VOL.7,No.1,35‑40,(2000)
岡山市 北部 ,備 前,富原炭鉱 の爽炭 層 と
「山砂利 層 」 との関係
Re l a s hons hi psbe t we e n HMount a ionGr ave l s ' 'andt heBi z e n andTom iha raCoalMe as ur e s ,nor t he r nOka yamaCi t y ,
Sout hwe s り a pan
鈴木茂之
(shigeyukiSUzUKI)*中揮圭二
(KeijiNAKAZAWA)**田中 元
(HajimeT
ANAKA)***TheBizenandTomiharaCmIfieldswhichweresituatedinnorthernOkayamaCity,had pr(山ucedlignlteduhng1940S・Distributionofcoal measuresindicatesthatthecoalmeasuresare lnterCalatedinthemiddleoftheso‑called'‑MountainGravels叶.The什MountainGravels"issutxlivided intotwoformations;theolder,atDut34‑35Ma,andtheyounger,atx)ut27Ma,offissiontrackages・ TheolderformationincludestheBIZenCoal Measures,Ontheotherhand,theTomi haTaCoal Measuresareintercalatedintheyoungerformation.
Keywords:BizenCoalMeasures,Tomi haraCoalMeasures,OkayamaCity,Ⅰもleogene. tは じめに
岡山市北部に位置す る岡山空港南方の丘陵地 硬では,短期間ではあったが炭鉱が開発 され, 亜炭が採掘 された.炭質 に差があったため,質 の 良 い もの と悪 い もの を混 ぜ て利 用 した とい う.採掘は1943年か ら1950年までの,太平洋戦 争終戦前後 の物資が欠乏 していた時期 に行われ た.炭量 も少な くほとん ど採掘 されつ くして閉 山 して いる.備前炭鉱は岡山市富吉 (旧御津郡 馬屋上村富吉),富原炭鉱 は岡山市富原 (旧御 津郡横井村富原)に所在 していた, これ らのは か この付近では馬屋炭鉱が備前炭鉱 の北に隣接 する岡山市箕畑 (旧御津郡馬屋上村箕畑)に,
高清水炭鉱が岡山市富吉西方高清水山北麓 (旧御 津郡馬屋上村高清水山)に所在 していた.
これ らの炭鉱で採掘された石炭層は砂岩寵岩層 に挟まれてお り,地層の時代は新第三紀 とされて いた (河合,1950).また これ らの炭鉱周辺 に はいわゆる 「山砂利層」が分布 してお り,河合 (1950)は この層 を第四系 と推定 した. しか し鈴 木 ほか(1995)によって本地域 内の 「山砂利層」
や爽炭層に挟まれる火山灰層か らフィッション ・ トラック年代値が得 られ,これ らは始新世か ら漸 新世のものであることがわかってきた.そのため 爽炭層の時代や 「山砂利膚」 との関係についても 検討する必要がでてきた.現在 これ らの炭鉱は閉
* 岡山大学理学部地球科学科,〒700‑8530 岡山市津島中3‑1‑1
辛 IkpartmentofhrthSciences,FacultyofSciemcc,Okayam aUmiverslty,Okayama700‑8530,Japan
** 京都大学名音教授,〒603‑8132 京都市北区小山内河原町28‑2
** EmeritusProf・ofKyotoUmiverslty,28‑2KoyaJnauChikawaJ3‑Machi,mta‑Ku,Kyoto
6
03‑8132,Japan*** 復建調査設計杯式会社.〒700‑0921 岡LLI市東古松4‑5‑16
* * *
FukkenCo・4‑5‑16Higashifurumatsu,Okayama7(カー脚21,Japan3 6
鈴木茂之 ・中滞圭二 ・田中 元 じられ ,坑道 な どもすで に失われて いるが,中浮は
1946
年 に通産省地質調査所 の依頼 を受 けて 備前炭鉱 と富原炭鉱 の地下資源探査 のため に, 炭層 の分布や炭鉱周辺 の地質 の調査 を行 って い た.そ こで この調査資料 をもとに炭鉱周辺 の地 質調査 を行 い,爽炭層 と 「山砂利層」 との関係 につ いて検 討 した.そ の結果石炭 を産 出す る地 層は 「山砂利層」 に挟 まれて いる こと,備前炭 鉱は34‑35Ma
の,富原炭鉱 は27Ma
の,それぞ れ 堆 積 年 代 と堆 積 場 が こ とな る別 の 「山砂 利 層」 に属す ことが明 らか にな った.以下 に各炭 鉱周辺の地質 と炭層について記載す る.なお 「山砂利 層」 を構成す る榛 か らな る地層 は地表付近 では未聞船 にみ えるが,土木工事で 切 り出 されたなか には,団結 して いるものが良 く認め られ る.そ こで この廉か らな る層 は凍岩 として記 載す る. また
「
山砂利層」 の定義 は検 討 中であ り,鈴木( 1996)
が仮称 した地層名 も 変更す る予定で あるが,本報告 で は地層名 は鈴 木( 1996)
を用 い,地層の細分 はユニ ッ トを用 いる.ll岡山市北辞の地形地質概要
調査 地域 は岡山平野の北側 に隣接す る丘陵地 と山地か らな る.丘陵地 は標高
50‑80m
で山地 の麓 に分布す る.ゆるい起伏が ある.山地 は標 高150‑200m
で吉備高原 の南縁 にあたる.頂部 はなだ らかであ るが,やや急 な谷 がはいる.な だ らかな頂部 を利用 して調査地域 北方 の 日応寺 に岡山空港が建設 された.構成す る主な地質は基盤岩類 ,第三系,沖積 層か らな る (第
1
図),基盤岩 は 白亜紀後期 の 花 樹岩 が主体 で ある.南部 の楢津 にホル ンフェ ルス化 した古 生層 (超丹波帯)が分布す る.古 生層は捉岩 が健 勢でわず か に砂岩 を伴 う.第三 系はいわゆる 「山砂利層」である.山地 内の宮 古, 田原,上芳賀 (かみ はが) に分布す るもの と,丘陵地 をな して富原 ,佐 山に分布す る ものがある.いずれ も凍岩層が主体であるが中部に石 炭 を伴 う砂岩泥岩層を挟む.備前炭鉱の爽炭層は 前者の,富原炭鉱の挟炭層は後者の 「山砂利層」
に属す.沖積層は現谷底平野や岡山平野をな して 分布 している.
川儀前炭鉱の地質
採掘は箕畑西部で行われていた.備前炭鉱周辺 は基盤の花尚岩,典型的な 「山砂利層」および砂 岩主体で泥岩 と炭質泥岩や石炭 を伴 う地層か らな る. これ まで 「山砂利層」は第四紀の,砂主体 の 層 は第 三紀 の もの と考 え られ て いた (河 合 ,
1950)
. しか し1 946
年 に行われた中浮 による調 査資料 と,かつて採炭に従事 していた田中時夫氏 か らの情報 をもとに再検討 した結果,次のようなことがわかった.
田中氏が示 した抗 口の位置や採炭徹域は,中浮 の調査 による石炭層の分布 とよく一致 し,石炭層 は標高約
125m
を水平 に箕畑か ら市尾の谷に連続 していた ことが確認できた.石炭 を挟む砂岩主体 の地層は標高約1 00m〜1 40m
の範 囲にあ り,下 位 と上位 にある 「山砂利層」の廉岩層に挟 まれて いる (第1図,第2図 A‑B断面).すなわち石 炭 を挟む砂岩主体の地層は 「山砂利層」の一部で あることがわかった.本炭鉱周辺の 「山砂利層」は下位か ら,下部凍岩ユニ ッ ト,中部爽炭砂岩捉 岩ユニ ッ ト,上部凍岩ユニ ッ トに区分できる. こ れ らは基盤の花尚岩にオンラップしている. この
「山砂利層」は鈴木
( 1996)
が仮称 した加茂川 層に属す.下部凍岩ユニ ッ ト ;中〜大榛サイズの亜 円榛か らなる.本炭鉱周辺では標高
60‑11 0m
の範囲に 分布す る.基底付近では しば しば巨磯 を伴 う.僕 種は流紋岩,古生層堆積岩,それ らのホル ンフェ ルス,安山岩,花尚岩な どでか らなる.横の間を 埋める基質は粗粒か ら中粒の砂である.淘汰度は やや良い.基質の泥が乏 しく,セ メン トもほとん どないことか ら,地下では固結 しているが,地表付近で基質が風化す ると疎が分離 し,未固練の 外 観 を なす .砂 岩 〜泥 岩 か らな る厚 さ
10‑
100cm
の レンズ状の地層 を挟む ことがある. こ れ らは上に凸の レンズ状の形態 をなす もの と平 行 な地 層 と して側 方 にやや連続す る ものが あ る.後者 の地層 は上位 の僕岩 に削 られて連続が 絶 たれ る ことが多 い. また この後者 の地 層 中 に,稀 に凝灰岩 の単層が挟 まれ る.風林 (かざ はや) で採取 され た凝灰岩 か ら35. 8±1. 4Ma
(鈴木 ほか
,1 995)
のフィッション ・トラック 年代測定値が得 られている.中部爽炭砂岩泥岩ユニ ッ ト ;主 に粗粒か ら中 粒の砂岩か らな り,泥岩や炭質泥岩,亜炭 を伴 う.下限は箕畑北部で認め られ標高約
1 00m
で下 部凍岩ユニ ッ トを覆 う.上限は箕畑西部で認め られ標高約140m
で上部廉岩ユニ ッ トに覆われ る.上位 の上部僕岩ユニ ッ トとは一般 に水平な 境界で接す るが, しば しば削 り込 まれ る.その ため,中部爽炭砂岩捉岩ユニ ッ トは側方への連 続が絶たれ,限 られた分布 をなす.本ユニ ッ ト の砂岩 には廉 を含む ことが多 い.榛 ま じりの砂 岩か ら砂岩 を経て砂質泥岩 と上方細粒化す る.この上方細粒化す る地層の下限は明瞭で,下位 の泥岩 を削 り込む ことが多 い.砂岩 は淘汰はや や 良 く,組成 は花尚岩質である.凝灰岩 を稀 に 挟む.田中時夫氏宅裏 の凝灰岩は中粒か ら細粒 の流紋岩質凝灰岩で厚 さは
2m
に達す る. この凝 灰岩 の単層は田原,箕畑 に連続 して分布す る.この試料でフィッション ・トラック年代測定が なされ
,34. 0±2. 7Ma
(鈴木ほか,1995)
の値 が得 られて いる.備前炭鉱 は箕畑西部にあ り, 石炭層は標高約125m
付近 に水平 に連続 してい た.石炭層は泥岩 または砂岩 の単層 と亜炭単層 の互層か らなる.亜炭単層の厚 さは1 m
に達する ものもあったが,一般に1 0cm
か ら20cm
と変化 し末端は尖滅する.上部凍岩ユニ ッ ト ;中〜大横サイズの亜 円轟 か らなる.本炭鉱周辺では標高約
11 0m〜180m
の範囲に分布する.中部爽炭砂岩泥岩ユニ ッ トを 削 り込んで欠如 させることが多 く,直接下部凍岩 ユニ ッ トと接することがある. この場合両者 とも 横形,療経,基質および基質の量,淘汰度に大き な差異がないため,区別は困難である.廉種は下 部磯岩ユニ ッ トのものとほぼ同様で流紋岩,古生 層堆積岩,それ らのホル ンフェルス,安山岩,花 樹岩など岡山市北部か らその北方の御津郡一帯に 分布する地質を反映 している.
rV竃原炭鉱の地質
採掘は富原西端の旧横井村 と旧平津村の境界付 近で行われ,両村を結ぶ散泊峠の東側の道路沿い に坑 口があった.この周辺 も備前炭鉱 と同様に基 盤の花尚岩 と典型的な 「山砂利層」,および亜炭 を伴い砂岩 と泥岩か らなる地層が分布する.これ ら富原炭鉱周辺の 「山砂利層」の分布高度は備前 炭鉱周辺の 「山砂利層」よ り低 く,標高約
1 00m
以下である.備前炭鉱周辺の 「山砂利層」のもっ とも低 い基底が標高70m
であるのに対 して,富 原炭鉱周辺の 「山砂利層」の基底は標高‑20m
ま で下が ると考 え られ る.河合( 1 950)
は この炭 鉱周辺でも 「山砂利層」は第四紀の,爽炭層は第 三紀のものと考えていた.富原周辺では凍岩が爽 炭砂岩泥岩層を覆って分布 している.爽炭層は標 高5‑15m
で分布す る.山陽 自動車道 の工事 に よってその挟炭層よ り低い標高にも凍岩が広 く分 布することが確認された.すなわち富原炭鉱地域 で も備前炭鉱地域 と同様に挟炭層は 「山砂利層」に挟まれている (第 1図,第
3
図).また備前炭 鉱地域 と同様に本炭鉱周辺の 「山砂利層」 も下位 か ら下部廉岩ユニ ッ ト,中部爽炭砂岩泥岩ユニ ッ ト,上部凍岩ユニ ッ トに区分できる.富原炭鉱周 辺の 「山砂利層」の分布を追跡すると,岡山市北 部の辛香,御津町金川,建部町福渡,久米南町宮 地へ と続 く.鈴木( 1996)
は この 「山砂利層」 を旭川層と仮称 している.久米南町宮地の 「山砂 利層」中の凝灰岩か ら27. 1
士1 . 5
Maというフイツ38 鈴木茂之 ・中滞圭二 ・田中 元
□
健砂及び泥砂岩泥岩
即
A
.山砂利層基盤岩
砂岩泥岩
期
亡 ヨ
鵬 1ニE ヨ石 炭
岩板粘
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箕畑
■ ÷c ■t■■ I l 0 NL
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iiii=第2図 備前炭鉱地域 の地質断面図
要南海知斡
o)
A‑t「違憲」t墓蔀40 鈴木茂之 ・中浮圭二 ・田中 元 シ ョン ・トラック年代値が得 られている.
下部庚岩ユニ ッ ト ;調査地域 内で はほ とん ど 沖 積 層 の分 布 高 度 よ り低 い位 置 に分 布 す るた め,露頭 と して現 われな い.山陽 自動車道 工事 に伴 うボー リング調査で確認 されている.
中部 爽 炭 砂 岩 泥 岩 ユ ニ ッ ト ;下 位 か ら砂 岩 (厚 さ2‑3m),石炭層 (厚 さ約1.5m),泥岩 (厚 さ数m〜8m)で全体で10m余 りの厚 さをな す .石 炭層 は亜 炭 と寵岩 の互層 か らな り,それ ぞれの単層の厚 さは10‑30cmである. これ らの 単層 は厚 さが変化 し対 比 しに くい ことか ら,逮 続性 は あ ま りよ くな く尖滅す る と考 え られ る.
この地 層 は北で は薄 くな る.本炭鉱 よ り北 北西 1.5kmの佐 山では100年近 く前に 「無煙炭 ?」を 採取 した ことが あ る とい う.佐 山南部では 山陽 自動車道 工事 の際 ,本 居 の延 長部 と推定 され る 場所 に轟頭 が 出現 したが ,横 層 しか兄 い出 され なか った.桂坂 (ぐいさか)西方500mで の山陽 自動車道 吉備サ ー ビスエ リアの工事 の際 も,大 規 模 な造 成 で 丘 陵 地 全 体 が 露 出 した が ,本 ユ ニ ッ トは兄 い出 されず凍 岩 か らな って いた. こ の ことは後述す る推定断層 によ って 中部爽炭砂 岩泥岩ユ ニ ッ トが10m程度 落 ち込 んだため と考 え られ る.
上部凍岩 ユニ ッ ト ;富原 か ら芳賀 佐 山団地 にか けて丘 陵地 をな して分布 して いる. 中〜大湊サ イズ の亜 円廉 か らな る.横形 ,凍経 ,基 質お よ び基質 の量 ,淘 汰度 は備 前炭鉱 周辺 の僕岩 と差 異が な い.凍種 も備 前炭鉱 周辺 の磯 層 と同様 で 流紋岩 ,古 生層堆積 岩 ,それ らのホル ンフェル ス,安 山岩,花尚岩な どで構成 され る.
断層 と地層の傾斜
富原 炭鉱坑 口にお いて 断層が認 め られた .節 層面 の走向N20oW,傾斜65oEである.石炭層 は この 断 層 を境 に東側 が約10m下 が って い る (第 3図) . また第3図 中の
a
地点 とb地点 で の 試錐 の結果,両地点間の距離が130mと短 いなが ら着炭深度 が10m程度差 が あった.前述 した ように中部爽炭砂岩泥岩ユニ ッ トが桜坂よ り西方 に 連続 しない ことと考 えあわせて, この部分 に西側 が10m程度下が る断層が推定 され る.
坑 口か ら西 に向か う道路沿 いでは,試錐 によっ て地下の石炭層が追跡 されている.坑 口の西 (第 3図
d)
では標 高16mで,そ の西 (第3図C)で は標 高13mで , さ らに西 (第3図b)
で は標 高 12mで着炭 して いる. この ことか らこの部分 の 地層 は西 に緩 く傾斜 して い る ことが推定 され る(第 3図).
V
ま とめ1.石炭層は 「山砂利層」 に挟 まれてお り,古第 三紀 のものである.
2.備 前炭鉱 の爽炭層は34‑35Ma頃の標高約60
‑180mに分布す る 「山砂利層」 の,富原炭鉱 の 爽炭層は27Ma頃の標高約‑20‑100mに分布す る
「山砂利 層」 の一部で あ る ことが明 らか にな っ た.
3. 2
つの 「山砂利層」 は,いずれ も下部捷岩 ユ ニ ッ ト,中部爽炭砂岩泥岩ユニ ッ ト,上部凍岩ユ ニ ッ トの順 に重な り類似 した層序 をなす .Ⅵ謝 辞
岡山市箕畑 の田中時夫氏 には備前炭鉱 の坑道や 爽炭層の分布な どについて貴重な ご教示 をいただ いた.また 中浮が以前に調査 した際には河野辿也 氏 (当時通産相地質調査所)の ご協 力を得た. こ
こに心か ら厚 くお礼 申し上げる.
Ⅵ1引用文献
河合正虎 (1950),都窪郡及び御津南部地下資源調査 報告.地下資源調査報告書,No.1,29‑49,岡山 県.
鈴木茂之 ・田中 元 ・塩原 徹 ・浮田 直 (1995),
̀̀山砂利層"から発見された古第三紀の年代を示 す凝灰岩層理.日本地質学会第1()2年大会講演要 旨,129.
鈴木茂之 (1996),古第三系 …山砂利層…の堆積相と 古地理.堆積学研究会1996年秋季研究集会講演要
旨,1ト12.