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かかわることば 参加し対話する教育・研究へのいざない

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Academic year: 2022

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書 評 ページ上部に印刷業者が飾りを入れるのでこの2行の余白をカットしないこと

佐藤 慎司・佐伯 胖編

かかわることば

参加し対話する教育・研究へのいざない

東京大学出版会、2017年発行、217p.

ISBN:978-4-13-053089-7

李 在鎬

1.はじめに:推薦ポイント

本書は、教育人類学の専門家であり、『未来を創ることばの教育をめざして-内容重視の 批判的言語教育(Critical Content-Based Instruction) の理論と実践』(2016年、ココ出版)

の編著者である佐藤慎司氏と幼児教育の専門家であり、『認知科学の方法』(2007年、東京 大学出版会)の著者である佐伯胖氏の編集のもとで、言語教育の研究者と発達研究の専門 家の共同作業によって実現した書籍である。「ことば」と「教育」をテーマに、児童教育学、

社会人類学、外国語教育学、発達心理学、言語文化教育学、国語科教育など異なる背景を 持つ研究者が「かかわる」をキーワードに考察を展開している点で意義深い論文集である。

本書は、多分野における最新の研究成果を盛り込んでいるため、簡単に読める書籍では ない。また、本書を読み終えれば、ことばの教育に関するテクニックが身につくわけでも なければ、面白い授業ができるようになるということもないであろう。それにも関わらず、

本書が『早稲田日本語教育学』の書評として取り上げるに値する理由は、次の一点に集約 される。それは、ことばとはどのような性質のもので、それを教えるという行為が何を意 味するのかについて、原点に立ち戻って考察している点である。さらに、アプローチ面で 評価できる特徴として、次の2点を指摘しておきたい。1点目は、ことばを静的で客観的 な存在として捉えるのではなく、動的で主観的な存在として捉えている点である。いわゆ る合理主義と経験主義の対立で言えば、経験主義的アプローチに基づいていると言えよう。

2点目は、ことばの教育を閉じた教室活動に限定せず、社会やコミュニティへの接続を意 識したダイナミックな営みとして捉えている点である。この点において、本書は、これか らの日本語教育が考えていかなければならない社会的な課題を明らかにする上でも重要な 視点を提起しているとみることができる。

個別の現象のみに注目し、日本語教育学の本質を見失ってしまった人、日頃の授業やク ラス運営の多忙さ故、自身の教育実践の意味を再考する余裕を失った人に、ぜひ一読して ほしい一冊である。

書評の右ページ上部飾りは、

「書評」の文字のみ右寄せで入れる。

223 書 評

書 評

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ヘッダーは印刷業者で入れます

― 2 ― 2.本書の問題意識

本書は、「ことばとは何か」という問いかけで始まり、その「ことばの教育とはどのよう な営みであるか」「ことばの教育はどうあるべきか」についても考察を展開している。

まず「ことばとは何か」という問いについて考えてみよう。これは一見、単純な疑問に 見えて、実は全く単純ではない。ことばの問題を考えることは、人間の問題を考えること であるため、ことばが何かという問題は、実質的に人間とは何かという問題と同じくらい 大きな研究課題である。「ことばとは何か」という問いに対する普遍的な回答は未だ存在し ないし、おそらく今後も出てこないであろう。多くの先行研究では、ことばが持つ何らか の機能に注目し、「ことばとは何か」という問いに答えようと試みてきた。ある研究者は、

思考を司る道具の体系として定義づけたり、ある研究者は、コミュニケーションを行うた めの道具の体系として定義づけたりしているが、少なくとも「ことばが何か」という問い を必要十分条件でもって定義づけることは不可能というのが、現代における言語研究者の 共通理解ではないかと思う。

さて、本書においては「ことばとは何か」という課題に対して、ユニークなアプローチ をとっている。それは、「①関係する、たずさわる、②こだわる、なずむ」を意味する「か かわる」という観点をキーワードにしている点である。本書のアプローチは、ことばを人 間の脳みその中に埋め込まれている文法遺伝子によって構築された抽象的かつ普遍的な記 号体系として捉える見方とは異なり、人と人が社会で交わるプロセスにおいてダイナミッ クに揺れ動く体系として捉えているのである。

ソシュール以降の近現代の言語研究では、普遍的な規則の抽出や言語現象の一般化こそ が価値ある研究であるというのが暗黙の了解事項であったと考えられる。こうしたアプ ローチにおいては、現実のことばの使用に見られる多様性や対人関係に応じた動的性質は 捨象され、あくまで客観的存在物として固定的に捉えられてきた。山梨(2000)が指摘す る記号ショービニズムの問題である。本書の編者が意図したものではない可能性もあるが、

私には本書における「かかわることば」は、これまでの科学的言語研究が行ってきた過度 な抽象化を問題提起しているように思えてならない。

本書のもう1つの問いである「ことばの教育とはどのような営みであるか」についても、

「かかわる」という観点がキーワードとして機能する。「かかわる」という観点からことば の教育を捉えた場合、(ことばは本質的に対人関係と切り離せない故に)ことばの教育は社 会やコミュニティと切り離すことはできないという見方に帰結する。佐藤氏の言葉を借り れば、「ことばの教育とは、言葉を教えることを通して、社会、コミュニティの、そして、

自分の「善良」「望まし」さについて(批判的に)考えていくことを促進する営みである」

ということになる。こうした見方に立った場合、「ことばの教育=語彙や文法規則を機械的 に教える」教育から「ことばの教育=批判的思考の育成を目指す人間教育の1つ」という 新たなビジョンでもって、ことばの教育を捉えることができる。

224

早稲田日本語教育学 第24号

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― 3 ― 3.本書の構成

本書は、3部構成になっており、合計で7本の論考が収録されている。具体的には以下 の構成になっている。

1部 かかわることば、かかわらない言葉

1章 人間の発達をかきなおす:かかわることば、かかわらない言葉(佐伯 胖)

Ⅱ部 ことば(を使う)とは、どういうことか?

2 章 かかわりからはじまるこどものことば、アートのことば:絵の中で豊かにしゃべ り始めた子ども(刑部育子)

3 章 言語だけでなく色・かたち・デザインも語る:文字や表記システムと社会的実践 としてかかわる(奥泉 香)

4章 ことばでエスノグラフィーを書くこと、自己を振り返ること:越境する「私たち」

と教育のフィールドワーク―対話的オートエスノグラフィーの試み(井本由 紀・徳永智子)

Ⅲ部 ことばの教育

5 章 教師が一人ひとりに向き合うことばを考える:授業を演劇化する「教える技術」

―英語教育者は学習者とどう向き合うのか(仲 潔)

6 章 言葉で出会う、ことばで変わる:社会・コミュニティ参加をめざすことば(佐藤 慎司・熊谷由理)

7 章 排除のことばを越えることばをもとめて:言語・文化・アイデンティティの壁を 越えて―ともに生きる社会のための対話環境づくりへ(細川英雄)

まず、Ⅰ部の1章は、2014年5月に行われたプリンストン大学日本語教育フォーラム での佐伯氏の基調講演を文章化したものである。佐伯氏の論考において特に興味深い点は、

ことばは、人と人の関係の中で生まれた体系として位置づけている点であり、いわゆる二 人称的科学の研究対象として捉えられている点である。こうした位置づけにおいて人と人 の関係の中で生まれる「かかわることば」と中立的観点から語られる「かかわらないこと ば」という概念が提案されているのである。

次にⅡ部における3編の論考は、1章の佐伯氏の論考をベースにして、発達心理学や社 会人類学的観点に基づいて、ことばの使用に関する問題を扱っている。ここでは、「かかわ ることば」は本質的に聞き手や読み手の存在を前提に生まれるものであることを指摘して いる。

最後にⅢ部では、ことばの教育をめぐる具体的な実践例を紹介しつつ、言語教育の社会 接続に関する問題を取り上げている。ここでは、「かかわらないことば」の問題点、「かか わることば」を重視した教育実践、言語教育の最終目標としての市民性形成に関する課題 を提起している。

225 書 評

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以上の論考をとおして、編者や著者らは、ことばとは何であり、その教育はどうあるべ きか、そして、その中で「かかわることば」と「かかわらないことば」の役割はどんなも のかについて考察している。

4.最後に

書評の最後として、巻末に記された2名の編者によるひとことメッセージを紹介する。

1.外国語・継承語・国語・日本語教育だけでなく、様々な分野の方ともっとつながり、

ことばの教育、教育のことば、かかわることについてもっと考えていきたいと思っ ています(佐藤慎司)

2.「言葉」を「言語」という三人称化した概念ではなく、「ことば」という、相手がい

て相手に語りかけるという、二人称的概念として捉え直すこと、これは「大変なこ と」ですよね。(佐伯胖)

本書の基軸となっている「かかわることば」と「かかわらないことば」は、言葉がもつ アナログ的性質とデジタル的性質を示すものと理解することができる。「かかわることば」

は生身の人間の対話の中でダイナミックに揺れ動くものであるため、部分性より全体性が 強調され、多分にアナログ的属性を持つ。一方の「かかわらないことば」は高度な論理性 と客観性を伴っており、要素還元的であるため、デジタル的属性を持つ。「かかわることば」

と「かかわらないことば」をアナログ対デジタルのアナロジーで考えると、両者は二項対 立的に見えるが、本書の編者である佐伯氏も指摘しているように、両者は明確に線引でき るものではない。様々なことばの使用の場において、「かかわることば」と「かかわらない ことば」は複雑に絡み合っているのであり、ことばの教育に関わるものは、人のことばと その使用には、両方の側面が共存していることを理解し、自らの教育実践にのぞむべきで あろう。

参考文献

佐藤慎司・高見智子・神吉宇一・熊谷由理(編)2015『未来を創ることばの教育をめざして―内容 重視の批判的言語教育(Critical Content-Based Instruction)の理論と実践』ココ出版 佐伯胖(2007)『認知科学の方法』東京大学出版会

山梨正明(2000)『認知言語学原理』くろしお出版

(り じぇほ 早稲田大学大学院日本語教育研究科)

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早稲田日本語教育学 第24号

参照

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