ラグビーとレフリー
三 神 憲 一
1 はじめに 今日,競技スポーツと呼ばれている多くのものは,スポーツ技術の高度化や 科学技術の急速な発達に伴う“競争の激化”,ドーピング問題などにみられる勝 つためには手段をも選ばないと思われる勝利至上主義商業主義の拡大・浸透, およびプロ化への傾斜,の方向性を示している。このような方向性は,スポー ツルールの変更や審判の役割などに深く影響を及ぼしてきている。 ソウルオリンピック後にみられたバレーボールの競技では,商業主義に立脚 +) したテレビ放映上の打開策(時間の短縮)として,ルールの変更が行われた。 一方,審判の役割においても,毎年のように実施されるルールの部分改正や細 則などの追加・修正に伴うルールそのものの複雑化につれて,あくまでも判定 の補助的手段としてではあるが,陸上競技のトラック種目,競泳種目,スキー の滑降などのゴールの判定における機械化・人工化の方向を選択している種目 もみられる。 このような方向への選択理由は,精密な機械で判定させた方が,人間の判断 よりもミスが少なく,正確で公平であり,その上,審判に対する不信,クレー 1) ムなども除かれ,ゲームの進行がスムーズに行われるという判断からであろう。 今後,審判のミスジャッジに対する評価のしかた次第では,多くの種目におい て審判の増員や機械化の採用が論議される可能性は十分にある。 +)3セット先取のこの競技では,仮にセット数2対2の場合,5セット目からはうリーポ イントシステムで決着をつけるものへ移行した。 1)中村敏雄:「スポーツルールの社会学」,p.25,朝日新聞社,1991年.しかし,有限である人間がプレーをし,審判をする中では,プレーヤーの誤 認や審判のミスジャッジをなくすことはまず不可能である。本来,スポーツの 判定とはそのような性格を帯びたものであり,それがよしと多くの人は認めて きたのである。 今日でも人間による判定を重視する立場を貫いているスポーツは数多く残さ れている。なかでもラグビーは,その典型的なスポーツの一つである。ラグビ ーにおいては,他のスポーツではあまり類をみないきわめて精緻で巧妙なオフ サイド・ルールや,「競技中に反則があっても,反則をしなかった側が利益を得 2) た場合には笛を吹いてはならない」というアドバンテージ・ルールなど,非常 に難しい判断が要求されるにもかかわらず,プレーヤーは唯一人のレフリーに 絶対権を委ね,尊重し,その判定には決して反論することができないという特 性を持っている。 審判を機械に置き換え,できるだけミス・ジャッジを見逃さないという判定 の合理化の方向が正しいか否かは今後の問題として,本稿では,スポーツのル ールに関する諸見解をもとにし,今日的審判の解釈,スポーツにおける審判の 歴史的経過をラグビーのレフリーを中心に考察していく。 II スポーツのルール(構造と機能) スポーツという言葉は,フランス古語のde sport,[se]de[s]porterに由来 するが,語源はラテン語のde−portareとされている。このラテン語のde−por− tareは,まじめな職業から遠ざかることを,またフランス古語のde sportある いは[se]de[s]porterは仕事から離れること,すなわちleave off workを 意味しているといわれている。スポーツの語源の研究家でもあるドイツのC,デ ィーム(C.Diem)は,「この言葉は英語に乗って世界に拡がったが,元々フラ ンス語からの借用語であり.....ノルマン人とともにドーバー海峡を渡ったも の」と説明した後に,「英国ではこれをdi sportまたはde sportといい.....17 世紀からは口数の少ない英国人は他の多くの語でもそうであったように,この 2)働日本ラグビーフットボール協会:「競技規則」,p.22,1994∼1995年.
3) 前綴りを取り去ってしまったものである」と記している。 菅原氏はスポーツの語源の諸説からその言葉の持つ意味を要約して,「仕事や まじめな職業から離れて」,「自発的な身体遊戯に没頭し」,「楽しみ」や「気晴 4) らしをすること」がスポーツであると述べている。 このようにスポーツの概念は英語によって拡がった世界の共通語として広く 用いられているが,今日,400種を越えるスポーツと呼ばれるものがあることか らも明らかなように,狭義,広義の解釈に使用されたり,時代や社会によって も意味内容を異にするがゆえに,簡単に定義づけることははなはだ難しいよう である。 このような語義の由来を持つスポーツではあるが,そのルールの発展過程を 概観してみると,スポーツは遊戯や戦技などから発達し,これらがある程度「競 技スポーツ化」したレベルでようやくルールらしきものを持つようになる。近 代以前のイギリスにおいて見られた民俗ゲームの多くは,おそらくルール以前 の伝統的なしきたりやモラルなどがそれらを律していたものと考えられるが, ゲームの実践の中で生じる不都合などを幾度も経験しながら,仲間内の具体的 な行為規範を形成し,それらの多くのものが不文律のルールに発展していった ものと考えられる。この段階での行為規範というものは,きわめて地域性が強 く,仲間内の事柄であるがゆえに慣習化され,成文化の必要性ということに関 5) しては著しく低いものであったといえよう。 そして,これらの民俗ゲームは,産業革命を契機として,交通機関や通信手 段の発達,工業化や都市化の進展と共に,地域間の交流が徐々に行われるよう +) になってくると,ゲームの実施に関する事項の地域間における大枠での合意の 形成が得られるようになってくる。しかし,細部に関しては依然として相違が 残存し,これらの諸問題を会合によって克服し,共通理解(合意)を得ようと 3)菅原 禮:「スポーツ規範の社会学」,p.9,不昧堂出版,1980年. 4)菅原 禮:前掲書 3),p.10. 5)拙稿:「フットボールからラグビーへ」,pp.177−178,彦根論叢第294号,1995年。 +)この当時は罰則に関するものはほとんどなく,主に禁止行為に関するもの。
する動きが起きてきたのである。 このような現象は19世紀中ごろからパブリックスクールや大学,クラブなど におけるフットボールの二分化(1863年,FAの設立=サッカー,1871年のR 23) FU=ラグビー)の過程においてみられたように,近代スポーツという名に値 しうる段階になると,政治的な世界を構成することになり,近代以前の文化史 的なスポーツの時代と挟別していくのである。それは競技の開催を目的とした 組織体である協会や連盟の結成であり,また様々な競技の成立を目的とした文 章化(成文化)されたルールの作成でもある。このようにしてスポーツそのも のが“慣習の時代”から“組織化の時代”へと大きく変容していくことになる。 ただし,19世紀にアメリカで創出された新しいスポーツ(バスケットボー一一一ル, アメリカンフットボール,野球,バレーボール,など)となると,イギリスの 長い文化の継承と伝統の歴史の上に築かれたという性格のものではなく,どち らかといえば未開の地に持ち込まれた近代スポーツであり,これといった慣習 法に相当するものが少なく,ルールそのものもスタート時点から,ある程度成 文化されたものでなければ実際に機能し得なかったものと考えられる。それゆ え不備な事項があれば協会の権威でもって補うというケースが多く,今日のル ールにおいて補足説明が多いのもこのためである。 以上,スポーツルールの発展過程を概観してきたが,今日的スポーツルール の見解においても,文化人類学,社会学,歴史学,法学などそれぞれの立場に おいて若干の相違がみられる。以下,菅原氏,中村氏,守能氏のスポーツ・ル ールの構造および機能面での特徴的な見解部分の対比を試みる。 菅原氏はあくまでも社会学者の観点に立つならばと前置きした上で,「スポー ツのルール」の定義づけを試みている。同氏はその中で,ゲームの構成要素, 特にE.M.エブドン(E. M. Avedon)とB.サットンースミス(B. Sutton− 6) Smith)のあげた諸要素を参考にしながら下記の構成要素をあげ,プレイ共同体 の活動が,競争の原理によって支配されるようになるにつれ,ゲームのルール 23)拙稿1「フットボールからラグビーへ」,彦根論叢第294号,1995年. 6)日本体育学会編集:「体育の科学・スポーツルールを考える」,杏林書院,1983年.
の明文化,組織化がなされてくると指摘する。その構成要素の主たるものは, 1).ゲームの目的または目標,2).ゲームの手順や方法,3).ゲームのルール(基 本的諸規則と特殊的諸規則),4).参加者の数,5).参加者の役割,6).結果また は結末,7).ゲームに必要な能力やスキル,8).物理的場所,9).設備または用 具,である。 上記1).∼9).の構成要素というものが,関連条項のルールの中にもり込まれ, 特定の形式に従って整理されていくのである。これ,らの要素のうち,6).結果ま たは結末,はゲームに関係する勝敗の判定基準を規定している要素であるが, ルールそのものが精緻になるにつれて行為規範に対する“なに”を許すという 容認行為や,“なに”を禁止するというような禁止行為など,を客観的に監視す る第三者的な任務を行う者が必要となる。この役割にあたる者,これが審判員 である。一方,7).ゲームに必要な能力やスキルの要素(身体的スキルや戦術な ど)は,本来,スポーツやゲームに備わっているものではなく,プレーヤーの 過去の経験や知識などにより,より強い体力やより高度な技術取得を目的とし て,トレーニングや練習を反復し,吟味・検討を繰り返す過程の中で様式化さ れ,プレーヤーによって創り出され,開発され,絶えず改良されていくという 性格のものであり,ルールそのものの中にもり込まれるものではない。したが ってルールの枠組み外に置かれることになる。 しかし,この身体的スキルや戦術,あるいは戦略というものは,ゲームの中 で活動そのものを促進,規制するだけでなく,用具や器具との関連,ゲーム進 行の手順や方法の改正,また危害防止や安全面との関連,あるいはルールそれ 自体の改変などによって変化するものでもある。このような多くの関連性を考 慮すれば,身体的スキルや戦術,あるいは戦略の要素というものは,決して成 文化されたルールと無関係に存在するのではなく,むしろ相互に密接な関係を 持続しながら,スポーツの展開をよりスムーズにするという重要な役割を果た していることが伺い知れるであろう。 同氏はまた,ルール構造の形式的側面を大別して,「空間」,「時間」,「用 具」,「ゲームの展開」,「審判」に分類するとともに,「これらはルールにとって
不可欠の部分と同時に,ゲームを構成するための諸条件でもあり,スポーツを 3) 運歯してそれを次の世代へと伝達する機能をもつ明文的文化である(下線筆 7) 者)」としている。そしてルールの基本原則として,・平等磯会の均等,・安 全の保障,・秩序の維持,を挙げている。これらの三項目は,相互に密接な関 連を保ちながらルールの根底に流れており,スポーツが対立,闘争,乱闘に転 化するのを未然に防ぎ,スポーツを競争として保障する本質的な機能を果たし ている。この原則部分については諸家の見解と共通部分がみられる。また同氏 の説く構造分類上の特徴は,明文化されたルールの背後にありスポーツの道徳 的,倫理的,そして教育的側面をも含む黙示的スポーツルール(いわゆるスポ ーツマンシップやフェアプレーの精神といわれるもので,多くの場合,正義と 公正の観念がその根底に伏在しているもの)との関連を常に考慮した点であろ う。さらに付言するならば,スポーツルールの組織化は,構造的側面のみなら ず,作成・承認している団体や連盟の,そして身体的スキル,用具,器具,伝 達教育関係においても,それぞれ組織化を強調しているのである。 次に,スポーツルールに包摂されている歴史,社会,文化,思想的研究で著 名な中村氏の主要な見解部分をみてみよう。 同氏は,スポーツルールを「スポーツ競技の実施に関するすべての規定を成 文化したもの」と広義に捉え,その構成要素においても実に詳細な整理を行っ 8) ている。本稿では,その内容の主要部分のみを挙げてみると, ①.競技を行うための条件整備に関する内容として,・競技の開催,実施,変 更に関すること,・競技のための役員,審判および競技運営などに関する こと,・競技場や施設・設備などの備えるべき諸条件,・競技に使用する 7)菅原 禮:前掲書3),p.258−260. 「この平等,機会均等の保障というものが,スポーツ,ゲームの結果の不確定性と結び つくもので,“競争”を楽しい魅力ある活動として提供してくれている」と述べ,とくに結 果の不確定こそが,J.ホイジンガのいう面白さ, Eダニングの“快として経験される tension一 excitementの水準”の厳選であると指摘する。しかし,スポーツやゲームの中で は絶対的平等はありえない。 8)岸野雄三,他:「最新スポーツ大辞典」,pp.1342−1343,大修館書店,1987年.
諸用具・器具などの備えるべき諸条件, ②.競技の実施に関する内容として,・競技の目的,行い方,モラル,マナー, ・プレーヤーの健康,安全,保健に関すること, ③.競技の結果の処置に関することとして,・抗議や異議の申告,処理などに 関すること,・競技の記録や結果の処理,判定などに関すること, などを詳細に分類している。そして,これらの諸要素は,伝統や文化,慣習な どの合意の合成物であると指摘するとともに,これらの承認,あるいは反省や 9) 批判は近代以前の運動文化においても行われてきたものであるが,今日のスポ ーツルールも原理的にはこうした考え方を継承していると説く。しかし,すべ ての条文が合理的な検討がなされた上で決定されたのではなく,種々の視点が あるとした上で,イ).プレーヤーの立場から,ロ).今B的には観衆や報道の立 場を優先させたもの,ハ).技術の高度化がルールの変更を必要とし,ルールの 変更が技術水準を高める場合など,をあげている。 その他の立脚点を審判の視点に立って眺めてみると,まず人命尊重の立場か ら危害の防止が挙げられよう。また不正行為の防止という考え方に基づくもの, そしてジャッジの困難さを防ぐという精神から,さらには氾濫している用具・ 器具の多様さを防ぐという点を根拠にしたものなどが考えられよう。 またルールの基本原則に関しては,菅原氏が述べている・平等・機会の均等, ・安全の保障,・秩序の維持,の他に,不合理性の排除とアマチュアリズムと の関連で今日的課題でもある物質的欲望の原則をあげることができる。 ルールの内容や方向性というものは,時代や社会とともに変化するものであ る。近年のアマチュアリズムの急激な変化がこの典型である。それはスポーツ 諸団体のコマーシャリズムへの対応にみられる混乱や不一致,そしてスポーツ 10) における自然性の喪失であり,将来的にはルールそのものも,ますます人工化, 11) 機械化の方向へと傾斜していく要素を多分に含んでいると警告する。 9)中村敏雄:「オフサイドはなぜ反則か」,p. 208,三省堂,1990年. 10)岸野雄三,他:前掲書8),p.1334. 11)中村敏雄:前掲書 1),p.128. /
そして法律学の観点から具体的にスポーツ種目のルールの条文を挙げ,ユニ 12) 一クなスポーツルールの構造・機能論を展開しているのが守能氏である。氏は, スポーツの世界には法学でいう私法に類するルールは存在せず,すべてが公法 に類する性格を備えたルールである,とした上で図一1にみられるような分類 を示している。 図一1 スポーツ・ルールの構造 条理的行為規範 刑法的行為規範 行政法的行為規範
組織規範
行為の規制 客観的条件設定 以下,前二者と関連のある部分を検討してみる。守能氏はスポーツルールの 構造を,①.条理的行為規範,②.刑法的行為規範(正確には行政刑法的行為規 範),③.行政法的行為規範,④.組織規範,に分け,①.∼③.は行為規範である とともに,裁判規範でもあるとしている。 ①.条理的行為規範とは,「ルール・ブック中に言葉を用いて具体的な形で盛り \ 現在のスポーツルールの多くが多様化するスピードの変化に対応する哲学をもたない内 容性の欠如を中村氏は危倶する。 12)守能信次:「スポーツとルールの社会学」,p.108,名古屋大学出版会,1984年.込むことは技術的に難しいが,プレーヤーがスポーツの場で順守すべきも 13) のと関係者が認めた暗黙裡の行為規範」, と定義し,具体的には明文化されたルールの規定を側面から支えるものという よりは,むしろルールの順守のされ方が形骸化しないよう,その実質的な存在 理由がないがしろにされることを防ぐため背後から規制を加えるものとしてい る。これは菅原氏の指摘した黙示的スポーツルールの立脚点とは異なり,その 見解においても相違がみられるものである。 ②.刑法的行為規範とは,「競技中,相手プレーヤーに具体的な損害を与え,ま 14) たは与える恐れのある行為の実効を,責任を担保にして禁止する規範」, と述べ,各プレーヤーが受認すべき被害の限度をどこに定めるかは,スポーツ の種目によって同一ではないとしている。具体的には,身体接触の許容範囲に ついて関係者が下す宣言を一つの内容としているとみることができる。その一 例として,ラグビーとサッカーのタックルの概念がある。これは両種目におい て全く異なるし,アメリカンフットボールにおいては戦術的な目的からボール を保持していない者へのタックルも許容されている。すなわち,競技関係者の 政策的な意図に沿って定められたものであり,またこのスポーツ的刑事罰は, 場面においてその軽重を異にするものである。この点についても一例を挙げて みる。ラグビーのゲームでは,ボールを前に落としたり,投げたりした場合, ボールの支配権が相手側へ移行するだけで済む。しかし,オフサイドを自陣22 m付近で犯し,相手チームの選択で,ペナルティ・ゴールを狙われるケースを 想定すると,味方チームは無防備に近い状態でこれを容認し,ゴールの成功・ 不成功の結果のみを見るだけに甘んじる場合が多い。あるいは,暴力的行為や 審判に対して暴・言を吐いた場合,その度合により退場,資格の停止,除名など の処分を受けるといったようなものである。 ③.行政法的行為規範とは,「行政上の目的を実現するため,国家は実定法の中 で,国民に対して種々の命令・禁止を課す。この種の実定法を総称して行 13)守能信次:前掲書 12),p.120. 14)守能信次:前掲書 12>,p.123.
政法といい,それは大まかにいって,行政刑法と秩序罰法との2種類に分 類され,この中の過料と称される金銭罰(いわゆる秩序罰)を規定した法 15) 規が秩序罰法であり,これに対応するスポーツ・ルールがこの規範である。」 この規範は,数の多さのみならず,競技運営の実際場面において果たすその役 割からしても,最も重要な位置をルールの中に占めるものと述べられている。 この規範に類すると思われるスポーツ種目のルールは,ラグビーやサッカーの オフサイドルール,テニスや卓球のサービス球の落下区域制限,野球のタッチ ・アップ規定,バスケットボールのバイオレーション関係のルール,などであ ろう。このルールの特徴は,“犯されることそれ自体が困るというのではなく, 犯されたままプレーを続行されると異質のスポーツへ発展しかねないので困 る”,という性格のルールである。 ④.組織規範とは,「勝敗や優劣を決定する上で直接必要とされる競技条件の設 定の仕方,および一定事態の出来につづく事後措置のとり方に関し,一定 の定義を下し,自動的もしくは機械的にその適用がなされるルールをい 16) う。」 この規範は菅原氏が“スポーツ規範の社会学”において大別した「時間」,「空 間」,「用具」といった範疇に入るものである。守能氏はこの中の「時間」につ いて,スポーツ種目によってはこの競技時間を規定するルールを持たないもの (マラソンや競泳を例にあげ)もありうるとした見解から,特定の種目が規定 する一つの内容にすぎない「時間」を競技ルールの普遍的構造要素の一つとし て捉えるのはどうかと異論を述べている。しかし,ルールを捉える立脚点を異 にすれば,当然意図する内容も違ってくることからも明らかなように,ルール を捉える立脚点には様々な方向があっても差し支えないものと思われる。 同氏の機能面についての説①.法的安定性の確保,②.正義(平均的,配分的) の実現,に関しては,菅原氏や中村氏の見解とある程度共通した部分がみられ るが,③.として挙げている面白さの保障については,これをスポーツルールが 15)守能信次:前掲書 12),p,126. 16)守能信次二前掲書 12),p.140.
担うべき最終的な機能として捉え,そして,この“面白さ”というものは,各 人の主観に帰される問題ではあるが,選手も観衆もスポーツの場面で生起する, 駆引きの妙,スピーディーな動き,未確定性の勝敗の予想を楽しみながら,面 白さを追求していると説いている。さらに,この面白さの保障がスポーツルー ルの最も重要な部分であると指摘している。確かに,スポーツルールは,より 質の高い合理性を追求し,それに立脚するものであり,面白さを求めて変化す るものでもあるが,プレーヤーと観衆を同一視した見解で捉えている点につい ては若干の疑問が残る。以上,三者三様の立脚点に立つスポーツルールの構造 および機能面の主要な部分を概観してみた。 スポーツのルールは,プレーヤーが競技の場で順守すべき対象だけのもの, と捉えるだけでなく,“伝統や慣習の合意の合成物”という視点にたつならば, そのスポーツに包摂されているところのそれぞれの時代や社会の,あるいは民 族や階級などの精神や思想,気風などを色濃く反映,吸収させたものであると いう幅広い認識が必要であろうと思われる。それはまた長い歴史の中で刻み込 まれたものであり,近代以前においては,地域性の強い仲間内のしきたりや, モラル,近代スポーツ創出期には,ブルジョジー(とくにフィリスタイン)の 社交の精神,今日では統轄するスポーツ連盟(協会)の考え方に合致すべく, 時代や社会の変化とともに,少しずつ変化させながら,構造や機能面において も,修正や改正を加えながら質の高い合理的なスポーツルールとしての体裁を 整えてきたものであるといえよう。 IIIスポーツと審判 今日行われている多くのスポーツ競技において,審判員は欠かすことのでき ないものであり,しかもきわめて重要な役割を演ずるものでもあるが,その日 本的呼称は競技種目によって様々である。審判やレフリー,あるいはアンパイ アー,ジャッジと呼んだり,ときには審判団や役員団の総称として使用される オフィシャルなどと呼ばれたりもする。またこのように様々な名称で呼ばれる 審判員は,観衆(見る側),競技規則,審判員を体験した者,の各観点からは,
どのように映るのであろうか、まず観衆の立場から眺めると,スポーツを観戦 する場合,審判員そのものを注視したり意識して観ることはあまりなく,いな 17) ければ拍子抜けして困るが,さりとてあまり目立ち過ぎてもよくないという程 度に理解しているものと考えられる。つぎに競技種目の団体や連盟が下した競 技規則にみられる審判員の通常の概念(種目によって若干相違はあるが)とし ては,「到着順位の判定,跳,投における無効・有効の宣言,競技上の行為に関 18)する規則違反の判定と罰則の適用などを主たる任務とする競技役員」や,「第三 者の立場から競技をルールに従って正常に進行させ,勝敗の行方やプレーヤー 19) の行為の適否などを判定すること,またはそれにあたる人」,などと解釈されて いる場合が多い。いずれにおいても競技規則に明記されている範囲内での認識 いわゆる客観的な立場から,競技における行為規定に照らし,違反したプレー を判定し,それに該当する罰則を瞬時の判断で公平に適用するという,ルール の番人的立場からの解釈がなされているようである。付け加えるならば,審判 員の原則的な考え方と思われるゲームの流れを重視し,ゲームをうまくコント ロールしたり,サポートを行うことなども考慮すべきであろう。 それでは審判員を体験した者の立場からはどのように捉えているのであろう か。1950∼1980年までの31年間,プロ野球のセ・リーグ審判部長を務めた島氏 が,回想を中心に体験談を語っている。まず,審判の仕事は「きわめて難しい もの」であると述べた後,その一文の中に「ゲームで最も重要な役割を演じな がら,最も賞賛されない仕事」であり,しかも「審判員は正しい判定を宣言し て当り前で,もし,僅かなミス・ジャッジでもあればきびしく批判される」,と きには「良い時でも悪い時でも,観衆から悪くいわれるように選手によって仕 向けられたりもする」と述べている。そして,「この仕事ぐらい神経を使うもの は恐ちくない._.ゲームの開始かち終了まで一瞬といえども気が抜けない緊 20) 張の連続である」と,プロ野球の審判が心身ともに重労働であるにもかかわら 17)中村敏雄:前掲書 1),p.31. 18)佐々木吉蔵,他編:「スポーツ審判ハンドブック」,p.13,大修館書店,1971年. 19)岸野雄三,他:前掲書8),p.459. 20)島 秀之助:「プロ野球審…判の眼」,pp.2−17,岩波書店,1986年.
ずいかに割の合わない大変な仕事であるかを述べている。プロ・アマを問わず, 多くの審判員経験者はこのような思いを持つものであろうと考えられる。審判 の難しさは,それに携わった者でなければ分からないが,審判技術や心構え, 体力といったものは広範囲にわたるもので,短い期間で身につけようと思って もそれはほとんど不可能である。審判員として共通する心構えとして考えられ るのは,まず当該種目の競技規則を忠実に憶え,ルールと技術に精通するとと もに,それを競技の場で何度も体験し豊かな経験を積むことにより優れた観察 力と判断力などを今わうことではなかろうか。以上が,今日的審判の解釈であ ろうと考えられる。 19世紀中期以降,多くのボールゲームにおいて審判の必要性がルールで明記 されてくる。その審判の歴史的経過について検討する。 IV ラグビーのレフリー 21)
ラグビーの競技規則第6条「REFEREE AND TOUCH JUDGES」の中に
は,明記されているレフリーの絶対権と,暗黙裡の義務を負わされていると思 われる条文がみられるが,これらはラグビー・ゲームの特性を現している部分 でもある。その文中に,レフリーは試合中において唯一の事実の判定者であり, 競技規則の判定者である。レフリーのすべての決定は,プレーヤーを拘束する。 いったん与えた決定は変更できない。レフリーは競技時間と得点に全責任を有 する。すべてのプレーヤーは,レフリーの権限を尊重し,レフリーの決定に反 論してはならない,とある。これは,ラグビーのレフリーは一方ではルール上 からの拘束はなく絶対権が与えられているが,他方ではその立場が保護されて いるとともに,いかに良いレフリングをするか,というi義務を負わされている ことを意味している。 Refereeという言葉がイギリスのスポーツ界で用いられるようになるのは19 世紀になってからで,それ以前はAmpireの用語使用が一般的であった。この アンパイアという言葉は15世紀頃から用いられている。レフリーという言葉は 21)日本ラグビーフットボール協会:前掲書2),pp.14−22.32 彦根論叢第297号 初期の頃“問題解決をアンパイアから委任される人”を意味し,アンパイアは 22) “選手と立場が同じでない人”を意味する用語であった。イ.ギリスのパブリッ クスクールにおいて最初にフットボールのルールを成文化したのはラグビー校 学校・団体 ラグビー校 イートン校 図一2 フットボール・ルールの成文化 ケンブリッジ大学 ハロー校 ウェストミンスター校 シェフィールドクラブ アツピンガム校 チャーターハウス校 ウィンチェスター校 フットボールアソシエーション ズポーツの統轄団体の成立 年代 1845 1847 1848 1853 1850年代 1857 1859 1860年代 1863 1863 条文数 37 26 11 21 9 11 10 7 13 14 (1・R・モアによる) (Mclntoshによる)
SpORT EARLIEsT NATIoNAL ORGANIzATエoN DATE Horse−racing Jockey Club c.1750 Golf Royal and Ancient Golf Club 1754 Cricket Marylebone Cricket Club 1788 Mountaineering Alpine Club 1857 Association Football Football Associat{on 1863 Athletics Amateur Athletic Club 1866 Amateur Athletic Association 1880 Amateur MetroPOIitan Swimming Association 1869 Rugby Football Rugby Football Union 1871 Sailing Yacht Racing Associat三〇n 1875 Cycling Bicyclists’Union 1878 Skating National Skating Association 1879 Rowing Metropolitan Rowing Association 1879 Boxing Amateur Boxing Association 1884 Hockey Hockey Association 1886 Lawn Tennis Lawn Tennis Association 1888 Badminton Badminton Association 1895 Fencing Amateur Fencing Association 1898 22)岸野雄三,他前掲書8),p.460。
である。ちなみに図一2は各パブリックスクールでフットボールが成文化され た年度と条数および,統轄団体の成立年度を示したものである。 このルールは1845∼46年にかけてランニング・インのプレーだけでなく,慣 習的な条文の中に織り込まれている不明瞭な部分を訂正して作り出されたもの で,“The Laws of Football as played at Rugby School”という37ケ条からな 23) る成文化されたものである。その文中の第24条において「Heads of Side, or two deputies appointed by them, are the sole arbiters of all disputes」(両チーム の代表者あるいは彼らに指名された2人の代理人が,すべての論争の唯一の裁 24) 定者である)としているが,この外にアンパイア・レフリーに関する条文は見 あたらない。裁定についてはチームのキャップテンか代理人が行っていたので ある。ラグビー校がこのルールを成文化ならしめた背景にはトマス・アーノル ドの教育方針の普及と民主化されつつあったプリフェクト・ファギング制度の 構造と気風(寮内における自律,自制の強調,力とスキル,自発性と統制,個 23) 人と集団の微妙なバランスの強調など)が大いに影響を与えたものと考えられ る。おそらく,ゲームの展開場面においても,プレーヤーは故意にルールを犯 したりしないものであり,論争が生じた場合には,サイド(チーム)のキャッ プテンの裁決に従うべきであるという考え方が反映されていたと思われる(た だし,このゲームの参加人数の多さから推察すると,いつの場合でもキャップ テンの裁決が妥当で適切なものであったかどうかは疑わしい)。これらの気風が 深く浸透しているゲームの場においては,ゲームの出場者でない役員(アンパ イヤ)を置く必要性はほとんどなかったと見ることができよう。 ラグビー校のルールに遅れること2年,後のアソシエーションフットボール (サッカー)協会設立の原動力となるイートン校は,1847年に26ケ条から’なる ドリブリング・ゲームを中心とした成文化ルールを創る。その第3条において, 「それぞれのチームは1名のアンパイアを選ぶ。彼等の位置は自チームの『ゴ ール』のそばである」と決めているが,ここでもアンパイアの任務は,ゴール 23)拙稿:「フットボールからラグビーへ」,彦根論叢第294号,1995年. 24) P. Royd : “The History of the Laws of Rugby Football,” walken, 1949, p. 29.
34 彦根論叢第297号 の成功,不成功をみるという現在のゴールジャッジ的な役割だけである。 ウィンチェスター校のルールはこれら2校より10数年遅れての成文化となる。 そこには,「ゲームに先立ち,2人のアンパイアが選ばれる。彼らの位置は,相 手チームのエンドで,グランドの外に立ち.....アンパイアの仕事はゴールを記 録することであり.....あらゆる疑問に答えることで,それは最終決定となる。 アンパイアの1人はタイム・キーパーを務め,競技の開始,サイドの交代,競 25) 技の終了を告げる」と記述されている。このルールにおいても,アンパイアの 任務はタイム・キーパーとゴールを記録することが主なものである。上記の引 用文からも明らかなように,この当時の行為違反について裁くのは,発言力の ある「チームの代表者」かアンパイヤであった。この裁定が必ずしも公正,妥 26) 当な判定と考えるよりも,むしろ主観的な判断で裁定されていたがゆえに,ど ちらか一方に片寄った判定を下すことの方が多かったものと推察できよう。 1862年11月,ケンブリッジ大学に在学しているイートン校とハロー校の卒業 生によるゲームが行われている。それに先立ち双方から委員が選出され,10ケ 条からなる「調整ルール」が作成されている。その第一条において,「両チーム ごとにキャップテンとアンパイアを選ぶこと。アンパイアに対するアピールは キャップテンだけが行うこと。キャップテンとアンパイアはレフリーとして中 立の人物(neutral person)を指名すること。アンパイアからアピールされて, 27) レフリーが下した裁定は最終決定であること」とし,レフリーとして中立の人 物を選任し,アンパイアからのアピールがあれば,レフリーの下した裁定は最 終決定としたのである。ここで初めて,あくまでも形式的ではあるが,レフリ ーをキャップテンよりも上位に置くというルールが作られ,双方がそれを認め たのである。形式的とはいえ,これまでのフットボールには見みられなかった 発想をルール化し,レフリーがゲーム全体を統轄するように少しずつではある 25) 1.R Moir: “Association Football: The Evolution of the Laws of the Game,” Birmingham University, umpublished 26)中村敏雄:前掲書 9),p.180. 27)中村敏雄:前掲書 1),pp.51−52.
が変化させてきたことは大いに意義のあることであった。 しかし全体的にみると,1863年のFA(フットボール・アソシエーション= サッカー)や1871年のRFU(ラグビーフットボール・ユニオン)の設立の頃 までにみられる審判(アンパイア,レフリー)の任務や位置づけは,キャップ テンの権限が強く,不要であるか,ゴールジャッジかラインズマン,あるいは タイムキーパー程度の役割しか有しなかったのである。すなわちプレーヤー側 から眺めれば,審判の必要性はそれほど認めていなかったということがいえよ う。 これらの背景としては,未だ競戯的な部分が多く,ルールそのものが成文化 されたとはいえ,今日のルールのように条文の細部にいたるまで精緻に作られ たものでなかったこと,そしてサイド(チーム)の人数が一定でなく,ボール の質的条件(弾力性,重量,耐久性)などを推察すると,恐らくプレーの方法 や技術面においても簡易でしかも低いレベルの内容であった,ということが主 たる理由であったものと思われる。また,この頃のパブリックスクールの状況 を調査したクラレンドン委員会の報告内容「自由を秩序の結びつける能力,公 共の精神,他人を統御し自己に打ち克つ能力,性格の力強さと男らしさ,..... 28) を育成することであった」からも明らかなように,近代スポーツ創出期におけ るブルジョアジーの最も重視した行為規範は,自由,自治,自主の精神,など のいわゆる社交の精神であり,彼らが,近代スポーツの担い手となる子弟達に 期待していた教育は,「男らしさ」の滴養であり,その目的達成の一手段として 行われたフットボールにおいても,決して勝利至上主義に陥ることなく,“いか に内容のあるいいゲームを行うか”という性格陶冶が主たる目的であったので 28)P. C.マッキントッシュ著,加藤橘夫,田中鎮夫共訳:「近代イギリス体育史」,pp.42− 43,をスボールマガジン社,1973年. この委員会は,議会内外の圧力を受けて「パンブりックスクールの収入や経営および研 究や教授などを調査する」ことが主目的で,1861∼1864年にかけて行われたものである。 この委員会では最も価値ある社会的資質や男性的な美徳の形成など,いわゆる性格陶冶と いう点で,組織ゲームの価値を認めたが,ゲームのこの面を強調するあまり,結局,ケー ムの技術的な面の良さはほとんど認めなかった。
36 彦根論叢第297号 ある。それゆえに,たとえキャップテンの裁定に不満のある納得のいかない判 定に対しても,それに素直に従うことが自己に打ち克つことであり,自由を秩 序に結びつける能力を養うことにもなるのである。 各校がこのような精神と,それに対する誇りを大切に継承していく中では, この頃のフットボールには審判の必要性はなく“両キャップテンが全ての論争 を処理する”ことで十分成立していたのであろう。 だが,時代の変化とともにゲームの内容においても競戯から競技へと進行す る過程において,“先に1点取れば勝ち”という考えから“ゴールの多さを競う” という考え方が主流になっていく。一定の時間内により多く得点するためには, チーム内の役割分担(FW, BK)の発想を起点として,技術的にはランニン グにおける走法の改善,ボールのハンドリングやキック技術の向上などを,よ り実践的,効果的に行うために,人数制限や参加人数を同数にする試みがなさ れたのである。 このような流れの中で「人格形成」の重視から,技能の巧拙を重視する「勝 利志向」へとその形態を変えていくことになる。さらに校内ゲームから対抗戦 への変化は,一面においてマンリネス(manliness)の冷温という人格形成の価 値を認めながらも,「反則」などの判定を,正確・公平にとってほしというプレ ーヤー側からの願望も強くなり,徐々にレフリーの権限を強めていくルールに 変更されていくことになる。 1871年にはF・A(サッカー協会)が主催するFAチャレンジカップを実施し ている。この大会は,この統轄団体に加盟しているチームやクラブだけがその 資格を有するという従前の慣習化された定期戦,対外試合のあり方を根本から 29) 覆す新しい参加形式を生み出した大会であった。このことは,それ以後,競技 技術や練習方法を向上・発達させていくだけでなく,スポーツの普及,発展, 伝播という面からも,重要な意味を持つものである。 ラグビーのゲームにおいても,この頃から国際試合が行われるようになり, レフリーの権限の拡大傾向が顕著になってくる。1885年に「すべての試合にお 29)中村敏雄:前掲書 9),p. 190.
いて2人のアンパイアと1人のレフリを任命されなければならない」という公 式審判員に関する条文が現れてくる。その権限は,アンパイアの判定に対して 最終的な決定を下すこと,プレーヤーからのアピールがなくとも直接判定を下 すことができること,タイムキーパをも務めること,ロスタイムに対してextra 30) timeを設ける裁量を持っていること,などが記述されている。1886年国際評議 会(IB)が設立された後の1888∼1889年にかけては,ラブプレーに対してペ ナルティーを課す権限を与え,これに異議を唱えるプレーヤーには退場を命じ てもよいことを決める。 1890年には,一時期ではあるが,レフリー1名,アンパイア2名と,この年 に初めてタッチジャッジ2名がつけ加えられ,5人の審判団でゲームを担当す ることになる。 1892年には,プレーヤーの人数が1サイド(チーム)15人と明記されるとと もに,今日の審判制度であるレフリー1名,タッチジャッジ2名という3人の 31) 審判制度となるのである。またこの年には,まずプレーヤーに警告を発して, プレーヤーに退場を命ずる権限と義務がつけ加えられる。 1896年,アピールの必要性の廃止に伴う“判定を直接下す権限と義務”が明 32) 示され,レフリーの絶対権を認める基本原則が確立された。これまでは,違法 行為に対しては,プレーヤーから直接レフリーにアピールすることが必要で, そのアピールがなければゲームはそのまま続行されていたのである。また,こ のアピールをレフり一が認めるか否かについて,ゲームを中断してまで協議を 行うケースが数多くみられた。レフリーに対するこの権限の付与は,ゲームの 進行の上からも,観衆側にとっても“ゲームのスピード化”という側面におい て画期的なものであったといえよう。その後,1911年のアドバンテージルール の適用の権限が与えられたことにより,プレー面ではゲームの連続性とラグビ ー独自の展開がみられ,ゲームをより魅力的なものにしていくのである。 30)P.Royd:前掲書 26), pp. 35−36. 31)中村敏雄:前掲書 1),p. 67. 32)菅原 禮1前掲書 3),p. 192.
レフリーの任務においても,種々の競技会や国際試合が開催されるにつれて, 競技技術の高度化に伴う機能分化が進み,その権限も次第に増大していく。こ のような状況と並行して罰則規定についても,プレーヤーの安全保障とゲーム の秩序維持のため,ラブプレー(オブストラクション,チャージングなど)に 対する取締りが強化され,条文の細部にわたる見直しや検討がなされていく。 33) そして1926年,国際試合の急増に伴い,ルール上初めて現われてくる物理的 時間(国際交流戦は40分ハーフ,ハーフタイムは5分以内,ロスタイム3分以 内)が明記された。 この規定によりレフリーは,競技時間においても全責任を有することになり, 今日の絶対権を持つ状態に近づいていく。しかし反面では,プレーヤーはもち ろん観衆においても,レフリー自身についても,出来るだけ納得のいく,良い レフリングを行うという義務を担うことになるのである。この時点でラグビー のルールは,現行の競技規則とほぼ同様な構造を持つルールにまで改正されて いく。 ラグビーは近代以前のフットボールでみられた粗暴で伝統的な荒々しいプレ ーを是認せしめる要因を多分に含みながら,当時のフィリスタインの思想的特 徴をゲームの中で実践していく過程において,アマチュア的倫理観を形成する とともに,それをより醸成させスポーツマンシップにまで昇華させていったと ころにこのゲームの特徴がみられる。そして,このゲームのレフリーは,1892 年に行われた体系的なLawの改正(現行の審判制度の確立,人数制限15人, 罰則の成文化など),と急増していく国際ゲームに対する一つの方策として,ラ フ・プレーに対する取締りをより厳重にするとともに罰則に対しても綿密な見 直し検討を重ねる中で,ゲームに対する権限を強化・拡大していく方向を選択 33)菅原 禮:前掲書 3),p.138. 1892年の体系的なルールの改正後,国際交流の増加によりラグビー・ゲームはさらに拡 がっていく。ちなみに,その主要な遠征をみていくと,1893年にフランスがイングランド へ,1905年にニュージーランドのオールブラックスがブリテン遠征,1906年南アフリカの スプリングボックスがイングランド遠征,1908 一一 09年にオーストラリアのワラビーのイン グランド遠征などがみられる。
し,今日のような絶対権を付与するようになっていったのである。 IV おわりに 以上,ズポーツルールの主要な部分を概観しながら,スポーツにおける審判 の今日的解釈,およびラグビーのレフリーの歴史的経過についてみてきた。 スポーツにおける審判は,民俗ゲームと呼ばれていた慣習的不文律が支配す る時代にはその必要性は全くなく,19世紀中頃から各パブリック・スクールに おいてフットボールのルールが整理・成文化されていく。しかし,この段階に おいても審判(代理人,アンパイア)に対する各校の共通性は,不要であるか, あるいはラインズマン,もしくはタイムee 一パー程度の役割しか与えられてお らず,しかも,プレーヤー側からは,さほど審判の必要性を認めていなかった と言うことがいえよう。これらの理由としては,グランドの広さの規定,人数 ボールの規定が未調整であったというルール面での不備と,ゲーム方法の単純 さから推測される技術面でのレベルの低さが主たるものと考えられる。しかし, 当時のパブリック・スクールの教育方針である「男らしさ」の酒養,すなわち 主要な目的が「性格陶冶」にある以上,このゲームには審判はほとんど必要な く,両チームのキャップテンが論争の裁定者であることで,その目的は十分達 成できた,という時代背景が重要な位置を占めていることを看過することはで きない。 しかし,時代の変化とともに,ゲーム内容においても「人格形成」の重視か ら,技能の巧拙を重視する「勝利志向」→「競争」へとその形態を変えていく ことになる。 さらに,対抗戦,定期戦,各種の競技会の開催,そして国際試合へと普及, 発展していく過程においては,プレー中のあらゆる論争を「両チームのキャッ プテン」に委ねることが実状にそぐわなくなり,ゲームを客観的に判断し,第 三者的な任務を行う中立の人物(レフリー)が必然的に必要となってくるので ある。ラグビーでは1892年から今日のルールに明記されている3人の審判制度 (レフリー1名,タッチジャッジ2名)となっていく。
その後,国際試合の増加に伴い,レフリーの権限を次第に強化,拡大するこ とにより,ラブプレーを取締り,ルールの基本的機能であるゲームの秩序維持, プレーヤーの安全の保障を重視しつつ,ゲームをより円滑に進行させていくと いう重要な役割を演ずる任務へと変容させてきたのである。 現在,ラグビー競技におけるレフリーの任務は非常に広範囲に及ぶ。プレー ヤーと一緒にグランドを80分走り続けるだけの体力(とくに全身的持久力や瞬 発力,および精神面の強さ)がまず必要である。そして,ゲーム前のグランド, ボール,服装の点検に始まり,展開場面では瞬時に変化するゲームの状況に即 応して,出来る限り正確,迅速,公正に判定するという裁判官的役割を担うと ともに,競技時間と得点に関しても全責任を持たなければならないのである。 また,ラグビーはコンタクトプレーの多い激しいゲームであるがゆえに,ゲ ーム中,様々なアクシデントが生起する。とくに頭部,頸部の外障に関しては 十分目知識と救急処置の実践能力を身につけておく必要がある。このような事 態に対しても,レフリー独自の判断と決断力が要求されるのである。 今日,行われている競技スポーツの審判に対する認識,評価に関しては,ラ グビーのレフリーのみならず,他の種目においてもより強固なフィットネスや メンタルが要求され,しかも最も重要な役割を演じなければならない任務であ るにもかかわらず,きわめて稀薄で,低いものと言わざるをえない。組織面で の強化,充実だけでなく,時代の流れに即した待遇面においての改善が焦眉の 急となってきている。