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インターネット市民運動としての「宗教改革運動」に関する研究 : 韓国の「宗教改革運動」を中心に

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Academic year: 2021

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インターネット市民運動としての「宗教改革運動」

に関する研究 : 韓国の「宗教改革運動」を中心に

著者

宋 奉虎

(2)

氏 名 学 位 の 専 攻 分 野 の 名 称 学 位 記 番 号 学位授与の要件 学位授与年月日 学 位 論 文 題 目 論 文 審 査 委 員 (主査) (副査)

宋   奉 虎

インターネット市民運動としての「宗教改革運動」に関する研究

 ―韓国の「宗教改革運動」を中心に―

博 士(社会学)

甲社第51号(文部科学省への報告番号甲第459号)

学位規則第4条第1項該当

2013年3月1日

奥 野 卓 司

島 村 恭 則

對 馬 路 人

教 授 教 授 教 授

大 村 英 昭

論 文 内 容 の 要 旨

 本論文「インターネット市民運動としての「宗教改革運動」に関する研究―韓国の「宗教改革運動」を中 心に―」は、現代韓国におけるインターネット市民運動、なかんずく宗教(団体)の現状を批判し、その改 革を求めるオンラインを起点とする市民運動の盛り上がりに焦点を合わせ、その社会的・歴史的背景、その 主張や活動の内容、運動の社会的意義などについて社会学的な考察、分析を加えたものである。  周知のように、韓国社会におけるインターネットの普及は極めて急速で、その拡大も著しい。そこでは様々 な社会、政治上の論点に関する主張が活発に展開され、その活動はオンライン上に留まらず、現実社会での 市民運動にまで発展するケースも少なくない。その影響力は大統領選挙の帰趨を左右したり、大規模な市民 デモを現出させたりする程になっている。現実社会の動きに強い社会的政治的なインパクトを与えていると は言いにくい、またオフラインの社会・政治運動に大きくは繋がりにくい日本のインターネットの状況と比 べて、韓国のこうした状況は興味深い。  また、インターネットの普及と宗教界の動きという点でも、日韓の違いは少なくない。日本における市民 の参加するネットの世界では、特定の宗教に対する個人的で散発的な批判の発信はあるものの、宗教の批判 や改革を目指すまとまった運動の活動はほとんど見受けられない。それに比べると韓国のインターネットに おける宗教批判、宗教改革の運動の活発な展開は、宗教社会学的に見ても大変関心をそそる研究対象といえ る。このように、本研究は現代の情報社会の研究という観点からも、また宗教社会学の研究の上からも意義 ある研究対象を扱うものといえる。  本論文は、研究目的と研究方法、先行研究並びに研究範囲について述べた序論、研究対象にアプローチし た四節から成る本論、研究内容を総括した結論の三部から構成されている。論文の中心部分である本論の四 つの節は、「第一節 インターネットの社会文化的対応」、「第二節 メディアと宗教の相互作用」、「第三節 「宗 教改革運動」の類型別特徴と活動」、「第四節 「宗教改革運動」の社会文化的な意義」から成っている。以下、 構成に即してそれぞれの概要について述べる。  まず序論の研究目的を述べた部分では、著者は韓国におけるインターネットの普及が韓国の文化や社会に 大きな変化をもたらしつつあることに触れ、特に社会運動、市民運動の分野で、従来の活動家の枠を超えた ネットに係わる幅広い人たち(ネチズン)を巻き込んだ「ボトムアップ」型の「ネット行動主義」とも言え

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る運動スタイルを生みだしたことに注目する。それらは既成の政党や権力層を批判し、社会の改革に積極的 に関わり、より民主的な多重市民社会を切り開こうとしていると評価する。著者はこうした観点から、ネッ トを基盤とする市民運動に光を当てることの意義を強調している。  中でも既成の宗教への批判や改革を訴えるネットを通した「宗教改革運動」は、様々な政治的な争点をめ ぐって盛り上がりを見せ、話題となった「ろうそくデモ」と並ぶ代表的なネット市民運動と位置付けられる とし、著者は注目を促す。韓国の宗教界は特にプロテスタント保守派を中心に経済発展とともに急成長し、 大きな社会的パワーを獲得しつつあるが、一方では政界との癒着、世俗的成功を祈る物質主義、宣教至上主 義、他宗教への排他主義、聖職者の金銭的・性的スキャンダルなど、様々な問題性も指摘されている。こう した宗教界の問題を批判し、その改革を訴えるネットを基盤とする「宗教改革運動」は、宗教界と市民社会 の調和の回復を促す上で重要な意味を持つとしている。  こうした研究の意義づけを踏まえて、著者はこれまで韓国で展開されたインターネットと社会、インター ネットと宗教に関わる研究のサーベイを試みる。新しい社会現象であるが注目度も高いテーマであるので、 研究は必ずしも少ないわけではない。ただインターネット市民運動に関する研究について言うと、ほとんど が個々の社会問題についてイッシュー中心に分析されていて、その行動を支えている運動団体そのものにつ いての分析が不足しているという。 そこで本論文の主要な課題として、「宗教改革運動」を中心にインター ネットを基盤とした運動団体の理念や活動、内部的なシステム、構成員やその行動などに焦点を合わせてそ の在り方や意義にアプローチするとしている。  こうした研究課題の設定や研究の方向付けに基づき、本論第一節ではまず、韓国の参与民主主義の成立過 程におけるインターネットの役割と可能性について論じる。著者によると民主主義の発展を求める韓国の市 民運動は軍事政権期にも活発であったが、成長一辺倒の経済システムと社会変化の中で、人々の無関心や 運動のエリート主義によって、「少数知識人中心の運動」、「市民無き市民運動」へと変質、縮小していった。 しかし1990年代半ばからのインターネットの普及と大衆化により、社会・経済・政治に無関心であった市民 たちにもそうした議論に加われる積極的な参加のチャンネルが開かれた。そしてこのようなインターネット のコミュニケーションの力を借りて、2000年以降、「ろうそくデモ」という形態の新しい市民運動が、市民 文化として定着し始めた。  そして著者は、「ミソン・ヒョスンさん事件」(二人の女子中学生が米軍の装甲車により死亡させられた事 件)を切掛けとして起こった「ろうそくデモ」、 「米国産牛肉の輸入に反対するろうそくデモ」や、 「ノ・ムヒョ ンを愛する人々の集い(ノサモ)」のサイバー・アクティヴィズムを具体的に取り上げ、現代韓国ではインター ネットは特定の年齢や階層による下位文化の価値観を代表する媒体という地位を超え、社会的世論を形成し 社会構成員間もコミュニケーションを主導する、中心的コミュニケーションの役割を果たすようになったと している。  著者は、また、インターネット世論を市民運動化させた要因の一つとして、「アンチサイト」の活発化に も注目する。「アンチサイト」とは、何らの特定の対象に反対したり、批判することを目的として、多数の 個人が集まり公開的に反対意思を表明したり、意見交換するサイトで、韓国独特の現象であるという。この サイトの会員は、肯定的サイトのそれより強い絆を形成しており、極端なアンチサイトへの批判もあるが、 全体として新たな「代替文化」形成の可能性を評価すべきとしている。  こうした韓国におけるインターネットと市民運動の関係の全体的な状況分析を踏まえて、第二節では韓国 における宗教をめぐる情報環境の分析がテーマとなる。具体的には宗教とメディアの関係について、宗教団 体のメディア利用、非宗教メディアにおける宗教の扱い、宗教界の自省的な改革運動といった視角からそれ らの相互作用の分析がなされる。  まず、韓国の宗教界が新たなメディアテクノロジーを次々と取り入れ、布教などに活用してきた流れを紹

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介しながら、その勢力拡大とともに、排他的な布教姿勢、不透明な財務管理、宗教者の性的スキャンダル、 宗教団体の政治勢力化など宗教をめぐる問題が顕在化するようになったことが指摘される。そしてアフガニ スタンでのキリスト教宣教団の信者拉致事件などを切掛けとして、非宗教的メディアで宗教に関わるそうし たスキャンダルが次々と取り上げられるようになり、宗教の社会的信頼性の低下が生じているという。著者 は、こうした状況を背景に、ネットの中で宗教を対象とする「アンチサイト」が活性化し、宗教の信頼性回 復のための自省的改革運動もネットを基盤に台頭してきたと論じている。そして著者はこれらの運動を現代 韓国における「宗教改革運動」と位置付ける。  更に著者は現代のこの運動の歴史的意義について、日本統治下の時代からの韓国の歴史的な流れの中に位 置づけようと試みている。それによると、韓国の「宗教改革運動」は「植民地時期」には日本からの解放を 求める自主独立のための闘争として勃興し、「軍部政権時期」には、自国政府に対し民主国家の確立を求め る民主化運動として高揚し、現代の「民主政権時期」には、宗教界自身の不正や独善性を批判する宗教界の 自省・刷新運動として活性化していると考えられるという。  そして現代の韓国におけるネットを基盤した「宗教改革運動」の全体像を把握すべく、著者はそれらを、 三つの類型に分けて整理する。すなわち、宗教人や宗教団体が中心となって、自宗教や他宗教の問題、宗教 間の葛藤などの解決を目指す「宗教自省運動」、アンチ宗教サイトとして出発し、宗教界の反社会的な行為 を批評する目的で活動する「宗教批評運動」、信者が市民記者として宗教家や宗教団体に関連した様々なイッ シュー等を率直に市民に知らせることを目的とする「宗教代替言論運動」の三類型である。  こうした類型の設定を受け、次の第三節では、それぞれの類型に該当する具体的な運動を個別的に取り上 げて、その発生の背景や理念・目的、中心的なメンバー、組織の形態やその運営の在り方、オンラインそし てオフラインでの社会活動の内容、そのコミュニケーションの在り方と市民への広がりなどについて、立ち 入った分析を加える。  「宗教自省運動」としては、「キリスト教倫理実践運動」、「ウリ神学研究所」、「参与仏教在家連帯」、「教会 改革実践連帯」、「第3時代キリスト教研究所」、「正義・平和のためのキリスト人連帯」が取り上げられてい る。これらは専門性を帯びた研究者や活動家を中心に構成された「トップダウン」型の運動であるが、特に 市民団体とのオフラインでの連帯活動に力を入れ、社会的信頼性を高めている。  また、「宗教批評運動」の核心的団体として、「反キリスト教市民運動連合」、 「宗教法人法制定推進市民連 帯」、 「韓国宗教改革市民連帯」が分析の対象となった。これらは「ボトムアップ」型の運動で、 主にインター ネットの仮想空間を活動の舞台とし、宗教に関する資料の収集や公開に力を入れている。専門性や組織的 体系性では「宗教自省運動」に及ばないが、構成員間のコミュニケーションが活発で、運動の自律性も高く、 世論形成のための公論圏としての役割を担うという。  最後に、「宗教代替言論運動」については、プロテスタントのインターネット新聞「newsnjoy」、仏教の インターネット新聞「仏教フォーカス」、カトリックのインターネット新聞「カトリックニュース 今ここに」 を中心に分析がなされている。これらは主に主流の宗教団体が運営しているが、何よりも「市民記者」と呼 ばれる一般市民や信者、宗教に関心の深いネチズン等が参加し、宗教に関連した多様なイシューについて言 論活動を展開しているという。  第四節では、現代韓国の宗教の全体的な状況や動向を概観しつつ、そうした全体的な社会的文脈の中に、 インターネットを基盤とするこれらの「宗教改革運動」を改めて位置付け、その社会文化的な役割と意義に ついて総括的な議論を展開している。韓国では、1990年以降、宗教人口における三大宗教(仏教・プロテス タント・カトリック)の信者の占める割合が97 ∼ 98%に達する「寡頭制的宗教状況」へと移行した。 それ とともにそれらは様々な政治的、社会的特権の配分においても優遇されるようになり、三大宗教は動員でき る物的・人的・組織的な資源の規模において、韓国社会の中で途方もない社会的影響力を有する集団となっ

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たという。しかしこうした特権化や資源の増大は、その管理や行使における専横や不正や葛藤を生みやす くし、それが顕在化した時には、大きな社会的関心を集めるとともに、宗教の社会的信頼性を失墜させる結 果を招くことになる。こうした宗教の社会的影響力の増大とその社会的信頼性の低下のギャップの広がりは、 市民の間で宗教界の問題への関心を刺激することとなった。そしてそれはちょうどインターネットが大衆化 し、それを利用した自由なコミュニケーションが急速に拡大した時期に重なっていた。宗教界の抱える様々 な問題がそこでイシュー化され、掲示板や討論ルームを通して世論化され、あるいはオフラインの市民によ る集合行動を生み、その過程で、より組織化され、体系化された「宗教改革運動」へと発展していったとい う。そして最後にこうした運動の結果とみられる宗教界での変化の兆しに言及し、稿を閉じている。

論 文 審 査 結 果 の 要 旨

 「論文内容の要約」の最初で述べたように、本論文は情報社会論と宗教社会学の重なり合う領域に関する 研究業績である。情報社会論として見たとき、それは韓国におけるインターネットと市民運動の関わりを、 宗教改革運動を事例に分析したものと位置付けられる。韓国のインターネットと市民運動の関わりについて は、大統領選挙を左右するその影響力で注目を集め、日本では特に政治的な性格の運動に特に注目が集まっ た。しかし宗教に関するインターネット市民運動に関してはこれまでほとんど注目されてこなかった。今回 の論文は、そこに正面から光を当てるものであり、韓国におけるインターネット市民運動に関する我々の視 野を広げる、刺激的な研究といえる。  また現代韓国の宗教状況に関する我国の宗教社会学的研究も、キリスト教の目覚ましい成長やその要因・ 背景の分析に集まる傾向があり、現代の「宗教改革運動」についてはこれまでほとんど取り上げられてこな かった。本論文は、宗教の急速な成長や影響力の拡大がもたらす社会的葛藤の側面に光を当てる研究であり、 これまでの研究の視角の偏りの補正を促す意義ある業績と評価できる。  また本論文はインターネット市民運動としての「宗教改革運動」についてのデータ、資料を幅広く渉猟し、 それに基づき一つ一つの運動について丹念にその組織やメンバーの在り方、コミュニケーションの構造、オ ンライン・オフラインでの活動実態などを明らかにしている。それぞれの運動に関する基礎的で確かな社会 学的情報の提供という点で、研究上の貢献は少なくない。  しかも偏りが無いように多くの運動体が取り上げられていて、この研究を通して運動体間でのバラエ ティーやこれらの運動の全体的な社会的広がりについて、バランスのとれた包括的な見取り図を得ることが 可能となる。様々な運動をその社会学的な特徴により三つのタイプに分ける類型化の試みも説得的で、これ らの運動の全体的理解にとって大変有益である。  本論文を貫く理論的視座は明快である。日本より急速に進んだ韓国でのインターネットの普及が、これま で大きな声をあげられなかった市民の間に自由なコミュニケーションを促し、新たな市民運動の台頭をもた らすなど、参加型民主主義を進展させることにつながるというもので、ネット社会のポジティブな可能性に 期待する議論である。こうした議論に関しては、現在、批判や留保も多いが、著者が対象としている「宗教 改革運動」に関しては概ね妥当するとしている。著者はその運動を、現代韓国の宗教状況全般、あるいは日 本統治時代からの「宗教改革運動」の流れなど、広い社会的・歴史的文脈のなかにしっかりと位置付けるこ とで、その議論の説得力を高めている。  もちろん本論文には残された課題も多い。情報社会研究という面では、ネットによるコミュニケーション の進展という点では、本研究では SNS の展開がほとんど視野に入っていない。また、匿名性がもたらす攻 撃性の解放や極端なナショナリズムへの傾斜など、最近のネット社会のネガティブな側面についての検討も 十分になされているとは言い難い。

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 「宗教改革運動」の分析に関しても、個々の運動体の在り方の解明にもっぱら重点が置かれているために、 改革の対象となった宗教団体などとのダイナミズムが十分に描けてはいない。また、運動がどのような改革 の成果をもたらしたについても言及が乏しく、個々の運動の説明に関しても、並列的でメリハリを欠いている。  但し、これらの点については著者本人も課題と認めており、口頭試問(公聴会)における質疑応答から判 断して、今後の研究の中で対応する見通しもあり、研究の進展により克服が期待される。  日本と韓国は、同じ東アジア文化圏に属する隣国であるが、情報社会の展開の様相、現代の宗教状況など の面では、異なる点も少なくない。本研究は、韓国の急速な情報化、そして宗教及びそれを取り巻く状況の 中で、これまで日本の研究者が見落としてきた側面に光を当てる研究として、今後の日韓社会の比較研究の 進展に資する有意義な研究成果と評価できる。 また、研究内容の面でも、「宗教改革運動」の実態の解明が、 個々の運動についての資料収集に基づく実証的な研究の積み重ねに裏打ちされている点、しかもその社会的 意義について、韓国社会・宗教界の全体的状況の中でしっかりと位置付けられているという点で、研究内容 の面でも、意義深いものと評価できる。  以上の理由から、本論文審査委員会は、本論文を博士(社会学)の学位を授与するにふさわしい研究と判 断する。

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