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奨励政策と技術者 : 養蚕業奨励初期における台湾総督府の養蚕技術者採用を例として

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Academic year: 2021

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(1)奨励政策 と技術者 養蚕業奨励初期 における台湾総督府の養蚕技術者採用 を例 として や まだ. あつ し. は じめ に 1.植. 民 地 台 湾 の養 蚕 業 奨 励 政 策. 2.養. 蚕技術 者 の採用 お わ りに か え て. は じめ に. 本 論 は 、植 民 地 産 業 政 策 の た め に 、 どの よ うな技 術 者 が 台 湾 総 督 府 に 採 用 され た か を 、 養 蚕 業 (カ イ コ の飼 育)奨 励 政 策 の初 期 を 事 例 と して 分 析 す る も の で あ る。 日本 植 民 地 時 代 台 湾 は 、 「 農 業 台 湾 」 と呼 ば れ て い た 。 台 湾 総 督 府 は 、 さま ざま な農 業(お び 製 糖 工 業 の よ うな農 業 と関連 の深 い 食 品 工 業 、 そ して 農 業 土 木)の. よ. 開 発 を試 み て い た。 これ ら. 農 業 開 発 は 、 台 湾 人 の 人 力 ・財 力 ・土 地 ・資 源 、 そ して 台 湾 伝 来 の 技 術 を利 用 し搾 取 しな が ら も 、 基 本 的 に は 日本 人 に よ り、 日本 の技 術(ま た は 日本 人 が 欧 米 か ら導 入 した 技 術)に. よって、 遂行. され て い た 。 こ こで 日本 人 ・日本 の 技 術 と言 う場 合 、 どん な 日本 人 の 人 材 が 台 湾 に 来 た か が 問 題 とな ろ う。 従 来 か ら、八 田与 一(台 湾 最 大 の 用 水 路 で あ る華 南 大 ? を 建 設 した 土 木 技 術 者)や 磯 栄 吉(台 湾 に適 合 した ジ ャ ポ ニ カ 米 を 開 発 した 農 業 技 術 者)の. よ うな 一 流 の 技 術 者 は 、 比 較 的 知 られ て い る。. 八 田 は 台 湾 の 歴 史 教 科 書 に も登 場 して い る。 そ れ 以 外 の 日本 人 に つ い て も近 年 、 呉 文 星 に よ って 総 督 府 に 在 籍 した 札 幌 農 学 校(現. 在 の 北 海 道 大 学)出 身 者 の 調 査 が行 われ た1。磯 栄 吉 を は じ め 、. 総 督 府 の農 業 技 術 者 に は札 幌 農 学 校 出 身 者 が 多 か っ た の で 、 呉 の 研 究 は 、 日本 人 の 来 台 に つ い て 多 くの こ と を 明 らか に す る こ とに な ろ う。 今 後 、他 の農 学 校 ・高 等 農 林 学 校 な どの 出 身 者 に つ い て 解 明 で き れ ば 、 さ ら に(札 幌 農 学 校 を 含 め た)各 学 校 の 特 徴 と台 湾 との 関 係 が わ か る と思 われ る。 しか しな が ら視 点 を 変 え て 、 総 督 府 の 農 業(な. ど産 業 の)政 策 か ら 日本 人 の 来 台 を 見 る と 、 ど. の よ うな こ とが 見 え て 来 る で あ ろ うか 。 総 督 府 が 打 ち 出 した 政 策 を 遂 行 す る た め に必 要 な 技 術 者 ・人 材 は 、 ど こか ら調 達(リ. クル ー ト)さ れ た で あ ろ うか 。 も ち ろ ん 、既 存 の(札 幌 農 学 校 出 身.

(2) 者 を 中 心 とす る)農 業 技 術 者 で 対 応 で き た 政 策 も多 か った だ ろ うが 、 新 た な 人 材 が 必 要 な 場 合 も 多 か っ た で あ ろ う。 ま た 、 既 存 技 術 者 で 対応 で き て も、 経 済 の 規 模 拡 大 とか 支 配 の深 化 が 、 人 材 の 量 的 増 大 を必 要 と した で あ ろ う。 本 論 は 、 最 初 に 述 べ た よ うに 総 督 府 の 養 蚕 業 奨 励 政 策 か ら 日本 人 技 術 者 の来 台 を分 析 す る。 養 蚕 業 に着 目す る理 由 は 、 以 下 の よ うな 養 蚕 業 の 特 殊 性 と重 要 性 に あ る。 養 蚕 業 は 明 治 日本 で 大 々 的 に 普 及 して い た農 産 業 な が ら、 カ イ コ とい う病 害 や 温 度 変 化 に 弱 い 虫 を 扱 う とい う(植 物 相 手 の 一 般 農 業 と は違 う)特 殊 技 術 を 必 要 と し、 台 湾 既 存 の技 術 者 だ けで は対 応 で き ず 日本 か ら新 た な 人 材 調 達 を 必 要 と した 可 能 性 が 高 い。 ま た 、 拙 稿 「 植 民 地 時 期 台 湾 の繊 維 産 業 政 策― の 蚕 業 奨 励 を 中 心 と して― 2003年11月,43-56頁)で. 大正 期. 」(名 古 屋 市 立 大 学 人 文 社 会 学 部 『人 文 社 会 学 部 研 究 紀 要 』 第15号,. 分 析 した よ うに 、養 蚕 業 は 糖 業 ・米 穀 業 ・茶 業(こ れ らは 、 台 湾 農 業. の 主 力 と して従 来 か ら注 目 され て きた)と. 同 じ程 度 に 総 督 府 は 力 を入 れ た産 業 の一 つ で あ り、 総. 督 府 の 重 要 政 策 の 事 例 研 究 と して適 して い る。 ま た 日本 植 民 地 時 代 台 湾 の養 蚕 業 は 研 究 が 少 な い 。 管 見 の 限 り、 台 湾 側 で植 民 地 養 蚕 史 を扱 っ た の は 、 何 素 花 「 台 湾 蚕 業 之 発 展― 済事 業之 一. 」(『台湾 史 料 研 究 』 第22号,2004年2月,72一111頁)の. 日治 時 期 殖 民 経. み であ るが、概論 に過 ぎ. ず 、 か つ 日本 帝 国 内 に お け る 台 湾 の 位 置 付 け な どに 問題 が あ る2。 よ っ て 、 台 湾 史 の 空 白 を 埋 め る とい う観 点 で も本 論 は 寄 与 で き る。. 1.植. 民地 台湾の養 蚕 業奨励政 策. 本 論 の 課 題 を解 明 す る た め に は 、 ま ず 植 民 地 台 湾 の初 期 の 養 蚕 業 奨 励 政 策 を概 観 し、 どの 時 点 で どの よ うな 人 材 が 必 要 と な っ た か を 明 らか に しな けれ ば な らな い 。 よっ て 、本 節 は(人 材 に つ い て 念 頭 に 置 き な が ら)養 蚕 業 奨励 政 策 の概 観 を行 う。 台 湾 養 蚕 業 は 日本 植 民 地 化 以 前 か ら存 在 した 。 しか しな が ら植 民 地 化 当時 、養 蚕 大 国 で あ っ た 日本 や 、 清 朝 の 各 地 と比 べ 、 台 湾 養 蚕 業 の規 模 は 無 視 で き る ほ ど小 さか っ た 。 ま た 台 湾 で も繊 維 と して は 苧 麻 ・黄 麻 な ど麻 系 繊 維 の 生 産 の方 が 伝 統 も あ り盛 ん で あ っ た。 よ っ て 、 台 湾 総 督 府 自 身 の認 識 と して は 、 養 蚕 業 につ い て の 政 策 は 新 産 業 を導 入 す る政 策 に等 しか っ た よ うだ 。 一 般 論 で 考 え る と、 新 た な産 業 を奨 励 す る とき に 必 要 な 施 策 と して 最 初 に必 要 な こ とは 、 導 入 予 定 の 各 地 で の 試 験 導 入(試 験 栽 培 ・試 験 飼 育)で. あ ろ う。 そ して 試 験 の 成 果 を見 て 、 本 格 導 入. す る か 、 さ らに 試 験 を続 け るか 、 見 送 る か を 決 め る こ とで あ ろ う。 例 え ば 米 に お い て は 、 イ ン デ ィカ 系 の 台 湾 在 来 米 に 換 え て 、 ジャ ポ ニ カ 系 の 日本 米 を 入 れ 、 台 湾 米 を 広 く 日本 に販 売 す る こ と を台 湾 総 督 府 で は考 え て い た 。 と は い え 、 い き な り 日本 米 を本 格 導 入 す るの で な く、 まず 台 北 近 辺 の数 箇 所 の 栽 培 地 で 試 験 栽 培 が 行 わ れ た。 試 験 結 果 が 思 わ しい も の で は な か っ た こ とも あ り、 台 湾 に適 した 栽 培 方 法 が 開 発 され 、 蓬 莱 米 とい う名 前 で 本 格 栽 培 が 始 ま る1920年 代 ま で 、 日本 米.

(3) の試 験 栽 培 は20年 以 上 続 い た 。 台 湾 総 督 府 が 養 蚕 業 を奨 励 した 際 も、 こ の よ うな 手 順 を踏 ん だ 。 ま ず 行 わ れ(そ. して 行 われ 続. け)た の は 、試 験 で あ っ た 。 試 験 は 、 中央 ・各 地 方 にお い て様 々 な観 点 か らの 試 験 導 入 が行 わ れ た 。 『台 湾 総 督 府 公 文 類 纂 』(以 下 、 『公 文 類 纂 』3)に 記 録 が 残 っ て い る も の だ け で も、 次 の よ う な も の が あ る。 ・民 政 局 殖 産 部 農 商 課 「 第 一 期 養 蚕 試 験 成 績 」(『公 文 類 纂 』179冊3文. 書 ,1897年7月). ・民 政 局 殖 産 部 農 商 課 「 第 二 期 養 蚕 試 験 成 績 」(『公 文 類 纂 』179冊4文. 書 ,1897年7月). ・民政 局 殖 産 部 農 商 課 「 第 三 期 養 蚕 試 験 成 績 」(『公 文 類 纂 』179冊5文. 書 ,1897年8月). ・民 政 局 殖 産 部 農 商 課 「 第 四 期 養 蚕 試 験 成 績 」(『公 文 類 纂 』179冊6文. 書 ,1897年9月). ・野 間 常 彦 「三 十 一 年 養 蚕 試 験 成 績 野 間 常 彦 報 告 」(『公 文 類 纂 』4571冊13文. 書 ,1898年8月). ・台 中県 「 蚕 事 試 験 成 績 報 告 」(『公 文 類 纂 』4601冊12文 書 ,1899年) ・台 中農 事 試 験 場 「 明治三 十五年 度夏蚕飼 育試 験成績 台 中農事試 験場長 報告 」 (『公 文 類 纂 』4752冊9文 ・南 投 庁 「 蕃 地養 蚕 成 績 報 告 」(『公 文 類 纂 』5523冊5文 ・殖 産 局 「 晩 秋 蚕 飼 育 成 績 」(『公 文 類 纂 』5524冊3文. 書,1903年7月). 書 ,1912年2月) 書 ,1912年12月). また 、北海 道大学 図書館 には、 ・台湾 総 督 府 農 事 試 験 場 『養 蚕 試 験 成 績 第 一 報 』(1906年) ・台湾 総 督 府 農 事 試 験 場 『養 蚕 試 験 成 績 第 二 報 』(1907年) ・台湾 総 督 府 農 事 試 験 場 『養 蚕 試 験 成 績 第 三 報 』(1910年) が 所 蔵 され て い る 。 上 記 の 試 験 の 多 く は 、 日本 か ら送 られ た 各 種 類 の カ イ コ(蚕 種 、 す な わ ち 卵 の 形 で 送 られ た) を 各 地 で 実 際 に(日 本 で の飼 育 同様 に 、 春 ・夏 ・秋 と季 節 毎 に)飼 育 して み た もの で あ り、 カ イ コの 品 種 別 の 生 存 個 体 数 や 生 育 目数 、 温 度 ・湿 度 、 エ サ と して の 台 湾 在 来 の 野 桑 の 良否 な どが 主 な 試 験 の 項 目で あ っ た 。 結 果 は 、試 験 とい う こ と もあ り、 成 功 と失 敗 が 混 じっ て い る。 成 功 を 伝 え る報 告 が 多 い 一 方 で 、 「 蕃 地養蚕 成績報 告 」で は、 内 茅 捕 及 楠 仔 脚 万(引 用 注:ど. ち ら も地 名)ノ. 分 ハ 蚕 種 送 付 途 中 約 七 分孵 化 シ残 余 ノ モ ノ ヲ. 飼 育 シ タル モ 已 ニ 衰 弱 甚 シ ク発 育 不 良 給 桑 開始 後 三 四 日間 ニ シ テ 全 部斃 死 セ リ と して 、 全 て の カ イ コが 死 ん で しま っ た 旨 を 記 して い る。 試 験 に 引 き続 い て 、養 蚕 業 に対 して 台 湾 総 督 府 が 行 っ た こ とは 、 台 湾 人 へ の養 蚕 業 教 育 で あ っ た。 「 農 事 試 験 場 養 蚕 伝 習 生 規 程 」(『公 文 類 纂 』714冊2文. 書,1902年2月)な. どか ら始 ま る、 養. 蚕 伝 習 生 へ の 教 育 で あ る。 養 蚕 業 は 台 湾 の 伝 統 に は 事 実 上 存 在 し な か っ た と言 っ て 過 言 で な い 特 殊 技 術 で あ り、例 え台 湾 に 適 す と(試 験 の 結 果)総 督 府 が 判 断 し、 奨 励 政 策 を 打 ち 出 した と こ ろ で 、 台 湾 人 が 受 け 入 れ る.

(4) とは 限 らな い 。 ま た 、 奨 励 政 策 を受 け入 れ て も 、 個 々 の養 蚕 農 家 が 養 蚕 技 術 を 理 解 しな けれ ば 、 成 功 は お ぼ つ か な い 。 も ち ろ ん 、 日本 人 だ けで 養 蚕 の普 及 を行 うに は 、 言 葉 の 問 題 も あ っ た ろ う。 た ま た ま元 ・台 中 県 で は廃 県 前 、 養 蚕 試 験 と と もに 「 養 蚕 伝 習 所 ヲ設 ケ テ 養 蚕 術 井 桑 園 ノ栽 培 法 ヲ農 家 ノ 子 弟 ニ 伝 習 」 した と こ ろ 「 成 績 頗 ル 良 好 」 で あ り、 「 将 来 同 地 方 有 望 ノ事 業 ト認 メ 益 之 ヲ奨 励 シ テ 其 栽 培 普 及 ヲ 計 」 ろ う と して い た(『 公 文 類 纂 』714冊2文. 書)。 よ っ て 総 督 府 で は 、. き ち ん と伝 習 規 程 を 設 け て 、 組 織 的 に養 蚕 技 術 を 台湾 人 に 教 育 し よ う と した の で あ る。 制 定 当初 の 養 蚕 伝 習 生 規 定 は 、8条 あ っ た 。 主 な条 文 は 以 下 の 通 りで あ る。 「 実 業ニ従 事」 の 正 確 な意 味 は不 明 だ が 、 「 農 家 」 な ど で あ ろ うか 。. 第 一 条  伝 習 生 ハ 左 ノ資 格 ア ル 者 ヨ リ募 集 ス ー  実 業 ニ 従 事 ス ル 本 島 人 若 ハ ソ ノ 家 族 二  普 通 ノ 文 字 ヲ解 スル 者 但 シ 女 子 ハ 此 ノ 限 リニ ア ラ ス 三  男 子 ハ 満 十 八 歳 以 上 女 子 ハ 満 十 五 歳 以 上 ニ シ テ 身 体 強 健 品 行 方 正 ナ ル 者 第 二 条  伝 習 生 ノ 男 子 ハ養 蚕 及 桑 園 ノ栽 培 ニ 関 ス ル 簡 易 ナ ル 学 理 井 技 芸 ヲ伝 習 シ女 子 ハ 養 蚕 及 製糸 糸ニ 関 ス ル 技 芸 ヲ伝 習 スル モ ノ トス 第 六 条  伝 習 生 ノ修 業 期 間 ハ 毎 年 三 月 一 目 ヨ リ七 月 三 十 一 日迄 トス 但 シ 時 宜 ニ 依 リ伸 縮 スル コ トア ル ヘ シ. 教 育 場 所 は 、 当 初 は農 事 試 験 場 の 片 隅 で 行 われ て い た ら しい が 、後 に台 北 の 農 事 試 験 場 が 整 備 され 、 勅 令 第159号. 「 台 湾 総 督 府 農 事試 験 場 官 制 」(1908年6.月)が. 発 令 とな り、種 芸 部 ・植 物 病. 理 部 ・昆 虫 部 ・農 芸 化 学 部 ・教 育 部 ・畜 産 部 ・庶 務 部 と して 機 構 が で き る と、 そ の 教 育 部 が あ た る よ うに な っ た 。 養 成 され た の は 、 主 と して 台 湾 人 で あ る。 そ れ ら台 湾 人 の 多 くは 、 農 村 の 有 力 農 家 の 子 弟 で あ っ た 。 な お 、 台 湾 に農 学 校 が 存 在 しな か っ た こ の 時 期 、 教 育 部 は養 蚕 以 外 に も米 穀 な ど農 業 の 台 湾 人 現 場 技 術 者 を多 数 養 成 して い た4。 な お 後 、 養 蚕 奨 励 政 策 が 本 格 化 して か らで あ る が 、 『公 文 類 纂 』 に ・「 謝 継 伝(外 一 名)(京. 都 蚕 業 講 習 所 留 学 ヲ命 ス)」. (『公 文 類 纂 』2186冊44文 書,1913年2.月) ・「 呉 百 川 、 劉煥 章(京 都 蚕 業 講 習 所 へ 留 学 ノ件 、 殖 産 局) (『 公 文 類 纂 』2305冊57文 書,1914年L月) ・「 李 秋 献(京 都 蚕 業 講 習 所 へ 留 学)」 (『 公 文 類 纂 』2454冊23文 書,1915年2月) とあ る よ うに 、 台 湾 人 が 総 督 府 殖 産 局 か ら京 都 蚕 業 講 習 所 へ 留 学 に 派 遣 され る こ と も あ っ た。 ま た1914年12月. には、 「 公 学 校 ニ 於 テ 養 蚕 実 習 ヲ為 サ シ ム ル 件 」(『公 文 類 纂 』2261冊19文. 書)と. し.

(5) て 、 公 学 校(台 湾 人 向 け の 初 等 教 育機 関)で. 、養 蚕 実 習 を行 わ せ る通 達 も 出た 。. 試 験 ・教 育 と と も に 重 要 な の は先 進 各 地 で の調 査 で あ ろ う。 例 え ば 、 総 督 府 殖 産 局 が 発 行 して い た 農 業 雑 誌 で あ る 『台 湾 農 事 報 』 か ら1910年 代 頃 ま で の 記 事 を 見 て み る と、(表1)の. 通 り海. 外 の養 蚕 や 製 糸 に つ い て の 調 査 が掲 載 され て い る。. (表1)『 台湾農事報』 に1910年 代前半ま でに掲 載 され た海 外の養蚕調査. 素木 得一 「 広 東 省 に於 け る 養 蚕 製 糸 織 物 に 関す る調 査 」. (第23号,1908年). 網 野一寿 「 比 律 賓 に 於 け る 養 蚕 と台 湾 」. (第29号,1909年). 素木 得一 「 広 東省製 糸 糸に 関 す る調 査 」. (第31号,1909年). 素 木 得 一・「 広 東 地 方 の 織 物 屑 糸及 紡 績 業 の 調 査 」. (第34号,1909年). 須 田金 之 助 「 印 度 に 於 け る桑 樹 の 栽 培 法 と台 湾 との 比 較 」. (第44号,1910年). 台 湾農友 会抄録. 「 比律賓 島蚕業 の将 来」. (第50号,1910年). 台湾農友 会抄録. 「 広 東地 方の養 蚕概 況」. (第59号,1911年). 台湾農 友会抄録. 「 本 島蚕 業 の 奨 励(附)マ. ダ ガ ス カ ル 蚕 業 の発 達 」. (第62号,1912年). 山崎幸雄 「 天 恵 に 富 む 広 東 の養 蚕 を論 じて本 島 蚕 業 に及 ぶ 」. (第67号,1912年). 中野八 郎 「 広 東 種 と 内 地 産 魯 桑 実 生 苗 との 比 較 」. (第74号,1913年). 石 渡繁 胤 「 ハ ン ガ リー 政 府 の蚕 業 独 占法 」. (第79号,1913年). 出 典:小. 林 貫一. 「台 湾 に 関 係 し た 蚕 業 の 文 献 目録 」(『 台 湾 農 事 報 』 第310号,1932年9月)と. 南 方 農 業 協 会 編 『台 湾 農 業 関 係 文 献 目 録 』(同 協 会,1969年3月)218−220頁. これ ら 『台 湾 農 事 報 』 の調 査 は 、 広 東 省 を 中 心 とす る清 国(後 賓=フ. 。. に 中 華 民 国)や 熱 帯 地 方(比 律. ィ リ ピ ンや 印 度 や マ ダ ガ ス カ ル)に つ い て の調 査 が 主 で あ り、 日本 や 欧 米 に つ い て の調 査. は 「 ハ ン ガ リー 政 府 の 蚕 業 独 占 法 」 を 除 く と見 られ な い 。 た だ し、 『公 文 類 纂 』 に は 、 ・「 武 藤 金 吉(欧 米 ニ 於 ケ ル 蚕 業 ニ 関 ス ル 調 査 嘱 託)」 (『 公 文 類 纂 』2073冊48文 書,1912年11月) ・「 伊 藤 悌 蔵(伊 太 利 及 米 国 ニ 於 ケル 蚕 系 業 ニ 関 ス ル 調 査 事 務 嘱 託)」 (『 公 文 類 纂 』2191冊33文 書,1913年6月) と して 、 台 湾 総 督 府 殖 産 局 が 嘱 託2人(武. 藤 は衆 議 院 議 員 、 伊 藤 は農 商 務 省 の 技 師 で あ っ た)に. 欧 米 で の 調 査 を 委 嘱 した 記 録 が 残 っ て い る。 こ の うち 、 欧 米 調 査 を 依 嘱 され た 武 藤 に つ い て は 、 ・「 蚕 業 講 話 武 藤 金 吉 へ 依 嘱 ノ件 」 (『公 文 類 纂 』5791冊1文. 書 、1914年1月). と して講 演 依 頼 の記 録 が あ り、 こ の依 嘱 成 果 が何 らか の 形 で 活 か され た も の と思 わ れ る。 一 方 、.

(6) 管 見 の 限 り、 日本 へ 調 査 の た め に 人 を派 遣 した 記 録 は 見 あ た らな い 。 日本 につ い て は 、 あ らた め て 調 査 を しな くて も 、 総 督 府 ま で 情 報 が 入 っ て きた の で あ ろ う。 明 治 期 に 入 手 で き た か は 不 明 だ が 、 台 湾 総 督 府 図 書 館 の 蔵 書(を 書)に. 引 き継 い だ 中 央 図 書 館 台 湾 分館 や 中 央 研 究 院 台 湾 史 研 究所 の 蔵. は 、 日本 で 刊 行 され た養 蚕 業 関 係 の 書 籍 が 多 数 存 在 す る。. 総 督 府 が 、 養 蚕 業 奨 励 政 策 を正 式 に 樹 立 した の は 、 台 湾 人 へ の 養 蚕 教 育 の 後 で あ る。 まず 、 1910年 度 に桑 苗 の養 成 と配 布 か ら蚕 糸糸業(つ ま り養 蚕 業)奨 励 を 開 始 し、 続 い て 「 蚕 絲業奨励 要 項 」(『公 文 類 纂 』1852冊12文 府 の 府 令 第21号. 書)を1911年4月. に 出 した5。奨 励 策 の 決 定 版 と な っ た 、 台 湾 総 督. 「台 湾 蚕 業 奨 励 規 則 」 は1912年9月20日. に 出 され た6。 「 台湾 蚕業奨励 規則 」 の条. 文 は37条 に の ぼ るが 、 主 な もの は 第 一 条 と第 三 条 、 そ して 第 三 十 五 条 と第 三 十 六 条 で あ る。 す な わ ち、. 第 一 条 . 台 湾 総 督 ハ 蚕 業 奨 励 ノ為 メ本 令 ニ依 リ適 当 ト認 ム ル 者 ニ 桑 苗 、 肥 料 、 蚕 種 及 蚕 具 ノ 無 償 配 布 、 桑 園 、 稚 蚕 共 同 飼 育 場 ノ設 置 蚕 業 教 師 ノ配 置 奨 励 金 ノ 下 付 又 ハ 蚕 繭 、 蚕絲 若 ハ 真 綿 ノ 買 収 ヲ 為 ス コ トアル ヘ シ … …(以 下 略). 第 三 条 . 蚕 繭 、 蚕絲 又 ハ 真 綿 ノ 買 収 ヲ 求 メ ム トス ル 者 ハ 現 品 ヲ送 付 シ台 湾 総 督 ニ願 出ヘ シ. 第 三 十 五 条  本 令 ニ 依 リ台 湾 総 督 ニ 差 出 ス ヘ キ書 類 及 第 三 条 ノ現 品 ハ 総 テ 所 轄 庁 ヲ経 由 スヘ シ 第 三 十 六 条  当該 庁 長 ハ 別 記 第 一 号 様 式 ニ 依 リ配 布 蚕 種 ノ成 績 ヲ、 別 記 第 二 号 様 式 ニ 依 リ配 布 桑 苗 ノ植 栽 状 況 ヲ 、別 記 第 三 号 様 式 ニ依 リ配 布 肥 料 ノ施 用 状 況 ヲ 、 別 記 第 四号 様 式 ニ 依 リ奨 励 金 ノ 下付 ヲ受 ケ タル 桑 園 ノ開 設 状 況 ヲ 、 別 記 第 五 号 様 式 ニ依 リ奨 励 金 ノ下 付 ヲ受 ケ タル 桑 園 ノ成 績 ヲ台 湾 総 督 ニ 報 告 スヘ シ … …(以 下 略). で あ る 。 各 地 の 地 方 庁(1912年. 当時 の 地 方 行 政 は 、 総 督 府 の 下 に 庁 が あ っ た)と 、 庁 農 会(農 会. は今 日の 農 業 協 同組 合 に相 当す る が 、 農 協 と違 い 、 行 政 の 農 業 に お け る別 働 隊 とい う役 割 で あ っ た)を 通 じて 、 養 蚕 を希 望 す る 農 民 に 、 桑 の 苗 ・桑 園 用 の 肥 料 ・蚕 種(蚕. の 卵)な. ど を直 接 配 布. し、 桑 園 や 稚 蚕 共 同飼 育 場(特 に 病 害 に弱 い1齢 ∼3齢 の カ イ コ を共 同 で 厳 格 な 管 理 体 制 で 飼 育 す る場 、 これ に よ りカ イ コ の生 存 率 を 高 め る こ とが で き る)の 設 置 な ど に補 助 金 を支 給 し、 で き た繭 や蚕 糸 糸(生 糸)や. 真 綿(副. 苗 や 肥 料 を 直接 配 布(補 助)す. 産 物 の 一 つ)を. 買 収 す る の が 養 蚕 業 奨 励 政 策 の 主 眼 で あ っ た7。. るの は 、 糖 業 奨 励 の 時 に 、 甘 庶 の 苗 や 肥 料 を配 布 した の と同 じで. あ る。 この 直 接 配 布 の 補 助 対 象 者 の 資 料 が 、1913・19148年 度 の み だ が 『公 文 類 纂 』 に残 っ て い る。 各 庁 毎 に 、 規 定 の 書 式 に従 って 申請 され て い る。 申請 者 は若 干 の 日本 人(個 台 湾 人 か らな っ て い る。 人 数 は 例 え ば 台 北 庁 の 場 合 、(表2)の. 人 ・法 人)以 外 は 、. 通 りで あ る。 ま た 、 庁 段 階 で 申. 請 内 容 の 審 査 が 行 われ て お り、 申請 内容 へ の査 定 結 果(増 加 ・減 少 と もに あ り)を 示 す 副 申が 、.

(7) そ れ ぞ れ 添 え られ て い た(台 北 庁:『 公 文 類 纂 』5796冊1文. 書)か. 、 あ る い は 元 の 申請 内 容 に斜. 線 が 引 かれ て 新 た な 内 容 に 書 き 直 され て い た(新 竹 庁:『 公 文 類 纂 』5791冊5文. 書)。. (表2)台 北庁 にお ける養蚕直接補 助(1913年 度)の 対象件 数. 桑 苗 下 付 . 個 人95(う. ち 日本 人8). 法 人3(台. 北 庁 農 会 、 台 湾 蚕 絲 業 株 式 会 社 、 愛 国 婦 人 会 台 湾 支 部). 桑 園 設 置 奨 励 金 下 付  個 人87(う. 肥 料 下 付 . ち 日本 人8). 法 人2(台. 湾 蚕 絲 業 株 式 会 社 、 愛 国 婦 人 会 台 湾 支 部). 個 人84(う. ち 日本 人7). 法 人2(台. 湾 蚕 絲 業 株 式 会 社 、 愛 国 婦 人 会 台 湾 支 部). 出 典:『 公 文 類 纂 』5796文 書1冊 個 人 の 連 名 は1人 と して 扱 い 、 法 人 の 代 表 者 は 法 人 と して扱 っ た. 2.養. 蚕 技 術 者 の 採 用 と配 置. 本 節 で は 、 前 節 の 議 論 を踏 ま えて 、植 民 地 台 湾 の養 蚕 業 奨 励 政 策 に お い て 、 どの 時 点 で どの よ うな 技 術 者 が 必 要 とな っ た か 、 そ の 技 術 者 は ど こ か ら採 用 され た か を、 考 察 す る。 前 節 に示 した よ うに 、養 蚕 業 奨 励 政 策 で 最 初 に 行 わ れ た こ とは 、 台 湾 各 地 で の 養 蚕 試 験 で あ っ た 。 そ れ に 従 事 した 人 間 は 、殖 産 局(殖 産 部 時 代 も あ り)農 事 試 験 場 や 各 地 方 庁 の 人 間 で あ っ た。 しか しな が ら管 見 の 限 り、 これ ら機 関 に在 籍 した 技 術 者(技. 師:高 級 技 術 官 僚 、 技 手:中 級 技 術. 者)は 農 業 一 般 の 技 術 者 で あ り、 養 蚕 専 門 の 技 術 者 は 見 あ た らな い 。 『公 文 類 纂 』 に は 雇(下. 級. 吏 員 ま た は 下 級 技 術 者)に 養 蚕 技 術 を持 っ て 人 間 が 居 た の で 、 台 中農 事 試 験 場 で 「 養蚕 ニ関 スル 事 務 嘱 託 」 と して 雇 用 した と の記 述 が あ る9。上 述 の 『公 文 類 纂 』4571冊13文 る 野 間 常 彦 も 、1900年6月. に は 台 湾 樟 脳 局 苗 栗 支 局 の 書 記(中. 書 に名 前 が出 てい. 級 文 官)に 任 ぜ られ て お り(『 公. 文 類 纂 』570冊19文 書)10、養 蚕 に は理 解 が あ っ た と思 わ れ る が 、 そ の 専 門 家 と して 雇 用 され た の で は な い よ うだ 。 後 年 か つ 部 外 者 の 記 述 に な る が 、藤 本 実 也 『台 湾 の 蚕 絲 業 』(丸 山 舎 書 籍 部, 1924年8月)6-7頁. は 、1903年 に 日本 の 長 野 県 か ら蚕 業 教 師 と して 加 藤 茂 一 郎 を呼 ん だ とか 、清. 国 か ら蚕 業 教 師 を 呼 ん だ と あ る。 しか し な が ら、 これ ら蚕 業 教 師 は 嘱 託 か 雇 と して雇 わ れ た よ う で 、 内 閣 の 人 事 録 を 元 に 台 湾 総 督 府 の 判任 官(属. ・技 手 ・書 記 な ど の 中 級 官 吏)以 上 の 官 僚 を記. 載 した 『旧植 民 地 人 事 総 覧 ・台 湾 編 』(日 本 図 書 セ ン タ ー,1997年2月)か. らは 見 つ か らな い。. 続 い て 行 わ れ た 、 台 湾 人 に 養 蚕 技 術 を教 育 し よ う と した 段 階 で は ど うで あ っ た ろ うか 。 「 台湾 総 督 府 農 事 試 験 場 官 制 」 が 発 布 され 、 農 事 試 験 場 に教 育 部 が 設 置 され た こ と は 上 述 した が 、 そ の.

(8) 教 育 部 の 初 代 所 長 に 兼 任 で就 任 した の は 、 小 田代 慶 太 郎(畜 産 部 長 ・技 師)で と して 素 木 得 一(昆 虫 部 長 心 得)が. あった。他 に技 師. これ ま た 兼 任 で 就 任 した。 こ の うち素 木 は 、札 幌 農 学 校 出身. の 昆 虫 学 者 で 、 上 述 の 『台 湾 農 事 報 』 の 調 査 以 外 に 、 『テ グ ス 蚕 飼 育 報 告(附)台 (殖産 局 出 版311号,1913年3月)と. い う著 書 も あ る 。 養 蚕 教 育 に 当 た れ そ うな 人 材 で あ る。 ま. た 『旧植 民 地 人 事 総 覧 ・台 湾 編 』 か ら教 育 部 の 技 手 を見 る と 、1910年5月1日 兼 任5人. 湾産 野蚕 類』. 現 在 で 専 任5人 、. が 在 籍 す る。 そ の うち 、 鳥 羽 源 蔵 ・関 喜 之 助 の2名 の 昆 虫 部 技 手 を本 務 とす る兼 任 者 で. あ った 。 彼 らが 養 蚕 教 育 に 責 任 を 持 っ て い た もの と考 え られ る。 しか しな が ら、養 蚕 実務 専 門 の 技 術 者 は配 置 され て い な か っ た 。 一方. 、海 外 調 査 の 方 で 見 れ ば 、 『台 湾 農 事 報 』 の 諸 調 査 の 中 で 一 番 本 格 的 な 調 査 は 、 「 広東 省製. 絲 に 関 す る調 査 」 以 下 の 素 木 得 一 一の 調 査 で あ ろ う。 素 木 の履 歴 に よ る と11、1907年9月 た 素 木 は こ の 時 期 、 佐 々 木 忠 次 郎(東 大 帝 国 大 学 教授 ・昆 虫 学 者)と. に来 台 し. 一 緒 に清 国 の 広 東 ・広 西 ・. 海 南 島 へ 出 張 し、 天 蚕 を調 査 して い た と され る。 ま た 、 海 南 島 か ら持 ち 込 ま れ た 天 蚕 を 使 っ て 、 1909年 か ら1911年 に か け て 、 南 投 庁 と台 中庁 に 特 設 され た天 蚕 飼 育 場 で試 験 を行 っ て い た とあ る。 この 記 述 か らは 天 蚕(テ. グ ス 蚕:幼 虫 か らテ グ ス 糸 を と る)の 調 査 研 究 の み で 家 蚕(カ. イ コ:繭. か ら生 糸 を と る)の 調 査 研 究 は して い な い よ うに 見 え るが 、経 由地 に は 広 東 が 含 まれ て い る の で 、 上 記 『台 湾 農 事 報 』 掲 載 の 調 査 は可 能 だ っ た と思 わ れ る。 素 木 は 、 昆 虫 学 者 と して 台 湾 総 督 府 の 養 蚕 業 奨 励 政 策 に 大 き く貢 献 した こ とが わ か る。 この 後 、 履 歴 を 見 る と、 素 木 の 研 究 は 害 虫 と し て の 蛾 や カ イ ガ ラ ム シ が 対 象 とな り、 カ イ コか らは遠 ざ か る。 しか しな が ら後 、1928年 に台 北 帝 国 大 学 に 設 立 され て 同 大 学 の 教 授 に 任 ぜ られ た 時 は 、 昆 虫 学 と と も に養 蚕 学 の講 座 を 担 当 して い る。 (表1)に. お け る素 木 以 外 の調 査 担 当者 を見 る と、 網 野 一 寿 は札 幌 農 学 校 出 身 の 農 業 一 般 の 技. 術 者 で 、 この 時 期 は農 事 試 験 場 教 育 部 の 嘱 託 で あ っ た。 ま もな く殖 産 局 農 務 課 の技 師 とな る(履 歴 は 『公 文 類 纂 』10323冊15文. 書 に あ る)。 須 田金 之 助 は 不 明 で あ る。 残 りの個 人 発 表 は養 蚕 奨 励. が 本 格 化 した 以 降 の 話 で あ る。 台 湾 の 養 蚕 技 術 者 が 本 格 的 に 揃 え られ た の は、 総 督 府 の 養 蚕 業 奨 励 政 策 が確 立 して か らで あ っ た。法 律面 の確 立で ある 「 台 湾 蚕 業 奨 励 規 則 」 の公 布 に 引 き続 い て 、組 織 面 で の 政 策 確 立 と して 、 総 督 府 殖 産 局 の 附 属 機 関 と して 「 民 政 部 殖 産 局 付 属 養 蚕 所 設 置 ノ件 」(訓 令 第268号 、1913年12月 24日 、 な お 『公 文 類 纂 』2207冊2文. 書 参 照)に. よ っ て 台 北 に養 蚕 所 が 設 置 され た 。 そ の 業 務 内 容. は 、 文 字 通 り養 蚕 業 の 奨 励 お よ び研 究 で あ っ た 。 ま た 農 事 試 験 場 教 育 部 が 担 当 して い た 養 蚕 教 育 も養 蚕 所 に 移 管 され た 。 こ こ に養 蚕 技 術 者 が 集 め られ た の で あ る。 この 養 蚕 所 に 集 め られ た 人 員 を 見 る と、 所 長 は 殖 産 局 の 技 師 の兼 任 で あ り、 そ して 属(中 級 文 官)と 技 手 が 専任 ・兼 任 を含 め配 置 され て い た。 これ ら面 々 の 履 歴 を見 て み た い。 ま ず 、 所 長 の 安 達 健 三 郎 は 、 前 職 が 熊 本 県 の 技 師 で あ っ た 。 そ の採 用(1914年1月7日. 付)時.

(9) の文書 に、 「 蚕 業 試 験 ニ 関 ス ル 技 師 」 と あ る よ うに 蚕 業 の 専 門 技 術 者 と して 招 聘 され(『 公 文 類 纂 』2057冊11文. 書)、 養 蚕 所 設 立 と と もに 所 長 に 任 じ られ た も の で あ る(『 公 文 類 纂 』2295冊2文. 書)。 技 手 に も蚕 業 の 専 門 技 術 者 が あ らた に揃 え られ た。 養 蚕 所 発 足 当 時 の 技 手 は 、 専 任 が 霜 新 八郎 (4級 俸)・ 山 本 博 翠(5級. 俸)・ 川 崎 清 平(7級. 健(農 務 課 が本 務 、 月38円 給 与)の1人. 俸)・ 中 野 八 郎(7級. で あ っ た が 、5人. 俸)の4人. 、兼 任 が 富樫. と も1911年 か ら1914年 の 短 期 間 に 台 湾. 総 督 府 に採 用 され て い る。 全 員 の 履 歴 が わ か っ て い る の で 、煩 を厭 わ ず に 主 な 内容 を 並 べ て み る と以 下 の 通 りで あ る。. 霜新 八郎 1902年8月1日 . 東京蚕 業講 習所養蚕 講習 科卒業. 1906年4月18日 . 任 蚕 業 講 習 所 助 手  八 級 俸 下 賜 (農商 務 省) 東 京 蚕 業 講 習 所 在 勤 ヲ命 ス (農商 務 省). 1914年1月15日 . 任 台 湾 総 督 府 技 手  給 四 級 俸  民 政 部 殖 産 局 勤 務 ヲ命 ス. 出 典:『 公 文 類 纂 』2305冊49文. 書. 山本 博 翠 1906年7月21日 . 東京 蚕業講 習所本 科卒業. 1907年3月28日 . 山梨 県 東 八 代 郡 立 山 梨 蚕 業 学 校 本 科 卒 業. 1907年4月23日 . 蚕 業 講 習 所 事 業 雇 ヲ命 ス  月 俸 十 五 円 (東京 蚕 業 講 習 所). 1909年4月23日. 群 馬 県 吾 妻 郡 夏 秋 蚕 業 講 習 所 技 手 兼 所 長  月 俸 四 十 円 (群馬 県). 1910年5月17日. 岩 手 県 立 東 磐 井 蚕 業 学 校 教 諭 ニ 任 ズ  八 級 俸 支 給 (岩手 県). 1912年12月19日. 任 台 湾 総 督 府 技 手  給 五 級 俸  民 政 部 殖 産 局 勤 務 ヲ命 ス. 出典:『 公 文 類 纂 』2074冊1文. 書. 川 崎清平 1896年5月 . 農 事 講 習 所 全 科 卒 業 セ ル コ トヲ証 ス (茨城 県 農 事 講 習 所). 1898年8月31日 . 本 所 規 定 ノ別 科 課 程 ヲ 卒 業 シ タル コ トヲ証 ス (農商 務 省 蚕 業 講 習 所). 1901年6月10日 . 蚕 種 検 査 員 ヲ命 ス  月 手 当金 二 拾 七 円 給 与 (茨城 県). 1905年6月8日 . 蚕 病 予 防 吏 員 ヲ命 ス  月 俸 二 拾 七 円給 与 (茨城 県).

(10) 1908年4月4日 . 土 浦 蚕 病 予 防 事 務 所 主 事 ヲ命 ス (茨城 県). 1911年12月21日 . 月 俸 三 拾 五 円給 与 任 茨 城 県 技 手 給 月 俸 壱 円  内 務 部 勧 業 課 勤 務 ヲ命 ス (茨城 県). 1911年12月22日 . 蚕 病 予 防 事 務 所 下 妻 支 所 主 事 ヲ命 ス (茨城 県). 1912年6月27日 . 月 俸 四 拾 円給 与  依 願 免 本 官 (茨城 県). 1912年10月24 日. 蚕 業 ニ 関 ス ル 事 務 ヲ嘱 託 ス  為 手 当 一 ヶ 月 六 拾 円 ヲ給 ス 民 政 部 殖 産 局 勤 務 ヲ命 ス (台湾 総 督 府). 1913年6月13日 . 御 用 済 ニ付 嘱 託 ヲ解 ク  雇 ヲ命 ス  月 俸 六 拾 円 給 与 (台湾 総 督 府). 1913年9月30日 . 任 台 湾 総 督 府 技 手  給 七 級 俸. 出 典:『 公 文 類 纂 』2316冊63文. 書. 中野八郎 1902年3月 . 京 都 府 立農 学 校 卒 業. 1902年4月 . 京 都 府 立 農 学 校 助 手 ヲ命 ス  月手 当 四 十 五 円 給 与. 1906年3月15日 . 任 三 重 県 立農 事 講 習 所 技 手. 1909年6月5日 . 岐 阜 県 立 農 事 試 験 場 技 手 ヲ命 ス  月 俸 三 十 二 円 給 与. 1911年6月8日 . 台 湾 総 督 府 雇 ヲ命 ス  月 俸 五 十 二 円給 与. 月  俸 二 十 五 円給 与. 民 政 部 殖 産 局 勤 務 ヲ命 ス 1912年6月19日 . 任 台 湾 総 督 府 技 手  給 月 俸 三 十 七 円12 民 政 部 殖 産 局 勤 務 ヲ命 ス. 出 典:『 公 文 類 纂 』2067冊15文 書. 富樫 健 1909年7月12日 . 東京 蚕業講 習所養 蚕科本 科卒 業. 1909年7月15日 . 事 業 雇 ヲ命 シ月 俸 拾 八 円 給 与 ス 夏 秋 蚕 部 勤 務 (東京 蚕 業 講 習 所). 1911年9月15日 . 雇 ヲ命 ス  月 俸 四 十 五 円 ヲ給 ス 民 政 部 殖 産 局 勤 務 ヲ命 ス (台湾 総 督 府). 1912年6月5日 . 任 台 湾 総 督 府 技 手  給 月俸 三 十 二 円  民 政 部 殖 産 局 勤 務 ヲ命 ス. 出典:『 公 文 類 纂 』2067冊14文. 書. 5人 の う ち3人 は 、 東 京 蚕 業 講 習 所(現 在 の 東 京 農 工 大 学)本 科(養 蚕 科)の. 卒業生 で あった。.

(11) 卒 業 後 、 東 京 蚕 業 講 習 所 で 技 手 を して い た 霜 が 上 級 の 技 手 と な り(1916年8月 る)、 残 る2入 は 履 歴 に 従 い そ れ ぞ れ の 地 位 に つ い た。 他 の2人 蚕 業 講 習 所(1899年4月. に は技 師 に昇 格 す. も引 けを とらない。川 崎清 平 は、. に 京 都 蚕 業 講 習 所 が 開 所 す る 以 前 は 、東 京 を冠 せ ず 単 に 蚕 業 講 習 所 と称. した)別 科 を 卒 業 後 、 長 年 に わ た り蚕 種 検 査 員 や 蚕 病 予 防 吏 員 と して 蚕 病 予 防 に 従 事 して い た 。 中 野 八 郎 も農 学 校 や 農 事 試 験 場 に勤 務 して お り、 養 蚕 所 赴 任 後 は(表1)の. よ うな桑 の 比 較 研 究. の 文 章 を 書 け る人 材 で あ っ た。 誰 もが 、 養 蚕 技 術 の 専 門家 とい うの にふ さ わ しい 人 材 で あ っ た と 言 って良い。 なお 養 蚕 所 の属 も、 養 蚕 技 術 者 で は な い が 、 養 蚕 と は無 縁 の人 材 で は な い。 例 え ば 、 兼 任 の属 (本務 は 殖 産 局 農 務 課 の 属 〉 と して 、 繭 の 買収 を担 当 して い た酒 井 隆 次 の 経 歴 は 、 以 下 の 通 りで ある. 酒 井隆 次 1902年6月25日 . 雇 ヲ 命 ス  月 俸 二 十 七 円  民 政 部 殖 産 局 勤 務 ヲ命 ス. 1902年7月1日 . 上 京 ヲ命 ス. 1902年7月18日 . 統計 講習会 入所. 1902年9月18日 . 統計 講習会 修 了. 1902年9月29日 . 帰府. 1903年6月18日 . 台湾 総督府 施行 文官普 通試 験合格. 1903年11月5日 . 任 台 湾 総 督 府 属  給 八 級 俸. 1913年12月25日 . 殖 産 局 附 属 養 蚕 所 兼 務 ヲ命 ス. 出 典:『 公 文 類 纂 』4046冊5文. 書. 酒 井 は 特 に 東 京 ま で 出 張 して 統 計 を勉 強 した こ とが わ か る。 ま た 、 同 じ く養 蚕 所 の 専 任 の 属 で あ っ た 小 沼 謙 次 郎(履 歴 は 、 『公 文 類 纂 』2073冊53文. 書 に あ る)は 、 台 湾 総 督 府 殖 産 局 の雇 時 代. に、 「 統 計 図 表 調 製 ニ 関 シ勤 労 不 勘 ニ 付 」 と して 「 金 十 円 」 を 賞 与 され て い る(1912年3月13日 付 、 『公 文 類 纂 』2063冊34文 書)。 す な わ ち 、 統 計 や 経 理 に 詳 しい 人 材 で あ り、 表 彰 も され て い る。 そ の 経 理 の 腕 前 を か わ れ て 殖 産 局 の他 課 か ら養 蚕 所 へ と転 出 した と思 わ れ る。 個 々 の 農 家 か ら繭 の買収 が必要 な養蚕 所 に とって、彼 らも必要 不可欠 な人材 で あった。. お わ りに か え て. 本 論 で 示 した よ うに 、植 民 地 台 湾 に お い て 総 督 府 は 養 蚕 業 に つ い て 、 植 民 地 化 初 期 か ら試 験 を.

(12) 行 っ て い た 。 さ ら に 台 湾 人 へ の 技 術 教 育 、 広 東 な どへ の海 外 養 蚕 地 へ の 視 察 を行 っ た 後 、 「 台湾 蚕 業 奨 励 規 則 」 を公 布 し、 実 行 機 関 で あ る養 蚕 所 を 設 置 す る とい うよ うに 、 奨 励 政 策 は 段 階 を 踏 ん で行 っ て い た 。 しか しな が ら総 督 府 諸 機 関 へ の 人 材 供 給 は 、 そ の よ うな 奨 励 の 発 展 段 階 とは ズ レが あ っ た 。 試 験 ・教 育 ・海 外 調 査 の 時 点 で 、 素 木 得 一 の よ うな 昆 虫 学 者 を 除 け ば 、 台 湾 総 督 府 に か か わ る養 蚕 技 術 者 は 、 少 な く と も専 任 の 技 師 ・技 手 に は 見 あ た らな か っ た。 そ して 「台 湾 蚕 業 奨 励 規 則 」 が 公 布 され 、 養 蚕 所 が で き る前 に な っ て は じめ て 、 技 師 ・技 手 な ど養 蚕 技 術 者 が 総 督 府 に 多 数 採 用 され た 。 これ は なぜ だ ろ うか。 考 え られ る こ と は 、 本 格 的 な 奨 励 政 策 を 行 う前 の 段 階 で 、 総 督 府(担. 当. の 殖 産 局 、 も し くは 人 事 部 門)が 、 そ の 産 業 の 専 門 技 術 者 を雇 お う と しな か っ た とい うこ とで は な か ろ うか。 も し専 門 技 術 者 を 高 給 ・常 勤 で 雇 っ て お い て 万 一 、 産 業 導 入 が 見 送 りに な れ ば 、 全 く人 材 と給 与 の 無 駄 遣 い とな る か ら で あ る。 台 湾 総 督 府 の 技 術 者 は 定 員 枠 に 限 りが あ り、 「 前条 定 員 ノ外 必 要 ニ 応 シ俸 給 定 額 内 ニ 於 テ 技 師 及 技 手 ヲ置 ク コ トヲ得 」 な どの よ うに 台 湾 総 督 府 の 各 部 局 に お か れ た 官 制 規 定 を使 っ て 、 定 員 で は 足 らな い技 術 者(技 師 、 技 手)の. ポ ス トと給 与 を や. り く り しな が ら確 保 す る の が 常 態 で あ っ た13。無 駄 に な りか ね な い 人 材 の雇 用 に は 、 消 極 的 に な ら ざ る を 得 な か っ た と考 え る こ とは 可 能 で あ る。 た だ し、 奨 励 政 策 が 公 布 され て か らの 養 蚕 技 術 者 は 、養 蚕 業 の 特 殊 性 生も あ っ た た め か 、 総 督 府 殖 産 局 で 一 種 の 学 閥 を 形 成 して い た札 幌 農 学校 出 身 者 に は こ だ わ らず 、 東 京 蚕 業 講 習 所 を 中心 と した 養 蚕 系 学 校 の 人 材 が 登 用 され て い た 。 ま た 、 全 て の 人材 を外 部 か ら求 め た わ け で な く、 経 理 に詳 しい属 を 他 か ら転 属 させ て宛 て る な ど、 内 部 人 材 の 活 用 も行 わ れ て い た 。 今 回 は養 蚕 の み を 事 例 と した が 、 他 に も水 産 な ど特 殊 な 分 野 で は 同 じ よ うな こ とが あ っ て も不 思 議 で は な い。 よ っ て 、 人 事 か ら逆 に 政 策 が い つ 本 格 的 に 打 ち 出 され た か を考 え る こ と も で きそ うで あ る14。 な お養 蚕 は 、 他 産 業 同様 、 総 督 府 内 の 人 材 だ け で 遂 行 され る わ け で は な い 。 農 会 の 人 材(農 会 技 手 な ど)も 重 要 な役 割 を 果 た して い た こ とが 推 測 で き る し、 民 間 の 人 材 も ま た 重 要 で あ ろ う。 特 に 、 日本 養 蚕 業 に お い て は 、片 倉 や 郡 是 の よ うな 民 間 製 糸 企 業 の 技 術 革 新 の影 響 が 、 製 糸 は も ち ろ ん養 蚕 の 分 野 に お い て も大 き か っ た。1910年 代 後 半 に 実 用 化 され 、 カ イ コの 繭 量 を増 加 させ た 一 代 雑 種 は そ の 一 例 で あ る。 この よ うな 民 間 の 動 き は 、 台 湾 の養 蚕 業 で は ど うな つ て い た だ ろ うか 。 台 湾 人 に 対 し養 蚕 技 術 を教 育 した 以 外 の こ と と して 、 ど の よ うな こ と が 台 湾 の 民 間 に 対 し て 行 われ た だ ろ うか。 ま た 、 日本 の 製 糸 企 業 が 台 湾 に 対 して ど の よ うな 動 き を して い た だ ろ うか 、 そ して そ の 技 術 は台 湾 に どの よ うに 影 響 した だ ろ うか 、 な どは 今 後 の 課 題 と した い 。.

(13) 1呉 文 星 の 調 査 は 、 堀 和 生 ・中 村 哲 編 の 論 文 集 『日本 資 本 主 義 と朝 鮮 ・台 湾 』(京 都 大 学 学 術 出 版 会,2004 年2月)の. 韓 国 語 版(ソ. ウル ・伝 統 と文 化 社 か ら近 日刊 行)に. 「札 幌 農 学 校 と台 湾 近 代 農 学 の 展 開 」 とい. う題 名 で 、 あ らた に収 録 され る予 定 で あ る 。 2何. の議 論 は例 え ば 、 台湾 養 蚕 業 を 日本 との み 比 較 して 、 台 湾 の 養 蚕 業 の優 位 さ を強 調 して お り、植 民 地 朝. 鮮 と比 較 す る 視 点 を 全 く欠 い て い る。 こ の た め に 、 同 時 期 の 朝 鮮 に は 日本 本 土 か ら片 倉 や 郡 是 の よ うな 民 間 企 業 が 進 出 して 複 数 の 製 糸 工 場 を建 て て い る の に 、(日 本 よ り優 位 の はず の)台 な い 理 由 が 全 然 わ か らな い。 3台 湾 の 南 投 に あ る 国 史 館 台 湾 文 献館 が 所 蔵 す る. 湾 に は 全 然 進 出 して 来. 、 旧 ・台 湾 総 督 府 の 公 文 書 綴 。 人 事 な ど各 種 の 稟議 書 ・書. 状 ・電 報 が そ の ま ま 綴 られ て い る。 こ の 文 書 の 全 体 像 や 保 存 状 況 は 、 檜 山 幸 夫 編 『台 湾 総 督 府 文 書 の 史 料 学 的研 究. 日本 近 代 公 文 書 学 研 究 序 説. 』(ゆ ま に 書 房,2003年3月)な. ど、 檜 山 の 一 連 の研 究 に 詳. しい 。 な お 『公 文 類 纂 』 の 各 文 書 は 、 台 湾 総 督 府 か ら 「熊 本 県 技 師 安 達 健 三 郎(任 「明 治45年 ・第7巻. ・第1門. 府 技 師)」 の よ うな 名 称 と. ・高 等 官 進 退 ・第11頁 ・秘 甲第1187号 」 とい う よ うな整 理 番 号 を 付 け られ 分. 類 され て い る が 、 本 論 で は 便 宜 上 、 そ れ ら名 称 や 整 理 番 号 で な く 、 国 史 館 台 湾 文 献 館 で 使 われ て い る 冊 ・ 文 書 の番 号 を 採 用 す る。 上 記 の 「 熊 本 県 技 師 安 達 健 三 郎(任. 府 技 師)」 ・「明 治45年 ・第7巻. ・第1門. ・高. 等 官 進 退 ・第ll頁 ・秘 甲 第1187号 」 は 冊 ・文 書 と して は 、2057冊11文 書 とな る。 文 書 検 索 は2004年10月 現 在 、 以 下 のURLか. ら文 書 の 名 称 ・番 号 ・年 月 日のみ 可 能 で あ る。. https://sotokufu.sinica.edu.tw/sotokufu/query.php 4台 北 の 中 央 図 書 館 台 湾 分 館 に は 、 教 育 部 卒 業 生 が 組 織 した 「台 湾 農 窓 会 」 の 会 報 が 、 第14号(1930年12 月)か. ら第16号(1937年12月)ま. 学 ん だ 卒 業 生(第15号. で 所 蔵 され て い る 。 こ の 会 報 に は 会 員 名 簿 が 載 っ て お り、 何 年 に何 科 を. に よれ ば 会 員 数927人 、 う ち1930年 時 点 で す で に 死 亡 した者148人 、 ま た 名 簿 の 下 に. 賛 とあ る者 が 死 者2人 を 含 め57人)の 住 所 と職 業 が 判 明 す る。 職 業 は 農 会 技 手 な ど農 業 関係 者 が 多 い 。 5『 公 文 類 纂 』1852冊12文 書(文 書 自体 の 名 前 は 「蚕 絲 業 奨 励 ニ 関 ス ル 件 」)は 冒頭 、 以 下 の よ うに 述 べ て い る。 曩 ニ 明 治 四 十 三 年 度 ニ 於 テ 蚕 絲 業 奨 励 ニ 着 手 トシテ 桑 苗 ヲ養 成 シ之 力配 付 ヲ計 リ シ カ 四 十 四年 度 以 降 ニ於 テ 更 ニ 其 ノ規 模 ヲ拡 張 シ 尚 ホ 蚕 絲 業 上 ノ 講 習 ヲ行 ヒ且 適 当 ト認 ム ル 者 ニ蚕 種 ノ配 付 、 蚕 具 ノ給 与 若 ハ 貸 与 等 ヲ為 シ 又 補 助 金 ヲ 下付 シテ 桑 園 ノ創 設 、蚕 業 教 師 ノ招 聘 ヲ 為 サ シ メ 特 ニ 繭 絲 買 収 ノ途 ヲ 開 6こ. キ 以 テ 斯 業 ノ 普 及 ヲ促 シ 度 の 規 則 の 制 定 に 関す る文 書 は. 、 『公 文 類 纂 』2039冊1文. 書 に残 っ て い る。 こ の 文 書 に は 多 く の修 正 が あ. り、 制 定 過 程 で議 論 が あ っ た こ とが わ か る。 議 論 の 内容 に つ い て は 、今 後 解 明 した い。 7な お 繭 や 生 絲 や 真 綿 買 収 の た め 、 総 督 府 は 生 産 者 と随 意 契 約 を 結 ぶ た め の 勅 令(1911年 勅 令77号)公. 布を. 内 閣 に求 め た 。 こ の 勅 令 公 布 の た め 、 台 湾 総 督 府 が府 内や 日本 本 国 の 内 閣 との 稟 議 を行 っ た 文 書 が 、 『公 文 類 纂 』2082冊6文 書 に残っ て い る。 81913年 度 は 各 庁 分 が 残 っ て い る が 、1914年 度 分 は 管 見 の 限 り、 『公 文 類 纂 』11078冊5文 小 松 仁 三 郎 へ の 補 助 の書 類 だ けが 残 っ て い る 。 9『 公 文 類 纂 』790冊14文 書 で は1902年5月10日 付で. 書 にあ る台北庁 の. 、 南 投 庁 の 雇 で あ っ た加 藤 成 市 を 、 台 中 農 事 試 験 場. (こ の 時 代 は 、 台 中 ・台 南 に も 農 事 試 験 場 が あ っ た。 後 に こ の2場 は 農 会 に 移 管 され て い る)の. 「養 蚕 ニ. 関 ス ル 事 務 嘱 託 」 と して採 用 し、 「 月 手 当 金 参 拾 五 円」 を 与 えて い る。 10そ の 後 、 野 間 は 台 湾 樟 脳 局 の 専 売 局 へ の 改 組 に伴 い 、 専 売 局 の 書 記 と な っ た 。 『旧植 民 地 人 事 総 覧  台 湾 編2』(日. 本 図 書 セ ン ター,1997年2月)の329頁. 主 任 書 記 で あ る。 養 蚕 とは 無 縁 で あ ろ う。. に よれ ば 、1909年5月1日. 現在 は、専売 局基 隆出張所 の.

(14) 11素 木 の 履 歴 と して 、 単 に 官 職 の 遍 歴 を 載 せ る だ け で な く、 具 体 的 な研 究 内 容 ま で 記 載 した もの に 、 『台 湾 博 物 学 会 会 報 』 第242・243号(素. 木博 士 還 暦 記 念 号)記 載 の履 歴 が あ る。 本 論 は と りあ えず 同 履 歴 を 引 用. してい る 「 素 木 得 一 」(呉 永 華 『被 遺 忘 的 日籍 台 湾 動 物 学 者 』,台 中 ・農 星 出 版 社,1996年1月 頁)を 参 考 と した 。 12雇 の 時 は 月 俸52円 な の に. ,73-101. 、 技 手 に な る と月 俸37円 に な るの は 、 一 見 す る と降 給 に 見 え る。 しか しな が ら、. 技 手 以 上 の 日本 人 は植 民 地 加 俸 制 度 が あ る の で 本 俸 に5割 程 度 の 加 俸 が つ く。 よ って 技 手 の 実 際 の 月 俸 は 55.5円 と な り、 昇 給 に な る。 富樫 健(雇 3総 督 府 技 師(と 技 手)の. 定 員 の 問 題(定. の 月俸45円 、技 手 の 月 俸32円)も 員 に空 き が あ る か. 同 様 に 実 際 は 昇 給 で あ る。. 1 、 誰 を 定 員 内 と し誰 を 定 員 外 とす る か)と 、 定. 員 外 技 師 の給 与 を どの 費 目 か ら出 す か の 問 題 は 、 しば しば 『公 文 類 纂 』 に 現 れ る。 予 算 上16人 の 定 員 しか な い と こ ろ で 、 実 際 は32人 の技 師 が い た1906年 段 階 で 起 き た 、 土 木 局 の 技 師 の 処 遇 を 巡 る文 書 につ い て 、 檜 山 幸 夫 「台 湾 総 督 府 の 文 書 管 理 論 」(檜 山 前 掲 『台 湾 総 督 府 文 書 の 史 料 学 的 研 究. 日本 近 代 公 文 書 学. 研 究序説 』 所 収)の262-269頁 が 解 説 して い る。 14こ の よ うな観 点 で他 の部 局 を考 察 した もの と して 、 拙 稿 「技 師 か ら見 た 植 民 地 時 代 の 台 湾 鉄 道 」(勉 誠 出 版 『ア ジ ア遊 学 』 第48号,2003年2月,125ー131頁)が. あ る。 これ は 、 台 湾 総 督 府 鉄 道 部 に所 属 して い た. 技 師 の 移 動 か ら、 鉄 道 建 設 の動 向 な ど を考 察 した も の で あ る 。.

(15)

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