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運動と触覚の 音楽的思惟 論 Marie Jaëll の演奏哲学再考 La pensée musicale du toucher et du geste: essai de revalorisation de la philosophie du jeu pianistique d

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運動と触覚の「音楽的思惟」論

Marie Jaëll

の演奏哲学再考─

La pensée musicale du toucher et du geste: essai de revalorisation de la

philosophie du jeu pianistique de Marie Jaëll

山 上 揚 平

Yamakami Yohei

Marie Jaëll, pianiste et compositrice française du XIXe siècle, est aussi connue en tant qu’éducatrice et théoricienne ayant usé de méthodes originales dans l’éducation du piano, influencées par les sciences positives de l’époque. Parmi le large éventail de ses activités, « l’utilisation des empreintes digitales » nous intéresse particulièrement pour cet article: une des méthodes les plus centrales dans ses recherches. Notre objectif: déchiffrer les bases scientifiques présumées soutenir théoriquement et esthétiquement cette méthode singulière de Jaëll; mais aussi revaloriser sa pensée musicale née dans la pratique de cette méthode. Dans ce but, nous démontrons d’abord que les empreintes digitales introduisent dans sa théorie le sens tactile comme facteur primordial, puis analysons le rôle unique que Jaëll lui attribue.

Jaëll a initialement adopté les empreintes comme un moyen “objectif ” d’enregistrement des mouvement du pianiste. Cependant, ces empreintes deviennent ensuite selon Jaëll l’indice ou le moyen d’une « cérébralisation » parfaite du mouvement artistique, mouvement que Jaëll a poursuivi pendant toute sa vie en tant qu’idéal. Notre article observe que derrière cette conception unique se trouve un lien beaucoup plus subtil, voire caché, avec les nombreuses discussions d’alors autour du langage et du langage musical dans le domaine de la « psychologie pathologique » de l’époque.

Notre étude met en effet en lumière qu’une des clefs les plus remarquables de la théorie du jeu pianistique de Jaëll consiste en la réévaluation originale qu’elle fit du sens tactile, considéré comme le plus corporel, en lui donnant un rôle davantage intellectuel censé organiser ou synthétiser les éléments du langage musical. Enfin notre conclusion tente d’établir que les empreintes digitales enregistrées, bien que devenues bien dépassées en tant que méthode scientifique, se trouvent entre la graphie scientifique et “l’image” esthétique. En cela, elles jouent un rôle critique irremplaçable pour la formation de telle philosophies musicales comme celle de Marie Jaëll.

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.はじめに

芸術と科学とは同じ目的を追わねばならないようである。それは無意識との戦いである。(Jaëll 1896: 161)〔太線部は原文では斜体〕

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たマリー・ジャエル Marie Jaëll(1846~1925)は,『音楽と心理生理学』(1896)と題された最初の 理論書の中でこう記していた。実証科学と産業の急速な発展が社会の近代化を押し進めていた 19 世紀 後半のフランスで,その新たな知見とテクノロジーを芸術の領域にも接続しようという試み自体は決 して珍しいものではなく,音楽著述においても,従来の音楽の「語り方」を,一足先に近代化された 他ディシプリンの方法を用いて「学問的な」ものへと刷新しようという声が,特に 1880 年代以降大 きなものとなっていた。ピアノ教育において「19 世紀を通して得られた「心理 - 生理学者」の仕事 を利用した」(del Pueyo 1939: 936)と,弟子のスペイン人ピアニスト,エドゥアルド・デル・プエ ヨ Eduardo del Pueyo に評されるジャエルの活動も,この様な時代の潮流にパラレルなものとして 位置付ける事が出来よう。しかしその一方で,教育者,理論家としての彼女が「科学」と共に歩んだ 道程は,新学問形成期に特有の有象無象の実験的試みが展開されていた当時においても,一際異彩を 放っていたと思われる。彼女が「無意識」との戦いにおいて武器としたのは,「無意識」を映し出す 写真術でも,儚い音を「物化」して留めおくフォノグラフでもなく,一見,音芸術とは直接結び付く 様には思われない指紋の採取という方法だった。彼女の教育・著述活動の中心を占め続けたこの「指 紋の方法」は,しかしながら,現在まで科学的な有効性を認められることは無く,彼女が大きな影響 を受け,自らも実験に協力した 19 世紀的「心理 - 生理学」と共に急速に時代に取り残され,真面目な 議論の対象としての地位を失って行ったかの様である。本論は,敢えてこのジャエルと 19 世紀フラ ンス実証科学との結び付き,そして彼女の「指紋」への傾倒に改めて着目する事で,これまでとは異 なる観点から彼女の思想の再評価を試みようとするものである。  これまで学術的な文脈でジャエルの評価を難しくしていた一因には,先の「心理 - 生理学」を始 め,彼女が拠って立っていた当時の科学的土壌が,現代の我々のものとは大きく異なってしまってい る事が挙げられるだろう。その為,彼女の試みや主張は今ではしばしば疑似科学的なもの,或いは単 純に,前提を共有できないが故に理解不能なものとして映ってしまうのである。しかし,彼女が生き た 19 世紀後半は,今日では疑似科学やオカルトと見なされる様々な探求(例えば骨相学,優生学, メスメリズム)が,現代よりずっと「真の」科学と密接な関係を持って共存し,その後に繋がる科学 の発展や同時代の思想や芸術にまで影響を与えていた事は見逃すべきでないだろう。本論が目指すの も,当時のその様な複雑な時代背景を見据えた上で,彼女の真意を理解し,その「科学的」アプロー チの意義を評価する事である。  また本論が特に「指紋の方法」に目を向ける理由には,ジャエルがそれによって音楽を巡る学術的 な議論の中に聴覚や視覚に劣らないものとして新たに「触覚」という要素を導入する事になった点が ある。勿論,彼女以前の音楽著述が全く触覚に触れて来なかったわけではない。が,それでも実証主 義の視覚優位の思潮の中,逆に「科学」を通して触覚の重要性を主張した彼女の議論は一考に値する と思われる。今では殆ど顧みられる事のない,彼女の拠って立っていた学術的土台を出来るだけ具体 的に掘り起こす作業を通して,彼女がこの「指紋の方法」を選択した事の意義,彼女が「指紋」に見 出していた可能性について再検討していきたい。  最初に先行研究について簡単に触れておく。ジャエルはその一般的な知名度に比して,研究の充実 している音楽家だと言えよう。それは彼女の親族や弟子たちが遺品や遺稿を管理し,マリー・ジャエ ル協会などの設立を通して彼女について積極的に情報を発信してきたことが大きい。例えば姪のエ レーヌ・キネール Hélène Kiener や教え子のカトリーヌ・ギシャール Catherine Guichard を始め, 身近な関係者によって伝記的記述やモノグラフィの重要なものが出版されている。彼女の思想や美学 に着目した研究としては,フランスの音楽学者クリスチャン・コール Christian Corre の幾つかの文

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章が挙げられるだろう。彼は同時代フランスの学術的思潮にジャエルを置き直しながら彼女の音楽思 想の特色に言及しており,本論のスタンスと最も近い所にあると言える。日本語で読めるジャエルの 紹介としては,小林緑の論文(2003)が充実したものとして挙げられるだろう。

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.無意識とのたたかい~運動の分析と「心理 - 生理学」

 本論ではジャエルの「指紋の方法」とその思想を出版された著作に基づいて検討していくが,彼女 が「指紋」を「科学的手法」としてピアノ教育に導入した経緯を理解する為にも,彼女の芸術と科学 の関係に関する思索の出発点である 1896 年の『音楽と心理生理学』(以下『心理生理学』と表記) を取りあげたい。本論冒頭でも触れた様に,「無意識とのたたかい」という目標を掲げ,新しい芸術 教育は実証科学と手を結ぶべきであるというマニフェストを彼女が最初に行ったのがこの著作であっ た。彼女は本著の冒頭から「芸術と科学を正反対の領域であるとし,両者の間に接点を作ることを望 まない」音楽家の態度を批判し,実証科学の成果を芸術の探求に積極的に活用しようと訴えている (Jaëll 1896: 1)。もっとも彼女が声高に叫ばなくとも,既に当時の科学とテクノロジーは音楽教育の 現場にも確実に影響を与えていた。ピアノの分野で一例を挙げれば,それは幾分珍妙な指の「トレー ニング・マシーン」の流行であり,彼女のピアノの師であるアンリ・エルツ Henri Herz もダクティ リオン(Dactylion)を始めとするそれらの器具の発明者として有名であった。しかしジャエルの訴 えを際立たせているのは,彼女が芸術と科学とが協働して目指すべきとした目標の方であろう。「無 意識」とたたかう,とは一体何を意味しているのか。これはまずは演奏行為からの無意識的運動,無 自覚的運動の追放であったと言う事が出来る。音楽演奏に伴う全ての運動は意識的/自覚的に行われ るべきだと彼女は考えるのである。この一見,真っ当に聞こえる主張には,実は先に挙げたトレーニ ング器具という形での科学の応用を始めとする,当時のピアノ教育の趨勢に対する彼女の批判が込め られていた。岡田暁生(2008)ら先行研究が指摘するように,19 世紀実証主義の分析的,合理的思考 は,ピアノ教育の現場においては,音楽作品を部分要素へ解体し,それを反復練習によって仕上げる 事で全体を向上させるというメソッドに反映されていた。尤も反復部分練習自体は基本的な技術習得 のプロセスだと思われるので,正確には実証主義の思潮によって既存のメソッドに新たな意味づけが なされ,一層,押し進められるようになったという事であろう。岡田はこの実証主義的理論が端的に 表れている教本として G. シュテーヴェ Stöve の『音楽生理学的運動理論としてのピアノ・テクニッ ク』(1886)を引用し,このメソッドの理念を「自動化する指と解放される精神」と要約する(岡田  2008: 204ff.)。しかしこの「自動化」と反復練習こそがジャエルが以降,名指しで批判していく事に なるものであった。  以上の様な問題意識から,彼女が当時の「科学」に求めたのは,「芸術的運動の秘密 le secret des mouvements artistiques」(Jaëll 1904: 1)を明らかにする事で,その徹底した意識化および自覚化の 一助となる事であったと言える。そして『心理生理学』において提示された彼女の第一の探求対象 が,一般にピアノの「タッチ」と呼ばれる現象であった。「タッチ」とは「音色 le timbre」や「響き la résonance」など最も数値化の難しい感性的なパラメータに関わる要素であり,天性のもの(=教 わる事の出来ないもの)とさえ考えられていたが,彼女はこれを「運動」として分析する事で,意識 の訓練によって誰にでも改善できるものにしようと試みたのである。「運動」であるならば,それは 計測,記録,分析が可能であり,解明された運動ならば伝達(=教育)する事が可能である,とジャ エルは考えていた。彼女は音楽演奏において同じく「教育」とは相いれない要素だと思われていた

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「スタイル le style」について次のように述べる。 かつて演奏のスタイルは教えられないと言われてきたが,今日では「スタイルを生み出す運動」 は教えられるという事ができるだろう(Jaëll 1896: 5) そして「運動」であるならば必ず分析できるという確信の背後にあったのが,この著作のタイトルで あり先に見たデル・プエヨの指摘にもあった,「心理生理学」という学問の存在であったと考えられ る。この「心理生理学 psychophysiologie」の語は,19 世紀末~20 世紀初頭の仏語圏の音楽著述に しばしば登場するが,その実態は当時の「生理学的な心理学」(la psychologie physiologique)或い は「実験心理学」(la psychologie expérimentale)とほぼ同義であったと言う事が出来るだろう。こ の「生理学的心理学」とは,心理学者テオデュル・リボ Théodule Ribot や精神科医ジャン=マルタ ン・シャルコー Jean-Martin Charcot らによって 1885 年に学会が創設された「新しい心理学」であ り,元々は内面の心理現象を外部に現れる生理現象から明らかにしようというものであったが,後に は運動や仕事量等,様々な計測可能なパラメータが精神を計る物差しとして用いられていた。そし て,そこではフランス人生理学者エチエンヌ=ジュール・マレー Etienne-Jules Marey らが考案し た,様々な運動を図像化する事で測定・記録する装置が活躍していたのである。写真銃の発明などで 映画前史にも名を残すマレーは,身体内部の生理反応を身体表面の運動として記録化したほか,鳥の 飛翔等,様々な動物の運動,果てはピアニストの指の動きの記録(図 1)も試みていた(Marey 1894: 11-14)。ジャエルはその様な彼の主著の一つ『動物機械』(1878)を『心理生理学』の中で参 照している。ジャエルの『心理生理学』の前年には,フランス実験心理学の父であり,IQ テストの 創始者としても有名なアルフレッド・ビネ Alfred Binet が,マレーの仕事から影響を受け,ピアノの 打鍵を時間経過と共に図像化して記録する事の出来る記録装置付きピアノ(図 2)を完成させていた (Binet, Courtier 1895)。ビネはこの装置が心理学実験の測定器としての用途の他に,ピアニストの 図2 ビネの記録装置付きピアノ    (Binet, Courtier 1895: 6) 図1 マレーによるオルガンの演奏記録    (Marey 1894: 13)

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メカニックな技術習得に役立つものである事を主張しており,演奏者が無意識のうちに犯した誤りを 「科学」によって明らかにするという目的において,ジャエルの理念とも通じるものであった。実際 ジャエルは後の理論書や教則本の中で,マレー考案の記録機構を用いた打鍵強度の時間記録や,ビネ が女性作曲家 M. ルノー=モーリー(Renaud-Maury)との音楽心理学実験(Binet, Courtier 1896) で用いたのと同じニューモグラフによる演奏者の呼吸記録などを行って見せる事になるだろう(Jaëll 1899, vol. I )。  実証科学と協働して「タッチ」という難問に取り組んだ最初の試みであるこの『心理生理学』の段 階からジャエルに影響を与えていたのは,以上の様な実験心理学の思想だけではなかった。この著作 では,ジャエルとこの後十年にわたって共同研究を行う事になる医学者・生理心理学者のシャルル・ フェレ Charles Féré や,解剖学者ルイ・ピエール・グラチオレ Louis Pierre Gratiolet らによる手の 解剖学的,生理学的考察の検討,高速連続写真によるピアノの内部構造の観察,そしてジュール・カ ルパンティエ Jules Carpentier のメロトロープ(Melotrope: ロール紙にパンチで記録されたピアノ演 奏を再現する装置)への言及まで,同時代フランス科学界の知見を総動員していた観がある。更には Ch. ダーウィンや H. スペンサーの進化論,A. ベインの心理学等,イギリスの同時代思潮,そして W. ヴント,H. ヘルムホルツらのドイツ最新の音響心理・生理学研究など,フランス国外の様々な研究 領野への言及も見られていた。しかしながら,この様な領域横断的な同時代科学思潮への言及自体 が,19 世紀終わりの四半世紀におけるフランスの新しい音楽著述の一つの傾向であった事も考慮す べきであろう。特に上記のイギリス,ドイツ思潮に関しては,既に美学者のシャルル・レヴェック Charles Lévêque,リオネル・ドリアック Lionel Dauriac,そして音楽学者ジュール・コンバリュウ Jules Combarieuらが様々な学術誌において紹介していた顔触れであった。従って,この問題への ジャエルのアプローチが真に個性的な展開を見せ始めるのは,この著の翌年に出版される理論書 『タッチのメカニズム:触覚の実験的分析によるピアノ学習』(以下『タッチのメカニズム』と表記) から,つまり問題となる「指紋」の導入からだったと言えよう。

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.「指紋」の導入と触覚の再評価

 1897 年出版の『タッチのメカニズム』は,明らかに前著から同じ問題意識を引き継いだことを示 す次の様な宣言で始まる。 これまで誤って無意識の運動を増進させる機械的練習に制限されていたピアノの学習は,新しい 方法によって,運動の真の科学へと帰着することになるだろう(Jaëll 1897: 1) 彼女はこの書を『心理生理学』で提示されたものの「実験的(実験による)補足」(Jaëll 1897: viii) と位置付けるが,そこで新たに導入された実験的方法というのが副題にもある「触覚の分析」であ り,その核となったのが,指紋の記録であった。それでは,具体的にジャエルの指紋の活用を見てみ よう。ピアノ教育に指紋を導入するという発想は幾分奇抜なものの,その方法自体はシンプルなもの である。それは,ピアノの鍵盤それぞれに薄いボール紙を輪ゴムで固定し,ピアニストに印刷用イン クを塗った指で演奏してもらうというものであった。つまりこれは,演奏者が鍵盤のどの位置に,指 のどの部位で,どの様に触れたのか,という情報を記録するものである(図 3,図 4)。彼女はこの

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方法を,しばしば前章で見た様な打鍵強度の 記録装置と共に用い,それらの記録からタッ チを行なった手の運動を,時には手首や腕の 動きまでも含めて解読して見せていた。従っ てこれは,ピアノの演奏運動の記録の試みと して捉えられるものであり,表向きはかなり 異なるものの,前述した同時代の科学者たち の例と同様,人の感覚器官では明瞭に捉え難 い移ろいゆく事象の「視覚化」と「固定」の 技法の系列に置いて考える事が出来るだろ う。この方法によってジャエルは,様々な演 奏者による「タッチ」を客観化し,科学的な 分析の対象とする事が出来たのである。  一方で,この方法は,記録されるのが「指 紋」であるという特殊性が,新たに異なる意 味をこの演奏記録に加える事になる。ジャエ ルが指紋によるタッチの記録という方法に 至った背景には,明らかにこれまで言及して きたものとは別の学術的コンテクスト─当 時の科学界に於けるヒトの指紋への注目─ を透かし見る事が出来るのである。指紋は 1880年代に入って一躍,身元確認の手段と して科学者の注目を浴び,その後の研究を経 て,世紀転換期にはフランスでも警察・司法の場で従来のベルティヨン式身体測定法に取って代って 行く。ジャエルは『タッチのメカニズム』の中で指紋を読む音楽家と筆跡鑑定家とを比較し,前者の 方がより「科学的正確さ」を持った結論にたどり着くと述べ,「いかなるピアニストも他人の指紋を 偽装(contrefaire)する事はできない」,また「意図的に修正する事が出来ない」とその特徴を述べ 図3 ジャエルによるピアノ演奏の記録(Jaëll 1899, I: 19) 図4 ジャエルによるピアノ演奏の記録    (Jaëll 1897: 98)

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る(Jaëll 1897: 55)。ここでは明らかに身元特定の手掛かりとしての指紋のイメージが重ねられてお り,それが記録としての「科学的」な正確性や信頼性を担保するものと捉えられていた事が分かる。 ジャエルはフランシス・ゴルトン Francis Galton を始め,仏国内外の指紋研究を参照しているが, 中でも彼女の共同実験者でありフランスにおける指紋研究の先駆であるフェレの論文を大々的に引用 していた。『タッチのメカニズム』において指紋研究が引き合いに出されるのは次の様な文脈であ る。ピアノの学習を「運動の科学」と考える彼女によれば,芸術の習得において運動の上達を妨げて いるのは,人の触覚器官に関する無知である。より良く「感じる」為には触覚について熟知しなくて はならず,従ってピアニストは柔軟な運動のベースとなるタッチの特殊な調整を得る為にも,自らの 触覚器官である指先について学ばなくてはならないと言う(Jaëll 1897: 2)。そして,彼女がフェレ の研究から学んだ第一のものが,人の指先の触覚の鋭敏さは一様ではないという説であった。それを 彼女はピアノの演奏と次の様に関連付ける。 この感覚の分化は演奏に大きな影響を与える。なぜなら我々が最も強く,良く響く音を得られる のは,指の最も敏感な区域で鍵盤に触れたときであり,音色の性格はどの区域でタッチを行った かによって変化するからである。(Jaëll 1897: 6) この様な視点に立てば,採取された指紋の痕跡は,演奏運動の記録であると共に演奏によって生まれ る音響の「音色」や「響き」といった数値化,客観化の難しい音楽的パラメータを視覚的な情報に置 き換えて記録したものとも捉えられるだろう。実際,彼女は後の著作で次の様に述べている。 音楽的調和において,音程関係(3 度,4 度,5 度は)は周波数に対応した単純な数字に基づい ていたが,一方で音色の違いは振動の性質の変化によって定まる倍音に由来していた。五本の指 のタッチの調和においては,異なる手のポジションが音楽的タッチの単純な数字を表し,一方, これまでは音楽教育の枠外にあったそれらの倍音の方は,指紋の調査において,上手く或いはま ずく配置された〔指紋の〕線の形で明らかとなる。(Jaëll 1904: 70) 〔〔 〕内の補足は論文著者による。以降の引用に関しても同様〕 音色の性格を左右する「指のどの区域で鍵盤に触れたのか」を測る指標となる指紋の記録は,まずは 彼女が「適切な」タッチの条件と考えた「指の最も敏感な部分で鍵盤に触れること」の出来る正しい 手のポジションを見出すガイドとして考えられた。ジャエルは,彼女が理想のピアニストとする親友 リストが,生理学的知識無しにこの様なタッチを実践していたとも付け加える。が,この指紋が描く 複雑な紋様の跡は,すぐにジャエルの探求を別のステージへと導く事になる。彼女はこの方法による 記録と分析の積み重ねから,ピアノ演奏における継起的或いは同時的に行われるアタックの組み合わ せにおいて,接触面の指紋の線の配置が重要な役割を果たしているという結論に至るのである。彼女 は美しい音を生み出すタッチが残した指紋の連続に一種の調和を感じ取り,逆の場合はそこに非連続 性や無秩序を見出した。そこから「生理学と美学との間には関係性が存在」し,「〔指紋の紋様によっ て作られる〕生理学的な調和こそが〔音の〕美的な調和を生み出している」とまで主張する1)(Jaëll 1)この主張は1899年に全面改訂された教則本「タッチ」でも次の様に繰り返されている。「我々はここで全く新しい領域へ と辿り着く。それは音色やリズム,スタイルと〔タッチの〕圧力や感覚〔触覚〕との間の関係性の存在である。……音色や リズム,スタイルの美は,指紋の線の調和,および〔タッチの〕圧力や感覚の或る調和に対応している。」(Jaëll 1899, I: 5)

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1897: 13)。ジャエルは,音程間の調和関係を音響学の法則が明らかにする様に,音色の間の調和関 係を司る未知の法則を指紋の並びが指し示しているのではと直観するのである。指の動きに適った美 しい文様を指紋によって描くこと,それこそが美しい音色を生み出すタッチの鍵となる。この新しい 課題は必然的にピアニストに是迄とは異なる能力の開発を要求する。 演奏者は自分の指先の地勢図を手に入れなくてはならない。それぞれのタッチを行う指紋の並び を心に思い描く能力は本質的な進歩の一条件なのである。(Jaëll 1897: 14) こうして指紋によって視覚化された「タッチ」或いは「音色」は,彼女のピアノ学習メソッドに個性 的な一種のイメージトレーニングを導入する事となる。ピアノ奏者は,自らの指が正しく美しい紋様 を描くのをイメージしつつ演奏を行う事が求められる。ここで重要なのは,この「運動をイメージす る/意識する」というステージにおいて,指先で「感じる」という行為に,より重要な役割が付与さ れた事である。正しいポジションによってより良く「感じる」ことの出来るタッチの運動は,脳内の 指先のイメージをより鮮明にし,逆にタッチの指紋を鮮明にイメージする行為は触覚を鋭敏化,「多 様化 diversification」させる。そして,触覚の「多様化」は我々の思考における音の表象(内的表 象)の多様化を引き起こす。この様な正のフィードバックの連鎖がこの書では繰り返し描かれている のである(Jaëll 1897: 65, 86-88 etc.)。指紋の並びのイメージはそれを印づけた指先の触覚の記憶 と,その時に生み出された音の記憶とを強く結びつける重要な鍵となる。指先の感覚を研ぎ澄まし, 鍵盤との接触の仕方の様々な差異を「感じ分け」つつ,その違いに対応する音の微妙な差異を聞き分 けること。それら触覚と聴覚を通じて得られた音のイメージで,音楽表現の前提となる音楽の内的表 象の素材を豊かにすること─これが「タッチのメカニズム」に於いてジャエルが「指紋」の助けを 得て目指したものであった。彼女がこの様な文脈においてどれだけ触覚を重要視していたかは,次の 様な言葉がはっきりと示しているだろう。 偉大な芸術家のように多様な音を操れるということは,彼らのように触覚を多様化できるという ことである。(Jaëll 1897: 120) 偉大な芸術家の優越性は,素晴らしい聴覚の感受能力と,それに劣らず素晴らしい触覚の感受能 力とにある。(Jaëll 1899, Ⅲ: 1) ジャエルにとって音の多様な表現を行うこと(=多様な表現を可能とする運動を行うこと)と,その 多様な運動を「触知」出来る事とは表裏一体であったのである。

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.運動と思考

 ジャエルのピアノ教育において触覚が重視された意味の恐らく半分は,前章までの彼女の初期著作 の概観から理解できるだろう。しかしながら,彼女が触覚,「指先で感じること」に与えた意義はこ れに尽きるものではなかったと考えられる。指紋と共に導入された彼女の触覚を巡る議論に関して興 味深いのは,往々にしてヒトの五感の中でも最も知性から遠いものとして扱われてきたこの感覚が, これ以降,音楽演奏における知性的な側面において重要な役割を果たすものとして語られて行く点で

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ある。例えば『タッチのメカニズム』の七年後に出版される『芸術的運動における知性とリズム』の 導入では次の様な主張がなされる。 問題となるのは思考の脱中心化〔décentralisation〕を組織することである。思考は頭脳に在る と考えるかわりに,手と頭脳との両方に在ると考えるようになるだろう。……感覚のある所には 何処にでも思考の小片が存在する。手によってより良く感じる術を学ぶこと,それはより良く考 えることを学ぶことである。(Jaëll 1904: 5) ここでは「手で感じること」が「考えること」と同列に置かれ,感覚の所在が思考の所在であるとま で言われる。以降の著作に散見される同種の表現は,先行研究として先に言及したコールの目にもと まり,「ジャエルは思惟行為と「感じること」との懸隔を乗り越えようとし続けた」と評されことと なる(Corre 1996a: 176)。しかし思惟行為と触知覚とを同列に置くことを可能とする彼女の論拠, 論理とは如何なるものだったのだろうか。コールもこの点については議論を深めてはいない。恐ら く,この文脈におけるジャエルの「感じること」を理解する為には,彼女にとっての「考えること」 (思惟行為)自体を良く理解する必要があるだろう。なぜならジャエルは,演奏家にとっての思想/ 思考に関して,その初期の著作から個性的な考えを垣間見せていたからである。それは演奏運動を音 楽的な思考/思想と同一視するかの様な大胆な主張であり,特に最初期の『心理生理学』に色濃く見 られるものであった。ここで今一度それらの記述を確認してみたい。    まず,彼女は『心理生理学』第四章「練習」において,ピアノの学習に関して次の様に述べてい た。 運動の学習は,音楽的思想の伝達とは運動の伝達でしかないということを認識させるところまで 辿り着かなくてはならない。(Jaëll 1896: 56) 一般的には音楽演奏が伝える「内容」として考えられていただろう音楽的な思想/思考というもの を,ジャエルは演奏運動そのものと同一視する。より厳密に言えば,彼女は演奏を行う運動の他にそ の様な精神的「内容」が別個に存在する事を否定している様なのである。ジャエルは続けて音楽的な 感情表現に関しても次の様に述べる。 作り物の意識を自らに成してしまう演奏者とは,指の運動を通して得られた音の心的表象を,指 の無意識的運動に付け加えられた表現と混同しているのである。彼らは演奏において精神と身体 の二元論という誤った原理を再生産している。なぜなら彼らは運動に感情を付与できると信じて いるからだ。(Jaëll 1896: 63) この「作り物の意識」という表現は,外から「付け加えられ(ようとす)」る「余剰の」精神的要素 を指す言葉であり,この引用文後半では,それが原則として不可能なものである事が示唆されてい る。演奏という身体運動に,外から感情などの精神的「表現」を付け加える事ができると考えること 自体が,心身二元論からくる「誤り」だというのである。彼女がこのような一元論的立場をとってい るとするならば,先述した指のオートマティスムを支えるモットー「透明化された肉体からの純粋な

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精神の解放」という二元論的構図はそもそも成り立ち得ないものだった事が分かる。先の引用と合わ せて,彼女が,演奏運動がそれ自身とは別の「表現内容」を含み,伝達するという考えを否定してい る事は明らかな様であるが,更に先の「運動の学習」に関する引用は次の様に続けられていた。 問題となるのは,決して指に作り物の音楽的表現を伝達することではなく,脳へ音楽美学的メカ ニズムを,演奏によって生み出された音響の知覚や触覚を通して伝達することなのである。(Jaëll 1896: 56) この様にジャエルの演奏論では,頭の中で予め作られた「音楽的思想」や「音楽的表現」なるものが 手の運動に伝えられるという一つの典型的な演奏モデルは否定されている。逆に彼女は触覚や聴覚を 通して脳へとフィードバックされる演奏運動(の感覚)を「音楽美学のメカニズム le mécanisme de l’esthétique musicale」と呼ぶのである。運動と思考とが一体であるならばピアノ教育による演奏(運 動)の改善はそのまま思考の改良となるだろう。果たして,ジャエルはこう述べる。 …演奏者のメカニズムの初期性格が彼の音楽的思考の性格を規定するだろう。メカニズムの基礎 を洗練することで人は高次の音楽的思考を生みだせる。(Jaëll 1896: 55) これら,「運動」即ち「思考」の主張とも言えるラディカルな表現が,初期著作に特有の言葉の綾に 過ぎないものでなかった事は,直接彼女の教えを受けたデル・プエヨもまた,ジャエルのピアノ指導 法に関して次の様に書き残していることからも窺える。 彼女にとってピアノの学習は運動の学習である。伝統的な演奏とは逆に,彼女は音と運動,音楽 的思考とそれを表現する運動とを同一視する。(del Pueyo 1939: 934)  しかし演奏は運動でしかないと言う時,それはこれまで演奏が担っていると信じられてきた「感情 表現」や「音楽的思想」といったものの存在自体を否定しているのだろうか。逆に,彼女が「運動が 思考である」と述べるとき,或いは「手が考える」などの表現を用いるとき,それがほかならぬ思惟 行為であると言えるのは一体何に拠ってなのであろうか。  運動と精神(或いは脳)の働きとを結びつけるジャエルの発想の一つの源泉として考えられるの は,やはり先述のフェレや,その元同僚であったビネらの「運動の生理心理学」の思想であろう。本 来,脈拍や呼吸などの生理現象の変化から内面の心理現象を読み取ろうとした「生理心理学」を,彼 らは様々な身体運動一般にまで拡張しようとした。彼らは運動や仕事量の記録をまさに「精神の顕 れ」として扱っていたのである。しかしジャエルが展開する演奏運動と音楽的思考を巡る論述は明ら かに彼らの理論を越えている。ピアノの演奏運動が単なる心理現象一般の表れではなく,音楽的な思 考の顕れであるとするジャエルの主張は,彼らを始めとする是迄に直接的な影響関係が指摘されてき た実験心理学者の議論からは説明できないのである。  しかし我々は,彼女のメソッドのオリジナルな部分である「指紋」と「触覚」の議論に着目する事 で,この問題をもう少し深く掘り下げる事が可能であると考える。なぜならジャエルのこれ以降の著 作に見られる断片的な考察からだけでも,彼女の思想において「運動」が思惟行為と同じ次元に「引 き上げられる」契機としてまさに「触覚」があり,その実現の鍵として「指紋の活用」が大きな役を

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担った事は読み取り可能であると思われるからである。従って本論では以降,彼女の「運動=思考」 の思想に「触覚」がどの様に関わり得るのかという問いを念頭に置きながら,更に広い射程で彼女が 拠っていただろう同時代の学術思潮を見据え,そこから補助線を引く事で彼女の以降の議論の展開を 読み解いて行きたい。

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.触覚的思惟

5-1 指の色付けと触覚記憶の開発  ジャエルの「触覚」についての議論は 1910 年の『意識の新しい状態─触覚の色付け』において 新展開を見せる。この著作では新たなピアノ教育のメソッドとして,各指に異なる色を割り当て,そ の色と共に指先の運動をイメージするという手法が導入された。この運動(触覚)と色彩(視覚), そして音(聴覚)という諸感覚の結び合わせは,当時,芸術および科学の世界で注目を集めていた 「共感覚」,特に「色聴」を巡る議論を思い起こさせるだろう。しかしコールは,ジャエルにおける色 彩の導入は,サンボリズム等からの「悪影響」ではなく,純粋に「医学的」な文脈にあると論じ,彼 女の自然科学における師フェレもまた光の触知覚というテーマを扱っていたと述べている(Corre 1996a: 192-193)。そして,ジャエル自身の議論は当時の共感覚論ともフェレの生理学とも全く異 なった方向へ発展していく。  彼女に拠ればこの色彩を取り入れたイメージトレーニングは,触覚を「純化」し,それは聴覚,そ して脳の働きにまで影響を与えるという。彼女の変わらぬ目的である「運動の意識化」の主役は,こ こでは明確に触覚に与えられていた。本書の導入部で彼女はこう述べる。 指による運動についての漠然とした意識は,完全な意識によって置き換えられなくてはならな い。この完全な意識とは,触覚のそれであり,指先の〔指紋の〕地勢図の正確な観念に基づくも のである。(Jaëll 1910: 2) つまりは指の運動を意識的に把握,制御するよすがとして指の触覚の意識があり,それをより明晰化 する指標として,触覚に対応する指紋の跡という視覚的なイメージが働いているのである。しかし, 本論がより注目したいのは,この純化された触覚がどの様な働きを成し得るのかという,是までとは また違った観点から触覚の役割が説明されている点である。ジャエルの言葉を引けば「触覚は純化す ると,より持続するようになる」(Jaëll 1910: 9)という。これは一体どういう意味だろうか。彼女 によれば,ピアノの演奏において,普通の(純化されて無い)触覚の場合,鍵盤との最初のコンタク トの感覚印象は,次のコンタクトが続くまでの間に簡単に失われてしまう。ところが色の作用によっ て鋭敏化された手ではそうはならないというのである。これは一見,単純な変化に見えて,それがも たらすものの意味は大きい。ジャエルはこう続ける。 〔色付けの〕影響によって触覚は安定性を得る。人はその感覚を貯めて,保存し,少しずつ使用 していけるような一種の蓄えを作ることができる。(Jaëll 1910: 10) ジャエルは,この触覚の記憶の蓄えなくしてはタッチの感覚は得られないと言う。ここでは明らかに 音響現象の内的表象とパラレルな形で,指先の感覚の記憶が「タッチ」の内的表象の素材としての地

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位を得ている事が分かるだろう。音楽の内的表象には音の感覚性記憶(聴覚)のストックが必要なよ うに2),「タッチ」の内的表象には触覚という感覚性記憶のストックが必要なのである。我々が言葉 や音楽を聴きとる事が出来るのは,聴覚に(ここで触覚が手に入れたような)短い持続が存在するか らである。それによって一続きの音の流れを,意味のあるグループに分節し,全体を理解する事が可 能となる。その時,人は実際に聴覚に入ってくる音と,内的に再表象された音とを同時に聞いてい る。また連続する音はこの様に意味のある関係性によってグループ化される事で,容易に記憶のス トックと成り得る。今,手の感覚が同種の持続を得た事で,触覚に関しても同様の世界が拓かれる可 能性がここでは示唆されているのである。もし触覚が一続きの接触の連鎖から意味のある纏まりを感 じ取り,その様な記憶を元に意味のある触覚の連なりを内的に再表象できるとしたら,そこには触覚 的な「思惟行為」と呼べるものの萌芽を認める事が出来るのではないだろうか。ここで敢えてこれを 「思惟行為」と呼ぶのは,彼女が音楽の内的(再)表象を説明する際に用いるこのモデルが,日常言 語による「思惟行為」を,言語音の感覚性記憶と発声行為に伴う運動性記憶とのストックを用いて内 的発話を構成する事として解釈する,同時代の言語機能に関する心理学的議論に由来するものである 事が明らかであるからである。ジャエルの著書に見られる内的(再)表象に関する記述の特色は,彼 女を生理学的心理学とはまた別の「新しい心理学」領野と結びつける。それは,ジャエルが『心理生 理学』で直接参照していたビネの『実験心理学入門』において,「病理心理学」と名指されていた分 野,特にそこにおける「失音楽症 amusie」を巡る議論である。それが一体どのような意味を持つの か,ここで少し背景を掘り下げていきたい。 5-2 失音楽症研究の誕生と新しい「音楽=言語」モデル

 「失音楽症 amusie」とは「音楽的な失語症 aphasie musicale」の事であり,その名の通り音楽を 一種の言語として捉える見方を前提とする疾患である。当然これは 19 世紀後半の失語症研究の発展 と深い関係を持つが3),フランスにおいてこの病が「音楽言語の機能障害」として「誕生」したの は,当時,失語症臨床研究の中心であったサルペトリエールのシャルコーの下であった4)。1883 年 夏,シャルコーは演奏能力と写譜能力とを突然失った音楽家,パリ・ギャルド・レピュブリケーヌの トロンボーン奏者でありジュール・マスネの写譜師でもあったデルベクール(Dherbecourt)と出会 い,彼の症例を講義で取り上げる。シャルコーは前例の無かったこの症例を前にして,それを既に研 究の蓄積があった失語症に引き付けて理解しようと試みた。その際に彼は次の様に述べたと伝えられ ている。 普段,我々は自身の考えを日常言語によって,つまり文節された話し言葉や書き言葉によって表 現している。また別の場合,我々は,あまり効率的ではないものの,身振りの言語によっても考 2)厳密には,当時の心理学/医学的議論では内的発話及び内的再表象においては,音の聴覚的心象という感覚性記憶だけで はなく,発話に用いる声帯の筋肉感覚等の心象である運動性記憶も必要である可能性が盛んに論じられていた。これらは P. ブロカ(Broca)による運動性失語症中枢の発見(1861)とC. ヴェルニク(Wernicke)による感覚性失語症中枢の発見 (1874)に始まる,人の言語機能に関する運動性と感覚性の二種の異なるプロセスを巡る議論に大きく拠っている。 3)「音楽の鑑賞および演奏の不調が最初に医学的な注意を集めたのは,失語症患者の組織的な検査によって,その多くがこと ばの障害とともにいろいろな音楽的な技能も喪失していたことが明らかになったときである」(クリッチュリー, ヘンスン 1983: 524)。

4)失音楽症研究の先駆としてのシャルコーの業績については(Johnson, Lorch, et al. 2013),(Ingegnieros 1907)などに詳し い。

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えを表現できる。数学者は彼らの概念を数字と計算によって伝え,それらはその言語を知る人に よって完璧に理解される。同様にして我々は,特殊なエクリチュールを用い,フレーズやハーモ ニー,メロディーによって表される音楽的思考というものに辿り着く。(Ingegnieros 1907: 117) 〔Miliotti, Domenico. 1886 Lezioni cliniche delle mallattie del sistema Nervoso.からの再引用〕 シャルコーはこの様に日常の言葉の言語の他に様々な「言語」の存在を前提とした上で,「それゆえ 話す能力を失った人,つまりは通常の失語症患者と,楽器を演奏する能力を失った人,つまり音楽的 な失語症患者との比較は全く正当である」(Ingegnieros 1907: 117)としたのである。ここでは音楽 を演奏する身体運動と「言語」の運用とを,脳あるいは精神の働きからパラレルなものと捉える視点 が提示されている。果たして,これ以降,音楽的機能障害を(言葉の)言語障害と同じ「Asymbolie (失象徴症)」の一つと捉える発想は急速に浸透し,人の音楽活動に関わる精神的機能が,言語活動の それと同じ形式(構造)を持っているという事が一般に措定されるようになっていく。ジャエルの研 究・著述活動期間とほぼ重なる 1880 年代から 20 世紀初頭にかけて,タイトルに「言語」の語を関 した医師による音楽著述が幾つも生まれるが,それらはこの様な失音楽症の臨床研究を経た「音楽言 語」の問題意識の下にあり,言語の持つ伝達機能にではなく,言語を運用する心的プロセスの方に注 意が向けられていた5)。ジャエルがしばしば言及していた音楽の「内的表象」の問題や,「運動性」 機能の重要性(Jaëll 1896: 10)などもこれら病理心理学研究の中で盛んに論じられていたものだっ た。ジャエルがこれらの議論や言語観を共有していた可能性は高く,それを考慮すれば,彼女の触覚 記憶とその再表象の議論は,まさに演奏運動を一種の言語活動として捉えるシャルコーのヴィジョン に則ってピアノ演奏を記述したものとしても解釈できるのである6) 5-3 触覚の開発と精神の変革  ここでジャエルの『意識の新しい状態』へと立ち戻ろう。ジャエルは触覚の持続化について語った 直後,色彩の導入による触覚の変化が,内的に表象される音の持続を延長させ,それによって言語の 聞き取りにおいても,フレーズ全体の再表象が可能となる事で離れた言葉同士の関係性の理解も深ま るようになると説明している。触覚の変化による聴覚の持続化が,聴覚認識にその様な影響を与え得 るのならば,持続化された「触覚」それ自体にも同様の変化─より長い時間スパンでの触覚の連な り(或いはそれを引き起こした運動の纏まり)の間にある関連性の理解を深めること─が起こり得 る事は容易に理解できるだろう。ジャエルは,この様な一連のタッチの間に存在する「関係性」を 「感じる」ことなくタッチを行う事が「触覚の麻痺状態」を引き起こすと指摘し,逆に音色に関する 最も繊細なある種の「関係性」については,ただ触覚のみが,それらの聴き取り能力を身に付ける事 が出来るとも言う(Jaëll 1910: 85)。ジャエルの議論において,手で「感じる」ことが知性的なもの と結びつけられるポイントは,音色の調和を統べる未知の「関係性」を見出し(=感じ取り),それ を表現する主役が触覚にある事であろう。これは,発話行為との類比から取り上げられる事の多い声 楽における声帯の運動感覚の記憶に関する同時代の議論には見られなかったジャエルのオリジナリ ティである。彼女にとって指の触覚が重要なのは,単に繊細な触覚が美しい音色を生み出すのに有利

5)例えば(Stricker 1885),(Ingegnieros 1907),(Dupré, Nathan 1911)などが挙げられる。

6)ジャエルが自著において直接シャルコーを参照した形跡は見当たらないが,彼女の共同研究者フェレがサルペトリエール におけるシャルコーの助手であった事は一つの接点の可能性として考えられるだろう。

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であるという事では無く,複数の音色を意味のある「関係性」の中に組織し,「調和」させることを 可能とするからである。ちなみに彼女は音色の間にあるこの様な関係性を聴き取れない事を,音(音 高)の間の関係性を聴き取れない事と同様に一種の「音楽的聾 la surdité musicale」であると位置付 けるが,この「音楽的聾」という主題も当時の病理心理学の知見が音楽を巡る議論に持ち込んだ新し いものであり,ジャエルの学術的バックグランドを明らかにしてくれるものである。以上の様に,色 彩の導入による触覚の持続化は,手や耳の感覚の単なる洗練以上の変化を精神面にもたらす事とな る。ジャエルはそれを次の様に表現する。 いったん我々が二つの手でより良く感じるようになれば,あ・る・新・し・い・意・識・の・状・態・が形成されるの である。(Jaëll 1910: 11)〔傍点強調は著者による〕  触覚による新しい意識状態の開発,このテーマは更に二年後の『タッチの反響と指の地勢図』(Jaëll 1912)においては次の様に展開される。「手は心の中で見ること,聞くことを学ばせる」と名付けら れた節(Jaëll 1912: 116-120)の冒頭,ジャエルは「手の訓練によってあらゆる心的表象(Images mentales)は完成される」と,再びピアノ教育の範囲を超えた展望を示す。彼女は,人が自分の指の 地勢図を(指紋によって)イメージ出来るようになると,心的表象の性質が一般的に変化を蒙ると言 う。それは精神構造そのものの変化でもある。その結果どうなるのか。ジャエルはこれを,「新たな 統 合 の 能 力 une faculté nouvelle de groupement」, 或 い は 特 殊 な「 連 合 記 憶 力 une mémoire associative」の獲得と表現する。彼女はこれを,視覚聴覚を問わず対象の諸印象を,まるで別々の場 所に分類されるかの様に位置付けさせるものとするが,具体的な音楽聴取に関して言えば,作品の異 なる細部の構造の明確な心象を保持する能力として描かれる。重要なのは,それらは指先の各部位が 指紋を指標に定位される様に「トポグラフィック」に位置づけられて記憶されるという点である。彼 女はこれを「地勢図的な(topographique)音楽記憶」と呼ぶ。更に興味深いのは,この特殊な音楽 記憶は,実際にストックされた断片的な記憶の素材のみから成るのではなく,先に述べた「新たな統 合能力」(或いは「分類能力 une faculité de classement」)によって,記憶の欠落をあ・た・か・も・全体に 何らかの「一貫性」が存在するかの様に補って構成されるとされている点である。ここで看過しては ならないのが,この節において彼女が「一貫性」や「統合」といった言葉で問題としている対象に は,音高やリズム,或いは楽曲構造だけでなく「音色」や「響き」といった当時はまだその「一貫 性」や「統合」を論理的に語る枠組みや理論が存在しなかった要素も含まれているという事である。 ここで問題となっているのは,既知の音楽理論に基づいて訓練された音楽家の脳が行う「判断行為」 に止まらない,新しい「総合能力」の獲得なのである。ある媒体をそれ固有の統制原理に基づいて総 合する能力。ここでもまたジャエルは,「触覚」がピアニストに授ける新たな能力を,限りなく思惟 能力に類するものとして捉えようとしていることが明らかであろう。ジャエルが描いて見せているの は,その様な一種の音楽的な思惟能力獲得のプロセスであり,その起点にあるのが「指紋の方法」に よる触覚の開発だったのである。

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.結論─運動と思惟を繋ぐ触覚と指紋

 以上,我々はマリー・ジャエルのピアノ教育メソッドとそれを支える思想を,彼女が積極的にコ ミットしていた同時代科学との接点から分析し,そこにおける「触覚」の役割の重要性を明らかにし

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た。ジャエルの教育分野の業績に関しては,これまで一般的にメンタル・トレーニングの先駆けとし て専ら知性=脳の働きを重視する点が着目されてきたが,実際はむしろ「思考の脱中心化」による 「触覚」の占める重要かつ個性的な位置付けにこそ彼女のオリジナリティを見る事が出来ると言える だろう。ジャエルの演奏論において手(指)の運動や触覚の働きは,単に美しい響きを生むだけでは なく,音色や響きの関係の組織という,音楽言語の要素の統合の契機に積極的に関わってくる点が特 色であった。確かに,ピアノの演奏に限らず舞踊やスポーツ競技に至るまであらゆる高度な身体運動 においては,各器官を動かす筋肉の運動性記憶だけでなく,本来感覚性記憶である触覚もその制御に 重要な役割を果たし得るだろう。しかしジャエルの理論の特殊性は,言葉を用いて思考(内的発話) を行う様に,触覚的心象のストックから,「意味」の有る関係性を構築するような触覚の連続として 運動を内的に再表象するというプロセスを提示した点であろう。運動は触覚によって,言葉が有意な 文を構成するように,論理的に組織されるのである。その時,演奏運動は「音楽的触覚〔le〕sens tactile musical」(Jaëll 1910: 84)に固有の思惟の顕れと見ることが可能であろう。ジャエルにおけ る「運動」と「思考」,そして「感じること」はこの点において重なり合うのである。  そして,彼女がこの様な発想に至るのに決定的な役割を果たしたのが,他でもない「指紋の方法」 の導入であった。採取された指紋の並びは,音色や響きの転写であると共に,主観性の強い触覚の目 に見える客観的な記録としての役割を担う。触覚の印象は視覚的な像と結びつけられ安定した記憶の ストックを構成し,その結果,指紋のイメージは丁度,言葉における文字の様な位置づけを得る事に なったのである。触覚は指紋によって事後的に読まれる事が可能となり,それが触覚の可能性を大き く広げる事になった。  またそもそも,音色や響きの調和の背後に未知の「生理学的法則」が存在する事をジャエルに直観 させたのは,美しくそして謎めいた指紋の襞の連なりという一種の「イメージ」であった。もし彼女 の採用した演奏の科学的記録法がマレーのグラフやビネの波形図の様なものであったなら,彼女の探 求はまた別の方向に向かっていただろう。彼女自身,「美しい指紋を見ることは音楽家にとって新し い種類の喜び(une jouissance)となるだろう」(Jaëll 1897: 56)と述べていた様に,「指紋」は科学 的な図像記録と感性的な「イメージ」との狭間に,科学的なものと美学的なものとの境界に在って, ジャエルに様々なインスピレーションを与える事になったのである。本論が取り上げたジャエルの ケースは,現代では乗り越えられてしまった 19 世紀の実証科学が,同時代の音楽思想に実り豊かな 影響を与えていた事実を確認させてくれるものであると共に,言葉や数式によって概念化された科学 思想ではなく,実証科学から生まれた図表・図像そのものが,それが本来持つ科学的な記録としての 情報を超えて,それらが「イメージ」として不可避的に含んでしまう何かしらの剰余によって,芸術 思想に大きな影響を与えた貴重な一事例としても特筆する事が出来るだろう。今後,音楽を巡る思索 の歴史をこれまで以上に幅広い視野の元に詳らかにする為には,領域横断的な言説の一層の精査と共 に,新しいイメージ研究の知見とも手を結ぶべきかもしれない。 主要参考文献

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(2018 年 12 月 10 日受領) やま かみ よう へい 現 在 東京藝術大学音楽学部非常勤講師 跡見学園女子大学文学部兼任講師 早稲田大学演劇博物 館招聘研究員

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