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滋賀県における政策金融の展開

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救賀県における政策金融の展開 三〇

滋賀県における政策金融の展開

一 は し が き  日本経済の展開過程において、明治期以来の信用制度の発達は、経済発展をもたらす必須の要件をなすとともに、最も 直接的な原動力となってきた。わが国においては、日銀を頂点とする銀行制度の存在が、いわゆる間接金融方式を軸にし つつ、経済の発展にダイナミックな影響をもたらしてきたのである。ところでわが国においては、民間金融と併存しなが ら、それを量的、質的に補完するものとして、これまた重要な役割を果してきた政策金融の存在に注目しなければならな い。すなわち政策金融は、政府による金融活動を意味し、金利政策や公開市場操作、あるいは財政支出や税制上の諸措置 など、各種政策手段の適用と相まって、財政資金による、金融的調整を目的とする政策手段の一つとして活用されてきた のであるが、日本においては、すでに明治後期より有力な政策手段として重視され、現実において多様な機能を果してき たのである。  一般に政策金融とは、国、地方公共団体、またはこれに準ずる機関が、特定の政策目的を実現するための手段として、 貸付、債券の引受け、信用補完、出資、その他これに準ずる金融的優遇措置を講ずることを意味する。政策金融は、金融 という用語に示されるように、通貨の融通を主たる内容とするものであり、従って元利償還の義務をともない、信用ない

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し貸借闘係がその前提となっているσこの意味において、同じく財政資金の活用によるものとばいえ、例えば祷助金の交 付や公共事業投資など、⋮元利金の返済を要しない場合とその本質を異にするものである。政策金融におけるかような特質 は、その原資の主要部分が元利払いを必要とする資金に依存していることに基づくものである。財政資金はその源泉を租 税に求めるもの、政府債務に求めるものとに大別され、後者はさらに、長期、短期の政府証券の発行による場合と、金融 的な資金吸収による場合とに区分しうる。わが国の政策金融の原資として長期にわたり重要な役割を果してきたのは大蔵 省預金繋資金︵資金運用部資金︶であるが、本資金は国家信用の体系を通ずる金融的な資金吸収に基づくものであり、元利 償還を必要とする有償的資金に外ならない。政策金融はかような意味において、 ﹁貸し手としての政府﹂の機能と、 ﹁借        ︵ユ︶ り手としての政府﹂の機能とを、同時に具有し体現する政策手段であったといいうるのである。  小論における課題は、かような政策金融が、特定の地方自治体においてどのように展開せしめられてきたかについて、 とくに滋賀県の場合について検討を試みようとするものである。地方自治体における政策金融は、明治四〇年代に発足        ︵2︶ し、とくに第一次大戦以後その重要性を高めてくるのであるが、小論においては、明治末年より第二次大戦期におよぶ期 間について、資金の吸収および資金の貸出の両面にわたり考察してみたいと考える。  ︵1︶ ここにいう”政策金融”の概念についてはさらに厳密な定義を必要とするが、小論においては丹心の制約上省略する。これについては、日本経済    調査協議会編﹃政策金融今後の課題﹄、鈴木武雄﹁財政の金融化とその今日的意義﹂︵﹃金融財政事情﹄昭和四四年一月六日号所収︶等を参照されたい。  ︵2︶ 江見康一氏は一九三〇年代をもって政策金融︵同氏の用語では政府金融︶の発展期と目され、この時期に、わが国における財政投融資の中核が形    成されたものとしているが、妥当な見解と考えられる。︵江見康一・塩野谷祐一編﹃日本経済論﹄二八八頁参照︶後述のように滋賀県においても、政    策金融がその軍要性を高めてくるのは一九三〇年代からであった。 二 滋賀県における貯蓄推進運動の展開 政策金融の担当機関および機能は、時代の経過とともに大きな変化を示してきたQ明治後期以降第二次大戦期にかけ     滋賀県における政策金融の展開       一一二

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(第1表)預金部資金中の郵便貯金・振替貯金構成Lヒ   % 預金部資金は、郵便貯金および振替貯金、特別会計預金、預金部積立金、収入金、その他によって構成されていたが、と 府低利資金の供給機関たると同時に、国民大衆の蓄積資金を吸収するところの一大貯蓄機関としての機能を果してきたQ な貸付けによって、特定産業への融資あるいは地方資金の供給に資するところが大きかった。ところで大蔵省預金部は政 金融機関の発行する興業債券、勧業債券、産業債券などの引受けや地方債の引受けを通じ、あるいは預金部による直接的 金の供給機関として、戦前においては財政投融資の唯一の機関であったといってもよい﹂のであり、預金部資金は、特殊       ︵1︶ て、政策金融の担当機関として重要な役割を果してきたのは大蔵省預金部に外ならない。 ﹁大蔵省預金部は、政府低利資      滋賀県における政策金融の展開      三二 (B)/CA) 92. 8 64. 9 82. 2 6Z 2 74. 1 73.8 蒸金園資憲(・)   千円 28, 352 144, 931  百万円   382 1, 776 4, 471 65, 757 暴ge,韮(A)   千円 26, 335 94, 085  百万円  314 1, 194 3, 315 48, 548 年度末 明治30年 〃 40年 大正5年 昭和1年 〃 10年 〃 20年 (出所)『金融ジャーナル』1972年S月号,115頁。 くに重要な意義を有していたのは郵便貯金に外ならない。第1表は明治後期以降第 二次大戦期に至る期間における、郵便貯金および振替貯金の、預金部資金総額に占 める割合を示すものであるが、その圧倒的な重要性を端的に示すものといえよう。 預金部資金中直重要の原資たる郵便貯金資金は、周知のように農業者あるいは賃 金・俸給生活者などの、零細資金を源泉とする貯蓄資金であり、その意味で銀行定 期預金類似の安定的長期資金としての性格を有し、しかもその資金コストが比較的 に小さかったので、長期低利資金として重要な意義をにないえたのである。また預 金がかような性格を有していたために、長期国債、地方債、金融債の引受け、ある いは地方公共団体への貸付などに利用することが可能とされたのである。  わが国において、郵便貯金が政策金融の原資として、すなわち預金部資金の重要 な原資として蓄積されてきた背景には、それなりの理由が存したものといえよう。 その原因は多様であり、また貯蓄の動機も時代により大きな変化を示してきたもの

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と考えられる。農民はじめ庶民の間において、いわゆる貯蓄率が高かった理由として、しばしば指摘されることは、わが 国においては社会保障が不十分であり、庶民自からが自衛のために、つまり老後や疾病に備えてのたくわえが常に必要と されてきた事実である。ことに農家においては、その生産が、風水害や早ばつなど、いわゆる自然の脅威にさらされてお り、かような現実が苦しい生活の中からつとめて貯蓄を行なうことを余儀なくせしめてきたのであり、そしてかような事 態が、郵便貯金を行なわしめる動機の一つを形成してきたことは十分に推測されるところである。  ヌルクセ︵カ■日4口目犀しりΦ︶は、日本において、低い生活水準からどのようにして高水準の貯蓄が可能であったかについて云及 し、デューゼンベリi︵旨Qっ.∪¢醗Φ筈ω﹃曼︶の所説によりながら、わが国の工業化の初期段階においては、総ての面において 西欧を模倣したにもかかわらず、消費の型においては伝統的なパターンを維持し、そしてかような経過が工業的発展を成        ヨ  附せしめる一因となったとしている。デューゼンベリーにおいては、個人的消費関数は互いに独立なものではなく、相互 に関係しあうものであることが主張される。すなわち消費は社会的環境によって支配されるものなのである。彼によれ ば、﹁人が現実に達成する貯蓄の水準は、彼が現在の生活水準を改善したいという欲望と、貯蓄によって将来の福祉を得た       ︵3︶ いという欲望との、斗争の結果の現われである﹂とされ、そして彼がある頻度をもって使用している財よりも優秀な財に 接すると、その財に対する潜在的選好を能動的にし、貯蓄を犠牲にして支出が増加されることとなる。優等財との接触に よって消費支出が押し上げられる傾向をデューゼンベリーは、デモンストレーション効果と呼んでいる。ヌルクセはかよ うな考え方に依拠しながら、高い消費水準へ向かわしめる衝動を抑制し、進歩した消費水準の誘因、すなわちデモンスト レーション効果を遮断し、生産水準と生活水準との乖離を生み出し、︻それを巧みに工業的発展に結びつけたのが、日本の 工業化初期段階における特徴的な事実であったとしているのであるQ確かにわが国の明治・大正期において、庶民階層に おいては近代的生活の浸透度、つまりデモンストレーション効果が十分ではなく、生産水準の急速な上昇に対して、生活      滋賀県における政策金融の展開       三三

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     滋賀県における政策金融の展開       ⋮二四 水準の向上は遅々たるものであり、両者の乖離が、やがて蓄積をもたらす一因となったことは否定しえない事実であっ た。この意味においてヌルクセの指摘は、日本における貯蓄率の高さを説明する場合にきわめて示唆的な仮説であると考 えられる。しかし同時にわれわれは、かような側面を積極的に利用すべく、政府自体が意識的に様々な手段を採用してき たことを看過してはならない。とくに華美・軽薄な都市的生活様式の農村地方への拡散を防止するために、明治以来政府 は、思想的な側面から、あるいは具体的な施設を通じてその実現につとめており、その結果農業部門において蓄積された 資金を他部門へ、とくに工業化に要する資金として、供給せしめることが可能とされたのである。政府あるいは地方公共 団体等によって展開された貯蓄奨励運動は、単なる貯蓄の奨励に止まるものではなく、勤倹貯蓄の気風を振興し、デモン ストレーション効果を遮断し、ヌルクセのいう生産水準と生活水準との相違を、利用しうるような状況をもたらすことに その主要なる目的がおかれてきたものといいうるのである。  わが国における貯蓄奨励運動は明治初年以来推進され、貯蓄機関ないし制度として、早期より郵便貯金制度や貯蓄銀行 制度が確立されてきた。ところでわが国における特微的な事実として注目しなければならないことは、かような制度の面 における整備・充実とともに、明治期以来貯蓄奨励運動が、国家目的・政治目的との関連においてつねにその重要性が唱 導され、国民の義務として強制的な形態において推進されてきたことである。そしてこの場合とりわけ重要な役割を果し てきたのは、農村的環境ないし地域において活用されてきた講的組織あるいは各種の貯蓄組合的組織の存在であった。後 述のようにこれらの組合は、その設立の動機を異にし、また実際の事業においても、地域によりかなりの相違がみられた が、共通に見出しうる特色は、部落あるいは町村単位で規約を結び、できうる限り生活内容を低く維持し、冗費を節して 蓄積を行なおうとする姿勢を強く維持してきたことである。そしてかような組織こそが、政府による貯蓄奨励運動を実質 的に支えるものであり、またヌルクセの指摘するような結果をもたらす要因であったといいうるのである。明治二〇年代

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から全国各地にかような組織が形成されてくるのであるが、その名称も、例えばv貯蓄組合、勤倹貯蓄組合、日掛貯蓄組 合、積善講、五厘講、日掛講など、まさに多様であったといいうるのであり、また前述のようにその設立の動機、実際の 事業も様々であった。例えば島根県飯石郡来島村の﹁勤倹貯蓄組合﹂は、 ﹁明治二十六年以来勤倹貯蓄及矯風ノ目的ヲ以 テ組合ヲ各大字二設ケ交際上ノ贈答ヲ節約廃止シ凶荒ノ豫備トシテ郵便貯金及籾ノ貯蔵ヲ爲シ耕地ノ改良造林ノ奨励ヲ図        ︵4︶ リ、且ツ災害異変二際シ隣保相助クルコトヲ規約シ草隷実行ヲ努ムル﹂ことを目的としていた。山形県南村山郡蔵増村の ﹁貯蓄組合﹂においては、 ﹁天災其他困難ノ場合二応スルタメ毎戸一日金武厘宛貯蓄シ郵便貯金ト爲シ其方法ハ毎月十五 日及二十五日ノ両度積立金ヲ世話三二渡シ世話掛ハ其金額ヲ世話掛ノ外数人ノ名義ヲ以テ郵便局二預ケ入レ毎年十二月末       ︵5︶ 日マテニ組合二報告スル﹂ものとされ、 ﹁組合内心貧者ハ草履縄等ヲ以テ貯蓄金二身テ又ハ富者二雇ハレ其賃金ヲ以テ積     ち  立ツルモノ﹂とされている。また貯蓄励行のために、違反者に対しては、 ﹁日数十日以内ノ人夫又ハ違約金壼円以下ヲ徴   ︵7︶ 収スル﹂ことが決められていた。  これらの貯蓄組合が推進する貯蓄活動が、成員の自由な意志に基づいて行なわれたものでないことは明白であるが、組 合の結成自体は自主的な性格を有していた。明治三・四〇年代においては、内務省による地方改良運動と相まって、各道府 県においても管下市町村の貯蓄事業を推進するために種々の介入が行なわれるようになり、前述のような貯蓄組合組織の 発達が地方自治体により奨励・指導されることとなった。ここではその一例として大分県の場合についてみておきたい。       ︵8︶  大分県においては、 ﹁勤勉貯蓄事業ノ発達完成ヲ期スルタメ﹂に、明治三五年一〇月、勤勉貯蓄組合準則を公布し、県 下各町村における組合設立を勧奨するとともに、知事より全町村にわたり奨励委員二七四七名を委嘱している。前記貯蓄 組合準則においては、その目的として、 ﹁組合ハ組合員ヲシテ家事二勉メ分限ヲ守り勤勉ノ利潤ト節倹ノ鯨財トヲ貯蓄シ        ︵9︶ テ自営独立ト凶荒豫備ノ基本ヲ作ルコト﹂が明示されている。同県下においては準則公布一力年後に、組合の設置町村数      滋賀県における政策金融の展開       三五

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     滋賀県における政策金融の展開       三六       り  一五三町村、組合数一二一〇組合、貯蓄額︵郵便貯金、銀行預金など︶二万八八五一円を達成せしめている。  明治三、四〇年代は、わが国における貯蓄運動が著しく高揚し、また貯蓄運動自体が国民のなかに定着せしめられた時 期であった。しかもこの時代に普及せしめられた貯蓄に関する考え方、あるいは貯蓄活動の形態は、後述のように第二次 大戦期に至るまで根づよく維持、存続せしめられてきたのであり、この意味において、明治後期の貯蓄運動は、きわめて 重要な意義を有するものと考えられるのである。  滋賀県における貯蓄推進運動もまた、明治三〇年代より本格的な展開をみるに至った。以下明治三〇年代より昭和恐慌 期に至るまでの運動の経過を、若干の事例によって概観しておきたい。もとよりかような事例は特殊具体的なものではあ るが、同時にそれは当時における県下全般の動向を示すものとして認識されることができるのである。  滋賀県愛知郡稲枝村においては、明治二二年の町村制施行以来、村政に積極的な姿勢が示されるようになり、貯蓄事業 においても同郡下他村に比し活発な動きがみられた。 ﹁稲枝村村治及事績﹂のなかから関係事項を引用しておく。  ﹁勤倹貯蓄ノ奨励 明治二十九年風水害アリシ以来勤倹貯蓄ノ必要ヲ感シ明治三十一年時ノ村長平田傳右衛門貯蓄規約 ヲ設ケ以テ貯蓄ヲ奨励セリ其規約ノ大要ヲ揚クレハe各人ハ無益ノ費用ヲ節シ專ラ心ヲ勤倹貯蓄二止メ⇔之二黒リテ得タ ル金銭ノ戸数割賦標準二依リ一戸五銭ヲ以テ貯蓄スルコトト爲シ⇔其貯蓄金目毎月委員長之ヲ集収シ出金者ノ名ヲ以テ郵 便局又ハ銀行二野込ムコトトシ國猶ホ幹事二人委員九人︵各字一二人︶監査員十人ヲ置キ以テ村民ノ貯金ヲ奨励シタル結 果三十五年十月三十一日現在、預金四千三百六十九円二十四銭五厘、此利子三百八十円四十八銭二三セリ  興行物ノ禁止本村ハ明治二九年凶作以来興行禁止ノ方針ヲ嚴並置シカ三十一年相当ノ秋収ヲ帯屋ルヨリ三十二年二於 テハ豊年踊等ノ計画ヲ爲ス者アリキ時ノ村長伊関三右衛門ハ之ヲ未然二親遇セント欲シ各大字二委員ヲ設ケシメ以テ左ノ 事項ヲ決議シ脚力実行ヲ島メタル結果爾来興行ヲ爲ス者一人モナク一二勤倹貯蓄ノ趣旨ヲ守ルニ至レリ

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 曾 総テ何等ノ種馬ヲ問ハス興業ヲ為サントスル者ハ必ス置字若クハ其部落ノ全体ヲシテ勤倹貯蓄組合二曹ケル本年分ノ貯蓄ヲ前納セ   シムルコトヲ一妥ス       ︵11︶  ⇔各大字委員ハ其字内ノ動静二注意シ興行前に於テ前項ノ貯蓄ヲ実行セシムル責口任ス﹂  前述の事例は、風水害による凶作を契機に、農村指導者層の指導のもとに、自発的に貯蓄事業が推進されてきたことを 示しているが、しかしその実体においては、あくまでも組織による強制共同貯蓄であり、農村共同体的秩序を媒体として 推進されてきたことを示している。農村の唯一の娯楽ともいうべき豊年踊までもがそのために抑制されていることをうか がいうるのである。  滋賀県においては、明治三〇年代より、県の指導のもとに、町村基本財産、郡基本財産、あるいは学校基本財産等の設 置、蓄積が勧奨され、これにともない組織的な勤倹貯蓄が展開されている。例えば明治三五年六月一二日の﹁官報﹂には 滋賀県各郡市町村における基本財産の蓄積経過について次のような記載がなされている。  ﹁県下下級地方団体二於ケル基本財産ノ設置及蓄積二関シテハ数々訓令訓示ヲ発シテ之ヲ督励シ又一般人民ノ勤勉貯蓄 二関シテモ従来大二奨励二努メ尚ホ将来二於テモ提液誘導ヲ加へ時々産業組合ノ設立ヲ奨励シテ産業ノ発達ヲ図り併テ貯 金ノ便宜ヲ得シメソコトヲ企図セリ  町村基本財産 明治三十一年度二於ケル蓄積総額四拾九万九千八百余円ナリシモノ同三十三年末二二テハ一躍シテ八拾 壼万六千九百黒円二尊シ県下一翼二百二町村ノ内基本財産ヲ蓄積セサルモノ僅二六町村二上キス其蓄積方法ハ概シテ規程 ヲ設ケテ年度決算ノ剰余金ヲ蓄積シ且ツ町村ノ負捻甚シカラサル年度二於テハ相当賦課ノ上蓄積ヲ爲セリ  郡基本財産 神崎、犬上、伊香及高島ノ各郡二於テ脚下積立金規則ヲ設ケテ其増殖ヲ図り就中高島郡二在リテハ其収入 ヲ以テ雀蜂ノ幾部ヲ補フタメ壼万円ヲ積立ツルノ目的ヲ以テ毎年予算テ依り武百円ヲ積立ツル外尚ホ決算残金ノ幾分及      滋賀県における政策金融の展開       三七

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     滋賀県における政策金融の展開       三八 其利子並二指定ノ費途ナキ寄附金ヲ臨時二積立テ兼テ郡内ノ町村其他公共団体贈主テ教育及勧業事業等二二キ臨時要費ア ル場合二低利貸付ヲ爲シ得ルコトトシ現在積立金既二六百六拾壼円余八達シ又教育資金トシテ別二特別資金五千円ヲ明治 三十四年度ヨリ向フ三箇年導爆積立ツルコトトシ是レ亦郡内ノ公共団体二対シテ低利貸付ヲ許シ其積立金現二千四百円二    ね  達セリ﹂  前述のような各種基本財産の形成は、地方自治体における臨時費支出に対する準備として、政府により府県および市町 村にその育成が義務づけられたものであるが、かような目的に由来する基本財産の育成もまた、同時に貯蓄組合等の組織 による蓄積ないし貯蓄事業と密接な関連を有するものであったといいうるのである。  滋賀県において勤倹貯蓄が行政面を通じ、 一層組織的かつ強力に展開されるようになったのは明治三七年からであっ た。すなわち日露戦争に際し、 ﹁戦時国民貯蓄﹂の奨励が行なわれ、全県下にわたり、一大字を一区域として貯蓄組合が 設置せしめられ、各組合に実行委員を委嘱し、強制的な貯蓄が推進され、戦後においても、 ﹁戦役記念貯金﹂として存置        ︵13︶ され、さらに﹁勤倹貯金﹂と改称、存続せしめられている。  貯蓄推進運動は、以上のように日露戦争前後に高揚をみたのであるが、滋賀県においては第一次大戦中および戦後にお いても、消費生活の向上を懸念し、あるいは戦後の反動恐慌を克服すべく、積極的な活動が展開されている。すなわち ﹁大正八年奉公貯金ノ制ヲ設ケ冗費節約生活改善等二依リ管財ヲ蓄積セシメ国家有事二提供スルノ目的ヲ以テ勤倹貯蓄ノ    ︵14︶ 奨励二努メ﹂、さらに昭和四年目知事堀田鼎の指導のもとに、公私経済緊縮運動が推進され、地方自治体あるいは産業組 合等を通じ貯蓄の奨励が行なわれている。しかし滋賀県においても、貯蓄推進運動が明治三、四〇年代に展開されたよう に、再度本格的にとり上げられるようになったのは、後述のように昭和五年以降の農業恐慌期においてであった。ここで はひとまず明治末年より日中戦争期に至るまでの、滋賀県下における預貯金の推移、およびとくに郵便貯金の展胴過程に

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ついて考察しておきたい。  滋賀県の場合にも県民による蓄積の内容は、銀行預金、郵便貯金、産業組合貯金など預貯金の形態をとることもあれば、 貯穀、造林などの形態、あるいは株式や国債の購入など証券投資の形態をとる場合もあり、時期により地域により相違がみ られる。第2表は銀行、産業組合、郵便貯金の区分による預貯金残高の推移を示すものである。表示期間を通じ銀行預金が      (第2表) 灘賀県における預貯金残高の推移(単位:円)

次}銀行預金1産業組合貯金1郵便貯金

年  2, 239, 799  3, 281, 253  4, 484, 325  4, 217, 964  4, 364, 039  6, 653, 772  9, 044, 718 11, 669, 976 11, 861, 778 12, 157, 679 20, 668, 238 29, 430, 464 36, 841, 638 38, 152, 383 38, 904, 116 43, 296, 519 53, 214, 317    43,366    177, 61e   449, 071    852, 750  1, 280, 504  2, 779, 955  6, 190, 636 11, 118, 529 18, 691, 122 33, 030, 060 40, 296, 545 45, 646, 486 44, 402, 756 48, 4e5, 468 54, 146, 434 61, 083, 489 90, 243, 668  11, 277, 515  12, 289, 360  14, 565, 605  18, 040, 106  20, 7e3, 693  30, 105, 324  52, 225, 890  62, 335, 410  69, 990, 095  81, 265, 961  92, 719, 515  91, 419, 017  79, 913, 684  71, 591, 424  79, 806, 151  83, 738, 343 106, 261, 913 明治40年   42   44 大正2年   4   6   8   10   12   14 昭和2年   4   6   8   10   12   14 (出所)滋賀県知事官房編『滋賀県統計全書』により作成。ただし銀  行預金は年末,産業組合貯金,郵便貯金は年度末残高で示される。 滋賀県における政策金融の展開 つねに最重要な地位を占めているが、その預金残高の 伸び率は相対的に小さく、とくに昭和初年においては 預金残高のかなりの低下がみられている。郵便貯金残 高は全期聞を通じ安定的な増加を示しており昭和初年 の恐慌期においても増勢傾向が推持されている。産業 組合貯金残高は、明治末年においては、銀行預金ある いは郵便貯金残高のウェイトに比し、はるかに小さな ウェイトを占めるに過ぎなかったが、第一次大戦後の 伸び率はきわめて高く、昭和一〇年代には銀行預金に 迫るウェイトを占めていることが注目されよう。  周知のように農業恐慌は、昭和五年頃より深刻化す るのであるが、後述のように、政府あるいは地方公共 団体は、財政支出の増大、低利資金の供給等を通じ、 救済をはかるとともに、他面において、国民大衆に対        三九

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     滋賀県における政策金融の展開       四〇 し、生計費をきりつめ、自力更生をはからしめるために、なかば強制的な国民生活への介入を行なった。滋賀県において は、昭和五年頃より産業組合組織を中心に農村更生がはかられてきたが、昭和七年滋賀県経済振興調査会を設立し、農山 村、中小商工業の窮状を調査するとともにそれが応急対策等を審議し、政府によって推進された時局匡救政策と対応しつ つ、市町村あるいは産業組合等を実行機関として、時局救済自力更生運動が展開されている。昭和七年九月に開催された 市町村長会において、伊藤武彦知事は、いわゆる自力更生の必要について次のように述べている。  ﹁次二特二各位ノ注意ヲ喚起致シタイコトハ今日ノ経済的窮即日其ノ禍因ノ由来スル所既二久シク軍一二時的現象デハ アリマセヌカラ独り公ノ施設ノミヲ以テ之が匡救ヲ完カラシメ得ル所デハナイノデアリマス。固ヨリ不況ノ深刻ナル、今 日ヨリ甚シキハ無イノデアリマシテ、所謂自力更生ニノミ窮況打開ノ希望ヲ繋自得ナイコトハ言フマデモナイノデアリマ スガ、サレバトテ財源二限アル公ノ施設二総テヲ椅頼スベク不況ハ雪余リニ深刻デアリマス。要スルニ公ノ施設ハ俗二所 謂﹁誘ヒ水﹂二過ギナイノデアリマシテ、コノ施設ヲ契機トシテ県民が相率イテ自奮自励、更生ノ努力ヲ払フ時二於テ初 メテ能クコノ悲境ヲ克服シ得ルノデアリマス。今次中央地方相呼応シテ特二莫大ノ経費ヲ応急施設二投ゼムトスル所以モ 亦畢宿自力更生ノ素ヲ養ヒ其ノ基ヲ樹テンが爲デアルト確信スルノデアリマス。各位ハ県民ヲシテ克ク此ノ自力更生ノ建 設的努力ヲ作興シ公共奉仕ノ愛国的熱情ヲ振起シ以テ経済生活ノ振興二様進セシムルニ全力ヲ蓋クサレムコトヲ切望シテ          ゆ  巳マナイノデアリマス﹂。  農業恐慌期において、銀行預金は前掲第2表に示されるように、昭和二、四年に比し低下しているのに対し、産業組合貯 金、郵便貯金は、この間においても依然として増加傾向を示している。昭和二年の金融恐慌の結果、県下においては、近 江銀行、栗太銀行などの破綻、休業が余儀なくされ、地方銀行に対する県民の信頼感が低下し、組合貯金、郵便貯金等に 貯金の転換が生じたことも重要な原因であったが、同時に農村等においては、農業恐慌を切り抜けるために、一段ときび

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しい貯蓄奨励運動が推進されたことがト恐慌下にもかかわらず、貯蓄の水準を維持せしめる原因となっていたのである。  昭和七年政府は農村経済更生運動を打出し、五人組の強化、農家小組合、農事実行組合等の部落農業団体の育成を行な い、いわゆる中堅農家を中心とする部落秩序の再編成を推進し、蒔局匡救事業とともに、農村の自力更生をさらに積極的 に展開せしめることとなった。滋賀県においても政府によるかような政策に対応し、県下各市町村あるいは産業組合に対 し、その実施方が要請され、生活費のきりつめが行なわれ、貯蓄の推進がはかられている。滋賀県甲賀郡大原村において は、昭和七年大原村経済更生計画を策定し、 ﹁自力更生の精神を作興し農村の美風たる隣保共助の精神を活用して産業及       ︵16︶ 経済の計画的刷新を図る﹂ために、農業経営の改善、生産技術の改良など幾多の事業が推進されているが、とくに農家負 債整理のために、貯金の励行、高利債の借替、支出逓減を目的とする生活のきりつめがはかられている。県下町村において は従来貯蓄推進のために、郵便貯金と産業組合貯金とが併用される場合が多かったが、昭和五、六年頃からの産業組合組 織の拡充強化にともない、次第に産業組合貯金に一本化されてきており、大原村の場合にもこの時期には産業組合が貯蓄 推進運動の中心となり、各部落ごとに農事実行組合を組織し、その活動を分掌せしめている。すなわち同村においては、 ﹁組合員にして今尚旧慣に捉はれて其資金を地方銀行叉は郵便局等へ預け或は危険なる事業に投資するものあり爲に往々 不測の損害を蒙ることあるのみならず、延ては農村資金の澗渇を招来する現状あるを以て自己の手許金は勿論生産物の販        り  費代金其他余裕金は専ら組合に預入れしめ以て農村資金の充実に努むること﹂が企図され、産業組合取扱いによる各種据 置積立貯金、すなわち共栄貯金、整理貯金、更生貯金、力行貯金、規約貯金、結婚準備貯金、勤倹貯金、教育貯金等が実 施、勧奨されているのであるQ  滋賀県下における貯蓄奨励運動の経過、および各種預金の推移については以上に概観したところであるが、次にこれら 預貯金のうち預金部資金の原資となる郵便貯金が、県下においてどのように貯蓄されてきたか、とくに貯金者の職業別に      滋賀県における政策金融の展開       四一

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滋賀県における政策金融の[展開 (第3表) 郵便貯金の職業別預人員および預金額(全国)

職業別随人共同比率陣金壷同bla率毒念鹸

人[ %[ 円1 %1 円 69. 4e8 114. 037 50. 928 73. 173 111. 870 エ17.956 75. 161 51. 885 61. 862 53. 6ro2 72. 278 16L 200 24. 123 17. 36 26. 13 10. 29 10. 06 13. 05 10. 19 3. 25 0. 85 0. 65 0.23 0. 87 2. 67 4. 40 465, 007, 22e 700, 222, 438 275, 690, 193 269, 425, 150 349, 724, 370 272, 922, 792  86, 969, 132  22, 862, 177  17, 506, 342   6, 040, 619  23, 235, 227  71, 590, 895 117, 869, 220 19. 13 17. 53 15. 46 10. 51 8. 93 6. 61 3.30 1. 26 0. 81 0. 32 0. 92 1. 27 13.95         人 6, 699, 630 6, 140, 322 5, 413, 300 3, 682, 045 3, 126, 181 2, 313, 768 1, 157, 105   440, 633   282, 989   112, 589   321, 480   444, 113 4, 886, 196 農 無 業 業 学生・生徒 工 商 職 業 公務・自由業 交 通 業 家事使用入 水 鉱 産 業 業 その他の有業者 団 体 不詳のもの (出所)貯金三編r郵便貯金の府県別・職業別統計の結果を概説す』(昭和11年9月刊)213   ∼214頁による。 (第4表) 郵便貯金の職業別預人員および預金額(滋賀県)

職業別預人劇団比率隠金劉彫ヒ率爾銚壷

皿1 Ao l 日1 901 円 84. 026 48. 042 125.328 76. 001 111. 391 141.522 105.293 27. 13 8. 83 22. 47 9.54 12. 54 8. 96 3. 43 10, 618, 151  3, 453, 416  8, 788, 473  3, 731, 414  4, 903, 634  3,503,529  1, 341, 429 2Z 98 15.91 15.52 1e. 87 9. 75 5.48 2. 84 126, 367 71, 884 70, 124 49, 097 44, 022 24, 756 12, 740 業徒業難業旧業      由  生    自  ・    ・通  生    務 農学無工商公団 (出所)貯金局編・前掲書,157頁。各比率は「その他」および「不詳」を含む全体に対する比率。   四二 みた一計について付記しておきた い。  郵便貯金における貯金者の職業 別構成は、全国的統計において明 白なように、明治、大正初年まで は圧倒的に農業者が多かったこと は否定できない。この時期におい ては農業の比重が大きく、就業構 造の面でも農業部門の比重が高か ったことに起因することは云うま でもない。明治三〇年末において、 郵便貯金の総貯金者数に占める農 業貯金者数は三八・四%、同じく 貯金額は三二・二%に達しており 商・工業、その他に比しはるかに 高いウェイトを占めていた。大正 七年末当時においてもなお農業貯 金者数の比重は、三二.六%を占

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近畿6府県における郵便貯金残高および構成比の推移 明治34年度末

劉%隆

大正9年度末

劉%匡

昭和10年度末 金

劉%

(第5表) 府県名  6. 0 18. 9 34. 6 24. 7  6. 1  9. 7 100. 0          円  38, 904, 116 123, 090, 331 225, 518, 555 160, 382, 817  39, 493, 237  62, 979, 136 650, 368, 192  7. 2 22. 2 35. 3 19. 8  9. 0  6. 5 100. 0          円  11, 283, 654  34, 637, 043  54, 962, 179 30, 797, 844  13, 995, 761  10, 142, 354 155, 818, 835 12. 0 22. 2 23.0 22.7 1L3  8.8 100. 0      円 43, 635 80, 752 83, 851 82, 654 41, 189 32, 159 364, 240 賀都阪通馬山       歌計 滋京大兵奈和 (出所)r帝国統計年鑑』により作成。 滋賀県における政策金融の展開 め最高のウェイトを示していた。農業黒星色彩の濃い滋賀県においても同様の傾向が 維持されていたことは指摘するまでもない。第3表、第4表は昭和八年三月末現在に おける郵便貯金における貯金者の職業別構成を示すものであるが、第3表に示される 全国統計に比し、第4表にみられる滋賀県の状況は、依然として農業者の比重がきわ めて高いことを明かにしている。  前述のように、郵便貯金における貯金者の職業別構成比において、農業者の占める 割合が他の職業に比して高かったという事実は、明治後期以来の預金部資金の地方還 元要求における正当性を示す根拠として繰り返し提起されてきたところであり、大蔵 省預金部の改造をもたらす一つの原因ともなってきたのである。しかし第一次大戦以 後における都市化の進展、あるいは農業部門の絹対的な低下を背景に、郵便貯金にお ける貯金者も自から人口構成、職業構成の変化を背景に、都市居住者、あるいは非農 業部門の就業老に移行せしめられているのである。第5表は近畿二三四県における 郵便貯金残高および構成比の時期別推移を示すものであるが、明治三四年度末当時の 構成比に比して、大正九年度末、昭和一〇年度末においては、大阪あるいは兵庫など が増大し、逆に滋賀、奈良二県の相対的地位の低下が顕著である。すなわち時代の経 過とともに、郵便貯金の貯金者層も、次第に都市勤労者層に移行せしめられることと なったのである。  ︵1︶ 鈴木武雄﹃近代財政金融﹄二〇一頁。        四二

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    滋賀県における政策金融の展開      四四 ︵2︶図・2⊆昏ωρ写〇三Φ旨ωohO巷ヰ巴男。﹃旨讐ご⇔言q昌ΩΦ巳Φ<巳8Φα02艮﹁δω一お朝ω”窄胡●邦訳、一一〇頁参照。 ︵3︶ H・ω・UqΦωΦ浮び。凌ざ冒ooヨρoα鋤く冒ひqo巳筈。↓冨。員。hOo島q日母︼WΦ乾くδさ冨お堵やb。卜。.邦訳、三三頁参照。 ︵4︶  ﹃宮報﹄︵明治三六年入[月一ご日︶ ︵5︶︵6︶︵7︶ ﹃官報﹄︵明治三五年七月四日︶ ︵8×9︶ ﹃官報﹄︵明治三六年一月一二日︶ ︵10︶ ︵11︶ ︵12︶ ︵13︶ ︵14︶ ︵15︶ ︵16︶ ︵17︶ ﹃官報﹄︵明治三七年一月二〇日︶ 滋賀大学経済学部附属史料館所蔵史料による。 ﹃官同川轍﹄︵明治三五年六日刀一二日︶ 滋賀県学務部社会課編﹃滋賀県社会事業概要﹄︵昭和四年一〇月︶、四一∼四二頁参照。 同右、四二頁。 滋賀県編﹃時局匡救対策及事皿莱柵脚要﹄︵昭和七年一二月︶ 滋賀県甲賀郡大原村﹃大原村経済更生計画﹄︵昭和八年二月︶、緒云。 同右、五七頁。 三 滋賀県における預金部資金の還元  滋賀県における、郵便貯金を主体とする預金部資金の吸収過程については、以上に述べたとおりであるが、次にかよう に吸収された預金部資金が、どのような形態で滋賀県に対し還元されているかをみておきたい。  大蔵省預金部資金の地方還元が行なわれるようになったのは、明治四二年のことであった。すなわち政府は勤倹貯蓄の 奨励をはかるために、明治四二年より預金部普通地方資金の融通を行なうこととなったのである。預金部資金の地方還 元は、明治四〇年代に入り地方自治体、農業団体などから強く要請されることとなり、政府もまた郵便貯金の主要部分が 農業者の貯金によって維持されている実情を重視し、地方在住者の貯蓄意欲を高めるために低利資金の供給を行なうこと となったのである。普通地方資金は、日本勧業銀行、府県農工銀行、北海道拓殖銀行など特殊金融機関の発行する金融債

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の引受けや各道府県の発行する地方債の引受けを通じて融資されているが、当初においては特殊金融機関を経由する割合 が大きく、大正一二年に産業組合中央金庫が設立されるとともに、このルートはさらに強化されることとなった。しかし その後勧銀、農銀など、民間金融機関の農業金融機関としての特質が次第に薄れていくに伴い、地方資金の供給は産業組 合中央金庫を経由する場合がより重要なものとなっていき、また昭和七年度からは、地方公共団体に対する貸付は、預金 (第6表) 滋賀県における耕地整理事業資金の推移

年度階富岡県奨励劃国輔劇嚇唖飴

円「 円1 円1 円 45, 500 40, eoo 30, 800 6s, eoo loo, oeo 120, OOO 50, OOO 30, OOO 50, OOO so, oeo 26, 002 2e, ooo 20, OOO 40, 152 42, 293 11, 392 12, 594 20, 999 14, 996 34, 059 49, 362 38, 700 32, 182 32, 914 52, 452 55, 989 25, 528 26, 819 34, 975 32, 379 62, 578 78, 446 95, 036 148, 115 267, 657 331, 112 201, 774 208, 570 197, 265 234, 258 302, 363 384, 379 明治44年 大正1年 tt rr rr tl rt rr tt rr t1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 滋賀県における政策金融の展欄 (出所)滋賀県内務部編r滋賀県耕地整理概況』(大正12年刊)に   より作成。 部からの直接融通の形態をとることとなり、特殊金融機関による間接金融 は水利組合、北海道土功組合を始め各種公共組合に対するもののみが残さ れることとなったのである。  預金部普通地方資金は、公共団体普通事業資金、社会事業資金、耕地整 理事業資金、産業組合事業資金、漁業組合事業資金、畜産組合事業資金、 工業組合事業資金、輸出組合事業資金、商業組合事業資金、酒造組合事業 資金等に区分されていた。滋賀県において、明治末年より大正末年にかけ て還元された預金部普通地方資金中、とくに重要な意義を有したのは、勧 銀による耕地整理組合および産業組合等に対する貸付であった。公共団体 普通事業資金などは他府県に比して著しく少額であり、その増額がみられ るようになったのは大正末年以降のことであった。前記期間中耕地整理組 合に対する貸付額は大正=年頃まで最多額を占め、その後産業組合に対 する貸付額が増大している。第6表は、耕地整理事業資金の年度別推移を 示すものであるが、預金部低利資金は国庫補助金あるいは県補助金と並        四五

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預金部資金目的別運用状況(1)(単位:%) (第7表) 滋賀県における政策金融の展開 昭和10 昭和8 昭和6 昭和4 昭和2 大正14 度 年

、 41. 09   2. 04 44. 71   1. 36  4. 91  0.47  0. oo  4. 64   0. 78 100. 00 40. 21 1.01 6. 67 0. 32 4.00 2. 96 1.12 ??・egl 19・911 39.60 2. 62 45.22 1. 68 5.69 0, 28 0.17 3.63 1.11 100.00 27. 79 13. 07 36. 73 9. 96 0. 40 4. 81 5. 38 1. 86 100. 00 100.00 21. 73 11. 51 32. 14 12, 97   0.50  4.74 14.77   1. 64 100. 00 17. 93 12. 27 31. 06 19. 74   0. 65 11. 54   4. 56   2. 25 100. 00 運用目的別 M一一 国  債  証  券 一般会計及特別会計貸付金 地  方  資  金 特殊銀行会社等事業資金

特 別 貸 付 金

外国国債証券

在  外  資  金 現  金 (当 座預金)

そ   の   他

計 (出所)大蔵省『大蔵省預金部統計書』による。        四六 び、あるいはそれを上回る重要性を有していたことがうかがわれよう。  前述のように預金部資金の地方還元は、明治末年から行なわれてきたので あるが、大正一四年預黒部の改造が行なわれるまでは、地方資金の供給は預 金部資金の運用総額中高いウェイトを占めるものではなかった。改造以前の 預金部においては、資金の運用について具体的な規定が設けられておらず、 そのため資金運用の面に大きな問題が存していた。明治期より大正初年に至 るまでは、運用目的別にみると国債証券の引受けが最も大きく、ついで一般 会計および特別会計への貸付金が重要な運用対象となっていた。しかるに第 一次大戦期においては、在外資金や特別貸付金への運用が拡充され、興銀な どを通ずる海外投資や、財界救済等の目的のために活用されることとなった のである。かような動向に対し、次第に批判的な世論が台頭し、農業団体あ るいは地方公共団体等から改めて預金部資金の地方還元が強く要求されるよ うになった。預金部改造はまさにかような背景のもとに、大正一四年浜口内 閣の手によって実現されたのであり、そしてかような改革を契機に、預金部       ユ  資金は新たな対象に対し、重点的に配分されることとなったのである。第7 表は大正一四年から昭和一〇年に至るまでの、預金部資金の目的別運用状況 を構成比によって示したものであるが、改造後の資金運用が、国債証券およ び地方資金に集中せしめられ、とくに後者への運用が、昭和八年度に至るま

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で著しく高められていることがうかがわれるσすなわち預金部改造以前において高いウェイトを占めていた特別貸付金お よび在外資金等は、絶対的にも相対的にも減少し、産業組合、︸地方公共団体等への貸付が著しく拡大せしめられることと なったのである。  滋賀県においても、預金部資金の還元が本格的に行なわれるようになったのは、大正一四年の預金部改造以後のことで あった。前述のように地方資金の供給は、特殊金融機関の発行する金融債の引受け、地方公共団体の発行する地方債の引 受けによるのが一般であったが、さらに昭和七年度からは預金部による直接貸付も行なわれることとなり、全般に複雑な 経路をたどっているため、例えば特定の地方自治体において、それぞれの経路ごとに、どれ程の資金が導入されているか を把握することは必らずしも容易ではない。以下滋賀県について、まず滋賀県農工銀行債の預金部引受けによる場合、す なわち農銀経由の場合について検討しておきたい。  滋賀県における農工銀行は、明治三一年滋賀県農工銀行として設立され、大津市に本店をおく特殊金融機関として、農 工両部門に対する長期金融の面で重要な役割を果してきた。周知のように同行の発行する農工債券は、市中消化と同時に 勧銀あるいは大蔵省預金部において引受けられているQ預金部引受けの場合には、いわゆる地方資金として各種の目的に 融資されているのである。預金部により放出される地方資金は、府県債による引受分以外は、すべて勧銀、興銀、府県農 工、北拓等を経由機関として融通されており、 ︵昭和七年度から内地の地方自治体に対するものに限り、預金部からの直 接融通が行なわれることとなった。︶ 滋賀県においては、とくに滋賀県農工銀行の、地方資金経由機関としての役割は大 きく、後述の県債引受けによる預金部資金の導入よりも、資金額においてより重要な地位を占めていた。  預金部による農工債券の引受けは、明治四四年、大正元年の両年度に、都鄙金融の調節、地方小産業者救済のために、      滋賀県における政策金融の展開       四七

(19)

滋賀県農工銀行の債券発行(大蔵省預金部引受分) (第8表) 滋賀県における政策金融の展開

県債名1発行年月日1起債額1償還満期1利率1引受機関

:大蔵省預金部 分

錨一一鎚銘錨錨銘輪鎚輪翻銘粥輪一輪㏄錨肥如

  年月日 昭和20.3.1 昭和20.3.1 目召禾017. 9. 1 昭和18.3.1 昭和23.3. 31 昭和26.3. 31 昭昭26,3.31 昭和26。3. 31 昭和24.9.1 昭和28。3.1 昭和26,3.1 H召禾029, 3. 1 日召禾027. 9. 1 昭和22。8.1 昭和29.12.1 昭和30.6.1 昭和30.6.1 昭和26.9.1 昭和40.2.1 日目不「140. 2. 1 日目禾028. 9. 1 円   450, OOO   423, OOO    21, OOO    56, OOO    38, 800     9, 300     8, 900   153, 200   875, 600   143, 300 2, 385, 400   138, 900     9, 600   455,000 1, s40, eoo 2, g40, eoo   980, OOO 1, eoo, oco    24,418     6, 824 1, OOO, OOO   年月日 大正14.5.15 大正14.7.15 大正15.9.30 日召$il 3. 6.30 昭和7.1.30 昭和7.10.31 日召禾0 7.10.31 昭和7.10.31 日召禾0 9. 6. 1 昭和9.6.15 昭和10,5.1 昭和10.6.10 昭和10.6.10 昭和10,7.31 昭和10.8.1 昭和10.9.2 昭和10.9.2 昭和11.9.10 昭和11.12.15 昭和11.12.15 日目禾012. 9、 1

回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回

       む ユ         ヨ 32 R3 S0 T2 V5 V8 V9 W0 X2 X4 X5 X7 X8 X9 P0 P0 P0 P0 P0 P0 P1

第第第第第第第第第第第第第第第二第第第第第

(出所)証券引受会社統制会編r公社債年鑑・昭和17年版』により作成。          四八 小農工業者救済資金として九九七万七二五〇円を 融通したのが最初であり、滋賀県においても前記 年度に滋賀県農工銀行の債券発行により、七万円 つつの資金借受けが行なわれ、同行を通じて融通     ヨ  されている。その後同行債券の預金部引受けは行 なわれなかったが、大正末年に至り再び預金部に よる引受けが行なわれることとなり、その後昭和 一三年、同行の勧銀への吸収が実現されるまで、 預金部資金の経由機関として重要な役割を果して いる。第8表は大正一四年以降昭和一二年までに 発行された債券のうち、預金部により引受けられ たものを示している。それぞれの債券の起債目的 を明かにしえないのは遺憾であるが、起債総額は 一二六五万九二四二円に達し、相当額の資金が導 入されていることがうかがわれる。滋賀県農工銀 行を通ずる地方資金のなかには、公共団体普通事 業資金をはじめ、耕地整理事業資金、産業組合資 金などの普通地方資金のほかに、災害復旧資金、

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失業救済資金、米穀応急資金等各種の特別地方資金が含まれているのである。次に県債の発行を通ずる預金部資金の導入 状況についてみておきたい。  地方公共団体の起債する地方債は、明治期より地方財政の財源確論の手段として利用されてきているが、とくに第一次 大戦以後、地方財政の重要性の増大にともない、起債額は著しい増大をみるに至っている。明治四〇年度末におけるわが 国地方債の現在額は、九七一六万余子であったが、第一次大戦後の大正一〇年度末には六二五四四〇万円となり、さらに       ︵3︶ 昭和一〇年末には三四億二七九三万余円に及んでいる。滋賀県における地方債の発行過程もまた全国的な傾向と規を一に するものであった。第9表は大正九年以降昭和一二年に至る滋賀県における県債の発行経過を示すものであるが、時期的 推移とともに、起債目的が多様化し、また起債額も著しく増大してきている。表示のように、大正末年より昭和初年にか けての起債目的は、社会事業貸付資金や自作農創設維持事業貸付資金等の確保におかれていた。社会事業貸付資金の多く は、住宅改良費、公共住宅建設費をはじめ各種社会事業の資金であり、全額大蔵.省預金部の引受けにより導入されてい る。第一次大戦後のいわゆる大正デモクラシーの高揚と相まって、社会事業の勃興が顕著となり、かような目的のために 預金部資金が活用されることとなったのである。 一方自作農創設維持事業資金は、同じく第一次大戦後に台頭をみた全国 的な小作運動に対処するために、すなわち地主小作問題の深刻化に対し、自作農の維持創設を目的として制度化された資 金であり、そのための地方債は全額簡易生命保険資金により引受けられている。前掲第7表からもうかがわれるように、 地方資金はとくに昭和四年頃よりそのウエイトを高めていった。かような預金部資金の増大は、いうまでもなく世界恐慌 にともなう国内景気の沈滞、とくに農村における深刻な恐慌に対応するものであった。滋賀県下においても、昭和二年の 金融恐慌以来悪化の方向をたどっていた農村経済は、昭和五年に至り著しい苦境に陥ったのである。農家一戸当り平均の 農産物販売価額の推移を、大正八年を一〇〇・○とする指数でみると、同一二年に八二・八、昭和元年に八七・五、同三      滋賀県における政策金融の展開       四九

(21)

(第9表)

滋賀県における県債の発行経過

県 債 社会事業貸付資金     〃     〃     〃     ”     〃     〃     〃     〃     〃     ”     〃     〃     〃     〃 県有財産購入費 旱害地復旧事業貸付 資金     ド  自作農創設維持事業 貸付資金     ”     〃     〃     〃     〃     〃     ’ノ     ”     ”     厚     〃     ”     〃      ノ 失業救済農山漁村臨 時対策事業資金

 〃元利支払

農村振興土木事:業費     〃     〃 農業土木事業費 都市失業応急事業費 農業水利改良事業費

名1発行年朋陣諏障齢馴利率[弓【受獺

       分

大大大大大昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭大

正正正正正和潤和潤和潤和和和州正

年銑n御捻naaa4。a7、乳&9捻抗

月3a。山3。35。&34盆弧捻4塩−。獄

日131313131203120181102010515

55  13157927494590

12  32 2 122  12 2

←臥a4aLO⋮2。a2。3a臥3aa2a

・ . . ● ・ 齢ユ .  . . ● .  ● . . .

34242334ε678890126

ユ ユ ユ ユ      ユ ユ ユ

正正正正和和和習潤和潤和潤和潤和昭和

大大大大昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭

︵U 5 ∩V 1 5 5 1   ユ ユ    ユ エ

22332⋮aa

 ユ       ユ  コ a乳9。0。7。乳9,    ユ 和正和和熟和和 昭昭昭昭昭昭昭

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111111111111111111111

       3333333333333

月33933333333333333333333333333333333333333

956892229i6772909990901123422345647789798

 1111222122222211112233333333333332222212

和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和和

昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭

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滋賀県における政策金融の展開 五〇

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滋賀県における政策金融の[展開 五 県  債 農業水利改良事業費     tt     lt     rt     tr 道 路 改 良 費     tt     rf     rt     tt     tt     tt     tt     rt     lt     tt     tt     tt     tt     tt     tt     tt     tt 災害復旧土木事業費     lr     tt     tt     tt     n     tt 災害応急土木事業費 農村応急土木事業費 河 川 改 修 費     tr     tt     tr 県立学校改築事業費     tt     tt     rt 遊覧施設経営資金

刷発行年湘陣債劉償in−mm 1利率1引受翻

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大蔵省預金部    st

滋賀銀行

大蔵省預金部    tt   tt 県特別会計

日本生命

大蔵省預金部    tt

日本生命

大蔵省預金部    tr

安田信託

大蔵省預金部

日本生命

大蔵省預金部

滋賀銀行

住友銀行

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滋賀銀行

住友銀行

大蔵省預金部 日 本生命 大蔵省預金部

住友銀行

大蔵省預金部    tr

滋賀銀行

   tt   tt 大蔵省預金部

滋賀銀行

大蔵省預金部

滋賀銀行

大蔵省預金部

滋賀銀行

大蔵省預金部

滋賀銀行

大蔵省預金部 (出所)山一証券株式会社調査部編『公社債年鑑・昭和12年版』248∼253頁および滋賀県庁   架蔵県債関係資料により作成。引受利率は昭和12年現在のものを記載した。

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     滋賀県における政策金融の展開       五二 年に七五・八、同五年に四五・八となっており、昭和五年には大正八年当時の半分以下に激落している。一方農業恐慌期 を通じ県下農村の負債は逆に増大し、県調査によると、昭和六年末現在において農家一戸当りの負債額は六七四円五九銭      ︵4︶ に達していた。  周知のように国内における農業恐慌の深刻化あるいはそれにともなう地方財政の窮乏化に対しては、それなりの対策が 講じられてきているが、農村救済のための国庫補助金の交付、あるいは預金部資金の供給が増大されるようになったのは 昭和五年以降のことであった。預金部資金の供給については、とくにこの時期においていわゆる特別地方資金の増大が顕 著となったことが注目されよう。  預金部における地方資金は、内地地方資金と外地地方資金とに大別される。前者はさらに明治四三年より存続してきた 内地普通地方資金と、大正一二年より設けられた内地特別地方資金とに区分されている。このうち普通地方資金は公共団 体や各種組合、あるいは社会事業等に向けられる資金であり、特別地方資金は、地方産業資金、災害関係資金、失業救済 事業資金等を含み、後述の時局匡救事業関係の資金もまたこのなかに含まれている。普通地方資金の供給は概して固定的 であり、農村景気の動向と殆んど相関を示していないのに対し、特別地方資金は前老に比して資金額が大きく、しかも景       ︵5︶ 気の動向と強い相関関係を有し、恐慌対策を目的とする応急融資としての意味を強く具有するものであった。第9表に示 されるように、農業恐慌期における特別地方資金の主要なものとしては、失業救済農山漁村臨時対策事業資金、農村振興 土木事業費などがあげられる。まず前者について若干の検討を加えておきたい。  失業救済農山漁村臨時対策事業費は、昭和五年度に特別地方資金として融通されることが決定されており、資金は全国 総額で六五六〇万々〇〇〇〇円に達し、そのうち滋賀県に対しては八四万一〇〇〇円が融資されている。すなわち全額県 債の預金部引受けの形態で融資され、県債引受け利率は年四分二厘であった。このうち七三万九一〇〇円が県下各町村あ

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臨時県会議決時局匡救予算一覧(単位:円) (第!0表) 計 財 源

予言繊入陣制寄附金陣金1県債1県劃

別 種   840, 723   459, 764   44, 337   51, OOO   116, 961   147, 009 1, 659, 794   2, 808 13, 842     157 25, 992 129, 259 172, C58 232, 5eO 15, OOO 21, 500 269, OOO 21, 156 21, 156 30, OOO 16, 870 12, 680 17, 750 77, 300 554, 050 414,017 10, eoo 51, OOO 90, 969 1, 12e, 036 840, 7231 209 35 244   459, 764   44, 337   sl, eoo   116, 961   147, 009 1, 659, 794 農村振興土木事業費 農業土木事業費 都市失業応急事業費 地方改善応急事業費 国庫補助に.よる 応 急 事業 費 県独自の応急事業費  合     計 (出所)滋賀県『時局匡救対策及事業概要』(昭和7年12月)111∼113頁により作成。 滋賀県における政策金融の展開 るいは各種組合に転貸されている。事業別配分をみると、耕地拡張改良事業一 四万三七〇〇円、山林開発事業六万五〇〇〇円、蚕糸改良事業二四万七九〇〇 円、水産諸施設一万二五〇〇円、畜産事業五加二五〇〇円、副業および農業共       ︵6︶ 同輩施設二一万七五〇〇円と等なっている。  農村振興土木事業費は、いわゆる時局匡救事業の一環として融資されたもの である。昭和七年八月、当時の斉藤内閣は時局匡救議会を招集し、時局匡救予 算および関係諸法案を通過せしめている。同議会の議決により推進されること となった時局匡救事業は、救農土木事業を主体とし、窮迫する農民を土木関係 事業に雇用して賃金を出置せしめようとするものであり、内務、農林両省主管 のもとに、昭和七、八、九年度の三酉年にわたり実施されている。一般会計歳 出としての時局匡救費は、前記田力年においてそれぞれ一億八一〇〇万円、二 億六〇〇〇万円、 一億五七〇〇万円が計上され、総額五億四四〇〇万円に達し    マ  ている。時局匡救費は道府県に対し国庫補助金の形態で交付されているが、時 局匡救事業においては、各地方自治体においても事業費の分担が必要とされて おり、これら地方分担金に対しては預金部から低利資金を供給し、さらにその 利子についても国庫からの補助が行なわれているのである。滋賀県においては 七年九月、臨時県会を招集し、時局匡救施設事業費追加予算の審議を行ない、        ︵8︶ 議決せしめている。第10表に示されるように、滋賀県は昭和七年度追加予算と        五三

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     滋賀県における政策金融の展開      五四 して総額一六五万九七九四円を計上しているが、これら事業の財源として、表示のように主として国庫補助金があてられ ているが、同時に県債発行による借入金が充当せしめられている。すなわち農村振興土木事業費、農業土木事業費、都市 失業応急事業費の一部が県債の発行によるもので、全額預金部より借受けられている。第9表にみられるように、農村振 興土木事業費は昭和八、九年度にも預金部より借受けられ、総額八九万二五〇〇円に達している。県債引受けによる預金 部資金の導入は、農業水利改良事業費、道路改良費、災害復旧土木事業費等についても行なわれており、いつれも農業恐 慌期において、新設、増大せしめられていることがうかがわれる。  県債の預金部引受けの形式で導入される預金部資金は、前述のように、滋賀県においては大正末年以降次第に増大し、 とくに農業恐慌期における特別地方資金の供給、昭和七年度からの公共団体普通事業資金の預金部による直接貸付の開始 等により、預金部資金の融通額は急激な拡大を示している。しかしこの過程で注目されることは、昭和七年頃より県債の 引受機関は、預金部以外に生命保険、信託、銀行など、民問金融機関に依存する場合が増加してきていることである。県 債の民間金融機間引受けにおいては、預金部あるいは簡易保険局など政府機関引受けの場合よりも引受利率を高くしなけ ればならず、それだけ県財政を圧迫せしめる原因となっているのである。  前述のような預金部資金の還元は、滋賀県経済に対しどのような意義をもたらしえたのであろうか。地方自治体におけ る預金部資金導入の意義については多様な評価が可能となろう。預金部資金の融資経路が複雑であり、また末端の事業資 金として利用される段階においては、資金量そのものが少額となり、初期の目的を達しえないといった問題や、政府によ るヒモつき融資が地方自治を抑圧し、中央集権化を促進せしめる要因となったとする見解は、補助金行政の場合と同様 一般的な評価として提起されてきている。確かにかような問題が存してきたことは事実であり、この点は預金部資金融通 上の重要な欠陥として認識されねばならない。しかし預金部による地方資金の供給億、明治後期以来、地方自治体、農

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業団体、あるいは地方形注者等から強く要請されてきたところであり、とくに農業恐慌期において、かような要求は一層 熾烈なものとなったのである。既述のように、昭和七年政府は農村救済のために臨時議会を招集し、救農土木事業費を支 出し、また預金部地方資金を放出するに至った。その背景としては、農業恐慌の深刻さもさることながら、東北、関東の 諸県を中心に、殆んど全国的規模において展開された救農請願デモの存在を看過できないのである。すなわち政府低利資 金の供給は、一面において国民大衆から強く要求されてきたものであり、またそれだけの効用をもたらすものであったと いいうるのである。  預金部資金の導入による政策金融の展開は、滋賀県においてはとくに農家経済に対し重要な影響をもたらしている。わ が国農村においては、長期にわたり貸金業者、質屋、個人など、非組織的な貸手が、高利の貸出金利を通じて農家経済に 圧迫を加えてきたが、農工銀行、産業組合、あるいは県を通ずる低利資金の導入は、直接的ないし聞接的に農業金融にお ける機関貸手の比重を増大せしめるとともに、貸出金利の低下を実現せしめることとなったのである。滋賀県においては 昭和四年六月末日現在、県下農村の負債総額は六〇〇九万四一三三五円と推定され、そのうち農工銀行、普通銀行、産業 組合など機関貸手に対する負債比率は、二〇・三%に過ぎず、残余は頼母子講、貸金業者、個人など、前近代的、非組織 的な貸手に依存していたQその後産業組合をはじめ機関貸手への依存度が急速に高まり、昭和一〇年六月末現在において       ︵9︶ は、機関貸手に対する負債比率は六三・九%に高められるに至っている。貸手におけるかような転換は、貸出金利の低下 を通じ、農家経済に対し好影響をもたらす一因となったのである。  滋賀県においては、預金部資金が農村ないし農業部門に関する事業に融通される機会が多く、中小商工業者に対する低 利資金の供給は、昭和二年の金融恐慌時における応急救済資金の融通、昭和七年の中小商工業資金などの外みるべきもの がなかった。昭和一二年に至り、中小商工業振興資金融通要綱が設けられ、預金部より融資が行なわれることとなった。      滋賀県における政策金融の展開      五五

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