• 検索結果がありません。

日本法における「比例原則」の受容 : 明治期・大正期

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "日本法における「比例原則」の受容 : 明治期・大正期"

Copied!
25
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

日本法における「比例原則」の受容

――明治期・大正期――

須 藤 陽 子

目 次 Ⅰ 問題の視角 ⚑.明治期の受容を論じる意義 ⚒.議論の前提 ⚓.警察権限を制約する思考 Ⅱ 明治期の「警察権の限界」論――「比例原則」の萌芽―― ⚑.オットー・マイヤー『ドイツ行政法』の影響 ⑴ 明治36年『独逸行政法』翻訳公刊 ⑵ オットー・マイヤー「警察権の限界」における「比例原則」 ⚒.明治36年法律新聞「警察權の限界」 ⑴ 警察官の認定権と濫用 ⑵ 権限発動の要件と手段の選択 ⚓.明治40年警察協会雑誌「警察權ノ限界(10月⚔日警視廰講話会ニ於テ)」 ⑴ 警察権の範囲としての「警察権ノ限界」 ⑵ 六つの原則 ⑶ ヴォルツェンドルフ『警察権の限界』の影響如何 ⚔.明治43年法学志林「警察ノ観念ヲ論シテ憲法第九條ニ依ル獨立命令權ノ範 囲ニ及フ」 ⑴ 明治40年法学協会雑誌「立法權ト命令權トノ限界ヲ論ス」 ⑵ 憲法⚙条独立命令と「警察権ノ限界」論 Ⅲ 行政法体系における「警察権の限界」論の意義――大正期の「比例原則」―― ⚑.大正⚒年法学協会雑誌「警察權ノ限界ヲ論ズ」 ⚒.大正⚓年『日本行政法 第三巻』 ⚓.大正⚙年『日本行政法 各論 上巻』 お わ り に * すとう・ようこ 立命館大学法学部教授

(2)

Ⅰ 問題の視角

⚑.明治期の受容を論じる意義 「比例原則」とはいかなるものか。この問いに対して,かつて筆者は, ドイツ法及び EU 法における「比例原則」を素材にして,法分野のみな らず国境を越えて拡がりをみせる法原則の展開を論じた1)。しかし,その アプローチによっては,日本法における「比例原則」とはいかなるもの か,という問いに答えることはできない。「比例原則」はドイツ法を母法 とするものであり,「警察権の限界」を構成する一原則として生成・発展 した法原則である。明治期に日本法へも「警察権の限界」としてもたらさ れ,それから115年以上が経過している。日本法における「比例原則」の 展開は,ドイツ法におけるそれとは異なった道筋を辿った。 現代において「警察権の限界」論は,行政法の各論である警察法の問題 として受け止められるであろう。しかし,「警察権の限界」ないし「比例 原則」が日本法へもたらされた明治期に,それは行政法各論レベルの「警 察」の問題にとどまらず,憲法問題であり,憲法と臣民の権利の問題で あった。 明治期に「警察権の限界」を活発に論じたのは,ドイツ留学帰りの美濃 部達吉である。日本法における「比例原則」を探求すれば,自ずと美濃部 学説の変遷に目を向けることになる2)。明治末,美濃部達吉は帝国憲法第 ⚙条に規定された独立命令制定権を制約することを意図して「警察権の限 界」を論じるようになるが,しかしそれは美濃部が「警察権の限界論」を 初めて論じた頃の主張とは大きく異なっている。 1) 須藤陽子『比例原則の現代的意義と機能』(法律文化社,2010年)。 2) 佐々木惣一の行政法各論体系書『日本行政法論各論 通則 警察行政法』(有斐閣, 1922年)は大正11年(1922年)に刊行されたものである。本稿が研究対象とする時期から 外れていたため,本稿では扱わなかった。

(3)

美濃部の学説は,「警察権の限界」ないし「比例原則」に限らず,明治 期から大正期にかけて振幅が非常に大きい。たとえば「行政罰」という概 念についてみれば,明治期に唱えていた主張には大きな誤りがあり,大正 期には「行政罰」という文言が行政法総論から一度消え,昭和前期に形を 変えて行政法総論に位置付けられる3)。いつの時点を捉えるかで,美濃部 の学説はまったく違った様相を見せるのである。 ⚒.議論の前提 明治期にドイツ法を母法とする「警察権の限界」ないし「比例原則」を 日本法へ移し変えることは,容易ではなかったと思われる。ドイツ法とは 議論の前提が異なるからである。 まず,明治期の行政法学界の状況をみれば,大日本帝国憲法下において 絶対主義的イデオロギーに根差した学説が強固に存在し,天皇主権を制約 することにつながりかねない「警察権の限界」が容易に受け入れられる素 地ではなかったのである4)。 昭和32年(1957年)に開催された田中二郎・柳瀬良幹・田上穣治・原龍 之助・林田和博・俵静夫による座談会「行政法学界の回顧と展望(2)」に おいて,田中二郎は次のように述懐する。「ただ,たとえば美濃部先生が ドイツ留学から帰ってこられたのが明治36年(原文ママ)だと思います。 その⚑,⚒年の後に穂積陳重先生の主催しておられた法理研究会で「警察 権の限界」という題で講演をされたことがあるのです。その種本という か,そこで紹介されたのがヴォルツェンドルフの警察権の限界論でしょ う。ところがその時分は警察権絶対的な考え方が強かった時代だもので, 美濃部先生の警察権の限界論というのは,実にけしからんことをいう,と いう意見が一部に非常に強かったことが言われているのです。美濃部先生 の天皇機関説問題がその後『憲法講話』を機縁として表面化して,先生に 3) 須藤陽子『過料と不文の原則』(法律文化社,2018年近刊)。 4) 家永三郎『美濃部達吉の思想史的研究』(岩波書店,1964年)⚓頁以下参照。

(4)

対する排撃の火の手が上がったわけですが,そのもっと源になるものが 36,⚗年ごろの紹介などの中にも現れているらしいのです。それはある意 味では穂積八束的な考え方が支配的であって,行政法のそういう問題をと らえて論じた場合にもやはりそれに対する強い批判の声が上がった。今か ら考えれば全く隔世の感がするわけですが,そういうところにも現れてい るのではないかと思うのです。」5)(下線部筆者) 『憲法講話』「序」には,憲政が施行されて20余年が経つというのに「専 門の学者にして憲法の事を論ずる者の間にすらも,尚言を國體に藉りてひ たすらに専制的の思想を鼓吹し,國民の權利を抑えて其の絶對の服従を要 求し,立憲政治の仮想の下に其の実は専制政治を行はんとするの主張を聞 くこと稀ならず,余は憲法の研究に従へる一人として,多年此の有様を慨 嘆」6)していたとある。明治期の美濃部の学説を追うことは,田中二郎が 述懐する下線部分,すなわち「実にけしからん」と評された,日本法にお ける「比例原則」の始まりを追うことを意味する。 次に,実定法制に目を向ければ,「警察権の限界」を論じるに際して, ドイツ法には警察権の行使に関する実定法上の一般概括条項が在り,日本 法にはそれがない。わが国では戦前・戦後を通じて,プロイセン法のよう な任務規範と権限規範を併せ持つ一般概括条項が存在したことがない。一 般概括条項の有無というよりも,昭和23年(1948年)の警察法及び警察官 等職務執行法の制定まで,法律という形式で,警察組織,警察の責務,人 民に対する警察官の権限が規定されたことがない。日本法では,警察権行 使の根拠に関する議論のあり方が異なっていたのである。ドイツ法の議論 をそのまま移し変えることが可能だったわけではない。 ⚓.警察権限を制約する思考 「警察」について,明治28年(1895年)織田萬『日本行政法論』は「警察 5) 「行政法学界の回顧と展望(2)」法律学全集月報⚘号(1957年)⚑頁以下。 6) 美濃部達吉『憲法講話』(有斐閣,1912年)「序」。

(5)

トハ國家及一個人ノ安寧幸福ニ對スル危害ヲ除却スルカ爲メニ直接ニ一個 人ノ自由ヲ制限スル國家命令權ノ行爲ナリ」7)と定義し,明治29年(1896 年)穂積八束『行政法大意』は「警察ハ權力ノ行使ニシテ各人ニ或事ヲ爲 スコトヲ命シ而シテ其ノ自由ノ制限其ノ物カ即チ安寧秩序ヲ爲ス者ナ リ」8)と定義する。両者は目的面が異なり,作用面の「自由を制限する作 用」である点において一致している。しかし両書に警察上の強制手段に関 する項目はなく,権限の行使の仕方に関する記述は見られない。 警察権限を制約するという考え方が日本法の文献に見られるようになる のは,明治33年(1900年)行政執行法制定以後である。強制手段を法定し た行政執行法は権限を与える法律ではなく,権限を制約する法律であると 説明される9)。強制手段が法定されたことによって,権限の行使の仕方が 行政法上の議論の俎上に載ったといえる。明治28年『日本行政法論』には 警察権を画する記述が見られなかった織田萬であるが,明治36年(1903年) 織田萬君講述『行政法 全』では,「警察権の範囲」について,行政執行 法の制定によって警察権の範囲を初めて厳格に定めたと述べる10)。明治33 年初版明治36年増補第⚖版『日本警察法述義』には,「行政執行法は警察 權の範囲と強制手段とを規定す」「臣民に対し服従義務の範囲を確定して 此の範囲外には服従義務なきことを保障する」11)とある。 「警察権の限界」という用語法は,明治33年公刊の文献に見出される。 明治33年警眼社編輯部編纂『警察論文集』に収録されている一木喜徳郎 「行政警察法」は,「諸君,此の前會に於きまして警察權の根拠と警察權の 限界に就て一通り御話を致しました,今日は警察の行動の形に就きまして 申上げやうと思います」12)という一文から始まる。「行政警察法」では「警 7) 織田萬『日本行政法論』(六石書房,1895年)569頁以下。 8) 穂積八束『行政法大意』(八尾書店,1896年)174頁以下。 9) 須藤陽子『行政強制と行政調査』(法律文化社,2014年)17頁以下。 10) 織田萬君講述『行政法 全』(京都法政学校,1903年)256頁以下参照。 11) 渡辺清太郎・鮫島東四郎著『日本警察法述義』(法政学会,1903年)304頁。 12) 一木喜徳郎「行政警察法」警眼社編輯部編纂『警察論文集』(警眼社,1900年)所収 →

(6)

察権の限界」は語られていないが,警察権を限界づけるという思考は明治 33年の時点で既に存したということであろう。 後述するように,「警察権の限界」という項目は,オットー・マイヤー 著『Deutches VerwaltungsrechtⅠ,Ⅱ』(1895年,1896年)にある。美濃部 は明治36年(1903年)にその翻訳出版を行っているが,塩野宏は,それよ り以前に原著がわが国に輸入され,かつわが国の学説にも影響を与えてい た様子を指摘している13)。

Ⅱ 明治期の「警察権の限界」論

――「比例原則」の萌芽―― ⚑.オットー・マイヤー『ドイツ行政法』の影響 ⑴ 明治36年『独逸行政法』翻訳公刊 美濃部達吉は,明治35年(1902年)10月にドイツ留学から帰国後,オッ トー・マイヤー著『Deutches VerwaltungsrechtⅠ(以下,「ドイツ行政法 第⚑巻」という)』(1895年),『Deutches VerwaltungsrechtⅡ(以下,「ドイツ 行政法 第⚒巻」という)』(1896年)を翻訳し,明治36年(1903年)⚓月に翻 訳版『独逸行政法 第一巻』,同年⚕月『独逸行政法 第二巻』,同年⚗月 『独逸行政法 第三巻』,同年10月『独逸行政法 第四巻』を公刊した。本 稿の関心は,オットー・マイヤーの学説が美濃部達吉「警察権の限界」な いし「比例原則」の形成に与えた影響にある。以後,オットー・マイヤー の学説として引用するのは,美濃部の翻訳初版本からのものである。 「警察権の限界」は,『独逸行政法 第二巻』「第一章 警察權」「第十九 節 警察權ノ限界」にあるが,「警察権の限界」が複数の原則から構成さ れるという形にはなっていない。「警察権の限界」が複数の原則から構成 → 52頁。この『警察論文集』には有賀長雄「立憲警察論」,一木喜徳郎「警察と臣民の権利」 なども収録されている。 13) 塩野宏『公法と私法』(有斐閣,1989年)38頁。

(7)

されるものであること,その主要なるものが「比例原則」としてわが国学 界に認識されてゆくのは,『独逸行政法』公刊以後に著された美濃部の論 説によってである。 ⑵ オットー・マイヤー「警察権の限界」における「比例原則」 オットー・マイヤー「第十九節 警察權ノ限界」は,「自然義務ノ性質 ニ依リテ,警察權發動ノ要件及ヒ内容ニ関シテ,法律上重要ナル限界」 を,二つに大別している。 一つは,個人は何を障害してはならない義務を負うのか,警察は如何な るものの障害を除去すべき任務を負うのか,という点について,すなわち 「公共ノ善良ナル秩序」と警察義務の限度について詳論される。 次に,警察権の行使の仕方,義務の「強行」に関する点である。現代の 用語でいえば「強制」に関するもの,すなわち,警察の手段に関する点で あり,「警察權ハ公共ノ善良ナル秩序ヲ障害スヘカラサル一般臣民ノ義務 ヲ強行スルモノナリ。此強行ハ義務ニ違反スル障害ヲ除去スルヨリ成ル。 而シテ障害ノ除去カ其方向,分量,種類ニ於テ如何ナル内容ヲ有スルカ ハ,其義務トノ関係ニ依リテ定マル。」14)と述べ,警察上の責任,障害の除 去について詳論する。 「比例原則」を表現したものと見られるのは,「警察權ハ又義務者ニ對シ 唯障害カ其者ヨリ起リタル限度ニ於テノミ行動スルコトヲ得。警察ノ自然 法上ノ根拠ハソノ障害ノ除去カ障害ニ比例スヘキコトヲ要求シ,随テ警察 ノ行動ノ分量ヲ定ム。法律カ警察ノ一般權限ヲ定メタルモ亦此自然ノ分量 ヲ超エテ其ノ障害ヲ除去シ得ヘキ權限ヲ与エタルモノト認ムルコトヲ得 ス。此故ニ此自然ノ分量ハ又法律上ノ意義ヲ有スル実際ノ限界タリ。」15)と 述べる箇所である。 14) オットー・マイヤー著/美濃部達吉訳『独逸行政法 第二巻』(有斐閣書房,1903年) 35頁。 15) オットー・マイヤー・前掲注(14)40頁。

(8)

⚒.明治36年法律新聞「警察權の限界」 田中二郎の述懐にある,美濃部達吉に対する排撃を生ぜしめる契機と なった『憲法講話』以前の,行政法に現れた「そのもっと源になるもの」 を講究しようと思う。 美濃部の「警察権の限界」がオットー・マイヤーの影響を受けたもので あることは従来から指摘されていることであるが,しかしそれは翻訳した ままのものを自説に取り込んだのではない。明治36年『独逸行政法』から 明治45年(1912年)『憲法講話』までの間に,「警察権の限界」に関する論 説は,明治36年(1903年)法律新聞「警察權の限界(一)(二)」,明治40年 (1907年)警察協会雑誌「警察權ノ限界」,明治43年(1910年)法学志林「警 察ノ観念ヲ論シテ憲法第九條ニ依ル獨立命令權ノ範囲ニ及フ」の⚓本があ る。そこから美濃部の「警察権の限界」ないし「比例原則」が「変化」 「成長」してゆく様が読み取れるのである。 法律新聞144号に掲載された「警察權の限界(一)」(明治36年⚖月22日), 同146号「警察權の限界(二)」(明治36年⚗月⚖日)は,ドイツ法の理論を 紹介するのではなく,日本法に「警察権の限界」を適用した,非常に短い 論説である。(一)(二)を併せても⚓頁弱(⚑頁⚓段)に過ぎないものであ るが,「警察権の限界」を自由裁量の限界に関係づけた論説であり,日本 法における「比例原則」の原型を見出すことができる。表記は「警察権の 限界」となっているが,現代の理解からすれば,内容は「比例原則」であ る。 ⑴ 警察官の認定権と濫用 美濃部は論説の冒頭に,警察権の作用は臨機応変の対応を求められその 性質上法律をもって精細にその場合を規定することが出来ないこと,警察 権の発動に関する法律の規定は常に概括であって,その広い範囲内で行政 官庁の自由裁量をもって警察権を行うことを許している,という前提を明 確にする。そのうえで治安警察法(明治33年法律第36号)⚘条を素材として

(9)

具体例を挙げて警察権の行使を論じ,権限の濫用を戒める。 ⚘条は下記のように定める。 治安警察法⚘条 安寧秩序ヲ保持スル爲必要ナル場合ニ於テハ警察官ハ屋外ノ集會又ハ多 衆ノ運動又ハ群衆ヲ制限,禁止若ハ解散シ又ハ屋内ノ集會ヲ解散スルコ トヲ得 結社ニシテ前項ニ該當スルトキハ内務大臣ハ之ヲ禁止スルコトヲ得此ノ 場合ニ於テ違法處分ニ由リ權利ヲ傷害セラレタリトスル者ハ行政裁判所 ニ出訴スルコトヲ得 まず「警察權の限界(一)」16)において,如何なる場合に「安寧秩序ヲ保 持スル爲必要」とするかという認定を問題とする。認定権は絶対であり, 命令を受けた以上は背くことが出来ず,もし抵抗すれば刑法139条職務執 行抗拒罪に該当するとしつつも,認定権の濫用により,命令が違法になり 得ると主張する。⚘条⚒項に基づく内務大臣の処分は,行政裁判所に出訴 可能である。これに対して,⚑項に基づく警察官による権限の発動に対し ては,訴願も訴訟提起も認められておらず,違法の命令に対して救済の道 はないが,上級官庁はその職権から懲戒処分や命令の取消,その外の制裁 を加えることができるという。 例として挙げられているのは,花見である。学生⚕~⚗人がたまたま上 野で花見をしているところを野外の集会だと認めて警察官が解散を命じる 場合,その命令に従わなければならないとしても,命令自体は警察権の濫 用であるという。他方,労働者懇親会の名目で,粗暴の挙動をなす恐れの ある者が数十人で花見をしたと仮定すれば,その場合には警察官は果たし てこれが解散を命じる正当の職権があるであろうかと問う。あるいは,隅 16) 美濃部達吉「警察權の限界(一)」法律新聞144号(1903年⚖月22日)⚔~⚕頁。

(10)

田川でボート競技を応援するため堤をボートに連れて走り歩く,それを安 寧秩序を害するものと認めて禁止したとすれば,それははたして警察権の 濫用ではないかという。 「安寧秩序ヲ保持スル爲必要」か否かは,「一定不動の解釈」が許される のではなく,その場合の事情に応じて決すべき問題であり,「実際に安寧 秩序を妨害する虞があつた爲めで,即ち安寧秩序を保持する爲めには其の 解散,禁止を必要」とするからであるという。 ⑵ 権限発動の要件と手段の選択 次に「警察權の限界(二)」17)において,「所謂安寧秩序を妨害するの虞 ある場合というのは如何なる場合か」を問題とする。これは現代にいう 「危険」概念論に相当する。いかなる所為も多少は安寧秩序に対する危険 があるが(火鉢におこす火,人力車,汽車,鉄道等の例を挙げている),だから といって警察権をもってこれを禁止することが出来るとは何人も思うもの がなかろう,法律は「遠い危険」を意味していないという。 「臣民は原則として集會の自由を有」しているのだから,警察官が集会 を禁じることができるのは,その例外として禁制するだけの必要のある場 合である。「安寧秩序を妨害するの虞が集會の禁制を必ㅟ要ㅟなㅟらㅟしㅟむㅟるㅟ程ㅟにㅟ 切迫している場合に限る(原文ママ)」のであり,その程度を認定する標準 として,三点を挙げる。 一点目は「唯集會其物の全體が安寧秩序を妨害すべき場合に限る」とい い,集会の目的から判断する。二点目は,手段選択の問題である。⚘条⚑ 項には制限,禁止,解散という手段が規定されている。集会の全体が違警 なのではなく,その中の特別の事情が安寧秩序を害するものであるとき, 全体を差し止めるのではなく,特別の事情を取り除くことができるに止ま るという。これが「制限」に該当する場合であって,禁止又は解散するに 17) 美濃部達吉「警察權の限界(二)」法律新聞146号(1903年⚗月⚖日)⚔~⚕頁。

(11)

は及ばない場合であり,「若し単に制限するばかりで秩序を維持すること が出来るにも拘らず,必要以上に重い手段を使つて,禁止を爲し解散を爲 さしむるときには,職権を超越したものといはねばならぬ。」とする。三 点目に,「ポツシビリチー」と手段の選択の関係を述べる。安寧秩序を妨 害すべき虞が「遠い想像にすぎぬ場合」,つまり単純な「ポツシビリチー」 には現場に臨監するような監督手段をとることが出来るばかりで,禁止又 は制限の処分をとることはできないとする。 現代法の理解からすれば,美濃部が「警察權の限界(一)(二)」で語っ たことは,「警察権の限界」というよりも「比例原則」の適用である。「安 寧秩序ヲ保持スル爲」という目的に照らして「必要」か否かとは,ドイツ 法にいう「nötig(必要な)」ないし「Notwendigkeit(必然性)」の問題であ り,また,権限発動にあたり「ポツシビリチー」では権限発動の要件に足 りないということは,現代の議論でいえば「危険」概念論における蓋然性 に関する問題である。そして,複数の手段が存する場合,必要以上に重い 手段を使ってはならないということは,手段原則を表している。しかし, 「必要以上に重い」ものであってはならないことを要請しているのであって, 「必要最小限」ではないことに留意すべきである。日本法において「必要最 小限」という思考がいつ頃生じたか。それが論点の一つとなるであろう。 ⚓.明治40年警察協会雑誌「警察權ノ限界(10月⚔日警視廰講話会ニ於テ)」 ⑴ 警察権の範囲としての「警察権ノ限界」 明治40年(1907年)警察協会雑誌90号に発表された「警察權ノ限界(10 月⚔日警視廰講話会ニ於テ)」は,明治36年法律新聞の論説が治安警察法⚘ 条の具体的解釈を通じて「警察権の限界」を明らかにしたのに対して,一 転して,抽象的に原則論を展開する。注目すべきであるのは,「警察權ノ 限界」とは「警察ノ權力ハドレ丈ケノ範囲ニ迄及ブカト云フコト」18)と述 18) 美濃部達吉「警察權ノ限界(10月⚔日警視廰講話会ニ於テ)」警察協会雑誌90号(1907 年)⚑頁。

(12)

べ,「範囲」の問題とする点である。警察権の限界を警察権の範囲の問題 であるとする視点は,明治36年法律新聞からは読み取れない。警察権の 「範囲」という視点を,どこから,誰から得たのかが重要であろう。 美濃部は「警察權ノ限界如何ト云フ問題ハ,畢竟國家ノ法律又ハ命令ニ 於テ,ドレ丈ケニ迄警察權ヲ行ヒ得ルコトヲ許シテ居ルカトイフ問題ニ帰 スル」といい,「現行法ノ解釈問題トシテ論ズルノデナクシテ,一般法理 論トシテ論ズル」19)。明治36年法律新聞では治安警察法⚘条の解釈問題を 通じて「警察権の限界」という思考を明らかにしたが,明治40年の時点 で,具体の解釈ではなく一般法理論としての「警察権の限界」論の輪郭が 示されるのである。 ⑵ 六つの原則 オットー・マイヤーの『独逸行政法』,そして明治36年法律新聞におい て「警察権の限界」の構成について説明はなかったが,明治40年には「警 察権の限界」が諸原則によって成り立っていると説明される。 「警察權ノ限界ニ関スル第一ノ原則ハ,警察ノ目的カラ生スル限界」「警 察ノ目的ハ消極的,随ツテ警察權ノ限界モ,消極的ノ目的達スル場合ニ限 ル」とする20)。「第二ノ原則ハ,警察權ハ私生活ノ自由ニ干渉セズ」,「第 三原則トシテハ,警察權ハ民法上ノ不法行為ニ干渉セズ」,「第四原則ハ, 警察ハ害ヲ生ジタル原因ヲ為シタル人ニ向ツテ,權力ヲ施スコト」,「第五 原則ハ,警察權ハ社会ノ必要的害ニ干渉セズ」である。 美濃部は,六つの原則のうち,特に重要なる原則が第六の原則であると 19) 美濃部・前掲注(18)⚒頁以下。 20) 明治40年の時点で,積極目的は警察権の範囲に属しないとされている。美濃部がしばし ば用いる積極目的による規制の例は,美観のための規制である。「市街ノ美観ヲ増スヨウ ニ建築セヨトカ,又ハ壁ノ色ハ斯フ云フヨウニセヨトカ,若クハ表通ハ門構ヘデナケレバ ナラヌトカ云フヨウナ制限ヲスルノハ,新ニ美観ヲ増サシメムトスルノデ積極的デアル, 即チ警察權ノ行動ノ範囲ニ属シナイノデアリマス,法律ヲ以テスルナラバ出来マスガ,警 察權ノ範囲トシテハ出来ナイノデアリマス」。

(13)

する。第六の原則が「比例原則」である。「警察權ヲ施スベキ程度ハ,除 カント欲スル害ノ程度ニ比例スルヲ要ス」ることから「警察上ノ比例原 則」,「比例原則」といい,人民の自由を害する程度は,その除こうとする 害の程度と比例しなければならないという原則であるという。除こうとす る害が大きければ,それに比例して大いに人民の自由を害しても差し支え ないが,その害が小さければ,自由を害することも小さいものでなければ ならないことを求める原則であると説明される。 ⑶ ヴォルツェンドルフ『警察権の限界』の影響如何 前述したように,田中二郎は,美濃部が明治36年にドイツ留学から帰国 し,その⚑,⚒年の後に穂積陳重主催の法理研究会で「警察権の限界」と いう題で講演したこと,そこで紹介されたのがヴォルツェンドルフの「警 察権の限界」論であったと述べているが,残念なことに,年月に誤りがあ る。美濃部が帰国したのは明治35年10月である。起点となる年月に誤りが あるため,法理研究会で報告した年月を特定するのは困難であるが,美濃 部がヴォルツェンドルフの「警察権の限界」の影響を受けたことは確かで ある。美濃部は大正⚓年(1914年)に公刊した『日本行政法 第三巻』「第 二編 各論」「第一章 警察法」の「参考書名」に Kurt Wolzendorff, Die Grenzen der Polizeigewalt, 2Heften, 1905-06(明治38-39年)を挙げてい るからである。

ヴォルツェンドルフの Die Grenzen der Polizeigewalt(以下,『警察権の 限界』)が美濃部の警察法理論に影響を与えたことは間違いないのである が,美濃部の「警察権の限界」論に影響を与えたのは Die Grenzen der Polizeigewalt のみならず,これ以前に公刊された博士論文 Über den Umfang der Polizeigewalt im Polizeistaat(以下,『警察国家における警察権 の範囲について』),1905(明治38年)も併せて考えるべきではないかと思わ れる。美濃部は「参考書名」に Die Grenzen der Polizeigewalt, 2Heften, 1905-06 と記しているが,正確には 2Heften ではなく,Die Grenzen der

(14)

Polizeigewalt, ZWEITER TEIL, Die Entwicklung des Polizeibegriffs im 19. Jahrhundert(「19世紀における警察概念の発展」),1905-06 である。それ で は ERSTER TEIL は 何 か と い う こ と に な る が,そ れ が Über den Umfang der Polizeigewalt im Polizeistaat, 1905 だと思われる21)。

『警察国家における警察権の範囲について』第⚓章には,「第⚓章 一般 諸原則による警察権の制限 §11.警察権の限界を画する一般諸原則の法 的性質と拘束性」がある。しかし,ここでいう一般諸原則とはライヒ上級 裁判所の判決である。判決に現れた「原則」を意味するがその内容に名称 は付されていない22)。ヴォルツェンドルフのいう「警察権の限界」とは 「警察の範囲」である。「警察の観念」を論じれば警察の範囲を論じること と同様であり,それをヴォルツェンドルフは「警察権の限界」という。 ヴォルツェンドルフの『警察権の限界』は,警察の観念論の歴史を論じた ものである23)。 『警察権の限界』及び『警察国家における警察権の範囲について』の出 版年からすれば,明治36年法律新聞の論説には影響を及ぼしていない。影 響を及ぼしたとすれば,明治40年警察協会雑誌「警察權ノ限界」以降であ り,それは「警察權ノ限界」とは「警察ノ權力ハドレ丈ケノ範囲ニ迄及ブ

21) 国立国会図書館の書誌情報には,Die Grenzen der Polizeigewalt / von Kurt Wolzendorff (Arbeiten aus dem juristisch staatswissenschaftlichen Seminar der Königlichen Universität Marburg ; Heft 3, 5) の 別 タ イ ト ル と し て,Über den Umfang der Polizeigewalt im Polizeistaat と Die Entwicklung des Polizeibegriffs im 19. Jahrhundert の二つが掲載されている。

22) Über den Umfang der Polizeigewalt im Polizeistaat, 1905, Kap. 3 Beschränkung der Polizeigewalt durch allgemeinen Grundsätze. § 11. I. Die rechtliche Natur und Verbindlichkeit der die Grenzen der Polizeigewalt bestimmenden allgemeinen Grundsätze., S. 26ff.. 23) 柳瀬良幹「警察権の限界」『行政法の基礎理論』(清水弘文堂書房,1967年)所収207頁 注(2)。警察の観念を論じれば警察の範囲を論じることと同一である。警察の観念論はす なわち同時に限界論であって,ヴォルツェンドルフの『警察権の限界』という著書は,書 名が「限界論」であっても,内容は警察の観念論の歴史を論じたのであることを指摘して いる。

(15)

カト云フコト」と述べる点,「範囲」の問題とする点に現れるのではない だろうか。ヴォルツェンドルフのいう「警察権の限界」とは,警察権の範 囲を画することを意図するからである。 ⚔.明治43年法学志林「警察ノ観念ヲ論シテ憲法第九條ニ依ル獨立命令權 ノ範囲ニ及フ」 明治43年(1910年)に法学志林(12巻⚓号,⚔号,⚖号)に発表された 「警察ノ観念ヲ論シテ憲法第九條ニ依ル獨立命令權ノ範囲ニ及フ」は,「警 察権の限界」論を憲法⚙条により委任された命令権を制約するために用い ようとする意図を明確にした論説24)であり,同名の論説が明治45年(1912 年)⚖月日本警察新聞(225号,226号,229号)に再掲されている25)。 美濃部の「警察の観念」が他の論者のそれと大きな隔たりがあったこと はつとに指摘されているが26),憲法⚙条独立命令と「警察の観念」が結び 付くことによって,その異説ぶりはさらに際立つ。 美濃部のいう警察権の「範囲」の広狭は,警察概念ないし警察目的の定 義の仕方と密接不可分である。美濃部の「警察」概念は独特であり,とり わけ,「警察」概念の要素である目的に関する理解が他の論者と異なって いる。明治期から昭和前期までの間に,何度か説明の仕方を変えているの であるが,明治末から大正の初めにかけて,一回目の大きな変化が現れる。 24) 明治憲法下の美濃部博士の警察概念の変遷を論じるものに,関根謙一「明治憲法下にお ける警察の概念」西谷剛・藤田宙靖・磯部力・碓井光明・来生新編『成田頼明先生古稀記 念 政策実現と行政法』(有斐閣,1998年)473頁以下参照。 25) 『憲法講話』(明治45年⚓月)までに公表された「警察権の限界」に関する論説という括 り方をすれば,明治45年⚖月日本警察新聞に発表された論説は再掲であるためカウントさ れない。しかし,『憲法講話』(『憲法講話』は明治44年(1911年)夏に文部省が開催した 中等教員夏季講習会の講話約10回分を収録したものである。対象者が法律家ではなく中等 教員であるため,比較的平易な語り口である)と同年に再掲されたこと,法学志林という 大学紀要と異なり,日本警察新聞という警察関係者向けの媒体に再掲された点を併せ考え れば,反響は大きかったであろうと思われる。 26) 当時の「警察」概念をめぐる学説は,手段説,目的説,折衷説という三種があったとさ れる。保々隆矣「警察ノ新定義ニ就テ」警察協会雑誌151号(1912年)10頁。

(16)

明治40年警察協会雑誌「警察權ノ限界(10月⚔日警視廰講話会ニ於テ)」の 時点では,警察の目的は消極目的に限られると述べているが,明治43年法 学志林「警察ノ観念ヲ論シテ憲法第九條ニ依ル獨立命令權ノ範囲ニ及フ」 では,積極目的をも含めて説明されるようになっている。 ⑴ 明治40年法学協会雑誌「立法權ト命令權トノ限界ヲ論ス」 美濃部は,明治43年法学志林12巻⚓号「警察ノ観念ヲ論シテ憲法第九條 ニ依ル獨立命令權ノ範囲ニ及フ」の冒頭,明治40年(1907年)法学協会雑 誌25巻⚕号,⚖号,⚘号に掲載した「立法權ト命令權トノ限界ヲ論ス」に おいて,立法権と命令権の関係について既に書いたといい,そこで論じた ことが明治43年法学志林「警察ノ観念ヲ論シテ憲法第九條ニ依ル獨立命令 權ノ範囲ニ及フ」の基盤にあり,初めての行政法体系書である明治42年 (1909年)『日本行政法 第一巻』でも同一の思想を維持しているという。 「立法權ト命令權トノ限界ヲ論ス」において,美濃部は,まず憲法⚙条 独立命令の範囲を,一木喜徳郎博士の説に立脚して限定する。憲法⚙条の 命令権は,国家一切の政務ないし広く諸般の国務について認められるので はなく,⚒~⚓の特別の事項の外はただ内政の範囲において認められると する27)。 次に,憲法⚙条が規定する「公共ノ安寧秩序ヲ保持」するという目的を 消極目的に,「臣民ノ幸福ヲ増進」という目的を積極目的に性格づけ,前 者の目的に対応する作用を権力作用,後者の目的に対応する作用を助長作 用とする。そして,憲法⚙条の趣意とするところを「内政ノ目的ノ爲ニ必 要ナル範囲内ニ於テ,国權ヲ以テ臣民ノ自由ヲ制限スルニハ,命令ヲ以テ 之ヲ定ルコトヲ得」28)と解する。 27) 美濃部達吉「立法權ト命令權トノ限界ヲ論ス」法学協会雑誌25巻⚕号,⚖号,⚘号『憲 法及憲法史研究』(有斐閣書房,1908年)所収42頁以下参照。一木喜徳郎『日本法令豫算 論』(哲学書院,1892年)61頁参照。 28) 美濃部・前掲注(27)45頁。

(17)

美濃部の「警察ノ観念」は特異なものであると評されるのであるが,美 濃部は自説の「警察」と「警察権」の用語法が他の論者と異なる点につい て,以下のような見解を示している。 「内政ノ範囲内ニ於テ国權ヲ以テ臣民ノ自由ヲ制限スルノ作用ハ余ハ之 ヲ称シテ警察權ト謂ワント欲ス。是レ警察トイフ名称カ必スシモ常ニ此ノ 意義ニノミ用イラルト云フニ非ラス。」と認めつつも,「警察」の意義につ いて学説は一致していない,「障害ヲ除ク」ことを「警察」の要素とする 説を唱える論者もあるが,そのどれが正しいのかは暫く措き,「目的ノ消 極的タルト積極的タルトヲ問ワス,國權ヲ以テ自由ヲ制限スルノ作用ニ対 シテ一定ノ名称ヲ附スルヲ便宜トナスヘク,而シテ警察トイフ名称カ此ノ 意義ヲ言ヒ表ハスカ爲ニ最モ適当ノ名称ナリト信スルカ故ニ,暫ク此ノ意 義ニ於テ警察トイフ語ヲ用イタルニ過キス。」29)とする。 もし「警察」の意義をこのように定めることができるならば,憲法⚙条 を警察命令と解することができるというのである。美濃部が「警察」を極 めて便宜的に用いていることがわかる。憲法⚙条独立命令を警察命令と解 するために「警察ノ観念」を操作したのではないだろうか。 ⑵ 憲法⚙条独立命令と「警察権ノ限界」論 美濃部は,憲法の解釈に「警察」という概念を持ち込み,それによって 権力を抑制する契機としようとする。明治43年法学志林「警察ノ観念ヲ論 シテ憲法第九條ニ依ル獨立命令權ノ範囲ニ及フ」において,美濃部の「警 察ノ観念」の特異さはより明確になる。 通例,警察の観念は目的と手段という要素で説明されるのであるが, 「臣民ノ幸福ヲ増進スル」目的をも含めて憲法⚙条を警察命令とするので あるから,目的という要素でまず「警察」という観念を説明すると綻びが 生じてしまう。美濃部は,命令及び強制の権力性に着眼し,「警察ハ臣民 29) 美濃部・前掲注(27)47頁以下。

(18)

ノ自然ノ自由ヲ制限スルノ作用ナルコトヲ以テ其ノ観念ノ一ノ要素ト爲 ス,自然ノ自由トハ以テ法律上ノ力ニ對スルモノニシテ法律上ノ力ニ對ス ル權力的ノ作用ハ最早警察ノ範囲ニ属セス」30)という。「自然ノ自由ヲ制限 スル」とは,すなわち,権力的な手段に自然の自由を制限することである から,権力的な手段を用いないものは警察の作用ではないのである。 「警察ノ観念ヲ論シテ憲法第九條ニ依ル獨立命令權ノ範囲ニ及フ」の主 眼は,憲法⚙条を警察命令とすることによって,特に法律の委任ある場合 の外は「警察上ノ必要アル限度」においてのみ発することを認めようとす る。如何なる場合に「警察上ノ必要」を認めるかを,「警察権ノ限界」を 構成する「数個ノ原則」に注意しなければならないといい,以下の四つの 原則を挙げる。 ⅰ) 「警察ハ公共ノ秩序ニ對スル障害ヲ除去スルコトヲ以テ其ノ自然的 ノ区域トナス。」 ⅱ) 「警察權ハ障害ヲ惹起シタル者ニ對シテ行ワルル原則トス。」 ⅲ) 「警察權ノ發動ハ唯其ノ障害ヲ除クカ為ニ必要ナル最小限度ニ限ラ レサルヘカラス。警察カ臣民ノ自由ヲ制限スルノ程度ハ其ノ除カント スル障害ノ程度ト相比例スヘキモノニシテ,其ノ障害ノ程度大ナルト キハ自由ノ制限モ亦大ナルヲ得ヘク障害小ナレハ自由ノ制限モ亦随テ 小ナラサルヘカラス,何レノ場合ニ於テモ障害ヲ除クニ必要ナル限度 ヲ超エテ臣民ノ自由ヲ制限スルハ警察ノ自然ノ限界ヲ超過スルモノニ シテ獨立命令ヲ以テハ之ヲ定ルヲ得サルモノナリ。」 ⅳ) 「社会ニ有害ナル影響ヲ与フヘキ所爲ト雖モ其ノ所爲カ同時ニ社会 ノ福利ノ權ニ避クヘカラサル必要ナル場合ニ於テハ警察ハ之ニ干渉ス ルヲ得サルヲ原則トスル。」 ⅰ)は目的に関する原則,ⅱ)は責任に関する原則,ⅲ)が「比例原 則」を意味し,ⅳ)は,騒音など事業に伴って発生し,事業は概ね多少の 30) 美濃部達吉「警察ノ観念ヲ論シテ憲法第九條ニ依ル獨立命令權ノ範囲ニ及フ」法学志林 12巻⚓号(1910年)50頁。

(19)

程度は公共の秩序を障害するのであるから警察は介入しない,という意味 である。ⅲ)「比例原則」について言えば,初めて「必要ナル最小限度」 という文言が登場した。これらを「警察上ノ必要ト否トヲ区別スヘキ標準 ノ重ナルモノ」とする。換言すれば,法律の要否を区別する標準である。 明治40年警察協会雑誌「警察權ノ限界」で述べられた六つの原則と比較 すると,大きく変わっているように見える。しかし,実質的には変わって いない。警察の作用という場合,福利を増進する作用を含まず,障害を除 去することを「自然的ノ区域」としているからである。

Ⅲ 行政法体系における「警察権の限界」論の意義

――大正期の「比例原則」―― ⚑.大正⚒年法学協会雑誌「警察權ノ限界ヲ論ズ」 大正⚒年(1913年)法学協会雑誌31巻⚓号「警察權ノ限界ヲ論ズ」は, 大正元年(1912年)法学協会雑誌30巻⚘号「警察ノ観念」に対して提起さ れた疑問31)に答えようとする論説である。警察の観念は如何なる性質を有 する国家行為を警察と称するかという問題であり,警察権の限界とは国家 機関の権限の問題であって,警察権を委任された国家機関が如何なる限度 にまで臣民の自由を制限する権限があるかという問題である。警察権の限 界は警察の観念とは全く区別して答えなければならないという。 大正⚒年法学協会雑誌「警察權ノ限界を論ズ」では,ⅰ)警察ノ目的ニ 関スル原則,ⅱ)警察ノ公共的原則,ⅲ)警察ノ比例的原則,ⅳ)警察ノ 平等的原則,ⅴ)警察責任ノ原則,ⅵ)警察急状権ノ原則,という六つの 原則を挙げている。 警察ノ比例的原則は,二つに分けて説明されている。一つは,臣民の自 由を制限する程度は,除去しようとする障害の程度と相比例することを求 31) 保々・前掲注(26)⚙頁以下。① 警察の観念には積極的分子を含むか否か,② 自然の 自由とは何か,③ 定義と憲法第⚙条及び第⚕条に対する博士の解釈との関係。

(20)

めるものである。その障害の程度が大きければ自由の制限もまた大きくな り,障害が小さければ自由の制限も小でなければならない。二つ目は,警 察が臣民の自由を制限するのは,その制限によって除去しようとする社会 上の障害が,それから生じる社会上の不利益よりも一層重大なる場合に限 られるとする。二つ目に挙げられている点は,従来,警察は社会悪に介入 しないと述べてきた原則の意味を言い換えた側面と,介入すべき障害を論 じようとした側面がある。 大正⚒年に至って「警察権の限界」を構成する各原則に名称が付けら れ,警察ノ平等的原則と警察急状権ノ原則が新たに加えられている。 ⚒.大正⚓年『日本行政法 第三巻』 明治36年法律新聞「警察權の限界」から大正⚒年法学協会雑誌「警察ノ 限界ヲ論ズ」までの⚔本を比較すると,「比例原則」以外の「警察権の限 界」論の内容は一定していない。「警察権の限界」は大正⚓年(1914年)に 初めて行政法体系書『日本行政法 第三巻』に位置付けられる。 『日本行政法 第三巻』は各論警察法の体系書であるが,その特徴とい うべきは,第⚑章警察法第⚑節のタイトルが「警察ノ観念」ではなく, 「警察権ノ観念」であることである。「臣民ノ幸福ヲ増進スル」目的をも含 む憲法第⚙条独立命令を制約することを意図して警察命令とするために, 「警察」を便宜的に用いたのであるから,「警察ノ観念」から始めて警察法 を体系的に記述することができなかったのであろう。 「警察権ノ限界」に関する原則は,ⅰ)目的ニ関スル原則,ⅱ)私生活 ノ自由ノ原則,ⅲ)平等ノ原則,ⅳ)比例ノ原則,ⅴ)責任ノ原則,とい う五つが挙げられている32)。前年の論説「警察權ノ限界ヲ論ズ」から警察 急状権ノ原則が落ち33),警察ノ公共的原則から私生活ノ自由ノ原則に名称 32) 美濃部達吉『日本行政法 第三巻』(有斐閣,1914年)45頁以下。 33) 警察急状権の原則は,大正⚓年『日本行政法 第三巻』において「警察権の限界」では なく「警察強制」に位置付けられている。「第六節 警察強制 第一款 警察強制ノ性 →

(21)

が変わった。警察急状権は「警察強制」に位置付けられるようになった。 「比例ノ原則」には Grundsatz der Verhältnismäßigkeit というドイツ 語が付され,二つに分けて説明される。「警察權ニ依ル自由ノ侵害カ之ニ 依リテ除去セントスル障害ノ程度ト比例スルヲ要ス」ることと,「警察權 ニ依リテ除カルヘキ障害カ之ヨリ生スヘキ社会上ノ不利益ヨリ大ナルヲ要 スルコト」である。二つに分ける点,その内容は,前年の論説「警察權ノ 限界ヲ論ズ」と同様であり,ここに「必要最小限」という文言は見られな い。 大正⚓年『日本行政法 第三巻』は明治期に展開した議論の集大成であ るが,美濃部の「警察権の限界」論は,大正になっても,なお変化を続け ている。一つには,新たな外国法文献の影響がある。 前述した明治40年(1907年)警察協会雑誌90号「警察權ノ限界(10月⚔日 警視廰講話会ニ於テ)」で美濃部が参照した主な外国法文献は,オットー・ マイヤー『ドイツ行政法 第⚒巻』(1896年)とヴォルツェンドルフ『警察 権の限界』(1905-1906年)であったと思われる。大正⚒年(1913年)法学 協会雑誌31巻⚓号「警察權ノ限界ヲ論ズ」では,オットー・マイヤー『ド イツ行政法 第⚒巻』(1896年)に加えて,新たに Kurt Wolzendorff, Die Grenzen der Polizeigewalt im französischen Recht(以下,ヴォルツェンド ルフ「フランス法における警察権の限界」),Archiv für öffentlichen Recht, XXIV(1908), S. 342ff., F. Fleiner, Institutionen der deutschen Verwal-tungsrecht(「ド イ ツ 行 政 法 の 諸 制 度」。以 下,フ ラ イ ナー「Institutionen」), 1911, S. 321ff., Schultzenstein, Die Grenzen der Polizeigewalt beim Schutze gegen sich selbst(「警察権(力)自体に対する保護に際しての警察権 (力)の限界」), Deutsche Juristen Zeitung 1904, S.8ff., S. 129ff., が挙げられ ている。そして大正⚓年『日本行政法 第三巻』では,Schultzenstein の 論文が抜け,オットー・マイヤー『ドイツ行政法 第⚒巻』,ヴォルツェ

→ 質及種類 一 強制ノ意義 二 強制執行ト即時強制 三 遵由強制ト実力強制 四 即 時強制ノ行ハルル場合――警察急状権」。

(22)

ンドルフ『警察権の限界』および「フランス行政法における警察権の限 界」,フライナー「Institutionen」の参照が指示されている。 美濃部の「警察権の限界」論がドイツ法文献から多大な影響を受けたこ とは確かであるが,憲法解釈に「警察」という概念を持ち込み,日本法独 特の憲法⚙条独立命令を強引に警察命令と解することによって,美濃部の 「警察権の限界」論は,ドイツ法の「警察権の限界」論とは異なった意義 を有するようになった。「警察権の限界」論は,前述した明治36年法律新 聞「警察權の限界」が示すように,具体の警察権発動の認定権,手段選択 の局面にその意義が現れるのであるが,憲法⚙条独立命令の制約に用いよ うとする場合,一般的・抽象的な臣民の自由・権利が問題とされ,個別・ 具体性を失ってしまうのである。 大正⚓年の時点での「警察権の限界」論ないし「比例原則」は,「警察 上の必要」について,警察官の現場での認定権,警察官庁の認定権,独立 命令を発する「認定権」(法律の要否)という三つの異なったレベルが明確 に区別されていない。 ⚓.大正⚙年『日本行政法 各論 上巻』 大正⚓年『日本行政法 第三巻』は,大正⚙年(1920年)に新稿となっ た。これを機に美濃部の「警察ノ観念」ないしは警察の目的に関する理解 が,再度改められたのではないかと思われる。なぜなら,大正⚓年版第⚑ 章警察法が書き改められ,「第一章 警察行政(一)総論」「第一節 警察 ノ観念」「一 警察ノ目的」「二 警察ノ手段」「三 警察權ノ基礎」から 始まり,まず目的という要素を第一に「警察」を規定する説明の仕方に変 えられたからである。 「警察權ノ限界」として挙げられているのは,以下の四つ34)であり,大 正⚓年『日本行政法 第三巻』にあった平等の原則が抜けたものになって 34) 美濃部達吉『日本行政法 各論 上巻』(有斐閣,1920年新稿1922年第⚓版)35頁以下 参照。

(23)

いる。 ⅰ) 目的ニ関スル原則 「警察權ハ社会生活ノ秩序ヲ維持スルガ爲ニ存スルモノナルヲ以テ, 其ノ權力ハ法律ニ依リ特別ノ例外ヲ認メラルル場合ノ外ハ唯社会ニ對 スル障害ヲ除去スルガ爲ニ行ワルベク文化ヲ進メ福利ヲ増スガ爲ニ行 ハルルヲ得ザルコト」 ⅱ) 私生活の自由 「警察權ハ社会公共ノ爲ニ存スルモノナルヲ以テ直接ニ公共ニ影響セ ザル各人ノ私生活ニ對シテハ干渉スベカラザルコト」 ⅲ) 警察上ノ比例ノ原則 「警察權ニ依ル自由ノ制限ハ常ニ警察上ノ必要ノ程度ト相比例スルヲ 要スルコト」 ⅳ) 警察上の責任 「警察權ハ警察上ノ責任ヲ有スル者ニ對シテ行使セラルベキコト是ナ リ」 大正⚓年『日本行政法 第三巻』では,憲法⚙条独立命令制定権の及ぶ 範囲を制約することを企図していたが,大正⚙年新稿版には,憲法⚙条独 立命令制定権に関する記述が見られなくなった。大正⚙年新稿版が「警察 權ノ観念」ではなく「警察ノ観念」から始まり,手段の権力性の要素を第 一にもってきていないことを考え併せると,大正⚙年新稿版において, 「警察権の限界」論によって憲法⚙条独立命令制定権を制約するという主 張を変えたと思われる。 しかしながら,特筆すべきことは,美濃部が大正⚙年新稿版において, 「警察権の限界」論について「行政権の限界」のみならず,初めて,立法 権に向けた「立法権の限界」という視点を明らかにしたことである。現代 的にいえば法律を裁判所が審査するということであるが,アメリカと異 なってそのような審査権がないわが国では,裁判所が審査するのではな く,立法権が限度内に止まっているか否かを立法権自身が最終的に認定す

(24)

るということになるという35)。

お わ り に

ここまで明治36年法律新聞「警察權の限界」から大正⚙年新稿版「警察 權の限界」を比較検討してきたが,「警察権の限界」を超えた行為の法効 果について,美濃部は大正⚙年新稿版においてもまだ明らかにしていない。 わが国における「比例原則」の原型である明治36年法律新聞「警察權の 限界」は,自由裁量であることを前提としつつも,なおその自由裁量の限 界を画そうとするものであったが,憲法⚙条独立命令制定権を限界づけよ うとしたことによって,本来の「警察権の限界」の意義がぼやけてしまっ た。「警察権の限界」を超えてはならないということを,行政権に向けて, そして立法権に向けても規範化できるとしても,「警察権の限界」を超え た行為がどうなるかは別問題である。行政権による「警察権の限界」を超 えた行為の効果は,行政争訟制度との関係で決まるからである。 大正⚖年(1917年)近藤駿介「警察上ノ裁量處分ト所謂警察上ノ比例ノ 原則並ニ平等ノ原則ニ就テ」は,この点について言及している。近藤は, 比例原則は行政官庁が処分をするに際しての「心得」というべきもので あって,処分の違法を導くような不文法ではないという。行政訴訟を提起 できるのではなく,行政訴願を提起し得るものだとする36)。 35) 美濃部・前掲注(34)32頁以下。 36) 近藤駿介「警察上の裁量處分ト所謂警察上の比例の原則並に平等の原則に就て」警察協 会雑誌209号(1917年)⚑頁以下。「所謂警察權の比例の原則は,行政官廳か裁量處分を爲 すに当り,●●すへき原則にして(筆者注:●●を判読できなかった),臣民の自由は, 唯警察上の必要なる最小限度に於て,制限すへきことは,不文法の原則にして之に違背す る處分は違法處分なり,従って行政訴訟を提起し得るものとなす論者あり。然りと雖も余 輩考ふるに所謂警察上の比例原則は,警察處分を爲すへきものか,正に考慮すへき点なる ことは云ふを俟たすと雖,之は行政を爲すに當り心得へき事項なりと云ふに過きすして, 之を以て不文法なりとなすは,自由民権天賦人権説より生する獨断なり」「之に反したる ときは,不当なる行政處分として,行政訴願を提起し得るに止ると信す」。

(25)

行政争訟制度において,「警察権の限界」ないし「比例原則」に違背し た行為がどう評価されるかが問題となる。美濃部は大正から昭和にかけて 「比例原則」を行政法総論に移し変える。行政法総論に現れる「自由裁量

参照

関連したドキュメント

(( 3ff.; Gaede, Durchbruch ohne Dammbruch—Rechtssichere Neuvermessung der Grenzen strafloser Sterbehilfe, NJW 20 (0, S?. 292 (ff.; Von der passive Sterbehilfe zum

Dies gilt nicht von Zahlungen, die auch 2 ) Die Geschäftsführer sind der Gesellschaft zum Ersatz von Zahlungen verpflichtet, die nach Eintritt der

—Der Adressbuchschwindel und das Phänomen einer „ Täuschung trotz Behauptung der Wahrheit.

), Die Vorlagen der Redaktoren für die erste commission zur Ausarbeitung des Entwurfs eines Bürgerlichen Gesetzbuches,

Greiff, Notwendigkeit und Möglichkeiten einer Entkriminalisierung leicht fahrlässigen ärztlichen Handelns, (00 (; Jürgens, Die Beschränkung der strafrechtlichen

Radtke, die Dogmatik der Brandstiftungsdelikte, ((((

三七七明治法典論争期における延期派の軌跡(中川)    セサル所以ナリ   

Wieland, Recht der Firmentarifverträge, 1998; Bardenhewer, Der Firmentarifvertrag in Europa, Ein Vergleich der Rechtslage in Deutschland, Großbritannien und