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「してしまう」の多義的な性格をめぐって: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

「してしまう」の多義的な性格をめぐって

Author(s)

迫田(呉), 幸栄

Citation

名桜大学総合研究(28): 15-25

Issue Date

2019-03

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/24086

Rights

名桜大学総合研究所

(2)

「してしまう」の多義的な性格をめぐって 

迫田(呉)幸栄

A Study of site-simau as an Example of Grammatical Polysemy

in Modern Japanese

SACHIE Sakoda(Kure)

要 旨

 「してしまう」は,動詞の第2中止形(いわゆる「テ形」)+補助動詞の「しまう」によってできあがっ た分析的な構造をもつ一単語なみの単位である。先行研究の多くにおいて,「してしまう」は最後まで 動作を行うこと(動作の終了・実現)をあらわすほかに,残念さや不都合,予想外のような感情的な ことがらをあらわす,と指摘されてきた。  しかし,筆者は,会話文と地の文につかわれる終止的な形をとる「してしまう」の使用の違いから, 改めて小説の地の文に焦点をあてて分析した結果,従来いわれている残念さや予想外のような表現で はなく,「登場人物がおこなった動作の実現にたいするかたり手(登場人物)の強調」をあらわす機能 をあらためて明らかにした。  さらに地の文の終止的な述語につかわれる「してしまう」と中止的な述語につかわれる「してしま う」を比較した結果,中止的な述語のばあいの方が,補助動詞の「しまう」が本来もつ語い的な意味 (おわりまでおこなう,完了)がよりつよく残っていることがわかった。終止形の「してしまう」と ほかの形(中止形や条件形などその他)をとる「してしまう」,そして会話文につかわれる「してしま う」はそれぞれ異なるものとして位置づけられるようである。 キーワード:カテゴリカルな意味特徴,語い・文法的な種類,分析的な構造,文連続

Abstract

The purpose of this paper is to investigate the polysemic function of the analytic verb from site-simau, which has two lexical morphemes: site (main verb) and simau (auxiliary verb).

This paper demonstrates that site-simau has at least two different semantic functions depending on which position it occupies in a sentence. Conclusive predicative forms of site-simau express some kind of emphasis on the part of the speaker. On the other hand, suspended non-conclusive forms of the site-simau-to type, this is forms used in the middle of a sentence whose second clause is missing, are used in a perfective meaning.

Keywords: lexical-grammatical type(group):the subcategorization of parts of speech, semantic feature for categorization, analytical structure, (independent)syntactic unity

原著論文

名桜大学総合研究,(28):15-25(2019)

* 

桜大学国際学群 〒905-8585 沖縄県名護市字為又1220-1 Faculty of International Studies, Meio University 1220-1, Biimata, Nago, Okinawa, 905-8585, Japan

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1.はじめに

 単語の構成・構造からみて,「してしまう」は動詞の 第2中止形「Vて」+補助動詞の「しまう」のくみあわ せによってできあがった分析的構造をもつ単位である。 迫田(2018)はあらためてそれまで行われてきた論述 (2015,2007,2005)をまとめ,「してしまう」をカテ ゴリカルな意味特徴によって一般化される,語い・文法 的な種類(=動詞グループ)であるとし,一種の派生動 詞1 として位置づけた。同じく2単語による分析的な構 造をもつ1単語相当の「してある」,「しておく」とくら べ,「してしまう」を形態論的な「形式(形)」とする先 行研究はあまりないものの,アスペクト的な意味・機能 をになう単位であるとみなす傾向がつよい。そのほか, 「してある」,「しておく」との一番大きなちがいは,「し てしまう」は,継続相「している」のかたちをとること ができることである2  そして,先行研究の多くにおいて,「してしまう」は 最後まで動作を行うこと(動作の終了・実現)をあらわ すほかに,残念さや不都合,予想外のような感情的なこ とがらをあらわす,と指摘されてきた。  たとえば,『文法教育 その内容と方法』(1963)にお いて,「すがた」3 でとりあげられ,「終結態」と名づけ られた。「動作が終わりまで行われることなどを表わす」 (p.155)と規定している。 1)「今まで くずねりの 中で 泳いでるように  身動きも できなかったのが 急に 楽になった と 思ったら,敵も 味方も 一度に 引きあげ て しまった。」(坊っちゃん)  一方で『日本語文法・形態論』(1972)において,上記『文 法教育 その内容と方法』(1963)の執筆者の一人であ る鈴木重幸は「してしまう」に副次的に,いわゆる「残 念や不都合」のような,モダリティーに属するような意 味・機能をもちあわせているともみとめている。 「(…中略)予期しないこと,よくないことが実現 するというニュアンスがつくようである。」(鈴木 1972, p.384)  鈴木のこの記述は,高橋太郎(1969)の《③〔期待外〕 予期しなかったこと,よくないことが実現することをあ らわす。》をうけついだのであり,吉川武時(1973)に おいても,継承されている。しかし,いずれの記述にお いても,具体的にだれにとっての「残念や不都合」,「期 待外」なのかについては,はっきりとしめされていない。 「(文の)はなし手」か,あるいは,「してしまう」があ らわす「(実現される・された)動作のし手=動作主」か, についてはのべられていない。このことをはじめて指摘 した藤井由美(1992)は,「してしまう」がつかわれる 文(主に終止的な述語につかわれる文)を人称の観点か らタイプわけし,「してしまう」があらわす「残念や不 都合,期待外(マイナス的な評価)」を「話し手の態度 の表明」と一般化した4 。  なお,藤井(1992)は,いいおわり文の述語(終止節) につかわれる「してしまう」の意味・用法と,つきそい 文の述語につかわれる「してしまう」のそれとは,こと なるレベルのものとして,まず,いいおわり文の分析に 徹底しておこなったので,さきにのべた藤井の「話し手 の現実に対する感情・評価的な態度」という「してしま う」の意味規定は,「してしまう」の終止のかたちにか ぎるということである(そして,会話文にかぎるという こともいえよう)。実際,藤井自身も(1992)の最後に 以下のようにのべている。 「一般的にいって,つきそい文の述語のばあいで あっても,「してしまう」は話し手の感情・評価を 表現している。したがって,「してしまう」がもっ ぱら動作の終了をあらわすのは,タクシス=アスペ クト的な関係の表現がもとめられているばあいにか ぎられるだろう。だが,今回の私の論文では,つき そい文の述語の「してしまう」については,まだ調 査不十分である。さまざまなつきそい・あわせ文の 研究の進展とともに,「してしまう」の研究も深まっ ていくにちがいない。」(同上p.39)  藤井(1992)での分析は,あくまでも,「してしまう」 がいいおわり文の述語(おもに会話文)につかわれるさ いの意味・用法を分析,一般化した結果であることを, この発言が裏づけている。しかし,それと同時に藤井 (1992)によって,それまでの先行研究でアスペクト的 な意味の1つのにない手とみなされてきた「してしまう」 の位置づけについての問題が提起された,ともいえる。  これらのことをふまえ,筆者は自身が行った一連の研 究において,まず,地の文か会話文か,そして,実際, 文のどの位置につかわれているか(ことなる語形をとる 「してしまう」)を厳密に区別して研究をすすめてきた。  迫田(2018,2015)で指摘したように,地の文におい ては一般的にいわれている「マイナス的な評価」は発見 できない。筆者は,会話文と地の文につかわれる終止的 な形をとる,「してしまう」の使用のちがいから,あら ためて小説の地の文に焦点をあてて分析した結果,従来 いわれている残念さや予想外のような表現ではなく,例 2)のように「登場人物がおこなった動作の実現にたい するかたり手(登場人物)の強調」をあらわす機能を発

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見した5 2)太郎が何も言わないのに,久男は,大蒜の一かけ をとって,小さくたたき,それを汁用の鍋に入れ てしまった。二人は,申し合わせたように,とん とんと働くので,食事の用意は,たちまちできて いった。(曽野綾子・太郎物語・高校編)  一方で,呉(2005)では,いいおわり文の述語(終止 節・終止形)につかわれる「してしまう」に対象をしぼっ た藤井(1992)での分析結果をうけて,例3)のような 「~してしまうと,~。」をしらべ,終止形の使用とか なり異なることがわかった。 3)ダチョウは,だまっていた。¶旅行者は安心して, ダチョウの肋骨の間に手をつっこみ,心臓をつか 4 4 4 4 4 み出して食べた4 4 4 4 4 4 4。¶ダチョウの肋骨の中には,た だひとつ,ダチョウの呑みこんだ金ぐさりつきの 時計が,コチコチと音を立てて,ぶらさがってい るだけだった。¶心臓を食べてしまうと,旅行者 はまた歩き出した。¶今や完全に骸骨になってし まったダチョウは,肋骨の中でコチコチと時を刻 み続ける時計をぶらぶらさせながら,それでもま だ,旅行者のあとを追って歩き続けた。「こいつは, 心臓がないくせに,どうして歩き続けるのだろう」 (筒井康隆・四千字劇場)  「~してしまうと,~。」のばあいでは,《「すると」の 形をとるつきそい文の述語「してしまう」は,その動作 を内包する活動の区切りとなる動作をさししめし,ある 場面で小さな区切りをつける機能をもつ》と規定するこ とができる。  本稿では,以上のことをふまえ,地の文の文末(終止 形)と文末以外(おもに条件形「してしまうと」のかた ちをとるもの)につかわれている「してしまう」の分析 結果を提示し,その多義的な性格についてのべる。

2.具体的な場面描写

にある「してしまう」文

 物語にあらわれる主要な登場人物の人称(性)の観点 からおもに1人称小説と3人称小説をとりだすことがで きるが,本稿では,3人称語りを中心的にとりあげる。  文は言語活動のもっとも小さな単位であるが,特殊な ばあいをのぞけば,(地の文でも会話文でも)文はつね に一定の文の集まりのなかに存在し,(前後する)文脈 をともなう。したがって,文の分析にはつねに文が存在 する文脈(コンテキスト)への配慮が必要である。実際, 「してしまう」の分析作業において,「してしまう」文7 が存在する1つ,あるいは前後するいくつかの段落をと びこえた観察がつねに要求され,迫田(2018, 2015)では, それを「文連続」8 として規定している。 4)¶①午後になって,飛騨が警察から帰って来た。 ②いきおい込んで病室のドアをあけた。③「やあ,」 葉蔵がスケッチしているのを見て,大袈裟に叫ん だ。「やってるな。いいよ。芸術家は,やっぱり 仕事をするのが,つよみなんだ。」¶④そう言い つつベッドヘ近寄り,葉蔵の肩越しにちらと画を 見た。⑤葉蔵は,あわててその木炭紙を二つに 折ってしまった。⑥それを更にまた四つに折り畳 みながら,はにかむようにして言った。「駄目だ よ。しばらく画かないでいると,頭ばかり先になっ て。」¶⑦飛騨は外套を着たままで,ベッドの裾 へ腰かけた。「そうかも知れんな。あせるからだ。 しかし,それでいいんだよ。芸術に熱心だからな のだ。まあ,そう思うんだな。――いったい,ど んなのを画いたの?」(太宰治・道化の華) 例4)「葉蔵は,あわててその木炭紙を二つに折ってし まった。」が存在する文連続には,「葉蔵」「飛騨」の登 場人物が存在する。場面(状況)設定は葉蔵が入院中の 病室である。  そこには,いくつかの具体的な出来事(主要な登場人 物の具体的な動作)が描写されていて,少なくとも,① ~⑦の7つをとりだすことができる。「してしまう」は このうちの,5つ目の出来事を描写する文の述語につか われている。「してしまう」文がさししめす内容に,文 連続にあるほかの文のそれと違った,あるなんらかの意 義づけがかたり手(登場人物)によってもたされている。 迫田(2018,2015)では,この「ある意義づけ」を,「登 場人物がおこなった動作の実現にたいするかたり手(登 場人物)の強調」としている。  入院している葉蔵がスケッチをしているところに,友 人である飛騨がいきおいこんで4 4 4 4 4 4 4部屋にはいってきた。飛 騨は葉蔵のスケッチをみようとしたが,葉蔵は「それを 二つにおってしまった」。なぜなら,葉蔵は飛騨に(ス ケッチを)みせたくないのだ。この葉蔵のきもちは,葉 蔵の発言,「駄目だよ。しばらく画かないでいると,頭 ばかり先になって。」からもはっきりとよみとれる。実際, 飛騨に自分のスケッチをみせないためには,「(スケッチ を)おる」のほかに,スケッチをかくしたり,やぶいたり, あるいは,飛騨にちかよらないように注意するような行 動をとることもかんがえられる。しかし,葉蔵は「木炭 紙を二つにおる」行動をとった。しかも,「あわてて 4 4 4 4 おっ た」のである。その後,葉蔵はさらに,二つ折りした木 炭紙を四つにおりたたんだ。葉蔵は飛騨に画をみせない のと同時に,その画をかくことをやめたのである。述語

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があらわす「(葉蔵がおこなった木炭紙を二つに)おった」 という動作は,葉蔵が画をかいていたうごきをやめたこ とをあらわしていると同時に,葉蔵が飛騨にみせたくな いきもちのあらわれでもある。「してしまう」文が存在 する文連続は,「(葉蔵の木炭紙を)おった」という動作 の実現が強調されていることがらであることを,よみ手 が理解できるように構築される。完結する1つの「して しまう」文は,このような,一連の文の中で,意味をあ らわし,機能をはたす。  なお,さきにとりあげた例2)をもう一度文脈に戻し てみると以下になる。 5)(同例2)「それにしても,腹がへった」¶と,太 郎が現実に還った。「僕もだ」「青山さんという人 が,帰って来るのを待っていたら遅くなっちまう なあ」「われわれで作るか」「そうしよう」「何を 作ろうか」¶言いながら太郎は,冷蔵庫を開けて みて,「しけてやがるなあ」と,呟いた。¶めざ しの焼きざましが二本入っているくらいで材料ら しいものは,ろくになかった。「何しろ,青山さ んが買って帰ることになっているんだ」「今日は, 土曜日だぜ,どこをふらついているんだろう。あ んまりあてにしないほうがいいと思うよ」¶そう 言いながら,太郎は,すばやく,あたりの戸棚を 開けて,いくつかの缶詰を掘り出した。「鮭缶と コンビーフがあるじゃないか」¶野菜かごの中に は,人参と,ジャガイモと玉葱,それと,ひから びた長葱が二,三本あった。「おあつらえ向きの材 料だぜ」「何を作る?」「マヨネーズがあれば,鮭 と,生玉葱のサラダさ。それから,ジャガイモと 人参と長葱を入れて,それにコンビーフをぶちこ んで,汁をつくる」「玉葱は,塩でさっともんで 水でさらしたほうがいいな」¶久男も心得ていた。 「コンビーフの汁のだしは……」「鰹節なんかな いぜ」「いらないよ」「コンビーフでだしがでらあ。 それでたりなきゃ,牛乳を少し入れればいいんだ。 それとこのめざしも,腹の苦いとこは捨てて,小 さくちぎって,煮干の代りに,だしに使っちまお う」太郎が何も言わないのに,久男は,大蒜の一 かけをとって,小さくたたき,それを汁用の鍋に 入れてしまった。二人は,申し合わせたように, とんとんと働くので,食事の用意は,たちまちで きていった。(曽野綾子・太郎物語・高校編)  文脈なしの状態では,あたかも登場人物である「久男」 がもう1人の登場人物の「太郎」のことわりなしに 4 4 4 4 4 4 4 「一 かけの大蒜」を「汁用の鍋」にいれたとよみ手は理解す るだろう。その「ことわりなしに」には,いろいろと想 像ができる。たとえば,「太郎」はにんにくがきらいで あることをしらずに,「久男」はいれたとか,ほかにもっ といれるべき材料があったのに,「久男」は「太郎」に 確認せずににんにくをいれたなどと想像される。しかし, 実際,この文が存在する文連続にたちもどって検証する と,このような想像はまったくの検討外であることがわ かる。そこには,「太郎」と友人の「久男」がかぎられ た材料で手際よく食事の調理をし,息のあった作業ぶり がえがかれている。材料を買ってかえってくるはずの「青 山さん」がなかなかかえってこないなか,お腹をすかせ た「太郎」と「久男」の2人でその場にある材料でいか にもスムーズに食事を用意していく2人の姿がよみ手の 目にうかぶ。そして,「何も言わないのに,久男は,大 蒜の一かけをとって,小さくたたき,それを汁用の鍋に 入れてしまった。」という「してしまう」文がさししめ すのは,まさしく2人の息のぴったりあった作業ぶりの 象徴的動作といえる。さらに,すぐあとにつづく文,「二 人は,申し合わせたように,とんとんと働くので,食事 の用意は,たちまちできていった。」がその状況をいっ そう明白に説明してくれる。  「太郎と久男の息のあった作業シーン」でまとめあげ られる,いくつかの文によって構築された文連続におい て,「~(大蒜を)鍋に入れてしまった。」の文もまた, ほかの文や文の成分がさししめす内容によって,「この 出来事は(相対的に)強調されている」ことがしめされ, そのために「してしまう」がつかわれている。「してし まう」文をふくむ一連の文によって登場人物の一連の動 作が語られるが,そのなかで「してしまう」文がさしし めす,(ある登場人物の)動作の実現について,よみ手 に対するかたり手のなんらの強調的な態度があらわされ ている。  これまで紹介した用例では,かたり手はつねに,「文 連続」に描写されている場面にいあわせる,ある登場人 物,「葉蔵」「太郎」の視点9 からものがたっている。  このかたり手がよりそう登場人物(視点のおかれてい る登場人物)が,「してしまう」があらわす「しめされ ている一定の事実にもとづいた,(かたり手の評価によ る)強調という意義づけをもたされている実現された動 作」のし手と一致したときに,動作のし手=登場人物の 様子・きもちをくわしくする修飾語「おもわず」,「つい」, 「うっかり」,「不覚にも」の使用がよくみられる。 6)①安の店から出たときすでに,澄江のなかでは, 生家の田屋のことがおもいうかんでいた。小田原 ではこんどの事件を知っていなかった。夏やすみ だというのに行助をよこさないのか,と生家の母 から電話があったのは八月初旬であった。そのと き澄江は,行助は北海道に行っているから,と答

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えたが,いまの澄江には,親しい人達になにもか もを話してしまいたい,という衝動があった。堪 えていることがつらすぎたのである。¶②澄江は, 生家の店の前にたったとき,ああ,ここはいつ来 てもあたたかい場所だ,と思った。「おや,澄江 じゃないか。なにをこんなところにたっているん だ」¶③と背後から声をかけられたとき,澄江は 不覚にも涙ぐんでしまった。兄の英太郎だったの である。「みなさんお元気」④澄江は兄に顔を見 られないようにしながら訊いた。「みんな元気だ よ。さあ,なかにはいれ」¶⑤英太郎は妹をうな がすと先に店にはいって行った。(立原正秋・冬 の旅)  「と背後から声をかけられたとき,澄江は不覚にも涙 ぐんでしまった。」が配置されている「文連続」には,「澄 江」「(澄江の)兄の英太郎」という登場人物がいる。状 況設定は「(澄江の)実家の前」である。澄江は息子の 友人である「安」の店にいったかえりに,実家に足をは こんだ。なぜなら,「いまの澄江には,親しい人達にな にもかもを話してしまいたい,という衝動」があり,「堪 えていることがつらすぎた」からである。澄江にとって, かくしてきた息子のおこした「事件」が重荷となり,親 しいだれかにはなしたいとおもい,実家に足をはこんだ のである。そして,彼女が実家の前にたったとき,「(澄 江は,生家の店の前にたったとき,)ああ,ここはいつ 来てもあたたかい場所だ,と思った。」のである。そこで, 彼女は兄の英太郎に声をかけられ,おさえてきた感情が こみあげ,「不覚にも4 4 4 4涙ぐんだ」のだ。「文連続」にさし しめされている,澄江の一連の行動や澄江のおもい,さ らには兄の英太郎とのやりとりが,「(澄江が)涙ぐんで しまった」があらわす動作は突発的であり,澄江が自分 のきもちをおさえきれなくなったあらわれでもあること を条件づけている。述語の「涙ぐんでしまった」は,こ のようにして,「澄江の涙ぐんだ」動作の実現を強調す るのにもちいられているのである。  「文連続」に描写されている場面にいあわす,登場人 物の1人である澄江は「してしまう」動詞があらわす実 現された動作のし手であり,また,かたり手は澄江の視 点からかたっているのである。このことは,「文連続」 内に澄江の内心描写(心情描写)をさししめす文がいく つも存在することから,容易に理解できるだろう。かた り手が澄江の視点からものがたることにより,かたり手 は,澄江の心の奥まではいりこみ,まさに澄江のたちば にたち,澄江の感情の起伏や澄江のおもいをのべること ができる。現に不覚のおもいをしたのは澄江であり,か たり手ではないが,「不覚(にも)」の使用は,かたり手 が澄江のたちばにたち,澄江によりそい,あたかも澄江 と同化したようにものがたるからこそ可能である。  次の例も同じである。「思わず神島は笑ってしまった。」 が配置されている「文連続」には,「神島」と「(娘であ る)月子」という登場人物がおり,状況設定は「桟橋の 上」である。 7)¶眼下の海面から冷たい風が吹き上げてきた。コー トの据が音立ててはためいた。「そろそろ帰ろう」 ¶神島が月子の肩を叩いて歩きかけたとたん, 「あ」¶①月子がまた叫んだ。¶振り返って空を 見上げると,白く細長い光線が二筋,前後して闇 の中へ消えて行くところだった。「今夜は流れ星 が多いな」¶神島の言葉に,月子はまじめな顔で, 「きっと,風が強いせいだね」¶②と,言う。¶ ③思わず神島は笑ってしまった。¶しかし,ある いはほんとうにその通りかもしれない……。④そ う思いながら,月子と手を結んだ。(新井 満・尋 ね人の時間)  「文連続」に描写されているのは,神島と月子,親子 のほほえましいやりとりの一コマである。そろそろかえ ろうとしている神島に,月子が「あ」と声をあげた。そ れは,流れ星にきづいた月子の反応である。その流れ星 をみて,神島は「今夜は流れ星が多いな」ということば をはっし,それにたいして,月子はまじめな顔で,「きっ と,風が強いせいだね」と父親の神島にかえした。それに, 神島が「おもわず4 4 4 4わらってしまった」のである。神島の 「(おもわず)わらった」動作はこのような経緯をふん だうえで実現されたのである。実際,神島が流れ星の構 造や発生のメカニズムにかんする専門的な知識をもって るか否かは別にして,おそらく,彼はわれわれよみ手の 大多数と同様に,すくなくとも「流れ星は風の力でうご いたり,うごかされたりしない」という一般的な知識を もちあわせていると推測できる。そのうえで小学生であ る娘の月子から,流れ星が多いのは,風が強いせいだと いうことばをきいたときに,月子の発言に反応したかた ちで,神島は「(おもわず)わらった」のである。神島 は月子の発言をおもしろおかしくおもえたのだろう。述 語の「笑ってしまった」は,たんなる神島によっておこ なわれた「わらった」動作ではなく,月子とのやりとり のながれにおいて実現した動作であり,さらに,その実 現された動作にふくまれている,かたり手にとらえられ た,父親(神島)が娘(月子)や娘の発言にたいする「な んらか」のおもいや態度をあらわしているのであろう。  月子の発言内容は,あきらかにあやまりであった。し かし,父親の神島はそれを訂正せず,逆に,「しかし, あるいはほんとうにその通りかもしれない……。」と心 のなかでつぶやいた。よみ手として,そこからさらにつ

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よく父親が娘にむけた「なんらか」のおもいや態度をか んじとれるかもしれないが,しかし,「してしまう」動 詞はそれ以上の,神島が月子にむける,より具体的な 「どういう」おもいなのかや態度なのかはしめしていな い。よみ手は,ここで描写されていない,それ以上のこ と(ことがら・内容)を想像したり,かんじとれたりす るかもしれない。それは,すくなくとも,神島は単純に 月子の発言をおもしろおかしくおもえただけではない可 能性を,あとにつづく文「しかし,あるいはほんとうに その通りかもしれない…」によって暗示しているといえ よう。  この物語を全部よめば,神島と月子の親子関係を理解 し,離婚をして,月に一度しかわが娘の成長をたしかめ られずにいる神島の心情をもひっくるめて,神島のこの 「笑ってしまった」があらわす神島のおこなった「わら う」という動作にふくみ的にもたされているいろいろな 意味あいをよみ手はかんじとることができるだろう。し かし,それはおそらく,「してしまう」文や「してしまう」 動詞の意味・用法をこえ,神島や月子という登場人物の 性格,そして物語全体をどうとらえるかのレベルのこと で,「笑ってしまった」があらわしているのは,神島の おこなった動作と,かたり手にとらえられる,その実現 した動作にたいする神島の「なんらか」のおもいや態度 だろう。  まさにこのことが一種の「強調」といえるのではない だろうか。本稿で主張する「してしまう」文にもたされ ている「強調」とは,このような言語現象を意味してい るのである。かたりの進行する時間のながれにそって, 継起的におこる出来事を描写する,いくつかの文の連続 =「構文論的な統一体」のうち,1つの文の述語に「し てしまう」動詞がつかわれる。その「してしまう」があ らわす「強調される実現した動作」はどういういきさつ で,そしてどういう状況のもとで,おきたか,あるいは おこなわれたか,を「文連続」にあるほかの文や成分に よってよみ手に理解できるように説明される。こうして, 「してしまう」文は,「文連続」のなかに条件づけられ て存在するのである。  さらに先行論文でもよく指摘されていることだが,「の む」「たべる」「よむ」などのような動詞が「してしまう」 の形式をとることによって,「動作のおわり」をあらわ すことができるという。  しかし,筆者が採取した,この類の動詞から派生した 「してしまう」の使用例において,「してしまう」動詞 があらわす(実現する)動作の程度や量をあらわす修飾 語の使用が多数みられる。「してしまう」は単に「動作 のおわり,終了」をあらわすためにもちいられているの ではないと考えられる。  例8)の文がおかれている,「文連続」には「秀子」と「成 子」という登場人物がいる。状況設定(背景設定)は, 「(成子の家のちかくにある)喫茶店」である。「文連続」 に描写されているのは,ある日の夜,秀子は会社の同僚 である成子をたずね,ふたりは喫茶店にはいり,そこで おこなった,やりとりの1場面である。 8)¶①二人は,商店街に出て,喫茶店に入った。 「あなた,何んになさる?」¶②秀子がいった。「あ たしは,紅茶」「ビールを飲んでみない?」「まァ, ビールを?」「この店にだって,ビールはあるで しょう?」「そりゃァあるでしょうけど」「あたし, ビールが飲みたくなったのよ」「だったら,あなた, どうぞ,あたしは,紅茶で結構」「つき合いの悪 い人ね」¶③秀子は,恨めしげにいってから,ビ ールと紅茶を注文した。¶先にビールが来て,二 人の前に,グラスがおかれた。「どうぞ,すこし だけ」¶④秀子は,ビール瓶を成子に向けながら いった。「あたしは,飲めないし,飲んでみたい とも思いませんから」¶⑤成子は,グラスの上に 手をおきながらいった。「こんなおいしい物が飲 めないなんて,そして,飲みたいとも思わないな んて,あんたって,不幸ね」「あたしが,そう思 っていないからいいでしょう?」¶成子の紅茶が 来た。¶⑥秀子は,自分でビールを注いで,「では, カンパイしましょう」¶⑦と,いったんグラスを 目の高さに上げてから,ぐぐっと半分ほどを飲ん でしまった。「とってもおいしいわよ」「あたしの 目には,まるで,ヤケ酒のように見えるわ」「ヤ ケ酒ですって?」「ズバリいって上げましょうか」 「何を,よ」¶⑧秀子は,不安そうに,成子を見 た。⑨成子は,見返して,「あんた,井筒さんに 振られてしまったんでしょう?」「そ,そんなこと, あるもんですか」¶秀子は,あわて気味に否定し たが,その顔色は,変っていた。(源氏鶏太・定 年退職)  ビールをのみたがっている秀子にたいして,いささか つめたい反応をみせている成子であることは,2人の会 話のやりとりから容易にわかる。成子は秀子のさそいに のらず,2人はそれぞれ,紅茶とビールを注文したので ある。しかし,さきにビールがきたことで,秀子による ビールのすすめを,成子はなお拒否し,「あたしは,飲 めないし,飲んでみたいとも思いませんから」という。 結局,秀子は自分でビールをそそぎ,1人でビールをの むことになる。秀子の「(ぐぐっと半分ほど)のんでしまっ た」という動作はこのようないきさつをふまえたうえで 実現したのである。  たとえば,「本をおわりまでよんだ」や「ごはんを2

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杯たべた」のばあいでは,「おわりまで」「2杯」のよう な修飾語によって,実現する動作の限界をしめすことが できる。例8)「(秀子が)と,いったんグラスを目の高 さに上げてから,ぐぐっと半分ほどを飲んでしまった。」 の文において,「半分ほど(のビールを)」の使用がそれ である。やはり,述語の「のんでしまった」があらわし ているのは,実現された「のむ」という動作の限界では なく,「秀子」と「成子」のあいだにかわされている会 話ややりとりにおいて,「強調された,動作の実現」で あるとみるほうが妥当ではないだろうか。

3.「~してしまうと,~。」の文

 一方で,具体的な場面描写にある「してしまう」文に とくらべると,時間的な関係をあらわす「~してしまう と,~。」10のばあいはかなり事情がことなる。 9)宿屋の女中さんたちや,たいくつしているお客さ またちは,柱によりかかったり,ふえでちょうし をあわせたりしながら,おとうさんの大正琴をき きました。商売がおわって,小さな宿屋にとまる と,おとうさんは,ソロバンと帳面をだして,売 れたおかねの計算をしました 4 4 4 4 4 4 4 。「きょうは,ずい ぶん,もうかった」と,いいながら,おとうさん は千代を見て,にっこりしました。でも,おとう さんの笑いかたは,くびを少しかしげる,さびし い笑いかたでした。計算をしてしまうと,おとう さんは,千代をつれてふろばへいきました。温泉 のふろばは,穴ぐらのようにうすぐらくて,がら んと広くて,もやもやとゆげがあがっている中に, ランプがぼんやりと光っていました。「さあ,こ れからは,千代とおとうさんの天下だね」などと いいながら,おとうさんは,千代のおびをほどい てくれました。(平塚武二・風と花びら)  例9)は,《動作主のおとうさんが,「(お金の)計算 をする」という動作をおこない,その動作がおわったあ とに,おとうさんが次の動作「(千代をつれて)ふろば へいく」をおこなった》ことをさししめす。この2つの 動作は,「おとうさん」という同一動作主によっておこ なわれた,時間的に継起する個別的な,一回的な意味を もつ2つの動作である。文脈にもどしてみると,つきそ い文「計算をしてしまう(と)」がさししめす終了をむ かえた「(おとうさんが)計算をする」という動作は, 少し前にあるもう1つの文「商売がおわって,小さな宿 屋にとまると,おとうさんは,ソロバンと帳面をだして, 売れたおかねの計算をしました4 4 4 4 4 4 4。」がさししめすことが らとむすびついている。文脈内でとらえられている「お とうさんがお金の計算をする」という行為は,「…おか ねの計算をしました。」の文によって,その発生がさし しめされ,つきそい文「計算をしてしまう(と)」によっ て,それが終了したことがさししめされるのである。「計 算をする」という動詞は,限界性をもたない無限界動詞 であり,「…おかねの計算をしました。」の述語「計算を しました」(完成相「した」)があらわしているのは,動 作の限界到達(このばあいは,動作のはじまりの限界を こえること)であり,その後,実際,おとうさんは計算 をつづけ,「計算をしている」ことになる。つづいてい るおとうさんの「計算をする」の動作は,つきそい文の 述語につかわれる「計算をしてしまう」によって,それ のおわりをさししめすのである。それと同時に,描写さ れている,おとうさんの一連の動作「商売をおえる」「宿 屋にとまる」「ソロバンと帳面をだす」「売り上げを計算 する」などを,つきそい文の述語「計算をしてしまうと」 が一区切りつけ,さらなる動作「(千代をつれて)ふろ ばへいく」との境目をきわだたせている。「すると」の 形をとるつきそい文の述語「してしまう」は,1つの場 面を描写する文連続のなかで1つの区切りをつける機能 をもっているようである。  限界動詞についても同じことがいえる。例10)は,「(机 の上に標本を)おく」と「(席に)もどる」という,同 一動作主「武巣」によっておこなわれた,時間的に継起 する個別的な,一回的な意味をもつ2つの動作をさし しめしている。そして,つきそい文の述語「(それを… 机の上に)おいてしまうと」もまた,「武巣が校長室に ある標本を教室にもってくる」という活動のしめくくり となる,武巣の1つの動作をさししめし,それまでに武 巣がおこなっていた一連の動作「(標本をもって教室に) はいってくる」「標本を机の上におく」11と,次の動作「席 にもどる」との境目をあらわすのである。 10)生徒も黙っていました。空はその時白い雲で一杯 になり,太陽はその向うを銀の円鏡のようになっ て走り,風は吹いて来て,その緑いろの壁はとこ ろどころゆれました。武巣という子がまるで息を はあはあして入って来ました。さっき校長室のガ ラス戸棚の中に入っていた,わなの標本を4 4 4 4 4 4五つと も持って来た4 4 4 4 4のです。それを先生の机の上に置い てしまうと,その子は席に戻り,先生はその一つ を手にとりあげました。「これはアメリカ製でホッ クスキャッチャーと云います。ニッケル鍍金でこ んなにぴかぴか光っています。(宮沢賢治・茨海 小学校)  例9)と例10)をくらべると,「計算をしてしまうと」 とちがって,「おいてしまうと」を「おくと」におきか

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えても,それほど違和感がない。それは,「おいてしまう」 のもととなる「おく」という動詞が,限界性をもつ限界 動詞であるからとかんがえられる。  しかし,実際,「してしまうと」と「すると」を述語 にもつつきそい文がおかれている文脈を見くらべてみれ ば,そのちがいがみえてくる。 11)加藤は宮村健のテーブルの前に立った。宮村は加 藤の眼を見ると,悪いことでもした子供のように, いそいで眼を伏せた。「宮村君,外へ出よう,歩 きながら話をしよう」¶加藤がいった。宮村は返 事をしなかった。動こうともしなかった。加藤が なにしに,そこへ来て,なにをいおうとしている か,すべてわかっているようだった。女の子が, 水をついだコップを持って来て,加藤の前へ置く と,加藤と宮村を見較べて,引きさがっていった。 「宮村君,重大な話があるのだ。さあ,ここを出 よう」¶宮村健は,その時やっと顔を上げた。悲 しげな顔をしていた。(新田次郎・孤高の人)  例11)の「(水を)おくと,~。」の文は「同一動作主 によっておこなわれた個別的な,一回的な意味をもった, 継起的な関係をもつ複数の動作的な出来事」をさししめ す点において,「~してしまうと,~。」の文と共通する。  本来,同一動作主によっておこなわれる,継起的な関 係をもつ動作をさししめすのは,動詞の中止形(「し」,「し て」)であり,動詞の「すると」のかたちは,その一部 分のはたらきをになうようなかたちでうまれたとおもわ れる。さらに,先行研究によれば「~すると,~。」の 文は,おもに小説の地の文につかわれ,つきそい文がさ ししめす動作は,いいおわり文がさししめす動作の「きっ かけ」12となるのである。「してしまうと」のつきそい文 がさししめす「動作的な出来事」と,いいおわり文がさ ししめす「動作的な出来事」のあいだの関係は,その「きっ かけ」+「一区切りづけ」で,「一区切りづけ的なきっ かけ」になったのだろう。それは,「きっかけ」の関係 をあらわす文の構造の「すると」の部分に,「してしまう」 がつかわれたゆえのことである。つまり,「一区切りづけ」 も「きっかけ」の一種であり,その下位区分の1つであ る13「~すると,~」と「~してしまうと,~。」の対 立は,「きっかけ+ゼロ」と「きっかけ+一区切りづけ」 の対立になるのだろう。  「~してしまうと,~。」の例と,「~すると,~。」の 例をくらべてみる。 12)ダチョウは,だまっていた。旅行者は安心して, ダチョウの肋骨の間に手をつっこみ,心臓をつか4 4 4 4 4 み出して食べた4 4 4 4 4 4 4。ダチョウの肋骨の中には,ただ ひとつ,ダチョウの呑みこんだ金ぐさりつきの時 計が,コチコチと音を立てて,ぶらさがっている だけだった。心臓を食べてしまうと,旅行者はま た歩き出した。今や完全に骸骨になってしまった ダチョウは,肋骨の中でコチコチと時を刻み続け る時計をぶらぶらさせながら,それでもまだ,旅 行者のあとを追って歩き続けた。「こいつは,心 臓がないくせに,どうして歩き続けるのだろう」 (筒井康隆・筒井康隆四千字劇場)  例12)の「心臓を食べてしまうと,旅行者はまた歩き 出した。」がさししめす,「心臓をたべる」と「あるきだ す」という2つの動作は,「旅行者」という同一動作主 によっておこなわれた,時間的に継起する個別的な,一 回的な意味をもつ2つの動作である。そして,つきそい 文「心臓をたべてしまう(と)」がさししめす「旅行者 が心臓をたべる」という終了をむかえた動作は,同じ段 落にあるもう1つの文「旅行者は安心して,ダチョウの 肋骨の間に手をつっこみ,心臓をつかみ出して食べた 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 。」 によって,それの発生がさししめされ,つきそい文「心 臓をたべてしまう(と)」によって,それのおわること がさししめされるのである。そのほか,段落で描写さ れている,旅行者の一連の動作「(筆者注:砂漠をある くのをやめてたちどまって)ダチョウの肋骨の間に手を つっこむ」「心臓をつかみ出す」「心臓をたべる」を,つ きそい文の述語「(心臓を)たべてしまうと」が一区切 りつけ,さらなる動作「歩きだす」との境目をきわだた せ,この場面を描写する段落のなかで1つの区切りをつ けている。  例13)「~たべると,~。」の文,とくらべてみよう。 13)二日間山は荒れた。山だけでなく,小屋のなかま で雪が吹きこんで来た。風はほとんど一定速で, ときどき呼吸をつくことがあるけれど,そのあと にまた強い風が吹いた。突風性の風が吹くと,小 屋が揺れた。どこからともなく吹きこんで来る粉 雪が小屋の中を舞いあるいていた。¶加藤は寝た ままだった。空腹を感ずると起き上って,ポケッ トからひとつかみの甘納豆を出して食べ,魔法瓶 の湯を飲んで寝た。雪の中を歩いているときは, その道が,もう安心だと思いこむと,あれこれと つまらぬことが思い浮ぶけれど,小屋の中の梁の 上で眠っている彼は,不思議にものを思わなかっ た。眠って起きて,なにかいくらか食べると,ま た眠った。眠り疲れというのかもしれないと思っ た。それまでの疲労の蓄積が一度に解消していく ような眠りでもあった。¶暴風雪は二日間吹きま くって,夕方ごろからいくらかおさまった。なに

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か外が明るくなった感じだった。(新田次郎・孤 高の人)  例13)「(加藤が)眠って起きて,なにかいくらか食べ ると,また眠った。」の文も,例12)同様,ある同一動 作主によっておこなわれた時間的に継起する複数の個別 的な,一回的な意味をもつ動作,「たべる」と「ねむる」 をさししめすが,例12)の「たべてしまう」のように, あたえられた段落内で動作の発生や,一連の動作・プロ セスをさししめす文がない。「すると」のかたちをとる, 例13)のつきそい文の述語「……なにかいくらか食べる と」によってさししめされている「たべる」という動作は, ひと続きであることをしめしておらず(ひと続きの動作 であるかどうについては不問であり,無関心である), ただの動作(動き)であることしかしめされていない。  「すると」のかたちをとる「してしまう」は,直接的に, 間接的に,存在する文連続でとらえられている活動をし めくくる動作が,終了をむかえたことをさししめす,と いえるだろう。このばあいの「してしまう」は,その活 動が成立するまでの一連の動作・プロセスに一区切りを つけ,さらなる動作との境目をきわだたせるのである。 「すると」の形をとるつきそい文の述語「してしまう」は, その動作を内包する大きな動作(活動)の区切りとなる 動作をさししめし,ある場面で小さな区切りをつける機 能をもつ,と規定することができる。

4.おわりに

 いくつかの先行研究においてアスペクト的な意味の1 つのにない手とみなされていた「してしまう」は,藤井 (1992)によってその位置づけについて問題提起され た。しかし,地の文での「してしまう」文と,時間的な 関係をあらわす「~してしまうと,~。」の文をとりだし, 分析をおこなった結果,藤井のいう「話し手の感情・評 価的な態度」をみいだすことができなかった。会話文と 違って,地の文においては,いわゆる否定的な(マイナ スな)感情・評価はあらわさない。  その一方で,藤井(1992)で指摘されたように,先行 研究において,筆者の主張とちかい記述がすでに出され ている。すでにふれたことではあるが,『文法教育 そ の内容と方法』(1963)において,「してしまう」は「す がた」でとりあげられ,「終結態」となづけられている。 そこでは「してしまう」を,「動作が終わりまで行われ ることなどを表わす」と規定し,「動作の実現を強調す る」(同p.155)とも記している。さらに,「してしまう」 を「場面のきりかえ」「段落のきりかえ」とみる見解は, 岩崎(1986)にもあった。岩崎(1986 ,p.102)は,「し てしまう」を「しはじめる」などとともに,局面動詞と 位置づけたうえ,「「してしまう」は(中略)それまでの 状態でなくなり,新しい状態になるといった場面の切り かえ,段落の切りかえの用法のほうがむしろ基本的な意 味をもっているといえる。実際,一連の出来事をあらわ す文のなかにあらわれるばあい,それまでの出来事を含 むような大きな出来事の終結をあらわすというような役 割をもつようである。」としている。いずれにおいても, 「してしまう」の分析には,つかわれる文が文連続(文 脈・テキスト)のなかのどの位置にあるのか,文がおか れている諸条件,そして,前後の文脈との関係などの配 慮がきわめて重要であることを示唆しているといえる。  地の文の終止的な述語につかわれる「してしまう」と 中止的な述語につかわれる「してしまう」をしらべた結 果を比較すると,中止的な述語のほうが,補助動詞の「し まう」が本来もつ語い的な意味(おわりまでおこなう, 完了)がよりつよく残る。終止形の「してしまう」とほ かの形(中止形や条件形などその他)をとる「してしま う」,そして会話文につかわれる「してしまう」はそれ ぞれ異なるものとして位置づけられるようである。

【参考文献】

イー・イー・バス(1996)「段落の諸問題-文献の概観 と研究の見とおし」(『ことばの科学7』むぎ書房) 岩崎修(1988)「局面動詞の性格-局面動詞の役割分担」 (『武蔵大学人文会』20-1) 奥田靖雄(1985)『ことばの科学・序説』むぎ書房 奥田靖雄(1986)「条件づけを表現するつきそい・あわ せ文 -その体系性をめぐって-」(『教育国語87』む ぎ書房) 奥田靖雄(1997)「かたり小説のかたり手」(教育科学研 究会国語部会・小原集会講義プリント) 遠藤真由美(1993)『現代日本語の従属複文の研究 -「~ すると~」と「~したら~」を中心に-』(横浜国立 大学修士論文) 教科研東京国語部会・言語教育研究サークル(1963)『文 法教育 その内容と方法』(むぎ書房) 金田一春彦編(1976)『日本語動詞のアスペクト』(むぎ 書房) 呉幸栄(2005)「つきそい文の述語に「してしまう」が つかわれるあわせ文-「~してしまうと」を中心に-」 (『日本文学研究誌 第3輯』大東文化大学大学院文 学研究科日本文学専攻) 呉幸栄(2007)「小説の地の文につかわれる「してしまう」 文」(『国文学 解釈と鑑賞 1月号』至文堂) 迫田(呉)幸栄(2015) 「多義的な性格をもつ「してしま う」について」(全国大学国語国文学会 第111 回大会 資料集)

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迫田(呉)幸栄(2018)『現代日本語における分析的な 構造をもつ派生動詞 「してある」「しておく」「して しまう」について』(ひつじ書房) 鈴木重幸(1972)『日本語文法・形態論』(むぎ書房) 鈴木重幸(1996)『形態論・序説』(むぎ書房) 鈴木康之(1968)「文学作品のことば」(『教育国語 13号』  むぎ書房) 須田義治(2010)『現代日本語のアスペクト論』(ひつじ 書房) ジェラルド・プリンス(1991)『物語論辞典』(松柏社) 高橋太郎(1969)「すがたともくろみ」(『日本語動詞の アスペクト』むぎ書房) 比毛博(1989)「段落の構造」(『教育国語 98号』むぎ書房) 藤井由美(1992)「「してしまう」の意味」(『ことばの科 学4』むぎ書房) 新川忠(1982)「段落と文」(『教育国語 70号』むぎ書房) 新川忠(1997)「文の《前提》をめぐって」(『教育国語 2・ 26号』むぎ書房) 吉川武時(1973)「現代日本語動詞のアスペクトの研究」 (『日本語動詞のアスペクト』むぎ書房) 【例文採集対象作品について】  『CD-ROM版 新潮文庫の100冊』,同『明治の文豪』『大 正の文豪』『CD-ROM版 毎日新聞――天声人語・社説 (89~89)』『青空文庫』など。なお,例文の検索や整理 にあたり,日本語学研究会の外山善朗氏作のSICアプリ ケーションをつかっている。  なお,本稿は全国大学国語国文学会第111回大会(大 東文化大学)での口頭発表内容を土台として,当日,司 会の岡部嘉幸先生及び会場のみなさまにいただいた意 見・コメントをふまえたうえで,加筆修正を行いました。 ここに記して感謝の意を表します。

1 ごく一般的にイメージされる派生動詞とよばれる単 位のおおくは,1つの単語からなるのだが,本稿で とりあげる「してしまう」は,2単語による1単語 相当なものである。「してしまう」は,かたちの上 では2単語であるが,実際文の中において1単語と して機能する。そのほか,「してある」「しておく」「し てもらう」などもそれである。「している」(継続相) のばあいは,分析的なかたちをもつ「(形態論的な) 形」である。英語の例にすると,「go」の過去完了(法) は,「have」+「gone」のくみあわせによって,あ らわされる。 2 しかし,終止的な述語で継続相をとる「してしまう」 動詞の使用例は,数的にすくないうえ,かぎられた 「してしまう」動詞にしか継続相の使用が観察でき ない。そのおおくは,(だれかによる)具体的な動 作ではなく,状態の変化をあらわす「してしまう」 動詞である。たとえば,「違ってしまう・忘れてし まう・過ぎてしまう・消えてしまう・乾いてしまう・ 慣れてしまう・失ってしまう・・・」などである。 例)青山はさらに口ごもっていると,「言うとおり にせよ」¶信長は,頭の地を掻きながら,いら いらした声でいった。青山は怖れた。それ以上 抗弁すると,このたわけ殿は,とびかかってき て頸を絞めあげてくるかもしれない。「承知つ かまつってござりまする」¶と青山が平伏した ときは,信長の姿は奥に消えてしまっている。 「お濃,お濃」¶と廊下をよびながら歩き,濃 姫の部屋に入ると,「蝮から使いがきたぞ」¶ といった。¶濃姫は,多少不愉快だった。(司 馬遼太郎・国盗り物語) 3 ここでいう「すがた」とは,のちにアスペクトとよ ばれるようになるのだが,当時のすがたには,いく つかレベルのことなるアスペクト的な表現手段がふ くまれている。 4 「残念や不都合,期待外」を,藤井(1992,p.27)は まとめて,「話し手の感情・評価的な態度」とし,「し てしまう」を「モダリティーを構成するひとつのファ クターである」(同p.22)と位置づけている。 5 例文にくわえられている下線等について:主な分析 対象である「してしまう」がつかわれる文をゴシッ ク体にし,登場人物の具体的な動作をさししめす文 に実線を,登場人物の心情描写(登場人物のかんが えやおもい),背景描写(登場人物が存在する空間 にかんする描写)をさししめす文に波線を,登場人 物の発言に破線をそれぞれひくことにする。二重線 は「してしまう」があらわす動作をくわしくする修 飾語(主にし手の様子,動作の程度・量)につかう。 なお,行をあらためるかわりに,行頭一字さげの目 印として,「¶」をもちいる。 6 物語(小説)は,物語に設定されている時間的な流 れにそって,登場人物がアクチュアルにおこなう動 作や行動を描写する文(主に動詞述語文)とそれの 集まり(文連続)と,登場人物をとりまく状況,登 場人物にかかわる説明(登場人物の性格や特徴)や, 物語においておきた出来事の説明(背景描写)を内 容とする文とそれの集まりが入りまじった形で構築 される。「してしまう」の使用はそのいずれにもみ られるが,本稿は前者にしぼって紹介する。後者の 例文は以下のようなものである。 例)もし発病初期に体のだるさを感じたら,何より

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も先ず休養して栄養を摂ることが肝腎である。 無理を押して仕事をするものは,下手な植木屋 が移植した松の木のように,次第に気力を失っ て生命を断って行く。小畠村の隣村でもその隣 の村でも,被爆を免れたつもりで広島から至極 元気で帰郷して,一箇月か二箇月ぐらい根をつ めて働いていたものは,一週間か十日ぐらい床 について死んでしまった。発病が体の一局部に 現れると,この病気特有の痛みを感じ,肩や腰 の痛みも他の病気とは比較しがたい症状であ る。(井伏鱒二・黒い雨) 7 本稿では,「してしまう」が終止的な述語につかわ れている文のことを便宜的によんでおく。 8 問題とする文が実現=存在するための条件となる, その文をふくむ前後の文の連続(体)。「意味段落」 や「テキスト(テクスト)」。バス(1996),奥田(1984), 比毛(1989),バス(1996),新川(1982)を参照。 9 物語られる状況・事象が提示される際の知覚・認識 上の位置。(ジェラルド(1991) p.147) 10 注4でしめした下線等にくわえて,「~してしまう と,~。」の文の記述でとりあげる例文には「して しまう」がつかわれている「すると」節の部分に太 い実線をひく。 11 実際,描写されている武巣の一連の動作は,「…息 をはあはあして入って来ました。」の文と,つきそ い文の「…机の上に置いてしまうと」によってしか さししめされていないが,その間にはさまれた,説 明の文「……わなの標本を五つとも持って来た の です 。」によって,武巣の「武巣が校長室にある 標本を教室にもってくる」という活動が説明されて いる。そのため,えがかれていない,そのほかの武 巣の動作(たとえば,「標本をもつ」「廊下をあるく」 など)がよみ手にイメージされやすくなるのだとお もわれる。 12 奥田は,つきそい文の述語が「すると」のかたちを とるあわせ文「~すると,~。」を《契機的なつき そい・あわせ文》と名づけ,次のように規定してい る。「つきそい文が「すると」のかたちを述語にす る《契機的なつきそい・あわせ文》では,おおくの ばあい,継起的におこってくる,ふたつの,具体的な, 一回きりの動作がさしだされていて,その,ふたつ の動作のあいだには《きっかけ》のむすびつきがで きている。(中略)つきそい文にさしだされる動作 は,いいおわり文にさしだされる動作をひきおこす のではなく,さそいだしている。《きっかけ》は原 因とはちがって,うまれてくるのをたすける《産婆》 あるいは《ひきがね》のようなものである。」(奥田 (1986)p.11)。 13 たとえば,「~しておくと,~。」や「~してみる と,~。」のようなつきそい・あわせ文も,やはり つきそい文「~すると」の述語に,「しておく」や 「してみる」がつかわれているので,それぞれのつ きそい文といいおわり文のあいだの関係も,やはり 「「きっかけ」+なにか」,となるだろう。

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参照

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