もしなかったのだが、しかし、今の私にはどう しでもそうは思えない。シェルビ l ・ ス テ ィ l ル の 言 を 用いて三ヲんば、この学生たちは被差別者としての自覚を もちつつ﹁普遍的人間性﹂を求めているということにな る の で は な い か 。 もちろん、被差別者が普遍的人間性を議題にのせるた めには、それを担保する状況的変動がベ l スになければ ならない。スティ l ルは当然のことに、そうした状況的 変動を黒人は会得してきたという認識にたっている。だ からこそ、次のような言説が成り立つのである。﹁人種 差別が改善されても黒人の生活水準が悪化しているとす れば、それは我々自身の側の問題である。だが、我々自 身の側の問題を認めれば、我々は無垢さを失い、これま で社会から勝ち取ってきた賠償を放棄することになる﹂ ||。ここからスティ l ルが導き出す議論は非常に痛切 であるとさえいえる。﹁我々黒人は、被害者であること、 そして貧しさをこっそりと選択してきた﹂||。 今、私は、被差別部落出身者ではない私がなぜこのよ うな物言いをなしうるのかという自省を含みつつ論述し ているのだが、しかし、そのような内省、だけでは部落解 放運動の運動家からは、なおも指弾を、つけるかもしれな い。私自身、かつて、﹁被差別者の無垢﹂を信じてきた し、それを信じることに自分自身の思想作用の正当性を おくことにしてきたことをはっきりと認識している。だ からこそ、差別の原因をもっぱら差別者の側に求め、被 差別者に含まれる問題性については、極端な利権主義へ の批判といった局面を除けば、不問に付してしまうこと が多かったのではないかと内省する。そして、それが私 の裏返しの差別性の表出であった可能性もある。もちろ 一般的にいえば、依然として差別問題は差別する側 ん の問題である。そのことはまさに自明であるのだが、し かし、これからはこうしたスタンスだけでは、もう二進 も三進もいかないであろうことを予感している。通俗的 なグ被差別者への責任転嫁 μ ではない意味での被差別者 こぺる 9

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への問いかけなくして真の連帯などはありえないという きわめて初歩的な認識に立ち戻っただけだといえば言え る 私のごく親しい部落解放運動の指導者は時として﹁も し差別がなくなったら、どうしよう?﹂と冗談半分、真 面目半分に発言する。差別がなくなれば、被差別者にお ける﹁無垢﹂の証明が不可能になり、何かを獲得する根 拠もなくなることになる。そうした事態に対する運動の 責任者としての暖昧なアンビパレンスとして、その発言 を私は受けとめることができる。この間の取り組みによ って、被差別部落における高校進学率はかなり上昇した。 部落解放運動はその事実を認めながらも、やはり被差別 部落の低位性︵被害者性︶を証明するために、しかし中 退者が多い、という事実を取り上げる。確かに、それは そのとおりだが、しかし、それをいつまでもすべて差別 する側の責任に帰していてよいのかどうか、そうした議 論があまりにもなさすぎる。むろん、シェルビ

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・ ス テ ィ l ルのようにそれを被差別者における﹁自己逃避的な 現象﹂と言い切れるかどうかには、なおかなり詳しい実 証が必要だが、だからといって、運動側というか被差別 者側の責任がまったく問われないというのもまことにお かしなことではある ι 要するに、ある一定の状況的変革を経たあとの被差別 者の苦境を説明する時、その原理を伝統的な単一の要素 に還元することが正しいかどうか、それがスティ l ル の 問題関心の中心だったのであり、このことはわが部落解 放運動においても今後詳細に点検していく必要があるだ ろう。差別側が無垢でないことは確かだが、しかし、そ れは必ずしも被差別側の無垢を担保するものではない、 そのことを共通の認識として両側から問題の本質に接近 することが今後ますます重要になるだろうと思われる。 同疎外と関係性 上記の実例にふれたいくかのエピソードとそれに関す る私の感想が、ある意味での危うさを含んでいることは 否定できない。丁度それは、シェルビ l ・ ス テ ィ l ル の 言説が、読者の思想性の如何によっては、被差別者に対 する単なる道徳的説教、または差別者への迎合としての

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み処理されてしまう可能性があるという事実にも類似し ているといえよう。しかし、それにもかかわらず、やは り色川大吉さんが提起しようとしたように︵と、私だけ が想定しているにすぎないかも︶、問題を、この場合も 自己疎外の問題として把握し提起しなければならないよ うに私には思われる。 人間は一般にある目的に向かって与件を変えていく活 動によって自分を人間に作り上げる存在だが、しかし、 その自分は常に社会の中にあり、杜会によって影響され る存在であるために、おおむね自分を他者の中に構成す るようにして自分を作り上げていくことにならざるをえ ない。自分の停錨点を他者の中に求めるには、他者を自 分の内部に引き入れることが前提的に必要になる。自分 を他者の中に構成するとはそのような事態を意味してお り、それがいわば自己疎外の一つの根源的なありようだ といえばいえるだろう。差別についての哲学的な要因を、 そのようにとらえでもあながち的外れだとはいえまい。 部落解放運動の指導者の多くは、いまでも解放の指標 を﹁格差解消﹂の中に設定して怪しむことがない。差別 とはすなわち格差の謂だというわけだが、はたして差別 は格差なのか。確かに、そうした単純な指標の設定が運 動の活力をひきだした時代もあったことを否定すること はできないし、現在も実はそのとおりだといわざるをえ ないのだが、しかし、この指標に拘泥すること自体が運 動の活力を喪失させ、運動参加者をシラケさせ、その思 想活動を退行させているという一端の事実にはやはり真 撃に目を向けるべきではないだろうか。たとえば、殊に 都市型部落において、部落外への大量流出者が生み出さ れている事実、しかもその中核を高学歴安定就業者が担 っている事実は、明らかに格差是正戦術の成功と失敗を 同時に表現する現象なのだが、運動主流がこの間題を真 撃に議論した形跡はほとんどない。また、経済的格差を 含む生活諸領域における格差をほぼ是正し、場合によっ ては部落外平均をはるかに凌駕している被差別部落も現 実に存在するが、運動主流はこうした局面を﹁例外﹂と いう言葉を用いる以外に説明する原理を持ち合わせてい な い よ う に 思 わ れ る 。 格差をもって差別を説明し、格差是正の進捗をもって 解放の度合いを説明する戦後の代表的な部落解放理論は、 はっきり言って、すでに破産しているのである。もちろ こべる 11

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ん、差別撤廃政策推進者にあっては、おそらく今後もこ の格差理論が保守されるにちがいない。なぜなら、格差 理論にたつ限り、部落差別は解消過程をたどりつつある ことが明白であり、残る問題については一定の法的措置 を講じさえすれば、政策推進者として善意のポ l ズを維 持し続けることができるからである。そうした本質をも っ格差理論に運動側が安易に同調するとすれば︵歴史的 にみれば、逆に運動のある意味での力量が格差是正政策 を引き出したともいえるが、結果的には同じことであ る︶、格差是正理論は運動の根拠それ自体を運動に放棄 させることになるのではないか。 結局、私たちには今、モデルの組み替えが必要なのだ。 伝統的な﹁貧困からの解放﹂図式だけでは解放が大衆的 基盤を欠くだろう。そうではなく、マルク l ゼ流にいえ ば、むしろ﹁豊かさからの解放﹂図式こそが必要なのか もしれない。物質的な要求が文化的な要求をも変質させ る状況を、この間、部落の人々も通過してきた結果、達 成された一定の﹁豊かさ﹂が何に由来するかを熟考する 感受性それ自体の解放にやや無頓着にすぎたのではある まいか。私たちがどのように抑圧されているかを考える ことは、差別される側にとってはもちろん、差別する側 にとっても重要である。部落解放とは、基本的には、部 落の人々と部落外の人々とが双方の抑圧について語り合 えるようになる、そんな関係性モ l ドの変化の過程に求 め ら れ る だ ろ う 。 またもシェルビ l ・ ス テ ィ l ルの言説を引用する。 ﹁私は、優遇政策の対象外である貧しい白人の子供達の 向上を軽視して、私の子供のような中流家庭の黒人に不 相応な優遇措置を与えることこそが非人道的だと思う﹂。 格差是正の優遇政策がはたして差別者と被差別者との関 係構造を変革するものであるかどうか、いまこそ部落の 側、運動の側からもきびしく点検されるべきなのかもし れ な い 。 戦後部落解放運動は大きく発展した。私も一九六四年 以来、およそ三十年間にわたってこの運動と比較的近い ところで勉強し活動してきた。そして、これまでの運動 過程を大筋のところで支持じてもきた。しかし、あらた めて運動と私自身の来し方をふりかえってみると、現実 による理想の磨滅化という状況の深化に気づかないでは いられない。過程としての運動が状態としての制度に転

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化していく時にいつも感じとらざるをえない幻滅のよう な感覚、あるいは獲得目標の道徳的・倫理的な嬢小化に ともなう幻滅、さらにはそれを幻滅という表現によらね ば表出できない私自身への幻滅||、そうした感覚に包 まれてしまうのである。 すでにあったものは今はなく、これからあるものも今 はまだない。このような喪失と未達成についての感覚は、 なにもことさら部落問題にのみかかわるものではないが、 少数者運動がある点での社会的な認知を獲得し、 社 会 的 勢 力 に な る 場 合 、 一 ︷ 疋 の 一時的には自らの当面する利益 に反するような選択をすることによってのみ、新たな展 望が切り開かれることもありうる。運動におけるいわば 道徳性や倫理性についての運動体内部での相互討論が是 非とも必要だろうと思う。ただ単に過去があるから現在 があるというこの間の経過をまるごと呑み込むやり方で は、新しい人間像を運動から生み出すことはできないし、 新たな理想をかかげることもできないのではないだろう か。しかし、残念ながら、そのための決定的なモデルは どこにもないのであって、私たちとしてはさしあたり、 私たちの関係性の質的変化が抑圧されている前提条件の 解明から、再び着手しなおす必要があると思う。

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新しい差別論のため の読書案内⑤

灘本昌久︵京都産業大学︶ プロレタリア文化大革命! 年から一九七六年にかけて中国全土で﹁闘われた﹂大衆 運動である。毛沢東思想を奉じる紅衛兵たちは、当時の いうまでもなく一九六六 中国共産党組織や政府組織を﹁走資派﹂︵資本主義への 道を歩むもの︶として破壊し、幹部やインテリなどをこ とごとく批判、放逐、処刑した。私は、 一 九 五 六 年 生 ま れ な の で ち ょ う ど 一

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歳から二

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歳までのあいだに起こ 。た事件だ。同時代的に体験したとは言い難いが、高校 一、二年から大学生時代に左翼であった頃は毛沢東に指 導される中国共産党をもっとも正統に近い共産主義の体 現者とみなしていたので、文革を肯定的に評価していた こ と は ま ち が い な い 。 ところが、毛沢東の死後、江青ら文革の旗手であった ﹁四人組﹂が打倒され、文革の実態が明らかになるにつ れ、それがとんでもない騒動、愚行、災難であったこと が明らかになってきた。本書において一紅衛兵の口から 語られる﹁闘い﹂の実態をみても、その愚かしきは半端 で は な い 。 著者である梁暁声は、文革勃発時一七歳の中学生で、 すでに﹁頭の中には中国のことや全世界のことがいっぱ い 詰 ま っ て い て 、 いまにも燃えたぎる情熱で破裂しそう な状態で﹂あった。そんなある日、国語の担任の女性教 師が突然、前日使った教材である﹁燕山夜話﹂がブルジ ヨア思想を宣伝するための本であったと自己批判する。 文革がやって来たのだ。何が起こっているのか理解でき ないうちに、梁はクラス代表として全校大会で文革を支 持する決意文を起草し朗読するはめになる。与えられた 一五分を費やしても決意文の一文字も書けなかった梁は、 壇上でひととおり﹁何々を﹃打倒せよ﹄﹂といったス ロ l ガンを叫んでから、苦しまぎれに﹁我々は階級闘争 の 最 前 線 で の 決 死 隊 と な る ! : : : ﹂ と 決 意 を 披 涯 す る 。

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そして、﹁共通の敵に立ち向かおうとする戦闘的な雰囲 気 の 中 で 、 : : : ︵ 批 判 さ れ て い る 人 た ち が ︶ 間 違 い な く 反党・反社会主義の反動グループの一味だと信じ始め﹂ た。そして、さらにこう考える。﹁彼ら以外にも、まだ 多種多様な反動分子はたくさんいて、まだ反革命の姿を 暴露していないだけなのだ。そうでなければ、毛主席が どうして社会主義文化大革命を発動したりしたのだろ 、 っ ﹂ 。 文革は、進むに連れてさまざまな﹁ブルジョア的﹂表 現を槍玉に上げていく。片目を閉じたふくろうの絵が実 は﹁﹃現実を直視したくない﹄という﹃反動的寓意﹄を 含んでいる﹂とか、﹁任務は重く、道未だ遠し﹂という 革 命 的 標 題 を つ け た ロ パ の 絵 は 、 ﹁ ﹃ 望 め ど も 活 路 は 見 え ず﹄という反動的寓意を含んでいる﹂、等々。こうした 批判闘争は、他への批判だけにとどまらず﹁鋭い短剣で 自分を刺し、血まみれの短剣を引き抜く精神﹂で自己へ も向けられる。自分が、公用の便聾を二枚不正使用した こ と に 思 い あ た っ た と し よ う 。 そ れ が も し 、 一 か 月 、 年と続いていたら。そして多くの人が同じことをやって いたら。その流用されたお金が、本当なら機械購入の資 金なら。その機械が、農業用機械でなく医療器械の購入 に 当 て ら れ る は ず の も の な ら 。 そ う 問 い 詰 め て い く と 、 人 は 誰 も ﹁ 万 死 に 値 す る ほ ど の 罪 の 大 き さ に 思 い 至 る ﹂ 。 そこまで我が身を切り裂いて、自己批判は人々を納得さ せ る 。 こうした大衆運動の進展のなかで、人々はそれぞれの 出身階級を﹁紅五類﹂︵労、農、解放軍、革命幹部、草 命烈士家庭の出身者︶と﹁黒五類﹂︵地主、富農、反革 命分子、悪質分子、右派家庭の出身者︶に分ける考えに とりつかれる。ある時、紅衛兵の集会で読み上げられた 電 文 を 、 短 髪 の 菰 爽 と し た 女 性 が マ イ ク を 奪 い 取 っ て 、 革命輸出主義に過ぎると批判した。すると、紅衛兵は彼 女 の 出 身 を 詰 問 し た 。 彼 女 は 答 え る 。 ﹁ 農 奴 で す ﹂ 。 梁 は 思 っ た 。 ﹁ 農 l 奴ーだと!﹃農奴﹄ほど人々を粛然たら し め る 出 身 が あ る だ ろ う か 。 : : : こ の 上 な く 高 貴 な 出 身 だ ﹂ 。 こベる 梁は、自分の父親が今や反動宗教組織といわれる﹁ 貫道﹂に参加していたことを母親に聞かされるが、それ 15

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を隠したまま紅衛兵組織のメンバーに選ばれる。そして、 友人の王文瑛も遅れてメンバーに取り立てられる。父親 が、かつて国民党の兵士であったことを摘発し、大衆集 会で罵倒し、蹴りとばした功績で。 梁は苦心の末北京にたどりついて天安門で毛沢東の観 聞を受け、故郷のハルピンに帰ってからは革命派内の武 闘にも巻き込まれる。この時、相手方の部隊に包囲され た梁は死を覚悟する。玉砕の時にどう叫ぼうか。 ゴ l の小説をまねて﹁糞!﹂の一言でいくか。 い や 、 自 分以外の人がこの小説を知らなくてはどうしょうもない。 では、﹁砲撃派、万歳!﹂でいくか。いや、勇敢さ、壮 烈さは十分だが、何か悲劇性が欠けている。﹁そうだ、 ﹃ 毛 主 席 万 歳 ﹄ をさけばないわけにはいかない。 毛主席 のために戦死するのに、北京にいる毛主席は間違いなく そのことを知らない。これが悲劇でなくて何だろう﹂。 結局この戦闘には参加させてもらえず、梁は事なきを得 るが、翌年農村に下放され、物語はここで終わる。 私が本書を読んで考えるのは、中国共産党史における 文革の評価でもなければ、文革のあやまりでもない。こ こL の物語にみられる紅衛兵をとらえた、﹁正義﹂の観念。 そして、﹁敵が誰か、味方が誰か。これが革命において 最も重要な問題だ﹂という紅衛兵司令部に書かれてあっ た文言。これらは、我々の歴史にもたびたび顔を出して はいまいか。戦前の天皇制イデオロギー、戦後民主主義、 全共闘、連合赤軍、反差別運動、そして近くはオウム真 理教しかり。善なる社会を創ろうとしたときに抱く﹁正 義 ﹂ の 観 念 。 そ れ は 、 一旦できてしまうとなかなか自分 では疑い得ないものとなり、むしろあらゆる価値の源泉 となる。他人にそれを振り因されると危険きわまりなく 思えるのに、自分が取り懸かれる分には、なんと甘美に して爽快、清浄にして剛毅なものなのだろうか。小さな 災 い を 取 り 除 こ う と し て 、 つい爆発させてしまう大きな 災い。よりよい社会をめざす我々の小さな願いは、何か ら出発すれば大過なく積み重ねていけるのだろうか。 ︵ 情 報 セ ン タ ー 出 版 局 、 一 九 九 一 年 、 各 一 五 OO 円 ︶

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第 包 囲 ﹃ こ ぺ る ﹄ 合 評 会 ︵ 4 ・ 辺 ︶ か ら 筒井康隆さんの作品﹁無人警察﹂ が高校の教科書に掲載されることに 端を発した今回の﹁事件﹂は、有名 作家の断筆という衝撃的な出来事も あって大いに世間の注目を集めまし た。わたしも東京の言論界挙げての テンヤワンヤにあおられて、初めは 週刊誌などの特集記事を追っかけよ うとはしたのです。ところが、なに せその量たるやすさまじい。あまり の多さに疲れはて、じっくり腰を落 ちつけて考える気力もうせたという のが実情です。二百なかるべからず と気負い立った文筆家たちの文章、 つ く る 発言の数々は、いま、創出版の﹃筒 井康隆﹁断筆﹂めぐる大論争﹄︵何

3 ︶に収められているけれど、ど うしても読む気が起こらない。 ところが柚岡正禎さんは違う。 ﹁差別だと指摘した側と指摘された 側とが対話によって互いの関係をど のように発展させて行くのかの間 題﹂だとする基本姿勢に立って、日 本てんかん協会の主張と筒井さんの 対応を批判する。そのまじめさには 頭がさがります。 それはともかく、柚岡さんの指摘 でおもしろいと思ったのは、てんか ん協会が、てんかんについての誤っ た理解、思い込みを人権無視、差別 につながるとしているのに対して、 世間の通俗的な思い込みがてんかん を特異視する人々のか差別意識。と 共存していることを認めつつ﹁事実 誤認は差別につながるか﹂と問い返 していることです。ここで、わたし は以前ある作家が﹁無知は糾弾の対 象になるのだろうか﹂と語ったこと を思い出します。反差別運動はこれ まで無知、誤解、思い込みなどをひ としなみに差別だ、もしくは差別に つながると抗議してきました。そこ には言葉、表現があたかも差別の元 凶だとする見方があり、抗議された 方でもなんとなくそれで納得してき たのです。たいていの人がいわゆる 差別の拡大助長論、痛み論、気遣い 論に降参するのはそのためです。柚 岡さんはこの常識化している見方に 疑問符をつけたといえます。 それにしても、今回の﹁事件﹂が 作品の教科書からの削除で落着した というのは、なんともお粗末な話で した。大仰な言葉が吐かれたわりに は、何が問われたのかよく分からな いうちに終わったこの騒動の事後処 理が粛々と進められるなかで、﹁

E

いの自主性を基礎に、できるだけ相 手の言い分も聞きながら社会をつく らねば﹂という柏岡さんの提唱がそ う簡単に受け入れられるとは思えま せん。それが、すべてを消費の対象 にしてしまう現代という時代の特徴 なのでしょうが。︵藤田敬一︶ ﹃ こ ぺ る ﹄ 合 評 会 の お 知 ら せ 六 月 二 四 日 ︵ 土 ︶ 午後二時より六月号 も 、 、 京 都 府 部 落 解 放 セ ン タ ー 自第二会議室 E O 七 五 l 四 一 五 一 O 三 O 編集・発行者 こベる刊行会(編集責任藤田敬一) 発行所京都市上京区寺町通今出川上ル四了目鶴山町14 阿件社 Tel. 075-256-1364 Fax 075同211-4870 定価300円(税込)・年間4000円郵便振替 010107 6141 第27号 1995年6月25日発行

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てる

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四六判230頁 定価1800円 (税込)

畑中敏之

{立命館犬学助教授) H ﹁部落﹂の歴史も H H ﹁部落民﹂の歴史 H も 実 在 し な い 身 分 問 題 の 歴 史 と ﹁ 都 落 史 ﹂ と は イ コ ー ル で は な い 部 務 差 別 は w 近 世 身 分 制 の ﹁ 遺 制 ﹂ H で は な い 農 民 史 な ど と 同 次 元 で 論 じ る こ と は で き な い ﹁ 部 落 史 ﹂ の 終 わ り | | 社 会 的 融 合 の 実 現 に 向 け て ︵ 序 章 ︶ 「部務史」を永遠に続〈吋部落民」の歴史、にしてはならない 「部落民」を鄭落差別に基づ姻族や疑似民族としてきた 「部落史」に、一日も早〈終止符を打たねばならない。 今、そのことが問われてL唱〈。本文より〉 − 目 次 よ り ・ 第 一 章 部 落 問 題 論 の 現 在 −何が﹁部落差 別 ﹂なのか | | ﹁ 差 別 と 貧 困 ﹂ を め ぐ っ て ﹁ 貧 乏 は し ん ぼ う で き て も ﹂ 総 務 庁 の 一 九 九 三 年 ﹁ 実 態 把 握 等 調 査 ﹂ ﹁ 部 落 ﹂ の 実 態 と 部 落 差 別 部 落 差 別 と 部 落 問 題 郎 落 差 別 の 今 | | ﹁ 差 別 搭 書 き ﹂ 部 落 差 別 の 今 l1 結婚 差 別 ﹂ 2 どこが﹁部落﹂ なのか ﹁ こ こ は 同 和 地 区 で す か ﹂ ﹁ 被 差 別 部 事 事 す 古 地 図 ﹂ ﹁ 穣 多 村 ﹂ と ﹁ 部 落 ﹂ と ﹁ 同 和 地 区 ﹂ 3 誰が 1 ﹁ 都 世 情 民 ﹂ な の か ﹁ あ な た の 祖 先 の 身 分 は 何 ﹂ ﹁ う ま さ の 血 統 ﹂ ﹁ 部 落 民 ﹂ と ﹁ 非 郡 落 民 ﹂ 四 国 学 院 大 学 の ﹁ 特 別 推 薦 入 学 選 考 ﹂ ﹁ 出 自 の 自 覚 ﹂ ﹁ 存 在 し な い の に 存 在 さ せ ら れ る ﹂ H ﹁ 部 落 良 ﹂ の 自 覚 r と い う こ と の 功 罪 4 どこが悪い・何が違 う | | 郡 落 問 題 解 決 の w 基 礎 体 力 M ﹁ ど こ が 悪 い 何 が 遣 う ﹂ M 幻 の 十 字 架 ui | 睡 眠 民 の 末 商﹁被差別﹂の呪縛 ﹁ 盲 打 ち は 天 下 町 併 し ﹂ 差 異と差別個の噂厳 と w 違 い 仰 の確認都宮市開制 解 決 の JS 継体力 M 第 二 章 国 民 融 合 諭 の 歴 史 認 識 ー 1 戦 後 部 落 問 題 槍 争 史 の 再 検 討 第 三 章 ﹁ 部 落 の 起 源 ﹂ 婚 は も う や め よ う ﹁部落史﹂に具畿あり前 近 代 に ﹁ 部 落 史 ﹂ は 存 在 し な い﹁榔落の起源﹄酋 はもうやめよう﹁政 治 起 源 脱 ﹂ の 何 が 問 題 な の か ﹁ 部 落 奥 ﹂ 学 習 と 摩 史 教 育 第 四 章 第 落 問 題 解 決 の 展 望 と ﹁ 部 落 史 ﹂ 二 七 号 一 九九五年六月 二 十 五 日 発行︵毎月 一 回 二 十 五日発 行 ︶

居酒屋の加藤周一

白 沙 会 ⑨ 編 各

1800円A 5判 知の巨人・加藤周一氏が京都の居酒屋でビ ール片手に語った激動の世界と日本、そし て芸術やスポーツの 話題を2冊に。 9刷y

一 九九 三年 五月二十 七 日 第 一 一 一 種 郵便物 認 可 定価 三 百 円 ︵ 本 体 ニ 丸 二 円 ︶ 柳 欄 枇 京 閥 川水商 か も が わ 出 版 問 問 } 揃gFAX(ね2) 糊

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