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世界の都市から : チューリヒ(世界の町から)

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(1)

i

i

世界

か ら

* は じ め に

12345678910

地 理と人口 発 展の歴史 銀 行 鉄道 と交 通 目次 チュ

リヒ空港 チュ

ヒ の教 会 大 学 文 化 施 設 バ

ンホフ

シュ トラ

セ チュ

リヒ の イベ ン ト 終わ りに 参 考 文 献 チュ

リヒ に関 する ホ

ム ペ

は じ め に

 

スイス連

首都

は とい えば その 旧

市街

が ユ ネス コの 世

遺 産に 登録 さ れ て い るベ ル ン Bじm で あるが、 ス イス 最 大の 都 市で 実 質上 の

首都

とい っ てもよい のは チ t

リヒである。 チュ

リヒ は

ス イス

経済

を 支 える金 融の中 心 地 であ り、

2

大 銀 行の本 店だけで な く、 ス イス

中央

銀行 Swiss

 

National

 

Bank

も首

の ベ ル ンで

は なく、 チュ

ある。

ちな み に、

月 中

銀 行の総 裁が集

国 際 決 済 銀 行

Bank

 

for

Intemational

 

Settlement

はバ

ゼ ル にある)  チュ

リヒはス イス第

の都 市である に もか か わ らず

高 層 建 築 物は郊 外に限 られ

実に落 ち着 きのある 町 で あ る。 物 価は他のヨ

ロ ッパ の 都

と比べ れば

い が

こ れ は経 済 的 繁 栄の

返 し であっ て、 メイン

ス トリ

トである バ

ンホフ

シュ ト

セ に は時 計 を じ め

くのブラ ン ド

シ ョ ッ プが 立 ち並ぶ。 こ のよう な チュ

ヒ の

部 を紹 介て み よう

1

  市の紋 章  チュ

リ ヒ市の紋 章は 上 の よ う な もの で

州の紋 章 もこ れ より もやや複 雑で あ るが

似 てい る もの で あ る

なお

チ ュ

1丿ヒ の旗は 白と青で斜め左下 が 青 でこれ ら は市 内の い たる とこ ろで見ら れる

ち な み に 市 電 の 色 も チュ

リッ ヒ 色で あ る。

1

  地

理 と

 

ZUエ

ich 

(英 語では ズ

リック と発

ウム ラ ウ トは省 略 される

は同名の州

Kanton)

の 州 都で もあ り

ス の 東 北 部に位置する

  地 形 的には

チュ

Ztirichsee

か ら 流

(2)

2

 ス イスの主 要カ ン トン と チュ

リ ヒ州の 地図 れ出る リマ ト川 Limmat と ジ

ル川 Sihlが合 流 する 地域で あ り

氷河 が運ん で きた推石

モ レ

によっ て出 来てい る丘である チュ

リ ヒ ベ

ZUrichberg

ト リベ ル ク

Uetliberg

との

2

つ の斜 面に広がっ い る。   町の標 高は

409

トル で ある。  

2003

年の

リヒ市の人口 は

36

4528

人で

その う ち

スイス の 国 籍 を持つ のは

25

5649

70

1

% である。 したがっ て

外 国 人の比 率 は

29 .

9

、10

8879

人であ り、 ス イス の 中でも 外 国 人の比 率は高い  ま た

チュ

を含む同 名のチュ

リヒ 州の人口 は

123

7920

人で (

2002

12

31

凵 現 在 )

大 都 市 とい え ば人口 が

100

万以 上である ヨ

ロ ッパ で は

ぎ り ぎ り大 都 市に分 類 される が

ロ ン ドン

パ リ

ベ ル リンの他の 主要 国 の大 都 市と比べ ると

規 模は はるかに小 さい しか しなが ら

生活の質はきわ めて高い のも魅 力である。 ス イス の

入 当た り

GDP

2003

年 の

OECD

に よ れば

ル ク セ ン ブ ル ク

ノ ル ウェ

に続 き

3

位で

、43 ,

457

ドル で あるが

こ の

、多

くの部 分 が チュ

リヒ を 中 心とする金 融 活 動か ら生 み 出 さ れて い る。

 

ス イス の公用 語は ド イッ語

フ ラン ス語

イ タ リ ア語、 ロ マ ン シ ュ 語の

4

つ で あ る が

チュ

リヒは ド イッ語 圏に位 置 する。 た だ し

ス イス の ド イツ語 は

Swiss

 

Gerrnan

とい わ れる よ

、標準

の ド イツ語 か らする とか な り方 言 が強 く、 ま た地 方によっ ては特 徴が あ り チュ

リヒ も独 特の方 言が話さ れてい る。

2

  発

 チュ

ヒの歴 史は紀 元 前

3000

年 頃にチュ

リヒ湖の周辺 に ケル ト系の人々が住み始め たこ とに始まる 湖の まわ には石 器時 代

青 銅 器 時代の遺 跡が

っ て お り

また

そ れ らの時 代 の 出土品は国立博 物 館でみ るこ とがで きる。   紀元前

15

年に は

リマ ト川 を 行 き来 する船か ら

徴 税 を行 うた めの ロ

マ の役 所が作ら れ た。 チ ュ

リ ヒ の 語源 は こ の 関税の た め の 関 所

Turicum

に由 来してい る

今日

リン デ ン ホフ の丘

Lindenhof

と呼ば れ

リマ ト川を望 む 中 心 部に あ る 公 園 はこ の関 所が 要塞 化し たもの の名 残である。

  5

世紀 頃、 現

の人々 の祖 先 とな る ゲルマ ン 系の々がロ

を追い したが、 町の 重要 性は下がっ た。

 

町 が大 きく発展し たのは

フ ラン ク 王国の

3

 リンデンホフの 丘 よ り リマ ト川 対 岸の旧市 街 方 向を見る。 右端の二 つの塔の あ る の がグロ

ス ミュ ン スタ

。   合成写真の た め

魚眼的に 写っ て お り

川 が 曲 がっ て 見 え るが

本 当は こ の 辺 で は まっ すぐ に流れ ている。

(3)

代に なっ て か らで ある。

853

年に カ

ル 大 帝の 孫の ドイツ の ル

ドヴィ ヒ王が女 子

道 院 を寄 進 したの であるが

これ は

今日の フラ ウ ミュ ン ス タ

である。

 

12

、す

で に チュ

リヒ は絹 織 物

毛 織 物、 リン ネル や皮の取 引で栄 えてい た。

1300

頃には人口は約

5000

人で あ り

市の城 壁 もこ の こ ろ完 成した。  

1336

年には力を持っ た商 人たちは支 配 階 級で ある貴 族と対立 し た。 この 頃

ギル ド

ツン フ トZunft

成さ れ た。

日で もこれ ら の ギル ド

ル す な わちッ ン フ トハ ウス

Zunfthaus

が残っ て お り、 その う ちの幾つ か は レ ス トラン とし て用い ら れ てい る。

Zunfthaus zurn  

RUden

、 

Zunfthaus

 zur  Saffran

  Zunfthaus zur Zilmnerleuten

、 Zunfthaus zur Waag な ど)

 ス イス 連邦は

1291

8

1

目に ウ

リ、 シュ ヴィ

ウン タ

ヴァ ル デン の

3

州に よっ て 結 成さ れ た。 チュ

リヒ は

1351

年に連 邦に加 盟 し た。 こ の 前 後に

ル ッ ェ ルン (

1832

年 )

グ ラ

ル ス とツ

1352年)、

ベ ル ン

1353

年 )が加盟 し

、 8

州 同盟 と な り

ス トリア のハ プス ブル ク家との抗 争が続い た。  

1519

ツヴィ ング リ が チュ

リヒに や っ て きて

宗 教 改 革の が吹 き荒れ た。 ッ ヴィ ン グ リ (Huldrych Zwingli

、1584− 1531

22

歳 で グラ

ルス ス の都 市 )司 教となっ たが

や が て

チ ュ

リヒの グロ

ス ミュ ン ス タ

の 司祭になる。 免 罪 符の売 買 を激しく攻 撃し

信 仰に お ける唯

権 威は聖 書である と宣 言 し た。

1523

1

月チュ

リヒ市 庁 舎で ッ ヴィン グ リ に 反 対するもの と

、賛

成 する もの と を集め て行わ れ た 公 開論

はツヴィング リ側の

勝利

に終 わっ た

市 議 会が

このしい考 え方 を受け 入 れる こと を採 択し た か らであ る。 す ぐに チュ

教改

拠 点と なっ た。 巡礼や儀 礼的更新

ある種の 秘蹟 を

止 する

聖職 者の結 婚 を認め、 自分で も

1524

年に結 婚 した。 ッ ヴィ ン グ リの

教 改 革の勢い に恐れ をな したカ トリッ ク系の諸 州

ル ッェ ル ン

シュ ヴ

ウン タ

ヴァ ル デ ン

ク は団 結 して チュ

リヒ と対

し た がつ い に戦 争 とな り

1531

10

11

日 カッペ ル の戦 闘で ツ ィ ンリ は戦 死し た。 し か しその後

宗 教 改 革は ドイツ

ス イス全域 に広まっ て ゆ くこと となっ た。  ま さ しく 「プロ テス タン ィ ズ ム の と資 本主義の精 神 」がその後のチュ

リヒの

栄 を 支えた の で ある。

 

8

世 紀には

すで に 文

的 な繁 栄が見ら れ た。

1780

に は今 日の

Neue

 

ZUrcher

 

Zeitung

が 発 行

さ れ た。 こ の

聞は高 級 紙と して知られてい る。   1780 年に は

時的に外国の 軍 隊 が チュ

リ ヒ を侵 略し た。

1833

年に チュ

リヒ大 学が設立 さ れ た。

1834

年には現 在の オペ ラハ ウス の前

が 設立さ れ

1850

51

の シ

ズン には リヒ ャ ル ト

グ ナ

 

Richard

 

Wagner

揮 棒を振っ た。

1847年

にはス イス 鉄 道がパ

デ ン で 開 通 し た。

1869

に基 本

が制 定さ れ た が

こ の民 卞 的 な 基本

他の の基本 法の みな らず

部分的に は

1874

の連邦の 憲 法に も影 響を与え た。

1867

年に は ド イッ語 圏で初 めて の女 性の博 士

をチュ

リヒ大 学が与え た

1893

年には じ め て

、市

わ れ

、12

万の人口 と なっ た。

1916年

に は ダ ダ と呼ば れ る芸 術 運 動がこ の 町 で始まっ た

1917

にレ

ニ ンがロ シ ア革 命 にけて立っ た の もこ の チュ

リヒである

1928

年か ら

1949

ごろ まで

赤い チュ

リヒ と

ばれ る社 会 民主党が議 会で

を占め た。

1933

か ら

1945

頃に は

チュ

リヒ は ナ チ ズ ム か らの逃 亡者け 入 れの 地で っ た

。1946

年に は有 名な

Let

 

Europe

 arise !とい う 演 説

(4)

1980− 81

年は、 学生 紛 争 の 時 代 で あっ た。 チュ

は落 ち 着た町と上書い た が

る と

くの 避 難民

け入 れ、 ま た そ れ らの人々 の

影響

もあっ て

前衛

的な町で も ある。

3

  銀行

 1956

11

12

日 に英国の労 働 党の影の内 閣

相で あっ たハ ロル ド

ウィル ソ ン の 演 説で ポン ド

危機

に関し てスイスの銀 行 家を 批判し た

現 に由 来 する

チ ュ

リヒ の子 鬼た ち

the

Gnomes

 of・

Zurich

とい

言 葉は、 こ の 国の銀 行 の世界 経 済に与 える

響の

き さ を物 語って い る。

2

大 銀 行 (

UBS

と ク レデ ィ

ス イス) を は じ め多 くの銀 行が本 店を置い てい る。 大 銀 行 の本 店の建 物 とい っ て も

日本の ように ほとん どが

本店

建 物にある とい

わ けで は な く

本 店

機構

らばっ てお り、 他の部 署 が市内の 別の 物 に あっ た り

何 気 ない 建 物の

1

画を入っ て み る と銀 行の機 構の

部で あっ た りする。 効 率 的に はすべ て

1

箇 所に集 まっ てい る日本のオフ ィス の方が

れ てい るか もし れ な い が

こ の よ うなオフ ィ ス の作 り方は個々 のオ フ ィサ

責 任と権 限がは っ き りして い る とい う

仕事

のや り方に由 来して い る。

4

  鉄 道 と交 通

 ス イス の連 邦 鉄 道

SBB

の 中 央 駅は国 内 だ け で な く

ロ ッ パ の主 要 都 市と結ば れてい る

また

ドイツ の

ICE

や フラン ス の

TGV 、

イ タ リ アの

Cisalpino

な ど

国 を

代表す

る国 際

急 列 車 をは じ め

、S−Bahn

な ど

くの列

が乗 り 入 れてい る。 中央 駅 も長い 期間にわ た り

改築

が 行われて きてい 地 上の ホ

ムはい わ ゆ る

陸 式の 行 き止 ま りの ホ

ム で あ り

地 下 は

S−

Bahn

な どの通 り抜け方 式の ホ

ムで あ る。

内に は

くの商 店や レ ス トラン どが ある。

 

市 内には路面電

が走っ てお り

中心 部に は

動 車の 乗 り入れ が制 限さ れて い る地区な どが あ る た め、 旅 行 者に とっ ては

変に

便

利な

り 物で ある。  ま た

バ ス

トロ

バ ス など と ともに市 内 の公 共 交通

関を形 成してい る。

 

駅の

に立つ 銅

はエ ッ シ ャ

ー Alfred

Escher (

1819−

82

)で あ り、 政治 家と して活躍、 ドイツか ら イ タ リ ア ま での鉄 道 建 設

金を調 達 する た め

クレデ ィ

ス イス を

設し た。 と く にゴ

ル を通し た功 績は大きい

4

 チュ

リ ヒ中 央駅1 を バ

ンホフ

シュ ト    ラ

セ か ら望 む。 市 電の上に見 えるの は    エ ッ シャ

の銅 像。 通り の真ん中は市 電、     歩 道に は

熊の人 形が見 える。 中央の上か

  

ら ぶ ら下 がっ てい る の は

旗状

の 公 的

広告

5

 

空 港

 

Flughafen

 

チュ

リヒの空 港は郊 外のクロ

テン に あ り

1953

に 開港 し た。 日

か らの

直行便

もこ こ に 乗り 入 れてい る。 チュ

ッパ

有数

のハ ブ空 港に なっ てい るの で

スイス観 光 の 行 き帰 りに利 用さ れ た方 も

い こ とであろ う。   最近 まで

空港の大 改 造が行わ れて いた が現

そ れ は終 了し

大 変に便 利 な空 港となっ てい る。 空

の 地 下 に は、 連 邦 鉄 道が乗 り入れてお り

チュ

リヒ 中央 駅を始め

、多

くの内の

駅 とも結ば れて い る。

(5)

6

 

リ ヒ の

教会

 

ロ ッパ の都

の 中心 と なる のは市 庁

Rathaus と教 会である。 ●

市庁舎

 

リマ ト側沿い にある

市庁舎

建物

はバ ロ ッ ク の 建 物で 1694

98

に建て ら れた もの で

 チュ

リヒ の教 会で主 な もの を挙 げてみ よう ●グロ

ス ミュ ン ス タ

聖堂

)GrossmUnster

  ッヴィ ングリ もい たこ の教 会は

11− 13

世 紀に 建て ら れ たスイス最 大のロ マ ネス ク様 式 教 会で ある。 近 代 的なステ ン ド グ ラス は ジャ コ メ ッ テ ィ

である

2

つ の

は チュ

リヒ の シン ボ ルで もある。 ●フラ ウ ミュ ン ス タ

聖母 教

会)FraumUnster

  リマ ト川 左岸に立 ち

チュ

リヒ で最 も観光 客 を 集め る こ の 教 会は

ドイッ の 王ル

ド ヴィ ッ ヒ

2

世 によ り

853

立 さ れた尼

院 に そ の 歴

は さ か の ぼ る。

にゴシッ ク の

様式

の 手が加 えら れ

1723

年に時 計 等が付け加 え ら れ た。 教 会

体は

12

15

紀に建て ら れ た。 な お

観 光 客を集め る 理由は

シ ャ ガ

ル の ステ ン ドグラ ス (

1970

年 )である。 ●サ ン ク ト

キル ヒ ェ

聖 ペ

 タ

教 会 )

St.

 

Peter

 

チ ュ

リヒ で もっ とも

い 教 会で

857

に はすで にその名 前が知ら れてい た。

1534

年に建 て ら れた時 計 塔は

文 字 盤 直 径

8

7

トル

分 針

4

トル とヨ

ロ ッ パ 最 大の文 字盤であ る。 こ の塔はかつ て火の見や ぐら と して使 用さ れ てい た そうである。

7

  大学

 チュ

リヒに はス イス を代 表 する

2

つ の 大 学 が あ る

(これ以 外に も大 学 レベ ルの 高 等 教 育

関が幾つ G

リヒ大 学と連 邦工 科大学で あ る。 も と も と、 チュ

大 学 により創 設さ れ た が

(現 在で は独立の法 人 )

1908

年以降

連 邦 政 府とチ ュ

ばれた協 定に より

密 接 な協 力 体 制が築か れ て い る。 これ ら

2

つ の

学は どち らもレヴェ ル の 高い

であ り

アイン シュ タ イン マ ッ クス

フ ォ ン

レ ン ト ゲ ン

ヘ ル マ ン

、 ア ン リ

デュ ナン を始め、 多 くの ノ

ベ ル

賞受賞

が研 究

教 鞭を とっ てい る。 ●チュ

リヒ大 学

Universitat

ZUrich

  もともとあっ た

ッ ヴィング リ に さかの ぼ る 神 学

学、

の カ レッ ジ と新 し く設立 さ れ た

哲学部

統合

して

大学

が設立 さ れ たの は

1833

年で、 ヨ

、 君主で は な く、 民 主 的 な 体 制の下 で作ら れ た最 初の大 学であ り

ス イス 最大の 大 学であ る。 そ も そ も大 学

Universiatat

は こ の

4

つ の学 部が揃っ たものを言

ので あ る。 ド イツ語 圏の 大 学で は 学 部と と も に、 どの

Institut

か が よ く問わ れ る が、

140

lnstitut

があ る

。Institut

とい

の は 「

学 科」

の よ

な 「研 究所 」のよ

な もので、 教 授を頂 点とする教 育

研 究

講座 とい っ た もの である。 特に分 子生物 学、 脳 科 学、 人類 学な どの分 野で よ く知ら れ てい る。 現 在は

7

学 部で学生数は

23

421

03

04

冬 学 期 )、 内

53.1

% が女 子 学生 で あ る。

● 連 邦工 科 大 学

Die

 

Eidgen6ssische

 

Technische

Hochschule

 

ZUrich (

ETH

 

Ztirich

 1855

年 に

Eidgen6ssisches

 

Polytechnikum

 

し て設立 さ れ た当 時は

の連邦の大 学で あっ た が

では

、EPF

 

Lausanne

と 他の

4

究 所と と も に 連邦工科 大 学群 を形成 し てい る。

2004

12505

人 である。 な お

連 邦工科 大 学の 建 物 こ この 教 授で も あっ た ゴ ッ トフ リ

ゼ ン パ

ー Gottfried

 

Scmpcr

1803− 1879

に よ るもの である。

(6)

 これ らの大 学は中央 駅か ら見る と丘の上にあ り

中 央 駅か ら橋 を渡っ た とこ ろ か らケ

ブル カ

が連 絡 して い る。

8

  文化施

 チ ュ

リヒ はス イス最 大の都 市である た めに 文 化 的に施 設 も充 実し てい る。 文 化 施設の充 実 は都 市の要 件の ひ とつ である。 ●

博物館

Schweizerisches Landesmuseum

 

チュ

リヒ駅の

裏側

にあ り

、古

城に

ら れ た

先史時代

か ら現

まで の

文化

や 歴

を紹

する幅 広い コ レ ク ショ ン を誇っ て い る。 開館 し た

19

世 紀 末の頃は

古い 教 会や 占城に博 物 館を つ るのが 流 行だっ たが

適 当 な古 城 が な かっ たの で

こ のた めに建て ら れ た城である。 ● オペ

Opernhaus

  チ ュ

リ ヒ に 初 め て の 常 設劇 場

Aktientheater

が出 来た の は

1834

こ の 劇 場 で は

リヒャル ト

グ ナ

もチュ

リヒ 時 代に活 躍 した。 こ の劇 場が火

で消 失した

後、

1891

年に ウ ィ

ン の建 築 家フ ェ ルナ

とヘ

に よ りネオバ ロ ッ ク様 式の現

場 が

て られた。

1926

年に新 し く芝 居のた めの劇 場が 建てられた た め

次 第にこの 劇 場は オ

ペ レッ タ やバ レエ を 中心上 演 する よに な

1982

か ら

84

年に か けて 全面 的に改装 が

われ た。 座

席数

1100

であ り

的 に客 席と 舞

が近い

、多

くの著

とい

こと は高 額 な

指揮 者

歌手が 出演 する ことで も知 られ

今日で はもっ とも成 功し てい る オペ ラハ ゥ ス の ひ とつ で ある。 ● ト

ンハ レ

Tonhalle

 l895

年に作られたこの

ル はブラ

ム     こけら ス が 柿 落 とし に立 ち 会っ た ことで も知ら れ る 大 変に音 響 効果の よい

ル であ る。 ま た

こ こ の ト

ンハ レ

ケス トラ の歴史は

1868

年にまで遡る。

々の 著

指揮

者が棒 を振っ てきた。 ト

ハ レは チュ

リヒ

や州の援 助 だけで な く、 近 くの ッ

助 成 も

る。 ス イス

ロ マ ン ドがスイス の フ ラ ンス語 圏 を代

する オ

ケス トラ であるな らば

ン ハ レは ドイツ語 圏 を代 表 する オ ケである。 ● 美 術 館 Kunsthaus  ヨ

ロ ッ パ の美 術 館 とし ては

い わゆ る

Old

Masters の

な く、 近

の 画

作 品

が 中心 であ り

フェ ル デ ナン ト

ホ ド ラ

ア ルベ ル ト

ジャ コ メ ッテ ィ

エ ドゥアル ト

ム ンクなどが 充 実 して いる。

1787

年 創 設。 ●ビュ

ル レ

コ レ ク シ ョ ン

        Samm

 

lung

 

E .

G

 

BUhrle

  実 業 家エ ミ

ビュ

ル レが 収 集 した絵 画

彫 刻が収 蔵さ れ てい る。 収 蔵 作 品の中 心は印

派である

この コ レク ショ ン はかつ て

で も公 開さ れ たことがある。 ●動物 園Zoo

  1925年

立 さ れ た。 チュ

ベ ルクの 丘 の上にあ り

2

000

頭 以

ヒの

物 を飼 育し てい る。

と州 が そ れ ぞ れ

12.

5

% を所

する

株式会

社である。 ●フ ル ン テルン墓 地

Friedhof

 

Fluntern

 チュ

リヒはすで に 述べ た ように

ダ ダ イス ムの よ

術運動を

み だ し た り

ジェ

ム ス

ジ ョ イス

James

 

Joyce

が居 住 し た町と して も

ら れて い る。 ジ ョ イス の墓 はこ の墓 地にあ り

す ぐ 近 くに はエ

カ ネッ テ ィ

Elias

Canetti

の墓 もある

9

  バ

ン ホ

トラ

 

チュ

リヒ 中

駅か らチュ

リ ヒ湖 畔 まで の バ

ン ホフ

シュ トラ

Bahnhofstrasse

くの高 級ブティ ッ クやデパ

トなどが 立 ち並ぶ 買い物の中 心 地であるが

真ん中を市電 が 通 り

(7)

その

が歩

となっ て お り、

動 車の

通は制 限さ れてい る た め

ま さ に買い をする た めの 通

とい っ よい グロ

ブス や イェ ル モ リ

マ ノ ア

な どの デパ

トの 間に、 こ の町の 出 身 で ある教

者の

を とっ たペ ス タロ ッチ公園が ある。 また

バ リ

の本 店 などもこ の通 りの

角を占めてい る。 市 電 が 分 岐 するパ ラ デ プラッ ッ

Paradeplatz

ばれ る広 場は

ホ テルや

2

大銀行

本店

な どのほ か に

チ ョコ レ

トで

名な シュ プル ン グ リ

Sprifngli

の本 店がある さ ら にす すむ と湖 畔に 至 る。 これ を

折 すれば ト

ンハ レ 左 折し、 橋を渡 り、 湖 沿い に行 く と オペ ラハ ウス がある。 やっ た こ とが ある 。

 チュ

リヒ は、 極めて高 度な イン フ ラを備え てい る に もか か わ らず

町の中に は緑が残 り

ま た、 主要 部は歩い て回れる範 囲にある極めて 経 済 的に も豊かな 町である。 郊 外に出 れば

す ぐに

や 湖 が広が り

また

ス イス の か な山

光 も可能である。 自

然資

源は

如何

と もし 難い のがある が、 この よ

な豊か な都 市の情 景を

我々 の

今後

の都 市のあ り方の

考に するこ と は可 能であろ う。 ま だ ま だ紹 介 すべ き ものも

い が

参 考にな れ ば幸い である。

10

の イ

ベ ン

 筆

者が経 験 し た チ ュ

ヒ の イベ ン トとし て は、 カ

ニ バ ル と テ ディ

サマ

が ある。  カ

ニ バ ルは仮 装を した人々 が音 楽を奏で な がら練 り歩 く伝 統 行 事である。

 

方の テデ ィ

サマ

のほ

最 近

し ば しば不 定 期 的に よく行われてい る人気 イベ ン ト の

つ で あ り

、2005

年の夏のテ

マ がテ デ

ァ でっ た とい

ことである。 これ は

空 港 や 町 中 に

スポンサ

が そ れ ぞ れ に デザ インし た

630

の 人

を 置 き

、競

い 合

とい う も の で

例 え ば

シュ プル ング リの熊はシュ プル ン グ リ

名物

の ル ク セ ン ブ ル グ ル リ とい うお菓 子 を全

に デザインし たもの であっ た し

ル イ

ヴィ トン の熊は その かばん の上に座っ てい たり する ものである。

観光局

のスポンサ

の もの の 巾にわ が国の

生の もの も

まれてい た。 こ の 種の イベ ン トは不 定 期に 企画さ れ その

対象

牛であっ た り

あ るい はベ ンチ であっ た りする もの で

また、 他の 町でも、 魚が町 中に お か れ てい たりし たの を見たこ と も あ る。 何

に 東 京の丸の内で、 牛の ヴァ

ン の 参 考 文 献

Eye 

W

 

liness

 Tra vef 

Guides

 

Switzerland

 

2005

 

Frlillg

 

Kindersley

 

Limited,

 

London

・Fodor’

s 

Switzerland

 

43ni

 edition  

2005

・Heeb,

 

Cristian

 und  

Carlo

 

Bcrriasconi

 

Ztirich

 1998

 

Sturtz

 

Verlag,

 

Wtirzburg

Zdtrj

ch 

E

Ftihrer

 

durch

 

die

 

Stadt

 

Verl

 ag

 

Photog1〔}b

 Ztirich

ミ シ

グ リ

ン ガ   

1991

    実業 之日本 社

歩 き方

 

ス イ ス

  1988年

版 2005

  改 訂 第

14

版ダ イ ヤモ ン ド社

ドガ イ ド

 

ス イス

  2005

 

JTB

パ   ブリッ シ ング

ペ ディ ア

日本 語 版

ドイツ語 版 ) 等 を

参考

に し た。

図 2   ス イ ス の 主 要 カ ン トン と チ ュ ー リ ヒ 州 の 地 図 れ 出 る リ マ ト川 Limmat と ジ ー ル 川 Sihl が 合 流 す る 地 域 で あ り 、 氷 河 が 運 ん で き た 推 石 (モ レ ー ン ) に よ っ て 出 来 て い る 丘 で あ る チ ュ ー リ ヒ ベ ル ク ZUrichberg と ユ ト リ ベ ル ク Uetliberg と の 2 つ の 斜 面 に 広 が っ て い る 。   町 の 標 高 は 409

参照

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