• 検索結果がありません。

モダリティによる人称制限について

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "モダリティによる人称制限について"

Copied!
8
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

谷 守 正 寛* キー ワー ド:モダ リテ イ

,人

称 制 限 1 1よ じと心に 日本語のモダリテイにはい くつかの人称制限があることはこれまで指摘 されてきている。本稿で は, 日本語におけるい くつかの類型のモダリティ

,あ

るいは

,モ

ダリテイを表す諸形式のそれぞれ が有する文の主体者(ガ格名詞句(D)に汁する人称制限について吟味 し

,人

称制限のい くつかがこれ まで言われてきたほど強 く働かないのではないかということを実証 しつつ提案する。 モダリティの人称制限については

,本

稿で考察の材料 とする仁田(1991)に それまでの詳 しい説明 がまとめられてお り

,大

いに有用であ り参考になる。さて, しか し

,そ

の中で

,人

称制限の根拠 と される表現のい くつかについては

,再

考の余地が感 じられないわけでもない。そこで

,制

限基準か ら逸脱すると見 られる表現を見なが ら

,人

称制限が どこまで有効かを吟味・検討 し

,な

かにはそう した制限をより緩やかに捉え直 してよいと思われる部分があることを提案する形で

,論

をすすめた ヤヽ。

2

モ ダ リテ ィと現 れる人称制 限 につ いて 2.1 モダ リティについて まず

,モ

ダリテ イ(mOdality)について説明す る。事柄 ・叙述内容

,又

,話

し相手 に対 す る話 し 手の態度が一定の文法形式 によつて表現 されるとき

,そ

れをムー ド

,又

,モ

ダリテ イとい う (日 本語教育学会 1982)。 そ して

,益

岡・田窪(1992)では

,客

観的事態や相手に対す る話 し手の判断・ 態度 を表す文法形式 を一括 して「ムー ド」 と呼んでいるが

,益

岡(1991)ではムー ドを動詞類の屈折 体系 に関わる文法範疇の一つ として,よ リー般性の高い概念 としてのモダリテイか ら区別 している。 そこでは,「判断 し

,表

現する主体 に直接 関わる事柄 を表す形式」 と規定 し,日本語が判断 ・表現 主体 の主観的側面が高度 に文法化 された言語であることが指摘 されている。 モ ダリテイとは

,仁

田(1991,1989)の 見方 によれば

,話

者の述べ る客観的情幸及に対 す る話者 の発 話上 ・伝達上の心的態度であるが

,発

話時の話 し手の立場か らみたモ ダリテイが もっ とも純粋 で, その周辺には擬似的なものが存在する。そ して,モ ダリテイは言表事態めあてのモダリテ イと発話 ・ *日 本語教育学。

(2)

谷守正寛:モダリテイによる人称制限について 伝達のモダリテイとに分たれる。たとえば,「彼 も来るだろうねJという文の場合,「彼 も来る」 と いう言表事態に対 しては言表事態めあてのモダリテイを表す「ダロウ」が,さらに発話 ・伝達のモ ダリテイに属する「ネJ力S全体 を包み込むといった層状構造をなしている。相互の関係 は

,常

に前 者を後者が優位性 。一次性をもって包み込むものであって

,卓

越 さの違いはあっても両者が文成立 に不可欠である, とされている。そ して

,発

話 ・伝達のモダリティの下位的タイプとして概略次の ようなものが挙げられている。 ①働 きかけ

①'命令 (こっちへ来い) ②表出 ①"誘 いかけ (一緒に食べましょう) ②'意志・希望 (今年こそ頑張ろう

/水

が飲みたい) ②"願望 (明日天気になあれ) ③述べ立て

③'現象描写文 (子供が運動場で遊んでいる) ③"判断文 (彼が評議員に選ばれた) ④問いかけ

④'判断の問いかけ (彼は大学生ですか) ④"情意・意向の問いかけ (水が飲みたいの/こ ちらから電話しましょうか) また

,言

表事態めあてのモダリテイについてふれておくが,こ れは情意系の

<待

ち望み>と 認識系 の

<判

断>に 分たれ

,前

者は

<働

きかけ>と

<表

出>と いった文類型であり

,<意

志>や

<希

>

<願

>が

その特殊化した下位的タイプである。後者は

,話

し手の言表事態に対する推 し量 りの 確かさや根拠 となる徴候に関わる認識態度のあ り方を表 し, とりわけ,こ れについては

,お

おむね 次のようなものがある。 ①話 し手の把握・推 し量 り作用を表すものi「スルースルダロウ・スルマイ」 ②推 し量 りの確からしさを表 したものi「(スル)ニチガイナイ」「(スル)カモシレナイ」 ③徴候の存在の元での推 し量 りを表すもの:「(スル)ランイ」「(シ)ソウダ」「(スル)ヨ ウダJ 「(スル)ミ タイダ」など ④推論の様態に関わるもの:「(スル)ハズダ」「(スル)ワケダ」「(スル)ノ ダ」

2.2

人称制限の現 れるところ では

,人

称制限が働 くのは一体 どういった ところにであるか を,こ こで仁 田(1991)から整理 した い。ただ し

,運

用論的なものではな く文法論的制限に含 まれる

,あ

るいは近い とされる もの を中心 に

,考

察の対象 とする ものに限って挙 げる。なお

,例

文はその まま引用せず

,文

機能 を変 えない よ う留意 しなが ら若千表現に変更 を加 えた。

I.<命

令・依頼 ・禁止>といった

<働

きかけ>の文では二人称 ガ格 に限 られる。

(1) │*私

/あ

なた

/*彼

│が

やって ください。

(2) │*私

/あ

なた

/*彼│は

そんなことをするな。 Ⅱ

.<誘

いかけ>といつた自己包括命令の

<働

きかけ>の文では

,一

・二人称 を指示す る名詞句 を とり

,三

人称や

,一

人称 または二人称 しか表 しえない ものは とれない。

(3) 1君

/*君

は/*私が

/私

達 (が

/は

/も

)/*彼

力寸 や りましょう。 Ⅲ.<意志 。希望>を表す

<表

出>の文では

,一

人称 に限 られる。

(4) 1僕

/*君

/*彼

│は

今 日もがんばろう。

(5) 1僕

/*君/*彼 │は

そこへ行 きたい。 ここで注意すべ き点は,シヨウ形 は(3)の誘いかけ とは区別 されること,および,「彼 は行 きたい ら

(3)

しい」 な どと言 えば述べ立 ての文,「君 は行 きたい?」 な どと言 えば問いかけの文 として

,そ

れぞ れ区別 されることである。 なお

,願

望 を表す表出の文では,「風 が吹 け」の ように人称制限は存 し ない。 Ⅳ.話し手か ら聞 き手への情報伝達である

<述

べ立て>の文の うち

<現

象描写文

>で

,原

則 的に 三人称 に限 られる。

(6) │*私

/*あなた

/生

徒 たち

│が

公園で遊んでいる。

V.<意

志的動作遂行 の決意>を表す

<述

べ立て

>文

では二人称 ガ格 をとらない。

(7) 1僕

/*君

/彼

│は

来月ハ ワイに行 くだろう。 Ⅵ.<感情 ・感覚>といった内的状態 を表す

<述

べ立て

>文

では二人称 ガ格 をとらない。

(8) 1私

/*あなた

│は

悲 しい。

(9) 1私

/*あなた

│は

気持 ちがいい。

(10) 1彼

/*あなた

│は

悲 しが っている。 もっとも

,過

去の内的状態 を述べ る「その時君 は悲 しがっていた」 は対話での述べ立て として容認 されて も

,発

話時での話 し手の立場か らのモダリテイとしての ものではない。

3

人 称 制 限 の 再 検 討 ここで

,人

称制限があるとされる上 にみたい くつかのケース について吟味 したい。

3.1 <命

令・依頼・禁止>の

<働

きかけ>の場合

<命

令 ・依頼 ・禁止>を表す働 きかけ文が, しか しなが ら

,三

人称 的なガ格名詞旬 をとりうるこ とは

,仁

田(1991)でも人称制限再考の材料 としてあげ られている。

(11)

部外者 は出ていけ。

(12)

誰か手伝 って くれ。

(13)

アメ リカは空爆 をやめろ。 以下

,考

察の対象 とす る説明を同書か ら要約す る。 まず,(11)の「部タト者

Jは

発話現場 にいる主体 を三人称 で指 しているのであって,「君ハ部外者 ダカラ

,君

ハ 出テイケ」 と言い換 えられ

,聞

き手 を三人称的に捉 えた表現 にす ぎない。 また,「誰か

Jは

主体 を特定で きない不定称 である。(13)は 大衆などに向かって発言 した場合 に「空爆 ヲヤメナケ レバナラナイ」 とい う当為判断の表現 に近づ くもの として弁男Uできる。 しか し

,筆

者 の語感か らは

,事

態実現の当事者でない者 に向か って発言す る場合 を仮 に

<命

>

か ら区別で きるとして も,(11)の ような場合 に

,大

勢いる者の中で複数か どうか も分か らない状況 の中で

,働

きかけを実現す る聞 き手が存在 し

,か

,誰

が部外者かは特定で きず に話 し手が述べた 場合

,部

外者 を「君」 とい う二人称的な聞 き手 に限定す ることには無理があ り,自分の意志で行動 を遂行で きる

,話

の場 に居合 わせた三人称の人物 も含 み うるとみるのが 自然 だと思 う。 しか もこれ は当為判断ではな くその者 に対 して行為の実現 を働 きかける発言である。部外者 になろう第二の人 物 までを発言段階で二人称 として とらえるのは人称の拡大解釈 になる嫌いがある。(12)の不定称 に ついては

,主

体者 を明確 に特定で きないなが ら

,手

伝 える状況 にある者 とい う意味で(11)と 同 じく 限定 しているが

,二

人称 として指定 される聞 き手ではない。 また,(13)のような大衆 に向けての発 言 というのは

,世

論やマスメデイア等 を通 して第三者(アメ リカ)│こ対する働 きかけ文 として十分機

(4)

谷守正寛 :モ ダリテイによる人称制限について 能 しており

,単

なる当為判断文 としての機能ではない。 次の文をみ られたい。

(14)

そんなことは学生がやれ。

(15)

そんなことはあいつ らにや らせるな。俺たちでやれ。

(16)

くそ。 自分が もっとしっか りしろ。 (14)の「学生

Jは

聞 き手を含みつつ も

,他

の二人称的存在の学生 をも含む。事態の実現者は聞き手 である学生でな くとも他の場にいる他の学生でもよいだろうし

,そ

うした学生にも

,当

為判断とし てではなく働 きかけとして十分機能 している。(15)の「俺たち」は一人称をも含みつつ聞き手たち に,また,(16)の 「自分(=俺)」 は独言 として

,話

し手が同時に聞き手である話 し手自身に

,事

態 実現を働 きかけてお り

,命

令 として成立する要件を満たしている。こうした表現を除外する必要性 が見あたらなければ

,<命

令 ・依頼 ・禁止>の働 きかけ文におけるそれまでの人称制限の規定は強 す ぎると考える。

3.2 <誘

いかけ>の

<働

きかけ>の場合 誘いかけにおいては言語形式 としてシヨウ形 をとる。先の(3)の例では「君たち

Jを

欠いている が,ここで

,次

のような例について考察 したい。

(17)

彼 らではだめですね。あなたたちがや りましょう。(私はや りた くても今はできないか もしれませんが。)

(18)

女たちでや りましょう。 (17)の「あなたたち

Jに

は,(3)の「君 も」 とは異なり

,一

人称 は指示 されず, しか も形式 として もシヨウ形をとっている。ちなみに,話 し手には指図する権限があるわけではない。機能としては, 彼 らではだめなので

,聞

き手である「あなたたち」にある事態を実現するように働 きかけ

,誘

いか けているとみるのが 自然だろう。こうした文を<やわらげた命令>(仁田 1991)と して区別 しうる ように

,話

し手 と聞き手の関係 に

,た

とえば

,教

師と生徒のような

,指

図する立場 とされる立場が 強 く感 じられるような場合には

,た

しかに命令 として感 じられるか もしれない。 しか し

,上

述の例 の場合は命令的ではない。 したがって

,一

人称 をも含めば誘いかけ

,含

まなければ命令 と細分する ならば,モグリテイによる人称制限よりもむしろ人称に応 じたモダリテイの細分 という感が しない わけでもない。 さらに,(18)でも

,ふ

つうに考えれば

,話

し手を含みつつ も話の場 に屋合わせた聞 き手(女),お よび

,未

だその場 に居合わせない他の女 (三人称

)た

ちにも誘いかけ働 きかけている場合があ りう ると考えて支障ないだろう。 保険外交員が親 しい顧客に向かって,

(19)

お客 さんもそろそろ新 しい保険に切 り替えましょう。 と勧誘 した場合

,保

険外交員(話し手)は

,言

うまで もな く,「お客 さん」 には含 まれえず

,保

険を 切 り替えるという事態の実現に参加 しない。両者の立場関係 を考えれば,これはやは り命令 よりは 誘いかけとみるのが自然であろう。シヨウ形の持つ他の用法

,つ

まり, 1話し手の推 し量 り│ 1話し 手の意志│ 1聞き手への話 し手の行為の提供の申し出

│の

いずれを表す ものでもないことは明らか である。 このようにみれば

,誘

いかけを表す働 きかけ文が一 。二人称を指す名詞句をとらなければならな いという理由がないことになる。

(5)

3.3 <意

志・希望>の

<表

出>の場合 日本語教育の立場では

,二

人称や三人称の主語については希望の表現 としては「∼タイ」がその まま使えず,「∼ンタガッテイル」などを代わ りに使 うよう指導するのがぶつうである。勿論,「彼 は日本に行 きたがつている」 というのは,ここでの機能 とは違って

,彼

の様子を観察 した り他から の情報をもとに推 し量った上での表現 として異質のものである。 日本語教育学会編(1982)では

,ガ

ルについて「動作者の言動を見て

,動

作者が前項成分のようにしきりに感 じ思っていると

,話

者が 判断 し

,客

観的に述べる場合 に用いる」 ものであるとし,「話者 自身について用いる時は自分を客 体化 して述べる

Jこ

とになる。つまリー人称 にも使 える。いずれにしても客体化する以上,「彼は 行 きたい らしい」 などという述べ立ての文 と同様,「∼ガル」を使つた文が

<意

志・希望>を表す

<表

出>の表現ではないことは言える。 しか しなが ら

,問

題点は,「∼ガル」が一般に二・三人称 に使われるということか らそのまま

,二

人称 ・三人称 には「∼タイ」による

<意

志 ・希望>を表す

<表

>が

表現できない理由になるとは限らない ということである。 次の文 をみ られたい。

(20)

君 も行 きたい。あいつ も行 きたい。みんな行 きたい。だれが残るんだ! (20)の「∼タイ

Jを

含む文は

,発

話時に話 し手の立場か らして発言 した

,話

し手以外の者の希望 を 表す

<表

出>の文 として認識で きよう。なぜならば,これ らは,「彼はその時行 きたかったらしい」 のような

<述

べ立て>とは異な り

,明

らかにテンスを分化 させない。また,「君 も行 きたい?」 と いつた

<聞

いかけ>でもな く,さ らには,「行 きたいのだろう」 といつた

,外

的に観察可能な主体 の心的状態を述べ立てるといった表現のいずれで もなかろう。こうした希望は,「僕 も行 きたい」 と同 じく

,発

話時に限定された, しか し

,話

し手以外の者の希望を同時的に捉 えた

<表

出>であろ う。「みんな行 きたい」 といった文は

,た

とえば「だか ら連れてって くれ」 などといった文連鎖 に よる論理 を積極的に合意する段階までに至ってお らず

,未

だ未分化のまま単独 に述べ立ててよい。 「みんな」には一人称だけなく三人称の人物 まで含 まれてよく,あるいは一人称の主体 を含 まなく ともよいだろう。なお

,意

志 に関 しては制限を解 く表現は今のところ作れない。 したがって

,<希

望>を表す

<表

出>の文に二・二人称が使えないと規定 を設けてしまう必要性は特 にない。 3.4 現象描写文の場合 現象描写文 とは

,話

し手の感覚等 を通 して捉えられた現在の世界 をそのまま言語表現化 したもの であ り

,三

人称ガ格名詞句だけをとるとされる。ただし

,形

式的に一人称や二人称名詞句が生 じる ことがあっても

,次

の例のように

,そ

れは現象描写文ではないと指摘 されている。

(21)

,僕

が走つている。ほら

,君

も走っている。(ビデオを見なが ら) これは

,ビ

デオに写った三人称的な人物 を「僕」や「君」で指 し示 したにす ぎず,「あ

,あ

いつが 走っている」 と変わらないとされている。 さて

,現

象描写文は

,<現

前状況の描写

><近

接未来の徴候

><過

去の出来事の報道>を表す も のにそれぞれ細分 されているのだが

,実

,人

称制限は

<現

前状況の描写>についてだけのものと して説明されてきている。次の文を見 られたい。

(22)

あ,(私が)倒れる

!<近

接未来の徴候

>

(23)

私,この度経理部に異動致 しました

<過

去の出来事の報道

>

実際

,上

のように

,他

の二つのタイプでは一人称ガ格名詞句 も容易 にとることが分かる。

(6)

谷守正寛 :モ ダリテ イによる人称制限について では

,次

例 を見てみよう。

(24)

あ,(お前が)(俺の)足を踏んでる!

(25)

,(俺

が)(お前の)足を踏んでる!

(26)

ああ,(この俺が)撃たれたI 筆者の語感では

,省

略されることはあっても二人称や一人称ガ格名詞句 をとっている(24)(26)の 場合 も

<現

前状況の描写>と みなしうると考える。(24)(25)では

,足

を踏まれたのを感覚 を通 して 捉 えそのまま言語的に表現 した ものである。 また

,ジ

ョン・レノン(Joh Lctton)が銃で暗殺 され る瞬間に発 した(26)の ような言葉(I'm shotl)で は,「撃たれた」 に夕形が使われる ものの,この場 合は撃たれた瞬間を発話現在(過去ではな く)において捉 えてそのまま表現 した もの とみるのがむし ろ自然であ り

,い

ずれも

<近

接未来の徴候>でも

<過

去の出来事の報道>でもな く

,間

違っても, 自分が殺される瞬間に自身の過去の事柄 についての解説や判断を述べ伝える判定文ではあ り得ない。 「第一人称や第二人称が分裂 し

,話

し手や聞き手 としてのみではな く

,話

し手や聞 き手か ら眺め られる第三者の位置に立つ時

,一

人称や二人称が現れる(仁田 1997)」 のとは違って,この場合は, 撃たれた瞬間の傷日から脳内に激痛 となって伝わる中で

,そ

の現象を同時的にそのまま言語化 した ものである。馬が走っているのを見て,現象描写文 として「あ

,馬

が走っている!」 と述べるのと, 自分あるいは相手が足 を踏んでいるのを見て「あ, 1俺が

/お

前が

1踏

んでる!」 と述べるの とを 比べても

,後

者だけを現象描写文でないとみなすのは首肯 し難い。 先の(6)において一人称 と二人称ガ格名詞をとりえないのは

,話

し手 と聞き手のいる発話の場 と 「公園」が距離的にかけ離れている状況では

,そ

の公園で遊んでいるのは必然的に両者以外の第三 者でなければならないという文法以外の不可避的理由によるか らである。話 し手が 自分 をたとえば 視覚的に捉える場合

,ビ

デオの自身の姿のように自身か ら分裂 した自分の姿でなければならないと いう理由はない。(24)―(26)ではそうした状況 とは明 らかに異なるであろう。話 し手が話 し手・聞 き手 自身の写 し出される世界を直に捉えることは可能であろうし,(24)の ように

,映

像ではなく直 接に自己の視野に自身の姿を捉 えてそのまま言語化することは可能である。 したがって

,現

象描写文のうち

<現

前状況の描写

>だ

けが一人称や二人称のガ格名詞句をとれな いと制限する積極的な理由は特に見あたらない。

3.5 <意

志的動作遂行の決意>の

<述

べ立て>の場合 発話・伝達のモダリテイを持つ

,意

志的動作遂行の決意を表す述べ立て文には二人称ガ格名詞句 はとれないとされる。さて

,次

例では形式上はとられている。

(27)

あなたは彼 と別れるだろう。(易者が客に向かって) しか し,この場合の述べ立て内容は聞き手(=あなた)の決意か ら

<事

の成 り行 き>といったものヘ と移 っていることはすでに指摘 されている。 ところが

,実

,二

人称 を使った次のような,

(28)

彼は彼女 と別れるだろう。 という場合 も,「彼」の意志的動作遂行の決意を

,発

話・伝達のモダリテイを顕在化 させて述べ立 てているだろうか。話 し手は(27)と 同 じく易者的立場で

,<事

の成 り行 き>と して述べているよう に思われる。なぜならば

,彼

の彼女 と別れるという決意は

,易

者が何かを拠 り所 に述べるのとまっ た く同様に

,彼

からの伝聞を含めて何 らかの情報に基づ く判断であって

,彼

自身の決意 を話 し手が 発話時において述べ立てることはない。つまり,この場合 に二人称ガ格名詞句が とれないとするな

(7)

らば三人称 につ いて もとれ ない とす る方が整合性が ある。 さ らに

,次

例 を見 られ たい。

(29)

僕はもう 1帰 るんだ

/帰

るつ もりだ│。

(30) (君

は)も う 1帰 るんだ

/*帰

るつもりだ│。

(31)

彼はもう 1帰 国するんです

/帰

国するつ もりです│。 (29)は話 し手の決意を表 し,「∼ンダ」は「∼(スル)ツモ リダ」 と同等の働 きをする。(30)の「∼ ンダ」は

,ガ

格名詞に「君」 をとった場合に表す言い方 としては

,若

者の言葉によく聞かれるやや 非標準的表現ではあるが

,何

かの状況に対する説明的なノダ文には至 らず

,聞

き手の決意を祭知 し て話 し手の発話時での述べ立てとして表す ものである。一方,(30)の「∼ツモ リダ」はこの場合た しかに不可である。 とすれば

,人

称制限が働 くとされるこうしたモダリテイも

,言

語形式によつて は表現可能になることがあ り得ることになる。(31)の「彼」が発話の場に居合わせる人物であれば, 話 し手は聞き手 に対 して

,や

は り何かの状況に対する内容説明 としてではな く,「彼」の意志的動 作遂行の決意を発話時において話 し手の立場か ら述べ立てるものとして達成 しているとみられる。 なおさらに

,次

例 についてみよう。

(32)

お前は

,絶

対 にや り遂げるつ もりだ。俺 もや り遂げるつ もりだ。 この聞き手の決意の述べ立てに表れる二人称名詞句は可能である。これは,問 いかけ

,確

,叱

責, 説明

,推

し量 り等 といった機能のいずれでもなく

,発

話・伝達のモダリテイも顕在 させている, と 筆者はみる。これは

,聞

き手の意志を聞き手自力が未だ十分認識 していない場合 に

,話

し手が聞 き 手自身の情報 として補い伝達する機能を持つ。こうした表現 を排除する積極的な理由は見あたらず, 二人称主体の意志行動遂行の決意を述べ立てできないとするのは制限としては強すぎる。

3.6 <感

情・感覚>の

<述

べ立て>の場合 これについては二人称が制限されるとされるが

,本

稿で見てきたように

,希

望や決意にも二人称 主体を許す ように

,同

様 に制限を緩やかに解 くことがで きる。 次例を見てみよう。

(33)

お前 もつ らい。俺 もつ らい。みんなつ らい。 これは発話の場にいる全員がつらい状況にあって

,そ

の中で

,発

話時での話 し手の立場からのモダ リテイとして発 したものである。最後の文に,「つ らいんだ」 といった説明的発言 としてではなく, 「ノダ」が未だ分化・出現 していない,あるいは

,誰

か第三者 に対 して「つ らいんだ。だか ら何 と かして下 さい」 といった後続する文連鎖を合意するレベルに至っていない段階での発言 として述べ 立てている。「お前 も」は

,―

・二人称を指す名詞句 として一人称 も含むが

,形

式上明 らかに二人 称を排除 していない。 もし発話・伝達のモダリテイとしてのこうした表現 を除外すれば, 日本語の 表現の豊かさを失わせかねないだろう。 さて,(10)の「彼は悲 しがっている」は

,ぶ

つう

,彼

の観察 される外観や様子あるいは伝聞など 他からの情幸Rにもとづ く推 し量 りや説明であって

,発

話時での話 し手の立場からのモダリテイとし てのものではないはずである。それとは異なり,三 人称 までを含めた(33)の場合は,聞 き手に向かっ て,聞き手や二人称人物の感情・感覚をその発話時現在において話 し手の立場から述べ立ててお り, いずれにせ よ

,三

人称 について も制限がない。 したがって

,人

称に敢えて制限を設ける必要がない とするのが本稿の立場である。

(8)

谷守正寛 :モ ダリテ イによる人称制 限について

4

ま とめ 本稿では,これまでに言われてきたモダリテイによる人称制限のい くつかについては

,再

考の余 地があることを提案 してきた。 もっとも

,言

うまでもな く

,人

称制限がすべて解除されるというの ではない。指摘 されてきたい くつかの他の人称制限は存在するだろうが

,計

量的に出現率が少ない かもしれない としても

,内

在的素性 としてはより緩やかに捉え直 し制限を解いてよいものがあるこ とを述べたつ もりでいる。また

,そ

のことによつて

,人

称制限に逸脱するとされてしまう一部の 日 本語の表現が

,や

や特別な状況で発せ られるかもしれないとしても

,除

タトされることな く日本語の 豊かな表現 として残 されることを期する。 本稿で人称制限を新 しく緩やかに解除 した部分をまとめると次のようになる。 モ ダ リテ イの機能 ,表 す内容

制限 を緩 やか に解 除す る人称 命令 ・依頼 ・禁止 三人称 誘 い か,) 二人称,二・三人称 希 望 二人称,三人称,―・三 ・三人称 現前状 況 の現象描写

一人称,二人称 意志 的動作 遂行 の決意

二人称 感情 ・感覚 ― ・二(・ 三)人称 江 (1)ガ格名詞句は形式上はハゃモで表示 されてもよい。 参 考 文 献 仁田義雄(1989):『日本語のモダリテイ』くろしお出版. ――――(1991):『日本語のモダリテイと人称』ひつじ書房. ――――(1997):『日本語文法研究序説』くろしお出版. 日本語教育学会(編)(1982):『 日本語教育事典縮刷版』大修館書店. 益岡隆志(1991):『モダリテイの文法』くろしお出版. 益岡隆志・田窪行則(1992):『基礎日本語文法 ―改訂版 』 くろしお出版 (1999年 6月10日受理)

参照

関連したドキュメント

問についてだが︑この間いに直接に答える前に確認しなけれ

見た目 無色とう明 あわが出ている 無色とう明 無色とう明 におい なし なし つんとしたにおい つんとしたにおい 蒸発後 白い固体

存在が軽視されてきたことについては、さまざまな理由が考えられる。何よりも『君主論』に彼の名は全く登場しない。もう一つ

式目おいて「清十即ついぜん」は伝統的な流れの中にあり、その ㈲

子どもが、例えば、あるものを作りたい、という願いを形成し実現しようとする。子どもは、そ

(自分で感じられ得る[もの])という用例は注目に値する(脚注 24 ).接頭辞の sam は「正しい」と

Q7 

ぎり︑第三文の効力について疑問を唱えるものは見当たらないのは︑実質的には右のような理由によるものと思われ