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マット運動における自己観察能力に関する一考察 利用統計を見る

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Academic year: 2021

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1.緒言  学校体育において,教師は常に授業で取り組んだことに対して児童に評価をつけ,授業に対する反 省や改善点について考えなければいけない.評価には「評価基準」と「評価規準」があり,「評価基準」 は,「評価規準」で示されたつけさせたい力の習得状況の程度を明示するための指標を,数値(1・2・ 3),記号(A・B・C),または文章表記で示すものである.「評価規準」は評価観点によって示され た子どもにつけさせたい力を,より具体的な子どもの成長の姿として文章表記するものである.旧指 導要領(平成10年12月)では,関心・意欲・態度,思考・判断,技能の順に明記されていたが,新指 導要領(平成20年8月)では,技能,態度,思考・判断の順に明記されるようになった.これは,小 学校学習指導要領解説体育編にある「運動する子どもとそうでない子どもの二極化の傾向や子どもの 体力の低下傾向が依然深刻な問題となっていることから,すべての運動領域で適切な運動の経験を通 して,一層体力の向上を図ることができるよう指導のあり方を改善することとした.」というためで ある.このことにより,教師は一層技能に対する評価を注意して行わなければいけない.  また,授業の際,児童の動きを教師が観察し,児童の実際の運動経過を示す情報を与えることで, 児童が内観した情報とすり合わせながら動きを修正していくことがパフォーマンスの向上につながる と考える.そのため,児童の実際の運動経過を示す情報を与えるためには,常日頃から児童の動きに 対して,教師が評価を行い児童に還元することが必要である.  しかし,大後戸ら(2009)は,「授業の目標に準拠した評価基準に基づき適切な情報を与えること ができるのは『指導者の評価』である.」と述べている一方で,「通常一名で行われる体育授業で,指 導者が学習者全員に適切な評価の結果の情報を与えることは非常に難しいのが現状である.」と述べ ている.また,「評価の頻度でいえば,指導者から児童への評価よりも児童自身の自己評価や児童相 互で行われる評価の方が,授業の評価活動の大半を占めているのである.」とも述べている.さらに, 金子は,「運動学習も場面において,運動覚を意識させ,それを言語化し,確認する学習活動が欠落し ていることが少なくない.生徒が一回ごとの試行の運動経過を自己観察によってとらえようとする学 習を欠落させておいて,教師が一方的に修正の情報を出してもなんらの成果を生むことはできない.」 と述べていることから,学習者の自己評価を生かした指導や評価を行うことが重要になってくると考 える.  金谷らは「運動の自己観察」は,「自分の運動体験を観察すること」と解している.運動を行う際は, 学習者は,自分の動きを判断する能力,つまり「自分の動きがどうなっているか分かる能力」が求め られる.

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市 川 拓 郎

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岡 村 輝 一

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藤 本   俊

新 井 重 信

*** 2010年度山梨大学大学院教育学研究科修了  仙台大学  防衛大学校

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 上述したことから,  ① 「自己評価」や「相互評価」を生かした指導・評価を行うために,「自己評価」に着目した実験 を行い,検討する必要がある.  ② 熟練者と未熟練者の「自己評価」と「客観的評価」とのズレの大きさを探ることで,運動の経 験が多いほど正確な「自己評価」を行うことができるかを検討することが必要である.  ③ スポーツ運動に関する「自己評価」と「客観的評価」を運動学をもとに考え,教育現場に還元 させる考え方を探るために用語の概念を整理・解釈することが必要である.  以上のことを踏まえた研究が必要であると考える. 2.研究目的  本研究では,スポーツ運動に関する「自己評価」と「客観的評価」を運動学をもとに考え,教育現 場に還元させる考え方を探ることを交えながらマット運動より技を抽出し,学生を対象として「自己 評価」と「客観的評価」のズレについて分析することで今後の学校体育における児童の自己評価や児 童同士の相互評価を生かした授業展開や評価に生かすための一資料とすることを目的とする. 3.研究方法 1)運動学的な観点から自己評価・客観的評価の用語の概念を整理・解釈を行った. 2)実験について  (1)被験者   ① Y大学人間教育学部所属の大学生を対象とした.   ② 人数は,10人で行うこととした.   ③ 被験者を熟練者と未熟練者とし,熟練者は体操競技(器械体操競技歴,14年・13年・11年・4年) を行っている4名,未熟練者を6名とした.  本研究では,熟練者を体操競技の経験がある者とし,未熟練者は,体操競技の経験がない者とする.  (2)実験期日・場所   平成23年1月.Y大学体育館.  (3)実験方法   ① 前転・後転・開脚前転を被験者に行わせた.   ② 試技回数は,3回.20分程度の練習の後,実施する.試技するたびにデジタルビデオカメラ (&$6,2社製)2台にて被験者の左側面(高さ120㎝マットとの距離400㎝)と正面上から撮 影した.   ③ 実施ごとに自分の行った技に対して自己評価をした.   ④ 後日,デジタルビデオカメラにて撮影した動きを見て,もう一度評価をした.     評価は,1よくできた・2できた・3あまりできなかった・4できなかった,の4段階にし, 中井ら(2009)の「単技に対するきれいな動きと動きのリズムのポイント」を参考にし,技 全体のできばえと各ポイントごとの評価を行った.この表を利用したことにおいては,各局 面(準備局面・主要局面・終末局面)の中から課題に対しての固有の動きのかたちが現れる 主要局面と主要局面の力動的な動きが静的な平衡状態へと移行していく終末局面の二つの局 面に着目して評価を行うためである.また,手を付くタイミングや足を開くタイミングなど の課題の動きをリズムとしてとらえるリズム化の部分の評価を行うためである.  (4)分析方法   ① 評価表を使った「自己評価」とデジタルビデオカメラで撮影した動きを見ての「客観的評価」

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のズレを誤差で表した.誤差は,「自己評価」−「客観的評価」の差で出した.   ② 全体のできばえと「単技に対する綺麗な動きと動きのリズムのポイント」(表1)のポイント ごとに評価を行い,「自己評価」とデジタルビデオカメラで撮影した動きを見ての評価のズレ から「自己評価」と「客観的評価」とのズレがどの程度あるのか把握することとした.   ③ 熟練者2名・未熟練者2名を抽出して,熟練者と未熟練者の「自己評価」と「客観的評価」 の傾向を探った.   ④ 熟練者と未熟練者の「自己評価」と「客観的評価」とのズレにどのような違いがあるかを誤 差の比率での比較を行った. 4.スポーツ運動に関する自己評価と客観的評価について  (1)自己評価と客観的評価  本研究では,自己評価と客観的評価について研究していく.そこで,自己評価と客観的評価につい て定義する必要がある.その定義の前に自己観察と他者観察について述べたい.  自己観察とは,ドイツの心理学者:XQGW:が複合的な意識の中に要素を発掘し,意識の構成を明ら かにする方法として提唱したものであり,内観ないし内省とも呼ばれ,意識体験はこれを経験する自 分自身による以外に直接これを経験する方法はなく,その意味でこの自己観察ないし内観は心的現象 を研究する際の出発点といわれている.マイネルによると,運動の自己観察も資料としての公共性や 信頼性に問題ありとしながらも,パヴロフの運動性分析器の論を拠り所として,運動の研究,とくに モルフォロギー的研究には不可欠であるとしている.またフェッツは,自己観察を述べる上で,運動 感を挙げている.運動感 の中には知覚と判断の行為が確認されるということが この運動はまだ感 じさえもつかめていない という言葉で述べられているとしている.たとえば,骨,腱,筋,耳や皮 膚からの多くの感覚は,我々に一定の運動に関してのデータを提供し,それらの全体の中で,いわゆ る運動覚を形成するものであるが,それらは運動の判断というものの前提であると述べている.また, 体験としての運動感は,正確な自己観察から生み出されるような,鮮明に分化した運動の判断にまで さかのぼる必要はないとしている.しかし,うまくいったと体験される,はっきり分化した一連の運 動は,複合的で,未分化な運動系の体験における機能快感に近い快感よりも,相応により強い快感成 分を持った,より持続的で深い 運動感 というものを引き起こすとしている.このことから,自己 観察いわゆる内観や内省として上手にできたと当事者に感覚される体験においては,より強烈で鮮明 な分化された 運動感 を得ることができると考えられる.さらに,自己観察の中で動きを把握する 際に,運動の知覚からデータを得る.ルディクによると運動の知覚は,いろいろな分析器の強調によっ て起こると述べている.その分析器は,   視覚   運動覚    1)筋覚    2)腱の受容器からの諸感覚    3)関節表面からの諸感覚   触覚    1)接触による諸感覚    2)圧迫に基づく諸感覚    3)対象物との交流における諸感覚(堅い−柔らかい,なめらか−ざらした,弾力のある)   臓器感覚(たとえば,筋あるいは骨からの痛覚)   平衡感覚

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を挙げている.フェッツはこのような感覚は我々が運動に注意を向けたとき,はじめて現れるといっ ている.このことからも運動の知覚から自己の動きを感じるという自己観察をするということは,運 動に実施者が注意を向けて(あるいは意識を向けて)行わなければならない.  他者観察については,金子によると他者観察は直接に現実の運動経過を観察したり,映画による運 動経過観察をして,その中に本質的な運動徴表をとらえようとする研究法であり,自己観察と表裏一 体となって運動のモルフォロギー的研究の重要な基礎をなしているものであると述べている.また, マイネルは,スポーツの運動経過は客観的に,つまりすべての人に利用されるように提供されており, 追検査できるように与えられている.体育教師が日常そうしているように,スポーツの運動経過をそ の現実に行われている姿のまま,しかも目だけ(肉眼で)で観察するものであるとしている.さらに 他者観察において運動を観察して,その経過のなかに本質的な諸徴表を見抜く能力,つまり,運動を 見抜く力というのは他者観察において,運動共感能力と並んで不可欠な前提であるとも述べている.  本研究での自己評価については,上述した自己観察を行う上で,教育という現場に還元するために 児童では,自己の動きを言葉で表現することが難しいと考え,児童への適応の前段階的資料を得るた め,大人を対象とした観察実験を行った.そこでは,自己観察という枠の中に「よくできた・できた・ あまりできなかった・できなかった」,の4段階の評価の枠を当てはめ,自己評価という形で行うこと とした.また,他者評価に関しては,映像資料から自分自身の動きをもとに客観的に運動経過観察を 行い,自己評価と同じように4段階の評価方法で行うこととした.教育の現場において,教師は授業中, 約30人の児童の動きを常に他者観察していなければならない.特に運動技術に対して指導をするとき, 「今・そこ」という児童の一瞬の動きに対して運動徴表(メルクマール)を見抜き,その運動表象を追 体験(あるいは共感)として把握し,即座にポイントとなる部分への的確な指導が求められる.こう した時機を逃さない,適切な指導を行うためにポイントをとらえる能力(技術理解に基づいた視覚情 報からの他者の運動表象を予測する能力)が必要であると考える.その基本資料を得るために,本研 究では簡易な運動技術3つを選び,その技術をいくつかのポイントに分化し,言葉にして提示した.  (2)運動表象について  運動表象とは,ある運動を行ったことによって動きとして現れる運動の形式(フォーム)である. メセニーはカッシラーとランガーを引用しながら, 送信器 ではない 変圧器 にたとえられる人間 の精神に着目し,感覚知覚をシンボルに転換できる能力の第一のあらわれを話すことであるとする. しかし,言語で表せない非論弁的領域もそこに特有の意味を有し,音楽,絵画における感覚素(音楽 ならばそこで使用される音)と同様に,身体運動の運動感覚的知覚もシンボルに転換されると述べて いる.そこで,メセニーはすべての運動形態を次の用語で表した.  キネストラクト(.LQHVWUXFW)…運動時の身体各部によって構成される動的な身体形式  キネセプト(.LQHVFHSW)…キネストラクトを筋肉運動として知覚することによって生じる感覚形式  キネシンボル(.LQHV\PERO)…状況的・心理的・身体的脈絡の中で,キネストラクトとそのキネセ プトの意味を抽象することによって得られる概念的形式  上述した用語を使って運動表象を表すと,自己観察(内省)によって得られたものは筋肉運動とし て知覚することによって生じる感覚形式であることからキネスセプトであるということができる.ま た,他者観察で得られたものは,運動時の身体各部によって構成される動的な身体形式であることか らキネストラクトであるということができる.このことから,運動を行う上で,自己観察からのキネ シンボルと他者観察からのキネセプトをすり合わせることが自己の動きすなわち各自に相応しいキネ ストラクトを把握することにつながり,そのことが運動技能の向上につながると考えられる.また, 金子は,子どもの動きに共感する〈運動共感〉は,運動指導において教師に求められる絶対条件であ

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ると述べている.この〈運動共感〉は,児童が実施している運動に対するキネセプトと客観的にとら えたキネストラクトの両方の形式を観察することを持ち合わせていないといけない.また,児童が自 己評価を行うことや,児童同士が互いに他者観察することで,実施する運動に対してのキネセプトや キネストラクトを理解し,児童自身の運動を認知し,運動をわかることができ,また運動技能のさら なる向上につながる可能性があるのではないかと思われる. (3)現場の実践について  小学校学習指導要領解説体育編では,教科の目的として「生涯にわたって運動に親しむ資質や能力 を育てる」と明確に示されている.しかし,運動する子どもとそうでない子どもの二極化の傾向や子 どもの体力の低下傾向が依然深刻な問題となっている.では,どのようにすれば「生涯にわたって運 動に親しむ資質や能力」を養うことができるのであろうか.これは,いかに児童が意欲的に運動に取 り組むことかということであると考える.意欲とは,人間の心的態度として活動の方向づけや持続を 強化する働きを持つものとされている.意欲をもたせるために,現場では,できる喜びや運動の動き がわかったという感覚が運動の楽しさを児童に味あわせる要因になるであろう.坂本は,「自己評価力 を高め,運動の楽しさを感じる体育学習プログラムの研究」の実践から,自己評価力が高まったと評 価された児童は運動に対する技能の伸びや高まりを実感していると述べている.このことから,児童 の自己評価に関する能力を高めることがより運動へのできる感覚(運動有能感)やできる喜びを味わ うことにつながるのではないかと思われる.そして,楽しさを感じ,生涯運動に親しむ姿勢や習慣を つけることができるのではないかと考える.  以上のことから本研究は,教員養成課程所属の大学生を対象として,児童期において重要な運動領 域である器械運動領域のマット運動より技を抽出し,現場で運動技術を教える際の運動における技能 の「自己評価」と「客観的評価」のズレについて分析し,将来的には学校体育における指導現場での 児童の自己評価や児童同士の相互評価を生かした授業展開や評価に生かすための一資料とすることを 目的とする. 5.分析結果及び考察  (1)熟練者と未熟練者の自己評価と客観的評価の比較について  ここでは,熟練者・未熟練者においてそれぞれ2名ずつの結果を例示することとする.例示する熟 練者は,被験者の中で体操競技歴が長い(14年・13年)の2名とした.未熟練者においては,無作為 に抽出した. 図1.熟練者6,(体操競技歴13年)の自己評価と客観的評価の比較

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 本研究の抽出した熟練者と未熟練者の自己評価と客観的評価の傾向については,上図した4つの図 から熟練者と未熟練者の自己評価と客観的評価の傾向を考えてみる.まず,自己評価・客観的評価と もに,熟練者では,1∼3の評価のみがつけられているが,未熟練者においては,1∼4の評価がつ けられている.このことから,未熟練者は自己評価・客観的評価ともにできなかったと評価する傾向 図2.熟練者$)(体操競技歴14年)の自己評価と客観的評価の比較 図3.未熟練者0,の自己評価と客観的評価の比較 図4.未熟練者'7の自己評価と客観的評価の比較

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が熟練者より多いということが示唆された.  また,自己評価と客観的評価の比較から,一致した項目を見ると,熟練者6,では6項目,熟練者$) では10項目,未熟練者0,では8項目,未熟練者'7では6項目であった.熟練者$)は10項目が一致 しており,高い自己観察能力が見受けられた.熟練者6,と未熟練者0,はともに8項目であり,本研 究では未熟練者の中でも自己観察能力がある者がいることがうかがえた.特に,熟練者$)は,高評 価での一致した項目が多いことから,より高い自己観察能力があることが示唆された.  自己評価が客観的評価より高い評価をつけた項目を見ると,熟練者6,では1項目,熟練者$)では2 項目,熟練者0,では4項目,未熟練者'7では3項目であった.このことから,若干ではあるが,未 熟練者のほうが自己の動きを感じとるとき,よいできばえであると捉える傾向があるのではないかと 思われる.  客観的評価が自己評価より高い評価をつけた項目は,熟練者6,では11項目,熟練者$)では6項目 であった.一方,未熟練者0,では6項目,未熟練者'7では9項目であった.このことから,熟練者 6,が11項目と多くの項目で客観的評価が高い評価をつける結果となった.ついで,未熟練者'7が9 項目であった.熟練者において,客観的評価が高い項目が多いことは自己の動きを低評価することが あるのではないかと考えられる.未熟練者で客観的評価が高い項目が多いことは,動きに対して自己 の動きを把握することが難しいのではないかと思われる. 6.考察  本研究の熟練者と未熟練者から各2名抽出してのそれぞれの比較から,一致した項目の多い熟練者 では,11項目であった.また,自己評価・客観的評価ともに高い評価での一致であったことから,熟 練者では高いレベルでの自己観察能力ができるのではないかということが考えられる.また,未熟練 者でも一致した項目が多い者では,9項目であった.このことから未熟練者の中にも自己観察能力に 長けている者がいると思われる.特にこの被験者は,陸上競技で好成績を残しており,このことが他 の種目の自己観察能力にも影響をあえているのではないかと思われ,今後研究していくことが大切で あると考える.  本研究では,熟練者と未熟練者の自己評価と客観的評価とのズレの間に差が出て,熟練者のほうが 未熟練者よりもズレの誤差が少ないという仮説のもと実施した.しかし,項目においては,熟練者よ りも未熟練者のほうが誤差0という結果が多くを占めていることが多々見受けられた.しかし,実験 後の熟練者の声を聞いたところ,自分の意識している項目については「自己評価」を高くつけたが, あまり意識していない項目については,「自己評価」を低くつけたということを述べていた.  このことから,本研究の熟練者においては,「自己評価」と「客観的評価」の誤差において「客観的評価」 のほうが高い評価をつけていること多いことから,自分自身の「自己評価」を低くつける傾向がある と考えられる.そのため,誤差がないことよりも,誤差1や誤差2のような「客観的評価」のほうが 高い評価をつけたことによる差として現れたと思われる.  また,熟練者は,動きの習熟として最高精形態の段階にあり,洗練された動きが自動化されている ことにより,注意を向けなくても安定した動きを実施することができる.このことから,多くの項目 で,「自己評価」よりも「客観的評価」のほうが高い評価を行うことによる誤差が生じる一要因になっ たのではないかと考えられる.  また,評価をつけるための配布資料として中井らの「単技に対する綺麗な動きと動きのリズムのポ イント」を利用したが,被験者自身の持っている動きの中での自己評価をつけるため,被験者の中で の判断基準があり,特に未熟練者では,自分自身の今現在の最高のパフォーマンスに対して高い評価 をすることから,自己評価と客観的評価の誤差が熟練者より少ない項目が多く見受けられたのではな

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いかと推察する.さらに,未熟練者においては粗形態のため,各技のポイントごとの分節においての「自 己評価」と「客観的評価」の把握があいまいなことから,同じ評価をつけることが多いのではないか と思われる.  未熟練者は,前転と後転においての綺麗に回れているかの項目においては自己評価が客観的評価よ り高い評価であることから,内観でのできばえと実際の動きとの間にマイナスのズレが生じているこ とがわかる.このことから,ディレクの挙げている運動の知覚の中の「平衡感覚」において,未熟練 者は,自己観察と運動表象の間に感覚的錯覚が見られた.熟練者は,未熟練者より誤差が見られなかっ たことから,運動経験を積むことによって,平衡感覚の部分での自己観察能力が高められるのではな いかということが考えられる.  熟練者が未熟練者より誤差0の比率が多かった項目は,前転では,身体を支えられていると綺麗に 真っ直ぐ回れているという項目であった.開脚前転においては,全体のできばえと股を開くタイミン グ・手でマットを突き放すタイミングという項目であった.このことから,タイミングというポイン トにおいて開脚前転の運動経験が豊富な熟練者において高い比率であることが示された.よって,一 連の動きの中でのタイミングをつかむということは,運動経験を積むことによって感覚的錯覚を減少 させることができるのではないかということが考えられる.後転においては,全体のできばえとスムー ズに回れている・綺麗に回れているという項目であった.このことから,スムーズに回れているとい う項目に着目すると,身体を丸くして勢いよく回るということにおいて,勢いを生み出す動きのコツ を熟練者は内観で感じることができ,さらにその勢いが客観的に見られることができる. 引用・参考文献 ・青山清英(1999)スポーツ運動の観察と評価に関する人間学的考察.日本大学人文科学研究所研究紀要, SS173‐183 ・).フェッツ著,金子明友・朝岡正雄共訳(1979)体育運動学.不昧堂出版SS234‐243 ・出原泰明編著(1991)「みんながうまくなること」を教える体育 ・金谷麻理子・松元正竹・北川淳一(2000)「運動の自己観察の構造に関する研究」.鹿屋体育大学学術研究紀 要第24号,SS21‐26 ・金子明友監修,吉田茂・三木四郎編(1996)教師のための運動学−運動指導の実践理論−.大修館書店, S22・S85 ・マイネル著・金子明友編訳・吉田茂論考(1998)マイネル遺稿動きの感性学. ・マイネル・金子明友訳(1981)マイネル・スポーツ運動学.大修館書店,SS146‐271 ・三木四郎(2005)新しい体育授業の運動学.明和出版,SS118‐119 ・三木四郎(2006)私の考える器械運動とは.体育科教育54(11),SS10‐13 ・文部省(1999)小学校学習指導要領解説体育編.日本文教出版株式会社. ・文部科学省(2008)小学校学習指導要領解説体育編.東洋出版社(東京),S6 ・森知高(1981)身体運動の記号論序論.福島大学教育実践研究紀要,SS155‐161 ・村田泰伸・海野勇三(2006)運動感覚能力を高める体育指導についての基礎的研究.  山口大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要第21号,SS63‐78 ・中井隆司・高橋功太郎・松本雅宏(2009)「動きのリズム化能力」を学ぶマット運動の実践開発.  奈良教育大学教職大学院研究紀要「学校教育実践研究」,SS49‐58 ・大後戸一樹・木原成一郎・加登本仁(2009)小学校の体育授業における児童の運動技能の評価に関する実 践的研究‐教師による評価と児童の自己評価および相互評価に着目して‐.体育科教育学研究第25巻第2号, SS2‐14 ・清水紀人・大島義晴・藤本俊・新井重信・小西裕之・丹羽涼子・岡崎秀人(2004)自己観察能力及び他者 観察能力との関わりが運動のできばえに与える影響について:鉄棒運動の前方支持回転を運動課題として. 日本体育学会号(55)S634

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