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ヘーゲルの『法哲学』  -その成立の背景(3):ヘルダーリン

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(1)その成立の背景(3):ヘルダーリン. ヘーゲルの『法哲学』. 下城 一 EineUntersuchungderRechtsphilosopieHegels UberdieHintergrtindedesZustandekommender RechtsphilosophieHegels(3):H61derlin 「自然」の「崇高さ」を巡り、カントは次のように書いていた。 「急峻な、今にも落ちかからんばかりの懸崖、大空に湧き上がり電光と雷鳴とを伴って近づいてく る雷雲、すさまじい破壊的な威力の限りを尽くす火山、惨憺たる荒廃を残して去る暴風、怒涛の逆巻 く際限なき大洋、移しい水量で中空にかかる濠布等は、我々の抵抗力をその威力に比して取るに足ら ぬほど小さなものにする。しかし我々が安全な場所に身をおいてさえいれば、その眺めが見る眼に恐 ろしいものであればあるほど、これらの光景は我々の心を惹きつけずにはおかないだろう。我々はこ のような対象を好んで崇高と呼ぶのである。これらの対象は、我々の魂の強さを日常の平凡な域以上 に高揚させ、まったく別種の抵抗力を我々のうちに開顕させて、我々に、見るからに絶大な自然力に 挑む勇ノ気を与えるからである」. (『判断力批判』§28、V261) 此の世界における真理の顕現を要請されるものにとどめたカントの実践哲学に対し、その乗り越えを目. 指したヘルダーリン、ヘーゲル、シェリングら、チエー. ビンゲンの少壮学徒達が方法論上の基礎としたの. は、フィヒテがその知識学で展開した自我の本質構造論である。いち早くその、主観=客観を結果するフ ィヒテの自我=事行哲学から、能産的自然=所産的自然を主張するスピノザ哲学を介して、自然へと迫ろ うとしていたのは、最年少シェリングの同一哲学であった。 カント哲学の乗り越えを目論む者達が探求の目標としたのは、 − として要請されるに止まった −. カント実践哲学では彼岸の目的. 真理の、この此岸への顕現を可能とする論理の基礎付けである。前. 稿(2)でも見たとおり、早くはシラーが、真理の此岸への顕現として、実に注目し、その感性論の彫琢に 腐心していた1。冒頭引いた、カント『判断力批判』における崇高論についても、その崇高の「感情」を −. − それ故、「理性」を介さず 一. 真理論として哲学的にどう理論化するか、それが問題なのであった。. そのようななか、スピノザへの注目をはじめとして、チュービングンで少壮学徒達の思想をリードして いたのは、ヘーゲルと同年齢のヘルダーリンである。 ヘルダーリンは、詩人として、 −. 自然の認識に注目した哲学者シェリングと異なり 一. と神としての自然、すなわち真理との合一を、ギリシアの至上の人間の劇のうちに見出していた。そこか. ら、喪われたギリシアの至福からの 一 ことが、ヘルダー. 分裂せる近代に窮まる 一. 人間の没落の悲劇を描き出す. リンの詩作の主題となる。フィヒテの法哲学が、自然法と人間が作り出した実定法との. 全ったき合一として、自然と合一した共同体の規定に腐心していたそのときに2、ヘルダーリンは、既にも う、そこから転落せざるを得ない人間の運命の描写に着手していたのである。. 詩人の燃える眼に、 −. スゼッテ・ゴンタルトの美を通じて − 一度は完成したかに見えた、. 真理のこの此岸への顕現は、しかし、次の瞬間には、それを見て取った詩人もろとも没落させずにはいな い本質のものであった。そのとき、痛ましすぎるヘルダーリンの魂の傍らにいて、透徹した現実観察力で、 事件の一部始終を見守っていたのは、ヘーゲルである。この経験は、ヘーゲル哲学の形成過程にとっても、. 人間.

(2) 16. 下城 −. 重要な意味を持っことになる。 夫人スゼッテ・ゴンタルトとの破局を挟み、幽冥境への転落をもはやとめようもなかったヘルダーリン は、『ヒューペリオン』、並びに悲劇『ェンペドクレスの死』を書きつぐことになる。スゼッテとの遼遠以 前に書き始められていた『ヒューぺリオン』に、既に、生きていくには鋭過ぎる詩人の自らの運命を予見 する筆致を見て取ることは難しくない。遺作となった、『ェンペドクレスの死』は、神々に打ち棄てられ、. 人々に打ち棄てられて、自然・神々との合一に回帰するた捌こエトナ山へ身を投げる悲劇の哲学者を措い ている。. しかし、それにしても、そもそも一体何故、自死に至るエンペドクレスは、神との合一に破れ、神に打 ち棄てられねばならなかったのか。 『ェンペドクレスの死』第二稿冒頭近くで、主人公エンペドクレスは漏らす。 「あの一言さえ言わなければ…」. (StAⅣ,1200). ヘルダーリンを見守り続け、『ェンペドクレスの死』の構想における協働も推測されているヘーゲルぱ、. 既に1795年に 一. 半ば唐突に −. 『イエスの生涯』を執筆している。. 前稿(2)で指摘したように、当時、ライマールスの宗教批判的な啓蒙書『イエス伝』を除けば例のない、 イエスの史的足跡を聖書から忠実に抜き出した凡庸で護教諭的な『イエス伝』でヘーゲルは、しかし、毀 誉褒敗の限りを尽くしてイエスを追い詰める蒙昧な民衆の余りにも愚かな問いに向けて、遂にイエスが吐. く次の一句を密かに、しかし確信を持って歴史に付け加えていた。. 「−. あなたは聖別された者、神の息子なのか。 そうだ、とイエスは答えた」. (GWI271). すなわち、ヘーゲルは、その思索のはじめから「聖金曜日」の再来などを夢見ていたのではない。ヘル ダーリンを通して眼の当たりにしたように、真理の、実の、此岸への顕現は 一 無が問題化されるが 一. 後に、その意識の有. 既に果たされているからである。問題は寧ろ、そこからの没落が何故避け難. いのか、何故人間は、合一からの没落をこそ運命としなければならないのか、という点にこそあった。近 代へと向かう人間の、その不可避の没落の運命を歴史として見定めること。そこにヘーゲル哲学の出発点 がある。 当面、確かにそれは、ありし日の合一の検証、すなわち理想への還帰を目標とする現在の可能的体制の 模索へと向かう。具体的に言えば、自然法的人倫と人為的実定法との全ったき合一を目指す理想国家実現. のための「ドイツ憲法」論の彫琢である4。しかしその模索の根底には、ヘルダーリンの事件を通じて、没 落を余儀なくされた人間の運命を静かに凝視めるヘーゲルの眼が隠れていたのに他ならない。 繰り返せば、此岸への真理の顕現は、それが美であれ、神であれ、一旦は、人間に対して与えられる。 しかし、にも拘わらず、再びそこから人が没落せざるをえないのは何故なのか。 かくて、神々の倫理と人間の法とが罪離せざるを得ない理由、その原因の探求においてヘーゲルは、理 想との緊張関係の中で現実を一層精密に解剖していく哲学的方法論を手中にする。神と人の合一を巡るそ の思索は、同一性の実在可能性に向けられた哲学的・論理学的問いでもあった。すなわち、自然である人 間が個物として、一性としての神との合⊥に拠らずして、多性の中で、個物が個物としてそのままに、個 物そのものとして存在し得るか否かを問う、認識論と論理学と存在論とが一点で重なる地点へとヘーゲル の思索は進むこととなる。そこが、ヘーゲル哲学の出発点である。そこを起点にその思想は、却って没落. の必然性のうちに神の顕現を見る哲学へと緩やかに、しかし確実に転回していく。.

(3) ヘーゲルの『法哲学』 −. その成立の背景(3)ニヘルダーリン. 本稿は、悲劇『ェンペドクレスの死』の彫琢へと窮まるヘルダーリンの「事件」が、ヘーゲル哲学の形 成に対して持った意味に注目しつつ、既に、それ以前に、「イエス伝」、「キリスト教の実定性」を書いてい たヘーゲルの思想が、ヘルダーリンのその運命の結末を凝視めながら、今一度「キリスト教の本質とその 運命」のうちで、如何に深化せずにはいなかったか、その思索の重畳を検証する5。 第一章 初期ヘーゲルの思想形成課程 第五節 ヘーゲル神学の実相と課題 はじめに、ヘルダーリンとヘーゲルとの交友関係の時期を年譜で確認しておく。本稿(1)、(2)6におけ る検討内容を含んでいるが、重複を厭わず再録する。 1788年、カント『実践理性批判』刊行。 同年、18歳でヘルダーリンとともにチュービングン神学校に入学したヘーゲルは、1790年、20歳で、更 に3年間の神学課程へ進む。15歳のシェリングが入学して加わり、教授シュトールのもと、各福音書や、ロ マ書と書簡、教義学等をともに学ぶ。 1790年、カント『判断力批判』刊行。 1791年、ヘルダーリン、ヘーゲルの記念帳に、スピノザ主義を標梼する標語「へン、カイ、パーン(一 にして全)」を記す。 1792年ヘーゲルは、ノール編『ヘーゲル初期神学論集』所収の断片「民衆宗教とキリスト教」を執筆開 始。 フィヒテ『啓示論』刊行。 1793年、ヘルダーリンらとともに、チュービンゲン神学校神学部の最終試験を終え、牧師補の試験に合 格したヘーゲルは、ベルンのシュタイガー家に家庭教師として赴く。このときヘルダーリンは、シラーの 斡旋でヘーゲルの代わりにカルプ家の家庭教師に赴任。 同年、シェリングの第一作「神話、歴史的伝説および最古の世界の哲学説について」がイエナ大学教授. バクルス編集の哲学神学雑誌『メモラビリエン』に掲載される。 この年ヘーゲルは、『初期神学論集』所収の断片のほか、ソフォクレスの悲劇『アンチゴネー』の翻訳、 プラトンからの翻訳、カント『純粋理性批判』の注釈等を執筆7。 1794年、フィヒテ『知識学すなわちいわゆる哲学の概念について』公刊。『全知識学の基礎』第一部講義 用原稿を印刷配布。 ヘーゲルは「民衆宗教とキリスト教」を書き継ぐ。 同年、『哲学一般の形式の可能性について』を書きフィヒテに献呈したシェリングは、翌1795年1月、ヘ ーゲルに宛ててフィヒテ哲学がカント哲学を乗り越えつつあることを述べ、スピノザ研究に着手している. ことを知らせる。ヘーゲルも返事を書き、カント研究を再開したことを告げる。同月、ヘーゲル宛ての書 簡でヘルダーリンは『ヒューぺリオン』の再構成に専念していることを知らせている。 フィヒテ、理性段階にいたる以前の感性的啓示の意義を認めた『啓示論』第二版刊行。 ヘルダーリン草稿「判断と存在」。 4月、フィヒテの自我哲学を更にスピノザ哲学と結びつつあるシェリングに宛てて、ヘーゲルは「カン トの体系とその最高の完成から僕はドイツにおける一つの革命を期待している」と述べる。 5月から7月末までに、ヘーゲル、「イエスの生涯」を執筆。 11月までに、「キリスト教の実定性」の主要部分を執筆。 「ユダヤ教の精神」準備稿。 同年末、ヘルダー. リン、フランクフルト、ゴンタルト家に家庭教師として赴任。. 17.

(4) 18. 下城 一. 1796年、ヘーゲルの筆跡で「ドイツ観念論最古の体系プログラム」。. 7月、ヘルダーリンはゴンタルト家夫人スゼッテと戦火を避けヴェストファーレンヘ。ヘーゲルは、ベ ルンの高地アルプス地方への徒歩旅行に出る。. 8月、ヘーゲル、ヘルダーリンに詩「ェレウシス」を献呈。「ユダヤ教の精神について」準備草稿を執筆。 カント『実践理性批判』を研究。 1797年、ヘーゲル、ヘルダーリンの紹介により、同じフランクフルトのゴーグル家の家庭教師に赴任。 カント『人倫の形而上学・第一部・法論の形而上学的原理』刊行。 同憂『人倫の形而上学・第二部・徳論の形而上学的原理』刊行。 4月、ヘルダーリン『ヒューペリオン』第一部刊行。シェリング『自然の哲学の理念』。. 6月、ヘーゲル、断片「道徳、愛、宗教」執筆。 11月、ヘーゲル、断片「愛」執筆。 1798年、ヘーゲル、ベルン市の民会のあり方を問うた政治パンフレット「カル親書訳」を匿名で刊行。 シェリングのイエナ大学招聴。. 8月、ヘーゲル、ヴュルテンペルクの民主化を企図するパンフレットの出版を計画するが、助言により 断念。カントの『人倫の形而上学』の研究を開始。 「キリスト教の精神とその運命」を執筆。 9月、ヘルダーリン、ゴンタルト家を去り、ホンブルクで『ヒューぺリオン』第二部刊行。『ェンペドク レス』を執筆。 1799年、ヘーゲル、『ドイツ憲鋲論』のための準備草稿執筆。 1800年、ヘルダーリン、『ェンペドクレス』完成を断念して帰郷。 1801年末、ヘルダーリン発狂。. 一見すると、ヘルダ」リンのシラーとの遼遠を端緒とする華々しい経歴や、一気に頭角を現したシェリ ングの影で、ヘーゲルは、まだ牧師の道の半ばにあり哲学者以前の経歴にとどまっているようにも見える。 がしかし、その内実は、本稿(1)で確認したとおり、ヘーゲルが宗教に期待するものは、実は、理性を超 える民衆教化の政治的媒体としてのそれであり、その透徹した現実観察能力で、チュービングン卒業後す ぐに赴いたベルンの内情をすぐさま調べ上げ、キリスト教を政治的に用いるための宗教論文を執筆しつつ、 最初の出版が、年表上は唐突にも見える、1798年の政治文書の翻訳、所謂カル親書訳:「ヴァード地方とベ ルン市の以前の国法上の関係に関する親書」であった点は、もう既に、後年のヘーゲル哲学、すなわち全 ての真理を宗教を超える哲学として、歴史の現実、すなわち国家においてその顕現を見る体系哲学 −. 『法哲学』 一. に至る道を、ヘーゲルは、既に着実に歩み始めているといってよい8。. とはいえ、しかし、本稿(2)で確認したとおり、目に見えない伏線として、真理の此岸への顕現を保障 する方法論としてのヘーゲルの、カント定言命法へ寄せた批判と表裏一休の密かな期待 − の生涯」での唐突なその襲用 −. と、それを乗り越えるための方法論の転換が密かに. 「イエス. 、しかし着実に、. 哲学へと向けた思想深化の道として営々と準備されねばならなかった。 問題は、イエスに定言命法を語らせ、「神の子である」と言わせたことを、ヘーゲル自身、どう評価する かである。カントを待たねばならなかったにせよ、それが真理のこの世界への顕現形草であるならば、何. 故、歴史上のイエスは、真理をこの世界に公言したにもかかわらず、没落せねばならなかったか。「イエス の生涯」は、ヘーゲルにとって、いずれ問題化することとなるその哲学本来の課題を浮き彫りにしたのに 他ならない。. さしあたり、その課題に直面してヘーゲルがとった思索の道を、達成された業績だけを羅列する形で示 しておくと、以下の通りである。 1795年「イエスの生涯」執筆の後、すぐさま書き継がれた断片「キリスト教の実定性」は、真理をこの.

(5) ヘーゲルの『法哲学』 −. 19. その成立の背景(3):ヘルダーリン. 世界に公言したことによる没落の原因を、さしあたり語られた言葉、命題の実定性として分析し、真理が 実定化せざるをえない理由を、歴史上の民衆の啓蒙され難い迷妄に見出す。. 1796−97年、その実定性批判は、より歴史の実相に沿って展開された「ユダヤ教の精神」に受け継がれ るが、歴史研究としては、事件後の1798年、「キリスト教の本質とその運命」に当面集大成されることにな る。 その一方ヘーゲルは、当時の祖国の現状に向けて民主化を希求する政治文章の執筆に取り組み、1798年、. カル親書訳を匿名で出版する。その後、続けて −. 「キリスト教の精神とその運命」執筆開始の直前. 一 普通選挙制を求めた政治文書「ヴュルテンペルクの最近の内情について、とりわけその自治体役員 制度の欠陥について」の出版を計画している。 その線上で、「キリスト教の精神とその運命」の執筆半ばにして既に、カント『人倫の形而上学』の研究. を踏まえた「ドイツ憲法論」の執筆が開始され(1798−99年) −. 「キリスト教の精神とその運命」. の完稿は、1799−1800年。1800年「キリスト教の実定性」改稿。同年、「1800年の体系断片」、並びに「惑 星軌道論」が執筆され −. 「ドイツ憲法論」の執筆は、翌1801年まで続く。. 事件は、ヘーゲルの、「イエスの生涯」執筆で浮き彫りになったこの課題との取り組みの途上で起こる。 シラーと避返し、詩想溢れた華々しい経歴をスタートさせていた思想的リーダーであるヘルダーリンは、. 家庭教師として、1795年末にゴンタルト家に赴任し、スゼッテ・ゴンタルト夫人と避遁。1798年9月25日 に、ヘルダーリンがゴンタルト家を辞去するまでのその顛末が、ヘーゲルの思想形成史上における、神学. 的課題の解決にどのような影響をもたらしたか、その仔細を見極めておかねばならない。 本稿(1)で検証したとおり、男女の自由な愛を描くことで旧体制の硬直を浮き彫りにしたルソーの『新 エロイーズ』は、フランス革命への熱狂に増幅されて、続くゲーテ、ヤコービ等ドイツ・ロマンティーク の思潮とともにチュービングンの少壮学徒達に迎えられていた9。断片イ民衆宗教とキリスト教」の冒頭で 「宗教はわれわれの生活の最も重要な関心事の一つである」(GWI、N3)と書いたヘーゲルもまた、愛に よる合一の思想を自らの神学に取り込む。しかし、ヘーゲルにとって「神の愛」は、説かれるだけでは客 体化を免れ得ず、「神についての単なる学識」や「単なる歴史的な、理屈っぽい知識」といった、生命を失 った「客体的な宗教」に転落を余儀なくされるものでしかない(GWI15)。 「民衆宗教とキリスト教」(1792年)から引用す争。 「主体的宗教は生き生きとしており、存在の内奥における活動であり、外への働きかけである」 (GWI14). 既に、後年の実定性批判を努常とさせる内容だが、しかし、見られるとおり、このとき問題は、客体が 主体化し得ないこととして捉えられているのであり、客体を主体化させることさえできれば、宗教の客体 化は免れ得るものとヘーゲルは考えている。すなわち、後年のヘーゲル神学における真正の課題 一. 神. の愛を口にしたのがイエスであり、主体であるはずのイエスの言葉が、なお硬直化・実定化せざるを得な. いその理由 一. について考えるところにまではまだその思索は及んでいないのである。. 「経験する個性の根本原理は愛である。愛は他の人間の中で自分自身を見出し、或いは寧ろ自分自 身を忘れて、自分の存在から脱していわば他者の中で生き、感じ、そして活動する。その限り愛は理 性と何か類似したところがある」. (GWI30). 最後の部分、「その限り愛は理性と何か類似したところがある」という留保には、ヘーゲルの 一. にカント哲学の批判から感性の自由へと一足飛びに進むゐではない −. 単 独自の思考が窺われる。客体.

(6) 20. 下城 一. の中で自らを脱し、主客合一に達しうる主体の、感性を基盤とする活動を意味する、当時流行の思想であ る愛を、自らの思考に取り入れながらも、なおそれを、「理性と類似したところ」があると見なすヘーゲル には、その現実観察も踏まえた、理性への、変わらぬ期待の留保がある。 とはいえしかし、ここに既に、愛による主客合一の思想は、その骨格において説かれているといってよ. い。にもかかわらず、何故、その後に至っても、ヘーゲルは、愛について繰り返し考察するのであろうか。 隠された、その実の理由について考えてみる必要がある。 既に、本稿(2)で考察したように、真理の顕現形式を巡るヘーゲルの思考には、 −. 一方で、シラ. ーの美学を筆頭とする「感性」にそれを期待しながら思想展開の推移を見極めつつ −. カント実践哲. 学、すなわち「理性」へ向けられた、隠された、しかしその現実観察からする限り決して外すことのでき ない期待の密かな維持が、伏線としてある。ヘーゲルの思索に、その方向を確信させたのは、進展する自 然科学への関心と合わせて、ベルンでの政治研究であり、ヴュルテンペルクに劣らないベルンの実際の政 治を巡っての観察の結果であったであろうことは付度に難くない。その冷静な観察眼は、フランス革命に. 熱狂し、ルソーの説く愛に立脚したとしても、なお、愛すべき民衆の蒙昧を凝視し続けるのであり、その 教化に向けて、感性を通じてであれ愛を理性的に説かねばならないことの必然性と、同時にその限界とを、 熟知していたのである。 民衆に愛を説くことの限界、感性を通じてその教化に向かう宗教の限界の認識が、 するイエスという、感性と理性の実験的限界設定の形で −. 一定言命法を口に. はっきり示されたのが「イエスの生涯」. である。そのことを象徴するのが、冒頭引いた、イエスに向けられた人々の余りに無思慮な言葉 −. なたは神の子なのか」− であり、それに対するイエスの余りにも苦渋の応答 −. 「あ 「そうだ」−. 一 郎ち人間の想像を絶した神人の瑳秩というしかないその返答である。 民衆教化を念頭に、その神学的思索を進めてきたヘーゲルにとって、感性的であるべき宗教を通じての. 真理の啓蒙の限界は、それ故、はじめから見通されていたのであり、すなわち、それはまた、愛を通じた その教化の限界もまた予感されていたことを意味するのに他ならない。 当面しかし、「キリスト教の実定性」では、イエスの口から説かれキ神の言葉でさえ硬直化し、形式化さ. れる実定化の原因は、一. 定言命法それ自体の真理論的問い直しとは別に 一. 民によるその反復に. よって引き起こされると考察される。何故ならば、イエスは、その実践において、カントの定言命法を語 ったとされるのであり、ということは、文字通りにはそれは 一 万有引力の法則が、どんな個別的内 容をも持ち得ないのと同様に − イエスは此岸の問題については、実は原理上、どんな個別的な内容 をも語ったとは見なされ得ないからである。定言命法の形でイエスの愛のうちに示された理性は、遂に何 物もこの此岸のうちに表現することができないのである。 「キリスト教の実定性」は、イエスの口から説かれた神の真理が此岸においては実定化せざるを得ない 理由として、当面、「ユダヤ教の特徴である戒律とその奴隷」や「われわれの考え方、感じ方、意欲の仕方 にまで、戒律を命じる教会」、及び「血縁関係や仕事によって結びついていた共同体から遠ざかり、特定の 小集団にその同情や善行を限定するようにさせるキリスト教諸小集団(Sekte)」を挙げる(GWI125)。確 かにそれは、歴史に対するヘーゲルの確かな事実観察眼を示した実定性の原因追求と言えるが、ただしか. し、当面の懸案である、イエスと神との合一の可能性、神人合一の可能性それ自体については、なおその 判断は、保留されたままと言うことができる。定言命法の形で、此岸の感性的愛のうちに理性を顕現させ ることには、その限り、確かに成功しているからである。 ヘルダーリンを巡る事件は、その段階で起きた。最早ヘーゲルにとって、カントの定言命法を以ってし ても、此岸への真理の内容までは保証し得ないというところで、ということはつまり、根本的に近代の世 界観全体を根底から見直す以外切り抜けようがない切羽詰った状況で、ヘルダーリンのその事件の一部始 終がヘーゲルにより見守られた。それを契機に、ヘーゲル哲学が、、確かに胎動を始める。 年初、ヘルダーリンがゴンタルト家に赴任した1796年、翌1797年初にヘルダーリンの斡旋でヘーゲルも.

(7) ヘーゲルの『法哲学』 −. その成立の背景(3):ヘルダーリン. 21. またフランクフルトに赴任する。それを端緒にヘーゲルは、矢継ぎ早に「愛」を巡る断片を書き継ぐ。 断片「道徳性・愛・宗教」はその前半で、カントの道徳哲学を批判的に分析する。ヘーゲルによれば、. カントの、自由を保障された「道徳的な活動性」(GWI239)は、「現実的なものを超出する」実践的自我 である(GWI241)。しかし、それは、ヘーゲルによれば、却って「道徳的なものと一般的な意味での客 体的なものとが相互にまさに対立する」(GWI240)二元論的関係を生み出してしまうのに他ならない。 実際には、「客体的なもの」から自由であろうとする「主体的なもの」は、フィヒテが説くように「客体的 なもの」を前提とし、「客体的なもの」によって逆に根底から規定されているのに他ならない(ibid.)。主 体的なものと客体的なものとが合一の関係にあることの認識から、改めて、主体と客体との新たな関係が 構想されなければならない。 実を言えば、超越の前提として、彼岸と此岸の対立の前提である合叫性に着目したこの認識が、ヘーゲ ル哲学の真正の震源地であり、認識論と論理学と存在論とが一点に集中する論点を、このときヘーゲルは 確かにその掌中に収めたのに他ならないのだが、当面、考察は、愛の規定の宗教との関係付けへと向けら れる。 断片後半で、ヘーゲルは、「自由な神性の崇拝」であるべき「宗教」について語っている。. 「主体と客体、或いは自由と自然が、自然は自由であり、主体と客体とは分離されえないというよ うに合一して考えられるところにこそ、神的なものが存在する。そのような理想が、全ての宗教が目. 指す目標である。一つの神性(Gottheit)は主体であると同時に客体であって、それが客体に対立した 主体であるとか、或いはそれが客体を持つというように言うことはできない」. (GWI242). それを基にヘーゲルは、今一度「愛」について述べる。 「愛においてのみ人は客体と一つである。客体はそのとき〔主体を〕支配することも、支配される. こともない。このような愛は、構想力によって本質にまで高められて、神性(Gottheit)である。分裂 した人間は、その神性を前に畏敬と崇敬の念を持ち 一. 自らのうちで合一した人間が得るのは愛. である」. (GWI242). 同年の断片「愛と宗教」。. 「宗教は愛と一つである。愛されるものは我々に対立するのではなくて、我々の存在と一一つである。 我々は愛されるものの中に我々のみを見る。そのときでもなおまた、愛されるものは我々自身ではな い。それは我々には捉えることのできない驚異(Wunder)なのだ」. ここで語られている「愛されるもの」が神をさすのか愛する人をさすのか、は微妙である。その執筆時. 期を考えれば、ヘーゲルはヘルダー. リンとスゼッテの愛を既に間近に見ているからである。. 同年、断片「愛」。. 「愛のうちでは、分離されたものがあっても、それは最早分離されたものではなくて、合一したも. のとしてある。そして生けるものは生けるものを感じる。 愛は生けるものの感情であるのだから、愛し合うものが区別されるのは、両者が死すべき運命にあ る限りにおいてのことである。・‥愛し合うものたちには如何なる物質も付随していないのであって、 彼らは一つの生ける全体である」. (GWI244).

(8) 22. 下城 一. 同。. 「愛とは相互に受け取り、与え合うことである。愛を与えても蔑まれるのではないか、愛を受け取 ろうとしても相手が譲らないのではないかとびくびくしながら、愛は期待を欺かなかったかどうか、 あくまでも自分白身を見出すかどうかを試してみる。受け取るものの方は、そのことによって相手よ りも豊かになりはしない。確かに自分は豊かになるけれども、それだけ相手の方も豊かになるからで. ある。同様に、与えるものの方も、それによって貧しくなりはしない。相手に与えることによって、 それだけ自分自身の富をも豊かにするからである」. (GWI248). 完全な献身と自立心との葛藤を経て(GWI247)、自己喪失の恐れも超えて合一する二人にとって、「愛 は恐れよりも強い。愛は自分の抱く恐れを恐れはしない」(ibid.)。 見られるとおり、主体と客体の新たな関係付けへと思索の歩を進めたはずのヘーゲルではあるが、にも かかわらず、愛による合一の思想においては、基本的には初期の神学的思考において掴まれていたその骨 格と変化はない。ヘルダーリンからの影響は、表立っては、プラトンの『饗宴』に範を取った「生命」を 巡る歴史論として見出されるが、固より、こうした如何にも唐突で夫継ぎ早の「愛」を巡る断片の執筆そ. れ自体が、全体としてヘルダーリンの高揚に憑依された結果でしかないことは見易い事実である。 原理的には、愛の挫折、すなわち感性を通じた真理の顕現としての愛による世界との合一の限界は、ヘ ーゲルには −. そしてヘルダーリンにも ー. 既に見通されていた。ヘーゲルに重くのしかかって. いたのは、「イエスの生涯」で浮き彫りになった課題である。 故にナ狂騒は、直ぐに終焉を迎える。同じ断片「愛」の第五パラグラフ以下で、もうすでにヘーゲルは 次のように書く。通常は、ヘルダーリンの愛の顛末を見届けたことがその急転の理由と解釈される箇所で ある。. 「このような愛の合一は確かに完全なものではあるが、しかしそれは、分離されたものの一方が愛 するものであり他方が愛されるものであるというように、したがって分離されたもののそれぞれが、 生けるもののひとつの器官であるというように対立する限りでのみ、完全であるにすぎない」 (GWI249). 同。. 「しかしそれに加えて、愛し合うものは多くの死せるものと結びついており、それぞれに多くの事 物が帰属している。すなわち愛し合うものそれぞれは、対立しあうものとの関係のうちにある。この 対立しあうものは、関係しあうことそれ自体にとってもなお対立するもの、すなわち客体なのである。 こうして愛し合うものも財産と権利の多様な取得と所有において、多様な対立関係に入りかねない」 (ibid.). 末尾における「多様な対立関係」への言及が転回の鍵だが、同じ断片の冒頭で「愛し合うものには如何 なる物質も帰属しない」と言われていたことと較べれば、同一稿のうちにおける180度の思想転回であるこ とは間違いない。しかしその理由は既に確認したとおり、ヘルダーリンの愛の嵯鉄の目撃には実は帰され ないのであって、既にいち早く真理の顕現を巡る「イエスの生涯」で課題を見据えていたヘーゲルの思索 において、その後、超越を巡る認識論的・論理学的・存在論的碍点が獲得されたことこそが、ヘーゲル本. 人にとっても未だ腱気ながら、漸くその哲学が胎動し始める、真の理由だったのにほかならない。.

(9) ヘーゲルの『法哲学』 −. その成立の背景(3)ニヘルダーリン. とはいえ、それではヘルダーリンの事件は、ヘーゲルの思想にどのように関係し、また関係しなかった のか、その両面を通じての影響関係を明らかにするために、次にヘルダーリンその人の詩想展開に考察の 範囲を広げて見届けておくこととしたい。 第六節悲劇『ェンペドクレス』. ヘルダーリンその人にとっても、実のところ、挫折の予感は初めからつきまとわずにはいなかった。と いうよりも、永遠を許さない現実において、原理的にそれは初めから実現することのない理想に違いなか. った。驚きは、それ故、その実現するはずのない理想が実現したことにこそある。その人間に許されるは ずのない余りの高みを許された驚きが、同時に奈落の深さを計り知れないものとし、それがヘルダーリン. の精神を打ち倒したのであろうことは付度に難くない。理想は此岸に実現する。寧ろ、次の瞬間、避けよ うもない、そこからの転落をどう受け止めるのかが、詩人に科せられた運命だったのである。 ゴンタルト家への赴任する以前、すなわちスゼッテとの避遁以前の1795年年初には書き始められていた 『ヒューペリオン』第一部冒頭で、ヘルダーリンは、もう既に次のように綴っている10。 「ベラルミンに寄せて。 これこそが確かに私のものと言うことのできる何物も私は持っていない。 私の愛するギリシアの民は遠くなり、死に絶えている。最早その人々のことを口にするものとてい ない。 地上の私の事業は終わった。滞る意欲を以って事を始め、そのために傷つき、しかも些かもこの世 を富ましはしなかった。. 落晩のみは寂しく帰郷して、死の花園のように茫漠たる祖国を流浪している。・‥ けれども太陽よ、おまえは今なお輝いている。聖地よ、おまへはなお緑を吹いている。河水は滑々 と海洋に注ぎ、影濃き樹木は真昼に戦いている。春の喜びの歌はわが現し世の思いを眠りに誘い、総. てをはぐくむ世界の力は窮せんとするわが身を陶酔を持って養い飽満させてくれる。 おお幸いなる自然よ。お前の美しい姿の前に目をあげていると、今の我が身の境遇も忘れてしまう。. 愛する女性を前にして涙する愛する男のように、お前の前に泣く私の涙には至高の歓喜が宿っている。 微風の漣が私の胸に纏わる時、我が身は声を潜めて耳を歌てる。はるかな紺碧の空に我を忘れ、仰 いで瀕気のあたりを望み、僻して聖なる海に見入れば、さながら童子の霊は腕を開いて私を迎え、さ ながら孤独の苦しみも神性の生活に融けいるようにおもわれる。. 総てと合して一となる、・それは神の生活である。それは人間の天国である。 生きとし生けるもの総てと合一し、幸いなる忘我のままに自然の一切の中へ帰り行く、それは思索 と喜びとの頂上セある。それは聖なる山上、久遠の安らいの処、そこにあっては真昼も′暑さを失い、. 雷鳴は声を潜め、沸き立っ海は麦畑の穂波に化す。 生きとし生ける総てとの合一。この言葉を以ってしては、徳も怒りの甲曽を棄て、人間の精神は王 の杖を棄て、思索は永遠に一なる世界の姿の前に消えてゆく、悶え惑う芸術家の法則もウラニアの神 の前に消えるように。仮借なき運命も支配をあきらめ、魂の結合から死は消え、別様な捷と永遠の青. 春とは世を悦ばせ、世を美化する。 此の山上にしばしばたたずんでみる。私のベラルミンよ。しかし瞑想一瞬にして私は下界に堕ちる。 省みれば実は昔ながらの我であり、孤独にして現世の苦しみを抱いている。そして私のこころの隠れ 場、永遠に一なる世界は去ってしまい、自然は腕を閉ざし、私は他郷の民のように自然の前に仔み、 しかも自然を理解しない。 ああ私が君たちの学者に学ばなかったら良かったかも知れぬ。学問の峡谷に降りて行って、若気の. 23.

(10) 24. 下城 一. 愚かさには純な喜びの確証を期待していた。これこそ私の総てを滅ぼしたのだ。 君たちの許にいて、私は正に理性的にはなった。自己と周囲を区別することは学んだ。今や麗しい 世に孤独の身、自分が生いたって花咲くまでになった自然の花園から斯くのごとくに放り出され、真 昼の陽の下に枯れ果てんとしている。. おお夢見る詩人は神のごとく、ものを考えるときは乞食のようなものだ。・・・」 (7頁、4∼6頁、StAⅢ8f.). 見られるとおり、ここには悲恋のイメージはまだ全くない。だが、自然との合一の思想と、そこからの 没落の現実とは、総て、詩人の夢想において、既に先取りされてしまっている。在りし日のギリシアにお ける人と自然との合一への憧憤が、夢想において実現を見、現実の荒廃へ引き戻されざるを得ない夢想か. らの覚醒が、転落を現実のものにしている。. ということはしかし、とりもなおさずスゼッテとの准遽は、思想的には詩人の観念に何も付け加えはし なかったことを意味する。現実を色超せた客休に変えてしまう理性が、当面その原因と目されてはいるが、 始原における合一という思想と、そこからの没落として人生の現実を規定する認識は、詩人の鋭敏すぎる 感性の裏返しの不安として、その思索の最初から逃れられようもないものであった。. 『ヒューペリオン』再構成と同時期、1795年の草稿「判断と有在」における「判断=根源一分割 Ur−teilen」 を巡るヘルダーリンの思想もまた、現実をまるごと捉えることのできない理性への批判として、抜き難い この不安の中で生み出されたものに他なるまい11。此の世界について何事かを判断する理性は、そのこと を通じて、自身この世界に分裂をもたらし、対立をもたらす。理性によってこの世界を把握しようとする. 限り、分裂を呼び込んでしまうのは避け難い判断の本質に属する −. ヘーゲルならば、しかしここに、. 別の思想的一大水脈を見出すのだが −。 いずれにせよ、カント実践哲学への反旗として、頼みの「感情」は、詩人にとっては、その生の最初か. ら、不安の別名でしかなかった。 詩人は合一への憧憤に重ねて、喪われた童子の時代を回顧する。すなわち思索が目覚める以前を、であ る。. 「幼きころの静けさよ。天国の安らかさよ。お前の前に足を停めて懐かしく見守り、お前を偲びた. いとしたのは幾度であろうか。・・・幼いころ、あどけなさ、については私たちは何も理解していない。 未だ物静かな童子であって身辺のことは何一つわきまえなかったころの私は、つぶさに辛苦をなめ. て思慮奮闘の果てなる今よりも寧ろましではなかったろうか。 そうだ。人間たちのカメレオンの色に染まらぬ限り、童子は神のごとき心である。. 童子はあるがままにして全である。その故にかくも美しい。 法則と運命の拘束は童子に触れない。童子にのみ自由は存している。 童子には平和がある。童子は未だ迷うことがない。富は童子にある。童子はその心の不足、生活の. 欠乏を知らない。童子は不死である。死については何も知らないのだから」(9頁、7∼8頁、StAⅢ11) 此の世界と折り合うことのできない敵靡は、思索の始まりと同時に抜きがたく始まっていた。不安は決 して詩人の心を去ることはない。悲恋に遭遇し、理想との合一からの現実の没落を余儀なくされるその遥 か以前から、ヘルダー. リンのその精神の眼は、既にして、最初から、自身の此の世界からの没落を見てい. たのである。. 「私の言葉通りにとってくれ、今まで生きていなかったために生きんとするよりも、今まで生きて きたために死ぬ方が立派だと考えてほしい。苦しみのない人を妬むな。それは木で作った偶像なのだ。. 何一つ不足のないという人は魂がそれほど貧しいからだ。雨や日当たりの事を訪ねない人は、養い育.

(11) ヘーゲルの『法哲学』 ∬. その成立の背景(3):ヘルダーリン. 25. てるべきものを少しも持っていないのだ」. (51貢、34頁、StAⅢ65). 「おお、思い返す術は無きかと、誰にともなく身を伏し手を合わせて哀願することはできる。しか し泣き叫ぶ真実には打ち勝てない。私は二重の意味に確信してはいないだろうか。人生の中に見入る ならば、総ての究極は何であるか。無だ。精神の中に上り行き総ての最高のものは何か。無だ」 (60頁、40頁、StAⅢ75). 理性への呪諷にもかかわらず、頼るべき感情は、その最初から生まれついての不安と一体でしかなかっ たとき、寧ろそこから、その欠を保障するために、理想と没落の観念が二つながら同時に生み出されたと いえよう。理想が思いもかけず現実と化したとき、にもかかわらず、その喜びの影で、不安の色が決して. 去らないのは、そのことと関係する。 ヘルダーリンは、『ヒューぺリオン』のディオティーマを、次のように描き出す。. 「欲しいと思っていたものが何であるか、お前たちは知っていたか。まだ私は知ってはいないが、予. 感はしている。新しい神性の新しい領域を。‥ そしてあなたは、あなたは私に道を教えてくれた人だ。あなたと共に私が始まったのだ。あなたを知. らなかった日は、日という言葉に値しない − おおディオティーマよ。ディオティーマよ。崇高なる天使よ」. (70頁、46頁、StAⅢ90). 「或るとき私は黄昏こめてから彼女を家に送っていった。露を帯びたくもが夢のように野面を漂い、 木の間を洩れる楽しい星は守護神が覗いているように思えた。 彼女の信仰厚い胸は葉擦れの音、湧き水の囁き、何一つ聞き逃したことがないから、「まあ美しい」と いう言葉は彼女の唇からほとんど聞いた人がない。 しかしこの時はさすがに彼女も私に言った。−. 「まあ美しい」。. 「私たちのためにこんなに美しいのでしょう」と私は言った。子どもが何かを言うように、冗談でも なくまじめでもなく。 「そのお言葉は私にも解ります」と彼女は答えた。「私は世界を一家の生活と考えてみるのが一番好き. です。そこでは知らず知らずの中に互いに相手の意を汲み取って、誠心から互いに安んじ、喜び合う生 活をしているのです」 「大変喜ばしい崇高なお考えです」私は叫んだ。 彼女は暫く黙っていた。. 「ですから私たちもやはりその家の子どもです」と遂に私は再び話し出した。「今もそうですが、将来 もそうでしょう」 「永遠にそうでしょう」彼女は応えた。 「私たちが永遠に?」私は尋ねた。. 「そのことについては自然に信頼しています」彼女は続けた。「日ごろ私が自然に信頼しています様 に」 彼女がこう言ったとき、成れるものなら、私はディオティーマに成ってみたいと思った。. 「そのとおりです」私は彼女に向かって叫んだ。「永遠の美なる自然は少しも補うべき点がないと同 じく、損傷を蒙ることもありません。自然の装いは今日と明日とでは異なっていますが、私達のもっ とも善きものを、私達を、自然は放して無しで済ますわけには行きません。特にあなた無しでは済ま されません。私達は自分達の永遠を信じています。私達の魂が自然の美を感じているからです。他日 あなたが自然の懐にいなくなるようなことがあれば、そのときは自然はかけらであって、神々しいも.

(12) 26. 下城 一. のでも、完全なものでもないのです。自然があなたの希望の前に赤面しなくてはいけないときがあれ ば、自然はあなたの胸に値しないのです」. 「お願いです」私は叫んだ。「私をあなたのものにしてください。私をして自分を忘れさせてくださ い。胸の中の総ての生命と気晩とをあなたの許へ飛んで行かしてください。見れども飽きぬあなたの 許へ。おおディオティーマよ。 ‥‥今は私は両腕の中にあなたを抱き、あなたの胸の呼吸を感じ、私 の目の中にあなたの目を感じている。この美しい現在が私の五感の中へ流れ込んでくる。私は持ち耐. えている。最も美しいものをこのように持って、もう震えもしない。−その上私は昔の私ではない。 ディオティーマよ。私はあなたと同じものになった。そして神の如き私が神の如きあなたと今戯れて いる。恰も子どもらがお互いに戯れあう様に」 (78頁、50頁、StAⅢ95) 「ベラルミンに宛てて これほど欠乏のない神のような満足を私は外に知らない。 太陽の波浪が幸福の島の岸に打ち寄せるように、私の休みない胸は天使のごとき彼女を潮のように 取り巻いていた。. 彼女は移ろわぬ美を以って、疲れもなく、感性の微笑を湛えてわたしの前に仔んでいた。俗世のあ らゆる憧れ、あらゆる夢、ああ金色の朝高き御座より守護神の予言したまう総ては、この一人の静か な魂の中に満ちていた」. 「‥・彼女の魂は私の神聖なレエテの河であった。この川の水を飲んで現世を忘れたの・であった。 不死の者の如く彼女の前に仔む自分を嬉しく答めもし、私を悪夢のように圧する鎖を見ても微笑する 外はない我が身を忘れもしたのだ」. (80頁、52頁、StAⅢ100). 美しすぎる生の一瞬は、その完壁さゆえに、容易に、死の影に反転せずにはいない。ディオティーマを. 喪うことは、その完璧さが不可避に呼び寄せてしまう、いわば合一一の運命である。 物語の上では如何にも唐突な一句も、故に、事件とは無関係に、初めから準備されていたと考えるのが 妥当だろう. 「ベラルミンに宛てて。 駄目だ。私はそれを自分に隠し了せない。今の考えを抱いてどこへ逃げていくとも、天に翔り奈落 の底に這い、この始めの時を遂に遁れるとも、宿世の美しい神秘なる霊、それは私の最後の逃げ場所、 心の憂さを払ってくれたのに、焔の中に示現しては人の世の苦しみも楽しみも嘗ては追い払ってくれ たのに、その霊の腕に身を投げては底知れぬ大海のようなその中に身を浸すときですら、なお甘美な 驚きは、ディオティーマの墳墓がまじかにあるという甘美な惑わすような死ぬほどの驚きは私を捉え ずにはいない。. 君は聞いたか。ディオティーマの墳墓。 胸の中がずっと静かになった。私の恋は死せる恋人とともに埋められた」 (82頁、53頁、StAⅢ102) 故に、事件としての悲恋は、詩人の観念においては既に予感され、繰り返し体験されていた。事件はた だ、その夢想を、現実として繰り返したしただけであり、その没落を、観念的なものから現実のものに、 すなわち現実にそれに向けての対処が必要なものにしたのに過ぎない。 確かに理想が現実になったことは驚き以外の何物でもなかった。だが、合一の現実は、その憧慣と同様、 詩人を夢想の境地に高め、そこで言葉化されえぬものとして、ただ味われ、終わった。それは一時の狂騒 を生みはしたが、事実としてはそれ以上でも、以下でもない。思想としてそれはまだ何も新しいものを生.

(13) ヘーゲルの『法哲学』−. 27. その成立の背景(3)=ヘルダーリン. み出すには至っていない。新たな思索の必要性は、むしろ、その事件が終わったところから始まらねばな らなかった。. 予感にとどまった没落の運命を、現実のものとして、現実の只中で意味づけることが求められている。 即ち、憧憬のうちでは合一を追求して生きてさえいればよかったのに対し、過ぎ去った合一の感触が未だ 冷め遣らない今は、没落の現実に逐一対処することが生きることの別名である。. ヘルダーリンの創造心は、『ヒューペリオン』の熱から覚醒し、自死の道を進む『ェンペドクレスの死』 へと昇華する。その主題は、もはや憧慎に鮨晦することで没落の必然性を逃れ続けることではなく、没落 の必然性こそ寧ろ現実の定めであり、自らの運命としてそれを引き受け直し、人生そのものとしての没落 をどのように意味づけてみせるか、である。 エンペドクレスは言う12。. 「. あの一言さえ口にしなければ。聖なる自然よ。. おまえは処女のごとく、粗野な心から、逃げ失せる。 ああ、おまえを侮り、主は我ひとりと自任した、 この己は、なんと思い上がった野蛮人だったことか。. ああ、己を、歓喜もて育み、悦楽をもって養ってくれた、 とこしえに若々しい、純粋な、諸力よ。 己は、おまえたちの素朴な姿を、しかと捉えていた。. そうだ、たしかに己も、熟知していたはずだ、自然の命を。 それが、何故、昔のごとく、. 神聖に、感じられないのだろうか。神々も、あれを限り、 己の僕となってしまい、己ひとりが、神であった。 ああ、じつに、己などは、生まれていなければよかったのだ」. (48頁、238頁、FHAXⅡ193). ェンペドクレスの死は、明確に自然=神との合一を直接の原因とする。もはや、そこにどんな留保も無 い。. パウザニアース. 「…遥かな森のざわめきに、故郷の山を恋う、. 庭前の小魔のように、遥か昔の、清き世に通じた、あなたが、 太古の原始世界の幸いを、語られるのを聞いて、幾たび、 胸のときめきを覚えたことでしょう。あなたの眼前には、. 全運命が、繰り広げられていました。芸術家の、 明確なまなざしが、欠けた肢体を補って、完全な立像に、整えるように。 あなたは、未来の大いなる輪郭を、私の眼のあたり、 努常と、描き出してくださったではありませんか。 それでも自然の諸力には、縁がないと、仰るのですか。 この世の人とも思えぬまでに、親しまれて、あなたは、 あれら諸力を、意のままに、統べておられたのに。 エンペドクレス. いかにも、己は、一切を、知っている。己の通じないものは無い。 いかなるものも、この手で造った、作品のように、ひと目で、それと.

(14) 28. 下城 一. 見分けがっくばかり、己はさながら、精霊どもの王者のごとく、 生命に溢れるものを、自在に、御してゆくことができる。. 世界は、己のものだ。諸力は、恭しく 己に仕え…. ‥・主を求める自然は、 己のはしためとなってしまった。いま、. 自然に、栄光が、具わっているとすれば、己の栄光にすぎぬ。 空も、海も、島も、星辰も、すべて 人間の眼のあたり、存するものは、ことごとく、. 己が、音色と、言語と、魂を授けなければ、 それこそ、ただ、死せる弦楽にすぎぬのではないか。 己の告知がなければ、. 神々も、また、その精気も、何であろう。 さあ、己が誰だか、答えてみよ」・ 神の如き自然との −. 或いはディオティーマとの 一. (208頁、398頁、FHA)皿321). 合一による、神人合一は確かに果たされ. ている。それが、エンペドクレスの、明確な、白死の理由である。. 「おまえたちこそ、呼吸ある限り、生き延びてくれ。己は、そうはいかぬ。 口から、精霊の言葉を発したものは、折を見て、 必ず去らねばならぬ。神々しい自然が、. 幾たびか、人間を借りて、神々しくおのれを、顕示するごとに、 多大な試練を求める、種族は、あらためて、自然を、認識するに至る。 しかし、自然の歓喜に、心満たされた余り、 この世の身でありながら、自然の告知を、行ったからには、. おお、是非も無い、他の用に使われぬよう、この聖なる器をば 自然が破砕するに、任かさねばならぬ。 神々しいものが、人間の仕業に、なってはならぬのだ。. かかる恵まれたものたちは、そのまま、幸福に、死なせてやれ、 騎慢と健吉と屈辱のうちに、亡び去るまで、待つことなく、 彼らが自由なあいだ、ほどよきときに、その愛と生命を、 神々に、捧げさせてやるがいい。よいか、己も、かくなる定めなのだ。 この定めは、とくと、己には、分かっていた。つとに、 少年のころから、われとわが身に、預言していたところだ。. どうか、これだけは重んじてくれ、明日になって、己の姿が、 どこにも、見当たらなければ、その時こそ、語り合うがいい。 あの男は、老いさらばいて、日毎、余命を数えつつ、 憂慮や疾患に、身を委ねることを、厭ったのだろう。人知れず、 去ってしまった、あの男を手づから埋めた者、 あの男の灰を目にしたものは、どこにもをらぬと。 聖なる日、死の喜ばしき刻限に、神々しいものが、 ベールを脱ぎ捨てるところを、目の当たり見る、男にとって、 これより、ふさわしいことはない、と −−.

(15) ヘーゲルの『法哲学』 m. その成立の背景(3):ヘルダーリン. ひかりと大地の、愛を享けた男は、ひかりと大地を包む、 世界の精霊によって、おのが星辰を、呼び覚まされ、そして、. いまこそ、没落しつつ、己は、かの精霊の許へ、立ち還って行く」 (114−5頁、328頁、FHAⅧ323). 死を目指して生きられる生、死による生の荘厳。即ち、喪われた合一を、自身手を下し得る現実の終端 に据え、そのことを通じて没落の現実を、没落そのままに復権すること。合一をもう一度約束されたもの として手中にすることで、合一からの没落としてしか描かれてこなかった人間の生を、反転させ、没落の ままに神聖化すること。 そこから更に、神からの没落ではなく、没落こそが神への道である逆説を語ること。合一がいつ果たさ れたか、いつ果たされるのか、もはやそれが問題なのではなく、今、没落を生きているその身そのものが、 実はもう既に神人合一の渦中を生きているということ。それが、ヘルダーリンの、新たな思索の展開であ る13。自身を神の子と認めたイエスがとる死への途と重ねられたェンペドクレスの自死の物語。分裂する 時代の対立を一身に引き受け、自然との合一、神との合一を個別であるその一身に引き受けたが故の余儀 ない没落の運命。美しすぎる魂の死は、時代の犠牲として聖化される。 「おお、解放者ユピテルよ、いよいよ刻一刻と、 その刻限は、近づき来たり。断崖からは、 早くも、懐かしい夜の使者たる、夕べの風が、 愛の使者となって、己の許を、訪れる。もはや、. 待っほども無い、時は、既に熟した。おお、心よ、 いまこそ、高鳴り、波打つがよい。大空の、ところ定めぬ、 叢雲は、惨いままに、移ろい逝くとはいえ、 頭上には、厳然と、星辰のごとく、精霊が、輝いているではないか。 これはまた、どうしたことか。いまさら己が、はじめて、生を享けたかのように、 驚きの目を、睦らねばならぬとは。すべては、一変している。. いまこそ、己は、存在する。己が在るのだ。 −. してみれば、. 無心の安息のをりふし、幾たびか、言いしれぬ憧れが、 この愚か者を、襲ったのも、これだったのか。 だからこそ、超克者の悦びのすべてを、ついには、 ひとつの全ったき行為うちに、見出し得ると、信じて、 生もまた、おまえに、鴻毛のごとく、軽くなったか」. (157−8頁、336頁、FHA)孤337). エンペドクレスは、此の世に確かに存在する。その行為は、自然との合一の層にあって、なお劃然と分 かたれた、超克者の、全ったき行為である。すなわちそこに、もはや何も加えられる必要はなく、差し引 かれる必要も無い。劃然と、この世界を分節していく創造的行為。ヘルダーリンの思索は、そこに極まっ た。. だが、そうであるのなら、没落の生を、死の合一に向け、自死へと向かうのではなく、寧ろ、その分裂. の生を、生き果せることこそが必要だったのではなかっただろうか。 悲劇『ェンペドクレスの死』の彫琢を通じて、死に向かって生きる生に、逆説的に神性の獲得を見出さ ずにはいなかったヘルダーリンの思想は、しかし、遂に精神の内面の劇にとどまり、そこから現実の生に. 踏み出すには、余りにもその時間がなかったといわねばならない。 実のところディオティーマ=スゼッテ・ゴンタルトとの遼遠以前のヘルダーリンは、『ヒューペリオン』. 29.

(16) 30. 下城 −. で、親友アラバンダに向け、政治的議論に踏みこむヒューペリオンを描き出していた。. 「・・・「何と言っても、君は国家に余りに権力を譲りすぎる。国家は強要し得ないものを要求して はいけない。愛情が与えるもの、霊魂が与えるものを、国家は強要することができない。それは手を 触れないでおくべきである。然らずば、国の法律を捕らえ曝し首にすべきである。天に誓って言う。 国家を修身の学校と為さんとする者は自分の罪過を知らないのだ。国家を人間の天国に為そうとする. は、即ち常に国家を地獄にする所以である。 生命の核を包む粗い殻であって、それ以上の何ものでもないのが国家だ。国家とは人間の花と実と の庭園に廻らす塀である。. しかし庭の塀も乾ききっている地面をどうしようもない。そこを助けてくれるのが慈雨だ。 空より降る雨よ。感激よ。おまえは人民の春を我々に斎してくれる。国家はおまえに来たれとは命 じない。おまえが来ることを国家は邪魔すべきではない。おまえは全能の歓喜を携えてきっと来るに 違いない。黄金の雲の中に私たちを包み、現世を超えて高く運んでゆくであろう。私たちは驚嘆して 尋ねるであろう。そこは花咲く春ありやと星に尋ねたみすぼらしい私たちは昔ながらの此の身かと。 一君はいつその時が来るかと訊くのか。それは時代の寵児、時代の星の最も美しい娘、即ち新しい 教会が此の積れ老い朽ちた形式から脱出する時だ。神の感情が目覚め、人間に神性を、人間の胸に麗 しい青春をもたらす時だ。一私はその青春を予感していないから橡告はできない。しかしきっとそ れは来る。死は生命の使者である。そして私達は病室に今眠っているが、これは遠からず健康な目覚め. をする証拠である。その時初めて私たちの存在が在る。その時有為な精神のエレメントが見出される」 (39−40頁StAⅢ53). さながら、チュービンゲンでの少壮学徒の間で交わされていた議論を彷彿とさせる内容だが、国家を巡. るその試みに、具体的に踏み出すのはヘーゲルに保つよりなかったのである。 スゼッテ・ゴンタルトとの避遁という事件は、詩人の現世の時間を奪ったという点においては事件に違い なかった。ディオティーマと離別したヒューペリオンが、戦場へと向かい、文を出し続けたのに対し、『ェ ンペドクレスの死』の草稿を懐中に最後まで書き継いだ詩人は、その末尾近く、自身の運命を予感するか のように、次のように記している。最早、詩人自身の精神の薄命はそこまで迫っていた。. 「よく、心得ておくがよい、己は、おまえのものでもなく、 また、おまえも、己のものではない。己とおまえは、 道を異にし、己のさきはう世界は、別にある。 己の志は、今日にはじまったことではない。 生れ落ちたときから、すでに、定まっていたのだ。. 臆せず、眼を上げてみよ。ひとつと思えたものも、 割れ裂けよう。愛は、膏のままで、枯死はせぬ。 蒼々たる、生命の樹は、一面に、枝葉を広げて、 心ゆくぼかり、伸びゆく喜びに、ひたっているではないか。. 此の世の徒な契りは、すべて、とことはに、つづきはせぬ。 己達も、別れねばならないのだ。よいか、 己の運命を、ゆめゆめ引き留めてはくれるな。躊跨らうでない一 見よ、若者よ、おまえの目の当たり、 大地は、陶然たる姿を見せて、神々しく、輝いているではないか。 ざわめきつつ、津々浦々を、くまなく揺さぶって、.

(17) ヘーゲルの『法哲学』 −. その成立の背景(3):ヘルダーリン. 若々しく、軽やかに、また荘重に、千変を尽くす、 いとまない輪舞。あれこそは、現世の者らが、 老いたる父、精霊をば、崇め讃える標にほかならぬ。 さあ、おまえも行って、よろめくことなく、人並みに、 かの旅に加わるがよい。そして、夕ともなれば、この己を、偲んでくれ。 己には、しかし、己には、はるか高みに、しつらえられた、 空寂な、大学堂こそ、ふさわしい。たしかに、 己は、休息が、要るのだろう。けだるくて、 この身躯では、現世の者らの、目まぐるしい動きに、 加わることもならぬ。かつては、青春の歓びに、 ひたりながら、思わず、祝歌を、口ずさんだこともあったのに。 いまは、あのあえかな竪琴が、無惨にも、打ち砕かれてしまった。 おお、天上の旋律よ。生き生きと、 愛に満ちる、力強い、大階音よ。. 己を引きあげてくれ −その昔、臆面もなく、未熟なくせして、 おまえたちを、口裏似たのも、あれは、ただの戯事。 訳の判らぬ反響が、胸裡で、かすかに聞こえたにすぎなかったが、 いまこそ、神々の声よ、己は、真剣に、おまえ達に、耳を傾けよう。. 己は、本来の己ではないのだ、パウザニアースよ。 幾年も、とどまることを、許されぬ、ただ一点の微光。 冬空に臣舜き、ほどなく、消え失せねばならぬ、星屑。. 竪琴の奏でる歌の、ただ、一節」. (232−238頁、397頁、FHAⅧ426). ヒューぺリオンが求めてやまない美の化身ディオティーマは、確かにスゼッテ・ゴンタルトであり、実の この世界への顕現、自然そのものとの現実の合一を果たす「事件」であった。しかし、そのこと自体は、 詩人の比類なき詩想の上で、夙に、体験されていたことであり、繰り返し反筍されていた事柄に属する。 カント実践哲学との対決という点から見れば、確かに事件といえるその真理との比の世界における合一は、 現実には、しかし既にして果たされていたのであり、自然のまったき顕現、美の、実理の顕現としての出 会いは、現実のものとして、詩人の感性のうちに、もうその初めからあったのにほかならない。 故に問題は、その獲特にあるのではなく、寧ろ、何故、詩人の人生が、そこにとどまっていることを許 されず、人間は没落せねばならぬのか、という点に尽きた。『ェンペドクレスの死』のモティーフは、人と 自然とのその合一一、此岸における真理の顕現から、引き離された後の、人間の没落それ自体を描くこと、 である。自死に向けて進むエンペドクレスの姿に重ねて、詩人は自身の運命を、我知らず描き出した。没 落を生きる人間の生そのままに、神として確かな存在の道を歩むその姿を書き記すことによってである。. ヘルダーリンの思想を文字通り閉ざすことになった「事件」を傍らで見守り続けたヘーゲルは、既に確 認しておいたとおり、一方で、真理の此の世界への顕現を巡り、密かにカント超越論哲学との対決を進め ていたヘーゲルである。そのことが、理性を巡るヘルダーリンの明確な拒斥に比して、ヘーゲルの微妙な 留保に関係していることは、本稿でも改めて確認しておいたところである。. 人−ゲルが、「イエスの生涯」でカント定言命法の再展開を試みたのは95年5−7月。直ちにその反省に立. って、実定化の原因を、イエス本人の言葉・行為にではなく、それを受け取る教団、社会、国家の側に求. 31.

(18) 32. 下城 −. め直した「キリスト教の実定性」が同年11月である。. 繰り返しておけば、同年末、「判断と存在」を表していたヘルダー. リンがフランクフルトに赴任し、翌1796. 年には、フランクフルトへのヘーゲルの招特にとりかかる。 1797年、ヘーゲル、フランクフルトへ。この年初、待望久しいカント『人倫の形而上学・第一部・法論 の形而上学的原理』刊行。同夏『人倫の形而上学・第二部・徳論の形而上学的原理』。 4月、ヘルダーリン『ヒューペリオン』第一部刊行。 6月、ヘーゲル、断片「道徳、愛、宗教」執筆。超越概念の批判を展開する。 11月、ヘーゲル、断片「愛」執筆。 1798年、ヘーゲル、ベルン市の政治パンフレット「カル親書訳」を匿名で刊行。. 8月、ヘーゲル、ヴュルテンペルクの民主化を企図するパンフレットの出版を計画するが、助言により 断念。カントの『人倫の形而上学』の研究を開始。 「キリスト教の精神とその運命」を執筆。. 9月、ヘルダー リン、ゴンタルト家を去る。ホンブルクで『ヒューぺリオン』第二部刊行。『ェンペドク レス』を執筆。 1799年、ヘーゲル、『ドイツ憲法論』のための準備草稿執筆。 1800年、ヘルダーリン、『ェンペドクレス』完成車断念して帰猟 1801年末、ヘルダーリン発狂。. フランクフルトでヘルダーリンと眼見えた97年、執筆された断片「愛」で、ヘーゲルは、一度は理性に 対する根底的な批判を綴ってみせる。. 「真の合一、つまり本来の愛は生けるもののもとでのみ生じる。その生けるものは、力において等 しく、したがって全く相互に生けるものであり、いかなる側面から見ても互いに死せるものではない。 本来の愛はあらゆる対立を排除する。それは悟性などではない。悟性の関係は多様なものをいつまで も多様なままに放置し、そして悟性の統一そのものが対立である。また本来の愛は理性でもない。理 性はその規定作用を規定されたものに絶対的に対立させる。本来の愛は限界付けるものでも、限界付. けられたものでも、有限なものでもない。それは一つの感情(Ge飽1)なのだ。しかしそれは個別の感 情ではない」. (GWI245f). だが、その論調が、同一の論文の後半で、すぐさま180度転回することは、既に、本稿前半で、瞥見して おいたとおりである。 再掲しておく。. 「このような愛の合一は確かに完全なものではなるが、しかしそれは、分離されたものの一方が愛 するものであり他方が愛されるものであるというように、したがって分離されたもののそれぞれが、. 生けるもののひとつの器官であるというように対立する限りでのみ、完全であるにすぎない」 (GWI249). 「・‥しかしそれに加えて、愛し合うものは多くの死せるものと結びついており、それぞれに多く の事物が帰属している。すなわち愛し合うものそれぞれは、対立しあうものとの関係のうちにある。 この対立しあうものは、関係しあうことそれ自体にとってもなお対立するもの、すなわち客体なので ある。こうして愛し合うものも財産と権利の多様な取得と所有において、多様な対立関係に入りかね ない」 (ibid.).

参照

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