滋賀大学附属図書館教育学部分館では、明治初期から昭和戦前期までに至る約8500冊の旧教 科書を所蔵している。旧教科書に登場する近江の人物に関して、修身(1145冊)、国語(866冊)、 歴史(613冊)、唱歌(429冊)の4教科(3053冊)について調査した。その結果は、表1のと おりである。このような調査としては、「国定教科書(修身・国語)に登場頻数の多い人物」
旧教科書に登場する近江の人物
表1 旧教科書に登場する近江の人物表 (出身地の市町村名は平成合併以前) 順位 人 物 名 出 身 地 生 没 年 階 層 修 身 国 語 歴 史 唱 歌 登場回数 1 中 江 藤 樹 安曇川町 1608-1648 教 育 者 51 11 25 1 88 2 井 伊 直 弼 彦 根 市 1815-1860 彦根藩主 2 0 32 1 35 3 石 田 三 成 長 浜 市 1560-1600 戦国武将 0 0 29 0 29 4 山内一豊の妻 近 江 町 1557-1617 武将夫人 16 12 0 0 28 5 最 澄 大 津 市 767-822 僧 侶 0 0 24 0 24 6 蒲 生 氏 郷 日 野 町 1556-1595 戦国武将 18 1 1 0 20 7 高田善右衛門 五個荘町 1793-1868 商 人 11 0 0 0 11 8 井 伊 直 孝 彦 根 市 1589-1659 彦根藩主 7 3 0 0 10 9 雨 森 芳 洲 高 月 町 1668-1755 教 育 者 7 0 2 0 9 10 日 下 部 鳴 鶴 彦 根 市 1838-1922 書 家 0 8 0 0 8 11 浅 井 長 政 湖 北 町 1545-1573 戦国武将 0 1 6 0 7 12 井 伊 直 政 彦 根 市 1561-1602 彦根藩主 0 1 4 0 5 12 高 島 玄 俊 朽 木 村 1818-1879 医 師 5 0 0 0 5 12 藤 堂 高 虎 甲 良 町 1556-1630 戦国武将 3 1 1 0 5 15 松 居 遊 軒 五個荘町 1770-1855 商 人 2 2 0 0 4 15 北 村 季 吟 野 洲 町 1624-1705 国文学者 0 0 4 0 4 17 杉 浦 重 剛 大 津 市 1855-1924 教 育 者 2 0 0 0 2 17 浅 見 絅 齊 新 旭 町 1652-1711 教 育 者 2 0 0 0 2 総 登 場 回 数 126 40 128 2 296(唐澤富太郎『教科書の歴史』創文社 1956年)があるが、国定以前の教科書類を含めて、近 江の人物についてスポットをあてた調査は、今回が初めてであろう。 1872(明治5)年の「学制」公布から1945(昭和20)年の太平洋戦争後に至るまでの戦前教 科書の変遷は、唐澤によれば次のように8期に区分することができる。 ① 翻訳教科書(1872年∼79年)………開化啓蒙的性格の教科書 ② 儒教主義復活の教科書(1880年∼85年)………儒教倫理復活の反動的教科書 ③ 検定数科書(1886年∼1903年)………ナショナリズム育成の教科書 ④ 国定1期教科書(1904年∼09年)………資本主義興盛期の比較的近代的教科書 ⑤ 国定2期教科書(1910年∼17年)………家族国家観に基づく帝国主義段階の 教科書 ⑥ 国定3期教科書(1918年∼32年)………大正デモクラシー期の教科書 ⑦ 国定4期教科書(1933年∼45年)………ファシズム強化の教科書 ⑧ 国定5期教科書(1941年∼45年)………決戦体制下の軍事的教科書 国定になる以前の教科書制度は、自由編纂制、届出制、認可制、ついで検定制と変遷した。 検定制下では、種類数は国定教科書とは違ってかなり多く、当館所蔵の教科書も圧倒的に国定 以前の割合が高くなっている。 次に、「旧教科書に登場する近江の人物の回数表」を分析してみたい。ここでいう近江の人 物とは、近江を出身地とする人物のことである。それゆえ、豊臣秀吉・明智光秀・熊沢蕃山な ど、近江にゆかりのある人物を省いている。表1では、近江の人物が18人登場し、全体で296 回となっている。内訳は、修身126回、国語40 回、歴史128回,唱歌2回である。調査した教 科書の約1割に近江の人物が登場していること になる。 さらに、個々の人物についても分析してみる と、近江聖人中江藤樹は88回の登場で最も多く、 全体の3割近くを占めている。修身教科書に限れ ば、51回で約4割に登場している。これは、修身 教科書の編集方針が、国民にとって理想的な人 物を登場させることに重点が置かれていたから である。特記したいのは、滋賀県教育会編纂の 『滋賀県小学唱歌』(表2)の教科書にも登場し ていることである。 表2 近江聖人の歌 (滋賀県教育会編『滋賀県小学唱歌』1922年) 近 江 聖 人 大和田建樹 歌 須川政太郎 曲 一 官を辞して 家にかへり 母に仕へて 尽したる その孝行の ふるまひは 高し 近江の富士よりも 二 徳を修め 人を教え 郷里こぞりて 風俗を あつからしめし 真心は 清し 琵琶湖の水よりも
登場順位の第2・3位は、井 い 伊 い 直 なお 弼 すけ (35回)・石田三成(29回)である。両人とも歴史上の 有名な人物であり,「桜田門外の変」「関が原の戦い」などに登場している。第4位は山内一豊 の妻(28回)で、修身・国語の教科書に登場しているが、国語教科書では第1位である(表3)。 一豊の妻は、国定4期の『小学国語読本』巻9 1937(昭和12)年に「馬ぞろへ」という題目 で掲載されている。 「一豊は,馬市で名馬を見つけたが、高価で購入できなかった。それを知った妻・千代が、 へそくりをさしだして名馬を買い、一豊の武士としての面目をよくした。かくして、千代の内 助の功で、一豊は出世し城主になった」という話でよく知られている。 ほかに注目すべき人物として、日下部鳴鶴をあげたい。彼は、明治・大正時代の代表的な書 家であり、文部省検定『小学習字帖』1885(明治18)年の筆者である。 表3に唐澤の研究による国定国語教科 書に登場頻数を掲げた。(国定修身教科 書の登場人物については、第1部20頁の 表1を参照) (唐澤富太郎『教科書の歴史』創文社 1956年)672∼673頁 表3 国定国語教科書に登場頻数の多い人物 順位 課数 回数 人 物 名 1 15 5 源 義 経 2 10 5 明 治 天 皇 2 10 5 大 国 主 命 4 7 5 水 兵 の 母 4 7 4 豊 臣 秀 吉 6 6 5 浦 島 太 郎 6 6 4 乃 木 希 典 6 6 4 楠 木 正 行 6 6 4 花 咲 爺 10 5 5 神 武 天 皇 10 5 5 日 本 武 尊 10 5 4 天 照 大 神 10 5 4 孔 子 10 5 4 那 須 与 一 10 5 3 東 郷 元 帥 16 4 4 素 箋 鳴 尊 16 4 4 紫 式 部 16 4 4 源 義 家 16 4 4 広 瀬 中 佐 16 4 4 桃 太 郎 16 4 3 松 下 禅 尼 16 4 3 楠 木 正 成 16 4 3 村 上 義 光 16 4 3 山 内 一 豊 の 妻 16 4 3 本 居 宣 長 16 4 3 ス テ ィ ー ブ ン ソ ン
中 なか 江 え 藤 とう 樹 じゅ いまだ何も話さなくても、座に集まったものが自ずから心ほのぼのと温められ、安らかな喜 き 悦 えつ に満 たされたと、伝えられる中江与右衛門。屋敷のそばに藤の大樹があり、その下で学問を教えたた め、門弟から藤樹先生と仰がれた。藤樹は、はじめ朱子学に傾倒していたが、道徳の形式にとらわ れることなく、陽明学と出会って心の本来の在り方を究めた。人の道は孝が根本。知行合一を尊び、 「致良知」を主張した。良知すなわち良心を大切にし、門人には正直を説いた。 帰郷して間もない頃、生活の助けに 営んだ酒屋では、酒を買うものは勝手 に量 はか って自由に金を置いていうように したが、誰もごまかすものはいなかっ たという。また、村では盗人のために 家に鍵をかけることもなく、金品を落 としても必ず本人に戻ったと伝えられ ている。日本陽明学の祖。近江聖人と あがめられている。藤樹は在野にあり、 村落教師を貫いた。近郷のものを集め た私塾は藤樹書院として残っている。以 下の目録中の( )は、頁を示す。 (修身) 1 日本立志編 千河岸貫一 巻二(6) 1880(明治13)年 2 小学中等修身幼訓 木澤成粛編 巻一(11) 1883(明治16)年 3 小学中等修身幼訓 木澤成粛編 巻二(2) 1883(明治16)年 4 新撰小学修身口授書 木戸麟編 巻六(16) 1883(明治16)年 5 国民修身書 尋常小学生徒用 安積五郎・田中登作 巻四(20) 1891(明治24)年 6 尋常小学実践修身書 生徒用 高田芳太郎編 巻二(18) 1892(明治25)年 7 普通小学修身談 丹所啓行・前川一郎編 巻五之上下(4)1892(明治25)年 8 明治修身書 高等小学校生徒用 峰是三郎編 巻二(4) 1892(明治25)年 9 明治修身書 高等小学校生徒用 峰是三郎編 巻三(30) 1892(明治25)年 10 明治修身書 高等小学校生徒用 峰是三郎編 巻四(29,33) 1892(明治25)年 11 高等小学修身亀鑑 育英舎編 巻三(5) 1892(明治25)年 12 聖旨道徳高等小学修身書 生徒用 教育学館編 巻二(16) 1892(明治25)年 13 尋常修身教訓 樹徳館編 巻四(23) 1893(明治26)年 14 小学修身亀鑑 生徒用 育英舎編 巻四(8) 1893(明治26)年 図1 山縣悌三郎編『高等読本』巻之一 1893(明治26)年
15 尋常小学修身訓 生徒用 関藤成緒撰 三年上(4) 1893(明治26)年 16 皇民修身鑑 尋常科生徒用 学海指針社 巻四(10) 1893(明治26)年 17 皇民修身鑑 尋常科生徒用 学海指針社 巻五(4) 1893(明治26)年 18 帝国修身教訓初歩 大貫政教編 巻上(7) 1893(明治26)年 19 帝国修身教訓書 大貫政教編 巻二(22) 1893(明治26)年 20 聖旨道徳尋常小学修身書 乙号生徒用 教育学館編 巻三(29) 1893(明治26)年 21 聖旨道徳尋常小学修身用画集 全 数育学館編 全(13) 1893(明治26)年 22 実験日本修身書 尋常小学生徒用 渡辺政吉編 巻四(12) 1893(明治26)年 23 実験日本修身書 高等小学生徒用 渡辺政吉編 巻三(2) 1893(明治26)年 24 訂正小学修身訓 尋常科生徒用 内藤恥叟 巻三(13) 1893(明治26)年 25 日本修身訓 高等科第三年 日下部三之介編 巻三(51) 1893(明治26)年 26 高等小学実践修身書 生徒用 高田芳太郎編 巻八(28) 1893(明治26)年 27 高等小学修身教科書 岡村増太郎 巻四(52) 1893(明治26)年 28 小学修身経 高等科生徒用 天野爲之編 巻四(19) 1893(明治26)年 29 高等小学修身要訓 生徒用 梶山弛一編 巻四(17) 1893(明治26)年 30 帝国修身軌範 荻原朝之介 第四(54) 1893(明治26)年 31 小学修身書 尋常科生徒用 成美堂編 竹印一(13) 1894(明治27)年 32 高等小学修身書 東久世通禧 巻四(29) 1894(明治27)年 33 小学修身訓 学海指針社編 巻二(7) 1900(明治33)年 34 小学修身訓 学海指針社編 巻四(28) 1900(明治33)年 35 尋常小学修身訓 児童用 金港堂書籍編 巻三(1) 1900(明治33)年 36 尋常小学単級修身訓 児童用 乙篇 金港堂書籍編 巻二(2) 1900(明治33)年 37 尋常小学単級修身訓 児童用 乙篇 金港堂書籍編 巻三(2) 1900(明治33)年 38 小学修身訓 高等科 学海指針社編 巻一(1) 1900(明治33)年 39 新編修身教典 高等小学校用 普及舎編輯所編 巻二(41) 1901(明治34)年 40 小学女子修身訓 高等科 学海指針社編 巻一(15) 1901(明治34)年 41 高等小学修身書 第二学年 児童用 文部省 第二(2) 1904(明治37)年 42 尋常小学修身書 児童用 文部省 巻五(36) 1911(明治44)年 43 尋常小学修身書 児童用 文部省 巻五(37) 1913(大正2)年 44 高等小学修身書 児童用 文部省 巻二(46) 1913(大正2)年 45 普通学校修身書 生徒用 朝鮮総督府編 巻三(25) 1914(大正3)年 46 高等小学修身書 女生用 文部省 巻二(48) 1917(大正6)年 47 尋常小学修身書 児童用 文部省 巻六(15) 1922(大正11)年
48 改訂中学修身書 澤柳政太郎 巻一(56) 1924(大正13)年 49 尋常小学修身書 児童用 文部省 巻六(15) 1927(昭和2)年 50 尋常小学修身書 児童用 文部省 巻五(126) 1939(昭和14)年 51 初等科修身 文部省 三(8) 1943(昭和18)年 (国語読本) 52 小学高等科読本 寺田鍛編 巻四(30) 1886(明治19)年 53 小学高等読本 岡村増太郎編 巻四上(18) 1887(明治20)年 54 小学読本 阿部弘蔵編 巻三(4) 1887(明治20)年 55 小学読本 阿部弘蔵編 巻四(46) 1887(明治20)年 56 高等読本 山縣悌三郎編 巻一(6) 1893(明治26)年 57 小学国語読本 学海指針社編 巻三(14) 1900(明治33)年 58 高等小学国語教本 育英舎編 巻二(31) 1900(明治33)年 59 高等国語読本 金港堂書籍編 巻四(31) 1900(明治33)年 60 高等国語読本 女子用 金港堂書籍編 上篇巻四(29) 1900(明治33)年 61 高等小学読本 文部省 巻四(62) 1930(昭和5)年 62 高等小学読本 女子用 文部省 巻四(57) 1930(昭和5)年 (歴史) 63 小学日本史 新保磐次 第五(24) 1889(明治22)年 64 高等小学歴史 文部省総務局図書課編 参(54) 1891(明治24)年 65 帝国小史 甲号 山縣悌三郎 巻二(30) 1892(明治25)年 66 新定日本歴史 高等前二年用 大村芳樹編 巻二(40) 1892(明治25)年 67 高等小学古今事歴大要 田中登作編 巻二(52) 1892(明治25)年 68 小学日本歴史 育英舎編 巻下(42) 1892(明治25)年 69 高等小学日本歴史 森孫一郎 巻四(40) 1893(明治26)年 70 小学校用近江史談 完 一井壽雄 (20) 1893(明治26)年 71 後科小学帝国史 笹本恕編 下巻(53) 1893(明治26)年 72 日本歴史 初歩 天野爲之編 下巻(31) 1894(明治27)年 73 新撰帝国小史 第一・二学年用 山縣悌三郎 巻二(22) 1897(明治30)年 74 新撰帝国小史 第三・四学年用 山縣悌三郎 巻二(50) 1897(明治30)年 75 新撰帝国小史 第三・四学年用 山縣悌三郎 巻二(50) 1897(明治30)年 76 新撰帝国小史 第三・四学年用 山縣悌三郎 巻二(50) 1897(明治30)年 77 新撰帝国史談 後編 学海指針社編 巻三(65) 1899(明治32)年 78 日本歴史 甲号 前橋孝義 下巻(28) 1900(明治33)年
79 日本歴史 甲号 前橋孝義 下巻(28) 1900(明治33)年 80 近江史談 全 児童用 宗宮信行 (9) 1900(明治33)年 81 日本歴史 乙号 前橋孝義 下巻(60) 1900(明治33)年 82 小学国史 普及舎編 巻三(17) 1900(明治33)年 83 小学新歴史 二年課程学校用 文学社編 巻二(29) 1901(明治34)年 84 小学日本歴史 文部省 四(56) 1904(明治37)年 85 尋常小学日本歴史 文部省 巻二(40) 1911(明治44)年 86 高等小学日本歴史 文部省 巻二(62) 1911(明治44)年 87 高等小学国史 文部省 下巻(42) 1927(昭和2)年 (唱歌) 88 滋賀県小学唱歌 尋常科 滋賀県教育会編 第六学年(61) 1922(大正11)年 山 やま 内 うち 一 かず 豊 とよ の 妻 戦国武士、山内一豊が尾張の黒田城主である父を落城とともに亡くし、母と隠れ住んだのが 近江町の宇賀野。そしてその隣村、飯(生まれはいくつかの説がある。)で千 ち 代 よ 女は生まれた。 幼くして両親と別れたが、一豊の母のもとへ裁縫を習いにきたことが縁となり、唐国城主にな っていた一豊と結ばれた。 千代女にまつわる幾つかのエピソードは人々に語り継がれて、賢夫人の鑑とまで称されてい る。1581(天正9)年、一豊が仕えていた織田信長の馬揃え(閲兵式)の折に、鏡箱から蓄え の小判十両を出して東国一の名馬を求め、それにより武士としての一豊の名前が高まった話は 有名である。その後、千代女の内助の功もあって一豊は出世を重ね、土佐の領主にまでのしあ がった。 当初は経済的にも苦しく、まな板さえ買えず、千代女が枡を裏返して使ったというその切り 跡の付いた枡 ます が、今も宇賀野に保存されている。1586(天正13)年の長浜の大地震の際、幼い 愛娘を亡くすという憂き目にもあっているが、生涯を武将の妻として力強く、また優しく生き 抜いた女性である。夫の死後は仏門に入り、見性院と号し、静かに余生を送った。 (修身) 1 幼学綱要 宮内庁編 川重麗編 巻二(3) 1883(明治16)年 2 高等小学修身亀鑑 育英舎編 巻一(11) 1892(明治25)年 3 日本女鑑 風当朔郎編 巻二(33) 1892(明治25)年 4 小学修身訓 生徒用 末松謙澄編 巻下(42) 1892(明治25)年 5 尋常小学修身書 東久世通嬉 巻四(22) 1893(明治26)年 6 皇民修身鑑 尋常科生徒用 学海指針社編 巻七(4) 1893(明治26)年
7 訂正小学修身訓 尋常科生徒用 内藤恥 ち 叟 そう 巻四(6) 1893(明治26)年 8 実験日本修身書 高等小学校生徒用 渡辺政吉 巻八(9) 1893(明治26)年 9 高等小学実践修身書 生徒用 高田芳太郎 巻四(18) 1893(明治26)年 10 高等修身教訓 樹徳館編 巻三(47) 1893(明治26)年 11 小学修身経 高等科生徒用 天野為之編 巻一(18) 1893(明治26)年 12 小学修身書 尋常科生徒用 成美堂編 巻四(3) 1894(明治27)年 13 女徳宝鑑 生徒用 安積五郎・田中登作 巻四(86) 1894(明治27)年 14 小学修身訓 学海指針社編 巻四(26) 1900(明治33)年 15 小学修身訓 高等科 学海指針社編 巻一(26) 1900(明治33)年 16 小学女子修身訓 高等科 学海指針社 巻二(15) 1901(明治34)年 (国語読本) 17 小学女子読本 稲垣千穎編 巻三(21) 1885(明治18)年 18 小学読本 阿 あ 部 べ 弘 こう 藏 ぞう 纂述 巻六(30) 1887(明治20)年 19 新撰高等日本読本 中編 金港堂編輯所編 巻一(59) 1891(明治24)年 20 高等読本 山縣悌三郎編 巻八(61) 1893(明治26)年 21 尋常小学国語教本 育英舎編 巻七(13) 1900(明治33)年 22 小学国語読本 高等科 学海指針社編 巻三(44) 1900(明治33)年 23 小学新読本 高等科用 文学社編輯所編 巻七(44) 1900(明治33)年 24 高等国語読本 女子用 上編 金港堂書籍編 巻四(38) 1900(明治33)年 25 尋常小学読本 文部省 巻七(39) 1909(明治42)年 26 尋常小学読本 文部省 巻十二(32) 1915(大正4)年 図2 学海指針社編『小学修身訓』巻四 1900(明治33)年
27 小学国語読本 文部省 巻九(39) 1937(昭和12)年 28 初等科国語 文部省 五(65) 1943(昭和18)年 蒲 がも 生 う 氏 うじ 郷 さと 日野町西大路の古城の地に日野城がある。日野城は、中世に中野という呼ぶ原に築かれたこ とから中野城といわれている。蒲生氏郷は、弘治2(1556)年にこの中野城で生まれた。父は 蒲生賢 かた 秀 ひで 、母は六角義 よし 賢 かた の重臣、播磨守の娘で、氏郷は跡を継ぐただ一人の男の子であった。 時は戦国時代の世、父賢秀は六角義賢に呼応して一度は信長に抵抗したが、信長に13歳の氏 郷を人質に出すことにより臣従を誓った。信長は氏郷の非凡な器を見抜き、自分の娘、冬姫と 結婚させるまでに信望を厚くしていた。これにより氏郷は人質の身を解かれ、日野に帰った。 本能寺の変で信長が倒れた後は、秀吉の幕下に入り、数々の成功をおさめている。1590(天 正18)年に、会津黒川42万石の領主となったが、日野城近くにある綿向大明神を祀る神社の参 道の森を「若松の森」と呼んだことに由来して以来、会津黒川を会津若松と呼ぶようになった という。 武勇を第一としながらも知謀に優れ、文武両道を兼ね備えた人物で、利休七哲に名を連ねる 茶人でもあり、受洗名レアンというキリシタンの顔も併せもっている。 1593(文禄2)年、朝鮮の役に従軍を命じられ、会津を発って名 な 護 ご 屋 や (現佐賀県)に向かう 途中、幼い頃武佐の宿から眺めた綿向山をイメージして、「思ひきや人のゆくへぞ定めなき わがふるさとをよそに見んとは」という望郷の歌を残している。 (修身) 1 日本品行論 後篇 荒野文雄 巻二(9) 1879(明治12)年 2 明治修身書 尋常小学校生徒用 峰是三郎編 巻四(17) 1892(明治25)年 3 小学修身訓 生徒用 末松謙澄編 巻上(8) 1892(明治25)年 4 尋常小学実践修身書 高田芳太郎 巻三(20) 1892(明治25)年 5 明治修身書 高等小学校生徒用 峰是三郎編 巻一(17) 1892(明治25)年 6 日本修身訓 尋常第三年 日下部三之介編 巻三(41) 1893(明治26)年 7 尋常小学修身訓 生徒用 関藤成緒撰 二年下(9) 1893(明治26)年 8 小学修身訓 生徒用 末松謙澄 上(7) 1893(明治26)年 9 皇民修身鑑 尋常科生徒用 学海指針社 巻二(5) 1893(明治26)年 10 帝国修身教訓書 大貫政教編 巻一(6) 1893(明治26)年 11 聖旨道徳尋常小学修身書 生徒用 教育学館編 巻一(34) 1893(明治26)年 12 聖旨道徳尋常小学修身書 乙号生徒用 教育学館編 巻一・二(7) 1893(明治26)年 13 訂正小学修身訓 尋常科生徒用 内藤恥叟 巻一(9) 1893(明治26)年
14 小学修身経 尋常科生徒用 天野為之編 巻一(9) 1893(明治26)年 15 帝国修身教訓初歩 大貫政教編 巻一(9) 1893(明治26)年 16 聖旨道徳尋常小学修身用画集 全 教育学館編 巻一(5) 1893(明治26)年 17 高等小学修身教科書 岡村増太郎 巻二(5) 1893(明治26)年 18 新編修身教典 尋常小学校用 普及舎編輯所編 巻二(5) 1900(明治33)年 (国語読本) 19 小学尋常科読本 曽我部信雄編 巻五(37) 1887(明治20)年 (歴史) 20 小学校用近江史談 全 一井寿衛雄 (14) 1893(明治26)年 雨 あめの 森 もり 芳 ほう 洲 しゅう 江戸時代の儒学者、雨森芳洲は、江戸中期に高月町雨森に生まれた。幼少から医者であった 父について学問を学び、17歳のとき江戸にでて、木下順庵の門に入る。彼はそこで儒学を学び、 新井白石らとともに5先生といわれるまでになった。 当時、秀吉の時代に悪化した朝鮮関係を正常化することは、徳川幕府にとって大きな課題で あった。そこで語学に秀でた芳洲は、順庵に推され、朝鮮との外交・貿易の窓口であった対馬 藩に仕えることになる。 朝鮮との正式な外交行事であった通信使の応接には、芳洲がその任にあたった。通信使には 朝鮮の学者や医者、画家・詩人達がたくさん同行していたので、江戸時代の鎖国のなかで、朝 図3 安積五郎『国民修身書』尋常小学生徒用 巻三 1894(明治24)年
鮮通信使は海外の文化を取り入れる貴重な機会だったのである。 芳洲は、侵略や支配という関係ではなく、相互理解による善隣友交を願って、日韓友好に尽 くした真の国際人であったといえる。芳洲が対馬で亡くなった後、彼が残した著書や蔵書は、 郷里の雨森に移された。現在、雨森旧宅跡の芳洲書院には、対馬と朝鮮との関係を物語る史料 や芳洲自筆の稿本などが納められている。 (修身) 1 日本立志編 千河岸貫一 巻二(26) 1880(明治13)年 2 小学中等修身幼訓 木澤成粛編 巻六(18) 1883(明治16)年 3 国民修身書 尋常小学生徒用 安積五郎 巻三(38) 1891(明治24)年 4 尋常小学実践修身書 生徒用 高田芳太郎 巻四(13) 1892(明治25)年 5 高等科皇民修身鑑 生徒用 学海指針社編 巻一(5) 1892(明治25)年 6 聖旨道徳尋常小学修身書 生徒用 教育学館編 巻四(63) 1893(明治26)年 7 聖旨道徳尋常小学修身書 乙号生徒用 教育学館編 巻四(38) 1893(明治26)年 (歴史) 8 高等小学新歴史 岡村増太郎 下巻二(74) 1893(明治26)年 9 日本小歴史 天野爲之編 下巻(52) 1894(明治27)年 (池田 進) 図4 高田芳太郎『尋常小学実践修身書』生徒用 巻四 1895(明治25)年