宮澤賢治論--生命あるものを食べることの苦悩を超えて---香川大学学術情報リポジトリ

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宮澤賢治論

一生命あるものを食べることの苦悩を超えて一 同 屋 昭 雄 1.はじめに 宮澤賢治が大正七年五月十九日,盛岡高等農林学校第三学年時代,仲間 とともに創刊した文芸同人誌である「アザリア」(全六冊,謄写版手刷り, 手緩じで ,発行部数は同人に配布する分だけとし,教官や他の友人にはほ とんど配布しなかった。誌名のアザリア「西洋つつじ」は当時としては珍 しいハイカラの花で,高農の植物園に栽植されたばかりのものであった。) の同人十二名の中の一・人であり,賢治が生涯にわたって友人として,また 信仰をともにする朋友として期待を持っていた保阪嘉内に宛てた大正七年 五月十九日の手紙を次に紹介する。 …私は春から生物のからだを食ふのをやめました。けれども先日「社 会」と「連絡」を「とる」おまじなゑにまぐろのさしみを数切たべまし た。又茶碗むしをさじでかきまわしました。食はれるさかながもし私の うしろに居て見てゐたら何と思ふでせうか。「この人は私の唯一一の命をす てたそのからだをまづさうに食ってゐる。」「怒りながら食ってゐる。」「や けくそで食ってゐる。」「私のことを考へてしづかにそのあぶらを舌に味 はいながらさかなよおまへもいつか私のつれになって一一緒に行かうと祈っ てゐる。」「何だ,おらのからだを食ってゐる。」まあさかなによって色々 に考へるでせう。 さりながら,(保阪さんの前だけ人の悪口を云ふのを許して ̄F■さい。) 酒をのみ,常に絶えず犠牲を求め,魚鳥が心尽しの犠牲のお楷の前に不 平に,これを命とも思はずまずいのどうのと云ふ人たちを食はれるもの が見てゐたら何と云ふでせうか。もし又私がさかなでも私も食はれ私の

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岡 屋 昭 雄 176

妹も食はれてゐるとする。私は人々のうしろから見てゐる。「あ、あの人

は私の兄弟を箸でちぎった。となりの人とはなしながら何とも思はず呑

みこんでしまった。私の兄弟のからだは,つめたくなってさっき,横はっ

てゐた。今は不思議なエンチーム(消化酵素のこと 筆者注)の作用で

鼻暗な処で分解して居るだらう。われらの脊属をあげて尊い命をすてゝ

さ、げたものは人々の・一寸のあわれみをも買へ・ない。」

私は前にさかなだったことがあって食はれたにちがひありません。

又,屠殺場の紅く染まった床の上を豚がひきずられて全身あかく血が

つきました。転倒した豚の瞳にこの血がバッとあかくはなやかにうつる

のでせう。忽然として死がいたり,豚は暗い,しびれのするような軽さ

を感じやがてあらたなるかなしいけだものの生をえました。これらを食

べる人とても何とて幸福でありませうや。

母とそ・の子とが宿屋を営みました。立派な人があるとききて泊りまし

た。母はびっくりして自分らの見たことのないものを町からもとめさせ,

山一∵生懸命に之を料理し,自分では罰もあたる程の思ひの御馳走をつくり

ました。御客様は物足りなささうに樺を終へ,「この辺で鶏があるなら煮

て出して呉れ。」と申しました。また次の日は「こんなに虐待されて茶代

が置けるものか。」などとつれの人とはなしたとします。宿屋の子はそれ

を問いて泣きたいのでせう。この感を大きくすると食われる魚鳥の心得

が感ぜられます。

一月したはづみから変にしめー)こんだことを書きました。(以下略)

っまりここには,生あるものを食べる苦悩が率直・素直に表出されている

のである。この書簡の前半に,賢治は,兵隊検査で第二乙種になったこと

に対する苛立ちの気持を書きつける。それに加えて,軍医に「心臓が弱い

ね。」と,いわれる。そして,人並に山歩きができるのに,との賢治の身体

的認識と,「からだが無暗に軽く又ひっそりとした様に思ひます。」という

身体的認識が矛盾として存在する。とりわけ,後者の身体的認識は,自分

の周りにいる他人が発した言語によって自分が身体的におかしくなること

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宮澤賢治論 177 を示し,賢治の他人の発する言葉に対する反応は,鋭敏でありつつ,かつ 繊細であることに注目すべきであろう。このことは自然の発する音にも鋭 敏であったことはもとよりのことである。また,ここには,賢治が今を生 きる身体的認識とともに前世に対する身体的認識が存在していることに注 目せざるを得ないであろう。「前世は宮澤の脊属は魚であった。」というの であり,ここには,生きているものを食べる賢治の苦悩が裸わとなってい ることに驚くとともに,賢治の性格の特質になっていることでもある。そ して,この考えの根拠を次のように述べる。 けれども保阪さんのする様に−L切の生あるもの生なきものの始終を審 に諦かに観察したら何か涙でないものがありませうや。あゝなみだよな

みだよ。めゝしくはなくな。おまへの恋人が奪はれ,おまへの名誉が蒐

茶元茶にふみにぢられても男は泣くな。おらは泣かない。おらは悲しい −・切の生あるものが只今でもその循環小数の輪廻をたち切って輝くそら に飛びたつその道の開かれたこと,そのみちを開いた人の為には泣いた とて尽きない。身を粉にしても何でもない。この人はむかしは私共と同 じ力のないかなしい生物であった。かなしい生物を自ら感じてゐた。あゝ この人はとうとうはてなき空間のたゞけし種子ほどのすきまをものこさ ずその身をもって供養した。大聖大慈大悲心,思へば滑もとゞまらず, 大慈大悲大恩徳いつの劫にか報ずべき。 ねがわくはこの功徳をあまねく−一・切に及ぼして十界百界もろともに仝 じく仏道成仏せん。一山人成仏すれば三千大千世∴界山川草木虫魚禽獣みな ともに成仏だ。(1) すなわち,ここには,賢治の思想を解読,解釈できる重要な鍵があるこ とである。「おらは悲しい−L切の生あるものが只今でもその循環小数の輪廻 をたち切って輝くそらに飛びたつその道の開かれたこと,その道を開いた 人の為に泣いたとて尽きない。」との世界・宇宙認識であり,それは,やが て,「グスコープドリの伝記」として結実する。つまり「自己犠牲」の意味

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同 属 昭 雄 178 する世界を示すことであり,その根拠なのである。「グスコープドリの伝記」 では,保阪嘉内に書いたことと同じ文言を出すのであり,前掲の童話を書 く際に,友人保阪幕内に,賢治の心底より信じる宗教世界に強引とも思え る方法で勧誘しようとするが失敗し,その結果,嘉内との訣別を悲しみつ つ,かつ自分と同じ道を歩いて欲しいという切なる希望を持っていたと思 われるが,そのことが挫折に終ったことも,賢治の心に深い傷を残すこと になる。・そのことを考えるのも,この手紙から推測されるからである。見 田宗介氏は,「焼身,という観念は,賢治の作品や実甥のなかに,じつにさ まざまなヴァリエーションを生みおとしながら,その生涯をつらぬいて詩 人の心象世界の−→・隅にいつも光を放ちつづけた軸の観念のひとつであった。」 (2)と高い評価を与えつつ,この観念は,生涯にわたって様々なヴァリエー ションを生み落とすと述べるのである。さらに,「く明断な倫理〉一自己の 存在を原的な罪として把捉してしまう賢治の認識の,情念として純化され つくした帰結に他ならなかった。」(3)と述べるのである。つまり,ここには, 自己の存在を原的な罪として把握してしまう認識があったというのであり, したがって,賢治の生涯は,この「修羅意識」がつき纏っていたとも把握 できるであろう。 あと一山つは,「三千大千枚界山川草木虫魚禽獣みなともに成仏だ。」とい う認識である。人間だけが成仏できるのではなく,生あるもの,生なきも のも総て成仏できるというのである。この認識は,賢治の作品を解く重要 な鍵となるものであり,したがって,賢治が大正十−−一・年−ト岬一月二十七日 下根子桜で妹・トシが亡くなることを契機として,あれほど楽しかったと いう農学校の教師をやめ,「羅須地人協会」の設立,農民の為に農業計画書 を書いたり,相談を受けたりの生活に奔走するのも総てここに依拠するの であり,賢治は,昭和八年九月二十−−・日に,喀血し,国訳法華経一一=千部の 頒布を遺言して三十七歳のあまりにも短い生涯を終え,その生の充実を道 産として永眠するが,その死の直前まで,病状悪化にも関わらず,農民か らの肥料相談を受けていたのであり,このことの意味を解読しても,「自己 犠牲」の理想像,つまF),「聖」なるものに憧れる生きる主体としての賢治の

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宮澤賢治論 179 理想世界・宇宙が完成・完結した,と把握できるのであり,換言すれば, 賢治の「自分探しの旅」の完成と捉えることも可能となるのである。した がって,人生を長く生きたからといって,人間に死の悲しみがある限り, 例え千年生きていたとしても「はかない」,しかも「無常」な存在なのであ る。 以上,賢治が大正七年五月十六日,親友・保阪嘉内に出した手紙である。 賢治が手紙を書いた場所が,「岩手脾稗貫郡大迫町ニテ」となっていること である。大正七年といえば,賢治は関豊太郎博士の指導を受けつつ,五月 から岩手児稗貫郡の土性調査に従い,七月,調査報告書並びに,「地質及び 土性図」を作っている。このことから,賢治は,土性調査に従いながら, −一・方では,「自分探しの旅」の設計図を作り,それを友人でもある保坂嘉内 に自分が構想する将来への展望を開陳するのである。つまり,賢治は,土 性を調査する所為から母胎回帰・子宮へ戻りたいとの心性を持ったのであ ろうか。梅原猛氏は,生き物間の弱肉強食の殺し合いを「全ての生きとし 生けるものの世界は殺し合いの世界,修羅の世界である。」(4)と捉え,日本 近代文学が生みえたもっとも美しい,もっとも深い,もっとも高い精神の 表現」(5)と把捉するのである。つま−),梅原猛氏の如く解釈するとすれば, 『■春と修羅』の祖型(ア・−ケタイプス)は既に大正七年五月に成立したこ とになる。 以上,賢治は,友人である保阪嘉内に対す−るような表現を用いながら, 自己がよって立つ基盤,つまり,人間としてどのように生きたらいいのか に関わっての宣言と読み取ることができることについて述べた。ここで補 足ながら,賢治の保阪嘉内に対する信頼とともに,甘えが見られることで ある,ということであろう。 結論的には,賢治が生命のあるものを食べるのは辛いという認識は,そ の根底に仏教の輪廻転生の思想があることである。つまり悪い行いをした 者は因果の報いによって,来世においては,より弱い動物に生まれ,そこ で強い動物に食べられて,また次の生へと転生し,これが永久に繰り返さ れるというのである。このような輪廻転生の思想を抱持していたが故に,

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岡 屋 昭 雄 180 生あるものが互いに殺し合うという事実に耐えられなかったのである。ま さに,生きるという事実が内包する営為に苦しんだのであり,それを凝視 す−るのである。つまりキリスト教の「原罪意識」であり,人間が生きて存 在していることが既に罪となるという意識で生きて行かなければならない ことである。 ところで,賢治が拘った生き物を食べなければ生きて行けないという人 間のみならず,他の生き物の宿命ともいえるものにどのように対応したか を主題とする作品は多くある。「よだかの星」,「フランドン農学校の豚」「ビ ジタリアン大祭」「二十六夜」等の作品,さらには,「やまなし」「貝の火」 も挙げられるであろう。食べる側から書いた「よだかの星」「二十六夜」が 有り,食べられる側から描かれた「フランドン農学校の豚」がある。実生 活においても菜食主義を徹底し,その為に寿命を縮めたともいえる。賢治 が病床にあって鯉の生き血が病気によく効くといわれても口にしなかった という。つまり賢治の場合,生き方と作品との整合性があることであり, 童話なり,詩に書くことが即彼の生き方と考えていいのである。したがっ て,全ての生き物は他の生き物を殺さなければ生きて行けない存在である, という矛盾を抱えもっていることである。食物連鎖ということは誰もが知っ ていることであり,倫理的善悪を越えて−一つの事実なのである。しかし, そのことに矛盾を感じる人間はあまり多くない。「生きていくことは悲しい ことである。」との諦念ともいえる思想を抱懐する賢治の考えを作品を通し て次に論究することとする。 2.食べることの苦悩を表出する作品 鬼ず,農学校教師時代に書いたと思われる「ニート六夜」を取り上げ,論 究する。「旧暦の六月二十四日の晩でした。/北上川の水は黒の寒天よりも もっとなめらかにすべり獅子鼻は微かな星のあかりの底にまっくろに突き 出てゐました。/獅子鼻の上の桧林は,もちろんもちろん,まっ黒でした がそれでも林の中に入って行きますと,その脚の長い松の木の高い梢が, 一本ーー本空の天の川や,星座にすかし出されて見えてゐました。/松かさ

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宮i畢賢治論 181 だか鳥だかわからない黒いものがたくさんその梢にとまってゐるやうでし た。/そして林の底の慧の実は夏の夜の雫をもうぽとぽと落として居りま した。」 以上が,「二十六夜」の冒頭の部分である。「北上川の水は黒の寒天より ももっとなめらか」であり,「微かな星のあかりの底にまっくろに突き出て」 おり,「桧の木の高い梢が,−一一・本仙本空の天の川や,星座にすかし出されて 見え」ていて,「そして林の底の萱の実に夏の夜の雫をもうぽとぽと落とし ている」のである。色彩として黒が賢治の心象風景の宇宙を描出する。賢 治の描く風景は静諸でありつつ,かつ清浄なる世堺となっている。つまり, 柄谷行人が述べる,「風景が以前からあるように素顔ももとからある。しか し,それがたんにそのようなもとして見える視覚の問題ではない。そのた めには,概念(意味されるもの)としての風景や顔が優位にある『場』が 車云倒されなければならない」(6)であり,梅原猛が「龍と詩人」を例にとり つつ述べる「ス・−ルグッタは,そのとき岬を訪れる芸であり,風であった。 その筈や風の語った言葉を,ス・−ルグッタはそのまま歌った。賢治はそれ を,『凪がうたひ貢が応じ波が鳴らすそのうたをたゞちにうたふスールグッ タ』という言葉で表現する。」(7)であるのである。つまり,賢治の表現する 世界・宇宙は,単に周りの風景描写・人物描写という範囲を越えて,賢治 独自の世界観の反映でありつつ,そこから次に展開するプレリ.エードの役 割を果たすことになるのである。したがって,賢治は自己の狭い枠組みで 対象を切り取ることなく,対象のさらなる彼方をも視野に入れて表現する ことが可能な作家だったと把握できるのである。次に食べる苦悩を表現す る簡所を紹介する。 「………みなの衆,ようく心を留めて開かしゃれ。折角鳥に生まれて来 ても,たゞ腹が空いた,取って食ふ,陣くな・った,巣に入るではなんの 所詮もないことぢゃよ。それも鳥に生まれてたゞやすやすといきるとい ふても,まことはたゞの−・日とても,たゞごとではないのぞよ,こちら が山・日生きるには,雀やつぐみや,たにしやみ、づが,十や二十も殺さ

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2 岡 屋 昭 雄 れねばならぬ,たゞ今のご文にあらしゃるとほりぢゃ。こゝの道理をよ く聴きわけて,必らずうかうか短い−L生をあだにすごすでないぞよ。こ れからご文に入るぢゃ。小俣らも,こらえて睡るではないぞ。よしか。」 18 つまり,ここには食物連鎖の世界を説いたものであり,それに対する戒 めなのである。この説教をする存在も「その於林のずうっと高い処で誰か ごほごほ唱えてゐます。」と書かれており,不可思議な霊感の世界である。 その声が天から降って来るような,全身に浴びるような感じなのである。 したがって,臭たちは,「ぢっととまってだまって」おり,「かすかなかす かなため息」や,「すゝり泣きの声がするばかり」だったというのである。 ここに生きる悲しみが存在するのであり,それ故に臭達,つまり賢治の苦

悩が裸わとなるのである。そして,旧暦の六月二十六日となる。穂吉とい

う臭が二十五月の夜,子供が二人草刈りに釆て居て,稽古は子供に足を捉 えられることになる。そして足を骨折してしまう。それに対して奥のお坊 さんは,「この世界は全くこの通りぢゃ。たゞもうみんなかなしいことばか りなのぢゃ。」というのである。ここに生きるものの悲しさを賢治が抱懐し ていると捉えていいだろう。つまり,「一山・の悪業によってh一・の悪果を見る。 その悪果故に,又新なる悪業を作る。斯くの如く展転して,遂にやむとき ないぢゃ,車輪のめぐれどもめぐれども終らざる如くぢゃ。これを輪廻と いひ,流転といふ。蕃から想へ・とめぐることぢゃ。継起して遂に為ること なしと云ふがそれぢゃ。」という言葉も,臭のお坊さんがいっているのであ るが,この言葉も賢治の意識の機軸にあって悩み続けていることなのであ る。 結末の部分は次のように終わる。 右と左に少し丈の低い立派な人が合掌して立ってゐました。その円光 はばんやり黄金いろにかすみうしろにある青い星も見えました。芸がだ んだんこっちへ近づくやうです。/「南無疾翔大力,南無疾翔大力」/ みんなは高く叫びました。その声は林をとゞろかせました。雪がいよい

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宮澤賢治論 183 よ近くなり,捨身菩薩のおからだは,十丈ばかりに見えそのかゞやく左 手がこっちへ招くやうに伸びたと思ふと,俄に何とも云へないいゝかほ りがそこらいちめんにして,もうその紫の富も疾翔大力の姿も見えませ んでした。たゞその澄み切った桔梗いろの空にさっきの黄金いろの二十 六夜のお月さまが,しづかにかかってゐるばかりでした。/「おや,穂 吉さん 息つかなくなったよ。」俄に穂吉の兄弟が高く叫びました。/ほ んとうに穂吉はもう冷たくなって少し口をあき,かすかにわらったまゝ, 息がなくなってゐました。そして汽車の音がまた聞こえて来ました。 つまり,島の穂吉は人間によって殺されたといってもいいのである。に もかかわらず奥のお坊さんは,殺生したり報復したりすることには否定的 であることばこの作品のみならず,他の作品でも見られることである。ま た,賢治が汽車の汽笛に限りない憤れを持っていることは,また汽車に託 す思いの探さは,『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』の「序」の「これ らのわたくしのおはなしは,みんな林や野はらや鉄道線路やらで,虹や月 あかりからもらってきたのです。」の文言,童話「銀河鉄道の夜」の,ジョ バンニとカンパネルラとの遊逓も汽坤を使っていることであり,童話「月 夜の電信柱」にも汽申が登場す−る。この作品に於いても,ニ十六夜に,「島 のお坊さんは一寸声を切りました。今夜はもうー・時の上りの汽車の音が聞 こえて釆ました。その昔を聴くと粂どもは泣きながらも,汽車の赤い明る いな・らんだ窓のことを考へるのでした。」という箇所が見える。以上のよう に賢治は,汽車に対する思い入れがあることが分かり,それだけに賢治の 深層意識に遠い彼方に対する憤れ・理想を求める株介として汽津というも のが頻出するのである。幻想することを好む傾向がある人にとっては,汽 車は格好な乗り物である。 捨身菩薩とは,他の犠牲になっても,なお他の人間を生かすことに喜び を持つ存在であることは今更いうまでもないであろう。 以上,賢治の「二十六夜」の,食物連鎖,とりわけ,他の生き物の犠牲 の上に我々の生があることの=野悩を賢治の表現する世界・宇宙について述

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岡 屋 昭 雄 184 ベた。賢治が農業学校の教師時代の教え子の−㌧八である照井謹二郎氏は,「追 憶 ふくろう」と題して,賢治が「ニ十六夜」の背景となる状況を次のよ うに述べている。 農業実習が終った後で,小学校時代に獅子鼻でふくろふとりをしたこ とを話したら,宮澤賢治先生は 「そりや,おもしろかったネ,今もふ くろふがす−んでをるだろうか,一一一度行って見たいネ」と言ってをられま した。 夏の夕暮れでした。蚕の給桑に手伝ってゐましたら,表の方で「ごめ んください」といふ声が聞こえました。母が出て行きますと,宮澤賢治 先生が「おいそがしいやうですけれども,きんじらうさんを−=一寸おかり したいのですが‥…… 」と母にお願ひしてを−)ました。私は給桑をやめて 出ました。「この前に話してくれた,ふくろふのすんてゐる獅子鼻に案内 してくれませんか」 先生はいつものやうに身軽に出かけて来られました。太陽はもう西の

山にか、つてゐました。畳でさへも薄暗い林の中でしたので,林の入口

の鴨澤さんから提灯を借りました。庄・▼一ガ元気で案内してくれた数年前 の′ト径を想ひ浮べながら,私は先導して林にはひ−)ました。獅子鼻の松 林は−■面にまつくろで,しいんとしてゐました。 「せんせい,ふくろふのすんてゐるのはこのへ・んです」 林の中は不気味なほどしづまr)かへつてゐました。提灯のあかりで, よくよく梢をすかして見ましたが,ふくろふが見当りません。 「ふくろふの羽ばき(ママ)でもよいからきゝたいネ」 夜の林のことですので,あちこちと歩きまはることも出来ませんでし たから,提灯せもったまゝ二,三十分の間その場にた、ずみましたが, 遂にふくろふらしい影も物音もき、とれずに帰りました。先生はたいへ ん残念がりました。(8) つまり,宮i畢賢治の知的好奇心の強いことを示す実例である。その後,

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宮き軍資治論 185 賢治は五,六回にわたり一人獅子鼻にまで出かけて,奥の世界をよく見て 釆たという報普を照井氏は賢治から聞くことになるのであるが,ある時は 夜中の二時噴出かけたというのであるから,よほど,臭の習性や,その場 き声に興味を持っていたのであろう。また,賢治は大正十三年末,農事 講演前ち合せのため照井氏と飯豊,笹間,太田の役場を訪問する途中,急 に道路側の竹薮に入り込み,「寂として声のなかった辺りは,急にどよめき 出して,野の精が山度に乗りうつつた情景なのです 。『あアツ!あの音! あの色!』感受性の鋭敏な先生は,音色にさまざまな姿を連想されて何 か口ごもってゐたやうでした。」(9)という面白い賢治の性格を紹介する。賢 治は自然の色,音に興味があるように思われるが,実は,音を聞いて色彩 として感じ,また,色を見て,聴覚に感じる自在な感覚を持っていること を示すのではないだろうか。さらに,次のような紹介も,照井氏はする。「ニ 年の秋,十月の小春だったが,先生と二人で,小さな舟で北上川を渡った

事があった。その途中,免生のポケットからリンゴがポチャンと落ちた。

先生は,それが水に沈んでゆくさまがきれいだと言って,何度もポチャン を繰り返す。ああ,きれいだと言って繰り返す。そのあげく,泳がないか と言い,自分−一L人で泳ぎ出す。さすがに私は冷たくて泳がなかったが,先 生はそういう感覚の持ち主だった。」(川と。また,鈴木操六氏は「追想 先 生と音楽」で,「…‥…電灯の低く吊り下げられた広い畳の上に,師弟二人の 長い影法師をうつして,静かに円盤の回車云を見乍ら聴いてゐた。先生は無 我の境に這入られたといふ風で,いつもの様に片手をケースの上に軽く梵 たせて仰向加減に,聴いて居られた様子は,今も目に見える様である。其 当にこのレコードは先生の気に入られた様で,回転が止まり暫く沈思され てから,ゆつくり頸筋を上げられて,『よいなす,やつぱりベートーベンは い、なあ,外国物はよいなス.』と嘆放された。その時に静かに交響楽や, その他の音曲の鑑賞の仕方に就いて話していたゞいた。」(11)と述べ,賢治が レコードを聴くという当時としては,とても新しがl)やだったことであり, 音楽によって ,無我の境地に入ることができる,つまり,超越の世界に自 由に入り込むことのできる性格であり,幻想と現実の世界を自由に往復で

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岡 屋 昭 雄 186 きる自在な感覚を抱持する特別の人物であったことを証明するものである。 以上,賢治が稗貫農学校(彼の花巻農学校となる)の教師時代の教え子 の証言から引用させてもらったものである。つまり,賢治は類稀れな感覚・ 感性の持ち主であり,視覚を聴覚で捉えたり,色をイマジネ・−ション豊か に捉える能力に天性のものがあることに就いて論究した。 ところで,「よだかの屋」も,生きとし生けるものは他人の生命を奪わな ければならな・いことを主要に述べた作品であり,人口に胎失する作品とし て評価されている。その部分を紹介する。

(あゝ,かぶとむしや,たくさんの羽虫が,毎晩僕に殺される。そして

そのたゞ−一一つの傾が鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。あ、つら

い,つらい。僕はもう虫をたべないで飢えて死のう。いやその前にもう鷹

が僕を殺すだろう。いや,その前に,僕は遠くの遠くの空の向こうに行っ

てしまはう。)の場面がそれである。伊藤眞一一郎氏は,「よだかが醜いか美

しいかという問題は,本作品の二義的な問題ではなく,むしろ中心主題で

あろうと考えるからである。」(i2)と多くの識者が,生きとし生けるものが他

の生命に依存することの不条理の世界に中心主題を置くのに対して,それ

を二義的に把握することは注目していいであろう。

確かに,よだかが醜い鳥であることは冒頭の場面描ギカゞ精確であるが故

に説得力をもつ。そしてその心理描写も精密に書かれている。したがって,

絡者は,よだかが醜い鳥であるというイメージが強烈に残り,食物連鎖の

世界に絶望し,その世堺を超越する為に死のうという行為のもつ意味が無

化されることは疑う余地はか−であろう。にもかかわらず,この場面では

排除の論理が機能していることに注目せざるを得か、。つま−),よだかは

異人,検言すればストレンジャーとしてのステイタスしか許容されていな

いことになる。したがって,排除される側に立って論理を組み立てなけれ

ばならないのである。鳥の社会から排除されていると把握し,その,よだ

かの二許悩を・共有するとして,その社会からの逃亡しか残されていなかった

のである。よだかにとってユー・トビアは,空の彼方に存在するのであり,

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宮澤賢治論 187 それは死という行為でしか至り得ない世界なのである。賢治の苦悩は,い くら努力したとしても農民となることはできなかったのであり,農民から の視点からすれば,賢治は,お金持ちの単なる遊びにしか見えなかったで あろう。賢治の苦悩は,所詮農民にはなれないという認識は終生つきまとっ ていたことば確かであろう。逆転の発想をして,弱者の立場によだかを置 くとして,「日分のように弱い立場のものがさらに弱い立場のものを食べる」 という行為がどの様に見えるのか,という拠点を持つとすれば,排除して いるものがさらに排除するという構造が明らかになるであろう。このよう に論理を組み立てて行くと,差別の構造と同じ形式が見えて来るであろう。 赤坂窓雄氏は,「神や自然によってあたえられた,人間の歴史に先行する境 界線(裂け目)といったものは存在しない。内部/外部という分割,した がっていっさいの二元論的な分割もまた,認識論的な解釈装置にすぎない。 にもかかわらず,この二元論という名の(漁迫的なるもの)は,いつしか 世界=宇宙そのものに先験的(アプリオリ)に内在する二元論的図式とし て,わたくしたちの意識をl軋縛しはじめる。そこでは,内部/外部を隔て る境界は,すでに・つねに世界そのものに牢まれた自然の摂理として発見 される。しかし,むろんこれは,転倒した論理,いわば二元論の呪縛の産 物にすぎない。」(用と述べ,もともと境界線は存在しなかったというのであ り,アプリオリに内在する二元論として我々の意識を呪縛す−るというので ある。つまり転倒した論理として,いわば二元論のl呪縛との産物であり, 人間が人為的に構築したものに過ぎないというのである。したがって,よ だかのケ・−・スを検討するとすれば,差別する側も,差別される側も,本質 的なものではなく,内部と外部という二j己論的な呪縛に縛られているだけ だ,という認識の方がもっとも重要であろう。賢治の「よだかの星」にお ける構想力は,その二元論を越える論理を打ち立てることにあったと考え るのが精確であろう。つま−)排除する側も,排除される側も双方とも,修 羅の世界を抱懐することになり,その双方の立場を超越する論理が登治に は必要となったのである。美しい,醜いという二元論にしても,人間が生 み出した呪縛である。したがって,その呪縛から開放される,論理とそれ

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岡 屋 昭 雄 188 への展望,実践的営為が求められることになる。よだかにとっては,空の 星に向かって,限りなく接近することであり,そこに救済を求めたことに 他ならない。斉藤隆介の『ひさの星』の主人公は,寡黙でありつつ,自分 が正しいと判断することを実行するのである。「よい行為」,「悪い行為」と いう価値判断が社会の無意識的なパラダイムに呪縛されることなく,人間 という所勧こ裏付けられた営為であるならば,それこそが,ユートピア, 賢治に即して述べるならば,イーハトヴということになるのである。斉藤 隆介のひさは,今でも星となって,光り続けているという。よだかは,空 に昇天してもなお苦悩は続くのであり,屋となったからといって決して解 決したということはできないであろう。「なめとこやまの熊」の淵沢小十郎

にしてもすがめであり,醜い存在である。山人といってもいいであろう。

小十郎は熊の言葉だって分かるのにも関わらず,熊を殺さなければ生きて は行けないのであり,殺して剥いだ熊の皮だって,旦那にかかると手もな くひねられて安く買い叩かれるのである。「日本では狐けんといふものもあ って狐は猟師に負け猟師は旦那に負けるときまってゐる。こゝでは熊は小 十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。旦那は町のみんなの中にゐるから なかなか熊に食はれない。けれどもこんないやなづるいやつらは世界がだ んだん進歩す−るとひとりで消えてなくなって行く。僕はしばらくの間でも あんな立派な小十郎が二度とつらも見たくないようないやなやつにうまく やられることを書いたのが実にしゃくにさわってたまらない。」と,物語の 展開とは関連なく,話者は,裸わに賢治の激しい怒りをぶっつけるのであ る。人間全体に向かって叫ぶように 。ここにも,「殺す」,「殺される」 という両義性が存在する。その立場が逆転されることによって小十郎は, 作品の上では救済されるのである。「思ひなしかその死んで凍えてしまった ′ト十郎の顔はまるで生きてるときのように冴え冴えして何か笑ってゐるや うにさへ見えたのだ。」といわれても,納得いかない読者も多いであろう。 筆者も小学校六年生に指導をして,この作品の放射する多様な光に感動す るとともに,改めて作品が問いかける問題・課題の多さ,重さに驚愕した ものである。人間が生きるという行為そのことが,他人を無意識のうちに

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宮澤賢治論 189

傷つけているのであるが故に苦悩す−るのである。

結論的に,「よだかの星」の作品は,生きて行くという営為は知らず知ら

ずの内に,他人を傷つけることとなり,人間が食べるという行為に絞って

考慮しても,生き物を殺してその上に自分が生きていることになるのであ

り,他の生き物の毒性によって自己の生が成立していることに逢着す−るの

である。醜いとか美しいとかいうカテゴリ、・−・についても,問題となること

は確かであるとしても,その解決は比較的容易であろう。人間は,定住と

漂泊とを入れ子型にしているといわれている。つまり,定住していれば,

漂泊を夢みるであろう。漂泊していれば,定住を望むのは,人間の習性で

あり,その為にこそ,自分の生き方のみならず,地域社会の枠組みを活性

化しなければならないのである。綱澤満昭氏は,宮澤賢治の人生と作品と

を結び付けながら「賢治の出自は農民ではないが,農学校に学び,農学校

の教師を勤め,羅須地人協会をつくって農業の指導を行ってきた人間であ

る。農業とのかかわ㌢)を除外して彼の一・生を語ることは断じてできない話

である。また『そうなったつもり』の城を出るものではなかったとしても,

彼は彼なりに農民になりきろうとしたこともある。/このような農業との

関係の探さを認めながらも,賢治の体質からはどことなく山の香−)が漂っ

てくる。それは稲作の人間によっていためつけられた山人のものか,それ

ともヒュ.−マニズムという人間の勝手な思い上がりによって苦しめられ,

抹殺されていった他の生きもののものか,さだかではない。/賢治の描く

理想の世界は,究極的には人間と自然が融合し,一体化した世界であった。

「蜘昧となめくぢと狸」などで,とどまるところのない欲望,競争,拡張

の原理を風刺しているように,速く,大きく,多くといった生産力至上主

義に引きずり回される人間社会の行きつくはてを彼は見放いていたかのよ

うである。/もともと渾然となっていたものが,引き裂かれ,−・方が他方

に食い殺され,また食い殺す側から言えば,そうするしか生きようのない

といった,いわば修羅の世界に,賢治は暗く冷たい涙を落としもした。他

を傷つけ,殺さなければ生きられぬなら,この己の生命を断つしかない。

他界全体が,つまり生きとし生けるものすべてのものが幸福になるなら,

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岡 屋 昭 雄 190

己の身体など何度引き裂かれても惜しくはないというところに,賢治の悲

哀と苦悩の『生』があった。」(1㊥と,賢治の作品と人生を有機的に関連させ

つつ,賢治の全体像を把握しようと,それこそ苦悩している。確かに網澤

氏は,賢治の生き方から発するメッセ・−ジを精確・凋密に解読・解釈しつ

つ,賢治の全体像を樹立するのである。「山の香りがする」というのは,山

人を人間の生きる鏡として書いているところからも筆者は首肯できるもの

であり,「山男の四月」,「紫紺染めについて」[祭りの晩]等の作品に見る

ことができる。とりわけ,筆者が評価するのは,[祭りの晩】である。「山

の神の秋の祭F)の晩でした。」を冒頭に据えつつ,主人公の亮二は,山男が

団子の代金が払えないのを肋けてやる。村人の冷たさと対象的である。掛

茶屋の主人も,自分の人間としての冷たさを丸だしにするのであり,村の

若い衆も同様である。最後の場面では,「おぢいさん,山男はあんまり正直

でかあいそうさうだ。僕何かい、ものをやりたいな。」「うん,今度夜具を

一一・枚持って行ってやらう。山男は夜具を綿入れの代わ−)に着るかも知れな

い。それから団子も持って行こう。」/亮二は叫びました。/『着物と団子

だけぢゃつまらない。もっともっとい、ものをやりたいな。山男がうれし

がって泣いてぐるふるはねまはって,それからからだが天に飛んでしまふ

位いゝものをやりたいなあ。』/おぢいさんは消えたラムプを取りあげて,/

『うん,さういふい、ものあればなあ。さあ,うちへ入って豆をたべろ。

そのうちに,おとうさんも隣から帰るから。』と云ひながら,家の中にはい

りました。/亮二はだまって青い斜めなお月さまをながめました。/凪が

山の方で,ごうっと鳴って居ります。」と,ほのぼのとした世界を創出する

のである。山男は美しい心を持っているが故に傷つくのであり,亮二は,

Ilト男から学んで,成長することが可能となるであろうことが予想できる。

最後の文章の結末も,自然の音でありながら,亮二と山男を結び付ける融

合した世界となっているのである。

もとより,自然と人間の融合する世界・宇宙というのはいうは易く行う

は難しの重要,かつ喫緊の課題であることは今更いうまでもないであろう。

したがって,「他を傷つけ,殺さなければ生きられぬなら,この己の生命を

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191 宮澤賢治論 断つしかない。」という悲哀と苦悩の「生」を引き受けた賢治の生き方は, 現実の世界からの彼岸の世界へと飛び込むしか方法はないのであり,農民 になろうとしても所詮は,理.解を得られなかったのである。とりわけ,東 北という地域の持つ貧困,長い歴史によって培われた風土,習俗によって 精神も,身体をも,失う結果となるのである。が,それ故にこそ,賢治の 作品は多彩に光り輝くのである。理解される,されないは賢治にとっては, 問題でなく,如何に生きたかが問題であったことである。−・粒の種を蒔く 仕事をしたのであり,その種子は,少しずつ,少しずつ花開いていくので ある。農民と肥料相談をしつつ,亡くなったということも,賢治の生涯を 考える上で象徴的である。 以上,綱澤氏の論述に啓発されながら,筆者も賢治の主張することを典 撃に考えると涙ぐむのである。「他の生き物を食べることによってしか生き ていけない矛盾と正対する賢治の思想は,やがて,作品「ビヂテリアン大 祭」に結実する。賢治が他の生きものの犠牲,つまり他の命を奪うことに よってしか生きれない存在である人間のあり方について,ある意味での解 答が出されたのがこの作品である。その冒頭は次のように述べられる。 私は昨年九月四日,こユ・−ファウンドランド島の小さな島の山村,ヒ ルティで行はれた,ビヂテリアン大祭に,日本の信者−L同を代表して列 席して参りました。 全体,私たちビヂテリアンといふのは,ご存知の方も多いでせうが, 実は劾物質のものを食べないといふ考のものの団結であl)まして,日本 では菜食主義者と訳しますが主義者といふよりは,も少し意味の強いこ とが多いのであー)ます。菜食信者と訳したら,或は少し強すぎるかも知 れませんが,主義者といふよ−)は,よく実際に追ってゐると思ひます。 もっともその中にもいろいろ派がありますが,まあその精神をついて大 きくわけますと,同情派と海防派の二つになります。 以上,「ビヂテリアン大祭」の冒頭部分について紹介した。賢治はどうし

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問 屋 昭 雄 192 て,ビヂテリアン大祭を実際に地図に記されているニュー・ファウンドラン ド島で開催す−るのか,との疑問があるであろうが,賢治の発想は常に岩手 県という狭い枠を越えて世界に開かれていることであり,そこには賢治が 最初に自費出版した『注文の多い料理店』の「広告ちらし」に,「イ・−ハト ヴは一つの地名である。強て,その地点を求めるならばそれは,大小クラ ウスたちの耕してゐた,野原や,少女アリスガ(ママ)辿った鏡の国と同 じ世界の中,テパンタールの砂漠の遥かな北東,イヴン王国の遠い束と考 へられる。」と述べるような延長線上に位置するものと考えられる。つまり, 生きとし生けるものが,生きているものを食べなければならない問題を解 決す−るために,開催されると把握できるであろう。 世界中から多くの学者が集まって会議が持たれるが,異教徒も最後は, ユウモアセンスで,全員がビヂタリアンとなるのである。賢滴の作品が持 つ風景の奥行きの豊かさである。結末に,活動写真を持って来るなど心憎 い配慮である。賢治は,ビデテリアンには,三つの考えがあり,私たちも この考えと述べつつ,第三のよって立つ基盤を次のように紹介する。 いくら物の命をとらない,自分ばかりさっぱりしてゐると云ったとこ ろで,実際にほかの動物が辛くては,何にもならない,結局はほかの動 物がかあいそうだからたべないのだ,小さい小さいことまで,−一L−・吟味 して大へんな手数をしたり,ほかの人にまで迷惑をかけたり,そんなに までしなくてもい、、もしたくさんいのちの為に,どうしても一一・つのい のちが入用なときは,仕方ないから泣きながら食べてい、,そのかはり もしその一・人が自分になった場合でも敢て避けないとこう云ふのです。 けれどもそんな非常の場合は,実に実に少な・いから,ふだんはもちろん, なるべく植物をとり,動物を殺さないやうにしなければならない,くれ ぐれも自分−\人気持ちをさっぱりすることにばか−)かゝはって,大切の 精神を忘れてはいけないと斯う云ふのであります。 つまり,「もしたくさんのいのちの為に,どうしても−一つのいのちが入用

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宮澤賢治論 193 なときは,仕方ないから泣きながらでも食べていゝ 、そ・のかはりもしその −−・■八が自分になった場合でも敢て避けないとかう云ふのです。」とあるよう に,どうしても一つの命が入用ならば,食べていい,しかし,他の人間が 命を求める場合には,自分の身体を提供する決意が必要だというのである。 ようやくにして,ここまで辿り着いたのである。他の命を奮って迄生きて いくことの苦悩が全く解決したというのではない。賢治にとっての妥協点 である。「泣きながらでも食べていゝ。」というところに,賢治の熱い心が 見える。 「ビジテリアン大 祭」は,後に書き直され,「1931年度極東ビジテリアン 大祭見聞録」として,その草稿は残される。この作品では,舞台は,岩手 損花巻となっている。表現と語り手は「私」から「作者」となっており, 作品としてやや記録性とリアリティーを強めるのであるが,作品の面白さ という観点から述べると,「ビジテ リアン大祭」の作品が凝縮度からいって も優れていると評価できるであろう。「1931年度極束ビジテリアン大祭見聞 録」は,賢治三十五歳の時,書かれたものである。この頃は,羅領地人協 会を設立したが,その協会が挫折し,熱病に悩まされつつも,東北採石工 場で働いていたときであり,失意のどん底であたり,病跡学的に述べるな らば,「欝症状」であったと把握されるのである。したがって,物語の展開 も重く,挫折した心情を検討するには格好の作品である。 ところで,殺される側から書かれた作品として〔フランドン農学校の豚〕 を上げることができるであろう。フランドン農学校の畜産学の教師は,毎 日やってきては,鋭い日で ,「も少しきちんと窓をしめて,室中略くしなく ては,脂がうまくかゝらんぢゃないか。それにもうそろそろと肥育をやっ てもよからうな,毎日阿麻仁を少しづつやって置いて呉れないか。」と,あ くまでも,豚を食肉としての目で見る人間のおぞましさが書かれている。「と ころが,丁度その豚の,殺される前の月になって,叫つの布告がその国の 圭から発令されてゐた。/それは家畜撲殺同意調印法といひ,経でも,家 系を殺さうといふものは,その家畜から死亡承諾書を受け取ること,又そ の承諾証書には家畜の調印を要すると,かう云ふ布告だったのだ。」という

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岡 屋 昭 推 194 ことになり,「さあそこでその頃は,牛でも馬でも,もうみんな,殺される 前の日には,主人から無理に強ひられて,証文にべタリと印を押したもん だ。ごくとしよりの馬などは,わざわざ蹄鉄をはづされて,ぼろぼろなみ だをこぼしながら,その大きな判をばたっと証書に押したのだ。」というこ とから,王様は,動物の生きる権利を保証するために,法律を作ったので はなく,全くの気まぐれであることが分かる。この学校の校長は毎日のよ うに,承諾書をこ協に挟んでやって来る。それが何の承諾書か,豚には分 からない。人間のずるさである。あまり豚が悩んで,痩せると,人間は, 肥育器を持ってきて豚を太らせる。時として無理やり豚の口をこじ開けて 栄養を口に流し込む。「実はね,この世界に生きてるものは,みんな死なな けあいかんのだ。実際もうどんなもんでも死ぬんだよ。人間の中の貪族でも, 金持ちでも,又私のやうな,中産階級でも,それからごくつまらない乞食 でもね。」といわれ,豚は,「はあ,」と,はっきり返事ができない。やがて, 校長もさる者,「おおい,いよいよ急がなきゃならないよ。先頃の死亡承諾 書ね,あいつへ今日はどうしても,爪判を押して貰いたい。別に大した事 ぢゃない。押して呉れ。」と,人間にとって都合のいい,つまり身勝手なこ とをいわれても,豚にとっては,最重要な問題であることには変わりない。 豚は泣いて泣いて泣き疲れ,「厭だ?おい。あんまり膠手なことを云ふんぢゃ ない。その身体は全体みんな,学校のお除で出来たんだ。・………」と,あま りにも理不尽なことをいわれる。いみじくも,「校長なんといふものは実際 恐いものなんだ。」という言葉が出て来るのだが,この言葉は,賢治の深層 意識を反映していて,説得力を持つのである。豚はすっか−)おびえてrひ, 「つきます,つきます。」と,かすれた声でいってしまう。人間のずるさに は,正直な豚は叶わない。ここにも賢治の苦悩を豚という存在に託してい ることが分かり,賢治の深層意識を解読する鍵となるであろう。 最後の場面は,「さて大学生諸君その晩空はよく晴れて金字富もきらめき 出し二十四日の銀の角,つめたく光る弦月が,青じろい水銀のひかりを, そこらの雲にそ、ぎかけ,そのつめたい白い雪の中,戦場の墓地のやうに 積みあげられた雪の底に豚はきれいに洗われて八きれになって埋まった。

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富澤賢治論 195 月はだまって過ぎて行く。夜はいよいよ冴えたのだ。」と,賢治特有のとぼ けているとでもいおうか,きわめて冷静に事実と,その場面の情景を描い て終わらせるのである。卓抜な表現力であることはいうまでもないであろ う。さらに,賢治は「殺す側」ではなく,「殺される側」からの論理を駆使 しつつ,実に鮮明に人間の抱持するいやらしいと思われるまでの人間を描 いてくれているのである。このような発想の串云換のできる柔軟な思考もま た賢治はできるのである。 以_上.,賢治の作品を検討七つつ,人間のみな・らず,生物が生きて行くた めには,他の生き物を食べなければならないことを賢治はどのように考え, その解決を図ったのか,その軌跡を中心に論究した。 3.おわりに 確かに,賢治の作品と彼の生き方には整合性がある。このことは,文学 的行為は賢治にとっては,自己の抱懐せる思想・理念を開示する方法・手 段である,という認識があったことに他ならない。つまり,賢治の作品の 軌跡は,そのまま,彼の人生の軌跡と重なるのである。したがって,賢治 論を展開する場合,心しなければならないことは,作品と,賢治の思想を どのように意味づけ,価値づけるかが最も重要な課題・問題となるのであ る。つまり,性急に今日の人間が見失っている生き方を,賢治の生き方と 比較し,鮮明にすればする程,問題が遠のくのも,また事実である。換言 すれば,賢治の作品を精確に解読・解釈しつつも,賢治の抱懐する思想, 行動とを盈ね合わせながら丹念な検討が今後とも求められることを述べて この稿を終わる。 注 (1)『校本 宮澤賢治全集』第十三巻(筑摩書房1974年12月)66∼67東。 以下の賢治の文章は『校本 宮澤賢治全集』(築摩書房)による。 (2)見田宗介『宮沢賢治一存在の祭りの中へ』(岩波書店1984年2月)138

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岡 屋 昭 雄 196 貫。「ニよだかの星とさそりの火一存在のカタルシスー」との題で書か れたもの。 (3)前掲書141真。「よだかの星」に,「消却という方法は,自己にたいする ばあいでも他者にたいするばあいでも,死というよりもその消滅への 意思をこそ表現している。」と述べる。 (4)梅原猛『地獄の思想』(中公新書1967年6月)「第10章 修羅の世界 を越えて一宮澤賢治の世界一」に述べたものである。 (5)前掲書に同じ。 (6)柄谷行人『日本近代文学の起源』(講談社1980年8月)60貰。 (7)梅原猛『賢治の宇宙』(佼成出版1985年7月)8東。「自然詩人と予 言者詩人」と題して書かれている。「龍と詩人」の次の文言「風がうた ひ芸が応じ波が鳴らすそのうたをたゞちにうたふスールグッタ/星が さうならうと思ひ陸地がさういふ形をとらうと覚悟する/あしたの世 界に叶ふべきまことと美との模型をつくりやがて世界をこれにかなは しむる漁言者,設計者スールグッタ」を紹介しつつ,論究する。 (8)『宮澤賢治研究資料集成』第3巻(日本図書センタ、−1990年6月) 270罠。 (9)照井謹ニ郎「宮沢賢治免生」『宮沢賢治研究』(十字屋書店1939年) (川 照井謹二郎『啄木 賢治 光太郎 201人の証言■』(読売新聞社盛岡支 局1976年6月) (11)注(8)の272東。 (1劫 二葉原敦編『宮澤賢治一童話の宇宙−』(有精螢1990年12月)に伊藤眞一一・ 郎氏が〈宮澤賢治「よだかの星」試論〉 として書いた19頁二。「よだかの 醜さは,不可能性と悲劇件を宿命づけられた.詩人の原罪の表出」と把 指する天沢の説を紹介する。 (1劫 赤坂窓雄『■異人論序説』(砂子届書房1987年2月)300真。 (用 綱澤満昭帽■沢賢治 縄文の記憶』(風媒社1991年9月)92−93東。

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参照

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