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一九一〇年から一九三三年の『クリスチャン・センチュリー』誌にみる宗教間関係の再編 アメリカ・プロテスタント界の『宣教再考』論争

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はじめに

  ア メ リ カ 合 衆 国 ︵ 以 下 、 ア メ リ カ ︶ の 宗 教 史 に お い て 、 一 八 九 三 年 の シ カ ゴ 万 国 宗 教 会 議 は 一 つ の 転 換 点 と み な さ れてきた 。 諸宗教 ︵ プロテスタント 、 カトリック 、 ユダヤ教 、 仏教 、 儒教 、 ヒンドゥー教 、 イスラームなど ︶ の代 表者が集まって対話を試みたこの会議は 、 それまでプロテスタント至上主義的だったアメリカにおいて近代的な宗 論文要旨   アメリカにおいて二 〇 世紀前半は 、 移民排斥や神学的保守主義の台頭によってアジアの宗教への風当たりが厳しい 時代だったと言われる 。 しかし本稿では 、 非教派雑誌 ﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄ の分析を通して 、 当時のアメリカのプロ テスタント教養層が 、 変動するグローバルな情勢 ︵ 世俗主義の台頭や海外宣教の変容 ︶ を見極めながら宗教間の関係性をダイナ ミックに再定義していったことを指摘する 。 確かに一九一 〇 年代の同誌では 、 キリスト教の真理の包括性 ・ 優越性が自明視され ており 、 他宗教はキリスト教によって置換ないし根絶されるものだという考えが根強かった 。 しかしこの論調は一九三 〇 年代前 半 ま で に は 勢 い を 失 う 。 特 に 同 誌 が 、 他 宗 教 へ の 寛 容 さ で 知 ら れ る 報 告 書 ﹃ 宣 教 再 考 ﹄︵ 一 九 三 二 年 ︶ を 擁 護 す る 論 陣 を 張 っ た ことは極めて示唆に富む 。 これは同誌においてキリスト教の真理の優越性を擁護する熱意が衰え 、 宗教間対話 ・ 協力の模索が始 まったことを意味している 。 キーワード   アメリカ 、﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄、 アジアの諸宗教 、﹃ 宣教再考 ﹄

一九一

年から一九三三年の

クリスチャン

センチュリー

誌にみる

宗教間関係の再編

││ アメリカ ・ プロテスタント界の ﹃ 宣教再考 ﹄ 論争 ││

   

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教間友好の機運が芽生えたことを象徴している 。 アメリカ宗教史家たちは 、 この会議を世紀転換期のプロテスタン ト界におけるコスモポリタニズムの表出と捉え 、 その重要性を指摘してきた 。   しかし多くの史家たちが 、 この会議ののち約半世紀間にわたりアメリカのプロテスタント界において宗教間友好 の気風は停滞したと指摘してき た 1 。 すなわち一九世紀末に芽生えたコスモポリタニズムは 、 二 〇 世紀前半の保守主 義 ・ 排外主義に押されてあっさり衰退したというわけであ る 2 。 これは特にアメリカにおける仏教 、 儒教 、 ヒンドゥ ー 教 、 イ ス ラ ー ム な ど の ア ジ ア 系 の 宗 教 ︵ 以 下 、﹁ 他 宗 教 ﹂︶ へ の 処 遇 を 見 れ ば 明 ら か だ 3 。 第 一 に 社 会 的 に は 、 移 民 排 斥や戦時下の愛国主義的機運の中で 、 他宗教への偏見や排他的態度が強まった 。 すなわち史家トマス ・ ツイードと スティーヴン ・ プロセロが表現するように 、 この時期はアジア系の諸宗教にとって ﹁ 閉ざされた港 、 開かれた収容 所 ﹂ の時代だったのであ る 4 。 同様に 、 第二次大戦期の日系人強制収容に関するダンカン ・ ウィリアムズの最近の研 究も 、 単なる人種的異質性だけでなく 、 宗教的異質性 ︵ 仏教 ︶ こそが日系人差別を助長していたと結論づけてい る 5 。   第二に神学的に見ても 、 二 〇 世紀前半にはファンダメンタリズムや新正統主義が台頭し 、 従来の楽観的で人間中 心的なリベラル神学は批判に晒されていった 。 このような時代に 、 一八九三年の万国宗教会議が体現したような楽 観主義 ・ コスモポリタニズムが伸びるはずがない 。 事実 、 二 〇 世紀前半のアメリカでは目立った宗教間対話は行わ れなかっ た 6 。 同様に 、 一九世紀末のリベラル神学の産物である比較宗教学も 、 二 〇 世紀前半の保守的風潮の中で伸 び悩んだと言われる 。 公平で客観的な方法による宗教へのアプローチは 、 新正統主義 、 経済恐慌 、 二度の大戦とい う暗い時代のアメリカでは需要が少なかったのであ る 7 。   こうした状況が変化するのは 、 ようやく一九六 〇 年代以降のことだったと言われる 。 この時代 、 移民法改正 、 冷

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戦 、 多文化主義などの要因が重なり 、 アメリカにおいて宗教間対話 ・ 協力や比較宗教学が飛躍的な発展を遂げるこ ととなる 。 一九世紀末に芽生えかけた宗教間の友好感情は 、 半世紀にわたる停滞期を経たのち 、 再び蘇ったという わけである 。   このような先行研究の見解に対して 、 本稿では一九一 〇 ∼ 三 〇 年代のアメリカのプロテスタント ︵ 中道 ∼ リベラ ル派 ︶ の他宗教観の再吟味を試みる 。 特に着目するのは 、 二 〇 世紀前半のトランスナショナルな文脈である 。 プロ テスタント海外宣教に関する先行研究が既に指摘してきた通り 、 この時代には一部の宣教師たちが他宗教に対して より寛容な態度を取るようになっていた 。 例えば史家グラント ・ ワッカーは 、 一九世紀末から二 〇 世紀前半にかけ ての宣教師の他宗教論の変遷過程を 、 次のような四段階で説明する 。 すなわち 、 ①唯一絶対の真理であるキリスト 教が他宗教の打倒を目指す ﹁ 征服 ﹂ モデル 、 ②他宗教にも一定の真理が含まれることを認めつつ 、 キリスト教が神 の愛や罪の赦しなどの究極の真理によって他宗教を満たしていく ﹁ 成就 ﹂ モデル 、 ③宗教間の相互学習を促し 、 他 宗教の教義 ・ 慣習を尊重する ﹁ 協調 ﹂ モデル 、 ④諸宗教が互いに助け合い 、 各々の真理を追求していくという ﹁ 多 元主義 ﹂ モデル 、 という四段階であ る 8 。 同様に 、 ウィリアム ・ ハッチソン 、 シー ・ リアン 、 デイヴィッド ・ ホリン ガーら歴史家たちも 、 この時代の海外宣教師たちの他宗教観が寛容になりつつあったことを指摘してい る 9 。   しかしこれらの先行研究の問題点として 、 海外宣教界における少数の指導者 ・ 理論家の言説のみへの着眼が挙げ られる 。 それではこれらの言説は 、 同時期のアメリカ国内の人々の他宗教観とどの程度呼応していたのか 。 特に本 稿では 、 当時のアメリカ国内のプロテスタント教養層の言説空間において 、 いかなる他宗教観が実際に支配的だっ たのかを問う 。

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方法

﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄ への着眼   この問題を解決すべく 、 本稿では 、 雑誌 ﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄ を分析の対象とする 。 一八八四年刊行 の ﹃ クリスチャン ・ オラクル ﹄ を前身とする同誌は 、 元々は一教派雑誌にすぎなかったが 、 二 〇 世紀前半を通して 敏腕編集者チャールズ ・ クレイトン ・ モリソンの下 、 非教派の雑誌として無類の成功を遂げていく 。 特に一九二 〇 年 代 以 降 は 、 他 の 宗 教 系 雑 誌 が 不 況 な ど で 没 落 し て い く 中 で 、﹃ ク リ ス チ ャ ン ・ セ ン チ ュ リ ー ﹄ が 一 人 勝 ち し て い き 、 アメリカのプロテスタント ・ エスタブリッシュメントの代名詞的なメディアに上り詰めたと言われる 。 史家デ ニス ・ ヴォスクイルは次のように指摘する 。 モ リ ソ ン は 、 こ の デ ィ サ イ プ ル 派 の 革 新 派 の 小 さ な 機 関 誌 を 、 広 範 囲 に わ た る 非 教 派 的 で リ ベ ラ ル な 雑 誌 ︹ ⋮ ︺ へ と 徐 々 に 変 え て い っ た 。 モ リ ソ ン が 編 集 を 指 揮 し た 三 九 年 間 ︹ 一 九 〇 八 ∼ 四 七 年 ︺ を 通 し て ﹃ セ ン チ ュ リ ー ﹄ は プロテスタント 0 0 0 0 0 0 0 ・ エスタブリッシュメントの解釈的スタンダードそのもの 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 とみなされるようになったのであ る 。 さらにヴォスクイルは次のように述べる 。 ﹃ セ ン チ ュ リ ー ﹄ は 公 共 図 書 館 や 大 学 図 書 館 の 棚 に 置 か れ 、 宗 教 関 連 の 出 来 事 や 運 動 に つ い て の エ ス タ ブ リ ッ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 シュメント的な解釈 0 0 0 0 0 0 0 0 0 を提供した 。 研究者たちは常に ﹃ センチュリー ﹄ をオピニオン ・ メーカーとして頼みにし たのである 。 このようにして ﹃ センチュリー ﹄ は アメリカの宗教的自己理解を方向づけ続けた 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 。 A ︵ 傍点は引用者 ︶

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まさにこのような評判 ・ 代表性こそが 、 本稿が同誌を扱う最大の理由である 。 先述の通り 、 二 〇 世紀前半の少数の 宣教理論家の他宗教観を調べた先行研究はあるが 、 当時のアメリカ国内のプロテスタント界で実際に支配的だった 他 宗 教 観 に つ い て の 研 究 は 不 足 し て い る 。﹃ ク リ ス チ ャ ン ・ セ ン チ ュ リ ー ﹄ の 分 析 は 、 こ の 問 題 の 打 開 に 貢 献 す る だろ う B 。 もっとも 、 エレシャ ・ コフマンの最近の研究が示す通り 、 二 〇 世紀前半の同誌の読者の多くは高等教育を 受けた白人 ・ 男性 ・ 聖職者だっ た C 。 従って本稿が明らかにする他宗教言説は 、 一般大衆というよりはむしろ教養層 のそれであるということを予め断っておく 。 ﹃ 宣教再考 ﹄ への着眼   同 誌 上 の 他 宗 教 論 を 明 ら か に す べ く 本 稿 が 着 目 す る の は 、 同 誌 が 一 九 三 二 年 刊 行 の ﹃ 宣 教 再 考 ﹄ ︶ を ど の よ う に 論 評 し た か で あ る 。﹃ 宣 教 再 考 ﹄ と は 、 プ ロ テ ス タントの主流七教派の平信徒らが著した海外宣教に関する調査報告書だ 。 出資者は 、 教義の押し付けよりも人道的 支援に比重を置いた宣教の必要性を訴えていたジョン ・ D ・ ロックフェラー ・ ジュニアであっ た D 。 また調査団の団 長 に は 、﹃ 人 間 の 経 験 に お け る 神 の 意 味 ﹄ や ﹃ 生 き た 諸 宗 教 と 世 界 信 仰 ﹄ な ど の 著 者 で 、 キ リ ス ト 教 の 唯 一 絶 対 性 に懐疑的見解を持っていたハーバード大学の哲学教授ウィリアム ・ アーネスト ・ ホッキングが任命され た E 。 調査団 は 、 今日の海外宣教事業が ﹁ 時代の変化 ﹂ によって挑戦を受けているという認識に基づき 、 徹底的なデータ収集 ・ 分 析 を 通 し て 、﹁ 宣 教 は 今 後 も 継 続 さ れ る べ き か 。 ま た も し そ う だ と す れ ば 、 宣 教 に は 大 き な 修 正 が 必 要 か 、 小 さ な修正が必要か 、 それとも修正は不要か ﹂ を判断することを目指し た F 。 彼らはインド 、 ビルマ 、 日本 、 中国を訪問 し 、 宣教の諸側面 ︵ 教育 ・ 医療 ・ 農業 ・ 女性 ・ 宣教師の養成方法など ︶ の現状を調べた上で 、 それに対する改革案

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を提示したのである 。   本 稿 の 関 心 か ら 言 え ば 最 も 重 要 な の は 、﹃ 宣 教 再 考 ﹄ が 提 示 し た 極 め て 好 意 的 な 他 宗 教 観 で あ る 。 ま ず 指 摘 す べ き は 、﹃ 宣 教 再 考 ﹄ が こ だ わ る 諸 宗 教 の 連 帯 0 0 0 0 0 0 と い う 図 式 で あ る 。 そ の 背 景 に は 、 当 時 の 無 宗 教 ・ 世 俗 主 義 の 拡 張 に 対する危機感があった 。 今キリスト教は 、 あらゆる宗教に批判的ないし敵意をもった人々の増加 ︹⋮︺ に直面している 。 我々の判断す るところでは 、 キリスト教のさらなる論争の相手は 、 イスラームやヒンドゥー教や仏教というよりむしろ 物質 0 0 主 義 0 0 、 世 俗 主 義 0 0 0 0 、 自 然 主 義 0 0 0 0 な の で あ る 。 こ の 無 宗 教 0 0 0 と い う 第 三 の 要 素 の 拡 張 が 、 他 の 二 者 の 関 係 を 変 化 さ せ る 。 すなわち キリスト教とそれを取り巻く諸宗教は 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 、 同じ瞬間に 0 0 0 0 0 、 世俗的な精神の拡大という同じ危機に直面して 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 い る 0 0 の だ 。 か つ て の 敵 同 士 が 、 共 通 の 課 題 に よ っ て こ れ ほ ど ま で 結 び つ け ら れ る に 至 っ た の で あ る G 。 ︵ 傍 点 は 引 用者 ︶ 提示されている図式は明瞭である 。 従来キリスト教と他宗教はいがみ合ってきたが 、 世俗主義という共通の敵が現 れた今となっては 、 宗教同士はむしろ仲間だというわけだ 。   ﹃ 宣 教 再 考 ﹄ は 、﹁ 真 理 ﹂ の 次 元 に お い て も 諸 宗 教 は 連 携 す べ き だ と 述 べ る 。 す な わ ち 諸 宗 教 は 、 互 い に 学 び 合 い 、 共に真理を探究するパートナーとして規定されている 。 この点に関する ﹃ 宣教再考 ﹄ の表現は曖昧で具体性に 欠けるが 、 次のような箇所は注目に値する 。 ︹ キリスト教徒は 、︺ これらの諸宗教の破壊ではなく 、 それらがキリスト教と継続的に 共存 0 0 していくこと 、 そし て 最 も 完 全 な 宗 教 的 真 理 に お け る 統 合 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ︵ unity in the completest religious truth ︶ と い う 究 極 の 目 的 に 向 か っ て 互

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いに刺激し合い 、 成長していくことを望むべきであ る H 。 ︵ 傍点は引用者 ︶ さらに以下のような文言も見られる 。 宗 教 間 の 関 係 性 は 、 今 後 は ま す ま す 、 真 理 へ の 共 同 の 探 求 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ︵

a common search for truth

︶ と い う 形 を 取 ら な け れ ば ならな い I 。 ︵ 傍点は引用者 ︶ これらの箇所において 、 従来の宣教の前提だったはずのキリスト教の真理の絶対的優位性が大幅に譲歩されている と 言 え る 。﹃ 宣 教 再 考 ﹄ は 、 キ リ ス ト 教 が 他 宗 教 に 対 し て 一 方 的 に 真 理 を 伝 達 す る と い う 考 え 方 を 否 定 し て い る 。 む し ろ 諸 宗 教 は 、 真 理 に 向 か っ て ﹁ 共 同 の 探 求 ﹂ を 行 い 、﹁ 最 も 完 全 な 宗 教 的 真 理 ﹂ へ と 突 き 進 む べ き だ と さ れ て いるのである 。   し か し 先 行 研 究 の 指 摘 に よ れ ば 、﹃ 宣 教 再 考 ﹄ の 開 放 的 な 他 宗 教 観 は 、 す ぐ に 諸 宣 教 団 体 か ら の 批 判 に 晒 さ れ て い く 。 史 家 ハ ッ チ ソ ン と リ ア ン に よ れ ば 、 主 要 な 各 プ ロ テ ス タ ン ト 教 派 の 宣 教 委 員 会 は 口 を 揃 え て 、﹃ 宣 教 再 考 ﹄ がキリストにおける啓示の特殊性を過小評価していることを批判し 、 伝統的な宣教理念を保つことの重要性を表明 し た J 。 同様に史家ワッカーも ﹃ 宣教再考 ﹄ の不評ぶりを指摘し 、 その他宗教観を支持したのは ﹁ ほんの一握りの 、 神学的にラディカルな宣教理論家 ︵ シカゴ大学神学部のアーチボルド ・ G ・ ベイカーなど ︶ と 、 幻滅した宣教師た ち自身 ︵ パール ・ バックなど ︶﹂ だけだったと述べ る K 。   他 方 先 行 研 究 は 、﹃ 宣 教 再 考 ﹄ の ア メ リ カ 国 内 0 0 に お け る 受 容 史 を 明 ら か に し て い な い 。 本 稿 が 取 り 組 む の は ま さ に こ の 問 題 で あ る 。﹃ 宣 教 再 考 ﹄ と い う 他 宗 教 に 好 意 的 な 報 告 書 は 、 果 た し て 国 内 の プ ロ テ ス タ ン ト 教 養 層 の 間 で どのように評価されたのか 。 これを調べることで 、 当時のアメリカで宗教間友好の意識がどの程度発達していたか

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が 浮 き 彫 り に な る だ ろ う 。 だ か ら こ そ 本 稿 で は 、 主 流 派 プ ロ テ ス タ ン ト 教 養 層 の 代 名 詞 と も 言 え る ﹃ ク リ ス チ ャ ン ・ センチュリー ﹄ における ﹃ 宣教再考 ﹄ 表象を調べるのである 。

一九一〇年代の

クリスチャン

センチュリー

上の他宗教観

  本稿の主眼は ﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄ 上の ﹃ 宣教再考 ﹄ 表象だが 、 それに先立ちまずは一九一 〇 年代の 同 誌 上 の 他 宗 教 観 を 見 て お き た い 。 一 九 一 〇 年 代 は 、﹁ こ の 世 代 で 世 界 の 福 音 宣 教 を ﹂ を ス ロ ー ガ ン に 掲 げ た エ デ ィ ン バ ラ 世 界 宣 教 会 議 ︵ 一 九 一 〇 年 ︶ に 始 ま る 、 英 米 圏 の 宣 教 熱 の ピ ー ク と も 言 え る 時 期 で あ り 、 そ の 結 果 キ リ ス ト 教 と 他 宗 教 の 関 係 に つ い て も 多 く の 議 論 が 展 開 さ れ た 。 実 際 、﹃ ク リ ス チ ャ ン ・ セ ン チ ュ リ ー ﹄ に も そ の よ う な 記 事が数多く見られる 。 これらを後で一九三 〇 年代の ﹃ 宣教再考 ﹄ 表象と比較することで 、 同誌における他宗教論の 変遷が浮き彫りになるだろう 。 以下本節では 、 一九一 〇 年代の同誌上の他宗教論の特徴を二つ指摘する 。 1   ︿ 真理レベル ﹀  包括主義   第一に 、 一九一 〇 年代の ﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄ では 、 真理 0 0 ・ 教義のレベルでの 0 0 0 0 0 0 0 0 キリスト教優越主義が 極めて明瞭に表れている 。 特に支配的なのは 、 他宗教が真理を 部分的に 0 0 0 0 のみ保有しているのに対し 、 キリスト教は あらゆる真理を 包括的に 0 0 0 0 保有しているという考え方である 。 本稿ではこれを包括主義 ︵ inclusivism ︶ と呼びた い L 。   こ の よ う な 考 え 方 が 表 れ た 記 事 は 枚 挙 に い と ま が な い 。 例 え ば ロ バ ー ト ・ E ・ ス ピ ア ー の 記 事 ﹁ 至 高 の 宗 教 ﹂ ︵ 一 九 一 九 年 ︶ は そ の 典 型 で あ る M 。 ま ず ス ピ ア ー は 、 他 宗 教 は 何 ら か の 真 理 を 保 有 し て い る が 、 他 の 重 要 な 真 理 を 欠 いていると述べる 。 例えばヒンドゥー教は ﹁ 神の内在性 ﹂ という観念を持っているが 、 神の聖性という観念を欠い

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ている 。 仏教は ﹁ 現世のはかなさ ﹂ を説く点で正しいが 、 人間が永遠の魂を持っているということを見落としてい る 。 そして儒教には ﹁ 人間社会の ︹⋮︺ 厳粛な尊さ ﹂ という美徳があるが 、 神との交わりという観念が欠けている 。 そしてスピアーは 、 このように一長一短な諸宗教と異なり 、 キリスト教だけはあらゆる真理をバランスよく網羅し て い る と 主 張 す る 。﹁ 他 宗 教 に 含 ま れ る あ ら ゆ る 偉 大 な 真 理 が 、 キ リ ス ト 教 に お い て よ り 純 粋 か つ 豊 か な 形 で 見 ら れ る ﹂。 す な わ ち ス ピ ア ー は 、 他 宗 教 の 真 理 の 断 片 性 と 、 キ リ ス ト 教 の 真 理 の 包 括 性 を 対 置 す る こ と で 、 キ リ ス ト 教の優越性を擁護しているのである 。   同 様 に 、 一 九 一 七 年 に 掲 載 さ れ た 社 説 ﹁ 宣 教 に つ い て の 近 代 的 弁 明 ﹂ も 、 包 括 主 義 の 立 場 を 取 っ て い る N 。 筆 者 は 、 儒教やヒンドゥー教の長所 ・ 真理を認めつつ 、 キリスト教だけがあらゆる真理を十全に包括した宗教だと主張 する 。 そしてその根拠を 、 キリスト教がこれまでに様々な土地 ・ 人々から真理を吸収してきたという ﹁ 歴史 ﹂ に見 出 す 。﹁ 我 々 は 、 あ ら ゆ る 宗 教 の 最 高 の 側 面 が 、 キ リ ス ト 教 の 中 に 見 出 さ れ る と い う こ と を 断 言 し て よ い だ ろ う 。 キリスト教はその素晴らしい歴史を通して 、 たくさんの土地で 、 たくさんの人々から 、 真理をかき集めてきたので あ る ﹂。 つ ま り こ の 社 説 の 筆 者 は 、 キ リ ス ト 教 を 諸 宗 教 の 真 理 の 総 和 と し て 描 く こ と で 、 キ リ ス ト 教 の 包 括 性 ・ 卓 越性を主張していると言える 。   一 九 一 〇 年 代 の ﹃ ク リ ス チ ャ ン ・ セ ン チ ュ リ ー ﹄ に 見 ら れ る こ の よ う な 包 括 主 義 は 、 決 し て 新 し い 思 想 で は な い 。 この思想は 、 既に一九世紀末の神学界で普及しつつあったものだ 。 すなわち一八七 〇 ∼ 九 〇 年代のリベラルな 牧師や比較神学者らは 、 他宗教は全くの誤謬だという従来の発想を捨て 、 他宗教が一定の真理を持つことを認めた 上でキリスト教の真理の包括性 ・ 優越性を擁護したのであっ た O 。 ユニテリアン神学者ジェームズ ・ フリーマン ・ ク

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ラ ー ク の ﹃ 一 〇 の 偉 大 な 宗 教 ﹄ ︵ 一 八 七 一 年 ︶ や 、 万 国 宗 教 会 議 ︵ 一 八 九 三 年 ︶ に お け る ジ ョ ン ・ ヘ ン リ ー ・ バ ロ ウ ズ の思想はその典型である 。 一九一 〇 年代の ﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄ の包括主義は 、 これらの流れを汲むも のと考えられる 。 2   ︿ 実践レベル ﹀  宗教間の友好 ・ 協力という発想の欠如   一九一 〇 年代の同誌の第二の特徴として 、 実践レベルでの 0 0 0 0 0 0 0 宗教間の友好 ・ 協力という発想の 欠如 0 0 が指摘できる 。 これは 、 一八九三年の万国宗教会議で芽生えた宗教間の結束という構想が 、 早くも一九一 〇 年代には忘れ去られて いたということを示している 。   そもそも一九一 〇 年代の同誌の論説の多くが 、 他宗教とは滅びゆくものである 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 という前提に基づいていることに 注目したい 。 前出のスピアーの別の論考 ﹁ 力不足な諸宗教 ﹂ ︵ 一九一四年 ︶ はその好例 だ P 。﹁ 今日 、 キリスト教以外の 偉 大 な 諸 宗 教 が ︹ ⋮︺ 自 ら の 力 不 足 0 0 0 を 告 白 し て い る 。︹ ⋮︺ 私 は キ リ ス ト 教 以 外 の 偉 大 な 諸 宗 教 が 死 に 絶 え る 0 0 0 0 0 の を 見てきた 。 私は朝鮮で儒教が倒されるのを見た 。 私は日本で神道が公然と宗教の地位から単なる宮廷作法の規定へ と 降 格 す る の を 見 た ﹂ ︵ 傍 点 は 引 用 者 ︶ 。 同 様 の 見 解 は 、 ジ ェ ー ム ズ ・ M ・ キ ャ ン ベ ル の 寄 稿 記 事 ﹁ キ リ ス ト 教 、 進 歩 す る 宗 教 ﹂ ︵ 一 九 一 四 年 ︶ に も 見 ら れ る Q 。 彼 に よ れ ば ﹁ 東 洋 の 諸 宗 教 は 停 滞 0 0 し 、 静 止 0 0 し て い る 。 そ れ ら は 発 達 停 止 0 0 0 0 を 患 っ て お り 、 死 ん で い る 0 0 0 0 0 、 あ る い は 死 に つ つ あ る 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ︵ eit her dead or d yin g 。 世 界 の 諸 宗 教 の 中 で キ リ ス ト 教 だ け が 進 歩 し 続 け る 。 キ リ ス ト 教 は そ の 内 に 永 遠 の 若 さ の 炎 の よ う な も の を 持 っ て い る の だ ﹂ ︵ 傍 点 は 引 用 者 ︶ 。 つ ま り こ れ ら の論者たちは 、 キリスト教と他宗教の協力 ・ 対話の可能性など微塵も考えておらず 、 そもそも他宗教が今後も 存続 0 0 していくかどうかさえ疑っているのである 。

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  このような他宗教の停滞 ・ 衰亡というテーマは 、 当然キリスト教の拡大願望と結びついている 。 つまり彼らが描 いているのは 、 キリスト教が他宗教を除去ないし置換していくという展望に他ならない 。 メソジストの J ・ W ・ バ ッ シ ュ フ ォ ー ド の 寄 稿 記 事 ︵ 一 九 一 六 年 ︶ は そ の 好 例 だ R 。 ま ず 彼 の 宗 教 論 の 根 幹 に あ る の は 、﹁ 最 適 者 と は 人 間 に 最 も資するものである ﹂ という前提だ 。 例えばイスラームは近代科学の軽視や有無を言わさぬ予定論ゆえに 、 信者の 生活に十分資する宗教とは言えず 、 従って ﹁ 消滅する運命にある ﹂。 他方キリスト教は ﹁ 父なる神 、 人間の同胞性 、 キリストを通した罪への対処 、 内在的な聖霊 、 愛の律法 、 天国の希望 ﹂ を兼ね備えており 、 他のあらゆる宗教より もその信者に対して有益な宗教である 。 ゆえにキリスト教は ﹁ あらゆる異教に取って代わる ︵ supplant ︶ であろう ﹂、 というのがバッシュフォードの見解である 。 この他にも 、 一九一 〇 年代の同誌の多くの記事が ︵ 論理や根拠は様々 だが ︶ 他宗教の衰退とキリスト教の拡大というテーマを結びつけてい る S 。   まとめると 、 一九一 〇 年代の ﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄ の論説は 、 他宗教を ﹁ 力不足 ﹂ で ﹁ 死んでいる 、 あるいは死につつある ﹂ ものとみなし 、 それらがやがてキリスト教によって根絶ないし置換されていくと考える傾 向にあった 。 このような見方が支配的であるがゆえに 、 宗教間の友好 ・ 協力という構想は皆無に等しいのである 。   無論 、 当時の全ての記事が他宗教の衰退を確信していたわけではない 。 一部の記者 ・ 寄稿者は 、 アジア各地の他 宗教において再活性化 ・ 改革運動が起こりつつあることに気付いていた 。 しかし管見の限りでは 、 一九一 〇 年代の 時点では 、 このような記者 ・ 寄稿者たちでさえ 、 キリスト教がそれらの他宗教と何らかの積極的な関係 ︵ 対話や協 力 ︶ を取り結ぶ必要性までは思い至っていない 。 例えばあるニュース記事は 、 日本の仏教の活性化の例として 、 僧 侶の知的訓練の実態を指摘してい る T 。 すなわち僧侶の子弟たちは今や仏教系の機関のみならず帝国大学でも学ぶよ

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うになり 、 哲学 ・ 心理学などの分野の ﹁ 最高級の ﹂ 訓練を受けているという 。 しかしこうした仏教界の知的活性化 に 対 す る 、 こ の 記 事 の 筆 者 の 態 度 は 冷 や や か だ 。﹁ こ れ ら の 事 実 か ら 、 東 洋 は 一 日 で は 仏 教 か ら キ リ ス ト 教 に 向 き を変えなさそうだということが分かるだろう 。 仏教は ︹ キリスト教と ︺ 競い合うだろう 、 そしてこの闘争 ︵ struggle ︶ は 長 引 く で あ ろ う ﹂。 す な わ ち 活 性 化 し つ つ あ る 仏 教 徒 の 存 在 は 、 キ リ ス ト 教 に と っ て は 障 壁 0 0 以 外 の 何 物 で も な い のである 。 ここで想定されている宗教間の関係はあくまでも ﹁ 闘争 ﹂ なのであり 、 決して対話や協力ではないので ある 。 小結   本節では 、 一九一 〇 年代の ﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄ における他宗教論の特徴を二つ指摘した 。 第一に 、 真理 ・ 教義のレベルでは包括主義思想が支配的である 。 それは他宗教の真理の断片性に対して 、 キリスト教の真理 の包括性 ・ 優越性を主張するというものであった 。 第二に当時の同誌では 、 実際問題として他宗教は停滞し 、 消滅 寸前の状態にあるとされ 、 キリスト教がそれらを根絶ないし置換していくべきだという発想が色濃い 。 それゆえ実 践的なレベルでの宗教間協力や対話を求める機運は皆無に等しいのである 。

一九三〇年代の

クリスチャン

センチュリー

上の他宗教観

  続いて一九三 〇 年代の同誌上の他宗教観を見ていく 。 特に同誌は一九三二年の ﹃ 宣教再考 ﹄ に対していかなる反 応を示したのか 。 先述の通り ﹃ 宣教再考 ﹄ は 、 諸宗教が世俗主義という共通の敵に対抗する仲間であること 、 さら には諸宗教が協力して真理を探求することの必要性を説くものであった 。 ゆえに ﹃ 宣教再考 ﹄ の内容は 、 前節で論

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じたような一九一 〇 年代の ﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄ の立場から見れば異端的であり 、 受け入れ難いもので あったはずだ 。 しかし結論から言えば 、 一九三 〇 年代の同誌は 、 むしろ ﹃ 宣教再考 ﹄ を肯定的に論評していくこと となる 。 まさにこの点に 、 同誌における他宗教論の変化が見出されるのである 。 以下 、 同誌の ﹃ 宣教再考 ﹄ への反 応について二点指摘する 。 1   ︿ 真理レベル ﹀  キリスト教の優越性を擁護することへの無関心さ   ま ず 指 摘 す べ き は 、 同 誌 に お け る 、 キ リ ス ト 教 の 優 越 性 を 擁 護 す る こ と へ の 関 心 の 薄 れ 0 0 0 0 0 で あ る 。 諸 宣 教 団 体 が ﹃ 宣教再考 ﹄ の他宗教観を厳しく批判したのとは対照的に 、﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄ はそれについて明確な 批判をしないことを選んだのである 。   明 ら か に ﹃ ク リ ス チ ャ ン ・ セ ン チ ュ リ ー ﹄ の 編 集 者 ・ 通 信 員 た ち は 、﹃ 宣 教 再 考 ﹄ の 他 宗 教 論 が 伝 統 的 な 宣 教 思 想から離反しているということ自体には気付いている 。 それは同誌が 、 諸宣教団体や国内の保守派による ﹃ 宣教再 考 ﹄ 批判の動向を逐一報道していることからも分かる 。 例えば一九三二年一二月一四日の同誌の社説は 、 長老派海 外宣教委員会が ﹃ 宣教再考 ﹄ の神学的立場を否定し 、 従来の福音主義的な信条を再確認したことを報じてい る U 。 同 委員会によれば 、 宣教師は ﹁ 唯一の主であり救世主としてのイエス ・ キリスト ﹂ を説くべきであり 、 また教育 ・ 医 療を含めいかなる活動に従事する宣教師も ﹁ 行動および言葉の両方で福音を伝える ﹂ べきなのであった 。 またこの 社説は 、 長老派の総会がやはり ﹃ 宣教再考 ﹄ の他宗教観を批判していることを報じている 。 彼らを特に苛立たせた の は ﹃ 宣 教 再 考 ﹄ 中 の ﹁︹ 東 洋 の 諸 宗 教 が ︺ キ リ ス ト 教 と 継 続 的 に 共 存 し て い く こ と 、 そ し て 最 も 完 全 な 宗 教 的 真 理における統合という究極の目的に向かって互いに刺激し合い 、 成長していくこと ﹂ という文言であったと 、 この

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社 説 の 筆 者 は 指 摘 す る 。 こ う し た 報 道 か ら 、﹃ ク リ ス チ ャ ン ・ セ ン チ ュ リ ー ﹄ の 編 集 者 ・ 通 信 員 た ち は 、﹃ 宣 教 再 考 ﹄ の神学的立場 ︵ キリスト教の真理の優越性の譲歩 ︶ のセンセーショナルさを十分に自覚していたと考えられる 。   と こ ろ が ﹃ ク リ ス チ ャ ン ・ セ ン チ ュ リ ー ﹄ 自 体 は 、﹃ 宣 教 再 考 ﹄ の 他 宗 教 論 を 非 難 す る 声 明 ・ 社 説 を 一 切 出 そ う と し な い 。 む し ろ 一 九 三 二 ∼ 三 三 年 の 同 誌 の 大 半 の 論 説 が 、﹃ 宣 教 再 考 ﹄ の 開 放 的 な 他 宗 教 観 を 黙 認 な い し 容 認 す るような立場を取っている 。 一九三二年一 〇 月一九日の社説 ﹁ あらゆる宗教は共通の闘争における同志である ﹂ は その好例 だ V 。 これは ﹃ 宣教再考 ﹄ について論じた最初期の記事である 。 同記事は ﹃ 宣教再考 ﹄ 中の ﹁ キリスト教と 他 宗 教 は 互 い に 学 び 合 う ﹂、 ﹁ 真 理 へ の 共 同 の 探 求 ﹂、 ﹁ 最 も 完 全 な 真 理 に お け る 統 合 と い う 究 極 の 目 的 に 向 か っ て ︹ 諸宗教が ︺ 互いに刺激し合い 、 成長していくこと ﹂ などの箇所を引用しながら 、﹃ 宣教再考 ﹄ の大胆な他宗教論を 紹 介 す る 。 そ れ で は 、 こ の 社 説 の 執 筆 者 自 身 の 意 見 は ど う か 。 実 の と こ ろ 執 筆 者 は 、﹃ 宣 教 再 考 ﹄ の こ れ ら の 革 新 的な主張をはっきりと称賛しているわけではない 。 しかしむしろ注目すべきは 、 この執筆者が ﹃ 宣教再考 ﹄ の他宗 教観を 全く批判していない 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ということの方である 。 通常 、 同誌の社説は事実に関する客観的記述にとどまらず 、 規 範的な論評の形をとることが多い 。 従って 、 もしこの社説の執筆者が ﹃ 宣教再考 ﹄ の他宗教観を不適切と考えてい たならば 、 はっきりとそのように述べていたはずである 。 つまりこの場合 、 批判の欠如 0 0 0 0 0 は 、 黙認 0 0 ・ 容認 0 0 を意味して いると考えてよい 。 また同社説の見出し ﹁ あらゆる宗教は共通の闘争における同志である ﹂ からも 、 社説執筆者が ﹃ 宣教再考 ﹄ の提唱する宗教間関係をそのまま支持していることが窺える 。   同誌における ﹃ 宣教再考 ﹄ への 批判の欠如 0 0 0 0 0 は極めて重要な意味を持つ 。 なぜなら ﹃ 宣教再考 ﹄ の神学は 、 先に述 べ た 一 九 一 〇 年 代 の ﹃ ク リ ス チ ャ ン ・ セ ン チ ュ リ ー ﹄ 上 の 他 宗 教 論 ︵ 包 括 主 義 ︶ か ら 見 れ ば 明 ら か に 逸 脱 し て お

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り 、 批判して然るべき内容であるからだ 。 つまり一九三 〇 年代の同誌が ﹃ 宣教再考 ﹄ を批判しなかったことは 、 わ ずか二 〇 年ほどの間に同誌において キリスト教の優越性を擁護することへの関心が薄れた 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ことを示している 。   同誌におけるキリスト教の優越性へのこだわりの低下を示すもう一つの例として 、 同誌の編集者と E ・ スタンレ ー ・ ジ ョ ー ン ズ が 交 わ し た 論 争 が 挙 げ ら れ る 。 著 名 な メ ソ ジ ス ト 宣 教 師 の ジ ョ ー ン ズ は 、 同 誌 に 寄 せ た 論 考 ︵ 一 九 三 三 年 ︶ の 中 で 、﹃ 宣 教 再 考 ﹄ の 他 宗 教 観 は 悪 し き ﹁ シ ン ク レ テ ィ ズ ム ﹂ に 陥 っ て い る と 批 判 す る W 。 そ し て ジ ョ ー ン ズは 、 シンクレティズムはキリスト教の固有なメッセージや目的をうやむやにし 、 結果的に宣教が成り立たなくな っ て し ま う と 警 鐘 を 鳴 ら す 。 む し ろ キ リ ス ト 教 は 、 他 宗 教 の ﹁ 成 就 ﹂ ︵ fulfilment ︶ を 目 指 す べ き だ と 彼 は 言 う 。 ジ ョ ー ン ズ に よ れ ば ﹁ 成 就 ﹂ と い う 考 え 方 は 、﹁ 我 々 に 、 あ ら ゆ る 宗 教 の あ ら ゆ る 良 い 点 や 真 な る 点 に 対 す る 共 感 の 態度をもたらすと同時に 、 一つの特有のメッセージを最終的にもたらす 。 それはすなわち 、 キリストが全てを成就 し 、 さ ら に 彼 自 身 を 万 人 の 求 め に 対 す る 応 答 と し て 示 し て く れ る と い う こ と だ X ﹂。 こ の 文 章 は 幾 分 曖 昧 だ が 、 こ こ で彼の言う ﹁ 成就 ﹂ とは 、 実質的には 、 キリスト教が他宗教を ︵ その長所は包摂しつつ ︶ 除去していくということ を意味する 。 実際 、 別の記事で彼は 、 キリスト教が 、 ヒンドゥー教やその他の宗教の長所 ・ 真理を受け入れながら も 、 最 終 的 に は そ れ ら の 他 宗 教 の ﹁ 置 換 ﹂ ︵ dis pla ce men t を 目 指 す べ き だ と 明 言 す る Y 。 つ ま り ジ ョ ー ン ズ は 、 キ リ スト教の真理の優越性 ・ 包括性を擁護する立場から 、﹃ 宣教再考 ﹄ の妥協的態度を批判していると言え る Z 。   このような包括主義は 、 先に論じた通り 一九一 〇 年代 0 0 0 0 0 0 の ﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄ では支配的だった考え 方だ 。 しかし興味深いことに 一九三 〇 年代前半 0 0 0 0 0 0 0 0 の同誌全体の中で見ると 、 ジョーンズは明らかに 孤立 0 0 している 。 例 えば同誌の編集者たちが書いた一九三三年一一月一五日の社説は 、 ジョーンズの論考に直接反論し 、 むしろ ﹃ 宣教

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再 考 ﹄ を 擁 護 す る 側 に 回 っ て い る a 。 こ の 社 説 は 、﹃ 宣 教 再 考 ﹄ は 決 し て ジ ョ ー ン ズ の 言 う よ う な ﹁ シ ン ク レ テ ィ ズ ム ﹂ を唱えておらず 、 キリスト教の ﹁ 本質的な特質 ﹂ をそのまま保つものであるから心配は無用だと主張する 。 し かしここで重要なのは 、 この社説の筆者が 、 実際にキリスト教の真理が他宗教の真理よりも 優れている 0 0 0 0 0 とは述べて いないということである 。 また筆者は 、 キリスト教がその包括性によって他宗教を ﹁ 成就 ﹂ ないし ﹁ 置換 ﹂ すべき だとも主張していない 。 ジョーンズがあくまで ﹁ 成就 ﹂ にこだわり 、 キリスト教の真理の包括性 ・ 優越性を弁護し たのに対して 、 この社説にはそのような気概が全く見られないのである 。   同 様 に ヒ ュ ー ・ ヴ ァ ー ノ ン ・ ホ ワ イ ト が 同 誌 に 寄 せ た 手 紙 も 、 ジ ョ ー ン ズ に 反 論 す る 形 で 、﹃ 宣 教 再 考 ﹄ を か ば うものとなっている 。 注目すべきは 、 ホワイトの論考もまた 、 キリスト教の真理の優越性を擁護する熱意を欠いて いるということである 。 ジョーンズがキリスト教の真理は他宗教を包摂ないし置換していくべきだと考えたのとは 対照的に 、 ホワイトはむしろ諸宗教が連携して真理を求めるという ﹃ 宣教再考 ﹄ の構想に同意している 。 キ リ ス ト 教 神 学 に お い て 最 終 的 状 態 な ど 存 在 し な い し 、 こ れ か ら 先 も 同 様 で あ る 。﹁ 最 終 的 真 理 ﹂ と い う の は 達することのできない目標なのだ 。︹ ﹃ 宣教再考 ﹄ の著者である ︺ ホッキング教授と彼の同僚たちが述べている のは 、 他宗教との自由な交流が 、 我々がその目標を追求するのを手助けしてくれるだろうということなのであ る b 。 つ ま り ホ ワ イ ト の 考 え で は 、﹁ 真 理 ﹂ と は 、 キ リ ス ト 教 が 他 宗 教 に 対 し て 一 方 的 に 与 え る も の で は な く 、 む し ろ 諸 宗教が共同で探求すべきものなのである 。   以上から ﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄ における 、 キリスト教の優越性を擁護することへの関心の衰退を見て

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取 る こ と が で き る だ ろ う 。 ジ ョ ー ン ズ と の や り 取 り は 極 め て 示 唆 的 で あ る 。 彼 の ﹁ 成 就 ﹂ な い し 包 括 主 義 の 立 場 は 、 遡ること 一九一 〇 年代 0 0 0 0 0 0 の ﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄ では 主流 0 0 であったにもかかわらず 、 一九三 〇 年代前 0 0 0 0 0 0 0 半 0 の同誌の中ではむしろ 孤立 0 0 しているのであ る c 。 これは 、 わずか二 〇 年ほどの間に同誌上の他宗教観がより寛容な ものになったことを物語っている 。 2   ︿ 実践レベル ﹀  宗教間協力への賛同   さ ら に 注 目 す べ き は 、 一 九 三 〇 年 代 の 同 誌 の い く つ か の 論 説 が 、﹃ 宣 教 再 考 ﹄ に 賛 同 す る 形 で 、 実 践 レ ベ ル 0 0 0 0 0 で の 宗教間協力を支持しているということである 。 一九三二年一二月二八日の記事 ﹁ 平信徒報告は宣教に何をもたらす の か ? ﹂ は そ の 好 例 で あ る d 。 執 筆 者 は 、 当 時 宣 教 師 と し て 中 国 に い た フ ラ ン ク ・ ロ ー リ ン ソ ン だ 。 彼 は ﹃ 宣 教 再 考 ﹄ の考え方に賛同し 、 今日を宗教間の ﹁ 協力奉仕の時代 ﹂ とみなす 。 もはや宣教師は 、 他宗教をフィールドから駆逐することを目指すべきではない 。 他宗教は 、 キリスト教と共存 ︵ co ex is t し て い く べ き な の で あ る 。︹ ⋮︺ あ ら ゆ る 正 統 主 義 は 、 説 得 力 を 喪 失 し て し ま っ た 。 互 い に 争 い 続 け たのでは 、 諸宗教が蘇生することはないだろう 。 諸宗教は 、 人類における宗教を強化するような ﹁ 新しいアイ ディア ﹂ を求めて互いに協議しなければならないのであ る e 。 さらにローリンソンは次のように述べている 。 協 力 ︵ cooperation ︶ と い う 理 念 が 、 あ ら ゆ る 関 係 性 ││ 他 の ﹁ 宗 教 ﹂ の 信 者 ︹ ⋮︺ と の 関 係 性 も 含 め て ││ を 方向づけるべきだ 。 動揺し 、 乱れ 、 調和を欠いた世界の中で 、 キリスト教徒は協力の絆をダイナミックに構え なければならないのであ る f 。

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つまり彼は ﹃ 宣教再考 ﹄ 的な宗教間の連帯に同意し 、 今必要なのは他宗教の ﹁ 駆逐 ﹂ ではなく 、﹁ 共存 ﹂ や ﹁ 協力 ﹂ の姿勢だと訴えているのである 。   それでは諸宗教は具体的にどのように協力すべきなのか 。 ローリンソンは 、 右の論考の約一年後の記事 ﹁ 宗教間 の 協 力 が ま す ま す 不 可 欠 に ﹂ の 中 で 、 こ の 問 題 を 論 じ て い る g 。 ま ず 彼 は 、﹃ 宣 教 再 考 ﹄ が 提 唱 す る ﹁ 真 理 へ の 共 同 の探求 ﹂ としての宗教間対話の構想は ︵ 少なくとも彼の赴任先の中国では ︶ あまり現実的でないと考えている 。 他 方 、﹁ 人間の福祉の向上のための共同の探求 ﹂、 すなわち社会奉仕における宗教間協力は 、 既に実行されつつあり 、 今後もさらに促進されるべきだとローリンソンは言う 。 私が ︹﹃ 宣教再考 ﹄ の提起するような ︺﹁ 真理への共同の探求 ﹂ に類似したものを見出せたのは 、 中国南部での ライヘルト博士の仏教徒との ︹ 対話の ︺ 事例ただ一つだけだった 。 しかし私は ︹ 宗教間の ︺ 人間の福祉の向上 0 0 0 0 0 0 0 0 のための共同の探求 0 0 0 0 0 0 0 0 0 をたくさん見つけた 。︹⋮︺ さらに私は 、︹ その探求が ︺ 今現在行われているよりもさらに 一 層 熱 心 に 展 開 さ れ る べ き だ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 と 強 く 確 信 し て い る 。︹ ⋮︺ 実 の と こ ろ 、 コ ミ ュ ニ テ ィ の 再 建 に お い て 、 キ リ ス ト教徒に成し遂げられることはほとんど何もないのだ││彼らが 、 そこで同じ目的のために働くことのできる あらゆる勢力を見つけ出し 、 連携するまでは 。 またローリンソンは次のように述べている 。 いかなる事柄においてであれ 、 キリスト教徒と他宗教の信者による 共通善のための協力 0 0 0 0 0 0 0 0 0 という領域は 、 可能性 に満ちており 、 熱心に育まれるべきだ 。 それゆえ彼らの宗教的コンセプトの差異が何であれ 、 また異なる宗教 の信者がコミュニティ内で会う時はいつであれ 、 彼らは 共通善のために働くという共通の必要性と課題 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 に直面

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しているということを 、 全ての宣教師が認識すべきであ る h 。 ︵ 傍点は引用者 ︶ つまりローリンソンは 、 真理 0 0 ・ 教義 0 0 のレベルでの宗教間対話は困難でも 、 社会実践レベル 0 0 0 0 0 0 0 での宗教間協力は可能か つ 必 要 不 可 欠 だ と 考 え て い る 。 こ の 主 張 は 、﹃ 宣 教 再 考 ﹄ の 目 指 す 宗 教 間 の 連 帯 と い う 方 向 性 を 肯 定 し 、 発 展 さ せ たものだと言える 。   こ の よ う に 一 九 三 二 ∼ 三 三 年 の ﹃ ク リ ス チ ャ ン ・ セ ン チ ュ リ ー ﹄ に は 、﹃ 宣 教 再 考 ﹄ 的 な 宗 教 間 協 力 の 構 想 を 支 持する記事が散見される 。 先に論じた一九一 〇 年代の同誌の論調との違いは一目瞭然であろう 。 一九一 〇 年代の同 誌の記事は他宗教をキリスト教による根絶 ・ 置換の対象とみなす傾向にあったが 、 一九三 〇 年代までには他宗教と の連携を模索する論調が出始めていると言える 。 小結   本節では一九三 〇 年代の ﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄ 上の他宗教論を探った 。 第一に同誌が ﹃ 宣教再考 ﹄ の 神学的立場を容認したことから 、 同誌におけるキリスト教の真理の優越性 ・ 包括性を擁護することへの関心の衰退 が読み取れる 。 また第二に 、 実践的なレベルでも 、 ローリンソンらの記事が示す通り 、 同誌は ﹃ 宣教再考 ﹄ の提示 する宗教間協力に賛同する傾向を示している 。

おわりに

  本稿では二 〇 世紀前半のアメリカ国内のプロテスタントの他宗教観を探るべく 、﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄ 誌を分析した 。 その論説の変化は以下の二点にまとめられる 。

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  第一に 、 真理 0 0 ・ 教義のレベル 0 0 0 0 0 0 での変化である 。 一九一 〇 年代の同誌では包括主義思想が支配的であった 。 すなわ ち多くの記事が 、 他宗教の真理の断片性とキリスト教の真理の包括性を対置することで 、 キリスト教の優越性を力 強 く 擁 護 し て い た 。 し か し 一 九 三 〇 年 代 ま で に は 、 こ の 論 調 は 明 ら か に 衰 え て い る 。 同 誌 の 編 集 者 た ち は 、﹃ 宣 教 再考 ﹄ の開放的な神学的見解を一切批判せず 、 むしろそれを容認することを選んだ 。 これは同誌においてキリスト 教の真理の優越性を死守することへの熱意が弱まったことを示している 。   第二に 、 実践的なレベル 0 0 0 0 0 0 0 での宗教間の関係性についても論調が変化している 。 一九一 〇 年代には 、 宗教間協力 ・ 対話を求める論説は皆無に等しかった 。 むしろ多くの記事が他宗教を ﹁ 死んでいる 、 あるいは死につつある ﹂ とみ な し 、 そ れ ら が キ リ ス ト 教 に よ っ て 根 絶 な い し 置 換 さ れ る こ と を 望 ん で い た 。 し か し 一 九 三 〇 年 代 に は 、 同 誌 は ﹃ 宣 教 再 考 ﹄ に 賛 同 す る 形 で 、 宗 教 間 協 力 と い う 現 実 路 線 を 受 け 入 れ 始 め て い る 。 す な わ ち グ ロ ー バ ル な 諸 危 機 の 中で社会を改良するためには 、 他宗教との協力が不可欠だという論調である 。   無 論 、﹃ ク リ ス チ ャ ン ・ セ ン チ ュ リ ー ﹄ の 主 た る 読 者 が 教 養 層 だ っ た こ と を 踏 ま え る な ら ば 、 同 誌 の 社 会 的 影 響 力を誇張するのは禁物であろう 。 本稿で見たような言説に当時直接的に触れていたのは 、 一般大衆ではなく 、 高等 教育を受けた白人のプロテスタント男性にすぎない 。 それにもかかわらず本稿の議論は 、 二 〇 世紀前半を移民排斥 や神学的保守主義の台頭を受けて宗教間の友好感情が停滞した時代とみる先行研究の理解に 、 一定の修正を迫るも のである 。 以前からワッカー 、 ハッチソンら史家たちは当時の 海外 0 0 宣教界において 一部の 0 0 0 理論家 ・ 指導者らが他宗 教 に 好 意 的 態 度 を 取 り 始 め た こ と を 指 摘 し て い た が 、﹃ ク リ ス チ ャ ン ・ セ ン チ ュ リ ー ﹄ を め ぐ る 本 稿 の 議 論 は ア メ リカ 国内 0 0 の より広範な 0 0 0 0 0 プロテスタント教養層の他宗教言説も同時期に変化していたことを示している 。 すなわちこ

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の時代のプロテスタントは 、 確かに目立った宗教間対話 ・ 協力を実行しなかったものの 、 変動するグローバルな情 勢を見極めながら宗教間の関係性をダイナミックに再定義し続けていたのである 。 このようなアメリカのプロテス タントの他宗教観の変容が 、 同時期の他国 ︵ 例えばヨーロッパや日本 ︶ の宗教間関係をめぐる議論や 、 一九六 〇 年 代以降のグローバルな宗教間対話の隆盛とどのような影響関係にあったかについては今後の課題としたい 。 注 ︵ 1︶ 一八九三年の万国宗教会議から二 〇 世紀前半にかけてのアメリカにおけるアジア系の諸宗教への待遇に関しては以下を参照 。 E. Allen Richardson, “ Asian Religions in the United States: The Role of the 1893 World ’ s Parliament of Religions in Shaping an Evolving Pluralist Ideology, ” in ,

ed. by Stephen J. Stein

(New York, Cambridge University Press, 2012

), pp. 414-434. ︵ 2︶ も っ と も 、 プ ロ テ ス タ ン ト の 枠 組 み を 逸 脱 し た 自 由 思 想 的 な ア メ リ カ 人 の 間 で は 、 二 〇 世 紀 に 入 っ て も 他 宗 教 へ の 関 心 ・ 対 話が存続した 。︵ Leigh Eric Schmidt, , 2nd edition (Berkley, Los An

-geles, London, University of California Press, 2012

) の 第 五 ・ 六 章 を 参 照 。︶ し か し 本 稿 で は 彼 ら に つ い て は 扱 わ ず 、 む し ろ 社 会の主流であるプロテスタント ・ エスタブリッシュメントの他宗教観に焦点を絞る 。 ︵ 3︶ 他方カトリックとユダヤ教は 、 二 〇 世紀前半を通じて着実に主流社会への参与を果たしていった 。 当時のプロテスタント 、 カ ト リ ッ ク 、 ユ ダ ヤ 教 の 三 宗 教 ︵ tri-faith ︶ 間 の 対 話 ・ 協 力 に つ い て は 既 に 多 く の 研 究 が あ る 。 Mark Silk, “ Notes on the Judeo-Christian Tradition in America, ” in 36 (1 ), 1984, pp. 65-85; K. Healan Gaston, (Chicago, The University of Chicago Press, 2019 ). ︵ 4︶ Thomas A. Tweed and Stephen Prothero (eds. ), (New York,

Oxford University Press, 1999

), pp. 163-177. ︵ 5︶ Duncan Ryūken Williams, (Cambridge, Mas

(22)

-sachusetts, Harvard University Press, 2019 ). ︵ 6︶ Richardson, “

Asian Religions in the United States,

” p. 432. ︵ 7︶ Robert S. Shepard, (Brooklyn, Carlson Pub -lishing Inc., 1991 ); Eric Sharpe,

(New York, Charles Scribner

’ s Sons, 1975 ), p. 138. ︵ 8︶ Grant Wacker, “ Second Thought on the Great Commission: Liberal Protestants and Foreign Missions, 1890-1940, ” in -, ed. by Joel A. Carpenter and Wilbert R. Shenk

(Grand Rapids, Michigan, William B. Eerdmans Publishing Company,

1990 ), pp. 289-295. ︵ 9︶ William R. Hutchison, (Chicago, University of Chicago Press, 1987 ); Grant Wacker, “ A Plural World: The Protestant Awakening to World Religions, ” in -, ed. by William R. Hutchison (Cambridge, Cambridge University Press, 1989 ), pp. 253-277; Xi Lian, - (University Park, Pennsylvania State University Press, 1997 ); David A. Hollinger, (P rin ce ton an d O xfo rd , P rin ce ton University Press, 2017 ). ︵ 10 ︶ Dennis N. Voskuil, “

Reaching Out: Mainline Protestantism and the Media,

” in , p. 77. ︵ 11 ︶ 既に先行研究は 、 二 〇 世紀前半の ﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄ が 人種的 0 0 0 マイノリティーの権利の擁護に積極的だったこと を指摘している 。 例えば日系人の関連で言えば 、 同誌は一九二四年の移民排斥法や太平洋戦争期の日系人強制収容政策に対して 敢 然 と 異 を 唱 え た 数 少 な い メ デ ィ ア の 一 つ だ っ た 。 J. Theodore Hefley, “

Freedom Upheld: The Civil Liberties Stance of

between the Wars, ” in 37 (2 ), 1968, pp. 174-194; Charles Andrews Schlosser, “ Awak -ening the Conscience of America: The Christian Century and the Internment of Japanese Americans during World War II ” (M.S. thesis, Iowa State University, 19 85 ).   し か し こ れ ら の 先 行 研 究 で は 同 誌 の 他 宗 教 観 0 0 0 0 は 論 じ ら れ て お ら ず 、 本 稿 はこれを補うものとなる 。 ︵ 12 ︶ Elesha J. Coffman, (New York, Oxford University Press, 2013 ), pp. 10, 43, 66, 68-69. ︵ 13 ︶ Hutchison, , p. 148.

(23)

14

William Ernest Hocking,

(New Haven, Yale University Press, 1912

);

(New York, The Macmillan Company, 1940

). ︵ 15 ︶ William Ernest Hocking, et al. (New York,

Harper and Brothers Publishers, 1932

), p. 3. ︵ 16 ︶ Ibid., p. 29. ︵ 17 ︶ Ibid., p. 44. ︵ 18 ︶ Ibid., p. 47. ︵ 19 ︶ Hutchison, , p. 165; Lian, , pp. 195-196. ︵ 20 ︶ Wacker, “

Second Thought on the Great Commission,

” p. 295. ︵ 21 ︶ ﹁ 包 括 主 義 ﹂ 概 念 に つ い て は 、 既 に 宗 教 哲 学 の 分 野 で 詳 細 な 議 論 が あ る 。 特 に 以 下 を 参 照 。 Robert McKim, (New York, Oxford University Press, 2012 ); Paul J. Griffiths, (Hoboken, Wiley-Blackwell, 2001 ), p. 59. ︵ 22 ︶ Robert E. Speer, “

The Supreme Religion,

” (August 14, 1919 ), p. 16. ︵ 23 ︶ “

The Modern Apologetic for Missions,

” (February 15, 1917 ), p. 6. ︵ 24 ︶ William R. Hutchison,

(New Haven, Yale

U niv er sit y P re ss, 20 03 ); T om ok o M as uz aw a,

(Chicago, University of Chicago Press, 2005

). ︵ 25 ︶ Robert Elliott Speer, “ Inadequate Religions: How the Religion of Jesus Christ Fares Amid the Wreckage of Ancient Faiths, ” (October 29, 1914 ), p. 9. ︵ 26 ︶ James M. Campbell, “

Christianity a Developing Religion,

” (June 18, 1914 ), p. 10. ︵ 27 ︶ Bishop J. W. Bashford, ““ That They All May Be One ” : Denominationalism a Repudiation of the Church ’ s Charter of

Universalism, Brotherhood and Service,

” (December 28, 1916 ), pp. 8-10. ︵ 28 ︶ Stephen J. Corey, “ The Changing Order: A Letter From the Commission of the Foreign Society, ” (February 4, 1915 ), pp. 7-8. Archibald McLean, “ What Missionaries Do, ” (August 5, 1915 ), p. 7. “ Op

-portunities in the Orient,

(November 4, 1915

(24)

29

Buddhists Are Training Their Priests,

” (Oct 20, 1921 ), p. 26. ︵ 30 ︶ “ The Presbyterians “ Cannot Accept, ”” (December 14, 1932 ), p. 1532. ︵ 31 ︶ “

All Faiths Are Allies in a Common Struggle,

” (October 19, 1932 ), p. 1259. ︵ 32 ︶ E. Stanley Jones, “ A Supplemental Laymen ’ s Report, ” (November 15, 1933 ), pp. 1442-1444. ︵ 33 ︶ Ibid., p. 1443. ︵ 34 ︶ “

Dr. E. Stanley Jones on Hinduism And Christianity,

” (January 8, 1930 ), p. 62. ︵ 35 ︶ ﹁ 成 就 ﹂︵ fulfillment ︶ と い う 思 想 の 、 神 学 史 な い し 宣 教 史 に お け る 位 置 付 け に つ い て は 、 Wacker, “ Second Thought on the Great Commission, ” pp. 290-291 を参照 。 ︵ 36 ︶ “

Shall the Laymen Try Again?

” (November 15, 1933 ), pp. 1432-1434. ︵ 37

Hugh Vernon White,

The Laymen

s Report and Syncretism,

” (October 18, 1933 ), pp. 1308-1309. ︵ 38 ︶ 管見の限り ﹃ クリスチャン ・ センチュリー ﹄ 上で ﹃ 宣教再考 ﹄ の他宗教論を批判したのは E ・ スタンレー ・ ジョーンズとチャ ールズ ・ E ・ レイヴン ︵ Charles E. Raven, “ What is the Christian Message? ” (February 1, 1933 ), pp. 149-151 ︶ の二人だけである 。 これは同誌に掲載された ﹃ 宣教再考 ﹄ に関する記事の総数に比して極めて少ない数である 。 ︵ 39 ︶ Frank Rawlinson, “ What Will the Laymen ’ s Report Do to the Missions? ” (December 28, 1932 ), pp. 1604-1606. ︵ 40 ︶ Ibid., p. 1604. ︵ 41 ︶ Ibid., p. 1605. ︵ 42 ︶ “

Cooperation Among Faiths Growing Inevitable,

” (December 8, 1933 ), p. 1421. ︵ 43 ︶ Ibid., p. 1421. 付記   本研究は 、 JSPS 科研費 JP19J22645 の助成を受けたものです 。

(25)

The Realignment of Inter-Religious Relations

in

, 1910-1933

The Controversy in American Protestantism

K

IMURA

Satoru

Historians have claimed that Protestant America was generally hostile toward Asian religions during the first half of the twentieth century, an era of anti-immigration sentiments and theological conservatism. However, by analyzing , arguably the most influential Protestant journal in this period, this paper will claim that inter-religious relations were continuously being redefined by transnational factors from the 1910s to the 1930s, such as the growth of secularism and the liberalization of foreign missions.

 As of the 1910s, the articles in the were certainly hostile toward Asian religions. Taking an “inclusivist” position, many writers claimed that Christianity embodied all the truths, while other religions possessed only some truths. Besides, almost no articles in the magazine considered dialogue or cooperation between Christians and non-Christians seriously; rather, most authors were convinced that Asian religions would be soon eradicated or replaced by Christianity.

 However, this triumphant approach was abandoned by the early 1930s. Even when (1932), an extremely tolerant report about other religions, caused a huge sensation among missionaries, the editors of chose to defend the report. This suggests that the magazine was no longer as enthusiastic about the superiority of Christianity as it had been in the 1910s. Furthermore, agreeing with

, several writers of the began to support the idea of inter-religious dialogue and cooperation for social services.

参照

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 一六 三四〇 一九三 七五一九八一六九 六三

以上のことから,心情の発現の機能を「創造的感性」による宗獅勺感情の表現であると

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︵原著三三験︶ 第ニや一懸  第九號  三一六

経済学の祖アダム ・ スミス (一七二三〜一七九〇年) の学問体系は、 人間の本質 (良心 ・ 幸福 ・ 倫理など)

〔付記〕

目について︑一九九四年︱二月二 0