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7 五條猫塚古墳出土鉄鏃の製作系譜と編年的位置づけ 川畑純 1 はじめに 五條猫塚古墳からは石槨内 177 点以上 石槨外 367 点以上の鉄鏃が出土した これは鉄器の多量副葬古墳が多い古墳時代中期前半においても卓越した数量といえるが なによりも注目できるのはその形式の多様性である 短頸式や二段腸抉

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  1 はじめに

川畑 純  

 五條猫塚古墳からは石槨内 177 点以上、石槨外 367 点以上の鉄鏃が出土した。これは鉄器の多量副 葬古墳が多い古墳時代中期前半においても卓越した数量といえるが、なによりも注目できるのはその形 式の多様性である。短頸式や二段腸抉柳葉式といった古墳時代中期前半に一般的な形式に加えて、段違 い柳葉式や三稜式、さらには短茎四角式など類例の少ないものが多く、極めて特徴的な鉄鏃組成を構成 している。本稿では、それら多彩な五條猫塚古墳出土鉄鏃の製作背景と編年的位置づけを明らかにし、 その特質を論じたい。

  2 五條猫塚古墳出土鉄鏃の二相

(1)造りの違いによる二群  五條猫塚古墳出土鉄鏃の報告をするにあたり、根挟みを用いずにそのまま矢柄に挿入して機能する長 い茎を持つ長茎式については、石槨内6形式、石槨外9形式として分類した。この分類は、基本的に鏃 の平面形態に依拠したものだが、側面形態の違いに着目することで各形式はおおむね大きく二つの群に まとめることができる。それは、頸部や鏃身下半部と茎部の間にある茎関に顕著な段差を持つか持たな いかという違いである。前者は全体的に非常に厚手で立体的な造りをしており、後者は偏平な造りをし ているという、全体的な造りの違いとして表現することもできる。  第 211 図は茎関が角関となる各形式を茎関に顕著な段差を持つか持たないかという違いから分類し たものである。茎関に顕著な段差を持たない形式には短頸三角式・短頸柳葉式・剣身式の3形式があり、 茎関に段差を持つ形式には短頸柳葉式・段違い柳葉式・三稜式・腸抉柳葉式の4形式がある。この区分 は石槨内・石槨外の違いを超えて共通する。短頸柳葉式は大多数が関部に段差を持つ厚手で立体的な造 りのものであるが一部には段差の無い薄手のものがあるなど茎関の造りには両者がみられるが、他の形 式については、形式差と造りの違いが対応している。  両者の違いは鉄鏃の製作技法の違いに起因すると考えられる。すなわち、茎関部に顕著な段差が無く 全体的に偏平で厚さの変化に乏しい一群は、鉄板の鏨切り抜きによる整形と鍛打による刃部の造り出し を主とするような製作工程が想定できる。あるいは頸部と茎部を一連で鍛打するのかもしれない。一方 の茎関に顕著な段差を持つ全体的に肉厚で厚みの変化が大きい一群は、棒状部材の鍛打による整形・茎 部の造り出しを主とする製作工程が想定できる。そうした主たる製作工程の違いが最終的に到達する形 式差に対応しているのである。 02-7 第10章 考察(7)五條猫塚古墳出土鉄鏃の製作系譜と編年的位置づけ_p341-350.indd 341 2016/01/05 18:51:06

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342 第 211 図 関部の形態差による分類 (2)造りの違いの背景  では、こうした製作技法の違いに起因するとみられる造りの違いが生じた背景にはどういった理由が 存在するのか。製作技法の違いが想定できる点を積極的に評価すれば、製作工人集団の違いを考えるこ とも可能である。  ここで各形式を主たる分布域から考えると、関部に段差の無い偏平な造りのもののうち、短頸三角式 と剣身式は日本列島に分布の中心を持つ日本列島固有形式ということができる。一方で、関部に顕著な 段差を持つ厚手の造りのもののうちでも、腸抉柳葉式は日本列島の固有形式としてよい。短頸柳葉式は 日本列島・朝鮮半島の両者で出土する形式である。日本列島にはみられない朝鮮半島独自の形態として 刃部幅が広い蛇頭形のものがあるなど一部では朝鮮半島製品の弁別が可能であるが、五條猫塚古墳出土 例は判別が難しい。ただし、明確なデータを提示することはできず印象論的な指摘にはなるものの、朝 鮮半島出土の短頸柳葉式は日本列島出土例と比べて全体的に厚手のものが多い印象があり、その点は五 條猫塚古墳出土の造りが厚手の短頸柳葉式と共通する要素といえる。  段違い柳葉式は日本列島・朝鮮半島どちらからも少数ながら出土しているが、五條猫塚古墳出土例と 完全に同形態のものは知られず、出土点数からしても製作地を確定するのは難しい。三稜式は日本列島 7 66 114 124 9 107 104 142 151 58 196 176 石槨内 石槨外 関部に段差の無いもの 関部に段差のあるもの 短頸三角式 短頸柳葉式 剣身式 段違い柳葉式 段違い柳葉式 三稜式 腸抉柳葉式 短頸柳葉式 短頸柳葉式 短頸三角式 短頸柳葉式 剣身式 10cm 1:3 02-7 第10章 考察(7)五條猫塚古墳出土鉄鏃の製作系譜と編年的位置づけ_p341-350.indd 342 2016/01/05 18:51:06

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343 では五條猫塚古墳と岡山県金蔵山古墳から出土しているのみだが、朝鮮半島東南部では 10 を超える数 の古墳から出土しており、分布の中心は朝鮮半島にある(第 212 図)。  以上のように、腸抉柳葉式はやや様相が異なるものの、関部に段差の無い偏平なものは日本列島固有 形式が多く、一方の関部に段差のある厚手のものは朝鮮半島に類例を求めることができる形式が多いと いえる。例外もあり、かなりおおまかな捉え方ではあるものの、両者の造りの違いを、「日本列島系」と「朝 鮮半島系」という大きなくくり方によって理解しておきたい。  そのように理解すれば、なぜ製作工人集団の違いとも考えられるような造りの違いが形式の違いに対 応する形で現れているのかということも説明が可能になる。すなわち、それらの製作工人集団の違いは、 日本列島の在来的な鍛冶工人かそれとも渡来系鍛冶工人かという工人の出自の差とみることができるの である。在来的な鍛冶工人集団によって鏨切り抜きを主たる製作工程として日本列島固有の形式が製作 され、おそらく渡来系鍛冶工人によって丸鍛えを主たる製作工程として朝鮮半島系の可能性が高い形式 が製作されたのではないだろうか。 (3)製作地と工人の性格  製作技法の違いと形式の対応を勘案することで、五條猫塚古墳出土鉄鏃が日本列島系と朝鮮半島系と いう二相に弁別できることを示した。特に、短頸柳葉式を中心とする厚手の一群については、当該時期 第 212 図 五條猫塚古墳関連鉄鏃の分布 三稜式 段違い柳葉式 方形透かし孔 亀旨路2号 玉城里 92 号 玉城里 125 号 九政洞3号 西辺洞 109 号 造永洞 1B-51 号 造永洞 1B-60 号 大成洞 11 号 大成洞 18 号 福泉洞 60 号 礼安里 104 号 隍城洞7号 福泉洞 38 号 五條猫塚 金蔵山 福泉洞 42 号 1:8 10cm 02-7 第10章 考察(7)五條猫塚古墳出土鉄鏃の製作系譜と編年的位置づけ_p341-350.indd 343 2016/01/05 18:51:07

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344 の日本列島には類例を認めがたいほどの重厚な造りであり、系譜的な位置づけが難しい資料であった が、朝鮮半島出土の資料との関係を考えることで、ある程度の位置づけが可能になるといえよう。  ただし、こうした朝鮮半島系という理解についても、それが朝鮮半島製で日本列島に搬入されたもの なのか、それとも朝鮮半島からの渡来工人が日本列島で製作したものなのか、あるいは渡来工人の技術 指導や供与を受けた在来系の工人が類似した製作技法で製作したものであるのかは弁別しきれない。日 本列島からはほとんど出土しない朝鮮半島ないし中国大陸製の茎部がいちじるしく長い資料がみられな い点からは日本列島製の可能性を考慮しても良いが、朝鮮半島出土資料がすべて日本列島のものよりも 長い茎部を持っている訳でもないため、決め手にはならない。  唯一、三稜式のみ分布の核が朝鮮半島東南部にあり、日本列島では2古墳でしか出土が確認できない 点から、搬入品の可能性が高いが、それでもやはり確定はできない。あくまで在来系・渡来系という二 つの性格に分けられる2系統に大別できるといった程度の理解に留めておくべきだろう。  なお、段違い柳葉式については同じく段違い式という点では朝鮮半島では高霊池山洞 45 号墳1号石 室や金海礼安里 57 号墳から、日本列島の中期古墳では岡山県長福寺裏山東塚古墳・香川県川上古墳・ 福岡県勝浦井ノ浦古墳・福岡県浦谷 C -1号墳などから出土しているが、いずれも長頸式の範疇で理 解できるもので五條猫塚古墳に後出するとみられ直接的な比較は難しい。  また、方形の透かし孔を持つ大型定角式は、朝鮮半島では慶州皇吾洞 14 号墓や蔚山雲化里 26 -1 号墓、咸安道項里 47 号墓で出土している。日本列島でも中期中葉の古墳としては福井県天神山7号墳 第2施設から出土しており、中期後葉では長野県一時坂古墳・愛知県経ヶ峰1号墳・大阪府長持山古墳 からの出土が知られるが、後2者の透かし孔の形態は切先側がのびた形をしており、五條猫塚古墳例と は異なる。日本列島出土例は類例が少なく、また方形の透かし孔という造作自体が中期中葉のものにつ いても前段階からの連続性が想定できず突如現れるものであるため、朝鮮半島に由来する造作の可能性 を想定する余地はある。ただし、五條猫塚古墳例については鏃身関は山形関であり、さらに鏃身部には 方形の透かし孔のほかに3点穿孔がなされている。そうした山形関を持つ大型定角式に穿孔するという 造作は中期初頭以来みられる特徴であるため日本列島製と考えられる。そこに方形の透かし孔が追加さ れたのである。あくまで、方形の透かし孔という特徴が朝鮮半島に由来する造作の可能性があるという ことにすぎない。

  3 五條猫塚古墳出土鉄鏃の編年的位置づけ

(1)検討対象資料  五條猫塚古墳出土鉄鏃のうち、他の日本列島出土鉄鏃と編年的な位置づけの比較検討が可能な形式と して、短頸三角式、鳥舌式、大型定角式を検討する。通常、短頸柳葉式も長短の差が編年指標として参 照できるが、五條猫塚古墳例についてはこれまでに述べてきたようにほかの日本列島出土鉄鏃とは異な る系統的な背景で製作された可能性が高く、直接的な比較検討には問題があるため参照しない。  短頸三角式・鳥舌式は中期中葉から後葉にかけて生じる長頸式の導入以前の段階では、基本的に新し くなるにつれ長身化する傾向がある。もちろん、同一の古墳から出土した一括資料についても大きさの 02-7 第10章 考察(7)五條猫塚古墳出土鉄鏃の製作系譜と編年的位置づけ_p341-350.indd 344 2016/02/23 19:07:47

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345 差があり一概には比較できないが、あくまで全体的な傾向として理解する分には問題ない。多くの点数 をまとめて比較することで個体差というノイズは低減できると考える。大型定角式については、すでに 指摘したことがあるが穿孔数と透かし孔の有無を編年の指標とできると考えられる〔川畑 2010〕。 (2)短頸三角式と鳥舌式の比較検討  短頸三角式 まずは短頸三角式から検討する。検討に際しては、茎部を含めた全長を検討するのが理 想的だが、茎部を欠損するものが多く完存するものだけでは比較するための十分な資料点数を確保でき ないため、切先から茎関までの長さ(「鏃長」とする)を比較する。  第 213 図の左には短頸三角式を出土した中期中葉の標識的な6古墳7主体部をあげた。提示したも ののうち、もっとも鏃長の短いものが多いのは兵庫県茶すり山古墳第1主体で、4.5 ~ 5.4㎝ほどの集 第 213 図 短頸三角式と鳥舌式の鏃長・鏃身部長 4.0 5.0 6.0 7.0 8.0 9.0 10.0 4.0 5.0 6.0 7.0 8.0 9.0 10.0 五條猫塚 石槨内 五條猫塚 石槨外 五條猫塚 石槨内 五條猫塚 石槨外 鞍塚 七観 第 1 槨 茶すり山 第 1 主体 茶すり山 第2主体 月岡 珠金塚 南槨 堂山 1 号 月岡 珠金塚 南槨 向出山 1 号 1 号石室 茶すり山 第 1 主体 堂山 1 号 短頸三角式 鳥舌式 (cm) (cm) 鏃     長 鏃 身 部 長 02-7 第10章 考察(7)五條猫塚古墳出土鉄鏃の製作系譜と編年的位置づけ_p341-350.indd 345 2016/02/05 9:22:50

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346 中域と6㎝前後の二群に分かれるようである。大阪府堂山1号墳は点数が少なくデータとして心許ない が、5.3 ~ 7.0㎝である。五條猫塚古墳石槨内では1点だけ 5.3㎝といちじるしく短いものがあるが、ほ かは7㎝台に集中するようである。五條猫塚古墳石槨外は石槨内よりもややばらつきがあり、5.4 ~ 6.8 ㎝にまばらにあり、7㎝台と 8.5㎝前後に集中域がある。福岡県月岡古墳は8㎝台前半にまとまる。大 阪府珠金塚古墳南槨は1点のみ提示したが、9㎝のものである。福井県向出山1号墳は 9.6 ~ 10.0㎝ と短頸式としてもっとも長い一群といえる。  以上のように、同一古墳出土例でも鏃長の分布が二群に分かれるものや比較可能な資料数が少ないも のもあるなど注目する部分でやや解釈が変わる余地はあるが、全体的な傾向として捉えるならば、上に 提示した順での長身化傾向を見て取ることができる。  鳥舌式 鳥舌式は切先から山形関までの長さ(鏃身部長)を比較する。  第 213 図の右には鳥舌式を出土した中期中葉の標識的な7古墳9主体部をあげた。茶すり山古墳第 2主体では6㎝前後にまとまる。五條猫塚古墳石槨内では 6.5 ~ 7.1㎝にまとまる。五條猫塚古墳石槨 外は資料数が少ないが7㎝前後であろうか。茶すり山古墳第1主体では7㎝台前半にまとまる。堂山1 号墳では 6.0 ~ 7.8㎝におおむね均等にまとまるが、6.5㎝前後と 7.5㎝前後の二つのまとまりとみるこ ともできるかもしれない。大阪府七観古墳第1槨では 6.5㎝と 7.5㎝前後に数点あり8㎝台前半にまと まりがみられる。大阪府鞍塚古墳では1点のみ 5.7㎝のものがあるがほかは 7.5㎝と 8.5㎝前後にまとま る。月岡古墳は 7.4 ~ 8.0㎝までにまとまりがありつつ8㎝台も一定数みられる。珠金塚古墳南槨は8 ㎝台が中心で、10.0㎝のものが2点ある。  以上の9主体部の鳥舌式の鏃身部長は、堂山1号墳のみ分布域が広くまた2群に分かれる可能性が残 るが、おおむねまとまりがみられ提示した順での長身化傾向を読み取ることができるであろうか。 (3)長身化傾向の解釈  では、こうした各古墳・主体部での短頸三角式と鳥舌式の鏃長・鏃身部長のまとまりはどのように解 釈できるであろうか。まず第一には先述のとおり、両型式が漸次的な長身化傾向を示すことを考えれば、 提示した鏃長・鏃身部長の違いはその製作時期差を反映している可能性が高い。ただし、そうして時間 差として考えた場合にも、図にみるように各古墳でのまとまりにはある程度の重なりあいがあり、最長 や最短の個体で比べるべきかそれともまとまりの中心で比較するべきかといった問題が残る。  また、短頸三角式では茶すり山古墳第1主体と五條猫塚古墳石槨内では五條猫塚古墳石槨内のものの 方が鏃長が長いもののまとまりであると確言できるが、鳥舌式では反対に茶すり山古墳第1主体の方が 鏃身部長が長いもののまとまりであることがわかる。単純に鏃長・鏃身部長の長短を編年基準と考える 場合には型式が違うと前後関係も入れ替わってしまうのである。鏃の長身化傾向はあくまで全体的なゆ るやかな傾向として捉えるべきといえる。  そうしたゆるやかな傾向として考えなければならない一方で、提示した諸例であれば茶すり山古墳第 1主体・堂山1号墳・五條猫塚古墳石槨内・五條猫塚古墳石槨外という4例と、月岡古墳・珠金塚古墳 南槨という2例では短頸三角式と鳥舌式の両型式でともに前4例よりも後2例の方が長身であり、配列 した古墳の順序が入れ替わることはない。そうした配列の順序が「安定的な古墳」については、鉄鏃の 02-7 第10章 考察(7)五條猫塚古墳出土鉄鏃の製作系譜と編年的位置づけ_p341-350.indd 346 2016/02/23 19:08:00

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347 編年的な前後関係が有効と考えてよいだろう。すなわち、五條猫塚古墳の短頸三角式・鳥舌式は茶すり 山古墳第1主体や堂山1号墳とほぼ同段階であり、月岡古墳や珠金塚古墳南槨よりは古相を示すと考え ておきたい。  ただし、留意すべき点として、第 213 図に提示した短頸三角式と鳥舌式の大きさの各古墳での分布 をみると、全体的に鳥舌式の方が同一主体部出土資料の大きさのまとまりが強い印象を受ける。また、 各古墳での大きさの重なりが相対的に少なく、各古墳での分布状況が比較的良好に右肩上がりの分布を 示しているようにもみえる。このことは鳥舌式の方が編年指標として安定的に参照できる可能性を示し ているのかもしれない(1) (4)大型定角式の変遷  大型定角式の変遷については既に詳細に論じており〔川畑 2010〕、ここではその要旨のみを述べる。 大型定角式のうち鏃身部に穿孔を持つものは鏃身部の穿孔数が最大の5点(石川県長坂二子塚古墳例) から4点(京都府恵解山古墳例)、3点(兵庫県雲部車塚古墳例・大阪府アリ山古墳例)へと減少する と考えられる。また、中期中葉の段階で方形の透かし孔が採用され、中期後葉以降に継続する。  すなわち、穿孔が3点で方形の透かし孔を持つ五條猫塚古墳例(第 106 図 255・256)は穿孔を持 つものとしては最新かつ、方形の透かし孔を持つものとしては最古の特徴を持つ、両者を繋ぐ中間的な 資料と位置づけることができる。雲部車塚古墳やアリ山古墳に後出する特徴を持っているといえよう。

  4 五條猫塚古墳出土鉄鏃の位置づけ

 五條猫塚古墳出土鉄鏃の系統的・編年的位置づけについて若干の考察をおこなった。系統的な位置づ けについては、断面形が非常に厚手の一群は渡来系工人による製作という前段階の日本列島での鉄鏃製 作系譜とは異なる背景を持つ可能性を示した。その中でも三稜式については分布の特徴から朝鮮半島東 南部からの搬入品である可能性も想定できる。編年的な位置づけについては、中期中葉の諸古墳から出 土した短頸式・鳥舌式と比肩できるかなり新しい段階の所産であることを示したが、短頸式・鳥舌式の 最終段階の諸例と比較した場合にはやや小型で古相を残すことが明らかとなった。中期中葉から後葉に かけての長頸式の導入にかなり近い段階だが、鉄鏃の変遷からは長頸式の導入以前にもう1段階新しい 段階を設定しうる余地はある。  以上のように五條猫塚古墳出土鉄鏃には「中期中葉」の「渡来系要素」を見出すことができる。しか しその一方で、特に石槨外に顕著にみられるが二段腸抉式や多種多様な短茎式など日本列島に特徴的な 鉄鏃群の集積も、大きな特徴の一つとして指摘できる。ただし、そもそも石槨外の遺物出土地点の施設 としての性格や構造には不明な点が多く、竪穴式石槨に付属的な埋納施設であるのかそれとも別個の埋 葬施設であるのかどうかも確定ができない点は注意が必要である。  石槨外から数多く出土した短茎式には非常に多様な形態があり、さらに鏃身部の形態差にゆるやかに 対応するかたちで根挟みの形態にも多様性がある(第 214 図)。根挟みの形態差は鏃の機能差等とは関 係が無く、製作単位の違いを反映していると考えるが〔川畑 2013〕、そのように考えるならば、石槨 02-7 第10章 考察(7)五條猫塚古墳出土鉄鏃の製作系譜と編年的位置づけ_p341-350.indd 347 2016/02/23 19:08:00

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348 <註> (1) 鳥舌式の大きさの分布順をその古墳の新古関係として考えた場合、各古墳の共伴遺物の中でもいくつかのも    のについては整合的な変遷として説明ができる。例えば筆者による衝角付冑の製作順と比較すると、各古墳出    土 の 衝 角 付 冑 の う ち 最 新 相 の も の の 編 年 的 な 順 序 は 堂 山 1 号 墳 → 茶 す り 山 古 墳 第 1 主 体 → 七 観 古    墳(1947 年 出 土 分 ) → 鞍 塚 古 墳 → 珠 金 塚 古 墳 南 槨 の 順 と な る〔 川 畑 2015〕。 堂 山 1 号 墳 と 茶 す    り 山 古 墳 第 1 主 体 の 順 序 が 鳥 舌 式 と は 入 れ 替 わ る が、 堂 山 1 号 墳 の 鳥 舌 式 に は 茶 す り 山 第 1 主 体 よ   りも短い6㎝台の一群が多くあり、その段階を中心に考えれば鉄鏃の変遷と衝角付冑の変遷が整合する。 外にみられる多種多様な短茎式は多様な背景で製作されたものの集積とみることができる。  そうした短茎式の状況と三稜式をはじめとする「渡来系」と考えうる鏃の両者に共通する要素をあげ るならば、五條猫塚古墳の石槨外出土鉄鏃の全体的な性格として顕著な「外部性」を指摘することがで きる。そのような矢鏃の来歴や由来の違いが石槨内と石槨外という埋納箇所の違いに結び付いた可能性 を想定することもできるだろう(2)。「渡来系」といった要素もそうした「外部性」の現れ方の一つに過 ぎないのかもしれない。 第 214 図 石槨外出土短茎式鉄鏃

  5 おわりに

 五條猫塚古墳から出土した多種多様な鉄鏃は中期中葉の鉄鏃を考える上で重要な一括資料である。ま た、金銅装の眉庇付冑や初期の小札甲と帯金具といったいわゆる「渡来系」とされるほかの副葬品と同 様に朝鮮半島東南部との影響関係を見出すことが可能であり、さらには対外交渉に留まらない多様な日 本列島内での交流関係を見出すこともできるかもしれない。ただし、それぞれの形式や短茎式の形態差 にそうした製作時の背景の違いが存在する可能性を指摘できたとしても、現状ではそうした違いが一体 どこに由来するものであるのかは明らかにできない。  鏃本体の製作技術と形態、そして根挟み等の有機質製部材の加工方法といった種々の要素とその相関 関係を明らかにしその上で編年論や分布論と組み合わせることで、鉄鏃ひいては矢の時空間的な生産・ 流通と埋納の展開を明らかにできるかもしれない。そうした分析が矢鏃研究の一つの到達点となるであ ろうが、当然ながら本稿ではそこまで至ることはできず、論点も雑多になりまとまりに欠けた感がある。 だが、まずは五條猫塚古墳出土の鉄鏃の全貌を報告したことでそうした研究を進めるための基礎情報を 提示できたとすれば幸いである。 260 283 329 342 360 369 352 10cm 1:3 02-7 第10章 考察(7)五條猫塚古墳出土鉄鏃の製作系譜と編年的位置づけ_p341-350.indd 348 2016/02/23 19:08:00

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349    眉庇付冑を出土した古墳は五條猫塚古墳と月岡古墳のみでありやや比較が難しいが、本書第 10 章3の眉庇   付冑に関する考察で論じたように、五條猫塚古墳石槨外出土の冑3は月岡古墳出土の眉庇付冑の中でも最古相   の可能性が高い1号眉庇に先行する。五條猫塚古墳石槨内出土の冑1と冑2は月岡古墳1号眉庇にほぼ同時か   やや遅れる可能性もある。ただし、月岡古墳からは他にも伏鉢の径から三角文系とみられる眉庇付冑が出土し   ており、その中には伏板に環状配置鋲を持つものと持たないものがあるなど、やや新しい段階の資料も含まれ   ていると考える〔川畑 2015〕。そうすると、五條猫塚古墳の冑1・冑2は月岡古墳の最新の眉庇付冑よりは   古相と考えても問題ない。すなわち、鳥舌式の変遷と眉庇付冑の変遷も矛盾無く説明が可能なのである。ただ   し、このように衝角付冑と眉庇付冑それぞれの中での変遷観とは矛盾が無いと考えた場合にも、衝角付冑と眉   庇付冑の前後関係の詳細は確定できておらず、全体の検証は難しい。    以上、かなり資料操作を弄した感があるが、共伴資料からも鳥舌式の大型化は編年指標としてある程度の有   効性を持つと考える。あるいは堂山1号墳の鳥舌式の大きさの分布のまとまりが弱い点は、若干の年代幅を持っ   た資料の集積状況を示しているのかもしれない。 (2) ただし、石槨内と石槨外で共通する形式も多くあり、全ての鉄鏃の埋納箇所を来歴や由来の違いによって説   明することもできない。あくまで石槨外に相対的に強い外部性がみられるものが多いという意味である。 <参考文献> 川畑 純 2010 「大型定角式鉄鏃の変遷と雲部車塚古墳の鉄鏃組成」『雲部車塚古墳の研究』兵庫県立考古博物     館研究紀要第3号 兵庫県立考古博物館 pp.121-128 川畑 純 2013 「古墳時代の矢の構造」『考古学研究』第 60 巻第1号 考古学研究会 pp.13-33 川畑 純 2015 『武具が語る古代史 古墳時代社会の構造転換』プリミエ・コレクション 60 京都大学学術     出版会 鈴木一有 2003 「二段逆刺鏃の象徴性」『静岡県考古学研究』35 静岡県考古学会 pp.73-90 鈴木一有 2002 「九州における古墳時代の鉄鏃」『考古学ジャーナル』No.496 ニュー・サイエンス社 pp.8-11 田中新史 2004 「古墳時代中期前半の鉄鏃(3)―中枢域の事例分析―」『𡈽筆』第8号 𡈽筆舎 pp.505-599   <遺跡文献> 一 時 坂 宮坂光昭ほか 1988 『一時坂』 諏訪市教育委員会 経ヶ峰1号 鈴木一有 2002 「経ヶ峰1号墳の再検討」『三河考古』第 15 号 三河考古学談話会 pp.1-20 天神山7号 樟本立美 1990 「天神山古墳群」『福井市史』資料編 1 考古 向出山1号 中司照世・山口 充 1978 「向出山古墳群出土の副葬品」『北陸自動車道関係遺跡調査報告』13     福井県教育委員会 恵 解 山 岩崎 誠ほか 2012 『国史跡恵解山古墳の調査』長岡京市文化財調査報告書第 62 冊 長岡京市教    育委員会 ア リ 山 北野耕平 1964 『河内における古墳の調査』大阪大学文学部国史研究室研究報告第1冊 大阪大学    文学部国史研究室 鞍 塚 末永雅雄(編) 1991 『盾塚 鞍塚 珠金塚古墳』 由良大和古代文化研究協会 七 観 阪口英毅(編) 2014『七観古墳の研究―1947 年・1952 年出土遺物の再検討―』 京都大学大学院    文学研究科 珠 金 塚 末永雅雄(編) 1991 『盾塚 鞍塚 珠金塚古墳』 由良大和古代文化研究協会 堂 山 1 号 三木 弘(編) 1994 『堂山古墳群』大阪府文化財調査報告書第 45 輯 大阪府教育委員会 長 持 山 京都大学総合博物館 1997 『王者の武装』京都大学総合博物館春季企画展展示図録 02-7 第10章 考察(7)五條猫塚古墳出土鉄鏃の製作系譜と編年的位置づけ_p341-350.indd 349 2016/02/23 19:08:00

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350 <図版出典> 第 211 図 報告編より作成 第 212 図 五條猫塚:報告編より、金蔵山:〔田中 2004〕より転載、そのほかの古墳は各報告書より転載 第 213 図 筆者作成 第 214 図 報告編より作成 雲 部 車 塚 阪口英毅(編) 2010 『雲部車塚古墳の研究』兵庫県立考古博物館研究紀要第3号 兵庫県立考古    博物館 茶 す り 山 岸本一宏(編) 2010 『史跡 茶すり山古墳』兵庫県文化財調査報告第 383 冊 兵庫県教育委員会 金 蔵 山 西谷真治・鎌木義昌 1959 『金蔵山古墳』倉敷考古館研究報告第1冊 倉敷考古館 長福寺裏山東 鎌木義昌(編) 1965 『長福寺裏山古墳群 附関戸廃寺跡』 長福寺裏山古墳群関戸廃寺址調査推    進委員会 川 上 小林謙一・花谷 浩(編) 1991 『川上・丸井古墳発掘調査報告書』 長尾町教育委員会 月 岡 児玉真一(編)2005『若宮古墳群Ⅲ―月岡古墳―』吉井町文化財調査報告書第 19 集 吉井町教育    委員会 勝浦井ノ浦 石山 勲(編) 1977 『新原・奴山古墳群』福岡県文化財調査報告書 54 集 福岡県教育委員会 浦谷C-1 原 俊一 1982 『浦谷古墳群Ⅰ』宗像市文化財調査報告書第5集 宗像市教育委員会 造永洞1B- 51 号・1B- 60 号 權彝九・金龍星・金上益・金玉順・鄭尚洙・金銀真 1998 『慶山林堂地域古墳群』    Ⅲ 学術調査報告第 22 冊 嶺南大学校博物館 西 辺 洞 朴升圭・金昌億・尹温植ほか 2001 『大邱西辺洞古墳群Ⅰ』 嶺南文化財研究院学術調査報告第    40 冊 嶺南文化財研究院 玉城里 92 号・125 号 朴升圭・安順天 1998 『浦項玉城里古墳群Ⅱ―ナ地区―』 嶺南埋蔵文化財研究院学術調    査報告第 14 冊 嶺南埋蔵文化財研究院 皇吾洞 14 号 全峰辰・金斗喆・李東憲・姜廷武・金姓旭・高相赫・李慧靜 2008 『慶州皇吾洞 100 遺跡』Ⅰ    東国大学校慶州キャンパス博物館研究叢書第 29 冊 東国大学校慶州キャンパス博物館 九政洞3号 崔聖愛 2006 『慶州九政洞古墳』 国立慶州博物館学術調査報告第 18 冊 国立慶州博物館 池山洞 45 号1号石室 金鍾徹 1979 「高霊池山洞第 45 号古墳発掘調査報告」『大加耶古墳発掘調査報告書』     高霊郡 道項里 47 号 李柱憲 2000 『咸安道項里古墳群』Ⅲ 学術調査報告第8輯 国立昌原文化財研究所 禮安里 57 号 釜山大学校博物館 1985 『金海禮安里古墳群』Ⅰ 釜山大学校博物館遺跡調査報告第8輯 釜山    大学校博物館 礼安里 104 号 鄭澄元・林孝澤・申敬澈ほか 1993 『金海礼安里古墳群』Ⅱ 釜山大学校博物館遺跡調査報告第    15 輯 釜山大学校博物館 亀旨路2号 申敬澈・金宰佑・沈載龍・李映周 2000 『金海亀旨路墳墓群』 慶星大学校博物館研究叢書第3輯    慶星大学校博物館 福泉洞 38 号 福泉博物館(編) 2011 『東萊福泉洞古墳群―第5次発掘調査 38 号墳―』 福泉博物館学術研究    叢書第 35 冊 福泉博物館 福泉洞 60 号 釜山大学校博物館 1996 『東萊福泉洞古墳群』Ⅲ 釜山大学校博物館研究叢書第 19 輯 釜山大    学校博物館 雲化里 26 -1号 黄昌漢・鄭鉉錫・李炫知 2008 『蔚山雲化里古墳群』 蔚山文化財研究院学術調査報告第    60 冊 蔚山文化財研究院 02-7 第10章 考察(7)五條猫塚古墳出土鉄鏃の製作系譜と編年的位置づけ_p341-350.indd 350 2016/02/23 19:08:00

(11)

総括編

    

発行年月日

  2015(平成 27)年 12 月 28 日

        

    

発   行

  奈良国立博物館

       〒 630-8213 奈良市登大路町 50 番地        TEL 0742-22-7771

    

印   刷

  株式会社 天理時報社

       〒 632-0083 天理市稲葉町 80 番地 03-3 第11章 総括(3)_p439-443.indd 443 2016/02/05 9:31:20

参照

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