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『沖縄県史』刊行の意義と残された課題: 沖縄地域学リポジトリ

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Academic year: 2021

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Title

『沖縄県史』刊行の意義と残された課題

Author(s)

安良城, 盛昭

Citation

沖縄史料編集所紀要(3): 1-47

Issue Date

1978-03-31

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/7643

Rights

沖縄県沖縄史料編集所

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『沖 縄 県 史』 刊 行 の 意 義 と 残 さ れ た 課題 一 、 二 、 三 、 『 沖 縄 県 史 』 刊 行 の 歴 史 的 前 提 『 沖 縄 県 史 』 の 特 徴 と 編 輯 上 の 問 題 点 『 沖 縄 県 史 』 の 琉 球 処 分 論 ・ 「 旧 慣 温 存 」 論 の 批 判 的 検 討 凹 、 『 沖 縄 県 史 』 刊 行 の 歴 史 的 前 提 明 治 三 九 ( 一 九 〇 六 ) 年 一 〇 月 二 七 日 の 「 琉 球 新 報 」 紙 は 、 次 の よ う に 論 じ て い る 。 「 ▽ 往 年 府 県 史 を 其 府 県 の 小 学 校 の 教 科 書 に 入 れ る こ と と な っ た 時 、 本 県 の 教 育 界 で は 其 可 否 が 問 題 と な り 、 之 を 決 す る 為 め に 会 議 を 開 い た 処 、 可 否 同 数 で あ っ た が 、 漸 く 議 長 の 意 見 で 入 れ る こ と に 決 し た こ と が あ る 。 永 く 当 地 に 居 る 諸 君 は 定 め し 記 憶 せ ら る る で あ ら う 。 当 時 吾 人 は 之 が 問 題 に な っ た こ と を 奇 怪 に 思 ふ て 、 本 県 民 に し て 若 し 国 民 的 精 神 が 他 府 県 に 比 し 稀 薄 な り と す れ ば 、 そ は 深 く 琉 球 史 を 極 め な い 結 果 で あ る 。 琉 球 史 は 中 世 以 後 は い ろ い ろ の 事 情 の 為 め 本 家 と 疎 遠 と な っ て 居 る が 、 太 古 に 遡 れ ば 遡 る ほ ど 密 接 し て 居 る 。 斯 る 件 が 問 題 と 一 1 −一

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し て 提 出 さ れ る の は 、 畢 寛 琉 球 史 の 知 識 が な い 故 だ 、 と 論 じ た こ と が あ る 。 》 右 の 会 議 で 他 府 県 か ら 来 た 諸 君 は 尽 く 否 と す る 方 で 、 本 県 出 身 の 諸 君 は 尽 く 可 と す る 方 で あ っ た 。 他 府 県 か ら 来 た 諸 君 が 何 故 反 対 の 意 見 を 持 っ た か と 云 ふ に 、 琉 球 史 を 知 ら し め た な ら 、 昔 を 追 懐 し て 国 民 的 精 神 の 発 達 を 沮 凝 す る と 云 ふ に あ っ た 。 琉 球 史 の 知 識 に 乏 し い 人 の 考 へ と し て は 無 理 も な い 次 第 だ 。 Ψ 琉 球 史 を 小 学 校 の 教 科 に 入 れ る こ と は 辛 ふ じ て 可 決 は し た も の の 、 之 を 編 輯 す る 者 が な い 為 め 、 今 に 至 る ま で 実 行 さ れ て な い 。 本 県 の 少 年 は 依 然 歴 史 な き 県 民 で 朔 を 」 「 伊 波 文 学 士 の 琉 球 史 講 演 は 、 本 県 の 発 達 に 貢 献 す る こ と 実 に 大 な る も の あ り と 信 ず る 。 元 来 本 県 人 は 、 自 家 の 人 種 的 価 値 を 自 覚 し な い か ら 、 此 小 島 に 生 れ た も の と 大 国 に 生 れ た る も の と は 、 天 賦 の 価 値 に 於 て 高 下 が あ る ( 2 ) も の と 誤 認 し て 居 る 。 動 も す れ ば 、 大 国 の 人 は 違 ひ ま す と 云 ふ て 、 卑 屈 に な る の も 之 が 為 め だ 。 」 と い う 書 き 出 し で 始 ま る こ の 「 多 方 多 面 ( 伊 波 氏 の 事 業 ) 」 の 記 事 は 、 「 吾 人 は 伊 波 氏 の 事 業 が 前 途 ま す ま す 発 達 し て 県 民 の 自 特 ( 得 力 ) 心 を 振 作 す る を 望 む と 同 時 に 、 有 志 の 人 が 進 ん で 同 志 の 事 業 を 補 助 し て 大 成 せ し め ん こ と を 切 望 ( 3 ) す る 」 と 結 ん で い る 。 後 に 伊 波 普 猷 は こ の 時 期 の こ と を ふ り か え っ て 、 「 小 民 族 の ク セ に 特 殊 の 歴 史 や 言 語 を 有 っ て い る と い う こ と は 、 現 代 で は 少 く と も そ の 不 幸 の 一 で な け れ ば な ら ぬ 。 こ れ だ け で も 彼 等 は 奴 隷 に さ れ る べ き 十 分 な 資 格 を 備 へ て い る と い へ る 。 私 は か つ て 日 琉 同 祖 論 を 唱 へ て 、 学 者 や 教 育 者 の 了 解 を 得 る こ と が 出 来 た       が 、 政 治 家 や 実 業 家 の 同 情 を 得 る こ と は 出 来 な か っ た 」 と の べ て お り 、 「 沖 縄 毎 日 新 聞 」 大 正 三 ( 一 九 一 四 ) 年 一 一 月 二 五 日 付 の 「 郷 土 研 究 の 必 要 」 は 、 「 本 県 に 於 て 郷 土 研 究 の 声 の 聞 か れ た る は 十 年 前 の 事 な る が 、 時 の 牧 民 者 が 沖 縄 人 の 沖 縄 研 究 を 大 な る 危 険 な る か の 如 く 思 惟 し 、 其 の 研 究 に 従 事 す る 者 を 迫 害 し た る は 、 今 尚 世 人 の ( 5 ) 記 憶 す る 所 な ら ん 。 」 と の べ 、 さ ら に 同 年 一 〇 月 一 七 日 付 の 「 琉 球 新 報 」 も ま た 「 嘗 て 本 県 の 当 局 者 は 琉 球 史 の

穿

一 2 一 「

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『沖 縄 県 史』 刊 行 の 意 義 と 残 さ れ た 課 題 縄 歴 史 研 究 の 始 ま り と し て の そ の 第 一 歩 が 、 い か に 困 難 な 状 況 の 下 に 始 め ら れ た か を 、 ま ず 確 認 す る こ と か ら こ の 小 論 の 筆 を お こ す こ と と し た い 。 と こ ろ で 、 「 往 年 府 県 史 を 其 府 県 の 小 学 校 の 教 科 書 に 入 れ る こ と と な っ た 時 」 と い う の は 、 一 体 何 時 の こ と だ ろ う か 。 こ の 点 に つ い て 『 県 史 』 第 四 巻 教 育 編 は 一 切 言 及 し て お ら ず 、 管 見 の 範 囲 内 で は こ の 郷 土 史 教 科 書 問 題 に つ い て の 研 究 を 見 出 す こ と が で き な か っ た だ け で な く 、 筆 者 自 身 そ の 時 期 を な お 確 定 で き な い の で あ る が 、 そ の お お よ そ の 時 期 は 推 定 可 能 で あ る 。 と い う の は 、 「 府 県 史 を 其 府 県 の 小 学 校 の 教 科 書 に 入 れ る こ と に な っ た 」 の は 、 明 治 二 四 ( 一 八 九 一 ) 年 一 一 月 一 七 日 に 公 布 さ れ た 「 小 学 校 教 則 大 綱 」 の 「 日 本 歴 史 ハ 本 邦 国 体 ノ 大 要 ヲ 知 ラ シ メ テ 国 民 タ ル ノ 志 操 ヲ 養 フ ヲ 以 テ 要 旨 ト ス 。 尋 常 小 学 校 ノ 教 科 二 日 本 歴 史 ヲ 加 フ ル ト キ ハ 郷 土 二 関 ス ル 史 談 ヨ リ 始 メ 、 漸 ク 建 国 ノ 体 制 、 皇 統 ノ 無 窮 、 歴 代 天 皇 ノ 盛 業 、 忠 良 賢 哲 ノ 事 蹟 、 国 民 ノ 武 勇 、 文 化 ノ 由 来 等 ノ 概 ( 7 ) 略 ヲ 授 ケ テ 国 初 ヨ リ 現 時 二 至 ル マ テ ノ 事 歴 ノ 大 要 ヲ 知 ラ シ ム ヘ シ 。 」 に 始 ま る の で あ る 。 し た が っ て 、 「 小 学 校 に お け る 歴 史 教 科 書 と し て 郷 土 史 が 多 数 刊 行 さ れ た の は 明 治 二 十 五 年 以 後 に お い て で あ る 。 … ( 中 略 ) … 明 治 二 十 四 年 十 一 月 十 七 日 小 学 校 教 則 大 綱 に お い て 尋 常 小 学 校 の 教 科 に 歴 史 を 加 え る と き は 、 郷 土 に 関 す る 史 談 よ り 始 め る と 記 し て あ る 。 そ の 際 に 尋 常 小 学 校 で 日 本 歴 史 を 科 目 と し て 教 授 す る こ と は 普 通 で は な く 、 一 般 に は 、 高 等 小 学 校 に お い て 初 め て 日 本 歴 史 を 教 え た 。 そ の 場 合 に 教 則 大 綱 に よ る と 、 高 等 小 学 校 の 日 本 歴 史 は 、 尋 常 小 学 校 の 項 に 掲 げ た 方 針 に 準 じ て こ れ を 詳 説 す る と し て い る 。 従 っ て 、 こ の 場 合 に も 先 づ 郷 土 の 歴 史 か ら 始 め る こ と は 高 等 小 学 校 の 歴 史 に お い て も 同 様 に 基 本 方 針 と な っ て い た と 解 釈 す べ き で あ ろ う 。 こ う し た 教 則 大 綱 に お け る 規 定 に よ っ て 、 明 治 二 十 五 年 か ら 多 数 の 郷 土 史 の 教 科 書 が 刊 行 さ れ 、 各 府 県 或 は 郡 町 村 な ど に お い て 使 用 さ れ た の で あ る 。 明 治 二 十 五 年 か ら 数 年 の 間 に 各 府 県 、 国 、 郡 、 市 町 村 な ど に お い て 刊 行 さ れ た 郷 土 の 歴 史 教 科 書 は 多 数 一 3 一

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      で あ っ た と 考 え ら れ て い る 」 の で あ る 。 ま た 「 多 方 多 面 ( 伊 波 氏 の 事 業 ) 」 の 筆 者 は 、 問 題 の 生 じ た 「 当 時 吾 人 は … ( 中 略 ) … と 論 じ た こ と が あ る 」 と の べ て い る の で 、 こ の 事 件 は 、 「 琉 球 新 報 」 が 発 刊 さ れ た 明 治 二 六 ( 一 八 九 三 ) 年 後 の そ れ 程 隔 ら な い 時 期 に 生 じ た の で は な か ろ う か 、 と い う 推 論 が 一 応 な り た つ の で あ る 。 と こ ろ で 、 こ の 郷 土 史 教 科 書 事 件 で は し な く も 露 呈 さ れ た 、 「 他 府 県 か ら 来 た 諸 君 」 の 全 て が 「 琉 球 史 を 知 ら し め た な ら 、 昔 を 追 懐 し て 国 民 的 精 神 の 発 達 を 沮 擬 す る 」 と 反 対 し た 事 実 の な か に 、 琉 球 史 の 独 自 性 の 問 題 が 象 徴 的 に 示 さ れ て い る よ う に 思 わ れ る の で あ る 。 と い う の は 、 日 本 社 会 の 外 に あ っ て 歴 史 的 な 発 展 を 遂 げ 、 日 本 国 家 と は 別 箇 に 琉 球 王 国 11 古 琉 球 と し て 独 自 な 国 家 形 成 を 行 な い 、 薩 摩 の 琉 球 征 服 と 琉 球 処 分 の 二 段 階 U 二 階 梯 を 経 て 、 漸 く 日 本 国 家 の な か に 最 終 的 に 組 み こ ま れ た 琉 球 の 歴 史 は 、 本 土 の 他 の ど の 府 県 に も み ら れ な い 独 自 性 が み ら れ る の は 余 り に も 当 然 と い う ほ か は な い の で あ る 。 し か も 、 琉 球 王 国 が 日 本 社 会 の 一 環 に 第 一 段 階 目 第 一 階 ヘ ヘ ヘ ヘ へ 梯 的 に 組 み こ ま れ た 幕 藩 体 制 社 会 の 時 代 は 、 天 皇 制 の 歴 史 の 観 点 か ら 見 れ ば 、 極 め て 特 異 な 時 代 で あ っ て 、 こ の こ と が 、 琉 球 の 歴 史 に も 明 確 に 反 映 さ れ て い て 、 そ の こ と が 、 明 治 二 四 ( 一 八 九 一 ) 年 の 「 小 学 校 教 則 大 綱 」 の 忠 君 愛 国 的 郷 土 史 的 視 点 か ら み れ ば 「 国 民 的 精 神 の 発 達 を 沮 擬 す る 」 も の と み え た の で あ る 。       す な わ ち 、 別 稿 で 簡 単 に 指 摘 し て お い た よ う に 、 「 天 皇 制 に つ い て は 、 天 皇 が 第 一 に 、 支 配 階 級 の 最 高 の 地 位 に あ っ て 支 配 階 級 編 成 の 要 と な っ て い る か 、 第 二 に 、 被 支 配 階 級 支 配 の た め の 究 極 的 権 威 で あ る か 、 第 三 に 、 そ の 社 会 に お け る 最 大 の 剰 余 労 働 取 得 者 で あ る か 、 と い っ た 三 点 を 基 準 に 検 討 す べ き だ と 考 え る も の で あ る が 、 こ の 見 地 に 立 つ と き 、 古 代 天 皇 翻 ・ 中 世 天 皇 制 ・ 近 代 天 皇 制 は 歴 史 的 に 成 立 す る が 、 近 世 天 皇 調 は 成 立 し な か っ た こ ( 10 ) と と な る 」 の で あ る 。 し た が っ て 、 第 一 に 、 近 世 の 天 皇 は 形 式 的 ・ 儀 礼 的 に は 最 高 の 地 位 に あ る か の ご と く で あ る が 、 支 配 階 級 編 成 の 要 は 実 質 的 に は 将 軍 で あ り 、 さ ら に 第 二 に 、 被 支 配 階 級 支 配 の た め の 窮 極 的 権 威 も ま た 将 軍 一 4 一

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『沖 縄 県 史』 刊 行 の 意 義 と 残 さ れ た 課 題 で あ り 、 本 土 の 百 姓 の 殆 ん ど 全 て は 将 軍 ・ 大 名 を 知 っ て 、 天 皇 の 存 在 を 知 ら な か っ た の が 実 情 で あ り 、 第 三 に 、 幕 藩 体 制 社 会 の 下 に お け る 天 皇 の 領 地 は 一 二 万 石 余 で あ っ て 、 幕 府 の 天 領 八 〇 〇 万 石 余 、 加 賀 前 田 の 一 〇 〇 万 石 と 対 比 す れ ぽ 一 見 し て 明 ら か な よ う に 、 中 の 下 の 大 名 領 程 度 に す ぎ な い の で あ る 。 こ の よ う に し て 、 天 皇 は 存 在 す る が 、 天 皇 制 の 存 在 し な い 、 近 世 の 幕 藩 体 制 社 会 の 日 本 社 会 11 日 本 国 家 に 始 め て し か も 第 一 階 梯 的 に 組 み 込 ま ヘ ヘ ヘ ヘ へ れ た 琉 球 社 会 が 、 独 立 の 王 国 で あ っ た 古 琉 球 の 時 代 と 同 様 に 、 将 軍 ・ 大 名 U 島 津 の 存 在 は 知 っ て も 天 皇 と 無 縁 で あ っ た の は 必 然 的 で あ っ て 、 琉 球 王 府 が 天 皇 の 存 在 と 関 わ り あ う よ う に な っ た の は 、 琉 球 処 分 の 前 史 に な っ て は じ め て と い っ て よ い の で あ る 。 し た が っ て 、 琉 球 史 に は 、 五 ・ 六 世 紀 以 降 の 古 代 天 皇 制 ・ 中 世 天 皇 制 ・ 明 治 維 新 の 結 果 成 立 す る 近 代 天 皇 制 の 歴 史 の な か に お か れ て き た 本 土 の 諸 府 県 と は 全 く 違 っ て 、 天 皇 に 忠 誠 を 誓 っ た 歴 史 ( 11 ) 上 の 人 物 を 一 人 と し て 発 見 す る こ と が で き な い の で あ る 。 し か も 、 別 稿 で 指 摘 し た よ う に 、 明 治 一 ご ( 一 八 七 九 ) 年 の 琉 球 処 分 は 、 版 籍 奉 還 な き 廃 藩 置 県 と い う 、 日 本 近 代 史 一 般 の 目 か ら み れ ば 、 き わ め て 特 異 な 歴 史 過 程 で あ っ て 、 そ こ に は 明 治 維 新 で 活 躍 す る 勤 皇 の 志 士 は 唯 の 一 人 も 登 場 し な い だ け で な く 、 む し ろ 、 佐 幕 ど こ ろ か 当 時 の 日 本 の 仮 想 敵 国 で あ っ た 清 国 に 意 を 寄 せ る 様 々 な 人 物 像 が 琉 球 史 上 に 鮮 か に 浮 か び 上 っ て く る の で あ っ た 。 歴 史 と い え ば 、 人 物 史 が 主 流 で あ っ た 当 時 に お い て 、 忠 君 愛 国 の 歴 史 の 入 口 と し て 期 待 さ れ る 郷 土 史 と い う 観 点 か ら す れ ぽ 、 琉 球 史 ほ ど そ の 課 題 に こ た え に く い 郷 土 史 は 存 在 し な か っ た の で あ る 。 こ の よ う に し て 、 沖 縄 歴 史 研 究 の 開 拓 は 、 「 政 治 家 や 実 業 家 の 同 情 を 得 る こ と は 出 来 な か っ た 」 だ け で は な く ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 「 そ の 研 究 に 従 事 す る 者 を 迫 害 」 す る と い う 他 の 府 県 で は 全 く 考 え ら れ な い 厳 し い 政 治 的 状 況 の 下 で は じ め ら れ な け れ ぽ な ら な か っ た の で あ る 。 し か し な が ら こ の よ う な 状 況 は 、 大 正 期 に 入 っ て 大 き く 変 化 す る 。 第 一 一 代 県 知 事 大 味 久 五 郎 は 、 「 着 任 勿 々 県 史 編 纂 の 必 要 を 主 張 し 、 既 に 編 纂 委 員 を 挙 げ て 其 準 備 に 着 手 し た る が 、 今 回 愈 一 5 一

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( 12 ) よ 其 費 用 を 来 年 度 予 算 に 計 上 し て 、 県 会 の 協 議 を 求 む る に 決 せ る も の の 如 し 」 と 新 聞 に 報 道 せ ら れ る よ う に な り 県 立 図 書 館 長 の 伊 波 普 猷 は 、 真 境 名 安 興 と と も に 委 員 に 任 命 さ れ た こ と が 、 大 正 三 ( 一 九 一 四 ) 年 七 月 一 〇 日 付 ( 13 ) の 「 沖 縄 毎 日 新 聞 」 は 報 じ て い る の で あ る 。 し か し な が ら 、 こ の 『 県 史 』 編 纂 事 業 は 中 断 さ れ 、 つ い に 戦 前 に は 『 県 史 』 は 刊 行 さ れ る こ と は な か っ た の で あ る 。 こ こ で 戦 前 に お け る 『 県 史 』 編 纂 の 全 国 的 状 況 に 眼 を 転 じ て み よ う 。 『 県 史 』 編 纂 に つ い て 、 私 的 個 人 の 述 作 ( 14 ) は 別 と し て 、 県 当 局 も し く は 、 県 教 育 会 編 纂 の も の を 、 阿 津 坂 林 太 郎 編 『 地 方 史 文 献 総 合 目 録 』 上 巻 ( 戦 前 編 ) に よ っ て 一 覧 表 と し た の が 次 の 第 一 表 で あ る 。 こ の 第 一 表 に よ れ ぽ 、 私 的 個 人 の 著 述 は 別 と し て 、 県 が 編 纂 し た 『 県 史 』 が 戦 前 段 階 で 未 刊 な の は 、 福 島 ・ 栃 木 ・ 群 馬 ・ 新 潟 ・ 山 梨 ・ 三 重 ・ 兵 庫 ・ 和 歌 山 ・ 佐 賀 ・ 熊 本 ・ 大 分 ・ 宮 崎 ・ 沖 縄 の 一 三 県 に す ぎ な い が 、 こ の 『 目 録 』 に 掲 載 さ れ て い る 、 広 い 意 味 で の 地 方 史 文 献 の 刊 行 冊 数 は 、 第 一 表 B 欄 が 示 す よ う に 、 沖 縄 が 全 国 最 低 の 五 五 冊 に と ど ま っ て い る の で あ る 。 大 正 一 〇 年 代 の 柳 田 国 男 の 訪 沖 以 来 高 ま っ た 南 島 ブ ー ム に よ っ て 、 沖 縄 研 究 が 刺 激 さ れ た に も か か わ ら ず 、 『 県 史 』 刊 行 の 基 盤 ・ 土 壌 と も い う ベ ヘ ヘ へ   へ き 沖 縄 歴 史 研 究 の 据 野 は 、 戦 前 に お い て 意 外 と 狭 い の で あ る 。 し か も 、 決 し て 多 い と は い い 難 い 沖 縄 歴 史 研 究 の 内 容 に 立 ち い っ て み れ ぽ 、 そ の 多 く は 、 近 代 以 前 の 歴 史 に 集 中 し て お り 、 伊 波 普 猷 ・ 東 恩 納 寛 惇 ・ 真 境 名 安 興 と い っ た 、 沖 縄 歴 史 研 究 の 開 拓 者 た ち の 活 躍 の 主 な 舞 台 は 近 代 以 前 の 歴 史 に ほ か な ら な か っ た の で あ る 。 戦 前 段 階 に お け る 沖 縄 近 代 史 研 究 と し て あ げ る こ と の で き る も の は 、 本 質 的 に は 時 論 で あ っ て 歴 史 研 究 と は み ( 15 ) ( 16 ) な し 難 い 新 城 朝 功 『 瀕 死 の 琉 球 』 や 湧 上 聾 人 『 沖 縄 救 済 論 集 』 を 除 け ぽ 、 史 料 集 的 な 性 格 の 濃 い 喜 舎 場 朝 賢 『 琉 ( 17 ) ( 18 ) ( 19 ) 球 見 聞 録 』 を 含 め て も 五 指 に も 及 ぼ な い の で あ っ て 、 真 境 名 安 興 『 沖 縄 現 代 史 』 、 太 田 朝 敷 『 沖 縄 県 政 五 十 年 』 一 6 一

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『 沖 縄 県 史 』 刊 行 の 意 義 と 残 さ れ た 課 題 ( 20 ) 親 泊 康 永 『 義 人 謝 花 昇 伝 』 以 外 に 研 究 と い う 名 に 値 す る 研 究 が 存 在 し な い 淋 し さ な の で あ る 。 こ の よ う な 、 沖 縄 歴 史 研 究 1 な か ん ず く 近 代 史 研 究 の 乏 し さ は 、 「 時 の 牧 民 者 が 沖 縄 人 の 沖 縄 研 究 を 大 な る 危 険 な る か の 如 く 思 惟 し 、 其 の 研 究 に 従 事 す る 者 を 迫 害 」 し た か ら だ け 生 じ て い る の で は な い 。 国 立 の 高 等 教 育 ( 21 ) 機 関 、 す な わ ち 、 大 学 ・ 高 校 ・ 高 専 が 設 立 さ れ た 時 期 を 府 県 別 に 網 羅 し た 第 二 表 を 参 照 さ れ た い 。 戦 前 時 点 で 沖 縄 を 除 く 全 府 県 に は 、 少 な く と も 最 低 一 つ 、 高 校 ・ 高 商 ・ 高 農 ∴ 局 工 ・ 医 専 等 の い ず れ か が 置 か れ て い る の で あ る 。 明 治 年 間 ま で は 、 過 半 の 府 県 に は 国 立 の 高 等 教 育 機 関 が 存 在 し な か っ た の で あ る が 、 第 二 表 に も 明 ら か な よ う に 、 大 正 末 年 に 急 速 に 各 県 へ の 国 立 の 高 等 教 育 機 関 の 設 置 が 進 む の で あ る 。 す で に 明 治 四 四 ( 一 九 一 一 ) 年 、 「 本 県 に 純 然 た る 学 術 研 究 会 の な き を 遺 憾 と し 、 県 下 篤 学 の 士 の 為 め に 各 自 の 研 究 せ る 所 を 発 表 し 、 我 は 読 了 せ ( 22 ) る 書 物 の 梗 概 を 話 す 等 、 相 互 の 意 見 を 交 換 開 拓 す る 機 関 た ら し め ん と す る 」 た め に 「 沖 縄 読 書 会 」 の 設 立 が 、 伊 波 普 猷 等 に ょ っ て 提 唱 さ れ て い た の で あ る が 、 沖 縄 を 除 く 全 府 県 に 国 立 の 高 等 教 育 機 関 が 設 立 さ れ た 大 正 末 年 、 伊 波 は 、 「 本 県 は 毎 年 五 百 万 円 の 国 税 を 納 め て い る が 、 本 県 が 受 け る 国 庫 の 補 助 金 は 僅 百 七 十 万 円 に 過 ぎ な い 。 つ ま り 三 百 万 円 以 上 の 大 金 が 国 庫 に 搾 上 げ ら れ る 勘 定 に な る 。 搾 上 げ ら れ る と い ふ と 語 弊 が あ る が 、 国 防 や 教 育 や 交 通 な ど 国 家 に 必 要 な 設 備 に 使 は れ る の だ 。 け れ ど も 、 本 県 人 は そ の 恩 恵 に 与 る こ と が 至 っ て 少 な い 。 も し 琉 球 と 鹿 児 島 が 地 続 き だ っ た ら 、 本 県 人 も 他 府 県 人 同 様 に 、 国 家 の 酒 盛 り に 列 な っ て 、 思 ふ 存 分 に 御 馳 走 を 戴 け た に 相 違 な い が 、 七 島 灘 が あ る た め に い つ も 孤 島 苦 ( イ ソ ゼ ル シ ュ メ ル ツ ) ば か り 嘗 め さ せ ら れ て い る 。 気 の 毒 だ ( 23 ) ( 24 ) と 思 っ て 高 等 学 校 の 一 つ 位 は 立 て て 貰 へ な い も の だ ら う か し と の べ 、 新 城 朝 功 も 、 「 国 立 高 等 工 業 学 校 の 創 設 」 ( 25 ) を ソ テ ツ 地 獄 に 悩 む 沖 縄 の 「 永 久 的 救 済 策 」 十 項 目 の う ち の 一 つ に 掲 げ て い た の で あ る 。 し か し な が ら 戦 前 つ い に 沖 縄 県 に は 国 立 の 高 等 教 育 機 関 は 設 置 さ れ な か っ た の で あ っ て 、 こ の こ と が ま た 、 沖 一 7 一

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ヘ へ 縄 研 究 の 発 展 に 大 き な 制 約 の 一 つ と な っ た こ と は 疑 問 の 余 地 が な い の で あ る 。 以 上 、 戦 後 の 『 県 史 』 編 纂 の 歴 史 的 前 提 と も い う べ き 、 戦 前 の 沖 縄 歴 史 研 究 の 状 況 と こ れ を 支 え た 基 礎 条 件 を 他 の 諸 府 県 と の 対 比 の 下 に 検 討 を 進 め て き た の で あ る が 、 戦 前 に お け る 沖 縄 歴 史 研 究 の 立 ち 遅 れ に 加 う る に 、 直 接 の 地 上 戦 闘 の 被 害 を ま と も に う け た 唯 一 つ の 県 と い う 、 太 平 洋 戦 争 の 戦 禍 の 甚 だ し さ を の り こ え て は じ め ら れ た 戦 後 の 『 県 史 』 編 纂 は 、 全 く ゼ ロ の 状 態 か ら 再 出 発 し な け れ ば な ら な か っ た の で あ っ て 、 比 較 を 絶 す る 困 難 な 状 況 の 下 で 『 県 史 』 編 纂 が は じ め ら れ た 点 に つ い て は 多 言 を 要 す ま い と 思 う の で あ る 。 ( 27 ) 丸 岡 莞 爾 知 事 の 時 代 に 蒐 集 さ れ た 琉 球 史 料 を 基 礎 に 、 伊 波 普 猷 ・ 真 境 名 安 興 図 書 館 長 時 代 に 集 成 さ れ た 郷 土 資 ( 28 ) 料 は 、 県 立 図 書 館 に 保 管 さ れ て い た の で あ る が 、 五 千 冊 に 及 ん だ そ の 郷 土 資 料 が 灰 儘 に 帰 し た 以 上 、 戦 後 の 『 県 史 』 編 纂 は 全 く 新 し く 資 料 蒐 集 の 第 一 歩 か ら や り な お さ な け れ ば な ら な か っ た し 、 一 九 五 〇 年 の 琉 球 大 学 ・ 一 九 六 一 年 の 沖 縄 大 学 ・ 一 九 六 二 年 の 国 際 大 学 と い う 地 元 三 大 学 の 設 立 が み ら れ は し た も の の 、 戦 前 か ら の 研 究 者 の 社 会 的 蓄 積 が 乏 し い な か で 、 し か も 、 米 軍 占 領 下 の 一 九 六 二 年 に 『 県 史 』 編 纂 が 発 議 さ れ た だ け に 、 『 県 史 』 編 ( 29 ) 纂 事 業 が の り こ え な け れ ば な ら な か っ た さ ま ざ ま な 困 難 に つ い て は 、 名 嘉 正 八 郎 氏 の 「 沖 縄 の 修 史 事 業 」 の 簡 単 な 指 摘 に よ っ て も 、 十 分 に そ の 困 難 さ を う か が い し る こ と が で き る の で あ る 。 に も か か わ ら ず 、 こ の 困 難 を 美 事 に 克 服 し て 、 一 九 六 五 年 三 月 に 第 = 巻 資 料 編 1 上 杉 県 令 関 係 日 誌 を 公 刊 し て 以 来 一 三 年 の 年 月 を か け て 一 九 七 七 年 三 月 、 別 巻 の 沖 縄 近 代 史 辞 典 を 刊 行 す る こ と に よ っ て 、 全 二 四 巻 の 『 県 史 』 の 刊 行 が 計 画 ど お り 完 結 し た 。 ま こ と に 慶 賀 す べ き で あ る 。 以 下 、 『 県 史 』 の 特 徴 と 刊 行 の 積 極 的 意 義 を 指 摘 し 、 あ わ せ て 編 輯 上 の 問 題 点 の い く つ か を 、 歴 史 研 究 の 立 場 か ら 検 討 す る こ と と し た い 。 一 8 一

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( A ) (B ) 明 治 i 大 正 i 昭 和 1 ; 20 25 30 35 40 i1 5 10 i1 5 10 15 20 25 明 20 25 北 海 道 l l @ i ・ 。 7 2 2 0 三 重 青 森 l l ◎ i i O ⑥1(8> 9 6 滋 賀 岩 手 l l O i i O 1 4 7 京 都 宮 城 1 : l l O ◎ l l ◎ 1 0 3 大 阪 秋 田 l l i i 。 。 (7) 1 4 0 奈 良 、ヤ 1 、 1 、 、 一 1 一 一   − 1 山 形 l ⑥( u 4 兵 庫 福 島 ; 1 6 5 和 歌 山 _L L L L Li ⊥ 且一. 栃 木 ; l i i l g 3 鳥 取 群 馬 1 : i i O()0 1 4 4 島 根 埼 玉 i } O l◎(2> ・ 1 。(7) 1 6 4 岡 山 茨 城 l @ 9 1 広 島 東 京 l l l l l l ◎ o (1の 2 1 3 山 口 千 葉 ; l ⑨ (2> i O 1 2 7 徳 島     − 1_   神 奈 川 l l l l l (§》 1 ◎ 〈12> 1 5 ? 香 川 新 潟 l l 土」 i i 2 1 2 愛 媛 富 山 ; 1 ; 1 ⑥ 1 ◎ 1 ◎ 1 4 7 高 知 石 川 l l ⑥ @ } } 。 。(5) 1 0 9 福 岡 1 福 井 l l i ・ 2 9 佐 賀 山 梨 l 7 4 熊 本 長 野 i i @( 、 , 9 長 崎 ● 岐 阜 l l O i i ◎(11) 1 8 3 大 分 i 静 岡 i i ・ ◎ 。(5) l l ◎ ◎(3> 1 5 8 宮 崎 愛 知 i 。(、) i 。 . ° 。(,) 2 6 1 鹿 児 島 旨 l l ; 1 ; 1 沖 縄 1 註 @ 県 編 纂 の 県 史 ◎ 州 ◎ は 数 年 間 に わ た っ て 刊 行 さ れ た こ と、(6>は 6 冊 刊 行 を 示 す。県 教 育 会 編 の 県 史 類。

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2 2 9 1 0 5 4 7 1 6 4 5 0 2 7 2 9 0 0 1 6 2 3 5 別 ( 8 8 2 1 1 7 9 1 8 1 1 1 6 1 2 2 4 1 1 1 2 1 1 7 1 0 8 1 4 1 0 9 2 7 1 2 1 1 1 4 5

和 20 1 ㈹ ○ αの O ㈲ @ o 15 ⑥ ② @ ⑯ @ @ 1 O ㈲ Q ㈹ 昭 10 ○ 0 酬 ◎ ○ ⑥ ○ 5 0 ㈲ ○ 働 ◎ ◎ ㈹ ◎ 9 0 L 1 @ Q 1 1 「 齢 − 監 } 1 唇 瞥 酢 0 腔 ー , O , l l I ■ l l ■ 1 ー 膨 − 酢 辱 − 瞠 匪 , 瞠 陰 , 馨 「 軍 9 9 馴 曜 l 1 0 I O 8 ● 1 9 − O l − I l ー 聖 ー 駐 1 量 酢 , 匪 嘩 辱 む 腔 曜 ● , 岐 O 1 9 , l 1 0 O l ■ ■ 医 1 屡 駈 「 , 唇 9 , 嘩 , 蓼 , 搦 8 圏 ■ I l l 書 ー 巳 1 , 膨 1 鐸 匪 − 幽 0 昼 − 蓼 1 1 1 匪 1 「 酵 酵 馨 1 , 盛 O 蔭 1 ー 胴 I O l I 1 ■ 1 8 ー 匪 , 「 唇 辱 警 酢 ○ ⑨ O 正 −o O O ) 仏 ○ ω 大 5 ② ⑨ @ ◎ @ 1 , 棚 − 1 1 1 1 0 1 ー 「 匠 − 監 駐 畳 1 畢 ー 嘩 「 , ⑥ 0 「 1 0 1 0 ● 8 疽 O 1 1 0 酵 量 1 「 「 , 瞠 ー , 0 酢 , 9 睦 ー 9 0 「 ■ 1 8 0 1 ー 量 ‘ 「 量 ■ 尋 酢 膨 唇 , 「 匡 O 1 0 1 ー O O O 1 1 ■ 書 l l 駐 書 嗣 膨 書 「 聾 ⑮ O , 「 ー 9 0 ■ 1 1 8 1 1 貴 書 膨 6 撃 暉 5 1 , , 1 9 1 稠 l O l O ー @ 重 − 匪 酢 辱 嘩 、 B 匪 9 0 , 1 0 ■ 1 ■ 量 纈 5 「 「 膨 嘘 , 0 9 6 1 0 1 ◎ O 40 ム ロ 5 、 ∼ 3 ⑬ ⑥ ㈲ O O ○ ○ 30 明 25 20 、 重 三 賀 滋 都 京 阪 大 良 奈 庫 兵 山 歌 和 取 鳥 根 島 山 岡 島 広 口 山 島 徳 川 香 媛 愛 知 高 岡 福 賀 佐 本 熊 崎 長 分 大 崎 宮 島 児 鹿 縄 沖 射 ( 0 2 2 6 9 7 4 1 3 0 1 0 4 1 4 1 1 5 6 1 3 9 4 4 4 6 1 1 1 9 3 2 1 7 2 1 7 5 1 2、 1 2 7 4 1 9 0 1 9 2 1 4 7 9 7 1 3 8 1 8 5 1 1 6 2

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徳 島

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二 、 『 沖 縄 県 史 』 の 特 徴 と 編 輯 上 の 問 題 点 『沖 縄 県 史』 刊 行 の 意 義 と 残 さ れ た 課 題 お そ ら く 一 九 六 五 年 の も の と 思 わ れ る 琉 球 政 府 編 輯 ・ 発 行 の 『 沖 縄 県 史 i ー 全 二 一 巻 総 目 録 』 と い う パ ソ フ レ ッ ト が あ る 。 そ れ は 、 一 九 六 五 年 よ り 刊 行 を 開 始 す る 『 県 史 』 の P ・ R 用 の パ ソ フ レ ヅ ト で あ っ て 、 大 田 政 作 琉 球 政 府 主 席 の 「 沖 縄 県 史 発 刊 に 際 し て 」 と 題 す る あ い さ つ の 言 葉 が 冒 頭 に お か れ 、 通 史 一 巻 . 各 論 編 九 巻 。 別 巻 人 物 編 一 巻 ・ 別 巻 沖 縄 近 代 史 辞 典 ・ 資 料 編 九 巻 と い う 、 全 一 二 巻 の 『 県 史 』 の 編 別 構 成 が 明 ら か に さ れ て い る 。 そ こ で は 、 通 史 に つ い て 「 廃 藩 置 県 か ら 敗 戦 に い た る ま で 沖 縄 が 歩 み つ づ け た 歴 史 を 日 本 史 あ る い は 世 界 史 の 一 環 と し て 明 ら か に し た い と 思 い ま す 」 、 各 論 編 に つ い て 「 沖 縄 近 代 史 の 歴 史 的 過 程 を 政 治 . 経 済 . 文 化 等 の 諸 面 か ら 掘 り 下 げ る こ と に よ り 複 雑 多 岐 の 県 政 時 代 を 浮 き 彫 り に し 、 そ れ が 郷 土 を 認 識 す る た め の 座 右 の 書 と な る よ う に し た い と 思 い ま す 」 、 別 巻 ・ 人 物 編 に つ い て 「 沖 縄 県 の た め に 努 力 し あ ら ゆ る 分 野 で 活 躍 し た 人 物 を と り あ げ ま す 」 、 別 巻 ・ 沖 縄 近 代 史 辞 典 に つ い て 「 沖 縄 近 代 史 辞 典 が は じ め て 刊 行 さ れ ま す 。 時 間 を か け 、 衆 知 を 集 め て 内 容 豊 富 な 利 用 価 値 の 高 い 辞 典 に し た い と 思 い ま す 」 、 資 料 編 に つ い て 「 戦 禍 の た め 県 内 に お け る ほ と ん ど の 資 料 が 灰 じ ん に 帰 し ま し た 。 歴 史 の 事 実 を 知 り そ れ を 後 世 に 伝 え る 媒 体 と し て の 資 料 を 広 く 県 外 に も と め 、 貴 重 資 料 の 永 久 保 存 を は か る と と も に 、 各 界 各 層 の 研 究 者 の 便 宜 に 供 し た い と 思 い ま す 」 と 指 摘 し て い る 。 こ の 一 二 ( 30 ) 巻 構 想 は 、 一 九 六 七 年 に 現 行 の 二 四 巻 構 想 に 改 め ら れ 、 内 容 上 の 若 干 の 手 直 し が 行 な わ れ て は い る が 、 廃 藩 置 県 以 後 敗 戦 ま で の 近 代 沖 縄 の 歴 史 に 集 中 し て 『 県 史 』 を 編 纂 す る と い う 当 初 の 構 想 は そ の ま ま 維 持 さ れ 、 そ の と お り 実 現 さ れ て い る の で あ る 。 こ こ に 『 沖 縄 県 史 』 の 他 の 『 県 史 』 に は み ら れ な い 特 質 が 存 在 す る の で あ る 。 戦 前 戦 後 を 通 じ て 邸 じ め で 編 纂 さ れ る 『 県 史 』 が 、 こ の よ う に 全 二 四 巻 を 近 代 だ け に あ て て い る 『 県 史 』 を 筆 者 は 他 一 9 一

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に 全 く 知 ら な い の で あ る 。 こ の よ う な 全 く 独 自 な 『 県 史 』 構 想 が 、 大 田 政 作 主 席 の 「 ま ず 沖 縄 県 時 代 の 歴 史 を 編 ( 31 ) 集 す る よ う 、 そ の 立 案 を 命 じ た 」 こ と に 由 来 す る に せ よ 、 そ の 本 質 的 な 理 由 に つ い て 筆 者 は つ ま び ら か に し な い ヘ ヘ へ の で あ る が 、 米 軍 支 配 下 に 「 沖 縄 県 」 の 歴 史 を 編 纂 す る と い う 、 そ の 政 治 的 ・ 文 化 的 意 義 が 強 烈 に 意 識 さ れ て い ( 32 ) た た め な の で あ ろ う か 。 と も あ れ 、 戦 前 ・ 戦 後 を 通 じ て は じ め て 編 纂 さ れ る 『 県 史 』 二 四 巻 の 全 て が 近 代 だ け に あ て ら れ る と い う 独 自 な 『 県 史 』 は 、 当 初 構 想 を 貫 き と お し た の で あ る が 、 一 九 六 五 年 当 時 の 執 筆 予 定 者 と 現 実 の 執 筆 者 と の 問 に は 大 巾 な 変 化 が あ り 、 『 県 史 』 編 纂 の 一 五 年 の 歳 月 が 、 そ れ 自 体 一 つ の 歴 史 で あ っ た こ と を 十 分 に う か が わ せ る も の が あ る 。 こ の 点 に つ い て 、 他 に 語 る べ き 適 任 者 が お ら れ る と 思 っ た の で 、 こ の 間 の 経 緯 に つ い て ほ と ん ど 知 る こ と の な い 筆 者 は 、 本 論 の 執 筆 を 引 き う け た 後 も あ え て 調 査 ・ 検 討 す る こ と は し な か っ た が 、 当 初 執 筆 予 定 者 の う ち に 含 ま れ て い た 仲 原 善 忠 ・ 比 嘉 春 潮 と い う 沖 縄 歴 史 研 究 の 大 先 達 を は じ め 、 中 山 盛 茂 氏 等 す で に 物 故 さ れ た 方 々 も 多 い と こ ろ に 、 こ の 一 五 年 の 歳 月 が う か が わ れ る の で あ る 。 特 に 、 『 県 史 』 第 一 巻 通 史 ・ 第 二 巻 政 治 ・ 第 三 ヘ ヘ ヘ へ 巻 経 済 の 執 筆 者 は 、 一 九 六 五 年 当 時 の 執 筆 予 定 者 が 大 巾 に 入 れ か わ っ て 若 が え っ て お り 、 こ の 若 が え り は 、 『 県 史 』 全 体 の 傾 向 で も あ る が 、 執 筆 者 の ほ と ん ど 全 て が 沖 縄 在 住 老 で あ る こ と と と も に 、 こ れ ま た 『 沖 縄 県 史 』 の 一 つ の き わ だ っ た 特 徴 の よ う に 思 わ れ る 。 本 土 よ り 切 り 離 さ れ て 米 軍 支 配 下 に あ っ た 時 点 で の 『 県 史 』 編 纂 の 立 案 が 、 沖 縄 在 住 者 に よ る 執 筆 者 構 想 と な ら ざ る を え な い の は 必 然 的 で あ り 、 さ ら に 、 先 に 指 摘 し た 様 に 、 戦 前 に 高 等 教 育 機 関 が 存 在 し な か っ た た め に 研 究 老 の 社 会 的 蓄 積 が 乏 し い 上 に 、 沖 縄 近 代 史 研 究 に つ い て も 戦 前 段 階 の 蓄 積 も 少 な い 事 情 は 、 『 県 史 』 執 筆 者 の 多 く の 部 分 を 戦 後 世 代 の 若 手 研 究 者 に 委 ね ざ る を え な か っ た の で あ ろ う 。 恐 ら く 『 沖 縄 県 史 』 の 執 筆 者 の 平 均 年 齢 は 、 戦 後 編 纂 さ れ た ど の 『 県 史 』 と 比 べ て み て も 、 全 国 一 若 い と い え 10

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『 沖 縄 県 史 』 刊 行 の 意 義 と 残 さ れ た 課 題 る の で は な か ろ う か 。 そ し て ま た 、 そ れ 故 に こ そ 若 さ が か も し だ す 意 欲 的 な 『 県 史 』 の 叙 述 に わ れ わ れ は 接 す る こ と が で き る の で あ る 。 戦 後 に お け る 『 県 史 』 編 纂 状 況 は 、 た と え ば 、 『 福 島 県 史 』 の よ う に 福 島 県 在 住 研 究 者 が 中 心 と な っ て 編 纂 さ れ た も の も あ れ ば 、 ま た 『 栃 木 県 史 』 『 神 奈 川 県 史 』 の よ う に 、 地 方 研 究 者 も も ち ろ ん 参 加 す る が 、 編 集 の 中 心 に 県 外 の 日 本 史 研 究 の 権 威 者 が す わ っ て の 編 纂 も あ り 、 千 差 万 別 で あ る が 、 『 福 島 県 史 』 の 場 合 で も 、 福 島 県 在 住 即 福 島 県 出 身 者 と は 全 ぐ か ぎ 射 か い の で あ る 。 し た が っ て 、 『 沖 縄 県 史 』 の よ う に 、 県 史 執 筆 者 11 沖 縄 県 在 住 者 1ー 沖 縄 県 出 身 者 と い う 特 徴 を も っ た 『 県 史 』 は 、 恐 ら く 他 に ま っ た く 存 在 し な い と 考 え ら れ る の で あ っ て 、 そ の 意 味 で 『 沖 縄 県 史 』 は 、 県 の 文 化 的 力 量 を 集 中 的 に か つ 純 粋 に 表 現 し て い る 稀 な 『 県 史 』 と い う こ と が で き る の で あ る 。 戦 前 段 階 に お け る 近 代 史 研 究 の 蓄 積 が 乏 し く 、 さ ら に 、 資 料 蒐 集 が 全 く ゼ ロ の 状 況 か ら 新 し く 再 出 発 し な け れ ば な ら な か っ た 上 に 、 研 究 者 の 社 会 的 蓄 積 が 乏 し く 、 戦 後 世 代 に 属 す る 若 手 研 究 者 に 大 き く 依 存 せ ざ る を 得 な か っ た と い う 制 約 条 件 の 累 績 に も か か わ か ず 、 『 沖 縄 県 史 』 は 、 き わ め て ユ ニ ー ク な 『 県 史 』 と し て 、 光 彩 を 放 っ て い る よ う に 思 え る 。 そ の 第 一 は 、 『 沖 縄 県 史 』 な ら で は の 、 沖 縄 県 の 歩 ん だ 独 自 の 近 代 の 歴 史 を 反 映 し た 構 成 を 『 県 史 』 が と っ て い る こ と で あ る 。 沖 縄 県 が 、 日 本 の 全 府 県 の な か で 唯 一 つ の 直 接 の 地 上 戦 闘 の 場 と な り 最 も 悲 惨 な 戦 禍 を 蒙 っ た 県 で あ る だ け で な く 、 一 九 七 二 年 ま で 米 軍 の 占 領 下 に 置 か れ て い た と い う 厳 し い 歴 史 的 現 実 を ふ ま え て 、 『 県 史 』 は 、 そ の 第 八 ∼ 一 〇 巻 の 三 巻 を 、 沖 縄 の 近 代 の 歴 史 の 終 着 点 で あ る 沖 縄 戦 に あ て て い る こ と 、 ま た 、 戦 前 の 沖 縄 県 が 日 本 一 の 移 民 県 で あ っ た そ の 歴 史 を た ど っ て 、 『 県 史 』 第 七 巻 を 移 民 編 に あ て て い る こ と 等 が そ の 現 わ 一 11 一

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れ で あ る 。 そ の 第 二 は 、 古 琉 球 以 来 、 独 自 な 文 化 と し て 発 展 し て き た 琉 球 文 化 を 全 体 的 に と ら え よ う と す る 構 成 を 『 県 史 』 が と っ て い る こ と で あ る 。 日 本 の 一 部 で あ る こ と が い わ ば 自 明 の 事 実 で あ る 本 土 の 諸 府 県 と は 異 な っ て 、 沖 ヘ へ 縄 は 日 本 の 一 部 で あ る の か 、 沖 縄 と は 何 か 、 と い う 問 い か け が 、 同 時 に 、 日 本 と は 何 か 、 と い う 反 照 に 連 な ら ざ る を え な い 沖 縄 の 歴 史 的 特 質 は 、 琉 球 文 化 の な か に 集 中 的 に 表 現 さ れ て い る の で あ っ て 、 『 沖 縄 県 史 』 に は 、 他 の も ろ も ろ の 『 県 史 』 に は み ら れ な い 独 自 の 文 化 論 が 、 第 五 ・ 六 巻 文 化 編 と 第 二 二 ・ 二 三 巻 民 俗 編 で 展 開 さ れ て ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ い る 。 人 は こ れ ら の 巻 を ひ も と く こ と に よ っ て 、 琉 球 文 化 の も つ 二 面 性 − 本 土 文 化 と の 共 通 面 と 異 質 面 i を 言 語 ・ 文 学 ・ 習 俗 ・ 芸 能 ・ 信 仰 ・ 古 武 術 等 と い っ た 多 様 な 側 面 か ら 知 る こ と が で き る の で あ っ て 、 明 治 一 二 ( 一 ( 33 ) 八 七 九 ) 年 の 版 籍 奉 還 な き 廃 藩 置 県 と し て の 琉 球 処 分 と い う 第 二 階 梯 を へ る こ と に よ っ て 、 よ う や く 日 本 国 家 の ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 一 地 域 と し て 最 終 的 に 組 み こ ま れ た 沖 縄 の 住 民 が 、 上 か ら 皇 民 化 さ れ 、 下 か ら 同 化 し て ゆ く 沖 縄 県 独 自 の 文 化 現 象 の さ ま ざ ま な 局 面 と 問 題 点 を 、 沖 縄 近 代 の 歴 史 に 即 し て 知 る こ と が で き る の で あ る 。 第 三 に 、 大 正 一 〇 ( 一 九 一 二 ) 年 の 柳 田 国 男 訪 沖 に よ っ て 礎 石 を 置 か れ た 、 南 島 研 究 の 中 心 と も い え る 沖 縄 研 究 i こ れ を 沖 縄 学 と よ ぶ か ど う か は 論 者 に よ っ て 見 解 を 異 に す る と こ ろ で あ る が ー の 各 分 野 に つ い て 、 そ の 研 究 史 と 現 段 階 的 問 題 点 の 指 摘 ・ 書 誌 的 案 内 が 、 第 五 ・ 六 巻 の 文 化 編 で 試 み ら れ て お り 、 こ れ ま た 沖 縄 研 究 が 、 単 な る 日 本 の 一 地 域 の 研 究 を こ え た 独 自 な 研 究 領 域 で あ る こ と を 再 認 識 さ せ る も の で あ っ て 、 他 の 『 県 史 』 に は み ら れ な い ユ ニ ー ク な 試 み と い う こ と が で き 、 新 た に 沖 縄 研 究 を 志 す 者 に と っ て は 、 格 好 の 入 門 書 的 役 割 を 果 し て い る と い う こ と が で き る の で あ る 。 第 四 に 指 摘 さ れ ね ぽ な ら な い の は 、 第 一 一 巻 か ら 第 “ 二 巻 ま で 、 『 県 史 』 全 二 四 巻 の 半 ぽ に 近 い 一 一 巻 を あ て た 一 12 一

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『沖 縄 県 史』 刊 行 の 意 義 と 残 さ れ た 課 題 資 料 編 刊 行 が 、 今 後 の 沖 縄 研 究 に 及 ぼ す 画 期 的 意 義 で あ る 。 『 沖 縄 県 史 』 以 外 の 戦 後 編 纂 さ れ る 『 県 史 』 の 全 て も 、 資 料 編 の 刊 行 に 大 き な 努 力 を 注 い で い る の で あ る が 、 『 沖 縄 県 史 』 の 場 合 に は 、 沖 縄 戦 に よ る 全 資 料 の 潰 滅 と い う 他 の 府 県 に は み ら れ な い 資 料 状 況 が 存 在 す る の で あ っ て 、 そ の 意 味 で = 巻 分 に お よ ぶ 資 料 編 刊 行 の 積 極 的 意 義 は 、 い く ら 強 調 し て も 強 調 し す ぎ る こ と は な い で あ ろ う 。 第 五 に 、 『 沖 縄 県 史 』 に は 豊 富 な 年 表 が 盛 り こ ま れ て い る と こ ろ に メ リ ッ ト が あ る 。 第 一 巻 の 通 史 に 二 六 五 頁 に 及 ぶ 「 沖 縄 史 年 表 」 が 掲 載 さ れ て い る ほ か 、 第 二 巻 政 治 編 に は 「 沖 縄 県 政 治 史 年 表 」 が 、 第 三 巻 経 済 編 に 「 近 代 沖 縄 経 済 史 年 表 」 、 第 六 巻 文 化 編 2 に は 「 沖 縄 文 化 史 年 表 」 、 第 八 巻 沖 縄 戦 通 史 に は 「 沖 縄 戦 史 年 表 」 と い っ た 具 合 で あ る 。 近 代 沖 縄 の 史 実 を 確 か め る 場 合 、 こ れ ら の 年 表 の 存 在 は 極 め て 便 利 で あ っ て 、 第 二 四 巻 に あ た る 別 巻 の 沖 縄 近 代 史 辞 典 の 付 録 と と も に 長 く 活 用 さ れ る で あ ろ う 。 第 六 に 、 別 巻 沖 縄 近 代 史 辞 典 の 刊 行 で あ る 。 他 の 『 県 史 』 に は 全 く み ら れ な い こ の よ う な ユ ニ … ク な 企 画 が 実 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 現 さ れ た こ と は 、 沖 縄 近 代 史 が 、 日 本 近 代 史 一 般 の な か に 到 底 解 消 し ぎ れ な い 極 め て 独 自 な 歴 史 を も っ て い る だ け に 、 読 者 に 多 大 の 便 宜 を 与 え る と い っ て も 過 言 で は あ る ま い 。 し か も 、 こ の 沖 縄 近 代 史 辞 典 は 、 『 県 史 』 と し ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ て 最 後 に 刊 行 さ れ た た め 、 『 県 史 』 の 刊 行 に よ っ て 促 進 さ れ た 最 新 の 沖 縄 近 代 史 の 知 識 が 盛 り こ ま れ て い る の で あ る 。 筆 者 は 、 こ の 沖 縄 近 代 史 辞 典 の み に 関 係 し て 数 項 目 を 執 筆 し た が 、 既 刊 の 『 県 史 』 の 見 解 や 通 説 に 束 縛 さ ( 34 ) れ ず 、 最 新 の 知 識 を 盛 り こ ん だ つ も り で あ っ て 、 そ の 点 は 多 く の 執 筆 者 に も 共 通 し て い る と 考 え ら れ 、 ひ く 辞 典 と し て だ け で な く 、 読 む 辞 典 と し て も 活 用 で き る と 思 わ れ る の で あ る 。 以 上 、 『 沖 縄 県 史 』 の 特 徴 と そ の 積 極 的 内 容 を 六 点 に わ た っ て 具 体 的 に 指 摘 し た の で あ る が 、 戦 前 の 近 代 史 研 ( 35 ) 究 の 蓄 積 が 乏 し い 上 に 、 戦 後 沖 縄 が 蒙 っ た 文 化 的 孤 立 状 況 と い う 制 約 の 下 で 、 限 ら れ た 編 輯 ス タ ヅ フ に ょ っ て 刊 一 13 一

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行 さ れ た 『 県 史 』 に 、 編 輯 上 の 幾 つ か の 問 題 点 が 孕 ま れ て い る の も 事 実 で あ っ て 、 今 後 の 『 県 史 』 の 編 纂 事 業 の 参 考 に で も な れ ば 幸 と 思 い 、 以 下 こ の 点 に つ い て ふ れ て お こ う 。 第 一 に 、 し っ か り し た 索 引 を 附 し て 欲 し か っ た こ と で あ る 。 『 県 史 』 が 資 料 編 一 一 巻 分 を 除 い た 、 叙 述 部 分 だ け ヘ へ で も 一 三 巻 分 に 達 す れ ぽ 、 或 る 項 目 に つ い て 『 県 史 』 の 何 処 で ふ れ ら れ て い る の か 、 と い う 疑 問 に 即 応 で き る の ヘ へ は 、 編 別 ・ 目 次 で は な く 、 索 引 だ け だ か ら で あ る 。 筆 者 は 歴 史 研 究 者 で あ り 、 し た が っ て 、 こ れ ま で に 多 く の 『 県 史 』 を 読 ん だ 経 験 を つ ん で お り 、 あ る 項 目 が 『 県 史 』 の ど の 様 な 部 分 に 書 か れ て い る の か 、 大 凡 そ の 見 当 を つ け る こ と の で き る 人 間 の 一 人 な の で あ る が 、 そ れ で も 索 引 な し の 場 合 に は 困 惑 す る こ と が 多 い の で あ る 。 一 つ 実 例 を あ げ よ う 。 伊 波 普 猷 は 、 そ の 『 を な り 神 の 島 』 所 収 の 「 ヤ ガ マ ヤ と モ ー ア ソ ビ 」 ( 一 九 三 〇 年 執 筆 ) の な か で 、 次 の よ う に 指 摘 し て い る 。 「 農 村 の 結 婚 式 は 概 し て 簡 単 な も の だ が 、 其 中 で も 最 も 簡 単 と 思 は れ る の は 、 沖 縄 島 の 北 端 の 国 頭 村 字 奥 の そ れ で あ る 。 こ れ は 十 年 前 同 字 に 講 演 に 行 っ た 時 、 其 処 の 区 長 か ら 直 接 聞 い た 話 だ か ら 、 信 用 し て 聞 い て 貰 っ て も 差 支 な い 。 此 部 落 で も モ ー ア ソ ビ は と う に 禁 止 さ れ た が 、 自 由 結 婚 だ け は ど ん な に や か ま し い 校 長 で も 破 壊 す る こ と が 出 来 ず に 、 依 然 と し て 行 は れ て ゐ る 。 そ し て 父 兄 た ち も 二 人 が 勝 手 に き め る の が 自 然 で 、 首 里 那 覇 な ど に 御 本 人 た ち の 重 大 事 件 を 両 親 が 勝 手 に き め る 形 式 の あ る こ と を い ぶ か し く 思 っ て ゐ る 。 許 嫁 同 士 が 二 人 で 男 の 家 の 畑 に い っ て 、 男 が 掘 っ た 芋 を 女 が バ ケ に 入 れ て 頭 に 載 せ 、 二 人 で 男 の 家 に 這 入 っ て 行 く と 、 父 母 兄 弟 が い よ く 二 ! ビ チ だ と い ふ こ と を 知 っ て 、 大 喜 び で 、 早 速 之 を 親 戚 中 に 通 知 す る 。 す る と 親 戚 の 者 は 酒 肴 を 持 寄 っ て 、 俄 に 御 祝 が 始 ま る 。 t 区 長 は か う 話 し た 後 で 、 結 婚 が 簡 単 す ぎ る せ い か 、 離 婚 が 多 い 、 儀 式 を 複 雑 に し た ら 、 そ れ が 防 げ る や う な 気 が す る が 、 ど う だ ら う と 私 の 意 見 を 求 め た 。 そ の 離 婚 に 就 い て は 今 少 し 一 14 一

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『 沖 縄 県 史 』 刊 行 の 意 義 と 残 さ れ た 課 題 聞 い て 見 た ら 、 若 い 中 は = 一 年 位 で 妻 を 取 替 へ る が 、 二 三 回 も そ ん な こ と を す る と 、 も う 落 着 い て 大 抵 一 生 涯 続 き 、 家 庭 も 至 っ て 平 和 だ と の こ と で あ っ た か ら 、 な ま じ っ か 都 会 の 真 似 な ど し な い で 、 成 行 に ま か せ る 方 が い い や う な 気 が す る と 答 え た の で あ っ た 。 こ の 話 を 聞 か れ る 諸 君 は 、 奥 が 沖 縄 県 の 中 で も 一 番 未 開 の 部 落 だ ら う と 想 ( 36 ) 像 さ れ る か も 知 れ な い が 、 こ の 字 が か っ て 優 良 字 と し て 内 務 省 か ら 表 彰 さ れ た こ と を 知 っ て 貰 ひ た い 」 。 伊 波 が ヘ ヘ ヘ へ 指 摘 し た こ の 「 離 婚 が 多 い 」 と い う 事 実 は 、 単 に 国 頭 村 奥 に 限 ら れ た も の で は な く 、 明 治 期 の 沖 縄 本 島 全 域 と 周 、 、 、 、 、 、 、 ( 37 ) 辺 離 島 全 般 に わ た っ て い た と 考 え ら れ る べ き 、 さ ま ざ ま な デ ー タ ー を 筆 者 は キ ャ ヅ チ し た の で 、 こ の 点 に つ い て 『 県 史 』 は ど う と ら え て い る の か 、 探 索 し た こ と が あ る が 、 『 県 史 』 に 索 引 が な い た め に 、 こ の 検 索 は 容 易 で は な か っ た 。 へ 結 婚 の 対 概 念 と し て の 離 婚 、 と い う 見 地 か ら す れ ば 、 明 治 年 間 に 沖 縄 に 離 婚 が 多 い と い う 事 実 は 、 沖 縄 の 結 婚 を 新 し い 視 点 か ら 考 え る 可 能 性 を 提 供 す る も の と し て 、 『 県 史 』 の 論 及 に 期 待 し た の で あ る 。 『 県 史 』 の 構 成 か ら い っ て 、 沖 縄 の 離 婚 に つ い て は 、 民 俗 編 ・ 文 化 編 で 叙 述 さ れ て い る 可 能 性 が 多 く 、 さ ら に 、 風 俗 改 良 運 動 の 対 象 に な っ た で あ ろ う か ら 、 教 育 編 で も 論 じ ら れ る 可 能 性 が あ り 、 あ る い は 、 通 史 編 で ふ れ ら れ て い る か も 知 れ な い し 、 さ ら に 、 結 婚 は 農 業 労 働 力 の 確 保 と か か わ る 場 合 が あ る の で 、 結 婚 の 対 概 念 と し て の 離 婚 も 、 農 業 労 働 力 の 問 題 と 関 連 が あ る か も 知 れ ず 、 と す る な ら ば 、 経 済 編 で 言 及 さ れ て い る か も 知 れ な い の で あ る 。 こ の よ う に し て 、 『 県 史 』 が 沖 縄 の 離 婚 問 題 を と り あ げ て い る か ど う か を 検 索 し よ う と す れ ば 、 民 俗 編 二 冊 ・ 文 化 編 二 冊 ・ 教 育 編 一 冊 ・ 通 史 編 一 冊 ・ 経 済 編 一 冊 の 合 計 七 冊 の 『 県 史 』 に 当 ら な け れ ば な ら な い こ と と な り 、 筆 者 は 何 度 か こ ヘ ヘ ヘ へ の 七 冊 を 検 索 し て み た の で あ る が 、 現 在 ま で の と こ ろ 探 り 当 て ら れ な い の で 、 『 県 史 』 に は ど う や ら 沖 縄 の 離 婚 問 題 は と り あ げ ら れ て い な い の で は な い か 、 と 思 っ て い る と こ ろ で あ る 。 歴 史 研 究 者 と し て 、 い わ ば プ ロ で あ 15 一

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る 筆 者 で さ え 、 『 県 史 』 か ら あ る 項 目 を 探 し 出 そ う と す る の は 、 こ の よ う に 大 変 な の で あ る 。 ま し て や 一 般 市 民 が あ る 問 題 や 事 項 に つ い て 、 『 県 史 』 は ど う 書 い て い る の だ ろ う か 、 と 探 し 出 す の は 大 変 に 困 難 な の で あ る 。 だ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ が し か し 、 も し 『 県 史 』 に し っ か り し た 索 引 が あ れ ば 、 問 題 は 一 挙 に 解 決 す る 。 つ ま り 、 離 婚 に つ い て の 『 県 ヘ へ   ヘ ヘ ヘ へ 史 』 の 叙 述 が あ れ ば 、 そ の 巻 数 と 頁 数 を 索 引 は 直 ち に 指 示 し て く れ る で あ ろ う し 、 叙 述 が な け れ ば 、 索 引 に 離 婚 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ の 項 目 が 存 在 し な い こ と に よ っ て 、 読 者 に そ の 叙 述 が な い こ と を は っ き り と 指 示 す る こ と に な る 。 し っ か り し た ヘ へ 索 引 は 、 こ の よ う に し て 叙 述 の 有 無 の 両 面 に つ い て 、 正 確 な 指 示 を 読 者 に 与 え る の で あ る 。 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ こ こ で 強 調 し て お ぎ た い こ と は 、 形 式 的 に 索 引 が あ れ ば よ い 、 と い う の で は な く 、 し っ か り し た 索 引 で な け れ ば な ら な い と い う こ と で あ る 。 こ の 点 に つ い て も 、 最 近 の 筆 者 の 一 つ の 経 験 を 記 し て お く の は 決 し て 無 駄 で は あ る ま い 。 と い う の は 、 最 近 筆 者 は 、 伊 波 普 猷 の 広 い 意 味 で の 歴 史 観 が 、 ソ テ ツ 地 獄 を 境 に 大 き く 変 貌 し て い る 事 ( 38 ) 、 、 実 に 気 附 い た の で あ る が 、 そ の 一 例 と し て 、 ソ テ ツ 地 獄 以 前 に 伊 波 は 、 ニ ー チ ェ の 「 汝 の 立 つ 所 を 深 く 掘 れ 。 其 処 に は 泉 あ り 」 と い う 警 句 を 好 ん で 引 用 し て い た が 、 ソ テ ツ 地 獄 以 後 は 、 グ ル モ ソ の 「 私 達 は 歴 史 に よ っ て 圧 し つ ぶ さ れ て い る 」 と い う 警 句 の 引 用 に 変 っ て い る の で は な い か 、 と 考 え 、 こ の 点 を 確 か め よ う と し て 、 平 凡 社 版 『 伊 波 普 猷 』 全 集 第 一 一 巻 の 索 引 に 頼 ろ う と し た の で あ る 。 と こ ろ が こ の 索 引 に は 、 二 i チ ェ も グ ル モ ソ も 登 場 し な い の で あ っ て 、 索 引 に よ っ て は 確 か め よ う も な い の で あ る 。 伊 波 の 思 想 と 深 い か か わ り の あ る ニ ー チ ェ も グ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ル モ ン も 掲 出 さ れ て い な い 索 引 は 、 ど う 考 え て み て も 不 備 と い う ほ か は な い の で あ っ て 、 し っ か り し た 索 引 で な け れ ば も の の 役 に 立 た な い 適 例 で あ る の で 、 こ こ に 紹 介 し た 次 第 で あ る 。 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ そ し て ま た 、 『 県 史 』 に し っ か り し た 索 引 が あ れ ば 、 た だ 単 に 検 索 に 便 宜 な だ け で は な く 、 沖 縄 近 代 史 に つ い て の さ ま ざ ま な 見 解 を 『 県 史 』 の な か か ら 探 り あ て る こ と も で き る の で あ る 。 た と え ば 、 謝 花 昇 の 参 政 権 運 動 の 一 16 一

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『 沖 縄 県 史 』 刊 行 の 意 義 と 残 さ れ た 課 題 ( 39 ) 歴 史 的 評 価 に つ い て は 、 論 者 に よ っ て 大 き く 見 解 が わ か れ る と こ ろ で あ る が 、 『 県 史 』 第 一 巻 ( 田 港 朝 和 氏 ) 第 ( 40 ) 二 巻 ( 田 港 朝 昭 氏 ) に お け る 謝 花 の 参 政 権 運 動 に 対 す る 評 価 と 異 な っ た 評 価 が 、 大 城 立 裕 氏 に よ っ て 第 五 巻 で 提 ( 41 ) 示 さ れ て お り 、 筆 者 も 、 第 二 四 巻 の 沖 縄 近 代 史 辞 典 の 「 沖 縄 旧 慣 地 方 制 度 」 の 項 目 の な か で 、 明 治 二 六 ( 一 八 九 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 三 ) 年 の 宮 古 島 旧 慣 改 革 と 謝 花 と の か か わ り に つ い て 、 従 来 見 落 さ れ 勝 ち で あ っ た 事 実 を 指 摘 し て い る の で あ っ ( 42 ) 、 、 、 、 、 、 、 、 、 て 、 し っ か り し た 索 引 が 存 在 す れ ば 、 こ れ ら の 諸 見 解 は 、 謝 花 昇 の 項 目 に 掲 出 さ れ 、 多 様 な 見 解 に 読 者 を 導 く の で あ る 。 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ そ し て ま た 、 叙 述 編 だ け で な く 、 資 料 編 も 含 め て 、 し っ か り し た 索 引 を 公 刊 す る こ と に 成 功 す る な ら ば 、 こ れ は 、 『 県 史 』 の 理 解 を 深 め 、 県 民 の 『 県 史 』 利 用 を 容 易 に す る だ け で は な く 、 資 料 編 の 索 引 は 、 沖 縄 近 代 史 研 究 を 新 し く 発 展 さ せ て ゆ く う え で き わ め て 有 意 義 と 考 え ら れ る の で 、 補 巻 と し て 、 し っ か り し た 索 引 一 巻 の 早 急 な 刊 行 を 期 待 し た い と こ ろ で あ る 。 編 輯 上 の 問 題 点 と し て 第 二 に 指 摘 し て お き た い の は 、 資 料 編 の う ち に 、 資 料 を 活 字 化 す る に 際 し て 、 一 定 の 取 捨 選 択 が な さ れ て い る に も か か わ ら ず 、 こ の 点 が 明 記 さ れ て お ら ず 、 あ る い は 、 資 料 存 在 の 明 示 に 不 備 が あ る な ど 、 資 料 利 用 上 、 誤 解 を 招 き か ね な い 不 備 が 見 う け ら れ る こ と で あ る 。 た と え ば 、 第 = 巻 に 収 め ら れ た 「 沖 縄 ( 43 ) 県 日 誌 」 は 、 い わ ゆ る 「 旧 慣 温 存 期 」 の 県 政 の 動 向 を 具 体 的 に 把 握 で き る 第 一 級 の 根 本 資 料 で あ る が 、 大 し た 記 事 が な い と い う 理 由 と 紙 数 節 約 の た め で あ ろ う か 、 日 曜 日 の 記 載 が 省 か れ て い な が ら 、 こ の 点 に つ い て 明 示 さ れ て い な い し 、 第 二 〇 巻 の 沖 縄 県 統 計 集 成 も 、 収 め ら れ た 個 々 の 統 計 が 何 年 度 の 『 沖 縄 県 統 計 書 』 か ら 採 録 さ れ た ヘ ヘ ヘ へ の か 、 そ の 何 年 度 の 明 示 が な い 。 こ の よ う な 技 術 的 な 問 題 と と も に 、 資 料 編 に つ い て は 、 編 輯 内 容 上 、 一 工 夫 あ っ て し か る べ き で は な か っ た か 17

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と 思 わ れ る 点 も 幾 つ か 見 う け ら れ る 。 た と え ば 、 第 二 〇 巻 は 、 沖 縄 県 に 限 っ た 統 計 集 成 に な っ て い る の で あ る が 沖 縄 県 が 日 本 全 体 に 占 め る 位 置 を 確 認 で き る よ う 、 日 本 全 体 と 類 似 県 の 統 計 も あ わ せ 掲 げ て 、 正 確 な 沖 縄 理 解 に ( 44 ) 資 す る よ う 編 輯 さ る べ き で は な か っ た か と 考 え ら れ る 。 ま た 、 第 二 一 巻 旧 慣 調 査 資 料 に 収 め ら れ て い る 「 沖 縄 県 旧 慣 租 税 制 度 」 の 「 参 照 壱 」 の 冤 割 制 度 L 喚 こ れ ま で 田 村 浩 『 琉 球 共 産 村 落 の 羅 』 に 出 典 を 明 示 す る こ と な く 多 く の 部 分 が 引 用 さ れ て い る の で あ る が 、 明 治 一 六 ( 一 八 八 三 ) 年 に こ の 「 地 割 制 度 」 が 作 成 さ れ た 過 程 で 、 同 時 に 沖 縄 本 島 全 体 の 地 割 基 準 が 調 査 さ れ 、 そ の 一 覧 表 が 作 成 さ れ て お り 、 『 県 史 』 編 輯 過 程 で こ の 資 料 も 蒐 集 さ れ て い る 。 し た が っ て 、 第 二 一 巻 附 属 資 料 と し て こ の 一 覧 表 が 収 め ら れ れ ば 、 こ の 「 地 割 制 度 」 の 内 容 理 解 に と っ て 便 宜 な だ け で な く 、 幕 末 期 の 美 里 問 切 東 恩 納 村 わ ず か 一 村 の 地 割 資 料 を も と に 、 沖 縄 の 地 割 制 度 噛 般 を あ れ こ れ と 論 じ て き た 、 戦 後 の 地 割 制 度 研 究 の 視 野 の 狭 さ が 、 い ち 早 く 克 服 さ れ る 契 機 と も な り え た の で は な い か ( 46 ) と 考 え ら れ る の で あ る 。 筆 者 は 、 こ こ 二 、 三 年 来 文 献 史 料 研 究 と 併 行 し て 、 地 割 制 度 の 実 地 調 査 を ・ 勝 連 村 南 影 ゜ 津 欝 ゜ 渡 名 士 暑 島 . 粟 国 島 で 行 な っ て き て い る の で あ る が 、 現 時 点 で は 、 地 割 制 度 の 社 会 を 嚇 年 時 代 に 直 接 経 験 し て い る 老 人 に め ぐ り あ 、 兄 て 、 聞 き 書 を ・ 兄 ら れ る こ と は ほ と ん ど 不 可 能 に な っ て し ま っ て い る の で あ る 。 と い う の は 、 地 割 制 度 が 消 滅 す る の は 明 治 三 二 ( 一 八 九 九 ) ∼ 明 治 三 六 ( 一 九 〇 三 ) 年 の 問 の 今 世 紀 初 頭 の こ と で あ る が 、 こ の 時 に 二 〇 歳 前 後 の 成 年 に 達 し て い た 方 々 は 、 現 存 さ れ る 場 合 も 百 歳 に 近 い の で あ っ て 、 そ の 人 自 身 の 直 接 の 経 験 に つ い て 正 確 な ヒ ヤ リ ン グ を う る こ と は 不 可 能 と な っ て い る の で あ る 。 も し も 、 『 県 史 』 編 纂 が 立 案 さ れ た 当 初 に 、 地 割 制 度 に つ い て の ヒ ヤ リ ソ グ 調 査 が 計 画 さ れ て い た と す る な ら ば 、 豊 富 な 地 割 制 度 資 料 の 一 巻 を 『 県 史 』 は も ち 、 た の で は な い か 、 と 考 え ら れ る の で あ っ て 、 旧 藩 時 代 の 伝 統 的 農 業 − 1 そ れ は 地 割 制 度 が 存 続 し て い た 一 九 世 一 18 一

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『沖 縄 県 史』 刊 行 の 意 義 と 残 さ れ た 課 題 紀 末 ま で 、 ほ と ん ど 旧 藩 時 代 そ の ま ま で あ っ た と 考 え ら れ る の で あ る が i ー に つ い て の 聞 き 書 き 資 料 が 『 県 史 』 に 含 ま れ て い な い こ と と と も に 残 念 至 極 と 思 う の で あ る 。 歴 史 の 世 紀 と い わ れ る 一 九 世 紀 に お け る 一 大 問 題 は 、 人 類 の 歴 史 は 共 有 の 歴 史 か ら 出 発 し た の か 、 そ れ と も 、 歴 史 の 始 ま り か ら 私 有 で あ っ た の か 、 で あ っ て 、 こ こ か ら 、 ロ シ ア の ミ ー ル ・ ジ ャ ワ の デ ッ サ が 注 目 を 浴 び 、 ツ ル ク ス ・ エ ン ゲ ル ス の 歴 史 論 が 登 場 す る の で あ る が 、 沖 縄 の 地 割 制 度 も ま た 、 こ の 普 遍 史 的 嫉 世 界 史 的 論 点 と 無 、 、 、 、 、 ( 49 ) ( 50 ) 縁 で は な い の で あ る 。 だ か ら こ そ 、 内 田 銀 蔵 ・ 河 上 肇 と い っ た 、 日 本 に お け る 経 済 史 ・ 経 済 学 の 開 拓 者 た ち に よ っ て 沖 縄 の 地 割 制 度 は い ち 早 く 注 目 さ れ た と こ ろ で あ っ て 、 二 〇 世 紀 初 頭 に ま で 存 続 し た 地 割 制 度 を 、 単 な る 「 旧 慣 」 と し て だ け で な く 、 沖 縄 の 個 性 的 現 実 11 史 実 か ら 普 遍 史 的 課 題 を 追 求 す る 絶 好 の 対 象 と い う 視 点 を も 、 『 県 史 』 は も ち あ わ せ て 欲 し か っ た の で あ る 。 第 三 の 編 輯 上 の 問 題 点 と し て 考 え ら れ る の は 、 沖 縄 研 究 と 現 実 が き り む す ぶ と こ ろ の 論 点 に つ い て 、 今 す こ し く め く ぼ り が あ っ て も よ か っ た の で は な い か と 思 わ れ る こ と で あ る 。 つ ま り 、 ω 沖 縄 住 民 の 人 種 的 起 源 ② 日 琉 同 祖 論 の 意 義 と 限 界 ③ 琉 球 文 化 と 中 国 文 化 ・ 南 方 文 化 ω 首 里 ・ 那 覇 と 田 舎 、 本 島 と 先 島 ー 沖 縄 は 一 つ か i ⑤ 孤 島 苦 ・ , 離 島 論 ⑥ 台 風 ・ 水 不 足 ・ 餓 死 論 ⑦ 甘 藷 と 甘 薦 ⑧ 系 図 の 信 愚 性 と 門 中 論 ⑨ 大 正 年 間 の ユ タ 征 伐 も 視 野 に 入 れ た ユ タ 論 ⑩ 天 皇 制 と 沖 縄 、 等 々 と い っ た 、 沖 縄 研 究 の 一 部 門 だ け で は 到 底 解 明 し ぎ れ な い 、 し か も 沖 縄 歴 史 理 解 に と っ ヘ ヘ へ て 不 可 欠 で あ る だ け で な く 、 市 民 の 強 い 関 心 を ひ く も の と 思 わ れ る こ れ ら の 論 点 を 、 シ ン ポ ジ ュ ウ ム 形 式 で も よ い か ら 、 一 巻 に ま と め て 綜 合 的 に 検 討 し て ほ し か っ た の で あ る 。 以 上 、 三 点 に わ た っ て 、 『 県 史 』 編 輯 上 の 問 題 点 と 思 わ れ る も の を 指 摘 し た の で あ る が 、 こ の こ と は 、 き わ め て 困 難 な 状 況 の 下 で 編 輯 ・ 刊 行 さ れ た 『 県 史 』 全 二 四 巻 の 積 極 的 価 値 を 否 定 す る も の で は 全 く な い の で あ っ て 、 一 19 一

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今 後 継 続 さ れ る で あ ろ う 『 県 史 』 編 纂 事 業 に と っ て 、 一 つ の 参 考 意 見 と も な れ ば と 思 っ て 、 敢 え て 指 摘 し た と こ ろ で あ る 。 す で に 、 『 県 史 』 第 二 四 巻 沖 縄 近 代 史 辞 典 の 冒 頭 で 、 仲 宗 根 繁 教 育 長 は 、 「 沖 縄 県 史 全 二 四 巻 の 成 果 の 上 に 、 私 ど も は さ ら に 〈 沖 縄 県 史 料 〉 と 題 す る 新 し い 県 史 刊 行 事 業 を ス タ ー ト さ せ ま す 」 と の べ ら れ て い る 。 こ の 『 沖 縄 県 史 料 』 刊 行 に 関 し て 付 言 す れ ば 、 次 の よ う に な る 。 『 県 史 』 刊 行 の 必 然 的 成 り 行 き と し て 、 資 料 編 の う ち 、 『 県 史 』 第 = 一 巻 ・ 第 一 三 巻 の 沖 縄 関 係 各 省 公 文 書 は 、 『 県 史 』 の う ち 最 も 早 く 刊 行 さ れ た 部 分 で あ っ て 、 刊 行 ( 51 ) ( 52 ) 後 す で に 一 〇 年 以 上 を 経 過 し て い る 。 こ の 間 に 、 「 鍋 島 直 彬 沖 縄 関 係 文 書 」 尾 崎 三 郎 「 沖 縄 県 視 察 復 命 書 」 「 岩 ( 53 ) ( 5 4 ) 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 村 通 俊 関 係 文 書 」 山 県 有 朋 「 復 命 書 」 等 、 沖 縄 近 代 史 を 新 た な 水 準 の も と に 書 き か え な け れ ば な ら な い こ と を 確 ヘ ヘ ヘ ヘ へ 定 的 に し た 新 資 料 が 次 々 と 発 掘 さ れ て い る の で あ っ て 、 そ れ ら を 含 め た 『 県 史 』 第 一 二 ・ = 二 巻 に 蒐 集 洩 れ の 重 要 資 料 の 公 刊 が 、 こ れ か ら 刊 行 さ れ て ゆ く で あ ろ う 『 沖 縄 県 史 料 』 に 先 づ 課 さ れ た 第 一 の 課 題 で あ ろ う 。 ( 55 ) そ し て ま た 、 す で に 別 稿 で 指 摘 し た 様 に 、 『 県 史 』 第 一 ・ 二 ・ 三 巻 が カ ウ ン ト に 入 れ て い な い か 、 あ る い は 、 ( 56 ) 積 極 的 に そ の 意 義 を 評 価 し な か っ た 事 実 ー す な わ ち 、 松 方 正 義 大 蔵 卿 の 指 令 に よ っ て 、 明 治 一 五 ( 一 八 八 二 ) 年 一 一 月 一 〇 日 全 面 的 な 租 税 改 正 案 が 上 杉 県 令 に よ っ て 松 方 大 蔵 卿 に 上 申 さ れ て い る こ と ー に は 重 要 な 意 義 が 付 与 さ れ る べ き で あ っ て 、 こ の 租 税 改 正 案 が 総 理 府 公 文 書 の な か に 存 在 し て い る 可 能 性 は 大 き い と 考 え ら れ る の で 、 こ の 資 料 の 検 索 も ま た 、 こ れ か ら の 『 沖 縄 県 史 料 』 編 集 に と っ て 課 さ れ た 一 つ の 宿 題 と い わ な け れ ば な ら な い の で あ る 。 ヘ へ こ の よ う に し て 『 県 史 』 第 一 ・ 二 二 二 巻 に の べ ら れ た 沖 縄 近 代 史 像 は 、 こ れ ま で の 前 近 代 の 沖 縄 歴 史 像 同 様 に ( 5 8 ) 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 こ こ 二 ニ ニ 年 来 筆 者 が 指 摘 ・ 強 調 し て き て い る よ う に 、 新 し く 書 き 換 え ら れ な け れ ば な ら な い 点 を 多 女 含 ん で い 一 20 一

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