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アメリカにおける家事労勘の歴史文献をたどる : 大衆消費の歴史と併せて (10)

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(1)

〔研究ノート〕 アメリカにおける家事労働の歴史文献をたどる

∼大衆消費の歴史と併せて(10)

森 呆 (元札幌大学経営学部教授) 前号までの目次 はじめに 1.現状を一瞥 2.植民地時代の家庭と家事労働 ……以上「産研論集」No.33 3.「独立革命」∼建国期の家庭と家事労働 の変容

4.キャサリン・ビーチヤーの家事指南に

見る19世紀の家事労働 ……以上「産研論集」NO.34 5.19世紀の家事と家事用具の実際

−S.ストラツサーを手がかりに

……「産研論集」No.35 6.家事労働としての「子育て」

−19世紀

7.ホーム・エコノミクスの源流

……以上「産研論集」No.36 8.「大衆消費」に向けての産業と市場の動き −(補説)

9.19−20世紀転換期,家庭購買力の測定

……以上「産研論集」No.37 10.家事の「生産から消費への転換」をめぐって ……「産研論集」No.38 11.一 耐久消費財の家事・家計への浸透 ……「産研論集」No.39

11.耐久消費財の家事・家庭への浸透(前

号からの続き) …‥・「産研論集」No.40 12.“ワーキング・マザー”問題の諸側面 ……「産研論集」No.41

12.“ワ一キング・マザー”問題の諸

側面(前号からの続き) (5)「共稼ぎ」主婦の時間分析 本章のこれまでの記述からして,今日のア メリカで夫婦と子供が家計を一つにしている 家庭の大部分がいわゆる共稼ぎ世帯であるこ とについて,ここで改めて統計(いろいろ あって少しずつ数値が違う)を持ち出す必要

はないと考える。そして今日,高学歴の夫婦

ほど共稼ぎの比率が高いことも,ここでは周 知の事実としておきたい。1990年代から既婚 女性の就業率上昇に鈍化の趨勢が見られるに

せよ,また21世紀に入ってキャリア女性の

「オプト・アウト」(自発的退職)をしきり に持ち上げる一部世論があるとはいえ,社会 全体としては,夫婦ともに家庭外で給与・賃 金を得る仕事についているのが当然と見られ る時代になっている。ミドル・クラスの家庭 像のなかには,外で働く母親のほうが専業主 婦より良い母親なのだとする見方さえ育って いる。l貧困家庭のケースでは,外に出て働 1)その理屈とは.子どもに働くことの大切さを教 える.仕事で身につけた組織的.効率的な仕方が 母親としても有効である,自分の収入のおかげで 家族の生活全体が豊かになる,夫に万一のことが あったさいの大きな保険である.良いデイ・ケア を利用することで子どもの社会的発達を促す.子 どもと一緒の時間が限られるぷん質の高い育児 ができる.一等々だという。(Sharon Hays.The Mommy Wars:Ambivalence.IdeologicalWork. and the CulturalContradictions of Motherhood, in Ar]ene S.Skolnick andJerome H.Sckolnick eds..Fbmib・in Tra71Sition.thirteenth edition.

(2)

時間測定した図では,たとえば食事の準備に 費やす時間は第2次大戦後に顕著に低下した が,他方ファミリー・ケアやショッピング・ 家事管理に要する時間が増加して,全体とし ての家事労働時間はほとんど変化していない

という。ヴァネックの時間測定では別に,専

業主婦と仕事にでている主婦との家事労働時 間に大きな開きがある結果がでているが,そ

れにたいする彼女の解説はごくわずかで,研

究の関心がそこにはなかったことを示してい

る。私は前号の研究ノートで,この時間の開

きにかんしそれなりにどんな説明が彼女の実 証から読み取れるかを考え,記しておいた。3 その後,彼女の博士論文のほうも入手して読 んでみたが,全体の実証がさらに細かく(た とえばファミリー・ケアの内容を細分化しそ れぞれを吟味するというように)詳細になっ ているものの,専業主婦と就業主婦の家事労 働時間の開きにかんする記述が深められてい るとは思えない。ともあれその論文の結論部

分で.彼女は次のように書いている。

「職についている女性はついていない女性

に較べて,家事に費やす時間がずっと少な

い。この二つのカテゴリー間の構造的差異は おおよそ週18時間に及ぶ。これまでの議論の 道筋からして,この両方の時間の使い方の違

いは,シンプルに説明できる。雇用されて働

いている女性は,家事労働にあまりに大量

の時間を強制されなくて済むような追加的

な仕方(additionalways)を採って,家族

という財産に貢献しているのである。働く女

性が家事に費やす時間はおそらく,家事を保

つのにこれ以上は減らせないというぎりぎり

のあたりにある。他方,雇われていない女性

がホーム・メイキングとしてそれに付け加え る時間は,「ちょうど」家事労働を忙しいと 言わせるに催するだけの時間なのである。世 間が家事労働時間をいうときには,こうした

追加的な時間(additionaltime)を暗黙にも

明示的にも考慮することなしに,単なる諸々 の投入時間の総計に基づいているのが普通で こうとしない,あるいはわずかのパート労働

しかしない母親に−それだけ福祉給付の社

会負担が増すとの非難を含めて一息け者と

いうレッテルをはる風潮が高じている。 そういう状況のもとで.実質的に家事と育 児の大半を担っている大多数のワーキング・ マザーが.「ホーム」と「ワーク」のバラン スをどのようにとっているのか,その仕方や 条件にどんな歴史的変化があるか,あるいは そのことでのワーキング・マザー自身の価値 観や意識はどうか,といったことが本節で検 討しようとする問題である。この間題にかん する社会学等の分野の研究量はかなり多いと 思うが,それでも頻繁に引用され時に批判の 対象ともなってきた本格的な実証,分析はお

のずと限られている。管見のかぎりで,以下

それを4つの項目に分けて紹介したい。 i)技術進歩は家事労働時間を縮減させない −Vanek,Cowan 第2次大戦後,既婚女性の就業に関心が高 まるなかで,家事に費やす時間の測定と評価 にかんして最初に一つの標準とまでなったと 思われるのが,ヴァネックとカウアンの業績

である。2両者の所論については本研究ノー

トの前号(No.40)にすでに紹介したので, ここではその要旨にわずかの付記をするにと

どめる。まずヴァネックのほうであるが.前

号で取り上げた彼女の論稿は1973年博士論文 を翌年に要約してサイエンティフィツク・ア メリカン誌に掲載したもので,平均的な家事 労働時間が1920年代から1960年代まで週50時 間余りとほとんど変化していないことを実証

している。家事労働の内容を5種類に分けて

2)Joann Vanek.Keebing Busy.・Life Spen(in 〟0〟ざβぴク′斤,肋f′gd5JαJg5,Jβ2∂−ブタ7(フ(Univ. ofMichigan.Ph.D..Dissertation,1973,Printedin 1988byUMIDissertationInformationService). および“TimeSpentinHousework:Scienti6c American(November,1974),Ruth Schwartz Cowan,〟∂γgⅣ0γ々ノbr肋才力g′.・rゐβル♂刀fgざq/ 〃〃〟∫(・カり/(Jr(、(、/川り/り打.仙川tllビ()♪√〃〃√〟′/ん/り Jゐg〟盲cr〃抄〃〝g,1983,高橋雄造訳Fお母さんは忙 しくなるばかりj法政大出版嵐 2010年。 3)「産研論集」No.40,28頁。

(3)

ある。私が本調査をへて提起した解釈は,対

照的に,特別の時間(extra time)が家事の 生産活動の質的な向上に「支払われている」 (pays−0ff)ということであった。」4

一方,技術史家カウアンの著述は,肋rg

I拘祓カr肋Jゐgrという表題そのままに,新 しい家事テクノロジーの普及が主婦の労働時 間を減らすことにならなかった歴史をたどっ

た業績である。同番の最終章である第2次大

戦後についての記述でも,洗濯機,皿洗い機, 冷凍食品−−−が家事労働の構成や内容を変えた けれども,それとともに求められる「健康で 見苦しくない最低生活」の標準も変り,たと えば洗濯の必要がいちじるしく増大するとい う具合に,労働時間そのものの縮減にはつな がらなかったことを強調する。また家事テク ノロジーの利便が増大したのをうけて働きに

でる既婚女性が増えたという因果関係はな

い。大戦後の主婦たちは,理由は何であれま

ず雇用を求め,そのうえで家族の健康と見苦 しくない生活程度を維持する手段として新し い家事テクノロジーに頼るようになったとい うのである。カウアンもヴァネックと同様, 標準的な主婦労働時間が歴史的に減少しない ことの実証と並べて,働きにでる母親の家事 に費やす時間がその標準よりずっと少ないこ とを認めるのであるが,それができている理 由づけではややニュアンスが異なるかもしれ ない。ヴァネックが共稼ぎ家庭の家事労働を 「家事を保つのにこれ以上は減らせないぎり ぎり」というふうに表現し,総じてやはり貧 しい家庭の母親が余儀なく働きにでるイメー ジが強いと思われるのにたいして,カウアン の場合,大戦後に家事テクノロジーの普及に よって家事労働の内容が貧富の階層を越えて 著しく均質化したとおさえたうえで,それが 母親の就業とどう結びついているかに論を進 めるのである。ヴァネック論文から10年後と いう,時代の進行を反映しているともいえよ

う。最後の記述は次のごとくである。

「(近年の)米国の主婦は,全国的に見て, 彼らの両親よりも健康と生活の安楽の程度を 落とさずに.労働市場に参入した。−この進 行が速かったのは.この世代の多くが豊かな 社会で育ち,大不況時代でなくベビーブーム 時代の子どもたちで,1960年代と1970年代に

成人して世帯を持つようになったからであ

る。すなわち,彼らはもう,朝食に暖かくな いシリアルを食べたり,時にはレストランで 食べたりするのに慣れていて,バスルームの 流しがちょっと汚れていたりシャツにアイロ ンがかかっていなかったりしても,たくさん の社会的害が生じるとは考えず,何も憂慮し

なかったからである。新しい家事テクノロ

ジーは,女性を家事労働から解放しなかった が,家事を補助者なしにフルタイムでなくて 遂行して見苦しくない生活程度を維持するこ

とを可能にした。こうして,新しい家事テク

ノロジーは,既婚女性の労働市場への参入を 容易にしたのである。」5 辻)夫婦合計の労働時間の増加

−Schor,Jacobs=Gerson

1970,80年代と,既婚女性の就業率が

鰻登りに高まっていった時期には,そのこ

とに関連させる意識はそれぞれ異なるにせ

よ,多くのアメリカ人が,とにかく日常の

生活全般が前よりもスピードに駆り立てら

れ慌しくなってきたという実感を強めてい

た。その実感があったからこそ,1991年に

刊行されたJ.ショアーの『働きすぎのアメ リカ人』6があれほどに広く受け入れられた

のであろう。彼女は,アメリカ史で1世紀

に及んだ労働時間短縮のあと逆転現象が生

じ 今日のアメリカ人は過去のどんな時代

より長時間働き,あるいはこれまでの「常

識」に反して国際的にも長時間働く国民と

なっているという,実証を提示した。具体

的な数値としては,平均的な男女の年間労

5)Cowan.op.cit,.pp」209・210.邦訳226−227頁。 6)JulietB.Schor.TheOz)erlL)OrkedAmericon: 【血色ゆgcJgdβgcJJ〝g〆⊥g由〝〝.1991.森岡孝二ほか 訳r飽きすぎのアメリカ人j窓社.1993年。 4)vanek.KeゆiJぽBusy,Op.CiLp.192

(4)

聞から37.0時間へ)増大したと主張してい

る。8その過労働時間と年間に働いた週の数

(男47.1過から48.5週へ,女39.3週から45.4

週へ)を掛け合わせたものが年間労働時間

であり,それが先のように男98時間増,女

305時間増ということになっている。このよ

うに,男も女も,過労働時間も年間労働週

の数も,そして上・中・下流すべての階層で,

程度の違いはあれみな増加趨勢をとってい

るという主張が『働きすぎのアメリカ人』

なる表題の意味であるが,その中で年間労

働週を増やした女性の人数の多さが,総労

働時間の増加をいちばん際立たせるもとと

なっているわけである。 ショアーと対照的な統計の読み取りは次項 に譲るとして,ここでは次に,フルタイムで 働く既婚女性の割合が高まってきたことを背 景としながら,共稼ぎ夫婦の労働時間がどう

統計化されているかに,話を進める。これに

立ち入った業績の代表的なものがJ.A.ジュ イコブズとK.ガーソンの共同研究の成果で ある『ザ・タイム・デイヴァイド』(および 両者によるいくつかの共同論文)である。9

働時間が1969年から1987年までに男で98時

間,女で305時間増加したとする。この数

値からも窺えるように,年間労働時間の増

大という表象の最も大きな原因が,労働市

場に参加する女性のフルタイム就業率が高

まったことから生じている。つまり実質的

に,家計の構成が変って妻の収入が相当の

比重を占めるようになったことをふまえた

実証なのである。

ショアーの著作は何週間ものベスト・セ

ラーズ・

リストに載る売れ行きをみせ,学

界,実業界,政界さらには世論にも急速に

伝わり,そして広範な支持とともに少なか

らぬ反対論をも喚起した。たとえば合衆国

労働省は,過労働時間がここ数十年にわたっ て本質的に変っていない(男42−43時間,女

35−36時間)という公式統計を発表してい

る。したがって学界で賛否を分かつ論争の

一つの焦点になったのは,ショアーの時間

測定方法の適否をめぐってである。7彼女

は基本的に労働省統計に依拠するものの,

独自の推計を加えて過労働時間もわずかな

がら(男43.0時間から43.8時間へ,女35.2時 8)同番の第2章を参照。ショアーが労働省統計に従わ ず独自に過労働時間のほうも男が0.8時間,女が1.8 時間延びたと計算しているのは,①雇用者の一部が ムーンライティングで二つ以上の職についている (6%以上?とくに貧困層の主婦が多いとされる) のに公式統計ではこれが二人以上の就業とカウント されているのでそれを正した,(診とくに1980年代中 期から残業時間の増加(高学歴・管理職の男性に最 も多い)が顕著であることからして,それを調査し た別の資料をもって補正した,(卦時間計算を「常用 労働者」つまりフルタイムと定期的なパートタイム 労働者に限定し不定期のパートタイマーを計算から 除いた,結果だったようである。だがこれにたいし ては,彼女が対象にした時代はまさに不定期のパー トタイム雇用が急速に拡大していったのだから.そ れを排除したのは適当でない.算入すれば週の平均 労働時間はけっして延びたことにならなかったはず だという批判もある。(].A.Jacobs&KGerson, OverworkedIndividuals or Overworked Families?

Explaining Trendsin Work,Leisure,and Family Time”inScolnicks,Op.Cit..p.393,nOte7.) 9)Jerry A.Jacobs&Kathleen Gerson,The Time

βねねkl穐祓,凡椚砂,α〝dCg〃dgr劫g曾〝〃/g加2004. 共同論文には上の注引こ挙げたもの(2001年発表) のほか.それまで類似のテーマで4編くらい書かれ たようである。 7)ショアーが時間測定にあたって使用した資料 は,労働省が毎月行っているCurrent Population Survey(CPS)である。これはサンプルとして とった約6万人の労働者を対象に.前の週に何時間 働いたかを質問して本人からの回答を集計する。 後述するジョン・ロビンソンなどは,こうした調 査では回答者はほんの数秒(3∼10秒)の思慮で 反応しているのが現実で,総じて大きな数値を回 答する傾向があると批判する。そのロビンソンが 採用するのはtime diaries方式による調査で,こ れは調査日の前日に朝起床してから夜就寝するま でどんなふうな時間の使い方をして過ごしたか を,順次調査票に記入してもらうもので,調査者 がそれをもとに働いた時間,家事に使った時間, レジャーに使った時間などに区分して集計する。 ショアーなどはそのような調査(たとえば「バス を待つ時F乱1分」まで細分化した記入を求める) には.最も忙しい類の人々がまともには答えない と批判する。さらにこの方式では細分化された時 間帯に行為の一覧表から選んで記入するため,回 答者による選択の基準がばらばらになり,生活時 間の趨勢をみるには有益でも,労働時間調査とい う目的での集計には難点があるとの指摘もあるよ うである。Jerry A.Jacobs&Kathleen Gerson. r/Jt− rJ■肋、川Jイ(ん∴・ll’〃rÅ.nJ川坤・.〝J〃/(ご√〃(んソ 血印〟αJめ・,2004,pp.15−17.

(5)

は,国際的にみて世界最高水準にあるという ことも,ジェイコプズ=ガーソンは同番に1 章を設けて(第6章),比較,実証している。 フィンランド.スウェーデン始め男女の労働 時間差と貸金格差が小さい国は夫婦合算の労 働時間が高くなりそうなものだが,それでも 合衆国の数値はさらにその上にあり,平均値 が80時間を越えるというのはアメリカだけで ある。100時間を越える夫婦の比率もアメリ カが最も高い。さらに共稼ぎの妻の過労働時 間でもアメリカがトップである。12『働きす ぎのアメリカ人』の証明は,こうした国際比 較によっても近年,説得力を増しつつある。 上の実証はみな,共稼ぎ夫婦の妻が賃金= 給与を得るために働く時間が,統計上とくに

近年,延びているという主張を裏付けてい

る。ではそのような労働時間と,その同じ妻

が家事労働に費やす時間とを合算したもので はどうか。ジェイコブズ=ガーソンはそれに かんし,リアーナ・セイヤー(LianaSayer) の博士論文(2001年)からの引用で,次のよ うな数字をあげている。13貸金労働と家事労 働とを合わせた主婦の1日あたりの総労働時

間は,1965年の504分から1975年463分まで

減少し,そこから増勢に転じて1998年には

547分に達した。このなかで彼女の家事労働

は1965年から1998年までに2時間減っている

(そして夫の家事労働が1時間増えた)とい うことになっている。つまり既婚女性の就業 の増勢が理由となって,家事を含めた総労働 時間がやはり上昇に転じている。これらはあ くまで平均値にすぎず,いうまでもなく実際 には家庭の条件によって一様でない。一般に 子ども数が少ないあるいは子どもの年齢が高 い家庭ほど家事労働時間を減らす現実味が高 同書の第2章で著者は,労働省統計を利用し ながら夫婦が揃っている非農業家庭を,共稼 ぎ,夫だけの収入,妻だけの収入,夫婦とも に職についていない,という4つに区分し, 1970年と2000年との過労働時間を計測し比較 している。詳細に立ち入るのは避けて共稼ぎ 夫婦の合算された過労働時間だけをここに取 り出すと,1970年平均78時間(夫44.1時間,

妻33.9時間)が2000年には81.6時間(夫45.0

時間,妻36.6時間)となっている。ここでも 妻の時間増加が全体の数字を引っ張っている こと,しかし程度は違え男女とも労働時間が 延びていることで,ショアーの観察と一致し ているといえよう。ただしショアーの数字は 妻と特定せず女性の労働時間が最も大きく延 びたという表示なのにたいし,ジュイコプズ =ガーソンでは女性のなかでも共稼ぎ女性の

時間の延び(上の数字からすれば2.7時間)

が,既婚女性のなかで最大であるという結果 を示している。10同書ではまた,1970年時点, 2000年時点ともに,高学歴のカップルほど過

労働時間が長く,夫婦が大卒のカップルか

ら,高卒,高卒にまで至らないカップルへと, 学歴が下がるにつれて労働時間がかなりはっ きり短くなっていることをも表示している。 同書にかぎらず,とくに夫婦合わせて過100 時間以上働いている11といったモーレツ夫婦 のルポルタージュは,ほとんどが高学歴の管 理職・専門職の夫婦のケースであるといって 過言でない。 共稼ぎ夫婦の合算した過労働時間が今臥

平均して80時間を越えているという絶対値

10)この場合,シングル・マザーとの比較ではどう かという問題があるが,シングル・マザーの労助 時間の趨勢を共稼ぎ夫婦の時間と較べるのはあま り適当でなしlだろう。シングル・マザーの場合, 統計化されている平均労働時間は増えておらずか えって減少の気味さえあるが.その内実はきわめ て多様で.ますます長時間働こうとする層とむし ろ福祉依存を強める層との分化がはなはだしく, 平均の数値をもって他と比較する有為性が弱いか らである(ibiむp.51.)。 11)夫婦合わせた過労陶時間が100時間を越える共稼 ぎ世帯の比率は1970年の3.1%から1997年8.6%まで 増えたと算出されている(ibidqp.384)。 12)こういう計算になる理由の一つはヨーロッパの主 婦では(フィンランドなどを別として)アメリカ よりバート・タイム就業の比率が高いということ がある。とくに1997年以降.EUがパート労歯に たいする差別的処遇を禁じ保護する施策に向かっ たことで,それが加速されたという。アメリカで バート労働は.低賃金,福利厚生の欠如,珠務保 証なしという筏場が圧倒的に多い。(ibid【p.129) 13)IbidMpp.27−29.

(6)

いし,所得の高い層ほど設備や品物の購入を もって主婦労働に代える選択ができる。だが 高学歴で相対的に所得も高い共稼ぎ夫婦が外 で働く労働時間も長くなる傾向があるので, ストレスの強い職場と家に戻ってからする家 事とのジレンマはそうした層に最も多く意識 されがちである。ほかにも多様性の要因は数

知れない。そんなことからして,労働時間の

平均値から導出する平均的アメリカ人の像

は,この項の始めにのべた,日常生活全般が スピード化され慌しくなってきているという 時代の趨勢を裏付けるのには役立つものの, それ以上のあまり多くを立証するものではな いと思われる。 揖)家庭における余暇時問の増加?

−Robinson=Godbey

近年アメリカ人の労働時間が延びている

という上のような論証に,いわば真っ向か

ら反対する所論が,ここで取り上げるJ.ロビ ンソンとG.ガドベイの共著『タイム・フォ ア・ライフ』におけるものである。14二人の

うちとくにロビンソンは,メリーランド大

学リサーチ・センターのAmericans’use of

TimeProjectのデイレクターとして長年に

わたり国民生活時間にかんする膨大な調査資 料を蓄積・発表してきた社会学看であり,し たがって今日,アメリカ人の時間の使い方に 言及するいかなる研究者も,同書に触れない

で済ますことができない。同書は冒頭,この

ことにかんしてこれまでの諸研究が生んだ「 誤解」を次のように列挙している。15 1.ここ数十年,ほとんどのアメリカ人が前 より長時間働くようになっているという 間違った理解(ショアー等の所説を挙げ る)。 2.とくに既婚女性が,外に出て働くプレッ シャーと,前と同じく家事労働にも従事 することとから,とくべつの困難に遭遇 しているとみる誤解・(後述のホークシル ドを挙げる)。 3.男の家事への貢献がさっぱり進まず,そ

こから家事を担うジェンダー・ギャッ

プが一向に改善されていないとみる誤解 (これもホークシルド)。

4.労働時間が延びたことなどを理由とし

て,両親が育児に向ける時間が減少して いるとする誤解。 5.家事にかんするテクノロジーの進歩が, 調理,洗濯のような家事の中核部分の時 間を減らすのを助け,それによって既婚 女性の就業が可能になったとみる誤解。 6.このテクノロジーの成果を享受する要件 として,アメリカ人はショッピングと修 理に費やす時間を前よりも多く必要とす るようになったとみる誤解。 7.以上の諸々の原因からなる労働時間延長 に対処する方策として,アメリカ人の睡 眠時間や食事に費やす時間が減ってきた とする誤解。 ショアーやジュイコブズ=ガーソンが労

働省統計を用いて推計したのにたいして,

ロビンソン=ガドベイが依拠するのはtime

diaries(注7参照)であり,とくにミシガン

大学のリサーチ・センターがおこなった1965 年,1975年の調査結果と,メリーランド大学 でロビンソン自身が指揮した1985年調査の結 果である。16この三つを比較して20年間の趨 勢をみるというのが,同書の主たる内容をな している。18−64歳の男女を職についている

者とついていない者とに区分し,それぞれの

給与・賃金労働時間,家事労働時間,個人的 時間(睡眠,食事,身噂み等),自由時間(余 暇)の4カテゴリーを,それをさらに細分し 14)JohnP.Robinson&GeoffreyGodbey,Timejbr い石1.・r力l・∫JJ′♪′J∫JJJg廿わ・=1肋・r∫l・(川J【な(、rカ(,J′ rわ乃g,1997.(ただし本稿での引用は2000年刊行 のsecondeditionから行う。) 15)Ibid.,Pp.む5.ここに引用したのは.労働時間にか んするアメリカ人の「誤解」の部分であり,同書 は続けて.労働から解放された自由時間(フリー タイム)の中味にかんする誤解も7点あげている。 16)1965年調査は18歳から糾歳までの1244人を同年秋 に,1975年調査は18歳以上の1519人(これに887人 の配偶者を加えて2406通)を同年秋と再質問調査 を冬.象 夏に,1985年調査は12歳以上の5300人を 対象に毎月分散させて行った(ibid.,pp.671退)。

(7)

違いとなる傾向のほうが大きいと解説してい る。劫なお同番は家事労働を「コア」の家事(調 理,掃除,洗濯等),チャイルド・ケア,ショッ ピングに3分して時間測定しているが,このう ちチャイルド・ケアとショッピングの時間は むしろ横ばいか部分的な増勢さえみられ,減っ ているのはほぼもっぱらコア労働で,それも 働きにでていない女性のコア労働の急減が全 体の時間縮減を引っ張っている。子ども数が 減っているのにチャイルド・ケアの平均時間 があまり減らない(働く女性では増えてさえ いる)のは,通説に反して子ども一人にあて る親の育児時間が延びている証拠だと同書は いう。21もうひとつ通説に反することとして, 同書では働く男性が家事に貢献する時間が, 着実に増えている実証結果を提供している。 こうして女性が労働市場にでる時間と家事 に従事する時間がともかく減少の趨勢をとっ

ていることをおさえたうえで,働く女性の

自由時間(free time)が増えていることの

立証に入る。働く女性の自由時間は1965年

27.2,1975年30.0,1985年34.0と顕著に増え, 平均では週の労働時間と家事に費やす時間を はっきり上回るまでになった。この自由時間 の中味(テレビ視聴,読書,家族団欒,社交, スポーツやホビー,文化活動,学習,宗教活 動その他)を問うた結果では,女性にかぎら ず両性とも,またすべての年齢で,群を抜い て大きいのがテレビ視聴の時間であり,これ が全体の4剖近くに達する。22自由時間とい いながらテレビを観ているだけの実態にどう て詳細に時間量と変化とを,調べたものであ るから論点も少なくないが.ここでは本稿の 主題にしぼってワーキング・マザーの時間配 分だけを抜き出してみる。

それによると,働きにでている女性の過

労働時間の平均は1965年36息1975年35息

1985年30.8と算出される。30時間台という平 均値は先のショアーやジュイコブズ・ガーソ ンらとそれほど大きくは違わないが,ここで

は減少の趨勢が強調される。もっとも,個々

人で以前より労働時間が減った女性はそう多 くないはずであるが.働く既婚女性数の増加 が時間の平均値を押し下げるいちばんの要因 になっているようである。17 次に,働きにでている女性が家事に費やす

時間は,1!賂5年26ユ,1975年お.7,1985年25.6

である。ちなみに就業していない女性の数値 は夫々51.5,42.0,39.0なので,女性全体では 402,32.9,30.9と顕著に減ったことになって いる。は1璧6年の非就業女性の51.5という数値 は先のヴァネックの計測とほぼ同じである。 ロビンソン=ガドベイの把握するところでは, 1920年代∼1弧)年代といった時代は家事テク ノロジーの変化等に関係なく過勤時間台の家 事労働時間が維持されたが,その後とくに専 業主婦の家事労働時間の減少が大幅に進行し た。19そのため1%5年時点では働く女性と家 にいる女性との家事労働時間の差は倍に近い ほど大きかったのが,1985年時点ではかなり 近くまで接近してきている。これを家事の質 の面からいうと,1%5年当時は貧困家庭の主 婦が必要な家事を「ぎりぎりのあたり」にお さえて仕事にでた性格が強かったのにたいし て,19釦年代のそれは一般の主婦が家事の犠 牲をあまり意識しないで就業に向かっている

ことを反映しているだろう。同書では.働き

にでるかどうかは家事労働の内容にそれほど 大きな違いをもたらさず,その家事労働を「い つ」するか(週末に集めるかどうか)だけの 20)Ib札p.102. 21)Ibid.,p.104.なお働く女性のチャイルド・ケアの 週時間とされているのは,1965年2.7.1975年3.2. 1985年3.6であり.増えたとされる1985年でも夫の チャイルド・ケア時間(1.6時間)と合わせても. 過に5.2時間にしかならず.1日当たりでは1時間に もならない。これは子どものいない世帯も入れて 計測するからこうなるので,こうした項目の平均 値は,「コア」家事の時間などに較べて実際とは るかに隔たったものとならざるをえない。 22)m軋pp.1払126.テレビを観ながらほかのこと(育 児や掃除−)を一緒にするケースを容易にイメージ できるが.調査では同じ時間帯に複数のことをやっ たときには.そのなかで最も重要だった行為だけの 時間として測定することになっている。 17)Ibid_pp.弘一95. 18)Ibid..p.105. 19)Ibid.,p.99.

(8)

iv)「ワーク」と「ホーム」の併存観 −Hochschild この項で取り上げるのはA.R.ホークシル ドが1989年に刊行した『ザ・セカンド・シフ ト』と,1997年刊行の『ザ・タイム・パイン ド』の2冊である。25まず前者の「セカンド・ シフト」という表題の意味であるが,これは 工場,店舗,病院などが1日の労働時間を区 切って複数の従業員に交替勤務させる「シフ ト制」という表現を,共稼ぎ世帯の1日にあ てはめたもので,夫婦が労働市場にでかけて 働く第1シフトのあと,家に帰って同じくら い働くのを第2シフとして把握し.この第2シ フトを二人のどちらがどう担っているかを探 求しようというのである。ホークシルドはそ

れを−他の研究者による多くの業績を背景

としつつであるが−50組余りの共稼ぎ夫婦

に密着取材した上で,第2シフトの担い方と それにかんする夫婦の意識などを10の類型に 分け,1章ずつを宛てて詳述している。26こ の10類型に沿って紹介を続けるのはあまりに 大きな紙幅を要するので,ここでは本稿の主 題との関連度が強いと思われる5つの論点を 挙げるにとどめる。

1,ほとんどの夫婦で,第2シフトの大部

分は妻のほうによって担われている。その結 果,男より女のほうが総労働時間が長く計算 意味づけするか,他の項目の推移はどうかな ど,さらに検討されている論題がいろいろあ るが,ここでは割愛する。 ロビンソン=ガドベイの著書は,何よりも 「働きすぎのアメリカ人」という広まりつつ あった実証や表象にたいして,「余暇が増え たアメリカ人」という反証を提供したものと

受け取られ,大きな反響を呼んだ。当然「働

きすぎ」論者ヤフェミニストからの批判−

一本稿で先に引用した類の数値を用いての

批判.23非労働力人口まで一緒くたに平均を とる方法論への批判,労働者あるいは共稼ぎ 世帯のなかでの多様性がいちじるしく増して

平均化の意義を減退させているといった論

点,等々一がだされている。だが両方の文

献にたいする私の読後感からすると−これ

は上掲のジュイコブズ=ガーソンも言ってい

ることであるが−「働きすぎ」論と「余暇

増大」論とは,必ずしも全面的に対立するも のでなく,一方を採れば他を否定するという ことに,ならないのではないか。24共稼ぎ世 帯だけにしぼっても,夫婦の労働時間を増や してきた家庭と減らす志向が強い家庭は,ど ちらも頻繁にルポルタージュに登場するし, そこに世代論や学歴による違いの論なども混

ざって,単純な一般化をゆるさない。ただし

そうした多様性のなかにあって,家事労働時 間だけは家ごとの極端な開きを解消しつつ或 る種の標準に収赦しつつある印象があり,そ のことが余暇増大の統計にも反映される結果 となっているように思われる。 25)ArlieR.Hochschild,TheSecondShi玖1989(同 書には2003年版Introductionがあり.これも利用 する。),rゐg r∫∽gβf〝dごⅢ功g〝肋祓βgcβ∽g∫ 肋∽gα〝d肋∽g肋0肌 . 26)50租は職種,収入程度,人種.年齢などがさま ざまであるが.ホークシールドは類型化にあたっ て.夫婦のもつジェンダー・イデオロギーを(∋伝 統的.(診過渡臥 ③平等主義的の三つに分け帰属 を分類してもいる。夫婦ともに過渡的とされた のが32%,妻が平等主義で夫が過渡的というのが 28%,夫も妻も平等主義というのが18%で,この 三つで8割近くとなる。夫だけについていうと, 相変わらず伝統的なジェンダー観を持ち続けてい るのは18%とされている。(5βCO〝d5ゐ吏几p.296, notel)。プロフェッサーが自宅までやってきて懇 ろに質問される状況のもとで,昔ながらの夫婦関 係を理想的なものと信念を披渡する回答者があま り多くはならないことも,考えにいれなければな らないだろう。 23)ロビンソン=ガトベイが依拠してきたミシガン 大学のtime diaries調査でさえ.1990年代から再 び過労働時間が増加に転じている数値をだしてい る。1990年の男39.7時間.女24時間から1995年の 男44.5時間.女27時間へという具合である。これ は就業していない男女も含めた平均値であるか ら,むろん働いている男女の実際労働時間より 低いものである。(柱25に記すA.R.Hochschild, TheSeco71dSh折の2003年版Introduction,nOte 5.による。)

24)上掲書Time Divide は第1章をOverworked Americans or the Growth ofLeisure?と題し,表 面上は対立している両論の実質が.今日の仕事と 家庭生活のなかに共存しているしくみを説こうと

(9)

されるケースが少なくない。社会的には職場 における賃金格差と並んで,家庭内の余暇格 差が定着している。それらのことは数値など をもって客観的に姦付け得るが.加えて, 意識面でも,多くの妻が第2シフトは自分の 事柄であって基本的な責任は自分にあると自 負しており,夫は家事を分担する場合でも妻 に協力しているというふうに考える傾向が強 い。 2,妻の第2シフト労働を軽減するため, (Dデイ・ケア労働者やベビー・シソターやメ

イドなどにカネをだして「母親の仕事を買

う」,(∋電気製品など家事のテクノロジーの 進展で軽減を実現する,③夫の協力や分担を 増やす,という方策が試されてきたが,どれ

も第2シフトの質を変えるほどの決定的な

成果をあげてはいない。また労働現場の実態 が,男の家事分担をいっそう困難にしている という実情もある。

3,夫婦が平等主義の観点から家事を平

等に分担していると称するケース27でも,調

理,洗濯はじめ日常的な(dairy)家事の大

部分は妻がやるということになっており,夫 は車のオイル交換にでかけたり家庭用品の修 理に長い時間を使うという仕方で,平等の分 担という計算に合わせている場合が少なくな い。また女の家事労働は,二つ三つを同時 にやることが男よりはるかに多い。電話をか け掃除をしながら3歳の子どもを監視してい る,洗濯をしながらショッピングのリストを 作っている−という具合に。男が子どもと遊 ぶときには,遊ぶという単一のことをなして いるにすぎない。そして男の有効な家事遂行 にかんするガイド・ブックは(女のそれと対 照的に)皆無に近い。 4,夫が第2シフトにどの程度関与してく るかは,その男の収入レベル,職場での労働 時間の長さ,彼の母親が専業主婦であったか どうか,いかなる宗教.宗派に属するか−と

いった要因と関連するところがほとんどな

く,むしろきわめて個別的である。つまり, 今の社会でどんなカップルが第2シフ・トをよ く共同分担するかについて,一般論はなかな か得られない。またホークシルドは聞き取り 調査を1976年から1988年までの長い年月をか えて行ったので,同じ夫婦に期間をおいて再 度接触する機会があったが,総じて第2シフ ト分担にかんするその間の実質的変化はごく わずかにすぎなかったという。 5,男が工場に続々入ったかの時代の産業 革命に対比して,いま女が労働市場に入る勢 いも革命というにふさわしく,そのなかで女 自身も変化してきている。しかし男主体の産 業革命と大きく追って,女の進出を迎える職 場,女が仕事から戻る家庭には,本質的な変 化がない。これをホークシルドは「囲い内の 革命」(stalledrevolution)と呼ぶ。2Bこの囲 いを打ち破って女だけでない社会全体の革命 とするには,企業の側でのパート・タイム職 の創出,仕事のシェア制度.フレキシブルな 労働時間,出産や看病を容易にする有給休暇 などが必要となるし,あるいは家事と職場を

より密着させる生活圏のデザイン(距離的

にも,さらに食事や育児や洗濯のコミュニ

ティ・サービスのごとき施策)も必要であろ うし,家庭内で夫が実質的に家事分担する社 会標準の向上も求められる。(離婚する,結 婚しないといった女性の選択もあるが,ホー クシルドは,結婚し夫婦同居しながら伝統的 なジェンダー関係と観念とを克服する道程を 模索しようというのである。) と,以上のように,今日の共稼ぎ世帯比率 の増勢のなかで妻が特別の重荷を背負う実態 が社会全体に広まっていることの歴史的な意 義を,第2シフトの担い手という表現をもっ

て,ホークシルドは提示する。ワークとホー

ムを兼業する主婦の仕事の大変さを説いた論 説はほかにもたくさんあろうが,この二つを 仕事の「シフト」と呼んで並べ,2種の労働 27)ホークシールドのケース分析では.家事を平等 に分担しようとしている共稼ぎ夫婦が20%.かな り(家事の半分とまではいかないが3剖以上程度) が709も.それ以下が10%と分類されている(ibid.. p.8)。 28)Ibid∼Chapter2.

(10)

同書の内容の大部分は,全米最大のdo−it−

yourself事業ほか倉庫,保険,不動産業など

を傘下にもつ会社Amercoの従業員にたいす

るインタビューを通しての仕事と生活の調査

結果からなっている。Amerco社は少なくと

も1980年代以降,全米きっての「ファミリー・

フレンドリー」な会社一福利給付付のパー

ト・タイム職,ジョブ・シェアリンング,労 働週の圧縮,フレックス・タイム,職場移動

の柔軟化−として知られる。この会社に足

を跨み入れてホークシルドは,社内にみなぎ る友好的な雰囲気,無料のコーク提供,たく

さんの表彰セレモニー,TQCの実践,従業

員のやる気を引き立てるプログラム等にふれ

た。その従業員が帰宅するのに同行して,子

どもと喧嘩したり,ファスト・フードの食事 をとったり,ペットや不具合の用具と格闘す るさまをも観察した。そうした全観察を通じ て,ホークシルドはワークとホームを2分し て秤量,評価する発想が,次第に薄らいだと いうのである。 彼女がインタビューした従業員の圧倒的多 数が「自分に時間が足りない」という感覚を もっている。しかしその「足りない」という のが,具体的に,もっと家にいる時間が欲し いとか,子どもと長く一緒にいたいというも

のにはならない。彼女の大きな見込み外れ

は,Amercoのファミリー・フレンドリーな

を一括して主婦が取り組んでいる時代として

描写したのが,彼女の労作の特質である。主

婦たちにとってそのどちらもが生きがいを満 たすための重要な場であり,ワークを苦難の 場所,ホームを安らぎの場所と対比して意識 してはおらず,職場における効率の増大・ス ピードアップと同じ課題を家事労働において も追求しており,職場におけるキャリア増進 への努力が家庭におけるスーパー・ママぶり に対応する。ワークとホームを従来のように 対比させるのでなく均質なもの,それぞれの 主婦の内面で接近しつつあるものとみるホー クシルドの視角は,上の第5の論点に述べた ように,その現実から未来の主婦像を展望す ることにもなっている。しかしその点での同 書の見通しは,未だそれほど明確なイメージ を伴って表現されてはいないように思われる。 次に取り上げるホークシルドの第2の著書 『タイム・パインド』は,「ワークがホームと なりホームがワークとなるとき」という副題 が示すように,上にみた彼女独自の着眼点か らの「ワーク」「ホーム」関係論をさらに展開 させたものである。「タイム・パインド」とは 文字通り時間による拘束であり,ワークもホー ムも,あるいはその他の行為(ホークシルド は今やこれを「第3シフト」と呼ぶ)もすべ て含んで,人間の(ここではとくにワーキン グ・マザーの)1日が一つの均質化された「時 間」によって律せられるようになった事態を 指している。そのような趨勢を一貫して牽引 してきたのが,企業社会,企業文化等と呼ば れているような,企業の側からの家族や地域

社会等,生活全領域への浸透である。企業が

開発したスピード・アップ,効率性,科学的 管理等の手法と観念が家庭や地域社会をさえ 判定する拠り所となり,さらに企業が経済シ ステムとしての機能を越えて,かつて家庭や

地域社会に帰属していた人間関係−ファミ

リー,フレンド,ホスピタリティ,セルフ・ コントロール等々−までを吸収している,為 という省察である。 て押し出されてきたのは,労働市場の変化ばかり でなく,企業による市場調整機能が市場をこえて 社会と文化の全般に及んできたという大方の印象 とつながっているだろう。クリントン政権の労務 長官を務めた経済学者ロバート・ライシュは1907 年の著書で自由貿易,規制緩和,民営化によって 加速された1970年代半ば以降の「スーパー・キャ ピタリズム」が「民主主義を飲み込んでしまっ た」と表現し,また最近圧倒的な支持を得ている 政治哲学者マイケル・サンデルが「伝統的に−−−非 市場的な規範に導かれていた日々の領域−−一にブラ ンディング.商業主義,そして市場の命題が拡張 してきていることは,さほど目立たないとはい え,放射的といえる」と書いたのは1905年のこと であるから(以上,渡追靖 rアメリカン・デモク ラシーの逆説j 岩波新書,1910年,58−61頁によ る),それらと並べると,ホークシルドのこれだ け明確な指摘が何年も先立ってなされたことの意 義は,いっそう高まるかもしれない。 29)このような観点がこの時代に強い説得力を伴っ

(11)

諸策を実際に活用している労働者が極端なま でに少ないことであった。30じつは同社にか ぎらず,近年マスコミがしばしば報じる同種 政策の採用企業の増勢にもかかわらず,おし なべてその利用率が低いことが証明されてい る。31フレックス・タイムなどがなぜそれほ ど利用されないかについては,いわば経済学 的な説明ができないわけでないが,32ホーク シルドが到達した説明はそれとは性格が異な る。「人は最も価値があると考えることに,

より多くの時間をさきたい欲求をもってい

る」という前提にたってAmerco従業員を観

察した彼女は,その点で「ますます多くの働 く女性がもっとホームで長い時間を過ごすと いうことに猫疑的になっている」事実に衝撃 をうけた。33男の労働者のなかにホームより ワークに情熱を注ぐ層がある(とくに管理職 =専門職に多い)ことは従来から指摘されて きたが,女の労働者のなかのそうした趨勢を 析出したのは,同書が始めてではなかったろ

うか。しかもホークシルドの目に,ともすれ

ば男より女のほうが,職場から家に戻りたく ないという気分が強いようにさえみえた。職 場には,仲間と話す,人間関係を調停する, ゴシップを交換する一−といった,それなりに 魅力的な社会関係がある。かつて職場は自分 の裁量では何事もできない場所であったが. いまはあたかも自分でコントロールできる場 所であるかのように仕組まれている。一方. 家はとくに女性にとって,リラックスなどと てもできない別の働く場所である。しかもそ の第2シフトの仕事はスピードと効率性中心 となったことで,固有の熟練を失い,ますま す魅力のないものでしかない。子どもは可愛 いけれども,子どもと一緒にいる時間がいち ばん疲れる。家事の効率化でかりに家族エン ターテインメントの時間ができたとしても, それはテレビ,ビデオ・ゲーム,コンピュー ターなど機械が提供するものであって,親の スキルを要しない。ホームにおいて残されて 30)同番の2000年版への序文(p.xviii)によると,13 歳以下の子どもがいる従業員でパート・タイムを 選択しているのは3%.ジェプ・シェアは1%,職 場移動のフレックス化も1%にすぎない。フレック ス・タイムを選択している働く既婚者は3分の1に のほるが,じつはそれも多くは1日9時間とか10時 間とかあらかじめ決まっている時間帯のなかで移 動しているにすぎない。 31)たとえばフォーチュン誌が500大製造企業のうち 188社を調査したところでは.非公式にパート・タ イムを提供している会社が88%にのぽるのにそれ を選択している従業月は3−5%にすぎない.調査会 社の6%が公式にジョブ・シェアリングを採用して いるがその恩恵にあずかる従業員は1%に達しな い,会社の45%がフレックス・タイムを提供して いるが利用する従業員は10%にすぎない.職場の フレックス移動を提供する会社は3%あるが.それ らの会社での利用率は3%以下である.等々の結 果となっている(ibid..p.27)。その後のいくつか の調査も似たような結果を示す(ib軋p.273,nOte 2)。なお1993年.Fami1yandMedicalLeaveAct が制定されて,雇用数50人以上の全企業に.従業 月の疾病や家族扶養を理由とする職場離脱(ただ し無給)を認めるべしとの全米法が出現したが. ホークシルドは本書執筆時点ではその利用効果は まだわからないとしている。ただしそのような主 旨の法をすでに制定している州についての調査で は,やはりその利用率はきわめて少ないことがわ かっている(ib軋pj汀.note)。 32)フレックス制が活用されない理由として,①最 も広く受け入れられている説明はそれが家庭の収 入減につながるというものであるが.有給休暇さ え充分にとられていない,相対的に高給とりの従 業員ほどフレックス制を利用しない.といった実 態からして,充分な説明にはならない,(多レイ オフの心配が背後にあるとの説明は,少なくとも Amercoでは説得的でない.(∋労働者がそういう 制度の存在や活用方法をよく知らないからだと いう説明もあるが.これもAmercoには該当しな い,(彰企業の側からの要因として.会社が対外的 にファミリー・フレンドリーなイメージをふりま きながら社内ではなるべく従業員が権利行使をし ないようセーブしているという説明.たしかにそ ういう会社もあるだろうが.Amercoにそれはな く,むしろ良い熟練従業員を保持したい真意か ら積極的な活用を勧めている気味さえある.と いうのがホークシルドの見解である(ibid..pp.27・ 30)。 33)Ibidりp.198.246.1995年,「もしあなたが好き なように快適に暮らせるだけのお金をもっていた として,それでもフル・タイムで働く,バート・ タイムで飽く,ボランティア・タイプの仕事をす る.家にいて家族向けの仕事をする.という四つ のうちどれを選択しますか?」という全国調査で の開いに.1502人の女性のうち最後の「家族」を 選んだのは319も。高学歴の女性ほどその比率は小 さいが,高校に行ったことのない最低学歴の女 性でも40%程度にとどまったという(ibid..p.281. note2.)。

(12)

の主題に通ずるものかもしれない。ともあれ ホークシルドは,このような「タイム・パイ ンド」が企業の福祉や労務政策の進展という

一見好ましい施策の結果である面を認めつ

つ,しかしその本質が,企業文化によるホー ムの制覇,他方ホームがテイラー化されて独 自の魅力やスキルを喪失したことの結果であ

ることを,批判的に論じているのである。言

い換えれば,企業の福利厚生ヤフレックス・ タイム制がもっと進んだところで,共稼ぎ女 性がかかえる時間からの拘束が改善される保 証はない。「ワーク」と「ホーム」のバラン ス問題は.今では昔よりずっと深い,社会構 造全体の改革に結びついた問題になっている と,彼女は考える。35同書の結論に近い場所 では次のようにいう。 「女性運動の初期の段階では,私を含め多 くのフェミニストが,もっと短い勤務時間, もっと柔軟な職務,男性が家事に入るような 家庭生活のリストラクチャリング,といった ことを求めて力を注いた。しかし時代の進行

とともに,女性運動のなかのこうした部分

は,キャリアの持続的向上を阻む会社のグラ ス・シーリングを打破しようというフェミニ ストにイニシヤティブを譲り渡したように見

える。時間にかんするこれからの運動は,子

どもという要因が拘束度を強めいっそうの公 徳心が求められる社会において,女性がどう いる最重要の仕事(「第3シフト」)スキルと は,家族成員の関係を鍛え深め修復すること であるが,これはしばしば職場におけるより もっと深刻な,疲労をともなう職務である  ̄ ̄ ̄ ̄ 34 おおまかにいって,これが「タイム・パイ ンド」の論旨である。これは「働きすぎのア メリカ人」という観点からとはまったく異な る,現代のとくに女性の労働時間にかんする 検証である。職場での労働時間をもっと減ら せとか,フレックス・タイムの制度を設けろ とかいう主張とは別なところに,ホークシル ドの現実把握と将来展望の核心がある。彼女 の調査からの読み取りにたいしては,ミド ル・クラス女性の志向に偏しているとか,今 日みられる部分的な動きをあまりに一般化し ているとかいった批判は,ありうるであろ う。あるいはまた,このような共稼ぎ夫婦(の とくに妻)がかかえる固有の困難は,日本で 以前から指摘されていると感ずるむきもある かもしれない。共稼ぎ夫婦にかぎらず現代社 会があらゆる面で「時間」に拘束されている という感覚は,ミヒヤエル・エンデの『モモ』 34)Ibid.,pp.36−38.49−50,209−210,212−214.ホークシ )t/ドはAmercoで観察したこのような傾向の傍証 を得たいと考え,チャイルド・ケア・センター を全米展開しているBright Horizonsの協力のも と,同社に子どもを預けている7000人の親に質問 表を送り,1446人(ほとんどが母親)から回答を 得た。「あなたは時間が足りないという問題をか かえていますか」の聞いには89%がイエスと答え ているものの,子どもといる時間が少ないことに 自責の念があるというのは約半分で.同時に43% が子どもと一緒にいる時ひじょうにしばしば疲れ を感ずると答えた。「あなたは家庭をときどき働 く場所のように感ずることがありますか」の開い には85%がイエス(57%が「ひじょうにしばし ば」)で,その比率は男より女がずっと高い。他 方,「いちばんたくさんの友人がいるのはどこで すか」には47%が職場と答え,16%が近所.6%が 教会,といった順であった。職場に最も多くの友 人がいると答えた割合も,女がずっと高い。「あ なたはどこでいちばんリラックスした気持ちにな れますか」の開いには,「ホーム」と答えた割合 が半分をようやく越す51%にすぎなかった。これ らの結果はAmercoでの観察とほぼ同一である。 ただしここでは回答者の大部分がミドル・クラス のワーキング・マザーであることを,断っておく 必要がある(ibid..pp199−200)。 35)牧野カツ子ほか編著 F国際比較にみる世界の家 族と子育て』(ミネルヴァ番房,2010年)は日本 で「ワーク」と「ホーム」のバランスという問題 関心が,男女共同参画社会づくりのスローガン 「ワーク・ライフ・バランス」(仕事と生活の調 和」)という表現をもって急速に普及してきたと 番き,その実質にかんする国際比較を行うが,そ こではほぼもっぱら日本の父親が長時間労働や意 識変革の遅れからその「バランス」がとれないで いる状況を説き,対照的にアメリカの父親はそう したバランスを実現している(家事を分担する, 休暇をきちんととる,子どもとつきあう.等々) かのように措く内容となっている。アメリカの父 親がほんとうにそうかといった点もさることなが ら,ホークシルドのように.母親こそ最も深刻な バランス問題の背負っているという感覚,またそ の間題の今日的な新しさにたいする関心は,まっ たくないように思われる。

(13)

すれば男性と平等になれるかという問題に,

われわれすべてを引き戻さなければならな

い。」36 女性による,新しい質をもった時間要求運 動の提唱である。

13「チャイルド・ケア制度の歴史と現

況」への粗描

前章のテーマ「ワーキング・マザー問題」 のうちで,チャイルド・ケアをめぐる論題は おそらく最も大きなものであろうが,ある意 味では大きすぎて前章の1項に収まりきれな いとも考えた。そこで章を改めて検討しよう

というのが本章である。ただし,それにして

もチャイルド・ケアの歴史をたどり現況の特 質にまで論を展開させるには,ゆうに1冊の 書物の紙幅が必要であろうし,先立って読ま なければならない独自の文献も膨大である。 これまでこの間題にまったく不案内であった 私が,本研究ノート・シリーズで自前の構成 をとって記述しようとしても,できる分量と 広がりはきわめて限られたものでしかないこ とを自覚したうえで,ここでは主に,歴史を 書いた1冊と,現況を論じた別の1冊とを,で きるだけ正確に要約・紹介することに力を注 ぐこととした。 歴史を書いた1冊というのは,エリザベス・

ローズの『マザーズ・ジョブ』である。1対

象となっている時代は,1890年から1960年ま

でである。制度としてのチャイルド・ケア

は,19世紀末,外で働かざるをえない貧しい 母親に富裕なエリート女性が施す慈善として 誕生し,第2次大戦後のある時期までに「ふ つうの家庭」による当然のニーズに対応する

ものへと変転してきた。その間における,利

用と制度の実態,世間の見方の変化,慈善家 やソーシャル・ワーカーや政策担当者がとっ

た方策,等を追ったのが同書である。連邦政

府が公的なチャイルド・ケア・プログラムに 手をつけるのはニューディール以降であるか ら,それまでの実態には基準ともいうべきも のがわずかしかなく,都市や地域によってき わめて多様である。その点ではローズの実証 は,全米きっての雑多な工業集積の都市で, 既婚女性の就業も多かったフィラデルフィア の状況を追跡しつつなされている。 現況を論じた別の1冊のほうは,イエール

大学Child Development and SocialPolicy

のセンター長であり,各時代の連邦政策の策 定にもかかわり,チャイルド・ケア制度間題 にかんするアメリカきっての権威と目される エドワード・ズィグラーが,教え子研究者二 人を誘って書いた Fアメリカにおけるチャイ

ルド・ケアの悲劇』である。2アメリカの社

会福祉のなかで医療保険と並んでチャイル

ド・ケアが,先進国中.最も貧困な状態にあ ることはつとに知られているが,ズィグラー は同書の序文(preface)を,「アメリカのす べての子どもに適用される統一的かつ高品質 のチャイルド・ケアのしくみを作ることに失 敗したのが,私のキャリアにおける最大の汚 点だと考えるがゆえに,私はかつての教え子 であり今は同僚である二人に.本書を書く作 業に加わるよう誘った」と書き出している。3

1970年代以降,チャイルド・ケアにかんして

どんな構想が立てられ,いかなる反対によっ てそれが挫折したか,その結果いかなる現状 にとどまっているかを,連邦政策に最も近い 位置にいた当事者が証言しかつ最新の情報を も提供した,得がたい書物である。 ほかに私の手元にあるチャイルド・ケアそ のものを主題とした著作は多くないが.その うちで21世紀に入ってから出版された2冊に ついて.ここに付記しておく。一つはS.W. ヘルパーン=B.R.バーグマン共著の『アメ リカのチャイルド・ケア問題:その打開策』 2)Edward Zigler.Katherine Marsland&Heather

Lord,The TTL7ge4y q/ChiLd Carein Ame7・icG. 2009,

3)Ibid。p.ix.

36)Ibid¶p250.

1)Elizabeth Rose.A^わther’sJob:TheHistoTyd βの・Cα柁Jβタ∂−Jタ∂玖1999.

(14)

であり,4もう一つはD.M.ブラウの『チャイ ルド・ケア問題:経済分析』である。5前者 は「連邦政府が資金の大部分を拠出し,州・ 地方政府が監督業務の大部分を受け持ち,民 間のプロバイダーが実際の保育の大部分を担 う」ような制度の提言を柱とし,現状のどこ が問題かにさまざまの面で言及している書物 であり,上の2著の紹介に加えて適宜,利用 したい。後者はチャイルド・ケア問題をもっ

ぱら価格,コスト 受給関係といった「経済

的視点」から分析する(チャイルド・ケアの あるべき質や政策や人間関係などには立ち入 らない)と問題提起して書かれたもので,こ れも比較的,数字をあげることが少ない上の ズィグラーの書物を補足するのに有効な部分 がある。 (1)歴史の概況

i)発端−19世紀末−20世紀初頭の実

態と性格 19世紀末から労働市場に女性の姿を見る

度合いが格段に増したこと,その多くが未

婚の女性ではあったけれども既婚女性も家

の外のさまざまな分野で働いたことは,す

でに前章で述べたので繰り返さない。その

際ワーキング・マザーが子どもをどうした

かということでは,幼児であれば,その子

の姉か兄による子守り,あるいは自分の母

親や血縁者に委ねるのが圧倒的多数で,そ

れができない場合には同じアパートにいる

家主に頼む,近所の誰かに頼む,という順

をとったようである。「頼む」といってもそ の実態がいかに危ういものであったかは,

想像に難くない。もちろん頼める相手がい

ない場合も少なくなく,部屋に鍵をかけて

赤子を置き去りにする,窓越しに聞こえる

子どもの泣き叫ぶ声が絶えない,といった

事例が多く報道された。6歳を過ぎた程度の

子なら日中,放置されるのがふつうで,彼

らは自分で食事をつくり,あるいは弟や妹

の面倒をみ,そして街頭の諸所に群れてし

ばしば非行の巣を形成した。子どもを臨時

的あるいは永続的に,孤児院に入れる親も

いた。19−20世紀転換期ころの孤児院には,

親が死んだわけでなく貧困で働きにでてい

るために預けられているという子どもが,

ひじょうに多かったという。6

生活が相対的に安定しかつ慈愛心に富む

女性が,個人的にか集団的にか.あるい

は教会の活動として,路上に屯する他人

の子を呼び寄せ「代理ホーム」(surrogate

home)を提供するというのは,19世紀後

半ころからのアメリカで都会の慈善活動を

代表するものであったが,世紀末にはワー

キング・マザー,シングル・マザーと移民

の増加,それに貧困地区の増殖をも反映し

て,そのケースは倍増,倍々増といった趨

勢をたどった。7形態はさまざまで,多くの

代理ホーム(19世紀末までには「託児所」

day nurseryと称するものが多くなった)

がごくわずかの料金をとったが,それは子

どもを預ける母親に責任感を促すなどのた

めで,ビジネスとして運営されたようなも

のは当初は皆無,19−20世紀転換期にほんの

わずか生まれた程度である。多少とも規模

が大きな慈善組織では,組織を牽引する女

性(都会の名士の夫人といった肩書きがほ

6)Rose.op.cit..pp.49−52.乳幼児を血縁者などに 預かってもらい,少し年のいった子を孤児院に入 れ.もう少し大きくなれば働きにだす.これが極 貧家庭の一つのモデルとされる。 7)母親が外に働きにでるということでは黒人の母 親のケースが最も高いのに,黒人のコミュニティ に向けてのそうした慈善活動は,移民居住地域よ りずっと少なかったようである。理由の一つとし てローズは,慈善活動を行うエリート女性のなか に,移民の子弟たちのアメリカ同化をはかる意識 があったことを挙げている(ibid..pp.36−37)。ま た他の箇所では.都会の黒人たちはみなが貧しい ために−箇所にまとまって住み.血縁や近隣関係 で互いに子どもの世話をする−たとえば黒人の 老女がまとめて子どもの面倒をみる一風習が強 かったとも書いている(ib札p.49)。

4)Suzanne W.Helburn andBarbaraR.Bergmann,

.1J肝rJ用−∫C机/‘JC‘〃1・Pr(沌/〃JJ.・n汗In.l・()〃/.

2002.

5)David M.Blau,The Child Care Problem:

参照

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