F I I I I I I I <研 究動向 >
〈
記憶〉
―― ヒス トリという歴史への問い
カル ・ス タデ イーズの試み―― I は じめに一一ちかしさとよそよそしさ 記憶の神ムネモシュネと歴史の神クレイオ (またはクリオ)と は,親 子の間 柄にある女神 という。現代の日本からはるかにとお く時空を隔てたギリシャの 神話世界では,記 憶 と歴史の女神はたがいにちかしい関係にあつた。ひるがえっ て,わ たしたちの日常では,「歴史」の語によって喚起 される雰囲気が 「記憶」 のそれとはずいぶんちがい,ど こかちかづ きがたくてよそよそしいものとうけ とめ られて しまうのではないだろうか。たとえば,sttθθけ物閉切克θs(作 詞 : 松本隆)力導 POPの スタンダー ドになつた時期があったほどに,「記憶」や 「memory」 の語がわた したちの回の端 にのぼ りやすいのにくらべると,「苦 い夫婦歴史」などといったところで演歌のメロデイにもうまくのらないだろう。 歴史 といえば暗記 という俗言からすれば,過 去の出来事を覚えることと記憶 と はもっとちか しいはずなのだが,歴 史と記憶 と並べたとたんなかなかそうはゆ かず,や はりわたしたちの生活感覚からすると両者の隔たりはおおきい。 歴史 と記憶―― どちらも人びとの過去にかかわる認識の様態であ り,そ の両 者の異同や関係が論議 されている現在の認識論 をい くらかみわたしたうえで, この小稿では,過 去の出来事を想い起こしそれを書 き記すことを考察するため のひとつの試み として,「記憶」 という問いを設定するとしよう。わたしは, 史料がよく読めるようになりたい,歴 史を書 くときにそれにふさわしい構えや 文体 を取 りたい,と つねづね思つている。それらを探るための参照項 として, 「記憶」 というとき,そ こではなにが問われているのかを考えてみよう。 成 安 立 口 ド可「記憶」の問われ方 この ところ,「記憶 の氾濫」 とい う事態が指摘 されている。そ うした論者の ひとりが,「歴史学がす っか り変貌 した」 [岩崎1999]と まで時評 した ものの, 残念 なことに (いや望 ま しい こととみ るむ きもあるか もしれないが),少 な く ともわた しがたず さわる近代 日本史研究 においては,「す つか り」 といえるよ うな転 回が まだ充分 には遂 げ られていない とみえる告 こうした歴史研究の事情 とい くぶんふれあった り,ま たそれ とはい くぶんずれなが ら,人 び とは過去の 出来事 についてその記憶 を語 つた り,そ の風化 を憂 えた りすることがある。た とえば近年では,2000年 1月17日に5年め をかぞえた,「阪神大震災」 をめ く`る 「記憶」がその問題系 のなかでの焦点 とな り,そ の風化 にどの ように対処す る のか,あ るいはそれをどの ように記録 し共有するか, といつた問いがあちこち か ら発信 されている告学問の方法や内実が一変 したかどうかはともか くも,歴 史学 とい う専 門領域で,あ るいは社会や生活 の場 において も,「記憶」力S活発 に問題化 され論議 される現状がた しかにある。 近年の 「記憶」 をめ ぐる論議の活況 をふ りかえつてみると,そ の葦J期のひと つ を1995年にお くことがで きる。第二次世界大戦の終結,そ れは同時に日本の 敗戦の ときであ り,ま た植民地だつた地域の人びとにとつては解放の ときとなっ た1945年か らかぞえて50年めの年 に,そ の年数の区切 りよさとその歳月を生 き 1)たとえば,歴 史学研究会は2000年度大会の特設部会で 「「記憶」の意味一コメモレイショ ン論と現代」という主題をかかげ,① 「記憶とコメモレイションーその表象機能をめぐっ て」② 「治水の神の誕生一宝暦薩摩義士と木曾三川流域」③ 「秩父事件顕彰運動と地域」 ④ 「「戦争」を記憶しつづけることの意味」の4報告を設けた。委員会の開催趣旨では 「現 実の社会から提起 される課題」 と 「歴史学の新 しい方法論」の両者を論 じるねらいが示さ れたものの,報 告②③ は 「記憶」 という用語 を使わな くても,そ の趣旨がまった くかわら ないと想像 される報告だつた (もっともこの2報告は 「顕彰」に重点があったようだが)。 「記憶」は従来の歴史学にとつてあつかいづ らい主題のようだ。 2)た とえば,地 震後3年めの1998年から発行 されている F瓦版なまず』 (NQl,1998.7.2)の 最新号 (No10,2001,9.6)は冒頭 に 「震災メモ リアル施設は分散化 されなければならない」 という論考をおいている。建設がすすんでいる 「阪神大震災」のメモ リアル施設への批判 を 「出来事の表象不可能性や共有不可能性」 という観点からおこない,あ るべ き 「記憶の 「分有」」 を提言するが,「共有」 と 「分有」のちがいが不明瞭な論考 となっている。記憶 を 「分有」することへの思索は,岡 真理[2000]がいまのところもっとも深い。
臨 ぱ ト ト ー ー ー ー ー ー ー ー < 研 究動向>く 記憶〉という歴史への問い 135 た人 び との 自然死 ( 余命 が果 て る こ と) が 追 ってい るこ ともあ って, ま ず は戦 争 の 「記憶 」 が問われたのだ った。戦争 をめ く`る 「記憶 」 も, 歴 史学 とい う専 門領域 や, 社 会 や生活 の場 とい った フ ィール ドを横 断す る。戦争 とのかかわ り で,「記憶」が現代思想の重要なひとつの領域 となった事態をふまえて交わさ れた対談の一節を聞 くと [グラック十安丸1995],戦後50年のそのとき,「世界 中どこでも記憶の時代」 となって しまい,「記憶」の語をつかうほどに 「歴史 その ものもが消えてい く」,あ るいは 「歴史そのものが・……みえなくなる」事 態が危惧 され,「よりよい記憶」のためにも,「歴史をできるだけ明確に提示」 すること,「歴史像を……複雑」にすること,が 望まれたのだった (C.グ ラッ ク)。 明確 と複雑 とは一聴 した ところ相反す る様相 と聞 こえるか もしれないが, 「複雑 に」 とい うのは思考 をすすめるうえで, 日本 と外国,伝 統 と近代,欧 米 とアジアといった単純化 された三分法 を廃棄 しようとい うことであ り,そ の う えでさらに 「記憶」の台頭により歴史が茫洋 としておぼろげにしかみえなくな る事態に抗おうというのだ。ここには 「歴史」に対する 「記憶」の凌篤がみつ けられている。それは両者のあるべ き関係からの逸脱にほかならず,「歴史は 記憶 といちばん密接な関係 に立っているはず」なのだと両者の 「本来」の関係 が示される。「記憶」が叫ばれ参照され尊重されるにつれ,「記憶」が 「歴史」 の前景に空立 し,あ るいは 「歴史」に蔽いかぶさってしまい,ひ いては 「言融憶」 が 「歴史」をみえなくするということだ。 「記憶」の猛威 といってもよい様相は,戦 争にかぎらず現実社会の諸相のな かにも観察 され,「記憶」 をめ く`る事態が観察者に 「不安」 を抱かせるばあい もある。たとえば,「阪神大震災」 をめ ぐる情況がそれである一一 「行政から 団体,個 人に至るまで,あ りとあらゆる人が 「記憶」に依拠する事態 〔カウ000 年の神戸にあ リーー引用者,以 下同〕……・,神 戸の街で氾濫する 「記憶」は, 阪神大震災の歴史を消 して しまうことにならないか,そ んな不安 を抱いた」 [大門2001]というく`あいである。「ほんらい複雑でなければならない」「歴史像」 と,「多様性 (差異)が 失われ,あ るひとつの像 (イメージ)へ と集約 されて
しまう」「記憶」 とを対照 したとき,2000年の神戸に立った歴史家を不安にさ せたのはなにより 「記憶」であって,そ うした不安はほんらいあるべ き複雑な 「歴史像」によってこそ解消されるというのである。 言葉尻 をあげつらうことになるかもしれないが,そ のとき神戸に立っていな いわたしには,2000年のそこで 「あ りとあらゆる人」が依拠 してしまうほどに 「あふれかえ」った 「記憶」のあ り方を確認 しようがない し│「記憶」に集約 されて しまうところの 「阪神大震災」の 「あるひとつの像」力ざなにかもわから ない。「「記憶」を風化 させないことが大事なことはいうまでもない」 という留 保がつ きはするが,グ ラックが述べた 「よりよい記憶」が,「阪神大震災」 を め ぐってどのように像形できるのかの展望 も示されないままに 「記憶」の単純 さばか りが指摘 されると,「記憶」は 「差異をあいまいにし,像 (イメージ) を一つにまとめて しまおうとする誘惑」の手管 とな り,「歴史」の多様性=差 果に目をこらそうとする歴史家にとって,戦 争や 「阪神大震災」をめく`るそれ にかぎらず 「記憶」一般がみずからの仕事をすすめてゆ くうえでの爽雑物だと いうことにな りかねないだろう。 戦後50年の とき (そして 「阪神大震災」後5年のときにも)に ,「記憶」力S 「歴史」 より優位の位置にあると示 された判定をうけて,「常識化 。通念化 し た記憶 に歴史家 として絶えず異議 申し立てをしてい くということですね」 (安 丸良夫。発言はグラックヘの応答 として)と 述べ られてみれば,歴 史家はその 職域が 「歴史」 というフィール ドにとどまらず,「記憶」の審判者にもならざ るをえなくなった事態をあらわしていよう。もちろん事実を丹念に積み重ねて 歴史像 を描 くことを職分 とする歴史家にとって,「記憶」の精選は重要な作業 つ となるだろうし,「語 りえぬものを語る」ことを本分とする歴史家にとっても, 3 ) さ きに指摘 した ようにた しかに学会の大会報告で もとくだん 「記憶」 の語の使用が必然 とみ えないばあいがある し, 博 物館や史料館 の展示主題 として 「記憶」の語がただ使 われ ることを目の当た りにす る機会は多い。だが 「あ りとあ らゆる人」が記憶 に依拠する とい う事態 をわた しは想像 しづ らい。 とはいえなぜ 「記憶」が問われるのか, 問 われな くては な らないのかはつね に自覚する必要がある。 4 ) 「 記憶」 を方法 としてはいないが, 文 字化 されるまえの人び との心性 をどの ように史料 とす るか をめ ぐる一つの試み と実践 として 「聞 き書 き」 「オーラル ・ヒス トリー」があ/
<研究動向>く記憶〉という歴史への問い 137 「記憶」の読み方や聞き方は大切な仕事ではある。とはいえ,あ ふれるとみな されたような 「記憶」 とは,や たらと不安を蔓延させる種子にすぎないのだろ うか。 問いとしての 「歴史 と記憶」一-2000年 3月4-5日に東京外国語大学海外事情 研究所が主催 した国際シンポジウムの主題が 「記憶 と歴史」 とかかげられたよ うに (『クアドランテ』m2,参 照),両 者はしばしば並記 され 「と」で結ばれ て問われることが多い。シンポジウムの問題提起が 「記憶 と歴史のあいだで」 (上村忠男)と 題 されたのはもちろん,『記憶の場』全7巻 (Lθs ιぢθ切″ 】θ 筋 物οぢ竹,7vols。,Paris,Galllmard,1984-1992)を編んだピエール ・ノラ[2000/1984] がその論集の第1部冒頭においた論考である 「記憶 と歴史のはざまに」(なおノ ラの引用にあたつては上村の訳 を参照 した)が ふまえられている。 「歴史が加速 している」 とくりかえすノラは,か つては 「記憶」 と 「歴史」 が一体化 していたがその事態はもはや終わったと指摘する。彼は,「あらゆる 点で相反するのだ」 と 「記憶」 と 「歴史」を唆別 してゆく。両者の対照をその 順であげると,「つねに現在的な現象」/「 過去の表象」,「思い出を聖なるも ののなかに据える」/「 思い出をそこから追いたて,つ ねに俗化する」,「本質 的に,多 様であ り,強 大であ り,集 合的であ り,複 数であ りまた個別的なもの」 /「 普遍的となる使命 をもつ」,「空間,動 作,イ メージ,事 物などのなかに根 づ く」/「 ものごとの時間的な連続や変化や関係性などにしか結びつかない」, 「絶対的」/「 相対的」,と いうように,両 者はことごとく対立 しあうとノラ はみせ る。そのうえでノラは,記 憶 に対する歴史の優勢 をいう。すなわち, 「歴史の核心には,自 生的な記憶を破壊するような批判力がある。記憶は歴史 にとってつねに怪 しいものであ り,歴 史の真の使命は記憶 を破壊 し抑圧するこ とにある。歴史は生 きられた過去から正統性 を奪 うものである」 と。 さきにみた戦後50年,そ して震災後5年の日本における 「記憶」 をめ く`る様 相 はフランスでのそれ とずいぶんと異なるようだが,も ちろん,「歴史」 と \った。戦後歴史学におけるこうした領域の動向と論点についてはひとまず,歴史学研究会 が編集 した Fオーラル ・ヒス トリーと体験史一本多勝一の仕事をめ ぐって』F事実の検証 とオーラル ・ヒス トリーー澤地久校の仕事をめぐって』 ともに青木書店,1988年夕を参照。
「記憶」のどちらが優勢なのか,「記憶」はイメージ生ひとつにまとめあげよ うとするのか,そ もそもそれ自体が複数なのか, といった論議をその場の文脈 をはなれて展開 してもしかたがない。ともか くも,「歴史」隔己憶」を 「と」で つないでみせたとき,両 者の勢力のいわば綱引きが論 じられる事態があるとい うことなのだ。隔己憶」論 をめ ぐる政治性 といってよいだろう。 だが両者をめぐっては,そ のあいだにはたらく力学を探究することからい く ぶん離れた問い方 もある。すなわち,「歴史」 も 「記憶」 もともに過去 を知ろ うとするこころのはたらきとしてはおなじとするところから問いを始めるので ある。そうしたとき,「記憶」 とは 「過去を認識 しようとするあらゆる営み, そ してこの営みの結果得 られた過去の認識のあ り方」であ り,「歴史」 とは 「「学術的」 と呼びうるような方法で表現 された記憶」[小関1999]となる。そ のうえで生活感覚からの観点をくわえてみれば,「歴史」 とはおおやけの領域 で書 き記 されたものとしての過去であ り,対 して 「記憶」はわた くしの領域で 文字 となる以前の心性 としての過去,と いった区分 も可能かもしれない。こう した分け方からすると,歴 史家が通俗化する記憶に絶えず異議申し立てをおこ なうということは,よ りひろく人びとの過去をめ ぐる心性をも統括する職能を 担 うものとして,歴 史家がみずからの職分を自覚 し始めたということになろう。 歴史家が人びとのファミリアな心性の領域 ともいえる 「記憶」をも,自 己の 仕事の領分に取 り込 もうとする事態はどのように考えられるのだろうか。歴史 家が 「記憶」 というとき,貸 欲にその仕事のフイール ドを広げようとしている 事業拡張の野心のあらわれとみえなくもないが,そ うしたあたらしい分野の開 拓 というだけではあまり意味がない。「記憶のあ りようを解こうとする歴史家 自身の立つ場 をも問題化」することにつながることで意味を生 じさせること, つまりは 「現代歴史学の認識論的位相」 [二宮2000]を 「記憶」 という問いが 指 し示 しているのである。歴史家が 「記憶」を問うとは,み ずからの職分を人 びとの過去への関心のすべてを扱 う万能者 として設けるというよりも,そ れは なにより自己の立つ場 と立ち方が鋭 く問われる局面にあることの自覚にほかな D らな い の だ 。
一□ 関 r r ト ト ト ト ︰ ﹂ ︰ r i l i l l l i l l l l i l l l l l l l l l l l l < 研 究動向 > 〈 記憶 〉とい う歴史への問い 1 3 9 思 うに,歴 史学はつねに自己点検 をおこたらない学問であるといってよい。 これまでもくりかえし,歴 史学の理論や歴史認識の方法,そ してひろく歴史の 専門家ではない人びとをも対象 とした歴史意識の所在やあ り方が問われてきた。 そ してこの点検の重要な目的のひとつに,外 来の借 りものではない自前で蓄積 0 してきたいわば知の在庫の確認 と更新があった。いままでも歴史家たちは,な にも 「記憶」などという用語を使わなくとも,当 然のこと,「歴史」 をめ く`る 自己省察を自分たちの仕事場でおこなってきたのであって,つ ぎにはそうした 自前の自己点検についてみるとしよう。 「過去へ向かう心」の読み 歴史家は,史 料 とい うテキス トを読み,史 誌 とい うテキス トを書 くことを職 分 とす るいわば職人であ る。 どの ようにその読 み方や書 き方が転 回 を遂 げた ( 遂げ よう) と して も, テ キス トの読み書 きとい う作業 を放棄す ることはで き ない。そのテキス トには過去の出来事が記 されている。だか ら歴史家の関心や 興味や探 求心 はかな らず過去 にむか う。そ うした営為 はまた歴史家がひ とり独 占す る ものではない。職人 としての歴史家でな くて も, さ まざまな場所で生活 者 たちは,自 己や 自分たちの過去 を知 ろうとした り,考 えようとした り,そ こ か らなにか を学ぼ うとした りする。そ うした人びとの心性が考察 されるとき, それが 「過去へ 向か う心」 と名づ け られたことがあった。歴史学が学問である か ぎり,そ れは厳密 に,精 級 に,高 度 な 「知の体系」 としての発展 を目指す。 そ うした 自己運動 を展 開す るなかで,「過去 を知 りたい とい う人々の素朴では あるが根源的な欲求の根か ら切れて しまったならば,そ れは意味 を喪 って しま 5)か つて二宮宏之 は 日本の歴史学 における 「社会史」 の登場 にさい して も,そ れはただあ た ら しい一分野が歴史学研究 に くわわつたのではな く 「歴史の読み直 し」 となるときに初 めて意義 を持つ と述べ た[二宮1980]。「記憶」 をめ ぐって も同様 に指摘 された この論点 は, じつはわた したちが編 んだ論集である 『記憶 のかたち』への岩崎稔 による批判で もあった。 歴 史学研究 にあた らしい動 向が登場す る ときつねに考 えるべ き論点である。 6)こ うした点への 自覚の強い歴史家 として西川正雄[1981]をあげ よう。西川 は 「「新 しい歴 史把握」 の様 々な考 え方の多 くが,依 然 として欧米産であ り,自 前 の ものでなか った」 と 省察 し 「先学の仕事 か ら徹底 的 に学ぶ ところか ら 「新 しい歴史把握」の端緒 を見つけだす」 ことの必要 を掲 げた。
う」 という動機から問われた 「過去へ向かう心」である。この主題を特集号に かかげた学会誌である 『歴史学研究』(No574)所収の論考から,過 去にむかう 人びとの心性について考えてみよう。 その 「特集にあたって」で述べ られた編集の趣旨をみよう。F歴史学研究』 を編集する歴史学研究会は,1930年代から 「科学的歴史学」を標榜 して活動を 続けてきたのであ り,そ れはたとえば,さ きにみた人びとの歴史に対する 「根 源的な欲求」に 「科学であること」をとお して答えようとしてきたことにあら われている, と自己の立場 をふ りかえる。だが自己運動のすえに 「あまりにも 高度 に発達 して しま」った歴史学は,「人々の 「過去へ向かう心」から自己を 切断 して しまう傾向を強めてきて」▼ヽる,ま た 「科学であることによって,逆 に,人 々の 「過去へ向かう心」 とかよいあうものを喪 うことになってしま」っ た,と 自己の仕事 を点検 したのだった。「過去へ向かう心」が 「どれほどに多 様で, どれほどの広が りと深 さをもっているの」かを知ることをとお して, ど のようにすれば 「科学的歴史学」が 「人々のさまざまな 「過去へ向かう心」」 とかよいあうことができるのかを再考すること,こ れが特集のねらいにおかれ たのである。この特集を企画 した編集長であろう小谷江之は,歴 史学 と人びと の 「過去へ向かう心」 との切断を 「歴史学の自己疎外」1/1ヽ谷1987]とよぶ。特 集号に収録 された論考 をみるまえに,小 谷の所論 をたどっておこう。 歴史学がみずからを疎外 しているというとき,そ こではあるべ き歴史学や歴 史が想定 されている。小谷 にとって 「本源的」な歴史 とは,「無限の拡が りと 深 さをもった過去のなかから,そ の人間が生 きてい くうえで,ど うしても必要 とされるだけの拡が りと深 さをもった時間=「 過去」を意識のなかに切 り取っ たもの」 となる。そうした歴史は,た とえば 「村落伝承」などのように 「文字 化 ・客観化 されない場合に,よ り本源的な姿を見せる」。ところがいまやわた したちは,「無限ともいえるほどの拡が りと深 さをもつ過去を知って」 しまい, どうしても必要な過去 とのつなが り,い いかえると過去につながる 「切実さ」 を喪失 したのではないか。過去をめぐる知識量の膨大 さにくわえ,そ の知識を め ぐる 「客観性 ・価値中立性」 といった規矩 もあ り,過 去はいわばその姿が科
田 ピ ー ー ト ー ー ー ー ー ー ー < 研 究動向>く 記憶〉という歴史への問い 141 学 に よつて規 制 され て しま う。 こ う して歴 史学 は過去 を知 ろ う とす る当人 の存 在 に とつて切 実 な知 識 を提 供 す る学 問 で は な くな りつ つ あ る一 一 す なわ ち, 「歴 史学 の 自己疎外」 であ る。 歴史学が,過 去の出来事の認識 をめ ぐる学知であることによる自己疎外 は, 過去 にむか うものがその存在 を過去 につながるもの として 「痛切 に実感」 しが たい,つ ま り歴史意識の衰弱 に起因するとい う。学知 としての歴史学が 自己展 開するなかで,知 るべ き過去が猛烈 に膨れあがって しまい,茫 漠 とした過去 を 知 った り探求 した りして も,そ こに自己 との切実なつなが りをみつけられない 現状が指摘 される。そ こか ら脱却す るために,過 去の追体験や体験への共感 と い う手法が もちい られることがあるが, しか し小谷はそうした感性や感覚によっ て過去 とのつなが りをた ぐるのではな く,あ くまで理性の認識 において 自己に つながる切実 な過去 をさく`らな くてはならない と提言 した。 なぜ小谷 は過去 との切実なつなが りをもとめるのか。それは,彼 にとって歴 史 とは自己認識の手立てであ り,あ るいは自己認識の表象 として歴史があるか らにほかな らない。ただ し自己認識 とはみずか らの思念の世界 なかだけで展 開 す るこころのはたらきなのではな く,お うお うに してそこには 「他者」力ざ介在 す る一一 「自己 とは異質な他者の存在 を必要 とす る」のである。「自己の姿 は, この他者 とい う鏡 に映 し出 された像 としてのみ,自 分 自身で見 ることので きる ものなのである」 と小谷がい うとき,過 去や歴史 とは時間を (ばあいによって は空間 も)隔 てた認識の対象領域であ り, したがって 「過去へ向か う心」 とは, わた し (たち)の 前身をただわた し (たち)に 直裁つながる分身 として知ろう とする とい うよりも,わ た し (たち)と は異 なる 「他者」 をそこにみつけ,そ れについて考察することが とりもなお さず 自己省察 となる,そ うしたこころの の うごきやはたらきの謂なのだ。 さて, こ うした編集方針のもとに集められた論考は8 編。すべてに論及する 8) 必 要 は な い の で , 初 め の3 編 を と りあ げ よ う。巻 頭 にお か れ た 「「過 去 へ 向 か う 7 ) こ うした観点から書かれた歴史叙述かつ歴史批評 として[ 小谷1 9 9 1 ] がある。 8 ) 本稿でとりあげなかった論考をその表題だけあげると, 「郷土史から住民史へ」「ブル ド が問いかけるもの」「怨 と恨」「近代の群像」「乱世」 となる。
心」 とは何か」 (阿部謹也,以 下論者①)は ,特 集の設間をその根元から問う ている。小谷がいうように 「科学的歴史学」が人びとの過去へむかうこころか らみずからを切断 して しまったとするならば,そ の要因は 「「現在 とは何か」 という間をあたかも自明のものとしてきたこと」にあると論者①はいう。過去 へむかうこころは 「現在」へむかうそれの一部であって、したがって 「現在の 深 さと広 さ,そ して重さのなかに過去のすべての世界史がこめられていること をこそわれわれは発見 しなければならない」 と 「科学的歴史学」のすすむべ き 方向を示 したのだった。いやこれまでも 「科学的歴史学」は 「現在」を問うて きたではないかという反論は,論 者①にとってみれば,そ れは 「現在」を充分 に問うてはいないことのあらわれとされてしまう。 だが続 く論考 「汝,石 もて打つや一戦争体験世代の 「自分史」について」 (米国佐代子,以 下論者②)で は,当 事者がいま戦争体験を 「自分史」 として 語 り,書 くことを問おうとしている。まさに過去の体験 とそれを想起する現在 の問題である。論者②はまず 「自分史」の読み方,聞 き方にかかわって,戦 争 世代の 「自分史」 を,「戦争加害」を証明するための材料 として,「事実」の集 積 された歴史記述 として,あ つか うことの可否 を論 じる。それ というのも, 「自分史」は自己陶酔だけでも自己懲罰だけでも書けない,しヽわばゆきつもど りつする 「自己認識」の結果にほかならないとみるからである。 したがって, 「戦争体験はす く`れて戦後史の問題」すなわち 「現在」の自己を問うことなの だ。当事者の体験 といっても,た だ自分が戦争をどのようにうけたのかにとど まらず,自 分がどのように戦争に応 じたのかが問われる。ここでの当事者は, 論者②の母がそうであったように,息 子や夫や兄弟を戦場に送った 「軍国の女」 たちである。編集趣旨をふまえれば,母 や妻や姉妹にとって,息 子や夫や兄弟 が 「他者」 となるといってよい。そうした 「他者」をかかえた当事者 とどうか かわるのかが論者② の問いだった。「オーラル ・ヒス トリーばや り」のなかで, 「加害体験 とい うのっぴ きならない体験」が 「事実 を明 らかにす る……貴重 な 証言」 になる とい うときに,「勇気 を持 て」 と当事者 を促す ことで よいのか と 歴史家 として自問する。歴史家が,過 去の出来事 をめ ぐる当事者 とのあいだに,
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< 研 究動向>〈 記憶〉という歴史への問い 143 史料 提 供 者 と してだ けのかかわ りで はない,そ れ とはべ つのつ きあい方 を模索 してい る とい って もよい。 ここで論者②の示 した応答は,ひ とつに戦争世代 と戦後民主主義世代 とは隔 絶 してはいない,自 分 もノー トに 「国体護持」 と書 き, 日の丸の旗 も振ったで はないか, と両者をほぼ同列にみること。もうひとつが 「歴史についての責任」 をもつ ということ。そ して,「体験世代が もつ人に語 り得ないいたみを,自 ら のいたみとして引 き受け……体験世代 自らがそのいたみを語 り得るようになる までその体験の質を “共有"し てい くこと」をかかげた。編集趣旨をうけてで あろう,こ こにいう 「共有」 とは 「たんなる “共感ルゃ “同情ルではないつも り」だと付記する。善良さややさしさをかかえながら,そ れでも戦争に 「取 り こまれていったこと」への惑悦や無念さを 「共有」 したとき一― この 「共有」 を実現するのが,ひ とりの人間を 「トータルに理解する」手がか りとしてある 「自分史」 とい う一― 「戦争責任者たちへの怒 りをこめた告発」が始 まり, 「現代 を生 きるものが過去の歴史から絶望ではなく希望を見出すという“再生ル ヘの可能性が生まれる」 と,「歴史」を認識することをめく`る展望をみはるか すのだった。「自分史」 を軸 とした,過 去 を生 き現在 をも生 きる 「他者」 との 理解→共有→告発→再生,と いう歴史認識のはたらきを示すのである。 論者②はさいごに,「自分史」 を書 き,語 ることを,「人はたんなる事実の記 録ではな く,他 者を理解 し,他 人のいたみを“共有"す ることによって自らの 生 きる道を “再生"し てい く,そ のような自分史を語 りまた書 きつづけるので はないだろうか」 と考察 した。そして 「自分史」に書 き込まれてある,戦 時下 でのやさしさと無念 さ,戦 争をめく`る参加への自主性 と動員への強制,と いっ た背中あわせの相反する事象をどのように考えるのかというところに歴史家の 役割があるという。「どちらにもむかう可能性 をふ くむ感性的認識を,現 代 と 鋭 く重ね合わせて真実を見ぬ く方向にみがいてい く仕事」「戦争に至る真実の 過程 を明らかにしてい くこと」が歴史家の職分 というわけだ。論者②は,当 事 者性の尊重,現 代 と現在の認識,真 実の探求,と いった歴史学研究の根本にあ る論点をひとまず提示 している。さて,歴 史のなかの 「夜明け前」といわれれば,多 くのひとがあるイメージ を共有することだろう。「「ルーッJを 探る」(峰岸純夫,以 下論者③)は その 常套句をもちいて,幕 末のある男と女の物語を書き始める。それは論者③の曾 祖父母の駆け落ち咄しであり出郷成功諄でもある。このように自分の先祖をた どつてみようとする関心は,専 門の歴史家にかぎられずにみられる。同姓会や 氏族会は無数にといってよぃほどぁるという。つまりは,「ルーッ探 し」「先祖 と先祖発祥の地探 し」である。「静かな広がりを示」す家系への関心,「若者」 もかならずしも例外ではないというその動向をふまえて,「先祖を明らかにす るという指向」は 「自己の存在証明」であり 「人間の本源的なものとしてあ」 ると論者③はいう。歴史家の役割は,人 びとのこうした 「本源的な欲求」を 「援助」することであり,し 卜科学的な皇国史観などに流れず,よ り豊かなも のになるため」に手伝いをするというわけだ。このとき歴史家は,た とえば系 図について 「厳密なテキス トクリティークの作業」をなしえる職人ともなる。 ここでみた3編の論考は,「過去へ向かう心」 を問 うその仕方を問ういわば原 論,問 いの各論 としての戦争体験 の 「自分史」 と先祖や家系探 し,と おかれて ある。各論では歴史や過去 を想起することをめ ぐる当事者性 に言及がなされ, 歴史家の職分 も論 じられ,そ れぞれがそれな りにまとまりをもった論考 となり, い くつかの論点 を示 してはいる。 しか し論者に自覚があるかどうかは不明だが, それぞれの行論 には看過で きないいわば陥弁が うがたれている。ひとつは 「他 者」をめ く`る問題。論者②は 「わた したちは,異 質とみえる人びととのあいだ に “共有"を 実現で きるのではないだろうか」「自分史を受けとめて歴史をえ がこうとするわた したち自身の仕事」「戦争に至る真実の過程を明らかにして い くことこそ,わ たしたちの責任である」 と 「わたしたち」をくりかえすが, これはいったいだれなのだろうか。戦後世代の自分にとって 「他者」である戦 争世代の母,戦 後を生 きる母にとって 「他者」である死者 となった息子,と い うようにこの論考ではい くつかの 「他者」の認識 (それは自己認識にかかわる) をめ ぐる契機が記されてはいる。だが,こ の 「他者」にしても 「わたしたち」 にしても国籍や国境やナショナリティをどれだけ跨いだり超えたりしているの
<研究動向>〈記憶〉という歴史への問い 145 だろうか。戦争や戦後をとお して問うべ き 「母」はじつに大勢が多様にいるは ずである。 論者③は,家 系への関心は 「家の継承が男系を中心になされることもあって 女性 よりも男性に強い」 といい,夫 とともに同姓会に参加する妻は 「夫の 「道 楽」につき合いつつ,む しろ旅行 を楽 しんでいるように思 う」 と観察するにと どまる。「先祖の地」 とはまさに 「父祖の地」なのだ。先祖を明らかにする指 向は 「人間の本源的なもの」 というとき,人 間とは男にほかならない。ここで は女にとっての 「他者」である男をみていない。また論者③は家史編纂に傾倒 した人物の事例を参照 しながら,個 別具体性が濃厚であるがゆえに当事者にとっ て意味をもつ先祖史は,そ れが 「日本歴史の流れの中に,関 連をもって位置づ けられる時,よ り豊かなものになる」 ともいう。歴史が豊かか貧 しいかの判定 基準 となる 「日本歴史」十一 なぜナシヨナル ・ヒス トリーがそうした特権をも つのかは問われず,そ の地位は自明のこととして示 されている。論者① も, 「現在」 とは過去をふ くめたさまざまな時間がいわば凝縮 してあるときと考え たうえで,そ の 「現在」 を深 くとらえようとするところにこそ 「過去に向かう 心」が生まれるのだから,「科学的歴史学」はこれまで充分にとらえてこなかっ た民俗習慣や年中行事 をも考察の対象 として, したがって 「「科学的歴史学」 は何 よりもまず現在の日本人の人間関係の底にある古層にこそ目を向けなけれ ばならない」 と提言する。ひととひととの結びあいという文化の連続性が前提 となって 「日本人」 という一体性がここでも自明のこととおかれている。 もうふたつをあげると,論 者②が 「他者」の痛みをみずからのものとして 「引 きうけ」,そ れを 「共有」 し,「他者」を 「トータルに理解する」 というと き, しかも前述のようにこの 「他者」の範囲がかぎられているとうかがえると き,「共有」や 「理解」 とはずいぶんと乱暴な歴史家の横領のようにみえて し まう。ただ し 「体験世代 自らがそのいたみを語 り得るようになるまで」 という いわば 〈待ち〉は重要だと思 う。たとえ専門家 としての歴史家 とはいえ,話 者 に話 させる強制は許されていないのだから (ただしそのときまで 「体験の質を “ 共有"し てい く」 とは本末転倒だと思 うのだが)。そ して,や がてはみぬ く
ことができ明 らかにすることができる 「真実」 (もとよりそこに到る過程 に多 大な困難があるだろうが)と いう設走は,論 者③のいう歴史家のいわば職能と しての 「テキス トクリテイーク」(史料批判,こ れは歴史学入門の第1章だった) が目指すにちがいない 「事実」の確定 とかかわって,そ れ自体 としての過去を 再現できるとする歴史家の横暴いや不遜 ともみえて しまう。 歴史学がまず回復すべ きともとめられたのは,そ れぞれのひとにとっての過 去 との切実なつなが りであ り,そ れはいいかえると過去の出来事を想起する当 事者性の権保で もある。そのためのいわば各論 として示されたのが体験 と自分 史であり,先 祖探 しや家史編纂であったのだが,そ うした材料を論 じるにあたっ て, i「 事実」や 「真実」をめく`る素朴な探究計画, ii適切な 「他者」を想定 することに無頓着な傍若無人さ,111ナシヨナルなものにかかわる無自覚さ,が 露呈 したのだった。これが,「過去へ向かう心」 という歴史意識 と歴史学の問 い方を披渥 した,1987年の時点での 『歴史学研究』特集にむけたわたしの応答 である。 く記憶 〉とい う問 い さて,こ こでもういちどノラにかえってみよう。彼は 「歴史」のもつ 「記憶」 への抑圧性を指摘 していた。前述の1995年ないし2000年日本での 「記憶」をめ ぐる言論情況では,「記憶」が 「歴史」 を蔽って しまうことへの危惧や不安が 述べ られ,あ るべ きよりよい 「記憶」のためにも 「歴史」の複数性や多様性の 回復が もとめ られていたといってよい。「記憶」が存在 しなくなることと 「歴 史」の抑圧性,「記憶」の横溢に対する 「歴史」の回復一―ふたつの論議はず れをもちなが らも,「歴史」 という過去 を知る仕法があるちからをもつことを 指摘 している。ノラは,過 去が もはや人びとによって生 きられるものでなくな り,「記憶」 と 「歴史」の一体化が終わる事態において,歴 史学 も歴史家 も変 貌 したという。それは,か つて 「記憶 と一体化 していた歴史学」を考察の対象 とするべつの歴史学であ り,「主題 とのあいだに密接で親 しくまた個人的な関 係 をもっているということを認めるにやぶさかでない,新 たな」歴史家である。
<研究動向>く記憶〉という歴史への問い 147 となるとここで議論はもういちど,過 去 との切実なつなが りを感得できる歴史 意識への問いへ ともどることになる。すなわち,自 己疎外から脱却 した歴史学 である。 前述の F歴史学研究』特集への応答をふまえて,こ こでは歴史家の職分 と職 能をめ ぐる二つの論点を示 してみよう。 自己疎外する歴史学は,生 活者の 「過去へ向かう心」 と 「ふれあう」ことを 模索 しなくてはならない。小谷が,歴 史学が自己疎外にあるとみたとき,そ こ では学知 としての歴史学が自己運動を展開するなかで,人 びとの 「過去へ向か う心」 との切断が問題 としてみつけられたのだった。歴史学の専門家ではない 人びと十一生活者 といってよい人びとの歴史意識すなわち 「過去へ向かう心」 との連携が模索 されたのだ。ここにいう専門家 と生活者のあいだの歴史意識を め ぐる論議の展開を小谷 に即 してたどつてみよう。小谷は 「「道楽」 としての 歴史学」 を提唱する (1/Jヽ谷1991]の付篇,初 出は1988)。歴史家にとって歴史 学がただちに 「社会的有用性」 をもつのではな く,ま ずその当人にとっての 「個的意味,個 的有用性」がなにかを問うべ きだといい,夏 目漱石を参照 して 「自己本位」の 「道楽」 としての歴史学をいう。それは 「もっぱら自分自身の 内的欲求に従って,自 分 自身のために行なう行為 という意味」なのだ。ただし ここにいう自己本位 とは,「その 「自己」が時代 と苦闘する 「自己」であった がゆえに,そ の時代 を共に生 きた多 くの人々に共感 され,そ の時代の延長の上 に生 きる後の人々にも共有 されうるものを表現 しえた」 ときにはじめて 「社会 的有用性」につなが り,自 己本位や道楽が意味をもちうるのである。 自己が苦闘する時代 とは,漱 石にならって小谷 も 「幹申経衰弱」の時代」 と いい,そ れとの切実なつなが りを自覚 し,そ れをふ くめた過去を知 りたいとい う欲求があるからこそ,小 谷の心性をして 「歴史へ と向かわせる大 きな衝動」 がおこるのである。「神経衰弱」 としか表現できないような抑圧性が,わ が身 にかかる時代の拘束である。過去はわたしたちにとってこのように 「しがらみ」 としてある。それとともにわたしたちの 「存在の根 ざす場」 としてもある,と いうように過去や歴史 とはそれにむきあうものに両義の意味 としてあるともい
つ o どのような意味をもつものであれ,そ の過去や歴史を喪失 した (あるいはそ の危機に瀕 した)体 験 をもつものの歴史意識を,小 谷はこころに刺さった 「ト ゲ」に喩える。この棘のような歴史意識が,「近代化」「西欧化」をうけたアジ アの近代 を生 きた人びとの多 くに共通 し,そ れゆえにときに 「神経衰弱」に陥 り, ときに1ま「「伝統主義」的狂気」にか りたてられたと診断するのである。 喪った過去の回復 として小谷が参照 した事例が,金 時鐘の思索である (『「在 日」 のはざまで』 を参照)。過去 を喪失 し, したがって自己の存在の根から切断さ れて しまった金少年が,そ れを回復するために手がか りとした,父 親がいつも 朝鮮語でうたっていたアメリカ民謡の 「クレメンタインのうた」や 「「生理の 言葉」 としての朝鮮語」をとりあげ,そ もそもそのうたが 「しょせんはアメリ カ民謡で しかないものであった り,「生理の言葉」 という,極 めてアヤフヤな もので しかなかった」 ことを,過 去の喪失の深 さとそれを回復することの困難 さの例証 としたのだった。 「結局は一― で しかない」 という総括や,不 確かなもの (であるがゆえに危 なっか しいのだが)へ の拒絶にわたしは腰いてしまう。もうひとつ,歴 史学研 究会が大会全体会でかかげた問題提起の 「国民国家の相対化」への論評1/1ヽ谷 1992]をみると,「問題意識の歴史学」を標榜 してきた歴史学研究会であるなら ば,「国民の一般的生活実感や歴史感覚に自分の方からす り寄 り,そ れと押れ あうべ きでは」ないと弾 じている。現状が 「歴研的な問題意識が今 日の日本国 民の生活実感あるいは歴史感覚からかなり乖離 してきている」 ときであればな おのこと,「我々自身の 日々の生活の中から自然に生 まれ出て くるような」問 題意識 をかかげて,か つ 「「国民国家」の枠組の中に安住する日本国民の生活 実感や歴史意識を逆なでにすることこそが歴史学の使命なのだ」 との厳 しい態 度を示 したのだった。この厳格な批判は,歴 史学研究会委員会の問題提起にの みむけられたのではなく,む しろ大会報告者の安丸良夫 (論題 「明治10年代の 民衆運動 と近代 日本」)を 対手 としていた。安丸は報告の 「課題 と方法」で, 世界 システムの もとにある国民国家には,「広汎な人びとの経験がそれぞれに
< 研究動向>〈記憶〉という歴史への問い 149 固有の仕方で凝集 され構造化 されて」 いて, わ た したちは 「人び との 「生 きら れた経験」 に即 くことで 「世界 システム」の本当の意味はなんだろうか と問い 返す ことがで きる」 と構 えた, そ れにむけ られた小谷 の批判である。 こうしてみると,生 活者の側に立つのか否かという三分 された設間はあまり 有効でないとするところから出発するならば十一提起 した当人の小谷自身も両 者のあいだでゆれているようにみえることはひとまずお く一一小谷のいう,歴 史学の自己疎外 と過去にむかうこころ,自 己本位の道楽 としての歴史学 と 「ク レメンタイン」への冷評,生 きられた経験に即すことと問題意識の歴史学,と いう諸論点の要諦を くナシヨナルなもの〉へのむきあい方 とおきかえてみよう。 前述の,「他者」 を想定 しなが らそれがあたか も国境 を一歩も越えずにナシヨ ナリテイを少 しも跨がない事態や,価 値を判断するときの準拠枠あるいは参照 系 としてある日本歴史の自明性,と いった現状をみると,わ たしは現在が くナ ショナルな欲望が横行する時代 〉ネあるといわざるをえない。そのことに居心 地の悪 さを感 じながらも, しか し くナシヨナルなもの〉の相対化ない し否認 と いったところで,そ れは生活意識や感情からはそっぽをむかれてしまうという とき,そ れにむきあう 「大上段」 (小谷)で はない構えのとり方 とはどのよう にすればよいのだろうか。わたしには安丸のいう 「生 きられた経験に即 く」 と いう構えになじみやすいのだが,そ れは小谷にいわせれば 「押れあい」 となっ てしまう。だがけして 「ないが しろ」にしてはならない領域があるはずである。 たとえば,「「わたし」ではなくさしあたつて 「われわれ」 としか語れない記憶 が存在するかもしれない」[岩崎1997]と想念することである。 V お わりに一一歴史の読み書きヘ 冒頭の神話を想い起 こせば,「記憶」 とは 「歴史」にとつてまるで く生 き別 れの母〉のように感 じる。その母 との突然の遅近をもって歴史家は少 しはうろ たえてはいるようだ。わたしは 「記憶」それ自体を論 じてみたのではなく,前 述の 「記憶」論の政治性を少 しひろげて,過 去の想起あるいは歴史意識を論 じ 9)「 ナシヨナルな欲望」 という表現は岡真理[2000]から借用 した。
ることの政治性 を対象 に行論 したつ もりである。「神経 を逆 なです る」 とい う 用例 に したが えば, わ た しは専 門家である歴史研究者の歴史意識 にかかわる神 経 にいやが らせ を してみた。歴史家 を動揺 させ るべ く, 過 去の想起あるいは歴 史意識 を論 じることの政治性 としてあげた論点は, 「他者」の不認 と横領, 〈ナ シ ョナルな もの 〉とのむ きあい方,の ふたつだつた。さいごにつ ぎへの課題 を 示すために乱暴な総括たしてみると,「他者」をどのように想い浮かべるのか, くナシヨナルなもの〉とどのようにむきあうのか,と いつた問いは過去を想起 すること,そ のためにも史料 を読むこと,そ して史誌を書 くこととわかちがた く結びついているはずである。わたしにとつてみれば,い わば 「記憶」 という 母 との遅近で気づかされた課題は,歴 史の読み方 と書 き方だった。「他者」や くナシヨナルなもの〉へのむきあい方を自分がおこなう史料の読むとき史誌を 書 くときに組み入れてゆ くこと,こ うした構えをわたしはひとまず歴史批評 と よがこととしよう。そ してこの作業は,study of historyではないつ もりであ る。わたしが書 くのは歴史批評である告それを前述の 「歴史のお勉強」 と区別 し,そ れとの距離をとるために,ヒ ス トリカル・スタデイーズと名づけよう。 到来 ものを嫌 うひとにとつてはああまたカタカナ文化か,な んだ流行 りのあの まねか, という嘆息が聞こえてきそうだが,過 去の出来事をそこにあるものと きめつけ,そ れを手にいれうるとするところから,事 実を集積 し,そ れらを連 関させて,そ して国史の一環として通史を描 く,と いった一連の作業にもとづ く歴史をわたしは書かない。こうしたひとまず否定形で始める作業をヒス トリ カル ・スタデイーズという構えと称するといつてもよい。と書いたところで, あの戦後歴史学 の主流派 であ る学会誌 の英字 タイ トルが 」0例 跡秘L OF 船 ro斑 蛙 sT班班婿 と気づいた。なんだべつにめず らしくないか。 101そ の具体例 として,横 浜 をめ ぐる歴史意識や歴史 における横浜像 を論 じた[阿部1999,2 001],1855年に起 きた地震 のその後 の秩序 について鯰絵 とい う錦絵 をテキス トとして論 じ た[阿部2000]や,1878年 に神奈川県で起 きた真土村事件 か ら50年を経 た ときに村 でその事 件がどのように想起されたのかを論じた[阿部2000-2001]を参照。歴史批評とはなにも本稿 の ような研究時評 にとどまるのではな く歴史叙述 もふ くむクリテ イカルな歴史学である。
<研 究動向>〈 記憶 〉という歴史への問い 151 文献 目銀 阿部安成 1999 「 横浜歴史という履歴の書法」阿部ほか編 F記憶のかたち一 コメモレイショ ンの文化史』柏書房 2000 「鯰絵のうえのアマテラス」『思想』912 20002001「 ピカレスクの誘惑一真土村事件の想起 と再審」上下 F自由民権』町 田市立自由民権資料館紀要,12,13 2001a「 始原の歴史学を批評する一想起 される横浜の過去について」『クァドラ ンテ』3 b「 書評 成 田龍一 『〈歴史〉はいかに語 られるか』『歴史学のスタイル』」 F週刊読書人』2393 岩崎稔 1997 「 《国民の物語》への欲望を批判する根拠 とは ?」 F世界』640 1999 「「忘却の効用」論,あ るいはニーチェについて3」F未来』395 上村忠男 2000 「 記憶 と歴史のあいだで」Fクァドランテ』2 大門正克 2001 「 差異をつなぐもの/時 間をつなく`もの一 〈経験 〉の視点から」F人民の 歴史学』147 岡真理 2000 『 記憶/物 語』岩波書店 C.グラック十安丸良夫1995「対談 戦 後五〇年 記 憶の地平」F世界』615 小関隆 1999 「 コメモレイションの文化史のために」前掲,阿 部ほか編 F記憶のかたち』 小谷江之 1987 「 歴史学の自己疎外」西川正雄ほか編 『現代歴史学入門』東京大学出版会 1991 『歴史 と人間について』東京大学出版会 1992 「全体会報告に対するコメント」『歴史学研究』698 高橋哲哉 2001 『 歴史/修 正主義』岩波書店 成田龍- 2001a Fく 歴史〉はいかに語 られるか-1930年 代 「国民の物語」批判』 日本放送 出版協会 bF歴 史学のスタイルー史学史 とその周辺』校倉書房 西川正雄 1981 「 1980年の歴史学界回顧 と展望 歴 史理論」『史学雑誌』90-5 二宮宏之 1980 「 1979年の歴史学界回顧 と展望 歴 史理論」『史学雑誌』895 2000 「 思想の言葉」F思想』911 P.ノラ 2000 「 記憶 と歴史のはざまに一記憶の場の研究に向けて」『思想』911(長 井伸 仁訳)1984 『歴史学研究』特集 「過去へ向かう心」574,1987.11 『クア ドランテ』2,2000,3,2001.東京外国語大学海外事情研究所紀要 『思想』特集 「記憶の場」911,2001.5
【付記】この時評は,歴 史学研究会総合部会例会 「テーマ 歴 史と記憶―その多様性をめぐっ て」 (2001年6月23日,明 治大学駿河台校舎)で の報告原稿をもとに作成 したが,構 成や趣旨 をかえたので,報 告 とは別個の文章 として読んでいただいたほうがよい。例会開催の趣旨は 「歴史研究や歴史叙述における 「記憶」 とは何か,表 象行為としての 「記憶」は歴史学にとっ てどういう意味をもつのか,あ るいは 「歴史」 と 「物語」 と 「記憶」 とはどういう関係性に あるのか,過 去を再構成する 「記憶」にはどれほどの信憑性があるのか」 という諸点にあっ た。当 日のプログラムは,岩 崎稔 「歴史叙述のなかの記憶論」 (哲学 。政治思想),岡 真理 「〈出来事 〉の記憶 と分有の可能性 をめ ぐって」 (現代アラブ文学),阿 部 「〈記憶 〉という歴 史への問い一歴史家の職分 と職能 とは ?」 (歴史学,各 専攻の紹介は開催者が提示)の 3報告。 この研究会の模様は,小 関隆 「総合部会六月例会参加記」『歴史学研究月報』(No501,2001. 9),を 参照 。討論 をその一加だけあげると,フ ロアから 「民衆の記憶はなぜ書かれな くて はならないのか」 という質問があ り,そ れにまず岩崎 さんが①当事者たちが死んでゆ く,② 問題 として出てきて しまった,③ いままで問えなかったことに恥 じ入る, と適切に答え,わ た しはこの岩崎明答のとくに②の受動型の設問なのだという指摘をうけて,「気になっちゃっ た」 と応 じたように覚えている。歴史学は当然のことこれまでも過去の出来事をめ ぐる思索 や考察をつづけてきたわけだが,確 かにいま 「記憶」 という問いは歴史学の外からやってき たという一面がある。そのうえでわた し (たち)は なにも 「民衆」の 「記憶」 をひたすら特 化 し,そ れを聖域化 しようとするわけではない。わたし (たち)が 問う 「記憶」はそれがた だ 「民衆の」だか らなのではな く,「記憶」 をめ ぐる抑圧や暴力,抱 擁 と掩蔽,主 体化 と回 収 を論 じようとするときにそれを書 くのである。ただ 「民衆の記憶 を書 く」 という素朴なと ころに立ってはいないつ もりである。 なお場外編 として,あ る近世史研究者から近世史は読むべ き史料が膨大にあ り,「記憶」 など議論 している余裕はないといった発言があった。そうした態度があってもいっこうにか まわない し,わ たしにしても 「気づいて しまった」から 「記憶」 をめ ぐる論議に取 り組むと いう構えにす ぎない。ただ歴史意識や歴史観を自己省察することとべつの次元で史料解読や 史料批判 といった史料への沈潜に没頭できることは幸いだと思 うし,そ うした作業のすえに 論文 を書 く歴史家はなるほど史料編纂所や博物館の官吏にふさわしい。 本稿執筆のさなかに,早 川紀代 「記憶 と歴史学一総合部会例会に参加 して」F歴史学研究 月報』 (No502,2001.10)を読んだ。概括すると批判の趣旨は i叙述論 を深めていない, 11 人間尊重の歴史を否定する史観に対時するには 「多様 な歴史像の存在 と時代批評 を指摘する だけでは力にならない」の2点。充分ではないという叙述論 (歴史の書 き方)に ついては私 稿 を参照 していただ くほかないが,い ずれべつの機会に時評 しようと思 う。