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連結会計導入思考とその発展(∬)
一連結会計促進諸要因の分析を中心として一面 木
實 R U.S.スティール社の実務的導入思考 { U.S.スティール社の設立背景と財務政策 ここでは,会社財務報告の発展と深い係りあいをもつUeS。スティール社 が,いかなる理由で,その設立当初から連結財務諸表を作成・公表したのかを 考察するのであるが,それに先立って,当社の本質的な性格を理解するため に,一体当社がどのような社会・経済的な背景から誕生したものであるのかに ついて概観しておく必要があると思われるので,以下この点について若干考察 してみることにする。 (1)U.S.スティール社設立の経済的背景 1890年代までは,鉄鋼業部門では企業集中の傾向は,それほど顕著ではなか ったが,1890年代になると事情が一変し,経営規模の拡大化と企業結合による 産業合同の激増化がみられた。それでも,1890年代の前半では,一般には鉄鉱 山の所有関係が著しく分散し,各企業も特殊な生産過程を担当していたので, 1) まだ個別企業が並存し競争するのが原躍であった。 1)小原敬士,前掲書,77一・8頁参照。なお,U. S.スティール社の設立については, 多くの参考文献があるので,ここでは主として小原敬士,前掲書と井上忠勝『アメリ ヵ経営史』(神戸大学経済経営研究所,昭和36年)第7章,259−97頁によっている。そ の他の主要参考文献としては,佐合紘一「U・S・スチール会社の独占体制と財務政策 (1>」『経営研究』31巻3号(1980年9月),85−105頁,Abraham Berglund, The United States Steel (]or♪oration,1907, pp.63−77, Eliot Jones, oP. eit., pp.186−230 等を 参照した。34 彦根論叢第214号 ところが,1898年には,鉄鉱業部門も企業結合運動の波に巻込まれ,1900年 までの間に競争の制限,一貫作業の増進,発起人による証券市場利益の獲得を の 目的とした多くの企業結合が成立した。特に,1893−7年の深刻な不況によ り,製鋼業者相互間の競争を激化させ,利潤の低下をもたらしたので,競争を 3)緩和し価格を維持するために,各種の企業結合が形成されたのである。 しかし,実際には企業結合後においても,完全な一貫作業方式の採用によっ て,他の鉄鉱業者から完全に独立することにより,むしろ競争は激化さえした のである。それでも,全体的にみた場合には,企業結合は,原料・半製品の供 給により市場を確保していた原材料供給グループとこのような供給された原材 料の加工により利潤を挙げていた製品製造グループとがあって,いわば相互依 リ コ の 存関係にあったQ ところが,丁度1900年に鉄鉱業の不振を契機に,製品製造グループが製品原 価の引下げを図るため,一貫作業による原料自給計画を図ったため,原材料供 ら 給グループでも加工品,完製品の製造に乗出す計画を図ったのである。この競 争激化によって鉄鋼価格が下落し,企業収益が低下すれば,株式の価格も低下 しその売買利益の機会もなくなってしまう。そこで,新しい企業結合によって 競争を軽減し,株価を騰貴させ,莫大な発起利得を得ようとして,鉄鋼業資本 の斜影で設立されたものが,U. S.スティール社なのである。 こうして,1901年2月25日に,カーネギー製鋼会社(Carnegie Steel Co.) を始めフェデラル製鋼会社(Federal Stee1 Co.),ナショナル製鋼会社(National Steel Co.)の大手製鋼会社3社とアメリカ錫引鉄板会社(American Tin Plate Co・)・アメリカ製鋼鉄線会社(American Stee1&Wire Co.),ナショナル鋼 管会社(National Tube Co.),アメリカ鋼管会社(American Stee1 Hoop Co.), 2),3)同上,84一一・5頁参照。井上忠勝,前掲書,265一 8頁参照。 4) 小原敬士,前掲書,85−6頁参照。井上忠勝,前掲書,271一・2頁参照。 5) 小原敬士,前掲書,86頁参照。井上忠勝,前掲書,272頁参照。 E.Jones, op. cit., p. 200;A. Berglund, oP. cit., pp. 64−5. 6)小原敬士,前掲書,87−9頁参照。井上忠勝,前掲書,280一 1頁参照。
連結会計導入思考とその発展(9) 35 アメリカ鋼板会社(American Sheet Steel Co,)などの大手ユーザーの株式を 取得することを目的とする純粋持株会社として,US,スティール社が設立さ れ,同年4月!日に定款の改正によって,その公示資本が11億ドルに増加され た。その後間もなく,アメリカ橋梁会社(American Bridge Co.),シューペリ オル湖合同鉄鉱会社(Lake Superior Consolidated lron Mines),ベッセマー汽 船会社(Bessemer Steamship Co.),シェルビー鋼管会社(Shelby Steel Tube アラ Co.)などを買収し,米国史上最大の独占企業が成立したのである。 ② U.S.スティール書面立時の財務政策 U.S.スティーール社設立財務政策については,会社局による詳細な調査報告 り ゆ の の り り り リ ロ 書がある。それによると,(!)会社設立時に水増し証券財務政策が行われ,(2)水 り の り り り り り の 増し資本に対応して,有形資産特に鉱石の過大評価が行われている。換言すれ ば,競争廃止による利潤率の回復と独占利潤獲得による利潤率の飛躍的な上昇 が期待できたため,その証券価格への反映として,当社の証券市場価格は出発 ユの 点から構成会社の合計額を大きく凌駕することが期待できた。従って,企業の 設立当初から企業そのものを擬制資本化し,有形資産の現実価値を凌駕した ロ リ り り ほ エ 名目資本の創出を可能にしたのである。 このような資本化政策は,企業結合による独占高利潤を評価・還元して名目 資本額を決定しているので,かかる証券擬制資本の配分構造は,期待独占高利 潤に対する麦配権を示唆するものと考えられる。そこで,創出証券の配分構造 をみると,カーネギー製鋼会社,証券引受団体(モルガン等の金融業者),シ ュペリオル湖統合鉱山会社(資本系列的にはロックフェラー・グループ)の3 者に重点的セこ配分されているため,必ずしも金融業者(モルガン商会)によっ 7)小原敬士,前掲書,89頁参照。 8) Report of the Commissioner of CorPorations on the Steel lndustry, Part 1, 1911, pp. 37−8, pp. 240. g) lbid., pp. 36, pp. 234. 10) fbid., p. 210. 11)佐合紘一,前掲稿,100頁参照。
36 彦根論叢第214号 ユの て独占されたとはいえないようである。 それでは,このような資本化政策により創出された証券擬制資本は,一体ど のようにして消化・吸収されたのであろうか。U. S.スティール社の場合,そ の圧倒的大部分は構成会社との証券交換により旧株主に吸収されており,証券 引受団体が証券の販売によって実際に調達した現金は,2,500万ドルにすぎな かったのである。これができたのは,企業結合の繰返しの過程で株主層の分解 ユヨ が進んでいて,この大結合によって更に分解が進展したからであった。という のは,証券交換という形態をとった会社内部での証券擬制資本の吸収も,実は 第3者への売却可能性,つまり社会経済的な意味での消化・吸収を前提として 初めて実行可能になったからである。そして,会社設立時点で,この2つの過 程を媒介・結合させる役割を果したのが,モルガン商会によって結成された証 ユの 券引受団体(syndicate)であった。 勿論,この時期には既にモルガソ商会は,国内の各種金融機関との結合関係 を強化し,鉄道社債への投資を急増させていた。しかし,投資銀行自身の資金 量は,まだそれほど大きくなかったので,コール資金によって発行業務を行っ ユの ていた。ところが,この資金は,基本的には全く短期的な性格のものであった 12) 同上,101頁参照。 13) 同上,102頁参照。南北戦争後の蓄積構造が1890年頃には一応終結し,1893年恐慌 による鉄道業の崩壊によって,鉄道証券への投資が回避され,更に,1893年からの不 況過程での弱小資本の整理・倒産と98年からの大規模な企業結合運動とによって資本 家層の階層分解が急激に進んだ。このような条件の下で,一般大衆投資家による工業 会社証券への投資は急増し,1890年代における工業会社証券の流通市場の急激な拡 大・膨張として現われたのである。なお,米国の工業証券市場の詳細については, T.R. Navin and M. V, Sears, oP. eit., pp.105−38を参照されたい。 14)モルガン商会は,資本化政策の実行主体であると同時に引受保証人でもあった。っ まり,創出された証券擬i制資本が消化・吸収されなかった場合には,自らが買取らね ばならなかった。しかし,そうした引受保証によって,却って旧株主との証券交換が 円滑に進んだのである(Arundel Cotter, United States Steel,1921, p.32.)。 15) 投資銀行と商業銀行との実質的な資金的結合関係については,佐合紘一「アメリカ の投資銀行と商業銀行」『経営研究』114号(1971年7月),123−8頁を参照されたい。
連結会計導入思考とその発展(∬) 37 16) ため,証券の長期保有には適さなかった。そこで,できるだけ短期間に大衆投 資家へ証券を売却し,資本負担を転嫁せねばならなかったが,同時に将来の高 利潤への支配権を確保しておく必要があった。そのために,将来の高利潤を資 本還元し,証券の配分を介して高利潤への支配権を貫徹するという財務政策が 17) 採用されたのではなかろうか。 ⑧ U.S.スティーール社設立直後の財務政策 U.S.スティール社は,設立1年後の1902年4月に,次のような優先株の償 還と社債の追加発行計画を発表した。すなわち,(!>社債2億5,000万ドル発行す るが,そのうち2億ドルは優先株の償還のために額面等価で交換し,5,000万 ドルは現金で販売する。(2)優先株主は額面の50%まで社債転換権を有するが, 応募額の20%は現金による。(3)優先柱主は株式額面の40%まで額面額で換金で きる。(4)証券引受団体は,社債2,000万ドルの現金販売と赤鼠株8,000万ドルの 社債転換とを保証する。(5)証券引受団体は,全発行社債の額面の4%の手数料 18) を受取り,モルガン商会はその20%を取得するという内容のものであった。 U.S.スティール社は,この転換計画の目的として,(1)設備役資のための資 金調達と(2)優先株配当(7%)累積条項付と社債利子(5%)との差額の節約 を挙げているが,設立直後にこうした資本構成の再編成を行った動機は,一体 16) 当時の投資銀行は,このような短期性資金に基づいて,企業設立時に株式を額面で 買取り,一定期間後に,利潤率の上昇を反映した上昇価格で大衆投資家に転売して株 式プレミアムを獲得するという本来の発行業務を行うだけの余裕はなかったのであ る。 17)佐合紘一,前掲稿(『経営研究』31巻3号),!03頁参照。U. Sスティール社は,シ ュペリオル忌地:方の3大鉱山会社の支配と鉱石の輸送手段(船舶と鉄道)に対する支 配とによって,同地方の鉄鉱石をほぼ独占的に支配していた。このような鉄鉱石生産 の独占によって.鉄鉱石の価格は上昇し,部外者との生産コストの格差も拡大できた のである。このような意味で,鉱石の独占が,U・S・スティール社の独占体倒の土台 でありJ企業結合による収益力上昇・期待の重要な根拠となったのである。従って, 鉄鉱石が水増し評価の主な対象とされたのも.実はそうした独占体制の構造的な特質 の反映であったと理解できよう(同上,104頁参照)。 18)Re♪ortげ伽Commissioner…, pp.348−9.なお, Reportのp.400−5には,証 券引受団体契約の全:文が掲載されている。
38 彦根論叢第214号 なにであったのであろうか。1902年には1億2,200万ドルの純利益があり,3 年間で6,200万ドルもの剰余金が計上されている事実から判断すれば,これが 19) 転換の真実な動機であったとは考えられない。そこで,よく指摘されているよ うに,証券引受団体による金融的利得の獲得がその真の動機であったとも考え ヨの コ られるが,それでは何故にその後に水増し資本からの水抜き政策が実行された 21) のであろうか。 思うに,1900年前後の米国では,大規模な企業結合運動が展開されて,巨大 な産業株式会社が多数形成されたが,その多くは既存企業の証券と新設会社 (持株会社)の証券とを直接交換する形で行われた。従って,既述したよう に,この段階では工業証券は資金調達の手段としてよりも,支配集中のための 手段として機能したと言える。そこで,このような企業結合によって工業証券 の大量発行が行われた上に,企業結合と証券交換の促進のための水増し証券政 策によって,その発行量は一段と増大された。 ところが,このような大量の工業証券は,既にみたように,被結合会社の旧 証券所有者と企業結合過程に介入した金融業者(投資銀行)によって取得され た。しかし,実体的価値をもたない:水増し株式を含んだ大量の工業会社証券 ヨ う は,株式市場を圧迫し,市場崩壊への潜在的な脅威となっていたので,彼らは これを株式市場で第3者に売却することが著しく困難であった。従って,金融 資産(株式)の形で受取った利得を現金化しえず,しかもその価値が崩壊する 恐れがあったのであるから,資金の性格(短期性)に制約されて,長期的な株 式保有のできなかった米国の投資銀行にとっては,特に重大な問題であった。 他方,20世紀に入ってから,米国の工業証券市場は質的・構造的に変化しつ 19)A.Berglund, op. cit., p,121;W. Z. Ripley, Trusts, Pools and Corporations,2nd ed.,1916, pp.316−7.佐合紘一「U. S.スチール会社の独占体制と財務政策(3)」『経 営研究』32巻2号(1981年7月),111頁参照。 20)W.Z. Ripley, op. cit., pp.317−9.同上,111−2頁参照。 21) このような水増し資本からの水抜き政策の詳細については,佐合紘一,前掲稿(32 巻2号),!02−110頁を参照されたい。 22) RePort of the Commi∬ioner… , p.357. 23)佐合紘一,前掲稿(32巻2号),113頁参照。
連結会計導入思考とその発展(皿) 39 つあった。第1に,株主数が急増したが,これは中小株主の増大と市場での大 ヨ 衆投資家の増加を意味した。第2に,生命保険会社,商業銀行等の機関投資家 の資金量の増加にともなって,証券投資の量も増大したが,そこでは価値の安 定した証券が投資対象として選好された。つまり,証券市場では保守的な性格 の投資資金が急激に増大しつつあったのである。 そこで,優先株と社債の交換による資本構成の再編成は,このような工業証 券の市場における構造変化に対応した財務政策であったと考えることができる あう のである。換、言すれぽ,社債は機関投資家等の保守的な投資家によっても保有 されたため,優先株の償還のために発行された社債の消化は比較的容易であっ たと考えられる。従って,かかる市場からの優先株の引上げによって,過大な 株式発行による株式市場への圧迫は緩和され,株式市場での流動性の回復も促 進されるであろう。その結果,構成会社の旧株主と金融業者によって取得され た株式価格崩壊の危険性は低下し,株式の第3者への売却による現金化の困難 性も緩和されたであろう。つまり,旧証券藤有者と金融業者から機関投資家と ラ 大衆投資家への資本負担の転嫁が促進されたのである。 U.S.スティール社設立後10年間にとられた利益の内部留保による水増し資 本からの水抜き政策は,株式に有形資産による実体的価値の裏付けを与え,株 式の価値安定化を促進した。また,優先株の社債への転換も,単なる資本構成 の変更ではなく,むしろ市場からの株式引上げによる株式市場圧迫要因の除去 を狙いとしていた。このような意味で,いずれも,工業証券市場の構造変化に の コ コ コ 対応して,株式市場での流動性の維持・回復を促進するための財務政策であっ わ たと解されるのではなかろうか。 24) H. T. Warshow, “The Distribution of Corporate Ownership in the United States”, The Qztarterly Journal of Econo”zics, XXXIX, 1925, p. 38. 25)佐合紘一,前掲稿(32巻2回目,113頁参照。 26) RePort of the Commissioner… , pp. 357−8. 27) この転換計画の目的は,一般には証券引受団体による金融的利得の獲得にあったと されているが,ここでは工業証券市場の構造変化に対応した財務政策であったと考え. たい。佐合紘一教授もこのような立場をとられているので参考にさせて頂いた。記し て感謝の意を表する次第である。
40 彦根論叢 第214号 2 U.S.スティール社による連結表の採用と評価 既にみたように,U. S.スティール社は米国史上最大の企業結合を達成して 誕生した会社であるが,その最初の年次報告書は連結財務諸表を含んでいたた め,これに倣って他の会社もこれを採用するようになった主要な原因であった 28) 29) として,米国会社報告史上の画期的事件としてよく記述されている。しかし, その当時は,既述したように,まだ財務情報を公開することさえ怠っていた会 社が多かったので,連結財務諸表の採用には殆んど注目されず,むしろこのよ うな米国の代表的な主要企業が自発的にその営業成績と財政状態に関する財務 報告書を作成・公表したという事実こそが注目されたのである。しかも,その 報告書の詳細性が,初期の米国会社史上,比類ないものであったため,メィに よれば,この1902年の報告書は,その投資に関する相当量の情報を株主に与え サ サ の ロ ロ コ コ う る義務を認識するに至ったものとして受止められている。 ところで,この1902年の報告書の中の若干の革新性に関する功績は,英国で 教育・訓練された会計士で,プライス・ウォーターハウス会計事務所の米国支 社の代表社員でもあったディッキソソソによるものとされている。つまり, r米国におけるプライス・ウォーターハウス会計事務所』の著者であるデモン ドは,ディッキソソンの役割を次のように説明している。すなわち,株主に提 出される計算書は親会社単独のものでなければならず,また,子会社の営業成 績は親会社に対して支払った子会社の利息と配当とを限度として含められたも のでなければならないと主張する会社の弁護士や銀行家の見解があったにも拘 2s) G. R. Webster, “Consolidated Accounts”, CZ−he JournaJ of Accountanay, Oct. 1919, pp.256−72;M. Moonitz, The Entity:Theory o/Consolidated Statements(Amer− ican Accounting Association,1944), p.7.しかし,チャイルズは,連結報告を行っ た他の5社の事例と共にU.S・スティール社の報告書を取上げているにすぎない(W. H. Childs, op. cit., p. 44・). 29) G. O. May, “lmprovement in Financial Accounts”, Dickinson Lecterres in Ac− counting (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1943), p. 12. 30) Jbid.
連結会計導入思考とその発展(豆) 41 らず,ディッキンソンは,連結計算書のみが株主に彼らの会社の状態に関する 適切な情報を提供するものであると確信していた,とディッキンソンを連結財 31)務諸表採用の提唱者として記述している。 ところが,これに対して,ディッキソソンが連結財務諸表の使用を勧めた責 3Z) 任者であったことを疑問とする若干の根拠があると主張する見解もある。まず 第1に,U. S.スティール社の設立以後ずっと,その会社は「思慮ある広報計 33) 画」と呼ばれるものを実行してきたが,それは四半期報告書の公表で連結基準 で作成されていた。従って,プライス・ウォーターハウス会計事務所の米国支 社も,このような報告書の作成に係っていたかもしれない。というのは,U. S、 スティール社の構成会社の1つであるアメリカ製鋼鉄線会社の設立以前に,そ の会計事務所は既にモルガソ(」.P. Morgan)のために活動していたからであ 34) る。しかし,ディッキンソン自身は,1901年まで米国にぱ渡来していなかった 35) し,更に,プライス・ウォーターハウス会計事務所も,1902年2月の第1回株 36) 主総会まで,U. S.スティール社の監査人には選任されていなかったのである。 第2に,1902年2月の第1回株主総会では,僅か9か月間の営業活動しか含 31) C. W. De Mond, op. cit., p, 60. 32) R. G. Walker, oP. czt., p. 142, 33) C. W. De Mond, op. cit., p. 60 ; J. D. Edwards, History of Pubgie Accounting in ihe United States (East Lansing: Bureau of Business and Economic Research, Michigan State University, !960), p. 77. 34) J. D. Edwards, op. cit., p. 77 35) M. Murphy, “Arthur Lowes Dickinson: Pioneer in American Proffessional Accountancジ, BzsZletin of the Business FJistorical Societツ (1ater Business H謡ory Reviezv), April 1947, p・ 28. 36)U.S.スティール社は,役員ないし取締役によるのではなく,株主によって監査 人を選任したという英国的方式を採用した最初の重要な米国工業会社であった(De Mond, op. cit., p.59.)。プライス・ウォーターハウス会計事務所は,もともとJones, Caesar&Cαと共同で米国で営業を行っていた英国会社の名称であった。従って, メイによれば,プライス・ウォーターハウス会計事務所の名前でU.S.スティール 社の監査人として米国の事務所が選任されたことは,全く驚くべき事柄であったと述 べられている(P.Grady(ed.), op. cit., pp.26−7.)p
42 彦根論叢 第214号 んでいないU.S.スティーール社の最初の未監査年次報告書が使用されたが, この1901年の営業活動に関する報告書もやはり連結様式のものであった。しか し,非常に賞賛された1902年の報告書は,U. S.スティール社の最初の完全な 年次報告書であり,数か月経過せねば使用できなかったのである。そこで,こ れらの諸事情を考慮すれば,連結財務諸表を作成した主導権は,U. S.スティ ール社の取締役ないし幹部社員から出てきたのかもしれないと思われるのであ 37) る。 1902年2月の報告書tlこは,1901年11月30日現在の「要約一般貸借対照表」 (condensed general balance sheet)が含まれていたが,これについて取締役 の報告では,次のような説明がなされている。すなわち,この貸借対照表は, 単純化のために,ある会社の資産が他の会社の負債であるけれども,このよう な合計額としての会社間における負債を省略することを除いては,当社の株式 と子会社の社外発行済株式とによって表わされる資産と負債を表示している, 38) と会計処理の方針や手続について概説されている。また,そこでは,貸借対照 表が12月31日でなくて11月30日現在となっているのは,最初の株主総会開催の 日までに,報告書作成に要する日数が十分になかったためであるという取締役 お う の説明もなされている。 そこで,r商業金融年報』の論説では,この年次報告書の出現は,その会社 自身の設立とその組織体制と同じくらい重要であると賞賛し,次のように述べ 37) R. G. Walker, oP. cit., pp. 141−3. 38) “The United States Steel Report”, The Commercial and Finaneial Chroniele, 1 Feb. 1902, pp. 272−4. 39)lbid.そこで,1902年1月10日号最初の年次株主総会で提示された報告書の説明と して,『商業金融年報』では,われわれは,この国の全ての産業会社が模範とすべぎ 一つの特徴に注意を喚起したい。われわれが強調したいことは,全くの偏見なしにそ の報告書を読むことがでぎるということである。すなわち,U. Sスティール社はな んの秘密も持っていなかった。各株主1こは,経営者が会社資産について知っているこ とは,全て明らかにされている。こうした大衆の開放的で誠意ある取扱い方は,U. S. スティール社の証券をより秘密主義の方針をとっている他の多くの産業会社のものよ り遙かに高金な投資とするものであると述べられた(lbid., p.230.)。
連結会計導入思考とその発展(E) 43 ている。すなわち,明瞭かつ完全な情報伝達の方法や正直な方針説明という点 においては,その説明書は他の産業会社が投資家ないしは一般大衆の好意を集 めようとするならば,従わねばならないであろうとわれわれが確信しているよ うな会社報告の一つの基準を設定している,と報告書の明瞭性,完全性,真実 なの 性などについて推奨している。 しかし,連結財務諸表の採用については,ほんの僅かしか触れていなかっ た。われわれの観点からすれば,貸借対照表が連結されていたことこそ,記述 すべき特記事項であったにも拘らず,実際にぱ,その構成会社の株式の99画面 が新会社の証券と交換されたという完全な連結(complete consOliaiation)であ 窪τ) つたということが,むしろ注目すべき特色であったのである。つまり,当時と しては,これは投資銀行家としてのモルガンに与えられた普遍的な信頼性に対 する立派な証拠として考えられたからこそ重要なのであって,連結報告書の採 用という会計的な意味での重要性は全く無視されてしまったのである。 3 U.S.スティール社による連結表公開の動機 以上のように,会計的な意義が全く認められなかった時代に,U. S.スティ ール社はなぜ持株会社だけの報告書でなくて,連結財務諸表を作成・公表した のであろうか。この問題に対して,考えられる説明として次の2つがあるよう に思われる。その1つは,連結財務諸表がまさにその会社の諸事情を描写する ためのごく自然な方法であるように思われたということである。つまり,当時 の米国では,企業結合は,子会社の新設や営業譲渡などによらず,典型的にて っとり早い既存企業の株式取得によって達成されたため,その構成会社が以前 にそれぞれの財務諸表を作成していた場合には,企業結合後においても,それ らの会社の損益計算書を合算することは,非常にわかり易い手続であると考 えられたからである。また,そうすることによってのみ,経営者やその他の利 害関係者は,新会社の経営成績を以前(企業結合の各構成会社の以前の経営成 40) lbid., p. 233. 41) R. G, Walker, o.b. cit., p. 143.
44 彦柔艮論叢 第214号 るの 績を合算したもの)と比較し,評価することができたからである。 周知のように,U. S.スティール社の場合には,発起入の計画は広く世間に 知れ渡っていたので,この企業結合の成功の見込についても広範な関心が寄せ られていた。従って,この企業結合が完了する以前に,早くも構成会社の利益 ヨ を合算するように促された経済評論家もいたようである。そこで,このような 連結数値による財務報告は,まさに,その結合会社の収益性に関する報告書を 求める投資家や一般大衆の要求に応えるための適切な方法であったといえるの ではなかろうか。 他の一つは,従来からの慣例的な報告様式よりも連結報告の方が,ヨリ良好 な経営成績と財政状態とを公開することが可能であるように考えられたという ことである。つまり,既にみたように,U. S.スティール社の利害関係者は, その会社の将来性に関する早期の報告書を提出することを望んでいた理由が若 干あったように思われるからである。その理由の第1として,U.S.スティー ル社は純粋持株会社として設立され,その株式を大衆に売り渡す計画をもった 証券引受団体によって,その子会社株式の取得資金を調達したので,その資金 の性格上ヨリ良好な経営成績を早期に公開して,できるだけ早期に有利な条件 の で大量の株式を販売する意図のあったことは理解できるところであろう。つ まり,既にみたように,U. S.スティール社の当初の株価は組織的な支持によ 45) って高値で安定していたが,その後1901年7月に,持株の換金に努めた証券引 受団体は,優先株と普通株に対する驚くべき最初の配当宣言によって助けられ 42) lbid., p. 144. 43) E. S. Meade, “The Genesis of the United States Steel Corporation”, 2uarterlN Journal of Eeonomics, 1901, pJ 528. 44)U.S,ステイ ・一ル社が最初に吸収した8社の株式取得に当っては,証券引受団体が 2. 800万ドルの現金支出をしたが,そのうちの2,500万ドルは運転資金として新会社に 引渡した。その代りに,この支出と引受業務に対して,証券引受団体は合計1, 229, 975 株の株式(その半分は優先株で,残りの半分は普通株で)を受取った(RePOrt of the Commissioner… , p. 244.). 45) Sobel, oP. cit., pp. 162−3. 46) The Commercial and Financial Chronicle, 6 July 1901, p. 2.
連結会計導入思考とその発展(皿) 45 るのたことは確かであり,僅か8か月後には運転資本として引渡した現金2,500万 47) 49) ドルを回収して,1902年には更に利益の分配にもあずかっていたのである。 しかし,U.S.スティール社が最初の連結財務諸表を公開した時点では,証 券引受団体の構成員がまだ証券の換金を完了していなかったことは明らかであ る。従って,もし証券引受団体が株価の操作や早期の配当宜言を取極めていた のであれ1窯当然,会社の諸事晴を魅力あるように描写するような財務諸表を 公開するように取極めることもできたように思われるからである。このような 場合,従来の原価法に基づく配当による収益認識の方法よりも連結損益計算書 による方が,ヨリ高い利益を報告できたであろう。しかし,既にみたように, 当時の報告実務では持分法の適用も可能であったと考えられるので,この説明 からでは,持分法よりも連結財務諸表を選択したことの十分な説明にはならな いであろうQ そこで,第2に考えられる理由としては,1900年頃は,既にみたように,企 業結合運動に対する政治的反対の強い時期であったため,当然,新しく設立さ れた近代的トラストであるU.S.スティール社も,その独占的地位により一 般大衆に不利益を及ぼすのではないかと懸念されていたことである。これに対 して,企業結合は米国資本主義ないし自由経済企業のごく自然な発展形態であ って,むしろ経営能率を向上させる手段として望ましいとさえ主張する反論も できた。このような背景から,史上最大の企業結合の経営者としては,当該企 の ゆ の り り 業が規模の経済性(economies of scale)に結びつき得ること,従って,その 証明として良好な業績を公開したかったことも理解できるところである。 しかし,いずれにしても,このようなトラストに対しては,その利益に関す る報告・説明をさせようとする動きは厳然としてあったのであって,1900年に 47) Jbid., 30 Nov. 190!, p. !167. 48) 『商業金融年報』によれば,1902年10月に1,000万ドルの利益分配を行ったと報じ られており(loc.α‘.,40ct.1902, p.736),1902年の最:終利益は9,050万ドルにも達 したとされている(ReS)ort of ihe Commissio7zer…, p。224)。 4g) E. S. Meade, “Capitalization of the United States Corporation”, Quarterly Journal of Economics, 1902, pp・ 2, 4 & 5.
46 彦根論叢 ac 214号 産業委員会(lndustria1 Commission)は,議会に対して次のような勧告を行っ ている。すなわち,トラストのような巨大会社は,損益および資産・負債の詳 細を合理的に表示した適正に監査された報告書を毎年公表するように要求され るべきである。また,その報告書と監査は,必ず政府の検査に従うべきであ る。このような公開の目的は,過剰利益となった場合に競争を促進して異常に 高い価格から消費者を保護し,雇用されている事業の財政状態を知らせること ロ の ロ ロ らの によって従業員の利益を守ることにある,と一般大衆の利益を保護するための 一つの救済策として巨大企業の財務公開が要求されたのである。 そこで,U. S.スティール社の採用した膨大な財務資料の公開政策は,まさ にこの勧告で示された公開思考に一致するものであった。というのは,U. S.ス ティール社は純粋持株会社であったから,いかに投資勘定の金額や説明が付さ れたとしても,持株会社の貸借対照表だけの公表では,当時の巨大結合企業に 求められた会計報告責任の要求を十分に満たすことはできなかったであろうか らである。さりとて,息子会社の財務報告書をも補足的に公表してみたとして も,当時の子会社の財務諸表は各社まちまちであったため,却って混乱をもた らせる原因となったであろう。そこで,1890年代には,既に議決権トラストが らの 結合財務諸表(combined statements)を作成していたので,これに倣って, これらの難問を解決する手段として連結財務諸表が利用されたのではなかろう か。勿論この報告書の公表によって,U・S・スティール社が経済的に効率の よい企業として一般大衆の眼に写るならぽ,ヨリー層,連結財務諸表の利用価 値はあったものといえるのではなかろうか。 第3として,既にみたように,U・S.スティール社は,設立後まもなく運転 資金を追加する必要性に気づき,最初の連結貸借対照表を公表してまもない 1902年5月19日に,資金調達に関する複雑な計画を株主に提示した。すなわ ち,企業結合以前における構成会社の負債に対する支出が約1,500万ドル必要 so) iDreliminary RePort of the lndustrial Commission on Trusts and lndustrial Co幼伽彦伽(Washington,1900), p.6. sl) R. G. Walker, oP. cit., p. 148.
連結会計導入思考とその発展(ff) 47 であることが明らかとなり,それとは別の購入資金として1,000万ドルが必要 であるとされた。また,大会社の収益力を1年に1,000万ドルも増加させる設 備投資のための支出は望ましいと考えられ,事業の拡張や準備金の強化を図る ために,流動資金に1,000−1,500万ドルを追加することは賢明であると考えら らお れた。 また,既にみたように,U. S.スティール社の貸借対照表には,多くの無形 資産や過大評価資産が含まれていて,その資本金の多くが水増しされていた ことも明白になっている。つまり,U. S.スティール社の発行証券は,実質約 44,000万ドルだけその構成会社から取得した証券価値を超過していたのであ 視そ・で,U.・S.ステ、一・社の層塔様式の選撫・際しては,社債の発行計 画に先立って,実質的な資産担保能力があるという印象を与えておく必要性を 意識していたであろうと推測することもできるであろう。つまり,多くの棚卸 資産,工場設備,不動産等を具体的に列挙した連結貸借対照表を公表すれば, 単に非上場証券の保有高を表示していたにすぎない純粋持株会社の貸借対照表 によるよりも遙かに会社の堅実性を高め,同時に巨大会社に対する会計責任の 要求にも応えられたであろう。従って,膨大な水増しがあったことから,むし ろ実体的な資産を印象づけるために,起債に先立って連結報告様式が採用され たと考えるのが合理的ではなかろうか。 52) A. Cotter, eP. cit., p. 48. 53) W.T。 HGgan, ECOnomic紐吻ry of tノ}e IrOn and Steel IndZtstry in theびnited States (Lexington, Mass・ D. C. Hearth & Co. 1971) Vol. 1, p. 476. U.S.スティール社の資本は過大資本化されているとみられ,会社局により,次のよ うな方法で調査された。第1は被合併会社の資本を調査する歴史的方法であったが, これによると6億7. 600万ドルであった。第2は構成諸会社の株式を時価で評価す る方法であったが,これによれば7億9,300万ドルであった。第3はUS.ステイ ール社の物的資産を評価する方法であったが,これによれば6億8,200万ドルであっ た。これに対して,優先株SIO, 20”o,743ドル,普通株508,227,394ドル,資本金合計額 1,018,433,!37ドルであった(Jdem, M, H. Robinson,‘‘The Distribution of Securities in the Formation of the United States Steel Corporation”.Political Science 9uarterly, 1915, pp. 277−300.).
48 彦根論叢 第214号 結合財務諸表は,1890年代に議決権トラストについて既に作成されていたの であるから,U. S.スティール社の場合,持株会社とその子会社について結合 財務諸表が採用されたとしても,それはこれらの法的関係を無視した経済的実 体の認識という意識的な決定の結果ではなくて,むしろ単なる状況判断による 結果として,連結報告が採用されたにすぎないといっても差支えないのではな かろうかQ V ディッキンソンによる理論的導入思考 ディッキソソンやプライス・ウォーターハウス会計事務所が,U. S.スティ ール社に連結報告の採用を勧めた責任があったかどうかに拘らず,彼らは確か にかかる計算書類の公表には係りがあり,事実,ディッキンソンは,間もなく 全ての持株会社が連結財務諸表を作成・公表するように勧めている。ディッキ ンソソは,1904一 6年の間に3つの論文を発表したが,これらに共通したテ・・一」 マは,会計士が利用者に誤解を招かない財務諸表を保証すべきである,という 趣旨のものであった。 まず,最初の論文は,1904年9月28日(大会第3日目)に,セントルイスで開 うの催された国際会計士会議で報告された「会社の利益」と題するものであったが, それは広範囲にわたる諸問題を取扱っていて,連結損益計算書や子会社取得前 利益についても論及していた。第2番目の論文は,1905年3月8日に,ニュー・ ヨーク大学で行われた講演で,後日,英国の会計専門誌に掲載された「株式会 らら 社会計における若干の特殊問題点」と題するもので,持株会社会計や連結財務 諸表については,やや詳細に論じられたが,やはり広範囲にわたる問題を取上 げていた。第3番目の論文は,1906年4,月に,米国の会計専門誌の第1巻に掲 うの 載された「持株会社会計に関する諸問題についての覚書」と題するもので,論 s4) A. L. Dickinson, “The Profit of a Corporation”, oP. cit., pp. 171一一9!. 55) A.LDickinson,“Some Special Points in Corporation Accounting”, The Aひ countant, Oct. 7, 1905, pp. 402−!0. s6) A. L. Dickinson, “Notes on Some Problems Relating to the Accounts of Holding Companies]’, oP. cit., pp. 487−91.
連結会計導入思考とその発展(豆) 49 題からも明らかなように,持株会社会計ないしは連結財務諸表に関する問題に 焦点を絞ったものであった。以下,これらについて,いま少し詳しく考察して みることにしよう。 1 1904年国際会計士会議での報告 ディッキンソンによれば,最近,数年の闘に,多数の子会社を支配する持株 会社の計算書に,いろいろと考慮せねばならない必要性が生じてきているとい う。つまり,法律上では,持株会社の利益は,当該会社自身の利益とそれが所 有する子会社株式に基づく受取配当とである。かかる損益計算書は,持株会社 の取締役によって,支配ないし経営されていない会社の株主持分を表わすので あれば,法的観点からのみならず,会計的観点からでも,適正な計算書であろ う。しかし,最近では,企業の絶対的な買収によるよりも,むしろ株式支配に よる多数の企業を連結する実務が好まれて増加してきており,その結果,持株 会粒は通常,類似事業を営む多数の会社の株式の全部ないし大部分を所有し て,当該子会社の取締役を任命し,当該会社の経営方針をも指示して,持株会 社があたかも財産の全部を絶対的に所有しているかのように,あらゆる面で一 57) 般的に行動している。 このような状況の下では,配当雑言の有無に拘らず,会社グループ全体の損 益を一つの損益計算書で示さなければ,正当であるとは考えられない。という のは,持株会社は,その子会社の配当を分配することによって,事実ではな く,彼ら自身の希望に従って,自らの利益を操作することができるからである。 更に,グループ内のある会社の損失に対しては引当金の設定を全く怠っておき ながらも,利益を計上している子会社に対しては多額の配当を序言させること により,グループ全体の利益を極めて過大表示することさえも持株会社の取締 らの 役の権限となっているからである。以上のように,ディッキンソンは,持株会 社の利益操作あるいは利益の過大表示の可能性を背景として,会社グループ全 体の損益を一つの連結損益計算書で適正に表示しようと提唱したのである。し 57) A. L. Dickinson, “The Profit ef a Corporation”, oP. cit., p. 189. s8) lbid., p. 189−90.
50 彦根論叢 第214号 かし,このような連結損益計算書の作成を会社に法的に要求できるかどうか は,勿論,当時と.しては大きな問題であった。 そこで,ディッキンソンは,まず子会社の損益を計上する論拠として,資産 の合理的な評価基準を援用するのである。つまり,ある会社に対する投資価値 は,特定の日においてどのような状態であったにせよ,他の条件が等しけれ ば,その後の価値はその間に生じた損益の額だけ増減しているに違いない。更 に,たとえ2時点間における他の条件が等しくなく,かつその間の損益を全く 考慮に入れないとしても,そこには投資における相当な増価ないし減価があ り,その増減額は,疑いもなく稼得された利益かあるいは蒙った損失によって それぞれ増減しているに違いない。このような場合,資産価値の変化はどの程 度のものであっても,部分的には投資の所有目的に従う事業活動の結果による ものであると考えられる。従って,営業活動による損益は全て損益計算上算入 されねばならないが,資本的資産の再評価による損益はこれを算入すべきでは ない,という当時の一般原則に従えば,子会社の経営による損益を投資価値へ 直接増減するか,あるいは引当金の設定によって考慮するかを行わなければ, 持株会社の損益計算書は正しくないことが,法的にも会計的にも. x持されえよ ラ う。このように,子会社利益を計上する論拠を,事業活動の結果による価値の 増減と考える事業活動説に求めたのである。 次の問題は,このような損益計算書に含めなければならない構成会社の決定 基準であるが,これは部分的には所有株式の割合あるいは持株会社の行使しう る支配の程度によると示唆されている。しかし,ディッキンソンによれば,持 株会社が少くとも株式の過半数を所有し,その経営方針を指示し,かつ,利益 分配にあずかる少数株主権にのみ従って,事実上その財産を自己のもののよう に取扱っているような場合には,所有株式に応じた損益の割合を要求すること のできる条件があると,持株率基準と支配力基準の両者を満足することを連結 の必要条件と考えている。従って,このような経営や管理による有効な支配 59)一61) lbid., p. lgO.
連結会計導入思考とその発展(皿) 5! (effective control)を伴わない株式の単な:る過半数所有は,その他の投資と 同じ原則に従って取扱われることになる。 第3は,連結日以前に稼得された連結子会社利益の適切な会計処理に関する 問題である。会社は,それが存在する前に,利益を直面することは不可能であ る。従って,取得日以前に稼得された利益を計上している会社を買収した場合 には,このような利益は,全部が購入価格から控除され利益の増加ないし配当 可能利益として取扱われるべきではないという当時の一般的な原則がある。こ のことは,このような利益が購入した流動資産の一部を形成しているので,こ れを実現化した場合には,一部の購入資金,すなわち資本金の単なる返還とな ることを想起すれば,ヨリー層明白となる。従って,同様な理由により,持株 会社が数社の株式を購入した場合には,購入日までに発生していた被買収会社 の利益は,すべて,持株会社では支払価格から控除されなければならないこと 62) になる。 子会社は,法的にはこのような利益に基づいて配当を甘言することができる が,これを持株会社が受取った場合には,このような配当は,購入した株式の 価値に含まれていた若干の資産を持株会社へ振替えたにすぎないことになる。 従って,このような利益から持株会社の株主に支払われた配当は,明らかに資 本からの支払いとなるのである。このような場合に留意すべきことは,購入の 契約日が購入日として考えられるべきであって,完了日ではないということで ある。従って,購入会社が契約日に存在している二合には,決定された価格は その日現在の諸条件に関連をもっているので,当該会社ぱ,その契約日以後の 子会社利益をすべて自己の利益として取扱うことができるものと考えられる。 これに対して,持株会社が契約日に存在していない場合には,利益を稼得する ことは論理的に不可能であるから,持株会社の設立日あるいは資産の購入日の うちのいずれか遅い日以降に稼得された子会社利益を配当として分配すること ができるにすぎないことになる。 このように,ディッキンソンは,持株会社だけでなく,持株会社のグループ 62), 63) Jbid., p.191.
52 彦根論叢第214号 全体を観察しなければ,親子関係を利用して利益操作あるいは利益の過大表示 が行われても,これを見破ることはできないと主張した。また,持株会社の設 立日以前あるいは資産の購入日以前に稼得されていた子会社利益は,会計理論 的に配当として分配することは適当ではないと,当時の誤った会計実務に対し ても強く反論したのである。 2 1905年ニュー・ヨーク大学での講演 ディッキンソンによれば,適切に維持された帳簿記録から作成された貸借対 照表は,会社の真実な財政状態を表示するものと一般に考えられてきたが,最 近の株式所有による会社支配制度の発展により,かかる貸借対照表は,もはや このような目的に役立たなくなっているという。そこで,まず少い割合の株式 投資と事実上全株を所有して,経営の絶対的支配を行っている投資とをいま明 確に区別することが重要となった,と投資目的の区別を明確にする必要性を説 き,次のような事例を掲げている。 いま,A社はB社の株式全部を所有していて,両者はともに類似事業(similar business)を営んでいるものとする。このような場合, A社の株主は,恐らく このような事実については知っているかもしれないが,B社の真実な状態を確 認する手段をもっていないのである。例えば,B社を支配しているA社が収益 性のない事業を全てB社に押しつけて,その結果,A社の勘定では多額の利益 を計上する反面,B社の勘定ではそれに応じた多額の損失を計上することにな る。このような場合でも,A社はその貸借対照表上にこの投資を他の資本的資 産と合算して取得原価のままで計上することになる,とその論理的矛盾を指摘 の した。また,B社はその流動資産を大きく超過するような借入金をA社から受 け入れた場合に,これを建設資金に充当したり,あるいは営業活動で消失して しまったりさえするかもしれない。しかし,A社の貸借対照表では,この同じ 貸付金が即時回収可能な流動資産(current assets recoverable on demand)と して計上されるかもしれないのである。これと非常に類似した事件が,当時, 既に12年前に鉄道会社で多数発生したことを指摘する必要がある,と切実な実 64)一67) A.LDickinson,“Some Special Points…”, Op cit., p.409。
連結会計導入思考とその発展(皿) 53 65) 際問題として取上げている。 このような場合には,通常の貸借対照表では,却って誤解を招くという欠陥 があるので,ディッキンソンによれば,株式所有による支配によって相互に関 連のある会社の体制は,事実上,やはり単一の企業(one undertaking)である という常識的な事実を認識し,法的技術を払拭して,持株会社の状態は,これ らの子会社ではなくて,一般大衆との関連で表示されなければならないと,単 ラ ー組織体の基本思考を示唆しているのである。従って,連結貸借対照表は,外 部に対するグループ全体の真実な状態を表わし,それは一社の貸借対照表では なくて,各社の他社に対する相互関係を全部消去した後の状態を表わす貸借対 照表であると説明している。そこで,グループ内の一社の他社に対する貸付 金,他社に所有されている一社の株式,他社の費用である一社の収益などはす べて消去されなければならなくなる。また,このような相殺・消去に当って は,他社の帳簿上の株価がその額面価額を超過ないし不足する金額は,最終的 な貸借対照表では暖簾資産の増減を表わすものとなり,連結貸借対照表では資 本的資産は全社の有形資産合計額(土地,建物,工場,機械等)と暖簾の項目 とから構成されることになる。同様に,資本・負債は大衆の掌中にある全社の 株式・社債を表わし,会社相互間で所有されているものは全て消去されること おアラ になる,と具体的に連結手続を詳述している。 連結損益計算書も同じ原則で作成されなけれぽならないので,他社への販売 による利益は消去されて,外部の大衆との売買だけが含まれて,この外部へ引 渡されたものだけが利益と考えられることになるのである。ディッキンソンに よれば,全体の組織は同一所有者の下にある一連の別個の工場であるにすぎな いと考えて,小さい工場を有する会社に適用される会計原則が,多数の子会社 の全株を所有する大会社に適用されて,結果的にはこれらの各工場を所有し経 営するグループの全社に適用されることになるのであると,その思考過程を説 明している。 68) Jbid., p. 410.
54 彦根論叢 第214号 このような基準に従って,正確に損益計算書を作成することは,実務上困難 な問題であって,恐らくこれらの諸条件が全て試みられたことはないであろう ことは容易に想像できるが,損益計算書に関する限り,この原則を無視するこ とは,総収益と総原価とを膨張させることを意味するにすぎないのである。そ こで,ディッキンソンは,棚卸資産の評価が,その製造工程におけるどの会社 においても利益を計上せずに実際原価で行われた場合には,この問題は解決さ アの れることになると実務上簡単に採用できる方法を例示している。 最後に,会社の名称やその明瞭な財政状態を表示しないで,単に他社への投 資と表示しているにすぎないような貸借対照表は,疑いをもって見つめられる べきであり,たとえ各社の貸借対照表が全部揃えられていた場合でも,それら が全て一つに結合されて会社間持分(inter−company interests)が消去される までは,グループ全体の真実な財政状態を示すことは不可能であると主張し 71) た。 3 1906年米国会計專門誌での提唱 連結しようとする企業の実際の財産でなく,各種の財産を所有している会社 の株式を購入する持株会社の設立という方法によって,よく連結が実行されて いるが,そのために,現在,大衆にも会計:専門職の多数の会員にも,必ずしも 充分に認識されていない非常に重要な原則上の疑問が惹起させられている。 第1の問題は,企業結合時における受入資産(特に現金)の利益性ないしは 配当可能性に関するものである。当時,持株会社を設立する場合,一般にそ の契約書には,売渡人は株式ないしは財産の引渡し以外に運転資本(working capita1)として多少の現金も提供する旨を約した条項が含まれていた。そして, 法律の専門家は,この運転資本を新設会社の利益と考え,また,当時の権威者 でさえも,持株会社に他の利益がない場合には,それを資本金に対する配当と 69) この点から考えて,U. S.スティール社の連結損益計算書も,これほど詳細な連結 基準が適用されていなかったようである。 70), 71) A. L, Dickinson, “Some Special Points・一・”, oP. cit., p. 410. 72)例えば,U. S.スティール社の場合には,既述したように2,5QO万ドルであった。
連結会計導入思考とその発展(皿) 55 73) して使用できると主張していた。しかし,これに対して,ディヅキンソンは, 利益を商品の売買取引からのみ生ずるものと考えるので,持株会社が取得日以 降に発生した子会社利益からしか利益を得ることはできないし,従って配当も アの 宜喧し得ないと主張した。つまり,その運転資本は,元来,彼ら自身の資金で あるから,決して利益などというものではなく,従って,それの配当は当該財 マら 産の取得価額の減少として考えねばならないと説明しているのである。 第2の問額は,株式取得時における子会社剰余金の利益性ないしは配当可能 性に関するものである。ディッキソソγによれば,持株会社が累積劇余金をも っている子会社の株式を取得した場合,かかる株式はその取得日における子会 マの 社の純資産額を表わすものであると主張する。つまり,かかる場合には,当 該株式に支払われた対価は,その時現在における企業価値を考慮して,暖簾 (goodwill)を含めた純資産に等しいという仮定が存在しているものであると 説明する。従って,子会社が取得日現在において存在している資産から配当を 宜呈することは,明らかに持株会社にとっては購入資産の一部を返還すること であり,換言すれば,購入資金の一部返還であると説く。そこで,法律家の反 対意見にも拘らず,持株会社は,取得時における子会社の累積剰余金を利益の 一部処分と考えて配当すべきではなく,むしろ株式の購入原価の減少として取 ア ラ 扱わねばならないと主張したのである。 第3の問題は,持株会社の貸借対照表に関する適正表示の分析・検討に関す るものである。ディッキンソンによれば,単に他社株式の相当数を所有してい る会社と実際に他社の営業を支配して相当数の株式を所有している会社とは, 本質的に異なる。つまり,後者の場合は,(1)子会社の取締役が必らず持株会社 の劇画名人(nominees)であり,(2)全ての子会社が個別会社の法的虚構(legal fiction)を無視して,持株会社組織の必要部分(integral parts)として実際上 アの管理されているというところに,その本質的な相違が認められるという。 かかる意味において,全社が同一の取締役会の下で支配されているのである 73)一75) A. L. Dickinson, “Notes on Some Problems…”, op. ctt., p. 487, 76)一79) lbid., p. 488.
56 彦根論叢 第214号 から,グループ内にある会社に対しては無担保で融資することも可能となる。 しかし,かかる融資は持株会社の帳簿上では流動資産(貸付金)として取扱わ れているのに対して,子会社の貸借対照表上では,資本的支出ないしは欠損に さえも当てられている可能性もあるので,実際には有用な資産では決してない のである。また,持株会社の貸借対照表上では,持株会社の財産保全のために 子会社が外部者から借入れた多額の債務も,同じく負債としては計上されない であろうと,ディッキンソンは親子会社間における矛盾を具体的に指摘してい 80) る。 そこで,持株会社の貸借対照表が,かかる持株会社グループ全体の真実な状 態を明瞭に表示せねばならないと考えるならば,持株会社の子会社株式に対す る投資勘定は,(1)グループ全体の営業に支障なく売却できる固定資産とそうで ないもの,(2)事業を継続する上に必要な流動資産(例えば,棚卸資産,売掛金, 現金,預金等)と何時でも直ちに売却できるもの(例えば,市場性のある株式 や社債)そして(3)子会社の負債を控除した資産総額,等がどれ程あるかという 方法で,財務的性質による区分表示に従って分解されねばならないと,ディッ キンソソは主張する。換言すれば,持株会社の投下資本は,その投資先である 子会社において一体どのような状態で運用されているかについて,その詳細な 会計情報が必要であると考えられたのである。 そこで,子会社の資産・負債の正味差額である純資産を表わす子会社株式に 対する投資勘定は,本来の子会社における資産・負債の各項目に置換されるこ とになるが,かかる場合に,当該純資産額と持株会社の帳簿上における子会社 きわ 株式の取得原価額とに差額が生ずることがある。かかる投資消去差額は,(1)子 会社株式に対して持株会社が支払った額面超過額(借方),(2)取得日以前に生じ 80) Jbid., p. 489. 81) Jbid,, p. 489−90. 82)1906年では,子会社の純資産額と持…株会社の帳簿上における子会社株式の取得原価 額との相殺・消去について論じているが,1905年では,子会社の純資産額と持株会社 の帳簿上における子会社株式の額面価額との相殺・消去について説明していた(A. L. Dickinson, “Some Special Points…”, oP. cit・, p. 409・).
連結会計導入思考とその発展(皿) 57 ていた子会社の利益剥余金(貸方),そして(3)取得日以降に生じた子会社の利益 きヨ 剰余金(貸方)等を表わすことになろうと,ディッキンソソは説明する。 第1の項目は,(1)購入日における子会社の剰余金と(2)購入日における子会社 暖簾の見積価額に対して,持株会社が支払った価額を表わし,第2の項目は明 らかに第1の項目に含まれているので,それから控除されねぽならない。そし て,第3の項目は,連結日以降の利益から生じた持株会社の本当の剰余金を表 84) わすと説明して,投資消去差額の内容分析まで進めている。 このように,持株会社の投資勘定を分析して行くと,結局はすべての会社を 含む連結貸借対照表になってしまうが,連結上では会社相互間の勘定は全て相 殺・消去されて,連結貸借対照表は株主と連結以外の一般大衆との関係におけ る会社グループ全体の実際の状態を表示することになると説明している。 4 ディッキンソンの所説にみられる特色 既にみたように,ディッキンソンは,1904年に,持株会社の出現により子会 社の配当操作によって利益操作ないし利益の過大表示が可能となったので, 連結損益計算書を作成して,持株会社のグループ全体の損益を観察する必要が あると提唱した。この場合に,子会社の損益を計上する論拠として,これを投 資目的に従う営業活動の結果による価値増減を反映させると考える事業活動説 リ ロ ロ ロ ロ ロ リ の コ に求め,資産の合理的な評価基準に適合するものと考えた。そして,このよう な連結範囲を決定する基準として,形式的な持株率基準と実質的な支配力基準 とを取り上げ,この両者を満足することを必要条件とした。 83)一85) A, L. Dickinson, “Notes on Some Problems…”, oP. cit., p. 490. 86)かかる当時の会計実務に対する問題については,1905年に出版されたディクシー・ モンゴメリーの『監査論』においても,概ね同じ趣旨のことが指摘されており(Raw・ rence R. Dicksee and Robert H. Montgomery, Auditing,1905, p.225.),また,翌 1906年出版のカイスターの『会社会計と監査』や1907年出版のラーヒルの『会社会計 と会社法」等でもこの問題に論及している(D.A. Keister, op. cit.,11 th ed.,1906, p. 170 ; 」. 」. Rahill. CorPoration Accounting and CorPoration Law, 1907, p・ 186・). 87) このように,子会社の損益を計上する論拠を事業活動説に求め,資産の合理的な評 価基準に適合するとした思考は,後述する予定の英国的な会計思考の萌芽として理解 することができる。
58 彦根論叢 第214号 1905年には,株式による会社支配体制の発展により,従来の貸借対照表では 真実な財政状態を表示することができなくなったので,投資株式と支配株式と を区別して取扱う心要がある。そして,前者については,従来通りの貸借対照 表で問題は生じないが,後者の場合には,連結貸借対照表を作成する必要があ きき ると提唱した。例えば,類似事業を営む親子関係の会社では,不採算事業を子 会社に押しつけて収益性の向上を図る可能性があり,また,子会社では長;期資 金として投下されたものが親会社では即時回収可能な流動資産として表示され ることにより,流動性に関する誤った判断をくだす可能性がある。そこで,法 的技術の問題を払拭して,単一組織体を認識する必要があり,このような観点 に立てば,会社相互間の取引を全て相殺・消去せねばならないと説明した。 1906年には,単なる投資株式と企業支配株式との本質的な相違を分析・検討 して,同一の取締役会の下で支配されている会社は,全て持株会社組織の必要 部分として実際上管理されているので,持株会社グループ全体の真実な状態を コ 明瞭に表示する必要がある。そのためには,持株会社の子会社株式に対する投 資勘定は,財務的性質による区分表示に従って分解される必要があり,従っ て,本来の子会社における資産・負債の各項目に置換される必要がある。かか る置換、手続が連結手続であって,これにより,持株会社の投下資本がその投資 先である子会社において,一体どのような状態で運用されているのかについ て,その詳細な会計情報の公開が可能となると考えたのである。 要するに,ディッキンソソは,1904年には親子関係を利用して利益操作や利 益の過大表示を行う弊害を除去するために,単に持株会社のグループ全体の損 益を観察する必要性を提唱したにすぎなかった。ところが,1905年には単一組 織体の認識を提唱して,この観点から内部取引の相殺・消去手続を具体的に展 開した。そして,1906年には親子関係による特殊な状態を問題にして,投資先 である子会社の運営状態一流動性と収益三一を表示する必要性から,連結財務 諸表作成の必要性を強調したのである。 88) A. L. Dickinson, “Some Special Points…”, oP. cit., p. 409. 89) A. L. Dickinson, “Notes on Some Problems・・一”, oP. cit., p. 489−90.