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子どもと大人の協同的関係における育ちと学びの構造 利用統計を見る

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山梨大学教育学部紀要 第 26 号 2017 年度抜刷

子どもと大人の協同的関係における育ちと学びの構造

Growth and Learning of Children and Educators through Collaborative Relationship

in Early Childhood Education and Care

秋 山 麻 実

Asami AKIYAMA

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子どもと大人の協同的関係における育ちと学びの構造

Growth and Learning of Children and Educators through Collaborative Relationship

in Early Childhood Education and Care

秋 山 麻 実

Asami AKIYAMA

 1.はじめに  2017 年度改訂「幼稚園教育要領」は、旧教育要領に対して大きな変更が加えられた。1963 年通達以 来「幼稚園教育要領」と「保育所保育指針」の内容の整合性が図られており、また「幼保連携型認定こ ども園教育・保育要領」においても同様の措置が取られることから、この変更は、保育を受けるすべて の子どもたちに大きな影響を及ぼさざるを得ない。  その主たる変更は、小学校以上の学校階梯の学習指導要領における「育みたい資質・能力」に連な るものとして、「知識及び技能の基礎」「思考力、判断力、表現力等の基礎」「学びに向う力、人間性等」 という3本の柱が示されたこと、また「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」として「健康な心と体」 「自立心」「協調性」「道徳・規範意識の芽生え」「思考力の芽生え」「自然との関わり・生命尊重」「数量 や図形、標識や文字などへの関心・感覚」「言葉による伝え合い」「豊かな感性と表現」が盛り込まれた ことである。  この変更に伴い、従来子どもの活動や経験、育ちの側面として扱われ、保育のねらいと内容を規定 していた「5領域」が、幼稚園修了時までに「資質・能力が育まれ」「幼稚園修了時の具体的な姿」が 達成されるための過程としての活動を説明するものとして位置づけられた(第2章「ねらいおよび内 容」)。  さらに、PDCA サイクルをベースとしたカリキュラム・マネジメントの概念が導入され、教育・保育 を評価し、発展させていく視点が示された。  こうした変化は、すでに小学校以上の学習指導要領の改訂においても、グローバル化する不安定な産 業経済社会において、子供たちに将来的に自己責任を負わせることを前提とした教育構想であると批判 されているし1 、幼児教育・保育に焦点を当て、保育現場の視点から要領・指針の問題点を指摘する書 籍も出版されている2 。特に後者では、「子どもを自ら学ぶ主体として捉えていない」ことを指摘し3 、「子 どもの権利条約」を中心にすえた保育を行う重要性を訴えている4  しかし、この改訂で失われたのは、学ぶ主体としての子どもの権利だけなのだろうか。教師や保育者 など大人を含めて、我々がどのように育ち、育てるかということについて、民主的に決定する権利もま たはく奪されようとしているのではないだろうか。子どもの「主体的・対話的で深い学びを実現する」 (「指導計画の作成上の留意事項」)プロセスを通りながら、「育ってほしい姿」という一律のゴールへと 子どもが育つであろうと想定することには、矛盾がある。「主体的・対話的で深い学び」とは、子ども と教師・保育者と保護者、そして社会全体に共有されるべき原理であると同時に付加することが可能な 何かと捉えられているのでなければ、こうした矛盾は起こりえない。  本論文は、学ぶ主体として子どもが捉えられることと、学び、教育・保育を行う主体として教師・保 育者が捉えられることとの連関構造を問うことを目的とする。方法としては、新幼稚園教育要領および 保育所保育指針、幼保連携型認定こども園教育・保育要領における主たる変更の基本的な前提を整理 し、子どもの育ちに根ざした教育・保育として、日本でも有名なニュージーランドの「学びの物語」お よびレッジョ・エミリア・アプローチを手がかりにして、子どもと教師・保育者の学びの権利と、そこ

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山 梨 大 学 教 育 学 部 紀 要 平成29年 (2017年) 度 第 26 号 で担保される多様性について考察する。最後に、多様な子どもたちの学びと育ちを保障するためには、 子どもの協同性のみならず、大人の協同的な学びと育ちが不可欠であること、またそのさい教師・保育 者集団は、ある教育・保育計画の妥当性をチェックする機能を持つだけでなく、教育方針や原理、価値 について問い直す権利を持つことが、常に子どもの育ちと保育現場に根ざす教育・保育を担保すること について検討する。 2.科学的整合性を背景とした教育構想  新要領・指針で示された「育成すべき資質・能力」は、小学校以上の学習指導要領に基づいて、そ の「基礎」として提示されたものである。「育成すべき資質・能力」は、2007 年学校教育法に盛り込ま れた「学力の3要素」を基盤としている。新学習指導要領では、「個別の知識・技能」「思考力・判断 力・表現力等」「学びに向かう力・人間性」が、「育成すべき資質・能力」の3本の柱として打ち出され、 それぞれ「できるようになる」こと、「問題解決を協働で行う」こと、「学びに向かう態度」が重視され、 評価されるポイントとなっている。これは、OECDの提唱するコンピテンシーやリテラシーといった能 力概念を視野に入れつつ、グローバル化する社会の変化に対応可能な人材育成をねらいとすることに 基盤を置くものであると批判されている5 。しかし「資質・能力」は具体的に、各教科の学習内容を整 理するときの要素として構想されている。  この「資質・能力」は、E.シェインが提唱した専門家の知識の三要素ともほぼ対応している。シェイ ンはこの三要素を、「実践が基盤を置き、そこから発展するための基礎となる学問や基礎科学」「応用科 学と技術的学問」「技能や態度」としている6D.ショーンはこれを援用して、「専門家」の仕事が、知 識と技術的合理性をベースとして、実践を組み立てるべきものとして想定されていることを指摘する7 。 基礎的知識があり、それを応用する知識や方法、技能があって、それを実践し、その体系を守る態度 があるという構造、近代社会のなかで生まれてきた専門家 (プロフェッショナル) を存立させる。した がって、この3本の柱は、グローバル化する不安定な経済社会への適応のために提唱されているだけ でなく、近代の合理性を前提とする職業観、知識観をそのまま継承することも求めるものである。  ショーンはこうした専門家の知識構造に対して、そのなかでは具体的な経験のなかで得られる知の 体系を位置づけることができないことを指摘し、実践から省察する専門職のあり方について議論する が、そのとき例示されるのが、教師という職業である8 。つまり、具体的な教育計画、内容、実践と子 どもの様子、生活、育ちに対する経験的な知が、省察のなかで明らかにされることが、教師という職 業の専門化には不可欠ということになる。そしてこうした知は、最初から、予定調和的に知識構造の 中に回収されえないものだからこそ、反省的実践、行為しながらの考察が提唱されたとみることがで きる。  その意味で、学習指導要領、幼稚園教育要領、保育所保育指針においては、子どもたちの知はあら かじめ、近代社会における職業的な知識構造の範囲内での獲得目標として想定されており、経験から 立ち上げていく何か、既存の職業的知識構造に回収され得ない何かへと広がりをもつ可能性は想定さ れていない。  幼児教育・保育において、こうした3本の柱の「基礎」を育てることには、さらなる問題がある。 『OECD保育白書』第三版(2012年)では、カリキュラムの目標を「(自信を持ち、幸せに)なること」 「(実験や遊び、グループの相互活動を通して)活動すること」「(特に教育的な対象を)学ぶこと」「(差 異と民主主義的価値を尊重しながら)共生することを学ぶこと」と設定している。また、それらより 幼児にふさわしい目標として、幸福追求と社会的生活を位置づけている。つまり、コンピテンシーや リテラシーといった能力概念を提唱するOECDといえども、幼児教育・保育において、それらを首尾一 貫した教育目標として設定することは勧めていないのである。むしろ、子どもたちの「主体的・対話

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的」な学びのプロセスを技術論レベルで捉えるのではなく、子どもたちの豊かな生活と経験および幸 福を目標とし、そこから立ち上がる学びを提唱している。  今改訂の大きな変更は、小学校教育との接続と、それを支える合理的な教育目標、およびそのため の到達点の提示にある。「はじめに」で示した「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」は、全部で 10 項目に整理されているが、それは小学校生活科へと「接続」され、「他教科等における学習に円滑に 移行し,主体的に自己を発揮しながら,より自覚的な学びに向かう」ことへと繋げられるカリキュラ ム設計が要求されている。つまりここでは、子どもの育ちが、特定の「姿」へと「達成」され、それ が「資質・能力」の「基礎」とされ、次の段階へと「移行」するものとしてイメージされているので ある。社会の要請に基く形成的な教育観と学校種間の接続の重視により、子どもの育ちは単純に線形 的に捉えられたということができる。従来の5領域は、子どもの活動、経験と育ちの側面とされてき たが、こうした変更に従い、幼稚園修了時までに「資質・能力が育まれ」「幼稚園修了時の具体的な姿」 が達成されるための過程としての活動を説明するものとして位置づけられた(第2章「ねらいおよび 内容」)。したがって、3歳以上児の幼児教育・保育のねらいと内容は、子どもたちの生活と経験のな かから立ち上がる学びを支える「観点」と同様の姿を保ったまま、しかし子どもの多様性や可能性を 担保するのではなく、むしろあらかじめ設定された「姿」へと回収されるかたちへと変貌を遂げたと いうことができる。  新たに盛り込まれたカリキュラム・マネジメントは、教育課程や保育の全体像と園の運営全体を、 PDCA サイクルを活用して改善することを意味している。しかし、「計画―実践―チェック―改善」と いうサイクルは、本来教育にふさわしくない評価構造であるばかりでなく、提唱者によって、「チェッ ク」ではなく、現場のなかから考えるという行為が不可欠であること、よって「スタディ」の方がふ さわしいと改訂されているという9 。少なくともPDCAではなくPDSAであることの意味を考えようとす ることは、おおいに意義がある。子どもの生活経験やその姿から、子どもの育ちの意味や意義を探ろ うとするためには、PDCAサイクルは不適切なモデルであり、計画が実践のなかでうまく遂行できたか をチェックするのではなく、実践について学び、考えることが、不可欠だからである。 3.複層的な学びのイメージと学びの主体としての権利  このことは、子どもたちや教師・保育者の権利論と結び付けて考えることができる。ここではレッ ジョ・エミリア・アプローチにおける子どもの権利の思想と、ニュージーランドの幼児教育を支える 「学びの物語」における教師・保育者の役割をてがかりに、考察したい。  L. マラグッツィによる詩「でも、100 はある」は、すべての子どもたちが異なり、それぞれが「100 の/聞き方/驚き方、愛し方/歌ったり、理解するのに/ 100 の喜び/発見するのに/ 100 の世界/発 明するのに/ 100 の世界/夢見るのに/ 100 の世界」を持っているのに対し、教育はそうした可能性を 奪うのだと警告する10。この詩はつとに有名だが、子どもたちの多様性をいかに私たちが軽視しがちか ということを訴える力強いメッセージであり続けている。特に、これが詩という形式をもっているこ とは重要である。詩であるからこそこの文章は、私たちが「多様性」ということばを具体的にイメー ジできているのか、そのなかで「愛する」「夢見る」「発明する」といったことばを子どもの生活を表現 する用語にできる感性をどれだけ保持しているか、といった問題を突きつける。  とはいえ、こうした子どもたちの多様性が、子どもの育ちのイメージの構築や共有とどのように関 わるか、という問題については、ここでは扱われていない。それが強烈なかたちで表現されている文 書は、レッジョ・エミリア市にあるローリス・マラグッツィ・センターの入り口右手の通路に展示さ れている。そこでは、3歳から5歳の子どもたちの権利について、「闘う(rebel)」「議論する(argue)」 という動詞が使われている。そのなかには「自分の意見を表現する(to express your own opinions)」権

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山 梨 大 学 教 育 学 部 紀 要 平成29年 (2017年) 度 第 26 号 利のために戦うことや、「不服従(disobey)」の権利のために議論することが含まれる11 。それは単なる 子どもの多様な生活を権利と結び付けて表現しているものではない。教育と育ちの権利と、子どもが 多様であることとが、結び付けられているのである。たとえば「退屈への(to boredom)」権利は、こ のように説明される。「退屈は、素晴らしいものだ。なぜなら私たちは違うことを考える。私たちはそ のとき未来をのぞき込んでいるのだ。」  このようなある種具体的な子どもの権利の思想は、子どもが自らのあり方を決定する権利が、現在 のものであるだけでなく、未来に及ぶことを前提としている。つまり、教育や育ちへの権利から、子 どもたちが疎外されていないことが、前提となっている。  レッジョ・エミリアの実践についての展示や報告、出版物が、事前に教育・保育や子どもたちの達 成目標を設定せず、プロセスそのもの、あるいはその表現、そして結果としてのアートへとたどり着 く保育の流れを提示するのは、単に素材、時間、空間の扱い方が創造的であるからではない。そうで はなくて、教育・保育の具体性のなかで、民主主義はどのように実現されるかということがテーマの ひとつとなっているからである。アトリエリスタであるヴィア・ヴェッキは、このテーマを「政治的 な価値と日常行為的な価値を結びつける(combining political and ethical values)」と表現する12

。  すでに広く知られているように、ドキュメンテーションとディスカッションがレッジョ・エミリア の保育・幼児教育において重視される。それはドキュメンテーションが、子どもたちがどのように育 つのか、どのように感じ、考え、学ぶのかということの多様な記録であり、それを基に考え、話し合 いながら保育を行うことによってしか、子どもの学びと育ちを保障することができないからなのだ。 そして、教師・保育者、アトリエリスタ、ペダゴジスタのチームによる、ドキュメンテーションと話 し合い、そして保育と子どもたち自身がたどったプロセスは、「研究」と呼ばれる。  ニュージーランドの幼児教育における「学びの物語(learning stories)」は、保育者による保育の振 り返りに使用される保育記録のあり方を指す用語であるが、それは単なる保育記録ではなく、子ども や保護者にとっても、子どもの育ちを跡づけ、共有することができる記録であり、また保育者が多忙 ななかでも記録として作成しやすく、利用しやすいかたちで作られるように考案されている。そこ では子どもの「学びの構え(disposition)」として5つの領域があげられている。「関心を持つ(taking an interest)」「熱中する(being involved)」「困難ややったことがないことに立ち向かう(persisting with difficulty or uncertainty)」「他者とコミュニケーションをはかる(communicating with others)」「自ら責 任を担う(taking responsibility)」13 という5つの領域は、「学びの物語」としての子どもたちの活動と保 育の実践記録を残すときの観点となっている。これらの観点は、学びが「一般性、抽象性、記号性及 び論理性が徐々に増大していく知識とスキルを個々人が獲得してくこと―つまり「形式操作(formal operations)」と呼ばれるずっと先の最終目標に向って一本道を歩いていくこと―」とは想定され得ない という前提から出発して構成されている14 。  これらの5つの観点は、「進んでやろうとすること」「機会をとらえること」「することができること」 という3つの次元に分けて捉えられており、子どもたちに育ってほしい姿として受け取ることは可能 である。そして、これらの観点から子どもたちの育ちの記録が紡がれるときには、当然保育者の観点 と子どもの育ちを促す方向性として利用される指標となるだろう。しかし、これらの5つの領域につ いて、カーは「保育の場での調査、観察、討論を通じで明らかにされてきたもの」であり、「特定の歴 史的時間における特定の場所で引き出されたもの」と限定的な指摘を加えている15 。つまり、育ちの指 標や、子どもの育ちの重要なモメントとして構築されているとはいえ、これらの5つの領域は、普遍 的な価値を持つものではなく、時代と場所によって、これらの観点自体が見直されてしかるべきだと いう但し書きが、ここには添えられているのである。事実、カーは「アセスメントする人としての教 師」を主役にした議論の展開のなかで、アセスメントの9つのガイドラインを指摘し、第一には「ア

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セスメントは事前に予測することのできない発達をとらえるものである」という点、第二に「アセス メントは学び手の視点を探究するものである」という点を挙げている。これらは、5つの領域が、発 達が段階的に到達点へと達するものではないこと、子どもたちの視点を中心に学びをとらえなければ ならないことを意味している。  このことは、子どもたちの学びは、教師や保育者の観点によって評価され、ある到達点へと達すれ ばよいというものではなく、子どもの視点と、それを感知し明示化していく大人の学びによって、常 にそれが「どのようなものか」と問われなければならないということを意味している。  また、こうした控え目な但し書きが、一旦育ちのイメージや枠組みが定められたとき、それらは子 どもの育ちを評価し、あるいはそのための手だてとしての保育を評価するための有効な指標となり得 るけれども、それが常にある特定の場と時における特定の価値観を背景にせざるを得ないことを示し ている。そして子どもと保育者が学び続けるためには、常に育ちのイメージや枠組み自体も反省的に 評価されなければならないこと、そしてその手がかりとなるのは、大人が予測できないことも含めた 子どもたちの生活・活動とそのなかで生起する育ちの姿であることを示唆している。  日本ですでに紹介され有名になっているこれらの保育が示唆するものは、教育・保育のねらいや到 達点を大人が考えるさいに鍵となるのは、社会の生産性に関する価値やグローバリゼーションによる 要請ではなく、また既存の知識構造に向かう学びを組織することでもなく、子どもの育ちの多様性と 可能性を示す物語と、それを学び、支える大人の育ちであるということである。首尾一貫した教育体 制のなかで、ある到達点としての「育ってほしい姿」が決まり、そこから次の段階へと接続されると したら、それは子どもの多様な姿を尊重することとは、原理的に相容れない。 4.評価の範疇と教育的価値  要領・指針におけるカリキュラム・マネジメントの概念が、PDCAサイクルをモデルとしていること、 それに対してチェックではなく、学びと考察によって実践を振り返る必要がすでに指摘されているこ とは、前述の通りである。このとき、学びと考察が必要な理由は、どこに求めればいいのだろうか。  ある計画が立てられるとき、そこには活動全体の原理や方針がある。教育や保育であっても、それ は同様である。生産工程評価として構築されたPDCAサイクルの場合には、そうした原理や方針に対す る反省は不要である。なぜなら、たとえ事業所全体の労働に関する基準や理念があったとしても、基 本的に生産は、生産効率を重視して評価することになるからである。一方教育・保育の場合には、振 り返りや評価の範囲が計画(P)や実践(D)に留まるとしたら、それは教育や保育全体を評価したこ とにはならない。計画と実践の背景には教育理念や原理、方針があり、またその前提となる子ども観 や価値観がある。その子ども観や教育方針が妥当かどうかということもまた、教育・保育の振り返り の対象にならなければならない。PDCAサイクルをモデルとするとき、そうしたPDCAの範囲を超える ところまで反省や評価が及ぶことを想定することは非常に困難になる。PDCAではなくPDSAが、すな わち学びや考察が振り返りの行為として必要な理由は、少なくともそれらには、計画の前提へと考え を広げる可能性があるからである。しかしおそらく、根本的には、計画(P)から始まるモデルではな く、理念や価値を含み込む評価概念が必要となるだろう。  カーが、「学びの物語」の5つの領域を、特定の地域に限定されるものとして但し書きのように述べ、 議論へと開かれたものとして提示したのは、5つの領域が、ニュージーランドの保育現場から議論を 経て立ち上げられた子ども観や子ども像に根ざしているから、さらにはその社会の価値観に根ざして いるからである。そうして立ち上げられた子どもの育ちのねらいは、その改訂が保育現場の議論へと 開かれていなければならない。なぜなら現実の子どもたちの多様な姿が尊重されなければならないし、 そのためにはその子どもたちと接して保育している教師や保育者が、多様な声で彼らを捉え、表現し

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山 梨 大 学 教 育 学 部 紀 要 平成29年 (2017年) 度 第 26 号 なければならないからである。  それぞれの子どもたちの多様性を保障することと、育ちを促すこととを両立するとすれば、協同的 な関係が不可欠になる。実は、「協同性」は、「育ってほしい姿」のなかの項目として挙げられている。 そこでは、協同性は「友達と関わる中で,互いの思いや考えなどを共有し,共通の目的の実現に向け て,考えたり,工夫したり,協力したりし,充実感をもってやり遂げるようになる」ことと説明され ている。この説明は、異なる意見や価値観がぶつかったとしても、最終的には調整し、協力的に生き ることを子どもたちに求めるものである。しかし子どもたちは、現実の生活の中で否定的な感情や、 意見や価値観の違い、「つもり」の違いなどを感じ、互いに違うことに意義を感じるまでには、長い道 のりを通らなければならない。協力できないときや、参加しないという権利を行使することも、その 道のりの中には入ってくる。主体的で対話的な学びは、そうした異なる他者がいてこそ、成立する。 したがって協同性を説明するとすれば、そうした多様な姿を、教師や保育者が受けとめて意味づけ、 子どもたちの関係として成立させていくような枠組みでなければならないし、この課題は、子どもが 身につけるべき態度として収斂するのではなく、私たちの政治的問題として、あるいは行動や教育原 理として位置づける価値があるかどうかという価値的問題として、議論されなければならない。  このことは、教師や保育者の協同性に関連づけられる。多様な子どもたちの姿を、複数の眼で捉え、 意味づけていくときには、異なる意見を出しながら、学び、考察する機会が、教師や保育者になけれ ばならない。そのときに、子どもたちの多様性や協力について、どのような価値観をもって接するの か、何を重視するのかという問題は、つねに議論へと開かれている必要があるのだ。  勝田守一が能力について個人的に発達することを基盤とした概念を提出したとき、それは無前提で 一般的で普遍的な概念ではなく、教育的価値によって規定されること、そのとき「人間の喜び」や社 会のあり方として「集団の連帯性」の発展といった価値から離れるべきではないことを指摘していた16 。 このことは、教育の目標やねらいが、民主的な価値から遊離すべきでないことを示唆している。子ど もたちの多様な学びと育ちを保障するためには、教師と保育者の経験からの学びと考察を含む省察の プロセスが不可欠であり、それが協同的に行われることによって、民主的に私たちが教育や保育に何 を求め、何をねらいとし、何を原理とし、何を目標とするのか、ということを生み出していくことが、 根本的に教育には不可欠なのである。教師の専門性の向上は、そのプロセスにおいて生起する学びと 育ちでなければならない。レッジョ・エミリアの保育・幼児教育関係者による「研究」や、「学びの物 語」における但し書きと子どもの多様性への言及は、そうした民主的な教育および教育研究を担保す るものとして機能している。   5.おわりに  多様で協同的な学びと育ちが、子どもと教師・保育者の両方に必要であること、特に子どもたちの 多様性を教育のあり方に反映していくためには、多様で協同的な教師の振り返り、話し合いが必要で あること、そのプロセスのなかでは、実践についてだけでなく、教育の原理や方針、ねらいや目標も また議論に対して開かれていることが、民主的な教育に不可欠であることを論じてきた。  新幼稚園教育要領、保育所保育指針、幼保連携型認定こども園教育・保育要領においては、主体的 で対話的な学びや、協同性などへの目配りがあるものの、根本的に子どもたち、教師・保育者の協同 的で多様な学びと育ちを保障するものでも、前提するものでもない。  実際には、園内研が充実している園以外の多くの幼稚園、保育園、認定こども園が、時間の不足、 職員の人数、園の方針などによって、保育を十分に振り返る余裕がない。一方、保育の中で何か工夫 をしたら、そのことについて同僚と話し合ってみたいという教師・保育者の願いは切実である17 。  本論文では具体的な教師・保育者の学びについて言及しなかったが、教師・保育者が喜びをもって

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そうした学びと育ちを実現していく手立てについての研究は、今後の課題としたい。 1  子どもと教科書全国ネット21『大問題!子ども不在の新学習指導要領』合同出版、2016 年。 2  大宮勇雄ほか『どう変わる?何が問題?現場の視点で新要領・指針を考えあう』ひとなる書房、2017 年。 3  垣内国光「保育指針改訂で欠落した議論―保育士配置基準と処遇の改善」同上、98 頁。 4  島本一男「子どもの権利とプロセスを大切にする計画と評価」同上、79 頁。 5  子どもと教科書全国ネット21前掲書、30-35 頁。 6  E. Schein, Professional Education, McGrow-Hill, 1973, p.43.

7  D.ショーン『専門家の知恵―反省的実践家は行為しながら考える』ゆみる出版、2001年。

8 

同上、27 頁。

9  藤井啓之「PDCA から PDSA へ:教師にも子どもにも表情のある教育を」『教育』2017 年2月号、63 頁。PDCA サ

イクルを提唱したエドワーズ・デミングはPDCAサイクルを「改善」して、PDSAサイクルに変更している。 10 レッジョ・チルドレン『子どもたちの 100 の言葉―レッジョ・エミリアの幼児教育実践記録』2012 年、5頁。 11 2016 年4月にレッジョ・エミリアで行われた国際学習会に参加したさい、この権利の捉え方は、様々な国から来 た訪問者との議論を誘った。それは、決して冷静で科学研究的な態度ではなく、むしろそのメッセージの力強さ への感動を分かち合うことに終わることも多かったが、たとえば「学校に行く」ことについて、それが義務なの か権利なのかということを議論しようというメッセージや、学校に行く権利と同時に、劇場に行く権利がある、 といった表現は、私たちが学校に対して持っている観念の狭さを振り返らせるのにふさわしいものだった。 12 V. Vecchi, Art and Creativity in Reggio Emilia: Exploring the Role and Potential of Ateliers in Early Childhood Education,

Routledge, 2010, p.xv. 13 M.カー『保育の場で子どもの学びをアセスメントする―「学びの物語」アプローチの理論と実践』ひとなる書房、 2013 年、51 頁。 14 同上、37 頁。 15 同上、53 頁。 16 勝田守一『能力の発達と学習』国土社、1964 年。 17 こうした声はよく聞かれるが、ここでは特に、2017 年度より地域の2認定こども園、2私立幼稚園、1国立幼稚 園、第3教育学研究者とともに筆者が行っている学習会で、若手の保育者が表出してくれた思いを想定している。

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