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パネルディスカッション デザインの哲学

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Academic year: 2021

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(1)パネルディスカッション デザインの哲学〜豊かさを再考する Panel Discussion “Philosophy of Design: Re-thinking Abundance” 面矢慎介 齊木崇人 田中一雄 藤田治彦 松岡由幸 小林昭世(司会). OMOYA Shinsuke, SAIKI Takahito, TANAKA Kazuo, FUJITA Haruhiko, MATSUOKA Yoshiyuki, KOBAYASHI Akiyo (moderator). 小林 先ほどお話をいただいた要点を整理しますので、パネ. 松岡 小林先生が的確にまとめていただいたので特に補足は. リストの方々にはそれに沿って3分から5分の補足説明をお願. ありませんが、哲学がデザインにおいて主体性を持つことには. いします。ご意見だけではなく、このようなことをこの方から. 実は困難がともないます。私は若い頃から哲学的な思索をする. 聞きたいという要望をあげていただいても結構です。. とともにデザインの現場におりました。20代、30代、会社勤. 面矢先生は道具を理解するためには道具そのものの研究では. めをしており、同僚にしばしば思想的な話を向けたものですか. なくて生活世界を研究しなければならないと指摘されました。. ら少し変わり者だと思われていたかも知れません。私としては. このとき、必ずしも道具をデザインと結びつける必要はないと. 周囲との認識の違いを思い知る場面もありました。. いうことでした。. そのような時期に一つの気づきがありました。ギリシアに. 一方、斎木先生はイギリスでのフィールドワークと日本での. 行ったときのことです。壁画や彫刻のなかに人間と神が両方描. 街づくりの実践から、問題発見(研究)と問題解決(制作)の. かれているものが多くありました。神は遠くを見ているような. 無限のループとしてデザインを捉えなければならないことを提. 眼差しをしているのに対し、人間は近くを見ています。それら. 起されました。. が並存した表現になっているのです。それを見たとき、遠くも. 田中先生はインダストリアルデザインの歴史、そして震災の. 見なければならないし、近くも見なければならないと理解しま. 体験とともにデザインの変化をデザインの拡がりとして把握で. した。「木を見て森を見ず」と言いますが、木を見つつ森も見. きると解釈されました。その拡がりとは、デザインの手法、領. なければならないことを強く意識したのです。. 域、そして、視点に変化が起きており、その状況がどのように. しかし、企業で働いていると、身近なことばかりを見ていま. 議論されるべきかを提示されました。. した。30代後半になると、守らなければならないものが増え. 藤田先生は、今日のテーマ豊かさと関連させて、モダンデザ. ます。自分の家族だけではなく、自分の部下や自分の部下の家. インの中で重要な問題だと思いますが、デザインの質というこ. 族などです。競争も激しくなり、ポストも気にするようにな. とをウィリアム・モリスの製品やルネサンス期の工芸品から論. り、企業寄りの考えに少しずつ染まっていたように思います。. じてくださいました。そして、そのデザインの質が教育のなか. また、企業は目先の profit を優先するものです。たとえ今は損. でどのように実践できるかについても例をあげて説明してくだ. をしても将来は世の中の利益になるというような考えは経営的. さいました。. には成立しづらいのです。頭ではわかっていても、仕事に追わ. 最後になりますが、松岡先生はデザインを科学として考える. れるうちにそのような葛藤さえ失われるような感覚になりまし. 取り組みは “How” つまりどのように作るかということを通し. た。私は現実とはそのようなものだと思います。だからこそ、. て実践されてきたが、今日、むしろ手つかずの課題があり、そ. 本会のような議論が重要であり、議論し続けることが重要であ. れはデザインにおける “What”、すなわち、何を作るのかとい. り、このような場にいるだけでも有意義なのです。. うことだと指摘されました。これがデザインの哲学を考えると きの糸口になるのですが、そのときにいろいろな専門家が連携. 藤田 今回、「デザインの哲学 〜豊かさを再考する〜」とい. し、西周(1829-1897)の百学連環のような横断的・学際的. う企画にお誘いをいただいたとき、これは良いテーマだなと. な知を目指すべきだと指摘されました。ここではデザイナーも. 思いました。さきほど紹介したように、我々が問題としてい. 一人の生活者であり、デザインをすることが自らの暮らしを作. る「豊かさ」についてはモリスの「芸術、豊かさ、富」(Art,. ることにつながっており、ひいては喜びにつながる。そこを改. Wealth and Riches, 1883)という講演が嚆矢だと言えます。. めて考えなければならないのではないかと提起されました。. そして、“Wealth”(豊かさ)というものは解釈が様々であり、. 今度は逆に松岡先生から補足あるいは他の先生方に問題を投. モリスも限定的に考えていたわけではなかったようです。. げかけることをお願いします。. モリスの哲学を前提にすると、豊かさには衣食住に関わる実 際的なものと、芸術や学問に関わる心の豊かさ、精神的な豊か. 38. デザイン学研究特集号 special issue of japanese society for the science of design Vol.24-2 No.94 2017.

(2) さといったもの、そして、商業的な競争によって得られる豊か. ザー、使い方などの関係をどのように考えるか)もあると付け. さというものもあります。特に三つ目の豊かさが一つ目の豊か. 加えられました。様々な環境を使いこなすための「場の問題」. さと二つ目の豊かさを攻撃し、破壊するといったことがあるの. を我々は忘れがちであり、まるで場所が均質に存在しているか. ではないでしょうか。また、そのような商業的な豊かさが心の. のような前提で様々なものがデザインされていることを確認し. 豊かさを阻害する、傷つけると考えられる一方で、衣食住に関. ました。多様な文化、多様な人々といいながら、多様な場所性. わる富が、あるいは富を蓄積する営為が他者の衣食住を破壊に. への眼差しが欠けていると感じます。そこをしっかり読み取ら. 導くという豊かさの構造があるのではないでしょうか。モリス. ない限り、私たちは何も提供できないし、未来を考えることも. はその点を1883年の講演で力強く主張したわけです。. できません。これに対しては意見を求めたいところです。. 田中 私はデザインをメタ次元で考えてきたつもりですが、. また、先ほど東北の震災の写真を見せていただきました。私. これまでの講演をお聞きして、デザインが即物的に動いている. も震災以降、毎年通っており、気づいたことがあります。震災. 様子も紹介され、本会は改めてデザインを考え直す場となりま. 直後は被災した状況ばかりを見て歩いていました。しかし、や. した。「豊かさを再考する」というテーマですが、経済が停滞. がてどこが助かったのか気にするようになりました。どこがこ. して以降、豊かさの質が変わったことは共有されている事実だ. の災害に対して耐えうる場なのか、そこに暮らしは残っている. と思います。これからは自分自身が何を選択するのかが問われ. のか、ということです。実際、北から海岸線を巡り、南下した. るのではないでしょうか。今日のテーマの「豊かさ」について. のですが、津波がやってきた地域の中にはいくつかの神社があ. 私から提示したかったことは、社会的な視点の「正しさ」で. りました。その神社の境内にあがると住民の皆さんが避難した. す。さきほど藤田先生と話したのですが、ラスキンやモリスの. 場があり、1、2週間何とか命をつないだのです。それには水. 時代から豊かさは、正しさという倫理的な一面とつながってい. が湧いていました。翌年、そこに行くと、折れ曲がっていた鳥. たのではないかと思っています。生きるべき時代を経済活動の. 居や瓦礫は撤去されており、神社や境内までの階段はすっかり. なかで作ってゆくことがデザインの使命です。これは簡単なこ. 整備されていました。. とではありませんが、経済的な正しさと暮らしの豊かさをどの. 何を申し上げたいかというと、私たちが提供してきたデザイ. ようにつないでゆくかが我々の世代の課題ではないでしょう. ンはおよそ100年程度の歴史の中で考えられたものですが、実. か。. 際には私たちの環境や建築、道具には暮らしに関する久しい知 恵があり、暮らしの遺伝子のようにその知恵は存在しているは. 斎木 今日は初めてお目にかかった方々もおり、講演はとて. ずなのに、私たちはそれを捉える力を失っているのではないか. も刺激的な内容でした。というのも、物事の捉え方や方法論、. ということです。藤田先生が紹介されたウィリアム・モリスと. 眼差しが実に多様だとわかったからです。その中でいくつか聞. いったアーツ・アンド・クラフツ運動の活動家たちは大きな影. きたいことがあります。デザイン科学としての「How の問題」. 響を与えました。私が紹介したガーデンシティー・レッチワー. (いかにデザインすべきか)と「What の問題」(そもそも何を. スもモリス一色といってよいほどでした。レッチワースの設計. デザインすべきか)について、 「場の問題」(使用状況、ユー. 者であるレーモンド・アンウィンとバリー・パーカーが行った デザイン学研究特集号 special issue of japanese society for the science of design Vol.24-2 No.94 2017. 39.

(3) ことは、イギリスの古い村をリサーチし、ガーデンシティーの. の楽しいところではないでしょうか。その変化の積み重ねが生. デザインに活かしたということです。集落に存在していた中世. 活を作るということであり、デザインの可能性はまさにその点. の価値を見極める力を彼らは持っていて、それを総合してレッ. にあると思っています。. チワースの空間を作り出したのではないかと思います。 私たちがデザインに対して抱いている難しさは、ものを見た. 斎木 私は住宅や街をデザインしてきましたが、実は住民の. り評価したりする能力が低下していることから来ているのでは. 方々が様々な変化を起こすためにみずから何かを加えることは. ないかと反省しました。先ほどデザイン・サーベイの話が出ま. 当たり前です。ここでは、物が場によって命を持ち、様々に変. した。私もデザイン・サーベイの世代ですが、もう一度体を動. 化している様子が見られます。デザイナーと住民が一緒になっ. かして調査に出かけたい思いです。. て新しい技術や新しいアイデアを場に投入するわけです。です から、その変化のプロセスに対する眼差しを私たちはしっかり. 面矢 私も豊かさについて苦慮してきました。向井先生の講. 持たなければなりません。松岡先生はそれを興味深いこととし. 演を受けて「生活世界」という概念に着目しましたが、実は生. て捉えておられますが、その眼差しの先には、次に何が必要な. 活世界はデザインできないのではないかという気がします。デ. のか、どのような仕掛けや使い方が想定されるのか、さらにど. ザイナーがデザインできないということです。通常のデザイン. のような場が作られようとしているのか、といった動的なプロ. というものは一つ一つのプロジェクトによって行われており、. セスが広がっており、私たちはそれを見極める必要があるはず. 生活世界の連関というものをほとんど持ち得ません。想像する. です。この思考をデザイナーとユーザーが共有することによっ. ことさえできないのです。私が取り組んでいる道具学はデザイ. て物や暮らしや環境が一体化した世界として現れてくるのでは. ンされたものを見て、考えたり探ったりすることはできます. ないでしょうか。. が、それが生活世界を作ることにつながるとは思いません。生. 生活世界とは場があり、そこに住む人がいて、人が様々なも. 活世界をどのように豊かにするのかという課題は難しいものに. のを統合してゆくものだと思います。したがって、デザインと. 思えますが、それは生活世界が一般の生活者によって作られて. はどこにでも存在するのです。我々はデザイナーとしてそれを. いるからです。そこでは我々の力は非常に限られているのでは. しっかり見守り、価値が創造されるように働きかけるものだと. ないでしょうか。. 思います。一つの道具においても価値を引き出す力を私たちは. そして、デザイン・サーベイの重要性はこのときに強調され. 学ぶことができます。例えば、大工が持っている鋸や金槌と. るべきなのです。世の中は科学技術や経済の力が大きく、我々. いった道具は自分の仕事に合うように手入れされます。レッチ. はそれらに日々追われています。デザイン・サーベイはそのよ. ワースでは自分に合わせて椅子の脚を切ったり背もたれをつな. うな時代を俯瞰し、ときには反時代的な批評となります。反省. いだりして修理します。また、古道具屋には街中の道具が集ま. のきっかけがなければ我々は流されてゆくだけです。反時代的. りますから、友人から椅子がいらなくなったと聞けば、古道具. なアンカーをどこかに置くことによって、我々は流されずに済. 屋に行ってみてその品を探します。亡くなった方の生活道具も. みます。皆さんはどうお考えでしょうか。. 古道具屋に届きますから、それを購入することもあるのです。 このように、生活世界とは時を経て物の価値を高めるような力. 田中 一つの道具からは生活世界をデザインできないかも知. さえも持っているのではないでしょうか。これは道具学会とし. れませんが、モリスは生活世界を作ろうとしたのだと思いま. ても重要な点だと思います。. す。生活世界は総体ですから、環境であったり仕組みであった り関係であったりします。それを企てることがデザインの役割. 面矢 とても良い話だと思います。一方で道具の進歩には怖. ではないでしょうか。生活世界はデザインすることができると. い面もあります。例えば、私の娘はスマホを一日何時間も見て. 私は信じたいです。. います。ところが、彼女の部屋は全く整理されていません。こ のバーチャルな世界とリアルな世界の関係の中で彼女の生活世. 40. 松岡 これはデザインに対してペシミストかオプティミスト. 界ができています。このような世界が自然にできあがっている. かという問題ではなく、「場の問題」に皆さんも共感されまし. わけですが、我々はこの現実について十分に議論しているとは. た。私にとってデザインは場と物の関係を考えるということで. 言えません。さらに科学技術の自律性が進んでおり、オートノ. あり、物が場に与える影響を前提とするものです。物を場に加. マス・テクノロジー(Autonomous technology 車の自動運. えることによって人の動き方が変わり、生活が変わります。こ. 転のように能動的に判断する技術)に対する批判も起きていま. のような変化は興味深いことだと思いますし、それがデザイン. す。自律性の発展に歯止めをかけることはできないと思います. デザイン学研究特集号 special issue of japanese society for the science of design Vol.24-2 No.94 2017.

(4) が、それにどのように向き合うかということを生活者一人一人. が、面矢先生はさり気なくケータイを私に見せてきました。こ. が考え、私の娘のような生活者も自分の行っていることの問題. のとき面矢先生はやはり嬉しかったのだと思います。この嬉し. に気づかねばならないのです。. さは短期的なものですが、それが長期的にどのようになってゆ くかということに興味があります。私は「マルチ・タイムス. 斎木 そのような課題に対しては、道具の進化に人間をつな. ケール」と言っていますが、複数の時間軸でデザインの価値を. ぐデザインが必要だと思います。道具とは進化するものです。. 考えるということです。このきっかけは10年以上前にさかの. 近年は進化の度合いが急であり、グローバルであり、日常的な. ぼります。イスタンブールで日本庭園の設計に関わったのです. のです。それを私たちがしっかり使えるようにするためには、. が、ある造園家と話す機会がありました。庭園には滝があり、. 私たちの生活のためのデザインがさらに導入されなければなり. 池もありました。そして、紅葉が美しく風にそよいでいまし. ません。そうでなければ、私たちは本当の意味で道具を獲得し. た。私はそれらの動きを見ていたのですが、その造園家は紅葉. たことにはならないのです。したがって、まずはデザイナーが. が季節によって色を変え、10年後には木が伸びてさらに違っ. 生活者と対話し、新たな生活世界をきり拓く必要があります。. た表情を見せることをお話しになりました。言われてみれば当. 身近な課題は無数に存在しているにもかかわらず、モリスが取. 然のことですが、このような視点が当時の私にはなかったので. り組んだような仕方で生活世界を思考できるデザイナーは不足. す。まさにマルチ・タイムスケールを自覚した瞬間であり、現. しているのです。. 在の「タイムアクシス・デザイン」の研究につながる体験でし た。. 藤田 面矢先生のスマホの話は興味深いものだと思います。. 私はいろいろな時間のスケールで考えることがデザインに. 現在ではスマホは道具の一つだと言えますが、道具学会として. とって大切だと思っています。社会がどうなるのか、生活がど. はスマホを道具としては認められないというお考えなのでしょ. うなるかという未来への観測があり、それに合ったかたちでい. うか。. ま何をデザインすべきかを考えるためには、複眼的な見方が有 効なのです。スマホに対する捉え方も時間軸によって異なるは. 面矢 その通りです。道具学会は年齢層が高いものですから。. ずですし、そのうえで評価することが大切だと思います。. 藤田 年齢層が関係しているかどうかは別として、スマホの. 田中 マルチ・タイムスケールという視点はとても面白いと. 話は道具学会の価値観に関わる重要な意見だと思います。とい. 思います。また、実際にその通りだと思います。タイムスケー. うのも、先ほどの講演で私は二つの価値を提示しました。一つ. ルを持たないもの、たとえば藤田先生が指摘なさったルネサン. はモリスの活躍と思想ですが、もう一つは、イタリアの焼き物. ス芸術のようなものは、普遍的に人に対して豊かさを与えま. がルネサンスの時期にかなりのレベルに達していたという事実. す。それは芸術の役割だとも言えますが、榮久庵がデザインの. です。当時の工芸と美術は歴史上の最高レベルにあり、それ以. 民衆芸術化として目指したものはまさにそのようなものだった. 降のものは当時のレベルを保っている、あるいは、どうにか. と思います。そして、芸術として普遍化されるものと工学技術. 保っているものだと言えます。ヨーロッパにおける国際的な市. の産物として世に出たものは、ときとして並存しています。こ. 場拡大において、ドイツやオランダとの競争に勝つために量産. の点が重要だと思うのです。例えば、自動運転が人間の注意力. 体制が確立されました。しかし、工芸品として豊かさは16世. を退化させるものとして批判されたとしても、手回しでクラン. 紀、17世紀の到達点から遠ざかっていきました。そして、い. クを回してエンジンをかけるという従来の方法に戻れという話. ま作られているものは本当に必要なのかと考えてしまいます。. ではありません。自動運転で人を救われる方もいるでしょう. この疑問はデザインに関わる方も共感できるのではないでしょ. し、レシプロエンジンでシフトを扱う喜びが運転の楽しみだと. うか。我々は本当に大切だと思えるものを作っているのでしょ. いう方もおられると思います。それぞれの価値があり、それぞ. うか。何かの理由で不要なものを作らなくてはいけなくなり、. れの豊かさがあるのです。これは時代への適合性の問題だとも. そればかりに時間をとられているような状況ではないでしょう. 言えますが、タイムスケールで見ることはデザインの豊かさを. か。. 理解するための一つの方法として有意義だと思います。. 松岡 面矢先生のスマホの話をうかがって思い出したのです. * 巻頭に記した通り、参加された方々との質疑からは、次の課. が、10年前くらいにデザイン学会で面矢先生にお目にかかっ. 題が生まれ、有意義であったが、残念ながら、割愛せざるを得. たときのことです。私はケータイを持っていなかったのです. なかった。 デザイン学研究特集号 special issue of japanese society for the science of design Vol.24-2 No.94 2017. 41.

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