﹁アラブの春﹂の発生から三年 がすぎ、中東の湾岸諸国は、一見 すると、その後に生じた政治動乱 を、ひとまず乗り切ったかにもみ える。表層だけをみるならば、 ﹁革 命﹂に対する王制国家による﹁反 革命﹂の勝利といえよう。 しかし、湾岸諸国の状況をつぶ さにみていくと 、﹁アラブの春﹂ がもたらした変動は、湾岸諸国の 安全保障環境に、深刻な影を落と しつつある 。その最たる現象は 、 宗派対立の深まりといってよい。 本稿では 、﹁アラブの春﹂が 、 湾岸諸国にもたらした影響を改め て振り返り、サウジアラビアを中 心とする王制統治の動揺と、近年 の中東湾岸の安全保障環境を分析 し、今後の行方を展望することと したい。 ●地域を揺さぶる四つの要因 最初に、湾岸諸国の安全保障を 考えるうえで重要なのは、この地 域の政治の力学は、地域の国家間 をめぐる関係のみでは十全には捉 えきれないという大前提である。 中東においては、危機が深まれ ば深まるほど、常に、プレモダン な宗派対立や、モダンなイスラム 主義運動といった、準国家的︵サ ブナショナル︶な動きや、超国家 的︵スプラナショナル︶な動きが 噴出してきた。 とりわけ湾岸地域においては 、 シーア派という宗派を代表するイ ランに対して、スンナ派のなかで もワッハーブ主義という厳格かつ 保守的なイスラム解釈を原型とす るサウジアラビアの宗派意識が鋭 く対立するという事情もある。 同時に、多分にサウジアラビア やバーレーンなどの湾岸諸国は 、 ﹁アラブの春﹂と名付けられた民 主化運動という、 ﹁内からの危機﹂ に対抗するうえで、イランやシー ア派の対外的な脅威を強調してき た。 またオバマ政権下のアメリカの 対中東政策には、シリア問題への 対応をみても様々な﹁揺らぎ﹂が みられ、アラブの春以降、湾岸諸 国は、 対米不信を増幅させている。 もっとも実際には、湾岸諸国が イランに対峙するうえで 、結局 、 バーレーンに拠点を置く第五艦隊 等を中心とする、湾岸に駐屯する 米軍に、その安全保障を依存して いるという現実もある。 湾岸地域においては、次の四つ の大きな要因が、この地域の安全 保障を左右していると考えてよ い。 第一に、アラブの春以降顕著と なった民主化運動に加えて、湾岸 諸国が抱える、ムスリム同胞団な どのイスラム主義運動との相克 、 第二に、イラク戦争がもたらした シーア派の台頭と、これに対抗す るスンナ派の宗派対立の存在、第 三に、ペルシャ湾を挟んでイラン とアラブ湾岸諸国という国家間の 力の対峙、第四に、地域の安全保 障を提供しているアメリカの中東 政策の変化である。 そしてとりわけ最近のイランと 国際社会の事実上の ﹁デタント﹂ は、これら四つの要因に大きな作 用を及ぼしつつある。 ●内からの危機 歴史的にみれば、これまで中東 湾岸諸国の安全保障を真に脅かし たのは、サッダーム・フセイン大 統領下のイラクとの湾岸戦争など の外部からの脅威であった。 ところが﹁アラブの春﹂は、湾 岸諸国において近現代史上はじめ て、内部からの直接的脅威が、王 制を揺さぶることとなった。 とりわけ、オマーンなどの比較 的成熟した市民をかかえる国々で も﹁怒りの日﹂がネット上で呼び 掛けられ、大規模なデモへと発展 していった。デモに参加した市民 は 、雇用の拡大や腐敗への反対 、 その他の社会的、政治的な様々な 要求を次々と掲げた。 サウジアラビアではフェース ブックなどを通じて、金曜礼拝な
宗派対立の深まりと
中東湾岸の安全保障
松
本
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激変
する湾岸
の安全保障環境
特 集、 、 % もの賃上げを行う しかし、 ﹁アラブの春﹂が起きるまでは 、 湾岸諸国では王制批判はタブーで あり、体制批判は許容されること はなかったが、今では政府首脳の 実名をあげて批判するまでになっ ている。これは湾岸諸国の国内政 治上、革命的な変化といってもよ いだろう。 ●バーレーンの騒擾 湾岸地域にとってアラブの春が もたらした最大の騒擾は 、バー レーン王制に対するシーア派市民 によるデモであった。 エジプト革命に影響を受けて二 〇一一年二月に始まった 、バー レーンの首都マナーマの真珠広場 を埋め尽くした民主化デモでは 、 ﹁ウィファーク﹂などのシーア派 野党も参加し、若者の声に引きず られ、過激な民主化要求をつきつ けることになった。 バーレーン政府は自国のシーア 派系市民によるデモですら、イラ ンによる策謀論を唱えることなっ た。 バーレーン政府は、 国内のシー ア派反体制派をイランの第五列と 認識し、民主化運動をクーデター 行為とみなしたのである。 この結果バーレーンのハリー ファ家の要請に応えて、同年三月 一四日にはサウジアラビア軍を中 心とする湾岸協力会議 ︵ GCC ︶ 合同軍の﹁半島の盾﹂軍が、バー レーンとサウジアラビアを結ぶ長 距離の海上橋であるコズウェイを 通ってマナーマに進駐した。 サウジアラビア軍約一〇〇〇名 およびアラブ首長国連邦の警察官 五〇〇名ほどの合同部隊は、デモ 隊に対して強硬手段をとり、鎮静 化を図った。またバーレーン政府 も、真珠広場を封鎖し、非常事態 宣言を発布することで民主化運動 を抑えこんだ。 しかし、デモの実態は、シーア 派の若者が創設した緩いネット ワークである、いわゆる﹁二月一 四日運動﹂が次第に過激化して 、 ウィファークなどの既成のシーア 派野党の穏健な行動すらも制約し ていったという自生的なプロセス であったことは明らかである。 この意味で湾岸諸国は、自らの 抱える国内的な脆弱性を覆い隠す ために、対外的な脅威を扇動する 必要性に迫られたとみることもで きよう。 ︵参考文献①および②︶ ●ムスリム同胞団の挑戦 その後、エジプトとチュニジア で発生した民主化革命が革命後行 われた最初の総選挙を通じて、事 実上ムスリム同胞団に乗っ取られ ることとなると、湾岸諸国に改め て動揺が走った。 こうしたムスリム同胞団に代表 されるイスラム主義勢力の台頭 は、カタールを除けば多くの湾岸 諸国の統治者にとって 、極めて 苦々しいものに映る。 そもそも、ワッハーブ主義に基 づく正当なイスラムの守護者とい う、サウジアラビアの立場からす ると、ムスリム同胞団は﹁イスラ ム﹂の正統性をめぐる競合者であ るからだ。また、一九九〇年代に サウジ国内で反体制運動を展開し た﹁イスラム覚醒運動﹂は、もと もとムスリム同胞団の影響を受け ていたのである。 革命直後の最初の選挙でエジプ ト大統領にムスリム同胞団員のム ルシー大統領が選ばれると、エジ プトとサウジアラビアの関係は緊 張をはらむものとなった。 その後昨年夏のエジプトにおけ るエジプト軍による事実上のクー デターで、ムルシー大統領が政権 から追放され、 シシ国防大臣以下、 軍主導の政権が樹立されると、こ れをサウジアラビアは歓迎し、莫 大な経済支援を決定した。
宗派対立の深まりと中東湾岸の安全保障 現在 GCC 諸国内では、ムスリ ム同胞団への対応をめぐってカ タールとその他の湾岸諸国の間で 不協和音が色濃く漂っている。 ムスリム同胞団を王制に対する 脅威として捉るサウジアラビア は、カタールのムスリム同胞団へ の支援を許容できないのである。 これまでも、ムスリム同胞団寄 りの放送を続けるアル・ジャジー ラを抱えるカタールとその他の湾 岸諸国の間では、緊張が時折生じ ていたが、本年三月には、ムスリ ム同胞団を支援しているとの理由 で、サウジアラビアや、バーレー ン、アラブ首長国連邦に駐カター ル大使を引きあげ、同国との外交 関係が一挙に冷却している。 ●シリアの動乱とイランの核 問題 二〇一一年春以降、シリア各地 で始まった反体制デモは、次第に 事実上の体制側と反体制側の﹁内 戦﹂へと変化していった 。バッ シャール・アサド大統領を筆頭と するアラウィ派を中心とした体制 側は、自らのサバイバルをかけて 反体制側の徹底弾圧を実施した 。 その結果反体制派によれば、現在 一四万人を越える犠牲者が生まれ ている。 イランがヒズボッラーなどを通 じたアサド体制支援を強力に行う 一方で、サウジアラビアやカター ルなどのスンナ派の湾岸諸国は 、 武器などの供与を含め、スンナ派 を中心とする反体制派側への梃入 れに動いた。 シリア反体制派を代表している ジャルバ現議長もシリア北東部の ハサケの部族出身であり、サウジ アラビアの後ろ盾があって初めて 議長になったといわれている。 そもそも、イラク戦争後のイラ クにおいてマーリキ首相に代表さ れるダアワ党などのシーア派政党 主体の政権が誕生して以降、湾岸 諸国は地域におけるスンナ派と シーア派の力学が変化しつつある ことに 、 強い不安を抱くように なっていた。 その後 ﹁アラブの春﹂を経て 、 湾岸地域の東部、 イラク、 シリア、 レバノンというアラブの中心地域 における 、﹁シーア派の三日月﹂ が出現したことに対して、湾岸諸 国は一層の切迫感を覚えるに至っ たのである。 もっとも近年のイランと湾岸諸 国の対立は、宗派対立に基づくと いうよりは 、二〇〇二年以降に 、 イランの核開発問題が顕著になっ たことによるものが大きい。その 意味では、宗派対立はむしろ、現 実の力の対峙が生んだ結果にしか すぎないともいえる。 二〇〇八年以降サウジアラビア は、イランの核開発を阻止するた めに、イランへの軍事攻撃を支持 すると言及するようになった。サ ウジアラビアのアブドッラー国王 は、イランへの軍事攻撃を示唆し つつ、 ﹁蛇の頭を切り落とすべし﹂ とアメリカに要請するほどであっ た。 このようななかで、アラブの春 以降の動乱と時を同じくして、ペ ルシャ湾の安全通行をめぐりイラ ンと国際社会との間で緊張が一挙 に高まった。イスラエルによるイ ランに対する攻撃が取り沙汰され るようになったことを受けて、イ ランが、ペルシャ湾封鎖の可能性 に言及するようになったからであ る。こうして湾岸諸国は、内外双 方の憂患に苦しむことになった。 一方、昨年末以降、イランと P 5 + 1 の核交渉が進展し、とりわ け米イラン関係が﹁デタント﹂と もいえる改善をみせると、サウジ アラビアを中心とする湾岸諸国の 悩みは、 一層深まることとなった。 将来イランが核を保有するので あれば、場合によっては、サウジ アラビアがパキスタンと協力する ことによって、核開発を行うので はないかとの見方すらも、近年で はその信憑性を増している。 イランとの核交渉が一定の条件 で妥協したとしても、もしイラン が低レベルの核濃縮の権利を国際 社会から認められることになるな らば、サウジアラビアが同様の権 利を主張したとしても、何ら不思 議ではない。 また最近では、イランの核問題 をめぐって、同じような立場にお かれたイスラエルと、サウジアラ ビアとの接近の可能性について指 摘する意見すらも出てきている。 もっともこうしたサウジアラビ アとバーレーンに共通するイラン への厳しい姿勢は、必ずしもその 他の湾岸諸国に共有されているわ けではない。 ペルシャ湾の出口にあるホルム ズ海峡をイランと共有するオマー ンや、地質的には単一のガス田を イランと事実上共有しているカ タールが、イランとの関係に配慮 を払っていることに変わりはな く、この点で GCC は以前から一 枚岩ではないのである。
、 、﹁ アラブの春﹂の初 この点で今後、 るアメリカであることも、何ら変 わりのない事実である。 一九七一年にイギリスがこの地 域から撤退して以降今日に至るま で、米軍はアラブ首長国連邦には アル ・ ダ フラ空軍基地を、 クウェー トにはキャンプ ・アリフジャン 、 カタールにはアル・ウデイド空軍 基地を、またバーレーンには第五 艦隊を維持している。 一九九〇年以前には、湾岸諸国 は米軍が域内に恒常的に駐留する ことを選好しなかったが、湾岸戦 争後 、湾岸諸国の要請に応えて 、 米軍が地域内部に深く入り込んだ 形で安全保障を提供するというア レンジメントが次々に成立した 。 一九九一年にバーレーンと、一九 九二年にカタールと、一九九四年 にアラブ首長国連邦と防衛協力協 定がそれぞれ成立している。 また、アメリカの対外武器輸出 額でも、サウジアラビアは依然と して世界でトップを占めており 、 GCC 諸国は現在に至るまでアメ リカとの間で、一層緊密な軍事協 力を深めてきている。 アメリカは昨年秋以降、湾岸諸 国に対し、地域の脅威、とりわけ イランの脅威に関する地域の懸念 を共有しつつ、引き続き安全保障 を提供することを再確認してい る。 例えば、昨年一二月七日にバー レーンで行われた﹁マナーマ・ダ イアローグ﹂において、 チャック ・ ヘーゲル ・アメリカ国防長官は 、 この地域に対するアメリカの永続 的なコミットメントを明確にし 、 現在もアメリカは域内に四〇隻の 艦艇を恒常的に稼働させているこ とに加え、米海軍第五艦隊の強化 策に対して五億八〇〇〇万ドルの 費用をかけていること等を改めて 強調している。 本年三月二八日に行われた、サ ウジアラビアの首都リヤド郊外で のオバマ大統領とアブドゥッラー 国王との会談では、オバマ大統領 はサウジアラビアとの八〇年にわ たる強力な関係の重要性を改めて 強調したとされる。 ●湾岸地域の安全保障の行方 それでは、今後の湾岸地域の安 全保障をめぐる状況には、いかな る行方が待ち構えているのであろ うか。 第一に﹁アラブの春﹂がもたら した、若者を主体とする民主化運 動は、今後とも長期間にわたって 湾岸諸国のこれまでの古い秩序を 脅かすことになるだろう。この点 で湾岸アラブ地域で起こりつつあ る世代交代の影響は、特に注目に 値しよう。 同時に、新しい過激なイスラム 主義の台頭も、 この地域全体に ﹁ 力 の空白﹂が続く限り、当面その勢 いはけっして収まることがないだ ろう。 さらに、ムスリム同胞団などの イスラム主義組織に対するカター ルの支援は、 GCC の内部対立を 煽る火種となり続けるだろう。 第二に、地域で台頭するシーア 派に対する過激なスンナ派イスラ ム主義勢力による怨念は、今後も 増幅し続けよう。シーア派側は今 後守勢に立ちながらも、シリアや レバノンなどにおいてスンナ派の イスラム主義過激派に対し、一層 の攻勢を加えざるを得なくなるだ ろう。 もっともこうした宗派対立が 、 必ずしも既存の湾岸諸国の国家体 制を壊すほどに強まることもない であろう。また、シーア派の台頭 に対抗して、湾岸諸国が地域のス ンナ派の過激派に梃入れを行えば 行うほど 、国内テロという形で 、 その負の影響を湾岸諸国も受けざ るを得ないからである。
第三に、イランとサウジアラビ アとの対峙については、変化の兆 しが出てきている。イランにおい てはロウハニ政権が昨年八月に誕 生し、イランのサバイバルを目指 してこれまでの攻撃的な姿勢を修 正し、交渉を通じた核問題の解決 を図る方針を表明した。 このイランの政権交代と大きな 政策変化は、湾岸諸国との関係で も好ましい影響をもたらす可能性 を秘めている 。イランは実際に 、 湾岸諸国との関係を改善させよう と、ザリーフ・イラン外相を湾岸 諸国数カ国に派遣するとともに 、 本年三月にはロウハニ大統領自ら がオマーンを訪問している。 もっともイランとの核交渉はい まだ端緒についたばかりであり 、 本格的合意が成立するか否かは現 時点では不透明である。現在七月 二〇日までに最終合意をまとめる ための外交交渉が関係国で続けら れており、今しばらく状況を見極 める必要があろう。 今後イラン国内の保守派の動向 や、アメリカの中間選挙、あるい はイスラエルの政策如何によって は、核交渉が頓挫する可能性もあ る。その場合には改めて湾岸地域 に緊張が走る可能性も十分にあり 得るだろう。 第四に、サウジアラビアのアメ リカに対する不信感の増大にも拘 わらず、アメリカの中東湾岸地域 に対する安全保障上のコミットメ ントは、基本的には揺るがないだ ろう。 もっとも中長期的には、二〇三 〇年までにはアメリカがエネル ギー輸入依存体制から脱け出すこ とや、中国の台頭を見据え、アジ ア太平洋地域へのリバランスを打 ち出していることをふまえれば 、 中東湾岸諸国が将来の自らの安全 保障に不安を覚えるのも無理から ぬところがある。 万が一イランとの核交渉がまと まらず、イランによる核開発の継 続を改めて想定せざるをえないよ うな事態になれば︵核交渉がまと まったとしても、イランに対して 低レベルのウラン濃縮を許容する ことになれば︶ 、 こうした湾岸諸 国の懸念は再び増幅するに違いな い。 このような観点から、アメリカ においても湾岸地域の安全保障に 対するコミットメントを一層明確 にすべきであるとの意見も強くみ られるようになっている 。︵参考 文献③︶ また湾岸諸国は、アメリカ以外 の欧州およびアジア諸国との関係 も強化することで自らの安全保障 環境の補強を行いつつある。 さらに GCC は王制の存続のた めにも、自らの抑止力を向上させ るとともに、その求心力を将来的 に徐々に高めていかざるをえない だろう。 二〇一一年一二月にサウジアラ ビアのアブドッラー国王は 、 G CC を ﹁ 湾岸連合 ︵ Gulf Union ︶ ﹂ へと発展させるとの提案を行っ た。またヨルダンとモロッコを G CC の新しいメンバーとして迎え 入れる動きも、中東地域における 王制国家全体の存続を睨んだもの であろう。 最後に、湾岸諸国における民主 化の動きがこれ以上加速するなら ば、湾岸諸国の統治体制を一層脆 弱化させ、対外的な脅威を湾岸諸 国が徒に煽動する必要に迫られ 、 その結果として、地域全体を宗派 対立の一層の深みに陥れるリスク がある。 将来の湾岸地域の安全保障は 、 結局、湾岸諸国が﹁民主化﹂とい う時限爆弾に対して国内改革を漸 次進め、いかに軟着陸させるかと いう点に相当程度左右されるとい える。 この点で、湾岸諸国とりわけサ ウジアラビアにおいて 、エネル ギーの国内消費の割合が次第に高 まっている事実をふまえると、湾 岸諸国が国内改革を進めるための 時間的余裕は、残念ながらあまり ないのである。 ︵まつもと ふとし/世界平和研究 所主任研究員 、前外務省国際情報 官︶ ︽参考文献︾ ① T oby Matthiesen 2013. Sectarian Gulf:Bahrain, Saudi Arabia, and the Arab Spring That Wasn t, S tanford University Press. ② L awrence G. Potter ed. 2013. Sectarian Politics in the Persian Gulf Hurst. ③ F rederic Wehrey 2014. A New U.S. Approach to Gulf Security Carnegie Endowment for International Peace, Policy Outlook March 10. ︵本稿は筆者の個人的見解である︶ 宗派対立の深まりと中東湾岸の安全保障