集団の意思決定について
一個人主義と多数決原理を中心に-専 攻 人 間 教 育 コース 現代教育課題総合 指導教員 太 田 直 也 氏 名 堀 多 佳 志 問題の所在 第 一 章 多 数 決 原 理 人聞が存在するところには集団が存在する。 そして、その集団が何らかの決定をする場合に おいては、それを構成する複数の人の考えが相 互に作用し、答えが出される。集団の意思決定 として多数決は有効であるがゆえ、安易に活用 してしまっているとは考えられないだろうか。 多数決の本質を理解し活用しているかという疑 問が生まれる。現代において、集団における意 思決定は、無機質に目的のためだけのものにな ってきているのでないだろうか。 集団においである決定をするとしたときに、 3択の場面で多数決を行い、その結果、 A 案 (40%) : B案 (30%): C案 (30%) となった とする。この時、 A案が最も多く、多数決の原 理ではA案が採用させるが、ここで焦点を当て たいのが rA案を反対するJが 60%となり、 A 案よりも多くなるということである。「多数決」 がこのような決まりだからとすれば、集団とし て rA案を反対する」としづ声は無視をすると いうことになる。 現代において多数決の表層のみが広く活用さ れ、本来的な意味として活用する機会を失って しまっているのではないだろうか。本論では、 集団としての意思決定を多数決原理に焦点を置 き、改めて見直すことにより、多数決のより有 効的な活用を考察してし、く。 多数決というものは、集団においである決定 を下すとき、その集団内の構成員の過半数が同 ーの答えを持つことにより、集団としての答え とするものである。しかし、多数決は満場一致 と異なり、集団内の構成員が全員同ーの答えを 出さなくても、集団としての答えとなる。 多数決の活用には集団の意思決定において、 個人自らの意思を表現できる場に参加すること ができるという点、構成員の持つ力が平等とい う点が有効な点である。しかし、多数決がなさ れ、その結果として生まれた少数派の思いや権 利を廃除するならば、それを民主主義と呼ぶこ とが出来るだろうか。一方、過度に少数派を擁 護するということは、多数決においての平等を 壊すことにもなる。少数派に比較的大きな力を 持たせることも同様に民主主義と呼ぶことが出 来なくなる。 集団の意思決定の場面において、多数決原理 を最大限に活用し、民主主義の関わりを生かし、 討議がなされ、さらには検証手段も模索し集団 としての活動を合意できればよいが、現実にお いてはこの過程をふむ上でさまざまな障害、制 約が課せられた状態での活用となる。その阻害 要因を①時間的制約、②上位存在の圧力、③場 におけるルール、④集団内の他者への配慮、と設 定した。 -73一第二章 集団としての場面 人の集団というものには、ただ一つの関係だ、 けによって結ぼれているわけでなく、個人は集 団に様々な要素を求めその関係を作る。それは、 自己を成長させるためで、あったり、活動をより 効率化するためで、もあったりと、その場や状況 によって変化していく。 そして、集団の構成員となる個人の権利は、 人間をより人間らしくするためのものである。 自分を自分らしく生きるために、同時に他者も その人らしく生きることを認めることとした。 権利の内容やその意味は、すべての人間が生 まれながらにして持っている。し、かなる人間も 持っている権利の数や、その効力は平等である。 そして、平等である個人の関わり方をブルー マーのシンボリック相互作用論に焦点をあて、 個人が別個の存在としてあることを重要とし、 異なるライフスタイルをもっ人聞が相互に作用 し合ってこの社会は作られていることを考察し た。 第三章 他者の理解 円滑な意思決定を求め、他者理解のために求 めるものを個人主義と設定し多数決とのあり方 を考察した。個人主義は、個人的人間存在の至 高かっ内在的な価値としづ道徳的原理、自己発 展、自己指導、プライパシーを強調する主義で、 あり、自分自身の中にまるでもう一人の自分が いるかのように、自分自身をコントローノレする。 そしてその概念によって生きることなる。 集団主義国家と称される日本においても、個 人主義的要素を含み、個人主義者としての日本 人も存在できるということを示していた。個人 主義を意識した集団においては、多層性を認め るということであり、異質性を認めるというこ とでもある。個人は別個の存在である。しかし、 他者を完全に理解すること不可能である。個人 の本質的な価値は平等である。そのための自身 の利益と他者の利益についての推察はより重要 となる。そのため、「自身のためは、自分で行為 する。集団のためには、集団で行為する。」とい う気概が必要になってくる。 終わりに 多数決が民主主義を体現した方法となりうる ためには、討議の段階において対話、納得そし て尊重をもった理解が当然必要となる。 結論として、多数決が民意の形成となるか、 数の暴論となるかは、非常に僅差である。 討議の進行度合いにおいて、どの時機に多数決 を行なうかに結果として現れるものの姿が変わ る。多数派側から見れば、民意の形成であるが、 少数派側から見れば、民意の形成となったか、 数の暴論のどちらの姿になるかによって多数決 が充実したもので、あったか、稚拙なもので、あっ たかが決まるということもいえる。また、多数 派の構成員で、あっても、出した答えに対する認 識は異なるだろう。多数派となる答えを懇願し た個人と、比較的中立よりで多数派に属した個 人では、この答えに対する思いは異なる。 最善の意思決定の方法は、やはり集団の中で しか生まれない。そのための他者理解とも言え る。 現代において、人間の価値観は多様になって きている。一元化された価値基準で物事を決め ることができない社会においては、個人同士の 相互理解を綿密にして、向かい合うことが求め られているのではないだろうか。 74