パウロのミレトス演説の修辞学的分析(使20:
18‑35)
著者 原口 尚彰
雑誌名 東北学院大学論集. 教会と神学
号 40
ページ 123‑143
発行年 2005‑03‑25
URL http://id.nii.ac.jp/1204/00024315/
l
パ ウ ロ の ミ レ ト ス 演説 の 修辞学的 分 析 ( 使 2 0 : 1 8 - 35)
原 口 尚 彰
< 私 訳 >
'
8アジアに赴いた最初の日から,
私があなた方の間でどのように過 ご し て き た か, 一
部始終をあなた方は知つている。 '
9ユダヤ人達の企て によって私の身に及んだ試練の中にも,
私は選りと,
涙をもって主に 仕えていた。
2°
有益なことは何一
つ 欠 け る こ と な く,
公の場所でも家で もあなた方に告げ,
教え,
2'
ユダヤ人にもギリシア人にも神へ
の回心と 提 の 主 キ リ スト・
イェ ス へ
の信仰を証したのだった。
2 2見よ,望に縛られて
ェ
ル サ レ ム に 赴 く が,
何がこの身に起こるかは 知 ら な い。
2 3聖翌が町毎に私に証して,
私 に 投 獄 と 苦 難 が 付 き ま と う と 告げている。
2 4自分の生運と主イェ
ス か ら 受 け た 務 め を 全 う す る に あ た り,
決して自分のいの ち を 惜 し む こ と な く,
神の恵みの福音を証し たのだった。
25見よ
,
私はあなた方のところ巡回して御国を宣ぺ伝えたが,
あなた 方は皆もはや私の顔を見ることはないと私は知つている。
2°
だ か ら,
私 はすべての者達の血から清くなっ て い る と,
今日あなた方に証言す る。
2 7神の御心をすべて,
私は尻込みすることなくあなた方に告げた。
2 8自分たち自身と群れ全体のために気を付けていなさい
。
自 ら の 血 を-
: l 2 3-
もって願つた神の教会を牧するために
,
聖霊はあなた方を群れの監督 者として立てたのであった。
29私は知つている。私が旅立つた後に,
凶 暴な狼達があなた方の所に入つて来て, 群 れ を 容 赦 な く む さ ぼ ろ う と す る で あ ろ う。
3°
あなた方自身の中から曲がったことを語つて,
弟子達 を離反させて彼らに従わせる者が出るであろう。
3'
だ か ら,
私が3年の 間,
昼夜を間わず絶えず涙を持つて一
人一
人を諌めたことを思い起こしながら
,
見張つていなさい。
3 2さ あ
,
私はあなた方を神とその恵みの言葉に委ねる。
恵みの言葉は あなた方を造り上げ,
すぺての聖徒達の間に嗣業を与える力がある。
3 3私は金銀や衣装を求めたことはなかった
。
34承知の通り,
私の必要や 同行者達の必要は自らの手で賄つたのだった。
3S,こ の よ う に 働 い て 弱 い者達を受入れ, 「
受けるよりも与える方が幸いである」
と言われた,
主の言葉を思い起こさなければならないということをすべて, 私はあ なた方に示したのである。
l . 修辞的状況
この演説は
,
バウロが第三宣教旅行を終え(使l8:23-
2 0 : l 2 ),
小 アジア経由でェ
ルサレムへ
向かう船旅の途上でなされている(20: l 3-
16)
。
ミ レ ト ス に 着 い た バ ウ ロ一
行は,
五旬節までにエ
ルサレムに着く ために旅路を急ぎ,
アジア州の中心地であるェ
フェソには立ち寄らな いことに決めた(使20: l 6-
17)' 。
バ ウ ロ は 自 ら 訪 ね る 代 わ り に,
人を'
C.K.Barrett, Paul's Addressto the Ephesian Elders.
i n G、od'sChris la n d h is
Pe
oPl,
e ( F S . N . L . D a h l ; e d s . J.
Jervell/W. A . M e e k s ; 0 slo-
Bergen:-
124-
パウロのミレトス演説の修辞学的分析 (使20: l 8
-
35) 3やって
ェ
フェソ教会の長老達をミレトス に呼び寄せて与えたのがミレ ト ス 演 説 で あ る ( 2 0 : 1 7-
18)。
2 . 配 列 構 成
この演説の配列構成は以下の通りである2。
20:18 序言20:19
-
21 叙述(アジア州での宣教者としての生活の回顧)v.l9 主
へ
の奉仕v.20
宣教と教えv.2l
神へ
の回心と主イェ ス
に対する信仰の証言20:22
-
24 提題(苦難の運命と殉教の覚悟)v.22 ェ
ルサレム上京と苦難の運命w
.23-
24殉教の覚悟20:25
-
35 結語v.25
別れの宣言v.26 -
27 使命の成就w
.28-
3 l 教会の群れを飼う務めの遂行w .32 -
35 執り成しの祈り .Universitetsforlaget,l977) l08は, この旅の目的が
ェ
ルサレム教会に献金を届け る こ と に あ っ た こ と を 強 調 す る。
2 これに対して,H.Conzelmann,D i
e
A l,
ostelgeschichte( H B N T 7 ; Tu
bingen:Mohr,1972) 126;G.Schneider
.
D ie
A i)ostelg:eschilchle
(2vols;Freiburg:Herder,l980
-
82)2.293は, この部分の配列構成を, 回 願 ( l 8-
21節), 予 測 ( 2 2-
27節)
,
過 訓 ( 2 8-
3 l 節 ), 祝 福 ( 3 2-
35節)とし,D.F.Watson, Paul'sAddress to the Ephesian Elders (Acts20.17-
38), in Persuasit;e Artisl' :
y ( e d . D. F .Watson;Shefiield: JSOT,l991)l94
-
208は,
序言(18b-
24節),
論証(25-
31節),結 語 ( 3 2
-
3 5 節 ) と し て い る。
-
l25-
この演説の序言には(使20: 18)
,
演説の冒頭に通常置かれている聴 衆へ
の 呼 び 掛 け の 言 葉 が ( 使 2 : 1 4 ; 3 : 1 2 ; 7 : 2 b ; l 3 : l 6 ; l 5 : 7 , 1 3 ; 2 2 : 1 ; 2 3 : l ; 2 6 : 2 ; 2 8 : l 7 ) な く,
バウロの過去の生活を聴衆 が知つていることを確認する言葉が置かれている3。
叙述部分において(20:19
-
21),
パウロはアジア州での宣教者とし ての自分の生活の回顧を行う。
バウロは宣教に専心した自らの宣教者 としての行動を教会指導者である聴衆へ
の模範として再度想起してい るのである(20:35を参照)4。
提題部分は(20:22
-
24),
通例の提題のように一
般的真理命題を掲げず
, エ
ルサレム上京後にパウロにこれから臨むことになる苦難の運 命 と,
それに対する彼の殉教の覚悟を表明している。
つまり,
この部 分は客観的真理を提示するのではなく,
主体的真実を表明するのであ る。
この主体的真実は聖認の導きによって与えられているのであり(20:22)
,
論議や証明の対象ではなく,
受容の対象である。
そのために
,
通常の説得推論でなされる提題の証明のための議論が,
この演説 では省かれているS。
3 B.Witherington III, T h
e
Acl s of
! he
Apo st
les:ASocio-
Rl,etonlcalCom.menta
, : y
(Grand Rapids:Eerdmans,l998)6l3.
4 E.Haenchen, Die A
p
ostelgeschihcte(K E K 5 ; l 3bed.;G1littingen:Vanden-
hoeck&Ruprecht,196l)524,528;R.Pesch,D ieAposlelgeschilchle (EKK5/l
-
2 ; 2nd rev.ed.;Solothum/D
u
sseldorf:Benzinger;Neukirchen-
Vluyn:Neu.kirchener,l995)2
.
199,202; J.A.Fitzmyer,T he
Acllsof
l heAp
,oslles ( A B 3 l ; New York:Doubleday.
1998) 674-
675; J. Lambrecht, Pau「s Farewel1-
Address at Miletus (Acts 20,l7
-
38), inLesActesdes Ap
Otfes. - t n duction,
'
la
daction,the
ologiq1e
(ed. J.Kremer;BETL48;Leuven:University Pres
s, l 9 7 9 ) 3 l 8 ; H .-
J.Michel,DilleAbschileds,
ede
des R attusand ie
K irche Apg
2 017
-
3,8.
Motiogeschilchteundtheo1ogischeBed,eutung( Mu
nchen:Ko
sel,1973) 26-
27.6 これに対して,Watson, l 9 9
-
204は,
25-
3l節を自分に対する非難へ
反論する 論証であると考えている。-
126-
パウロのミレトス演説の修辞学的分析 (使20: l 8
-
35) 5結語部分は(20:25
-
35),
使徒と長老達の別れの宣言より始まり(20:25)
,
パ ウロの宣教者としての使命の成就を語り(20:26-
27),
その後を引き継ぐ長老達の教会の群れを飼う務め
へ
と説き及ぶ(20: 28-
29)。
パウロは特に
,
使徒後時代に,
異端的教えを説く宣教者達が教会に訪 れ て 来 る こ と や,
教会員の中からも間違つた教えによって会員達を背 教 さ せ る よ う な 者 達 が 出 て く る こ と を 予 告 し,
警 戒 を 怠 ら な い よ う に 呼び掛けている。
パウロは聴衆である長老達を神とその恵みの言葉に 委ねる執り成しの言葉によってこの演説を結ぶ (20:32-
35)。
この終わり方は大変荘重に響く
。
3 . 修辞的種 2
ll l
古典修辞学において
,
演示演説の特質は,
対象となる人物の美徳や 欠 点 を 数 え 上 げ る こ と と さ れ る ( ア リ ス ト テ レ ス「
弁論術』l358b;キ ケロ「
発 想 法 』 l.7; 「
弁論術の分析』10;f
弁論家について」 2.
l 0 ; 偽 キ ケ ロ「へ
レンニウスに与える修辞学書』1.2.2;3.6.l 0 ; ク ウ ィ ン テ ィリ ア ヌ ス
f
弁論家の教育』33.l5)6。
演示演説は,
しばしば祝祭演説や追悼演説として公の式典において行われ
,
美徳や悪徳を数え上げることを通して共同体が拠つて立つ基本的価値観を再確認する社会的機能を
6 J.Martin, AnlikeRhetonlk・ Tec;nulk und
M e
thode ( Mu
nchen:Beck, l974)l67-
l68;R.Volkmann,D ie
R het
orilkderGrilechen,
n d ROmer(Leipzig:Teubner, l885;Nachdruck:Hildesheim:Georg Olms, l987) 294
-
299;H.Lausberg, Handbooko
f
L i le ,
a, y
Rhelort'c.
' A Flotn datio'
1f
io'
LitemryS加dy(eds.D.E.0rton/R.D.Anderson;Leiden:Brill,l998)32
-
33Cll6l);97-
l 0 2 (S1ll224
-
238);G.
A.
Kennedy, N,eu,
Testame
nt lntelp
rlelati,
on through Rhe!on'ca lCrilticis m (North Carolina:University of North Carolina Press,l984)73.
-
l27-
持つている7
。
ミ レ トス演説において,
パウロは自らの宣教者としての 歩みを回願し, 特に困難を乗り越え,
宣教の業を通して主に仕え,
神へ
の回心と主
へ
の信仰を説いたことを強調する(使20:l9-
21)。
聖蓮の
示しに従つて
,
苦難と殉教の運命を甘受し,
自分の命を惜しまない覚悟 を 述 べ る ( 2 0 : 2 2-
24)。
ミ レ ト ス 演 説 はェ
フェソ教会の指導者に宛て ら れ て ぉ り,
別れの場において宣教者・
牧会者の職務の根本と基本姿 勢を再確認する働きを持つている点において演示的であると言える8。
しかし
,
この演説の主たる狙いは,
聴衆の長老達に対して,
バ ウ ロが去つた後に起こる混乱に対して備え
,
私利を図らず労働しながら自らをと動労者達を支えたバウロに範を取つて,正しく御言葉を説き
,
教 会の群れを牧するよう勧めることにある(使20:25-
35を参照)9。
この点に置いてこの演説は
,
助言(審議)演説の要素も備えているので, 演 示演説と助言(審議)演説の中間型と捉えることが出来る'°。
古典修辞学によれば
,
助 言 演 説 ( 審 議 演 説 と も 訳 せ る ) は,
聴衆の未来の行動 に関係し, 「
あ る こ と す る よ う に,
或いは,
あ る こ と を し な い よ う に 説 得する」
機 能 を 持 つ ( ア リ ス ト テ レ ス「
弁論術」
1358b;キケロ「
発想 法 』 l.7; 「
弁論術の分析」 1 0 ; 「
弁論家について』2.10;偽キケロ「へ '
M.Dibelius, Die Reden der Apostelgeschichte und die antike Geschichts-
schreibung, in idem.,A u
fs a
l2e a r Ap
ostelgeschilchte (Neukirchen-
Vluyn:Nseukirchener,l953)155
-
l58;Kennedy,74-
75;Watson,192.
8Kennedy,l32;Watson,l92
.
9Conzelmann,126;Witherington
.
612-
6 l 3 ; J.Munck, Discoursd'adieu dansle Nouveau Testament et dans Ialitte
rature bibli(lue, in Auxsourcesde ta t'
adition c lt fetienne
(FS.Goguel;Neucha
tel-
Paris:Delachaux et Niestle .
l950)l60;A.Weiser,Di
e
Ap
ostelgeschichte(0TKNT5/1-
2 ; 2 v o l s ; Gtiters-
loh:Mohn,l981
-
l985)2.569; J.Roloif,Die
Apostelgeschichte
( N T D 5 ; Go
ttin-
gen:Vandenhoeck&Ruprecht,l988)302;A.E.Nielsen,l41
-
142.
'
o Kennedy.
l33.
-
l28-
パウロのミレトス演説の修辞学的分析 (使20: l 8
-
35) 7レ ン ニ ウスに与える修辞学書
」
1.2.2;3.2.2;3.6.10;クウィンティリア ヌス「
弁論家の教育」3.3.
15)'' 。
4 . 修辞的 コ メ ン ト
2 0 : l 8 序言
この演説の序言には(使20: 18)
,
演説の冒頭に通常置かれている聴 衆へ
の 呼 び 掛 け の 言 葉 が ( 使 2 : l 4 ; 3 : l 2 ; 7 : 2 b ; 1 3 : 1 6 ; 1 5 : 7 , 1 3 ; 2 2 : 1 ; 2 3 : 1 ; 2 6 : 2 ; 2 8 : 1 7 ) な く,
単刀直入にバウロの過去の 生活を聴衆が知つていることを確認する言葉が置かれている'
2。
このこ と は
,
ぺ ト ロ が カ イ サ リ ア で の コ ルネリウス家で説教した後(使l0:34
-
43),エ
ルサレム教会へ
帰つて,
他の使徒達の前で異邦人の家に入つ た自分の行動を弁明するために行つた演説の冒頭の言葉と似ている ( 使 1 1 : 5 を 参 照 )。
パウロは足かけ三年にわたって
ェ
フェソに留まって宣教活動に従事 し て お り ( 使 1 8 : 1 9-
2 l ; l 9 : l-
4 0 ; 2 0 : 3 1 ),
パ ウ ロ とェ
フェソ教会 の長老達とは非常に親しい関係が成り立つていた。
彼 ら は パ ウ ロ に 会つてその言葉を聞くためにやって来たのであり,
演説の冒頭で呼び 掛けの言葉によって改めて注意を促される必要がなかったのである。
使徒言行録の記述において,
「
長老」
はュ
ダヤ人社会の指導者の呼称 ( 使 4 : 4 , 8 , 2 3 ; 6 : l 2 ; 2 4 : l ; 2 5 : 1 5 ),
及び, 教会指導者の呼称と''
J.Martin,l67-
l 6 8 ; R.Volkmann,294-
299;H.Lausberg,32-
33 (S6 l ) ;97
-
l 0 2 (lllS224-
238).l 2Schneider,2.294もこの点に注目する。
-
l29-
8
し て 用 い ら れ て い る ( 使 l 4 : 2 3 ; l 5 : 2 , 4 , 6 , 2 2 , 2 3 ; 1 6 : 4 ; 2 0 : 1 7 ; 2 l : 1 8 ; 2 3 : 1 4 )。エルサレム教会では
,
長老達は使徒達と並び称され る最高指導者達として重要な場面で登場する ( 使 1 l : 3 0 ; 1 5 : 2 , 4 , 6 , 2 2 , 2 3 ; l 6 : 4 ; 2 l : l 8 ; 2 3 : 1 4 )。
他方, パウロは宣教地であるリスト ラ,
イコニオン,
ピシディア・
アンティオキアにおいて, 教会毎に長 老 を 任 命 し た と さ れ る ( 使 l 4 : 2 3 )。
使 l 8 : l 9-
2 3 ; 1 9 : 1-
1 9 : 4 0 のェ
フェソ伝道の記事には
,
パ ウ ロ がェ
フェソの教会で長老達を選任した 報告はないが,
使徒言行録20章では既に エフェソ教会に長老が選任さ れ て い る こ と を 前 提 と し て い る'
3。
バ ウ ロ に よ れ ば 彼 らの職務は,
神の 教会を牧するために,
聖室によって立てられた監督者であるとされて いる(使20:28)。
牧会者達に牧会上の心得を述べるというミレトス演 説の機能は,
第二パウロ書簡である牧会書簡の機能に並行している(I,IIテモテ書
,
テトス書を参照)。
20: l 9
-
2 l 報述
(アジア州での宣教者としての生活の回顧) 叙述部分において(使20:19-
21),
パウロはアジア州での宣教者と しての自分の生活の回顧を行うが,
ここで簡潔に述ぺられていること は聴衆自身が自ら日撃したことであり, その記憶は演説者と聴衆の間 に共有されていることが前提となっている。
使徒言行録の記事は,
パ ウロが第二宣教旅行の途上で, コ
リント伝道の後に, エ フ ェ ソ に 立 ち 寄 り,
会 堂 ( シ ナ ゴー グ ) でュ
ダヤ人の人々と論じ合つた後,
カ イ サ'
3 Bruce,429;Conzelmann,l26; Weiser,2.574; Schneider,2.
294; J. Jervell, D ieAPostelgescllnlchte
( K E K 5 ; Gt;ttingen:Vandenhoeck&Ruprecht.
l998)508
-
509. -
130-
バウロのミレトス演説の修辞学的分析 (使20: l 8
-
35) 9リア経由で
ェ
ル サ レ ムへ
向 か っ た こ と を 短 く 報 告 し て い る (使18:19
-
23)。
使徒言行録はさらに,
パウロが第三宣教旅行の途上に内陸地 方を経由してパウロがェ
フェソを訪れ,
宣教活動を行つたことを報告 し て い る ( 使 l 9 : l-
2 0 : l )。
パ ウ ロ は, ヨ ハ ネの洗礼しか知らない信 徒達に, 主 イェ
スの名による洗礼を授ける一
方 で ( l 9 : l-
7),
神の国に
つ
い て 会 堂 ( シ ナ ゴーグ ) でュ
ダ ヤ 人 達 と 論 じ 合 つ た ( l 9 : 8 )。
さ ら に,ユダヤ人聴衆の反対が厳しくなると,
会堂を離れて,
テ ィ ラ ノ という人物が提供した講堂で毎日宣教活動を行つた ( l 9 : 9-
l0)。
ミ レ ト ス 演 説 に お い て パ ウ ロ は
,「
ユダヤ人達の企てによって私の身 に及んだ試練の中にも,
私 は 遜 り と,
涙をもって主に仕えていた。」
と 述 べ る ( 使 1 9 : l 9 )。
パウロは自らのェ
フェソ宣教につ
いての外形的事 実 を 述 ぺ る よ り も,
困難な状況の中で苦しみながらも全力で宣教に従 事する自らの宣教者として姿勢を強調している。
聴衆はェ
フェソの教 会を牧する教会指導者達なのである(使20:28)。
パウロは宣教に専心 した自らの宣教者としての過去の行動を苦難の内に遜つて主に仕える ことと規定した上で,
彼らへ
の模範としてそのことを再度想起させる 教育的意図を抱いているのである(20:35を参照)'' 。
こ う し た パ ウ ロ の心構えは,
ナレーターによる客観的な叙述では語られなかった事柄 で あ り,
む し ろ,
真正パウロ書簡において,
パ ウ ロ が テ サ ロ ニ ケの信 徒達に対して自らの宣教者としての過去を回顧する部分と並行してい る (I テ サ2 : 1-
12を参照)。
パウロが遭遇したュ
ダヤ人の反対による''
Watson, l94;Fitzmyer, 676; Jervell, 509;Lambrecht, Fareweli-
Address, 309,318;T.L.Budesheim, Paul's Abschiedsrede in the Acts of the Apostles, HTR69(1976)2l
-
22.
-
13l-
l 0
困難は
,
三度の宣教旅行につ
いての報告記事の至る所に記されている ( 使 l 3 : 4 4-
5 2 ; 1 4 : 1-
7,19-
2 0 ; 1 7 : l-
9 , l 3-
l 5 ; l 8 : 5-
1 7 ; さ ら に, IIコ
リ l l : 2 4 ; I テ サ 2 : 1 6 も 参 照 )。
パ ウ ロ は さ ら に
, 「
有益なことは何一
つ 欠 け る こ と な く,
公の場所で も家でもあなた方に告げ,
教え」
と述ぺる.( 使 l 9 : 2 0 )。
公の場所とは エフェソのュ
ダヤ教の会堂や ( l 9 : 8 ),
有力信徒のティラノが提供し た講堂であろう(19:0-
10)・。
パ ウ ロ はェ
フェソ伝道に際して,
当初は会堂で説教することを中心としたが
,
ユダヤ人聴衆の反対が厳しくな る と,
会堂を離れて,
ティラノという人物が提供した講堂で毎日論じ 続 け た の で あ る ( l 9 : 9-
l0)。
使徒言行録の語り手 ( ナ レ ーター) は
,
バ ウロ がェ
フェソで語つた 内容につ
いて, 「
神の国につ
いて会堂 (シナゴーグ) でュ
ダヤ人達と論 じ合つた」
と だ け 記 し て い る ( l 9 : 8 )。
しかし,
ミ レ ト ス 演 説 に お い てパウロは,
神の国について語るだけでなく(20:25を参照), 「
ユダ ヤ人にもギリシア人にも神へ
の回心と私達の主キリスト・
イェ ス へ
の 信仰を証したのだった」
と述ぺる(使19:21)。
異邦人の人々
が多神教 の信仰から離れ,
世界の創造主である真の神に回心することが,
ルス ト ラ に お け る 説 教 や ( 使 l 4 : l 5-
l7),
アテネのアレオパゴスにおける演説におけると同様に ( l 7 : 2 2
-
31),
エフェソでもパウロの宣教の中 核に存在したことが明らかになる。
この演説は,
使徒言行録の語り手 が明示的には語つていなかった内容を,
演説者と聴衆とが共有する記 憶として語つているのである。
このことは演説が物語的文a lll1
の単なる反映に留まるのではなく
,
物語的文脈の内容をさらに堀り下げ,
深め る機能を果たしていることを示している。
-
l32-
パウロのミレトス演説の修辞学的分析 (使20: l 8
-
35) li2 0 : 2 2
- 2,l
提題(普難の通命と的教の覚悟)パ ウロは聖重の示しに従つて
ェ
ルサレムへ
向 か うのであるが,
そこ には投獄と普難,
さ ら に は,
殉教の運命が待ち受けていた(使20:23-
24)
。
しかも,
このことは聖靈が示したことであり,
パウロが受容する しかない道であった'
5。
彼は「
盡に縛られてェ
ルサレムに赴く」ので
あった(20:23)
。
しかし,
パウロのェ
ルサレム行きに苦難と殉教の運命が伴つていることは
,
使徒言行録の記述ではこの演説で初めて明らか に な っ た こ と で あ り
,
それ以前には全く述ぺられてはいなかった。
使 徒言行録の語り手(ナレーター) は,
パ ウ ロ ら がエ
ルサレムで五旬節 を 迎 え る こ と が 出 来 る よ う に,
時間を節約しながら船路を急いでいた こ と を 語 る だ け で あ っ た ( 2 0 : l 3-
l6を参照)。
演説者であるパウロは
,
苦難の運命を甘受し,
主に仕える宣教者と しての務めを,「
自分の生涯と主イェ
スから受けた務めを全うするにあ た り,
自分のいのち を 惜 し む こ と な く,
神の意みの福音を証したのだっ た」
と総括する(20:24)。
パウロの苦難の運命は,
後に預言者アガボ の言葉によって確認されるが(21:7-
l l ),
パウロはそれを甘受しよう と す る ( 2 l : 1 3 )。
ルカ福音書・
使徒言行録の読者は,
既 に 第 l 巻 で あ るルカ福音書において描かれているイェ
スの受難へ
の道行きを想起し ( ル カ 9 : 2 2-
2 3 ; l 7 : 2 5 ; l 8 : 3 l-
3 3 ; 2 4 : 7 ),
パ ウ ロ のェ
ルサレムへ
の旅と重ね合わせるのである
'
6。
使徒言行録の物語の展開の中で
, エ
ルサレムに上つたパウロは,
ユ ダヤ人民衆によって神殿で捕らえられ(2l:27-
36),
サンへ
ド リ ン ( 最'
S Fitzmyer,677; Barrett, Address, li2. '
o Weiser,2.576.
-
l33-
12
高法院)の審理を経た後(23: l
-
l0),
カ イ サ リ アへ
護送され(23: 23-
35)
,
ローマ総督フェリクスに 訴 え ら れ,
弁明を試みたものの監禁状態 を解かれることはなかった(24:1-
26)。
総 督 が フ ェ ス ト ゥス
に替わっ た後,
パウロが皇帝に上訴したために(25: l-
l2),
ローマへ
護送され( 2 6 : l
-
28:16),
皇帝の審判を待ちつつ,
福音を宣べ伝える生活を続 けるところで物語が終わる ( 2 8 : l 7-
3 l )。
ギリシアの文学的伝統には訣別の辞が存在し
,
叙事詩や悲劇の登場 人物達が死に臨んで訣別の辞を語つている'
7。
ホ メ ロ ス の「
イ リ ア ス」
440
-
465は, 勇士ヘ
クトルが困難な戦に赴く前に妻に与えた訣別の辞 である。ギリシア悲劇では,
アイスキュロス「
アガメムノーン』1256-
l 3 3 0 ( カ ッ サ ン ド ラ ー が
コ
ロス長に),
ソ フ ォ ク レ ス「
アイアース 」
815-
865(アイアースが神々
へ
),
「コロノスのオイディプス』15l5-
l554(オイディプスがテーセウ
ス
に), 「
ア ン テ ィ ゴ ネ ー」
808-
943(アンティゴネーが
コ
ロスの長とクレオーンに), エ ウ リ ピ デス 「
ヒ ュ ッ ポ リ ュ ト ス 』 l348-
l398(ヒュツ ポ リ ト ス が 神 々と テ ーセ ウスに ), 「
ア ル ケ ースティ ス」
244-
3 9 4 ( ア ル ケ ースティスが夫と子供達へ
),「へ
ラ ク レ イ ダ イ 』 500-
596(マカリアがイオラーオスに ), 「へ
カべ』l97-
2l5,342-
378(ポリ ュ ク セ ネ ー が
へ
カべとオデュツ セ ウス
に ),「
ポ イ ニ ツ サ イ」99l -
1017''
B.R.Gaventa.
Theology andEcclesiology in the Miletus Speech:Ref!ections on Content and Context
.
N T S50(2004)44-
45は, 缺別の辞とされる減説に自己の生程を回顧する自伝的要素が少ないので,自伝的要素を多く含むミ レトス演説を31lll別の辞という視点から分析することには使1意 で あ る ぺ き で あ る と 述べる
。
しかし,Gaventaが検討したのは,旧約塑書や外典・
偽典文書中に出てく る数多<のま;
l1別の辞の中でe
lllか 3 例 ( サ ム 上 l 2 : 3-
5 ; I マ カ 2 : 4 9-
7 0 ; ト ビ l 4 : 3-
l l ) で あ り,
ギ リ シ ャ1t
納l中の11 l;
l,
別の辞に至つては,
全く考慮していない。 この程度の検証作業で, ミレトス演説を訣別の辞という文学ジャンルの視点から解釈す ることの当否について結論を出すことは性急のそしりを免れないであろう。
-
l34-
パ ウ ロ の ミ レ ト ス 減 説 の 修 辞 学 的 分 析 ( 使 2 0 : l 8
-
35) l 3( メ ノ イ ケ ウスから
コ
ロスのフェニキア人女性達へ
)等に訣別の辞が見 ら れ る。
特に
,
ギリシア悲劇に出てくる訣別の辞は,
非業の死の連命を不可 避と受け止め,
親しい者と別れ死へ
赴く者と残される者達の悲哀の感 情を切々と語つている。
この悲哀の感情は,
読者の心を動かして, 共
有 さ れ
,
心理的カタルシスの効果を生む。 ア リ ス ト テ レ ス の 有 名 な 定 義によれば, 「
悲劇とは, 一
定の大きさをそなえ完結した高貴な行為の 再 現 ( ミ メ ー シ ス ) で あ り,
快い効果をあたえる言葉を使用し,
しか も作品の部分部分によってそれぞれの媒体を別々に用い,
叙述によっ てではなく,
行為する人物たちによっておこなわれ,
あわれみとおそ れを通じて,
そのような感情の浄化(カタルシス)を達成するもので あ る」
か ら で あ る ( ア リ ス ト テ レ ス「
詩学」
l449b)'
8。
ミ レ ト ス 演 説 は
,
演説者であるパウロに予想される未来の受難と殉 教の死という面では,
悲劇的な要素を含んでいる。
先に確認したよう に パ ウ ロ は「
認に縛られてェ
ル サ レ ム に 赴 く」
のであり,
受難は不可 避の速命であることを,聖霊によって告げられていた(使20:22)。
パ ウロは宣教者としての生涯の最後に迎える悲劇的運命を甘受し, 自 ら の命を捧げることも辞さない決意を表明する(使20:23)'
9。
この演説 にはこのような別れの場面でなされたものであるので,
別離の情が終 始標つてぉり,
演説者と聴衆の間で共有されている。
'
a ア リ ス ト テ レ ス「
持学」・
ホ ラ ー テ ィ ウ ス「
詩論」 (松本仁助・
岡適男訳), 岩 波文麻34買より引用。l 9Gaventa,46は, ここで重要なのはパウロではなく
,
パウロを通して働く192盤 であると述べる。 しかし, この物語的文脈の中では, パウロを通して1
動いている望3t
ではなく,「
理望に細られて」エル サ レ ムへ
赴く登場人物のパウロに ス ポ ッ ト ラ イ ト が 当 て ら れ て い る。-
l35-
l4
演説の中に用いられる説得推論の手法の点からすると
,
こ こ に は パ トスの要素が強く現れている2° 。
パ ト ス と は,
聴衆の感情に訴えること に よ る 説 得 法 で あ る ( ア リ ス ト テ レ ス「
弁論術」
l355b,
キ ケ ロ「
弁論家に
つ
いて」
2.51206 -
208,
ク ウ ィ ン テ ィ リ ア ヌ ス「
弁論家の教育」
4.
l
.
20- 22;6.2.8;6.
2.27-
36)2'。
パ ウ ロ は,
短い導入句(20:18)の後,
宣 教者として数々の苦難にも拘わらず,
涙を流しながら主に仕えてきた こ と を 振 り 返 る ( 2 0 : 1 9-
21)。
彼 は さ ら に, エ
ルサレムで待ち受けている苦難の運命を予測しながらも
,
福音宣教の生l屋
を全うする決意を 告 げ る ( 2 0 : 2 2-
24)。
演説の結びの部分では,
残されて行く長老達に対して
,
託された群れを牧し, 異端的教えを説く宣教者達から守るよ う勧める(20:15-
35)。
その際にパウロは自分がェ
フェソで3年間,
夜 も昼も涙ながらに誠心誠意教えて来たことを思い起こすように促して い る ( 2 0 : 3 1 )2 2。
演説が終わった後,
パ ウ ロ が一
同 と 共 に 析 る と,
彼 らはパウロとの別れを悲しみ,
激しく泣いた (20:36-
38)。
演説者のパトスは聴衆の心に届いたのであった
。
古典修辞学において
,
過去の事実の叙述の過程で過度にセンセーショナルな語り方をして聴衆の感情を種き立てることは
,
控えるぺき で あ る と さ れ て い る ( ク ウ ィ ン テ ィ リ ア ヌ ス「
弁論家の教育」 10.1.74) 。
歴史記述においても
,
政治的歴史の伝統では,
劇的なェ
ビ ソ ー ド を 叙 述して,
読者の感情に訴えることは邪道であるとされている ( ポ リ ビ2o Watson
.
l98-
20l;Witherington,6l4,624.
:a Volkmann, S 2 8 (=pp
.
27l-
284):
Lausberg,S257(=
pp.ll3-
l l 7 ) ; M a r . tin,96.
uJ.D.G.Dunn, T h
e
Actsof
theAp
ostles (Valley Forge,CA;Trinity Press Intemational,l996)270-
27lは,
自己弁認E
の要素を重視する。
-
l36-
パウロのミレトス演説の修辞学的分析 (使20: l 8
-
35) l 5オス「
歴史』2.56.
8-
l2;l2.24. 5 ; キ ケ ロ「
ブ ル ー ト ス に 与 え る 書 簡」
42;ルキアノス
「
歴史は如何に書かれるべきか」
63)。
しかし,
使徒言行録 はしばしば迫真の劇的場面を描いて臨場感を出し,
読者の感性を動員して過去の出来事を追体験させる面がある2 3
。
2 0 : 2 5
-
35 結語結語部分は(20:25
-
35),
パウロが聴衆の長老達に再び合うことは な い こ と を は っき り と 告 げ,
別れの主題を正面から取り上げる (20:25)24
。
こ こ に は,
イ ス ラェ
ルの遭訓文学の伝統が生きていることが認 め ら れ る25。
イ ス ラェ
ルには,ヘ
レニズム世界のように遭言による通産 処分の伝統はなかったが,
指導者が死を迎えるにあたっ
て,
残されて 行く者達を集めて倫理的な教えを与える遺訓の伝統があった (創49:1
-
2 7 ; 申 3 1 : 2 3 ; 3 2 : l-
4 4 ; 3 3 : l-
2 8 ; ヨ シ ュ 2 3 : 2-
l 6 ; サ ム 上 l 2 : 1-
2 5 ; 王 上 2 : 2-
9 ; 代 上 2 2 : 5-
l 9 ; 2 8 : 2-
2 9 : 5 ; I マ カ 2 : 4 9-
70;I I マ カ 6 : 3 0 ; 7 : 1
-
l 4 ; ト ビ 1 4 : 3-
1 1 ; シ リ・
バ ル 7 7 : l-
1 0 ; エ2 3 Haenchen,95
-
9 6 ; E.
Plu
macher, l.
ukasals he
l le,
tistischerSchrif
tslelier (Gljttingen:Vandenhoeck & Ruprecht, l972) 80-
l36;van Unnik,56-
58;Rebenich,267-270.
24 J. J.Kilga]1en, Paul's Speech to the Ephesian Elders:its Structure, ETL 70(1994)114-l l 6 は , 2 5 節 と 2 8 節 が, 2 5
-
30節金体の中で中心的な意義を有するこ と を 強 調 す る。
2 S Dibelius,135;Munck,155
-
159, 1 6 8-
1 6 9 ; H .-
J.Miche1, D ieAbschileds'
,1ede d e s P aulusa n d ieKitcheA p g 2 0,17-
3 8 ( Mu
nchen:KOsel-
Verlag,l973)35-
57;Lambrecht, 332
-
333;Conzelmann, 126;Weiser, 2.571-
573, 577-
578;Roloff, 3 0 2 ; F i t z m y e r , 6 7 4 ; D u n n , 2 6 9 ; W i t h e r i n g t o n , 6 1 2 ; H . S c h
u
rmann.
Das Testament des Paulus f
u
r die Kirche, i n idem.,Traditionsg
eschilchu
lilche
Un!,ersMchltnge,
t21tde,
1Sl1,nop,1ischen Et'
angelien (Dllsseldorf:Patmos,1968) 3 2 6 ; W . S . K u r z , L u k e 2 2 : 1 4-
3 8 a n d Greco-Roman and BiblicalFarewell Addresses, JBLl04(1985)255-261.-
l37-
l 6
チ ' エ ノ 9 1 : 1
-
l 9 ; ョ べ 2 1 : 1-
2 5 ; 2 2 : l 0-
30)。
旧約偽典のひとつであ る
「
十二族長の過訓』は,
文書全体が十二人の族長達の通訓によっ て構成されている。
新約聖書では,
最後の晩餐の際のイェ
スの言葉や( マ タ 2 6 : 2 6
-
3 0 ; マ コ l 4 : 2 2-
2 5 ; ル カ 2 2 : l 4- 3 8 ; I コ
リ 1 l : 2 3-
25)
,
ヨハネ福音書が伝えるイェ
スが弟子達に与えた別れの説教が(ヨ ハ 1 4 : 1-
16:33),
遭訓文学の要素を示している2 6。
族長物語において ヤコ
ブがその子供達に与えた遭訓や(創49: 1-
27),
モーセが約束の地を前にしながらこの世を去る際に与えた言葉は(申33:l
-
28),
残 さ れて行く者達
へ
の祝福の言葉という性格が強い27。
これに対して,
ヨシュ ア が イ ス ラェ
ル人たちに与えた過訓や(ヨシュ23:2-
16),
預言者・
祭司サム
ェ
ルがイスラェ
ル人たちに与えた遺訓は(サム上12:l-
25),
主を愛し
,
主に仕え,
主が命じた契約の言葉を遵守することを勧める倫 理的勧告の性格が強い。
モーセがヌンの子ヨシュアに与えた適訓や(申31:23)
,
ダビデ王が王子のソロモンに与えた通訓は(王上2:2-
9 ; 代上 2 2 : 5
-
l 9 ; 2 8 : 2-
2 9 : 5 ; ヨ セ フ ス「
ユダヤ古代誌』7.383 -
388),
職務の委讓及び指導者となるための心得という性格が強い
。
これに対し て, 「
十二族長の通訓」
やI マ カ 2 : 4 9-
7 0 ; ト ビ 1 4 : 3-
1 1 ; ヨ べ 2 0 : 1-
l 0 ; 2 1 : 1-
25は,
族長達が自ら体験したことを基に子孫たちに与える倫理的教えという性格が強い28
。
ギリシア悲劇に訣別の辞に見られるような
,
非業の死の運命に由来 する悲嘆の感情の表白の要素はへ
プライ文学の伝統には弱い。
旧約・
2o Michel,35
-
72; Kurz,251-
263を参照。
2 7 Michel,36
-
37,55.n Michel,41
-
44,49-
50;Barrett, Address, l09もこの点を強調する。
-
l38-
パウロのミレトス演説の修辞学的分析 (使20: 18
-
35) 17ユダヤ教の遺訓文学における訣別の辞は
,
非業の死の運命を迎えるこ とになった人物の辞世の言葉でない。
その基本的性格はむしろ,
指導 的な人物が与えられた人生の歩みを全うする前に,
残される者達に与 える倫理的教訓であるからである。
ヨハネ福音書が伝える別れの説教 において, イェ
スは弟子達に,
自分がこの世を去り,
父のもとへ
上つて い く こ と を 告 げ ( ヨ ハ l 4 : l
-
14),
残されて行く弟子達に対して, 彼 らが聖登を与えられる約束を語る一
方 で ( l 4 : 1 5-
3 1 ; l 5 : 2 6-
2 7 ; l 6 : 4-
15),
迫害の運命を予告し(15: 18-
25),
互いに愛し合うぺきである と い う 新 し い 戒 め を 与 え る ( 1 6 : 9-
17)2o。
ミ レ ト ス 演 説 に は,
先に見 た悲劇的要素に加えて,
旧約聖書の通訓文学の伝統の上に立つた倫理 的・
勧告的要素が認められる3° 。
特に,
次期の指導者へ
の心得という点で,
この演説はモーセがヌンの子ヨシュアに与えた遺訓や ( 申 3 l : 23),
ダビデ王が王子のソロモンに与えた遭訓(王上2:2-
9 ; 代 上 2 2 : 5-
1 9 ; 2 8 : 2-
29:5)の系統に属している。
ミレトス演説において
,
パウロは聴衆へ
の別れの宣言を行つた後(使 20:25),
自らの宣教者としての使命の成就を語り(20:26-
27),
その後を引き継ぐ長老達の教会の群れを;飼う務め
へ
と 説 き 及 ぶ ( 2 0 : 2 8-
29)
。
ここで注目されるのは,
未信者に対して福音を説く巡回説教者で あった自らの務めと,
使徒後時代の教会指導者達の職務に違いがある こ と が 前 提 さ れ て い る こ と で あ る。
まだ福音が伝えられていないとこ ろに福音を伝える宣教者であるパウロの働きによって,
信徒の群れで9大買隆「古代文学における「ll
3
ll別の辞」」「
福音書研究と文学社会学」
岩波t9
:店,
2 l l
-
230買を参照。3o Munck,l59
-
l 6 l ; M i c h e l , 6 8-
72;Schu
rmann,310-
3 l l:
Lambrecht,326;Conzelmann
.
l26.
-
l39-
18
ある教会が成立した(20: 25)。 使徒後時代の教会指導者は
,
出て行つ て 宣 教 旅 行 を す る こ と よ り も , 一箇所に留まって既に成立している教 会の群れを守り, 養 う こ と が 務 め で あ る と さ れ る の で あ る ( 2 0 : 2 8 )。
教 会 指 導 者 の 役 割 を 主 か ら 託 さ れ た 群 れ を 飼 う こ と で あ る と す る 理 解 は, ヨ ハ ネ 福 音 書 の 復 活 物 語 や ( ヨ ハ 2 1 : 1 5
-
1 9 ) , I ぺ ト ロ 書 に も 見 え ( I ぺ ト 5 : 1 - 4 ),
使徒後時代の教会指導者の職務についての共通理解 を 形 成 し て い る3'
。パ ウ ロ は 特 に
,
使徒後時代に,
異端的教えを説く宣教者達が教会に 訪 れ て 来 る こ と や, 教会員の中からも間違つた教えによって会員達を 背 教 さ せ る よ う な 者 達 が 出 て く る こ と を 予 告 し,
警 戒 を 怠 ら な い よ う に呼び掛けている3 2。 こ の こ と は,
この演説が将来にエフェソの教会に 起 こ る こ と が 予 想 さ れ る 間 題 を 先 取 り し て い る こ と を 意 味 す る3 3。
し か も,
このような異端的教えによる混乱の問題は,
以後の使徒言行録 の 物 語 の 展 開 に も 現 れ る こ と が な い。
これは物語批評では,
物語的時 間 を 超 え た 時 間へ
の 先 取 り 的 (proleptic) 言 及 と 呼 ば れ る 手 法 で あ る3 4。同様な手法は,共観福音書の小黙示録と呼ばれる部分で, イェ
ス が 終 わ り の 時 に 起 こ る べ き こ と を 弟 子 達 に 予 告 す る 言 葉 に 見 ら れ る ( マ タ 2 4 : 1-
5 1 ; マコ 1 3 : 1-
3 7 ; ル カ 2 1 : 5 - 2 8 ) 。 世 の 終 わ り と い う 究極の未来は,
福音書の物語の時間の中に未だ到来してはおらず, 弟3
'
Schneider,2.296;Roloff,305;E.LOvestam, P a u l 's Addressat Miletus,S 「 4 1 ( 1 9 8 7 ) 1-10.
3 2同様な混乱については, I テ モ 4 : 1-8 ; I I テ モ 3 : 1-9 ; I I ぺ ト 1 : l 5
-
1 6 ; 3 :1-4を参照。
3 3 Sch
u
rmann,311-3 2 2 ; L a n、
brecht,335-
3 3 6 ; K u rz,,265;Roloff,306;Niel.sen,158
-
159.3 4 Nielsen.166-l69.
-140
-
パウロのミレトス演説の修辞学的分析 (使20: l 8
-
35) 19子達と読者は
, 「
日を覚ましている」
こ と が 求 め ら れ る の で あ る ( マ タ 2 4 : 4 3 ; マ コ l 3 : 3 7 ; ル カ 2 2 : l 4- 3 8 ; I コ
リ l 6 : 1 3 ; I テ サ5 : 6 )。
物語を越えた出来事
へ
の先取り的言及は,
ルカ福音書が伝える最後の晩餐の際のイ
ェ
スの言葉や(ルカ22:l4-
38),
ヨハネ福音書が伝える別れの説教にも見られる
。
この説教において,
イェ
スは弟子達に,
自 分がこの世を去り,
父のもとへ
上つて行つた後(ヨハ14:1-
l 4 ), 残 されて行く弟子達に対して
,
彼らが聖室を与えられる約束を語ると共に( 1 4 : 1 5
-
3 l ; 1 5 : 2 6-
2 7 ; l 6 : 4-
l5),
迫害の運命を予告する(l5:l8-
25)
。
これらの事柄は,
ヨハネ福音書の物語的時間の中では未だ起こる ことがない未来のことであり,
先取り的言及である。
これは,
ミ レ ト ス演説の先取り的言及と非常に近い事例である。
この演説の結びの部分は
, 「
さ あ,
私はあなた方を神とその恵みの言 葉に委ねる。
恵みの言葉はあなた方を造り上げ,
すべての聖徒達の間 で兩業を与える力がある」
(使20:32)という執り成しの祈りの言葉と なっている。
宣教者であるパウロ が,
ここでは祭司的な役割を引き受 け,
聴衆である長老達を神とその恵みの言葉に委ねるのである。
かつ
て族長ヤ
コ
プ の 過 訓 や ( 創 4 9 : l-
27),
モーセの遭訓は(申33:1-
28),
残されて行く者達
へ
幸 い を 析 り,
祝福を告げる言葉で結ばれていた。
こ う し た イ ス ラェ
ルの文化的伝統が,
新約時代にも受け継がれ,
ヨハネ 福音書が伝えるイェ
スの別れの説教(ヨハ14:l-
l6:33)の直ぐ後に,
世に残されて行く弟子達が
一
つとなるように祈る大祭司の祈りが続い て い る ( l 7 : 1-
26)。
ミ レ ト ス 演 説 は,
ギリシア悲劇に由来する訣別の 辞の文学的伝統を踏まえると同時に,
イスラェ
ルの文化的伝統をキリスト教化された形で継承しているのである
。
-
l 4 l-
20
演説の結びの句である使20:33
-
35は,
パ ウ ロ の 宣 教 者 と し て のエ
ー ト ス を 示 し て い る。「
私は金銀や衣装を求めたことはなかった。
承 知の通り,
私の必要や同行者達の必要は自らの手が賄つたのだった」
と い う 発 言 は ( 使 2 0 : 3 3-
34),
パ ウ ロ が 自 ら 働 く こ と に よ っ て 経 済 的 必要を賄い
,
エフェソ教会の人々の経済的援助を受けなかったことを意味する
。
使徒言行録は, コ
リ ン ト に お い て,
ア キ ラ と プ リ ス キ ラ の 家 に寄宿して,
テ ン ト 造 り の 仕 事 に 従 事 し た こ と を 記 し て い る ( 使 l 9 : 1-
3)。
真正パウロ書簡も,
パ ウ ロ が テ サ ロ ニ ケ とコ
リ ン ト に お い て 職 業労働に従事して自らを経済的に支えたことに言及している ( I テ サ2 : 9 ; I コ
リ 9 : l 2 ; I I コリ l l : 9 )3 S。
パウロ自身は使徒として信徒達 から経済的支援を受ける権利を持つと 考 え て い た が,
信徒達の経済状 態を考慮し,
負担を掛けない配慮をしたのであった ( I テ サ 2 : 9 ; l コ リ 9 : l 2 ; I I コリ 1 l : 9 )3 6。
使徒言行録は, エ フ ェ ソ に お い て パ ウ ロ が 職業労働に従事した記事を置いてはいないが,
ミ レ ト ス 演 説 は バ ウ ロ がアジア州の宣教の拠点を置いたこの町においても,
他の都市での宣 教の場合と同様に,
職業労働に従事して自らと同行者達を経済的に支 えたことを周知の事実としている3 7。
イェ
スやその弟子達は,
家族や職 業や財産を捨てて巡回説教の生活に入つた(マタ4:18-
2 2 ; 9 : 9-
13;マ コ 1 : l 6
-
2 0 ; 2 : l 3-
1 7 ; ル カ 5 : 1-
l 1 ; 5 : 2 7-
32)。
イェ
スは弟子達の宣教派遺にあたって, 何も持たずに宣教に赴き
,
行つた先で提供される宿泊場所や
,
食べ物や衣類などの支援を受けるように指示してい3 S この点については, 抽構「初代教会の宣教者の扶装を受ける権利」 「パ ウ ロ の 宣教
」
教文館,
l998年, 1 4 0-
169頁を参願。3 6 Rolof「,307;原口, l 4 5
-
l48頁を参照。3 Lambrecht,32l.
-
142-
パウロのミレトス演説の修辞学的分析 (使20: 18
-
35) 2lる ( マ タ 1 0 : 5
-
l 5 ; ル カ l 0 : 2-
1 2 ; さ ら に は, マ コ 6 : 7 -
1 l ; ル カ 9 : l-
6を参照)。
これに対して,
地中海世界のヘレニズム都市を拠点にしたパウロの宣教の
ェ
ー ト ス は,
パレスチナのュ
ダヤ人社会において宣 教活動を行つたイェ ス
やその直弟子達の宣教のェ
ー ト ス と は 異 な っ て いたのである38oパ ウロは自らの手で働いて生活を支え
っ つ ,
宣教活動に従事した生 活形態を,
使徒後時代の教会指導者の模範と考え,
同 じ こ と を 行 う よ う勧めている。
パ ウ ロ は, 「
このように働いて弱い者達を受入れ, 「
受 けるよりも与える方が幸いである」
と い う 言 わ れ た,
主の言葉を思い 起 こ さ な け れ ば な ら な い と い う こ と を,
私はあなた方にとりわけ示し たのである」
(使20; 35) という言葉で演説を締め括るのである。 「
受 けるよりも与える方が幸いである」
と い う イェ
スの言葉伝承は,
新約 聖書の他の箇所には出て来ていないが,
同様な格言は,
ギ リ シ ア・ロ
ーマ世界や(ツキディデス
「
戦史」 2.97.
4 ; セ ネ カ「
倫理論集』8l.
l7),
旧 約 外 典 ( シ ラ 4 : 3 l ),
使 徒 教 父 文 書 ( I ク レ 2 : l ; デ ィ ダ ケ一
l : 5 ) に は見られる3° 。
この言葉伝承は,
自 らの
みならず他の人々を経済的に支 え る こ と を 勧 め て い る 点 で,
真正パウ ロ 書 簡 か ら 知 ら れ る パ ウ ロ の 姿 を超えている。
使徒言行録の著者は他の資料には伝えられなかった特別な資料を引用することで
,
働きながら宣教する生活形態に規範的意義 を 与 え よ う と す る の で あ る
。
°
原口, 16l貢を参照。3 9 Bruce,437;E.PIOmacher
.
Eine Thukydidesreminiszenz in der Apostel-
geschichte(Act20,33
-
3:)̲
Tuk I I 9 7.
3f.).
ZNW 8 3 ( l 9 9 2 ) 270-
275; J. J.Kilgallen, Acts20:35and Thucydides2.97.4,JBL l l 2 ( 1 9 9 3 ) 3 l 2