• 検索結果がありません。

農業の多面的機能と農業環境政策 : 政策の整合性確保に向けて 【特集論文 農業環境政策の新潮流と生物多様性】

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "農業の多面的機能と農業環境政策 : 政策の整合性確保に向けて 【特集論文 農業環境政策の新潮流と生物多様性】"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

特集論文

農業の多面的機能と農業環境政策:

政策の整合性確保に向けて

荘林 幹太郎

Multifunctionality of Agriculture and its Implications

for Agri-environmental Policies: Towards Policy Consistency

Mikitaro SHOBAYASHI

Faculty of Intercultural Studies, Gakushuin Womensʼ College

 Many OECD countries have been shifting their agricultural policies from price support to decoupled payments. However, the shift in many cases has not always preserved the consistency between policy objectives and measures. For example, decoupled payments could be suitable for income support but may not be the best choice for maximizing economic welfare, including that associated with multifunctionality. These types of policy inconsistencies could hamper the reconciliation of market mechanisms and agriculture-related environments.

 In this broad context, this paper first tries to identify policy inconsistencies by analyzing the general trends of agricultural policies in OECD countries. Then, it shows how the best policy choice should be selected using the OECDʼs analytical framework. The paper also discusses how agri-environmental payments can be equivalent to policies that address issues on multifunctionality if these payments cover opportunity costs associated with sticking to certain farming practices. That is, policies for responding to multifunctionality could sometimes be, in principle, identical to certain agri-environmental policies, although this type of policy has rarely been observed in reality. Finally, the paper argues that the lack of information in designing policies is inevitable, and incorporating this aspect could lead us to a situation where “wicked problems,” as defined by Professor Batie, was a dominant factor in policy-making. If this is the case, gradual approaches should be recommended so that societies can observe actual marginal changes and propose appropriate policies. Keywords: decoupled payment, direct payments, agri-environmental payments, integration between commodity

and non-commodity outputs, the lack of information, wicked problems

学習院女子大学国際文化交流学部

1 .先進国農政をめぐる国際議論

(1)政策目的と手法の間の整合性欠如  OECD 諸国では、豪州、ニュージーランド等の一部諸 国を除いて程度の差異は大きいものの国内農業生産を保護 している。農業保護が先進国において共通に見られる現象 だとすると、その正当性をどこに求めるべきか。多くの国 は、それを農業が有する正の外部性の存在においている。 外部性の大部分が環境に関することであることを考える と、その正当性を吟味することは、農業環境政策を分析す るための重要な前提となる。

(2)

配慮がなされていない。たとえば、WTO 農業協定におい ては、補助金について「3 つのボックス」に分類し、グリー ンボックスに区分された補助金については、各国は削減義 務を負わない。グリーンボックス補助金は基本的に生産か ら切り離されることを主たる条件としている。一方で、当 該補助金の政策目的に関する規定は基本的にない。すな わち、WTO のグリーンボックス規定では、政策目的はカ バーされておらず、政策手法のみを対象にしている。  あるいは、OECD の政策議論を見ても同様である。下は、 これまでに実施された直接支払いに直接あるいは間接的に 関連する OECD 分析作業についてのマクロな流れを示し たものである。これらのうち、多面的機能政策議論を除け ば、いずれも所得支持を政策目的の一つとして定義してい る。  ○ 987 年~ 990 年   ◦直接支払いの基本的考え方の確立  ○ 990 年~ 994 年   ◦議論の成熟:デカップリング(主要な成果: OECD(995))  ○ 998 年~ 2003 年   ◦多面的機能保全のための政策のあり方:デカップ リングが果たして最適なのか?(OECD(2000)、 OECD(2003))  ○ 200 年~ 2005 年   ◦直接支払いの「デカップル」の程度の定量的分析  ○ 200 年~ 2002 年   ◦所得移転の効率性:所得移転だけが政策目的なら ばデカップリングが効率的(OECD (200a))  ○ 993 年~   ◦環境支払いなどの農業環境政策議論(OECD (200b)など) (2)デカップリングの進行  政策目的と政策手法が必ずしも整合的に議論されていな い国際的な潮流の中で、先進諸国は農政改革を実施してき ている。図  は、過去 20 年間における OECD 諸国の農政 改革の方向性を端的に示したものである。横軸のパーセン ト PSE2で見ると、多くの国がわが国も含めて、986-988  多年にわたり先進諸国における農業保護政策の実態とそ のあるべき形態について議論してきた OECD は、農業保 護政策の一形態である直接支払い(財政負担により農家に 直接給付される形態の補助金)の目的は 2 つあるとしてい る。 つは、農家の所得支持であり、もう一つは、外部性 などに伴う市場の失敗の是正としている(OECD(995))。 OECD の直接支払いの定義が必ずしもすべての OECD 諸 国の農業保護の理由を代表しているわけではないが、 OECD 文書は加盟国すべてが合意しなければ公開されな いことを考えると、農業保護の目的をこれら二つにおくこ とが概ね先進国の政策議論において共有されていると考え てよいだろう。  二つの目的のうち、より詳細な吟味が必要となるのが所 得支持である。農家の所得を支持することは政策目的なの か。あるいは、それは単なる政策手段で、所得を支持する 目的が別途存在するのか。所得を支持する目的についての 議論は必ずしも明確にされてこなかったというのが世界の 農政議論の実態といえよう。  筆者は、所得支持の目的は最終的には多面的機能あるい は食料安全保障機能の保全と解釈する以外の選択肢はない のではないかと考える。かりに、一産業である農業に従事 している農家の所得を支持すること自体が政策目的になり うるなら、他のセクターの労働者の所得も支持すべきとい う議論を惹起する。それに対する合理的な説明は困難であ ろう。  政策目的は、政策手法の選択の適否を左右する。所得支 持が政策目的ならば、生産からデカップル(Decouple) された程度の高い補助金が所得移転効率が高いことからよ り有効である(OECD(200a))。所得支持が目的だとす ると、農家の生産の有無にかかわらず、ある一定の金額を 所得保障として交付することが効率的であることは自明で あろう。一方で、多面的機能の保全が政策目的であるとす ると、この方法は必ずしも最適な選択とはならない。たと えば、農産物が生産されないとしても一定の補助金を交付 するデカップル補助金で、多面的機能の保全は保証されな い。これらの事例が示すように、最適な政策の手法はその 政策の目的との整合性を無視して決定されない。  しかしながら、国際的な議論はその点に必ずしも十分な  グリーンボックス補助金で規定されている直接支払いのうち政策目的が明記されているのは、環境支払いと条件不利地支払いのみである。 2 PSE(Producer Support Estimate)は、農家が政府から得ている補助の総額で、補助金以外にも、政府が価格支持をしている場合には、

その価格支持の金額もカウントされるもの。価格支持には、関税による価格支持も含まれる。パーセント PSE は農家の総手取り収入の 中で PSE の構成割合を示すもの。

(3)

から 2004-2006 年の間に 0 ポイント程度を減じている。 すなわち、先進国の農業保護水準は過去 20 年間で微減傾 向にある。  一方で、PSE のうち価格支持や農産物補助金など「生 産歪曲性」の大きい支持の割合を示した縦軸は、EUを中 心として大きく減じている。88 年には、約 90%、すなわち、 OECD の農家が受け取っている政府支援の 90%は関税を 含む価格支持等の生産歪曲的支持であった。それが、2004 - 2006 年には 70%に低下し、価格支持等の割合が 20 ポ イント程度減じたことになる。そのような傾向が最も顕著 に発現しているのが EU である。988 年時点でわが国と 同様に 90%を超えており、支持の殆どが関税を中心とし た価格支持等であったことがわかる。その数値は 20 年間 で約 60%に急落した。 図 1 OECD 諸国における農業支持手法の変更 出典:OECD(2007)  このような変化は、基本的には価格支持を農家への直接 支払いで代替してきた結果である。図 2 は、支持方法の変 更をEUについて示したものである。EU は価格支持の低 下分をまず耕作面積支払いで置換した。その後、2005 年 以降は、デカップルの度合いを格段に強化した直接支払い であるシングルファームペイメント(単一農場支払い)の 比重を急激に増加させている。これは、農家が、例えば、 畜産、耕種関係の直接支払いを基準年にそれぞれ受給して いたとすると、その総額をその後の農産物生産量に関係な く受給できるものである。  このような一般的な傾向に対する唯一の例外がわが国で ある。すなわち、図  上で水平移動をしているのはわが国 のみである。関税によるコメ生産の支持が主要な農業保護 であり続けていることを反映したものとなっている。 (3)農業政策と農業環境政策の整合性の確保  このように、多くの先進国は農業保護の方法を、価格支 持からデカップル強度の強い直接支払いに転換している。 前述のとおり、所得保障が政策目的となっていることを反 映した結果と解釈できる。所得保障が政策目的となってい るからこそ、所得支持のための直接支払いと農業環境政策 の整合性の確保が重要な課題となっている。多面的機能の 保全が政策目的であれば、後述するとおり、その政策と農 業環境政策は一体化せざるを得なくなる。所得保障が目的 の場合、農業環境政策と分離した実施が可能になることか ら、整合性に配意する必要が生じるのである。  たとえば、所得保障政策のもとでは、農業生産に伴う正 負の外部性に対する配慮はなされない。そのような状況で、 別途農業環境政策を実施しても、所得保障政策において何

(4)

らかの環境配慮システムを内包しないかぎり、全体の厚生 の最大化は図れない。多くの先進国では、後述するとおり、 所得保障の直接支払いを受給する条件として環境要件(ク ロスコンプライアンス)を設定することにより、整合性の 確保を図っている。

2 .多面的機能を保全するための農業支持のあり方

 この点について最も包括的な国際的議論が OECD の多 面的機能政策議論である。これは、多面的機能を保全する ことを目的とした所得支持がいかなる場合にいかなる形態 で正当化されるかを概念的に分析したものである(OECD (2003))。  3 章で議論する狭い意味での農業環境政策は農業が存続 していることを前提に、農業が環境に与えるマイナスの影 響を減ずる、あるいはプラスの影響を増強することに対す る政策である。そのための経費を支払う政策であることか ら、農家の所得には理論上はニュートラルである考えられ、 したがって、国際的には大きな対立事項にはならない。例 えば、WTO のグリーンボックスにおいても農業環境政策 の中核的政策である環境支払いが含まれており、削減対象 となっていない。このように、国際的なコンセンサスが概 ね確立されている農業環境政策に比して、多面的機能を理 由とした所得支持については、国際的には激しい対立を引 き起こしてきた。  OECD での議論は、多面的機能保全を理由とするため の政策が正当化される必要条件として「3 つの質問」を定 義した。この 3 つの質問に対する回答がすべてイエスの場 合は、何らかの政府介入によって、農業が支持されること が正当化されるとした。このような議論の枠組みを定めた 結果、多面的機能に関わる定義問題の意味は少なくとも農 政議論上は喪失した。何が多面的機能であることが重要な のではなく、多面的機能と考えられる機能がこの 3 つの質 問をクリアーするか否かが政策的な意味合いを有するので ある。すなわち、各国が多面的機能だと考えるものを提示 し、3 つの質問へのスクリーニングを行うことによって、 多面的機能と考える事項に対する政策が正当化されること になる(荘林(2005))。 (1)結合性   つ目が結合性に関する質問である。多面的機能と農産 物の生産の間に切り離すことが困難な強い結合性の有無を 問うこの質問に対する回答が「No」であれば、農産物は 輸入により安価なものを獲得し、多面的機能については、 農産物生産とは切り離して供給することが可能となる。こ の場合、このような「切り離し」供給により国の厚生は改 善されることとなる。 (2)市場の失敗  2 番目の質問は、輸入による厚生の増加と多面的機能の 減少を比較するものである。 番目の質問に対する回答が イエスで通過していることから、多面的機能と農業生産は 結合している。したがって、当該国が農産物の輸入を開始 図 2 EU における農業支持方法の変遷 出典:Maier(200)

(5)

あるいは増大させると、農産物生産に結合している多面的 機能も減じる。一方で、貿易を進めることによって、経済 的な厚生は増大することから、それが多面的機能の喪失分 を上回ると国全体としての厚生は増大する。そこで、質問 では、輸入により農産物国内生産が低下し、それに伴い失 われる多面的機能価値が輸入による便益を上回るか否かを 問うものである。回答が Yes ならば、多面的機能を失っ てしまうことによる損失のほうが多いことから、農業生産 に対する介入が必要となる。 (3)公共財  3 つ目の質問は、公共財的性格に応じて、非政府的な手 法による農業支援の可能性について検討されたか否かを問 う。質問 、2 をイエスでクリアするということは、何ら かの農業支持を正当化する一方で、支持主体が公的セク ターであることを正当化するものではない。多面的機能の 公共財的性格によっては、それらの機能に対する市場創設 の可能性があり、その場合は市場における多面的機能から の収益によって農業を間接的に支持することが可能とな る。  例えば、グリーンツーリズムは、農村景観や文化の市場 化と解釈できる。あるいは、将来わが国に温室効果ガスの 排出権市場が創設され、農業部門がオフセットセクターと して認定されれば、農業部門における温室効果ガスの吸収 (たとえば、農地土壌による炭素固定)をクレジットとし て販売することが可能となる(荘林(2008))。これらの可 能性についての検討を要求するのが質問 3 である。  3 つの質問への回答がすべて Yes となると、輸入により 農産物国内生産が低下し、それに結合している多面的機能 も失われ、その損失は貿易による便益を上回り、民間によ る支援も困難であることを示す。したがって、何らかの政 府介入が正当化されるものの、介入の形態はこの 3 つの質 問では決定されない。結合性等を詳細に吟味することに よってそれらは決定される。その議論の内容については、 OECD(2003)を参照されたいが、その結果は表  に総括 される。  ここで着目すべきは、多面的機能が農地に結合している 場合、耕作面積支払いが最適な政策として推奨されている ことである。毎年の耕作実績に比例して支払う耕作面積支 払いは周知のとおり、グリーンボックスには該当しない、 すなわち、削減義務を負う補助形態である。前述の通り、 政策目的を所得支持におくなら、耕作面積支払いよりも、 完全にデカップルされた支払いの方が効率的である。グ リーンボックス規定もこのような考え方と整合的である。 しかしながら、多面的機能の保全を政策目的におくなら、 あるいは、より厳密に、多面的機能を考慮したうえで国民 厚生を最大化することを政策目的にするなら、耕作実績に 比例する支払いが最適な政策となったとしても不思議では ない。

3 .農業環境政策

 多面的機能保全を目的とした農業支持が本質的にはWT O農業協定と非整合的である可能性が高いのに対して、農 業環境政策の中核的政策手法である環境支払いはグリーン ボックスにおける直接支払いの一形態として分類されてお り、同協定との整合性は極めて高い。実際、OECD 先進 諸国においても EU、米国など、環境支払い予算を積極的 に増額している国や地域は多い(荘林(200))。 表 1 多面的機能を保全するための最適な政策 結合の性質 支払い形態 支払い額 支払条件 負の外部性 土地および固定的な配 賦不能投入財に結合 面積支払い : 耕作面積に応じた支払い 生産費と国際価格の差 非 農 産 物 が 適 切 な 質、量、場所で供給される ような農法基準を満足 負の外部性を内部化す るための措置が必要 可変の配賦不能投入財 に結合 投入財結合支払い : 投入財の使用に応じた支払 い(例:農業雇用に伴 う正の効果に対する農 業労働一人当たりの支 払い) 投入財一単位当たり(例 え ば 雇 用 一 人 当 た り ) に付随する非農産物へ の需要額 なし 同上 可変の配賦不能投入財 に結合しているが、結 合が不連続 投入財結合支払い : 投入 財の使用に応じた支払 いだが、支払い対象の 投入財の使用に上限を 設定(例:放牧景観に 対する家畜頭数支払い) 同上 非 農 産 物 が 適 切 な 質、 量、場所で供給される ような農法基準を満足 同上 出典:OECD(2003)

(6)

 一方で、同協定は環境支払いについても政策手法に重き を置いた定義を行っている。すなわち、環境支払いは、国 が定めた環境計画を達成するために農家に発生する所得の 減少と生産費の増加を支払うとしているが、当該環境計画 自体の正当性については全く問われない。このことは、環 境支払いが、農家に実際に発生する所得の減少や生産費の 増加を対象とする場合は大きな問題とならない。農家に実 際に発生する費用を支払う限りにおいては、かりに当該環 境改善行為自体の正当性に疑義を抱かせるような内容が あったとしても、そのような支払い自体が生産を歪曲する 可能性は小さいと見なせることから、国際的な対立を招く ことはない。  しかしながら、環境支払いが機会費用に対応して支払わ れる場合は、本質的には上述の多面的機能政策と同様の複 雑さをもたらす。たとえば、ある国において多面的機能の 一環としての農作物生産景観を環境政策の観点から保全す ることが決定されたとする。当該農作物の国内生産費が国 際価格よりも大きく、かつ当該農作物に対する国境措置が なければ、農家は当該農産物を生産することができない。 そのため、当該農産物を生産することに伴う機会費用、す なわち、国内生産費と国際価格の差、を環境支払いで支払 うこととする。このような支払いは、基本的には上述の多 面的機能保全を目的とした支払いと同じものとなる。  このように、環境支払いについても必ずしも現行の国際 議論が想定しているような「単純」なケースばかりとは断 言できない側面がある。そのようなケースも含めて、環境 支払いを包括的に分類すると以下のとおりとなる。  A環境を改善するもの   ①負の外部性を減少するもの   ②正の外部性を強化するもの  B環境を維持するもの   ①負の外部性を維持するもの   ②正の外部性を維持するもの  Aについては、多くの先進諸国において一般的に見られ る環境支払いであるのに対して、Bについては、機会費用 に基づく環境支払いとなる。たとえば、上述の景観の事例 はB-②に該当する。B-①については一般にはイメージ しにくいかもしれないが、たとえば、農産物市場のもとで は放牧農家が集約的な畜舎農業に転換してしまう可能性が あるとする。窒素バランスの観点では、両者とも環境に負 荷を与えるが、前者の方が牧草生育で相当部分が吸収され るため、その負荷の程度は小さいとする。すると、水質環 境負荷を現状の放牧状態に維持するために、畜舎農業と放 牧農業の生産費差を環境支払いで補てんするイメージであ る。  Aの場合、その政策デザインのためには、環境改善目標、 レファランスレベル(RL)を政策係数として決定し、そ れに基づき支払い金額を算定すればよい。RL は、農家と 社会の責任分界点を示す概念であり、RL までの農法改善 は農家の責任で行う一方、それを超える農法改善について は社会の責任とし、財政的に環境支払いを行うものである (たとえば、荘林(2006))。環境改善目標については、理 論的には環境改善の限界費用が限界便益と一致する水準を 設定することが効率性の観点から望ましい(たとえば、荘 林(2005))。RL の設定については , 効率性の観点よりも、 農家および納税者等の所得配分の観点から決定されるべき 政策係数である。  政策実務上、これらの係数はどのように決定されている か。環境改善目標については、限界便益と限界費用の比較 が行われている事例は世界的に見ても殆どないと推測され る。また、セカンドベストとして、平均費用と平均便益の 比較を行っている事例もまれであろう。  RL については、所得保障のための直接支払いを行って いる場合は、そのクロスコンプライアンス条件として定義 されることが先進国農業環境政策においては一般的な形態 となっている。クロスコンプライアンス条件は、たとえば EU の 場 合、 法 規 制 に 基 づ く も の と GAEC(Good Agricultural and Environmental Conditions)に基づくも のに分類される。これらの条件を達成するための費用(生 産費の増加や所得の減少分)は、所得保障のための直接支 払いの金額算定には含まれない(農家の責任で実施するこ とから、その費用は直接支払い金額に含まれない)。  Aの環境支払いに対する予算支出は、先進諸国で増加傾 向にある。たとえば、EUでみると、共通農業政策の約 22.3%が、第 2 の柱とされる農村振興政策に充当されてい る(共通農業政策は、所得保障の直接支払いを中心とする 第  の柱と、農業環境政策や条件不利地域政策等から構成 される第 2 の柱からなる)。第 2 の柱には、約 50 の政策手 法が準備されており、その配分比率を示したものが図 3 で ある。最大の配分比率となっているのが環境支払いであり、 第 2 の柱の約 23%が充当されている。これは、第 2 位の 配分比率を有する競争条件の改善のための支出の約 2 倍と なっている。また、第  の柱における所得保障のための直

(7)

接支払いのうち、一定の大規模農家への支給を減じ、その 予算を第 2 の柱に流用するいわゆるモデュレーションが実 施されている。これについても、環境支払いに充当される ような制度的仕組みが組み込まれている(荘林(2009c))。 図 3 第 2 の柱における政策手法別の予算配分比率 出典:EC(2009)  米国においても同様の傾向がみられる。図 4 は米国の環 境支払い予算の推移を示したものである。最近 0 年の間 に急増しているが、その原因となっているのが EQIP (Environmental Quality Improvement Program)である。

それまでは、米国の農業環境政策は、ランドリタイヤメン ト(Land Retirement)が中心であった。すなわち、農業 による土壌流亡などを防止するために休耕することが環境 政策の中核をなしていた。これに対して、EQIP はワーキ ングランド(Working Land)を対象とする、耕作を継続 する農地の環境改善を支援する政策となっている。これは、 EUと類似の環境政策に移行していることを強く示唆して いる。 図 4 米国における農業環境政策予算の推移 出典:Weinberg (200)

4 .情報の不足と政策選択

 2 章の多面的機能政策議論で提示された新古典派的枠組 みにより最適な政策を絞り込むことが可能になるが、一方 で、3 つの質問に回答できるか否かが実務上の大きな課題 となる。いずれの質問も、回答するためには多様な実証デー タが必要となり、少なくとも多くの OECD 諸国において

(8)

はこれらの質問に回答するためのデータベースは整備され ていない(OECD(2003))。情報不足のもとでの政策選択 をいかに行うべきかがここで問われるのである。  OECD の議論においては、この点についていくつかの 政策実務的な対応手法が提案された。たとえば、質問 2 に 回答するためには、損失する多面的機能の価値を計測する 必要がある。CVM等の便益評価手法の適用を求めつつも、 それらに基づき政策決定を行うことは一般的に容易ではな いことも政策レポートでは明示した。そのうえで、価値計 測に関わる不確実性を補完するために、可能な限り意思決 定を地方分権することを提案した。地方議会の予算審議に おいて、他の予算使途(すなわち、機会費用)との比較が なされることから、その過程で少なくとも地域における当 該多面的機能への社会的需要がそれを保全するための機会 費用と比較されることとなる。また、質問 2 に対する回答 においては、農産物価格の低下に対する農家の反応予測を 行う必要がある。これについても、大きな不確実性を伴う ことから、関税の引き下げを漸進的に行うことにより、不 確実性を減ずる措置が提案された。  一方、3 章で議論された農業環境政策の中の主要政策 ツールである環境支払いについても、厳密な意味での効率 性は情報不足を理由として追及されていない。環境改善目 標を何らかの方法で設定した後、その達成のための費用を 最小化させる努力が、現状においては主流となっている。  このように、情報の入手可能性は、政策デザインの実務 においては極めて大きな意味合いを有する。たとえば、荘 林(2009a)が議論するとおり、環境支払いにおいて、農 法の変更ではなく、変更の結果生じた環境改善に対して支 払いを行うことが、政策効果を確実にするためには望まし い。しかしながら、その場合、支払い金額は、営農方法を 指定しないことから営農方法の改善に伴う追加費用(所得 の減少と生産費の増加)によって決定することはできない。 一方で、環境改善便益計測値に基づき支払うことも、計測 値の幅が一般的には大きいことを考えると困難である。す ると、この場合、支払い金額をオークションによって決定 することが実務上は必要となる。すなわち、環境改善の価 値計測が困難であるという前提に立てば、環境改善結果に 対して環境支払いを行う場合、オークション方式を同時に 導入する制度設計が必要となる。  情報不足に関わる問題は、このような政策技術的な手法 での対応を検討することを促すが、一方で、より本質的な 政策課題をわれわれに投げかけている。それは、Batie (2008) が 指 摘 す る、「Wicked Problems」 に 関 連 す る。 Batie(2008)によれば、Wicked Problems とは、目的に 関して社会において多様な価値観が存在し統一的な目的設 定が困難であるうえに、(社会科学も含めた)科学の進歩 が目的達成の過程の不確実性を減ずることができないよう な問題をさす。自由貿易や地球温暖化などがこれに属する としている。この対立概念として、「Tame Problems」が あるとし、ワクチン開発のように、そのこと自体の価値観 の対立が発生せず、また、科学の進歩が目的達成を確実に 容易にするような問題としている。

 Batie(2008)は、Wicked Problems に対しては、Tame Problems とは異なったアプローチが求められるとしてい る。たとえば、政策に関わる事項を研究する科学者と政策 立案者、さらには政策の影響を受けるステークホルダーが 共同で政策目的を定義する必要があるとしている。さらに は、科学の進歩によっても補完することのできない情報の 不足や不確実性に対応するために社会実験が重要な役割を 果たすとしている。このようなアプローチは、今後の農業 環境政策の立案にも大きな示唆を与えるものと考えられ る。

5 .わが国の農業環境政策への含意

(1)所得補償の目的の明確化とそれに応じた政策選択  所得支持を、関税を通じた価格支持であろうと、直接支 払いで実施するとしても、その目的を明確にする必要があ る。目的に応じて最適な手法が異なる以上、目的の曖昧さ は政策選択を誤る可能性を大きくする。多面的機能保全が 政策目的であるなら、漸進的に関税を引き下げて耕作面積 支払いで置きかえることの正当性を検証すべきである。   (2)オーソドックスな環境支払いの拡大  所得支持の目的を明確化することとは独立して、オーソ ドックスな環境支払いを拡大する必要がある。ここでいう オーソドックスとは、3 章における環境支払いの分類のう ち、A類型に属するものである。B類型の支払いが、本質 的には多面的機能の存在を理由とする所得支持政策と同値 であることを考えると、上述の所得支持政策目的の明確化 と一体的に検討されるべきものである。これに対して、A 類型はそのような制約を受けないうえに、WTO 上も削減 義務を負わない。加えて、環境改善に対する支払いである ことから、その効果が納税者に対して比較的に透明である という政策的利点も有する。

(9)

 A類型を拡大するためにはまずリファレンスレベルを環 境改善項目別に明示的に設定する必要がある。リファレン スレベルを明示的に設定しない、あるいは不適切に設定す る際に発生する問題は滋賀県のいくつかの事例が鮮明に示 唆している。ひとつには、農業排水を下流のポンプによっ て上流に送水することによって、農業排水を用水として再 利用する制度に見られる。平成 6 年度まで、これらのポ ンプ運転に対する財政支援は行われていなかった。これは、 農業排水の再利用に関して、レファランスレベルを「再利 用を行うこと」に暗黙のうちに置いていたことを意味する。 農家は上流部において清水の水利権を有していることを考 えると、この暗黙のレファランスレベルは結果として農家 にとって厳格すぎたと判断できる。この結果、排水の再利 用は実質的には殆ど行われないこととなった。平成 6 年 度に導入した「農村環境支払い」により、これら循環ポン プ運転に関わる追加的な費用の一部を支給することとし た。この結果、循環利用は劇的に増加することとなった(荘 林(2006))。レファランスレベルの設定が政策効果に大き な影響を持つことを鮮明に示す事例である。  平成 9 年度から開始された農地・水・環境保全向上対 策においては、その「 階」部分にクロスコンプライアン ス条件として環境要件を設定している。この環境要件を農 業環境政策の観点から検証することも、レファランスレベ ルを明示的に設定することの重要性を明らかにする。たと えば、平成 8 年度に滋賀県では「魚のゆりかご水田」プ ロジェクトに対して 0 aあたり 3500 円の環境支払いを開 始した(荘林(2009b))。琵琶湖固有種のにごろぶなの水 田における産卵を推進するために、排水路水位を堰上げし 水田へのにごろぶなの遡上を可能とする農家に対して、追 加的な費用を支弁するものである。この環境支払いにおけ るレファランスレベルは、排水路水位を農作業上の効率性 の観点から低く維持することに置かれていた。  平成 9 年度からはこの制度を農地・水・環境保全向上 対策の「 階」部分で実施することとなった。すなわち、「 階」部分への支払い金額のなかから、魚のゆりかご水田実 施農家への支払いが行われることとなった。財政構造改革 を実施中の滋賀県としては、農地・水・環境保全向上対策 の県費負担を捻出するために、魚のゆりかご水田に対する 環境支払いを継続することが困難であったことから、その ような措置が取られた。魚のゆりかご水田を実施している 農家からみると、平成 8 年度と 9 年度年度以降の政策支 援に大きな相違はない。しかしながら、政策の原理からみ ると、両者はレファランスレベルの設定が全くの正反対と なっている。農地・水・環境の環境要件として実施すると いうことは、排水路の堰上げを農家の責任とすることと同 値である。そのことの妥当性が今後議論されるべきであろ う3 (荘林(2009c))。 (3)漸進的な政策展開  政策立案のための情報を入手することが困難であること に加えて、Wicked Problems としての性格を農業環境政 策が有していることを考えると、Batie(2008)が指摘す るとおり、社会実験的なアプローチが重要となる。このこ とは、OECD(2003)が提唱した、情報が不足することに 対する措置としての漸進主義的アプローチとも一致する。 滋賀県が平成 6 年度以降に開始したいくつかの環境支払 い制度も社会実験としての意義を有していたとも評価でき る。EU における多様な環境支払いの展開もそれ自体が壮 大な社会実験と捉えることも可能であろう。

参考文献

Batie, Sandra S. (2008), Wicked Problems and Applied Economics, Amer. J. Agr. Econ. 90 (Number 5, 2008): 76– 9

EC(2009), Rural Development in the European Union, Statistical and Economic Information Report 2009

Maier, Leo (200), Agri-Environmental Policy - The Experience of the EU, Presented at the Workshop on Establishing a Comprehensive Agri-Environmental and Resources Policy in Japan”, Tokyo, 24 February 200

OECD(995), Agricultural Policy Reform - New Approaches The Role of Direct Income Payments, OECD, Paris

OECD (2000), Multifunctionality of agriculture: Towards an analytical framework, OECD, Paris

OECD (200a) Market effects of crop support measures, OECD, Paris

OECD (200b) Improving the environmental performance of agriculture: Policy options and market approaches, OECD, Paris

OECD (2003), Multifunctionality of agriculture: The policy implications, OECD, Paris

OECD (2007) Agricultural Policies in OECD Countries: Monitoring and Evaluation 2007, OECD, Paris

Weinberg, Marca (200), US Agri-environmental Policies: Overview and Perspectives, Presented at the Workshop on Establishing a Comprehensive Agri-Environmental and Resources Policy in Japan”, Tokyo, 24 February 200 荘林幹太郎(2005)、農業の多面的機能に係る経済分析、東京大

(10)

学博士論文 荘林幹太郎(2006)、「地域資源としての農業農村環境の改善のた めの施策について」、『農業土木学会誌』第 74 巻 3 号、農業 農村工学会、2006 年、3~8 頁 荘林幹太郎(2008)、「土壌によるCO 2 吸収機能は取引可能か?」、 『AFC フ ォ ー ラ ム 』2008 年 2 月 号、 農 林 漁 業 金 融 公 庫、 2008 年、~4 頁 荘林幹太郎(2009a)、「農業の外部性の価値計測:それが政策選 択に与える影響について」『農業農村工学会誌』第 77 巻 3 号、 農業農村工学会、2009 年、~6 頁 荘林幹太郎(2009b)、「自治体独自事業創設の誘因構造について の概念分析」『農業農村工学会誌』第 77 巻 5 号、農業農村工 学会、2009 年、3~8 頁 荘林幹太郎(2009c)、「環境保全型農業へのステップアップ:そ の評価と今後の展望」、『農業と経済』2009 年 5 月号、富民協 会、2009 年、33~45 頁 荘林幹太郎(200)、「環境支払いの拡大とその意義」、『生活協同 組合研究』Vol.4, 200 年、2~32 頁

参照

関連したドキュメント

コロナ禍がもたらしている機運と生物多様性 ポスト 生物多様性枠組の策定に向けて コラム お台場の水質改善の試み. 第

これに加えて、農業者の自由な経営判断に基づき、収益性の高い作物の導入や新たな販

事業開始年度 H21 事業終了予定年度 H28 根拠法令 いしかわの食と農業・農村ビジョン 石川県産食材のブランド化の推進について ・計画等..

全体構想において、施設整備については、良好

年平均濃度 SO2,Ox, NO2)、mg/m3(SPM) 年平均濃度µg/m3 (PM2.5)、×0.1ppmC

第12条第3項 事業者は、その産業廃棄物の運搬又は処分を他 人に委託する場合には、その運搬については・ ・ ・

本制度では、一つの事業所について、特定地球温暖化対策事業者が複数いる場合

○藤本環境政策課長 異議なしということでございますので、交告委員にお願いしたいと思