は
じ
め
に
二 〇 一 二 年 七 月、 イ ン ド 北 東 部 ア ッ サ ム 州 西 部 に お い て、先住民族 * 1 ボドとベンガルに出自を持つムスリムの間で 暴力的な衝突が生じ、約一〇〇人が死亡、四〇万人が国内 避難民となった。暴力は断続的に二、三ヶ月続き、多くの 人が避難生活の長期化を余儀なくされた。また、この暴動 でムスリムがターゲットになったことで、ムンバイやハイ デラバードといったインドの他都市におけるムスリムによ るデモが過激化し、全インド的な注目を集めた。さらに、 仕返しとして北東部出身者が襲撃されるという噂が流れ、 ハイデラバードから北東部出身者が大量に脱出するという 事態を招き、 暴動の余波は地域を超えて広がった ( Unnithan and Kiran 2012: 22-24 ) 。 ア ッ サ ム 州 西 部 の ボ ド ラ ン ド 領 域 県 (ボ ド 領 域 自 治 評 議 会 の 管 轄 県) に お い て、 こ う し た 暴 力 が 発 生 す る の は 初 め てのことではない。一九八〇年代後半にボド民族 * 2 による自 治州獲得運動が始まって以来、運動に関係して多くのエス ニックな衝突が起きてきた。一九九〇年代には、ムスリム やアディヴァシ * 3 がボドの武装勢力や村人たちに襲われる事 件が起こり、報復として前者がボドを襲撃するなど、暴力 の連鎖が継続した。一九九〇年代には大規模な暴動が数回 発生し、数百人が犠牲となり、約五〇万人が国内避難民と なった。 大規模な衝突が収まったあとも、ムスリムやアディヴァ シに対する暴力は続き、多くの村人たちが村に帰還できな第Ⅰ部
暴力
が
壊す社会、
生
み
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暴力
の
連鎖
︱
二〇
一
二年
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ム
暴動
木村真希子
い状況が続いた。一〇年以上避難キャンプ暮らしを余儀な くされた人々も数万人に上る。二〇〇三年、第二次ボド協 定が締結された際には、避難民を再定住させることがイン ド 連 邦 政 府、 ア ッ サ ム 州 政 府、 ボ ド 解 放 の 虎 ( Bodo Liberation Tigers : B L T) (ボ ド の 民 族 組 織) の 間 で 合 意 された。しかし、関連条項が実施されることはなく、多く の村人たちが村に戻れないままである。 アッサム州西部における状況は、暴動が頻発し、政府や 警察がそれを抑えきれていないようにみえる。しかし、現 代 イ ン ド に お け る 集 合 的 暴 力 は、 「群 衆」 や「無 知 で 野 蛮 な人々」だけが起こすものではなく、政党や大規模な組織 が 関 与 す る こ と が 指 摘 さ れ て き た ( Brass 2003: 32-34 ) 。 そ の際、政府関係者が黙認したり、ときには煽ることもしば しばである。ボドランド地域における紛争でも、紛争後の この地域における政治のあり方や旧武装勢力の影響力が背 景に存在している。このように、紛争後社会において暴力 が再発する状況はボドランドに限らない。停戦後、政治的 交渉が実り、自治や独立など新たな政治的体制が発足して からも、暴力が継続したり再発したりする事例は世界各地 の 紛 争 後 社 会 で み ら れ る ( Human Security Centre 2006: 21 ) 。 本稿の目的は、インド政府が紛争解決の成功例と呼ぶボ ドランド領域自治県評議会地域を事例に、なぜこうした暴 力が再発するのかを考察することにある。大きく分けて、 ボド社会のなかで以下の二つのレベルの問題を考察する。 まず、暴力の発生を可能にするような政治、特に州レベル のインド国民会議派政権とボドの民族政党との関係と、紛 争後社会におけるボドランドにおいて、暴力を誘発し、ま た暴力に参加させる動機となる、ボドの人々の間の不安や 不満について考察する。 この地域の紛争は、エスニックな対立であり、特にボド の民族組織によるムスリムやアディヴァシによるエスノサ イ ド と い う 側 面 が あ る と 報 道 さ れ て き た ( Talukdar 2012: 7; Abdi 2012: 26-28 ) 。 ボ ド 以 外 の 民 族 を 地 域 か ら 追 い 出 す ことが目的であるという点で、非常に自民族中心主義的で 排他的な特徴の強い紛争であるという理解は間違いではな い。しかし、対立を「ボド民族対ムスリムもしくはアディ ヴァシ」と単純化し、ボド民族全体を批判することは、ボ ドの組織や政党のみならず、ボドの一般市民の間で反発を 生み、紛争の解決に新たな障害をもたらす。本稿で分析す るように、この地域のボドの人々がみな排外主義であり、 ムスリムやアディヴァシに対する嫌悪感を持っているわけ ではない。また、ムスリムを追い出すことによってすべて のボドの人々が利益を得るわけでもない。こうした状況を 分析する手掛かりとして、現地でのNGO関係者や官僚、 元政治家に対する聞き取りを中心としたフィールドワークを二次資料で補いつつ、暴力の発生するメカニズムの考察 を試みる。
Ⅰ
背景
︱
ボ ド ラ ン ド 運動 と 一九九〇年代 の 暴力 アッサム州において、州外からの移民 * 4 の流入と先住民族 の土地喪失の問題は植民地時代から継続する問題である。 イギリス植民地政府によるベンガル地域の農民の入植政策 により、先住民族の人々が住んでいた地域の多くは、ムス リム移民に払い下げられたり、占有されたりしていった。 ベンガル地域に隣接するアッサム州西部は移民が大量に流 入した地域の一つであり、多くのボドの人々はアッサム州 の他地域に移住していった。一九三〇年代にはこうした土 地喪失が社会問題となり、一九四〇年代にはアッサム地租 規則において、部族民保護地帯/地区が定められ、先住民 族の人々以外への土地の譲渡が禁じられた。しかし、この 規制は守られず、実際には広大な土地が移民やアッサム人 の手に渡ったり、開発によって先住民族以外の人々の手に 渡 っ て い っ た り し た (木 村 二 〇 一 二: 九 七 ― 九 八) 。 ボ ド の人々が自治権運動を始めた要因の一つには、部族民保護 地帯/地域においてアッサム州政府が土地権を保護できな かったことがある。独立後のアッサム州では、人口の約二 五%が移民であるムスリム、約一〇%が先住民族で占めら れ て い た。 ま た、 も う 一 つ の 主 な 移 民 集 団 で あ る ア デ ィ ヴァシについての正確な統計は存在しないが、州人口の約 一〇%を占めると推測されている。 アッサム州の平野部における先住民族の人々の自治権運 動 は、 一 九 六 七 年 に ア ッ サ ム 平 野 ト ラ イ ブ 評 議 会 ( Plains Tribal Council of Assam : P T C A) が ウ ダ ヤ ー チ ャ ル と いう名称の連邦直轄領を要求したことに始まる。一九六〇 年代にはアッサム州における言語運動の余波で、山岳地域 の先住民族が自治州や自治権を要求し、一九六七年にはガ ロ 丘 陵 と カ シ・ ジ ャ イ ン テ ィ ア 丘 陵 (現 在 の メ ガ ラ ヤ 州) の分離と州再編が決定された。こうした動きに触発され、 アッサム州の部族民保護地帯/地区に指定された地域を中 心に、独自の政治的単位として自治を求める運動が出てき たのである。PTCAは州議会選挙に候補者を立て、いく つ か の 議 席 を 得 て 州 政 治 に 影 響 を 及 ぼ し た が、 ウ ダ ヤ ー チ ャ ル 連 邦 直 轄 領 の 達 成 は 果 た せ な か っ た ( Narzary 2011:39-42 )(図1参照) 。 PTCAが当初の目的を達成できない一方、若い世代の ボドの学生運動家は「ボドランド州創設要求」を掲げ、ボ ド ラ ン ド 運 動 を 開 始 し た。 一 九 八 六 年、 全 ボ ド 学 生 連 合 (All Bodo Students
Union :ABSU) は分離州要求を含む 九二箇条の覚書を採択し、一九八七年に正式に運動を開始 した。ABSUは「アッサムを半々に」をスローガンに掲 げ、ストや大規模デモ、道路封鎖などに大衆を動員するこ とに成功した。運動指導者はインド連邦政府と幾度かの会 談を持つことに成功し、一九九三年にはインド連邦政府、 アッサム州政府とABSUとの間で、憲法の第六附則下の ボ ド 自 治 評 議 会 ( Bodo Autonomous Council : B A C) を 設けることに合意し、第一次ボドランド運動は収束を迎え る (
All Bodo Students
Union 1999: 6-9, 25-26, 32-33 ) 。 しかし、BACの創設直後、管轄領域をめぐる対立が勃 発する。政府はボド人の人口が五一%以上の村のみがBA Cの管轄領域に入ると定めたが、ボド人口が過半数を占め る村は多くないため、そのままではBACの管轄領域は飛 び飛びになってしまう。そのため、ボドの指導者たちはあ る区切られた地域がBAC地域となることを要求した。こ れに反して、政府が規定を満たす二五七〇の村のみがBA C管轄領域となると発表すると、BACの首席評議員は反 対の意を表明し、辞任した ( Chaudhuri 1994: 29-30, 35 ) 。 この直後に、ムスリムに対する暴力がアッサム州政府で 始まる。一九九三年一〇月、コクラジャル県とボンガイガ オン県において、ムスリムへの攻撃が始まった。ボドの武 装 勢 力 で あ る ボ ド 防 衛 部 隊 ( Bodo Security Force : B d S F) が、 ボ ド 以 外 の グ ル ー プ で 人 口 最 大 の ム ス リ ム を 追 い ブ ー タ ン バ ング ラ デ シュ カムループ ナガオン ゴアルパラ ダラン ウダヤーチャル領域 部族民地帯/地区 部族民サブ・プラン地域 国有林 茶 園 河 川 INDEX N 図1 ウダヤーチャルとして要求された地域
出し、BAC管轄領域を広げようとしたのではないかと指 摘されている。生存者の証言によれば、コクラジャル県と ボンガイガオン県の境界の国有林地帯に、武装した集団が 現 れ、 家 屋 に 火 を つ け て 発 砲 を 始 め た。 一 九 人 が 射 殺 さ れ、三万人が避難した。暴力は翌年には隣接するバルペタ 県に飛び火し、約一〇〇人の死者と七万人の避難民を出し た ( Chaudhuri 1994: 29 ) 。 一九九六年には、別の暴力的な攻撃がアディヴァシと呼 ばれる他州からの移民集団に対して行われた。この事件の きっかけは、ボドの少女三人が殺害されたことであり、犯 人がアディヴァシであると噂された。約一〇〇人が命を落 と し、 二 〇 万 人 が 国 内 避 難 民 と な っ た。 さ ら に 一 九 九 八 年、 避 難 民 た ち が 帰 還 し 始 め た 頃、 新 た な 暴 力 が 発 生 し た。このときには一部のアディヴァシも自衛のために武装 し、アディヴァシ・コブラ部隊などを結成して反撃した。 そ の 結 果、 ア デ ィ ヴ ァ シ だ け で は な く、 ボ ド や ネ パ ー ル 系、ムスリム、ラバの人々なども攻撃され、避難民の数は 三〇万人に達した ( Kimura 2013: 120 ) 。 多くの人々は自分たちの村に帰還できず、一〇年以上経 過しても避難状態に置かれているものも多い。筆者が二〇 一一年にフィールドワークを行った際には、未だに約五万 人が国内の避難民キャンプに住み、政府からの補助を受け ていた。その多くはムスリムとアディヴァシであった。多 くの人々は、元いた村に帰れば攻撃される可能性が高く、 そのため帰還できないと述べていた。一九九三年の暴力に 遭ったアムテカ地域出身のムスリムは、事件の後に一度村 に戻ったが、殺害や誘拐事件が続いたため、二、三年後に は 再 び 村 を 出 ざ る を 得 な か っ た と 述 べ て い る * 5 ( Kimura 2013: 120, 122-123 ) 。 また 、 避 難 民 の 多 く は国 有 林 地 域 に 許 可 な く 暮 ら し て い た 、 い わ ゆ る 「 不 法 居 住 者 」 で あ る 。 ア ッ サ ム 州 西 部 地 域 で は 、 ブ ー タ ン に 隣 接 す る北 部 の広 大 な 土 地 が 国 有 林 と し て 保 護 さ れ て い る 。 し か し 、 移 民 の 流 入 と 土 地 不 足 に よ り 、ボ ド や ア デ ィヴ ァ シ 、 ム スリ ム を 含 む 多 く の 人 々 は 、 森 林 を 開 拓 し 、 耕 作 をはじめ て 住 み 着 い て い た 。攻 撃 が 起 き た と き 、 警 察 の 保 護 の な い 、 こ う し た 森 林 地 帯 が 最 初 の タ ー ゲ ット と な っ た 。 ボ ド の 人 々 に と っ て 、 ブ ー タン に 隣 接 す る 森 林 地 帯 は か つ て Ka cha ri D ua r ( カ チ ャ リ ・ ゲー ト 、カ チャリ は ボ ド を 含 む 先 住 民 族 の 総 称 、 ド ゥ ア ー ル は 入 口 の 意 ) と 呼 ば れ 、 自 分 た ち の 伝 統 的 な 領 土 で あ る と み な し て い た ( Pe gu 20 04 : 64 ) 。 B A C の 管 轄 領 域 に 関 す る 論 争 が 起 きた と き 、 森 林 地 帯 に 不 法に居 住 する ボ ド以 外 の 集 団 は 「 侵 入 者 」 と み な さ れ 、 攻 撃 の 対 象 に な っ た の で あ る 。 攻撃が終わったあとも、森林地帯の「不法居住者」とみ なされた者に対して、行政は帰還や再定住をほとんど支援 しなかった。二〇〇三年にインド連邦政府とアッサム州政 府、ボド解放の虎が第二次ボド協定に合意し、ボド領域評 議 会 ( Bodo Territorial Council : B T C) が 設 立 さ れ た。 ボドランド領域自治県としてコクラジャル県、シラン県、 バクサ県、ウダルグリ県が再編され、評議会の管轄下に置 かれた。ボドランド領域自治県の人口構成は、ボド民族が 約三〇%、ムスリムが二〇~三〇%、残りがアディヴァシ やその他の先住民族、アッサム人、ベンガル系ヒンドゥー 住民と推計されている (図2参照) 。 第 二次 協 定 では 、 ア ッ サム 州 政 府 は B T C の サ ポー ト を 得 て 国 内 避 難 民 の 再 定 住 を 促 進 す る プ ロ グ ラ ム を 実 施 す る こ と に な っ て い た が 、 未 だ に 実 施 さ れ て い な い 。 一 部 の 人 々 は 自 力で 森 林 地 帯 に 戻 っ た が 、 環 境 森 林 局 の 追 い 出 し に 遭 う 人 々 も い る 。 住 民 のな か に は 、 B T C 結 成 後 、 環 境 森 林 局 が ボ ド を 追 い 出 さ ず 、 ア デ ィ ヴ ァ シ の み を タ ー ゲ ッ ト に す る と 訴 え る 者 も い た * 6 ( ID M C 2 01 1: 19 , A C H R 2 01 0: 9 -11) 。
Ⅱ
二〇一二年
ボ
ド
ラ
ン
ド
暴動
1
暴動
の
経緯
︱
二〇一二年五月∼七月 ボドランド地域のムスリムやアディヴァシの多くは、植 ブ ー タ ン INDEX 河 川 コクラジャル シラン バクサ ウダルグリ N 図2 ボド領域自治県民地時代にアッサムに移住してきた移民の子孫である。彼 らにとって、アッサム州政府とボド組織の間のBTC結成 に関する取り決めは、不公平なものと映った。合意後に設 置された四つのボドランド領域自治県の多くで、ボド民族 は多数派を構成しておらず、そのためボドが不当に優遇さ れていると感じた。近年では、非ボド民族保護フォーラム ( Non-Bodo Protection Forum ) が 結 成 さ れ、 B T C の 撤 廃 を 求 め る キ ャ ン ペ ー ン を 始 め て い る ( Choudhury 2012 ) 。 こうした状況のなかで、森林地帯におけるモスク建設計画 をめぐる争いが、大きな暴動の引き金となった。 事件のきっかけは、コクラジャル県ベドランマリ村にお いて、村人たちが国有林のなかにモスクを建設するため、 囲いの壁の建設を始めたことにある。これに対して、旧B LT福祉協会という元ボド武装勢力のグループが異議を申 し立てた。旧BLT福祉協会は、モスク建設予定地を含む 地域に商業植林のための許可を環境森林省から得たと主張 し、モスクの建設を阻止したのである。これをBTC管轄 下の環境森林局が追認し、モスクの建設を禁止して塀を取 り払った。これに反対し、主にムスリムで構成される全ボ ド ラ ン ド・ マ イ ノ リ テ ィ 学 生 連 合 ( All Bodoland Minority Students Union : A B M S U) が 二 〇 一 二 年 五 月 十 九 日 に ストを呼びかけた。しかし、ストはボドランド自治領域県 の 中 心 地 で あ る コ ク ラ ジ ャ ル 市 で は 実 施 さ れ ず、 こ れ に 憤ったABMSUの活動メンバーは、コクラジャル市に集 結し、ストの強行を実施した。いくつかの店舗や個人が狙 わ れ、 多 く の 自 動 車 が 焼 き 討 ち に あ っ た ( Narzary 2012: 27 ) 。 モスク建設計画に端を発した騒動はくすぶり続け、七月 に入ると小規模な事件が起き始めた。二人のムスリムの商 店主が射殺される事件が起きると、ABMSUと全アッサ ム・マイノリティ学生連合 ( All Assam Minority Students Union : A A M S U) が 再 び ス ト を 呼 び か け た。 ま た、 七 月十九日にはABMSUの活動家がコクラジャル市近くで 射殺されるという事件が起きた。同じ日に、今度は四人の ボドの若者が報復としてリンチされ、殺害されるという事 件が起き、ボド社会から大きな反発を招いた。七月二〇日 には、ボドの組織による対抗デモが実施されるが、そのさ なかにボドの村が襲撃され、家が焼き打ちに遭い、三人が 死亡する。この事件がボドとムスリムの間で大規模な衝突 を招き、襲撃と報復攻撃が交わされた。約八〇人から一〇 〇人が死亡し、数十万人が村を逃げ出した。 この地域で暴力が起きた時には、死者は一〇〇人から二 〇〇人にとどまる場合が多いが、避難民が数十万人規模に 達するのは異状である。今回は四〇万人が避難民になった と報道された。たとえば、暴力の被害が大きかった地域の 一つであるゴサイガオン郡では、約二〇万人から二五万人 の避難民が発生した。人々を収容するために四六のキャン プが設置されたが、多くの人々は隣接するデュブリ県に逃 れたという。事件から七ヶ月後の二〇一三年二月になって も、 一 部 の ム ス リ ム は 報 復 の 襲 撃 を 恐 れ、 村 に 戻 ら ず に キャンプに滞在していた * 7 。
2
暴力
の
政治的背景
︱
旧武装勢力 に よ る 力 の 支配 第二次ボド協定締結後、BLTは武装解除し、ABSU の 旧 学 生 指 導 者 と 協 力 し て ボ ド 人 民 革 新 戦 線 ( Bodo People s Progressive Front : B P P F) を 結 成 し、 選 挙 政 治に参画した。しかし、ボド領域評議会の第一回選挙が実 施された二〇〇五年にBPPFは分裂し、ABSUと旧B LT派に分裂した。旧BLT派はハグラマ・モヒラリを指 導 者 と し、 議 会 で 多 数 を 獲 得 し た (後 に 名 称 を ボ ド 人 民 戦 線〈B P F〉 と 改 称 す る) 。 B P F は 以 後 評 議 会 の 政 権 党 の座を維持している。また、州議会選挙にも出馬し、二〇 一一年には一二議席を獲得した。現在、BPFはインド国 民会議派と連立を組み、アッサム州政権に参加している。 二〇〇五年のBPPF分裂の際には、会議派が分裂に関与 し、ハグラマ派をバックアップして地域の政治に介入して いるのではないかと噂された。 BLTは武装解除し、解散を宣言したものの、旧BLT 兵士が未だに武器を携帯し、暴力を振るっているという批 判は絶えない。ムスリムやアディヴァシが一九九〇年代に 攻撃に遭った地域では、多くの者が武装したボドの勢力に 脅かされたため、帰還できないと訴えている。 ま た 、 選 挙 期 間 中 に 旧 武 装 勢 力が 暴 力 で 介 入 す る 事 例 も 多 く 報 告 さ れ て い る 。 二 〇 〇 九 年 の 下 院 議 会 選 挙 で は 、 B P F は 旧 B L T 兵 士 を 動 員 し た と 批 判 さ れ る と同 時 に 、 野 党 は も う 一 つ の 武 装 勢 力 で あ る ボ ド ラ ン ド 民 族 民 主 戦 線 ( Na tio na l D em ocra tic F ro nt o f B od ola nd: N D F B ) を 利 用 し た と 指 摘 さ れ て い る 。 ま た 、 旧 武 装 勢 力の 他 、 B P F は 若 者 を リ ク ル ー トし て民 兵 を 組 織 し て い る と い う 指 摘 も あ る 。 こ の よ う に 、 政 府 や 一 部 の 研 究 者 、 ジ ャ ー ナ リ ス ト は ボ ド ラ ン ド を 武 装 紛 争 解 決 の 成 功 例 と 呼 ぶ が 、 違 法 な 武 器 の 取 引 が 地 域 で は 広 範 囲 に 行 われ てお り 、 ま た B P F と い う 地 域 の 政 権 与 党 が 、 州 議 会 の 政 権 党 の暗 黙 の 了 解 に よ っ てこうした状態を利用しているということが指摘できる。Ⅲ
紛争﹁後﹂
の
ボ
ド
社会
1
紛争後
の
社会経済的変化
と
取
り
残
さ
れ
た
人々
暴力の要因となるのは、前項で述べたような政治的要因 の み で は な い。 こ の 地 域 で は、 ボ ド 領 域 評 議 会 の 設 立 以 後、政治的、経済的に成功したボドのエリートが出現して いる。BTCの委員や州議会の議員となって権力を手に入 いれた政治家の他、連邦政府拠出の開発資金によって経済 的な機会を手に入れた者も多い。第二次ボド協定では、連 邦政府が年間約一〇億ルピーの開発資金を五年にわたって 提供することが合意された。主な用途は道路建設、観光業 発展のためのインフラ、そしてスタジアムや病院建設など である。この他、農村開発にもいくらかの資金が分配され た。また、ガウハティ大学のコクラジャル・キャンパスは ボドランド大学に格上げされ、ほかにも看護学校などが建 設される予定である。 開発プロジェクトのための資金は、政治家や工事の請負 業者たちを潤し、ボド社会に政治的なエリートと中間層を 出現させた。しかし、こうした紛争後の社会経済的な開発 の恩恵を受けることのできたのは、一握りの指導者やビジ ネスマン、教育を受けた層の人々である。ボド社会の大多 数は未だに農民であり、こうした人々にとって状況はほと んど変わっていないか、むしろ後退している。特に、AB SUやBLTの運動に参加したものの、第二次ボド協定以 降ほとんど利益のない人々は、矛盾を感じている。 前節で、森林地帯におけるモスク建設に関するトラブル は、旧BLT福祉協会による異議申し立てから大きな問題 に発展したと指摘した。BLTの元指導者は、評議会首席 のハグラマ・モヒラリをはじめとして、一部の者が政治家 と な っ て 権 力 を 握 っ た。 し か し、 す べ て の 旧 B L T メ ン バーがこうした機会に恵まれたわけではなく、むしろ多く の元兵士たちは降伏後、失職した。武器をもらって政治家 のボディガードになったり、民兵集団を結成する者もいる が、こうした収入は安定したものではない。商業植林を始 めるというのは、このような状況のなかで旧BLTとのつ ながりを利用し、経済的な機会を手に入れようとする必死 の努力であると見ることができる。ボド領域自治県では、 森林は観光業や木材業の資源として重要視されている。し かし、広大な森林地の多くはすでに不法占拠されており、 多くのボドの住民は、自分たちが伝統的な領土とみなす森 林地帯に、ムスリムやアディヴァシなどのよそ者が住み着 い て い る こ と に 対 し て 憤 り を 感 じ て い る。 言 葉 を 変 え れ ば、モスク建設に関する揉めごとは、運動からほとんど何 も得るもののなかった元兵士たちによる、限られた資源を めぐる争いであり、自分たちの報酬を得るためにムスリム を排除しようという必死の努力であると言えるだろう。2
土地問題
と
ム
ス
リ
ム
へ
の
反感
こうした不満を抱いているのは、一部の元武装勢力だけ ではない。移民に対する不満、特にムスリムに対する敵対 心は、ボド社会に広い範囲で共有されている。第一次、第 二次ボドランド運動の際に、ABSUが大衆の支持を得た 要因の一つは、ボドの人々が長年土地問題に苦しんできた こと、また自分たちの土地でいつかムスリムに数の上でも 圧倒されてしまうのではないかという懸念があったためで ある。ボドランド州要求が実現されれば、移民問題を解決 するための十分な権限を自分たちの指導者の手に入れられ るのではないか、と期待したのだ。 しかし、第二次ボド協定とBTCの発足以降も、一般の ボドの人々にとって状況はあまり変わらなかった。BTC は、移民に奪われたと主張されていた土地を返還させるた めには、今のところ何も措置は取られていない。一方、人 口の増加により、ボドの農民たちの間で土地不足は深刻な 問題となっている。また、開発プロジェクトによって広大 な土地が必要とされ、立ち退きを迫られる農民も出始めて いる。こうしたボドの人々の間の不満は、少なくとも表面 上は自分たちのリーダーに対して向かうことはなく、むし ろムスリムにそうした不満が向かっている。 ボドの人々がムスリムに感じる脅威は、全く事実無根の ものではない。この地域における違法武器の蔓延と民兵の 組織化はボドに限ったことではなく、ムスリムの間にもボ ドの旧武装組織による暴力の蔓延を脅威に感じ、武装化す るグループが散見される。たとえば、二〇一二年暴動で最 も被害の大きかった地域の一つ、コクラジャル県ゴサイガ オ ン 郡 で は、 土 地 の 若 者 一 二 人 が ム ス リ ム 防 衛 の 虎 部 隊 (Muslim Protection Tiger Force
) という武装組織に参加し た。若者のなかでの指導者は、武装組織に参加した理由を 問われ、暴動に脅威を感じ、自分たちで身を守る必要性を 感じたと話した * 8 。二、三ヶ月後には解散したものの、こう した事例は武装勢力にとって、職のない農村部で若者をリ クルートすることの容易さを示しているだろう。言葉を変 えれば、現状に不満を持つ農村部の若者にとって、武器が 入手しやすい状況であるということも指摘できる。 こうした状況のなかでボドの人々も、ボド以外のグルー プ、 特 に ム ス リ ム の 間 の 反 動 的 な 運 動 に 脅 威 を 感 じ て い る。ボド領域自治県の多くの場所で、ムスリム人口はボド
お
わ
り
に
インドにおける集合的暴力に関する議論では、政党や大 規模な宗教/民族組織の関与が暴力の政治的背景を理解す る上では重要であると指摘されてきた。インドにおける大 規 模 な 暴 動 で は、 イ ン ド 人 民 党、 も し く は 国 民 会 議 派 と いった大規模な政党や政権党が、暴動の当事者に同情的で あり、時には直接力を貸し、暴力を予防するために法執行 機 関 (警 察 や 治 安 維 持 部 隊 な ど) を き ち ん と 効 果 的 に 利 用 してこなかった。二〇一二年のボドランド地域における暴 動では、BTCの与党であるBPFが違法な武器を所持す る集団に近い存在であり、強力な措置を取らなかったこと が明白である。州の政権党である会議派はBPFと連立を 組んでいるという事情もあり、両者とも暴力を未然に防ぐ ために十分な対策を講じたかについては疑問が残る。 しかしながら、暴力に参加するのはこうした違法な武器 を手に取る人々のみではない。何万人もの人々が影響を受 ける大規模な集合的暴力では、いわゆる普通の村人たちも 関与している。本稿では、ボドランドにおいて紛争後にボ ドの農民たちが経験した社会経済的変化を考察した。歴史 的に、ボドの農民は生計手段を奪う土地収奪に苦しんでき た。それに加え、紛争後には開発プロジェクトや、違法武 器の蔓延といった現象に苦しんできた。元BLT兵士の不 完全な武装解除やその他の要因によって引き起こされた暴 力の蔓延は、地域の政治に介入するため、こうした状況を 放置した州会議派政権の責任でもある。こうした状況の中 で、 ム ス リ ム だ け で は な く、 ボ ド の 村 人 た ち も 危 機 を 感 じ、反動的になっているのが現状である。 ボドランド地域における暴力が発生する状況を理解する ために、多くのジャーナリストや知識人はエスニックな暴 力 と 位 置 づ け、 あ た か も す べ て の ボ ド の 人 々 が 非 ボ ド の 人々を虐殺しているかのように形容してきた。しかしなが ら、本稿の分析からも分かるように、暴力ですべてのボド の人々が利益を得ているわけではなく、むしろそれによっ て苦しんでいる人々の方が多い。現在の暴力による政治で 利益を得ているのは、一部の政治家や、武装化した民兵た ちのみである。 本稿で依拠した現地調査では、暴動から六ヶ月というこ ともあり、一部のNGO関係者や官僚、ジャーナリストへ のインタビューにとどまり、被害者や加害者への聞き取り は限定的なものとなった。しかし、ボドランド地域で暴力 を克服し、平和を達成するためには、こうした暴力の背景 にある村人たちの状況を把握することが重要である。人々 の間に民族的な対立が広がっている状況のなかでも、対立 に匹敵し、その数は年々増加している。そのため、ボドの 人 々 は、 「い つ か 自 分 た ち の 故 郷 で ム ス リ ム が 数 を 上 回 る のでは」と恐れている。特に、ムスリム人口が多数である 南部のデュブリ県、ゴアルパラ県との県境地域で、その傾 向は顕著である。そして、多くのボドの人々は、自分たち こそが暴力による被害者であると感じている。ボドの若者 が中心となって発行している英語の季刊誌『ビブングティ ( Bibungthi ) 』 は、 二 〇 一 二 年 の 暴 動 は ム ス リ ム に よ っ て もたらされたものであると分析している。 「こ れ ら の 村 は、 デ ュ ブ リ 県 ビ ラ シ パ ラ 地 区 に 接 し、 地理的にバングラデシュや河川地域からたくさんの移 民 が や っ て く る た め (暴 力 に) 遭 い や す い。 移 民 は 森 林を破壊し、不法に居住するなど、森林地帯に住み着 いている。こうした移民たちはボドの人々に対して嫌 がらせをし、耐え切れないようなひどい振る舞いに及 ぶ者もある」 ( Bibungthi Team 2012: 18 原文英語、筆 者和訳) 。 ま た 、 移 民 に よ る 人 口 的 な 変 化 と 、 ボ ド の人 々 の 経 済 お よ び 文 化 的 な 従 属 的 状 態 が 、 暴 力 の 要 因 で あ る と し て い る 。 「土 地 や 雇 用 の な ど の 経 済 的 機 会 を 手 に 入 れ た ベ ン ガ ル系ムスリムの人々によって、土地の先住民族の人々 は文化的な従属状況に対する恐れを抱いているという のが単純明快な事実である。暴力的な暴動の直接的な 引き金は別にあるものの、今、私たちの眼前で繰り広 げられているのは、社会・経済的に、そして文化的に 自らの土地で生存をかけて戦う人々によるバックラッ シュである」 ( Bibungthi Team 2012: 18 原文英語、筆 者和訳) 。 こうした感情が一部の暴力的な人々や反動的な人々によ るものだけではなく、ボド社会の広い範囲に共有されてい る こ と に 注 意 す べ き だ ろ う。 『ビ ブ ン グ テ ィ』 は 英 語 で 教 育を受け、比較的リベラルな層の若者たちによって発行さ れている雑誌である。編集に携わる者の一部には、一九九 〇年代暴動や二〇一二年暴動のあとに、ボドの被害者だけ で な く、 ム ス リ ム や ア デ ィ ヴ ァ シ の 地 域 で も 救 援 活 動 を 行 っ た 者 も い る。 こ う し た 層 の 間 で も 広 く 共 感 さ れ る ほ ど、ボド社会のなかでのムスリムに対する反感は強い。こ のようなムスリムに対する根強い敵対心は、ふつうの村人 たちも参加するような大規模な暴動の前提条件を構成して いると言えるだろう。All Bodo Students Union ( 1999 )Why Separate State of
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( Septemer 13 Issue ): 22-28. を乗り越えようとする人々の活動も存在する。今後ますま す、こうした暴力の被害者や加害者へのより広範囲な調査 や、そこから得られた知見を紛争の予防に活用することが 必要とされている。 ◉注 *1 ア ッ サ ム 州 に 最 も 古 く か ら 居 住 し て い る の は、 ボ ド や ラ バ、 テ ィ ワ な ど 山 岳 地 に 起 源 を 有 す る 少 数 民 族 で あ る。 イ ギ リ ス の 植 民 地 化 以 降、 官 僚 や 文 化 人 類 学 者 は、 ヒ ン ド ゥ ー 教 や イ ス ラ ム 教 の 影 響 を あ ま り 受 け て い な い こ れ ら の い わ ゆ る 「未 開」 民 族 を、 部 族 民( tribe ) と 名 付 け、 イ ン ド 独 立 以 降 は 行 政 上「指 定 部 族( Scheduled Tribe )」 と 呼 ん で い る。 近 年 の 国 際 的 な 先 住 民 族 の 権 利 回 復 運 動 の な か で、 北 東 部 の 一 部 の 少 数 民 族 も 自 ら を 先 住 民 族 と 定 義 し、 「部 族 民」 と い う 呼 称 を 差 別 的 で あ る と し て 忌 避 す る 傾 向 も み ら れ る。 こ う し た傾向を鑑み、 本稿ではこれらの集団をさす呼称として、 「先 住 民 族」 を 使 用 す る。 た だ し、 法 行 政 上 の 呼 称 と し て tribe が使われている場合には、部族民を訳語としてあてる。 *2 ア ッ サ ム 州 の 平 野 部 で は、 山 岳 地 に 起 源 を も つ 先 住 民 族 全 般 を Kachari (カ チ ャ リ、 現 地 語 読 み で は コ サ リ) と 呼 ん だ。 ま た、 テ ィ ワ や ラ バ、 ソ ノ ワ ル を 含 む 平 野 部 の 先 住 民 族 を B0d0-Kachari と 呼 び、 個 々 の 先 住 民 族 集 団 の 上 位 概 念 と し て 位 置 付 け る こ と も あ っ た。 実 際、 植 民 地 時 代 か ら 一 九 七 〇 年 代 ま で、 ボ ド の 人 々 も 他 の 先 住 民 族 集 団 と と も に 団 体 を つ く っ た り、 政 治 的 要 求 を 行 っ て き た。 ボ ド と い う 集 団 の 民 族 性 を 前 面 に 押 し 出 し、 政 治 的 要 求 を 掲 げ る 団 体 が 出 て く る のは一九八〇年代後半以降である。 *3 ヒ ン デ ィ ー 語 で「先 住 民」 を 意 味 す る 言 葉 だ が、 ア ッ サ ム 州 で は、 チ ョ ー タ ナ ー グ プ ル 地 域 か ら ア ッ サ ム に 移 住 し た サンタル、オラオン、ムンダなどの先住民族集団を指す。 *4 ア ッ サ ム で は、 植 民 地 時 代 以 降、 他 の 州 や 行 政 単 位 か ら 移住してきた人々を「移民」と呼ぶ。 *5 ボ ン ガ イ ガ オ ン 県 ハ パ サ ラ 難 民 キ ャ ン プ の 指 導 者 と の イ ンタビュー(二〇一一年三月五日) 。 *6 コ ク ラ ジ ャ ル 県 ル ン シ ュ ン 森 林 地 域 の 村 人 と の グ ル ー プ・インタビュー(二〇一二年三月四日) 。 *7 ア ッ サ ム 州 コ ク ラ ジ ャ ル 県 ゴ サ イ ガ オ ン 郡 長 官 ビ ノ ド・ セシャンとのインタビュー(二〇一三年二月二八日) 。 *8 元 ム ス リ ム 防 衛 の 虎 部 隊 ゴ サ イ ガ オ ン 地 区 指 揮 官 ハ ビ ジ ェ ル・ ラ フ マ ン と の イ ン タ ビ ュ ー(二 〇 一 三 年 二 月 二 八 日) 。 ◉参考文献 木村真希子(二〇一二) 「先住民族の土地喪失と移民との紛争」 『フ ー ド・ セ キ ュ リ テ ィ と 紛 争( GLOCOL ブ ッ ク レ ッ ト 〇 七) 』 大 阪 グ ロ ー バ ル コ ラ ボ レ ー シ ョ ン セ ン タ ー、 九 五 ― 一 〇七頁。 Abdi, S. N. M. ( 2012 )The 50-50 Shot, Outlook ( September 3 ) : 26-28. ACHR ( Asian Centre for Human Rights )( 2010 )Indian Human Rights Report Quarterly, Issue-2 ( October-December 2010 ),
◉ 著者紹介 ◉ ①氏名…… 木村真希子 (きむら・まきこ) 。 ②所属・職名…… 津田塾大学学芸学部国際関係学科・准教授。 ③生年・出身地…… 一九七四年、横浜。 ④専門分野・地域…… 国際社会学・南アジア研究。 ⑤ 学 歴 …… 慶 應 義 塾 大 学 法 学 部、 慶 應 義 塾 大 学 社 会 学 研 究 科 修 士課程 ・ 博士課程単位取得退学、ジャワーハルラール ・ ネルー 大学社会科学部 Ph.D. 。 ⑥ 職 歴 …… 日 本 学 術 振 興 会 特 別 研 究 員( 東 京 大 学 東 洋 文 化 研 究 所 所属、 二九 ~ 三二歳) 、明治学院大学国際平和研究所助手 (三三 ~ 三 六 歳 )、 立 教 大 学、 学 習 院 大 学、 明 治 学 院 大 学 等 非 常 勤 講師 (三七 ~ 三八歳) 。 ⑦ 現 地 滞 在 経 験 …… イ ン ド・ デ リ ー( 二 六 歳 か ら 四 年 間、 首 都 デ リ ー の ジ ャ ワ ー ハ ル ラ ー ル・ ネ ル ー 大 学 の 博 士 課 程 学 生 )、 イ ン ド・ ア ッ サ ム 州( 二 九 歳 か ら 三 年 間 の 学 振 特 別 研 究 員 時 代 に 年 四 ヶ 月 ほ ど )、 そ の 後 は イ ン ド 北 東 部 に て 年 一 ~ 二 ヶ 月ほど現地調査を継続。 ⑧ 研 究 手 法 …… 最 初 に イ ン ド の ア ッ サ ム 州 で 暴 動 に 関 す る イ ン タ ビ ュ ー 調 査 を 行 っ て 以 来、 イ ン タ ビ ュ ー で 得 た 人 々 の 語 り を 中 心 に 論 文 を 執 筆 し て い る。 特 に 農 村 部 や 辺 境 で の 調 査 は、 予 想 を い い 意 味 で 裏 切 る 現 実 を 知 る こ と が で き、 い つ も わくわくする。 ⑨ 所 属 学 会 …… 日 本 南 ア ジ ア 学 会、 日 本 平 和 学 会、 国 際 政 治 学 会、日本社会学会、アジア政経学会等。 ⑩ 研 究 上 の 画 期 …… 二 〇 〇 一 年 九 月 一 一 日 の 同 時 多 発 テ ロ 事 件 と、 そ れ に 続 く い わ ゆ る「 対 テ ロ 戦 争」 。 私 の 研 究 対 象 地 域 で あ る イ ン ド 北 東 部 の 多 く の 民 族 組 織 も「 テ ロ 組 織」 と さ れ、 今 まで以上に厳しい取り締まりの対象になった。 ⑪ 推 薦 図 書 …… ジ ェ ー ム ス ・ C ・ ス コ ッ ト『 ゾ ミ ア