ジブリ映画の環境思想(3) 創造と破壊・物質循環・共生・均衡
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(2) 北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第69巻 第1号 Journal of Hokkaido University of Education(Humanities and Social Sciences)Vol. 69, No.1. 平 成 30 年 8 月 August, 2018. ジブリ映画の環境思想⑶ 創造と破壊・物質循環・共生・均衡. 角 一 典 北海道教育大学教育学部旭川校社会学研究室. The Environmental Thought in GHIBLI’s Movies ⑶ Creation and Destroy, Material Circulation, Symbiosis, Balance. KADO Kazunori Department of Sociology, Asahikawa Campus, Hokkaido University of Education. 概 要 本稿は,ジブリ映画と,宮崎駿や高畑勲の発言等を手掛かりにしながら,ジブリ映画に通底 している環境に関する思想的な側面について考察を加えたものである。本稿では,主に宮崎駿 を中心に考察を加えている。 宮崎の環境に対する考え方は,自身の川掃除の体験によって大きく影響されている。川掃除 は,宮崎の認識を,地球環境問題のような「大文字の」環境問題を相対化し,身近な範囲の「小 文字の」環境問題に関わることの重要性へと帰着させたことを明らかにした。そして,この考 察を基点として,宮崎の自然に対する認識を「創造と破壊」・「物質循環」・「共生」・「均衡」と いう4つのキーワードに集約した。. 1 川掃除の体験をめぐって. 崎の自然に対する考え方に大きな影響を与えてい ることがうかがえる。特に,『千と千尋の神隠し』. 宮崎は,インタビューの中で何度か自身の川掃. の制作にあたって,それは如実に表れており,映. 除の体験について語っている1。この経験は,宮. 画公開後のインタビューでの以下の発言もその証 左といえる2。. 1 宮崎は川に対して特別な意識をもっているようであ る。2008年のインタビューで宮崎は以下のように語っ ている。 「僕は,川沿いを歩くのが好きなんですけど, なんか世界が果てるところっていうのは大袈裟ですけ ど,川っていうのはそういう力を持ってますよね。支. 流を歩いていって,荒川まで出たとかね。ずいぶん気 分が変わるんですよ」 (宮崎,2013:83) 。 2 『千と千尋の神隠し』で非常に印象深いオクサレ神. 55.
(3) 角 一 典. 休みの日に僕は地域の人たちと一緒に川掃除 をやっているんですけど,まさに千尋と同じ体. に行われたインタビューで宮崎は以下のように 語っている。. 験をしたことがあるんです。その時に,日本の 川の神様たちはぼろぼろで,悲しく切なく生き. 日本の農業について論じ合うということにつ. ているんだろうなあと思いました。この日本で. いては,なんかうんざりしてましてね。 (中略). 苦しんでいるのは人間だけじゃないなって感じ. なにか違うんじゃないかなという気がするんで. たんです。それで川掃除をして汚いものを相手. す。そんなに簡単に敗れたり勝ったりするもの. にしながら,自分が醜いものの相手をしなく. じゃない。農業問題を論じて,農協がどうのこ. ちゃいけないとか,汚い嫌なものに手を出さな. うのなんて話すと,いらいらしてくるだけで. きゃいけないとか,イヤダナーという気分を超. ね。(中略)最近は,そういうふうにしか思え. えないと,手に入らないものがあるって思った. なくなってきているものだから,環境問題も,. んです(宮崎,2008:260)。. 近所の川の掃除を地元でやっているから,暇が あるときはそれに参加する,それでいいと思っ. こうした発言に対して,野村は「たとえ,嫌な. ています。それだって,根本的には何の解決に. 気持ちになろうとも,汚れきった川の掃除をする. もならないですよ。落ちているビニール袋を拾. ことによって,日本の川の神様が負った傷や悲し 2010:220)と宮崎が考えていると解釈している。. うとか,そういうことですから。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 要するに,総論でやっているとどうしようも ・・・・・・・・・ ないことが多すぎる。人間,どうも各論と総論. このような姿勢が宮崎の環境問題に対するスタン. のあいだのギャップが分裂しているからうまく. スを形作ることになる。それは,地球温暖化やオ. いかないんですね。ところが往々にして,人間っ. ゾンホールの破壊などといったような,人びとの. て各論で満足できるんです。そこらへんのこと. 目に見えず実感がわきにくい「大文字の」課題と. がいちばん僕はいま気に入ってます(宮崎,. して環境問題を捉える視座を相対化し,身近な問. 1996:531-532)3。. みに直接的に向き合わないといけない」 (野村,. 題に取り組むことに専念することでブレイクス ルーを図ろうという志向性として現れる。1994年. 3 この発言を手がかりにしながら,野村は次のような 解釈を展開している。「人間の自然のありようを類,ま たは種のレベルで見てもどこにも解決が見当たらない. (と思われた名のある川の主)のシーンとの関係はあ. のであれば,個のレベルでみるしかないのだ,という. らためて述べるまでもないことだが,その影響は『崖. ことになる。『もののけ姫』にひきつけて言うならば,. の上のポニョ』において,ポニョが海底に落ちていた. 種のレベルで和解は無理であったとしても,つまり種. ビンに嵌ってしまい,底引き網で大量のゴミとともに. としての自然と種としての人間とは和解できないにし. 引かれるシーンにもみられる。プロデューサーの鈴木. ても,個のレベルで,つまりサンとアシタカとは友愛. はホワイティングとの対談で以下のように述べている。. の関係を結ぶことができる,ということになる。 人類と自然という関係だけを見るならば,根本的な. ホワ イティング 『崖の上のポニョ』の中には,ごみ. 解決はつきようもないし,そもそも自然と人間が神話. を集める船のシーンがありますね。あれは実際にあ. 的な関係性を取り結び,共生してきた時代などは,こ. るものなのですか?. れまで一度もなかった。自然は人間を脅かし,人間は. 鈴木 実は宮さんは所沢の自宅付近の川のゴミを拾う. 自然を破壊する。これが人間と自然の関係の根本的な. 運動をやっています。 『千と千尋の神隠し』のワンシー. ありようであり,変えることなどできない。しかし,. ン,汚物の中から自転車が出てくる描写は宮さんの. 固有名のレベルで出会うことができれば,たとえば,. 実体験から,今回,川を海に置き換えてイマジネー. 私という存在がなになに川と出会い,『近所の川を少し. ションしたのかと。そんな日常の現実が,結果とし. ぐらい掃除しよう』と思うことができれば,人は自然. てメッセージとなっているのかもしれません(角川. と友愛の関係を結ぶことができる。そう宮崎は考えは. 書店編,2008:117)。. じめている」 (野村,2010:199-200) 。. 56.
(4) ジブリ映画の環境思想⑶ 創造と破壊・物質循環・共生・均衡. この発言は,科学や技術の水準や政治的な構成. 延長に,環境問題の「解決」が「付け足し」のよ. の面で複雑になりすぎた現代社会における環境問. うに存在しているという,いわば主題の転換とも. 題の根本的な解決を放棄した姿勢とも受け取れる。. いえる考え方である。身近な範囲のことが解決さ. 他方,身近な環境問題に関わり,一定の解決が. れていくことの方が,なにも進展しないという状. 得られることで満足することは,個人の水準では. 況よりはずっとまし,というような考え方が透け. 許容されるという主張と受け取ることができるよ. て見える。そして,これは同時に,人間と自然の. うにも思える4。1994年のインタビューでは以下. 間に越えがたい亀裂が存在しているという宮崎の. のようなエピソードが語られている。. 認識(角,2016b)を乗り越えるための考え方で もあるだろう。. 「自然を守る」と書くと嫌になっちゃうけれ. 掃除した川の変化に対して,宮崎は自らの認識. ども,近所の川だから臭いよりはきれいな方が. の変化に気づかされる。梅原猛との対談で,宮崎. 良い。ここで魚釣りができたら,どんなに良い. は以下のように語っている。. だろう,と限定されたなかでやれば,偉い人が 二時間語ることを,川底を一時間這い廻れば. 最近,自宅の近くのどぶ川にユスリカが大量. ね。川にオートバイが埋まっていて,十五人く. 発生するのを見ていても,汚くて困ると簡単に. らいで,わっしょい,わっしょいと引き上げた. 切り捨てられない。清浄とか汚濁とか,そうい. ら,近所の人はお祭りだと思ってね。その充実. う視点で物事を決めてはならないと思います。. 感があって,自分自身が幸せになるのを発見し. 汚れの原因をつくっているのは人間の方ですか. ました(宮崎,1996:553)。. ら。ユスリカも大雨が降れば一網打尽に消えて しまいますが,また少し淀み始めると出てく. ここから読み取れるのは,自然保護や環境問題. る。実に健気に生きているんです。汚いからだ. といったある種の「お題目」によって動く・動か. めだと排除するのはおかしいと思うようになり. されることに対する忌避感と同時に,地域におけ. ました(梅原他,1994:103)。. る住民の共同作業そのものから得られる満足感の また,1998年のインタビューでは,以下のよう 4 このような認識にたどり着いた結果として,宮崎の. に語っている。. 今日のライフスタイルは以下のようになっている。 「今, 自分は半径20メートルで生きています。映画もテレビ. うちの近所のどぶ川なんて,毎日のぞいてい. も観ない。盛り場へも行かない。インターネットも携. ると,日に日に様子がかわります。今はずいぶ. 帯も持たない。自分の見たものだけで世界を感じよう としています。毎朝決まった道のゴミ拾いをして,コー. ん減ったのですがユスリカが大量発生した時期. ヒーを飲みに行く。それから戻って朝飯を食って同じ. がありました。羽化する時は水面から一斉に羽. 道を通ってスタジオに行く」(宮崎,2013:121)。. 化します。その前はもっと汚かったからユスリ. また,もうひとつ指摘しておかなければならないの は,高畑は宮崎のこのような発言とは対照的に,日本 の農業を憂う発言や記述を繰り返ししていることであ. カすら発生しなかった。ちょっとましになって きたので大量発生したんです。見ているとユス. る。1990年代以降,高畑と宮崎が共同で映画を製作す. リカは生きていくのに大変なんですよ。都市化. ることはなくなったが,その背景には,環境問題をは. されてるから水かさが日々変わるでしょう。. じめ,さまざまな点において互いの意見が食い違いを. ちょっと雨が降るとワァーと水かさが増えて,. 露わにしはじめたことも大いに関係しているように思 われる。角(2016b)でも検討したが,特に里山に対す. みんな流されてしまう。水が減ってきてようや. る認識の違いは決定的であり,『おもひでぽろぽろ』に. くまた幼虫が住み着くんです。一人くらい,ど. 関する宮崎の評価は辛辣である。. ぶ川でユスリカが健気に生きているというフィ. 57.
(5) 角 一 典. ルムを作って送ってくれないかと思ったんです. 必要になってくるのである6。. ね。ユスリカの運命はぼくらの運命そのもので す。それを許せなかったら人間そのものを許せ なくなるから……(宮崎,2008:163)。. 2 自然の本質 ―創造と破壊・物質循環・ 共生・均衡. このような認識は,明らかにコミック版『風の. ここからは,これまでの論証を踏まえつつ,ジ. 谷のナウシカ』のクロージングにも影響を与えて. ブリ映画,特に宮崎映画における自然の捉え方に. いる。映画版では,腐海は人間によってもたらさ. ついて, 「創造と破壊」・「物質循環」・「共生」・「均. れた汚染を自然が治癒しようとした結果生まれ. 衡」という4つのキーワードで整理を試みたい。. た,自然発生的なものとして描かれたが,コミッ ク版の終わりでは,過去の人間が,手に負えなく. 2.1 創造と破壊. なった環境を人工的に再生するための装置とし. 角(2016a)でも指摘したように,ジブリ映画,. 5. て,腐海は人為的に造られたものとされた 。そ. 特に宮崎駿の作品は,単純に自然を讃え,環境保. して,汚染に耐えられるよう作り替えられた人類. 護を訴えるといったものではなく7,日本的な風. は腐海によって清浄化された空間で生きることは できないのであり,そもそも,戦争や環境破壊を. 6 しかしながら,身近な環境をめぐる話であっても,. 止められない人類に見切りをつけた過去の指導者. ことはそう簡単ではないということを宮崎は認識して. たちは,清浄化された空間で新たに生きる,争い とは無縁な平和な人間たちを卵の形ですでに用意. いる。1998年のインタビューでの以下の発言がそれを 物語っている。「うちの近所でも,本当にひどかったど ぶ川がようやく少しずつまともになってきた。市内に. しているのである(コミック版『風の谷のナウシ. 十数キロしかない川が何本かあるんですけど,あっち. カ』 7) 。上記の認識は,環境に対する認識である. こっちで川掃除の組織ができましてね。そうすると魚. と同時に,人間という生物の本質に関わる認識で もある。生態系にとって,人間は一見攪乱要因以. やザリガニが戻ってきているんです。でも外来種のザ リガニが戻ってきたということが生態学者には許せな い。侵入者というわけですよ。僕らからするとザリガ. 外の何物でもないように思える。しかし,そのよ. ニが来て良かったと思うけど,ユートピアをいう人達. うな視点からは,人間は自然にとって無用なもの. はサワガニを放すべきだと。サワガニを食うザリガニ. であるどころか有害なものであり排除すべきもの になってしまう。自然と人間が共存するために. は獲ったら殺せというわけです。そこでもめるわけで すよ。冗談言いながら。 駐車場になっているほんのわずかな面積の土地では,. は,清浄と汚濁を明確に分けるような考え方は駄. もう一回林に戻すことができるというので県と市から. 目で,清濁ともに存在することを許容することが. 補助の苗をもらったのですが,足りなかった。九州の 方で,ドングリを育てている人たちが『あげる』とい うので『じゃ送ってください』といったらこれももめ. 5 因みに,2013年のインタビューで宮崎は福島第一原. ました。 『九州の遺伝子をもってくるのか』 と。人間だっ. 発事故に触れて腐海という言葉を使っている。「僕は,. て混ざっているじゃないかといったのですが,これは. 福島の原発に行かなきゃいけないと思ってるんですけ. 日常的にぶつかっているかなり深い思想的な背景のあ. ど。…あの放射能漏れは止まらないしね。それでも原. 58. る問題なんです」 (宮崎,2008:162) 。. 発を再開したい連中は,なんかかんか言いながら再開. 7 宮崎自身は上記のように考えているものの,一般的. したがるだろう。所詮,何も見えていないから。だい. には,宮崎の作品も含めてジブリ映画は環境保護の思. たい,使用済み核燃料が原料だったら,採算上は資産. 想が通底していると捉えられがちである。例えば,石. になるけど,あれはものすごい負債ですからね。負債. 子順の以下の論評はその典型といえる。「宮崎駿の出発. として認めた途端に全部崩れるわけでしょう?もう大. 点はどこにあるのだろう。この『もののけ姫』で宮崎. 負債なわけですよ,永代の。とんでもないですね。ど. 駿は荒ぶる神のように怒っている。怒りは凶暴なエネ. うすればいいのかわからない。まさに腐海が生まれつ. ルギーと化して,動かない無数の絵に生命を与え,す. つあるんです」(宮崎,2013:220-221)。. さまじいアニメーションとなった。この『もののけ姫』.
(6) ジブリ映画の環境思想⑶ 創造と破壊・物質循環・共生・均衡. 土の影響を色濃く受けたものである。そしてそれ. コミック版『ナウシカ』の完結を受けて行われた. は,中尾佐助らの照葉樹林文化論にインスパイア. 1994年のインタビューでの以下の発言はそれを物. される形で構築された自然観に裏打ちされたもの. 語っている10。. でもある。 コミック版『風の谷のナウシカ』の連載は12年. だいたい,自然というものがやさしくて,人. にもおよぶ長期間になった。その背景には,映画. 間が汚染した環境を回復しようとして腐海を生. の作成などの要因もあるが,他方で,映画版『ナ. み出すとか,何かしてくれてるなんて言うのは. 8. ウシカ』での予定調和的な結論 に対して宮崎が. よっぽど嘘でね。そういう甘ったれた地球観と. 疑問を持ってしまったこともきわめて大きい9。. かいうのにしがみついているのは問題じゃない か。『ナウシカ』を書きつづけているうちに,. は怒りの冒険活劇時代映画である。それは祈りに似た. 11 そう思うようになりました(宮崎,1996:201) 。. 怒りである。自然が開発という名のもとに消されてい マ マ. き,森や海が冒かされ生きものたちが生存できなくなっ ていく現実に対する怒りである」(キネマ旬報編集部 編,1997:66)。 8 山川の以下の指摘はうまく映画版『ナウシカ』の「予 定調和性」を言い表している。「八四年の映画版『ナウ. 『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』でかな り強烈に印象づけられる,万物を神として捉える (『八百万の神』)民衆的な神道,言い換えればア ニミズム12を理解するにあたって,宮崎はある種. シカ』では,この設定は自然と人間が和解する希望を 示すものだった。王蟲がナウシカの気持ちを受け入れ, 物語が結末を迎えたのちに,腐海の底の浄化された土. 2002:181)。ちなみに,山川の以下の解釈は,上記のコ. 地で発芽しているチコの実を映して映画は終わる」(山. メントとつなげて読むと非常に興味深い。「個人として. 川監修,2013=2014:159)。. の宮崎は今も環境問題を重視しているが,しかし自分. 他方,宮崎は,自然の調和における植物の重要性に. の自然への愛は人間嫌悪と結びついたいびつなもので. ついて強く意識している。以下の発言にそれが現れて. もあった。自分はそうした態度を捨て,今後環境問題. いる。 「僕らは人間と自然との関わり合いについてずい. を担っていくだろう人々を信頼することにしたい,と. ぶん映画を作ってきた。植物があるから人間は生きら. いうのがここでの宮崎のメッセージなのではないか」. れるんだということは,嘘じゃないと思ったから作っ. (山川監修,2013=2014:154) 。. てきた。しかもこういう世の中にいたら,とりあえず. 10 この点に鑑みると,ジブリ映画は,比較的「予定調. 植物というものがどれほど素晴らしいか,それにラブ. 和」の要素が強調される1994年よりも前(例えば『風. コールを送ったり感謝する映画を作らなければ,まず. の谷のナウシカ』・『となりのトトロ』・『おもひでぽろ. いけないと思ったから,そういうものを作りました。. ぽろ』 )と, 単純な予定調和の域を超えているその後(例. だけどそれが『自然に優しい』という言葉にすり替え. えば『平成狸合戦ぽんぽこ』・『もののけ姫』・『ゲド戦. られるのは,僕の本意ではない。人間と自然の関わり. 記』)とでは,自然の捉え方がかなり変化しているよう. 合いというのはもっと深い,どうしようもないもので. にも思える。. あって,簡単に結論を出すようなことは出来ない。し. 11 その一方で,ケルツの以下の指摘も注目しておかな. かも文明というものが持っている本質にまで,つまり. ければならない。「宮崎から,自分が住む町で体験した. 人間という存在の本質に関わってくる問題ですから」. 洪水について聞いたことがある。『雑木林の中を大水が. (ユリイカ編集部編,1997:41)。. 流れると,ごみがいっぱい来るが,その後は植物が明. 9 宮崎は,1997年のインタビューで次のように語って. らかに元気になる。水はごみだけでなくいろんなもの. いる。 「僕は,人間を罰したいという欲求がものすごく. をもたらしている。そういう見方で自然や災害のこと. あったんですけど,でもそれは自分が神様になりたい. も考えなければいけない』 」(ケルツ,2013:57) 。ここ. んだと思ってるんだなと。これはヤバイなあと思った. から,宮崎が自然災害を,災厄であると同時に恵みで. んです。それから『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀. もあり得るアンヴィバレントなものであると認識して. 明監督)なんかは典型的にそうだと思うんだけど,自. いることがうかがえるだろう。. 分の知ってる人間以外は嫌いだ,いなくてよいという,. 12 以下の宮崎の発言は,宮崎の中の原型的な自然のイ. だから画面に出さないっていう。そういう要素は自分. メージを示すものである。「そういえば,猩々という生. た ち の 中 に も, も の す ご く あ る ん で す よ 」( 宮 崎,. き物がいるのかという話もでました。でも,昔の日本. 59.
(7) 角 一 典. 「善悪を超越した」存在として神々を捉えた。典. れるオクサレ神(実は人間によって汚された名の. 型的な存在は,生と死とを同時に司る「シシ神」. ある川の主)のエピソードが象徴するのは,人間. であり,時に恩恵をもたらし,時に災厄をもたら. による自然の破壊は,自然界のレジリエンスを超. すものとして描かれている。 『風の谷のナウシカ』. えたものであるという隠喩に思える。これについ. における腐海にせよ, 『もののけ姫』のシシ神の. て,正木の解釈をみてみよう。. 森にせよ,ジブリ映画の自然は決して人間に対し てやさしい存在ではない。 『もののけ姫』公開後. 昔の日本人は,「三尺流れれば,お水神様が. のインタビューで,宮崎は以下のように発言して. 清めてくれる」といって,河川にいろいろなも. いる。. のを流していました。捨てるものが作物の切 れっぱしとか,木の枝ぐらいだったら,お水神. 残忍であり無残であるものを,野生というも. 様も清められたのでしょう。. のは必ず持っていますよね。(中略)かわいら. ところが,近代産業が生産したモノとなる. しくて清らかなものが野生だというふうに矮小. と,そうはいきません。金属やプラスチックは. 化するのは間違いだと。実に狂暴で残忍な部分. いつまでたっても腐らず,河川に堆積して流れ. をしっかり持っていないと野生を描くことにな. をせき止めてしまいます。なまものも大量にな. らないんじゃないかなと思いまして(宮崎,. れば,流しきれずに河川のなかで腐り果て,ヘ. 2008:65-66) 。. ドロの原因になります。まして,有害な化学物 質 と も な れ ば, も は や 致 命 的 で す( 正 木,. ここで注意しなければならないのは,自然の本. 2009:164-165)。. 性としての破壊の要素を宮崎は強調するが,そこ には人間による自然破壊は含まれていないという ことである。また,こうした自然観は,自然災害 が頻発しながらも,驚異的なレジリエンスを持つ. 鈴木 気が付きました?あれ( 『もののけ姫』 )ストー リーの構造は『ぽんぽこ』に似ている。. 日本という地域に特有のものともいえる。 『もの. ―ああ,ああ,そうですね。. のけ姫』のラストで,首を取り戻したシシ神が倒. 鈴木 『狸』は山をめぐる人間とタヌキの戦い。片や. れ,猛烈な風とともに緑が回復されるシーンは, そうした日本特有の自然を表現したものともいえ 13. るだろう 。 その一方で,『千と千尋の神隠し』の中で描か. こちらは,シシ神の首をめぐる人間ともののけの戦 い。それを一瞬にして見抜いたのが当時ディズニー の 責 任 者 だ っ た マ イ ケ ル・ ジ ョ ン ソ ン( 鈴 木, 2013:197) 。 鈴木の解釈にしたがえば,宮崎駿は『もののけ姫』 で日本の自然が持つレジリエンスを強調したのに対し. 人は山に行くと大猿がいると思っていたんだと思うん. て,高畑勲は『平成狸合戦ぽんぽこ』で,高度経済成. です。だいたい岩見重太郎の『狒々退治』のようにね。. 長期の日本のニュータウン開発がいかに自然の営みに. それは未だにこういう街に住みながら僕らの心のなか. 逆らって進められたものであるかということを強調し. に,山奥のどこかに行くと人間が踏み入れたことのな. たといえる。もちろん,室町時代をモチーフにしなが. いような土地があって,そこは深山幽谷というか,清. ら,そして,照葉樹林文化という,学術的には否定さ. 浄な水が流れていて,鬱蒼とした太古の森があって,. れたものをベースにしながら,架空の物語を描いた『も. そこに行くと本当に心の底から洗われるような,そう. ののけ姫』と,同じく架空の物語ではありつつも,自. いう世界がこの島のどこかにあるんじゃないか,と思っ. 身の目の前で起こった多摩ニュータウンの開発を意識. てる節があるからだと思います」(ユリイカ編集部編,. して作られた 『平成狸合戦ぽんぽこ』 との違いは大きい。. 1997:43)。 13 プロデューサーの鈴木敏夫は,渋谷陽一のインタ ビューに次のように語っている。. 60. 『平成狸合戦ぽんぽこ』 でもラストに里山が復活するが, それはタヌキたちの渾身の力を込めた念力によって一 時的に現出した「幻」にすぎない。.
(8) ジブリ映画の環境思想⑶ 創造と破壊・物質循環・共生・均衡. 自転車や釣り糸をはじめ,さまざまな人工物が. のけ姫』の公開に合わせて組まれた1997年の『ユ. 河川に捨てられている現状を揶揄した情景描写. リイカ』のインタビューでの以下の発言は,それ. は,人間の行う環境破壊と,自然が行う破壊との. を象徴するものである。. 14. 断絶を示すものである 。 少なくとも『もののけ姫』を作っていた頃の宮. この世の中が穢れているとか,穢れたことを. 崎駿は,日本という風土に育った日本人の自然観. やっているという感覚は,しかもそれに対して. は,自然をコントロールの対象と考えるヨーロッ. 対置するのが,天国とか極楽とかっていうもの. 15. パや ,あるいはレジリエンスを超えた開発を 行った結果,森林を失った日本以外の東アジア 『もの 圏16とは違ったものであると考えていた。. じゃなくて,山のなかの清浄の地だという,そ ・・・・・・・・・・ ういう感覚は,やっぱり生態系を完全にブッ壊 ・・・・・・・・・・・・ し切れなかった民族だから,そういう暗い部分 を,理性では処理しきれないような部分を,心. 14 清水は,この情景に対して以下のような解釈をして いる。 「近代文明の恩恵に授かって,贅沢放題の生活を してきた現代人は,それだけ巨大なゴミ,廃棄物を垂 れ流してきたというやましさを抱えている。いつまで. の隅にちゃんと残しているんだと思うんです 17 (ユリイカ編集部編,1997:44)(傍点筆者)。. も隠し通しておきたい,文明文化の負の部分がオクサ. ただし,生態系を徹底的に破壊することが出来. レさまとして具象的な姿をもって現出して来たのであ. なかったのは,先にも触れたように,激甚な自然. る。その巨大な,悪臭を放つヘドロの塊は,大量消費. 災害を繰り返しもたらしつつも,他方で豊かな恵. 文化を謳歌してきた現代人に突き付けられたツケであ る」(清水,2001:55)。. みを供与してくれる日本の自然の強靭さ・レジリ. なお,河川が人間によって汚染されるというモチー. エンスによるものである。『もののけ姫』公開後. フは,フレデリック・バックの『大いなる河の流れ』. のインタビューで,宮崎は以下のように語ってい. を想起させる。先住民のインディアンが居住していた. る。. 頃,セント・ローレンス川は環境が守られていたが, ヨーロッパからの移住者による開発が進むにつれ,森 が消え,川が汚れていった。その一連の流れをバック. あれだけ製鉄をやり,山を削り,谷を埋めて. は描いている。しかしながら,宮崎は,この作品に,. 来たのに,禿山になっていない,岩山になって. 直接的には触発されたわけではないようだ。. いなくて,緑の,むしろ穏やかな山があるんで. 15 正木は,安田の論考に依拠して以下のような記述を している。 「ヘビと龍をキリスト教はなぜここまで忌み 嫌ってきたのか?その理由について環境考古学者の安. は滑稽ですよね。中国史なんかでよくあるんだけれど. 田喜憲先生はこう述べています。. も,中国史を人間史だと錯覚している人がいるけれど. 世界中を見わたすと,自然を征服し支配しようとす. も,自然がなくなったから,自然を食べ尽くしたから,. る文明と,自然と調和し共存しようとする文明がある。. 人間史だけが残っただけで,あそこは漢の時代に自然. このうち,自然と調和し共存しようとする文明はヘビ. 史を終わらしちゃったからですよ」 (稲葉,1996:198-. や龍をあがめ,自然を征服し支配しようとする文明は. 199) 。. ヘビや龍を忌み嫌う。なぜなら,ヘビや龍は,多くの. 17 2006年のインタビューにおいて宮崎は以下のように. 場合,自然を象徴しているからだ」(正木,2009:161-. 語っている。「川や山や森もみんな生きていて,家だっ. 162)。. て生きていると感じるのは,これも日本人の特徴です。. なお,宮崎は,特にドイツ人に対して「悪印象」を持っ. いや特徴だったようです。今では日本人もその感じ方. ているようで,ドイツ人に対してはかなり辛辣な発言. をずいぶん忘れてしまったようです。でも人間の文明. を繰り返している。そしてそれは,『風立ちぬ』でのド. の歴史をたどると大昔はどの民族も,空にも雲にも大. イツ人の描き方にも現れている。. 地や星々にも岩や草や木々にも,霊が宿っていると考. 16 宮崎は,稲葉振一郎との対談で以下のように述べて. えていたようです」 (宮崎,2008:428) 。ここからは,. いる。 「日常生活の価値観とか生き方とか時間の過ごし. かつて日本人が持っていた自然への畏敬の念のような. 方とかものの感じ方,それから生態系の云々とか,た. もの,言い換えればアニミズム的心性といえるようなも. とえば,歴史そのものも自然史をぬきに歴史を語るの. のがかなり希薄になっているという認識がうかがえる。. 61.
(9) 角 一 典. す。埋められて田んぼになってしまった谷あい. 「荒ぶる神」にもなるんですよ。だから鎮め. などを見ていると,これは水田をやってきたと. なきゃいけないんだけど,鎮まったときには,. かいろんなことがあるんだろうけど,やっぱり. ニコニコしたおだやかな神様。そういう方が好. この土地の持っている力がすごいんだと思うん. きですね。どうもおよそ日本人というのは,魂. です。人間はそれに甘えてやってきたんだと思. を神様に救ってもらいたいとは思ってないん. うんです」 (ユリイカ編集部編,1997:43)。. じゃないですか。まあ死んだらどこへ行くんだ. 日本人は自然を完全にコントロールしたり破壊 したりすることはしてこなかったが,それは日本 という国土が持つ特殊性によってもたらされた偶 然の結果に過ぎないと宮崎は考えている。 2.2 物質循環 コミック版『風の谷のナウシカ』で,墓所への 旅路の途中でナウシカと常に行動を共にしてきた キツネリスのテトが,巨神兵の毒に冒されて死ぬ。 ナウシカはテトを巨木の根元に葬るのだが,その 時に以下のような台詞が付されている。. とかいろいろ言うけど,どうも極楽も天国もピ ・・・・・・・・・・・・・・ ンとこなくて,実はそこらに生えてる木や山や ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 土の中に成仏しちゃうっていうほうがピタリと ・・・・・・・・・・ くるんじゃないですか。だからぼくは土葬の方 ・・・・・・・・・・ ・・・・・ が好きですね。お袋を焼くときは,ほんとに土 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ ・・・ 葬のほうがいいなと思いましたからね。それで ・・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・ 埋めたところに,花が咲いたら,ああお袋が花 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ になって咲いた咲いたと思えるのにね。ただの 炭酸ガスとカーボンにしてしまうのはもったい ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・ ない。肥やしになってね,木とか草とか虫とか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・ 生きていくものの断片になってくれたら,なん ・・・・・・・・・・・・・・・・ ぼかいいだろうと思いましたからね・・・(宮 崎,1996:501)(傍点筆者)。. 立派な木 千年以上は生きてる ここならテトもきっとさみしくない やがて木. 極楽はインド・中国を中心にアジアに広まった. の一部になって 風や訪れる鳥たちを感じるわ. 仏教,天国は西欧のキリスト教の死生観の核をな. ……. す考え方であるが,宮崎はそのどちらも採らず,. ―さよなら ごめんね こんな所におき去りに して( 『ナウシカ』7:93). 日本のアニミズム的な思考から,独自の死生観や 自然の捉え方を導き出したといえる。生命を終え た身体が土の中でゆっくりと分解され,草木にな. ここからは,宮崎の死生観のようなものが垣間. り,あるいはさらに食物連鎖を通じて動物にな. 見えるし,同時に自然に対する認識も含まれてい. り,そうやって命が引き継がれていくのである。. ると考えられる。 「やがて木の一部になって」と. このような認識からは,いわば生命のリレー,そ. いう言葉が示しているのは,仏教的な輪廻転生で. れも種を超越した生命のリレーが,物質循環とい. はない「生まれ変わり」である。ひとつの魂が姿. う形をとって展開しているという宮崎の認識が読. 形を変えて,現世で生を繰り返すのではなく,む. み取れるだろう18。このような認識があるからこ. しろ,近代科学が解明したように,人も木も原子 の集合であって,朽ちた身体はやがて分解され, 別の生物に吸収されてその一部となる。. 18 他方,宮崎は,1992年に行った小学生向けの講演で 以下のように語りかけている。「木は冬になると枯れて. しかし,宮崎はドライに近代科学的な発想で生. 葉が落ちるけど春になるとまた芽が出てくるでしょ。. き物の生死や自然を把握しようとしているわけで. 人間もそれと同じで,新しい赤ちゃんが生まれ,その. はない。1988年のインタビューでの以下の発言は それを物語っている。. 子が育ち,その人の子供がまた生まれる。親とよく似 た赤ちゃんが生まれてくるから,一回死ぬけどまた出 て く る。 人 間 も 木 も 同 じ だ と 思 う ん で す 」( 宮 崎, 1996:178) 。ここでは,種を超越した生命のリレーとい. 62.
(10) ジブリ映画の環境思想⑶ 創造と破壊・物質循環・共生・均衡. そ, 『もののけ姫』で,アシタカとサンが最後の. 2.3 共 生. 別れ際に以下のようなやり取りが盛り込まれたと. 川掃除の結果,河川環境が改善されて大量のユ. いえる。. スリカが発生したエピソードは既に述べたが,宮 崎はそこから敷衍して,人間の役に立つものとそ. サン:甦ってもここはもうシシ神の森じゃな い。シシ神さまは死んでしまった。 アシタカ:シシ神は死にはしないよ,生命その. うでないものを分けて,後者を切り捨てる近代合 理主義的発想から距離を取ろうとする。1997年の インタビューで宮崎は以下のように語っている。. ものだから。生と死の二つとももっているも の。私に生きろと言ってくれた。. 今は,人間に都合よいものだけが自然だと思 われています。蚊やハエは要らないものだから. 鬱蒼とした森は消滅し,新たに萌黄色の草原が. 自然ではない。殺したってかまわないんです。. 生まれた。サンにとってそれは「死」しか意味し. でも,そのような人間中心主義的な考えは根本. ないが,アシタカは「死」とともに新たな生命の. 的に間違いだと思います。人も獣も木々も水. 息吹をみる。 『もののけ姫』からは,原生自然こ. も,皆等しく生きる価値を持っている。だから. そが正しいあり方だとする考え方に一石を投じ,. 人間だけが生きるのではなく,獣にも木々にも. 人為的自然も許容する宮崎の認識および姿勢をう. 水にも生きる場所を与えるべきなのです。そう. 19. かがうことができるように思われる 。. いう思想が,かつての日本にはありました(宮 崎,2008:44)。. う認識は見えてこない。また,『ゲド戦記』では,クモ の館に捕らわれの身となっているアレンにテルーがア. 先に検討した物質循環において,種を超越した. レンの父が持っていた剣を手渡しに行くときに以下の. 生命のリレーという認識について指摘したが,生. 台詞が挿入されている。「死ぬことが分かっているから 生命は大切なんだ。アレンが怖がっているのは死ぬこ. 物同士は物質循環によってつながっている。そし. とじゃないわ。生きることを怖がっているのよ。死ん. てそれは,食う・食われるの関係として立ち現わ. でもいいとか,永遠に死にたくないとか,そんなのどっ. れるものでもある。コミック版『風の谷のナウシ. ちでも同じだわ。ひとつだけしかない生命を生きるの. カ』で,土鬼帝国が墓所の技術を使って開発した. が怖いだけよ。 (中略)生命は自分だけのもの?私はテ ナーに生かされた。だから生きなきゃいけない。生き. 生物兵器である粘菌をきっかけとして大海嘯が発. て誰かに生命を引き継いでいくんだわ…レバンネン…. 生する。腐海の蟲すら死んでしまうような猛烈な. そうして生命はずっと続いていくんだよ」。上記の台詞. 瘴気を発しながら,4つの粘菌は合流しようと. も同様に,同一種の中での生命のリレーという観点が. し,王蟲や蟲たちはその合流点を目指して大移動. 強調されているようにみえる。 19 なお,高畑も,生命のリレーについての認識を持っ ていたようである。『かぐや姫の物語』のプロデュー. をはじめる。ナウシカはそれを追いかけているう ちに以下のような気づきに至る。. サーを務めた西村義明は,インタビューで以下のよう に答えている。 「高畑さんとあるとき話していたのは, 3.11のときにいまこういうことが起こっても人間が生 きていられるのは自分の子孫が残っている云々じゃな. 王蟲のいうたすけを求めている森が粘菌のこ とだったなんて 蟲や腐海にとっては突然変異. くて,この地球のどこか自分の知らないところで今も. 体の粘菌すら仲間なんだ 蟲たちは攻撃してい. これからも新しい命が生まれてくるということがわか. たんじゃないんだ 食べようとしていたんだわ. るからなんだと。だからいろんなものがなくなっていっ てもまだやっていける。『まわれまわれよ水車まわれ』 というわらべ唄もそうだし,捨丸の属している木地師. で,そして死んでは生まれるというひとつのサークル. の集団も山を循環して山の営みとともに生きている人. のなかにいるんだという大きなテーマを持った映画な. 間ですよね。四季もそうだけど,命も生まれては死ん. んです」 (ユリイカ編集部編,2013:116-117) 。. 63.
(11) 角 一 典. 腐海の食草を食べるように苦しみを食べよう. か登場しない,森の人の一人であるセルムには. としたんだ それが蟲と木々との愛情なんだ . 「食べるも食べられるもこの世界では同じこと,. 蟲たちは食べることができないので自分たちを. 森全体がひとつの生命だから」というセリフを語. 苗床にして森に粘菌をむかえ入れようとしてい. らせている(『ナウシカ』6:23)22。食う・食われ. る だからこの合流地に集まってきているんだ. るの中に生き物同士の友愛が存在する。それだけ. ( 『ナウシカ』5:86)。. でなく,人間が目的を持って造り出した生物(王 蟲を中心とする腐海の生き物たち)にすら友愛が. 大海嘯は愚かな人間への罰でも復讐でもな. 存在する。大海嘯ですら蟲達の友愛の産物なので. かったんだ 王蟲は大地の傷口をいやそうとし. ある23。. ているだけ 生きたまま腐海の苗床になって. ここで問題になるのが『もののけ姫』の評価で. …… 森なんだ 腐海そのものが動いてるんだ. ある。野村は,『もののけ姫』について,「自然と. わ( 『ナウシカ』5:146-147)。. 人間の共生という問題に関して,宮崎は『ものの け姫』の段階で大きく舵を切っている。『風の谷. 漫画の中の想定といってしまえばそれまでだ. のナウシカ』において共生の可能性をとっていた. が,食物連鎖の関係は,宮崎にとっては捕食する. 宮崎は,『もののけ姫』では,その共生を阻むよ. 側・される側の上下関係ではなく,むしろ共存関. うな人間の業を宿命として捉え,それをのぞき込. 20. 係というべきものとして把握されているし ,寄. もうとしている。共生しようとするのではなく,. 生も同様に共存関係として捉えられていると考え. 共生しえない人と自然の関係を描こうとしてい. 21. られる 。コミック版『風の谷のナウシカ』にし. 24 。 る」と論じている(野村,2010:191). 確かに,『もののけ姫』の描かれ方は,少なく 20 村瀬は,宮崎のこうした認識を認めない立場をとっ ている。 「もし『王蟲』が本当に,『腐海』の仲間が攻. とも太古の森と人間は共存関係にあったとは言い がたい。叶精二が言うように,「かつての日本に. 撃されると,仲間をかばうようなことをしているのだ としたら,腐海の中では,多くの生き物は,みんな仲 良く『共存』しているようなことが想像されます。『仲. ているんです」 (宮崎,1996:194) (傍点筆者) 。直接的. 間』を大事にしないと『王蟲』が怒るからです。でも,. に寄生を共存関係と述べているわけではないものの,. 私たちは,腐海の中に,さまざまな凶暴な生き物が存. そのようなニュアンスを十分に感じさせる語りとみて. 在するのを見てきています。(中略)ということは,腐. よいだろう。. 海の中にも,生き物同士食べあうという,地上と同じ. 22 台詞はさらに以下のように続いている。「人間が世界. ような生態系があったということです。そうなると,. の調和を崩すと森は大きな犠牲を払ってそれをとりも. 腐海の生き物は,すべてが『仲間』で,『共存』してい. どします そのためこの千年森はいよいよ広く深く. るというわけではなく,弱肉強食をしているというこ とになります」(村瀬,2004:61)。 21 1994年のインタビューで宮崎は以下のように語って いる。 「植物の世界に興味をもったのは,複雑で多様な マ. マ. なっています」 ( 『ナウシカ』6:24) 。 23 赤坂は「喰う/喰われる関係が,極限の愛の形とし て投げ出されていたのかもしれない」 (赤坂,2003:90) と評している。. という世界をいちばん象徴的に表していると思ったか. 24 普通の視点からみれば,野村のような認識になるの. らです。アニメーションをやっているとき,背景で大. は当然のことである。爆笑問題の太田も, 『もののけ姫』. きな樹を描こうとしても,本当に風が吹いているよう. について次のように記している。「私は,このテの考え. になかなか表現できない。一枚の写真の方がむしろ圧. 方の物語が,好きじゃない。現在の自分たちの社会を. 倒的な迫力があったりするんです。しかし,樹という. 全て否定されているようで,窮屈だ。確かに人間は,. のは,一本の中に一緒に生きているもの寄生している. 自分たちの都合で,地球の環境を破壊したり,戦争で. ものがいっぱいいる。それを全部つかまえることは映. 殺しあったり,愚かといえば愚かな事ばかりするけど,. 像の方ができるじゃないか。できないかもしれないけ. 果たして本当にそんな事で神は怒るのだろうか」(澤野. ど,そういう樹の映画をつくってみたいとずっと思っ. 他,1997:42) 。. 64.
(12) ジブリ映画の環境思想⑶ 創造と破壊・物質循環・共生・均衡. は,われわれが知らない暗い原生林が広がってい. 得て,住みつくようになるわけだけど,人々が. たのである。その森を刈りつくし,人工の自然や. そういう自然に対する畏敬の念を持っていたこ. 村や都市を作り上げてきたのが人間の歴史であ. と を き ち ん と 描 い て い る( 高 畑,1999:224-. る」 (キネマ旬報編集部編,1997:55) 。物語はひ. 225). たすら自然と人間の闘争として描かれているとみ るのが妥当であろう。しかし,それは人跡未踏の. 自然が人間にとって脅威でもあり恵みをもたら. 太古の森との関係であると限定的に考えることも. すものでもあるという認識において,高畑と宮崎. 可能であるように思われる。先に検討した川掃除. に違いはない。しかし,『おもひでぽろぽろ』に. の経験から得た教訓に鑑みると,むしろ人間の開. 描かれた里山の風景は,両者を決定的に分かつ. 発行為によって改変された自然環境(例えば里山). きっかけともなった。宮崎は,『もののけ姫』が. も許容しなければならないという認識が,宮崎に. 公開されたのちのインタビューで,以下のように. 25. はあるように思える 。. 高畑を批判している。. 里山に対する宮崎と高畑の認識については角 (2016b)でも検討しているが,ここで改めてそ. 昔の日本人が賢くて木を大事にしてきたから. れを確認しておこう。高畑は,『おもひでぽろぽ. 緑の島が残ったというのは違うと思います。僕. ろ』に象徴されるように,里山を礼賛する立場に. は高畑さんが,「この風景は百姓が作ったんだ」. ある。高畑は,宮澤賢治について語った文章で,. と い う 台 詞 を あ る 映 画 で 言 わ せ た 時 に, ム. 以下のような認識を示している。. カーッとしたんです。日本共産党みたいなこと を言いやがると思って。すぐ人民を啓蒙しよう. 「セロ弾きのゴーシュ」では自然との交感の. とすると思ってね。百姓がいじってそういう見. 理想の姿があったけど,賢治には,自然の持っ. やすい風景にしたかもしれないけれども,それ. ている怖い側面も大きい。自然との共生をにこ. は土地の力であって人間の力じゃない。日本人. にこ言ってるわけじゃない。もともと自然は怖. は放っておいたらもっとひどい……例えば朝鮮. さも恵みもともにもたらす,人間から自立した. 半島に日本人が住んでいたら,同じような禿山. 存在です。怖さは「風の又三郎」にも描かれて. にしちゃっただろうと思います。逆に北朝鮮の. いるし, 「なめとこ山の熊」や「ひかりの素足」. 人が,日本みたいなところでああいうふうに. なんて猟師や子供が死んでしまう。. やっても,そうはならなかったと思うんです(ユ. 例えば童話集「注文の多い料理店」に「狼森. リイカ編集部編,1997:43)。. と笊森,盗森」という作品がある。そこでは, 開拓民たちがいちいち森に断りを入れ,承認を. こうした批判を目にすると,『もののけ姫』に おける自然の荒々しさの描写は,高畑に向けたア. 25 『レッド・タートル』の監督を務めたマイケル・デュ ドク・ドゥ・ヴィットは,インタビューに以下のよう に答えている。 「死は誰にとっても怖いものだと思いま すが,同時にそれは生の中の一部であり,死を受け入. ンチテーゼのようにもみえなくもないが,他方で, 首をとりもどしたシシ神が倒れ,突風が吹いた後 に草原が広がっている風景は,やはり「希望」と. れることは生を受け入れることでもある。だから死を. みるべきだろう。太古の森は消失したが,自然は. 肯定的に描くのは自然なことだと思いました。わたし. ちがう形で再生されたのである。. 自身,このストーリーを自然対人間という構図で捉え. 切通理作は,『もののけ姫』のラストシーンに. てはいません。人間はあくまで自然の一部,そのなか で生かしてもらっているということを伝えたかったの. 以下のような感想を寄せている。. です」 (キネマ旬報編集部編,2016:57)。ジブリの思想 は外国人監督にも脈々と継承されている。. 『もののけ姫』のラストは,すべての破壊の. 65.
(13) 角 一 典. 元凶を作り出した怪僧ジコ坊が,「バカには勝. その森は,太古のままの手つかずの自然では,. てん」とぬけぬけという場面で終わる。. すでになくなっている。破壊と再生という不自. それを見て,私は「マッ,清も濁も併せ飲ん. 然なプロセスを通過した自然であり,したがっ. で<生きろ>ってことよ。ガッハッハッ」と. て,私たちは「かならず再生してくるのだから,. 笑って去っていく宮崎駿の背中を見た気がした. 自然に賭ける負荷を制限する必要もないのだ」. (澤野他,1997:42)。. という予定調和を楽天的に信じることもできな. マ. マ. い(野村,2010:197-198)。 切通のいうように,宮崎の基本には,清濁を共 に許容する姿勢がある26。したがって,原生自然. そこで重要になるのが均衡という考え方であ. あるいは里山をよい自然,都市的な環境も含めた. る。均衡というテーマは,特に『ゲド戦記』にお. 人為的自然をよくない自然,というように区別す. いて核をなすものになっている。テナーの家に厄. る態度を宮崎は拒否している。ユスリカの大量発. 介になることになったハイタカとアレンは畑仕事. 生に対してさえ,それを許容すべきだとする宮崎. を手伝う。その休憩の間,ハイタカはアレンに色々. の考え方を踏まえるならば, 『もののけ姫』が自. な話をするが,以下の台詞は均衡の重要性を説く. 然と人間の乗りこえがたい壁を示した作品である. ものである。. という認識にとどまらず,それでもなお自然と人 間が共存するとするならばどのような道があるの. 疫病は世界が均衡をとろうとするひとつの運. かをわれわれに問いかける作品であると解釈すべ. 動だが,今起こっているのは均衡を崩そうとす. きであろう。. る動きだ。そんなことができる生き物はこの地 上で一種類しかいない。わかるか。. 2.4 均 衡 宮崎は人間によって改変された自然を許容する. この世界の森羅万象はすべて均衡の上に成り. が,もちろんそれは無制限のものではあり得な. 立っている。風や海,大地や光の力も,草木や. い。野村は, 『もののけ姫』のラストに触れて以. 緑も,すべては均衡を崩さん範囲で動いている。. 下のように述べている。. しかし,人間には人間ですら支配する力がある。 だからこそわしらはどうすれば均衡が保たれる. 最後の場面に登場する新しい森は,デタラ. か知らねばならない。. ボッチの死と再生を意味するだけでない。それ 以上に,人間によって破壊された自然がそのま. ハイタカは,疫病すらも均衡を取ろうとする自. ま消滅してしまうのでなく,かならず再生して. 然の働きであり,均衡を崩す唯一の生物は人間だ. くることを, 『もののけ姫』の結末は暗喩して. と説いている27。人間は利己的な種であり,人間. いる。しかし,「よみがえってもここはもうシ. は自らを生態系から独立させ,外部に立ち,疎外. シ神の森じゃない」とサンがつぶやくように,. する(同時に自然から疎外される)。そして,ひ いては破壊者となる。これは,デュルケムが説い. 26 宮崎は1997年のインタビューに以下のように答えて. たように,人間だけが欲望を無限拡大できる存. いる。 「清潔にしていれば人間は本来正常でいられるも. 在・種であるからに他ならない。人類が文明を創. のだというのではなくて,正常じゃないものなんだ, と。 そういう自然観に立ち戻らなければ,病気のことさえ 27 『崖の上のポニョ』での,フジモトの「人間は海から. 戻ってきた。戻ってきたんであって,新しいことが始. 奪うだけだ」というセリフにも,同様の考えが垣間見. まったわけではないんですね」(宮崎,2008:64)。. える。. 66. 理解できなくなる。戦後五十年も経って,またそこに.
(14) ジブリ映画の環境思想⑶ 創造と破壊・物質循環・共生・均衡. 造することにより,均衡は自動的に得られるもの. に敵対せざるをえないとしても,なぜ人は,こ. ではなくなった。人間が介入する環境の下では,. のレベルにおいて自然に出会わなければならな. 均衡の維持には人間の努力が必要とされるのであ. いか,という問題について,その答えが見えて. 28. る 。. くる。その出会いは,アニミズムを基盤にした. もうひとつ,宮崎は,均衡が保てなくなった理. 優しさと克己,逞しさを合わせ持った道徳的主. 由について,人間特有の条件を指摘している。. 体を構築していく契機となりうるのである。こ. 1997年のインタビューでの語りをみてみよう。. こに人が固有名としての自然に出会わなければ ならない根本的な理由がある。汚染された川を. 生物では個が死ぬことと種が死ぬこととは違. 目の前にした時,覚醒するアニミズム的な感性. うんですね。個は限りなく死んでいくんです。. が,現代の文明に立ち向かっていくための新し. 人間は個を問題にしてきましたから自然界と訣. い道徳的主体の母胎を形成する,そう宮崎は考. 別せざるを得なかったんです。個を守らんがた. えている(野村,2010:224-225)。. マトリックス. めにした行動が,種を危機に追いやった。では, その個と種をどのような思想で統合させるの. 高度経済成長期に激化した公害の原因のひとつ. か,というと,実は私には見当がつきません。. は,文明によってもたらされた便利さが身近な環. アニミズムは有効な考え方だと思いますが,決. 境に対する人々の無関心をひき起こしたことで. し て 解 決 策 で は あ り ま せ ん ね ……( 宮 崎,. あった。近年は,手入れがされず放置された人工. 2008:47) 。. 林が「緑の砂漠」となってしまっている。かつて は生活に密着していたがゆえに守られていた里山. 無意識的にではあれ,動物界は種の保存という. も,肥料が化学的に合成され,海外から木材が輸. ストラテジーの下で環境への適応の仕方を選択し. 入され,木材がエネルギーとしての価値を失うこ. ている。多くの種では,より強い子孫を残すため. とで人の手が入らなくなり,荒れ放題になってい. に,雄同士が争う。食物連鎖の下位に位置づけら. る。『柳川掘割物語』で描かれたように,かつて. れる種では,大量に産卵することで種の保存を目. 小河川は生活用水の供給源であると同時に交通網. 指す。こうした行動パターンは,個々の個体の意. の重要な部分を形成していたが,上水道が整備さ. 志を超越した種全体の意志である。しかし,人間. れ,自動車交通が主流となることで,むしろ小河. という種では,種全体の意志よりも個々の個体の. 川は不要で邪魔な存在となり,ゴミ捨て場とな. 意志が優先される傾向があると宮崎は指摘するの. り,あるいは埋め立てられたり暗渠化されたりす. である。. ることで人々の目に触れない存在になった。そし. こうした状況をブレイクスルーするための方向. て,均衡は失われたのである。. 性について,野村は宮崎の考え方を以下のように. 宮崎が川掃除の体験から得たもののひとつは,. 説明している。. 高度経済成長が終わり,人びとが再び身近な環境 に関心を持ちはじめたことに対する希望である。. 種,あるいは類としての人間と自然は最終的. これにより,大上段に立って環境問題を考えてい た時の閉塞感から,宮崎は,小さいながらもブレ. 28 均衡を回復する方法としては,コミック版『風の谷. イクスルーを得たとみることができるだろう。. のナウシカ』の森の人のように,腐海と共存するとい う持続可能なスタイルもありえる。ナウシカは共鳴す るが人々をそこに導こうとは考えない。そして,人類. 参考文献. とともに腐海のほとりで生きることを選ぶ。理想的な 処方箋は必ずしも最適解とは限らない。. ・赤坂憲雄,2003, 「宮崎駿/ナウシカ的世界へ⑦ 境を. 67.
(15) 角 一 典. 越える」『本の窓』26⑺:84-91. ・稲葉振一郎,1996,『ナウシカ解読 ユートピアの臨 界』窓社. ・梅原猛/C・W・ニコル/宮崎駿/西岡常一/岩波洋 造/吉田茂,1994,『千年の生命との出会い 巨樹を見 に行く』講談社. ・角一典,2016a,「ジブリ映画の環境思想 日本的風土 に関わる考察」『北海道教育大学紀要 人文科学・社会 科学編』66⑵:73-88. ・角一典,2016b,「ジブリ映画の環境思想⑵ 宮崎駿と 高畑勲の比較から」『北海道教育大学紀要 人文科学・ 社会科学編』67⑴:49-64. ・角川書店編,2008,『ジブリの森とポニョの海 宮崎駿 と「崖の上のポニョ」』角川書店. ・キネマ旬報編集部編,1997,『キネマ旬報臨時増刊 宮 崎駿と「もののけ姫」とスタジオジブリ』キネマ旬報 社. ・キネマ旬報編集部編,2016,「スタジオジブリの30年 名作を支えた想像力」『キネマ旬報』1719:24-57. ・ ケ ル ツ, R.,2013,「 宮 崎 駿 が 世 界 に 残 し た 遺 産 」 『ニューズウィーク日本版』28:56-58. ・澤野雅樹他,1997,『ポップカルチャー・クリティーク 1 宮崎駿の着地点をさぐる』青弓社. ・清水正,2001,『宮崎駿を読む 母性とカオスのファン タジー』鳥影社. ・鈴木敏夫,2013,『風に吹かれて』中央公論社. ・ 高 畑 勲,1999,『 映 画 を 作 り な が ら 考 え た こ と Ⅱ 1991-1999』徳間書店. ・デュルケム,H.(宮島喬訳),1985, 『自殺論』中公文庫. ・野村幸一郎,2010,『宮崎駿の地平 広場の孤独・照葉 樹林・アニミズム』白地社. ・正木晃,2009, 『「千と千尋」のスピリチュアルな世界』 春秋社. ・宮崎駿,1983-1995,『風の谷のナウシカ1~7』徳間 書店. ・宮崎駿,1996,『出発点1979~1996』徳間書店. ・宮崎駿,2002,『風の帰る場所 ナウシカから千尋まで の軌跡』ロッキング・オン. ・宮崎駿,2008,『折り返し点 1997~2008』岩波書店. ・宮崎駿,2013, 『続・風の帰る場所 映画監督・宮崎駿 はいかに始まり,いかに幕を引いたのか』ロッキング・ オン. ・村瀬学,2004,『宮崎駿の「深み」へ』平凡社新書. ・山川賢一+宮崎駿研究会監修/別冊宝島編集部編, 2013=2014,『宮崎駿ワールド大研究』宝島社. ・ユリイカ編集部編,1997,『ユリイカ臨時増刊 総特 集:宮崎駿の世界』青土社. ・ユリイカ編集部編,2013,『ユリイカ 特集:高畑勲 「かぐや姫の物語」の世界』青土社.. 68. (旭川校教授).
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東京都 環境局 環境改善部 化学物質対策課 高橋