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場の性格からみた水利再編 : 宇曽川水系における地域用水水利権の認定をめぐって

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(1)

1)国土交通省は、2006年3月20日に以下の通達を出した。 国土交通省河川局:地域の水環境の改善をめざした「まち の清流」の再生(環境用水に係る水利使用許可の取り扱い 基準の策定)http://www.mlit.go.jp/river/jirei/kankyoy osui/1_kisya.html. 2006 年5月12日アクセス。 国土交通省河川局水政課長・河川環境課長:環境用水に

I

はじめに

2006

3

月に環境用水の制度化1)始まって以 降、これまでに

5

件の環境用水水利権が認定され ている。筆者等は、それらのうち

4

件については、 その成立要因を実態調査にもとづいて解明してき た(松・秋山、

2012

)。  環境用水の端緒は

1960

年代後半にみられるが、 各地では

1970

年代から

1980

年代にかけて展開の 規模と範囲を広げてきた。環境用水はその歴史的 な展開が長く、関わる主体が多様なのに対応して、 概念の定義には論者によってかなりの幅がある2) 既往の環境用水に関する事例からその機能を整 理すると、①水質保全、②アメニティの保全と再生、 ③生物多様性保全、という

3

つの類型に分かれる。 そこで筆者は、こうした機能を発揮する用水を「機 能としての環境用水(広義の環境用水)」とし、国 土交通省の通達以後、水利権を得たものを「制度 化された環境用水(狭義の環境用水)」と呼んで 区別してきた(秋山、

2012

)。環境用水をめぐる制 度が

2006

年以降変化したのに対応して、環境用 水の概念も重層化して捉える必要が生じたので ある。  筆者等は、環境用水の利用にはすでに

40

年近 い歴史があり、それに対応して、環境用水の導入 や利用に関する文献もかなりのものが出版されて きた状況の中で、新たに環境用水に関する研究を 進めることになった背景についてはすでに触れて きた(秋山・澤井・三野編、

2012

)。そうした背景

性格

からみた

水利再編

宇曽川水系における

地域用水水利権の認定をめぐって

論文 秋山道雄 Michio Akiyama 滋賀県立大学環境科学部 / 教授 松優男 Masao Matsu 滋賀県立大学大学院環境科学研究科 / 後期博士課程院生

(2)

2)2006年に出た国土交通省の通達では、環境用水を「水質、 親水空間、修景等生活環境又は自然環境の維持、改善等を 図ることを目的とした用水」と規定している。 3)滋賀県近江八幡市小田町(日野川水系)では、環境用水 が制度化されて以降に、環境用水の機能をもつ用水を導入す るため、環境用水の水利権と地域用水の水利権を比較し、 地域用水として申請したという事例がある(錦澤・西出・秋山、 2011)。これは、雑用水として認定された。 の一つに、

21

世紀に入ってからは、水需要の増大 を前提に形成されてきた水資源政策が転機を迎 えているという事象(秋山、

2011

)がある。農業用 水や 都市用水を合 わせた全国の水使用量は、

1992

年 をピークに減少傾向 に入っていた が、

2005

年からは総人口が減少し始め、グローバル 経済の進展による事業所の海外移転が続くとい う傾向をみると、今後、水需要が高まるという可能 性は低い。こうした既存の利水が需要の低下ない し鈍化の傾向にあるのに対して、環境用水の需要 は伸びてきた。それゆえ、今後は、環境用水が水 利秩序再編における主体の一つとして登場する可 能性がある。この過程で発生する課題に対応する ためにも、環境用水の性格と機能を多面的に検討 しておく必要がある。  この環境用水と類似した用語に地域用水があ る。地域用水とは、従来、農林水産省が灌漑以外 の複合的な水利用目的を包括して表現していたも のを指している(中西、

2002

)。この中に、灌漑を除 く営農用水、飲雑用水、防火用水、消流雪用水な どと並んで環境用水があがっている。この場合の 環境用水は、生態系保全、景観形成、親水、水質 浄化などの機能を含むとしているので、意味内容 は本稿で扱う環境用水概念とそれほどの差異は ない。こうした地域用水は、これまで雑用水として 水利権を認定されることはあった3)、地域用水 として認定されたケースはなかった。ところが、

2006

年に宇曽川水系において地域用水の水利 権が認定されるという事例が発生した。認定され た時期は

2006

10

24

日なので国交省による環 境用水の制度化以降にあたるが、実態を調査して みると国交省の通達とは直接関係していない。  本稿では、地域用水水利権の認定事例として は希有な事例である宇曽川水系のケースをとりあ げ、これが成立する背景とプロセスを把握していく。 その上で、すでに筆者等が調査した他の環境用水 に関する事例と比較して、宇曽川水系の事例がも つ特殊性と一般性を解明する。これらを通じて、 環境用水の性格と機能を多面的に解明するという 課題に寄与していくことができる。さらに、従来、 農業用水の利用が卓越してきた農村や、都市化の 影響で混住化が見られるようになっている地域で、 環境用水を成立させる条件を再検証することが可 能となろう。

II

方法としての環境誌

2-1.場の特性を把握する基本的な視点  筆者は以前、環境用水の研究において場の特 性を把握するための方法として、環境誌の重要性 を指摘した(秋山、

2010

)。これは、問題の設定と 解明、さらには解決の方途を意識した記述の枠組 み(問題指向的な地誌)である。環境用水は、各地 において歴史的に形成され、地域特性をもつ水循 環系(すなわち地域的水循環系)のなかでしかる べき位置を占めることで初めて存立が可能となる が、それを把握するためには、以下のような事項を 押さえておく必要がある。

(3)

①場の条件としての自然環境─人間のすみかと しての自然、自然の地域的差異と地域性 ②土地の改変と利用─水利用形態の歴史的性 格を規定 ③治水部門の動向─洪水の性格、水害と治水 事業の歴史的経緯 ④農業用水部門の動向─水利紛争の性格と 水利慣行、農業水利事業と水利慣行の変化 ⑤都市用水部門の動向─都市化・工業化と水 需給の変化、水資源開発事業の展開 ⑥水利秩序の再編と機能─水利秩序の変革 はいかなる条件で可能となるか ⑦水環境問題の性格─水環境保全事業の展 開と関わる  ここでとりあげた

7

項目について、宇曽川をみる 際に留意しておくべき点をみると、①では地形・地 質、気候、生物などの賦存状況を目録調にまとめる というのではなく、主体

-

環境系という枠組みのな かで構造化して捉えることが重要(秋山、

2010

)で あろう。宇曽川は、琵琶湖集水域のなかではそれ ほど大きい河川ではなく、位置からすれば愛知川 の影響を強く受けるという特徴がある。  ②については、古代の開発を示す条里地割が 流域に展開し、下流域にある曽根沼は東大寺の 荘園となったことで知られている。古代から現代に 至るまでに、琵琶湖の水位は何度も大きく変動し ているが、曽根沼とその周辺の歴史はそれを傍証 する根拠を提供する貴重な場でもある。水田の開 発は、水利条件の整備を伴っているから、場の自 然条件がもつ性格と相俟って、中流域の水不足と 下流域の土壌水分過剰(排水不良の湿田)という 地域的水循環系の性格を形成していった。  ③については、宇曽川の自然的特性が強く関 わっている。宇曽川は中流部の旧秦荘町あたりか ら下流にかけては川幅が狭く、愛知川と犬上川の 形成した平野の中間点を流れる排水河川となって いる。天井川的な性格を帯びているため、流域の 沿岸では古来より洪水が頻発して被害が絶えな かった。

1953

年頃から河川改修工事が進められて きたが、

1972

年から始まった琵琶湖総合開発事 業の一環として上流部の谷口に宇曽川ダムが建設 された(

1980

年完成)。さらに、

1984

1988

年に かけての河川改修工事によって、河口から

10km

余 りの護岸が完成した。こうした一連の河川改修工 事によって、細く屈曲していた宇曽川は変化し、中 流から下流にかけての護岸工事によって、堤防の 人工化が進んだ。この結果、宇曽川は琵琶湖集水 域のなかでももっとも人工化した河川となっている。  ④については、宇曽川水系の自然条件と水利開 発との関連やそれに大きく規定されたムラの性格 などが関連してこよう。そして、それを前提としたう えで、⑥が検討課題となるわけである。この場合、 特定の水利事業をとりあげると、それが成立する 自然的・技術的・歴史的・社会経済的条件の各々 に④で捉えた特性が関わることになる。そして、か つての水利慣行においてみられた地域間の格差 が、水利事業における費用負担の差や事業後の 水利条件にどう反映しているかといった事項が検 討課題となろう。  ⑤は、宇曽川流域においてはあまり関係がない。 流域のほとんどは、典型的な農村であったが、北 部の彦根市や南部の旧八日市市、南西部の近江 八幡市などの影響を受けて都市近郊農村に変化 しつつある。しかし、都市用水(工業用水・都市活 動用水・生活用水など)の需要増大が流域の水 利用に影響を与えるといった状況にはなってい ない。  ⑥については、第二次世界大戦後に行なわれた 愛知川土地改良事業と愛西地区逆水灌漑事業に

(4)

は濁水問題に対して種々の対応を図ってきたが、まだみるべ き成果をあげ得ていない。現状は、濁水問題が土地改良の 内容と深く関わるだけに、対症療法的な措置では問題を克服 することはできず、既往の土地改良とは異なった方向を模索 せざるを得ないという状況にある(増田、2003)。 4)宇曽川では、土地改良事業が進む1970年代から、濁水に よるアユの遡上障害、漁網への土壌粒子の付着によるエリ 漁への被害などが発生し、さらに農業濁水の中には窒素やリ ンなどの肥料成分が含まれており、これが琵琶湖の富栄養 化を促進させる一要因となってきていた。この間、農家と行政 よって、宇曽川水系の水利秩序は大きく変化した。 今回、本稿が対象とする事例もこれと関連する。  ⑦については、代掻き・田植え期において宇曽 川から琵琶湖に流入する濁水が問題となって久し い。集水域の河川から琵琶湖へ濁水が流入すると いうケースは他でも見られるが、宇曽川の濁水は もっとも甚だしいことで知られている(富岡、

2003

)。 全流域面積に占める水田の比率が高いので、水田 からの排水量もそれだけ多いのに加えて、この流 域の水田土壌はきわめて粒子の小さい粘土から 成っているという固有の事情がある。これへの対 策事業も以前から進められてきているが、それほ どの効果を上げていない。水環境保全事業の果 たす機能とその評価に関する研究が求められると ころである4)2-2.対象としての宇曽川水系 (1) 自然条件の特性と水源の多様性  宇曽川は、旧湖東町東部・押立山(

772m

)の東 側の水を集め、旧秦荘町との境界を流下して旧湖 東町祇園を出たあたりから扇状地を形成する。中 流から下流に至ると、南部を流れる愛知川の影響 を受ける。愛知川は今日見られるような河道に流 路が固定される以前には、中・下流部でかなり乱 流していた。したがって、愛知川の北半分には旧 流路が幾筋も走っていた。こうした、愛知川や宇曽 川の作用によって形成された平野部の地形が、当 流域の水源の多様性に結びついている。  高谷によれば、愛知川右岸・宇曽川流域では、 この地域の地形・地質条件に規定されて

4

種類の 水が存在していたという(高谷、

1983

)。 これらは、以下の

4

タイプである。 ①愛知川本流を流下する水 ②小扇状地の水 ③中・低位段丘礫層の水 ④湖岸平野の水  ①は、宇曽川とは関係しない。②は関係がでてく る。急傾斜の小扇状地は集水面積が小さいため、 通常は高燥地となっていることが多い。しかし、降 水の直後には、山地からの洪水が流出してくる。こ れが、宇曽川の自然的特性を示す要因となった。 洪水の頻発流域であり、かつ平常時は水不足に 悩まされる流域でもあるという特性である。③で、 小扇状地から流出してきた水は山地の麓に広がる 中・低位段丘の礫層中に浅層地下水として流入し ていく。低位段丘は、薄い表層の細粒構成物とそ の下に厚く発達した礫層からなるため、地下にも ぐった水は被圧地下水を形成することが多い。こ れに続く④の湖岸平野では、三角州とその地先が クリーク状になり、湿田が展開することが多い。宇 曽川下流域もその典型をなしてきた。  こうした自然条件に規定されて、宇曽川流域の 中・下流部では、図

1

にみるように数種類の水源と 灌漑施設が展開してきた。本流や小河川に井堰が 図1 宇曽川流域の地形と水源 出典)近畿農政局淀川水系農業調査事務所編(1983)

(5)

設置されているのを初め、上・中流部には溜池が 築造されていた。また、表流水よりも地下水が豊富 であるという特性から大小の井戸が掘られた。図

1

は、流域全体を俯瞰したものであるから、メソス ケールにおける特性を示しているが、よりミクロな スケールになると地域的な自然条件の差異と灌漑 形態のタイプの対応関係が細かくなってくる。たと えば、宇曽川中流部で水不足ゆえに溜池が卓越し ていた旧湖東町の事例を研究した結果(小林・高 橋、

1977

)によれば、同じ町内で

7

種類の灌漑形 態が展開していた。 (2)水利慣行の性格  宇曽川水系の水利慣行については、滋賀県内 務部(

1922

)による大正期の調査をはじめ、県史・ 郡史・市町村史などにそれぞれ具体的な報告がさ れている。

1964

年に出た『滋賀県市町村沿革史』 第

3

巻( 滋賀県市町村 沿革史 編 さ ん 委員会、

1964

)で宇曽川水系の市町村における水利慣行 についてふれているほか、土地改良の事業計画書 が対象地域の水利慣行をまとめている場合もある。 宇曽川水系では、次章でみるような愛知川水系に 関わる大規模な土地改良事業が展開したので、近 畿農政局(

1983

)の文献で一部ふれているほか、 愛知川沿岸土地改良区によってまとめられた水利 史(愛知川水利史編集委員会編、

1992

)の中で宇 曽川水系の水利慣行に関する記述がある。ここで は、『滋賀県市町村沿革史』によって、宇曽川水系 の水利慣行を概観しておくこととしよう。  宇曽川水系に関わる市町村は、旧湖東町、旧愛 知川町、旧秦荘町、豊郷町の一部と旧稲枝町であ る。宇曽川の上流から中流部にあたる旧湖東町、 旧愛知川町、旧秦荘町のうち、旧愛知川町に関し ては水利慣行に関してあまり記述がない。愛知川 の水や溜池の水を利用して水利形態は複雑で あったが、記録に残すような大きい水利紛争はな かったということであろう。これに対して、旧湖東 町では、自然条件の差異から水利条件に地域差 があり、町内の東側は水利に恵まれていない。そ のため、条里地割は西部でしか明らかになってい ない。東部の緩傾斜地上には、第二次世界大戦後 まで平地林が残されていた。『沿革史』の旧湖東町 分で水利紛争が登場するのは、応仁の乱に先立 つ享徳

2

1453

)年に押立郷と我孫子郷の間で起 こった水争いである。この後、江戸時代の水争い を経て近代以降にも水利紛争は継続している。町 の東部では、河川による灌漑は水田面積の

2

割以 下であり、西部は水田の

6

8

割は河川による灌漑 であった。旧湖東町の下流部となる旧秦荘町でも、 江戸時代からの水利紛争が記録されているが、こ こではそれ以上に宇曽川の洪水が農民生活に大 きい影響を与えたことが指摘されている。そのた め、元禄

4

1691

)年から文政

7

1824

)年にかけて、

6

回の大きな川除普請が行われたという。  宇曽川の下流にあたる旧稲枝町では、水不足か らくる水利紛争が江戸時代においてもしばしば起 こっており(『沿革史 』に載っているのは寛文

8

1668

)年から安政

4

1857

)年にかけて

8

回)、流 域の水利条件をもっともよく反映した状況が窺え る。その一方、下流部の低湿地帯という性格から、 排水をめぐる紛争が起こっているのもこの地域の 特徴である。明治期以降にもこうした状況は継続 していったが、明治期後半からの耕地整理事業に よって部分的には解消されたという。しかし、基本 的な解決は第二次世界大戦後の土地改良事業に よらなければならなかった。  宇曽川水系では、その自然条件に規定されて小 規模で多様な水源が分布していたから、各水源に 関わる水利用主体の範囲も狭く、それゆえ水利紛 争は局地的なものが多かった。

(6)

水系の上流と下流が、水系規模で紛争を展開する ということは近代までなかったのである。  宇曽川水系が含まれる愛知川右岸だけでなく、 愛知川左岸でも水利条件は似たようなものであっ たから、第二次世界大戦後に至って、こうした水利 条件を基本的に解決するための大規模な水利事 業が展開することになった。

III

水利事業の展開と

水利秩序の変革

3-1.愛知川土地改良事業について  愛知川水系の土地改良事業は、対象となる範 囲が広いため、国営で実施されることとなり、

1950

年から調査が始まっている。

1951

年に計画を立案 し、

1952

年 に 着工 とな っ た。対 象面 積 は 約

8,000ha

であるから、こうした水田群へ渇水を補 給する施設として上流の永源寺町にダムを建設す ることとなった。

1959

年に起工式を行い、完成し たのは

1971

年のことである。着工以来

20

年を経 過したのは、永源寺ダム建設予定地にあたる

3

地 区・

164

戸の住民がダム建設に反対して同盟を結 成し、強い運動を展開したためであった。  愛知川土地改良事業の対象範囲は、図

2

にみる ように愛知川左右両岸の上・中流部である。右岸 下流の旧稲枝町では、当初の計画では対象地域 に含まれていたが、排水改良事業を先行させるた めに愛知川土地改良事業からは撤退している。  ダム完成後、

1972

年から貯水を始め、

1973

年 からは対象地域 へ部分的に通水を開始した。

1977

年からは、ダムの機能が

100

%稼動し始めて いる。この結果、従来、

10

ヵ所の井堰と多数の溜 池や井戸により分断され、錯綜していた水利慣行 は基本的に変革され、新たな水利秩序が形成さ れることになった。こうした水利条件の改革を前 提として、愛知川流域では

1968

年から圃場整備 事業が始まった。今日、愛知川流域が近畿圏でも 有数の農業地帯とみられるようになったのは、ここ

40

年ほどのことである。  愛知川流域では、永源寺ダムからの放流水量を、 右岸の愛知第

1

、愛知第

2

と左岸の神崎、蒲生の

4

幹線を用いて自然流下させ、主要な

15

ヵ所の分岐 点における分水量は、愛知川沿岸土地改良区が 遠隔監視を通じて配分している。分水量は、土地 改良区理事会が受益地内の情報にもとづき、用水 管理の基本を定め、その決定にもとづいて改良区 が実行することになっている。対象地域に十分な 水が届けば問題はなかったであろうが、後述する ようにダム完成後に水不足問題が顕在化すること になった。  

1983

年に事業は完成し、水利用をめぐる対抗 関係が大きく変化したのは事実であるが、事業の 初期においてはきびしい地域間の対立がみられた。 水利条件に恵まれていた地域が、恵まれていな かった地域と同等の負担を負うことに難色を示し たのである。水利慣行における優位者と劣位者の 扱いについては、水利条件が平準化した代償に事 業費や水利費の負担には差をつけるといったケー 図2 愛知川幹線水路配置図 出典)愛知川水利史編集委員会(1992)

(7)

スもみられるが、愛知川流域の場合には、関係者 による継続的な話し合いの過程で、受益地域が全 体として共通の負担をするということが了解されて いった。しかし、水不足問題への対応策として電 動揚水機などを設置した所では、その費用負担が 小さくないので、地域的な対抗関係が顕在化する 可能性を孕んできたのである。 3-2.愛西地区逆水灌漑事業について  旧稲枝町は、愛知川土地改良事業には加わら ず、まず低湿地の水利条件を改善するために排水 改良事業を実施することになった。

1,338ha

の平 坦地を流れる顔戸川、文禄川、来迎川、新川、今 川放水路など、のべ

14km

を改修し、同時に末端 の圃場整備を実施して乾田化するという計画で あった。この計画通りに実施するとすれば、用排 分離が前提となり、地下水位を低下させて乾田化 を図ることになるから、水田の単位用水量は増加 する可能性がある。そのため、排水改良事業に合 わせて用水改良事業を進めていく必要があった。 こうして、旧稲枝町の土地改良事業は県営の灌漑 排水事業として展開することとなった。  図

3

にみるように対象地域を

3

分割し、東から西 に①中心部(愛西地区)

596ha

、②西側に隣接す る愛西西地区

183ha

、③さらにその西に位置する 新海地区

94ha

、にそれぞれ①

2.49

/s

、②

0.971

/s

、③

0.63

/s

の逆水灌漑を行うことになった。 中心部は、

1957

年に着工し、もっとも西の新海地 区が工事を終了したのは

1980

年であった。

20

年余 を経て、旧稲枝町の水利秩序は大きく変化した。 排水をめぐる紛争がなくなったのに加えて、旧稲 枝町は宇曽川下流部にありながら宇曽川の用水に は依存せず、流域全体の水利秩序からは脱出し たのである。

IV

地域用水水利権の成立過程

4-1.寺井湯堰(宇曽川水系)をめぐるこれま での経緯  本稿で対象とする地域用水水利権を得た地域 は、彦根市南部に位置する金沢町および稲里町で、 対象となる水利施設(寺井湯井堰)は彦根市肥田 町地先に存在する(図

4

)。本地区の地域用水は、 宇曽川(

1

級河川)に設けられた寺井湯井堰から 取水され、導水路を通過し、顔戸川(

1

級河川)に 注水され、金沢町地先に設けられた金沢井堰か ら取水され受益地へと送水される。  取水量は、

0.27

/s

であり、取水期間は通年で ある。河川管理者に提出された水利使用申請書 では、水利使用の目的は地域用水となっている。 申請者は彦根市長、許可権者は滋賀県知事であ り、

2006

10

24

日に許可された。許可期間は、 許可日から

2016

3

31

日までの

10

年間である (彦根市、

2006

)。  寺井湯井堰の受益地である金沢町、稲里町一 帯は、Ⅲ章で触れたように琵琶湖湖辺特有の排水 不良地域で、従来から排水改良が求められていた。

1950

年度から愛知川上流で愛知川土地改良事 業の調査が開始されると、本地区でも排水改良の 図3 愛西地区の用排水路概要図出典) 近畿農政局淀川水系農業調査事務所編(1983)

(8)

機運 が高まり、地域の農家の働きかけにより、

1957

~1968

年にかけて県営かんがい排水事業 (第Ⅰ期琵琶湖逆水事業)が実施された。本事業 は、地区内の排水改良として排水路の整備と琵 琶湖逆水による灌漑揚水機場

2

ヶ所、パイプライ ン の整 備 が 実施 され た( 滋賀県耕地指導課

1984

)。この事業によって、稲里町下流の顔戸川 が改修されたが、金沢町、稲里町の灌漑用水につ いては整備されていない。  

1967

年には、寺井湯井堰に関する慣行水利届 出書が作成された。これは、

1964

年に改正された 河川法にもとづき、水利使用の実態を滋賀県知事 に届け出たものである。これによって、寺井湯井堰 水利組合が設立されるまでの経緯を知ることがで きる。届出書によると、寺井湯井堰からは、金沢町、 稲里町のほか下流側に位置する稲部町、金田町、 上岡部町、下岡部町に灌漑用水が配水されており、 受益面積

187ha

、取水量

0.625m

3

/s

記されてい る。慣行水利届出書に記載された流水占用の目 的は、「農地用、日常用水」となっている。また、寺 井湯井堰は、届出書が提出された当時、町役場が 管理者であった。  寺井湯井堰は、宇曽川河川改修工事の一環とし て、

1962~1963

年度に鋼製自動転倒堰に改修さ れた。これと併行した土地改良事業のなかで、金 沢井堰、用水路が整備された。一連の水利施設 の整備をうけて、

1964

3

18

日に、寺井湯井堰 水利組合が設立され、寺井湯井堰、金沢井堰の 施設の管理をこの水利組合が実施することとなっ た。寺井湯井堰の慣行水利施設届出書には、そ れまでの経緯は「昭和

37

年河川法の規定に基づ く許可をうけている」と記載されている。  

1972

年に琵琶湖総合開発特別措置法が成立 した後、これに関連して

1981

年から第Ⅱ期県営か 図4 寺井湯井堰位置図 (国土地理院1/25,000地形図「彦根西部」より作成)

(9)

んがい排水事業(愛西地区)が始まり、ポンプ場、 パイプラインなどの水利施設が整備された。ポン プ場は

1991

年に完成し、これ以降、宇曽川の寺井 湯井堰から取水していた金沢町、稲里町の灌漑 用水は、琵琶湖からの逆水に代替されることに なった。灌漑用水が逆水に依存するようになった 後も、寺井湯井堰からの用水は従来のまま残り、 生活用水、景観用水、親水用水、生態系用水、防 火用水等として、金沢町や稲里町等の集落を流れ ていた。  寺井湯井堰をめぐっては、こうした利水事業の 展開に加えて、治水事業の展開が、その構造と機 能を変化させる契機となっている。表

1

にもとづき、 その経緯を把握すると以下の通りである。  宇曽川は天井川である愛知川、犬上川の中間を 流れており、流域は低湿地で、かつては出水のた び に頻 繁 に 溢 流、破 堤 して い た。そこ で、

1953~1963

年にかけて河川改修が実施された。

1959

年の伊勢湾台風では、寺井湯井堰付近の各 所で破堤し、被害は、床下浸水

364

戸、床上浸水

210

戸、氾濫面積は

2,430ha

に及んだ。災害によっ て甚大な被害が発生したため、河川改修は災害関 連事業として一気に進められた。また、その上流区 間では、新幹線通過に伴う排水対策が合わせて 実施された。  

1965

年には、

24

号台風により大きな被害を受 けたことから、

1973

年に宇曽川ダムの建設工事が 着工され

1980

年に竣工した。さらに、

1982

6

月 の豪雨により洪水が発生したため、再び災害復旧 助成事業によって河川改修が実施され、河床低下 および拡幅による流路の拡大、流路の屈曲の是 正が実施された。この河川改修によって、寺井湯 井堰はゴム引布製起伏堰に改修された(滋賀県 彦根土木事務所,

1988

)。このように、

1

つの河川 で治水と利水という複数の目的を果たそうとする と、ダムや取水施設、河口堰などが多目的化して いくことになるが、寺井湯井堰の場合もその例外 ではなかった。   4-2.水利権取得と維持管理体制  地域用水の水利権が許可される数年前から、 金沢町の上流に隣接する肥田町において圃場整 備および用排水施設を整備する県営経営体育成 基盤整備事業稲枝東地区が実施されることに なった。この事業において、灌漑用水の水源を寺 井湯井堰に求める計画が策定された。その背景と して、事業の対象となる肥田町は、Ⅲ章で触れた 愛知川土地改良事業や愛西地区逆水灌漑事業 には加わっていなかったという事実がある。上流 域から中流域までをカバーする愛知川土地改良 事業と、琵琶湖に接した下流域低地に展開する逆 水灌漑事業の受益地域の中間に位置しているが、 宇曽川に依存することで農業用水を確保してきた という特異な存在であった。それが、

21

世紀に入っ て新たに始まった土地改良事業のなかで、水源の 補強を図るため、水利の再編を促すことになった のである。  肥田町、金沢町、稲里町など稲枝東地区の農業 用水は、従来、寺井湯井堰の上流に位置する牛ヶ 瀬井堰から取水していた。ところが、牛ヶ瀬井堰か らの取水施設は老朽化が進んでおり、更新が必 要な状態にあったが、牛ヶ瀬井堰は、受益地から 離れており管理しづらいことから、受益地に近い 寺井湯井堰から取水することとなった。そこで、寺 井湯井堰の灌漑用水の水利使用申請と牛ヶ瀬井 堰の廃止を行うこととなったので、これを契機に、 従来慣行的に取水していた地域用水についても 法定化が必要とされ、地域用水に関する水利使 用の申請を行うことになった5)  灌漑用水と地域用水を同時に寺井湯井堰から

(10)

取水することになり、寺井湯井堰の維持管理のた めに寺井湯井堰管理運営協議会が設けられた。 この協議会は、金沢町と稲里町が結成した寺井 湯井堰水利組合と肥田町および愛西土地改良区 が構成メンバーである。維持管理の内容は、寺井 湯井堰のスクリーンゴミの清掃、取水ゲートの操 作、堰の操作である。灌漑期間の

4

9

月までは肥 田町が、非灌漑期間の

10

3

月は寺井湯井堰水 利組合が担当している。寺井湯井堰水利組合で は、金沢井堰の管理、金沢町から寺井湯井堰まで の水路の清掃(

1

年に

1

回)も行っている。なお、寺 井湯井堰水利組合には、金沢町、稲里町の全戸 が参加しており、組合費は

1

戸・

2

ヶ月あたり

500

円 の組合費を徴収し、井堰の電気料金などに充てて いる。 西暦 農業水利部門の動向 治水部門の動向 地域のできごと 1950 近傍の愛知川沿岸地区で土地改 良事業の調査開始 1951 宇曽川中小河川改良工事着工 1957 県営かんがい排水事業(第Ⅰ期) (事業期間1957~1968年) 1959 伊勢湾台風により、各所で破堤 し大きな被害が発生 1960 災害関連事業として河川改修工 事を実施 1962 寺井湯井堰を鋼製ゲートの堰に 改修 1963 土地改良事業 で金沢井堰と用 水路を改修 1964 寺井湯水利組合設立 河川法改正 1965 台風24号の災害発生。破堤ヶ所 14箇所 1967 慣行水利権の届出書を提出 1969 宇曽川ダム調査開始 1970 宇曽川ダム工事着工 1972 琵琶湖総合開発事業開始 1980 宇曽川ダム工事竣工 1981 県営かんがい排水事業愛西地区 (第Ⅱ期)の着工 1983 宇曽川災害復旧事業着工(河床 低下、河積拡大) 昭和58年6月災害 1984 寺井湯井堰改修(ゴム製布引起 伏堰) 1991 琵琶湖逆水のポンプ場が完成 2004 県営経営体育成基盤整備事業 稲枝東地区着工 2006 地域用水水利権許可(10/26付) 環境用水水利権の取扱い基準 2007 かんがい用水水利権取得      影響を与えたことを示す。  注)滋賀県耕地指導課(1984)、滋賀県彦根土木事務所(1988)、彦根市(2006)、愛西土地改良区ホームページをもとに作成。 1 寺井湯井堰をめぐる農業水利部門と治水部門の動向

(11)

4-3.地域用水導入の成立要因  現地調査を通じて、彦根市寺井湯井堰の地域 用水が成立した要因として以下の項目が考えら れる。  ①慣行水利届出書の記載および井堰築造経 緯:慣行水利届出書の記載および井堰築造が河 川改修によって整備されてきた経緯があることは、 井堰の歴史的な特性といえよう。  井堰が河川改修によって整備されてきた経緯を 追ってみると、

1962

年にそれまで木杭と土嚢で作 られていた寺井湯井堰は河川改修の補償工事と して鋼製の堰に改修された。

2

年後の

1964

年に河 川法が改正され、慣行水利の届け出が制度化さ れた。

1967

年に寺井湯井堰の届出書が提出され、 河川法の規定に基づき許可を受けていることが明 記された。鋼製ゲートに改修されてから

21

年後の

1983

年に再び河川改修によってゴム製布引起伏 堰に改修された。このとき、琵琶湖逆水による灌 漑排水事業に着手しているが工事はされておらず、 金沢町・稲里町地先の灌漑用水は寺井湯井堰か ら供給されていた。そのため、ゴム製布引起伏堰 は、灌漑用水を賄う規模の施設で整備されたと推 測し得る。肥田町の灌漑用水(

0.172m

3

/s

)と地域 用水の両方を取水できる施設規模を有していたの は、このためではないかと考えられる。  

1967

年に作成された慣行水利の届出書には、 「農地用、日常用水」と記載されており、生活用水 としての利用があったことが伺える。また、行政庁 の処分の欄に「昭和

37

年河川法の規定に基づく 許可を受けている」と記載されている。これは、

1962

年に災害復旧事業により鋼製の堰に改修さ れたことから、このような記述が書き加えられたも のと推測し得る。また、金沢井堰についても「農業 用、日常用水」と記載されている。このように地域 用水の利用実態の根拠となる文書が存在する。 ②寺井湯井堰を灌漑用水と共同利用すること (直接的な要因):灌漑用水は新規に寺井湯 井堰から取水するものであり、当然、水利使 用許可の申請が必要になるが、同一施設から 慣行的に取水していた地域用水も法定化せ ざるを得なかったと考えられる。 ③関係機関の連携:寺井湯井堰は治水と利水 の双方が関わり、かつその経緯が複雑であっ た。さらに、肥田町の灌漑用水水利権を新た に取得する必要があったため、県、市、土地 改良区が連携して取り組んだ。 ④事業による支援:地域用水水利権は、灌漑 用水の水利権申請と合わせて行われている ため、圃場整備を実施する事業による支援が あった。 ⑤管理主体:井堰の管理は、地元住民で組織 された寺井湯井堰水利組合が管理を行って いる。 ⑥管理費用:寺井湯井堰水利組合では、堰の 稼働に必要な電気料金等を組合員から徴収 した費用で賄うことができる。 ⑦利用実態:利用実態については、水路に花 を飾り、景観を楽しむ取り組みがなされてい る。生態系保全の面では、水路の生き物観 察会が行われている。金沢町の水路では、彦 根市の絶滅危惧種のヤリタナゴが多く生息 しており、滋賀県に生息する魚類

70

種ほどの うち、

23

種の生息が確認されるなど貴重な 水域となっている(中野、

2012

)。地域用水と して、継続した取水と利用がなされていた。 ⑧宇曽川の流況の安定性:宇曽川の河川流況 については、

1/10

年確率の渇水年でも必要 な取水量を確保できることが水利使用申請 書に示されている(彦根市、

2006

)。

(12)

V

結び

 宇曽川水系において地域用水の水利権が認定 された要因は以上のようなものであるが、最後に 当事例のもつ意味を場の性格から考察しておきた い。そもそも今回の事案が発生した直接の発端は、 肥田町において圃場整備を含む土地改良事業が 実施されるようになったことである。この肥田町が、 過去に実施された大規模な土地改良事業に関 わっておらず、既存の水利形態を存続させていた ところへ、新たな土地改良事業によって水源の補 強を要することになった点が水利再編の背景と なっている。したがって、こうした背景は場の性格 のうちでも当事例のもつ特殊性といえよう。  次に、都市中心部からは一定の距離離れた近 郊農村で、居住者も他から移住してきた新住民は ほとんどいないという点は、筆者等がすでに報告 した日野川水系・近江八幡市小田町の事例(錦 澤・西出・秋山、

2011

)と類似している。小田町の 場合は、地域用水として申請したが、雑用水として 許可されたという経緯は脚注

3

で触れたとおりであ る。宇曽川水系で地域用水の水利権を取得した 金沢町や稲里町と日野川水系の小田町は、いずれ も灌漑期に灌漑用水を取水するだけでなく、非灌 漑期にも河川から取水して集落のなかで多面的な 利用をしていたという事実がある。従来から存続 してきた農村で、灌漑期・非灌漑期を問わず集落 のなかの水路に水が流れ、それが集落景観の一 部を構成するとともに、生活用、防火用等地域の 事情に応じて多様な利用をしていたという場の性 格は、他地域の農村との共通性が高い部分であ ろう。  これらは、

1964

年の河川法改正前から慣行的 に行われており、両者とも河川法改正後の慣行水 利届出書には、河川から取水する用水は灌漑用に 用いているだけでなく日常生活にも用いているとい う記述をしていた。日野川水系の場合には、小田 町と同じように非灌漑期に慣行的な利用をしてい たが、届出書にその事実を記載していなかったた めに地域用水(雑用水)が認定されなかった地区 がある。したがって、日野川水系の事例研究から は、非灌漑期に慣行的な用水利用の事実があり、 かつ届出書にそれを記載しておくことが必要条件 ではないかという整理をしたが、宇曽川水系の事 例では小田町と同じ条件が満たされていたことに なる。こうした点から見ると、非灌漑期において用 水利用の事実があり、かつそれが河川法改正後 の届出書に記載されているという条件が、地域用 水の認定においては重要な意味をもってくるので はないかと推測できる。  日野川水系と宇曽川水系の事例で今一つの共 通性は、公共事業と関わっていたことである。日野 川水系の場合は、河川改修事業が行われることに なったため、日野川から慣行的に取水してきた際 の施設を改修するという経緯から水利権の法定 化が必要とされた。宇曽川水系の場合は、土地改 良事業の実施に当たって当事案が生じている。そ のため、いずれの事例においても、当該事業を担 当する行政部門の職員(とくに県職員)が新たな 水利権の取得において積極的な役割を果たした。 したがって、上で触れたような非灌漑期に用水利 用の事実があり、かつ届出書に生活用の利用も記 載されている地域で、河川水に関わる公共事業が 行われる場合には、こうした事案が登場する可能 性は否定できない。  上のような条件を満たしている地域は、利用し ている河川水と関わる公共事業が登場して慣行 的利用の法定化を迫られる際には、現行の環境 用水水利権とは異なった水利権の認定がなされ る可能性がある。こうした条件を備えた地域は、

(13)

潜在的にはかなりの数にのぼると予想されるので、 公共事業の実施を契機として登場するかもしれな い新たな水利権は、環境用水に関する現行の制 度を補完し、かつその幅を広げるという機能を果 たすことになろう。こうして、日野川水系に次いで 宇曽川水系でも地域用水水利権が認定されたと いう事象は、環境用水の研究に新たな一石を投ず るものであった。 引用文献 ⦿秋山道雄(2010):環境用水と地域空間の編成、『環境技 術』第39巻第12号、pp.706∼711. ⦿秋山道雄(2011):日本における水資源管理の特質と課題、 『経済地理学年報』第57巻第1号、pp.2∼20. ⦿秋山道雄(2012):環境用水の成立と展開方向、(秋山道雄・ 澤井健二・三野 徹編『環境用水─その成立条件と持続可 能性』技報堂出版)、pp.2∼31. ⦿愛知川水利史編集委員会編(1992):『愛知川水利史』愛 知川沿岸土地改良区、pp.1126 ⦿近畿農政局淀川水系農業水利委調査事務所編(1983): 『淀川農業水利史』社団法人農業土木学会、p.6 ⦿小林健太郎・高橋誠一(1977):愛知川扇状地北半部の地 形と農業水利、『滋賀大学教育学部紀要』第27号、pp.54 ∼63. ⦿滋賀県耕地指導課(1984):『滋賀の土地改良』、pp.75∼ 76. ⦿滋賀県市町村沿革史編さん委員会(1964):『滋賀県市町 村沿革史』第3巻、pp.1190 ⦿滋賀県内務部(1922):『農業水利及土地調査書 第1輯』 (蒲生郡・神崎郡・愛知郡の部)、pp.972. ⦿滋賀県彦根土木事務所(1988):『宇曽川沿革誌』、pp.95 ∼129. ⦿高谷好一(1983):愛知川流域の水利誌、『ペドロジスト』第 27巻第1号、pp.52∼62. ⦿田中拓弥(2009):住民が愛着を持つ水辺環境の可視化、 (和田英太郎監修、谷内茂雄他編『流域環境学─流域ガバ ナンスの理論と実践』京都大学学術出版会)、pp.313∼ 334. ⦿富岡昌雄(2003):濁水に悩む宇曽川、(琵琶湖流域研究会 編『琵琶湖流域を読む 上』サンライズ出版)、pp.212∼ 219. ⦿中西滋樹(2002):農業用水の地域用水機能、『農業土木 学会誌』第70巻第9号、p.799. ⦿中野光議(2013):地域用水が守った生物多様性、(秋山道 雄・松 優男・中野光議・足立考之「水紀行『環境用水万 華鏡』(8)地域用水を守ったまち─金沢町の水路(滋賀県彦 根市)─」『環境技術』第42巻第12号)p.755. ⦿錦澤滋雄・西出尚史・秋山道雄(2011):地域用水の導入 に向けた諸条件─滋賀県日野川流域、近江八幡市小田町 を事例として─、『水資源・環境研究』第23巻、pp.15∼22. ⦿彦根市(2006):稲枝東地区水利使用申請書(地域用水)、 pp.31 ⦿増田佳昭(2003):水田土地改良と環境保全─琵琶湖の農 業濁水問題を事例に─、(環境経済・政策学会編『公共事 業と環境保全』東洋経済新報社)、pp.139∼150. ⦿松 優男・秋山道雄(2012):環境用水導水の成立要因─ 先行事例地区の分析を中心に─、『水資源・環境研究』第 25巻第2号、pp.76∼87.

(14)

Restructuring of Water Utilizations from the

Per-spective of Local Characteristics

Over the Recognition of Water Rights for Local Use in Uso River System

Michio Akiyama

Masao Matsu

A case occurred where a local government

(the Mayor of Hikone City) obtained water

rights for the local use of the Uso River System.

Although there have been five examples of the

acquisition of water rights in environmental

water in Japan, there had been no case of

ob-taining water rights for local use. Therefore,

this research investigated the background and

process of how such rights could be established.

For that purpose, the peculiarities and

generali-ties of the Uso River System case were clarified

by being compared with those of the cases that

the Author had researched relating to other

en-vironmental waters.

What the Author took up as a method to

un-derstand the characteristics of the region was

an environmental topography, which sets up

and clarifies the problems, and furthermore, it

is a problem-oriented topography and its

framework of description is conscious of the

means to solve problems. Environmental

wa-ters have historically been formed in each

region and can exist only when they gain a

suit-able position in the regional water cycle system.

The framework of the description in an

envi-ronmental topog raphy is effective in

understanding this concept.

In the case of Uso River System, there are

pe-culiarities unique to this region in the

background of acquiring the water rights. It

was clarified, by the analysis of the local

charac-teristics, that in the regions having three

conditions necessary for acquiring water rights

for local use, it is possible that such a case can

occur.

参照

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