2. 英語教育巻頭リレー ・ エッセイ 2014 年2月 ーある日の授業からー 中垣 芳隆 教職の授業で、 「新聞に○○県でまた体罰の処分が報じられていますが、 学校教育法第 11 条のただし書きにいう体罰は、 い かなる場合においても行ったら駄目です。 え〜…」 と講釈し、 次に、 学生達の意見を聞くと、 「私の学校ではありましたよ。」 とか 「この程度は体罰と違うのと違いますか ?」 「いや、 やっぱりあかんやろ」 と様々に反応 が返ってきます。 とりあえず 「児童 ・ 生徒が肉体的苦痛を感じる行為は駄目で…」 と整理した後で、 今は亡き名優の森繁久彌氏が母校、 北野 高校の創立 120 年に寄せられた CD を聞いてもら い感想を書いてもらいました。 拙文をお読みいただいている皆さまには、 森繁氏の節回しをお届けできないのは残念なところですが、 起こすと次の詩となりま す。 忘れがたき北野中学 八十年も生きてなお我が心の底にかそかにやどる思い出は中学生のころ。 その母校が 120 年の歴史を数える。 忘れられない友も大半が逝き、 年をとればいかにもわびしい毎日だが、 そんな中できらりと光る青春のかんばせとでも言おうか、 私はその得難い追憶に老いの身を忘れる どうゆうものだろう、 叱った先生ばかりがなつかしい。 ぶっ飛ばされて鼻血を出しながら、 私は、 いずれ卒業の時に仕返しをしてやろうと、 ひそかに鼻血を拭いたが それもこれもどこかに吹っ飛んで、 ただなつかしさだけが残る。 叱らなかった先生はほとんど覚えていない。 叱った先生は克明に覚えている。 西陽の差す教室に一人残されて、 私は、 ついに泣いて、 両手をついて先生に謝った。 顔を上げれば涙でうるんだ目に 先生も泣いているのを見た。 西陽も落ちて教員室で先生のごちそうしてくれた素うどんが、 また、 涙が出るほどうまかった。 爾来、 私はうどん屋でも素うどん以外は食べなかった。 そのうどんの残りつゆの上に先生の顔が浮いていた。 あ〜、 その先生方もほとんどが黄泉の国へ旅立たれた。 なつかしくも涙のうるむ母校、 北野中学 学生達の感想をいくつかピックアップしてみます。 ・ 私が先生になった時には、 きちんとダメなことはダメ、 良いことは良いとはっきりメリ ハリをつけ、 他人の意見や自分の地位のた めに流される教員ではなく、 きちんとした教育 ができる先生になりたい。 ・ 叱った先生を覚えているのは、 その先生の愛情が生徒に伝わったからだろう。 優しいだ けが愛情ではない。 しかし、 現代で同 じような教育をしたくても出来ないのが現実だろう。 教師は一本筋が通っていないとダメだと感じた。 ・ 時代を感じた。 暴力が良いわけではないが、 きっちり叱ってくれる先生って良いなと思 った。 ただ叱って終わりではなく、 きち んと見放さず接してくれたからこそ、 いつまでも 記憶に残っているのだと思う。 ・ 思いをこめて指導すれば生徒に伝わる。 ただ厳しくすることが良いわけではない。 生徒の心に響くような指導ができる教師にな りたいと思う。
・ きちんと叱ることは、 生徒をよく見て注意し、 また生徒を正しい方向へ導くことにつな がり、 本当は今の時代の私たちにとって一 番必要なものなのかもしれない。
今の学生たちも、 事柄の現象面にとらわれることなく、 本質的なものを理解 ・ 把握してく れていることに安堵した一時間でした。 お読みいただいた方はどのような感想を抱かれたでしょうか ?
3 月
ー Lawe i ka ma'alea a kū'ono'ono ー 夫 明美
2013 年度も締めくくりの時期を迎えて、 今年も卒業生を送り出す季節がやってきました。 本校の教職コースを選んだ学生 2 名 が 4 月から教師として教壇に 立つことをはじめ、 講師として教育現場でさらなる努力を継続する学生も送り 出すことになり、 たい へん喜ばしい春です。 2014 年 2 月半ばより再びハワイ島に渡り、 2013 年 9 月に授業観察と教員へ のインタビューを認可くださった学校、 Ka 'Umeke Kā'eo を再訪しました。 今回の目的も 「ハワイ語イマージョン教育」 に焦点を当てて、 同校が所有 ・ 管理 運営する fishpond に おける理科の授業と放課後の課外活動の観察、 担当教員へ のインタビューを行いました。 非常に有意義な時間を持つことができたなかでも、 9 月に見学させていただい た課外活動の 1 年間の集大成であるポスター発 表が数多く展示されていたこと が特に印象的でした。 学生たちは写真やグラフなども効果的に使用して、 科学 的理論にそって 自分たちの研究を発表しています。 ( この原稿をご覧の方々に写 真を提供できるのがベストなのですが、 諸般の権利、 特に肖像 権に関係するこ とですので、 それは今後の原稿や口頭発表に譲ることにします。 ) 私が見学させていただいた活動では学生たち がペアになって fishpond の水質調査を行い、 そ こで活動している海藻や海水生物の生態について報告するというものです。 先 生は学生たちに keen observers になることを力強く推奨されていて、 彼女らの 注意を先走ってコントロールすることをしません。 ある程度の 「待つ期間」 を設けて、 彼らが自発的に発見することを忍耐をもって指導されています。 今回は以前よりも見学時間を長く得られたため、 クラスの合間にも担当の先 生と一対一でお話しする時間を長くいただけました。 そこで、 彼女が教師として大切にしておられる哲学について質問しところ、 「rearing」 とシンプルな一言が返ってきました。 以前 の拙稿で報告した 「kuleana」 という言葉が含意するものとも重なる部分が多く、 教育とは今後の世代に責任をもってバトンをつな い でいくことだという認識を新たにしました。 今回の表題は、 主に卒業していく学生に送りたい言葉です。 皆さんが選んだ進路が教育現場であれば、 仕事を通して自分が 身に着けてきた知識と知恵をふかめられるよう、 教育現場でない場合でも職場や日常生活において一人の大人として自分の見識 を深められるようにアンテナを張り続けていってください。 玉造から応援しています。
Lawe i ka ma'alea a kū'ono'ono. Take wisdom and make it deep.
参考文献
Pukui, M.K. (1983). ‛Ōlelo No‛eau. Bishop Museum Press. Honolulu, Hawai‛i.
4 月
ーグローバル化時代のパラドックスー 中井 弘一 グローバル化の急速な進展は、 広範な領域で大きな影響を与えつつある。 英語教育においては、 文科省の計画によると、 歌 や遊びを通じて英語に親しむ 「外国語活動」 を現行の小学5、 6年生から小学3、 4年生に前倒し、 小学5、 6年生は英語を正 式教科として週3コマ程度、 今の中学校のように教科書や専科教員らによる指導をする。 さらに中学校は、 今の高校のように原 則として英語で授業を行い、 高校は討論や発表などの実践力を重視する考えである。 国際的に活躍する 「グローバル人材」 の 育成をめざし、 実践的な語学力の習得や、 討論を重視した授業に力を入れたり、 海外の学生との交流に取り組んだりする高校も 増えている。 さながら、 欧米から知識 ・ 情報を仕入れ、 欧米と同じようになろうした明治時代の初期にタイムスリップした感がある。 インター ネットの急激な発展で世界がフラットな状況になったようである。 Line や Facebook などで繫がる生徒や学生の絆はフラットである ように思えるが、 同時にオンラインという同じフレームに中に閉じ込められているようにも思う。 同じ制服や同じブランドの服を着て、 そこ (だけ) に通用する言語やカルチャーに染まっていく。 フラットな社会は反面、 個性や個人の価値観を薄れさせる。 価値観を share することがかえって個人の価値観の喪失につながるというパラドックスが存在する。 グローバル化によって、 自動車や家電メーカーなどの日本企業が利益を求め海外へと進出する。 するとその結果として、 日本 の社会の雇用の空洞化が促進される。 国内経済の停滞、 雇用不安を招く結果が社会不安となる。 フィリップ・コトラーは、 「グロー バル化は普遍的なグローバル文化を生み出す一方、 同時にそれに対抗する力である伝統的文化を強化する」 と述べている。 遅 れをとってはなるまいと、 世界経済へのグローバルな対応に必死になる日本が、 逆にナショナリズムを強め東アジアに緊張感をも たらしていると思われることも、 グローバル化が生み出しているパラドックスかもしれない。 こうした中で、 日本企業の中にはグローバル化という均質化に埋没するのでなく、 ローカルなアナログを堅持している企業もある。 朝日新聞 (記者有論) に 「ポッキーには、 まねされないノウハウが詰まっている。 『アナログ』 は強い」 という記事があった。 ス ティックを作るにしても、 その日の気温や湿度を確認する。 まっすぐ、 ムラなく焼き上げるために、 生地を焼く温度を、 気温や湿 度に応じて人が経験的に微調整する。 そこにマネのできない味と食感が生まれるとのことである。 ワープロソフト、 プレゼンソフトなどを活用するコンピュータ、 電子黒板、 iPad のような便利な電子デジタル機器を活用できる今 の教育環境においては、 知識の共有を等質で瞬時に行える。 たとえば、 全員が同じ教材や解答をいとも容易く得ることができる。 デジタルの持つ均質性は誰が指導しても一定の内容を保つことができる利点がある。 授業では、 教員が便利な PC を使った見栄えのよい丁寧なプリントを配付する。 配付されるプリントは往々にしてデジタル的な 穴埋めのワークシートが多い。 生徒がその穴埋めを行うと、 完成された学習ノートができあがり、 素晴らしい成果のように思える。 できあがりの品質は策定された結果の解答を求めるものなので、 それなりのできあがりとなる。 しかしながらそれは、 生徒自身が 考え ・ 学習したものでなく、 教員が敷いたレールを指示どおりに進まされているだけで、 本人が自分なりに考え経験すべきプロセ スをカットしており、 過剰品質となっている。 実際は、 生徒の個々の学びのペースやステップに対応しきれていないのに、 学びの プロセスがフラットに固定化されて、 見かけ上均質な成果物を産みだしているように思える。 今流行りの電子黒板も素晴らしい機能を持っている。 教材を効率的に提示することには目を見張る。 だからと言って、 昔ながら に黒板にカリカリ音をさせ生徒とのやりとりを板書して行う授業に効果がないと言い切れるだろうか。 板書に流れる時間、 個性的な 文字、 行間。 そこに生徒は自分で考える時間という 「間」 を持ち、 さらには先生の個性にも触れ心のつながりを形成していくの ではないだいだろうか。 誰が教えても同じ提示となるデジタル教育に先生の顔は見えにくい。 アナログとデジタル、 教育にはその 両方が本来必要である。 グローバル化という名の下に、 英語教育においても急激な改革が進むが、 個々に応じたローカルな考えを取り入れないと、 肥 大化し過ぎて爆発するのではないだろうか。 ビットコインのような仮想通貨が瞬時に消え去る現実がグローバル化を追い求めること への社会不安を警鐘しているように思える。 ■参考文献 フィリップ ・ コトラー ( 著 )、 恩藏 直人 ・ 藤井清美 ( 訳 )(2010) 『コトラーのマーケティング 3.0 ソーシャル ・ メディア時代の新法則』 朝日新聞出版 近藤郷平 ( 記者有論 ) 「ポッキー 「細い体」 に込めたアナログ」 朝日新聞朝刊 平成 26 年 2 月 26 日 ( 水 )
5 月
ーネイティブ教員との協働に学ぶー 東條 加寿子 最近の英語の授業では、 ネイティブの教員と team-teaching を実践する場面は珍しいものでのな くなってきている。 生徒にとっ ては、いわゆる「生の英語」に触れ異文化と直接的に関わる良い機会 となり、英語を学ぼうという動機づけが高まる効果も生まれる。 ネイティブの教員との team-teaching は、 チームを組む日本人英語教員にとってもまたとないチャンスである。 授業計画や教材の 準備、 実際の授業での役割分担や授業の振り返り、 テスト問題作成などの協働作業は、 教員にとっても 英語的表現や発想の違 いを知る学びの機会である。 大学の事例となってしまうが、 大阪女学院は英語を専門分野とする学部学科構成となっているため、 多くのネイティブ教員が勤 務しており、 日常的にネイティブ教員と日本人教員が協働しながら 授業運用や大学運営にあたっている。 ネイティブの教員との こういった協働の中で、 日本人教員の 私が学ぶことは多い。 例えば、 メールの中の何気ない表現からも英語的発想や英語的感 覚が学べ る。 具体例を挙げると、 女学院では新学期に新入生向けの Passport to English というプログラムを企画し、 ネイティブ 教員が中心になってオールイングリッシュで様々な活動を行う。( 新入生が大学 構内を探索する Treasure Hunting( 宝探し ) などは、大いに盛り上がる。 ) そして、 そのプログラム が終了すると、 即日、 次のようなメールが飛び交う。 “Thanks for a Passport to English, well done!!!”
“Everyone, thanks for your help today with Passport to English! Although tiring, it was a
success. . . . A big thanks goes to xxx-sensei along with yyy-sensei . . . . If you have any feedback or suggestions about the program, please send them to me with a cc: to xxx-sensei.”
“Great job, Passport Team! The students enjoyed it a lot!” “Well done program in a limited time.”
担当した教員をねぎらい、 成功を共に喜ぶことによって、 協働の士気の一気に高まる。 日本語の世 界と一味ちがった good feeling がそこにある。 もう一つ異なる場面を例に挙げると、 教材作成過程での協働作業がある。 女学院では過去 10 数年に渡って英語教員チーム でオールイングリッシュの教材作成に取り組み、 平和や人権、 及び地球規模の問題を扱うコンテンツを教材化してきた。 この度、 テキストを改訂すべく、 多くの時間を費やして協働作業を行った。 「平和」 を学ぶユニットでの、 世界平和に貢献した人々、 ノー ベル平和 賞、 杉原千畝、 NGO の活動、 紛争解決、 難民問題など、 多種多様な issue を盛り込んでテキストを 再構築したいと 考えた。 以下が改訂版の章立てである。
Unit title: Becoming a Peacemaker
1.Defining Peace 2.Finding Peacemakers 3.Recognizing Peacemakers 4.Individuals as Peacemakers 5.Volunteers a Peacemakers 6.Actions of Peacemakers 7. Groups as Peacemakers 8. The Challenges to Peace
“Peace” の議論を、 defining, finding, recognizing でカテゴリー化し、 もう一方で individuals, groups, volunteers で分類すること によって、なかなか整然としたユニットに仕上がった。また、8 章で challenges の概念を用いたのも最終章にふさわしい。極め付けは、 タイトルの “peacemaker” で ある。 日本語にすれば、 「平和を作る人」 「平和を愛する人」 「平和の番人」 「平和主義者」 ? 残 念ながらいずれもしっくりとこない。“Peacemaker” という発想は、日本語ではおそらく生まれてこない。 タイトルを英語で “Becoming a Peacemaker” としたことによって、 この教材を使って学ぶ者一人一 人が問題をぐっと引き寄せ、 自分自身の問題としてどのよう な行動を起こせば平和に貢献すること ができるかを考えさせられるものになったと思うが、 いかがだろうか。 教材作成の協働作業をとおして、 私の英語に埋め込まれている概念とそのカテゴリー化について改めて学ぶことができた。 新 鮮な発見であった。
6 月
ー最近の新聞記事からー 中垣 芳隆 最近の新聞記事に大阪の教育のことがよく報じられています。 明るい話題とそうでない話題の比率から言えば残念ながら気持 ちが引き気味になる事柄の方が多いように感じま す。 その中から 2 つばかり記事を拝借して雑感を少々。 一つは 5 月 20 日の産経新聞に教育長通達 「全府立高校 綱紀保持を」 の大見出しで、 教 育長は 「大きな社会問題となって いるにもかかわらず、 体罰が相次ぎセクハラも後を絶たない。 府教委は教職員の不祥事根絶に向け、 今後より一層厳しい姿勢で 臨む」 とあります。 かつても体罰事案はあったし今で言うハラスメント事象を仄聞したこともありました。 当時は水面下で処理されていた事柄が、 時 代の変化とともに表面化するようになったとい うことでしょう。 そういう意味では教育行政を預かる府教委の危機管理対応の姿勢は 至極 当然のことと受け止めるところです。 しかしながら、 教職課程で学ぶ学生の、 この記事を読んでの感想を聞いて、 余計な心配 が頭をよぎります。 この夏も全国で 多くの教員志望者が教員採用試験に挑むことでしょう。 教員の年齢構成からして優秀な人材確保が喫緊の課題である府立高校。 さて、 このニュー スを読んで、 求める人材が 「大阪の府立高校こそ自分の力量を発揮できるところ」 と果敢 にチャレンジしてくれ るのか、 それとも大阪府を敬遠して他府県に流れるのか、 是非とも 前者であって欲しいと願うものの…。 いま一つは 5 月 27 日の朝日新聞に 「校長公募 曲がり角」 として大阪市議会で来春の 校長公募関連経費を予算案から削除 する方針…学校運営の改革を目指した橋下市長肝 いりの施策は、 全面的な見直しを迫られる、 と続くものです。 結果的には議 会での再議を 経て次年度も公募という形で落ち着きそうですが。今回の件は、 採用に当たっての市教委の選考の丁寧さ、 研修の在り方が問われる事案で あるにもかかわらず、 大阪市議会で の騒動は、 教育がまたもや政争の具とされている感が あります。 新自由主義の旗印のもと、 民間人校長の登用を可能とするよう法が改正されたのが 2000 年、 今も 21 都府県て 90 人の民間 人校長が学校現場で日々奮闘努力されています。 しかしながら、昨年来この方、大阪における不祥事ばかりがクローズアップされ、 民間校長によって学校がこのように変化したという好感度な報道についぞお目にかかることがありません。 馴れない文化の中で頑 張っておられる先生方はさぞや悔しい思いをされているのではと推測します。 そこで、 判官贔屓ではありませんが、 かつて民間校長の中にこんな素晴らしい人もおら れたという紹介を少々。 大阪の府立高校における民間校長採用は、 2002 年の 2 名がスタートでしたが、 そのうちのお一人の話。 課題を抱えた府立高 校での 4 年間、 転じて私学の校長 7 年間、 合計 11 年間にわたり、 同僚性を大事にしながらも先駆的に PDCA サイクルを取り入 れ学校改革に取り組まれました。 その率先垂範の実践は他の校長先生方に良い影響と刺激を与えていたよう に思います。 二つ 三つ例を挙げますと、 1 学校の様子を保護者を始め多くの人に知ってもらう、 平たく言えば開かれた学校づ くりの取り組みの一環として、 11 年間、 ほ ぼ毎朝 5 時 30 分に校長便りを学校の HP に アップしてから出勤。 結果として、 保護者の学校への眼差し、 信頼感は高まり、 中学校 からの評価も日を重ねるにつれ上昇。 2 パソコンに全校生徒の顔写真と名前を取り込み、 行き帰りの電車の中の時間を始め 自由時間を活用して記憶、 晴雨にかかわ らず校門で生徒を出迎え、 一人一人の名前を 呼んで声かけを通しての生徒の様子の観察。 3 「産業社会と人間」 の授業を受け持ち、松下電器四国支店長に至るまでの社会人経 験を生かし、今でいうキャリア教育を実践。 ある時、 「なぜ、 そこまで頑張るのか。」 と問うたとき、 返ってきた答は、 「松下のモ ットーは現場第一主義と顧客満足。 生徒の 様子を観察し、 学校の様子を保護者に知らせる 事は最低限の仕事。 今まで蓄積したノウハウの応用。」 この人のような民間校長さんが教育界に刺激を与えてくれることを望むや切ですが、 さて、 彼に今回の大阪市の件についての 感想を求めるとどのような答が返ってくるのでしょ うか。 「ん〜、 公募という仕組みの是非というよりは、 所詮は有能な人物を得るこ とができる採用手順の問題。」 と言いそうな気がしますが。
7 月
ー花道ー 夫 明美 局地的な豪雨や突風が頻繁に発生する今年の梅雨ですが、 教育実習に行く学生は奮闘中 の季節です。 少し前のお話になりますが、 長年にわたって文楽界を牽引されてきた竹本住大夫氏が 4 月の大阪公演、 5 月の東京公演をもっ て引退されました。 私は幸運にも大阪公演の幕開け直 後の舞台 「菅原伝授手習鑑 桜丸切腹の段」 を鑑賞する機会に恵まれま した。 主君への忠 義を示すために自らの命を差し出す桜丸、 苦渋の決断を経てそれを認める父親、 夫の決心を突然知り、 何と か思いとどまるように口説く妻、 三者三様の姿を見る者に雄弁に描く住 大夫氏の語りに引き込まれました。 また、 現代の我々とは 違う価値観、 美徳のなかに生き ている人々との距離感を否めない感はありましたが、 圧倒的な語りの世界に取り込まれて、 素直 に感動しました。 また、 数年前に文楽の傑作の一つと言われる 「仮名手本忠臣蔵 山科閑居の段」 を見たときの 「人間同士の 情のやりとり」 の感動を思い出したり、 文楽劇場 のおひざ元の 「黒門市場」 から前掛けをしたまま応援に駆け付ける人たちの姿 も思い起こ され、 氏が聴衆から愛されて敬われていることにも感動しました。 多くの方がご存じのように、 文楽は 「補助金削減」 の方針の元、 大変厳しい状況にあり ました。 ( 現在でも状況は変わってい ないと思います。 ) そのような環境で、 自らの高齢や 病いをおしてまで住大夫氏は対応に奔走されていました。 そこには氏が言う ところの 「文 楽って、 いいもんでっせ」 や 「情がおまっせ」 という思いが表れているようですし、 同じような思いを共有してもらえ るようにという愛や使命感を感じました。 引退を決意した理由として、 氏はいみじくも 「醜態をさらしたくない」 と語りましたが、 そこには先人から脈々と受け継がれてい る文楽への敬愛や尊厳の気持ちがこもっていたように思います。 各公演の楽日には華美にならない 「ごあいさつ」 もありましたが、 そこには氏の謙虚な横顔が垣間見えるようにも思います。 凡人の私なら、 「人間国宝らしい立派な花道」 を望んでしまいそうだか らです。 氏の語りについては評価するすべをもたない私ですが、 芸能道の最高点に到達してもお ごらず、 また自分の継承したものや 持てるものを次世代につなぐために妥協せずに指導す る姿には、 教育者としても大いに学ぶ点があるのではないかと思います。8月
ー 「心の振幅」 —興味、 関心の扉を開く英語ー 中井 弘一 平成 26 年 7 月 1 日付毎日新聞朝刊の 「火論」 を興味深く読んだ。 「英語の授業は英語で」 という外国語学習を通じグローバ ル人材育成をめざす昨今の英語教育の方向に一言もの申すため、 英文学者 ・ 福原麟太郎の 「心の振幅を広くする」 といことば を取り上げ、 戦前の東京高等師範学校での若きアイヌ語の研究者の逸話を紹介していた。 言語概論を教えるのは初めてでおぼ つかないと思われたが、 学生たちはその講義に強く惹きつけられ、 後にそのクラスから言語学専攻者が何人も現れた。 その不思 議な現象に 「アイヌ語研究者のアイヌ語に対する愛—言葉に対する愛が学問の面白さとなって学生に伝わったのである」 と福原 は思い至ったとあった。 外国の言葉を通じ自他を知る、 そういう 「心の振幅」 が大切でないかと結んでいた。 同じように、 平成 26 年 7 月 26 日付毎産経新聞朝刊 「解答乱麻」 というオピニオン記事にジャーナリスト ・ 細川珠生氏が、 「英 検や TOFEL などが一つの例として言われるが、 それで高得点を取ることと、 『グローバルな人材』 として国際化の中で生き抜く ための力をつけるということとは違う。 …私自身が英語を習得する中で実感したことは、 その必要性をどれだけ感じられるかという ことこそが一番大事な動機であった。 単にテクニックを習得するということではなく、 外国人と意思疎通できたらいいなという憧れか ら、 外国に対する興味や関心の扉を開く、 言語はそのための手段であったということだ」 と述べていた。 この二つの記事の基底 に流れている考えは同じようなものでないだろうか。 今年度、 本学の夏季教員免許状更新講習1で、 私は 「言語文化としての英語表現—英語の発想 ・ 日本語の発想と生き生きと した英語表現活動」 というテーマのもと、 日英感覚の違いから起こる英語表現の味わいを取り上げる。 “He went bananas.” とい う面白い英語の表現がどのような意味であるかなどという英語感覚の生きた表現や 「思い違いでしょう。 — you must be dreaming.」 という 「とっさのひと言」 の表現の違いを皮切りに、 日本語で捉える言葉の世界と英語で捉える言葉の世界の違いを話していくこ とにしている。 日本語の文章では、 「起承転結」 という構造が用いられる。 つまり、 「起」 で導入し 「承」 で継承 「転」 で転機し 「結」 で結論を述べる。 頼山陽の有名な 「起 : 京の三条の糸屋の娘 承 : 妹十八姉二十 転 : 諸国大名は弓矢で殺す 結 : 糸 屋の娘は目で殺す」 がそのモデルとして国語の授業などでよく取り上げられる。 冒頭の、「京の三条」 は 「京の五条」 「大阪本町」 に取って代えられるときがある。 いずれにせよ、 日本語は結論を先に延ばし、 結論に至るまでの経過をもろもろの形式で述べよう とする。 すなわち、 結論に至るまでの過程を重視し、 思考の過程を説明することで状況による判断を求める傾向が強い。 これに 対して、 英語では、 「序論」 「本論」 「結論」 という流れが表現スタイルである。 この 「序論」 は主題 ・ 要点の紹介で、 最初に 結論を述べているのに等しい。 「本論」 はその理由や根拠、 例が述べられ、 「結論」 では、 最初に述べた主題 ・ 要点を再度ま とめるという構造である。 結論を先に伝え、 そして、 結論に至るまでの経過と順序を伝える。 これが英語の論理である。 なぜ、 日 本語と英語とではこのように表現スタイルが異なるのであろうか。 このようなことを考えるのは楽しいしおもしろい。 文部科学省が調べた結果、 「コミュニケーション英語Ⅰ 」 を主に英語を使って教えているという先生は 15%だったということであ るが、 英語科の教員は、 英語運用能力を育成するということに留まっていてはいけないであろう。 直接、 対象言語の英語を学ぶ ことを通して、 言語そのものが文化である言語文化を扱い、 英語社会において物心両面にわたる活動の様式と内容の総体となっ ているものの見方、 価値観を生徒に習得させることが大切ではなかろうか。 おもしろいと思ってこそ人は学ぶのである。 言葉の根 底に流れる意識を教えることができるのは、英語 ( 外国語 ) の教員である。 母語と外国語を比べて、その優劣をつけるのではなく、 それぞれの言葉の特徴から見える人間の考え方を大切にすることを教えていくことが必要ではないだろうか。 この随想も、 典型的 な「起承転結」でまとめた。英語的な構造の文章ではないが、この構造が分かりにくいものであるかどうかの判断は読者に委ねたい。 ■参考文献 玉木研二 (火論) 「心の振幅」 毎日新聞朝刊 平成 26 年7月1日 (火) 細川珠生 (解答乱麻) 「興味、 関心の扉を開く英語」 産経新聞朝刊 平成 26 年 7 月 26 日 ( 土 )9 月
ー No Worry ー 東條 加寿子 8 月、 国際学会参加のためにオーストラリアブリスベンを訪れた。 オーストラリアは 2 度目の訪問である。 2 機内泊、 3 泊 6 日 の弾丸出張であったが、 小さな発見から大きな発見までいろいろなことがあった。 英語教育に携わる者にとって、 やはり英語圏で の生の体験は貴重だ。・ ブリスベン空港から市内のホテルまで
学会の配慮で参加者は空港からホテルまでの交通手段として Brisbane Airtrain( 電車 ) のディスカウントチケットが使用できるよ うになっていた。 その案内に 以下のような箇所がある。
Each return ticket represents a saving of 0.8 Kg of exhaust creating carbon emissions. This year alone, Airtrain passengers have helped us prevent 1.4 million Kg of carbon emissions being pumped into the atmosphere. Thank you for helping reduce carbon footprint.
Carbon footprint とは、 大気への二酸化炭素の排出量を数値化したもので、 国が年間にどれだけの CO2 を排出しているかを 可視化し、 国際比較や温室効果ガス削減政策の数値目標設定に役立てる概念である。 日本ではあまりなじみのない言葉である が、 オーストラリアでは、 日常生活の行動一つ一つがどれだけの CO2 削減につながるのか、 人々の意識を高めながら、 地球温 暖化に具体的に取り組んでいることがうかがえる。 ちなみに、 資源節約の観点から、 数日間のホテル滞在の場合は、 毎日ベッド メイキングをしないことが常識とな っているようだ。 ・ ブリスベンの街角で ブリスベンは中央に河が流れる活気がある美しい街であった。 出会った人々は ( 運よく ) 皆親切。 いろいろな人に道を聞いたが、 ある若者は自分の携帯の google map で検索して道順を教えてくれ、 またある初老の中国系の男性は、 たどたどしい英語で、 「私 は説明できないが、 娘は英語ができるから」 と娘のところまでわざわざ連れて行ってくれた。 街には数ブロックごとに人が集まって いる場所があり、 何かと思えば、 そのエリアではフリー WiFi が飛んでいて、 スマートフォーンがネットにつながる場所だった。 また、 大きな公共の施設などに Prayer Room があるのが目に留まった。 一日の決められた時間にお祈りをする宗教を尊重し、 信者に お祈りの場を保障しているだろう。 Prayer Room は、 フライトの乗継をしたシンガポールチャンギ空港でもあちこちにあった。 ・ ブリスベンのホテルで ホテルのフロントでは滞在中に必要ないろいろな情報を訪ねると、 実に機能的に親切に教えてくれる。 帰路の空港までのシャ トルを予約してもらったときのこと。 “Thank you very much. It's been a great help.” といったところ、 笑顔で “No worry!” と。 そう いえば、 オーストラリア英語のはこういう表現があると、 以前、 聞いたことがあった ! 生のシチュエーションでこのフレイズを聞いた 時の喜びはひとしお。 英語を学んでいる生徒 たちには是非、 このような瞬間を、 と改めて思った。 ・ 帰路、 シンガポール空港で 乗り換えのため、 シンガポールの空港ではかなりの時間があった。 待ち時間に隣り合わせたインド人の青年と話をした。 彼は、 インドの大学を卒業し、 現在はアメリカの主要 I T 企業で働いている。 2 週間の休暇をとり、 インドに帰る途中とのこと。 話を進め ると、自然言語の音声認識を専門としていて、自動字幕や自動翻訳システムに関わっているという。 専門的な話も盛り上がったが、 これこそグローバル人材。 世界のどこでも通用するさわやかな好青年だった。 旅行記にもならない拙稿であることをお許しいただきたいが、 今回のオーストラリア出 張は、 まさに multicultural な旅であった。 アジアからオセアニアへ。 中国系、 マレー系、 インド系、 パキスタン系、 バングラデシュ系、 欧米系…。 多くの民族文化が混在し、 IT やグローバル化が進む社会の中で、さまざまな言語を使い分けながら生活が営まれて いることを実感する絶好の機会になった。 自文化や自言語を主張し、同時に他者の文化や 宗教を尊重し合う社会の仕組み。 そのような国際社会の息づかいを伝えるのも、 私たち教員の仕事であろう。
10 月
ー大阪府における英語教育の方針 : 時事ニュースよりー 夫 明美 平成 26 年の夏も非常に暑さが厳しかったですが、 空に浮かぶ雲を見ると秋が近付いてい ることを実感します。 学生たちに新聞や専門ジャーナルを継続的に読むことを勧めている身として、 筆者自身 も各紙の教育ページや文科省 ・ 教育 委員会の報告書、 ホームページは定期的に読んでいます。 そのなかで、 大阪府教育委員会のホームページから、 英語教育に 関して 2 点気になる ニュースがありましたので読者の皆様とシェアしたいと思います。 1 点目は 「重点課題 : 小中学校の教育力を充実」 内、 「英語教育充実」 におけるフォニッ クスの導入です。 研究協力校 ( 小 学校 )20 校から試験的にスタートし、 「音と綴りの関係性 についての規則性を理解」 を目指すと記述されています。 低年齢の内 は 「音声」 にたいする感覚が大人よりも敏感であることはよく知られた事実ですが、 「綴りとの関係」 をどのように授業に組み込ん でいくのか、非常に注意深く観察したいと思いました。 個人的に何よりも関心があるのは 「そのような授業を行う資質をもった教員」をどのように育成するか、 ということですが、 こちらについては不勉強ですので、 ご存じの読者の方からご教示いただければと思 います。 2 点目は、 平成 29 年度から高校入試の英語を大きく改革する方針です。 受験生や受験生を指導する教員に直接影響を与え るであろう改革点は以下の 3 点かと思います。 1 「聞く ・ 書く」 力を問う問題を 50% 以上に設定する ( 機械的英作文からの脱却 ) 2 より高度な 「読む力」 を求める出題スタイルとする ( 読むスピードを 2.7 倍に ) 3 問題文は全て英語 単純に計算して、 現在中学 1 年生の学生からスタートする方針かと思いますが、 3 についてはある程度のパターンをあらかじ め教授することが可能としても、 1 と 2 については、 付け焼刃では対応が ( 控えめにいっても ) 極めて困難であると思います。 個 人的に注意深 く見守りたい点は以下のポイントです。 1 でいう、 自分の考えをまとめる英作文については、 どのような採点基準を用いて採点を 行うか。 2 でいうスピードリーディングは 1 分当たりの語数が 35 語程度から 96 語程度に飛躍的に増加するが、 このようなトレーニング を通常の授業に 「全生徒」 を対象に行うことは現実的なのか ■参考 URL ■ 平 成 26 年 度 教 育 委 員 会 部 局 運 営 方 針 ・ 重 点 政 策 推 進 方 針 http://www.pref.osaka.lg.jp/kikaku/bukyokuunei/26_14. html#w01
11 月
ー 「外国語活動」 から 「教科」 へに思うー 中垣 芳隆 9 月 27 日付けの報道によると、 英語教育の改善策について検討がなされている文部科学省の有識者会議は次の趣旨の報告 書をまとめたとある。 報告書では、2050 年の社会について 「外国語を用いる機会が格段に増える」 と想定。 小 中高校が連携して 「聞く」 「話す」 「読 む」 「書く」 の 4 技能を活用したコミュニケーション 活動を重視する方向性を示し、 「アジアトップクラスの英語力育成」 を目指す とし、 具体施 策としては、 小学 5 年生から英語を正式な教科とする。 高校卒業時に 4 技能を生涯にわたって使える力を身に付けるため、 文法や訳読に偏向しがちな教育を見直し、 TOEIC、 TOEFL などの外部試験を大学入試に積極的に活用するる。 今後は、 「中央教育審議会」 ( 中教審 ) に近く諮問される次期学 習指導要領の改定論議の 中で、 小学校英語の授業時間数など具体化を検討。 2018 年度からの部分的実施を目指す。 2050 年とはまた遠い未来社会をどのような変数 ・ 函数を用いて予見されたのかと感心するのだが、 アジアトップクラスの英語力 育成という到達目標に異議はないものの、 具体的 提案としての、 文法訳読の英語教育を変えなければいけない、 TOEFL など の外部試験を活用する。 まてよ、 どこかで聞いたような気がすると記憶を思い起こすと、 確か中曽根内閣 の臨教審で同じ提言が なされていた。 かつて提言されたことが今日にいたるまで実行され なかった原因は何処にあるのか、 そのことの総括がどのように なされたのか、 それともな されずに今回の報告書となったのかいささか興味のあるところである。 ところで、 小学校の英語は平成 23 年度から 5 年生から 「外国語活動」 として始まったば かりの状況。 知り合いの小学校の 先生や中学校の先生で小中連携の一環として小学校に訪問授業に赴いている人の話でも、 「外国語活動」 は、 「英語の音」 に 慣れ親しむのが中心と いうことで、 外国語指導助手らの力を借りて 「何とかこなしてきた」 のが実情のようだ。 現場の先生達は右 往左往しながらも、 必修化となったのだからと必死に試行錯誤を重ねられている。 「外国語活動」 は現場でうまくいっているのか。 課題は何か、 それに対する手立てはどのように講じるのか等々、 十分な検証と分析がなされないうちに、 5.6 年生は 「教科」 に、 英語 「活動」 は 3.4 年生にとの矢継ぎ早の方向性に環境整備、 条件整備が整うのかという一抹の不安がつきまとう。 報告書によると、 授業は、 小学 3、 4 年生では主に学級担任が ALT と 2 人で指導し、 5、 6 年生では高い英語力を持った学 級担任が単独で指導する方向が示されているらしい。 「教科」 となれば当然専門性が求められる。 報告書は 「研修の充実」 を 盛り込んでいるらしいが、 ただでさえ多忙な教員が十分な研修時間を確保できるのか。 別の記事に当たってみると、 私立中学校の入試にも変化が出ているようだ。 中学受験向け模試を実施する 「首都圏中学模試 センター」 の調べでは、 今年度の一般入試に英語を課 した私立中は首都圏で少なくとも 19 校あったという。 英語を入試に採り入れた都内の私立中高一貫校の校長は 「幼児期から英会話を学ぶ子供が増え、 進学塾での受験勉強一辺倒ではない多様な 能力として評価したい」 と説明。 同センターによると 「英語が 5 年生から 教科になれば、 入試に英語を採り入れる私立中は爆発 的に増加するのではないか」 と予想 する、 とある。 そもそも小学校英語の導入趣旨は 「楽しみながら学ぶ」 であったはずが 「子どもの負担 増」 や保護者の経済力による教育格 差を生み出すとすれば、 本末転倒の結果になりかねない。 教育はいつの時代にあっても国家百年の大計、 児童 ・ 生徒は未来 からの留学生。 報告書の方向で進むのであれば、 文教行政の要を司る文部科学省には、 2050 年を見据えて教育現場の現状 分析、 課題整理を踏まえての丁寧な条件整備、 環境整備を望 みたいものである。
12 月
「時代の風」 —未来圏から吹く風 中井 弘一 鴨長明の 『方丈記』 の冒頭は、 「ゆく河の流れは絶えずして、 しかも、 もとの水にあらず。 淀みに浮ぶうたかたは、 かつ消 えかつ結びて、 久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある人と栖と、 又かくのごとし」 で始まる。 英語では、 “The river flows incessantly and the water is not the same but varies every moment. On the pool of the stream the bubbles now vanish from sight, now burst forth. They never remain for long. Men and their habitations suffer the same fate.” である。 私たち日本人はこうした人 の世の無常感をこれまで生きる意味を考え模索する際の精神的な基盤としてきたことだろう。 分相応に 「足るを知り」 生きてゆくこ とを是としてきたと思う。 時代はとどまることなく大きく変わり、 今や少子高齢化やグローバル化という怪物が社会や教育環境を取り巻き、 日本の将来 の方向を決定づけようとしている。 国力の低下につながると考えられる少子化高齢化の中、グローバル化という波が、競争すること、 生き抜くためにその競争に勝つことを求めている。 学校教育においては、 その時代の風が英語教育に強く吹き荒れている。 朝日 新聞朝刊社説 (平成 26 年 10 月6日) に、 文部科学省の有識者会議が、 「アジアでトップクラスの英語力を目指すべきだ」 と提 言をまとめたとある。 グローバル化が進むなか、 英語力の向上は極めて重要であるとしても、 トップをめざすことが英語教育の目 的であるかのような提言である。 そのためか、 文科省は小学校での英語教育の導入や、 中学校でも 「英語の授業は英語で」 と いう教育施策を押し進めようとしている。 その上、 英語の教員には英語の検定試験を受験させて 、 一定以上の能力を有すること を押し進めている。 朝日新聞朝刊 (平成 26 年 11 月 20 日) には、 「『英検準1級以上』 などの力を持つ英語の先生の割合は、 公立高校で 53%、 公立中学校では 28%だったことが文部科学省の調査でわかった。 国が掲げる 『高校 75%、 中学 50%』」 の目標には及ばず、 文科省は検定試験を受験するよう呼びかけている」 とある。 社会科や数学科の教員にはそうした検定試験 による能力が話題に上ることもないが、 英語科教員には常に英語能力が問われている。 実際は検定試験の能力と授業力とには 正の整合性を有するという証明はなされていない。 世界ランキングのような一律基準による序列化をもたらすグローバル化の傾向 がこうした影響を与えていると思われる。 果たして、 それでいいのだろうか。 生徒が身につける学力として、 英語力の有無が社会での就職の標準として何よりも重要な要件であるのだろうか。 「使える英 語」 を身につける一辺倒の教育が、 未来圏から吹く時代の風なのだろうか。 英語教育の目的は何なのであろうか。 文法などに 偏ることなく 、 互いの考えを英語で伝え合う学習や、 発表や討論を充実させる活動などを取り入れることが求められているが、 そう したことだけでよいのだろうか。 前出の朝日新聞社説には 「日本の英語の国際的なテストの平均点は確かにアジアで最低レベル だ。 だが、 最も肝心なのは国のランクではない。 子どもたちが異なる文化に触れ、 さまざまな価値観の人々と出会い、 その世界 を広げることだろう」 と述べている。 虫の鳴き声などを言語中枢で聞く日本人の脳は、音を右脳・左脳で聞き分けている。 クラクショ ンは左脳で聞き 、 夜汽車の汽笛は右脳で聞く。 それは物事の捉え方が異なる文化を有していることである。 人々の考え方が国に よって異なる、 そうした文化の違いの根底に流れるものを知ることが大切であろう。 それが学びである。 大学の英語教育でも、 テ キストのコンテンツは、 今は現代の諸相を扱った論説文が多い。 論理的に考えることを促すには 、 そうした教材が適している。 し かしながら、 昔学んだようにシェークスピア、 ディッケンズ、 ホーソーン、 メルビル、 スタインベック、 ヘミングウエイ等々の英米文 学を教材に感性や根底に流れる文化を学ぶことも必要ではないか。 考え ・ 判断 ・ 表現するには、 それなりの教養が必要である と同時に考える力を身につけておかなければならない。 それは生きるための知恵と言えるかもしれない。 鴨長明の世界観は無常である。 異なった見方をすれば、 世の中は変化してこそ正しいものになるとも考えられる。 自然も変 化する、 人間も変化する、 地球も変化する、 世の中も変化する、 そうした中で人は生き、 生かされている。 それゆえ変化を否定 していては、成長はない。 しかしながら変化を闇雲に鵜呑みして判断を下すのではなく、生徒・学生に現実社会の困難を乗り越え、自己を深く生かす道を模索させることを、 教育は求めるべきであろう。 それには未来圏から吹く風をどう捉えていくべきであろうか。 鴨長明は 「閑居の気味」 の章で、 「事を知り、 世を知れれば、 願はず、 わしらず、 ただ静かなるを望みとし、 憂へ無きを楽しみ とす」 と記している。 ■参考文献 社説 「英語教育 アジアトップ級って?」 朝日新聞朝刊 平成 26 年 10 月6日 ( 月 ) 「英語力持つ先生、 目標以下 英検準1級や TOEIC730 点以上」 朝日新聞朝刊 平成 26 年 11 月 20 日 ( 木 )
2015 年 1 月
マララ ・ ユスフザイさん ー国連演説からノーベル平和賞受賞演説へ― 東條 加寿子 16 歳の少女、 マララ ・ ユスフザイさんが国連で演説したのは 2013 年 7 月 12 日。 その 1 年半後、 2014 年 12 月 10 日、 マラ ラさんはノルウェー ・ オスロのノーベル平和賞受賞演説に臨んでいた。 マララさんの国連での英語の演説は今やあまりにも有名で、 中 ・ 高の授業用に教材化も進んでいる。 筆者も、 高校での模擬 授業の機会があるたびに 「16 歳の少女の国連演説」 と題してマララさんの英語スピーチを題材に授業を行ってきた。 また、 教員 免許状更新講習などの機会を捉えて、 現場の先生方とこのスピーチの教材としての可能性を研究し、 議論してきた。 本演説は 比較的平易な英語表現でつづられていて生徒たちにとって理解しやすいし、 現代の国際社会を読み解くために必要なイスラム世 界の諸要素がリアルに編みこまれており、 国際理解、 時事問題、 生きた英語表現の観点から恰好の素材である。 模擬授業が終 わると、 決まって生徒たちは演説の最後の下りを口にしながら教室を出ていく。One child, one teacher, one book and one pen can change the world. Education is the only solution. Education first.
同世代の少女の英語表現は簡潔かつ印象的で、 瞬時に生徒たちの心を捉える力をもっているようだ。
国連演説から 1 年半、 まだあどけなさを残していたマララさんの瞳には鋭い輝きが加わり、 その眼差しはノーベル平和賞受賞 者にふさわしい凛としたものに変わっていた。 平和賞受賞演説も国連演説に勝るとも劣らず見事で示唆に富んでいる。 平和賞受 賞演説の中で、 マララさんは世界中の子どもたち、 特に女性が、 質の高い教育 (quality education) を平等に受けられるように と訴え続けている。 その主張は、 自分と同じ境遇と志をもった少女たちの存在を全面に押し出すことによって一層力を増している ように思える (This award is not just for me; I tell my story, not because it is unique, but because it is not.)。 同時に、 国連演説 では見られなかったことであるが、 平和賞受賞演説では教育の機会を奪われた子ども (a child deprived of education) の一人と して、 大人 (the so-called world of adults) や政治家 (the politicians; the world leaders)、 先進国を対極において発言しており、 そのことによって世界に伝えたいメッセージをより鮮明に具体化しているように感じられる。 そして極め付けは、 当事者である子ど もたちや少女たちへの直接的な呼びかけ (啓蒙) である。
Dear sisters and brothers, dear fellow children, we must work, and not wait. Not just the politicians and the world leaders, we all need to contribute. Me, you, we, it is our duty.