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未遂の教唆 利用統計を見る

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(1)

未遂の教唆

著者

田中 政義

著者別名

M. Tanaka

雑誌名

東洋法学

11

2・3

ページ

1-29

発行年

1967-10

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00006149/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

︽論説V

未遂の教唆

田中政義

葭  次

ま えがき

一 ドイツにおける理論 二 わが国における学説・判例 三私  見

未遂の教唆

(3)

東洋法学

ま え が き

 わが国において、未遂の教唆︵曽珠にξ轟浮導く窪雲魯︶の理論が、特に、クローズ・アッ.7されたのは、神戸と       ︵王︶ 横浜に昭和二四年から同二六年に亘り、相次いで、囮捜査にょって、犯人を検挙した事件が起り、固捜査は、果して       ︵2︶ 適法な捜査方法であるか否かが、各方面において論述され、これに関連して、未遂の教唆の問題が注目されるに至っ たからであろう。  未遂の教唆の理論は、各国において論述されているが、ドイツにおける理論闘争が最も活発で、極めて参考になる ので、本稿においては、ドイツの理論を検討しつつ、わが国の学説・判例を掲げ、最後に、私見を述べることにす る。 ︵圭︶ 神戸地方裁判所・麻薬取締法違反窃盗被告事件・昭和二五年三肩九β判沃言渡。岡裁判所・麻薬取締法違反被告事件  ・昭和二五年一〇月一九臼判決言渡。   横浜地方裁判所・麻薬取締法違反被告事件・昭和二六年六月一九β判決言渡。同裁判所・麻薬取締法違反被告事件。昭  和二六年七月一七日判決言渡。同裁判所・麻薬取締法違反被告事件.昭和二六年一〇月一一日判決言渡。 ︵2︶小野清一郎﹁オトリ捜査とワナの理論および誘発者の理論﹂警察研究二五巻コ号。団藤重光﹁わな︵エントラップ  メント︶の理論﹂刑法雑誌二巻三号。木村亀二﹁オトリ捜査と犯罪の成立﹂刑法雑筆。牧野英一﹁刑事手続における信義  則﹂季刊刑政新二巻一号。田中政義﹁罠理論の展望﹂法曹時報五巻三号.四号。同﹁顧捜査に関する最高裁判所の見解﹂

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ジュリスト三七号。同﹁囮痩査に関する諸問題﹂法学新報五九巻三号。同﹁囮捜査に関炉る若干の考察﹂判侃タイムズ一 四号。同﹁囮捜査﹂刑事訴訟法基本問題46講︵一粒社︶。

ドイツにおける理論

 一 ドイツにおける未遂の教唆の理論は、挑発者︵謎巽、含嘆黛8簿。霧︶は、被挑発者側の犯罪の未遂を欲するに過 ぎないものであるから、果して、教唆者といえるかどうかということを解明することが、この問題を解決する鍵とさ れている。        ︵1︶       ︵2︶  e 先ず、ボルヘルト︵野岩ぎ慧︶や、レーベンハイム︵じ8ぎ畠魯εは、教唆者の犯意としては、犯罪的意思を 生ぜしめる意欲があれば、それで、充分であるとし、従って、無制限に、未遂の教唆は存するものとしている。       ︵3︶       ︵4︶      ︵5︶  ロ オルスハオゼン︵○芭影霧窪︶や、フランク︵淳置εや、オッペンホッフ・デェリウス︵○噂℃窪ぎ隔やU&霧︶ は、教唆者とは、故意に、他人をして、その直後になされた可罰行為の決意を生ぜしめた者をいうものとしている。 従って、未遂の教唆も存在し得るし、また、教唆者の犯意は、教唆者が、犯罪の不完成を知りつつ、教唆したからと いって、阻却されることはない、と解している。  ㊧ また、ハイルボルン︵餌。蓉・醜嵩︶の見解は、教唆者の本来の行為は、正犯者の心の中に、犯罪的決意を生ぜし めることにある。教唆者が、この決意を、一旦惹起せしむれば、教唆者の行為は、終ったのである。人問は、自分の

   未遂の教唆      三

(5)

   東洋法学      四

行為によって、罰せられる以上は、教唆者は、被教唆者をして、決意を生ぜしめたことによって、罰せられなければ ならない。従って、教唆者の故意は、最少限度、自分の行為によって、被教唆者に、一定の犯罪実行の決意を生ぜし める意思である。そして、この故意に結果︵被教唆者の可罰行為︶が加わって、始めて、刑法上の問題を生ずるという 意味において、一種の結果犯である。従って、教唆者は、被教唆者をして、犯罪実行の決意を生ぜしめるのみなら ず、その行為の実行をも意欲することを要する。しかし、結果の発生までも意欲する必要はない。ただ、その行為の 開始のみが、教唆に必要的な構成要件である。しかも、それは、行為の開始が、教唆の本質を決定する故ではなく、 教唆が、一つの結果だからである。結果は、正犯者が、行為することを意味するのであり、正犯者が、その行為を完 成することを意味するものではない。従って、教唆者は、正犯者の行為を欲すればよいのであって、正犯者の行為の       へ6︶ 完成を欲する必要はない、と述べている。このハイルボルンの見解を要約すれば、未遂の教唆は存在するということ になる。       ︵7︶  ㊨ ビンデイング︵罷ぎ象詣︶も、ハイルボルンの説に従っているようである。       ︵8︶        ︵9︶  ㈲ これ等の諸説に反して、未遂の教唆を否定したものとしては、グラーザー︵9器段︶、ガイヤー︵○薯貧︶、カッツ        ︵壬o︶       ︵n︶ エンシュタイン︵瀬暮N魯馨。ε、ドップェル︵U・風箆︶、などがあり、これ等の説を引用しつっ、未遂の教唆を否定す       ︵⑫︶      ︵B︶      ︵14︶         ︵焉︶ る者としては、シュバルツェ︵o o9毒錠鴇︶、リュドルフ︵家3ほ一︶、ビイルクマイヤー︵望碁密薯霞︶、マイヤー︵竃薯巽︶、         ︵お4       ︵貿︶       ︵娼︶ V・リスト︵ダご、暮︶、ワッヘンフェールド︵≦勲9。一、脇つ一.一︶、フインガ⋮︵翌昌⑳。.︶及びドイッ大審院判例︵一八八七年 二凋一七日︶などがある。

(6)

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(7)

東洋法学

︵算︶ ≦poプ①無包幽o o¢鉱30一︸ゴぎ韻○零No鯵“o箆︷ー一8乞o♪  苗○か.弓。箋鼻・ ︵熔︶ 鷺⇔σqo♪ゼ①腎ご庫oげ創$留暮零げ窪o o貫鋒器oげ歴9回● 目昌3匡○富︵雛①◎角幻ooげ鍍づ、一器窪。 。急多津” 罷臭GO♪ヤ鴇一F乞o︷δ鼻遣.  六 α●︾蕉寅αq①  否定説の理由は、教唆者は、類型犯罪︵¢暮9お薯。吾器9窪︶を完成する結果を欲しなければならない。若し、完 成する結果を要件として必要としなければ、外部的作用と無関係な、ただ、被教唆者の精神生活に対して、働きかけ ることによって行われる教唆という全く独自な犯罪に到達することになり、他方、法は、すべて、教唆者の刑事責任        ︵軸︶ を、被教唆者の責任と同罪として規定しているではないか、というところにその根拠を求めている。  ニ ドイツにおいては、お①纂領・ぎ3$弩は、犯罪︵O象算︶の完成を伴わない犯罪︵<鼠︶窓畠窪︶の完成を欲 するものとされている。この点に関する考察は、類型犯罪︵の纂ぎ薦む 。&ヨ5を完成する結果への意欲は、教唆者の 犯意に必要であるかどうか、という問題に置きかえられる。  e 先ず、未遂の教唆を肯定する者は、教唆者が、類型犯罪︵9#毎商︵一&葬︶の完成を欲することを必要とせ ず、況んや、類型犯罪︵雰茸§αQむワ!、・&器畠窪︶の完成を欲することを必要としない、としている。  口 他方、未遂の教唆を否定する者は、二派に分れている。すなわち、その一は、グラ⋮ザー及びガイヤーの唱う るところであって、類型犯罪︵○箕葺一噸︵芭陣葬︶を完成する結果への意欲が教唆者の犯意に必要である、としてい る。その理由とするところは、誘惑者が、単に、犯罪の形式的な麗遂や未遂を望む場合、誘惑者の意思は、犯罪によ って生ずる害悪をもたらすことに向けられたものではない。そもそも、犯意とは、刑罰法規の侵害の惹起に向けられ

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た意欲の志向と解さるべきである。そして、この侵害は、犯罪によって行われ、また、そのために可罰的害悪行為と なるのである。この意図は、単に、犯罪の形式的な完成のみを意欲し、その実質的な完成をも欲しない場合には、欠 如されたこととなる。従って、お。暮嘆3、・。9。鶏の意思が、既遂に必要な行為の全部の実現に向けられる揚合で も、犯意を実現するために、故意の外に、更に、もう一つの要素が必要な場合ーー例えば、窃盗の場合ー、には、 お・暮嘆・く8暮・窮は、刑事責任を間われないのである。しかし、外部的な行為と共に、この意図も存するときは、 轟。暮鷲。ぎ8富ξは、教唆者と同様に取り扱われるべきである。そして、この場合の夷。馨嘆・ぎ3富簿の本来の 員的は、可罰性とは全く無関係である、と説いている。その二は、カッツェンシュタインの提唱するところであるが、        ︵20︶ 彼は、形式的匿遂と実質的既遂とを、かように区別することは、﹁今βの法の建前から、無意味なもの﹂としている。    ︵緯︶ 譲角置窪o oぎ鴨≦鎮鼻O段p頓・暮一︶3くOo暮貧♪葭欝ωo算箏αQN薄貿お○ぽo︵副簿↓a一潟巴一舅opきく角再09窪・     GOco。℃も●c oアco9    ︵20︶ o o帥鑛oづ、鎮P℃も●c o轡2。  三 お・馨冥薯・3ぎ饗は、それ自身︵澄影εB。 っ鼠αQ。琴身︶可罰的な予備行為の完成のみを欲し、それ以上を欲 しない。従って、教唆者として、刑事責任を生ずるものではない、とされている。この説明は、カッッェンシュタイ ンやハイルボルンによってなされた。      ︵忽︶      ︵22︶  ハイルボルンは、ドイツ刑法第四九条aについて、特殊な説明を加えている。それによれば、謎・暮冥・ぎ3ぢ覆 は、可罰的な誘発を行うものではない。誘発は、教唆と異なるものである。法は、結果発生のない犯罪に対する一定

   未遂の教唆       七

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   東洋法学       八

の教唆に適用があるが、しかし、教唆者は、被教唆者が、行為に着手することを欲しなければならない。謎。嘗嘆? ぎ舜$窮は、行為の着手を欲するものではなく、可罰的な予備行為の完成を意慾するに過ぎない。従って、お。暮 嘆・ぎ舞8漢には、教唆の意慾はない、と述べている。          ︵23︶  カッツェンシュタインは、本質的には、ハイルボルンと同様の考慮に基づき、同様の法論に到達している。  そして、この理論が、ドイツにおける通説と一致している。       ︵24︶  ただ、フランクは、お。暮礪。ぎ8ぎ弩の誘発を可罰的なものとしている。その理由とするところは、誘発は、実 際、真摯になされなければならない。しかし、それは、被誘発者が、誘発された犯罪の実行を臼ざすことを要すると いう意味においてではない、と述べている。       ︵25︶  また、ザゥワーも、よしんば、主たる行為が、未遂に終ったとしても、謎①馨嘆・ぎ3ε霧の誘発は、充分、処罰 に価する、と述べている。  しかし、誘発は、教唆と異るから、可罰的でないとするハイルボルンも、誘発の承諾に対する教唆を行った詣①馨 礪・く8霧①弩は、ドイツ刑法第四九条&によって、可罰的なものとされる、と述べている。尤も、この場合は、かか る誘発に応じた者が、刑罰を科せられることを、当然、前提としてのことである。  また、要求された犯罪を実行するという意思の表示は、更に、第四九条aによって、可罰的な行為である。謎①馨 嘆。ε舞審畦は、この場合、この意思決定、及び、その表示をなさしめようと慾したのであり、従って、他人をし て、かかる可罰的な行為を、故意に、実行せしめたのであって、教唆は、結果発生力のあるものであったということ

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となる。       ︵怨 つまり、犯行は、既に、実行されたものと見られるのである。 ︵飢︶ 類鉱一び簿踏︾δc o蓼や ︵22︶ ドイツ刑法第囲九条&は、一八七六年二月二六日法律により挿入され、  五三年八月四欝改正された。 ︵23︶ 図暮8霧審ぼ”や蕊㌧心。h・ ︵24︶、男触銭涛”累○ぎ冒︸一Nq㈱も欝。 ︵巧︶ ω騨き♪艶一蒔o影oぎoω菖9器oび震一①日p一や亀や一co9 ︵26︶ ω汐σq①≦鉦斜もも●£ー8● 九照三年五月二九日改正され、更に、一九  四 多くの場合、甜。馨嘆・6S言髪における教唆者の犯意が、教唆者の本来の意図ーよ個又は特定の権利侵 害、法益侵害、或は、法益への危害に至ることなく、他人を処罰しようとする意図  によって、阻却されないから といって、直ちに、護。馨嘆。6貫審褻は、教唆者であると、いちりつに、肯定されるものではない。  むしろ、①お。旨唱・ぎ3ぎ葭が、自己の行為を、錯誤により、禁止されたものでないと解した場合は、教唆は、 否定されることもあるであろう。すなわち、その錯誤が、事実の錯誤に基づく場合には、教唆が否定されるであろ う。ボルヘルト、ドップェル、ハイルボルンは、謎①馨唱・ぎ8富鐘が、痢罰権につき、錯誤を生じたことによって は、排斥されるものではなく、法的に重要な事柄は、事実の錯誤のみであって、法律の錯誤ではないとし、ハイルボ ルンや、ボルヘルトによれば、お。馨嘆・ぎ3富薄の錯誤は、通常、刑罰権に関する錯誤であるとし、ドップェルに よれば、お。暮嘆・ぎ8ε鍔が、命令の実行を彼の責任阻却原因であると解した場合にのみ、錯誤を認めている。こ

   未遂の教唆       九

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   東洋法学      一〇

の三名の見解は、通説と一致している。また、② 帥σq。欝ご、、、。<。。p仲。G円は、たとえ、教唆者であるとしても、結果を        ︵27︶ 避けた場合には、無罪であるとされている。ヘルツォークは︵霞.税Nお︶、広義の共犯者は、法律上、必ずしも、正犯 と同様に可罰的なものではない。法が、広義の共犯者を無罪としている以上、若し、碧αq..観爵娼増。︿。。碧縛。鄭噌が、犯罪に よる損害の発生を妨げた場合は、無罪は、正に、これを同様に行ったところの狭義の共犯者にも与えられなければな らない、というのである。この説に反対しているのは、ハイルボルンのみである。また、③ ハイルボルンは、煽動 行為と被害者の同意の効力も考慮している。 ︵2 7︶ 寓・讐£”菊宥答訟簿く呂︸<。拳募ぎ慧︵一げ馨粛o拶薯P≦宥菩β茜一c。c o担弓・め象歴  五 ジンゲワルドは、夷。馨嘆・ぎ。9。霞に関し、二つの解決すべき問題があることを指摘している。すなわち、  e その一つは、教唆は、誘惑者が、自己の行為を錯誤により、許されたものと解したことによって、阻却される ことである。たとえば、若し、誰かが、一五歳の晶行方正な娘を誘惑しようとするとき、二重に錯誤を生ずる場合が あり得るというのである。それは、  ㈹ 先ず、娘自身に対する犯罪の諸要件に関するものである。誘惑者は、娘が一六歳以上であり、或は、晶行方正 する。でないと信ずる場合がある。この場合は、事実の錯誤であるが、事実の錯誤は、通説によっても、犯意を阻却  ⑥ 次に、法律上の諸要件に関する場合である。すなわち、自己のなした行為は、禁止されていないと信ずる場合 がある。この場合は、法律の錯誤であるが、法律の錯誤は、通説によれば、犯意を阻却するものではなか。

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 しかし、この二つの場合を、全く別異に取り扱う本質的な理由はないのであって、両者は、ただ、外面的にのみ異 るものである。また、その法律上の本質において、両者は、錯誤という統一的類型、すなわち、ただ、法律上重要な 錯誤と包摂の錯誤の二つの代表的なものに過ぎないのである。この二つの場合において、行為者は、自己の行為を錯 誤により、該行為があてはまる規範に包摂せず、犯罪要件︵浮葬諾.冒一。吋犀臼鋤︶に関して錯誤したものである。  口 その二は、侵害に関する被害者の承諾の問題である。法的に重要な侵害に関する被害者の承諾の本質の問題 は、ここでは、如何なる類型犯罪︵9簿薯お。 ・︵箆一蓉象︶に対して、被害者の承諾が法的効力を有するかということで はなく、承諾が、法的に有効とされるような類型犯罪︵Q欝菖窪、一αq。 。.一。算δ︶を前提とするか、或は、場合によっては、 お。暮嘆・ぎ38窪を救済するかの問題であり、そして、この問題は、同意の可分性や不可分性ーシンゲワルド は、告訴の理論において、一般に用いられている表現を類推的に用いているーに関する問題に遡ることとなる。す なわち、お。暮冥・︿8鋒。導 は、他人に刑罰を科せしめんと欲するものである。ところで、承諾は、ー多くは、承 諾者の意図だろうが、ー謎・導嘆・︿8暮。燐吋のために役立つのか、役立たないのか、或は、その両者のいずれでも あるのか、それとも、そのいずれにも属さないのか、という問題である。  シンゲワルドは、この法的に重要な承諾の本質について、考察をこころみるには、次の観点から、出発すぺきもの としている。  ⑥ 先ず、彼は、法益の本質について究明している。法益とは、或る場合には、個人の観念的価値、ないし利益で ある。例えば、個々の身体の安全の如きものは、立法者紅とっては、伺塒に、法的共同体への利益、ないし観念的価

   未遂の教唆       二

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   東洋法学      ︷二

値でもあり、それは、規範保護︵営厩ヨ魯零ぼ欝︶を亨受し、﹁法益﹂となるのである。それは、個人の利益たることを 失う限り、法益たることをも失うものである。個人が、それに、何等の価値をおかない限り、法的共同体が、それに 関心を持つと信ぜしめる何等の理由も、立法者にはない。  ㈲ また、法益は、抵抗する意思自体である場合がある。例えば、名誉殿損は、名誉を尊重せんとする意思に反す るものであつ、強制は、反抗する意思に反するものである。この場合、承諾は、侵害の客体から、法益を奪うもので はなく、それは、侵害の客体を除去してしまうものである。従って、承諾者は、名誉を殿損され得ないということと なる。  @ また、立法者は、主観的権利を、主体が、それによって保護されることを望む限り、その限度においてのみ保 護するのである。国家は、何人に対しても、権利保護を強行することはできない。また、所有権者に、財物を奪い取 った者を窃盗と看徹すことを強制するものではない。国家は、主観的な権利を、その主体が、それによって保護され ることを望む場合においてのみ、規範によって、保護するのである。この意思がなくなれば規範保護もまたなくな る。  ⑥ 従って、同意は、それが、一般的に有効である犯罪については、④ 抵抗意思自体が法益である場合には,こ の意思の放棄として、㈲ 個人の観念的な価値、ないし利益が法益である場合には、利益喪失、すなわち、この利益 の放棄として、⑲ 主観的な権利が、規範によって保護される場合には、規範保護を否定する意思として、法的に重 要であるということとなる。

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 ㈲ 主体が、抵抗意思を放棄し、主体にとって、もはや、その利益が利益でなくなり、主体が、自己の権利を、も はや、保護されることを欲しなくなれば、この否定的な意思が、充分なものである限りにおいて、直ちに、規範保護 は、拒否されるものである。ことに、いわゆる﹁限り﹂という言葉は、判決に大きな困難を与えるものである。それ は、確実な支点を持たず、また、外観というものは、当にならないものであるからである。 ﹁カは持っていても、泥 棒に立ち向う勇気のない臆病者﹂は、決して、窃盗することに承諾したものではない。ただ、これ等の困難は、ここ では、測ることができない。それは、訴訟上の問題の分野に属するのである。ここで、妥当する命題は、承諾が、充 分である限りにおいて、侵害の客体が、規範保護を亨受したり、或は、重大な対象ではなくなるのである。例えば、 所有者Aが、仮装窃盗者Bによる財物の領得に同意するときは、窃盗罪は存在せず、Aが、Bの侵入後逮捕されるこ とを望んで、自己の家屋へ立ち入ることだけを同意したときは、家宅侵入は問題とはならない。しかし、窃盗におい ては、財物が窃取されると同時に、家宅侵入の要素も包含されているが、この場合、ただ、窃盗罪が成立するに過ぎ ないのである。他面、Aの承諾は、BがAの窓硝子を破壊することも内容としているが、Bが、窓硝子の代りに、A の鏡を紛砕したような場合は、重要ではない。また、Bは下手な射手であることを知っているAが、高価な花瓶を射 ることをBに承諾する場合、Aは、その限りにおいて、弾丸が、自分に命中することを望んだか、また、虞れたかは 別として、花瓶に関する所有権についての規範保護を拒絶したこととなる、と説明している。  以上の理論から、シンゲワルドは、承諾は、それが、正犯者を利するときにのみ、教唆者を利するものである、と している。というのは、被害者の承諾は、不可分なものであるからである。すなわち、被害者の承諾は、法的に重要

   未遂の教駿       ご二

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   東洋法学       一匹 な承諾が存在するか、そうでなければ、法的に重要な承諾は存在しないのか、そのいずれかである。若し、法的に重 要な承諾が存在するときは、承諾は、それが充分である限り、規範保護を拒否することになるし、また、見せかけの 正犯者や、見せかけの教唆者によって、相協力して招来した外界の変更は、規範︵2G粧、日一︶を無視する︵一、勘、、婁、、αq。一、..一− εεことによって、示されたものではなく、すなわち、この変更は、犯罪ではないのである。また、若し、法的に重 要な承諾が存在しない場合は、正犯と同様に、教唆犯が成立する。従って、各個々の場合において、如何なる程度の 承諾が存するか、或は、如何なる程度に教唆、並びに、正犯の犯罪的性格が止揚されるかを慎重に検討しなければな         ︵28︶ らない、と説いている。 ︵28︶ も G一お。≦鉱P唱も。逡もco・  六 お窪ご︶きく。参ε畦は、被誘惑者による犯罪の未遂︵ぎ誉驚昌窪巽。湊巨・4のみを欲し、また、犯罪︵O象算︶ の完成を伴わない犯罪︵<窪薯亀一霧︶の完成を欲するものである。  一体、類型犯罪︵Q暮菖嶺薯①吾触。9窪︶を完成する結果、及び、唆かされた犯罪に必要な結果の発生にのみ向けら れた意思は、何時、認められるかは、個々の場合に判断し難いものである。いずれにしても、誘惑者が、結果の可能 を知悉し、その結果を意欲していた揚合は、結果の発生について、未必の故意が存在するのである。  しかし、実体法上、誘惑者が、類型犯罪︵○鋤δ葺譲紛︵一。蕪廼汁︶を完成する結果を避け得たかどうかということは、何 等、影響あるものではない。誘惑者が、結果の発生を防止し得なかったという事情は、おそらく、訴訟上、極めて、

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重要であろう。何どなれば、かかる事情は、誘惑者が、未必の故意を持っていたということの懲感となるからであ る。そこで、実体法上、問題となる唯一の点は、誘惑者が、かかる結果を避けることができると信じたかどうか、と いうことにある。.誘惑者が、避けられると確信していた場合には、誘惑者は、かかる結果を欲していなかったのであ り、これに反して、結果の発生について、疑いを持っていた場合には、未必の故意があったということになる。  しかしながら、誘発者が、謎。嘗罎・く8暮。窪である場合、すなわち、誘発者たる謎。.、げ鷺薯8.酬げ窪触が、犯罪の未 遂のみや、犯罪︵U魯馨︶の完成を伴わない犯罪︵く。.ぴ圏。。富、一︶の完成を欲する場合には、どうであろうか。この問 題について、シンゲワル押,は、教唆者とは、未遂・既遂・過失犯となる結果を、共同に、惹起させることであり、教 唆者は、自らの行為によって、類型犯罪を完成する結果のための条件を措定することを欲しなければならない。しか し、謎・客冥・ぎ8ε窮は、かかる意欲がないから、教唆者ではあり得ない。しかし、このことは、夷・旨鷲黛8暮       ︵29︶ 。霧に対する教唆の存在を決定的に否定するものではない、と述べている。  しかし、教唆は、結果の発生を意欲することを要するという説に対しては、反対説がある。すなわち、  e それは、ボルヘルトや、レーベンハイムによって主張された見解である。彼等の見解によれば、教唆は、犯罪 的意思の決意を他人に生ぜしめる揚合に、既に、完成しているのであり、この決意は、教唆の結果を意味する。た だ、この結果は、意欲されていなければならない、としている。  ロ ハイルボルンによれば、教唆は、他人に犯罪の決意を生ぜしめることであり、こD決意は、教唆の概念的な結 果を形成する。しかし、他面において、教唆は、結果犯である。被教唆者に行為せしめξことは、もう一つの結果で    未遂の教唆      一五

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   東洋法学       一六

ある、と主張している。この説に対しては、極めて、適切な批判が加えられている。すなわち、この見解によれば、 通常の場合の教唆は、典型的なお①簿唱吋・く・・暮.信門事件となる。というのは、教唆者が、未遂を欲し、正犯者が、未 遂に止った場合に、pσQ。馨鷲・ぎ・鉢.瓢触は、自己の行為に対して、処罰されることになるからである。この場合、 謎。暮鷲・ぎ3富霞は、未遂犯を形成することの結果を意欲したからである。他のすべての場合には、甜鶴一げ嘆・ぎ? 馨。錘が、意欲した以上に処罰されることになる。すなわち、未遂のみを欲したのであるが、被教唆者が、既遂犯を 犯した場合においては、他人の行為に対して、教唆者として、既遂犯の結果につ巷、責任を負わなければならないこ とになるからである。  この非難に対して、ハイルボルンは、更に,、論を進めて、次の如く、説明している。今、その見解を聞こう。例え ば、pαq①纂鷺・ぎ審富霞であるAがー彼は警察官ではないーーBに対して、行為の既遂になることを妨げる意図の 下に、犯罪を教唆したが、その教唆の後に、Bは、自分の決意を変更して、行為を完了してしまった。しかし、その 附、Aは、結果の発生を防止する手段を講じなかった。この場合、何人も、Aを無罪とはしないであろう。Aは、結果 の発生を防止する義務があった場合においてのみ、正犯、或は、従犯として、処罰されるであろう、と述べている。  しかし、このハイルボルンの反駁にも、更に、反駁がある。それは、Aは、ただ、教唆者という概念のみに包摂さ れる必要はなく、不作為犯における因果関係の問題として、正犯、若しくは、従犯として、処罰し得るではないかと      ︵30︶ いうことである。  匂 最後に、オルスハオゼンとフランクは、教峻者とは、他入をして、その直後になされた可罰釣な行為を、故意

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になさしめたものである。未遂も、一つの可罰的行為であるから、未遂の教唆も存在する。教唆者の犯意は、犯罪が、 未遂に終ることを知っていたことによって、阻却されるものではない、と解している。  斯の如く、ドイツにおいては、教唆の本質について、多くの論陣が張られている。また、これに続いて、 お①嘗 嘆・ぎ魯8霞が、教唆者であるかどうかという点についても、盛んに、論争がなされている。しかし、前述の如く、 謎魯二︶3ぎ。暮。蓑は、被誘惑者による犯罪の未遂のみを欲する揚合、及び、犯行の完成を伴わない犯罪の完成を欲 する揚合は、責任を負わないものとされている。ただ、唯一の例外は、複合犯的未遂︵◎門、毘欝属富.・く。話量一︶の場 合である。例えば、違法性の認識あるお。馨鷺。ぎ8審錘が、忍び込み窃盗を他人に勧誘した場合、仮に、被誘惑者 によって、他人の財物が窃取されるに至らなかったにしても、被誘惑者によって、他人の囲いの中に侵入した以上 は、お窪汁嘆9δ蜜ε畦は、家宅侵入に対する教唆の責任がある。  また、複合犯的未遂の場合における教唆は、同時に、被害者の承諾が、我々の問題として、唯一の意義を持つ場合 である。この場合においては、お窪歴鷺・ぎ8審弩は、正犯が正犯でなくなる限りにおいて、すなわち、被害者の承 諾が、侵害について、規範保護を拒否せしめ、教唆者及び正犯から犯罪的性格を奪う限りにおいて、教唆者でなくな るのである。  従って、お。簿嘆。ぎ3ε遜は、ほとんど、教唆者でなくなる。というのは、お・導嘆・ぎ3$ξが、被誘惑者に よる複合犯的未遂を意図した場合においてのみ、教唆者として責任を負うに過ぎないからである。しかし、この場合、 おQ耳鷲9δ3ε鳶は、お①暮鷲・ぎ3$霞が、正に教唆したところの類型犯罪を完成する結果の発生を意図するか

   未遂の教唆       一七

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   東洋法学       一八

らである。しかし、かように解釈することは、お。算鷺・ぎ貫ε簿の本質から出たものではなく、ただ、全く、偶然 から起る事柄に過ぎない、とされている。  更に、問題となるのは、お。暮嘆・ぎ3ε弩が、類型犯罪を完成する結果を過失によって惹起したとき、 お。、口叶 嘆・ぎ8富霞の意図に反して、類型犯罪が既遂となった場合においても、なお、且つ、責任を負わないものであるかど うかという点である。この問題については、一般的には、過失による教唆は存在しないとされているから、責任を生 ずるものではないとされているが、ただ、被誘惑者が、具体的に、責任能力のないものである場合においては、責任 ある行為者によって、媒介される正犯というものは存在し得ないから、間接正犯として、責任を負うぺきであるとさ   ︵綴︶ れている。    ︵29︶ o o鍵鷺≦巽一Pや遷●    ︵30︶ o o言畷o≦霞ξ︸℃。δ轟・    ︵釧︶ ω一βσQo≦pユP勺●δ9  七 お①暮嘆・ε38髪は、類型犯罪の実行を他人に勧誘するものであるから、類型犯罪の結果が、法の世界に対 し、通常、具体的に危険をもたらすような状態であるときには、i法秩序の危険を欲することは、犯罪の成立には 関係なく、また、教唆や正犯は、危険が、意欲されない場合にも存在するから、ーお・暮鷺9.・揖ε窮は、通常、 教唆者として処罰される。ただ、違法性の認識を欠く場合にのみ救済されるものとされている。このカテゴリーを形 成する謎①暮礪。ぎS$髪事件は、学間上の考察に、殆んど困難をもたらしてはいない。

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 八 次に、ドイツにおいて、お。馨嘆・く9暮¢篶の理論のうち、最も困難な問題とされている点について、述ぺ6 必要がある。それは、お。嘗鷺・ε3ε薄が、それ自身、可罰的な予備行為の実行を犠牲者に実行せしめる場合の法 的効果の問題である。この問題の解決が、極めて、困難な所以は、お9け嘆・ぎ88賃は、予備行為のみを欲し、そ れ以上の行為を欲しないからである。  元来、予備行為は、それ自体禁止されていないが、或る種の予備行為は、予備行為そのものとしてではなく、関連 から引き離された、すなわち、準備された犯罪と予備行為との関係からの分離された独自の行為として、立法者によ って、禁止されている。ドイツにおける予備行為禁止の趣旨は、予備行為を、独自に、法の世界を侵害し、或は、具 体的に、又は、通常、危険となる行為と考え、特殊な規範により、法の世界にとって危険なその結果を阻止するため に禁止されるものとされている。ドイツの立法者は、かかる結果を新たな類型犯罪の結果と見るのである。  e 予備行為に対する特別規範は、ドイツ刑法第四九条aによって、前提されている。同条による特別規範は、① 禁止された行為の実行の誘発、並びに、共同実行、③ 禁止行為の実行、並びに、共同実行を提案すること、③ か かる誘発の応諾、④ かかる提案の応諾を禁止している。しかし、この規範は、一体、かかる行為が、可罰的である という理由から禁止するのか、それとも、誘発や提案が、書面によって表明されるか、若しくは、利益の供与に結び つけられてなされる場合に、初めて、禁止するという趣旨から出発しているものか、という点が間題とされている。 その理由は、書面による誘発や、書面による提案は、驚頭、若しくは、断定的行為によってなされる場合よりも、危 険性がないからである。しかし、規範は、かかる行為自体に通常の危険性があるものとして、これを禁止している。    未遂の教唆      一九

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   東洋法学      

二〇  口 斯の如く・ドイッ刑法第四九条&に掲げられた行為は、通常の危険性のために、規範によって、禁止されてい る。同条は、お。馨嘆・ぎ8審霞の理論に極めて関係を持っている規定であるから、これに説明を加えて置きたい。  同条所定の各行為は・その通常の危険性のために、規範によって禁止されるものである。何となれば、かかる行為 によって、人々が・犯罪の実行を決意せしめられることが多いからである。また、かくすることによって、しばし ば・法の世界に対する危険が生ずるからである。といっても、その危険性が、かかる犯罪の概念標識ではない。それ は・危殆犯でないからである。すなわち、危険の禁止の侵害ではないのである。誘発が、、具体的に、被誘発者に関係 しえかどうかは、全く、不必要な事柄である。誘発及び提案の応諾が、具体的に、全く、危険を生じなくともいいの である。この場合においても・第四九条aが適用される。かかる行為は、頻繁に危険を生ずるものであるから禁止さ れるのである。しかも、それが・具体的に危険があるかどうかを問わない。すなわち、第四九条&から推論される規 範は、単純な禁止である。従って、危険性が、かかる行為の犯罪標識でない場合は、それが、何等、危険でない限り、 かかる行為は、禁止されてはならないということになる。すなわち、  ⑥ 提案が、ただ、詐欺的な意図の口実として用いられ、或は、誘発の応諾が、偽ってなされる場合は、それぞれ の規範に包摂してはならない。例えば、Aが金を儲けようと思って、Bに対して、金を呉れるならば、Bの仇敵Cを 殺害することを約束した。そこで、Bは、Aに金を与えたが、Aは、その金を持って逃げるか、或は、Cと図って、 Bに背いて、その金を使って仕舞う場合である。かかる提案や誘発の応諾は、危険性の可能性を、全く欠いている。 すなわち、誘発や提案の応諾は、真蟄になされなけれ球ならない。そうでなければ、規範に包摂せしめることはでき

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ない、これに対し、若し、ぞみ応諾が、真塾になざれるならば、違常、危険があり、しかも、常に、危険でみる。従 って、危険性のない誘発であっても、これを真摯に応諾することも禁止されるのである。  ㈲ 不真面弩な提案の応諾は、禁止されないものとされている。その理由は、提案の応諾は、提案者の手段によっ ては・常に、ただ、間接的にのみ法の世界に危険をもたらすが、それ自体は、危険ではない。従って、真摯な申込み がない揚合には、その応諾は全く危険性を欠いているといえる。  @ 冗談でなされる誘発は、それが、誤解されたり、真摯に応諾されるときは、法の世界に重大な危険をもたら す。それ故に、誘発が如何になされたかは、関係がない。しかし、他面、無邪気な冗談から、いやらしいファンタジ ーの生ずる可能性は、極めて、大である。従って、誘発が、如何に解せられたかということも、関係がない。それ故 に、結局、誘発が、通常、真摯なものと解され得たかどうかに左右せられるのである。すなわち、通常、誘発が、真 摯なものと解せられるような誘発の有責的な表示は、犯罪となるのである。従って、誘発の応諾を欲することは、故 意ではなく、誘発される犯罪を欲することは、なおさら、故意ではない。むしろ、故意であるがために必要なもの は、誘発が、真蟄なものと解され、また、通常、そう解され得るような禁止された行為の誘惑であることを認識し、 且っ、意欲することである。  ㈹ 同様な観察は、真摯な提案に対する応諾についても妥当する。この種の応諾も、危険性の可能性を生ずる。し かし、真摯な提案に対する不真面目な応諾は、危険ではないということはできない。真摯な提案が、ただ、他入を厄 介払いするために応諾するに過ぎない場合であっても、おそらく、それを警官に知らせるー9磯.纂鷺・ぎ。餌♂。鶉目事

   未遂の教唆       二一

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   東洋法学       

一ご一 件では、反対であるが、ー意図であろうが、応諾した者は、他人に刺戟などを与えたのであり、また、おそらく、 法の世界に対して、危険をもたらすからである。真摯な提案が、ただ、冗談で応諾される場合であってさえも、この 応諾をなした者が、誤解されるとき、その応諾は危険である。従って、規範は、真摯な提案に対する通常真摯なもの と解され得るような応諾を、ここでも、また、禁止するのである。しかし、それだからといって、かかる応諾は、実 定法上、可罰的であり、或は、立法論上、可罰的たるべきであると考えてはならない。従って、ここでは、真摯な提 案に対して、通常、真摯なものと解されるような応諾をなし、そうすることによって、規範に違反することを認識        ︵32︶ し、且つ、意欲することが、故意となる、とされている。しかし、通説は、これと全く反対である。通説は、応諾は 真摯になされなければならないものとされている。  日 以上の理論を結論的にいえば、① 真摯な提案は禁止され、不真面罠な提案は、禁止の対象ではない。⑧ ど のような方法でなされ、または、如何に解せられるかを問わず、誘発の真摯な応諾は禁止され、かかる提案の不真面 目な応諾は、禁止の対象ではない。③ 通常、真摯なものと解され得るような誘発は、禁止される。㈲ 真摯な提案 に対する応諾であって、通常、真摯なものと解され得るものは、禁止され、真摯であるにせよ、また、真摯でないに しても、不真面目な提案に対する応諾は、禁止の対象ではない、とされている。  そして、故意による類型犯罪のみが、常に、可罰的であるとされ、かかる犯罪は、表示され、或は、応諾される誘 発や提案が、書面により、又は、利益の供与と結合してなされる場合、更に、誘発され、或は、提案される行為が、        ︵3 3︶ 犯罪である場合にのみ可罰的である、とされている。

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︵鎗︶ o oぎ鷺ぞ霧一斜 ︵男︶ o oぎ鵯≦巽ざ● ラ》 一ラ Ψ一

 諮

 ム

 拶

 九 以上述べたところの禁止された行為の実行の誘発、並びに、共同実行、・禁止行為の実行、並びに、其同実行の 提案、これ等の誘発、或は、提案の応諾に類似の場合においても、立法者は、予備行為を独自な、通常、法的世界に 対して、危険となる行為として、単純な規範によって、禁じている。例えば、多人数が、大逆的企図の実行を申し合 わせる場合とか、或る人が、故意による偽証罪の実行を他人に誘う場合において、通常、或は、しばしば、法的世界 が危険になるのである。また、具体的な場合に危険のない場合もある。すなわち、大逆の計画は、おそらく、余りに 冒険であり、また、夢想的であるので、全然、実行され得ないだろう。また、故意による偽証罪に誘われた者は、正 直者もいることであるから、おそらく、そのような誘いに同意しないであろう。それにもかかわらず、法律は、具体 的事件の危険性を度外視し、さまざまな行為を、その通常の危険性の理由をもって、禁止するのである。従って、こ れ等の場合において、謎。嘗鷺・く・38弩の刑法上の責任は、違法性の認識があれば、責任があるということとな る。  なお、或る者が、大逆罪の申し合わせを固持せしめ、そうすることに成功した後、陰謀を暴露するという場合、す なわち、お。暮黛薯8暮。髪として行動するという意図で、多人数をして大逆的陰謀をなさしめる場合には、この陰 謀は、おそらく、全然、危険ではない。しかし、それにもかかわらず、そうすることは、罰せられるし、若し、お①騨       ︵34︶ 鷲。ぎ8ε弩において、違法性の認識がある場合においては、教唆者である。

   未遂の教唆       ≡二

(25)

   東洋法学      

二四    ︵34︶ ωぎ磯○≦㊤工P噂も.ロc oむG●  脚○ その他の誘発に関しては、原則として、公然、或は、書面の公布、或は、少くとも、書面の提示によって行 われなければならない、とされている。お¢馨冥・ぎ舞3簿が、かかる方法で、可罰的な行為を誘発することを欲し たならば、自己のなした表示の影響力を図り知ることができず、自己のなした誘発によってなされた犯罪を防止する ことが出来ないであろうから、刑事責任があるとされている。  =  これを要するに、ドイツにおいては、お¢馨嘆・<8諄。ξは、① 違法性の認識が欠けている揚合、ω 侵 害に対する被害者の承諾があるために、被誘惑者、従って、お。馨嘆。<89。暑から、犯罪的性質を除去する場合、 ③ お①暮嘆。ぎ88簿が、被誘惑者の非複合犯的未遂︵巳畠£蓼霞鼠。蓉96税巽畠︶のみを欲する揚合、④ お。嘗 屈黛8纂・巽が、犯罪︵O魯ζ︶の完成を伴わない犯罪︵<霞ぼ。9窪︶の完成を欲する場合、⑤ 謎Φ暮鷺・ぎ3ε無 が、被誘惑者に対して、単に、犯罪を犯そうという申出をしたに止まる場合、お¢暮嘆・ぎ鶏富ξは、無罪である。 なお、最後の⑤の場合においては、被誘惑者もまた無罪とされている。これに反して、① 謎Φ嘗嘆・ε鶏ぎ霞は、 被誘惑者の複合犯的未遂︵ρ奏濠蕊①客S<段窪。げ︶のみを欲する場合、及び、犯行の完成を伴わない犯罪の完成を欲 する揚合において、お①纂一︶863ε簿の意図に反して、類型犯罪を完成する結果を生じたときは、実定法は、被誘 惑者が、具体的に、責任無能力である限り、揚合によっては、過失によるかかる結果の惹起につき、処罰されること がある。⑧ また、お9汁嘆9.。。暮。霞に違法性の認識がある揚合は、処罰を免れない。すなわち、ω 法律上重要 でない承諾が存する限り、しかも、螢σq。纂鷺・ぎ33摸が、被誘惑者の複合犯的未遂を欲し、且つ、少くとも、かよ

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うな未遂が生ずる場合には、夷。嘗鷲・<8暮。霞は、教唆者として処罰される。@ また.謎①嘗鷺・ぎ3ε霞が、複 合犯でない単純犯罪︵魯︸鉾畠呂鳥皇蓉︶の実行、特に、それ自体犯罪として、可罰的である予備行為に向けられた場 合は、教唆者として処罰される。の 更に、ドイツ刑法第四九条aにより、犯罪となるという理由から罰せられるの は、お。暮嘆・ぎ参ぎ髪が、書面又は利益の供与と結合して、犯罪︵く巽警。畠魯︶の実行を誘発した場合である、とさ   ︵35︶ れている。    ︵努︶ G Qぎα登o≦貰崔●や℃●二㌣欝9  脚二 以上をもって、ドイツにおける未遂の教唆と護。暮鷺・ぎ3ε黛の理論の大要を述べたのであるが、これを 説明するに当り、シンゲワルドの学説を中心とした。その理由は、シンゲワルドが、未遂の教唆と茜9一鷺・ぎ星? G弩の理論の真随に触れて、多く、検討を加えているからであって、それ以上の何物でもない。シンゲワルドは、こ の理論を説明するに当って、規範論をもって終始している。しかし、刑罰、ないし犯罪理論の基本的理念を規範論に 求めていることについては、問題があるが、少くとも、シンゲワルドの理論から得るところのものは、未遂の教唆や お。暮鷲薯8纂。霧に対する基礎的考察の跡である。

二 我が国における学説・判例

わが国においても、未遂の教唆は、教唆犯を構成するという説と、教唆犯は成立しないという説がある。

  未遂の教唆       二五

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   東 洋 法 惑子      二六  小野博士は、自らその結果の発生を妨害して末遂に終らしめる意思をもって、人を教唆して犯罪を実行せしめた場 合は︵教唆する刑事巡査︶、教唆犯を構成する。但し、職務上その教唆をなす義務があると信じた等の事情によって、道       ︵1︶ 義的責任を阻却する場合があり得るであろう、と説き、  団藤教授は、教唆行為は被教唆者に犯罪を実行する決意をおこさせる意思だけで足り、基本的構成要件の実行行為 ではなく、また、教唆の意思も基本的構成要件についての故意ではない。従って、はじめから、未遂に終らせるつも りであっても、この要件に欠けるところはない。それで、謎①暮質・68富弩もーーむろん基本的構成要件につき未        ︵2︶ 遂を罰する規定がある場合にー教唆犯を構成する、と説き、  安平博士は、教唆犯の成立には、相手方をして、単に一定の犯意を生ぜしめたに止らず、さらにすすんで、相手方 が実行行為への着手以上の行為に出たことを必要とするのであるから、未遂罪への教唆であった場合、すなわち、教        ︵3︶ 唆に基づいて、被教唆者が未遂行為に出たかぎり、その限度における教唆罪は成立する、と説き、  滝川博士は、教唆犯が罰せられるのは、犯罪の決意なき者又は決意の定まらない者を犯罪の実行に誘導することを 根拠とするものであり、如何なる理由にせよ、刑事処分を受けさすために他人を犯罪に引入れる権利を有するものは        ︵4︶ なく、刑法上は、未遂犯への教唆として罰せらるべきである、と説き、  江家教授は、被教唆者が逮捕されることを知って犯罪を教唆し、又は、犯罪を教唆した後、被教唆者が実行に著手        ︵5︶ するや直ちにこれを逮捕するが如きも、これを教唆犯として処罰し得る、と説いている。  これに反し、木村博士は、犯罪行為の認識は当然構成要件的結果の発生について、すくなくとも、未必釣認識を必

(28)

要とする。従って、予め結果の発生しないことを認識して教唆行為をした揚合は、教唆者には故意がないから、教唆       ︵6︶ 犯は成立せず、不可罰である、と説いている。 ︵1︶ ︵2︶ ︵3︶ ︵4︶ ︵5︶ ︵6︶  かように、 分れるであろう。教唆犯を従属犯とするものは 犯は成立しないということになるであろう。  他方、未遂の教唆に対し、直接的に明確な解釈を与えた判例はない。ただ、最高裁判所は、他人の誘惑により犯意 を生じ、又は、これを強化された者が犯罪を実行した場合、わが刑事法上その誘惑者が場合によっては、麻薬取締法 五三条のごとき規定の有無にかかわらず、教唆犯又は従犯として責を負うことのあるのは格別、その他人である誘惑 者が一私人でなく、捜査機関であるとの一事をもって、その犯罪実行者の犯罪構成要件該当性又は責任性若しくは違 法性を阻却し、又は、公訴提起の手続規定に違反し、若しくは、公訴権を消滅せしめるものとすることのできないこ       ︵7︶ と多言を要しない、としている。要するに、最高裁判所は、未遂の教竣は、場合によっては、教唆犯を構成するもの

   末遂の教唆       二七

小野清一郎・刑法講義︵総論︶二〇九頁以下。 団藤重光・刑法綱要︵総論︶三〇九頁以下。 安平政吉・刑法総論二一〇頁。 滝川幸辰・犯罪論序説二四六頁以下。 江家義男・刑法講義︵総則篇︶三九〇頁。 木村亀二・刑法総論四一五頁。 相対立する両説が生ずる基本は、教唆犯は、従属犯であるか、それとも、独立犯であるか否かによって        、未遂の教唆は、教唆犯を構成するとし、独立犯とするものは、教唆

(29)

   東洋法学      二入

ど解したいといえる。    ︵7︶最高裁判所昭和二七年︵あ︶第五四七〇号麻薬取締法違反被告事件・昭和二八年三月五臼第一小法廷決定。     この決定に対する批判は、臼中政義﹁囮捜査に関する最高裁判所の見解﹂ジュリスト三七号五頁以下。 私 見  教唆は、犯意なきものに犯意を生ぜしめるものであり、従って、教唆者は、被教唆者に犯意を生ぜしめる意思のあ ることを要し、且つ、それだけで充分である。  教唆が犯罪として処罰されるのは、つまり、教唆犯が成立するには、犯意なきものに犯意を生ぜしめて、被教唆者 が、犯罪の実行行為に出でた以上は、教唆者が、たとえ、はじめから、犯罪行為を未遂に終らせる意図の下に教唆し た場合であっても、教唆犯を構成する。すなわち、未遂の教唆は教唆犯を構成する。この理論は、未遂を処罰する犯 罪は勿論、予備・陰謀などを処罰する犯罪においても、その犯罪の予備・陰謀など、そのもの自体が、それぞれの構 成要件であり、被教唆者が、その犯罪の予備・陰謀に著手した以上は、実行行為に出でたのであるから、矢張り、教唆 犯を構成する。  反対説は、予め結果の発生しないととを認識して教唆行為をした場合は、教唆者には故意がないから、教唆犯は成 立しないとするが、教唆犯は、被教唆者に犯罪を実行する決意を生ぜしめる故意があれば、それで足り、結果の発生

(30)

に対する認識は必要でないから、この説には賛成しかねる。  お・暮窯9δ38弩は、犯罪の既遂を意図するものではなく、人を逮捕する目的で、犯罪を教唆し、実行行為に著 手したところを直ちに逮捕するものであるが、この場合においても、教唆犯は成立する。挑発者が私人であろうが、 捜査官であろうが、両者に区別はない。ただ、お①暮領・ε3ぎ霞が、既に犯意を生じ、その犯罪実行の機会を狙っ ている者を挑発して、犯罪の実行行為に著手せしめ、これを逮捕する場合は、教唆犯を構成しない。しかし、この場 合、ブての挑発は、既に生じている犯意と同種の類型犯罪の挑発である,ことを要する。        ︵本学教授︶

未遂の教唆

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