Title
アイヌ、ウチナー、日本−日本少数民族復権論。底辺と
縁辺から近代国家の在り方を考える。−
Author(s)
平, 恒次
Citation
沖大経済論叢 = OKIDAI KEIZAI RONSO, 10(1-2): 107-126
Issue Date
1986-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/6755
投稿
アイヌ、ウチナー、日本
一日本少数民族復権論。底辺と縁辺 から近代国家の在り方を考えろ。- 平恒次 (イリノイ大学教授) 問題の性質 アイヌ・モシリ 北海道和人の独立論 二つの独立をどう統合するか 日本国はどうするか 小数者集団はお互いにどうするか 科学者はどうするか 結論 ●●●●●●● 『■■一(叩〆】⑥『〕△一m」一戸島四)(|玲叩》庁”日。 1.問題の性質ここで考察しようとする課題は、単一民族、単一国家を誇りとする大方の日本人
にはなじみの薄い事柄である。問題接近に参加していただくために、恐縮であるが、
私事に亘ろ事柄から始めさせていただきたい。私は、1981年4月から1982年1月までの期間を、日米教育会(フルブライト・
プログラム)の交換教授として、北海道大学及び小樽商大で過した。その間の数多
い文化ショックの中で、特に、心の清掃を必要とする一つのハップニングがあった。
札幌の12月、積雪寒冷の地にふさわしい雪の夜のことである。私は札幌での新
しい友人A氏に伴われて市内のアイヌ家庭を訪問した。A氏は沖縄居住の経験もあ
り、単一民族の国と言われる日本で、アイヌ、ウチナー、部落民等々の立場が「日
本人」と異なるものであることを認識し、民族論に相当の見識を持つ御仁である。
当夜も、私の意向を察して、日頃お会いしたいと洩らしたこともある人々をも含め
て、7,8人位の集りにして下ったことは有難かった。私は話の糸口にもと思って、経済開発研究者協会の『ニュースレター」に書いて
-107-おいた感想のコピーを配布した。それは、同年9月23日の静内町におけるシヤク
シャイン法要祭参観という得難い経験を記念すると共に、はるばる沖縄から馳せ参
じたフォークシンガー喜納昌吉氏の楽団と地元アイヌ大衆との交歓が、私に如何に
美しく印象付けられたかを、社会経済開発の見地から、前記協会の会員諸氏の参考
に供したものである。私は、この一枚の紙片をセミナー等によくあるレジュメの代りにして、討論の誘
い水にしたいと思っていたのである。ところが、話しがある程度進んでからふと気
が付くと、一座の零囲気は甚だ険悪なものになっていたのである。私の作法が御当
主B氏の御機嫌を甚だし<損ねたらしいのである。「-年間も遊んで居れろとは結構な御身分ですナー」というよう抑楡から始まっ
て、「アイヌについて部外者がもの老書くということは暴力行為に等しい。ものが
書ける能力を武器にして、なぐりこみ、をかけてきたようなものだ」ということに
なった。私はB氏の表現の巧みさに感心してついぞ自分のことを言われているよう
には感じなかったのであるが、しばらくしてその含意がわかると樗然とせざるをえなかった。私が、アイヌについて何か書いた紙片を持ってきたことが即ち「なぐり
こみ」であったわけである。自ら少数民族の一員であり、他の少数民族の立場に無関心でありえない-人の人
間として、アイヌ社会について教えてもらい度いと思っていた当初の狙いは見事|と
にはずれて、「部外者の関心が、アイヌのためになったことはない」というB氏の
大前提の前に私はただ狼狽するだけであった。その後私は反省を重ねた。少数民族に接近した経験は、現地調査を必要とする研
究に携っている以上、これまでも何回もあったし、その都度幾分が生長してきたつ
もりでした。それでいてアイヌ家庭では見苦しい失策を犯したのである。何故だか
今もってはっきりわからないけれど、それはある種の「甘え」からではなかったろ
うかと思う。それは私が研究者であると同時に少数民族の一員でもあり主体でもあるという点に淵源するように思われろ。との点を正視することが本稿の問題に迫る
近道であるように思われろ。アメリカでは非白人、日系人、日本では琉球人(沖縄人)としてどこに行っても
まぎれもない小数民族の一員である以上も同じく少数民族の立場にあるアイヌ諸氏
とは特別の親近感が自然に湧くであろうと、安直な気持で居たのではないかと思う。
-108-別の会合でも、アイヌ側から、「私達にとっては、沖縄と言ったって結局、和人.
と一緒ですよ」というような発言を聞いたこともある。また「アイヌは少数民族で はない。アイヌとは人間そのものなのだ。無理に倭小化してくれては困る」という 主張も聞いた。 その後時間が幾らか経過し、ショックも薄らぎ反省も深まった。一部のアイヌ諸 氏に対しては儀礼に背t「ことになるかも知れないが、私はやはり日本の中の少数民 族としてのアイヌという視点を捨てることはできないように思われろ。そして日本 の中の少数民族はアイヌの外にも居ろという認識から、これら諸民族間の連帯を夢 見ないわけには行かない。更に、単一民族国家という神話に閉ぢこもる限り、日本 人自身が人類社会への貢献を狭める破目に陥るかも知れないことも警告したい。日 本国自体「地方の時代」に入ってから己に10年にもなる。底辺と縁辺から日本国 の実像に迫ることも、日本国の新しい飛躍への契機になるのではないか。 2.アイヌ・モシリ ●● 日本は日本人だけの国ではない、とし、うような普通の日本人にとっては狂気じ ● みた認識から出発せざるをえないのも少数民族論の宿命である。日本国には自然に ●● 日本人とは呼べないけれども国民としての法的地位に関する限り、「自然的日本人」 と全く異らない立場にある人々も居る。日本はこういう人々の国でもあると言わな ければならないのである。「自然的日本人」は北海道では「和人」と呼ばれ、同じ ●● 日本国民であるアイヌとは一線を画していろ。その日本人が沖縄に行けば「ヤマト ゥンチュ」(大和人)になる。沖縄で「ヤマトゥンチュ」とか「(日本)本土人」 ●● とか呼ばれた日本人は、「あなた方も同じ日本人ではなし、のですか」などと、沖縄 人にとっては全くわけのわからないことを言ったりする。 日本国の国境を定め、日本を主権国家たらしめている国際性は世界史的には、近 々5,6百年以内の西欧文明の所産である。人類は目下諸国家に分断され、分属さ せられ、各々自国の存亡に生死をかけ忠誠を誓わされていろ。国際関係の力学から生れた国境は人類史上極めて新しい制度であり、文化、意識、行動等における人間
の関心を無理に ̄定の地理的範囲に閉ぢこめようとするために、近代国家以前から その国境と異る文化圏、生活圏、行動範囲を持っていた人間集団(民族)にとって は、不便極まりない枠組となっていろわけである。表向きは民族自決主義(_民族 -109--国家)に基いて出来上った国民国家の現段階でも、国家と民族との不斉合から生 ずる政治的、社会的問題はたえることはない。 アイヌの伝統的世界観には国家というものはない。二つの世界があるだけである。 即ちカムイ・モシリ(神の国)とアイヌ・モシリ(人の国)。アイヌという語は、 「人間」という普通名詞であったものを、民族の呼称として固有名詞にしたのは、 外ならぬ和人である。アイヌはその民族的独自性にもかかわらず、その生活圏に日 本国の国家勢力が及ぶにつれて、日本国内で少数民族化してしまったのである。国 家を持たないことが民族の不名誉だとすれば、アイヌもその民族国家老持たなけれ, ぱならないということになるだろう。こうして、アイヌ・モシリ=人間の国は「ア イヌ民族国家」という全く新しい含みを持つようになる。アイヌに近代化への独自 の参与権があるとすれば、伝統的なアイヌ・モシリを思想的にも、現代国家として のアイヌ・モシリに改造することであろう。 「すべての民族に国家を'」というスローガンには、良識ある日本人は、一般的 には大いに賛成するに違いない。しかし、「アイヌにアイヌ・モシリを/」となる と、名論反対となりかねない。それもその筈、国家としてのアイヌ・モミリは最低 限度の国士として日本国領北海道を要求するに違いないからである。アイヌ民族文 化圏、生活圏という見地から見れば、アイヌ・モシリは北海道だけではなく樺太、 千島、カムチャッカ半島も含む。この拡大な地域は、現代国際法上の「主権」を主 張する二つの近代国家、ソ連と日本によって、先住民族アイヌの意向とは関bなく、 それぞれの領土に分割され保有されていろ。アイヌ・モシリを近代国家として建設 するなら、日本は北海道から、ソ連は前記の諸地域から、それぞれ主権を撤収しな ければならないということになろう。 日本国主権の北海道からの撤収とはどういうことか。北海道にはすでに5百万か らの和人が住みついていろ。北海道が日本国領でなくなればこの人々はどうなるか。 如何に良識ある和人でも、ここまで来れば自己民族本位に考えざるをえなくなると ころに、民族問題の難しさがある。しかし物事は余り難しく考えない方が良い。日 本国主権の撤収と定住和人の撤退とは同一ではないからである。しかも人権が「国 権」に優先することが現代国家の礎石である以上、日本国主権の北海道撤収後新に 興るであろう近代国家=アイヌ・モシリは定住和人の人権を尊重し保障するであろ うと考えてよいのである。 -110-
この新国家の政治的性格は如何なるものであろうか。この新国家の人的資源の構 成は、5百万を超える和人と、大目に見積っても8万人程度にしかならないアイヌ である。従って、日本国主権撤収後の北海道は、結局もう一つの日本人国でしかな く、アイヌ・モシリとは程遠い、と言わなければならないであろう。つまり問題は、 北海道からの日本国主権撤収を正当化する先住民族アイヌの主権という至高概念と、 定住者の人権保障という国家の義務とを現実の政治過程で両立させるから、北海道 をアイヌ・モシリたらしめるには国家の基本的構成に当って如何なる工夫をしなけ ればならないか、ということである。 大方の日本人にとって右のような設問は、全く奇妙きれつな発想法で、純粋な理 論的遊戯としても、自分達の利害に直接関わりない議論だということになろう。と ころが、自国内のこういう問題を直視する勇気がなければ、世界に掃いて捨てる程 ある類似の問題に対して理解を欠くことにならないとも限らないのである。例えば フォークランド紛争。同諸島に入植定着したイギリス市民達は、アルゼンチン主権 の正当性に一歩をゆずるとすればどうなるか。またフォークランド改めマルビナス 実現の為に進んで従軍した日系アルゼンチン市民に関連して日本国の日本人は如何 なる立場を取るべきか。こういう事柄と整合的な考え方でもってアイヌ主権回復に のぞむとすれば、どういうことになるのか。 また、イスラエルは、その点領下のアラグ領内にイスラエル人の入植を奨励して いるが、もしイスラエルがその覇権を維持できなくなるか、または国際法と国際信 義の圧力に屈して譲歩するとなれば、定住イスラエル人達はどうするか、というこ とも類似の問題である。更に近くは、台湾に入植して世紀を重ねるうちに「台湾人」 となった人々と「中国」主擢との関係はどうあるべきか、という問題に関して自ら 納得の行くような分析と立場を持つことが、大国日本の良識ある国民には要求され ているはずである。こういう問題に実感をもって対処するためにも、アイヌ・モシ リ建国の問題を日本人は避けて通れない筈である。 アイヌにとっては、和人の北海道入植という表現さえまともには考えられない程 事実に悼ろものであるといわれていろ。アイヌの代表的見解として、人格者の誉高 いアイヌ文化人萱野茂氏の次の指摘を考えよう。 「わたしは強い国が弱い国をどう侵略するのかそのやり方を知りません。しかし 『日本国」の『日本人』は、先住者の生活権を無視し、アイヌの国、アイヌ・モ -111-
シリに土足でどかどかと入りこんできたことは確かです.もし『日本人」|は侵略 でなくアイヌの国土を借りたというのなら、借用証、買ったというのなら、買い 受け証がなければなりますまい。しかもそれには国家と国家の契約になるのです から、第3国の立ち合いも必要となりましょう。しかしそんな証書を見たことは ありませんし、立ち合いになった国を教えてもらったこともありません。」(萱 野茂『アイヌの碑』朝日新聞社1980年刊、76-77-ページ。) この文章に現われる民族的対等意識は注目に値しよう。アイヌ対日本人、日本国対 アイヌ・モシリ、国家と国家との契約、等々の考え方は、大方の日本論や日本人論 に大転換を要求していろと見ろわけには行かないだろうかbアイヌ側のこのような 見解や主張にもかかわらず、北海道にはすでに5百万人を超える定住和人が居ろと いうことは、アイヌの意思を排除する力が日本国側にあったからである。「力は正 義なり」としか言いようのないこの状況は、イギリスがフォークランド(マルピナ ス)でアルゼンチンの主張を拒否する力、イスラエルがアラブ領入植を推進してい る覇権等と本質的には何等異るころはない。力の支配は力が続く限り正当性を主張 しうるであろう。しかもそれが力以外に正当性の根拠が無いものであるとすれば道 義的正当性に道を譲らなければならないであろう。 「日本の中の北海道」という力の支配は当分変らないとしても、アイヌ・モシリ としての北海道の在り方について思考実験を進めることはできろ。事実、北海道の 新聞等で、「日本の中の北海道」という勿体ぶった表現が論争の課題であることか ら判断しても、北海道の和人社会に日本離脱のかすかな願望については後述するが、 今のところこれとアイヌ・モシリ概念との繋bはなさそうである。しかし、定住和 人の人権を尊重するアイヌ・モシリの在り方を模索するうちに、和人にとって賛成 し、支持し、参加できる北海道改めアイヌ・モシリの構想が浮上するかも知れない。 即ち、北海道をアイヌ・モシリとした点は結構だが、何の断りもなく土足でどかど かと上りこんで来た和人を、何故追い出せとは言わないかと。アイヌ国法というも のがあったとすれば、不法入国者を追い出す権利があった筈ではないか、とも。和 人をすべて北海道から追い出すまではアイヌの真の幸福は無いという主張も無いわ けではない。 しかし私は、北海道領有をめぐるこういうゼロサムゲームは、アイヌの復権とい う論理と整合的ではないと思う。アイヌ復権の指導理念は「人権は国権に優先する」 -112-
ということであり、アイヌ民族に加えられた日本国の圧迫や圧力を不当と断ずろ根 ● 拠はここにあるわけである。とするならば、新国家アイヌ・モシリに対してもその 領内居住者の人権保障に関して同様な要求をすることが理の当然というものであろ う。こう考えるならば、アイヌと和人を含む新国家は、いわば「アイヌ・和人連合 モシリ」というような構図にならなければならないであろう。具体的な政体の一例 としては、二院制国会、大統領、司法機関を備えるのは一応型通りの民主主義政体 として内容はアイヌ・モシリの主であるアイヌ民族の名誉を顕示するような工夫を する。例えば大統領は元首として必ずアイヌ民族から送出することとし、行政の実 権は下院の政党政治のルールによって構成される内閣に任せるというような方式も 考えよう。更に上院はアイヌ・和人側からの同数の民族代表によって構成されろと いうことにすれば、下院の大衆デモクラシーにおける和人の圧倒的優位を牽制する ことにもなる。もし、国家学の専門家達が本格的にアイヌ・和人連合モシリの憲法 を非のうちどろのない程立派なものに仕立ててくれれば、それだけでも新な実験に 値する大義名分を獲得することになろう。北海道の道政研究会会員諸民の中には類 似の発想法を持つ人とも居られるような感じがした。 3.北海道和人の独立論 北海道は自立論、独立論、道政改革論が盛んな社会である。北海道は現在、公選 の道知事と道議会を持つ日本国内の自治体である。しかし、道外都府県の基準では 桁はずれの広大な領域と5百万を超える大人口を抱えている点は注目に値する。こ の地理的特徴と人口規模だけでも、「知事」を首長とする一個の「自治体」でしか ないという地位に不満が起ることは当然であろう。これから差当り二つの方向へ議 論が展開する。-つは、この広大な国士と人口規模では、東北諸県並の百万県民程 度の県なら5,6県ぐらいは設置できる勘定になる。これを「分県論」という。も う-つは、地勢、気候、社会の諸特徴を大いに活用して、独自の文化的政治的主体 へ発展し自立乃至独立しようという考え方。「北海道共和国」志向である。これが 「自立論」「独立論」である。 自立論と言えば「経済自立論」がわかり易い。北海道経済の「官依存体質の克服」 とか「支店経済の返上」とか、北海道民の自尊心の安定のために改善の余地は多い。 最近は道民意識が更に昂揚したと思われる証拠に文化的自主論がある。その一つの -113-
表現が北方圏運動であると見た。北海道のこのような文化的自立運動は、最も具体的
には、日本的生活文化の拒否としての側面を持つ。即ち、南方文化系の日本の衣食住
様式は積雪寒冷の地には不適当であるという最も基本的な認識b勇ら始まる。これをもっ
とラディカルに言えば、津軽海峡以南の生活文化には=北海道b学ぶべきのは余りないと
いう主張になる。南方文化を積雪寒冷の北国に再現しようとしたために無駄な苦労をし
なければならなかったの芯という反省もある。この反省が苦情となれば、批判は日
本国中央政府の不手際な内国植民政策にも向けられろ。こうして北海道文化論は東
京に対する底知れぬ怨念から、バラ色の未来に到るまで活発に展開するのである。こういう精神構造から生れた北方圏運動は、生活文化のモデルを地勢、気候等の
類似性の高い北方先進諸国に求めようとする。このために東京を経由しない北海道
独自の国際交流を推進し、曰本と異る自前の北国文化を創造しようと呼びかけるわ
けである。つまり、反日、離日、親欧ということになろうか。一方目を東京に転ず
れば、国土庁あたりの物の考え方は旧態依然たるもので、北海道和人社会の文化的
独自性には余り注意を払っていないように見えろ。日本国全体の人口密度から類推
して、北海道の広大な国土はまだまだ人口吸収の余地があるとか、何十年に何百万
人の移住とか、土地と員数の次元での考え方に終始している模様である。
東京と北海道とのこの意識の落差は当分埋らないであろう。北海道民の見地から
見れば、北海道の土地利用も人口増加も、外生的に決定されるべきではなく、北海
道民の自主的選択と計画によるべきものである。北海道はもはや人口の単なる受け
皿としての無主物的自然ではなく、生きた人間の独自の社会なのである。これは少
しも驚くべきことがらではない。形式的に津軽海峡を大西洋に見たてれば、イギリ
ス人の北米入植百年ともなればすでに独立意識が芽生えており、150年も経つと独
立戦争を仕掛けたというモデルから学ぶことができる。つまり、100年、150年間
に、植民地社会は母国と異る社会的文化的異質性=独自性を持つようになる、とい
うことができるであろう。勿論、津軽海峡は大西洋の比ではなく、20世紀の交通通信の便は、17,8世紀
のそれと同列ではない。にも拘わらず、北海道民及び本州日本人の精神構造におい
ては、流行歌にも謡われるように、津軽海峡は、本州と北海道との精神的断絶のシ
ンボルなのである。津軽海峡を渡るということが、故国を棄てる者としての心理に
人を駆りたてるものであることは、北海道定住者が異句同音に強調するところであ
-114-ろ。東京から飛行機で1時間15分という便利な御時世にもかかわらず、北海道支 店配属の日本人諸氏の間では、まるで遠い異国に左遷されたかのように、不夜城「ス スキノ」で自暴自棄の「札チョン」生活に陥る事例も多いと聞く。大方の日本人に とって北海道がこれ程の異郷であるとすれば、その異郷の異質性を愛する北海道が、 大方の日本人と異る人間の集団、即ち「異族」へ進化するとしても何の不思議もな い。むしろそうなるのが人間社会文化の常道というものであろう。この点を無視し た中央集権的政治思想はいずれは反乱の導火線ともなりかねない。 人口動態から見れば北海道はもう移民社会ではない。10年以上も前に西川俊作 教授は、北海道への人口移動、1869-1970年」『経済研究」(1972年10月号) で、北海道からの流出人口が、北海道への流入人口を1960年頃から上廻ろように なっていることを明かにされた。北海道人口はその後も増加が社会減を補って余り ある程活溌であるからであろう。今や北海道人口は、自前土着の人口、即ち「道産 子」時代となったわけである。もはや国士政策などという物理的政策段階ではない わけである。北海道の国土は、北海道社会の自主管理に従属しなければならないと いうことになろう。事実、出版物等から判断すれば、「道産子」の北海道ナショナ リズムは相当なものであるらしい。雪と寒さを楽しむ土産子達は、太陽の子である 大方の日本人と性格的にも異るわけで、その自然観、価値観、人生観等が哲学的に 洗練され体系化されれば、独自の「文化共和国」(『北海道新聞」|が好んで使用す る表現)の到来も近かろう。今や明治110余年、明治150年までには、「東京よサ ヨナラ」と北海道が言えるようになるかも知れない。 4.二つの独立をどう統合するか。 そろそろ問題が見えて来たことを読者諸氏は御気付きであろう。それは、アイヌ 復権論と北海道独立論をどう統合するかである。これら二つの主張は今のところ平 行線のままであるが、北国の生活の知恵をアイヌに学ぼうという動きは和人間に顕 著になりつつある。即ち、生活文化における北海道和人の日本から独立に当って、 アイヌ文化の果すべき役割は大きいということになるのである。 和人が北方諸国に関心を持つのと同様に、アイヌも北方原住民族に多大の興味を 示していろ。アイヌと諸国の原住諸民族との間の文化的親近度は、北海道和人と北 欧人との比較以上に高度のものであるように思われろ。たとえば、原住諸民族は自 -115-
己認識において大体自称「人間」である。つまり皆「アイヌ」なのである。ロシア、
フィンランド、スウェーデン、ノルウェーにまたがる俗称ラップランドのラップ人も民族語では「人間」を自称しているといわれるし、グリーンランド、カナダ、ア
ラスカ、シベリアの広大な地域を生活圏とする俗称エスキモー人も、私がアラスカでエスキモー有志との雑誌と交歓の席上聞いたことによると、自称イヌイ=人間で
ある。これらの原住諸民族は目下民族国家への移行過程にある。ラヅプランドはまだ国
家ではないが、ラップランドを分断保有する主権国家は、かもしか飼育を生業とす
るラップ人に、諸国間の国境を無視して自由に移動する権利を保障していろという
ことである。更に各国の定住ラップには、それぞれの国語とラップ語の二重言語制
が実施され、ラップ語による高等教育の履修も可能であると聞く。日ソ両国にまた
がるアイヌ・モシリの具体化に当って、ラップランドは極めて重要な示唆を含んで
いろと言えるであろう。アイヌ・モシリをアイヌランドと言い換えることも語法上
許されようか。最も壮大なろ建国運動が目下北アメリカ北極圏で展開されていろ。グリーンラン
ドからカナダを横断し、アラスカを超えシベリアに到るエスキモー社会の動きであ
る。1984年8月7曰の『ニューヨーク・タイムズj紙は、カナダ、アラスカ、グリー
ンランド諸地域のエスキモー代表が集まった「イヌイ北極圏会議」の模様を伝えて
いろ。ソ連は、この会議の政治的結末を擢れて参加を拒否したと言う。カナダ連邦
政府はすでに「イヌイ自治領」の設定に同意して居り、境界線を引くに当って細い
点で地方自治体レベルの見解の調整が残るだけであると言われていろ。新しいエス
キモー国の国号がまた異色である。称して「ヌーナヴァー」、意味は単に「我等が
大地」ということになるそうである。「人間」(イヌイ)がどく自然に「我等が大
地」(ヌーナヴァー)を持つということが、現段階の国家構成の法と現実において
は不必要な程面倒な事業であることをも物語っていろ。ここで誰でも一つのパターシに気付くであろう。北海道和人がモデルとして積極
的に働きかけている北方圏諸国は、同時に、北方原住諸民族の民族運動が活溌な国
でもある、ということ。北海道は期せずして、国際級の大問題を抱えていろという
ことになり、その解決は同時に世界史に特筆大書さるべき人類の慶事となろう。も
し、北海道和人が、アイヌ関係を「少数民族」対策として倭小化することなく、ア
-116-イヌと和人の共有の大地北海道、即ちアイヌ・和人連合モシリとして天下に宣言で きるとすれば、人類史は更に偉大な一歩を進めることになろう。, ● 5.日本国はどうするか 勿論、ネーション・ビルディングという大事業がおいそれとできるわけはない。 関係者はそれぞれの立場から思考実験を重ね、利害調整を続けなければならないの
である。この国の体面を理屈披きエ守り抜こうとする日本ナショナリストも多い。
こういう人々は特に発想転換が必要である。発想転換の主なろ内容は盲目的なナシ ョナル・プライドの克服である。一つのショック療法がある。 それは、日本国政府がアイヌ虐待史を正直に認めて、日本国の名においてアイヌ ・ウタリ(アイヌ同胞)に謝罪することである。「ナニッノ大国日本がたかだか8万人弱の少教者集団に詫びろ、と/」とくる筈である。そうわめきつつも一応次の
ような事例を考えていただきたい。 アメリカ合衆国には日本人の血を分けた日系米国市民が約70万人居ろ。アメリ カの総人口2億3千万人に較べれば、わずかに千分の3に当る少数民族中の少数民 族である。第2次大戦の頃、日系人のうち太平洋岸居住の12万人は、合衆国の安 全のため}ことか何とか言われて内陸部の収容所に強制移転させられた。その経済的 打撃、精神的苦痛は筆舌につくせないものがあったが、経済的損害に関しては終戦後一応の補償措置が取られたことは周知の通り。しかしおさまらないのは精神的苦
痛である。自己主張の伝統も経験もない従順な戦前型の日本人、日系人はわれとわ が心を押し殺して30年以上も忍び難き老忍んできたのであるが、新しい日系世代 の成長と共に人権問題として認識され、日系市民同盟が遂にアメリカ合衆国の謝罪 を取りつけるに到ったのである。即ち、2億3千万の大国が、70万の少数者集団 に謝罪したのである。 アメリカ合衆国内の動きに刺戟されたカナダ日系人も立上り、若い日系世代が、 自らの記憶もない事件を調査研究し、カナダ連邦政府に謝罪と補償を求める運動を 起して成功していろ。 日本列島に居住する幸福ずくめの日本ナショナリスト達には、自ら少数化する時 どういう気持になるかは、凡そ想像も出来ないことであろう。しかし私が言い度い のはそれではない。重点はむしろ、日系市民に詫びる勇気がアメリカ合衆国政府に -117-あるならば、日本国民であるアイヌ・ウタリに詫びる同様な勇気がある日本国政府 にあってもよいのではないか、ということにある。150年のアイヌ受難史には、 アメリカ日系社会史100年と較べることもできない不義不正の堪大な堆積がある 筈である。宜しく、国会調査会のような国策に直結する権威ある機関を通して、ア イヌに対する日本国の罪状を明かにすべきである。民主主義実践も、戦後だけでも すでに40年になろうとする今、国家の体面などという古き良からぬ理念にとらわ れているべきではないであろう。否、むしろ、認ひぺき非を認め悔いることによっ て、日本国の信義はますます高められるに違いない。 また国際的含みもある。すでに触れたように、真のアイヌ・モシリは北海道だけ ではない。樺太も千鳥もカムチャヅカも含まれるのである。この広大な地域の共通
項がアイヌであり、アイヌ・モシリの版図ではなければならないとするならば、和
人もその中に含まれろわけである。こうして北海の大共和国、アイヌ・和人・露人
連合モシリも想像の範囲に入ってくる。この地域は目下、仲の良くない日ソ両国に
分断領有されているが私両国の不仲が硬直しているだけに、北海地域の平和と中立
のために、日ソ両国から旧アイヌ・モシリを取り上げて新国家を建設することは、 人類の福祉に貢献するであろう。こう見ることは一応夢の部類に属するとしても、規模を小さくすれば、その見地
は極めて具体的なものになるのである。ここに「北方領土」問題がある。この問題
は通常、アイヌの参加無しに語られていろ。アイヌはまず「北方領土とは誰のもの
か」と問う。答えは「アイヌのもの」である。アイヌのものであるものをソ連と日
本が返せ返さぬで騒いで居るのは、いずれも「土足でドカドカと入りこんできた」
人々であるだけに、正当性を欠いた水掛論ということになる。北海道のウタリ協会
は夙に、「北方領土」に関しては、アイヌの見解に配慮するよう呼びかけているが、
領土問題論者や運動家達の反応はどんなものであろうか。仲の悪い2国がそれぞれ
体面にこだわっている限り解決は困難であろう。ここで一転、発想を新にして、千
島アイヌに返す、ということにすれば問題に進展が見られるかも知れない。アイヌ
・ソビエト協会(略称A・S協会)という私的友好団体では、明かにこの種の対話
が交されている模様である。千島をアイヌに返すということは、原則的には正しい
とソ連側も認めていろということである。しかし、アイヌの千島を日本国が取り上
げることは容易であり、その後軍事基地化でもされたらソ連は大いに困るとも言っ
-118-ているそうである。 ソ連もさるもの、出来もしないことを約束するはずはない。しかし重要なことは、 アイヌ・ソビエト友好交流の中で、半ば冗談であるにせよ、アイヌにとっての根本 問題に関してかなりの思考実験がやりとりされていろということである。アイヌに とっては、思想を磨く一つの大きな機会であるとも言えろ。同様な交流がアイヌと 日本国政府との間に無いということも、アイヌにとってのA・S協会の意義を高め ることになる。 日本国政府のアイヌ対策で理解できないことは、アイヌの民族的独自性を認めな いという点である。それでいて、和人と識別する必要がある場合は、明治時代の用 語を踏襲して「旧土人」と呼んだりする。即ち、明治時代の「1日士人保護法」はま だ日本の現行法である。この法律は使いようによっては、アイヌの財産防衛に役立 つ規定があるために、アイヌ側としても、それに代るもっと合理的で有効な法律が 生れない限り、「旧土人」の不名誉なニューアンスを忍ばなければならないという ことになる模様である。新しい「アイヌ関係法」のようなものが切望される所以で ある。これにはアイヌの民族的独自性の承認を要求する全国的運動が必要であろう。 幸いこしてアイヌ側の努力は、民族性公認に向って着々と進んでいるように思わ れろ。中国、北米、北欧、豪州等の公認原住民族との交流、交歓は日増しに密度を 加えているようである。こういう国際活動からアイヌは、現代国家における民族関 係について原理的にも戦術的にも、相当の知識と経験を蓄積しているようである。 多くの現代国家は複数民族の国家であり、少数民族の処遇に関してある程度一般化 した知識と政策論がある。日本人が自国の複数民族的性格を自覚さえすれば、持前 の学習能力を発揮してたちどころに諸外国を驚かすような進歩を遂げるに違いない。 そこで提案であるが、現在北海道道庁の一隅にあるウタリ協会を、日本国内閣の「ア イヌ民族関係省」というような国政の最高レベルに移したらどうであろうか。広大 なアイヌ・モシリを考えれば、これとの関係を担当する一省があっても格式上過分 ではない。またこうすることによって、日本全国の意識における正当な地位をアイ ヌ民族に保障することもできろ。 -119-
6.少数者集団はお互いにどうするか 少数者集団はどこでも部外者に警戒的である。ところが現実の政治力学において は、集団以外の広汎な支持がえられなければ、少数者集団はその社会的目標を達成 することはできない。少数者集団のこの必要に便乗して、まことしやかに接近して は、少数者集団を食い物にして利益をせしめる部外者が必ずいろ.真の友人と擬装 友人とをどう見わけるかは少数者集団にとっては絶えることのない大問題である。 特にアイヌの場合は、信頼するに足ると思われた研究者やその研究活動が結局は アイヌの利益と相反する結果になって、大いに迷惑と損害を蒙っだという経験が多 すぎるくらいあるように思われろ。アイヌ諸氏が、部外者に善意を期待することは 全くできないという結論に到達されたとしても決して不思議ではない。こういう雰 囲気の中に不作法に入りこもうとすれば、私の前記の失策を操返す危険が大きいわ けである。 こういう状況下では少数者集団は結局、孤立か同化かを選ばざるをえなくなる。 孤立することによって自己のアイデンティティーを最大限に保存することができる。そ の代償として人類の進歩について行けなくなる。その対極に、多数社会との完全同 化の選択がある。多数社会と共に人類の進歩について行けることは結構だが、集団 の独自性は消滅してしまう。個々の少数者集団が各個にその中間を行くことは難し い。ところが幸いにして(?)、いつの世の中でも特定の-集団だけが多数社会と 対決しなければならない状況は例外的であって、不利益処過を共通項とする少数者 集団は数多く存在するものである。従って、複数のこれらの少数者集団が、共通の
目標に向って結束すれば、各個にその独自性を維持しつつ、多数社会からも公平な
処遇を引き出すことができる。にも拘わらず、少数者集団間の連帯はどこの社会で
も難事中の難事であるらしい。 日本の中の少数民族乃至少数者集団と言えば差当り、アイヌ(8万)、部落(300 万)、在日朝鮮人(70万)、琉球人=沖縄人(琉球弧内外に200万)等をあげる ことができる。これですでに500万を超える数字になる。それに立場の不利益と いう共通の特徴を持つ下層社会、貧困者、身体障害者等の約1000万人を加えれば、日本国総人口の中の15パーセント程度の「もう一つの日本」があると見たてるこ
とができる。これらの多くの集団は、多様な制度と手続きと戦術によって、多数社会の操作に任されていろ。それぞれ最善の条件で多数社会と取引きしているつもり
-120-でも、結局は適当にいなされてしまうのがオチである。この「もう一つの日本」の 団結を促進し、諸集団の独自性と人間の普遍的尊厳を確保する思想と政治が切望さ れる所以である。 何が少数者集団間の横断的結束を阻んでいるかを考えろと、少数者の立場に置か れた人間の弱さがありありと解るような気がする。例えば、アイヌと沖縄に関して は、沖縄では聞かれないアイヌの沖縄批判である。アイヌの名士成田得平氏は'0年 前、『中央公論」掲載の論文で、アイヌがドン底の踏台にされていることが、北海 道開拓に強制連行されてきた中国人や朝鮮人にとって「一種の救い」であったとい う証言を紹介する序でに、沖縄についても次の様に指摘しておられろ。 「沖縄でも、ヤマトンチュウになりたいという願望がある一方、時として「アイ ヌといっしょにされてたまるか、という風潮があると聞く」と。(「アイヌとし ての私の然念」『中央公論」1973年8月号、35ページ) 残念ながらそういう風潮が沖縄に無いとは言えないであろう。また同じ理屈で、 「部落といっしょにされてたまるかI「朝鮮人といっしょにされてたまるか」等々 ともなう。 事実、部落とはすでに一悶着をひき起していろ。それは、部落解放教育用に出版 した中学生向きの副読本『にんげん」(明治図書、1970年fⅡ)①沖縄に関する一章 に、大阪沖縄県人会及び琉球政府(当時、現在沖縄県庁)が抗議した事件である。 1971年1,2月の『沖縄タイムス』の文化欄はこの教材をめぐるコメントで連日 賑わったものである。琉球政府行政首席は「部落差別と沖縄差別とは質的に異る、 両者を同時に取扱ってもらっては困る」と正式に抗議したと言われろ。要するに、 専ら多数社会との単独講和と陳情戦術でもって、他の小数者集団に優る処遇を獲得 したいという魂胆と見ることができようか。 しかしこれとても実は多民族複合社会の図式通りである。すべての少数者集団の 連帯と共闘が世直しのインパクトを極大化すると理密ではわかっていても、各集団 がそれぞれ孤独な運動を選ぶ傾向があるのは、アメリカでも同じである。例えば、 日系市民と華系市民とのアジア系市民としての結束は未だに「市民権」を得てない。 皮肉にも、デトロイトでの中国人殺害事件を機に、日系華系の連帯が進んでいろと 聞く。被害者は加害者に「日本人」と誤解され、日本車の米国市場進出によって失 業していろと思い込んでいる加害者に喧嘩を売られたということである。つまり多 -121-
数社会から見れば、東洋人は皆同じに見えろという他愛もない固定観念が不幸な形
で証明されたわけである。ということは、日系人、華系人にとっては、同じに見え
るなら同じになろう、ということである。こうして二つの少数者集団の連帯が始ま ったと言われろ。いずれは、「もう一つの日本」の中の諸々の少数者集団に向けられる差別の異質
性よりももっと類似性に気付くことであろう。時には嫌な思いをしながらも少数者
集団は交流、交歓、協力の努力を積重なる必要がある。過日のシャクシャイン法要
祭におけるアイヌ・ウチナー交歓の現象に私が特別の意義を認めるのはこのためで ある。また、「ひげを生やせばアイヌ以上にアイヌに見えろ」という沖縄美術家達とアイヌ美術家達との交流もあると聞く。(「差別とたたかう文化」)第10号、
1980年2月発行の砂沢ピヅキー、結城庄司、河上実、樺修一、金城実座談参照。)
問題のきびしさ、底知れなさにひるまないために、最後に心暖まる話しを-つ二つ申上げたい。屈斜路の弟子豊次氏を中心とするアイヌ・ウチナー友好運動がある。
弟子氏は皇軍兵として沖縄に従軍し、現地沖縄入隊の初年兵や防衛隊員に対し、日
本兵士には見られない理解と好意を示し、時には軍法違犯すれすれの機智を以て、
現地入隊者達の便宜を計ったり命を助けたりしていろ。戦後沖縄を再訪し、沖縄有
志の協力を得て、戦後アイヌ兵「キムン・ウタリ(山の仲間)」の慰霊塔「南北の
塔」を沖縄県糸満市真栄平区の丘に建てた。1981年11月には同地で、ウタリ協
会主催の本格的をイチャルバ(慰霊祭)が挙行された。シャクシャイン法要祭やキ
ムン・ウタリのイチャルバという最も厳粛な生活の次元で、アイヌとウチナーの協力と交流が行われていろということは、来るべき日の信頼と連帯を約束するもので
あろう。沖縄は慰霊塔と墓地の島である。それは実に厳粛な死の島である。沖縄の南部戦
跡を訪問すれば、誰でも生と死の意味を考えずには居れないであろう。正常な世の
中であれば今なお生きて活躍中だった筈の十何万人かがここで死んだ。就学中の少
年の女達も多数死んだ。「南北の塔」から約一粁ぐらいの地点に、そこで集団自決
した女子学生の一集団を弔う塔が立っていろ。ここで私は一つの'情景を目撃した。
ハイヤーで観光とおぼしい日本の婦人が塔の前でお抱え運転手の説明を聞いていた。
話しが-通りわかるや否やこの婦人は衛動的に土産物バッグの中から、お土産に
買ったのであろう菓子箱を取り出して塔の前段に供えて言った。「まあ可哀相に、
-122-食べる物も無く…ね/さあ、たんと召上れ」と。言いつつ頭を垂れ手を合わせる 様子であった。少し離れた木蔭で、別の事を考えながら、見ろともなく間ともなく 漫然と立っていた私はこの光景にハツとした。己れもまた反射的に姿勢を正し頭を 垂れろのであった。何が比の婦人の脳裏を去ったか勿論知る由もない。生きて居れ ばここに眠る少女達ももう比の婦人の年頃になっていたであろうか、とふと思った。 ●● ●● ここで社会科学的に冷酷無残な言し、方をすれば、日本の婦人が今や亡き沖縄の少 女達に対してかくも愛情の念に駆られろということにはどういう意味があるか。生 きている者同志の間では何故多数対少数の対立が絶えないか。社会評論では何故怨 念:を語ることは易<、人'盾を語ることは難しいか。わからない。ただ、複雑な現代 社会を考えるに当っては、こういう人間の条件を思いきり洗い直して見る必要があ ることだけは確かなようである。 沖縄はまた独立論の盛んなところである。独立さえすれば日本の中で少数化する 必要はないということが、日本国内の他の少数者集団への関心を薄めているかも知 れない。しかし、もし独立が真の願望であいとするならば、沖縄は政治的戦略上重 大なミスを犯していろ。米国統治下で独立運動をすれば良かったものを、その時代 は日本復帰運動に-辺倒で、復帰後日本統治下で新たに独立志向とは甚だ手がこみ 入り過ぎていろ。すでにガッチリと日本の体制に編入された以上、琉球共和国への 道は長く険しい。当分は日本の中の少数民族としての実績を積む外はないであろう。 幸か不幸か差別されることを承知で復帰したのであるから覚悟はとうに出来てい るに違いない。アイヌ・和人連合モシリの独立運動と琉球共和国のそれとが連動す れば、目的達成はその分だけ早くなろう。 7.科学者はどうするか 1981年は私にとって学習の点でも実り多い年であった。梅原猛氏等の講演会が 札幌で開かれ、「アイヌ=原日本人」論に対してアイヌ諸氏の反応があり大いに私 の郷愁を刺戟した。何故ならこういう類の主張なら「ウチナーニ原日本人」「日琉 同祖」説等で4百年来沖縄ではお馴染であるからである。梅原氏の議論は言語と文 化の角度からの「アイヌ=原日本人」論で、全く同様なアプローチでの「ウチナー =原日本人」と思い起させろ。沖縄では所謂「起源論争」で「琉球人は日本人か」 という問いに対しては、ある種の見識と立場を持つことが琉球的教養の一部とされ -123-
ていろ。 しかし、琉球人起源論は形質人類学、自然人類学の進歩によって最近14,5年の 間に驚く程に面目を一新したことを、1981年]二Pにおいておくればせながら発見した のである。これもカルチュア・ショックの一つであろう。例えば『新沖縄文学」第 48号(1981年7月刊)所載の木崎甲子郎(琉球大学教授)「複合体うちなあ論」が ある。「琉球人は日本人か」に必要の材料の目新しいもの(私にとって)を綱罹し て論評されているのには大いに啓発された。これらの材料は、アイヌとも日本人と も、中国人、韓国人、西欧人等とも比較可能な自然人類学、遺伝学、生物学、等と、 ソフトな文化論とは打って変ったハードな科学的材料ばかりである。 ●●●● 社会科学的に琉球人の対日異族性を日頃主張して(、ろ私は、ヤマト・ウチナーの ●● 形質上の差異を日本国内の「地方差」と解釈し、「琉球人i8日本人」と言っていた 古い時代の大先生方の杜撰な方法論を思い出しながら、似たような結論も出されて は困ると、木崎論文を目の前にしてまず思ったものである。読み進むにつれてそれ が杷憂であったことがわかって安心し、ついでその見事な論証と巧みな言葉遣いに 魅せられたのである。次の一節は私としても首肯できる見解である。 「沖縄人は、古いプロトモンゴロイドと呼んでもよい基層の上に、先史時代から 歴史時代にかけて、何回か九州から南下してきたヤマト族、また、南からは、一 度ならずインドネシア系族の北上、さらに対岸の中国から移住してきた中国系と くに閏族などの混りあった複合民族なのである。なかでもプロトモンゴロイドの 古層が岩礁のように顔を出していろ。ということなのだ。そこには白波が立つ。 異族の論理が成立するゆえんである。」(前掲論文、24ページ) ●● ●●●● との科学的見解は私の社会科学的琉球人対日異族論にとって大きな助けとなる。 また木崎論文におけるアイヌとウチナーの人類学的親近性は期せずして私に梅原猛、 埴原和郎両氏のアイヌ異族論理解の準備を提供してくれた。端的に言って両氏著の 書題『アイヌは原日本人力Jは良くない。此の種の問いは己に肯定な答えを含意し ていろ。「アイヌ異民族論」とでもした方が内容に忠実であったろう。本書は、自 然人類学者埴原氏の長年の研究成果を踏まえ、時には此の種の書物には珍しく初め て公開すると言う科学的資料等にも立脚している点で大いに好感が持てろ。埴原氏 研究の初期の段階ですでにアイヌの民族的独自性に思いついておられろ。そして今 や自然人類学の暫定的結論としてアイヌは古モンゴロイドが日本列島で縄文人とな -124-
った民族の後商であるということを主張される。それから、同じ古(プロト)モン ゴロイドの子孫である琉球人との関係は如何という当然出てくる向いに対しても配 慮され、アイヌ・和人・琉球人関係を正三角形に見たてておられろ。即ち、これら 三民族はお互いに民族的等差関係(「地方差」ではない)にあるということである。 (これは比愉であっから特に詮索する必要はないのではないのであるが、アイヌ、 琉球人が共に古モンゴロイドの弥生人であるとすれば、アイヌと琉球人はお互に近 接しており、それぞれの和人に対する距離はお互の距離より遠いとは言えないだろ うか。) 勿論3者とも新旧の差はあれモンゴロイドであるから人種は同じである。即ち同 種異族である。「民族」とはまさにそう位置付けられるべきものである。 そういう民族が「民族国家」の基本単位たるべき民族なのである。こう考えるなら ● ぱ、アイヌや琉球人を原日本人などと呼ぶことは適当ではない。お互に等距離にあ る民族である以上、同等の名誉と独自性を持つべきものである。「日本人」がすで に一定の歴史的性格の概念であり、アイヌや琉球人に対して歴史的加害者である以 ●●●● 上、「あなた方ももともと日本人なのです」ともとられかねない表現は精神的加害 を増幅するだけではないだろうか。しかもこの「日本人」は、日本を軍一民族、軍 一文化の共同体として、自分達だけの国と思いたがっていることからすれば、彼等 ●● にこそ、「日本は君達だけのものではない」と教えるべきであろう。要するに無理 にすべてを「日本的」にこじつける必要は無いのである。今は暫定的にアイヌと和 人と琉球人が-つの国家=日本国を共有しているが、それが民族の純血という見地 から大方の和人=日本人の御気に召さないものであれば、思いきって北にアイヌ・ ●●●● モシリ、南に琉球共和国とし、う具合に3分すべきものであろう。諸民族の平等な尊 ● 厳の為に、十数世紀に亘ろ日本列島内のの政治地図を根本的に塗I)替えていただく ようお願いしたい。 -125-
結論